幻想郷の住民は平家物語を知らないらしい。
源平合戦の時代を知る者は何人か居たものの、琵琶法師の弾き語りについては誰も記憶していないという。
この事実は、我々九十九姉妹を驚愕させてなお余りあるものであった。
「平家物語ってのは知らないけど、平家は源氏に負けたんでしょ? だったら源氏物語の方が強いって事じゃない。負け犬に用は無いわ」
こんな意見すら飛び出した程だ。
琵琶の付喪神として生をうけ、平家物語をモチーフとした弾幕を扱う私としては、憤懣やるかたない思いである。
……だが、彼らの声には耳を傾けるべき部分も少なからず存在する。相手の無知を咎める前に、まず自らの蒙を啓かねばなるまい。
「なあ八橋……源氏物語って何だ?」
「さあ? 平家物語の二次創作か何かじゃない?」
そうなのか? いや、きっとそうに違いあるまい。
乱暴な言い方をしてしまえば、現在に伝わる平家物語とは、数多存在する二次創作の集合体に過ぎないのだ。
琵琶法師たちによって広められたこの軍記物は、身分を問わず多くの人々に親しまれ、また愛されてきた。
当然の事ながら、その過程においては、語り手や聞き手の解釈というものが少なからず盛り込まれ、原型を歪めていく事となる。
件の源氏物語とやらも、そうして生まれた諸本の一つであろう。郷民たちとの相互理解のためにも、その内容を把握しておくべきだと私は考えた。
「源氏物語? よく知らねえですが、里の貸本屋に行けばあると思うんですよー……オメエらどうして生足なんですよー?」
通りすがりの親切な妖精が、私たちに進むべき道を指し示してくれた。
そうと決まれば善は急げだ。Now&善。我々姉妹が向かった先は地元で有名な貸本屋に足を踏み入れた。
文法が間違っているって? 語り物ではよくある事だ。あえて気にするな。
「ええ、源氏物語なら写本が幾つかありますよ……えっ、平家物語? なんですかそれ? 源氏物語の二次創作か何かですか?」
我々の不躾な問い掛けに対し、歳若き店番の娘は親切に応対してくれた……余計な一言さえなければ、の話だが。
平手打ちの二、三発でも呉れてやろうかと思い、いざ実行に移しかけたところで、私は八橋の手刀を喰らい、無様に昏倒した。
今になって思えば、この頃から立場が逆転していたのかもしれない。無鉄砲な妹を冷静な姉が止める。我々姉妹は本来そうあるべきだと、あの頃は信じて疑わなかったものだ。
随分と前置きが長くなってしまったが、本稿「源平創想話」に至るまでのあらましは把握して頂けたかと思う。
そう、これは私たち九十九姉妹の愛憎に彩られし戦いの記録。諸行無常の響に満ちた、まさしく現代の平家物語。
物語は私が目覚めた少し後、一足先に源氏物語を読み終えた八橋の一言から始まる……。
「姉さん……いや、弁々。大事な話があるの」
いつになく真剣な様子の八橋に対し、私は些か面食らいながらも頁を捲る手を止め、その言葉に耳を傾けた。
言うまでも無い事だが、私の手元にある本は源氏物語。私が昏睡している間に、八橋が貸本屋の娘から拝借したものだ。
超・初心者向けなる謳い文句に偽りは無く、原文に現代語訳が添えられていて読みやすい事この上ない。
内容はと言えば、簡潔なあらすじと主要な名場面の抜粋、後は必要最低限の注釈のみで構成されている。
これなら頭脳が残念な八橋であっても、小一時間程度で読破出来てしまうだろう。まあ、大方読み飛ばしてはいると思うのだが。
「なんだい八橋、今イイところなんだから邪魔しないで欲しいな。つうかコレ平家とか関係なくね……?」
「平家物語とは全く関係なかったけど、私と弁々には大いに関係のあるお話だったわ」
「おいィ? さっきから弁々弁々言ってるけど、姉を呼び捨てにするのは正直言って関心しないな」
「姉ではなかったのよ。アナタは」
……はて? 今のは私の聞き違いだろうか?
私が姉で八橋が妹という位置付けは、我ら二人が付喪神として覚醒した直後に取り決められたものだ。
それなのに、彼女は私が姉ではなかったと言う。根拠は何だ? おそらくは源氏物語だろう。
だとすると、ここに大いなる矛盾が発生する。我々姉妹のあり方に関する何かが、平安時代の女流作家によって既に予言されていたとでも言うのか? 馬鹿馬鹿しい。
「弁々、アナタどの辺りまで読んだ?」
「その呼び方やめろよ……えーっと、紫の上がオダブツして、なんかもう源氏までオダブツしちまいそうな勢いだよ。これってひょっとして最終章?」
「オダブツって言い方やめなさいよ。あとまだ最終章じゃないから。源氏が死んだ後も物語は続くから」
「マジで? 源氏が死んだ後の源氏物語なんて、平清盛が死んだ後の平家物語みたいなもんじゃないか……」
「ええ、見所がたくさん残ってるわね」
そうかな? 宗盛が後を継いでからの平家のグダグダっぷりなんて、とても正視に耐え得るものでは無いと思うのだけど。
まあ平家の転落する様が物語の主題と言っても過言ではないし、なにより源氏(光源氏ではない方)の快進撃が始まるのもこの辺りからだもんね。
やっぱみんな義経あたりが好きなのかなあ。お兄ちゃんの頼朝は平家物語ではマジ空気だし。まだ文覚のチートっぷりの方が目立ってたんじゃない? そりゃないか。
「もう少し読み進めれば、私の言いたい事が分かってもらえると思う」
「そりゃあ楽しみだ……あれ? いつの間にか源氏がくたばってやんの。読み飛ばした覚えは無いのだけど……落丁かしらん?」
「ああ、その辺りは元々そうなっているらしいわ。仕様よ仕様」
「仕様だからしようがない、なーんちゃってハハハ……」
「…………わーお」
どうした八橋。笑えよ八橋。私はもう……笑ってるぜ。
しかしアレだな。空白のままにしておくくらいなら、いっその事適当な二次創作で補完してしまった方がいいのではないか?
