退屈という存在は、永くを生きる者にとっては一番の敵だった。
永遠を生きる姫も、それを殺す為に毎日に尽力を惜しんではいない。
長き命を持つ者はそれを退屈殺しと呼ぶ。
不老不死といえど、不老長寿といえど、退屈は容赦なく襲い掛かってくる。
もし、それに負けてしまったのなら。
後には絶望しか残されていない。
だから負ける訳にはいかない。
永遠にも続く退屈殺しを――退屈を殺し続けなければならない。
それは、悠久を生きるお嬢様も同じだった。
「はぁ~、暇ね~」
窓の少ない真っ赤な屋敷の地下で、レミリアは退屈な息を泡の様に吐き出した。
薄暗い中、ロウソクと魔法の明かりが図書館内を照らす。
その幻想的な雰囲気も、毎日、1年、50年、100年と見続けていれば日常へとなってしまう。
例え綺麗な景色であろうと、すぐ傍に居れば普通となってしまうのだ。
下手をすれば、下等にも思えるかもしれない。
「咲夜~、紅茶~」
机に頬をぴっとりと付けたまま、ワガママな子供の様に従者を呼んだ。
その言葉をどこで聞いていたのやら、瞬間移動の様に現れたメイド長は文句ひとつ言う事なく、主人が座っている机に紅茶の注がれたカップを置いた。
少しオシャレなティカップからは淹れたての証明の様に、湯気が仄かに揺れながら図書館の天井を目指している。
もっとも、すぐにその姿は消えて、空気となってしまった。
「今日は何の紅茶?」
「ミルクティですよ」
「ふ~ん……それで、なんでストロー?」
カップの横にはスプーンでもスコーンでもなく、ストローが置かれていた。
もちろん藁でもなく、ドーナツの様に穴が開いた普通のストローだ。
誰がどう見ても、これで紅茶を飲め、という事だろう。
「お嬢様が退屈そうでしたので。それでは掃除が残っておりますので」
メイド長はそう告げると、再び瞬間移動の様に姿を消した。
「帰りは時間を止めなくてもいいと思うんだけどな~」
そんなどうでもいい事を呟きながら、レミリアはストローを手にもつ。
そのままカップに入れると、ちゅ~~~と血を吸う要領でミルクティを口の中へと運んだ。
「あっつ!!!」
熱々(普段より温度が明らかに高い)のミルクティをストローで飲めば当たり前の事。
悠久の時間を生きる吸血鬼は常識をも忘れてしまうのだろうか。
紅魔館の主、レミリア・スカーレットはマヌケにもミルクティの熱さに図書館の床をゴロゴロと転げまわった。
彼女が床を往復する度に威厳度やカリスマパラメータがガックンガックンと下がっていく。
残念ながらその数値は見える事がないので、レミリアは知る由もなかった。
そんな風にバタバタと激しい物音を立てたからか、小悪魔が本を抱えながら近寄ってくる。
「大丈夫ですか、お嬢様?」
「はひひょうふはふぁいは、はふひはふひほ」
何かを伝えようとしているのか、口を開くが火傷した舌が上手く動かず言葉にならない。
「あぁ、では私と契約しましょう。口の火傷を治してあげますので、その代わり魂を頂きます」
「ほへはいふふは」
小悪魔が差し出した手を掴もうとするレミリア。
悪魔が悪魔に対して契約を結ぶのは幻想郷始まって以来の事。
歴史的一瞬が見られるか、と思われたその時――
「ぎゃふん!」
最近幻想入りしてきた悲鳴をあげて小悪魔が倒れた。
紅魔館で流行している悲鳴のベスト1に掲げられる「ぎゃふん」。
妖精メイドの間でもトレンドだ。
「はひほほ!?」
恐らく、何者!? と叫んだのだろうか。
レミリアが警戒心を高め小悪魔を打ち倒した者を見た。
「図書館では静かに。常識でしょ?」
果たして、それは図書館の主だった。
レミリアの友人であるパチュリー・ノーレッジは分厚い魔導書でもって小悪魔の後頭部を叩いたらしい。
その手には不気味にも威圧感たっぷりのグリモワールが禍々しいオーラを放っていた。
「なにするんですか、パチュリー様! それが聖書なら私、死んでましたよ!」
「悪魔が簡単に死ぬんじゃない。レミィも小悪魔相手になに契約結ぼうとしているの」
まったく、とため息を零しながら小さな氷の塊を顕現させる。
少し先端が丸まった様な氷柱が空中に現れると、それはそのままレミリアの口へと突っ込まれた。
「もががっ」
少しばかり扇情的なシーンになるかな。
と、期待していたパチュリーと小悪魔だが、残念ながらレミリアでは色気が足りないらしい。
