―――恋の歌を響かせよう。
夏の夜に浮かぶ、花火のように。
恋の歌を響かせよう。
隣に座る、大切な貴女に。
貴女に出会えて、本当に良かった。
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―水無月ノ第二日曜日―
梅雨もなかばにさしかかり、じっとりとした暑さが続くこの時節。
今日はたまたま晴れているものの、不快指数の高さはただ事ではない。
そんな気候にはめげもせず、私、四季映姫は、その日も各地を説教して回り、声を張り上げていた。
「―――だから、何度も言っているでしょう!惰性が人間を一番ダメにするのです。そもそも博麗の巫女として自覚があるのなら」
「もう、しつこいわねえ。別に私だって好きでダラダラしてるんじゃないのよ?ただ、こう暑くっちゃ」
「冬は冬で『こう寒くっちゃ』と言っていましたし、春秋は『こう良い気候だと眠くなって』と言っていましたよね!?貴女は一体いつやる気を出すんですか!?」
他ならぬ閻魔にこうまで言わせる神職の者というのもどうなんだろう。
そんなことを思いつつ、ジト目で『博麗の巫女』こと博麗霊夢を睨んでやるも、一切効果なし。
まるで馬の耳に念仏というか、蛙の面に……いやいや。
ともかく、霊夢は私の事などまるで意に介さないように、きわめてマイペースな振舞いを見せる。
「私は私なりに、きちんとした生活を送っているつもりよ?」
「ほう、どんな風にです?」
「朝ごはんを食べて、洗濯して、境内を掃除して、あとはボーっとして」
「その『ボーっとして』が良くないと言うのに!」
「はいはい。分かったってば」
ぼんやりと虚空を眺めながらそんな風に返されれば、力も抜けるというものだ。これ以上、彼女に何を言っても仕方がないだろう。
私は『はあ』とわざとらしくため息をつくと、次の場所へと向かうべく、仕度を始める。
「今日はここまでにしておきますが、最後に一つ。貴女は少し時間を無駄に使いすぎる」
「有効活用していると言ってほしいわね」
「やかましい!……こほん。ともかく、人の身である貴女にとって、一生など、あまりに短い時間なのですからね?それだけは忘れないように」
「はいはい」
聞いているのやらいないのやら。
少しムッとしつつも「それでは」と言って私が玄関に向かおうとすると、後ろから「ちょっと待って」と霊夢の声が飛んでくる。
「何です?」
「二つだけ。まず一つ。素敵な賽銭箱はあちら」
「帰りますね」
「連れないわねえ。それともう一つ」
「……今度は何ですか」
「人里の人間ならともかく、それ以外であんたの話をまともに聞くような人妖は、幻想郷にはいないわよ」
「皆、自分の性分をよく分かってる奴らばかりだし、今更それを変える気もないだろうしね」
それだけ言うと、霊夢のごろりと横になったであろう音が聞こえる。
『さっき私が説教したばかりでその態度か』と怒る気には、到底なれなかった。
結論から言えば、霊夢の言葉は正しかったという事だろうか。
あの後、さらに幻想郷を巡った私は、思わずそんなことを実感した。
永遠亭。
蓬莱山輝夜の所に向かえば「私なんかに説教するためこんな所まで来るなんて、閻魔様も大概暇なのね」と呆れ顔で言われた。
紅魔館。
パチュリー・ノーレッジに「本ばかりでなく、外の世界を実際に見てみること」の大切さを語れば「そのために今、水晶玉を改良中なのよ」と軽くかわされ。
レミリア・スカーレットに「慈悲と自省の大切さを知らなければ地獄に堕ちる」と説けば「そうだとして、私がそんな運命を恐れると思う?地獄なんて退屈しなさそうだしね」と笑われた。
「あんたの話をまともに聞くような人妖は、幻想郷にはいないわよ」という、霊夢の言葉が頭をよぎる。
本当は、以前から自分でも気付いていたのだと思う。
ただ、私自身がそれを認めたくなかったというだけの話で。
幻想郷に集まる人妖は、一部を除き、弱肉強食の中を好き勝手に生き抜いてきた連中の集まりだ。
つまりは、気儘で、それでいてプライドが高く、他人に言われた程度で簡単に己の生き方を変えたりはしない。
「分かってるんです」
誰にともなく、私は呟く。
「分かってるんですよ。私だって」
自分でも聞き取れないほど小さな声は、吹き渡る風の音にかき消され、消えていった。
ポチャリ、ポチャリ。
霧の湖へ、私の投げた石の沈む音だけが響き渡る。
紅魔館を出た後、どうにもやるせなさに襲われた私は、湖にて、しばしの休息を取っていた。
高く高く昇っている太陽とは裏腹に、私の心は沈んでいる。
ポチャリ、ポチャリと石を投げれば投げる程、心も、深く、深く沈み込んでいった。
私のやっていることは何なんだろう。もしかして、とても無意味なことなのではないだろうか。
考えても仕方ないとは分かっていても、頭にはそんなことばかりが浮かんでしまう。
「今日はもう、帰りましょうか」
自分自身がこんなに後ろ向きになっていては、人に何かを説くことなどできない。ならば、今日はこれ以上、無理をすることもない。
そう考えて、私が重い腰を上げようとした時の事だった。
「……何やってんの?」
不思議そうな目で私に声をかけてきたのは、かつて説教をした覚えもある氷精・チルノだった。
「ふーん、誰も閻魔様の話を聞いてくれないから、落ち込んでたんだ」
「……まあ、そんな所です。それと『閻魔様』なんて堅苦しい呼び方をしてくれなくても良いですよ。映姫と呼んでください」
「分かった。えーき」
湖のほとりで、私はチルノへ今日の出来事を話していた。
自分でも、この子に悩みを話すなんて、馬鹿なことをしているのは分かっている。
私は閻魔なのに。人を裁く立場として、ある意味で誰よりも強くなければならない閻魔が、力の弱い妖精に弱みを見せてどうするのだ、と。
それでも、今は誰かにこの気持ちを聞いてほしかった。いくら閻魔といえど、一人で全てを抱え込めるほどには、私は強くない。
「それで、えーきはどこに行ってきたの?」
「博麗神社に永遠亭。それと、今しがた紅魔館へ」
「大変だね」
「慣れたものですよ。休日も殆ど、各地を説教して回っていますから」
私が言うと、チルノは目を丸くして驚いてみせる。
「よく知らないけど、えーきって普段も『さいばんちょう』とかいう仕事してるんでしょ?それで、お休みも殆ど人に会ってお説教して潰しちゃうの?」
「ええ」
「それじゃあえーきは、いつ休んだり、遊んだりしてるの?」
「……そうですね。最後に丸一日休んだのは、いつだったか」
言われてみれば、ここ最近はきちんと休んだ記憶がない。
ずっと仕事に追われていたし、そうでなくとも人里などの気になる者の所へ行って、説教をしていたからだ。
「もしかして、えーきの所って、お休みでもお休みしちゃいけない決まりなの?」
「え?いえ、そんなことはないですよ。毎週土日には、皆きちんと休めるようになっています」
「じゃあ、誰か偉い人に『働け!働け!』って言われてるとか」
「それもないです。あくまで、私が自主的にそうしているだけで」
「ふーん……」
チルノは、私の話を聞くと、何やら難しい顔をして考え込んでみせる。
「えーきは、本当に頑張り屋さんだね」
「!」
「だって、そんな思いまでしても、あんまり人に話を聞いてもらえないんでしょ?あたいだったら、親友の大ちゃんやルーミアやみすちーにそんな風にされたら、がまんできないもん」
「えーきはそんなに頑張ってるのに、みんなひどいね。あたいは前、えーきに言われたこと、ちゃんと覚えてるよ!『いのちだいじに』って」
感服したような目で、チルノは私の事を見つめる。
その顔を見て、私は何だか救われたような気分になった。
(……ああ、そうだったんですね)
私は、ただ誰かに認めてもらいたかったんだ。例え殆どの人妖に話をきちんと聞いてもらえなくても、私がしていることは、無駄ではなかったんだと。
私がそんなことを考えていると、チルノは難しい顔に戻って続ける。
「けど、いくら何でもたまには遊んだり、しっかり休んだりしなくちゃダメだよ!そんなに働いてばかりじゃバカになっちゃう」
「遊べ、と言われましても。私は、何かで楽しく遊んだことなんて殆どないんですよ。だから、何をしていいやら」
「むー……じゃあ、そんな遊び初心者のえーきでも、楽しく遊べる遊びを教えてあげる!」
チルノはそう宣言すると、人差し指を高く空に掲げて叫んだ。
「おーにごっこする子、こーの指とーまれ!!」
わーっ。わーっ。きゃーっ。きゃーっ。
わらわら。わらわら。
どこから集まってきたのやら、チルノが叫んだ途端に、たくさんの妖精たちがチルノを目指して飛んでくる。
その数、ざっと二十から三十といった所だろうか。さっきまでの静けさがまるで嘘のように、姦しい空間が目の前に広がっていた。
「それじゃあ、えーきが鬼ね!10数えたら皆を追っかけて捕まえてね!」
「こ、これだけの数の子たちを相手にするのですか!?」
「んー……これでも、いつもよりは少ない方だよ。今日はちょっと蒸し暑いから、出てこれない子もいるのかな」
絶句。
そうこうしている間にチルノが「それじゃよーい、すたーと!」と号令をかけ、妖精たちは「ワーッ」と、散り散りに逃げていく。
「まだ用事がありますので」と、この場を離れるのは簡単だが、この子たちも折角集まってくれた訳だし、何よりチルノに申し訳ない。
もうこうなってしまっては、私も覚悟を決めるしかないだろう。
(勝負とあっては仕方ありません。妖精といえど、勝敗の白黒はきっちりつけさせていただきます!)
自分でも呆れる程無駄に闘志を燃やしつつ、私は10カウントの後、妖精たちを一匹残らず捕まえるべく、大空へと飛び立っていった。
翌日。
「あいたた……腕が、腰が、足が、痛い……」
裁判所の更衣室にて、私は筋肉痛に悶絶していた。間違いなく昨日の鬼ごっこのせいである。
白熱の鬼ごっこはかなりの長期戦となり、私の肉体は思った以上の大打撃を受けてしまった。
そのせいで、こうして今日の仕事にまで差し支えている。今更慣れないことをするべきではなかったかもしれないなと思っても、全ては後の祭りだ。
「少々、本気になりすぎましたかね……いたたっ」
「おはようございまーす……何やってるんです?四季様」
「お、おはようございます、小町」
服を脱ぐのにも苦労して、ヒーヒー言いながら着替えていると、小町が怪訝な様子で入ってくる。
無理もないだろう。私だって、長い閻魔生活の中で、朝からこんな状態になるのは初めてだ。
「筋肉痛ですか?」
「はい。昨日珍しく運動してきたんですが、どうも張り切りすぎてしまったようで」
「へえ、そんなことが」
……嘘ではないから閻魔的にもセーフだろう。
さすがに『妖精たちと鬼ごっこをして鬼をやったのはいいんですが、思うように捕まえられず、本気になりすぎてしまいました」とは、恥ずかしくて言えない。
でも、仕方がないではないか。
何しろ彼女たちときたら、追いつめられると瞬間移動して私の背後へと逃げていったり、光の屈折を利用して身を隠したり、はたまたこちらの気配を探られるせいで、そもそも近づけなかったり。能力が、反則的に鬼ごっこ向けの者が多いのだ。
昨日行ったのがいわゆる『増え鬼』ルールだったおかげで、こちらも少しずつ戦力を増やして応戦はしたものの。私でも簡単に捕まえられる妖精が、鬼になったからといって大した戦力になる訳もなく。
おかげで、こちらはぶっ続けで三時間も飛び続けるハメになってしまった。疲労困憊もするというものだろう。
とはいえ、ただただ無心で彼女たちを追いかけ回すのは思いの外面白かったし、終わった後は充足感があるのと共に、妙にすっきりとした気分にもなったけれど。
大の字になって倒れている私に向かって「楽しかったでしょ?」と、ニコリと笑うチルノの顔が浮かぶ。私はハーハーと息を切らせながらも、「ええ」と頷いてみせるしかなかった。
思いがけない形ではあったけれど、良い気分転換をさせてくれた彼女には、感謝しなければならない。
「本当に珍しいですね」
「ええ。何しろ普段は内勤ですし、運動なんて中々」
「そうじゃなくて、そんなに楽しそうにしているのがですよ」
「え?」
「気付いてないですか?だって、さっきから四季様」
―――とてもいい笑顔ですよ。
「何かいいことでもあったんですか?」とからかうように言いながら、着替えを終えて出ていく小町。
私は何だか今更になってそんな姿を見られたのが気恥ずかしくなりながら、その後ろ姿を見送るのだった。
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―水無月ノ第三日曜日―
紅魔館の図書館に立ち寄り、先週パチュリー・ノーレッジへ説教をするついでに借りていった本を返却すると(そう、借りたものは必ず返す。これは難しいことでも何でもなく、極めて当然の話なのです。どこかの魔法使いさん)私はその足で霧の湖へと向かった。
「チルノ、いますか?」
「あ、えーきだ。やっほー」
湖のほとりで呼びかけると、上空から返事と共にチルノが笑顔で降りてくる。
時間の約束もしていなかった割にはすぐ会えたことに内心で安堵しつつ、私は持ってきたバスケットをチルノに向けて差し出した。
「こんにちは、チルノ。これは先週私と遊んでくれたお礼に持ってきました。妖精の皆と分けて食べてください」
「わあ、お菓子!?えーきが作ったの!?」
「ええ。簡単なクッキーですが」
「すごーい!」
キラキラと目を輝かせるチルノを見ると、本当に喜んでもらえたようでほっとした。
このお菓子は昨日、アリス・マーガトロイドの家を訪ねて、作り方を教えてもらって作ったものだ。
突然現れた私にアリスはまた説教かと身構えていたようで、私が「お菓子作りを教えてください」と言った時の彼女の驚きようったらなかった。
というか、座っている椅子ごとひっくり返っていた。いくら何でもあんまりな反応だと思う。
「みんなー、お菓子があるよー!」
チルノがこの前と同じように上空で叫ぶと、あっという間にたくさんの妖精たちが集まってくる。その数は、おそらく先週集まった数以上か。きっと皆、甘いものには目がないのだろう。
ふと「みんなー、説教するよー!」と叫んだらどの位の子たちが飛んでくるかな、などと考えたが、おそらくただの一人も出てこないというのがオチだろう。
それで素行の悪い者たちが皆集まってくれるのならば、こちらも苦労しないのだけど。
「クッキーだー!」
「おいしそー!おねえちゃんありがとー!」
「何枚まで食べていいのー?」
がやがやと、バスケットはあっという間に妖精たちの手で取り囲まれてしまう。
そんな様子を見て、私は(念のため多めに焼いてきて正解だった)と、ほっとした。
もし一人でも行き渡らない子が出たら、大変な騒ぎになってしまっただろう。
「そうですね。この数ですと一人二枚くらいまでは、大丈夫だと思いますよ」
私が答えると「はーい!」という妖精の返事を合図に「いただきまーす!」の大合唱が響く。
妖精というと、私はもっとわがままだったり気まぐれな印象を持っていた。
だが、こうしてみると皆子供っぽいけれど良い子達ばかりで、どうやらこちらの誤解だったようだ。
偏見でものを見ていたということで、これは反省しなければなるまい。
(私もまだまだですね)
そんなことを思いつつ、私はしばらくクッキーを美味しそうに頬張る妖精たちの様子を眺めていた。
「そういえば、おねーちゃんだーれー?」
クッキーを食べ終え、幸せそうにしていた一人の妖精が私を指さしながらそう言うと、他の妖精たちもつられたように「だれだろー?」「しらなーい」「この前、鬼ごっこやってくれたよねー?」などと騒ぎ出す。
今更そんな疑問が出てくるあたりは、やっぱり妖精なんだなと内心で苦笑していると、チルノが「えへん」と咳払いをして、私を皆へと紹介する。
「この人はね、しきえーきっていうんだよ。『さいばんちょう』っていう、ものすごく難しいお仕事をしていて、あたいたちよりも、ずーっと色んなことを知ってるの」
「しきえーきさん?」
「おしごとしてるんだー」
「色んなこと知ってるのー?」
「どんなことー?」
「とにかく、あたいたちの知らないようなこと!」
キラキラと、さっきチルノから向けられたのと同じまなざしが、いくつも私に向けられるのが分かる。
それ自体は嬉しいのだけれど、何だろう。あまり良くない予感が、ヒシヒシとするのは気のせいだろうか。
そんなこととはつゆ知らず、チルノは、私の予感などまるで気付かないように言った。
「良かったら、みんなも自分の知らないこと、聞いてみるといいよ!」
―――ああ、もう駄目だ。そう思った時には、全てが遅かった。
「空って何で青いのー?」
「どうしてお腹が減るのかな?」
「どこかで聞いたんだけど『うみ』ってなーにー?」
チルノの言葉を皮切りに、私は妖精たちから怒涛の質問攻めにあう。
「空が青いのは、上空で『レイリー散乱』という現象が起こっているからです!お腹が減るのは、生物が活動している中で常にエネルギーを消耗しているからで、海というのは『れいりーさんらんってなーにー?』
ああ、もう!」
一つ答えては、また一つ。妖精たちの言葉は次々と、まるでこちらめがけて一斉掃射される弾幕のように飛んでくる。
しかも、避けるどころか、全部真正面から受け止めなければならないから、尚のことタチが悪い。
結局、まだ高かった日が西日に変わって沈みかけるまで、私はそれに答え続けなければならなかった。