例えば……紫の上を喪った悲しみを癒すべく南の島へと渡った源氏が、地元の海女さん達にモテモテになって幸せな老後を過ごす、みたいな感じのお話とか。
タイトルはズバリ、「源氏女護島」でどうよ!? ……なに? 源氏に足摺をさせる気かって? 足コキじゃないだけマシだと思いな! じぇっじぇっじぇ(笑い声)。
「くだらないコト言ってないで、さっさと先に進みなさいよ」
「オーケーオーケー……おおっ、あのマセガキ2匹が立派なイケメンに成長してるじゃないか」
「匂宮と薫ね。源氏の死後は彼らが主役と言っても過言ではないわ」
「薫ちゃんてば一体全体どうしちゃったの? ワキガ?」
「悪臭だなんてどこにも書いてないでしょ! いい加減にして!」
いやいや、「この世の匂ひならずあやしき」とか書かれてるんだが……怖いわー、平安時代の人間怖いわー。
まあキャラ付けとしては悪くないと思うけど、源氏のアレっぷりに比べるとまだまだ弱い気がするな。
コイツらがどこまで破廉恥な行いを見せてくれるか、せいぜい期待させて貰うとしよう……すっかり源氏物語の世界に染まっちまってるなあ、私ってば。
「ああもう、『紅梅』とか『竹河』なんて飛ばしちゃいなさいよ。重要なのはその次よ、その次」
「無茶言うなよ……ああッ!?」
「ど、どうしたの?」
「髭黒大将が……死んでるじゃないか!」
「どうだっていいわ!」
よくねえよ! 私的には源氏の死よりよっぽどショッキングな出来事だよ!
全体的にお高くとまったムード漂う物語の中にあって、名前からして泥臭さを隠しきれてなかった髭黒が大好きだったんだよ私は!
平家物語でもそうだった。イイ子チャンぶった重盛よりも激ワル清盛の方が好きだったし、美少年敦盛よりも熊谷のオッサンに乙女ボッキしたモンよ。文句あっか!
「熊谷さんはイイ人だったでしょ! 髭黒や清盛みたいなヨゴレ連中と一緒にしないでよ!」
「おっ、おまっ!? オマエは一体全体何てコトを口走るのだ!? そうやって私の乙女ロードに立ち塞がった以上は、例え我が妹といえども轢死は不可避だぞっ!」
「だーかーらー! 妹じゃないって何回言ったら分かるのよ!? もういいからさっさと次に進みなさいっ!」
八橋め、そんなに私の妹でいるのがイヤなのか。
まさかとは思うが……源氏物語云々ではなく、元から私の事が嫌いだったとか?
だとしたら、すげーショックだ。もう立ち直れないかもしれない。コンビは解散、琵琶も廃棄して、残りの人生源氏物語を読んで過ごそうかしらん。
「『書物とる身には今生の面目、冥途の思出にて候へ』……なーんつって」
「中途半端で意味不明な引用やめなさい。ツグノブさんに申し訳ないと思わないの?」
「それはそうと、今度は美女が二人も登場したぞ。しかも姉妹ときた」
「わっほーい! そこ重要よ! 一語一句たりとも読み飛ばしては駄目だからね!」
なんだ? 八橋のヤツ妙にご機嫌じゃないか。ココを私に読ませたかったのかねぇ。
えーっとなになに。晩秋のある日、宇治の山荘を訪れたワキガボーイ君が、琴と琵琶を合奏する美しい姉妹に出会って恋に落ちる……ふーん。
物語的には重要な場面なのだろうけど、別に騒ぎ立てる程ではないな。姉妹の年齢も至って常識の範囲内だし。これが“また”幼女だったりしたら面白かったのに。
「ねえさ……弁々、これを読んで何とも思わないの?」
「この『扇ならで、これしても、月は招きつべかりけり』ってフレーズ、パクっていい? なんか気に入ったわ」
「そうじゃないでしょ! セリフじゃなくて姉妹の楽器に注目しなさ……いや、ある意味してるか……ああもう! 重要なのは姉妹の……」
「姉妹の持ってる楽器、だろう? 姉の大君が琴で、妹の中の君が琵琶。我ら姉妹とは正反対だ」
「正反対ではなくて、これこそが私たち九十九姉妹の本来あるべき姿だったのよ!」
な、なんだってー。私たちの減点、もとい原点は、平家物語ではなく源氏物語にあったと言うのかー。
さて続きを読むとするか。姉妹とバッドスメルコンビの恋愛バトルが勃発して、紫式部の筆先もさらに爆裂「ちょっと待ちなさい!」なんだよ、うるさいなあ。
「なにしれっと読み進めてるのよ! 私が言ったコトちゃんと聞いてた!?」
「あー聞いてた聞いてた。お前が姉で私が妹なんだろ? もうそれでいいよ」
「むっ、なにその投げやりな態度は。ホントにいいの? アナタはこの先永遠に私の事を『姉さん』と呼ぶ事になるのよ?」
「『お姉ちゃん』」
「へっ?」
源氏物語から視線を外し、横目で八橋の様子を窺ってみる。
案の定、鳩が豆鉄砲くらったようなお顔を晒してやんの。不意打ちが功を奏したな。楽器だけにね。うまいこと言った……!
「なにビックリしてるのよ、『八橋お姉ちゃん』? アナタ私の『お姉ちゃん』なんでしょ?」
「いや、チョット待って……なにこの感情。なんかこう、身体の奥底からムズムズするような何かが……」
「ねーえ、『お姉ちゃん』ってばぁ」
「ああッ! 恥ずい! 超恥ずい! 何とも言えない気恥ずかしさがッ!」
自分から言い出したくせに照れてんじゃねーよ。そんなんで姉が務まると思うてか、この愚妹が。
身悶えする八橋を完全に無視して、私は頁を捲り続ける。
なにやら複雑な展開になってきたぞ。薫は大君が好きで、大君は中の君を薫に宛がおうとして、そんでもって薫は中の君を匂宮に……なんだコイツら。
いかん、少々胸焼けしてきた。こういう時は平家物語の名場面を思い浮かべるに限るね。心の清涼剤ってヤツだ。
よし、ここは「橋合戦」でキメよう。浄妙房明秀の息もつかせぬ大立ち回り! 仲間の一来法師も颯爽と参戦! 一来は死んだ。諸行無常(笑)。
うーん、スッキリした。さて続きを……おや?
「おい八橋……じゃなかった、『お姉ちゃん』」
「姉さんホントマジ弁々して……じゃなくて、勘弁してよぉ……」
「お前は大君に自己を投影していたようだが……ちゃんと最後まで読んだのか?」
「あ、あったりまえでしょ!」
「じゃあ、大君がどうなったかも知ってるな? 知った上で自分が姉だとか言ったんだよな?」
「えっ……? それは、その……えーっと……どうなったんだっけ?」
やっぱりな。コイツちゃんと読んでねえわ。
どうせ姉妹が登場した辺りで有頂天になって、そこから先は適当に読み飛ばしてしまったのだろう。いみじくも本編冒頭で私が看破した通りにね。
「そういえば、大君はいつの間にかフェードアウトしていたような……いやいや、そんな筈ないわ! 宇治十帖のヒロイン的存在である彼女に限って……」
「死 ん だ よ」
「……は?」
「大君は死んだ。かなりお早い退場だった。宇治十帖のヒロインは中の君と、その異母妹である浮船だったようだ」
「あ、ありえない……! 大君切り捨ててポッと出の新キャラ重用するとかマジありえんし! わかってねえ、わかってねえわ紫式部ゥ!」
作者にケチつけてどーする。オマエは何様のつもりなのだ。
だいたいポッと出の新キャラって、そりゃ大中姉妹にも言えるコトだろうが……あっ、私ら九十九姉妹もか?
