流れる雲も揺れる葉も、一定の形を留めることは無くゆっくりと動き続ける。それらの変化を楽しみたいときは、景色の良く見えるテラス席でティータイムを過ごすに限る。ちょうど今日はそういう気分だったので、至福の時間の中で実際にそれらを堪能していたわけだ。
今日は珍しくパチェも一緒にテラスに出て、二人で至極静かにこの空気を紅茶と一緒に味わっていた。
この空間に言葉は要らない、ただ緩やかに流れる変化がそこにあれば。そう考えていた。
だから、今パチェがいきなり喋り始めたのには驚いたし、その意味もよくわからなかった。喘息の発作というのはこういう症状も引き起こしてしまうのだろうか? 全く、難儀な病気だな。
「もう少しで爆発するわ」
どうやらパチェは発作が治まらない様だ。うわ言のように同じ言葉を繰り返している。そうだ、竹林の医者に頼めばこの病気も治せるんじゃないだろうか? 今度咲夜に頼んで――
「ちょっと聞いてるの?」
「うるさいんだよさっきから! なんなんだいきなり!?」
大声で叫んで威嚇気味に返答してやるが、パチェは全く怯まずに、それどころか笑顔でこちらを見返してくる。
「やっと返事をしてくれたわね」
なんて嫌な笑い方なんだ。
そんな私の気持ちを知ってか知らずか、すぐにいつものポーカーフェイスへと表情を戻し、話を続ける。
「それで、レミィが爆発するんだけど」
「もういい、聞こえてたよ。で、なんだ? 喘息の発作か何かか?」
「喘息にこんな症状は無いわ」
どちらかといえば、病気の発作であって欲しかったわけだが。
「じゃあ頭の問題だな、どっちにしろ医者に見てもらった方がいいだろう。残念だよ、親友でもある知識人がこんなことになるなんてな」
大げさに悲しむ素振りをし、まだ残っている紅茶を一口いただく。パチュリーによってカップにかけられた魔法により、中の紅茶が温くなってしまう事は無い。
今夜は残念ながら満月では無いが、それでもやっぱり月見は良い物だ。心がなんとなくうずうずするというか――
「別におかしくなってないわ。端的に今から起こる事をあなたに伝えてるだけよ」
「……せっかく人が気を取り直そうとしてるのに」
「目の前の親友と会話するのも大事じゃない?」
「意味のわからん事をのたまってなければ喜んで会話させていただいていたとも」
「ねぇ、聞いて。大事な話なの」
いつに無く真剣な声に、思わず息を呑む。ただ事では無いその雰囲気に圧され、周りの変化が止まってしまったかのような錯覚を受けた。
まさか、本当に……?
「レミィが爆発するのには原因があるの、今からそれを説明するわ。前にみんなで月見に出かけたじゃない?」
「……行ったな。あの時は見事な満月だった」
あんまりにも見事だったから、館のみんなで外へ月見しに行ったんだっけ。しかし、爆発とどういう繋がりが?
「あの時、あなたは咲夜のすぐ側にいた」
「ああ、いつものことだな」
「神社で宴会があるときも、それは変わらない。私とあなたと咲夜の三人でティータイムを行う時もあるわね。その時も」
基本的に、何か行動するときは私と咲夜は一緒にいる。メイド長兼専属の従者だから当たり前のことだろう。
「それがどうかしたのか?」
「私、ちょっといらいらしてたの」
「え? なんで」
何も怒られるような事はしてないはずなんだが。しかし、パチェはその時の事を思い返しているのだろうか、表情が険しいものになっていく。
「あなた達ね……いちゃいちゃしすぎなのよ」
「は?」
どんどんわけがわからなくなっていく私を置いてけぼりにして、パチェは話を進めて行く。
「毎回あなた達を見るたびにいちゃいちゃしてるんですもの。それを見せ付けられる側にもなってみなさいよこっちは一人身なんだから今日だって本だけ持ってって……」
話が逸れていってるのが本人もわかったのか、小さく咳払いをして話を切った。何となく顔を赤くしてる気がする。
「……それで、その光景を見るたびに言葉に言い表せない、もやもやした感情が生まれてたの。そんな時だったわ、ある本を見つけたのは」
「本? 魔導書か何かか」
「いいえ、取るに足らない、外から流れてきた低俗な本よ。でも、その本は私を惹きつけた。表紙に書かれていた単語に運命を感じたの」
言葉に熱が入っているのが感じられる。話してるだけで、それほどまでに興奮する単語って一体?
