好きだよって
言って花束をあげたい。
受け取ってもらえるか不安だけれど。
あの人は花が好きだろうか。
私が選ぶ花を気に入ってくれるだろうか。
…迷惑がられないだろうか。
すべては独りよがりな気もする。
だってこれは完全なる一目ぼれだったから。
近頃私は少し変です。いつもと変わらないんじゃない?なんて無粋な言葉はやめてください。
神奈子様と諏訪子様のご朝食を用意して。一緒に食卓を囲みながらもあまり味がしません。二人の神様はときおり心配そうに私の顔を見ます。気づいているのに振り向けません。少なめによそった茶碗をすぐ空にして。お味噌汁と漬物、焼き魚を頂いたお皿を一緒に片付けます。かちゃかちゃという陶器の音が、どこか耳に乾いて聞こえました。
境内に誰もいない神社の軒先におります。自分の白い足袋を眺めながら、神社をゆく優しい風に身を置きます。
震える肩に手をかけて、こちらに向いてほしい。
振り向いてくれたら唇を合わせたい。奥からせりあがってくるような情熱を止められない。
誰かをこんなに能動的に求めたのは初めてです。今までどちらかというと、周りに合わせ、和を重んじることの方が私にとっては重要なことでした。
どうしたら気持ちを受け取ってもらえるのでしょう。同時にまたあなたの気持ちを
私に預けてほしい。それはきっと愛されたいって想いなのだと思います。
「何もかもお見通しだよ、早苗」
大体この世に生を受けて十数年の小童が神様に叶うわけないんです。
「それに、私にはより早苗の気持ちが通じるようになってるのよ」
「どういうことですか?」
「まあ、ね……」
諏訪子様は少しさみしげに顔をそらしただけで、それ以上は何もおっしゃってくださいませんでした。
震える瞳に自分の姿を映したい。
私とあなたが同じ想いだったらいいのに。完璧に一つになれなくても、心だけでも
溶け合えたら。
神様、あの人に会いたいです。お膳立てしてください。
どんな絵の具でさえ表現できない、青空が頭上に晴れ渡ってます。風が一陣神社を抜けた気がしました。
「こんにちは」
「え……」
「今いいかしら?」
物思いに耽っていたせいで視覚機能が働いていませんでした。目の前に、あの人がいます。
神社の境内に立ち並ぶ御柱の只中に、あの人が立ち尽くしていました。金髪を陽光に反射させて。それはまるで夏の海のようでした。
(どうしてだろう……)
何の用事で? 何のために? どうして?
こんな妖怪の山奥の神社に、いえ、布教している身で言うことじゃないですけど……。でも、心臓が途端に高鳴ってしまうから。
奇跡の力を無意識に使ってしまったんだろうか?
傍らにはもう諏訪子様の姿はなかった。
「縁結びのお守りってあるかしら」
ピシっと私の心が音を立てたのが聞こえました。鋭い槍で心臓を背中から突かれたようです。
「縁結び、ですか……」
貫かれて身動き取れないまま、私の言葉は微かに震える。
「ええ」
「……杉で結ぶ古き縁。もちろんありますよ」
人間の前に私は風祝ですからね。
膝をひとつ叩いて、私は立ち上がります。そして神社の裏手へ歩を進めます。後ろから付いてくる気配を後に、振り向かず、ただ密やかに。
「こちらになります」
「助かるわ」
並ぶお守りの中から目的のものを指し示す。アリスさんは目を開いて、僅かに嬉しそうに表情を綻ばせた。
綺麗です。ただそれだけ。綺麗なものを、それ以外のどんな言葉で表現できると?
言ってしまえば、彼女は私のタイプでした。そんな、まるで情緒の欠片もないような、本当に本能的なものなんです。情けないですけどね。
「これ一つもらえる?」
「もちろんです」
アリスさんはお金を差出し、私はお守りを手渡す。
「…………どうかした?」
「え?」
「あなた、もう少し元気のある子だと思ったから」
「…………暗いですか」
「そういうわけでは、」
「人間なので、こういうときもありますよ」
風祝の前に私は、ひとりの人間の少女だから。
「そうね。……覚えのある感情だわ」
アリスさんは少しだけ表情に影を落とす。まずかったと思っても、私は表情をただ横にそらすだけしかできなかった。
「また、覚えておきたいと思ってる感情だわ」
じゃあね。助かったわと言って、アリスさんは境内を去っていきました。
私の視界から消えるまで、境内を歩で進んでいったのが彼女らしいと思いました。
いつまでも私の耳には、彼女のブーツのヒールが石畳を叩く音が聞こえた気がしました。
「好きです。」
好きでした?