「出す必要ねーでしょうが異母妹なんてさあ! 一体全体誰なのよ浮船って!? 私が大君で、姉さんが中の君で……はっ、まさか!」
「堀川雷鼓か?」
「ねっ、ねえさああああああああああぁん! どうしてネタを潰しちゃうのよおおおおおおおおおおおおおおおぉ!?」
わざわざ引っ張るようなネタかよ。誰にだって予想がつくだろうに。
そもそもアイツは妹ってガラじゃあないしな。むしろ姉、いや母でもいいくらいだ……本人に言ったら怒るかな?
「おのれ堀川……いや浮船! 私からヒロインの地位のみならず、姉さんまでも奪うとは!」
「どうしてそうなる。あの姉妹と私たちは何の関係もないし、中の君と浮船がキマシタワーな関係になる事も……無い、と思うぞ?」
「誰かに奪われるくらいなら……姉さんの初音は私が奪う! 無理矢理にでも花宴して、姉さんの末摘花を花散里よッ!」
「最低すぎる! オマエ自分が何を言ってうわあっ!?」
八橋による意味不明な巻名連呼からの強襲に、私は為す術もなく組み伏せられてしまった。
不意打ちや強行突破をすれば実際勝つ。平家物語にもそう書いてある。いやマジで。
かの有名な鵯越の逆落としや、高倉宮御謀反の時の足利忠綱など枚挙に暇が……なに、水島合戦はどうだって? ありゃ例外だろ。日食如きにビビっちゃう山猿軍団が悪いよ。
「わっほっほっほ……(笑い声)どうよ姉さん? このまま私の匂兵部卿な真木柱を、姉さんの澪標した桐壺に思うさま絵合してあげるわっ!」
「まだ言うかこのバカ! 第一、オマエにはチン……柱なんか付いてないだろうがっ!」
「そこはホラ、私の愛用する琴を使ってコトを為す……あれ? 私ってばうまいこと言っちゃった? わっほーい!」
「くっ、くだらねー! 大体そんなモン入るわけないだろいい加減にしろ!」
「やればできる! 源氏物語にもそう書いてある!」
「ねーよ!」
ヤツは……八橋は私に跨った体勢のまま、徐に琴を取り出して激しく扱きはじめた。
もう自分でも何を言ってるか分からなくなってきた。でも他に表現のしようが無いんだよ。あまりにも異様すぎてさぁ。
とはいえ、このまま爛れたアンサンブルへと突入するのだけは避けたい。協力スペルならぬ強力スペルマってやかましいわ!
コイツを止めなくては……私の浄瑠璃世界がガバガバに広がってしまう前に、一か八かアレを仕掛けてみる他ないな。
きっと上手くいく筈。さっきと同じようにやればいいだけだもんね。さあ行くぞ八橋、私のお腹で果てるがいい!
「おっ……『お姉ちゃん』」
「――――ッッッ!?」
「お、お願いだから痛くしないでね? 『お姉ちゃん』……」
「ちょっ、ダメ、それ反則ゥ……うああああああああああああヤバイヤバイ私のエコーがチェンバーしちゃうううううううううぅ!?」
エコーがチェンバーって何だよ意味わかんねえよ、などと口にする暇も無く、八橋の琴から大量の音符が放出された。
念のため言っておくが、比喩でも暗喩でもないぞ。マジで音符だ。♪←こういうやつだ。なんか余計に誤解を招きそうだなあ。
んでもって、零距離射撃を浴びる破目になった私は……正しくは接射か? セッシャって書くと何やらエロスな響きになるね。エロスな響。どうでもいいか。
とにかく、私はズタボロにされて死んだ。諸行無常(笑)。いやまだ生きてる。ギリギリ生きてるよ。多分ね。
「ねっ、姉さん大丈夫? ……ウッ!?」
八橋が急に仰け反ったかと思えば、琴の先っぽから音符が一匹、ペッと吐き出されたではないか。
思わず払い除けてしまったが、一体全体何だったんだ今のは?
「ふう……今のは平安の残尿、もとい残響。略して平安……」
「戯れ言をぬかすな」
「あっふん」
私は腹筋を酷使して起き上がり、妹の顔面にビンタを呉れてやった。
無理矢理アレされそうになった上に、思いっきりぶっかけられた事に対する報復としては、まあヌルい方だと思う。優しい弁々お姉ちゃんなのであった。
「叩かれたらまた興奮してきちゃった。姉さん、今度は中に出してあげるわね」
「♪←これをか? いい加減、正気に戻りなよ。姉妹でこんな事するなんて、どう考えてもおかしいだろ……」
「姉妹と言っても、私たちは義理の姉妹じゃないの。ナニをヤろうと咎めを受ける謂れなどないわ」
「義理だからこそ駄目なんだよ」
「どうしてよ?」
「今からキッチリと説明してやるさ……地の文でな!」
「ええ~っ……」
義理という言葉は、「義」と「理」の二文字より成り立っている。
「義」とはすなわち「信義」や「道義」を、「理」は「理性」を表すものである。
ゆえに、義理の姉妹間で“そういった行為”をすることは許されない。以上が私の見解だ。
なに? 実の姉妹の場合はどうなんだって? 勝手に盛ってればいいだろ、性欲の奴隷共がっ!
「どうだ八橋。反論の余地などあるまいよ」
「そ、そんなのってないわ……! どうして私は、姉さんと同じ子宮から生まれて来なかったのーっ!?」
「子宮って……まあ、そう悲観しなさんな。義理だからこそ出来る事だってあるんだぞ?」
「Bまで!? Bまでならセーフなのねっ!?」
「性的やめろ! ……もしもお前が望むなら、私が妹になってやる事だって出来るんだよ。なにせ義理だからね」
「えっ……」
我らを結ぶは血縁にあらず、「義」と「理」なり。
どちらが姉でどちらが妹かなど、心持ひとつで如何様にでも変えられよう。
つうかアレだわね。いっその事日替わりで決めちゃってもいんじゃね? ってなノリでいっちゃおうかしらん。
「いやいやいや! それは幾ら何でも適当すぎるでしょ!」
「適当ではない。諸行無常と言いなさい」
「諸行無常ってそういう意味じゃないから! ……いや、そうなのかしら? うーん……」
「細かいことは気にしなくていいのよ? 『お姉ちゃん』」
「……姉さん、ひょっとしてソレ気に入っちゃったとか?」
ああ、大いに気に入ったとも。
冷静で大人びたお姉さん役も嫌ではないが、たまには思いっきり甘えてみたくなるもんだ。
それに、お姉ちゃん呼ばわりした時の八橋の反応が、いちいち面白くて……おや? 赤面してないな。いい加減、慣れてきたか?
