心を読むことができたってどうということはない、せいぜい暗がりの中に逃げ込むのが上手くなるだけだ。ここはいつでも暖かくて、嫌われ者の住む場所にしては住み心地が良い。誰もが好きに生きていて、勝手なことばかり考えている。
もちろん私だってそうだ。サトリが心を読むのは止められない。もうずいぶん地上に出ていないけれど、ここ以外の場所で生きていくことなんて考えられない。その必要も無いと思っている、ここで得られるだけの幸せが私の全てなのだから。そう考えればこの孤独も悪くないものだ。
広い広い地霊殿にある、自分の部屋で本を読んでいた。ペット達に囲まれて、私は一人だった。
「さとり様、ノミ取ってくれません?」
ノックの音と同時に入ってきたお燐はわざとらしく体をよじらせて言った。
「ノミくらい自分で取りなさいよ」
「いやあ地底ノミは手強くて」
「じゃあしょうがないわね」
読みかけの本を閉じてソファへと手招きする。お燐がこんな風にするのは私に伝えることがあるからだ。彼女の体にノミなんかいやしない、心の中に何かがいるようだ。
「そういえばお空はあれからどうしているの? 相変わらず燃えてる?」
「いいえ、さとり様に怒られてからは冷めちゃってますよ」
「そう、あんな暑い所で冷えてるなんて風邪ひかなければいいけど」
「まあ仕事は今までどおり元気にやってますよ」
「そう、それはよかった」
膝枕が気持ちいいのか、お燐は目を閉じたまま話している。頭を撫でてやりながら、ゆっくりと心を覗いていく。
お燐が伝えたいことは、お空では無くてこいしのことだった。
「そう、あの子地上に出てたのね」
「はい、それで……」
この前やってきたあの巫女に負けて戻って来た、そのことをお燐に楽しそうに話したらしい。
「うちに招待したいなんて言ってましたよ」
「この前押し入って来たばかりなのにねえ」
つまり興味を持ったというわけだ。今までもふらっといなくなって気づけば帰ってきたりしていたけれど、そんなおみやげ話を持ち帰ってくるのは珍しい。いつも手ぶらでいる子なのに。
でもそういう意味ではあの巫女も近いものがあるかもしれない。それがあの子を変えるきっかけになったりするのだろうか。
「お燐、こいしを呼んできてくれる? お茶を入れておくから」
「わかりました、それじゃ行ってきます」
お燐は待っていたように起き上がって返事をする。少しの間私とお燐は見つめ合っていた。
「そうね、私もそう思う。きっと良いことよ」
お燐は嬉しそうに部屋から出ていった。
お湯を沸かさなければいけないのに、また読みかけの本に手を伸ばしてしまいそうになる。お燐がこいしを連れて来るのにそんなに時間はかからないだろう。自分で呼んだのだからとやっとの思いで立ち上がる。良い機会なのだ、あの子が少しでも変わってくれたらいいけれど。
準備を済ませてもまだ来ないので仕方なく読書に戻る。ページをめくるたびに、ポットに移したお湯が冷めていくのにまだ二人は姿を見せない。あるいはもうこいしがいるのかもしれないと辺りを見回すけれど、いつの間にかペット達まで居なくなっていた。
お湯が冷めていく、部屋に自分の手と紙が擦れる音だけが生まれて消える、私の心は常温だ。あの子の心は冷え切っているのだろうか、それとも全てを溶かして失くしてしまう炎が渦巻いているのか。本の内容が頭に入らなくなってくる、私はあの子のことが心配だ。
けれど心配するだけで、できることは無いかもしれない。せいぜいこの地霊殿に帰る場所を保っておくことくらいしかできない、それは私にとって精一杯の幸せの確保だった。でもあの子は私の傍にいない。
本に栞を挟んでそっと膝の上に置いた。なぜか少しでも音を出すのを躊躇ってしまう。他人の心もこんな風に静かだったら、私は嫌われることが無かったのだろうか。そんなことを考えていると、申し訳なさそうにドアの開く音がした。
「さとり様、こいし様またどこかに出かけてしまったみたいです」
お燐はいかにも残念そうな顔をしているけれど、私はほっとした。それが何故なのかわからないのが不気味だ。
「アタイが探しに行きましょうか? また地上に行ったんですよきっと」
「お燐、あなたは幸せ?」
心を読まなくても分かるくらいに彼女は戸惑っている。それはそうだろう、私自身が何故こんな質問をするのか不思議なのだ。私はお燐に見えるように第三の目を手で覆った。
「もちろんですよ。ここはのんびりできて、さとり様と一緒にいれますから」
彼女は私の二つの瞳をまっすぐ見据えて言った、多分この答えは私の求めたものなんだろう。私は可愛いペットにもう一つ質問をしてみた。
「じゃあ、こいしは幸せかしら?」
「当たり前ですよ、心を読めなくたって帰る場所があるんですから」
お燐は豪快に、優しく笑いながらそう言った。私は最後の質問をした。
「それは私がいるから? それともだれかがあの子の傍に居てあげればそれでいいのかな」
お燐は何も言わなかった、そのかわり私の隣に座ってゆっくりと体を預けてくる。
「意地悪なこと言ってごめんね」
私はまた本を手に取って一つため息をついた。もうお湯は冷えてしまっているだろう。