いずれにせよ、独りよがりだって片思いだった。これは仕方のないことです。
…
……
「どうして……」
「この前のお礼をと思ってね」
ある朝。初霜を迎えた季節に、私はひとり境内の掃除をしていました。落葉が、掃いても掃いても境内を覆い尽くします。
そして、彼女の言葉にまた、あの時とは違う感情が生まれる。
到底言葉で表現できるものではないのだけれど、なんというか、焦燥感のような、それに多少の苛立ちを加えたような、筆舌しがたい何かです。
「そうですか、よかったですね。効果があることは、私としても嬉しいです」
「ええ、とても喜んでたわ。彼にとっての初恋だったから」
ん?
「彼?」
「ええ、人形劇をよく見にくる男の子でね」
ぷすーっと。私の中に張りつめていた、圧縮された空気が抜けていく音。
「そう、だったんですか……私はてっきり……」
「私自身だと思った?」
ナンセンス、とでも言いたげな顔でアリスさんが聞き返します。私はつい零してしまった自分の感想にしまったという思いと、恥ずかしさで顔に熱が集中するのを感じました。
「好きな人なんていないわよ」
「そうですか……」
なんだかそれは、新たな呪縛のような気がしました。ほっとしている癖に。
いくじのない自分が、期待をするだけで、再びいつか、また同じように、不意に背中を槍で刺される恐怖。
「……………私に縁結びのお守りをください」
「え」
「そして、おそらくあなたにも必要ね。……そんな、辛気臭い顔をしているようでは」
神社から音が消えた気がしました。
「自分で作ったものが、自分に効くんでしょうか」
「なら、あなたの大事な神様ふたりに作ってもらえばいいわ。だって、神様たちにとっても、あなたは大事な存在なのだから」
そしてまた、音が戻ってくる。新鮮で、鮮明な世界の音が。
「あなた、笑ってる時の方がかわいいわよ」
「笑う門には福来る……」
「誰が言ったか、チープな言葉だけれどね」
そう言って、アリスさんはとびきりの笑顔で微笑んだ。
その時思ったんです。つらくてもいいってね。
「本当ですね」
その時私は、何日も続いた曇天がようやく晴れ渡ったかのように、心の底から気持ちよく笑えました。
誰かを想うっていうのは、難しいですね。
言って花束をあげたい。
受け取ってもらえるか不安だけれど。
あの人は花が好きだろうか。
私が選ぶ花を気に入ってくれるだろうか。
…迷惑がられないだろうか。
すべては独りよがりな気もする。
だってこれは完全なる一目ぼれだったから。
近頃私は少し変です。いつもと変わらないんじゃない?なんて無粋な言葉はやめてください。
神奈子様と諏訪子様のご朝食を用意して。一緒に食卓を囲みながらもあまり味がしません。二人の神様はときおり心配そうに私の顔を見ます。気づいているのに振り向けません。少なめによそった茶碗をすぐ空にして。お味噌汁と漬物、焼き魚を頂いたお皿を一緒に片付けます。かちゃかちゃという陶器の音が、どこか耳に乾いて聞こえました。
境内に誰もいない神社の軒先におります。自分の白い足袋を眺めながら、神社をゆく優しい風に身を置きます。
震える肩に手をかけて、こちらに向いてほしい。
振り向いてくれたら唇を合わせたい。奥からせりあがってくるような情熱を止められない。
誰かをこんなに能動的に求めたのは初めてです。今までどちらかというと、周りに合わせ、和を重んじることの方が私にとっては重要なことでした。
どうしたら気持ちを受け取ってもらえるのでしょう。同時にまたあなたの気持ちを
私に預けてほしい。それはきっと愛されたいって想いなのだと思います。
「何もかもお見通しだよ、早苗」
大体この世に生を受けて十数年の小童が神様に叶うわけないんです。
「それに、私にはより早苗の気持ちが通じるようになってるのよ」
「どういうことですか?」
「まあ、ね……」
諏訪子様は少しさみしげに顔をそらしただけで、それ以上は何もおっしゃってくださいませんでした。
震える瞳に自分の姿を映したい。
私とあなたが同じ想いだったらいいのに。完璧に一つになれなくても、心だけでも
溶け合えたら。
神様、あの人に会いたいです。お膳立てしてください。
どんな絵の具でさえ表現できない、青空が頭上に晴れ渡ってます。風が一陣神社を抜けた気がしました。
「こんにちは」
「え……」
「今いいかしら?」
物思いに耽っていたせいで視覚機能が働いていませんでした。目の前に、あの人がいます。
神社の境内に立ち並ぶ御柱の只中に、あの人が立ち尽くしていました。金髪を陽光に反射させて。それはまるで夏の海のようでした。
(どうしてだろう……)
何の用事で? 何のために? どうして?