「ふっふっふ……いいのよ弁々? 『お姉ちゃん』がやさしくハグしてあげるわ」
「お、おう」
「ちょっ、いきなり素に戻らないでよ」
いかんいかん、危うくこっちが赤面するところだった。八橋のクセに色っぽい表情しやがって……。
まあ、ノリノリなのは良い事だ。こうやって仲睦まじく語らえるのも、義理の姉妹ならではの特権といえよう。
血は水よりも濃い、なんてのはありゃウソだね。そういうコト言ってる奴に限って血液型占いなんかにハマッちまうのさ。ばーか。
「さて。我々姉妹の絆も磐石なものとなった事だし、源氏物語の続きを読むとするかな」
「あっ、でもそろそろお暇した方がいいんじゃない? 流石に長居し過ぎたと思うし」
「長居? 何を言ってるんだ八橋……『お姉ちゃん』よ。ここは私たちの家……」
……じゃねえわ。つうか私たち家持ってねえし。じゃあココ何処よ?
なんか本がいっぱいあってな……あっ。
「貸本屋ァ!?」
「鈴奈庵、っていうらしいわね。さっき店番の子が言ってたわ。捨てセリフの中でだけど」
「捨てセリフって……じゃあオマエ、まさか!?」
「ええ、『銭払えや!』って五月蝿かったから叩き出してやったわ。姉さんが目覚めるちょっと前くらいだったかな」
「……ちなみに、彼女は何て言ったんだ?」
「えーっと、確か『鈴奈庵なめんなカス妖怪ども! ちょっと霊夢さん呼んでくる!』だったかしら」
「やべえじゃん」
やべえじゃん。大事なコトなので二回言いました。
何て言ったっけこういう状況。居座り強盗? 居直り強盗って言葉もあった気がする。強盗の区別がつかないよ。
っていうかなぜ気付かなかったよ私。源氏物語にドハマリしてしまった所為か? 冷静なお姉さん役が聞いて呆れるわ。
もういいや。ここは気弱で病弱な妹キャラを装って、八橋お姉ちゃんに恐ろしい巫女さんから守ってもらうとしようかね。
……とか考えている間に、何者かが店内に乗り込んで来よったわ!
「待 た せ た わ ね !」
「……誰だ!?」
いや、本当に誰だよ。少なくともこの間の巫女とは違うようだが。
巫女は金髪ではなかったし、服装も全く異なる。かといって箒に乗ってた白黒でもない。アイツの耳は尖っていなかったからね。
ここへ来てまさかの新キャラ登場か? さっきの八橋の弁ではないが、出てくる必要あるのかよコイツ。
「誰だ? って言われちゃったから自己紹介するわね。私は水橋パルスィ、種族は……」
「行くぞ八橋。グズグズしていたら巫女が来てしまう」
「流石は姉さん。冷静ね」
水橋某を押し退け、いざ懐かしき陽光の下へ……ってオイ、邪魔すんな馬鹿。
単独で我々二人を食い止めるとか、ちょっと頑張り過ぎだろう。なんか小声で「ディーフェンス、ディーフェンス」とか言ってやがるし。
「通せよ」
「イヤよ」
「通ーせよ」
「私の話を聞いて欲しいの。すぐ終わるから。ねっ?」
しつこ過ぎる。流石にここは平手打ちの出番だろう、とばかりに振り上げた腕を、後ろに居た八橋に掴まれてしまう。
なぜだ八橋。平家物語であれほど積極策が推奨されていたというのに、なぜ私の邪魔をする?
……まあいい。ここは妹に従ってみるのも悪くないかもしれん。
平家物語でもあったからね。賢い弟の意見を取り上げなかったばかりに、破滅へのロードをひた走っちゃった誰かさんの例が。
まあアレはフィクションだから、実際の宗盛や知盛がどんなヤツらだったのかは知らんけど。知盛の「見るべき程の事をば見つ」ってセリフ、ちょっとカッコ良過ぎる気がするし。
「やすからぬ。パルスィめを切ッてすつべかりける物を……」
「ああッ、また姉さんが平家物語の世界にトリップしちゃってる!」
「よくある事なの?」
「もう、しょっちゅうよ! ほーら弁々ちゃん、『お姉ちゃん』がホッペすりすりしてあげまちゅからねー」
「ォォーゥ、ィェー……ィィヮョ、ィィー……」
「……仲睦まじいのね。妬ましいわ」
おいおい、褒めたって何も出ないよ?
つーかコッチは急いでるんだから、とっとと話とやらを聞かせたまえ。
「さっき言いそびれたのだけど、私の種族は橋姫よ」
「うん……まあ、自己紹介はいいから、早く本題に入りなよ」
「私は橋姫」
「それはもう聞いたって」
「橋姫だって言ってるでしょ! なんでそう反応が薄いのよ!?」
うおぉ……なんなんだコイツ。全然意味がわからん。
橋姫だから何だというのだ。私に何を求めているのだ。カラダか? カラダが目当てなのか? このケダモノ!
「姉さん姉さん、ちょっとココ見てよ!」
「なんだい八橋、こんな時に源氏物語なんか開いてどうする……何ィ!?」
つい先程、八橋によって散々に穢されまくった源氏物語の巻名。
その四十五巻のタイトルがズバリ「橋姫」。奇しくもこの巻には、私と八橋が舌戦を繰り広げる原因となった大君・中の君姉妹の合奏シーンが描かれている!
そんな馬鹿な……こんな偶然、ありえねー! 思わず言葉を失ってしまった私たちを見て、水橋パルスィがニタリと笑う。
「全ては……源氏物語だったのよ」
橋姫の呟いた言葉が撥となって、私の脳髄をベンベンベンベンかき鳴らした。
冷静に振り返ってみれば、不自然な程に全てが符合していたではないか。源平合戦。源氏物語と平家物語。大君と八橋。中の君と私。
そして終盤になって唐突に現れた三人目のヒロイン、橋姫・水橋パルスィ。なぜ彼女は此処へ来た? そんなの決まってる、私達に逢うためだ。それはなぜ?
