不味いことになった。軽はずみでしたことがいつの間にか大ごとになっていて、きみは焦っていた。里の空気がざわついていた理由を、知ってしまったから。
久々に訪れていた薬屋から少しだけ歩き、飛ぼうとした体を一旦止めて、足早に歩きはじめる。本心では、すぐにでも離れたいと思っていた。でもそうしないのは、立ち話の脇を通り抜ける際に、耳をそばだてているからなのだと、注意深く観察すれば気付く人もいるだろう。
それほどにきみは落ち着きをなくしていた。右も左も同じ会話で「どうしよう、どうしよう」と、きみはぶつぶつと唱えながら里の道を突き進む。
「殺しちゃった……」
思い出すように言ってから、はっとするきみは口を塞いだ。聞かれては、イケナイ言葉だ。瞳だけを左右に振るも両脇には誰もいない。聞かれていないことに安心するきみは、塞いでいた手を胸元に下ろして、息をついた。
足が止まっていることに気付いて再び歩き出したきみは、六月も終わりに近くなって暑くなりだした日差しのなか、寒そうに腕を抱えた。
人形の体だから寒さなんて感じはしないだろうし、血も通わない体が青ざめることだってない。けど、きみの表情は抱えている不安で暗くなり、未熟ながらも持ち合わせている心からは、血の気が失われていると言うのがしっくりくる感じだった。
団子屋の椅子に腰かけうちわを扇いでいる人や、馬鹿でかい声で客引きをする八百屋の中年や、なんかやりますと書いた看板に凭れかかる魔法使いのことも、今のきみには見えていない。
うつむいた視線には茶色の地面が、通りすぎていく景色の代わりに流れていく。門をくぐったことにすら、きみはしばらくの間気付かないでいた。そしてふと顎を持ち上げて、振り返る。
「私、退治されちゃうのかな」
震わせながらまたどうしようと漏らし「なんでこんなことになっちゃったのよ」と言ってから、体を空高くまで飛び上がらせた。鈴蘭畑に戻っても、事態が好転することはないだろう。
なぜ、なぜ、こうなったの。頬を切っていく風に掻き消される声は、誰も拾ってはくれないし答えてもくれない。
きみは思い出している。今の自分を苦しめる原因となった、数週間前に起こしたやんちゃのことを。
*
いつものように毒を振り撒きながら、鈴蘭畑ではしゃいでいた時だ。遠くで揺れる人影に気付いたきみは、異変の時に出会った人間がやってきたと思い込んで足を向けたけれど、違うと気付いてから駆けていた歩調を落とした。
花畑の端まで辿り着いたきみは、ふらふらと近付いてくる人間を観察しはじめた。深緑色の着物に、紺色の袴を穿いている、人間の男だ。
短めの黒髪と男にしては色白な肌が、遠目からはよく目立っていた。手を翳すきみは「んー」と唸り、つぶらな瞳を窄めさせて眺める。焼けたこともなさそうな肌は引き籠っている者のそれで、二十歳をすぎたくらいの男にしては、病的な白さかもしれない。そうしている内にきみよりも随分と高い背が近付いてきて、きみの前で足を止めた。
顎を持ち上げて、きみは見上げる。男もきみのことを見下ろしていたが、光のない目はどこか人形のようにも思えた。遊んでもらえるかもという当てが外れたのに、きみの瞳はきらきらとした好奇心を孕ませている。きみは、お兄さんだぁれ、と小首を傾げた。
期待を抱いていた顔色は、なにも答えない男に不信感を露わにした。見下ろしていた視線を上げた男は鈴蘭畑に入ろうとした。袖を掴んで、きみは制止させる。
「ここ、私のお家なの」
勝手に入らないでくれると言ってみても、やはり反応は返ってこない。代わりに体の向きを変えた男は、川のある方へと歩きはじめた。後ろ姿を見送っているきみは、呆気に取られていた。
「なによ、もう」
遠ざかっていく背中に声を投げてもきみの怒りは収まらない。それどころか、どんどん苛々が込み上がってくるのだ。「そうだわ」と手を叩いてから、ちょっといたずらしてやろうかしら、と不埒な思いつきに笑みを浮かべた。
余り出ることのない領域を離れて、間抜け面を驚かせてやるわと意気込むきみは、追いついた後ろから弱めの毒を浴びせてやった。
でも、男は足を止めなかった。回り込み、男の顔を覗き見るきみは不思議に思った。頭から毒を被ったというのに、男の顔は相変わらずと色がないのだ。普通なら毒の刺激にやられて咳をして吐いたり、酷かったら痙攣も起こしたりするはずだ。
肌だってほら、痒そうに赤く染まりだしたのに、男の表情に変化は見られない。お面でもつけているのだろうか。そんな考えが、きみのなかに浮かぶ。
「あはっ」と調子を上げたきみは、間延びさせながら面白いと目を細めた。隣りを歩きながら、手のひらにまた弱い毒を作りはじめる。先ほどよりも少しだけ強い毒だ。
声と同時に浴びせてやり、反応がないかを確かめるも、痛い熱いと騒ぎ出すのは男の細胞だけだった。それが、きみとっては面白くて仕方がない。
からっぽの体に溜まり続けた毒を放出しても、男がなにかを言ってくることはなかった。人前では抑えるようにと覚えた毒の霧を、遠慮なく出せることが嬉しい。きみはそういう子だ。
苦しまず倒れることもない男にきみは、ふざけて弾幕をぶつけてやり、足を挫かせてやった。手加減をしなかったからか、男の体が脆い部類に入るからか、膝から下があらぬ方向を向いていた。痛みを感じていないのだろう。平然と立ち上がって歩き出す姿は、糸で繰られた人形みたいにかくかくと、奇怪な動きをしていた。
可笑しくて仕様がないきみは、もっと遊びたくて弾幕が収まる手を翳したけど、ゆっくりと手を下げる。
「危ない危ない」
人を殺したらいけないのだと思い留まって、名残惜しい目で男の姿を見送った。それが、初夏に入る前のできごとだ。
住処に戻ったきみは、鈴蘭の緑のなかへ身を隠すようにうずまる。人を殺してしまった、と呟いた。
里の人間は、殺してはいけない決まりだ。正確に言えば里のなかでの話だけど、それでもきみは殺してしまった。死体となって発見された男は里にいた。たったそれだけのことを理由に、里で殺されたと判断されたのだ。
退治するべきだと言う声を幾つも聞いた。逃げられないように足を折られていた、叫べないように喉を焼かれていた、毒だ、苦しむ様を楽しんでいたに違いない。
鼓膜にへばりついた言葉がなんども反響してくる。きみは耳を塞ぎ、退治されたくないと涙を浮かべていた。
それはとても自分勝手な考えなのだろう。面白いからついやりすぎたなんて言いわけが通るほど、幻想郷は甘くない。風に揺らされる体の根元を触るきみは、「助けて、スーさん」と声をかけてくる。
「私まだ死にたくないよ」
なら、逃げなくちゃいけない。毒を使う妖怪なんて数が知れているし、鈴蘭の毒だとわかれば犯人がきみなのだとすぐ辿り着くだろう。
落ち着いたら、ここから離れるしかない。自分がやったという証拠を否定する、〝言いわけ〟を探すしか道はないのだから。
2
真上にいた太陽が、西へ動きはじめた頃だ。きみは畑から抜け出して、森を歩いた。人殺しの罪から逃れるには理由がいる。それを探さなくてはいけないのだが、なにをすればいいのか、きみはわからないでいた。
きみの思考は幼い。必死に考えてみても、思いつかないのは仕方なかった。毒殺だとばれているから、きみの頭はそこから離れられないでいる。どうやって誤魔化せばいいのだろう。きみは呟いた。それから腕を組み、うーんと唸ってから、「そうだわ」とうつむけていた顔を上げた。
「人の所為にできないかしら」
殺したという罪悪感を、きみは感じていない。思いつくことも子供じみている。妙案だわと小石を蹴って、誰にしよう誰かいたかなと考えるきみは、足を止めた。
小さな住まいを出て、他人と遊ぶことのないきみに、毒を使う知り合いなんているはずもなかった。閻魔様にお叱りを受けて、やっと動きだして増えた顔見知りは、里にいる薬屋の主人くらい。
人を襲ってはいけない決まりがあって、きみが守っていても、近付いてくれる人はいない。白黒の魔法使いや、場合によってはきみを退治しにくるかもしれない、巫女くらいだろうか。
「薬屋のおじさんがやったことにできないかしら」
後ろに回した手を組んで歩き、だめかなー、無理かなーとごちながら、「やっぱり無理だよね」と結論を出した。
「ねえスーさん、スーさんならどうする?」
語りかけてきたきみは足を止めた。見知った顔が、空から降りてきたから。よおメディスン。明るく話しかけられて返そうとしたきみだけど、名前までは覚えていない。黒い三角帽子と白い前かけが特徴的で、同じ金髪というところだけは気に入ってる程度だ。「白黒ー」と指差して、「魔理沙だよ」と返される。
きみはどうしたのと聞いた。姿が見えたからと答えられる。緑しかない森のなかでは、目立つ格好なのだろう。黒と赤の装いに、いかにも毒々しいなと言われて、きみの唇がきゅっと閉じた。
「知ってるか? 昨日の朝方、里で死体が見つかったんだ」
きみは、うんと頷いた。傍から見れば少しぎこちない。
「毒で殺されたみたいなんだよ」
「私じゃないもん」
声を張って否定する。「誤解すんなって」と宥められても、見上げるきみは寄せた八の字を戻さない。早速かけられた疑いの不安が、顔に出ている。
「確認したかっただけだ」
「じゃあ、疑いは晴れたわよね」
「いいや、嘘をついていないとも限らないからな」
ついてないもんと強く返す様に、むきになるなよと笑われるが、きみにとっては笑える状況じゃなかった。よそよそしくなるきみに向かって、魔理沙は「そう警戒すんなって」と、竦めさせた肩を落とした。
きみは殺してしまった男のことを訊ねた。口伝てにしか聞いていないと話す胸中では、もしかしたら違う人間じゃないかという望みを持っていた。
足を折り、毒を浴びせたきみだけど、喉が焼ける毒など使ってない。
「顔が腫れてて判別がつかないみたいなんだ」
その前に、腐乱しているはずだろうともきみは思う。それからきみは魔理沙の言葉に疑問を持った。
鈴蘭の毒でそれほど酷くなるだろうか。腰に手を当て、視線を向けてくるきみは、怪訝な顔を浮かべていた。薬屋との交流で覚えた毒の強さは、症状ほどきつくなかったはずだ。壊れないようにちゃんと手加減もしていた。
きみは横向けていた顔を魔理沙に戻して、納得がいかないばかりに、つい、「嘘よ」と言ってしまう。
「嘘じゃないし、なんでそう思うんだよ」
誤魔化すように、きみは眉をつり上げた。「だって私のこと疑ってるんでしょ?」
「仕方ないだろ、お前だって毒を使う妖怪なんだし」
だってという言葉が引っかかり、きみは頭のなかで、繰り返すように唱えた。
「だってってことは、私以外にも毒を使う妖怪がいるってことよね」
「いるぜ、地底の土蜘蛛だ」
「じゃあそいつがやったのよ、そうに違いないわ」
「どうだろうな。そっちは霊夢の奴が確かめにいってるから、今日にでもわかるはずだぜ」
毒のこともなと言葉を継がれて、きみの肩は、無意識に内側へと寄った。証拠が発覚してしまうことの恐れから、力が入り、こぶしも握っていた。うつむいたきみは、私じゃないもんと声を震わせる。
肩に手を置いてきて、決めつけていないと言われたが、きみじゃないとは言ってくれなかった。顔を持ち上げて、黒い瞳を見つめる。
「じゃあなんで毒だってわかったの」
今さらな疑問だった。
「月の兎が現場に居合わせてたみたいでな、血液を採取してたんだよ」