「あ、もうこんなじかんだ」
「おねえちゃん、色々おしえてくれてありがとう!」
「私もかえらなきゃ。おねえちゃん、ありがとー。じゃーねー」
手を振り飛び去っていく妖精たちを見送ると、私は先週と同じように、その場へばたりと大の字になって倒れ込んだ。
「えっと……大丈夫ですか?映姫さん」
「ご、ごめんね。あたい、皆があんなに色々聞きたがるなんて思ってなくて」
申し訳なさそうに私の顔を覗きこんでくるのは、チルノと、先週瞬間移動で私を苦しめてくれた妖精の2人。
私は、倒れ込んだまま顔だけチルノの方を向くと
「……チルノ。貴女の言動は、少し軽はずみすぎる。私だって何でも知っているわけではありませんし、普段説いているのはあくまで生き方の姿勢についてで、理科や生物学ではないんです」
そう、私は閻魔であって、学校の先生ではないのだ。
門外漢の分野について、いきなり分かりやすく解説してくれと言われても無理がある。
まあ、少なくともこの子たちよりは長く生きているから、それなりに色々なことを知っているつもりではいるが、妖精たちの質問に答えるなら答えるで、少し準備をさせてほしいものだ。
(まったく。この後の予定が台無しですね)と、思わず心中で呟く。本当は、妖精たちにクッキーだけ渡したら、すぐにでもここを離れるつもりでいたというのに。
ただ、今日の出来事が、私にとって全く時間の無駄であったかといえば、そんなことはない。おかげで、いくつか気付くことのできた点もある。
一つ。妖精は、意外と知識欲が旺盛である。知識を得ようとするのは良いことだ。誰かが彼女たちの手助けをしなければならない。
一つ。私が定期的に来て指南役を務めても良いが、相手がこの人数ではとても手が回りそうもない。助っ人として、このすぐ近くに住んでいる知識の魔女でも連れてくるという手もあるが、おそらくは色々教えている途中で、むきゅーと倒れてしまうだろう。
一つ。言動を見るに、今私の目の前にいる二人は、妖精たちの中でもだいぶ頭の回る方の子たちである。
「ふむ」と私は一人ごち、起き上がると、まだ申し訳なさそうにしているチルノの頭をそっと撫でた。
「もう良いですよ、チルノ。それに、ええと」
「あ、私の事は大妖精と呼んでください」
「大妖精ね。以後よろしく」
「はい。チルノちゃんともども、よろしくお願いします」
私が言うと、大妖精はペコリと頭を下げる。
どうやらこの子は、チルノ以上にしっかりとしているようだ。
そういえば、先週チルノが言っていた『親友の大ちゃん』とは、この子のことかもしれない。
もしそうならばますます好都合だと思いつつ、私は二人に向けて問いかける。
「チルノ、大妖精。突然ですが、貴女方、寺子屋へ通ってみる気はありませんか?」
「寺小屋(ですか)?」
私が言うと、案の定、チルノも大妖精も、不思議そうな表情を浮かべてみせる。
「そうです。拝見するに、今日色々話していて、私の話を一番理解していたのは、貴女方二人でした。閻魔の身で言うのも何ですが、寺子屋の授業は、私の話をただ聞くだけよりも、もっとためになるものです。
上白沢慧音には、私から話を通しておこうと思いますし、いかがですか?」
「でも、今まで寺子屋に通うなんて、考えたこともなかったです」
「いきなり言われても、困っちゃうね。それに、あたいが居ると、それだけで周りは寒くなっちゃうんだよ?大丈夫かな?」
そう言って、突然の話に不安そうな表情を見せる二人。それも、無理のないことだろう。私自身、妖精が寺子屋へ通うなんて話は、聞いたことがない。
私は、そんな二人を諭すように続ける。
「ですから、とりあえず二人とも、夏の間だけ通ってみれば良いでしょう。あともう一つ。以前のチルノでしたら、周りのものを無闇に凍らせてしまう悪癖がありましたが、今はそんなことないでしょう?」
「うん!えーきに言われて、あたいもすっごく考えて、やっぱり遊びでそういうことをするのって良くないなって思ったから。もう、カエルだって凍らせてないもん」
「だったら、心配するようなことは何もないですよ。寺子屋に通えば授業で学ぶことばかりでなく、人間のお友達もできると思いますし、どうですか?」
「うーん……」
「どうしよっか、大ちゃん」
まだ迷っている様子の二人に、私はさっきから温めていた、とっておきの殺し文句を繰り出した。
「今よりも、もっとさいきょーなお姉さんになれますよ?」
「さいきょーなお姉さん?」
「ええ、貴女方は元々、妖精としては強すぎるほどの力を持っている。
そこに頭脳が加われば、妖精たちは、いえ、妖精たちだけでなく、人間の子供たちだって、知恵も力も持ち合わせた貴女方を、とても頼りにすることでしょう。悪い話ではないと思いませんか?」
私が言うと、チルノは目を輝かせて「行く!」と言ってきた。それにつられるようにして、大妖精も「チルノちゃんがそう言うなら」と。
内心で、ニヤリと笑みを浮かべてみせる。
我ながらここまでうまくいくとは思っていなかったが、全て計画通りである。
実際、勉学は人間以外の者にとっても、重要なものだ。
例え力の強い妖怪であっても、頭の方が足りなかったばかりに身を滅ぼした話などは、枚挙に暇がない。
妖精の中でも特に力の強いチルノと、しっかりとした性格の大妖精が、勉学を学ぶことでより賢くなってくれたなら。きっと、妖精たちの良きリーダーとなって動いてくれるだろう。
その中で、二人が他の妖精たちにも色々なことを教え、成長させていってくれたなら万々歳だ。
「それでは、私は早速、上白沢慧音の所に行ってこようと思います」
「うん!ありがとう、えーき!またね!」
「本当にありがとうございます。楽しみにしていますね、映姫さん」
ふわりと空に浮かびながら振り返ると、チルノは笑みを浮かべながら大きく手を振っていて、大妖精は丁寧に頭を下げたまま私の事を見送っていた。
随分対照的な二人だなあ、と私は思う。あれで普段は良い親友関係を築けているというのだから、不思議なものだ。友達というのは、案外そういうものなのかもしれないけれど。
(大妖精は、本当に良い子ですね。チルノも、ちょっとおてんばが過ぎるけど、根はとっても良い子。……あれ?あの二人って、実はやっぱりそっくりだったりするんでしょうか?)
どうなのだろうか。二人とも、良い子に違いはないのだけれど。
私は、二人が豆粒のように小さく見える程上空に浮かぶまで、彼女たちを見つめ続けながら、そんなことを考えていた。
チルノたちが寺子屋へ通う話は、とんとん拍子に進んでいった。
上白沢慧音も時折湖でチルノたちと会っているらしく、最近の彼女が以前よりも理性的になっているのは知っていたし、夏の暑さ対策も兼ねて是非お願いしたいとのことだった。
また、念のために、幻想郷の管理者である八雲紫にもこの事を伝えたが、面白そうに笑うだけで、特に問題がある訳でもなさそうだった。
人里の中には幻想郷縁起を読んでおり、チルノが寺子屋へ来て大丈夫かと心配をする者もあったが、最終的には慧音の人望と「あの閻魔様や賢者様のお墨付きだから」で納得されたらしい。
「あの」がどういう意味かは気になる所だが、結果的にはうまくいったのだから良いだろう。
七月一日から、八月の夏休みが始まるまでの一ヶ月。
あくまで試験的にという形ではあるが、無事にチルノと大妖精は、寺子屋へと通えることになった。
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―水無月ノ第四日曜日―
昨日の土曜日は、チルノと大妖精へ、寺子屋で使う道具の一式(鞄や教科書など)を渡しに行った。
上白沢慧音が『自分が渡しに行く』と言っていたのだが、彼女だって忙しい身だし、何よりチルノたちが寺子屋に入るのは、私が決めたようなものである。
ここは私が行くのが筋というものだ。
チルノは「まさか、あたいが寺子屋に行くことになるなんて思わなかったよ」と言いながらも、どこかわくわくとした表情を浮かべていた。
大妖精もこの前と変わらない丁寧な対応をしてくれたけれど、その顔は微笑んでいた。
無理もあるまい。彼女たちにとって、今回の話は、本当に思いもよらなかったことだろうから。
二人の笑顔を見ていると、何だかこちらまで嬉しくなってきてしまい、胸がほっこりと温かくなるのを感じることができた。
そして、今日は久しぶりに幻想郷中を説教しながら巡っている。
何だかんだとしているうちに、二週間も間を空けてしまった。こんなに長い間、どこにも説教に行かなかったのは実に久々だ。
全てを公平に見る閻魔として、いい加減妖精たちばかりに構っている訳にもいかないだろう。
(……だというのに、朝から込み上げてくる、この物足りない気持ちは何なのでしょう?)
あちこちでいつもの様に説教していても、胸の内に湧くのは、どこか、一人でいることを寂しいと思う気持ち。
以前までは、今日と同じように一人で行動をしていてもこんな感覚はまるでなかったというのに、一体何がそうさせるのか。いくら考えても分からない。
(まあ、あまり考えすぎない方が良いのかもしれませんね)
それよりも、先週まで説教に行けなかった分を取り戻さなくてはならない。
命蓮寺や魔法の森といった箇所を回り(アリスには、クッキー作りを教えてくれたお礼に、いつもより一時間も多く説教をしてきた。サービスだ)今、私は博麗神社までやってきていた。
「―――ふうん」
この前よりはややマシといった態度で私の話を聞いていた霊夢が、一通り私が話し終えた後に何やら頷いてみせた。
その態度が不躾なものに思えて、若干眉をピクリと動かすも、霊夢はまるで動じた風もない。
ため息をつきたいのを堪えて、私は平静を装いながら、霊夢に尋ねる。
「……何ですか」
「説教の仕方が、以前と違うと思ってね」
「そうですか?そんなつもりもないのですが」
霊夢の言葉に、私は思わず首をかしげた。
彼女には、ほんの数週間前にも説教をしたばかりだ。それで『以前と違う』などと言われても、戸惑ってしまう。
「ううん、だいぶ変わったわよ。閻魔様も、日々話し方の訓練でも積んでるのかしら?偉い偉い」
「……やっぱり、からかってるだけですね」
「もう、一々冗談が通じないわねえ」
プイと私が顔をそむけると、霊夢は呆れた様な声で言った。
そして、そのまま机の上に置いてあったお茶を一口啜ってから「でもね」と続ける。
「変わったっていうのは本当よ」
「どんな風にですか?」
「そうね。一言で言うなら、抽象的で難解で分かり辛かった話が、具体的になって分かりやすくなったって所かしら」
「私としては、そっちの方が良いと思うわよ」という霊夢の言葉を聞きながら、私はようやく「ああ」と納得した。
先週妖精たちにされた、大質問大会のおかげだ。
何しろ最初の方は勝手が分からなくて、ついつい難しい言葉を使って答えていたものの、妖精たちにとっては、ただでさえ知らないものをそんな言葉で説明されても理解できるわけがない。
だからこそ『妖精でも分かる言葉』を選びつつ、物事を説明するという技量を、あの数時間で手に入れざるを得なかったのだ。
おそらく、今日の私はその影響もあって、無意識に『相手へきちんと伝わる言葉』で話そうとしていた、ということなのだろう。
勿論、普段からそんなことは当たり前に心がけているつもりだったが、言われてみれば私の言葉は人にきちんと通じていなかったのかもしれない。今も霊夢から『抽象的で難解で分かり辛い』と言われてしまった程だ。
伝わらないよりは伝わる方が良いに決まっている。私は『これは忘れないようにしなければ』と、愛用の閻魔帳に、この事を書き付けていく。
霊夢は、そんな私を眺めながら、のんびりと言った。
「まあ、今日は会った時から、以前と雰囲気が違うなと思ってたんだけどね」
「そうなんですか?」
「うん。何というか、前よりも丸くなったわね、あんた」
「失礼な。体調管理は普段からきちんとしています。一キロたりとも太ってなんていませんよ!」
「……そういう意味じゃないんだけど」
「そういえば、あんた最近チルノやら大妖精と仲良くしてて、一緒にいることが多いらしいじゃない。その影響かもね」
ポツリと呟かれた霊夢の言葉は、メモを取るのに必死になっていた私の耳には、もう届いていなかった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
―文月ノ第一日曜日―
七月に入り、いよいよ幻想郷も夏めいた、晴天の日が続いていた。
気温は日を追う毎に上がっていき、日中の日差しもきつくなっている。
「今日はまた、一段と暑いですね……」
思わずそんな独り言を洩らしつつも、私は時折ハンカチで汗をぬぐいながら、霧の湖に向かって飛んでいた。
「おーい、えーきー」
「映姫さん、こんにちは。わざわざ来ていただいて、ありがとうございます」
「チルノ、大妖精。こんにちは。待たせてしまいましたか?」
「ううん、あたいたちも今来た所だよ」
そう言って、チルノは笑顔を見せる。
その様子を見て、私はとりあえず一安心した。
今日彼女たちと会うのは、先週二人に会った時から決めていた約束である。
何しろ、二人が寺子屋に通い始めて丁度一週間が経ち、この先も寺子屋へ通えるかを見極めるのに、大事な時だからだ。
それに、妖精が寺子屋へ通うなんて、幻想郷史でも初の出来事だし、私もその発案者として、常に様子を見ておく必要があるだろう。
「今日はまた、一際暑さがこたえますね。私もここに来るまでに、すっかり汗をかいてしまいました」
「いよいよ、夏が来たって感じがするもんね。あたいは暑いの苦手だから、嬉しくないなあ」
「私もです」
「ふふっ。まあ、夏は夏にしか楽しめないことも多いですし、そういうことを探すのも良いんじゃないでしょうか。それで、早速なんですが、寺子屋はどうですか?」
「あ、その話なんだけどね」
私が本題を切り出すと、軽くさえぎるようにして、チルノが口をはさんでくる。
「ここで話してもいいんだけどさ。良かったら、別の所へ行かない?」
「私もさっき、チルノちゃんとそのことで話していたんです」
「別の所?良いですけど、何処にですか?」
「人里の甘味屋さん。この前、迷惑をかけちゃったお詫びもしたいし」
そう言って、チルノはペコリと頭を下げた。
そんな彼女を見るのは初めてのことで、私はどう返事をしたものやら、戸惑ってしまう。
「まだ気にしていたんですか?一週間も前のことなのに」
「でも、迷惑かけちゃったのは本当のことだしさ」
「とはいっても、貴女たち、そんなにお金も持っていないでしょう。大丈夫ですか?」
「それは大丈夫!任せて!」
何故か胸を張り、チルノはそう宣言してみせる。大妖精は、そんなチルノを見ながら、ただニコニコと微笑んでいた。
こうして、私一人だけ訳が分からないまま、私たちは連れだって、人里の甘味処へと場所を移すのだった。
「―――あらためて伺いますが、寺子屋はどうですか?二人とも、うまく馴染めていますか?」
「うん、楽しいよ!」
「はい。皆さん良い方ですし、授業も面白いですし」
かき氷を食べながら、私たちはそんな会話をする。
ちなみに、チルノはいちごミルク、大妖精はメロン、私は宇治金時を、それぞれに注文していた。
小さなお店だが、味は決して悪くない。今日のような、初夏の晴れ渡った日に食べるのにはぴったりの、爽やかな甘味を私たちはしばし堪能した。
「そうですか。それを聞いて、まずはほっとしました。それで、普段はどんな授業を受けているのですか?」
「あたいは、人間の一番ちっちゃい子たちと一緒に、ひらがなとカタカナを習う所からやってるよ」
「私は、一応それはできるので、もうちょっと上の年の子達と一緒に、漢字やそろばん、歴史について学んでいます」
「大ちゃんはすごいよねー」と言いながら、いちごミルクをぱくつくチルノ。
だが、チルノだって十分にすごいと私は思う。
普通の妖精ならば、知識欲はあっても集中力はないから、授業の間中ずっと静かに座っているということがそもそも難しいだろう。
しかし、この二人に関しては、それよりも学ぶ喜びの方が大きいらしい。
(この様子なら、今後も特に心配はなさそうですね)
正直な所、不安もかなり大きかったので、目の前で楽しそうに語る二人を見て、私はほっと胸を撫で下ろした。
それと同時に、ちょうど目の前の容器も空になる。私は、二人の容器も空になっていることを確認すると、ガタリと椅子を引いて立ち上がった。
「二人とも、寺子屋を気に入ってくれているようで安心しました。さて、食べ終えましたし、そろそろ出ましょうか」
「そうだね、もう出よっか。おばちゃん、ごちそう様ー!今日も美味しかったー!」
「ごちそう様でした。また今度、チルノちゃんと来ますね」
言いつつ、チルノと大妖精は、そうするのが当たり前と言わんばかりのごく自然な動作で店の外へ出ようとする。
財布も出さず、レジの前も素通りしてだ。
「ちょ、ちょっと!」
一体何をしているのかと、私は慌てて二人を引き留めた。
「待ちなさい!二人とも!」
「? どうしたの、えーき。そんなに慌てて」
「どうしたのじゃないですよ!お支払いはどうするんですか!?」
「あたい、お金持ってない」
「私もです」
「ええ!?」
二人の言葉に、私は思わず衝撃を受ける。だって、さっきはお詫びがしたいと言っていたのに、話が違うではないか。
(まあ、何となく、店に入る前からこんな予感はしていましたが、やっぱりですか―――)