……ああ、そうだったのか。私は本当に八橋の妹だったんだなあ。そしてパルスィこそがあの浮船で、我ら九十九姉妹の異母妹だったのだなあ。
「弁々……パルスィ……」
「お姉ちゃん……パルスィ……」
「お姉ちゃん……お姉ちゃんその2……」
平安の昔より続く因縁……いや、数多の創作者たちが紡ぎ上げてきた無数の物語が、今こうして私たちを結びつけたのだ。
ありがとう紫式部。ありがとう平家物語の語り手たち。ありがとう博麗神主。そして……すべての創作者に、ありがとう。
本稿はそろそろ終わりを迎えるが、私たちの物語はまだまだ続いていく。誰かが創り上げた物語が、他の誰かの想いを呼び覚ましていく限り……。
「霊夢さんこっちです! ……って、なんか増えてるぅ!?」
「ふん、やる事は同じよ」
……その後、本居小鈴に同行してきた博麗霊夢によって、私たち三人は無事退治されてしまいましたとさ。
おしまいべんべん。
源平合戦の時代を知る者は何人か居たものの、琵琶法師の弾き語りについては誰も記憶していないという。
この事実は、我々九十九姉妹を驚愕させてなお余りあるものであった。
「平家物語ってのは知らないけど、平家は源氏に負けたんでしょ? だったら源氏物語の方が強いって事じゃない。負け犬に用は無いわ」
こんな意見すら飛び出した程だ。
琵琶の付喪神として生をうけ、平家物語をモチーフとした弾幕を扱う私としては、憤懣やるかたない思いである。
……だが、彼らの声には耳を傾けるべき部分も少なからず存在する。相手の無知を咎める前に、まず自らの蒙を啓かねばなるまい。
「なあ八橋……源氏物語って何だ?」
「さあ? 平家物語の二次創作か何かじゃない?」
そうなのか? いや、きっとそうに違いあるまい。
乱暴な言い方をしてしまえば、現在に伝わる平家物語とは、数多存在する二次創作の集合体に過ぎないのだ。
琵琶法師たちによって広められたこの軍記物は、身分を問わず多くの人々に親しまれ、また愛されてきた。
当然の事ながら、その過程においては、語り手や聞き手の解釈というものが少なからず盛り込まれ、原型を歪めていく事となる。
件の源氏物語とやらも、そうして生まれた諸本の一つであろう。郷民たちとの相互理解のためにも、その内容を把握しておくべきだと私は考えた。
「源氏物語? よく知らねえですが、里の貸本屋に行けばあると思うんですよー……オメエらどうして生足なんですよー?」
通りすがりの親切な妖精が、私たちに進むべき道を指し示してくれた。
そうと決まれば善は急げだ。Now&善。我々姉妹が向かった先は地元で有名な貸本屋に足を踏み入れた。
文法が間違っているって? 語り物ではよくある事だ。あえて気にするな。
「ええ、源氏物語なら写本が幾つかありますよ……えっ、平家物語? なんですかそれ? 源氏物語の二次創作か何かですか?」
我々の不躾な問い掛けに対し、歳若き店番の娘は親切に応対してくれた……余計な一言さえなければ、の話だが。
平手打ちの二、三発でも呉れてやろうかと思い、いざ実行に移しかけたところで、私は八橋の手刀を喰らい、無様に昏倒した。
今になって思えば、この頃から立場が逆転していたのかもしれない。無鉄砲な妹を冷静な姉が止める。我々姉妹は本来そうあるべきだと、あの頃は信じて疑わなかったものだ。
随分と前置きが長くなってしまったが、本稿「源平創想話」に至るまでのあらましは把握して頂けたかと思う。
そう、これは私たち九十九姉妹の愛憎に彩られし戦いの記録。諸行無常の響に満ちた、まさしく現代の平家物語。
物語は私が目覚めた少し後、一足先に源氏物語を読み終えた八橋の一言から始まる……。
「姉さん……いや、弁々。大事な話があるの」
いつになく真剣な様子の八橋に対し、私は些か面食らいながらも頁を捲る手を止め、その言葉に耳を傾けた。
言うまでも無い事だが、私の手元にある本は源氏物語。私が昏睡している間に、八橋が貸本屋の娘から拝借したものだ。
超・初心者向けなる謳い文句に偽りは無く、原文に現代語訳が添えられていて読みやすい事この上ない。
内容はと言えば、簡潔なあらすじと主要な名場面の抜粋、後は必要最低限の注釈のみで構成されている。
これなら頭脳が残念な八橋であっても、小一時間程度で読破出来てしまうだろう。まあ、大方読み飛ばしてはいると思うのだが。
「なんだい八橋、今イイところなんだから邪魔しないで欲しいな。つうかコレ平家とか関係なくね……?」
「平家物語とは全く関係なかったけど、私と弁々には大いに関係のあるお話だったわ」
「おいィ? さっきから弁々弁々言ってるけど、姉を呼び捨てにするのは正直言って関心しないな」
「姉ではなかったのよ。アナタは」
……はて? 今のは私の聞き違いだろうか?
私が姉で八橋が妹という位置付けは、我ら二人が付喪神として覚醒した直後に取り決められたものだ。
それなのに、彼女は私が姉ではなかったと言う。根拠は何だ? おそらくは源氏物語だろう。
だとすると、ここに大いなる矛盾が発生する。我々姉妹のあり方に関する何かが、平安時代の女流作家によって既に予言されていたとでも言うのか? 馬鹿馬鹿しい。
「弁々、アナタどの辺りまで読んだ?」
「その呼び方やめろよ……えーっと、紫の上がオダブツして、なんかもう源氏までオダブツしちまいそうな勢いだよ。これってひょっとして最終章?」
「オダブツって言い方やめなさいよ。あとまだ最終章じゃないから。源氏が死んだ後も物語は続くから」
「マジで? 源氏が死んだ後の源氏物語なんて、平清盛が死んだ後の平家物語みたいなもんじゃないか……」
「ええ、見所がたくさん残ってるわね」
そうかな? 宗盛が後を継いでからの平家のグダグダっぷりなんて、とても正視に耐え得るものでは無いと思うのだけど。
まあ平家の転落する様が物語の主題と言っても過言ではないし、なにより源氏(光源氏ではない方)の快進撃が始まるのもこの辺りからだもんね。
やっぱみんな義経あたりが好きなのかなあ。お兄ちゃんの頼朝は平家物語ではマジ空気だし。まだ文覚のチートっぷりの方が目立ってたんじゃない? そりゃないか。
「もう少し読み進めれば、私の言いたい事が分かってもらえると思う」
「そりゃあ楽しみだ……あれ? いつの間にか源氏がくたばってやんの。読み飛ばした覚えは無いのだけど……落丁かしらん?」
「ああ、その辺りは元々そうなっているらしいわ。仕様よ仕様」
「仕様だからしようがない、なーんちゃってハハハ……」
「…………わーお」
どうした八橋。笑えよ八橋。私はもう……笑ってるぜ。
しかしアレだな。空白のままにしておくくらいなら、いっその事適当な二次創作で補完してしまった方がいいのではないか?
例えば……紫の上を喪った悲しみを癒すべく南の島へと渡った源氏が、地元の海女さん達にモテモテになって幸せな老後を過ごす、みたいな感じのお話とか。
タイトルはズバリ、「源氏女護島」でどうよ!? ……なに? 源氏に足摺をさせる気かって? 足コキじゃないだけマシだと思いな! じぇっじぇっじぇ(笑い声)。
「くだらないコト言ってないで、さっさと先に進みなさいよ」
「オーケーオーケー……おおっ、あのマセガキ2匹が立派なイケメンに成長してるじゃないか」
「匂宮と薫ね。源氏の死後は彼らが主役と言っても過言ではないわ」
「薫ちゃんてば一体全体どうしちゃったの? ワキガ?」
「悪臭だなんてどこにも書いてないでしょ! いい加減にして!」
いやいや、「この世の匂ひならずあやしき」とか書かれてるんだが……怖いわー、平安時代の人間怖いわー。
まあキャラ付けとしては悪くないと思うけど、源氏のアレっぷりに比べるとまだまだ弱い気がするな。
コイツらがどこまで破廉恥な行いを見せてくれるか、せいぜい期待させて貰うとしよう……すっかり源氏物語の世界に染まっちまってるなあ、私ってば。
「ああもう、『紅梅』とか『竹河』なんて飛ばしちゃいなさいよ。重要なのはその次よ、その次」
「無茶言うなよ……ああッ!?」
「ど、どうしたの?」
「髭黒大将が……死んでるじゃないか!」
「どうだっていいわ!」
よくねえよ! 私的には源氏の死よりよっぽどショッキングな出来事だよ!