翌日になってふとお空に会いたくなった。彼女の暴走は私の知らない間に起こり、解決された。私がしたことは再発防止のためにこんこんと諭すだけだったけれど、あの子はお馬鹿ではあっても私たち地底の者を素直に愛しているのでそれで反省してくれたようだった。今日は別の話がしたい。
「お空を呼んできてくれる?」
昨日から傍を離れないでいるお燐に頼むのは、彼女がお空の一番の親友だからだ。
「わかりました、何か御用ですか?」
「ううん、おしゃべりがしたいだけよ」
私がそういうと嬉しそうに部屋を飛び出していった。この前の異変からずっと、彼女には大分心労をかけてしまっているようだ、今日もまたお空が叱られるのではと思ったんだろう。これからはもう少し自分のペットのことを把握しなければいけないと思う。昨日と同じようにお茶の準備をしようと椅子から離れると、扉を軽くノックする音がした。
「お姉ちゃんご機嫌いかが?」
扉から現れたのはお空では無く、お燐に手をひかれた私の妹だった。お燐が言うには部屋を出てすぐに、廊下をふらふらしていたこいしを見つけたらしい。
「どうしたの?」
こいしは笑顔だった。
「ううん何でもないの。いつどおりよ、ここは」
「そっか、つまんないな」
不意打ちのように現れるのはいつものことだけれど、それでも少し動揺していた。昨日会いに来てくれれば良かったのにとも思う。
「こいし、あなたは元気にしてるの? お話を聞かせて。お燐、お茶をいれてきてちょうだい。冷たいのでいいから」
「元気だよ、お姉ちゃんも元気でよかった。ずっと地底にいてばっかりだと暗くなっちゃうよ」
「そうかもね、そういえばあなた最近地上に行ったのよね、面白かった?」
「うん、なんで知ってるの?」
「昨日お燐に聞いたの」
「ふうん」
良くなかったかもしれない、自分から話したかっただろうか。こいしは大急ぎでお茶をいれて戻って来たお燐に手を振っていらないと言った。
「すぐに出かけるから」
「ねえこいし、帰ったばかりなんだし少し休んだら? お姉ちゃんとお話しましょう」
「どんなお話?」
「えっと……」
こんな時にすぐ話題が出てこないのが情けない。心を覗くことができないと妹とすら会話ができない自分が嫌になる。こいしの話が聞きたいだけ、この子の心を知りたいだけなのに。
(いつからあなたといることがこんなに辛くなったんだろう)
こいしは退屈そうに突っ立っていた。お燐が勧めても椅子に座ろうともせずに、部屋の隅を、空中に浮かぶ何かを、私を瞳に映してはそらしていく。その間もずっと変わらない笑顔を浮かべている。
「じゃあ、行ってきます」
そういってこいしは部屋を出ていった。
「いってらっしゃい」
私の声は聞こえただろうか。もうあの子の感情はほとんど思い出せないのに、ドアの閉まる音が妙に頭に残る。
お燐が後について行こうとするのを見て首を振った、どのみち途中で見失うのだから。
「ごめんね、お茶を片付けておいて」
「どこへ行くんですか?」
「お空に会いにいくわ、あなたが連れてきてくれないから」
お燐は困った顔をしながら黙ってついてくる。
部屋を出て長い廊下を何度も曲がると、広い地霊殿にはちょうどいい狭さの裏庭がある。ここにある入口からお燐やお空の仕事場である地獄跡へと繋がっている。
「私がここ入るのすごく久しぶりねえ」
「地獄が移ってから一度も来てくれてないんじゃないですか?」
「そうかもね、だって熱いし」
「あたいらにはちょうど面白いですよ」
「私には苦しいし面白く無いのよ」
ぽっかり空いた穴から地底の更に奥深くへと進んでいく。長い階段を黙々と降りていきながら、私はこいしにそうできない腹いせの様にお燐の心を覗いていた。
彼女は私が妹を心配するように、私のことを案じている。そしてじれったく思っているのがわかる。
こいしが瞳を閉じたのはいつだっただろう。何も変わらないように思えた毎日、自分のペット以外には、誰かに好かれることの無い孤独な日々ではあったけれど、私はそれを自覚する限り平気なつもりだった。そう自分に言い聞かせる強さがあるつもりだ。
あの子は弱かった、心を覗けばひとはどう思うかすら分からないほどに。
「お燐、こいしが目を閉じた時のことを覚えてる?」
「私がここに来て、しばらく経った頃でしたね」
「うん、私に相談もしないで、なぜかしら」
「相談したって変わらなかったと思いますけど」
「どうして?」
「こいし様は、あなたのように無条件でひとを愛することができないから」
そして、それはあたりまえのことだから。
お燐はとても言いにくそうな顔をして、絞り出すようにして言葉にした。私は彼女が何を言ってるのか理解できないでいた。地獄跡は時々怨霊たちが彷徨っているだけで、寂しい。
「私は、誰かを愛しているのかしら」
妹にすら愛想を尽かされる姉なのだ、サトリである以上仕方ないとはいえ私の性格はいやらしい。自分でそう思うほどに。
「心を知りたいと思うんでしょう? あたいなら嫌になりますよ」
「なぜ? 誰だって相手のことを知ることから始まるんじゃないかしら」
「知ったつもりになることで、自分のことも理解してもらったつもりになるんですよ。普通はそれが最善なんですから」
サトリはひとの考えをわざわざ口に出して、自分が心を読むことを相手に伝える。だから嫌われる。