そう思い、仕方なく私が懐から財布を取り出すと、お店の女将さんらしき人が、笑いながら姿を見せる。
「ああ、いいんですよお金なんて。チルノちゃんには、いっつもお世話になってるからね」
「……え?」
「あれ?あたい、話してなかったっけ?」
「みたいだね。ダメだよ。映姫さん、ビックリしちゃってたでしょ」
「一体、どういうことですか?」
怪訝な顔で私が聞くと、大妖精はこちらへ向き直って言った。
「ええとですね、チルノちゃんと私で、去年から、人里の方たちに氷を配っているんですよ」
大妖精と女将さんの説明してくれた所によると、二人は、去年あたりから人里を回り、無償で氷を配給しているらしい。
さすがにチルノは氷精だけあって氷なんていくらでも作れるし、その氷は溶けにくく、特に鮮魚や精肉を扱っているような店では大変に重宝しているということだ。
「ということは、今日私たちが食べたものも」
「うん!あたいの作った氷を使ったやつだよ」
「今朝も持ってきたもんね!」とチルノが言うと、女将さんは「そうね。ありがとう」と微笑みかけた。
「でも、無償で氷を配るなんて。チルノは、何でまたそんなことを?」
そう尋ねると、チルノは少し恥ずかしそうに、鼻の頭をポリポリと掻きながら言った。
「あのね、あたいたちは妖精だから、いたずらが大好きでしょ?でも、あんまりいたずらしてばっかりだと、さすがに人間にも悪いかなって思うようになって。
だから、あたいがこうやって氷をあげれば、少しは皆、妖精の事を許してくれるかなって。一人だと回りきれないから、大ちゃんにも協力してもらってるけど」
「チルノちゃん、初めてここへ来たとき、こう言ったんですよ。『今までいっぱい悪戯したお詫びに、あたいが好きなだけ氷をあげます。だから、これからもあたいの仲間たちが悪戯するかもしれないけど、許してあげてね』って。そんな風に言われたら、怒れませんよ。それに、今はこうして、一杯活躍してもらっていますし」
女将さんの目線を追って台所を見てみれば、沢山の野菜が、チルノの氷を使って冷やしてあるのが見えた。
「夏場は特に食べ物が傷みやすいですから。チルノちゃんが来てくれるようになって、うちも本当、食べ物の管理が楽になったんですよ」
そう言って女将さんは笑って見せる。
チルノは、そんな言葉を聞いて、照れくさそうにはにかんでいた。
「あのさ、えーき。このことは、私と大ちゃんとえーきだけのないしょ話だからね。他の妖精たちに言わないでね」
「え?何故ですか?」
「だって、おばちゃんの前でこういうことを言うのも悪いけど、あたいも妖精だから、人間をびっくりさせたりするのがすごく楽しいのは知ってるんだ。
でも、あたいがみんなに隠れてこういうことしてるって知ったら、みんな、今みたいに楽しくいたずらできなくなっちゃうでしょ?だから」
「チルノ……」
思いがけない彼女の言葉に、私は言葉を詰まらせる。
一見すると能天気で、いつもはしゃいで笑っているイメージしかなかったチルノが、実はこんなに色々なことを考えていたなんて。
「……チルノ。私は、生まれてから一度も悪戯なんてしたことがないので、その楽しさは分かりません。人を無闇に驚かせるのも、良くないことだと考えています。
本当は妖精たちを集めて説教して、これから先、もうそういうことはしないと誓ってもらえるのが、一番良いと思っています」
「……」
私が敢えて厳しい言葉をかけると、チルノは目に見えて落ち込んで、シュンとした顔になる。
そんな彼女に構わず、私は続けて
「……ですが、貴女のその仲間を思いやる気持ちは大変に素晴らしいものです。私は、貴女の優しさに免じて、今回の話を胸にしまっておこうと思います。……チルノこそ、こんな話は、小町には内緒ですよ?」
「!」
人差し指を唇に当てながら私が言うと、チルノは途端にパアッと顔を明るくした。
「えーき!ありがとっ!」
「わわっ!いきなり抱き着かないでくださいっ」
「えーきー♪」
私が言っても、チルノは満面の笑みを浮かべながら、しばらくの間ずっと私に抱き着いていた。
そして、抱き着かれた驚きと恥ずかしさから私がワタワタとする一方、女将さんと大妖精は、そんな私たちの様子を微笑みながら眺めていた。
チルノたちと別れてからしばらく経っても、彼女の温かさは体に残っていた。
氷の妖精で、周囲にいれば寒いのに、抱きつかれれば温かいなんていうのも、おかしな話なのだけど。
でも、彼女の温もりを思い出すだけで、心までも暖かくなるような気がする。
(本当に楽しかったですね)
甘味屋さんで、美味しいものを食べて、たくさんお喋りをして。
以前チルノの言っていた言葉が身に沁みる。時には、こうやってのんびりとすることも大事なのだ。
(それにしてもチルノったら、嬉しいことを言ってくれるんですから)
今日、別れる直前に、チルノがそっと耳打ちしてくれたことがある。
「あのね、えーき。あたいが人間に氷を配ったりとか、色んなことを考えるようになったのって、えーきのおかげなんだよ。
えーきが、ずっと前、初めて会った時に『貴方は少し迷惑をかけすぎる』なんて言ってくれたから。だからあたい、自分なりに頑張って、色々やってみたんだよ」
それを聞いた私は、あまりの嬉しさに、思わず涙が出そうになった。
(何だか、会えるものなら毎日でも会いたいような気分ですね。まあ、それはさすがに無理ですが……また近いうちに、会いに行きましょう)
次に会ったら、何をしよう?どんなことを話そう?
そんなことを思うだけで、楽しみな気持ちが抑えらえれなくなりそうで。
「……チルノ」
ここにはいない、彼女の名を呼びかけながら、家路へと着く。
オレンジ色に輝く夕日が、やけに眩しかった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
その晩、私は夢を見た。
晴れた日の空のように青いワンピースを着た少女と、朝から幻想郷のそこかしこを飛び回る夢。
少女の顔は何故か見えないが、その声は、どこかで聞き覚えのあるものだった。
彼女は、どこへ行っても、楽しそうに笑っていた。
彼女が笑うと私も嬉しくなって、二人で一緒に笑いあった。
やがて、一日が終わり、夕焼けが沈むころになると、少女は「もう帰らなきゃ」と言いだした。
その言葉にハッとする私をよそに、「バイバイ」と言って、彼女はふわりと飛び立とうとする。
そんな彼女の腕を、思わず、私は掴んでいた。
「ねえ、まだいいでしょ。もっと、二人で色んな所へ行ってみましょうよ」
私が言うと、少女は寂しそうな、悲しそうな、声で言った。
「ダメだよ、えーき。今日はもう時間切れ。また今度ね。ほら、えーきだって早く行かなきゃ」
「待ってください!待って……」
気が付けば、少女の腕を掴んでいたはずの私の右手には目覚まし時計。
時計の針は、始業の三十分前を指していた。いつもなら、執務室でコーヒーでも淹れながら、一日分の仕事の資料に目を通しているような時間だ。
「……うああ!ち、遅刻です!」
朝食を食べるどころか、ろくに身支度を整えることすらできずに、私は大急ぎで家を飛び出す。
始業十分前。もうそろそろと自分の持ち場へと向かっていたであろう小町は、まだ仕事着ですらない私とすれ違い、まるでこの世の終わりでも見たかのような顔をしていた。
……結局、閻魔の名に懸けて、この日私は遅刻することなく、始業時間きっちりに仕事を始めることができた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
―文月ノ第二日曜日―
前日、チルノ率いる妖精たちと大かくれんぼ大会を決行したり(全員見つけるのに五時間を要した)チルノと大妖精から寺子屋での出来事を聞いたりして過ごした私は、今日はお昼までのんびりとした時間を過ごし、それから地霊殿を訪れていた。
半分は、部下としての古明地さとりと仕事についての打ち合わせを行うため。もう半分は、友人としての古明地さとりと親交を深めるためである。
仕事の打ち合わせは毎月行っているが、一人の友人として彼女に会うのは実に久々だ。
いつもなら、その打ち合わせが終わって早々に引き揚げ、各地を説教して回るのだが、今日はあらかじめゆっくりしていく旨をさとりに伝えてある(と言っても、胸の中で「今日はゆっくりしていきますから」と思っただけだが)
そのためか、打ち合わせそのものも、どこかいつもより和やかな雰囲気で進んでいった。
「……と、上半期の報告は、こんな所でしょうか」
「ご苦労様。貴女も、貴女のペットの子たちも良く働いてもらっていますね」
「ええ。自慢の家族ですから」
さとりは淡々と答えると「さて、お仕事の話はここまでにしませんか?」と問いかけてくる。
時計を見れば、キリよく午後三時。たしかに、タイミングとしては丁度良い。
私が「そうしましょうか」と頷くと、さとりはお燐を呼び、書類を片付けるのと、コーヒーを二杯淹れてくるように申し付けた。
「はいはーい!」と返事も良く、書類を持って部屋を飛び出していくお燐。ちなみに、私が今日ここへやってきたとき、その書類を準備してくれたのも彼女だ。
そんな彼女の姿を見て、私は思わず『小町もあれくらい良く働いてくれたら』なんてことを考えてしまった。
その後、すぐに運ばれてきたアイスコーヒーを飲みながら、私とさとりはとりとめもないことを話した。
お互いの近況や、さとりの家族の話。人里で起きている出来事。
「こいしは、相変わらず放浪しているんですか?」
「そうなんですよ。まったく、いつもどこをほっつき歩いているんでしょうか」
「昨日、妖精たちのかくれんぼに、いつの間にやら勝手に混ざってましたが」
「……何やってるんだか」
「自称『マスター・オブ・かくれんぼ』だそうです」
「そういえば、地底では『最近閻魔様が説教に来る回数が減った』ともっぱらの噂なんですが。サボってるんですか?」
「い、いえ別に!そういう訳ではないですよ!?」
「でも、昨日も遊んでたんですよね?」
「たまたまです!たまたま!」
他にも色々なことを話すうち、さとりはふと思い出したかのように、こんなことを尋ねてきた。
「それで、どうなんですかチルノさんとは。上手くいきそうなんですか?」
「ええ。最初はどうなることか率直に言って心配しましたけど、あの子も上手く寺子屋でやっていけそうです」
「そうじゃなくて、貴女がですよ」
「私?何のことです?」
またまた、といった様子でさとりは言った。
「好きなんでしょう?チルノさんの事」
「ブーッ!」
一体、何を言いだすのかと思えば。
突然のさとりの台詞に、思わず私はゲホゲホと咳き込んでしまう。
そんな私の様子を見ながら、さとりはニヤニヤとした笑みを浮かべていた。
「な、何を言うんですか、いきなり」
「隠そうとしたって無駄ですよ、映姫。何しろ私はさとりの妖怪ですから」
「いえ、それは分かっていますが……」
別に隠そうとしていたつもりもないし、そもそも私はチルノの事を好きだが、そういう意味でではない。
恋愛事などではなく、あくまで、一人の友人としてという話だ。
「ふむ。『一人の友人として』ですか」
「ええ。ですから、変な意味なんてまったくないんですよ」
私が言えば、さとりも負けじと
「例えお燐やお空のように、心の読めない者が、今日の映姫の相手をしたとしても分かると思いますよ?貴女がどれだけチルノを好きかって」
「……ほう?そう言い切るからには、何か根拠があるんですか?」
さとりの言葉に、私はムッとして言い返す。だって、本当にやましいことなど何一つないというのに、何故こんな言われ方をしなければならないのか。
すると、さとりは「本当に気付いていないんですね」と呆れた様子で言った。
「だって映姫、今日ここへ来た時からチルノのことばっかり話しているんですもの」
「え?そ、そうでしたか?」
「そうですよ。『最近暑いですね』と季節の話を振れば『ええ。チルノがいれば涼しいんですが』と返されましたし『妖怪の皆さんは、少しは真面目に説教を聞くようになりましたか?』と尋ねれば、『全然ですよ。まったく、少しはチルノを見習ってほしいものです』と言っていました。挙句、さっきだって飲み物に浮かんでいる氷を見ながら『そういえば、チルノは今頃何をしてるんだろう』なんて考えていましたし」
「さ、最後のは、心が読めなきゃ分からないでしょう!」
「まあそうですが。でも、とにかく今日の映姫がチルノの事ばかり考えているというのは事実ですよ。そういえば映姫、今日は随分ゆっくりとお見えになりましたね。お昼までは何をされてたんですか?」
「え?えーと、チルノから『たまにはしっかり休め』と言われていたのを思い出しまして、のんびりしてました。丁度日曜でしたし」
「ほら」
「あっ」
慌てて口をふさぐも、もう遅い。それ以前に、そんなことをしても、相手がさとりの時点で無意味だ。
そのことに気づいて、恥ずかしさに赤面しそうになるのをどうにか堪え、私はさとりに反論する。
「で、でもだからって、私がチルノの事を好きだなんて」
「……夢」
「夢?」
「月曜日、危うく遅刻しそうになったんですよね?」
そう言われて、私はハッと思い出す。
たしかにさとりの言う通り、月曜日は遅刻しそうになったし、それは全てあの夢が原因だ。
そして、顔こそ見えなかったけれど、今にして思えばあの少女は―――。
「『まだいいでしょ?もっといろんな所へ行ってみましょうよ』ですか。意外と、可愛い所があるんですね」
「うああ!?人の心を勝手に読まないでください!」
「失礼。さとりですから」
私が怒りをあらわにしても、たいして反省した様子もなく、さとりはコロコロと笑ってみせる。
そこがさとりのさとりたる所以なのはこちらも重々分かっているけれど、それにしても、やっぱり読まれたくない部分は読まれたくないものだ。
「まったく、いくら何でも、そんな恥ずかしい所まで読むなんて」
「しょうがないじゃないですか。見えちゃうんですから」
「しかし、何で貴女が、私が月曜日に遅刻しかけたことを知っているんですか?それに、月曜日の事なんて私も言われるまで忘れていたのに、どうして夢が原因と分かったんです?
いくら何でも、相手の忘れている事まで読めるわけじゃないでしょう?」
私が尋ねると、さとりは何でもないことのように答える。
「ああ、遅刻しかけたのを知ってるのは、小町さんから聞いたんです」
「あの子ですか。まったく、お喋りなんだから……。それで、もう一つの方は?」
「だって、貴女の事ですから、前日に夜更かしして寝坊なんてまずありえない。
だというのに……これも小町さんから聞いた情報ですが……更衣室に飛び込んでいく映姫はいつもより髪もぼさぼさで、どう見てもトラブルに巻き込まれたなどの理由ではなく、起き抜けの状態で出勤してきていた。
ということは、何か普段では絶対に見ないような、よっぽど楽しい夢でも見ていた」
「当たりでしょう?」と、さとりはニコッと微笑んでみせた。
正直言って、文句のつけようもない位に大当たりなのだけど、それが何だか面白くなくて、思わず私は話を逸らす。
「むう。それにしても、何で貴女が小町からそんな話を聞いているんですか?普段は、あまり接点もないでしょうに」
「だって、私と小町さんは恋人同士ですから」
「……え?ええっ!?」
「貴女の部下という立場の者同士、愚痴ったり色々しているうちに……って、そんなことよりもです」
「そんなこと!?」
私にとって衝撃の情報を『そんなこと』の一言で片づけると、さとりはズイッとこちらに迫ってくる。
「これで分かったでしょう?ご自分が、どれだけチルノさんの事を想っているか」
「いえ、いくら何でも、一回夢に出たくらいで」
「じゃあ聞きますが、映姫の夢に、私が出てきたことはありますか?」
「いいえ一度も」
「でしょうね。では次。正直に言って、チルノさんとなら、毎日でも会いたいと思いますか?」
「会えるものなら是非」
「ええ、分かってました。それでは最終問題。映姫が以前、私の友人として、最後に地霊殿まで遊びに来たのはいつのことだったでしょうか?」
「二年前」
「正解。仕事の打ち合わせでは毎月顔を合わせていますけど。こんな風に色々と雑談したのは、本当に久々ですよ」
言葉の端にチクリと棘を込めながら、さとりは私にそう言った。
思えば、二年も友人として会いに来てなかったのに、未だにさとりは私の事を良い友人であると言ってくれる。
私ももっと、友人を大切にしなければならないのかもしれない。
「そんな、友人を平気で二年も放っておける映姫が、チルノさんには毎日でも会いたいと思っている。これは、どう考えても友人としての『好き』とは違うでしょう?」
ニコリと笑い、さとりはそう言ってみせる。
私は、もはや反論も言い訳も出来ずに、頷くことしかできなかった。
「ようやく認めてくれましたね、映姫」
「……自覚はなかったんですよ、本当に」
「じゃあ、これで映姫とチルノさんが恋人になるようなことがあれば、私がキューピッドな訳ですね」
「うるさいです」
面白そうに笑うさとりにツッコミつつ、私は一つため息をついた。
まさか自分がチルノに恋しているなんて思わなかったが、言われてみれば、なるほど。最近の私の生活はずっとチルノを中心に回っていたし、その中で少しずつ彼女の魅力にハマっていってしまったのかもしれない。
何より、チルノは可愛いし、良い子だし。
それにしても恋。恋か。
最後に恋なんてしたのは、はたしていつのことだっただろうか。甘酸っぱくて淡い、あの気持ち。
……あれ?