「兎さんって、もしかしてだけど、薄紫色で長い髪の?」
そうだと返されて、昨日鈴蘭を取りにきていたのだと思い出す。血に毒が混じっているとわかったのは、昨日の夕方らしい。
あんな状態じゃなければ私怨の可能性もあったと話す魔理沙は、引き止めて悪かったなと背を向けた。
「外来人だったら、こんな騒ぎにはならなかっただろうに」
でもそうじゃない。男の装いは、明らかに里で暮らす者のそれだった。去り際に発された一言が、耳のなかで木霊したまま、消えてくれなかった。
*
深い竹藪を進むきみは、ふと足を止めて振り返る。伸び続く道は人や獣が歩いているからできたものだ。まっすぐ進めばいずれ辿り着く。単純な思考から出した答えを信じて、きみは再び歩きはじめた。頭上から届く夕暮れの光はごく僅かで、仄暗い道は段々と深くなる一方だ。
道の先には永遠亭という建物があるはずで、昨日見た月の兎は、そこに住んでいると聞いていた。月の名医もいて、その人が、血のなかの毒に気付き、疑いをかけられるきっかけを作った。
だから今からそこへ向かい、きみは、口封じに殺そうと考えている。人間だけど里の人じゃないし、死体は喋らない。嘘の潔白を証明するためには、そうするしかないのだ。
「兎さんは殺さなきゃだめよね。スーさんに酷いことしたもん」
毒を調べるためだろう。勝手に引っこ抜かれたことを、きみはまだ根に持っていた。思い出した怒気と焦燥から、きみの足は速くなっていく。
急がなきゃとこぼすきみだけど、迷いの竹林と呼ばれる場所にいることを忘れている。同じ場所をぐるぐる回っているのだと気付いたのは、力任せに折られたような竹が、なんども目に入ったからだ。
きみはまた、きた道を振り向いた。ずっと足下の道を歩いてきたはずなのに、いつからかまったく進めていない。どれだけ顔を振ってみても入り口は見当たらなかった。
顎を上げたきみは、小さな体を上昇させる。竹葉の隙間からは黄昏の色が覗けるのに、上れど上れど抜け出せない。
「どうなってるのよ」
語調を荒らすきみは、一度止まって下を見た。小さい山ほどは上ったはずなのに、地面の窪みがわかってしまうくらいにしか上れていなかったたけでなく、真下にあるはずの道まで消えていた。
ゆっくりと地上に降りたきみは、途方に暮れてしまう。迷ってしまったのだと理解するには遅すぎた。きみは目尻から雫を流した。
「帰りたい、帰りたいよスーさん……」
それが叶っても、きみが戻る場所はあるだろうか。今やお尋ね者の一人でもあるきみは、証拠を消さない限り、確実に退治されてしまうだろう。しゃくりを上げるばかりでいたきみのところに、藪を踏む足音が近付いてきた。
どうしたのと訊ねられて、涙ぐみながら見上げてみたきみは驚いた。
殺害を目論んでいた人物の一人が、そこに立っていたからだ。「迷子?」と言ってから、月の兎はあら、と首を傾げて屈み込む。
「あなた、鈴蘭畑にいた子じゃない」
どうしたのと繰り返されてから、きみは、犯人だとばれていないんだわと理解した。ぶら下げていた右手に力を込める。ここで、殺すつもりだ。
「迷ったのよね。じゃあ、出口まで連れてってあげる」
手のひらに集めた毒を引っ込める。消さなくてはいけない人物はまだいるし、ここで殺したら迷ったままかもしれない。
ほらと言って手を引かれるきみは、拒むように踏ん張った。
「私、永遠亭に用があるの」
「うちに?」
そうだったのと継いでから、「じゃあ案内するわね」と続けた月の兎は、鈴仙という名前を教えてくれた。繋ぎっぱなしの手を解いたきみは、一人で歩けるわと強めに言った。
気にする様子もない鈴仙は、はぐれないようにねと言い、先を歩いた。膝まで届きそうな長い髪を道しるべに、あとに続くきみは、恨めしい目つきを鈴仙に向けていた。
道なき道を歩き続けて、高く伸びる竹が分かれる先に、建物が見えた。整えられた竹垣に囲われている永遠亭は、きみが思っているよりも小さかった。竹藪を抜けて見上げてみると、広がりつつある群青が混じって、空は菫色になっていた。
立ち止まっていると、鈴仙が待っていることに気がついて、きみは急ぎ足で近付き、招かれるまま永遠亭に上がった。鈴仙の後ろをついて歩くきみは、いつ殺そうかしら、と考えている。
ここに住んでいるのは鈴仙と、月の名医だけだろうか。ほかにもいるのだろうか。いるならば、きみは皆殺しにしなきゃと考える。その思考は保身のためと言うより、使命感にも似た感情だった。
襖が並ぶ廊下の先に、建具のない部屋から薄明かりが漏れていて、鈴仙は指を差して顔だけを振り向けてくる。用があるってことは薬のことよねと振られ、殺すためだとも言えないきみは、適当にそうよと合わせた。部屋に吸い込まれたあとを追って、きみも入る。
「師匠、患者がきました」
鈴仙の陰から顔を出すきみは、机に前のめる、師匠と呼ばれた人の背中を見つめた。灰色に近い結われた髪は腰元まで届いて、赤と深い青色に分かれた服を着た女性は、フラスコと呼ばれる硝子瓶を凝視している。
鈴仙が背凭れのない椅子を用意して、促されるままに腰かけたきみは師匠の反応を待った。赤紫に変色したフラスコの中身を揺らす仕草しかなくて、暇を持て余すきみは、床に着かない足をぶらぶらと遊ばせながら、部屋を観察した。
患者を寝かせるための寝台と机しかない部屋は、とてもつまらないものに思えるだろう。泳がせていた視線を机に戻したきみは、奥に置かれていた瓶の鈴蘭に気がついて、一度しまっておいた感情を顔に出していた。
むっとする姿に気付いた鈴仙はもう少しだから待っててねと話しかけてくるが、的外れな気遣いに顎を上げて睨めつけるきみは、「スーさんを勝手に引っこ抜かないでよね」と唇を尖らせた。
一拍遅れて理解した様子の鈴仙は、誤魔化すように、どの薬が欲しいのと聞いてくる。必要ないと返せないきみは言葉に詰まって、怒ったままを装い、睨めっこを続ける。横から椅子の軋む音がして、振り向いたきみのことを、紺色の瞳が捉えていた。
「初めましてかしら」
八意永琳よと挨拶されたきみも釣られてメディスンです、とつい軽く会釈までしてしまう。好きに呼んでくれていいわよと言った永琳は、外していた帽子を被った。赤い十字模様がいいなときみは思う。上下で配色が逆の服は、見ていてヘンテコだなとも感想を抱くきみに、ごめんなさいねと微笑まれた。
瓶の鈴蘭に目が流れていって、「毒の特定に必要だったの」と聞かされるきみは、緊張の解けていた唇を硬くさせてしまう。「それで?」と続けてくる永琳は、見たところ元気そうだけどと言って、額に手を当ててくる。
「やっぱり熱でもないようだし、精神的な物を所望かしら。妖怪よね?」
薬の説明がはじまりだして、きみは焦りを感じた。どうしよう、このまま殺してしまおうか。処方してもらうことなど考えていなかったきみは、行動を起こすべきかどうかと、思考を繰り返すばかりだ。
そう言えばと口にした永琳が、鈴蘭のことを訊ねてくる。
「鈴蘭畑に住んでいるって聞いたけど、あなた、毒を操れたりはしない?」
一気に顔を強張らせて、きみはぶら下げていた足を床に着ける。お尻に押された椅子の足が擦れて鳴った。きみは入り口の方へと後ずさる。
目を合わせないようにうつむけたきみは、後ろに隠した両手のなかで毒の霧を作った。殺すしかないと覚悟を決めて、思い切り両手を振り被る。部屋に赤黒い霧が立ち込めて、噎せ返る二人だが、近くにいた鈴仙の手がきみへと伸びてきた。
慌てて一歩下がるきみは、毒を撒き散らかしながら逃げ出した。飛びきり強い毒を精製したはずだけど、あの二人が死ぬ姿をきみは想像できなかった。月に住んでいた鈴仙や永琳には効かないかもしれない。ぞっとして、きみは駆けている板敷きを強く蹴った。
引き戸に弾幕をぶつけて、開いた穴から飛び出したきみは、再び竹林のなかを全力で走った。恐怖から顔を振り向けた先には、底なしの闇と、それに飲まれる竹藪しか映らなかった。
きみを追ってくる足音が、暗闇から聞こえた気がした。向けていた顔を戻して、もっと早くと足を振り上げる。けどきみは走るのが下手だった。
途中でもつれさせた足を挫かせたきみは、冷たい土の上に倒れてしまう。取り囲んでいる竹の群れが、押し潰すように迫ってくる錯覚を覚えたきみは、短く悲鳴を上げたあとに、また走り出した。
錯覚から生まれる恐怖に空の道を塞がれたきみは、目を瞑り、耳を塞いで駆け続ける。
道を逸れて竹藪に飛び込んだから、肩や頭をなんども竹にぶつけてしまう。それでも、きみは止まらない。赤い瞳を不気味に光らせて追ってくる鈴仙の幻影が、瞼の裏に浮かんでくる。
石に躓いて転んでしまったきみは、作り出した妄想に負けてしまい、立てなくなった。竦ませている肩を震わせるきみの瞳から涙がこぼれ落ちた。
上げたしゃくりが夜に吸い込まれて、それを聞き取った闇の彼方に明かりが灯る。うつむいていたきみが火明かりに気付くのは、夜の染み込んだ土が黄色く照らされてからだった。
驚いて持ち上げたきみの顔は、まるで猟銃を前に追いつめられた動物のようだ。きみは死を意識したけど、憂わしげな視線を向けてくる人物は、鈴仙じゃなかった。
白いシャツに赤いもんぺを穿いた少女が、右手に炎を揺らしながら見下ろしている。長い白髪に、白地に赤線の入った大きなめリボンが、目に留まった。鈴仙よりも濃い赤色が、きみを捉えている。
「どうしたの?」
この言葉をかけられるのは今日でなんどめだろう。迷子なのと聞かれても頷けないでいるきみに、少女は頭を掻いたけど、困っている様子でもなかった。
白い手が伸びてきて、幼いきみの手を掴んだ。引かれるまま立ち上がったきみの胸には、不思議と、恐怖心はなかった。暗闇を照らす炎に当てられた所為だろうか。
「私、妹紅って言うの」
よろしくねと笑い、きみの手を引いて歩き出す妹紅は、用心棒をやっていると話してくれた。迷子なら送るわよと言われたきみは、繋いでいる手に余っている左手を被せて、ぎゅっと握る。
参ったわねと漏らした次に、「あなた、妖精でしょ?」と聞かれて、きみは一拍置いてから頷いた。
「隣の子はお友達かしら」
前を向いていた顔が少しだけ動いて、きみはまた頷くのだけれど、後ろを歩いている小さな動作が、尻目にちゃんと映っていたのかはわからない。納得してくれたのか、妹紅の顔は正面に戻った。
揺れる白髪の隙間から、もんぺを吊っている赤い紐が見え隠れする。きみが妖怪だと知れば妹紅はどう思うだろうか。想像して、きみは唇を結ぶ。
もんぺに張られているお札が反応したら、嘘がばれ、きみは退治されてしまう。だから触れてはいけないと距離を保っていたきみは、立ち止まる妹紅に続いて、歩くのをやめた。炎に照らされるこの小さな小屋が、妹紅の家なのだろう。
開けられた引き戸の先に明かりはなかった。入っていく妹紅に釣られて、きみも服の泥を払ってから続く。靴を脱いで上がった床の冷たさが、靴下越しに伝わった。囲炉裏に火がつけられて、壁の下側が仄明るくなり、狭い部屋の輪郭がぼんやりと浮かんでくる。
生活感が余りないように思うのは、独り身だからか性格だからなのか、きみには見当もつかない。壷を漁る妹紅は、取り出したびわを渡してくる。
「ちょっと〝わけあり〟な体だから、今はそれしかないの」
今日買ってきた物で新鮮らしい。妹紅はござに腰を下ろして、皮を剥きはじめる。きみも、ちょこんとお尻を着けた。妹紅はびわの甘さに息を漏らして、きみも皮を剥いて食べてみる。