「あなたは心を受け入れて、自分の心も知ってもらおうとする。それって難しいから、誰もがある程度の所で妥協するもんでさ」
こいしはもう誰の心も読まなくなった。嫌われなくなったけれど、誰にも本当に愛されることは無い。
「こいし様はどっちも耐えられなかったんですよ、きっと。ひとを愛するために深く傷つくことも、自分を愛してもらうためにとことん我儘になることも」
初めて、心を読めないほうが心の在り方を理解できるのかもしれないと思った。
「あら、それじゃ私はすごく我儘ってことね」
お燐の瞳が優しく私を見つめている。小さく笑いながら言った。
「違いますか?」
私も少し笑った。この子がいてくれて本当によかった。
「そうね、だからこそあなたが私の傍にいてくれるんだものね」
こいし様の傍にもね、と微笑むお燐の頭を撫でてやると、わざとらしく猫らしい声で鳴いた。地底の熱はどんどん激しさを増していく、お空の住処が近い。これからはペットたちをうんと愛してやろう、そして赤ん坊のようなこいしにも、ずっと途切れない愛情を注ごうと思えた。それは性でも義務でも無くて私の心の在りかなのだ。
お燐が先に連絡をしていたのだろう、お空は最深部よりも大分上で私達を迎えてくれた。彼女は見た目こそ本当に見違えるほどに立派になったけれど、何も変わっていないようでもある。羽織るようになったマントだけは趣味が合わないけれど。
「さとり様、また来てくれたんですね!」
笑顔を浮かべて一目散にこちらに飛んでくるお空を見て、ほっとした。この前の異変の事について少し叱ったばかりだから、距離をとられるかもしれないと思っていたからだ。
「元気そうでよかった、何とかエネルギーのお仕事はどう?」
「順調ですよ、夢のエネルギ―」
「そう、山の神様とやらによろしくね」
お空は地上の山に住む神様を名乗るものに、訳が分からないうちにこれまた神を埋め込まれたらしい。彼女の説明はあまり要領を得なかったけれど、結局は喜んでいるみたいなのでとりあえずは好きにさせることにしていた。
「でもまた巫女が来るようなことは駄目よ、神様がやれって言っても、嫌なことは嫌って言いなさいね」
「そりゃもう。まああの時は私が楽しかったからなんですけどね」
お燐が、お空の屈託の無い笑顔が戻って良かったと言っていたけれど、私もそれを実感した。この子も色々現状に対して悩んでいたのだろう。生きる限りそういったことはつきものなのだろうか。
「お空、あなたは今幸せ? ここに居ることが楽しい?」
私の急な質問に、彼女にしては珍しく長く考え込んだ末に答えてくれた。
「分からないけど、さとり様は幸せですか? 私はさとり様のペットだから、私が幸せなのか教えてください」
面喰ってしまった。お燐は横でくすくすと笑っている。何と答えれば良いのだろうと迷っていると、お空は瞳を丸くして言った。
「だって、そんなの分からないんですもん」
私は困って、この愛おしいペットの頭を撫でた。彼女はすぐに嬉しそうな顔に戻り、感情を抑えきれないのか、大きな羽をばたつかせた。
「大好きよ、お空」
心を読まなくても、彼女の返事がわかるのがたまらなく嬉しかった。
地霊殿の自室に帰った時にはもうくたくたで、食事もとらずに寝床に入った。しばらく目を閉じていると、心地よいまどろみが全身を包んでいく。今日は良い一日だったと、そう思える。
「お姉ちゃん」
こいしの声が聞こえる。夢だと思うと自然に言葉が湧いてくる。
「なあに?」
「散歩に行かない? 地上は雪が綺麗だよ」
「あなたまた地上に出てたの? 怒られるわよ、巫女とかに」
「大丈夫だよ、じゃあ神社に行ってみようか? この前お燐が通ってた道知ってるんだ」
「そうねえ、そのうち挨拶に行ってもいいわね。でも今日はもう寝ましょう」
「じゃあ先に行ってるからね」
ゆっくり目をあけると、こいしの姿は無かった。当然だ、夢なのだから。
結局小一時間横になっていたようだ、地上はまだ日が暮れたばかりだろう。夢であったとしても、こいしが待っているのなら行ってやりたい。
お燐に地上の神社に繋がる道を教えてもらい、徐々に寒さが増す急な斜面を昇っていく。ついてこようとする彼女には少し挨拶に行くだけだからと言っておいたけれど、あの巫女に退治されないか心配しているようだった。
いくらなんでも顔を見せただけでと言ったものの、ありえないこともない。痛い思いをするかもしれないが、地上の様子を見るのが少し楽しみでもあった。本当はいけないことだ。
お燐もよく通るというこの道は、あっけないほど神社に近かった。おそらく境内に出たのだろう、申し訳程度に木の枝や葉っぱで穴を隠していたけれど、誰か落ちたら怪我ではすまないだろう。帰りに立て看板でも立てておこうか。そんなことを考えながら服に付いた土をはらう。
久しぶりに目にする地上は、昔と何も変わらないように思えた。頼りなく雪がちらついている。
こいしの姿は見えないけれど、人の気配がするのでとりあえず歩き出す。縁側を横目に神社の正面へと出ると、確かに人がいた。紅白のなんともおめでたいあの巫女がこの寒い中、箒を乱暴に動かしている。やけくそまじりの表情は声をかけるのを躊躇わせた。