「『よく考えたら恋なんて生まれて初めてかも』って、へえ、初恋なんですか。それじゃあ、自分で気付けなくてもしょうがないですね」
「し、仕方がないでしょう!今までずっと、仕事が恋人だったんですから!」
「逆ギレしないでくださいよ」
「逆ギレなんてしてないもん!!」
呆れるさとりに向かって、私は思いっきり怒鳴りつける。
思わず子供じみた口調になってしまった私の咆哮が、地霊殿中に響き渡った。
「私が、チルノの事を好き……」
夕方、地霊殿からの帰り道。ふらふらと飛びながら、考えるのはそのことばかり。
今は、来週の食料の買い出しなどをするため人里へ向かっているのだが、その飛び方はいつもに比べて実におぼつかない。
結局あの後も、さとりから「いつ告白するんですか?」「せっかくの初恋なんですから、実らせられるように頑張ってくださいね」などと散々からかわれてしまい、思考は完全にそちらへ向いてしまっていた。
「告白だなんて、もしそれでうまくいったら、私、チルノと、こ、こ、恋……きゃー!」
空中で一時停止し、一人身悶える。
周囲に誰もいないのは確認しているが、もし誰かいれば、きっと何事が起きたかと思う光景だろう。
一通り悶えてから落ち着きを取り戻すと、私は誰にともなく「こほん」と咳払いを一つして呟く。
「まあ、善は急げとは言いますが、もう少し待ちましょう。チルノに告白するのなら、ちゃんと心の準備をしたいですし」
「あたいがどうかしたの?」
―――瞬間、まるで紅魔館のメイド長がそうしたかのように、時が止まるのを感じた。
その声は、今最も聞きたかったはずのもので、同時に今最も聞きたくなかったはずのもので。、
バクバクとなる心音を聴きながら『ギギギ』と音が鳴りそうな程不自然な動作で振り返れば、思った通り、見慣れた青いワンピースが目に入る。
「チ、チ、チルノ!?」
「あ、やっぱりえーきだ。やっほー」
そこには、屈託のない笑顔を浮かべるチルノの姿があった。
まさかこんなタイミングでチルノと出会ってしまうとは。運がいいのか悪いのか、分からないにも程がある!
「こんな所で会うなんて珍しいね。えーきは買い物?」
「は、はい。食料品をちょっと。そういうチルノは?」
「あたいは今日、人間の子たちと遊んでたんだよ!」
そう言われてよく見れば、チルノの服は所々砂や泥で汚れている。
きっと、以前に言っていた人間の小さな子達と一緒に遊んでいたのだろう。
一緒に学ぶだけでなく、日曜日にまで共に遊ぶようになるとは。私が思った以上に、チルノは寺子屋へと馴染んでいるようだ。
……と、それは良いのだけれど。まさかその帰り道で、こうして私と出会ってしまうとは。
「そ、そうですか。楽しそうで何よりです」
「うん!えーきのおかげだよっ。えーきが寺子屋に通えるようにしてくれたから、あの子達と友達になれたんだもん」
「本当にありがとう!」と言って、チルノは本当に嬉しそうな、楽しそうな笑みを浮かべてみせる。
その表情は、自分の気持ちを知ってしまった今となってはあまりにも魅力的で。
私は、さっきまでとは違った意味で、再び心臓がバクバクと鳴るのを感じていた。
「それでね、その子たちと缶けりとか、けん玉とかして遊んでたんだけど、もうそろそろ日が沈んじゃうし、あたいも帰らなきゃって思って。えーきも気を付けてね?」
「え、ええ。ありがとうございます」
「じゃあ、またねっ」
そのまま「バイバイ」と手を振り、チルノはふわりと夕焼け空に向かって飛び立とうとする。
(ああ、行ってしまう)と思った私は、まるで先週見た夢をそのまま再現するかのように、彼女の手を握り締めていた。
「ま、待ってください!」
「? どうしたの、えーき」
「あの……その……」
どうせ出会ってしまったのなら、ここでこのまま、何もせずに別れたくない。せめて、もう少しだけでも一緒にいたい。
そう思って行動してしまったが、いざとなると言葉が全く出てこない。
「チルノ、わ、私、貴女の……」
「あたいの?」
「貴女の…………家に行ってみたいです。来週の日曜日なんて、予定、空いていませんか?」
(ああ、へたれだなあ)と自分でも思いながら私が言うと、チルノは再び、私が驚く程に表情を明るくして見せる。
「空いてる空いてる!えーき、うちに来てくれるの?わぁ!」
「チ、チルノ?」
「あ、ごめんね?何か、えーきがうちに遊びに来てくれると思ったら、すごく嬉しくなっちゃって」
興奮した様子で、頬を紅潮させながらそう言ってくるチルノ。
そんな彼女の言葉には、こちらの方が嬉しくなってしまう。なけなしの勇気を出した甲斐があったというものだ。
「じゃあ、来週の日曜日の朝に、湖に来て!いつもあたいたちが遊んでるところ!」
「わ、分かりました。そこで待ち合わせてから、チルノの家に案内してくれるんですね?」
「うん!時間はどうしよっか?」
「私は、何時でも大丈夫ですよ」
「じゃあ、えーきといっぱい遊びたいから、9時!」
「楽しみにしてるからね!じゃあね!」と言って、チルノは飛び去って行った。
一方の私は、そんな彼女を見ながら思う。その時には、きっと、この気持ちを伝えなければ。
「―――日曜日、私も楽しみにしていますよ。チルノ」
私は、チルノの後ろ姿を見送りながら、ギュッと拳を握りしめた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
―文月ノ第三日曜日―
昨夜は、なかなか寝付けなかった。
何度もカレンダーを見て、今日が約束の日であることを確認したり、何と言ってチルノに告白するべきか、何回も考え直したり。
いざ布団に入っても、目を瞑ると脳裏にチルノの笑顔が浮かんできてしまい、ドキドキして、とても寝られたものではなかった。
(恋をするって、こういう事なんですね)
好きな人のことを想うだけで、こんなにも胸が高鳴って、頬が熱くなる。
今まで知識でしかなかった『恋』というものを身をもって感じ、私は自分がどれだけチルノの事を想っているか、あらためて実感していた。
ようやく眠りへ落ちた時には、既に深夜の二時を廻る頃だった。
しかし、習慣というのはたいしたもので、昨夜それだけ遅くなったにも関わらず、今朝もいつも通り六時には目が覚めた。
欠伸をもらしつつ、顔を洗って朝食を食べる。その間もずっと、夕べから続いているドキドキは治まらないままだった。
今まで生きてきて、こんなに緊張した朝はかつてない。閻魔試験の合格発表の日だって、今朝とは比べものにならない程だ。
朝食を終えた私は時間をかけて丁寧に歯を磨き、昨日の内に選んでおいた服へと袖を通す。
そのままもう一度洗面所へと足を運ぶと、滅多にしない紅を唇へと引いた。
(化粧なんて、自分の顔だちを嘘で誤魔化すようで、あまり好きではないんだけれど)
とは思いつつも、これから一世一代の告白なのだ。このくらい気合を入れても、バチはあたらないだろう。
外へ出る。
今日も晴天。空には雲一つなく、早朝にもかかわらず、夏の日差しは既にカンカンと幻想郷を照らしていた。
「行ってきます」
誰にともなく呟くと、私はタンッと地面を蹴り、大空に向かって飛び出していった。
「おはよー」
「おはようございます、チルノ。朝早くからすみません」
「そんなの、全然気にしないで!」
約束した時刻より十分ほど早く、私は湖へと到着し、チルノの家へと案内されていた。
その最中も、彼女はうきうきとした様子を隠そうともせず『本当に今日という日を楽しみにしてくれていたんだ』と、私も嬉しい気持ちになった。
「えーきが来るっていうから、頑張って片付けたんだよ」
そう言って、チルノはエッヘンと胸を張る。言われて部屋を見てみれば、なるほど、綺麗に整頓されていた。
「ありがとうございます。わざわざ、私なんかのために」
「だって、えーきに汚い部屋なんて見せたくなかったんだもん。それに、そういうえーきだってお化粧なんてしてる!あたいに会うから、そんな風にしてくれたの?」
「は、はい。似合いませんか?」
内心ドキドキとしながら私が尋ねると、チルノは微笑みながら「ううん。すっごく、綺麗だよ」と言ってくれた。
その一言だけで、私は天にも昇る心地になる。
「そこ、座ってて!お茶持ってくるから。喉乾いたでしょ?」
私をベッドへと座らせると、チルノは忙しなく台所へ向かって駆けていく。
本当に良い子だなあ……と思うと同時、どこまでもいつも通りなチルノのおかげで、少しリラックスできていることに私は気が付いた。
(とにかく、頑張って最善を尽くしましょう。例え、それでどんな結果になっても)
胸の内で決意を固め、私は台所でパタパタと動き回るチルノの背中を眺めるのだった。
「それで、今日はどうしよっか?」
チルノから受け取ったお茶を飲み、一息ついていると、チルノが私に問いかけてきた。
その一言にまた緊張感が高まってくるものの、湯飲みに残っていたお茶をグッと飲み干し、落ち着きを取り戻す。
私は、どう切り出したものか迷ったが、まずは一番大事な所から確認することにした。
「今日は、チルノに大事な話があってきました」
「話?どんな?」
「……突然ですが、チルノには今、好きな人はいますか?」
この子には、遠回しな言い方は通じない。
そう思い、直球で尋ねると、チルノは目を丸くして驚いた表情になる。
「本当に突然だね」
「ええ。すみません」
「あやまることはないんだけどさ。でも、好きな人かあ。それって、あたいが誰かに恋してるかどうかってことだよね?」
『恋』という単語に思わずドキッとするものの、それを極力悟られないように、私は平静を装って答える。
「ははははい。そそそう、そうです。チルノが、誰かここここ恋をしている人がい、いるのか、どうかを、わ、私は、聞いてい、いるのです」
「どしたのえーき。顔がまっ赤だよ。風邪?」
「い、いえ、至って平熱ですし、元気です。それで、ど、どうなんですか?」
「んー……」
ドキドキと心臓を高鳴らせる私の様子など知る由もなく、チルノはしばし逡巡すると、やがてその首を横へと振った。
「いないよ」
「そ、そうですか……」
『何でいきなりそんなことを聞くのか、よく分からないけれど』と言いたげな表情で、チルノはそう答える。
私は、私以外の人を好きだという可能性が消えた嬉しさ半分、自分もそういう対象として見られていないという悲しさ半分で、気の抜けた返事をした。
「珍しいね。えーきがそんな話をしてくるなんて」
「え、ええ。私だって女の子ですから、人並みには、そういう話に興味だってあるんですよ」
「そっかあ」
私の苦しい言い訳に、怪しむでもなく納得した様子のチルノは「じゃあさ」と続けて
「えーきは今、好きな人、いるの?」
「へ!?ななな、何を」
「だって、最初に聞いてきたのはえーきじゃん」
「でも、その様子だと、居るみたいだね。えーきの好きな人って、どんな人なんだろ」と言って、チルノは面白そうに笑ってみせる。
一方の私は、ドキドキがおさまらず、顔が赤くなりそうなのを必死でチルノに見られないようにしていた。
チルノは、そんな私の様子に気づかない様子で続けた。
「あたいはさ、よく考えたら、まだ人に恋ってしたことないかも。恋って、誰かが大好きで、ちゅーしたいと思ったり、いっつも一緒にいて遊びたいって思うようなことなんでしょ?
あたい、えーきも大ちゃんもルーミアもリグルもみすちーも寺子屋の友達も、皆大好きだけど、そこまで好きな人がいるかどうかは、まだ自分でも分かんないや」
「……そう、なんですか」
「うん。多分、これから先も、あたいに恋なんて関係ないと思うし。で、それがどうかしたの?」
不思議そうな顔で、チルノはそう尋ねてくる。
その瞳からは、彼女が本当のことを言うのを恥ずかしがって、嘘をついているような様子は微塵も見受けられなかった。
(……当たり前ですよね。チルノは、本当に裏表がない、正直な子ですから。そういう所まで含めて、好きになってしまったんですから)
一方の私は、そんなチルノの言葉に、何も言えなくなり、黙りこくってしまった。
人に恋をするという感情が、まだ分からないというチルノ。そして、これから先も、恋なんて自分とは無関係だというチルノ。
だとすれば、今日の私の告白は。
「……」
「えーき?どうしたの?やっぱり具合悪い?」
何も言わず俯く私を見て、チルノはおろおろと心配そうな顔をする。
そんな彼女の様子を見ながら、私は迷っていた。
今なら、まだ引き返せる。
このまま告白してもおそらくうまくはいかないだろうし、それならこの場はどうにか誤魔化して、これからも良い友人として過ごせばいい。
(でも、それでいいのですか?私は―――)
もしチルノにフラれれば、もう一緒にいることだって気まずくなる。私のことを大好きだと言ってくれたのは事実だし、友人だっていいじゃないか。
頭ではそう分かっていても、感情の方が追い付いてこない。
こんなことは生まれて初めてで、だんだんと、何が正解なのかも分からなくなってくる。
(チルノとは、ずっと一緒にいたいけど……それでも私は、自分の気持ちを誤魔化し続けながら、友人としてチルノと一緒にいたいわけじゃない!)
そんな嘘で塗り固めた気持ちのままチルノと友人でいるなんて、私にはとても耐えらないない。
それに、今日は最善を尽くすと自分で決めていたはずだ。ここで逃げて帰って、それが最善だろうか?
(いえ、絶対に違います。それでいいはずがないんです)
私に『頑張れ』と言ってくれたさとりの顔が脳裏に浮かぶ。
ここで逃げたら、彼女の気持ちまで無駄にしてしまう気がする。
(それに、何より私は閻魔だから……曖昧なものは許さない!白黒は、はっきりつける!)