アイスキャンディを食べる妖精と違いが見当たらず、すぐに解散となった。
「なによ」
何か無視された気がして、不満を口にするが……残念ながら小悪魔も友人も相手にしてくれない。
仕方が無いとばかりに、レミリアは埃を払うと氷柱をペロペロと舐めながら机へと戻る。
その唾液まみれの氷柱をミルクティにつっこみ、温度の下降を図る事にした。
「これで大丈夫ね」
だが、液体の温度というのはそんなに早くは下がらない。
「まだあついっ!?」
先程のやりとりを繰り返す事となったレミリアと小悪魔は、今度こそパチュリーによって聖書で後頭部を痛打される。
なかば魔界へ帰ってしまいそうになる体を、二人してギリギリに耐えた。
「ぜぇぜぇ、やったわ小悪魔!」
「はぁはぁ、あ、ありがとうございますお嬢様。危ないところでした」
「ふふ、安心なさい。私がいる限り紅魔館のメンバーは一人も欠ける事がなくってよ」
「お嬢様! あぁ、お嬢様!」
そんな風に紅魔館のトップと下っ端が友情を確かめていると、パチュリーが傍に立つ。
劣化版ではなく本気の聖書と、人間の皮で作られた表紙のヤバイ魔導書を両手に構え、ふりあげた。
「静かにしなさいっていってるでしょ!」
「「はい、すいませんでした!」」
退屈な日常というのは、こうして過ぎ去っていくらしい。
~☆~
氷柱が全て溶け、冷たくて薄くなってしまったミルクティをストローでずぞぞぞぞと飲み干したレミリアは、またその柔らかい頬を机へと押し付けた。
退屈は猫をも殺すというが、吸血鬼も猫の一種だったようで、世の中を全て恨む様な目で図書館の主を見つめる。
その視線がチクチクと刺さるのか、ため息を吐きながらパチュリーは振り返った。
「なによ?」
「退屈なの。何か無い?」
「ここは図書館よ。本でも読んでればいいじゃない」
「魔導書は退屈なのよ。意味が分からないわ」
「魔導書ばかりじゃないわ。普通の本だってあるでしょ」
まったく、と言葉を漏らしながらパチュリーは小悪魔を読んだ。
「なんですかパチュリー様。お昼ご飯はさっき食べましたよ?」
「私はまだボケてはいないわ」
「はい、ボケたのは私ですね。早くツッコんでください。いやらしく」
「天国に逝ってしまえ」
「なんという辛辣な言葉……それが部下に対する上司の台詞ですか!」
「はいはい。後で相手してあげるから、レミィに本を案内してあげて」
「はーい」
元気良く返事をした小悪魔はレミリアを手招きした。
下等の悪魔に呼ばれたとあって、釈然としない何かを感じながらも、レミリアは立ち上がり、小悪魔の案内のもと、本棚の迷路に足を踏み入れる。
「あんた、そのうち滅ぼされるわよ」
「大丈夫ですよ~。なんだかんだ言って、みんな優しいですから」
「悪魔の屋敷に住む優しい住人か。舐められたものね」
「あははー」
「今度、あなたを妹の遊び相手に任命するわ」
「すいませんでしたー!」
全力で土下座した小悪魔の頭をレミリアは踏んづける。
「なによその格好」
「ジャパニーズスーパーソーリースタイルです」
「なるほど。噂に聞いた事があるわ。そのスタイルで謝れば、いかな暴力的な事件も許されるとか許されないとか」
「はい。どうぞお許しくださいませ、お嬢様」
「うむ」
レミリアは満足そうに頷くと小悪魔の頭から足をおろした。
「やはり悪魔は屈服させるに限る」
「ですよね~」
ぺかー、と屈託の無い笑顔をみせる小悪魔に疑問の念を抱きつつ、レミリアは小悪魔の案内で更に図書館迷宮の奥へと進んだ。
「はい、こちらです」
しばらく進むと小悪魔が立ち止まり、右手で指し示した。
そこには何やら暖簾の様な物で仕切りがしてあり、向こう側の棚が見えなくなっている。
その暖簾の色はピンク色。
何か銭湯の様な雰囲気を感じながらも、レミリアは小悪魔に説明を促した。
「ここは?」
「面妖本コーナーです」
「め、めんよう?」
「はい、どうぞどうぞ!」
アリス・マーガトロイドの人形劇に急ぐ子供の様な勢いで、小悪魔はレミリアの背中を押していく。
ちょっとちょっと、とブレーキをかけながらも暖簾を潜ると――
「ぴ、ぴんく?」
目の前がピンク色に染まっていた。
「え、エロ本じゃないの!」
「あぁ、今の人は面妖本って言わないんでした。エロ本です、エロ本。ちょっと古い言い方をすると春画ですかね~。おぉ、えろーすえろーす!」
「こんなんで暇が潰せるか! それから悪魔が気安く神の名を口にするな!」