「あー何で雪が降ってるのに掃除くらいしかやることが無いのよ、どうせ参拝客も来ないのに」
どうもここは人気の無い神社のようで、少し親近感を覚える。おかげで声がかけやすくなった。
「意味が無いんじゃ無いですか? どうせ掃いても雪が積もりますよ、もう日も落ちてますし」
「掃かないと積もりっぱなしじゃないの。でも箒で掃くのは大変だわ」
驚いたことに彼女は全く意味が無いことを意味も無く行動に移しているらしい。
「ところであんた誰よ、こんなところで何してるの?」
「覚えてませんか? 覚えてないみたいですね」
少し間が空いた後、やっと思い出してくれた。
「ああ、あんたね。何しに来たのよ、退治されたくてわざわざ来たの?」
「いえとんでもない」
「じゃあ参拝に来たのかしら、なんで妖怪ばっかり来るのかな」
「いえもっととんでもない」
彼女はじろっとこちらを睨みながら、箒を投げ捨ててしまった。
「あーあ、やめやめ。こう寒いと箒が役に立たないわ」
私を放っておいたまま住居に帰っていく彼女の後ろを黙ってついて行く。嫌がるわけでも無く、なんとも思ってないようだ。私のことなんてそこらへんに落ちている石ころのようにしか思っていない。何故かそれに不思議な心地よさを感じる。
「なによ、お茶でも出せっての?」
「いえ、ちょっとお伺いしたいことがあって来たんですけど」
「なに?」
「妹を見ませんでしたか?」
彼女はきょとんとして言った。
「あんた妹がいたのね。この前地底に行った時には見なかったけど」
「あら、こいしからあなたにこてんぱんにされたと聞いたんですが」
「知らないわよ、そんなの」
そう言って縁側から中に消えていった。この場合は仕方ない、こいしのことを忘れるなという方が無理なのだ。私はそのまま縁側に腰を下ろして待っていた、お茶くらいは出してくれるらしい。
しばらくしてお茶を運んできた彼女は、私の横でおいしそうに飲み始める。さっきから心を覗いているけれど、本当に何も考えていないようだった。こういうところが妖怪に好かれるのだろうか。
「で、どうしたのよ妹」
「ええ、この辺りで待ち合わせをしているような気がしたもので」
「してるの、してないの?」
「分からないんですよ、これが」
「なぞなぞ?」
「かもしれませんね。だとしたら答えは何でしょう?」
「うーん心の病とか?」
「当たってるかもしれませんね」
彼女は不思議そうな顔をしているが、私も困ってしまった。彼女はめんどくさいなあと言った。
「何で妖怪ってめんどくさいやつばかりなのかしら。この寒い中わざわざそんな謎かけしに来たの?」
「めんどくさくてすみません、そういう妖怪なもので」
「まあいいわ、好きなだけ待ってたら? 朝には帰りなさいよ、参拝客がめんどくさくなるから」
そう言ってお茶を飲みほした。私の手つかずの茶碗を残して立ち上がった彼女はそのまま奥へ消えてしまった。
もう帰ろうと思うのに、立ち上がることができないまま時間が過ぎていく。雪は積もるのか積もらないのかはっきりしないまま降り続けている。辺りは真っ暗な妖怪の世界だ。
ここに来たことが無駄だったとは思わない、けれどこいしを見つけたとして私はどんな言葉をかけてやれたのだろう。ひとの心を口にすること、自分の心を言葉にすること。
(結局堂々巡りなのね)
今更ながら自分に呆れてしまう。冷え切ったお茶を啜る振りをしていると、障子を開く音が聞こえた。まだ寝ていなかったのか、起こしてしまったのか分からなかったが、寝巻姿の巫女がこれまた呆れた顔をしてやってきた。
「本当に朝までいるつもり? 縁側閉めて貰わないと寒いのよ」
「すいません、もうおいとましようと思います」
帰ろう。退治されてはかなわない。
「あの、霊夢さん」
「なによ」
「あなたは幸せですか?」
お燐のときそうしたように、第三の目を手で覆ってみせた。もっとも彼女にはそんなこと関係ないかもしれないけれど。
「幸せ?」
「はい、なんとなく」
「そんなの知らないわよ」
「そうですか」
私は少しがっかりした。何故か彼女の答えに期待したのだ。
「そんなことは未来の私に聞きなさい」
「……え?」
「幸せなんてね、後でそうだったときづくものよ」
巫女はそういって一つ欠伸をした。
縁側の戸を閉めて、来た道を引き返しながら巫女の言葉を思い返していた。なんだか意味も無く希望が湧いてくる。私にも、こいしにも、未来がある。この幻想が続くかぎり、こいしが失ったものを取り戻す時間はいくらでもあるのだと思えた。
地底への入口に着いた時、心の傍に絶望を感じた。気が付くと私の隣にはこいしがいた。帽子や肩に雪を積もらせて、空を見つめている。
「待っててくれたの?」
こいしは頬を膨らませて言った。
「お姉ちゃん遅いよ」
「ええ、ごめんなさい。ちょっと寒いけどお散歩していく?」
「うーんもういいや、帰ろう!」
そういって歩き出した妹の手を、無意識に掴んでいた。
「手、つないで帰りましょう」
時間が幸せを教えてくれるなら、時間が希望をくれたっていいはずだ。ゆっくりこの子の心に寄り添っていこう。
こいしの瞳に雪が映っている。きらきらと輝いて私には希望の光にみえる。