食べる必要のないきみが知っている味と言えば、仄かな甘みしかない樹液くらいだった。強い甘さに目をしばたいたあと、きみは、びわの虜になっていた。
三つしかなかった自分の分をあっと言う間に平らげてから、傍で肩を揺らしてる妹紅に気がついて、きみは目を伏せてしまう。囲炉裏の灯りが、変わることのない肌を朱色に染めて、きみを乙女にしてくれる。
立ち上がる妹紅は畳んであった布団を敷いたあと、壁に凭れて、使っていいよと微笑んだ。
「私のことは気にしなくていいよ、ほとんどこれだから」
立てた片膝に腕を乗せて、妹紅は目を瞑る。寝入ったのか、気にしていないのか、次の言葉はかけられなかった。立ち上がったきみは、言われたままに布団へと歩き、体を滑り込ませた。
普段から集めた草や藁の上で眠っているきみには、布団の柔らかさはとても優しく思えた。寝かせている顔を捻り、左側の壁を見る。格子窓から覗けるのは、相変わらずと深い闇ばかりだった。
収まっていた恐怖心を煽られるきみは、頭まで布団を被る。朝になったら、逃げだそう。そう考えるきみだけど、一体この先、どこへ逃げればいいのだろうか。
証拠を消すために殺そうとした二人はまだ生きている。永遠亭にある鈴蘭からそれがわかる。毒を浴びせたことと、男を殺した罪に問われて、きみを捕まえにやってくる。
幻想郷という檻にいる限り、きみが逃れることは不可能だ。きっと捕まり殺される。
自身の結末をなんども想像してしまうきみは、震えながら夜を明かした。
3
息苦しさから布団を押し退けていたきみは、差し込んできた薄明かりが瞼にしみて、腕を被せた。起き上がり目を擦ったきみは、妹紅がいないことに気がついた。
どこに消えたのだろう。まさか罠だったのだろうかと浮かんだ視界に書き置きがあって、手に取ったきみは、ほっと息をつく。きみのために、軽い物でも用意しようと、早くから出かけたみたいだ。
その心遣いは、きみにとって好都合だった。今の内に逃げよう。頭につけたリボンを結び直すきみは、火の消えた囲炉裏の縁に、置かれたままの種に気がついて、手に取った。スカートの衣嚢に忍ばせたきみは、鈴蘭畑の近くに植えようと思い、唇の端を持ち上げる。
さあ急がなきゃと靴を履き、引き戸の前に立った時だ。触れてもいないのに、戸が横にずれて、後ずさるきみは上がりかまちに腰を抜かした。
帰ってきた妹紅の後ろには永琳と、赤で身を包んだ巫女がいたのだ。
「メディスン、話があるみたいだから、聞いてあげて」
明かしていないのに、妹紅がきみの名を知っている。朝食を取りになんて書き置きは嘘で、永遠亭で話し合いをしていたのだと、きみは確信した。全ての行いがばれたのだと。
「やだ、違う、違うもん……」
同じ言葉を繰り返すきみに、前に出てきた永琳が、毒を操れるのよねと、静かに聞いてきた。屈み込み手を掴んでくる永琳の眼差しが、きみの瞳に突き刺さる。
もう逃げられないのだと悟ったきみは、顔をくしゃくしゃにして、泣き出してしまった。
困ったように永琳は振り返る。顔を見合わせる妹紅と巫女は、肩を竦ませていた。咽びながら、いやだ、退治されたくないと言うきみの頭を、永琳が撫でてくる。まだ止まらない涙で潤ます瞳を持ち上げたきみに、穏やかな表情で「大丈夫だから、ね?」と永琳は言った。
きみは「ごめんなさい、ごめんなさい」と、しばらく泣き続けた。
泣きやむまで優しくされたきみは落ち着きを取り戻して、永琳のことも警戒しなくなったけど、巫女に対しては打ち解けれないでいる。
上がりましょうよと言う妹紅の提案から、きみを除く全員が、囲炉裏を囲んだ。格子窓を背に、遅れてきみも席に着く。足を崩しているのは妹紅だけで、巫女と永琳は正座をしていた。気にしなくてもいいのに、釣られて慣れない正座をしてしまうきみは、床の堅さを嫌って、落ち着きなく体を揺り動かした。
「もういいかしら。聞きたいことがあるのよメディスン」
きみは正座していた足を横に開き、ぺたんとお尻を着けて、永琳の言葉に頷いた。
「鈴蘭以外の毒は、操れる?」
「うん」
「率直に聞くけど、見知らない男の人に、毒を浴びせたことはあるかしら」
きみの口元が硬くなり、それを見て、やっぱりと声が漏らされる。うつむいてしまったきみに大丈夫よと、右側から妹紅がかけてくる。
顔を上げたきみだけど、正面にいる巫女が睨んでいて、また泣き出しそうな顔をしてしまう。
「ちょっと霊夢、怖がってるじゃない」
目を妹紅に流した霊夢は、別に怒ってないわよと息をついて、瞼を閉じた。横から咳払いがして、永琳に気がいったのは、きみと妹紅だけだった。
「メディスン、あなたが犯人じゃないと証明するために必要なの。男に浴びせた毒は、鈴蘭の物だけで合っているわね?」
躊躇いつつも、きみは頷く。
「それはいつかしら」
きみは数週間前にしたことを、つぶさに説明した。怒られるかもと思っていたけど、霊夢が呆れるような面をみせただけで、誰も口を挟まなかった。
話し終えたきみは顔を振ったけど、動きがあったのは永琳だけだ。抱えていた左手を顎に添えて、難しい顔をしていると、やっぱり変だわと呟く。きみは、「嘘じゃないもん」とか弱い声を出した。
「違うのよメディスン。あなたが毒を浴びせた日と男の死亡した時間が合わないのよ。普通なら、とっくに死んでいるはずなのに」
「どういうことかしら」
黙っていた霊夢が訊ねて、永琳は、男が死んだのは一昨日だと告げたのだ。妹紅や霊夢が疑問を浮かべたように、眉を寄せる。一方のきみは、その事実に驚いていた。頭の弱いきみにでもわかる、そんなはずないと。
「確かに矛盾しているわね。昨日聞いた時には、そんな話はなかったじゃない」
「その時はまだ毒の種類が特定できてなかったわ。日暮れ前にきた時ちゃんと話したでしょう?」
「死んだ時間はどうやって知ったの?」
「優曇華から聞いた死体の状態を参考に出した答えよ。多分、発見される直前くらいに亡くなったはずだわ」
きみは会話についていけず、妹紅に顔を向けたけど、彼女も腕を組み思考している様子だった。堪らず、きみは「腐ってなかったの?」と口にした。
「そうよね、そのはずよ」
毒を浴びて一ヶ月近くも生きてるはずがない、異常だわ。きみの発言を追うように妹紅が言った。本当に数週間前のことかと確かめられるも、きみは嘘じゃないと返す。うつむいて考えだすきみは、今まで男の死体は腐っているものだと思っていて、当然、騒いでいた里の人やここにいる人達も腐乱死体を作った犯人である、きみを探しているものだとばかり思っていたのだ。
きみはきみで、ほかはほかで、男の死に思い違いをしていたのだとようやく理解してから、右隣で変よね言う妹紅以上に、きみは変だと思った。
「これは誰か、裏で糸を引いているかもしれないわね」
どういうこと、と霊夢が振る。
「毒を浴びて数週間生きていたことも不思議だけど、顔の特定ができないくらい腫れ上がるなんて、やっぱり鈴蘭の毒では考えられないの」
まるで拒絶反応だわと継ぐ永琳に、きみを含めた三人も同様の意見だった。きみが話した内容にも、肌が爛れるくらいしか変化は見られなかったのだ。死因を作ったのは確かにきみで、これは紛れもない事実だろう。
でも犯人は別にいる。正確には可能性だけれど、きみが陥れられたという希望は高くなった。犯人さえわかれば、退治されずに済むかもしれない。
そこまで考えてから、きみの気持ちを代弁するかのように、「だとしたら誰が」と妹紅はこぼした。
見当がつかないのはきみだけじゃないようで、勘がいいと聞く霊夢ですら黙り込んでいる。重たい空気を打ち破ったのは、戸を叩いた人物だった。動いた戸の向こうにいたのは、魔理沙だった。
邪魔するぜと玄関まで入り、「鈴仙にここだって聞いたから」と話す魔理沙は、得意げな顔で犯人がわかったと継いだ。その場にいた誰もが驚き、思いがけない朗報にきみは「本当!?」と声色を明るくした。
「ああ、本当だ」
案内するぜと踵を返す魔理沙に、「ちょっとは説明しなさいよ」と投げる霊夢は立ち上がって、あとを追った。永琳と妹紅は犯人に関心がないのか、腰を持ち上げる気配はなかった。きみと同じように、外で待つ魔理沙と、腰かけて靴を履いている霊夢を眺めるばかりだ。
立ち上がった霊夢が振り向いて、凜とした瞳を、きみに向けてくる。
「あんたの問題でもあるんだから、さっさときなさいよ」
きみは立ち上がり、急いで靴を履いたあと、先に飛び上がった二人を追いかけて、空へ上昇した。
*
頬を切っていく風が耳元に絡み、うるさいと感じたきみだけれど、空を自由に飛べる喜びの方が勝っていた。迷いの竹林に入ってからずっと、まともに飛べやしなかったのだから、当然だ。
これで魔女と巫女に挟まれていなければ、もっと気楽に空を遊泳できただろうけど、きみはもう気にしていない。真犯人さえ捕まえれば、人殺しをした罪に問われることもないのだから。
見えてきた森を前に、きみの頭には、一つの疑問が浮かんだ。昨日はあれだけ迷った挙げ句に飛んでも出ることの叶わなかった竹林が、なぜ今日に限って、いとも容易くと抜けられたのだろう。
きみがごちた疑問を、「ああ、そりゃ鈴仙の仕業だな」と魔理沙が拾った。首を傾げていると、「あいつは波長を操るんだよ」と続けて説明されるきみは、今一つ理解できないでいる。
「要するに錯覚を見せられるってことだな」
ああと頷いてからまた一つ、違う疑問が浮かんで、きみを悩ませる。
「毒で攻撃したあとならわかるけど、なんでいきしなの道で迷わされるの?」
「嘘つき兎でも追っかけてたんでしょ」
今度は左にいた霊夢が答えてくれる。その兎を知らないきみは、そうなんだと気の抜けた声を返して、また一つの疑問が浮かんだ。
「あれ、でも霊夢は?」
昨日の夕暮れ前に、きみと入れ違いで永遠亭に訪れていた霊夢は、どうやって辿り着き、抜け出したのだろうか。訊ねてから、妹紅もそうだと、きみは思う。
竹林にいたらかかる錯覚ならば、なぜ妹紅が迷うこともなく、自分の家に辿り着けたのだろうかと、きみには不思議でしょうがない。
「竹林から抜け出せないための錯覚でしょ? なら範囲内を動く分には問題ないはずよ」
永遠亭に着けなかったのは、きみが悪いと言っているようなものだ。けれどきみは怒らないで、なるほどと納得させられていた。
魔理沙がやり取りに笑っていたけど、なにが可笑しくて笑っていたのかは見当もつかないし、肩を揺らしていた時間も短かったから、きみが気付くことはなかった。
話す内に森の深いところまできていた。そろそろ降りるぜと魔理沙が先をゆき、続く霊夢のあとをきみが追う。昨日歩いたところよりもずっと奥地にある森のなかを進み、西洋風の家が見えてくる。四角い窓の奥は緑色のカーテンに遮られて覗けない。
青い瓦屋根の下にできた影を踏み、真犯人が潜む家の前に、きみは立つ。魔理沙が洋風の戸を甲で叩くと、奥から澄んだ声が返ってくる。「どうぞ」という言葉を合図に、把手を掴んだ魔理沙が、ゆっくりと腕を引いた。
真犯人はどんな人だろう、なぜきみを陥れるような真似をしたのか、きみは知りたくて仕方がない。仄暗い部屋に足を踏み入れたきみ達は、声の持ち主に視線を当てた。近付こうとしたきみを制するように、「待って」と真犯人が発した。
「今、カーテン開けるから」