「その単語とは……」
真っ直ぐに私を見据える視線は、生き生きと、とても輝いているように見えた。
まずい、呪文か何かか? 迎撃の準備が全く……
「リア充爆発しろ」
「……り、リア?」
構えようとした途中だったので、中途半端な姿勢で固まってしまう。パチェは微動だにせず、話を続ける。
「リア充爆発しろ、よ。その本にはリア充の意味が載っていたわ……急に襲ったりしないから、落ち着いて席に座って?」
「……そうさせてもらう」
今日はなんて夜なんだ。
パチェは紅茶を飲んで一息つくと、またよくわからない話を再開しだした。
「リア充の意味は、リアルで充実してる人のことよ、レミィや咲夜のような」
「……それで?」
「そういうやつはみんな爆発したらいいのにって事。今の私の心境にぴったりだったわ。だから、爆発させるの、私が」
「爆発の原因お前か!!」
結局、意味がわからないまま話が終わってしまった。しかし、やるべき事は明白だ。
「……つまり、お前を吹っ飛ばして頭のネジを締めなおしてやればいいわけだな」
「いいえ、それは出来ないわ」
「はっ、私がお前に勝てないとでも?」
「私は『あなた達』って言ったのよ」
「……な!」
そうだ。話を聞く事に集中しすぎて、新しい紅茶を持ってくるように言付けた咲夜が戻って来ていない事に気付いていなかった。そういえば遅いなぐらいにしか考えていなかったが……
「咲夜!」
「はい」
「あれ、来るんだ」
予想に反して、横にはいつも通りな咲夜が立っていた。
てっきり動けない状態にあるんだと思ったんだけど……
「申し訳ありません、お探しの茶葉がなかなか見つかりませんでして……」
「駄目ね」
「うう……」
「駄目犬」
「わうう……」
「いちゃいちゃするなっつってんでしょうが!」
「えー」
パチェの怒り方が尋常じゃないので、渋々咲夜いじりを止める。
しかし、別にいちゃいちゃしてるつもりは無いのだが。咲夜をいじめるのが楽しいだけで。
「パチェも咲夜をいじめてみる? 楽しいよ」
「お嬢様、私はそういった用途の物ではありません」
「私の命令よ」
「わかりました! それではパチュリー様、どうぞ」
「あら、そう? ……って、いらないわ」
拒否された咲夜は、どことなく寂しそうだった。しょうがないから後でいじめてやるとするか。
パチェの方はというと、すこぶる機嫌が悪そうにしていた。今の行動に何か不満があるのだろうか、全くわからない。
「これ以上いちゃいちゃされたらめんどうだから言うけど、あなた達には爆発する呪いがかかってるわ」
「えらく唐突だな」
「目の前で布石がゴロゴロしていたのだけれど……まあいいわ、とにかくそういう事だから、どちらか片方でも私の目の前で下手なことをしたら二人とも爆発させる。でも、私の――」
「やれるもんならな」
魔力を放出し、凝縮し、具現化。この槍状の弾は私のお気に入りで、気を晴らしたいときにブン投げるにはうってつけのものだった。
「ちょっと!? 話は最後まで!」
「お嬢様!?」
二人の悲鳴が聞こえるが、それは後ろへ流しておこう。
「神槍、スピア・ザ」
「待って、おねえさま」
突然の異常事態に、手が止まる。それを無視してこのまま振り切ってしまえば本当に大惨事になってしまうような、そんな声が聞こえてしまったから。
投げられるのを待っていた弾の期待に応えてやることは出来ず、私はそれを消滅させるほか無かった。
「あれ、素直だねー。珍しいわ」
「何であんたがここにいるんだ……」
私をお姉様と呼ぶやつなんて世界に一人しかいない。フランはにこにこしながらパチェの隣に立つと、大きく息を吸い込んだ。
「えー、これより! 『おねえさまを謝らせ隊』の活動を! 始めたいと思いまーす!」
大きな声は静かな夜空に良く響く。耳の中でこだまする言葉は、やっぱり突拍子もない物だった。
「は?」
「妹様、違うわ。『リア充爆発させ隊』よ」
「文句あるの?」
「無いです」
「そんなものどっちでもいい! なんなんだこの茶番は?」
「レミィが謝らないと色々と爆発するってことよ」
「結局呪いなんて無くて、やっぱりパチェのはったりだったわけだ。妹を変な事に巻き込むな」
「……あ、あったもん。呪いと合わせて二倍だもん。それに、今回の話に乗ってきたのは妹様の方からよ」
フランはまだにこにこと笑ったまま、何もしてくる素振りは無い。パチェの言葉に何度も頷いた以外はそこに立ったときのままだ。
「そうなのか……?」
「さっきの話を妹様にしたら、レミィに謝罪させる為に協力してくれるって」
「大好きなおねえさまを爆発させるって聞いてー、私もー! って!」
「おい、ちゃんと伝わってないぞ!」
「いいから謝りなさい、そうすれば危害は加えないわ」
「謝るって言っても……」
咲夜といちゃついてた事について謝れと言ってるのだろうが、それはれっきとした濡れ衣である。別に私はいちゃいちゃしてきたつもりはない。
「私は謝らなければいけない事をした覚えは無い。普通のコミュニケーションを取っていただけだよ」
「自分ではそういう間隔なんでしょうけど、周りから見ればどうみてもできてるわよ」
「そんなことないだろ、なあフラン?」
フランは相変わらず屈託の無い良い笑顔だ。
「この百合妖怪」
そんな笑顔のまま口汚く罵られるなんて、そんな事があっていいのだろうか?