エロスとはギリシア神話における恋心と性愛を司る神様の名前である。
小悪魔の言うエロスは、果たして神の名前だったのか、それともエロいという意味か。
真相は彼女のみが知る。
「いやいや、エロ本で暇は潰せるでしょ。むしろプレス加工してしまいましょう」
ほれほれ、と小悪魔は手近な一冊を手に取る。
「これなんかどうです? 人間の交わりを鮮明に写真で撮れております」
「うわぁ、見たくない見たくない」
「何を初心な事を言っておられるんですか。吸血鬼の吸血行為といえば性行為の代替行為。さぁさ、ドラキュリーナさん。殿方の血みたいなアレもごっくんしちゃいましょう!」
ほれほれほれ、と殿方どアップシーンを見せ付けながら追いかけてくる小悪魔からレミリアは逃げ出した。
「ぱ、ぱちゅりー! ぱっちぇさーん! お宅の部下がエロ本あつめてるー!」
「あー! 卑怯ですよ!」
口を塞ごうとしてくる小悪魔の両手をがっしりとホールドし、レミリアは全力で友人の名前を呼んだ。
果たしてレミリアの思いは届いたのか、遠くの方からパチュリーの言葉が届く。
「後で燃やしておく」
図書館の主の審判が下った。
「がーん」
「残念だったわね、小悪魔。あなたがサキュバスにジョグレス進化する日は来ないわ」
はっはっは! と勝ち誇ったレミリアは、おピンクコーナーにて小さな胸を張って勝利の拳を突き上げるのだった。
~☆~
結局のところ、レミリアが手にとった本はおピンクコーナー手前の本棚にあった一冊の本だった。
分厚い表紙はハードカバー等の小難しい小説を連想させるが、そのタイトルは難しくも何ともない。
幻想郷が存在する日本国の文字で『じんたいのふしぎ』と書かれていた。
「どう見ても児童書よ、それ」
魔法の研究に一段落ついたのか、パチュリーはレミリアの隣に座り紅茶を飲みながら表紙を覗き込んだ。
咲夜が用意した紅茶だが、パリュリーにはストローが用意されていない。
何か不満を覚えながらもレミリアは疑問を口にする。
「自動書? なに? 勝手にページがめくれるの?」
「便利な本ね。それとも迷惑かしら。児童よ、児童。子供向けの本」
「ふ~ん」
どうやら子供向けであろうがなかろうが、どうでもいいらしい。
ペラペラとめくっていくと、まるで皮を剥がされたかの様な人間のイラストが描かれていた。
筋肉の説明をしたページだろうか。
ギョロリとした目玉が子供にトラウマを植え付けそうだ。
「ほぅ。美味しそう」
「まぁ妖怪にとっては、美味しい人間図鑑、とそう変わらないか」
「私は人間を食べないけどね。血液だけで充分だわ」
「血の情報だったら、30ページあたりに載っているらしいわよ」
もくじをちらりと見てから、パチュリーはレミリアへ進言する。
それは良い情報を聞いた、とレミリアはペラペラとページをめくった。
「ここね」
パチュリーの言った通り、そこには血管の絵や赤い液体のイラストがたくさん描かれており、意外や意外に血液の成分など細かく書かれていた。
子供向けとは謳ってあるが、実際にはそれなりの専門書である事を示している。
それらを興味深く読んでいったレミリアは、ある驚愕の事実が書き込まれている事に気付いた。
「ぱ、パッチェ……とんでもない事が判明したわ」
「ん? 血液のぬめりがコレステロールだった事?」
以前、ドロドロの血液をレア物だと喜んでいたレミリアを見て、げんなりしていたパチュリー。
しかし、そんな事はどうでもいいの、とレミリアは本を見開いてパチュリーに見せた。
「女性の体?」
それは女性の裸がイラスト化して描かれており、男女の違いを示すページだった。
その一部分を指差し、レミリアは叫ぶ。
「母乳って血液だったの!?」
そこには乳房の断面図が描かれていた。
乳房の内部を描いたページだが、女性にとっては少しばかり痛い連想を彷彿とさせる。
そんなおっぱいなページには注釈があり、そこに書かれていた事実。
“母乳は血液から出来ている”
「そ、そうみたいね……知らなかったの?」
「知ってたら、今頃は違う未来が訪れていたわ!」
運命を操る程度の能力。
レミリアの持つ特殊能力がそう告げているのだろうか、パチュリーは生返事をするしかない。
「それで、どうしたのよ? それが、どうしたっていうの?」
「飲みたい」
「は?」
「私は吸血鬼よ、マイ・シスター」
「えぇ、そうね。マイ・フレンド」