―――覚悟は、できた。
何度か息を大きく吸って、吐いてを繰り返してどうにか落ち着きを取り戻すと、私は意を決してチルノへと告げる。
「ちゅーなら、したいですよ。私は」
「え?」
「チルノとなら、ちゅーしたいって言ったんです!」
「え、えーき?」
突然の私の豹変ぶりに、チルノは戸惑った表情を見せる。
その顔を見て一瞬だけためらったが、一度堰を切った私の言葉はもう止まらなかった。
「私だって、恋なんてしたことなかったですよ!貴女よりずっと長く生きていますけど、初めてでしたよ!」
「う、うん」
「おまけに、貴女のおかげで友人からはからかわれますし、仕事には遅刻しかけますし!」
「え!?何か知らないけど、それ、あたいのせいなの!?」
「そうですよ!貴女のせいで……貴女が……」
「え、えーき。よく分かんないけど、分かった。えーきって、あたいのこと」
コクリと、私は頷いてみせる。
「そうです。私は、閻魔なのに。全ての者を、公平な目で見なければいけない立場なのに……それでも、貴女は私の中で特別な存在になってしまったんです」
そこまで言ってから顔を上げ、チルノの目を見つめる。
彼女の顔は、ひどく驚いて困惑していて、自分がチルノをこんな風にさせているのだと思うと、何だかとても申し訳なかった。
それでも、ここで止まる訳にはいかない。まだ、一番大事な言葉を、私は言っていない。
「チルノ。私は」
言わなければならない。
もっと一緒に楽しい時間を共有したい。辛いときには支え合いたい。ちゅーだって、何度もしてみたい。
この、私のありったけの想いを伝える上で、一番大事な言葉を。
「好きなんです、チルノ。貴女の事が、誰よりも」
――言った。身体が震え、思わず涙がこぼれそうになりながらも、私は彼女に『好きだ』と告げた。
ついに言ってしまった、と私は思う。これでもう、後戻りは完全にできなくなってしまった。
怖い。チルノの顔を見ることができないで、目をギュッと瞑り、俯く。
私もチルノも黙ってしまい、カチリ、カチリと、時計の音だけが無機質に響いていた。
しばし間を置いた後、おもむろにチルノが口を開く。
「えーき」
私は、掌を固く握りしめた。
「ごめんね」
夏の夜に浮かぶ、花火のように。
恋の歌を響かせよう。
隣に座る、大切な貴女に。
貴女に出会えて、本当に良かった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
―水無月ノ第二日曜日―
梅雨もなかばにさしかかり、じっとりとした暑さが続くこの時節。
今日はたまたま晴れているものの、不快指数の高さはただ事ではない。
そんな気候にはめげもせず、私、四季映姫は、その日も各地を説教して回り、声を張り上げていた。
「―――だから、何度も言っているでしょう!惰性が人間を一番ダメにするのです。そもそも博麗の巫女として自覚があるのなら」
「もう、しつこいわねえ。別に私だって好きでダラダラしてるんじゃないのよ?ただ、こう暑くっちゃ」
「冬は冬で『こう寒くっちゃ』と言っていましたし、春秋は『こう良い気候だと眠くなって』と言っていましたよね!?貴女は一体いつやる気を出すんですか!?」
他ならぬ閻魔にこうまで言わせる神職の者というのもどうなんだろう。
そんなことを思いつつ、ジト目で『博麗の巫女』こと博麗霊夢を睨んでやるも、一切効果なし。
まるで馬の耳に念仏というか、蛙の面に……いやいや。
ともかく、霊夢は私の事などまるで意に介さないように、きわめてマイペースな振舞いを見せる。
「私は私なりに、きちんとした生活を送っているつもりよ?」
「ほう、どんな風にです?」
「朝ごはんを食べて、洗濯して、境内を掃除して、あとはボーっとして」
「その『ボーっとして』が良くないと言うのに!」
「はいはい。分かったってば」
ぼんやりと虚空を眺めながらそんな風に返されれば、力も抜けるというものだ。これ以上、彼女に何を言っても仕方がないだろう。
私は『はあ』とわざとらしくため息をつくと、次の場所へと向かうべく、仕度を始める。
「今日はここまでにしておきますが、最後に一つ。貴女は少し時間を無駄に使いすぎる」
「有効活用していると言ってほしいわね」
「やかましい!……こほん。ともかく、人の身である貴女にとって、一生など、あまりに短い時間なのですからね?それだけは忘れないように」
「はいはい」
聞いているのやらいないのやら。
少しムッとしつつも「それでは」と言って私が玄関に向かおうとすると、後ろから「ちょっと待って」と霊夢の声が飛んでくる。
「何です?」
「二つだけ。まず一つ。素敵な賽銭箱はあちら」
「帰りますね」
「連れないわねえ。それともう一つ」
「……今度は何ですか」
「人里の人間ならともかく、それ以外であんたの話をまともに聞くような人妖は、幻想郷にはいないわよ」
「皆、自分の性分をよく分かってる奴らばかりだし、今更それを変える気もないだろうしね」
それだけ言うと、霊夢のごろりと横になったであろう音が聞こえる。
『さっき私が説教したばかりでその態度か』と怒る気には、到底なれなかった。
結論から言えば、霊夢の言葉は正しかったという事だろうか。
あの後、さらに幻想郷を巡った私は、思わずそんなことを実感した。
永遠亭。
蓬莱山輝夜の所に向かえば「私なんかに説教するためこんな所まで来るなんて、閻魔様も大概暇なのね」と呆れ顔で言われた。
紅魔館。
パチュリー・ノーレッジに「本ばかりでなく、外の世界を実際に見てみること」の大切さを語れば「そのために今、水晶玉を改良中なのよ」と軽くかわされ。
レミリア・スカーレットに「慈悲と自省の大切さを知らなければ地獄に堕ちる」と説けば「そうだとして、私がそんな運命を恐れると思う?地獄なんて退屈しなさそうだしね」と笑われた。
「あんたの話をまともに聞くような人妖は、幻想郷にはいないわよ」という、霊夢の言葉が頭をよぎる。
本当は、以前から自分でも気付いていたのだと思う。
ただ、私自身がそれを認めたくなかったというだけの話で。
幻想郷に集まる人妖は、一部を除き、弱肉強食の中を好き勝手に生き抜いてきた連中の集まりだ。
つまりは、気儘で、それでいてプライドが高く、他人に言われた程度で簡単に己の生き方を変えたりはしない。
「分かってるんです」
誰にともなく、私は呟く。
「分かってるんですよ。私だって」
自分でも聞き取れないほど小さな声は、吹き渡る風の音にかき消され、消えていった。
ポチャリ、ポチャリ。
霧の湖へ、私の投げた石の沈む音だけが響き渡る。
紅魔館を出た後、どうにもやるせなさに襲われた私は、湖にて、しばしの休息を取っていた。
高く高く昇っている太陽とは裏腹に、私の心は沈んでいる。
ポチャリ、ポチャリと石を投げれば投げる程、心も、深く、深く沈み込んでいった。
私のやっていることは何なんだろう。もしかして、とても無意味なことなのではないだろうか。
考えても仕方ないとは分かっていても、頭にはそんなことばかりが浮かんでしまう。
「今日はもう、帰りましょうか」
自分自身がこんなに後ろ向きになっていては、人に何かを説くことなどできない。ならば、今日はこれ以上、無理をすることもない。
そう考えて、私が重い腰を上げようとした時の事だった。
「……何やってんの?」
不思議そうな目で私に声をかけてきたのは、かつて説教をした覚えもある氷精・チルノだった。
「ふーん、誰も閻魔様の話を聞いてくれないから、落ち込んでたんだ」
「……まあ、そんな所です。それと『閻魔様』なんて堅苦しい呼び方をしてくれなくても良いですよ。映姫と呼んでください」
「分かった。えーき」
湖のほとりで、私はチルノへ今日の出来事を話していた。
自分でも、この子に悩みを話すなんて、馬鹿なことをしているのは分かっている。
私は閻魔なのに。人を裁く立場として、ある意味で誰よりも強くなければならない閻魔が、力の弱い妖精に弱みを見せてどうするのだ、と。
それでも、今は誰かにこの気持ちを聞いてほしかった。いくら閻魔といえど、一人で全てを抱え込めるほどには、私は強くない。
「それで、えーきはどこに行ってきたの?」
「博麗神社に永遠亭。それと、今しがた紅魔館へ」
「大変だね」
「慣れたものですよ。休日も殆ど、各地を説教して回っていますから」
私が言うと、チルノは目を丸くして驚いてみせる。
「よく知らないけど、えーきって普段も『さいばんちょう』とかいう仕事してるんでしょ?それで、お休みも殆ど人に会ってお説教して潰しちゃうの?」
「ええ」
「それじゃあえーきは、いつ休んだり、遊んだりしてるの?」
「……そうですね。最後に丸一日休んだのは、いつだったか」
言われてみれば、ここ最近はきちんと休んだ記憶がない。
ずっと仕事に追われていたし、そうでなくとも人里などの気になる者の所へ行って、説教をしていたからだ。
「もしかして、えーきの所って、お休みでもお休みしちゃいけない決まりなの?」
「え?いえ、そんなことはないですよ。毎週土日には、皆きちんと休めるようになっています」
「じゃあ、誰か偉い人に『働け!働け!』って言われてるとか」
「それもないです。あくまで、私が自主的にそうしているだけで」
「ふーん……」
チルノは、私の話を聞くと、何やら難しい顔をして考え込んでみせる。
「えーきは、本当に頑張り屋さんだね」
「!」
「だって、そんな思いまでしても、あんまり人に話を聞いてもらえないんでしょ?あたいだったら、親友の大ちゃんやルーミアやみすちーにそんな風にされたら、がまんできないもん」
「えーきはそんなに頑張ってるのに、みんなひどいね。あたいは前、えーきに言われたこと、ちゃんと覚えてるよ!『いのちだいじに』って」
感服したような目で、チルノは私の事を見つめる。
その顔を見て、私は何だか救われたような気分になった。
(……ああ、そうだったんですね)
私は、ただ誰かに認めてもらいたかったんだ。例え殆どの人妖に話をきちんと聞いてもらえなくても、私がしていることは、無駄ではなかったんだと。
私がそんなことを考えていると、チルノは難しい顔に戻って続ける。
「けど、いくら何でもたまには遊んだり、しっかり休んだりしなくちゃダメだよ!そんなに働いてばかりじゃバカになっちゃう」
「遊べ、と言われましても。私は、何かで楽しく遊んだことなんて殆どないんですよ。だから、何をしていいやら」
「むー……じゃあ、そんな遊び初心者のえーきでも、楽しく遊べる遊びを教えてあげる!」
チルノはそう宣言すると、人差し指を高く空に掲げて叫んだ。
「おーにごっこする子、こーの指とーまれ!!」
わーっ。わーっ。きゃーっ。きゃーっ。
わらわら。わらわら。
どこから集まってきたのやら、チルノが叫んだ途端に、たくさんの妖精たちがチルノを目指して飛んでくる。
その数、ざっと二十から三十といった所だろうか。さっきまでの静けさがまるで嘘のように、姦しい空間が目の前に広がっていた。
「それじゃあ、えーきが鬼ね!10数えたら皆を追っかけて捕まえてね!」
「こ、これだけの数の子たちを相手にするのですか!?」
「んー……これでも、いつもよりは少ない方だよ。今日はちょっと蒸し暑いから、出てこれない子もいるのかな」
絶句。
そうこうしている間にチルノが「それじゃよーい、すたーと!」と号令をかけ、妖精たちは「ワーッ」と、散り散りに逃げていく。
「まだ用事がありますので」と、この場を離れるのは簡単だが、この子たちも折角集まってくれた訳だし、何よりチルノに申し訳ない。
もうこうなってしまっては、私も覚悟を決めるしかないだろう。
(勝負とあっては仕方ありません。妖精といえど、勝敗の白黒はきっちりつけさせていただきます!)
自分でも呆れる程無駄に闘志を燃やしつつ、私は10カウントの後、妖精たちを一匹残らず捕まえるべく、大空へと飛び立っていった。
翌日。
「あいたた……腕が、腰が、足が、痛い……」
裁判所の更衣室にて、私は筋肉痛に悶絶していた。間違いなく昨日の鬼ごっこのせいである。
白熱の鬼ごっこはかなりの長期戦となり、私の肉体は思った以上の大打撃を受けてしまった。
そのせいで、こうして今日の仕事にまで差し支えている。今更慣れないことをするべきではなかったかもしれないなと思っても、全ては後の祭りだ。
「少々、本気になりすぎましたかね……いたたっ」
「おはようございまーす……何やってるんです?四季様」
「お、おはようございます、小町」
服を脱ぐのにも苦労して、ヒーヒー言いながら着替えていると、小町が怪訝な様子で入ってくる。
無理もないだろう。私だって、長い閻魔生活の中で、朝からこんな状態になるのは初めてだ。
「筋肉痛ですか?」
「はい。昨日珍しく運動してきたんですが、どうも張り切りすぎてしまったようで」
「へえ、そんなことが」
……嘘ではないから閻魔的にもセーフだろう。
さすがに『妖精たちと鬼ごっこをして鬼をやったのはいいんですが、思うように捕まえられず、本気になりすぎてしまいました」とは、恥ずかしくて言えない。
でも、仕方がないではないか。
何しろ彼女たちときたら、追いつめられると瞬間移動して私の背後へと逃げていったり、光の屈折を利用して身を隠したり、はたまたこちらの気配を探られるせいで、そもそも近づけなかったり。能力が、反則的に鬼ごっこ向けの者が多いのだ。
昨日行ったのがいわゆる『増え鬼』ルールだったおかげで、こちらも少しずつ戦力を増やして応戦はしたものの。私でも簡単に捕まえられる妖精が、鬼になったからといって大した戦力になる訳もなく。
おかげで、こちらはぶっ続けで三時間も飛び続けるハメになってしまった。疲労困憊もするというものだろう。
とはいえ、ただただ無心で彼女たちを追いかけ回すのは思いの外面白かったし、終わった後は充足感があるのと共に、妙にすっきりとした気分にもなったけれど。
大の字になって倒れている私に向かって「楽しかったでしょ?」と、ニコリと笑うチルノの顔が浮かぶ。私はハーハーと息を切らせながらも、「ええ」と頷いてみせるしかなかった。
思いがけない形ではあったけれど、良い気分転換をさせてくれた彼女には、感謝しなければならない。
「本当に珍しいですね」
「ええ。何しろ普段は内勤ですし、運動なんて中々」
「そうじゃなくて、そんなに楽しそうにしているのがですよ」
「え?」
「気付いてないですか?だって、さっきから四季様」
―――とてもいい笑顔ですよ。
「何かいいことでもあったんですか?」とからかうように言いながら、着替えを終えて出ていく小町。
私は何だか今更になってそんな姿を見られたのが気恥ずかしくなりながら、その後ろ姿を見送るのだった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
―水無月ノ第三日曜日―
紅魔館の図書館に立ち寄り、先週パチュリー・ノーレッジへ説教をするついでに借りていった本を返却すると(そう、借りたものは必ず返す。これは難しいことでも何でもなく、極めて当然の話なのです。どこかの魔法使いさん)私はその足で霧の湖へと向かった。
「チルノ、いますか?」
「あ、えーきだ。やっほー」
湖のほとりで呼びかけると、上空から返事と共にチルノが笑顔で降りてくる。
時間の約束もしていなかった割にはすぐ会えたことに内心で安堵しつつ、私は持ってきたバスケットをチルノに向けて差し出した。
「こんにちは、チルノ。これは先週私と遊んでくれたお礼に持ってきました。妖精の皆と分けて食べてください」
「わあ、お菓子!?えーきが作ったの!?」
「ええ。簡単なクッキーですが」
「すごーい!」
キラキラと目を輝かせるチルノを見ると、本当に喜んでもらえたようでほっとした。
このお菓子は昨日、アリス・マーガトロイドの家を訪ねて、作り方を教えてもらって作ったものだ。
突然現れた私にアリスはまた説教かと身構えていたようで、私が「お菓子作りを教えてください」と言った時の彼女の驚きようったらなかった。
というか、座っている椅子ごとひっくり返っていた。いくら何でもあんまりな反応だと思う。
「みんなー、お菓子があるよー!」
チルノがこの前と同じように上空で叫ぶと、あっという間にたくさんの妖精たちが集まってくる。その数は、おそらく先週集まった数以上か。きっと皆、甘いものには目がないのだろう。
ふと「みんなー、説教するよー!」と叫んだらどの位の子たちが飛んでくるかな、などと考えたが、おそらくただの一人も出てこないというのがオチだろう。
それで素行の悪い者たちが皆集まってくれるのならば、こちらも苦労しないのだけど。
「クッキーだー!」
「おいしそー!おねえちゃんありがとー!」
「何枚まで食べていいのー?」
がやがやと、バスケットはあっという間に妖精たちの手で取り囲まれてしまう。
そんな様子を見て、私は(念のため多めに焼いてきて正解だった)と、ほっとした。
もし一人でも行き渡らない子が出たら、大変な騒ぎになってしまっただろう。
「そうですね。この数ですと一人二枚くらいまでは、大丈夫だと思いますよ」
私が答えると「はーい!」という妖精の返事を合図に「いただきまーす!」の大合唱が響く。
妖精というと、私はもっとわがままだったり気まぐれな印象を持っていた。
だが、こうしてみると皆子供っぽいけれど良い子達ばかりで、どうやらこちらの誤解だったようだ。
偏見でものを見ていたということで、これは反省しなければなるまい。
(私もまだまだですね)
そんなことを思いつつ、私はしばらくクッキーを美味しそうに頬張る妖精たちの様子を眺めていた。
「そういえば、おねーちゃんだーれー?」
クッキーを食べ終え、幸せそうにしていた一人の妖精が私を指さしながらそう言うと、他の妖精たちもつられたように「だれだろー?」「しらなーい」「この前、鬼ごっこやってくれたよねー?」などと騒ぎ出す。
今更そんな疑問が出てくるあたりは、やっぱり妖精なんだなと内心で苦笑していると、チルノが「えへん」と咳払いをして、私を皆へと紹介する。
「この人はね、しきえーきっていうんだよ。『さいばんちょう』っていう、ものすごく難しいお仕事をしていて、あたいたちよりも、ずーっと色んなことを知ってるの」
「しきえーきさん?」