靴底を鳴らし窓際へ歩いていく犯人は、片側ずつ開いたカーテンを、壁につけられている紐で結んでいった。折り重なる枝葉に遮られて日差しが届きにくいところだけれど、部屋を明るくしてくれるには十分な光だった。
「それで、顔を揃えてなんのようかしら」
「そう構えるなよアリス」
きみや魔理沙と同じ金髪だけど、少し癖っ毛気味のきみ達に比べたら、美しさの差は歴然だろう。「よく手入れされているのが一目でわかるな」と漏らす魔理沙に、感情の薄い声で「ありがとう」と、アリスは返した。
「お世辞を言うためにきたわけじゃないけど、綺麗よね」
「私は霊夢のような黒髪の方が魅力的だと思うわよ」
息をついたアリスは、お世辞を言うためにきたわけじゃないのよねと、確かめるような声色を使ってくる。きみを指差した魔理沙が「こいつのことでな」と言って、アリスの青い瞳が、きみを見つめた。
ふぅんと漏らして近付いてくるアリスに、「毒持ちだから、迂闊に触らない方が身のためだぜ」と、知人が増えない悩みをつつかれて、きみは不機嫌になった。
アリスは口に手を当て、陰から白い歯を覗かせていた。唇を尖らせていたきみは、そのまま頬をむっとさせるけど、気にする様子もないアリスは、壁際にあった小さな椅子を机の前に移した。
「あなたはこっちね。魔理沙達はソファの方に座って」
むくれたまま、きみは肘かけのついた椅子に座り、アリスは右隣の一人用のソファに腰かけた。霊夢達はきみの左側で、朝と同じように、きみは窓を背にしている。
部屋を見渡せる位置で、奥に台所と、隣の部屋に続くのだろう建具が、隅に二つついていた。きみは膨らませていた頬を萎ませる。
きみが他人の家に入った経験は、一昨日までは薬屋くらいのものだったけど、昨日から永遠亭をはじめに、ここを含めて三軒の家にお邪魔させてもらっている。きみは好奇心が旺盛だから、綺麗なアリスの家を観察してて飽きるはずもない。
そうして、きみが辺りに目を振っている時だ。台所や椅子に固まっていた人形達が、一斉に動きだしたのだ。きみは驚いて声を上げた。
台所に集まる人形達が、お茶の用意をしていたから。ティーポットの蓋を開け、湯気の立つケトルからお湯を注いでいた。人数分のティーカップと茶葉の用意をしている子もいて、きみは終始呆気に取られてしまい、その光景を眺めている。
「すぐできるから」
「ねえ、どうして人形達が動いたの?」
まるで自分のようだと話したきみに、アリスが「あなた、人形だったの?」と返してくる。きみは頷いた。へぇ、と語調を弾ませるアリスの目は、きみに関心を抱いているようだった。
そうねと言ったアリスは、自己紹介がまだだったわねと続ける。
「私はアリス・マーガトロイド、魔法使いよ」
連れてきた二人はきみのことを紹介しなかったから、きみも同じようにして名を告げた。人形達は、魔法で操っているらしい。隣から咳払いが聞こえ、きみとアリスの視線がそちらへ向く。
そろそろ話に移っていいかしらと言う霊夢に、アリスはせっかちね、お茶が出るまで待てばいいのにと言ったけど、じゃあ聞かせてもらうわと足を組んだ。
「人里で起きた殺人事件、あなたが絡んでるって魔理沙から聞いたわ。詳しく説明してくれないかしら」
「なんのこと? それに私が関わってるって、どういうことなのかしら」
訝しむアリスの目が、魔理沙の方についっと動く。きみも釣られて、視線が流れた。
「埋葬される前にちょいと調べてみたら、死体に呪術の痕跡があったんだ、それも高度な。だから紅魔館を訪ねてパチュリーに聞いたんだよ」
「先に嫌疑がかかったのはそっちで、白だったから私ってことかしら?」
「だな。あいつは出歩かない奴だから、犯人だなんて私は思っていなかったが。それで呪術の形式を調べてもらったら、かなり危なっかしいものらしいじゃないか」
魔法使いで、これほどのことができる奴は限られている。そう話す魔理沙に、アリスは、「証拠はあるのよね」と静かに言い放つ。その証拠がなければ、きみの罪もなくならない。きみは、魔理沙を見つめ続ける。
「簡単だぜ? 今回の事件は、思い違いが広がったにすぎないからな」
聞かせてくれるかしらと霊夢が言って、きみも、心のなかで同じことを思う。
「ちょっとした疑問が浮かんでな、里で聞き回ったんだ。そうしたら、お前が着物の生地を買っていたと耳にして、辻褄が合うと思ったんだよ」
「ならさっさと教えなさいよ。勿体ぶるんだから」
そう急くなよと霊夢を宥めて、魔理沙は、「お前、人をさらっただろ?」と言ってから、外来人のなと付け足した。
アリスが「ああ」と漏らす。
「そういうことだったの。なら、魔理沙の思ってる通りよ」
「わかるように説明して」
声を尖らせる霊夢は、腕を組み不機嫌になっていた。きみに至っては話についていけるわけもなく、頭のなかで一人混乱状態だ。台所から聞こえてくる音すらも聞こえていない。
「一ヶ月も前のことよ。森に外来人がいたから、自律人形の実験に使ったの」
「服を着替えさせた意味はあるのか?」
「あら鈍いのね、外来人よ? そのままの格好で歩かせたら、闇妖怪とかに食べられちゃうじゃない」
ああと言って、魔理沙は結っている髪をいじくり、台所へ視線を向ける。ティーカップのお湯を捨ていて、お茶の準備が整いつつあった。
きみは、段々と話が飲み込めてくる。きみが殺してしまった男を、アリスが操っていたのならば、なぜ彼女は里に放棄したのだろうか。操れるのなら、家に持ち帰ればいいはずだ。
きみがそのことを口にすると、アリスは初耳だと言ったのだ。詳細を訊ねられて、きみがしたことや、ここに至るまでのことすべてを打ち明けた。
なるほどねと頷いたアリスは、面白いこともあるものねと微笑みをみせる。人形達がやってきて、並べていくティーカップに、ポットから紅茶を注いで回った。お茶受けのクッキーも出したところで、アリスは、きみ達にどうぞと声をかけてくる。
ティーカップを持ったアリスは、紅茶を一口飲み、息をついた。
「どこから説明するか迷うわね……まず男を操っていたのは私じゃないわ」
「どういうことだ?」
魔理沙の手がクッキーに伸びる。きみも、追うように手を伸ばした。
「男の自我を残していたってことよ。里に向かったのは多分、本能的なものじゃないかしら」
初めて食べてみたお菓子に、きみの頬は落ちそうなくらいに緩んでいた。そもそもどういう魔法をかけていたのよと霊夢が聞いて、是非聞かせてもらいたいぜと魔理沙も続く。きみは、話を聞いてない。
「厳密に言うと魔法じゃなくて、呪術の一つで大雑把に言うけど、魂を引っ剥がしたってことよ」
「うん? それだとあの男は元々死んでたってことにならないか?」
魔理沙の言葉通りなら、男の自我なんてありはしない。ティーカップを受け皿に戻すアリスは、ちゃんと説明するわよと言って、寄ってきた人形を膝の上に置いた。
「初めはね、人形に入れようと思ってんだけど、上手くいかなくって。だから、新しい入れ物を用意したってわけ」
日常生活の話でもするかのような軽い口振りに、「さらりと怖いこと言うわね」と、霊夢は少しだけしかめいていた。きみも、紅茶のこくと渋味にしかめている。
「ふむ、話が見えてきたぜ。男が毒を浴びてすぐに死ななかったのは、人間の体じゃなかったからか」
「ええ、そういうこと。脳以外はバラバラ、と言うよりは挽き肉かしら。人形の体じゃ動かなかったけど、体の一部を残してあげたら、ある程度の自我を保ったまま動いたの」
「うへ、お茶の席には合わない話だぜ」
食欲がなくなりそうだと漏らす魔理沙に、じゃあもらっていいよねと、きみはクッキーに手を伸ばしたが、断りもなく人のもん取るなとはたかれてしまう。
アリスは半分人形になった男が動いたことで満足したらしく、あとの行動についてはまったく関わっていないとも話した。クッキーの甘さに夢中だったきみは、途中から耳を傾けていなかったけれど、男が外来人だということだけは理解していた。だからそう、きみの罪は晴れている。
殺した男は、里の人間じゃないのだから。
「まったく、迷惑な話だわ」
アリスに向いていた目が、きみに移る。視線に気付いて振り向いてみるけど、霊夢はすぐに瞼を閉じてしまい、紅茶を飲み干してから立ち上がった。
「これにて事件解決ね」
「解決したのは私だけどな。ああ、あと最後に聞きたい。男の顔面や皮膚が腫れてたのも、魔法の影響か?」
「毒じゃないっていうなら、そうね、拒絶反応かなにかじゃないかしら」
お茶は残し、クッキーだけを平らげたきみも、ここに用はない。出ていく霊夢達のあとに続こうとしたけれど、きみは腕を掴まれて止められてしまう。
振り向くとアリスが屈み込み、「あなた、人形なのよね」と顔を覗き込んでくる。見つめてくるアリスはとても柔らかく笑っていたが、きみは、どこか不気味さを覚えていた。
白くて綺麗なアリスの手が、きみの頭にぽんと乗せられる。
「クッキーが好きなら、いつでもおいで」
〝待ってるから〟と目を細めさせたアリスに、きみの抱いていた不気味さは、恐怖に変わった。それはとても小さなものだけれど、きみはもう、ここに訪れてはいけないのだと悟る。
きみの背中を見送る瞳は、もう笑ってはいなかった。振り向かなかったのは、多分正解だ。
家を飛び出したきみの目に木漏れ日が届く。さあ、きみはもう自由だ。退治されることに震えることはなくなった。
「スーさん、やっとお家に帰れるね」
鈴蘭畑に戻ったら、近くにびわの種を埋めようと話しかけてくるきみは、無邪気に笑いながら空を飛ぶ。
4
降り注ぐ日差しはとても暑いものだったけど、人形のきみは平気でいる。一ヶ月前の事件で味わった恐怖のことなどすっかり忘れているきみは、相変わらずと元気にはしゃいでいる。
鈴蘭畑を出て少し歩いたところの草原に、きみはびわの種を植えた。気がついたらそこに足を向けるきみは、まだ芽も出ていない種に話しかけるのが、ここ最近の日課になっている。きみは拾ってきたじょうろに水を汲み、話しかけながら水を注いだ。
早く大きくならないかなと膝の上で頬杖を突くきみは、遠くに見えた人影に気付いた。きみはその人を見つめて、笑みをこぼした。
きみの姿を見つけて喜ぶ様と、遠目からでもわかる服装は、外来人のものだ。きみは、そこへと駆けていく。
「こんにちわ。あなたはだぁれ?」
お互いに自己紹介をしてから、きみはその人の手を掴み、びわのところまで引き連れていく。きみは服のなかにしまっていた日記帳を取り出した。
「これね、森のヘンテコ屋さんからもらったの。それでね、少し前のことをね、代わりに書いてもらったの」
嬉々として日記帳を渡すきみは、読んで読んでと笑いかける。
外来人の目が、文字の羅列を追っている。顔を持ち上げて、きみは、びわのこと話しはじめた。
「あのね、あのね、お外の本に書いていたんだけど、お花の肥料ってなにが一番か知ってる?」
それはね、と継いで、人間なんだよと言った。だから、きみをここに連れてきたのは、肥料にするためなの。
そう、きみは肥料にする。続けるきみは、いつものように、元気に唱えた。
コンパロ、コンパロ、毒よ集まれー。
久々に訪れていた薬屋から少しだけ歩き、飛ぼうとした体を一旦止めて、足早に歩きはじめる。本心では、すぐにでも離れたいと思っていた。でもそうしないのは、立ち話の脇を通り抜ける際に、耳をそばだてているからなのだと、注意深く観察すれば気付く人もいるだろう。