嫌な予感をヒシヒシと感じたパチュリーは自分の地位を姉妹から友人に格下げしておいた。
「吸血鬼と言えば?」
「にんにくね」
「ノー。それもあるが、それではない」
「鏡に映らない」
「遠いわ。私が言いたいのはそれではない」
「心臓に杭を打ち込んで死んでしまえ」
「死ねって言われた!?」
うわん、と泣き声をあげる吸血鬼を放っておいて、魔女は静かに紅茶を飲み干した。
ミルクティは仄かに甘い。
チラリと横目でみると、レミリアが会話の続きを待っていた。
大きくため息を吐いてから、パチュリーは正解を告げる事にする。
このままでは静かな夕飯を迎える事は出来そうにないから。
「血を吸う事かしら」
ぱちん、とレミリアは指を鳴らす。
「正解よ、マイラバー」
「ありがとう、ドラキュリーナ」
恋人から他人まで、二人の溝はドンドンと広がっていった。
「吸血鬼は血を吸う。血を飲む! そして、母乳は血液から出来ているという驚愕の真実! そして導き出されるのはたった一つの行動よ!」
「えぇ、それは何かしら……」
「おっぱいが飲みたい!」
レミリアは友人の胸に飛び込んだ。
もちろん、撃墜された。
「痛い……」
魔導書での物理攻撃を受け、レミリアは図書館の床へ叩きつけられた。
「レミィ。あなたがここまで阿呆だとは思わなかったわ」
「いいのよ、パッチェ。私とあなたの仲じゃない。今更照れる事なんて何にも無いわ! さぁ、今すぐ私に母乳を!」
地面に倒れたままのレミリアの顔にパチュリーの靴がめり込む。
さすがの吸血鬼も、顔面への暴力は痛いらしく、椅子にぶつかりながらゴロゴロと転がった。
「なにするのよ! 痛いじゃない!」
「それはこっちの台詞よ! 子供もいないのに母乳なんか出る訳ないじゃない!」
「嘘つけ!」
「なんで嘘なのよ!」
「じゃぁなんでそんなに大きいのよ! 私なんてぺったんこよ! 大きいのはそこに母乳がたまってるからに決まってるでしょ、こんちくしょうが! 揉めば出るのよ!」
「馬鹿じゃないの! ちょっとゼロから本を読んで勉強しなさい!」
「じゃぁ、その無駄に大きなおっぱいには何がつまってるっていうの!? 夢なの!? 希望なの!? 理想郷がそんなところにあるとでも言うの!? ユートピア! ぼくらのニューホライズン!」
「うっさいわね! 夢と希望と理想郷がつまってるのよ!」
「ちくしょう! この巨乳女が!」
きいいいぃぃぃぃ! と叫んでレミリアは図書館から出て行った。
後に残されたパチュリーは、絶叫ツッコミの後遺症でゴホゴホと咳き込む。
ようやく落ち着いてきたところで、小悪魔がやってきた。
「パチュリー様。私もその理想郷に興味あります」
「黙れ小悪魔。貴様を天国へと送ってやろうか」
「はい、喜んで!」
懐に忍ばせていた文庫版聖書を、パチュリーは高らかに掲げ、振り下ろすのだった。
~☆~
その後、人間の里で吸血鬼異変が起こった。
赤ん坊の居る家を訪ねては、
「母乳をよこせ!」
と襲い掛かる吸血鬼が現れたという。
しかし、母体に酷い事をする訳にもいかず、具体的には襲い掛かれなかったとか。
たまたま通りかかった買い物途中の紅白の巫女に倒されたとか。
決め手は大根の一撃だったとか何とか。
人間の里に置いていく訳にもいかないという事で、ズリズリと紅白の巫女に引きずられていく途中。
無用な混乱を起こしたとして八雲紫に怒られたとか。
それを稗田家の九代目に目撃されて、ニヤニヤとメモされ、その隣には幻想郷最速の天狗もいたとか何とか。
「うぅ~、ただいま~」
「うわ、お嬢様。日傘もささずにドコ行ってたんですか?」
そんなボッコボコにされた状態で。
泣きながら帰ると、門番がびっくりしながら迎え入れてくれた。
いつだって門番は自分に優しかった事を思い出す。
どんなに馬鹿にしたって笑って許してくれた。
紅魔館において、真に器の大きい存在。
それが、門番たる紅美鈴。
豊満の胸を持つ、立派な乙女だ。
レミリアは、そのタワワに実った胸に、少しのときめきの表情を浮かべると、赤くなりながら呟いた。
「美鈴。おっぱいちょうだい?」
「は?」
その背後にメイド長が立っていたのは言うまでもない。
果たして、紅魔館がこの後どうなったのか。
それは門外不出の事件として、語られる事はなかった。
おしまい。
永遠を生きる姫も、それを殺す為に毎日に尽力を惜しんではいない。