全体的にお高くとまったムード漂う物語の中にあって、名前からして泥臭さを隠しきれてなかった髭黒が大好きだったんだよ私は!
平家物語でもそうだった。イイ子チャンぶった重盛よりも激ワル清盛の方が好きだったし、美少年敦盛よりも熊谷のオッサンに乙女ボッキしたモンよ。文句あっか!
「熊谷さんはイイ人だったでしょ! 髭黒や清盛みたいなヨゴレ連中と一緒にしないでよ!」
「おっ、おまっ!? オマエは一体全体何てコトを口走るのだ!? そうやって私の乙女ロードに立ち塞がった以上は、例え我が妹といえども轢死は不可避だぞっ!」
「だーかーらー! 妹じゃないって何回言ったら分かるのよ!? もういいからさっさと次に進みなさいっ!」
八橋め、そんなに私の妹でいるのがイヤなのか。
まさかとは思うが……源氏物語云々ではなく、元から私の事が嫌いだったとか?
だとしたら、すげーショックだ。もう立ち直れないかもしれない。コンビは解散、琵琶も廃棄して、残りの人生源氏物語を読んで過ごそうかしらん。
「『書物とる身には今生の面目、冥途の思出にて候へ』……なーんつって」
「中途半端で意味不明な引用やめなさい。ツグノブさんに申し訳ないと思わないの?」
「それはそうと、今度は美女が二人も登場したぞ。しかも姉妹ときた」
「わっほーい! そこ重要よ! 一語一句たりとも読み飛ばしては駄目だからね!」
なんだ? 八橋のヤツ妙にご機嫌じゃないか。ココを私に読ませたかったのかねぇ。
えーっとなになに。晩秋のある日、宇治の山荘を訪れたワキガボーイ君が、琴と琵琶を合奏する美しい姉妹に出会って恋に落ちる……ふーん。
物語的には重要な場面なのだろうけど、別に騒ぎ立てる程ではないな。姉妹の年齢も至って常識の範囲内だし。これが“また”幼女だったりしたら面白かったのに。
「ねえさ……弁々、これを読んで何とも思わないの?」
「この『扇ならで、これしても、月は招きつべかりけり』ってフレーズ、パクっていい? なんか気に入ったわ」
「そうじゃないでしょ! セリフじゃなくて姉妹の楽器に注目しなさ……いや、ある意味してるか……ああもう! 重要なのは姉妹の……」
「姉妹の持ってる楽器、だろう? 姉の大君が琴で、妹の中の君が琵琶。我ら姉妹とは正反対だ」
「正反対ではなくて、これこそが私たち九十九姉妹の本来あるべき姿だったのよ!」
な、なんだってー。私たちの減点、もとい原点は、平家物語ではなく源氏物語にあったと言うのかー。
さて続きを読むとするか。姉妹とバッドスメルコンビの恋愛バトルが勃発して、紫式部の筆先もさらに爆裂「ちょっと待ちなさい!」なんだよ、うるさいなあ。
「なにしれっと読み進めてるのよ! 私が言ったコトちゃんと聞いてた!?」
「あー聞いてた聞いてた。お前が姉で私が妹なんだろ? もうそれでいいよ」
「むっ、なにその投げやりな態度は。ホントにいいの? アナタはこの先永遠に私の事を『姉さん』と呼ぶ事になるのよ?」
「『お姉ちゃん』」
「へっ?」
源氏物語から視線を外し、横目で八橋の様子を窺ってみる。
案の定、鳩が豆鉄砲くらったようなお顔を晒してやんの。不意打ちが功を奏したな。楽器だけにね。うまいこと言った……!
「なにビックリしてるのよ、『八橋お姉ちゃん』? アナタ私の『お姉ちゃん』なんでしょ?」
「いや、チョット待って……なにこの感情。なんかこう、身体の奥底からムズムズするような何かが……」
「ねーえ、『お姉ちゃん』ってばぁ」
「ああッ! 恥ずい! 超恥ずい! 何とも言えない気恥ずかしさがッ!」
自分から言い出したくせに照れてんじゃねーよ。そんなんで姉が務まると思うてか、この愚妹が。
身悶えする八橋を完全に無視して、私は頁を捲り続ける。
なにやら複雑な展開になってきたぞ。薫は大君が好きで、大君は中の君を薫に宛がおうとして、そんでもって薫は中の君を匂宮に……なんだコイツら。
いかん、少々胸焼けしてきた。こういう時は平家物語の名場面を思い浮かべるに限るね。心の清涼剤ってヤツだ。
よし、ここは「橋合戦」でキメよう。浄妙房明秀の息もつかせぬ大立ち回り! 仲間の一来法師も颯爽と参戦! 一来は死んだ。諸行無常(笑)。
うーん、スッキリした。さて続きを……おや?
「おい八橋……じゃなかった、『お姉ちゃん』」
「姉さんホントマジ弁々して……じゃなくて、勘弁してよぉ……」
「お前は大君に自己を投影していたようだが……ちゃんと最後まで読んだのか?」
「あ、あったりまえでしょ!」
「じゃあ、大君がどうなったかも知ってるな? 知った上で自分が姉だとか言ったんだよな?」
「えっ……? それは、その……えーっと……どうなったんだっけ?」
やっぱりな。コイツちゃんと読んでねえわ。
どうせ姉妹が登場した辺りで有頂天になって、そこから先は適当に読み飛ばしてしまったのだろう。いみじくも本編冒頭で私が看破した通りにね。
「そういえば、大君はいつの間にかフェードアウトしていたような……いやいや、そんな筈ないわ! 宇治十帖のヒロイン的存在である彼女に限って……」
「死 ん だ よ」
「……は?」
「大君は死んだ。かなりお早い退場だった。宇治十帖のヒロインは中の君と、その異母妹である浮船だったようだ」
「あ、ありえない……! 大君切り捨ててポッと出の新キャラ重用するとかマジありえんし! わかってねえ、わかってねえわ紫式部ゥ!」
作者にケチつけてどーする。オマエは何様のつもりなのだ。
だいたいポッと出の新キャラって、そりゃ大中姉妹にも言えるコトだろうが……あっ、私ら九十九姉妹もか?