もちろん私だってそうだ。サトリが心を読むのは止められない。もうずいぶん地上に出ていないけれど、ここ以外の場所で生きていくことなんて考えられない。その必要も無いと思っている、ここで得られるだけの幸せが私の全てなのだから。そう考えればこの孤独も悪くないものだ。
広い広い地霊殿にある、自分の部屋で本を読んでいた。ペット達に囲まれて、私は一人だった。
「さとり様、ノミ取ってくれません?」
ノックの音と同時に入ってきたお燐はわざとらしく体をよじらせて言った。
「ノミくらい自分で取りなさいよ」
「いやあ地底ノミは手強くて」
「じゃあしょうがないわね」
読みかけの本を閉じてソファへと手招きする。お燐がこんな風にするのは私に伝えることがあるからだ。彼女の体にノミなんかいやしない、心の中に何かがいるようだ。
「そういえばお空はあれからどうしているの? 相変わらず燃えてる?」
「いいえ、さとり様に怒られてからは冷めちゃってますよ」
「そう、あんな暑い所で冷えてるなんて風邪ひかなければいいけど」
「まあ仕事は今までどおり元気にやってますよ」
「そう、それはよかった」
膝枕が気持ちいいのか、お燐は目を閉じたまま話している。頭を撫でてやりながら、ゆっくりと心を覗いていく。
お燐が伝えたいことは、お空では無くてこいしのことだった。
「そう、あの子地上に出てたのね」
「はい、それで……」
この前やってきたあの巫女に負けて戻って来た、そのことをお燐に楽しそうに話したらしい。
「うちに招待したいなんて言ってましたよ」
「この前押し入って来たばかりなのにねえ」
つまり興味を持ったというわけだ。今までもふらっといなくなって気づけば帰ってきたりしていたけれど、そんなおみやげ話を持ち帰ってくるのは珍しい。いつも手ぶらでいる子なのに。
でもそういう意味ではあの巫女も近いものがあるかもしれない。それがあの子を変えるきっかけになったりするのだろうか。
「お燐、こいしを呼んできてくれる? お茶を入れておくから」
「わかりました、それじゃ行ってきます」
お燐は待っていたように起き上がって返事をする。少しの間私とお燐は見つめ合っていた。
「そうね、私もそう思う。きっと良いことよ」
お燐は嬉しそうに部屋から出ていった。
お湯を沸かさなければいけないのに、また読みかけの本に手を伸ばしてしまいそうになる。お燐がこいしを連れて来るのにそんなに時間はかからないだろう。自分で呼んだのだからとやっとの思いで立ち上がる。良い機会なのだ、あの子が少しでも変わってくれたらいいけれど。
準備を済ませてもまだ来ないので仕方なく読書に戻る。ページをめくるたびに、ポットに移したお湯が冷めていくのにまだ二人は姿を見せない。あるいはもうこいしがいるのかもしれないと辺りを見回すけれど、いつの間にかペット達まで居なくなっていた。
お湯が冷めていく、部屋に自分の手と紙が擦れる音だけが生まれて消える、私の心は常温だ。あの子の心は冷え切っているのだろうか、それとも全てを溶かして失くしてしまう炎が渦巻いているのか。本の内容が頭に入らなくなってくる、私はあの子のことが心配だ。
けれど心配するだけで、できることは無いかもしれない。せいぜいこの地霊殿に帰る場所を保っておくことくらいしかできない、それは私にとって精一杯の幸せの確保だった。でもあの子は私の傍にいない。
本に栞を挟んでそっと膝の上に置いた。なぜか少しでも音を出すのを躊躇ってしまう。他人の心もこんな風に静かだったら、私は嫌われることが無かったのだろうか。そんなことを考えていると、申し訳なさそうにドアの開く音がした。
「さとり様、こいし様またどこかに出かけてしまったみたいです」
お燐はいかにも残念そうな顔をしているけれど、私はほっとした。それが何故なのかわからないのが不気味だ。
「アタイが探しに行きましょうか? また地上に行ったんですよきっと」
「お燐、あなたは幸せ?」
心を読まなくても分かるくらいに彼女は戸惑っている。それはそうだろう、私自身が何故こんな質問をするのか不思議なのだ。私はお燐に見えるように第三の目を手で覆った。
「もちろんですよ。ここはのんびりできて、さとり様と一緒にいれますから」
彼女は私の二つの瞳をまっすぐ見据えて言った、多分この答えは私の求めたものなんだろう。私は可愛いペットにもう一つ質問をしてみた。
「じゃあ、こいしは幸せかしら?」
「当たり前ですよ、心を読めなくたって帰る場所があるんですから」
お燐は豪快に、優しく笑いながらそう言った。私は最後の質問をした。
「それは私がいるから? それともだれかがあの子の傍に居てあげればそれでいいのかな」
お燐は何も言わなかった、そのかわり私の隣に座ってゆっくりと体を預けてくる。
「意地悪なこと言ってごめんね」
私はまた本を手に取って一つため息をついた。もうお湯は冷えてしまっているだろう。
翌日になってふとお空に会いたくなった。彼女の暴走は私の知らない間に起こり、解決された。私がしたことは再発防止のためにこんこんと諭すだけだったけれど、あの子はお馬鹿ではあっても私たち地底の者を素直に愛しているのでそれで反省してくれたようだった。今日は別の話がしたい。
「お空を呼んできてくれる?」
昨日から傍を離れないでいるお燐に頼むのは、彼女がお空の一番の親友だからだ。