長き命を持つ者はそれを退屈殺しと呼ぶ。
不老不死といえど、不老長寿といえど、退屈は容赦なく襲い掛かってくる。
もし、それに負けてしまったのなら。
後には絶望しか残されていない。
だから負ける訳にはいかない。
永遠にも続く退屈殺しを――退屈を殺し続けなければならない。
それは、悠久を生きるお嬢様も同じだった。
「はぁ~、暇ね~」
窓の少ない真っ赤な屋敷の地下で、レミリアは退屈な息を泡の様に吐き出した。
薄暗い中、ロウソクと魔法の明かりが図書館内を照らす。
その幻想的な雰囲気も、毎日、1年、50年、100年と見続けていれば日常へとなってしまう。
例え綺麗な景色であろうと、すぐ傍に居れば普通となってしまうのだ。
下手をすれば、下等にも思えるかもしれない。
「咲夜~、紅茶~」
机に頬をぴっとりと付けたまま、ワガママな子供の様に従者を呼んだ。
その言葉をどこで聞いていたのやら、瞬間移動の様に現れたメイド長は文句ひとつ言う事なく、主人が座っている机に紅茶の注がれたカップを置いた。
少しオシャレなティカップからは淹れたての証明の様に、湯気が仄かに揺れながら図書館の天井を目指している。
もっとも、すぐにその姿は消えて、空気となってしまった。
「今日は何の紅茶?」
「ミルクティですよ」
「ふ~ん……それで、なんでストロー?」
カップの横にはスプーンでもスコーンでもなく、ストローが置かれていた。
もちろん藁でもなく、ドーナツの様に穴が開いた普通のストローだ。
誰がどう見ても、これで紅茶を飲め、という事だろう。
「お嬢様が退屈そうでしたので。それでは掃除が残っておりますので」
メイド長はそう告げると、再び瞬間移動の様に姿を消した。
「帰りは時間を止めなくてもいいと思うんだけどな~」
そんなどうでもいい事を呟きながら、レミリアはストローを手にもつ。
そのままカップに入れると、ちゅ~~~と血を吸う要領でミルクティを口の中へと運んだ。
「あっつ!!!」
熱々(普段より温度が明らかに高い)のミルクティをストローで飲めば当たり前の事。
悠久の時間を生きる吸血鬼は常識をも忘れてしまうのだろうか。
紅魔館の主、レミリア・スカーレットはマヌケにもミルクティの熱さに図書館の床をゴロゴロと転げまわった。
彼女が床を往復する度に威厳度やカリスマパラメータがガックンガックンと下がっていく。
残念ながらその数値は見える事がないので、レミリアは知る由もなかった。
そんな風にバタバタと激しい物音を立てたからか、小悪魔が本を抱えながら近寄ってくる。
「大丈夫ですか、お嬢様?」
「はひひょうふはふぁいは、はふひはふひほ」
何かを伝えようとしているのか、口を開くが火傷した舌が上手く動かず言葉にならない。
「あぁ、では私と契約しましょう。口の火傷を治してあげますので、その代わり魂を頂きます」
「ほへはいふふは」
小悪魔が差し出した手を掴もうとするレミリア。
悪魔が悪魔に対して契約を結ぶのは幻想郷始まって以来の事。
歴史的一瞬が見られるか、と思われたその時――
「ぎゃふん!」
最近幻想入りしてきた悲鳴をあげて小悪魔が倒れた。
紅魔館で流行している悲鳴のベスト1に掲げられる「ぎゃふん」。
妖精メイドの間でもトレンドだ。
「はひほほ!?」
恐らく、何者!? と叫んだのだろうか。
レミリアが警戒心を高め小悪魔を打ち倒した者を見た。
「図書館では静かに。常識でしょ?」
果たして、それは図書館の主だった。
レミリアの友人であるパチュリー・ノーレッジは分厚い魔導書でもって小悪魔の後頭部を叩いたらしい。
その手には不気味にも威圧感たっぷりのグリモワールが禍々しいオーラを放っていた。
「なにするんですか、パチュリー様! それが聖書なら私、死んでましたよ!」
「悪魔が簡単に死ぬんじゃない。レミィも小悪魔相手になに契約結ぼうとしているの」
まったく、とため息を零しながら小さな氷の塊を顕現させる。
少し先端が丸まった様な氷柱が空中に現れると、それはそのままレミリアの口へと突っ込まれた。
「もががっ」
少しばかり扇情的なシーンになるかな。
と、期待していたパチュリーと小悪魔だが、残念ながらレミリアでは色気が足りないらしい。
アイスキャンディを食べる妖精と違いが見当たらず、すぐに解散となった。
「なによ」
何か無視された気がして、不満を口にするが……残念ながら小悪魔も友人も相手にしてくれない。