それほどにきみは落ち着きをなくしていた。右も左も同じ会話で「どうしよう、どうしよう」と、きみはぶつぶつと唱えながら里の道を突き進む。
「殺しちゃった……」
思い出すように言ってから、はっとするきみは口を塞いだ。聞かれては、イケナイ言葉だ。瞳だけを左右に振るも両脇には誰もいない。聞かれていないことに安心するきみは、塞いでいた手を胸元に下ろして、息をついた。
足が止まっていることに気付いて再び歩き出したきみは、六月も終わりに近くなって暑くなりだした日差しのなか、寒そうに腕を抱えた。
人形の体だから寒さなんて感じはしないだろうし、血も通わない体が青ざめることだってない。けど、きみの表情は抱えている不安で暗くなり、未熟ながらも持ち合わせている心からは、血の気が失われていると言うのがしっくりくる感じだった。
団子屋の椅子に腰かけうちわを扇いでいる人や、馬鹿でかい声で客引きをする八百屋の中年や、なんかやりますと書いた看板に凭れかかる魔法使いのことも、今のきみには見えていない。
うつむいた視線には茶色の地面が、通りすぎていく景色の代わりに流れていく。門をくぐったことにすら、きみはしばらくの間気付かないでいた。そしてふと顎を持ち上げて、振り返る。
「私、退治されちゃうのかな」
震わせながらまたどうしようと漏らし「なんでこんなことになっちゃったのよ」と言ってから、体を空高くまで飛び上がらせた。鈴蘭畑に戻っても、事態が好転することはないだろう。
なぜ、なぜ、こうなったの。頬を切っていく風に掻き消される声は、誰も拾ってはくれないし答えてもくれない。
きみは思い出している。今の自分を苦しめる原因となった、数週間前に起こしたやんちゃのことを。
*
いつものように毒を振り撒きながら、鈴蘭畑ではしゃいでいた時だ。遠くで揺れる人影に気付いたきみは、異変の時に出会った人間がやってきたと思い込んで足を向けたけれど、違うと気付いてから駆けていた歩調を落とした。
花畑の端まで辿り着いたきみは、ふらふらと近付いてくる人間を観察しはじめた。深緑色の着物に、紺色の袴を穿いている、人間の男だ。
短めの黒髪と男にしては色白な肌が、遠目からはよく目立っていた。手を翳すきみは「んー」と唸り、つぶらな瞳を窄めさせて眺める。焼けたこともなさそうな肌は引き籠っている者のそれで、二十歳をすぎたくらいの男にしては、病的な白さかもしれない。そうしている内にきみよりも随分と高い背が近付いてきて、きみの前で足を止めた。
顎を持ち上げて、きみは見上げる。男もきみのことを見下ろしていたが、光のない目はどこか人形のようにも思えた。遊んでもらえるかもという当てが外れたのに、きみの瞳はきらきらとした好奇心を孕ませている。きみは、お兄さんだぁれ、と小首を傾げた。
期待を抱いていた顔色は、なにも答えない男に不信感を露わにした。見下ろしていた視線を上げた男は鈴蘭畑に入ろうとした。袖を掴んで、きみは制止させる。
「ここ、私のお家なの」
勝手に入らないでくれると言ってみても、やはり反応は返ってこない。代わりに体の向きを変えた男は、川のある方へと歩きはじめた。後ろ姿を見送っているきみは、呆気に取られていた。
「なによ、もう」
遠ざかっていく背中に声を投げてもきみの怒りは収まらない。それどころか、どんどん苛々が込み上がってくるのだ。「そうだわ」と手を叩いてから、ちょっといたずらしてやろうかしら、と不埒な思いつきに笑みを浮かべた。
余り出ることのない領域を離れて、間抜け面を驚かせてやるわと意気込むきみは、追いついた後ろから弱めの毒を浴びせてやった。
でも、男は足を止めなかった。回り込み、男の顔を覗き見るきみは不思議に思った。頭から毒を被ったというのに、男の顔は相変わらずと色がないのだ。普通なら毒の刺激にやられて咳をして吐いたり、酷かったら痙攣も起こしたりするはずだ。
肌だってほら、痒そうに赤く染まりだしたのに、男の表情に変化は見られない。お面でもつけているのだろうか。そんな考えが、きみのなかに浮かぶ。
「あはっ」と調子を上げたきみは、間延びさせながら面白いと目を細めた。隣りを歩きながら、手のひらにまた弱い毒を作りはじめる。先ほどよりも少しだけ強い毒だ。
声と同時に浴びせてやり、反応がないかを確かめるも、痛い熱いと騒ぎ出すのは男の細胞だけだった。それが、きみとっては面白くて仕方がない。
からっぽの体に溜まり続けた毒を放出しても、男がなにかを言ってくることはなかった。人前では抑えるようにと覚えた毒の霧を、遠慮なく出せることが嬉しい。きみはそういう子だ。
苦しまず倒れることもない男にきみは、ふざけて弾幕をぶつけてやり、足を挫かせてやった。手加減をしなかったからか、男の体が脆い部類に入るからか、膝から下があらぬ方向を向いていた。痛みを感じていないのだろう。平然と立ち上がって歩き出す姿は、糸で繰られた人形みたいにかくかくと、奇怪な動きをしていた。
可笑しくて仕様がないきみは、もっと遊びたくて弾幕が収まる手を翳したけど、ゆっくりと手を下げる。
「危ない危ない」
人を殺したらいけないのだと思い留まって、名残惜しい目で男の姿を見送った。それが、初夏に入る前のできごとだ。
住処に戻ったきみは、鈴蘭の緑のなかへ身を隠すようにうずまる。人を殺してしまった、と呟いた。
里の人間は、殺してはいけない決まりだ。正確に言えば里のなかでの話だけど、それでもきみは殺してしまった。死体となって発見された男は里にいた。たったそれだけのことを理由に、里で殺されたと判断されたのだ。
退治するべきだと言う声を幾つも聞いた。逃げられないように足を折られていた、叫べないように喉を焼かれていた、毒だ、苦しむ様を楽しんでいたに違いない。
鼓膜にへばりついた言葉がなんども反響してくる。きみは耳を塞ぎ、退治されたくないと涙を浮かべていた。
それはとても自分勝手な考えなのだろう。面白いからついやりすぎたなんて言いわけが通るほど、幻想郷は甘くない。風に揺らされる体の根元を触るきみは、「助けて、スーさん」と声をかけてくる。
「私まだ死にたくないよ」
なら、逃げなくちゃいけない。毒を使う妖怪なんて数が知れているし、鈴蘭の毒だとわかれば犯人がきみなのだとすぐ辿り着くだろう。
落ち着いたら、ここから離れるしかない。自分がやったという証拠を否定する、〝言いわけ〟を探すしか道はないのだから。
2
真上にいた太陽が、西へ動きはじめた頃だ。きみは畑から抜け出して、森を歩いた。人殺しの罪から逃れるには理由がいる。それを探さなくてはいけないのだが、なにをすればいいのか、きみはわからないでいた。
きみの思考は幼い。必死に考えてみても、思いつかないのは仕方なかった。毒殺だとばれているから、きみの頭はそこから離れられないでいる。どうやって誤魔化せばいいのだろう。きみは呟いた。それから腕を組み、うーんと唸ってから、「そうだわ」とうつむけていた顔を上げた。
「人の所為にできないかしら」
殺したという罪悪感を、きみは感じていない。思いつくことも子供じみている。妙案だわと小石を蹴って、誰にしよう誰かいたかなと考えるきみは、足を止めた。
小さな住まいを出て、他人と遊ぶことのないきみに、毒を使う知り合いなんているはずもなかった。閻魔様にお叱りを受けて、やっと動きだして増えた顔見知りは、里にいる薬屋の主人くらい。
人を襲ってはいけない決まりがあって、きみが守っていても、近付いてくれる人はいない。白黒の魔法使いや、場合によってはきみを退治しにくるかもしれない、巫女くらいだろうか。
「薬屋のおじさんがやったことにできないかしら」
後ろに回した手を組んで歩き、だめかなー、無理かなーとごちながら、「やっぱり無理だよね」と結論を出した。
「ねえスーさん、スーさんならどうする?」
語りかけてきたきみは足を止めた。見知った顔が、空から降りてきたから。よおメディスン。明るく話しかけられて返そうとしたきみだけど、名前までは覚えていない。黒い三角帽子と白い前かけが特徴的で、同じ金髪というところだけは気に入ってる程度だ。「白黒ー」と指差して、「魔理沙だよ」と返される。
きみはどうしたのと聞いた。姿が見えたからと答えられる。緑しかない森のなかでは、目立つ格好なのだろう。黒と赤の装いに、いかにも毒々しいなと言われて、きみの唇がきゅっと閉じた。
「知ってるか? 昨日の朝方、里で死体が見つかったんだ」
きみは、うんと頷いた。傍から見れば少しぎこちない。
「毒で殺されたみたいなんだよ」
「私じゃないもん」
声を張って否定する。「誤解すんなって」と宥められても、見上げるきみは寄せた八の字を戻さない。早速かけられた疑いの不安が、顔に出ている。
「確認したかっただけだ」
「じゃあ、疑いは晴れたわよね」
「いいや、嘘をついていないとも限らないからな」
ついてないもんと強く返す様に、むきになるなよと笑われるが、きみにとっては笑える状況じゃなかった。よそよそしくなるきみに向かって、魔理沙は「そう警戒すんなって」と、竦めさせた肩を落とした。
きみは殺してしまった男のことを訊ねた。口伝てにしか聞いていないと話す胸中では、もしかしたら違う人間じゃないかという望みを持っていた。
足を折り、毒を浴びせたきみだけど、喉が焼ける毒など使ってない。
「顔が腫れてて判別がつかないみたいなんだ」
その前に、腐乱しているはずだろうともきみは思う。それからきみは魔理沙の言葉に疑問を持った。
鈴蘭の毒でそれほど酷くなるだろうか。腰に手を当て、視線を向けてくるきみは、怪訝な顔を浮かべていた。薬屋との交流で覚えた毒の強さは、症状ほどきつくなかったはずだ。壊れないようにちゃんと手加減もしていた。
きみは横向けていた顔を魔理沙に戻して、納得がいかないばかりに、つい、「嘘よ」と言ってしまう。
「嘘じゃないし、なんでそう思うんだよ」
誤魔化すように、きみは眉をつり上げた。「だって私のこと疑ってるんでしょ?」
「仕方ないだろ、お前だって毒を使う妖怪なんだし」
だってという言葉が引っかかり、きみは頭のなかで、繰り返すように唱えた。
「だってってことは、私以外にも毒を使う妖怪がいるってことよね」
「いるぜ、地底の土蜘蛛だ」
「じゃあそいつがやったのよ、そうに違いないわ」
「どうだろうな。そっちは霊夢の奴が確かめにいってるから、今日にでもわかるはずだぜ」
毒のこともなと言葉を継がれて、きみの肩は、無意識に内側へと寄った。証拠が発覚してしまうことの恐れから、力が入り、こぶしも握っていた。うつむいたきみは、私じゃないもんと声を震わせる。
肩に手を置いてきて、決めつけていないと言われたが、きみじゃないとは言ってくれなかった。顔を持ち上げて、黒い瞳を見つめる。
「じゃあなんで毒だってわかったの」
今さらな疑問だった。
「月の兎が現場に居合わせてたみたいでな、血液を採取してたんだよ」
「兎さんって、もしかしてだけど、薄紫色で長い髪の?」
そうだと返されて、昨日鈴蘭を取りにきていたのだと思い出す。血に毒が混じっているとわかったのは、昨日の夕方らしい。
あんな状態じゃなければ私怨の可能性もあったと話す魔理沙は、引き止めて悪かったなと背を向けた。
「外来人だったら、こんな騒ぎにはならなかっただろうに」