「出す必要ねーでしょうが異母妹なんてさあ! 一体全体誰なのよ浮船って!? 私が大君で、姉さんが中の君で……はっ、まさか!」
「堀川雷鼓か?」
「ねっ、ねえさああああああああああぁん! どうしてネタを潰しちゃうのよおおおおおおおおおおおおおおおぉ!?」
わざわざ引っ張るようなネタかよ。誰にだって予想がつくだろうに。
そもそもアイツは妹ってガラじゃあないしな。むしろ姉、いや母でもいいくらいだ……本人に言ったら怒るかな?
「おのれ堀川……いや浮船! 私からヒロインの地位のみならず、姉さんまでも奪うとは!」
「どうしてそうなる。あの姉妹と私たちは何の関係もないし、中の君と浮船がキマシタワーな関係になる事も……無い、と思うぞ?」
「誰かに奪われるくらいなら……姉さんの初音は私が奪う! 無理矢理にでも花宴して、姉さんの末摘花を花散里よッ!」
「最低すぎる! オマエ自分が何を言ってうわあっ!?」
八橋による意味不明な巻名連呼からの強襲に、私は為す術もなく組み伏せられてしまった。
不意打ちや強行突破をすれば実際勝つ。平家物語にもそう書いてある。いやマジで。
かの有名な鵯越の逆落としや、高倉宮御謀反の時の足利忠綱など枚挙に暇が……なに、水島合戦はどうだって? ありゃ例外だろ。日食如きにビビっちゃう山猿軍団が悪いよ。
「わっほっほっほ……(笑い声)どうよ姉さん? このまま私の匂兵部卿な真木柱を、姉さんの澪標した桐壺に思うさま絵合してあげるわっ!」
「まだ言うかこのバカ! 第一、オマエにはチン……柱なんか付いてないだろうがっ!」
「そこはホラ、私の愛用する琴を使ってコトを為す……あれ? 私ってばうまいこと言っちゃった? わっほーい!」
「くっ、くだらねー! 大体そんなモン入るわけないだろいい加減にしろ!」
「やればできる! 源氏物語にもそう書いてある!」
「ねーよ!」
ヤツは……八橋は私に跨った体勢のまま、徐に琴を取り出して激しく扱きはじめた。
もう自分でも何を言ってるか分からなくなってきた。でも他に表現のしようが無いんだよ。あまりにも異様すぎてさぁ。
とはいえ、このまま爛れたアンサンブルへと突入するのだけは避けたい。協力スペルならぬ強力スペルマってやかましいわ!
コイツを止めなくては……私の浄瑠璃世界がガバガバに広がってしまう前に、一か八かアレを仕掛けてみる他ないな。
きっと上手くいく筈。さっきと同じようにやればいいだけだもんね。さあ行くぞ八橋、私のお腹で果てるがいい!
「おっ……『お姉ちゃん』」
「――――ッッッ!?」
「お、お願いだから痛くしないでね? 『お姉ちゃん』……」
「ちょっ、ダメ、それ反則ゥ……うああああああああああああヤバイヤバイ私のエコーがチェンバーしちゃうううううううううぅ!?」
エコーがチェンバーって何だよ意味わかんねえよ、などと口にする暇も無く、八橋の琴から大量の音符が放出された。
念のため言っておくが、比喩でも暗喩でもないぞ。マジで音符だ。♪←こういうやつだ。なんか余計に誤解を招きそうだなあ。
んでもって、零距離射撃を浴びる破目になった私は……正しくは接射か? セッシャって書くと何やらエロスな響きになるね。エロスな響。どうでもいいか。
とにかく、私はズタボロにされて死んだ。諸行無常(笑)。いやまだ生きてる。ギリギリ生きてるよ。多分ね。
「ねっ、姉さん大丈夫? ……ウッ!?」
八橋が急に仰け反ったかと思えば、琴の先っぽから音符が一匹、ペッと吐き出されたではないか。
思わず払い除けてしまったが、一体全体何だったんだ今のは?
「ふう……今のは平安の残尿、もとい残響。略して平安……」
「戯れ言をぬかすな」
「あっふん」
私は腹筋を酷使して起き上がり、妹の顔面にビンタを呉れてやった。
無理矢理アレされそうになった上に、思いっきりぶっかけられた事に対する報復としては、まあヌルい方だと思う。優しい弁々お姉ちゃんなのであった。
「叩かれたらまた興奮してきちゃった。姉さん、今度は中に出してあげるわね」
「♪←これをか? いい加減、正気に戻りなよ。姉妹でこんな事するなんて、どう考えてもおかしいだろ……」
「姉妹と言っても、私たちは義理の姉妹じゃないの。ナニをヤろうと咎めを受ける謂れなどないわ」
「義理だからこそ駄目なんだよ」
「どうしてよ?」
「今からキッチリと説明してやるさ……地の文でな!」
「ええ~っ……」
義理という言葉は、「義」と「理」の二文字より成り立っている。
「義」とはすなわち「信義」や「道義」を、「理」は「理性」を表すものである。
ゆえに、義理の姉妹間で“そういった行為”をすることは許されない。以上が私の見解だ。
なに? 実の姉妹の場合はどうなんだって? 勝手に盛ってればいいだろ、性欲の奴隷共がっ!
「どうだ八橋。反論の余地などあるまいよ」
「そ、そんなのってないわ……! どうして私は、姉さんと同じ子宮から生まれて来なかったのーっ!?」
「子宮って……まあ、そう悲観しなさんな。義理だからこそ出来る事だってあるんだぞ?」
「Bまで!? Bまでならセーフなのねっ!?」
「性的やめろ! ……もしもお前が望むなら、私が妹になってやる事だって出来るんだよ。なにせ義理だからね」
「えっ……」
我らを結ぶは血縁にあらず、「義」と「理」なり。
どちらが姉でどちらが妹かなど、心持ひとつで如何様にでも変えられよう。
つうかアレだわね。いっその事日替わりで決めちゃってもいんじゃね? ってなノリでいっちゃおうかしらん。
「いやいやいや! それは幾ら何でも適当すぎるでしょ!」
「適当ではない。諸行無常と言いなさい」
「諸行無常ってそういう意味じゃないから! ……いや、そうなのかしら? うーん……」
「細かいことは気にしなくていいのよ? 『お姉ちゃん』」
「……姉さん、ひょっとしてソレ気に入っちゃったとか?」
ああ、大いに気に入ったとも。
冷静で大人びたお姉さん役も嫌ではないが、たまには思いっきり甘えてみたくなるもんだ。
それに、お姉ちゃん呼ばわりした時の八橋の反応が、いちいち面白くて……おや? 赤面してないな。いい加減、慣れてきたか?