仕方が無いとばかりに、レミリアは埃を払うと氷柱をペロペロと舐めながら机へと戻る。
その唾液まみれの氷柱をミルクティにつっこみ、温度の下降を図る事にした。
「これで大丈夫ね」
だが、液体の温度というのはそんなに早くは下がらない。
「まだあついっ!?」
先程のやりとりを繰り返す事となったレミリアと小悪魔は、今度こそパチュリーによって聖書で後頭部を痛打される。
なかば魔界へ帰ってしまいそうになる体を、二人してギリギリに耐えた。
「ぜぇぜぇ、やったわ小悪魔!」
「はぁはぁ、あ、ありがとうございますお嬢様。危ないところでした」
「ふふ、安心なさい。私がいる限り紅魔館のメンバーは一人も欠ける事がなくってよ」
「お嬢様! あぁ、お嬢様!」
そんな風に紅魔館のトップと下っ端が友情を確かめていると、パチュリーが傍に立つ。
劣化版ではなく本気の聖書と、人間の皮で作られた表紙のヤバイ魔導書を両手に構え、ふりあげた。
「静かにしなさいっていってるでしょ!」
「「はい、すいませんでした!」」
退屈な日常というのは、こうして過ぎ去っていくらしい。
~☆~
氷柱が全て溶け、冷たくて薄くなってしまったミルクティをストローでずぞぞぞぞと飲み干したレミリアは、またその柔らかい頬を机へと押し付けた。
退屈は猫をも殺すというが、吸血鬼も猫の一種だったようで、世の中を全て恨む様な目で図書館の主を見つめる。
その視線がチクチクと刺さるのか、ため息を吐きながらパチュリーは振り返った。
「なによ?」
「退屈なの。何か無い?」
「ここは図書館よ。本でも読んでればいいじゃない」
「魔導書は退屈なのよ。意味が分からないわ」
「魔導書ばかりじゃないわ。普通の本だってあるでしょ」
まったく、と言葉を漏らしながらパチュリーは小悪魔を読んだ。
「なんですかパチュリー様。お昼ご飯はさっき食べましたよ?」
「私はまだボケてはいないわ」
「はい、ボケたのは私ですね。早くツッコんでください。いやらしく」
「天国に逝ってしまえ」
「なんという辛辣な言葉……それが部下に対する上司の台詞ですか!」
「はいはい。後で相手してあげるから、レミィに本を案内してあげて」
「はーい」
元気良く返事をした小悪魔はレミリアを手招きした。
下等の悪魔に呼ばれたとあって、釈然としない何かを感じながらも、レミリアは立ち上がり、小悪魔の案内のもと、本棚の迷路に足を踏み入れる。
「あんた、そのうち滅ぼされるわよ」
「大丈夫ですよ~。なんだかんだ言って、みんな優しいですから」
「悪魔の屋敷に住む優しい住人か。舐められたものね」
「あははー」
「今度、あなたを妹の遊び相手に任命するわ」
「すいませんでしたー!」
全力で土下座した小悪魔の頭をレミリアは踏んづける。
「なによその格好」
「ジャパニーズスーパーソーリースタイルです」
「なるほど。噂に聞いた事があるわ。そのスタイルで謝れば、いかな暴力的な事件も許されるとか許されないとか」
「はい。どうぞお許しくださいませ、お嬢様」
「うむ」
レミリアは満足そうに頷くと小悪魔の頭から足をおろした。
「やはり悪魔は屈服させるに限る」
「ですよね~」
ぺかー、と屈託の無い笑顔をみせる小悪魔に疑問の念を抱きつつ、レミリアは小悪魔の案内で更に図書館迷宮の奥へと進んだ。
「はい、こちらです」
しばらく進むと小悪魔が立ち止まり、右手で指し示した。
そこには何やら暖簾の様な物で仕切りがしてあり、向こう側の棚が見えなくなっている。
その暖簾の色はピンク色。
何か銭湯の様な雰囲気を感じながらも、レミリアは小悪魔に説明を促した。
「ここは?」
「面妖本コーナーです」
「め、めんよう?」
「はい、どうぞどうぞ!」
アリス・マーガトロイドの人形劇に急ぐ子供の様な勢いで、小悪魔はレミリアの背中を押していく。
ちょっとちょっと、とブレーキをかけながらも暖簾を潜ると――
「ぴ、ぴんく?」
目の前がピンク色に染まっていた。
「え、エロ本じゃないの!」
「あぁ、今の人は面妖本って言わないんでした。エロ本です、エロ本。ちょっと古い言い方をすると春画ですかね~。おぉ、えろーすえろーす!」
「こんなんで暇が潰せるか! それから悪魔が気安く神の名を口にするな!」
エロスとはギリシア神話における恋心と性愛を司る神様の名前である。
小悪魔の言うエロスは、果たして神の名前だったのか、それともエロいという意味か。