「わかりました、何か御用ですか?」
「ううん、おしゃべりがしたいだけよ」
私がそういうと嬉しそうに部屋を飛び出していった。この前の異変からずっと、彼女には大分心労をかけてしまっているようだ、今日もまたお空が叱られるのではと思ったんだろう。これからはもう少し自分のペットのことを把握しなければいけないと思う。昨日と同じようにお茶の準備をしようと椅子から離れると、扉を軽くノックする音がした。
「お姉ちゃんご機嫌いかが?」
扉から現れたのはお空では無く、お燐に手をひかれた私の妹だった。お燐が言うには部屋を出てすぐに、廊下をふらふらしていたこいしを見つけたらしい。
「どうしたの?」
こいしは笑顔だった。
「ううん何でもないの。いつどおりよ、ここは」
「そっか、つまんないな」
不意打ちのように現れるのはいつものことだけれど、それでも少し動揺していた。昨日会いに来てくれれば良かったのにとも思う。
「こいし、あなたは元気にしてるの? お話を聞かせて。お燐、お茶をいれてきてちょうだい。冷たいのでいいから」
「元気だよ、お姉ちゃんも元気でよかった。ずっと地底にいてばっかりだと暗くなっちゃうよ」
「そうかもね、そういえばあなた最近地上に行ったのよね、面白かった?」
「うん、なんで知ってるの?」
「昨日お燐に聞いたの」
「ふうん」
良くなかったかもしれない、自分から話したかっただろうか。こいしは大急ぎでお茶をいれて戻って来たお燐に手を振っていらないと言った。
「すぐに出かけるから」
「ねえこいし、帰ったばかりなんだし少し休んだら? お姉ちゃんとお話しましょう」
「どんなお話?」
「えっと……」
こんな時にすぐ話題が出てこないのが情けない。心を覗くことができないと妹とすら会話ができない自分が嫌になる。こいしの話が聞きたいだけ、この子の心を知りたいだけなのに。
(いつからあなたといることがこんなに辛くなったんだろう)
こいしは退屈そうに突っ立っていた。お燐が勧めても椅子に座ろうともせずに、部屋の隅を、空中に浮かぶ何かを、私を瞳に映してはそらしていく。その間もずっと変わらない笑顔を浮かべている。
「じゃあ、行ってきます」
そういってこいしは部屋を出ていった。
「いってらっしゃい」
私の声は聞こえただろうか。もうあの子の感情はほとんど思い出せないのに、ドアの閉まる音が妙に頭に残る。
お燐が後について行こうとするのを見て首を振った、どのみち途中で見失うのだから。
「ごめんね、お茶を片付けておいて」
「どこへ行くんですか?」
「お空に会いにいくわ、あなたが連れてきてくれないから」
お燐は困った顔をしながら黙ってついてくる。
部屋を出て長い廊下を何度も曲がると、広い地霊殿にはちょうどいい狭さの裏庭がある。ここにある入口からお燐やお空の仕事場である地獄跡へと繋がっている。
「私がここ入るのすごく久しぶりねえ」
「地獄が移ってから一度も来てくれてないんじゃないですか?」
「そうかもね、だって熱いし」
「あたいらにはちょうど面白いですよ」
「私には苦しいし面白く無いのよ」
ぽっかり空いた穴から地底の更に奥深くへと進んでいく。長い階段を黙々と降りていきながら、私はこいしにそうできない腹いせの様にお燐の心を覗いていた。
彼女は私が妹を心配するように、私のことを案じている。そしてじれったく思っているのがわかる。
こいしが瞳を閉じたのはいつだっただろう。何も変わらないように思えた毎日、自分のペット以外には、誰かに好かれることの無い孤独な日々ではあったけれど、私はそれを自覚する限り平気なつもりだった。そう自分に言い聞かせる強さがあるつもりだ。
あの子は弱かった、心を覗けばひとはどう思うかすら分からないほどに。
「お燐、こいしが目を閉じた時のことを覚えてる?」
「私がここに来て、しばらく経った頃でしたね」
「うん、私に相談もしないで、なぜかしら」
「相談したって変わらなかったと思いますけど」
「どうして?」
「こいし様は、あなたのように無条件でひとを愛することができないから」
そして、それはあたりまえのことだから。
お燐はとても言いにくそうな顔をして、絞り出すようにして言葉にした。私は彼女が何を言ってるのか理解できないでいた。地獄跡は時々怨霊たちが彷徨っているだけで、寂しい。
「私は、誰かを愛しているのかしら」
妹にすら愛想を尽かされる姉なのだ、サトリである以上仕方ないとはいえ私の性格はいやらしい。自分でそう思うほどに。
「心を知りたいと思うんでしょう? あたいなら嫌になりますよ」
「なぜ? 誰だって相手のことを知ることから始まるんじゃないかしら」
「知ったつもりになることで、自分のことも理解してもらったつもりになるんですよ。普通はそれが最善なんですから」
サトリはひとの考えをわざわざ口に出して、自分が心を読むことを相手に伝える。だから嫌われる。
「あなたは心を受け入れて、自分の心も知ってもらおうとする。それって難しいから、誰もがある程度の所で妥協するもんでさ」
こいしはもう誰の心も読まなくなった。嫌われなくなったけれど、誰にも本当に愛されることは無い。