でもそうじゃない。男の装いは、明らかに里で暮らす者のそれだった。去り際に発された一言が、耳のなかで木霊したまま、消えてくれなかった。
*
深い竹藪を進むきみは、ふと足を止めて振り返る。伸び続く道は人や獣が歩いているからできたものだ。まっすぐ進めばいずれ辿り着く。単純な思考から出した答えを信じて、きみは再び歩きはじめた。頭上から届く夕暮れの光はごく僅かで、仄暗い道は段々と深くなる一方だ。
道の先には永遠亭という建物があるはずで、昨日見た月の兎は、そこに住んでいると聞いていた。月の名医もいて、その人が、血のなかの毒に気付き、疑いをかけられるきっかけを作った。
だから今からそこへ向かい、きみは、口封じに殺そうと考えている。人間だけど里の人じゃないし、死体は喋らない。嘘の潔白を証明するためには、そうするしかないのだ。
「兎さんは殺さなきゃだめよね。スーさんに酷いことしたもん」
毒を調べるためだろう。勝手に引っこ抜かれたことを、きみはまだ根に持っていた。思い出した怒気と焦燥から、きみの足は速くなっていく。
急がなきゃとこぼすきみだけど、迷いの竹林と呼ばれる場所にいることを忘れている。同じ場所をぐるぐる回っているのだと気付いたのは、力任せに折られたような竹が、なんども目に入ったからだ。
きみはまた、きた道を振り向いた。ずっと足下の道を歩いてきたはずなのに、いつからかまったく進めていない。どれだけ顔を振ってみても入り口は見当たらなかった。
顎を上げたきみは、小さな体を上昇させる。竹葉の隙間からは黄昏の色が覗けるのに、上れど上れど抜け出せない。
「どうなってるのよ」
語調を荒らすきみは、一度止まって下を見た。小さい山ほどは上ったはずなのに、地面の窪みがわかってしまうくらいにしか上れていなかったたけでなく、真下にあるはずの道まで消えていた。
ゆっくりと地上に降りたきみは、途方に暮れてしまう。迷ってしまったのだと理解するには遅すぎた。きみは目尻から雫を流した。
「帰りたい、帰りたいよスーさん……」
それが叶っても、きみが戻る場所はあるだろうか。今やお尋ね者の一人でもあるきみは、証拠を消さない限り、確実に退治されてしまうだろう。しゃくりを上げるばかりでいたきみのところに、藪を踏む足音が近付いてきた。
どうしたのと訊ねられて、涙ぐみながら見上げてみたきみは驚いた。
殺害を目論んでいた人物の一人が、そこに立っていたからだ。「迷子?」と言ってから、月の兎はあら、と首を傾げて屈み込む。
「あなた、鈴蘭畑にいた子じゃない」
どうしたのと繰り返されてから、きみは、犯人だとばれていないんだわと理解した。ぶら下げていた右手に力を込める。ここで、殺すつもりだ。
「迷ったのよね。じゃあ、出口まで連れてってあげる」
手のひらに集めた毒を引っ込める。消さなくてはいけない人物はまだいるし、ここで殺したら迷ったままかもしれない。
ほらと言って手を引かれるきみは、拒むように踏ん張った。
「私、永遠亭に用があるの」
「うちに?」
そうだったのと継いでから、「じゃあ案内するわね」と続けた月の兎は、鈴仙という名前を教えてくれた。繋ぎっぱなしの手を解いたきみは、一人で歩けるわと強めに言った。
気にする様子もない鈴仙は、はぐれないようにねと言い、先を歩いた。膝まで届きそうな長い髪を道しるべに、あとに続くきみは、恨めしい目つきを鈴仙に向けていた。
道なき道を歩き続けて、高く伸びる竹が分かれる先に、建物が見えた。整えられた竹垣に囲われている永遠亭は、きみが思っているよりも小さかった。竹藪を抜けて見上げてみると、広がりつつある群青が混じって、空は菫色になっていた。
立ち止まっていると、鈴仙が待っていることに気がついて、きみは急ぎ足で近付き、招かれるまま永遠亭に上がった。鈴仙の後ろをついて歩くきみは、いつ殺そうかしら、と考えている。
ここに住んでいるのは鈴仙と、月の名医だけだろうか。ほかにもいるのだろうか。いるならば、きみは皆殺しにしなきゃと考える。その思考は保身のためと言うより、使命感にも似た感情だった。
襖が並ぶ廊下の先に、建具のない部屋から薄明かりが漏れていて、鈴仙は指を差して顔だけを振り向けてくる。用があるってことは薬のことよねと振られ、殺すためだとも言えないきみは、適当にそうよと合わせた。部屋に吸い込まれたあとを追って、きみも入る。
「師匠、患者がきました」
鈴仙の陰から顔を出すきみは、机に前のめる、師匠と呼ばれた人の背中を見つめた。灰色に近い結われた髪は腰元まで届いて、赤と深い青色に分かれた服を着た女性は、フラスコと呼ばれる硝子瓶を凝視している。
鈴仙が背凭れのない椅子を用意して、促されるままに腰かけたきみは師匠の反応を待った。赤紫に変色したフラスコの中身を揺らす仕草しかなくて、暇を持て余すきみは、床に着かない足をぶらぶらと遊ばせながら、部屋を観察した。
患者を寝かせるための寝台と机しかない部屋は、とてもつまらないものに思えるだろう。泳がせていた視線を机に戻したきみは、奥に置かれていた瓶の鈴蘭に気がついて、一度しまっておいた感情を顔に出していた。
むっとする姿に気付いた鈴仙はもう少しだから待っててねと話しかけてくるが、的外れな気遣いに顎を上げて睨めつけるきみは、「スーさんを勝手に引っこ抜かないでよね」と唇を尖らせた。
一拍遅れて理解した様子の鈴仙は、誤魔化すように、どの薬が欲しいのと聞いてくる。必要ないと返せないきみは言葉に詰まって、怒ったままを装い、睨めっこを続ける。横から椅子の軋む音がして、振り向いたきみのことを、紺色の瞳が捉えていた。
「初めましてかしら」
八意永琳よと挨拶されたきみも釣られてメディスンです、とつい軽く会釈までしてしまう。好きに呼んでくれていいわよと言った永琳は、外していた帽子を被った。赤い十字模様がいいなときみは思う。上下で配色が逆の服は、見ていてヘンテコだなとも感想を抱くきみに、ごめんなさいねと微笑まれた。
瓶の鈴蘭に目が流れていって、「毒の特定に必要だったの」と聞かされるきみは、緊張の解けていた唇を硬くさせてしまう。「それで?」と続けてくる永琳は、見たところ元気そうだけどと言って、額に手を当ててくる。
「やっぱり熱でもないようだし、精神的な物を所望かしら。妖怪よね?」
薬の説明がはじまりだして、きみは焦りを感じた。どうしよう、このまま殺してしまおうか。処方してもらうことなど考えていなかったきみは、行動を起こすべきかどうかと、思考を繰り返すばかりだ。
そう言えばと口にした永琳が、鈴蘭のことを訊ねてくる。
「鈴蘭畑に住んでいるって聞いたけど、あなた、毒を操れたりはしない?」
一気に顔を強張らせて、きみはぶら下げていた足を床に着ける。お尻に押された椅子の足が擦れて鳴った。きみは入り口の方へと後ずさる。
目を合わせないようにうつむけたきみは、後ろに隠した両手のなかで毒の霧を作った。殺すしかないと覚悟を決めて、思い切り両手を振り被る。部屋に赤黒い霧が立ち込めて、噎せ返る二人だが、近くにいた鈴仙の手がきみへと伸びてきた。
慌てて一歩下がるきみは、毒を撒き散らかしながら逃げ出した。飛びきり強い毒を精製したはずだけど、あの二人が死ぬ姿をきみは想像できなかった。月に住んでいた鈴仙や永琳には効かないかもしれない。ぞっとして、きみは駆けている板敷きを強く蹴った。
引き戸に弾幕をぶつけて、開いた穴から飛び出したきみは、再び竹林のなかを全力で走った。恐怖から顔を振り向けた先には、底なしの闇と、それに飲まれる竹藪しか映らなかった。
きみを追ってくる足音が、暗闇から聞こえた気がした。向けていた顔を戻して、もっと早くと足を振り上げる。けどきみは走るのが下手だった。
途中でもつれさせた足を挫かせたきみは、冷たい土の上に倒れてしまう。取り囲んでいる竹の群れが、押し潰すように迫ってくる錯覚を覚えたきみは、短く悲鳴を上げたあとに、また走り出した。
錯覚から生まれる恐怖に空の道を塞がれたきみは、目を瞑り、耳を塞いで駆け続ける。
道を逸れて竹藪に飛び込んだから、肩や頭をなんども竹にぶつけてしまう。それでも、きみは止まらない。赤い瞳を不気味に光らせて追ってくる鈴仙の幻影が、瞼の裏に浮かんでくる。
石に躓いて転んでしまったきみは、作り出した妄想に負けてしまい、立てなくなった。竦ませている肩を震わせるきみの瞳から涙がこぼれ落ちた。
上げたしゃくりが夜に吸い込まれて、それを聞き取った闇の彼方に明かりが灯る。うつむいていたきみが火明かりに気付くのは、夜の染み込んだ土が黄色く照らされてからだった。
驚いて持ち上げたきみの顔は、まるで猟銃を前に追いつめられた動物のようだ。きみは死を意識したけど、憂わしげな視線を向けてくる人物は、鈴仙じゃなかった。
白いシャツに赤いもんぺを穿いた少女が、右手に炎を揺らしながら見下ろしている。長い白髪に、白地に赤線の入った大きなめリボンが、目に留まった。鈴仙よりも濃い赤色が、きみを捉えている。
「どうしたの?」
この言葉をかけられるのは今日でなんどめだろう。迷子なのと聞かれても頷けないでいるきみに、少女は頭を掻いたけど、困っている様子でもなかった。
白い手が伸びてきて、幼いきみの手を掴んだ。引かれるまま立ち上がったきみの胸には、不思議と、恐怖心はなかった。暗闇を照らす炎に当てられた所為だろうか。
「私、妹紅って言うの」
よろしくねと笑い、きみの手を引いて歩き出す妹紅は、用心棒をやっていると話してくれた。迷子なら送るわよと言われたきみは、繋いでいる手に余っている左手を被せて、ぎゅっと握る。
参ったわねと漏らした次に、「あなた、妖精でしょ?」と聞かれて、きみは一拍置いてから頷いた。
「隣の子はお友達かしら」
前を向いていた顔が少しだけ動いて、きみはまた頷くのだけれど、後ろを歩いている小さな動作が、尻目にちゃんと映っていたのかはわからない。納得してくれたのか、妹紅の顔は正面に戻った。
揺れる白髪の隙間から、もんぺを吊っている赤い紐が見え隠れする。きみが妖怪だと知れば妹紅はどう思うだろうか。想像して、きみは唇を結ぶ。
もんぺに張られているお札が反応したら、嘘がばれ、きみは退治されてしまう。だから触れてはいけないと距離を保っていたきみは、立ち止まる妹紅に続いて、歩くのをやめた。炎に照らされるこの小さな小屋が、妹紅の家なのだろう。
開けられた引き戸の先に明かりはなかった。入っていく妹紅に釣られて、きみも服の泥を払ってから続く。靴を脱いで上がった床の冷たさが、靴下越しに伝わった。囲炉裏に火がつけられて、壁の下側が仄明るくなり、狭い部屋の輪郭がぼんやりと浮かんでくる。
生活感が余りないように思うのは、独り身だからか性格だからなのか、きみには見当もつかない。壷を漁る妹紅は、取り出したびわを渡してくる。
「ちょっと〝わけあり〟な体だから、今はそれしかないの」
今日買ってきた物で新鮮らしい。妹紅はござに腰を下ろして、皮を剥きはじめる。きみも、ちょこんとお尻を着けた。妹紅はびわの甘さに息を漏らして、きみも皮を剥いて食べてみる。
食べる必要のないきみが知っている味と言えば、仄かな甘みしかない樹液くらいだった。強い甘さに目をしばたいたあと、きみは、びわの虜になっていた。
三つしかなかった自分の分をあっと言う間に平らげてから、傍で肩を揺らしてる妹紅に気がついて、きみは目を伏せてしまう。囲炉裏の灯りが、変わることのない肌を朱色に染めて、きみを乙女にしてくれる。