真相は彼女のみが知る。
「いやいや、エロ本で暇は潰せるでしょ。むしろプレス加工してしまいましょう」
ほれほれ、と小悪魔は手近な一冊を手に取る。
「これなんかどうです? 人間の交わりを鮮明に写真で撮れております」
「うわぁ、見たくない見たくない」
「何を初心な事を言っておられるんですか。吸血鬼の吸血行為といえば性行為の代替行為。さぁさ、ドラキュリーナさん。殿方の血みたいなアレもごっくんしちゃいましょう!」
ほれほれほれ、と殿方どアップシーンを見せ付けながら追いかけてくる小悪魔からレミリアは逃げ出した。
「ぱ、ぱちゅりー! ぱっちぇさーん! お宅の部下がエロ本あつめてるー!」
「あー! 卑怯ですよ!」
口を塞ごうとしてくる小悪魔の両手をがっしりとホールドし、レミリアは全力で友人の名前を呼んだ。
果たしてレミリアの思いは届いたのか、遠くの方からパチュリーの言葉が届く。
「後で燃やしておく」
図書館の主の審判が下った。
「がーん」
「残念だったわね、小悪魔。あなたがサキュバスにジョグレス進化する日は来ないわ」
はっはっは! と勝ち誇ったレミリアは、おピンクコーナーにて小さな胸を張って勝利の拳を突き上げるのだった。
~☆~
結局のところ、レミリアが手にとった本はおピンクコーナー手前の本棚にあった一冊の本だった。
分厚い表紙はハードカバー等の小難しい小説を連想させるが、そのタイトルは難しくも何ともない。
幻想郷が存在する日本国の文字で『じんたいのふしぎ』と書かれていた。
「どう見ても児童書よ、それ」
魔法の研究に一段落ついたのか、パチュリーはレミリアの隣に座り紅茶を飲みながら表紙を覗き込んだ。
咲夜が用意した紅茶だが、パリュリーにはストローが用意されていない。
何か不満を覚えながらもレミリアは疑問を口にする。
「自動書? なに? 勝手にページがめくれるの?」
「便利な本ね。それとも迷惑かしら。児童よ、児童。子供向けの本」
「ふ~ん」
どうやら子供向けであろうがなかろうが、どうでもいいらしい。
ペラペラとめくっていくと、まるで皮を剥がされたかの様な人間のイラストが描かれていた。
筋肉の説明をしたページだろうか。
ギョロリとした目玉が子供にトラウマを植え付けそうだ。
「ほぅ。美味しそう」
「まぁ妖怪にとっては、美味しい人間図鑑、とそう変わらないか」
「私は人間を食べないけどね。血液だけで充分だわ」
「血の情報だったら、30ページあたりに載っているらしいわよ」
もくじをちらりと見てから、パチュリーはレミリアへ進言する。
それは良い情報を聞いた、とレミリアはペラペラとページをめくった。
「ここね」
パチュリーの言った通り、そこには血管の絵や赤い液体のイラストがたくさん描かれており、意外や意外に血液の成分など細かく書かれていた。
子供向けとは謳ってあるが、実際にはそれなりの専門書である事を示している。
それらを興味深く読んでいったレミリアは、ある驚愕の事実が書き込まれている事に気付いた。
「ぱ、パッチェ……とんでもない事が判明したわ」
「ん? 血液のぬめりがコレステロールだった事?」
以前、ドロドロの血液をレア物だと喜んでいたレミリアを見て、げんなりしていたパチュリー。
しかし、そんな事はどうでもいいの、とレミリアは本を見開いてパチュリーに見せた。
「女性の体?」
それは女性の裸がイラスト化して描かれており、男女の違いを示すページだった。
その一部分を指差し、レミリアは叫ぶ。
「母乳って血液だったの!?」
そこには乳房の断面図が描かれていた。
乳房の内部を描いたページだが、女性にとっては少しばかり痛い連想を彷彿とさせる。
そんなおっぱいなページには注釈があり、そこに書かれていた事実。
“母乳は血液から出来ている”
「そ、そうみたいね……知らなかったの?」
「知ってたら、今頃は違う未来が訪れていたわ!」
運命を操る程度の能力。
レミリアの持つ特殊能力がそう告げているのだろうか、パチュリーは生返事をするしかない。
「それで、どうしたのよ? それが、どうしたっていうの?」
「飲みたい」
「は?」
「私は吸血鬼よ、マイ・シスター」
「えぇ、そうね。マイ・フレンド」
嫌な予感をヒシヒシと感じたパチュリーは自分の地位を姉妹から友人に格下げしておいた。
「吸血鬼と言えば?」
「にんにくね」
「ノー。それもあるが、それではない」