「こいし様はどっちも耐えられなかったんですよ、きっと。ひとを愛するために深く傷つくことも、自分を愛してもらうためにとことん我儘になることも」
初めて、心を読めないほうが心の在り方を理解できるのかもしれないと思った。
「あら、それじゃ私はすごく我儘ってことね」
お燐の瞳が優しく私を見つめている。小さく笑いながら言った。
「違いますか?」
私も少し笑った。この子がいてくれて本当によかった。
「そうね、だからこそあなたが私の傍にいてくれるんだものね」
こいし様の傍にもね、と微笑むお燐の頭を撫でてやると、わざとらしく猫らしい声で鳴いた。地底の熱はどんどん激しさを増していく、お空の住処が近い。これからはペットたちをうんと愛してやろう、そして赤ん坊のようなこいしにも、ずっと途切れない愛情を注ごうと思えた。それは性でも義務でも無くて私の心の在りかなのだ。
お燐が先に連絡をしていたのだろう、お空は最深部よりも大分上で私達を迎えてくれた。彼女は見た目こそ本当に見違えるほどに立派になったけれど、何も変わっていないようでもある。羽織るようになったマントだけは趣味が合わないけれど。
「さとり様、また来てくれたんですね!」
笑顔を浮かべて一目散にこちらに飛んでくるお空を見て、ほっとした。この前の異変の事について少し叱ったばかりだから、距離をとられるかもしれないと思っていたからだ。
「元気そうでよかった、何とかエネルギーのお仕事はどう?」
「順調ですよ、夢のエネルギ―」
「そう、山の神様とやらによろしくね」
お空は地上の山に住む神様を名乗るものに、訳が分からないうちにこれまた神を埋め込まれたらしい。彼女の説明はあまり要領を得なかったけれど、結局は喜んでいるみたいなのでとりあえずは好きにさせることにしていた。
「でもまた巫女が来るようなことは駄目よ、神様がやれって言っても、嫌なことは嫌って言いなさいね」
「そりゃもう。まああの時は私が楽しかったからなんですけどね」
お燐が、お空の屈託の無い笑顔が戻って良かったと言っていたけれど、私もそれを実感した。この子も色々現状に対して悩んでいたのだろう。生きる限りそういったことはつきものなのだろうか。
「お空、あなたは今幸せ? ここに居ることが楽しい?」
私の急な質問に、彼女にしては珍しく長く考え込んだ末に答えてくれた。
「分からないけど、さとり様は幸せですか? 私はさとり様のペットだから、私が幸せなのか教えてください」
面喰ってしまった。お燐は横でくすくすと笑っている。何と答えれば良いのだろうと迷っていると、お空は瞳を丸くして言った。
「だって、そんなの分からないんですもん」
私は困って、この愛おしいペットの頭を撫でた。彼女はすぐに嬉しそうな顔に戻り、感情を抑えきれないのか、大きな羽をばたつかせた。
「大好きよ、お空」
心を読まなくても、彼女の返事がわかるのがたまらなく嬉しかった。
地霊殿の自室に帰った時にはもうくたくたで、食事もとらずに寝床に入った。しばらく目を閉じていると、心地よいまどろみが全身を包んでいく。今日は良い一日だったと、そう思える。
「お姉ちゃん」
こいしの声が聞こえる。夢だと思うと自然に言葉が湧いてくる。
「なあに?」
「散歩に行かない? 地上は雪が綺麗だよ」
「あなたまた地上に出てたの? 怒られるわよ、巫女とかに」
「大丈夫だよ、じゃあ神社に行ってみようか? この前お燐が通ってた道知ってるんだ」
「そうねえ、そのうち挨拶に行ってもいいわね。でも今日はもう寝ましょう」
「じゃあ先に行ってるからね」
ゆっくり目をあけると、こいしの姿は無かった。当然だ、夢なのだから。
結局小一時間横になっていたようだ、地上はまだ日が暮れたばかりだろう。夢であったとしても、こいしが待っているのなら行ってやりたい。
お燐に地上の神社に繋がる道を教えてもらい、徐々に寒さが増す急な斜面を昇っていく。ついてこようとする彼女には少し挨拶に行くだけだからと言っておいたけれど、あの巫女に退治されないか心配しているようだった。
いくらなんでも顔を見せただけでと言ったものの、ありえないこともない。痛い思いをするかもしれないが、地上の様子を見るのが少し楽しみでもあった。本当はいけないことだ。
お燐もよく通るというこの道は、あっけないほど神社に近かった。おそらく境内に出たのだろう、申し訳程度に木の枝や葉っぱで穴を隠していたけれど、誰か落ちたら怪我ではすまないだろう。帰りに立て看板でも立てておこうか。そんなことを考えながら服に付いた土をはらう。
久しぶりに目にする地上は、昔と何も変わらないように思えた。頼りなく雪がちらついている。
こいしの姿は見えないけれど、人の気配がするのでとりあえず歩き出す。縁側を横目に神社の正面へと出ると、確かに人がいた。紅白のなんともおめでたいあの巫女がこの寒い中、箒を乱暴に動かしている。やけくそまじりの表情は声をかけるのを躊躇わせた。
「あー何で雪が降ってるのに掃除くらいしかやることが無いのよ、どうせ参拝客も来ないのに」
どうもここは人気の無い神社のようで、少し親近感を覚える。おかげで声がかけやすくなった。
「意味が無いんじゃ無いですか? どうせ掃いても雪が積もりますよ、もう日も落ちてますし」