「ふっふっふ……いいのよ弁々? 『お姉ちゃん』がやさしくハグしてあげるわ」
「お、おう」
「ちょっ、いきなり素に戻らないでよ」
いかんいかん、危うくこっちが赤面するところだった。八橋のクセに色っぽい表情しやがって……。
まあ、ノリノリなのは良い事だ。こうやって仲睦まじく語らえるのも、義理の姉妹ならではの特権といえよう。
血は水よりも濃い、なんてのはありゃウソだね。そういうコト言ってる奴に限って血液型占いなんかにハマッちまうのさ。ばーか。
「さて。我々姉妹の絆も磐石なものとなった事だし、源氏物語の続きを読むとするかな」
「あっ、でもそろそろお暇した方がいいんじゃない? 流石に長居し過ぎたと思うし」
「長居? 何を言ってるんだ八橋……『お姉ちゃん』よ。ここは私たちの家……」
……じゃねえわ。つうか私たち家持ってねえし。じゃあココ何処よ?
なんか本がいっぱいあってな……あっ。
「貸本屋ァ!?」
「鈴奈庵、っていうらしいわね。さっき店番の子が言ってたわ。捨てセリフの中でだけど」
「捨てセリフって……じゃあオマエ、まさか!?」
「ええ、『銭払えや!』って五月蝿かったから叩き出してやったわ。姉さんが目覚めるちょっと前くらいだったかな」
「……ちなみに、彼女は何て言ったんだ?」
「えーっと、確か『鈴奈庵なめんなカス妖怪ども! ちょっと霊夢さん呼んでくる!』だったかしら」
「やべえじゃん」
やべえじゃん。大事なコトなので二回言いました。
何て言ったっけこういう状況。居座り強盗? 居直り強盗って言葉もあった気がする。強盗の区別がつかないよ。
っていうかなぜ気付かなかったよ私。源氏物語にドハマリしてしまった所為か? 冷静なお姉さん役が聞いて呆れるわ。
もういいや。ここは気弱で病弱な妹キャラを装って、八橋お姉ちゃんに恐ろしい巫女さんから守ってもらうとしようかね。
……とか考えている間に、何者かが店内に乗り込んで来よったわ!
「待 た せ た わ ね !」
「……誰だ!?」
いや、本当に誰だよ。少なくともこの間の巫女とは違うようだが。
巫女は金髪ではなかったし、服装も全く異なる。かといって箒に乗ってた白黒でもない。アイツの耳は尖っていなかったからね。
ここへ来てまさかの新キャラ登場か? さっきの八橋の弁ではないが、出てくる必要あるのかよコイツ。
「誰だ? って言われちゃったから自己紹介するわね。私は水橋パルスィ、種族は……」
「行くぞ八橋。グズグズしていたら巫女が来てしまう」
「流石は姉さん。冷静ね」
水橋某を押し退け、いざ懐かしき陽光の下へ……ってオイ、邪魔すんな馬鹿。
単独で我々二人を食い止めるとか、ちょっと頑張り過ぎだろう。なんか小声で「ディーフェンス、ディーフェンス」とか言ってやがるし。
「通せよ」
「イヤよ」
「通ーせよ」
「私の話を聞いて欲しいの。すぐ終わるから。ねっ?」
しつこ過ぎる。流石にここは平手打ちの出番だろう、とばかりに振り上げた腕を、後ろに居た八橋に掴まれてしまう。
なぜだ八橋。平家物語であれほど積極策が推奨されていたというのに、なぜ私の邪魔をする?
……まあいい。ここは妹に従ってみるのも悪くないかもしれん。
平家物語でもあったからね。賢い弟の意見を取り上げなかったばかりに、破滅へのロードをひた走っちゃった誰かさんの例が。
まあアレはフィクションだから、実際の宗盛や知盛がどんなヤツらだったのかは知らんけど。知盛の「見るべき程の事をば見つ」ってセリフ、ちょっとカッコ良過ぎる気がするし。
「やすからぬ。パルスィめを切ッてすつべかりける物を……」
「ああッ、また姉さんが平家物語の世界にトリップしちゃってる!」
「よくある事なの?」
「もう、しょっちゅうよ! ほーら弁々ちゃん、『お姉ちゃん』がホッペすりすりしてあげまちゅからねー」
「ォォーゥ、ィェー……ィィヮョ、ィィー……」
「……仲睦まじいのね。妬ましいわ」
おいおい、褒めたって何も出ないよ?
つーかコッチは急いでるんだから、とっとと話とやらを聞かせたまえ。
「さっき言いそびれたのだけど、私の種族は橋姫よ」
「うん……まあ、自己紹介はいいから、早く本題に入りなよ」
「私は橋姫」
「それはもう聞いたって」
「橋姫だって言ってるでしょ! なんでそう反応が薄いのよ!?」
うおぉ……なんなんだコイツ。全然意味がわからん。
橋姫だから何だというのだ。私に何を求めているのだ。カラダか? カラダが目当てなのか? このケダモノ!
「姉さん姉さん、ちょっとココ見てよ!」
「なんだい八橋、こんな時に源氏物語なんか開いてどうする……何ィ!?」
つい先程、八橋によって散々に穢されまくった源氏物語の巻名。
その四十五巻のタイトルがズバリ「橋姫」。奇しくもこの巻には、私と八橋が舌戦を繰り広げる原因となった大君・中の君姉妹の合奏シーンが描かれている!
そんな馬鹿な……こんな偶然、ありえねー! 思わず言葉を失ってしまった私たちを見て、水橋パルスィがニタリと笑う。
「全ては……源氏物語だったのよ」
橋姫の呟いた言葉が撥となって、私の脳髄をベンベンベンベンかき鳴らした。
冷静に振り返ってみれば、不自然な程に全てが符合していたではないか。源平合戦。源氏物語と平家物語。大君と八橋。中の君と私。
そして終盤になって唐突に現れた三人目のヒロイン、橋姫・水橋パルスィ。なぜ彼女は此処へ来た? そんなの決まってる、私達に逢うためだ。それはなぜ?
……ああ、そうだったのか。私は本当に八橋の妹だったんだなあ。そしてパルスィこそがあの浮船で、我ら九十九姉妹の異母妹だったのだなあ。
「弁々……パルスィ……」
「お姉ちゃん……パルスィ……」
「お姉ちゃん……お姉ちゃんその2……」
平安の昔より続く因縁……いや、数多の創作者たちが紡ぎ上げてきた無数の物語が、今こうして私たちを結びつけたのだ。
ありがとう紫式部。ありがとう平家物語の語り手たち。ありがとう博麗神主。そして……すべての創作者に、ありがとう。
本稿はそろそろ終わりを迎えるが、私たちの物語はまだまだ続いていく。誰かが創り上げた物語が、他の誰かの想いを呼び覚ましていく限り……。
「霊夢さんこっちです! ……って、なんか増えてるぅ!?」
「ふん、やる事は同じよ」
……その後、本居小鈴に同行してきた博麗霊夢によって、私たち三人は無事退治されてしまいましたとさ。
おしまいべんべん。
面白かったです。やっぱり弁々は可愛いなぁ。
つーかパルシィは、どっから出てきた。
しかし今の世になってこのような解釈をされるとは、うっかり書物を残すと恐ろしいにゃー
弁々さんにはぜひともこの語り口で弾き語り行脚に出てほしい。
あんたは最高だぜ!