「鏡に映らない」
「遠いわ。私が言いたいのはそれではない」
「心臓に杭を打ち込んで死んでしまえ」
「死ねって言われた!?」
うわん、と泣き声をあげる吸血鬼を放っておいて、魔女は静かに紅茶を飲み干した。
ミルクティは仄かに甘い。
チラリと横目でみると、レミリアが会話の続きを待っていた。
大きくため息を吐いてから、パチュリーは正解を告げる事にする。
このままでは静かな夕飯を迎える事は出来そうにないから。
「血を吸う事かしら」
ぱちん、とレミリアは指を鳴らす。
「正解よ、マイラバー」
「ありがとう、ドラキュリーナ」
恋人から他人まで、二人の溝はドンドンと広がっていった。
「吸血鬼は血を吸う。血を飲む! そして、母乳は血液から出来ているという驚愕の真実! そして導き出されるのはたった一つの行動よ!」
「えぇ、それは何かしら……」
「おっぱいが飲みたい!」
レミリアは友人の胸に飛び込んだ。
もちろん、撃墜された。
「痛い……」
魔導書での物理攻撃を受け、レミリアは図書館の床へ叩きつけられた。
「レミィ。あなたがここまで阿呆だとは思わなかったわ」
「いいのよ、パッチェ。私とあなたの仲じゃない。今更照れる事なんて何にも無いわ! さぁ、今すぐ私に母乳を!」
地面に倒れたままのレミリアの顔にパチュリーの靴がめり込む。
さすがの吸血鬼も、顔面への暴力は痛いらしく、椅子にぶつかりながらゴロゴロと転がった。
「なにするのよ! 痛いじゃない!」
「それはこっちの台詞よ! 子供もいないのに母乳なんか出る訳ないじゃない!」
「嘘つけ!」
「なんで嘘なのよ!」
「じゃぁなんでそんなに大きいのよ! 私なんてぺったんこよ! 大きいのはそこに母乳がたまってるからに決まってるでしょ、こんちくしょうが! 揉めば出るのよ!」
「馬鹿じゃないの! ちょっとゼロから本を読んで勉強しなさい!」
「じゃぁ、その無駄に大きなおっぱいには何がつまってるっていうの!? 夢なの!? 希望なの!? 理想郷がそんなところにあるとでも言うの!? ユートピア! ぼくらのニューホライズン!」
「うっさいわね! 夢と希望と理想郷がつまってるのよ!」
「ちくしょう! この巨乳女が!」
きいいいぃぃぃぃ! と叫んでレミリアは図書館から出て行った。
後に残されたパチュリーは、絶叫ツッコミの後遺症でゴホゴホと咳き込む。
ようやく落ち着いてきたところで、小悪魔がやってきた。
「パチュリー様。私もその理想郷に興味あります」
「黙れ小悪魔。貴様を天国へと送ってやろうか」
「はい、喜んで!」
懐に忍ばせていた文庫版聖書を、パチュリーは高らかに掲げ、振り下ろすのだった。
~☆~
その後、人間の里で吸血鬼異変が起こった。
赤ん坊の居る家を訪ねては、
「母乳をよこせ!」
と襲い掛かる吸血鬼が現れたという。
しかし、母体に酷い事をする訳にもいかず、具体的には襲い掛かれなかったとか。
たまたま通りかかった買い物途中の紅白の巫女に倒されたとか。
決め手は大根の一撃だったとか何とか。
人間の里に置いていく訳にもいかないという事で、ズリズリと紅白の巫女に引きずられていく途中。
無用な混乱を起こしたとして八雲紫に怒られたとか。
それを稗田家の九代目に目撃されて、ニヤニヤとメモされ、その隣には幻想郷最速の天狗もいたとか何とか。
「うぅ~、ただいま~」
「うわ、お嬢様。日傘もささずにドコ行ってたんですか?」
そんなボッコボコにされた状態で。
泣きながら帰ると、門番がびっくりしながら迎え入れてくれた。
いつだって門番は自分に優しかった事を思い出す。
どんなに馬鹿にしたって笑って許してくれた。
紅魔館において、真に器の大きい存在。
それが、門番たる紅美鈴。
豊満の胸を持つ、立派な乙女だ。
レミリアは、そのタワワに実った胸に、少しのときめきの表情を浮かべると、赤くなりながら呟いた。
「美鈴。おっぱいちょうだい?」
「は?」
その背後にメイド長が立っていたのは言うまでもない。
果たして、紅魔館がこの後どうなったのか。
それは門外不出の事件として、語られる事はなかった。
おしまい。
不満w
疑惑の新人。
このレミリアなら、トマトジュースでも生きていけそうです。
まあ何やかんやと愉快で色々な突き抜け具合はむしろ清々しいくらい。ところで肝心の授乳シーンは何処に()
幻想郷始まって依頼→以来
楽しいSSでした