「掃かないと積もりっぱなしじゃないの。でも箒で掃くのは大変だわ」
驚いたことに彼女は全く意味が無いことを意味も無く行動に移しているらしい。
「ところであんた誰よ、こんなところで何してるの?」
「覚えてませんか? 覚えてないみたいですね」
少し間が空いた後、やっと思い出してくれた。
「ああ、あんたね。何しに来たのよ、退治されたくてわざわざ来たの?」
「いえとんでもない」
「じゃあ参拝に来たのかしら、なんで妖怪ばっかり来るのかな」
「いえもっととんでもない」
彼女はじろっとこちらを睨みながら、箒を投げ捨ててしまった。
「あーあ、やめやめ。こう寒いと箒が役に立たないわ」
私を放っておいたまま住居に帰っていく彼女の後ろを黙ってついて行く。嫌がるわけでも無く、なんとも思ってないようだ。私のことなんてそこらへんに落ちている石ころのようにしか思っていない。何故かそれに不思議な心地よさを感じる。
「なによ、お茶でも出せっての?」
「いえ、ちょっとお伺いしたいことがあって来たんですけど」
「なに?」
「妹を見ませんでしたか?」
彼女はきょとんとして言った。
「あんた妹がいたのね。この前地底に行った時には見なかったけど」
「あら、こいしからあなたにこてんぱんにされたと聞いたんですが」
「知らないわよ、そんなの」
そう言って縁側から中に消えていった。この場合は仕方ない、こいしのことを忘れるなという方が無理なのだ。私はそのまま縁側に腰を下ろして待っていた、お茶くらいは出してくれるらしい。
しばらくしてお茶を運んできた彼女は、私の横でおいしそうに飲み始める。さっきから心を覗いているけれど、本当に何も考えていないようだった。こういうところが妖怪に好かれるのだろうか。
「で、どうしたのよ妹」
「ええ、この辺りで待ち合わせをしているような気がしたもので」
「してるの、してないの?」
「分からないんですよ、これが」
「なぞなぞ?」
「かもしれませんね。だとしたら答えは何でしょう?」
「うーん心の病とか?」
「当たってるかもしれませんね」
彼女は不思議そうな顔をしているが、私も困ってしまった。彼女はめんどくさいなあと言った。
「何で妖怪ってめんどくさいやつばかりなのかしら。この寒い中わざわざそんな謎かけしに来たの?」
「めんどくさくてすみません、そういう妖怪なもので」
「まあいいわ、好きなだけ待ってたら? 朝には帰りなさいよ、参拝客がめんどくさくなるから」
そう言ってお茶を飲みほした。私の手つかずの茶碗を残して立ち上がった彼女はそのまま奥へ消えてしまった。
もう帰ろうと思うのに、立ち上がることができないまま時間が過ぎていく。雪は積もるのか積もらないのかはっきりしないまま降り続けている。辺りは真っ暗な妖怪の世界だ。
ここに来たことが無駄だったとは思わない、けれどこいしを見つけたとして私はどんな言葉をかけてやれたのだろう。ひとの心を口にすること、自分の心を言葉にすること。
(結局堂々巡りなのね)
今更ながら自分に呆れてしまう。冷え切ったお茶を啜る振りをしていると、障子を開く音が聞こえた。まだ寝ていなかったのか、起こしてしまったのか分からなかったが、寝巻姿の巫女がこれまた呆れた顔をしてやってきた。
「本当に朝までいるつもり? 縁側閉めて貰わないと寒いのよ」
「すいません、もうおいとましようと思います」
帰ろう。退治されてはかなわない。
「あの、霊夢さん」
「なによ」
「あなたは幸せですか?」
お燐のときそうしたように、第三の目を手で覆ってみせた。もっとも彼女にはそんなこと関係ないかもしれないけれど。
「幸せ?」
「はい、なんとなく」
「そんなの知らないわよ」
「そうですか」
私は少しがっかりした。何故か彼女の答えに期待したのだ。
「そんなことは未来の私に聞きなさい」
「……え?」
「幸せなんてね、後でそうだったときづくものよ」
巫女はそういって一つ欠伸をした。
縁側の戸を閉めて、来た道を引き返しながら巫女の言葉を思い返していた。なんだか意味も無く希望が湧いてくる。私にも、こいしにも、未来がある。この幻想が続くかぎり、こいしが失ったものを取り戻す時間はいくらでもあるのだと思えた。
地底への入口に着いた時、心の傍に絶望を感じた。気が付くと私の隣にはこいしがいた。帽子や肩に雪を積もらせて、空を見つめている。
「待っててくれたの?」
こいしは頬を膨らませて言った。
「お姉ちゃん遅いよ」
「ええ、ごめんなさい。ちょっと寒いけどお散歩していく?」
「うーんもういいや、帰ろう!」
そういって歩き出した妹の手を、無意識に掴んでいた。
「手、つないで帰りましょう」
時間が幸せを教えてくれるなら、時間が希望をくれたっていいはずだ。ゆっくりこの子の心に寄り添っていこう。
こいしの瞳に雪が映っている。きらきらと輝いて私には希望の光にみえる。
夢は無意識の領分ですから、歩み寄れたということなのでしょう。
要領を得る○
幸せ。
話のまとめがサラリとし過ぎているのが気になりました。
最後の場面からもうちょい繋げて欲しかったです。地霊殿に帰りつくまで。
さとこい良いね。
言葉のセンスがあるね
つかみどころのない日常ですがこれこそが後から振り返ったときの幸せなのかもしれませんね