立ち上がる妹紅は畳んであった布団を敷いたあと、壁に凭れて、使っていいよと微笑んだ。
「私のことは気にしなくていいよ、ほとんどこれだから」
立てた片膝に腕を乗せて、妹紅は目を瞑る。寝入ったのか、気にしていないのか、次の言葉はかけられなかった。立ち上がったきみは、言われたままに布団へと歩き、体を滑り込ませた。
普段から集めた草や藁の上で眠っているきみには、布団の柔らかさはとても優しく思えた。寝かせている顔を捻り、左側の壁を見る。格子窓から覗けるのは、相変わらずと深い闇ばかりだった。
収まっていた恐怖心を煽られるきみは、頭まで布団を被る。朝になったら、逃げだそう。そう考えるきみだけど、一体この先、どこへ逃げればいいのだろうか。
証拠を消すために殺そうとした二人はまだ生きている。永遠亭にある鈴蘭からそれがわかる。毒を浴びせたことと、男を殺した罪に問われて、きみを捕まえにやってくる。
幻想郷という檻にいる限り、きみが逃れることは不可能だ。きっと捕まり殺される。
自身の結末をなんども想像してしまうきみは、震えながら夜を明かした。
3
息苦しさから布団を押し退けていたきみは、差し込んできた薄明かりが瞼にしみて、腕を被せた。起き上がり目を擦ったきみは、妹紅がいないことに気がついた。
どこに消えたのだろう。まさか罠だったのだろうかと浮かんだ視界に書き置きがあって、手に取ったきみは、ほっと息をつく。きみのために、軽い物でも用意しようと、早くから出かけたみたいだ。
その心遣いは、きみにとって好都合だった。今の内に逃げよう。頭につけたリボンを結び直すきみは、火の消えた囲炉裏の縁に、置かれたままの種に気がついて、手に取った。スカートの衣嚢に忍ばせたきみは、鈴蘭畑の近くに植えようと思い、唇の端を持ち上げる。
さあ急がなきゃと靴を履き、引き戸の前に立った時だ。触れてもいないのに、戸が横にずれて、後ずさるきみは上がりかまちに腰を抜かした。
帰ってきた妹紅の後ろには永琳と、赤で身を包んだ巫女がいたのだ。
「メディスン、話があるみたいだから、聞いてあげて」
明かしていないのに、妹紅がきみの名を知っている。朝食を取りになんて書き置きは嘘で、永遠亭で話し合いをしていたのだと、きみは確信した。全ての行いがばれたのだと。
「やだ、違う、違うもん……」
同じ言葉を繰り返すきみに、前に出てきた永琳が、毒を操れるのよねと、静かに聞いてきた。屈み込み手を掴んでくる永琳の眼差しが、きみの瞳に突き刺さる。
もう逃げられないのだと悟ったきみは、顔をくしゃくしゃにして、泣き出してしまった。
困ったように永琳は振り返る。顔を見合わせる妹紅と巫女は、肩を竦ませていた。咽びながら、いやだ、退治されたくないと言うきみの頭を、永琳が撫でてくる。まだ止まらない涙で潤ます瞳を持ち上げたきみに、穏やかな表情で「大丈夫だから、ね?」と永琳は言った。
きみは「ごめんなさい、ごめんなさい」と、しばらく泣き続けた。
泣きやむまで優しくされたきみは落ち着きを取り戻して、永琳のことも警戒しなくなったけど、巫女に対しては打ち解けれないでいる。
上がりましょうよと言う妹紅の提案から、きみを除く全員が、囲炉裏を囲んだ。格子窓を背に、遅れてきみも席に着く。足を崩しているのは妹紅だけで、巫女と永琳は正座をしていた。気にしなくてもいいのに、釣られて慣れない正座をしてしまうきみは、床の堅さを嫌って、落ち着きなく体を揺り動かした。
「もういいかしら。聞きたいことがあるのよメディスン」
きみは正座していた足を横に開き、ぺたんとお尻を着けて、永琳の言葉に頷いた。
「鈴蘭以外の毒は、操れる?」
「うん」
「率直に聞くけど、見知らない男の人に、毒を浴びせたことはあるかしら」
きみの口元が硬くなり、それを見て、やっぱりと声が漏らされる。うつむいてしまったきみに大丈夫よと、右側から妹紅がかけてくる。
顔を上げたきみだけど、正面にいる巫女が睨んでいて、また泣き出しそうな顔をしてしまう。
「ちょっと霊夢、怖がってるじゃない」
目を妹紅に流した霊夢は、別に怒ってないわよと息をついて、瞼を閉じた。横から咳払いがして、永琳に気がいったのは、きみと妹紅だけだった。
「メディスン、あなたが犯人じゃないと証明するために必要なの。男に浴びせた毒は、鈴蘭の物だけで合っているわね?」
躊躇いつつも、きみは頷く。
「それはいつかしら」
きみは数週間前にしたことを、つぶさに説明した。怒られるかもと思っていたけど、霊夢が呆れるような面をみせただけで、誰も口を挟まなかった。
話し終えたきみは顔を振ったけど、動きがあったのは永琳だけだ。抱えていた左手を顎に添えて、難しい顔をしていると、やっぱり変だわと呟く。きみは、「嘘じゃないもん」とか弱い声を出した。
「違うのよメディスン。あなたが毒を浴びせた日と男の死亡した時間が合わないのよ。普通なら、とっくに死んでいるはずなのに」
「どういうことかしら」
黙っていた霊夢が訊ねて、永琳は、男が死んだのは一昨日だと告げたのだ。妹紅や霊夢が疑問を浮かべたように、眉を寄せる。一方のきみは、その事実に驚いていた。頭の弱いきみにでもわかる、そんなはずないと。
「確かに矛盾しているわね。昨日聞いた時には、そんな話はなかったじゃない」
「その時はまだ毒の種類が特定できてなかったわ。日暮れ前にきた時ちゃんと話したでしょう?」
「死んだ時間はどうやって知ったの?」
「優曇華から聞いた死体の状態を参考に出した答えよ。多分、発見される直前くらいに亡くなったはずだわ」
きみは会話についていけず、妹紅に顔を向けたけど、彼女も腕を組み思考している様子だった。堪らず、きみは「腐ってなかったの?」と口にした。
「そうよね、そのはずよ」
毒を浴びて一ヶ月近くも生きてるはずがない、異常だわ。きみの発言を追うように妹紅が言った。本当に数週間前のことかと確かめられるも、きみは嘘じゃないと返す。うつむいて考えだすきみは、今まで男の死体は腐っているものだと思っていて、当然、騒いでいた里の人やここにいる人達も腐乱死体を作った犯人である、きみを探しているものだとばかり思っていたのだ。
きみはきみで、ほかはほかで、男の死に思い違いをしていたのだとようやく理解してから、右隣で変よね言う妹紅以上に、きみは変だと思った。
「これは誰か、裏で糸を引いているかもしれないわね」
どういうこと、と霊夢が振る。
「毒を浴びて数週間生きていたことも不思議だけど、顔の特定ができないくらい腫れ上がるなんて、やっぱり鈴蘭の毒では考えられないの」
まるで拒絶反応だわと継ぐ永琳に、きみを含めた三人も同様の意見だった。きみが話した内容にも、肌が爛れるくらいしか変化は見られなかったのだ。死因を作ったのは確かにきみで、これは紛れもない事実だろう。
でも犯人は別にいる。正確には可能性だけれど、きみが陥れられたという希望は高くなった。犯人さえわかれば、退治されずに済むかもしれない。
そこまで考えてから、きみの気持ちを代弁するかのように、「だとしたら誰が」と妹紅はこぼした。
見当がつかないのはきみだけじゃないようで、勘がいいと聞く霊夢ですら黙り込んでいる。重たい空気を打ち破ったのは、戸を叩いた人物だった。動いた戸の向こうにいたのは、魔理沙だった。
邪魔するぜと玄関まで入り、「鈴仙にここだって聞いたから」と話す魔理沙は、得意げな顔で犯人がわかったと継いだ。その場にいた誰もが驚き、思いがけない朗報にきみは「本当!?」と声色を明るくした。
「ああ、本当だ」
案内するぜと踵を返す魔理沙に、「ちょっとは説明しなさいよ」と投げる霊夢は立ち上がって、あとを追った。永琳と妹紅は犯人に関心がないのか、腰を持ち上げる気配はなかった。きみと同じように、外で待つ魔理沙と、腰かけて靴を履いている霊夢を眺めるばかりだ。
立ち上がった霊夢が振り向いて、凜とした瞳を、きみに向けてくる。
「あんたの問題でもあるんだから、さっさときなさいよ」
きみは立ち上がり、急いで靴を履いたあと、先に飛び上がった二人を追いかけて、空へ上昇した。
*
頬を切っていく風が耳元に絡み、うるさいと感じたきみだけれど、空を自由に飛べる喜びの方が勝っていた。迷いの竹林に入ってからずっと、まともに飛べやしなかったのだから、当然だ。
これで魔女と巫女に挟まれていなければ、もっと気楽に空を遊泳できただろうけど、きみはもう気にしていない。真犯人さえ捕まえれば、人殺しをした罪に問われることもないのだから。
見えてきた森を前に、きみの頭には、一つの疑問が浮かんだ。昨日はあれだけ迷った挙げ句に飛んでも出ることの叶わなかった竹林が、なぜ今日に限って、いとも容易くと抜けられたのだろう。
きみがごちた疑問を、「ああ、そりゃ鈴仙の仕業だな」と魔理沙が拾った。首を傾げていると、「あいつは波長を操るんだよ」と続けて説明されるきみは、今一つ理解できないでいる。
「要するに錯覚を見せられるってことだな」
ああと頷いてからまた一つ、違う疑問が浮かんで、きみを悩ませる。
「毒で攻撃したあとならわかるけど、なんでいきしなの道で迷わされるの?」
「嘘つき兎でも追っかけてたんでしょ」
今度は左にいた霊夢が答えてくれる。その兎を知らないきみは、そうなんだと気の抜けた声を返して、また一つの疑問が浮かんだ。
「あれ、でも霊夢は?」
昨日の夕暮れ前に、きみと入れ違いで永遠亭に訪れていた霊夢は、どうやって辿り着き、抜け出したのだろうか。訊ねてから、妹紅もそうだと、きみは思う。
竹林にいたらかかる錯覚ならば、なぜ妹紅が迷うこともなく、自分の家に辿り着けたのだろうかと、きみには不思議でしょうがない。
「竹林から抜け出せないための錯覚でしょ? なら範囲内を動く分には問題ないはずよ」
永遠亭に着けなかったのは、きみが悪いと言っているようなものだ。けれどきみは怒らないで、なるほどと納得させられていた。
魔理沙がやり取りに笑っていたけど、なにが可笑しくて笑っていたのかは見当もつかないし、肩を揺らしていた時間も短かったから、きみが気付くことはなかった。
話す内に森の深いところまできていた。そろそろ降りるぜと魔理沙が先をゆき、続く霊夢のあとをきみが追う。昨日歩いたところよりもずっと奥地にある森のなかを進み、西洋風の家が見えてくる。四角い窓の奥は緑色のカーテンに遮られて覗けない。
青い瓦屋根の下にできた影を踏み、真犯人が潜む家の前に、きみは立つ。魔理沙が洋風の戸を甲で叩くと、奥から澄んだ声が返ってくる。「どうぞ」という言葉を合図に、把手を掴んだ魔理沙が、ゆっくりと腕を引いた。
真犯人はどんな人だろう、なぜきみを陥れるような真似をしたのか、きみは知りたくて仕方がない。仄暗い部屋に足を踏み入れたきみ達は、声の持ち主に視線を当てた。近付こうとしたきみを制するように、「待って」と真犯人が発した。
「今、カーテン開けるから」
靴底を鳴らし窓際へ歩いていく犯人は、片側ずつ開いたカーテンを、壁につけられている紐で結んでいった。折り重なる枝葉に遮られて日差しが届きにくいところだけれど、部屋を明るくしてくれるには十分な光だった。
「それで、顔を揃えてなんのようかしら」
「そう構えるなよアリス」