「おしごとしてるんだー」
「色んなこと知ってるのー?」
「どんなことー?」
「とにかく、あたいたちの知らないようなこと!」
キラキラと、さっきチルノから向けられたのと同じまなざしが、いくつも私に向けられるのが分かる。
それ自体は嬉しいのだけれど、何だろう。あまり良くない予感が、ヒシヒシとするのは気のせいだろうか。
そんなこととはつゆ知らず、チルノは、私の予感などまるで気付かないように言った。
「良かったら、みんなも自分の知らないこと、聞いてみるといいよ!」
―――ああ、もう駄目だ。そう思った時には、全てが遅かった。
「空って何で青いのー?」
「どうしてお腹が減るのかな?」
「どこかで聞いたんだけど『うみ』ってなーにー?」
チルノの言葉を皮切りに、私は妖精たちから怒涛の質問攻めにあう。
「空が青いのは、上空で『レイリー散乱』という現象が起こっているからです!お腹が減るのは、生物が活動している中で常にエネルギーを消耗しているからで、海というのは『れいりーさんらんってなーにー?』
ああ、もう!」
一つ答えては、また一つ。妖精たちの言葉は次々と、まるでこちらめがけて一斉掃射される弾幕のように飛んでくる。
しかも、避けるどころか、全部真正面から受け止めなければならないから、尚のことタチが悪い。
結局、まだ高かった日が西日に変わって沈みかけるまで、私はそれに答え続けなければならなかった。
「あ、もうこんなじかんだ」
「おねえちゃん、色々おしえてくれてありがとう!」
「私もかえらなきゃ。おねえちゃん、ありがとー。じゃーねー」
手を振り飛び去っていく妖精たちを見送ると、私は先週と同じように、その場へばたりと大の字になって倒れ込んだ。
「えっと……大丈夫ですか?映姫さん」
「ご、ごめんね。あたい、皆があんなに色々聞きたがるなんて思ってなくて」
申し訳なさそうに私の顔を覗きこんでくるのは、チルノと、先週瞬間移動で私を苦しめてくれた妖精の2人。
私は、倒れ込んだまま顔だけチルノの方を向くと
「……チルノ。貴女の言動は、少し軽はずみすぎる。私だって何でも知っているわけではありませんし、普段説いているのはあくまで生き方の姿勢についてで、理科や生物学ではないんです」
そう、私は閻魔であって、学校の先生ではないのだ。
門外漢の分野について、いきなり分かりやすく解説してくれと言われても無理がある。
まあ、少なくともこの子たちよりは長く生きているから、それなりに色々なことを知っているつもりではいるが、妖精たちの質問に答えるなら答えるで、少し準備をさせてほしいものだ。
(まったく。この後の予定が台無しですね)と、思わず心中で呟く。本当は、妖精たちにクッキーだけ渡したら、すぐにでもここを離れるつもりでいたというのに。
ただ、今日の出来事が、私にとって全く時間の無駄であったかといえば、そんなことはない。おかげで、いくつか気付くことのできた点もある。
一つ。妖精は、意外と知識欲が旺盛である。知識を得ようとするのは良いことだ。誰かが彼女たちの手助けをしなければならない。
一つ。私が定期的に来て指南役を務めても良いが、相手がこの人数ではとても手が回りそうもない。助っ人として、このすぐ近くに住んでいる知識の魔女でも連れてくるという手もあるが、おそらくは色々教えている途中で、むきゅーと倒れてしまうだろう。
一つ。言動を見るに、今私の目の前にいる二人は、妖精たちの中でもだいぶ頭の回る方の子たちである。
「ふむ」と私は一人ごち、起き上がると、まだ申し訳なさそうにしているチルノの頭をそっと撫でた。
「もう良いですよ、チルノ。それに、ええと」
「あ、私の事は大妖精と呼んでください」
「大妖精ね。以後よろしく」
「はい。チルノちゃんともども、よろしくお願いします」
私が言うと、大妖精はペコリと頭を下げる。
どうやらこの子は、チルノ以上にしっかりとしているようだ。
そういえば、先週チルノが言っていた『親友の大ちゃん』とは、この子のことかもしれない。
もしそうならばますます好都合だと思いつつ、私は二人に向けて問いかける。
「チルノ、大妖精。突然ですが、貴女方、寺子屋へ通ってみる気はありませんか?」
「寺小屋(ですか)?」
私が言うと、案の定、チルノも大妖精も、不思議そうな表情を浮かべてみせる。
「そうです。拝見するに、今日色々話していて、私の話を一番理解していたのは、貴女方二人でした。閻魔の身で言うのも何ですが、寺子屋の授業は、私の話をただ聞くだけよりも、もっとためになるものです。
上白沢慧音には、私から話を通しておこうと思いますし、いかがですか?」
「でも、今まで寺子屋に通うなんて、考えたこともなかったです」
「いきなり言われても、困っちゃうね。それに、あたいが居ると、それだけで周りは寒くなっちゃうんだよ?大丈夫かな?」
そう言って、突然の話に不安そうな表情を見せる二人。それも、無理のないことだろう。私自身、妖精が寺子屋へ通うなんて話は、聞いたことがない。
私は、そんな二人を諭すように続ける。
「ですから、とりあえず二人とも、夏の間だけ通ってみれば良いでしょう。あともう一つ。以前のチルノでしたら、周りのものを無闇に凍らせてしまう悪癖がありましたが、今はそんなことないでしょう?」
「うん!えーきに言われて、あたいもすっごく考えて、やっぱり遊びでそういうことをするのって良くないなって思ったから。もう、カエルだって凍らせてないもん」
「だったら、心配するようなことは何もないですよ。寺子屋に通えば授業で学ぶことばかりでなく、人間のお友達もできると思いますし、どうですか?」
「うーん……」
「どうしよっか、大ちゃん」
まだ迷っている様子の二人に、私はさっきから温めていた、とっておきの殺し文句を繰り出した。
「今よりも、もっとさいきょーなお姉さんになれますよ?」
「さいきょーなお姉さん?」
「ええ、貴女方は元々、妖精としては強すぎるほどの力を持っている。
そこに頭脳が加われば、妖精たちは、いえ、妖精たちだけでなく、人間の子供たちだって、知恵も力も持ち合わせた貴女方を、とても頼りにすることでしょう。悪い話ではないと思いませんか?」
私が言うと、チルノは目を輝かせて「行く!」と言ってきた。それにつられるようにして、大妖精も「チルノちゃんがそう言うなら」と。
内心で、ニヤリと笑みを浮かべてみせる。
我ながらここまでうまくいくとは思っていなかったが、全て計画通りである。
実際、勉学は人間以外の者にとっても、重要なものだ。
例え力の強い妖怪であっても、頭の方が足りなかったばかりに身を滅ぼした話などは、枚挙に暇がない。
妖精の中でも特に力の強いチルノと、しっかりとした性格の大妖精が、勉学を学ぶことでより賢くなってくれたなら。きっと、妖精たちの良きリーダーとなって動いてくれるだろう。
その中で、二人が他の妖精たちにも色々なことを教え、成長させていってくれたなら万々歳だ。
「それでは、私は早速、上白沢慧音の所に行ってこようと思います」
「うん!ありがとう、えーき!またね!」
「本当にありがとうございます。楽しみにしていますね、映姫さん」
ふわりと空に浮かびながら振り返ると、チルノは笑みを浮かべながら大きく手を振っていて、大妖精は丁寧に頭を下げたまま私の事を見送っていた。
随分対照的な二人だなあ、と私は思う。あれで普段は良い親友関係を築けているというのだから、不思議なものだ。友達というのは、案外そういうものなのかもしれないけれど。
(大妖精は、本当に良い子ですね。チルノも、ちょっとおてんばが過ぎるけど、根はとっても良い子。……あれ?あの二人って、実はやっぱりそっくりだったりするんでしょうか?)
どうなのだろうか。二人とも、良い子に違いはないのだけれど。
私は、二人が豆粒のように小さく見える程上空に浮かぶまで、彼女たちを見つめ続けながら、そんなことを考えていた。
チルノたちが寺子屋へ通う話は、とんとん拍子に進んでいった。
上白沢慧音も時折湖でチルノたちと会っているらしく、最近の彼女が以前よりも理性的になっているのは知っていたし、夏の暑さ対策も兼ねて是非お願いしたいとのことだった。
また、念のために、幻想郷の管理者である八雲紫にもこの事を伝えたが、面白そうに笑うだけで、特に問題がある訳でもなさそうだった。
人里の中には幻想郷縁起を読んでおり、チルノが寺子屋へ来て大丈夫かと心配をする者もあったが、最終的には慧音の人望と「あの閻魔様や賢者様のお墨付きだから」で納得されたらしい。
「あの」がどういう意味かは気になる所だが、結果的にはうまくいったのだから良いだろう。
七月一日から、八月の夏休みが始まるまでの一ヶ月。
あくまで試験的にという形ではあるが、無事にチルノと大妖精は、寺子屋へと通えることになった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
―水無月ノ第四日曜日―
昨日の土曜日は、チルノと大妖精へ、寺子屋で使う道具の一式(鞄や教科書など)を渡しに行った。
上白沢慧音が『自分が渡しに行く』と言っていたのだが、彼女だって忙しい身だし、何よりチルノたちが寺子屋に入るのは、私が決めたようなものである。
ここは私が行くのが筋というものだ。
チルノは「まさか、あたいが寺子屋に行くことになるなんて思わなかったよ」と言いながらも、どこかわくわくとした表情を浮かべていた。
大妖精もこの前と変わらない丁寧な対応をしてくれたけれど、その顔は微笑んでいた。
無理もあるまい。彼女たちにとって、今回の話は、本当に思いもよらなかったことだろうから。
二人の笑顔を見ていると、何だかこちらまで嬉しくなってきてしまい、胸がほっこりと温かくなるのを感じることができた。
そして、今日は久しぶりに幻想郷中を説教しながら巡っている。
何だかんだとしているうちに、二週間も間を空けてしまった。こんなに長い間、どこにも説教に行かなかったのは実に久々だ。
全てを公平に見る閻魔として、いい加減妖精たちばかりに構っている訳にもいかないだろう。
(……だというのに、朝から込み上げてくる、この物足りない気持ちは何なのでしょう?)
あちこちでいつもの様に説教していても、胸の内に湧くのは、どこか、一人でいることを寂しいと思う気持ち。
以前までは、今日と同じように一人で行動をしていてもこんな感覚はまるでなかったというのに、一体何がそうさせるのか。いくら考えても分からない。
(まあ、あまり考えすぎない方が良いのかもしれませんね)
それよりも、先週まで説教に行けなかった分を取り戻さなくてはならない。
命蓮寺や魔法の森といった箇所を回り(アリスには、クッキー作りを教えてくれたお礼に、いつもより一時間も多く説教をしてきた。サービスだ)今、私は博麗神社までやってきていた。
「―――ふうん」
この前よりはややマシといった態度で私の話を聞いていた霊夢が、一通り私が話し終えた後に何やら頷いてみせた。
その態度が不躾なものに思えて、若干眉をピクリと動かすも、霊夢はまるで動じた風もない。
ため息をつきたいのを堪えて、私は平静を装いながら、霊夢に尋ねる。
「……何ですか」
「説教の仕方が、以前と違うと思ってね」
「そうですか?そんなつもりもないのですが」
霊夢の言葉に、私は思わず首をかしげた。
彼女には、ほんの数週間前にも説教をしたばかりだ。それで『以前と違う』などと言われても、戸惑ってしまう。
「ううん、だいぶ変わったわよ。閻魔様も、日々話し方の訓練でも積んでるのかしら?偉い偉い」
「……やっぱり、からかってるだけですね」
「もう、一々冗談が通じないわねえ」
プイと私が顔をそむけると、霊夢は呆れた様な声で言った。
そして、そのまま机の上に置いてあったお茶を一口啜ってから「でもね」と続ける。
「変わったっていうのは本当よ」
「どんな風にですか?」
「そうね。一言で言うなら、抽象的で難解で分かり辛かった話が、具体的になって分かりやすくなったって所かしら」
「私としては、そっちの方が良いと思うわよ」という霊夢の言葉を聞きながら、私はようやく「ああ」と納得した。
先週妖精たちにされた、大質問大会のおかげだ。
何しろ最初の方は勝手が分からなくて、ついつい難しい言葉を使って答えていたものの、妖精たちにとっては、ただでさえ知らないものをそんな言葉で説明されても理解できるわけがない。
だからこそ『妖精でも分かる言葉』を選びつつ、物事を説明するという技量を、あの数時間で手に入れざるを得なかったのだ。
おそらく、今日の私はその影響もあって、無意識に『相手へきちんと伝わる言葉』で話そうとしていた、ということなのだろう。
勿論、普段からそんなことは当たり前に心がけているつもりだったが、言われてみれば私の言葉は人にきちんと通じていなかったのかもしれない。今も霊夢から『抽象的で難解で分かり辛い』と言われてしまった程だ。
伝わらないよりは伝わる方が良いに決まっている。私は『これは忘れないようにしなければ』と、愛用の閻魔帳に、この事を書き付けていく。
霊夢は、そんな私を眺めながら、のんびりと言った。
「まあ、今日は会った時から、以前と雰囲気が違うなと思ってたんだけどね」
「そうなんですか?」
「うん。何というか、前よりも丸くなったわね、あんた」
「失礼な。体調管理は普段からきちんとしています。一キロたりとも太ってなんていませんよ!」
「……そういう意味じゃないんだけど」
「そういえば、あんた最近チルノやら大妖精と仲良くしてて、一緒にいることが多いらしいじゃない。その影響かもね」
ポツリと呟かれた霊夢の言葉は、メモを取るのに必死になっていた私の耳には、もう届いていなかった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
―文月ノ第一日曜日―
七月に入り、いよいよ幻想郷も夏めいた、晴天の日が続いていた。
気温は日を追う毎に上がっていき、日中の日差しもきつくなっている。
「今日はまた、一段と暑いですね……」
思わずそんな独り言を洩らしつつも、私は時折ハンカチで汗をぬぐいながら、霧の湖に向かって飛んでいた。
「おーい、えーきー」
「映姫さん、こんにちは。わざわざ来ていただいて、ありがとうございます」
「チルノ、大妖精。こんにちは。待たせてしまいましたか?」
「ううん、あたいたちも今来た所だよ」
そう言って、チルノは笑顔を見せる。
その様子を見て、私はとりあえず一安心した。
今日彼女たちと会うのは、先週二人に会った時から決めていた約束である。
何しろ、二人が寺子屋に通い始めて丁度一週間が経ち、この先も寺子屋へ通えるかを見極めるのに、大事な時だからだ。
それに、妖精が寺子屋へ通うなんて、幻想郷史でも初の出来事だし、私もその発案者として、常に様子を見ておく必要があるだろう。
「今日はまた、一際暑さがこたえますね。私もここに来るまでに、すっかり汗をかいてしまいました」
「いよいよ、夏が来たって感じがするもんね。あたいは暑いの苦手だから、嬉しくないなあ」
「私もです」
「ふふっ。まあ、夏は夏にしか楽しめないことも多いですし、そういうことを探すのも良いんじゃないでしょうか。それで、早速なんですが、寺子屋はどうですか?」
「あ、その話なんだけどね」
私が本題を切り出すと、軽くさえぎるようにして、チルノが口をはさんでくる。
「ここで話してもいいんだけどさ。良かったら、別の所へ行かない?」
「私もさっき、チルノちゃんとそのことで話していたんです」
「別の所?良いですけど、何処にですか?」
「人里の甘味屋さん。この前、迷惑をかけちゃったお詫びもしたいし」
そう言って、チルノはペコリと頭を下げた。
そんな彼女を見るのは初めてのことで、私はどう返事をしたものやら、戸惑ってしまう。
「まだ気にしていたんですか?一週間も前のことなのに」
「でも、迷惑かけちゃったのは本当のことだしさ」
「とはいっても、貴女たち、そんなにお金も持っていないでしょう。大丈夫ですか?」
「それは大丈夫!任せて!」
何故か胸を張り、チルノはそう宣言してみせる。大妖精は、そんなチルノを見ながら、ただニコニコと微笑んでいた。
こうして、私一人だけ訳が分からないまま、私たちは連れだって、人里の甘味処へと場所を移すのだった。
「―――あらためて伺いますが、寺子屋はどうですか?二人とも、うまく馴染めていますか?」
「うん、楽しいよ!」
「はい。皆さん良い方ですし、授業も面白いですし」
かき氷を食べながら、私たちはそんな会話をする。
ちなみに、チルノはいちごミルク、大妖精はメロン、私は宇治金時を、それぞれに注文していた。
小さなお店だが、味は決して悪くない。今日のような、初夏の晴れ渡った日に食べるのにはぴったりの、爽やかな甘味を私たちはしばし堪能した。
「そうですか。それを聞いて、まずはほっとしました。それで、普段はどんな授業を受けているのですか?」
「あたいは、人間の一番ちっちゃい子たちと一緒に、ひらがなとカタカナを習う所からやってるよ」
「私は、一応それはできるので、もうちょっと上の年の子達と一緒に、漢字やそろばん、歴史について学んでいます」
「大ちゃんはすごいよねー」と言いながら、いちごミルクをぱくつくチルノ。
だが、チルノだって十分にすごいと私は思う。
普通の妖精ならば、知識欲はあっても集中力はないから、授業の間中ずっと静かに座っているということがそもそも難しいだろう。
しかし、この二人に関しては、それよりも学ぶ喜びの方が大きいらしい。
(この様子なら、今後も特に心配はなさそうですね)
正直な所、不安もかなり大きかったので、目の前で楽しそうに語る二人を見て、私はほっと胸を撫で下ろした。
それと同時に、ちょうど目の前の容器も空になる。私は、二人の容器も空になっていることを確認すると、ガタリと椅子を引いて立ち上がった。
「二人とも、寺子屋を気に入ってくれているようで安心しました。さて、食べ終えましたし、そろそろ出ましょうか」
「そうだね、もう出よっか。おばちゃん、ごちそう様ー!今日も美味しかったー!」
「ごちそう様でした。また今度、チルノちゃんと来ますね」