「……咲夜? 咲夜はどう思ってるの?」
これ以上傷心させられるのはごめんだった。
咲夜が弁明してくれたら少しは場も押し返せるかもしれない。そう思って咲夜を呼んでみるが、返事は無かった。
「咲夜ならさっきの槍騒動で気を失ってるわ」
咲夜のいた方を振り返ってみると、見事にばったりと倒れてる状態で驚いてしまった。異変の時は張り切ってるのに、こういうのには弱いんだから……
「……静かだと思ったらそういうことだったのか」
「さて、あの状態の咲夜を爆発させるのは簡単だわ。どうする?」
「くっ……」
私は爆発しても命に問題ないが、咲夜は爆発するとそのまま死んでしまう。本気で爆発する気とは思えないが、フランが向こう側に居ると何があるかわからない。ちょっとしたきっかけでお陀仏してしまう危険性がある。
咲夜が毒牙にかかる前に二人をのす? 不可能だろう。フランがいる。じゃあ隙を見て咲夜を連れて逃げ出す? 不可能だな、フランがいるから。どうにもあの能力は人間相手にはチートすぎていけない。生身の人間との脱出ゲームプレイ時にフランが敵に回ると、ここまで恐ろしくなるものか。
考え込むには時間は足りず。結局、私に残された選択肢は一つしかないわけだ。
「……なかった」
「ん? なに?」
「申し訳なかった!」
自覚は全く無いが、こんな事までして怒ってくる人達がいるというのは事実。ここは一つ、紅魔館の当主として寛大な心で謝罪してやろうではないか。決して、今の状況が詰みだからではない。
「二人の言い分もわからないわけでは無いからな。これからはほどほどにするよ」
「……まあいいわ。気をつけてね」
「ああ。それじゃあ、無茶苦茶にされたティータイムはこれで無事にお開き」
「じゃないよ!」
咲夜を起こしてやろうと歩み寄ったときに、フランが閉会宣言を却下してきた。そっちの方を見ると、そわそわと落ち着きなく動いている。
「妹様、もう『おねえさまを謝らせ隊』は終わったわ。パート2はまた次の機会にね」
「『おねえさまを爆発させ隊』じゃなかった?」
「あー……パチェ?」
「いや、そもそも私はリア充爆発――ごほお」
「パチェ、邪魔なのよ。ちょっと大人しくしててね!」
パチェの体が音もなく崩れる。時間稼ぎにすらならないのか、あいつは。
紅茶はまだ湯気を立て、それを風に遊ばれている。魔法はまだ切れていないようなのでパチュリーはとりあえずは無事なようだった。
「あのね、私、期待してたんだ。おねえさまを爆発できるって」
「主旨がずれてるんじゃないか?」
「そんなのどうでもいいの。私はおねえさまの顔が見たかっただけ。おねえさまの色々な表情を見たいの」
「顔? 顔ならいつだっていくらでも」
「爆発するときに、苦しむ顔」
まっさらな笑顔が、どんどん黒くなっていく。表情の端々が歪み始める。
「こういう機会じゃないと、後で怒られちゃうから。だから期待してたけど駄目だった。あのね! この期待、どこへ捨てたらいいのかな?」
うつむき、視線をこちらから外す。今なら逃げれるのかもしれないが、妹の真剣な話の途中で消えるのも何かバツが悪い。結局、私はそこを離れることが出来なかった。
「でもね、駄目なの。一回期待しちゃったらもう捨てきれないよ。大きくなりすぎて増えすぎて、もう我慢出来ないの」
そして、一瞬前のチャンスを不意にした事を後悔する。顔を上げたフランの目が正気じゃなかったから。
「だから、爆発して? お姉様」
やっぱり、謝るなんてなれない事はするべきじゃなかったな。死損だ。
――――――
その翌日から地下室禁固一週間、おやつ抜きの刑に処された吸血鬼がいたそうだが、それはまた別のお話。
流石はおぜう様。