きみや魔理沙と同じ金髪だけど、少し癖っ毛気味のきみ達に比べたら、美しさの差は歴然だろう。「よく手入れされているのが一目でわかるな」と漏らす魔理沙に、感情の薄い声で「ありがとう」と、アリスは返した。
「お世辞を言うためにきたわけじゃないけど、綺麗よね」
「私は霊夢のような黒髪の方が魅力的だと思うわよ」
息をついたアリスは、お世辞を言うためにきたわけじゃないのよねと、確かめるような声色を使ってくる。きみを指差した魔理沙が「こいつのことでな」と言って、アリスの青い瞳が、きみを見つめた。
ふぅんと漏らして近付いてくるアリスに、「毒持ちだから、迂闊に触らない方が身のためだぜ」と、知人が増えない悩みをつつかれて、きみは不機嫌になった。
アリスは口に手を当て、陰から白い歯を覗かせていた。唇を尖らせていたきみは、そのまま頬をむっとさせるけど、気にする様子もないアリスは、壁際にあった小さな椅子を机の前に移した。
「あなたはこっちね。魔理沙達はソファの方に座って」
むくれたまま、きみは肘かけのついた椅子に座り、アリスは右隣の一人用のソファに腰かけた。霊夢達はきみの左側で、朝と同じように、きみは窓を背にしている。
部屋を見渡せる位置で、奥に台所と、隣の部屋に続くのだろう建具が、隅に二つついていた。きみは膨らませていた頬を萎ませる。
きみが他人の家に入った経験は、一昨日までは薬屋くらいのものだったけど、昨日から永遠亭をはじめに、ここを含めて三軒の家にお邪魔させてもらっている。きみは好奇心が旺盛だから、綺麗なアリスの家を観察してて飽きるはずもない。
そうして、きみが辺りに目を振っている時だ。台所や椅子に固まっていた人形達が、一斉に動きだしたのだ。きみは驚いて声を上げた。
台所に集まる人形達が、お茶の用意をしていたから。ティーポットの蓋を開け、湯気の立つケトルからお湯を注いでいた。人数分のティーカップと茶葉の用意をしている子もいて、きみは終始呆気に取られてしまい、その光景を眺めている。
「すぐできるから」
「ねえ、どうして人形達が動いたの?」
まるで自分のようだと話したきみに、アリスが「あなた、人形だったの?」と返してくる。きみは頷いた。へぇ、と語調を弾ませるアリスの目は、きみに関心を抱いているようだった。
そうねと言ったアリスは、自己紹介がまだだったわねと続ける。
「私はアリス・マーガトロイド、魔法使いよ」
連れてきた二人はきみのことを紹介しなかったから、きみも同じようにして名を告げた。人形達は、魔法で操っているらしい。隣から咳払いが聞こえ、きみとアリスの視線がそちらへ向く。
そろそろ話に移っていいかしらと言う霊夢に、アリスはせっかちね、お茶が出るまで待てばいいのにと言ったけど、じゃあ聞かせてもらうわと足を組んだ。
「人里で起きた殺人事件、あなたが絡んでるって魔理沙から聞いたわ。詳しく説明してくれないかしら」
「なんのこと? それに私が関わってるって、どういうことなのかしら」
訝しむアリスの目が、魔理沙の方についっと動く。きみも釣られて、視線が流れた。
「埋葬される前にちょいと調べてみたら、死体に呪術の痕跡があったんだ、それも高度な。だから紅魔館を訪ねてパチュリーに聞いたんだよ」
「先に嫌疑がかかったのはそっちで、白だったから私ってことかしら?」
「だな。あいつは出歩かない奴だから、犯人だなんて私は思っていなかったが。それで呪術の形式を調べてもらったら、かなり危なっかしいものらしいじゃないか」
魔法使いで、これほどのことができる奴は限られている。そう話す魔理沙に、アリスは、「証拠はあるのよね」と静かに言い放つ。その証拠がなければ、きみの罪もなくならない。きみは、魔理沙を見つめ続ける。
「簡単だぜ? 今回の事件は、思い違いが広がったにすぎないからな」
聞かせてくれるかしらと霊夢が言って、きみも、心のなかで同じことを思う。
「ちょっとした疑問が浮かんでな、里で聞き回ったんだ。そうしたら、お前が着物の生地を買っていたと耳にして、辻褄が合うと思ったんだよ」
「ならさっさと教えなさいよ。勿体ぶるんだから」
そう急くなよと霊夢を宥めて、魔理沙は、「お前、人をさらっただろ?」と言ってから、外来人のなと付け足した。
アリスが「ああ」と漏らす。
「そういうことだったの。なら、魔理沙の思ってる通りよ」
「わかるように説明して」
声を尖らせる霊夢は、腕を組み不機嫌になっていた。きみに至っては話についていけるわけもなく、頭のなかで一人混乱状態だ。台所から聞こえてくる音すらも聞こえていない。
「一ヶ月も前のことよ。森に外来人がいたから、自律人形の実験に使ったの」
「服を着替えさせた意味はあるのか?」
「あら鈍いのね、外来人よ? そのままの格好で歩かせたら、闇妖怪とかに食べられちゃうじゃない」
ああと言って、魔理沙は結っている髪をいじくり、台所へ視線を向ける。ティーカップのお湯を捨ていて、お茶の準備が整いつつあった。
きみは、段々と話が飲み込めてくる。きみが殺してしまった男を、アリスが操っていたのならば、なぜ彼女は里に放棄したのだろうか。操れるのなら、家に持ち帰ればいいはずだ。
きみがそのことを口にすると、アリスは初耳だと言ったのだ。詳細を訊ねられて、きみがしたことや、ここに至るまでのことすべてを打ち明けた。
なるほどねと頷いたアリスは、面白いこともあるものねと微笑みをみせる。人形達がやってきて、並べていくティーカップに、ポットから紅茶を注いで回った。お茶受けのクッキーも出したところで、アリスは、きみ達にどうぞと声をかけてくる。
ティーカップを持ったアリスは、紅茶を一口飲み、息をついた。
「どこから説明するか迷うわね……まず男を操っていたのは私じゃないわ」
「どういうことだ?」
魔理沙の手がクッキーに伸びる。きみも、追うように手を伸ばした。
「男の自我を残していたってことよ。里に向かったのは多分、本能的なものじゃないかしら」
初めて食べてみたお菓子に、きみの頬は落ちそうなくらいに緩んでいた。そもそもどういう魔法をかけていたのよと霊夢が聞いて、是非聞かせてもらいたいぜと魔理沙も続く。きみは、話を聞いてない。
「厳密に言うと魔法じゃなくて、呪術の一つで大雑把に言うけど、魂を引っ剥がしたってことよ」
「うん? それだとあの男は元々死んでたってことにならないか?」
魔理沙の言葉通りなら、男の自我なんてありはしない。ティーカップを受け皿に戻すアリスは、ちゃんと説明するわよと言って、寄ってきた人形を膝の上に置いた。
「初めはね、人形に入れようと思ってんだけど、上手くいかなくって。だから、新しい入れ物を用意したってわけ」
日常生活の話でもするかのような軽い口振りに、「さらりと怖いこと言うわね」と、霊夢は少しだけしかめいていた。きみも、紅茶のこくと渋味にしかめている。
「ふむ、話が見えてきたぜ。男が毒を浴びてすぐに死ななかったのは、人間の体じゃなかったからか」
「ええ、そういうこと。脳以外はバラバラ、と言うよりは挽き肉かしら。人形の体じゃ動かなかったけど、体の一部を残してあげたら、ある程度の自我を保ったまま動いたの」
「うへ、お茶の席には合わない話だぜ」
食欲がなくなりそうだと漏らす魔理沙に、じゃあもらっていいよねと、きみはクッキーに手を伸ばしたが、断りもなく人のもん取るなとはたかれてしまう。
アリスは半分人形になった男が動いたことで満足したらしく、あとの行動についてはまったく関わっていないとも話した。クッキーの甘さに夢中だったきみは、途中から耳を傾けていなかったけれど、男が外来人だということだけは理解していた。だからそう、きみの罪は晴れている。
殺した男は、里の人間じゃないのだから。
「まったく、迷惑な話だわ」
アリスに向いていた目が、きみに移る。視線に気付いて振り向いてみるけど、霊夢はすぐに瞼を閉じてしまい、紅茶を飲み干してから立ち上がった。
「これにて事件解決ね」
「解決したのは私だけどな。ああ、あと最後に聞きたい。男の顔面や皮膚が腫れてたのも、魔法の影響か?」
「毒じゃないっていうなら、そうね、拒絶反応かなにかじゃないかしら」
お茶は残し、クッキーだけを平らげたきみも、ここに用はない。出ていく霊夢達のあとに続こうとしたけれど、きみは腕を掴まれて止められてしまう。
振り向くとアリスが屈み込み、「あなた、人形なのよね」と顔を覗き込んでくる。見つめてくるアリスはとても柔らかく笑っていたが、きみは、どこか不気味さを覚えていた。
白くて綺麗なアリスの手が、きみの頭にぽんと乗せられる。
「クッキーが好きなら、いつでもおいで」
〝待ってるから〟と目を細めさせたアリスに、きみの抱いていた不気味さは、恐怖に変わった。それはとても小さなものだけれど、きみはもう、ここに訪れてはいけないのだと悟る。
きみの背中を見送る瞳は、もう笑ってはいなかった。振り向かなかったのは、多分正解だ。
家を飛び出したきみの目に木漏れ日が届く。さあ、きみはもう自由だ。退治されることに震えることはなくなった。
「スーさん、やっとお家に帰れるね」
鈴蘭畑に戻ったら、近くにびわの種を埋めようと話しかけてくるきみは、無邪気に笑いながら空を飛ぶ。
4
降り注ぐ日差しはとても暑いものだったけど、人形のきみは平気でいる。一ヶ月前の事件で味わった恐怖のことなどすっかり忘れているきみは、相変わらずと元気にはしゃいでいる。
鈴蘭畑を出て少し歩いたところの草原に、きみはびわの種を植えた。気がついたらそこに足を向けるきみは、まだ芽も出ていない種に話しかけるのが、ここ最近の日課になっている。きみは拾ってきたじょうろに水を汲み、話しかけながら水を注いだ。
早く大きくならないかなと膝の上で頬杖を突くきみは、遠くに見えた人影に気付いた。きみはその人を見つめて、笑みをこぼした。
きみの姿を見つけて喜ぶ様と、遠目からでもわかる服装は、外来人のものだ。きみは、そこへと駆けていく。
「こんにちわ。あなたはだぁれ?」
お互いに自己紹介をしてから、きみはその人の手を掴み、びわのところまで引き連れていく。きみは服のなかにしまっていた日記帳を取り出した。
「これね、森のヘンテコ屋さんからもらったの。それでね、少し前のことをね、代わりに書いてもらったの」
嬉々として日記帳を渡すきみは、読んで読んでと笑いかける。
外来人の目が、文字の羅列を追っている。顔を持ち上げて、きみは、びわのこと話しはじめた。
「あのね、あのね、お外の本に書いていたんだけど、お花の肥料ってなにが一番か知ってる?」
それはね、と継いで、人間なんだよと言った。だから、きみをここに連れてきたのは、肥料にするためなの。
そう、きみは肥料にする。続けるきみは、いつものように、元気に唱えた。
コンパロ、コンパロ、毒よ集まれー。
メディスンはかなり慌ててるのに、二人称でワンクッション置かれてるせいかのんびりした空気で読めてほのぼのと楽しめたよ。
外来人の場合、霊夢は退治しなくともよいんだっけ?
展開が上手くて一息で読みました
面白かったです
メディが可愛かったです。
人間にとって牛や鶏いないと生活大変なのと同様、妖怪にとっても人間は重要なんだろうけど、
外来人は保健所に通報される野良犬程度の扱いなんだろうなぁ。
しかし、強い妖怪よりも精神的に未熟な妖怪の方が逆に怖いね。
「メディ、お兄さんに鈴蘭畑の肥料になってもらいたいな♥」
私もメディにそんな甘美な毒を吐かれたい。