言いつつ、チルノと大妖精は、そうするのが当たり前と言わんばかりのごく自然な動作で店の外へ出ようとする。
財布も出さず、レジの前も素通りしてだ。
「ちょ、ちょっと!」
一体何をしているのかと、私は慌てて二人を引き留めた。
「待ちなさい!二人とも!」
「? どうしたの、えーき。そんなに慌てて」
「どうしたのじゃないですよ!お支払いはどうするんですか!?」
「あたい、お金持ってない」
「私もです」
「ええ!?」
二人の言葉に、私は思わず衝撃を受ける。だって、さっきはお詫びがしたいと言っていたのに、話が違うではないか。
(まあ、何となく、店に入る前からこんな予感はしていましたが、やっぱりですか―――)
そう思い、仕方なく私が懐から財布を取り出すと、お店の女将さんらしき人が、笑いながら姿を見せる。
「ああ、いいんですよお金なんて。チルノちゃんには、いっつもお世話になってるからね」
「……え?」
「あれ?あたい、話してなかったっけ?」
「みたいだね。ダメだよ。映姫さん、ビックリしちゃってたでしょ」
「一体、どういうことですか?」
怪訝な顔で私が聞くと、大妖精はこちらへ向き直って言った。
「ええとですね、チルノちゃんと私で、去年から、人里の方たちに氷を配っているんですよ」
大妖精と女将さんの説明してくれた所によると、二人は、去年あたりから人里を回り、無償で氷を配給しているらしい。
さすがにチルノは氷精だけあって氷なんていくらでも作れるし、その氷は溶けにくく、特に鮮魚や精肉を扱っているような店では大変に重宝しているということだ。
「ということは、今日私たちが食べたものも」
「うん!あたいの作った氷を使ったやつだよ」
「今朝も持ってきたもんね!」とチルノが言うと、女将さんは「そうね。ありがとう」と微笑みかけた。
「でも、無償で氷を配るなんて。チルノは、何でまたそんなことを?」
そう尋ねると、チルノは少し恥ずかしそうに、鼻の頭をポリポリと掻きながら言った。
「あのね、あたいたちは妖精だから、いたずらが大好きでしょ?でも、あんまりいたずらしてばっかりだと、さすがに人間にも悪いかなって思うようになって。
だから、あたいがこうやって氷をあげれば、少しは皆、妖精の事を許してくれるかなって。一人だと回りきれないから、大ちゃんにも協力してもらってるけど」
「チルノちゃん、初めてここへ来たとき、こう言ったんですよ。『今までいっぱい悪戯したお詫びに、あたいが好きなだけ氷をあげます。だから、これからもあたいの仲間たちが悪戯するかもしれないけど、許してあげてね』って。そんな風に言われたら、怒れませんよ。それに、今はこうして、一杯活躍してもらっていますし」
女将さんの目線を追って台所を見てみれば、沢山の野菜が、チルノの氷を使って冷やしてあるのが見えた。
「夏場は特に食べ物が傷みやすいですから。チルノちゃんが来てくれるようになって、うちも本当、食べ物の管理が楽になったんですよ」
そう言って女将さんは笑って見せる。
チルノは、そんな言葉を聞いて、照れくさそうにはにかんでいた。
「あのさ、えーき。このことは、私と大ちゃんとえーきだけのないしょ話だからね。他の妖精たちに言わないでね」
「え?何故ですか?」
「だって、おばちゃんの前でこういうことを言うのも悪いけど、あたいも妖精だから、人間をびっくりさせたりするのがすごく楽しいのは知ってるんだ。
でも、あたいがみんなに隠れてこういうことしてるって知ったら、みんな、今みたいに楽しくいたずらできなくなっちゃうでしょ?だから」
「チルノ……」
思いがけない彼女の言葉に、私は言葉を詰まらせる。
一見すると能天気で、いつもはしゃいで笑っているイメージしかなかったチルノが、実はこんなに色々なことを考えていたなんて。
「……チルノ。私は、生まれてから一度も悪戯なんてしたことがないので、その楽しさは分かりません。人を無闇に驚かせるのも、良くないことだと考えています。
本当は妖精たちを集めて説教して、これから先、もうそういうことはしないと誓ってもらえるのが、一番良いと思っています」
「……」
私が敢えて厳しい言葉をかけると、チルノは目に見えて落ち込んで、シュンとした顔になる。
そんな彼女に構わず、私は続けて
「……ですが、貴女のその仲間を思いやる気持ちは大変に素晴らしいものです。私は、貴女の優しさに免じて、今回の話を胸にしまっておこうと思います。……チルノこそ、こんな話は、小町には内緒ですよ?」
「!」
人差し指を唇に当てながら私が言うと、チルノは途端にパアッと顔を明るくした。
「えーき!ありがとっ!」
「わわっ!いきなり抱き着かないでくださいっ」
「えーきー♪」
私が言っても、チルノは満面の笑みを浮かべながら、しばらくの間ずっと私に抱き着いていた。
そして、抱き着かれた驚きと恥ずかしさから私がワタワタとする一方、女将さんと大妖精は、そんな私たちの様子を微笑みながら眺めていた。
チルノたちと別れてからしばらく経っても、彼女の温かさは体に残っていた。
氷の妖精で、周囲にいれば寒いのに、抱きつかれれば温かいなんていうのも、おかしな話なのだけど。
でも、彼女の温もりを思い出すだけで、心までも暖かくなるような気がする。
(本当に楽しかったですね)
甘味屋さんで、美味しいものを食べて、たくさんお喋りをして。
以前チルノの言っていた言葉が身に沁みる。時には、こうやってのんびりとすることも大事なのだ。
(それにしてもチルノったら、嬉しいことを言ってくれるんですから)
今日、別れる直前に、チルノがそっと耳打ちしてくれたことがある。
「あのね、えーき。あたいが人間に氷を配ったりとか、色んなことを考えるようになったのって、えーきのおかげなんだよ。
えーきが、ずっと前、初めて会った時に『貴方は少し迷惑をかけすぎる』なんて言ってくれたから。だからあたい、自分なりに頑張って、色々やってみたんだよ」
それを聞いた私は、あまりの嬉しさに、思わず涙が出そうになった。
(何だか、会えるものなら毎日でも会いたいような気分ですね。まあ、それはさすがに無理ですが……また近いうちに、会いに行きましょう)
次に会ったら、何をしよう?どんなことを話そう?
そんなことを思うだけで、楽しみな気持ちが抑えらえれなくなりそうで。
「……チルノ」
ここにはいない、彼女の名を呼びかけながら、家路へと着く。
オレンジ色に輝く夕日が、やけに眩しかった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
その晩、私は夢を見た。
晴れた日の空のように青いワンピースを着た少女と、朝から幻想郷のそこかしこを飛び回る夢。
少女の顔は何故か見えないが、その声は、どこかで聞き覚えのあるものだった。
彼女は、どこへ行っても、楽しそうに笑っていた。
彼女が笑うと私も嬉しくなって、二人で一緒に笑いあった。
やがて、一日が終わり、夕焼けが沈むころになると、少女は「もう帰らなきゃ」と言いだした。
その言葉にハッとする私をよそに、「バイバイ」と言って、彼女はふわりと飛び立とうとする。
そんな彼女の腕を、思わず、私は掴んでいた。
「ねえ、まだいいでしょ。もっと、二人で色んな所へ行ってみましょうよ」
私が言うと、少女は寂しそうな、悲しそうな、声で言った。
「ダメだよ、えーき。今日はもう時間切れ。また今度ね。ほら、えーきだって早く行かなきゃ」
「待ってください!待って……」
気が付けば、少女の腕を掴んでいたはずの私の右手には目覚まし時計。
時計の針は、始業の三十分前を指していた。いつもなら、執務室でコーヒーでも淹れながら、一日分の仕事の資料に目を通しているような時間だ。
「……うああ!ち、遅刻です!」
朝食を食べるどころか、ろくに身支度を整えることすらできずに、私は大急ぎで家を飛び出す。
始業十分前。もうそろそろと自分の持ち場へと向かっていたであろう小町は、まだ仕事着ですらない私とすれ違い、まるでこの世の終わりでも見たかのような顔をしていた。
……結局、閻魔の名に懸けて、この日私は遅刻することなく、始業時間きっちりに仕事を始めることができた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
―文月ノ第二日曜日―
前日、チルノ率いる妖精たちと大かくれんぼ大会を決行したり(全員見つけるのに五時間を要した)チルノと大妖精から寺子屋での出来事を聞いたりして過ごした私は、今日はお昼までのんびりとした時間を過ごし、それから地霊殿を訪れていた。
半分は、部下としての古明地さとりと仕事についての打ち合わせを行うため。もう半分は、友人としての古明地さとりと親交を深めるためである。
仕事の打ち合わせは毎月行っているが、一人の友人として彼女に会うのは実に久々だ。
いつもなら、その打ち合わせが終わって早々に引き揚げ、各地を説教して回るのだが、今日はあらかじめゆっくりしていく旨をさとりに伝えてある(と言っても、胸の中で「今日はゆっくりしていきますから」と思っただけだが)
そのためか、打ち合わせそのものも、どこかいつもより和やかな雰囲気で進んでいった。
「……と、上半期の報告は、こんな所でしょうか」
「ご苦労様。貴女も、貴女のペットの子たちも良く働いてもらっていますね」
「ええ。自慢の家族ですから」
さとりは淡々と答えると「さて、お仕事の話はここまでにしませんか?」と問いかけてくる。
時計を見れば、キリよく午後三時。たしかに、タイミングとしては丁度良い。
私が「そうしましょうか」と頷くと、さとりはお燐を呼び、書類を片付けるのと、コーヒーを二杯淹れてくるように申し付けた。
「はいはーい!」と返事も良く、書類を持って部屋を飛び出していくお燐。ちなみに、私が今日ここへやってきたとき、その書類を準備してくれたのも彼女だ。
そんな彼女の姿を見て、私は思わず『小町もあれくらい良く働いてくれたら』なんてことを考えてしまった。
その後、すぐに運ばれてきたアイスコーヒーを飲みながら、私とさとりはとりとめもないことを話した。
お互いの近況や、さとりの家族の話。人里で起きている出来事。
「こいしは、相変わらず放浪しているんですか?」
「そうなんですよ。まったく、いつもどこをほっつき歩いているんでしょうか」
「昨日、妖精たちのかくれんぼに、いつの間にやら勝手に混ざってましたが」
「……何やってるんだか」
「自称『マスター・オブ・かくれんぼ』だそうです」
「そういえば、地底では『最近閻魔様が説教に来る回数が減った』ともっぱらの噂なんですが。サボってるんですか?」
「い、いえ別に!そういう訳ではないですよ!?」
「でも、昨日も遊んでたんですよね?」
「たまたまです!たまたま!」
他にも色々なことを話すうち、さとりはふと思い出したかのように、こんなことを尋ねてきた。
「それで、どうなんですかチルノさんとは。上手くいきそうなんですか?」
「ええ。最初はどうなることか率直に言って心配しましたけど、あの子も上手く寺子屋でやっていけそうです」
「そうじゃなくて、貴女がですよ」
「私?何のことです?」
またまた、といった様子でさとりは言った。
「好きなんでしょう?チルノさんの事」
「ブーッ!」
一体、何を言いだすのかと思えば。
突然のさとりの台詞に、思わず私はゲホゲホと咳き込んでしまう。
そんな私の様子を見ながら、さとりはニヤニヤとした笑みを浮かべていた。
「な、何を言うんですか、いきなり」
「隠そうとしたって無駄ですよ、映姫。何しろ私はさとりの妖怪ですから」
「いえ、それは分かっていますが……」
別に隠そうとしていたつもりもないし、そもそも私はチルノの事を好きだが、そういう意味でではない。
恋愛事などではなく、あくまで、一人の友人としてという話だ。
「ふむ。『一人の友人として』ですか」
「ええ。ですから、変な意味なんてまったくないんですよ」
私が言えば、さとりも負けじと
「例えお燐やお空のように、心の読めない者が、今日の映姫の相手をしたとしても分かると思いますよ?貴女がどれだけチルノを好きかって」
「……ほう?そう言い切るからには、何か根拠があるんですか?」
さとりの言葉に、私はムッとして言い返す。だって、本当にやましいことなど何一つないというのに、何故こんな言われ方をしなければならないのか。
すると、さとりは「本当に気付いていないんですね」と呆れた様子で言った。
「だって映姫、今日ここへ来た時からチルノのことばっかり話しているんですもの」
「え?そ、そうでしたか?」
「そうですよ。『最近暑いですね』と季節の話を振れば『ええ。チルノがいれば涼しいんですが』と返されましたし『妖怪の皆さんは、少しは真面目に説教を聞くようになりましたか?』と尋ねれば、『全然ですよ。まったく、少しはチルノを見習ってほしいものです』と言っていました。挙句、さっきだって飲み物に浮かんでいる氷を見ながら『そういえば、チルノは今頃何をしてるんだろう』なんて考えていましたし」
「さ、最後のは、心が読めなきゃ分からないでしょう!」
「まあそうですが。でも、とにかく今日の映姫がチルノの事ばかり考えているというのは事実ですよ。そういえば映姫、今日は随分ゆっくりとお見えになりましたね。お昼までは何をされてたんですか?」
「え?えーと、チルノから『たまにはしっかり休め』と言われていたのを思い出しまして、のんびりしてました。丁度日曜でしたし」
「ほら」
「あっ」
慌てて口をふさぐも、もう遅い。それ以前に、そんなことをしても、相手がさとりの時点で無意味だ。
そのことに気づいて、恥ずかしさに赤面しそうになるのをどうにか堪え、私はさとりに反論する。
「で、でもだからって、私がチルノの事を好きだなんて」
「……夢」
「夢?」
「月曜日、危うく遅刻しそうになったんですよね?」
そう言われて、私はハッと思い出す。
たしかにさとりの言う通り、月曜日は遅刻しそうになったし、それは全てあの夢が原因だ。
そして、顔こそ見えなかったけれど、今にして思えばあの少女は―――。
「『まだいいでしょ?もっといろんな所へ行ってみましょうよ』ですか。意外と、可愛い所があるんですね」
「うああ!?人の心を勝手に読まないでください!」
「失礼。さとりですから」
私が怒りをあらわにしても、たいして反省した様子もなく、さとりはコロコロと笑ってみせる。
そこがさとりのさとりたる所以なのはこちらも重々分かっているけれど、それにしても、やっぱり読まれたくない部分は読まれたくないものだ。
「まったく、いくら何でも、そんな恥ずかしい所まで読むなんて」
「しょうがないじゃないですか。見えちゃうんですから」
「しかし、何で貴女が、私が月曜日に遅刻しかけたことを知っているんですか?それに、月曜日の事なんて私も言われるまで忘れていたのに、どうして夢が原因と分かったんです?
いくら何でも、相手の忘れている事まで読めるわけじゃないでしょう?」
私が尋ねると、さとりは何でもないことのように答える。
「ああ、遅刻しかけたのを知ってるのは、小町さんから聞いたんです」
「あの子ですか。まったく、お喋りなんだから……。それで、もう一つの方は?」
「だって、貴女の事ですから、前日に夜更かしして寝坊なんてまずありえない。
だというのに……これも小町さんから聞いた情報ですが……更衣室に飛び込んでいく映姫はいつもより髪もぼさぼさで、どう見てもトラブルに巻き込まれたなどの理由ではなく、起き抜けの状態で出勤してきていた。
ということは、何か普段では絶対に見ないような、よっぽど楽しい夢でも見ていた」
「当たりでしょう?」と、さとりはニコッと微笑んでみせた。
正直言って、文句のつけようもない位に大当たりなのだけど、それが何だか面白くなくて、思わず私は話を逸らす。
「むう。それにしても、何で貴女が小町からそんな話を聞いているんですか?普段は、あまり接点もないでしょうに」
「だって、私と小町さんは恋人同士ですから」
「……え?ええっ!?」
「貴女の部下という立場の者同士、愚痴ったり色々しているうちに……って、そんなことよりもです」
「そんなこと!?」
私にとって衝撃の情報を『そんなこと』の一言で片づけると、さとりはズイッとこちらに迫ってくる。
「これで分かったでしょう?ご自分が、どれだけチルノさんの事を想っているか」
「いえ、いくら何でも、一回夢に出たくらいで」
「じゃあ聞きますが、映姫の夢に、私が出てきたことはありますか?」
「いいえ一度も」
「でしょうね。では次。正直に言って、チルノさんとなら、毎日でも会いたいと思いますか?」
「会えるものなら是非」
「ええ、分かってました。それでは最終問題。映姫が以前、私の友人として、最後に地霊殿まで遊びに来たのはいつのことだったでしょうか?」
「二年前」
「正解。仕事の打ち合わせでは毎月顔を合わせていますけど。こんな風に色々と雑談したのは、本当に久々ですよ」
言葉の端にチクリと棘を込めながら、さとりは私にそう言った。
思えば、二年も友人として会いに来てなかったのに、未だにさとりは私の事を良い友人であると言ってくれる。
私ももっと、友人を大切にしなければならないのかもしれない。
「そんな、友人を平気で二年も放っておける映姫が、チルノさんには毎日でも会いたいと思っている。これは、どう考えても友人としての『好き』とは違うでしょう?」
ニコリと笑い、さとりはそう言ってみせる。
私は、もはや反論も言い訳も出来ずに、頷くことしかできなかった。
「ようやく認めてくれましたね、映姫」
「……自覚はなかったんですよ、本当に」
「じゃあ、これで映姫とチルノさんが恋人になるようなことがあれば、私がキューピッドな訳ですね」
「うるさいです」
面白そうに笑うさとりにツッコミつつ、私は一つため息をついた。
まさか自分がチルノに恋しているなんて思わなかったが、言われてみれば、なるほど。最近の私の生活はずっとチルノを中心に回っていたし、その中で少しずつ彼女の魅力にハマっていってしまったのかもしれない。
何より、チルノは可愛いし、良い子だし。
それにしても恋。恋か。
最後に恋なんてしたのは、はたしていつのことだっただろうか。甘酸っぱくて淡い、あの気持ち。
……あれ?