こんな妖怪の山奥の神社に、いえ、布教している身で言うことじゃないですけど……。でも、心臓が途端に高鳴ってしまうから。
奇跡の力を無意識に使ってしまったんだろうか?
傍らにはもう諏訪子様の姿はなかった。
「縁結びのお守りってあるかしら」
ピシっと私の心が音を立てたのが聞こえました。鋭い槍で心臓を背中から突かれたようです。
「縁結び、ですか……」
貫かれて身動き取れないまま、私の言葉は微かに震える。
「ええ」
「……杉で結ぶ古き縁。もちろんありますよ」
人間の前に私は風祝ですからね。
膝をひとつ叩いて、私は立ち上がります。そして神社の裏手へ歩を進めます。後ろから付いてくる気配を後に、振り向かず、ただ密やかに。
「こちらになります」
「助かるわ」
並ぶお守りの中から目的のものを指し示す。アリスさんは目を開いて、僅かに嬉しそうに表情を綻ばせた。
綺麗です。ただそれだけ。綺麗なものを、それ以外のどんな言葉で表現できると?
言ってしまえば、彼女は私のタイプでした。そんな、まるで情緒の欠片もないような、本当に本能的なものなんです。情けないですけどね。
「これ一つもらえる?」
「もちろんです」
アリスさんはお金を差出し、私はお守りを手渡す。
「…………どうかした?」
「え?」
「あなた、もう少し元気のある子だと思ったから」
「…………暗いですか」
「そういうわけでは、」
「人間なので、こういうときもありますよ」
風祝の前に私は、ひとりの人間の少女だから。
「そうね。……覚えのある感情だわ」
アリスさんは少しだけ表情に影を落とす。まずかったと思っても、私は表情をただ横にそらすだけしかできなかった。
「また、覚えておきたいと思ってる感情だわ」
じゃあね。助かったわと言って、アリスさんは境内を去っていきました。
私の視界から消えるまで、境内を歩で進んでいったのが彼女らしいと思いました。
いつまでも私の耳には、彼女のブーツのヒールが石畳を叩く音が聞こえた気がしました。
「好きです。」
好きでした?
いずれにせよ、独りよがりだって片思いだった。これは仕方のないことです。
…
……
「どうして……」
「この前のお礼をと思ってね」
ある朝。初霜を迎えた季節に、私はひとり境内の掃除をしていました。落葉が、掃いても掃いても境内を覆い尽くします。
そして、彼女の言葉にまた、あの時とは違う感情が生まれる。
到底言葉で表現できるものではないのだけれど、なんというか、焦燥感のような、それに多少の苛立ちを加えたような、筆舌しがたい何かです。
「そうですか、よかったですね。効果があることは、私としても嬉しいです」
「ええ、とても喜んでたわ。彼にとっての初恋だったから」
ん?
「彼?」
「ええ、人形劇をよく見にくる男の子でね」
ぷすーっと。私の中に張りつめていた、圧縮された空気が抜けていく音。
「そう、だったんですか……私はてっきり……」
「私自身だと思った?」
ナンセンス、とでも言いたげな顔でアリスさんが聞き返します。私はつい零してしまった自分の感想にしまったという思いと、恥ずかしさで顔に熱が集中するのを感じました。
「好きな人なんていないわよ」
「そうですか……」
なんだかそれは、新たな呪縛のような気がしました。ほっとしている癖に。
いくじのない自分が、期待をするだけで、再びいつか、また同じように、不意に背中を槍で刺される恐怖。
「……………私に縁結びのお守りをください」
「え」
「そして、おそらくあなたにも必要ね。……そんな、辛気臭い顔をしているようでは」
神社から音が消えた気がしました。
「自分で作ったものが、自分に効くんでしょうか」
「なら、あなたの大事な神様ふたりに作ってもらえばいいわ。だって、神様たちにとっても、あなたは大事な存在なのだから」
そしてまた、音が戻ってくる。新鮮で、鮮明な世界の音が。
「あなた、笑ってる時の方がかわいいわよ」
「笑う門には福来る……」
「誰が言ったか、チープな言葉だけれどね」
そう言って、アリスさんはとびきりの笑顔で微笑んだ。
その時思ったんです。つらくてもいいってね。
「本当ですね」
その時私は、何日も続いた曇天がようやく晴れ渡ったかのように、心の底から気持ちよく笑えました。
誰かを想うっていうのは、難しいですね。
だがそれがいい。