「『よく考えたら恋なんて生まれて初めてかも』って、へえ、初恋なんですか。それじゃあ、自分で気付けなくてもしょうがないですね」
「し、仕方がないでしょう!今までずっと、仕事が恋人だったんですから!」
「逆ギレしないでくださいよ」
「逆ギレなんてしてないもん!!」
呆れるさとりに向かって、私は思いっきり怒鳴りつける。
思わず子供じみた口調になってしまった私の咆哮が、地霊殿中に響き渡った。
「私が、チルノの事を好き……」
夕方、地霊殿からの帰り道。ふらふらと飛びながら、考えるのはそのことばかり。
今は、来週の食料の買い出しなどをするため人里へ向かっているのだが、その飛び方はいつもに比べて実におぼつかない。
結局あの後も、さとりから「いつ告白するんですか?」「せっかくの初恋なんですから、実らせられるように頑張ってくださいね」などと散々からかわれてしまい、思考は完全にそちらへ向いてしまっていた。
「告白だなんて、もしそれでうまくいったら、私、チルノと、こ、こ、恋……きゃー!」
空中で一時停止し、一人身悶える。
周囲に誰もいないのは確認しているが、もし誰かいれば、きっと何事が起きたかと思う光景だろう。
一通り悶えてから落ち着きを取り戻すと、私は誰にともなく「こほん」と咳払いを一つして呟く。
「まあ、善は急げとは言いますが、もう少し待ちましょう。チルノに告白するのなら、ちゃんと心の準備をしたいですし」
「あたいがどうかしたの?」
―――瞬間、まるで紅魔館のメイド長がそうしたかのように、時が止まるのを感じた。
その声は、今最も聞きたかったはずのもので、同時に今最も聞きたくなかったはずのもので。、
バクバクとなる心音を聴きながら『ギギギ』と音が鳴りそうな程不自然な動作で振り返れば、思った通り、見慣れた青いワンピースが目に入る。
「チ、チ、チルノ!?」
「あ、やっぱりえーきだ。やっほー」
そこには、屈託のない笑顔を浮かべるチルノの姿があった。
まさかこんなタイミングでチルノと出会ってしまうとは。運がいいのか悪いのか、分からないにも程がある!
「こんな所で会うなんて珍しいね。えーきは買い物?」
「は、はい。食料品をちょっと。そういうチルノは?」
「あたいは今日、人間の子たちと遊んでたんだよ!」
そう言われてよく見れば、チルノの服は所々砂や泥で汚れている。
きっと、以前に言っていた人間の小さな子達と一緒に遊んでいたのだろう。
一緒に学ぶだけでなく、日曜日にまで共に遊ぶようになるとは。私が思った以上に、チルノは寺子屋へと馴染んでいるようだ。
……と、それは良いのだけれど。まさかその帰り道で、こうして私と出会ってしまうとは。
「そ、そうですか。楽しそうで何よりです」
「うん!えーきのおかげだよっ。えーきが寺子屋に通えるようにしてくれたから、あの子達と友達になれたんだもん」
「本当にありがとう!」と言って、チルノは本当に嬉しそうな、楽しそうな笑みを浮かべてみせる。
その表情は、自分の気持ちを知ってしまった今となってはあまりにも魅力的で。
私は、さっきまでとは違った意味で、再び心臓がバクバクと鳴るのを感じていた。
「それでね、その子たちと缶けりとか、けん玉とかして遊んでたんだけど、もうそろそろ日が沈んじゃうし、あたいも帰らなきゃって思って。えーきも気を付けてね?」
「え、ええ。ありがとうございます」
「じゃあ、またねっ」
そのまま「バイバイ」と手を振り、チルノはふわりと夕焼け空に向かって飛び立とうとする。
(ああ、行ってしまう)と思った私は、まるで先週見た夢をそのまま再現するかのように、彼女の手を握り締めていた。
「ま、待ってください!」
「? どうしたの、えーき」
「あの……その……」
どうせ出会ってしまったのなら、ここでこのまま、何もせずに別れたくない。せめて、もう少しだけでも一緒にいたい。
そう思って行動してしまったが、いざとなると言葉が全く出てこない。
「チルノ、わ、私、貴女の……」
「あたいの?」
「貴女の…………家に行ってみたいです。来週の日曜日なんて、予定、空いていませんか?」
(ああ、へたれだなあ)と自分でも思いながら私が言うと、チルノは再び、私が驚く程に表情を明るくして見せる。
「空いてる空いてる!えーき、うちに来てくれるの?わぁ!」
「チ、チルノ?」
「あ、ごめんね?何か、えーきがうちに遊びに来てくれると思ったら、すごく嬉しくなっちゃって」
興奮した様子で、頬を紅潮させながらそう言ってくるチルノ。
そんな彼女の言葉には、こちらの方が嬉しくなってしまう。なけなしの勇気を出した甲斐があったというものだ。
「じゃあ、来週の日曜日の朝に、湖に来て!いつもあたいたちが遊んでるところ!」
「わ、分かりました。そこで待ち合わせてから、チルノの家に案内してくれるんですね?」
「うん!時間はどうしよっか?」
「私は、何時でも大丈夫ですよ」
「じゃあ、えーきといっぱい遊びたいから、9時!」
「楽しみにしてるからね!じゃあね!」と言って、チルノは飛び去って行った。
一方の私は、そんな彼女を見ながら思う。その時には、きっと、この気持ちを伝えなければ。
「―――日曜日、私も楽しみにしていますよ。チルノ」
私は、チルノの後ろ姿を見送りながら、ギュッと拳を握りしめた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
―文月ノ第三日曜日―
昨夜は、なかなか寝付けなかった。
何度もカレンダーを見て、今日が約束の日であることを確認したり、何と言ってチルノに告白するべきか、何回も考え直したり。
いざ布団に入っても、目を瞑ると脳裏にチルノの笑顔が浮かんできてしまい、ドキドキして、とても寝られたものではなかった。
(恋をするって、こういう事なんですね)
好きな人のことを想うだけで、こんなにも胸が高鳴って、頬が熱くなる。
今まで知識でしかなかった『恋』というものを身をもって感じ、私は自分がどれだけチルノの事を想っているか、あらためて実感していた。
ようやく眠りへ落ちた時には、既に深夜の二時を廻る頃だった。
しかし、習慣というのはたいしたもので、昨夜それだけ遅くなったにも関わらず、今朝もいつも通り六時には目が覚めた。
欠伸をもらしつつ、顔を洗って朝食を食べる。その間もずっと、夕べから続いているドキドキは治まらないままだった。
今まで生きてきて、こんなに緊張した朝はかつてない。閻魔試験の合格発表の日だって、今朝とは比べものにならない程だ。
朝食を終えた私は時間をかけて丁寧に歯を磨き、昨日の内に選んでおいた服へと袖を通す。
そのままもう一度洗面所へと足を運ぶと、滅多にしない紅を唇へと引いた。
(化粧なんて、自分の顔だちを嘘で誤魔化すようで、あまり好きではないんだけれど)
とは思いつつも、これから一世一代の告白なのだ。このくらい気合を入れても、バチはあたらないだろう。
外へ出る。
今日も晴天。空には雲一つなく、早朝にもかかわらず、夏の日差しは既にカンカンと幻想郷を照らしていた。
「行ってきます」
誰にともなく呟くと、私はタンッと地面を蹴り、大空に向かって飛び出していった。
「おはよー」
「おはようございます、チルノ。朝早くからすみません」
「そんなの、全然気にしないで!」
約束した時刻より十分ほど早く、私は湖へと到着し、チルノの家へと案内されていた。
その最中も、彼女はうきうきとした様子を隠そうともせず『本当に今日という日を楽しみにしてくれていたんだ』と、私も嬉しい気持ちになった。
「えーきが来るっていうから、頑張って片付けたんだよ」
そう言って、チルノはエッヘンと胸を張る。言われて部屋を見てみれば、なるほど、綺麗に整頓されていた。
「ありがとうございます。わざわざ、私なんかのために」
「だって、えーきに汚い部屋なんて見せたくなかったんだもん。それに、そういうえーきだってお化粧なんてしてる!あたいに会うから、そんな風にしてくれたの?」
「は、はい。似合いませんか?」
内心ドキドキとしながら私が尋ねると、チルノは微笑みながら「ううん。すっごく、綺麗だよ」と言ってくれた。
その一言だけで、私は天にも昇る心地になる。
「そこ、座ってて!お茶持ってくるから。喉乾いたでしょ?」
私をベッドへと座らせると、チルノは忙しなく台所へ向かって駆けていく。
本当に良い子だなあ……と思うと同時、どこまでもいつも通りなチルノのおかげで、少しリラックスできていることに私は気が付いた。
(とにかく、頑張って最善を尽くしましょう。例え、それでどんな結果になっても)
胸の内で決意を固め、私は台所でパタパタと動き回るチルノの背中を眺めるのだった。
「それで、今日はどうしよっか?」
チルノから受け取ったお茶を飲み、一息ついていると、チルノが私に問いかけてきた。
その一言にまた緊張感が高まってくるものの、湯飲みに残っていたお茶をグッと飲み干し、落ち着きを取り戻す。
私は、どう切り出したものか迷ったが、まずは一番大事な所から確認することにした。
「今日は、チルノに大事な話があってきました」
「話?どんな?」
「……突然ですが、チルノには今、好きな人はいますか?」
この子には、遠回しな言い方は通じない。
そう思い、直球で尋ねると、チルノは目を丸くして驚いた表情になる。
「本当に突然だね」
「ええ。すみません」
「あやまることはないんだけどさ。でも、好きな人かあ。それって、あたいが誰かに恋してるかどうかってことだよね?」
『恋』という単語に思わずドキッとするものの、それを極力悟られないように、私は平静を装って答える。
「ははははい。そそそう、そうです。チルノが、誰かここここ恋をしている人がい、いるのか、どうかを、わ、私は、聞いてい、いるのです」
「どしたのえーき。顔がまっ赤だよ。風邪?」
「い、いえ、至って平熱ですし、元気です。それで、ど、どうなんですか?」
「んー……」
ドキドキと心臓を高鳴らせる私の様子など知る由もなく、チルノはしばし逡巡すると、やがてその首を横へと振った。
「いないよ」
「そ、そうですか……」
『何でいきなりそんなことを聞くのか、よく分からないけれど』と言いたげな表情で、チルノはそう答える。
私は、私以外の人を好きだという可能性が消えた嬉しさ半分、自分もそういう対象として見られていないという悲しさ半分で、気の抜けた返事をした。
「珍しいね。えーきがそんな話をしてくるなんて」
「え、ええ。私だって女の子ですから、人並みには、そういう話に興味だってあるんですよ」
「そっかあ」
私の苦しい言い訳に、怪しむでもなく納得した様子のチルノは「じゃあさ」と続けて
「えーきは今、好きな人、いるの?」
「へ!?ななな、何を」
「だって、最初に聞いてきたのはえーきじゃん」
「でも、その様子だと、居るみたいだね。えーきの好きな人って、どんな人なんだろ」と言って、チルノは面白そうに笑ってみせる。
一方の私は、ドキドキがおさまらず、顔が赤くなりそうなのを必死でチルノに見られないようにしていた。
チルノは、そんな私の様子に気づかない様子で続けた。
「あたいはさ、よく考えたら、まだ人に恋ってしたことないかも。恋って、誰かが大好きで、ちゅーしたいと思ったり、いっつも一緒にいて遊びたいって思うようなことなんでしょ?
あたい、えーきも大ちゃんもルーミアもリグルもみすちーも寺子屋の友達も、皆大好きだけど、そこまで好きな人がいるかどうかは、まだ自分でも分かんないや」
「……そう、なんですか」
「うん。多分、これから先も、あたいに恋なんて関係ないと思うし。で、それがどうかしたの?」
不思議そうな顔で、チルノはそう尋ねてくる。
その瞳からは、彼女が本当のことを言うのを恥ずかしがって、嘘をついているような様子は微塵も見受けられなかった。
(……当たり前ですよね。チルノは、本当に裏表がない、正直な子ですから。そういう所まで含めて、好きになってしまったんですから)
一方の私は、そんなチルノの言葉に、何も言えなくなり、黙りこくってしまった。
人に恋をするという感情が、まだ分からないというチルノ。そして、これから先も、恋なんて自分とは無関係だというチルノ。
だとすれば、今日の私の告白は。
「……」
「えーき?どうしたの?やっぱり具合悪い?」
何も言わず俯く私を見て、チルノはおろおろと心配そうな顔をする。
そんな彼女の様子を見ながら、私は迷っていた。
今なら、まだ引き返せる。
このまま告白してもおそらくうまくはいかないだろうし、それならこの場はどうにか誤魔化して、これからも良い友人として過ごせばいい。
(でも、それでいいのですか?私は―――)
もしチルノにフラれれば、もう一緒にいることだって気まずくなる。私のことを大好きだと言ってくれたのは事実だし、友人だっていいじゃないか。
頭ではそう分かっていても、感情の方が追い付いてこない。
こんなことは生まれて初めてで、だんだんと、何が正解なのかも分からなくなってくる。
(チルノとは、ずっと一緒にいたいけど……それでも私は、自分の気持ちを誤魔化し続けながら、友人としてチルノと一緒にいたいわけじゃない!)
そんな嘘で塗り固めた気持ちのままチルノと友人でいるなんて、私にはとても耐えらないない。
それに、今日は最善を尽くすと自分で決めていたはずだ。ここで逃げて帰って、それが最善だろうか?
(いえ、絶対に違います。それでいいはずがないんです)
私に『頑張れ』と言ってくれたさとりの顔が脳裏に浮かぶ。
ここで逃げたら、彼女の気持ちまで無駄にしてしまう気がする。
(それに、何より私は閻魔だから……曖昧なものは許さない!白黒は、はっきりつける!)
―――覚悟は、できた。
何度か息を大きく吸って、吐いてを繰り返してどうにか落ち着きを取り戻すと、私は意を決してチルノへと告げる。
「ちゅーなら、したいですよ。私は」
「え?」
「チルノとなら、ちゅーしたいって言ったんです!」
「え、えーき?」
突然の私の豹変ぶりに、チルノは戸惑った表情を見せる。
その顔を見て一瞬だけためらったが、一度堰を切った私の言葉はもう止まらなかった。
「私だって、恋なんてしたことなかったですよ!貴女よりずっと長く生きていますけど、初めてでしたよ!」
「う、うん」
「おまけに、貴女のおかげで友人からはからかわれますし、仕事には遅刻しかけますし!」
「え!?何か知らないけど、それ、あたいのせいなの!?」
「そうですよ!貴女のせいで……貴女が……」
「え、えーき。よく分かんないけど、分かった。えーきって、あたいのこと」
コクリと、私は頷いてみせる。
「そうです。私は、閻魔なのに。全ての者を、公平な目で見なければいけない立場なのに……それでも、貴女は私の中で特別な存在になってしまったんです」
そこまで言ってから顔を上げ、チルノの目を見つめる。
彼女の顔は、ひどく驚いて困惑していて、自分がチルノをこんな風にさせているのだと思うと、何だかとても申し訳なかった。
それでも、ここで止まる訳にはいかない。まだ、一番大事な言葉を、私は言っていない。
「チルノ。私は」
言わなければならない。
もっと一緒に楽しい時間を共有したい。辛いときには支え合いたい。ちゅーだって、何度もしてみたい。
この、私のありったけの想いを伝える上で、一番大事な言葉を。
「好きなんです、チルノ。貴女の事が、誰よりも」
――言った。身体が震え、思わず涙がこぼれそうになりながらも、私は彼女に『好きだ』と告げた。
ついに言ってしまった、と私は思う。これでもう、後戻りは完全にできなくなってしまった。
怖い。チルノの顔を見ることができないで、目をギュッと瞑り、俯く。
私もチルノも黙ってしまい、カチリ、カチリと、時計の音だけが無機質に響いていた。
しばし間を置いた後、おもむろにチルノが口を開く。
「えーき」
私は、掌を固く握りしめた。
「ごめんね」
冗談は置いといて。ヤバい、超気になるな…
なんてことだ!!
ちゃんと映姫ちゃんの恋に結末が着くことを祈ります。恋する映姫ちゃん可愛いなぁ。ごちそうさまでした。
だがこの結末は気になる!! 実に気になる、映姫の恋が実ってほしい! 続き期待しています
今回も素晴らしかった
後編に速攻いこう