寒さと言うのは、ある点を振り切ると痛みとなって体を襲う。
そんな当たり前の事を、毎年、この時期になると再確認させられる。
丁度、一週間ほど前だっただろうか。冥界にも冬がやって来た。
蒸し暑さが去ったと思ったら、葉が紅く染まり、駆け足気味に散っていく。
気付くと肌に纏わりつくようだった空気も乾燥し、残ったのは物悲しさと肌寒さだけ。
――秋は一年の中で一番好きだけど、ちょっと短すぎるよね。
もう少し、心地良い秋色の中で過ごしていたかった。
と、そんな感傷に浸っている暇などなく、この白玉楼も一気に冷え込んでしまった。
だけど、幾ら冷えたとは言っても、雪が降るのはもう少し先かな、なんて思っていたら……
「いつもより寒いと思ったら、雪だ。一晩の内に、随分と積もったなぁ」
昨晩見た時は、砂利が剥き出しになっていた庭が真っ白に染まっていた。
庭へと踏み出し足跡を付けるのが躊躇われる純白の絨毯。
朝一で起きて来なければ、きっとこんな素敵な物を見る事は出来なかっただろう。
廊下を一陣の寒風が吹き抜け、表面に積もった粉雪がさらさらと舞う。
舞った氷の結晶は、朝の陽光を受け銀色に輝き、私の心を攫って行ってしまう。
「綺麗だなぁ」
ついつい独り言ちてしまう、そんな光景だった。
感嘆の吐息を漏らすと、白い靄となって吐き出された。
「……あっ、幽々子様を起こしに行かないと」
正直に言えば、もう少しこの景色に現を抜かしていたかったけれど、どうせなら隣に誰かが立っていた方が良い。
それも、私の大好きな幽々子様であれば、先ほど見た景色も、また違った色合いを見せる事だろう。
早くも、感覚を失いかけている指先を擦り合わせながら、私は幽々子様の元へと向かった。
幼い頃であれば、雪といえば遊びの象徴で、白玉楼で働く大人(の幽霊)達を横目に、一人で庭を駆け回ったりしていたものだ。
雪だるまとか、雪兎とか、かまくらとか。雪で色々な物を作って遊んだ。
かまくらの中で、幽々子様とお餅を食べたりしたのは、いい思い出だ。
氷柱で剣術の稽古をやろうとして、怒られたりもした。
――そう言えば、白い半霊が雪の中に紛れてしまって迷子になってしまった事もあったっけ。
あの時は、文字通り自分の半身が無くなってしまった様な気がして、わんわんと泣いてしまった。
確か、半霊はずっと私の後ろに居たのに、私が一人で焦ってしまっただけだった。
今思うと、凄く恥ずかしい。
傍らに寄り添い、ときどき寒そうに体を震わす半霊を見ながら思う。
「うんしょっと」
渡り廊下から荷物小屋の道を一つの通路になるように雪を掻いていく。
まだ雪は脛の辺りにしか達していない為、雪を掻く必要もまだ少ないのだが……。
溜まってから消化するよりも此方の方が建設的だし、庭師としてする事もないからと仕方なく行っていたのだった。
今日はまだ雪の降り始めなので、比較的楽な作業だ。
これから、本格的に雪が降り積もり始めるのだと思うと、少しだけ憂鬱になる。
「妖夢~? 調子はどうかしら」
まるで、タイミングを見計らっていたかのように幽々子様から声をかけられる。
「たった今終わったところですよー!」
「そう、それは良かったわ」
私の返答を受けて、幽々子様は何を思ったか、雪原へと駆け出してしまう。
折角私が雪を掻いた通路があるにも関わらず、ザクッ、ザクッと未踏の雪地を踏み締める快感に酔い痴れていた。
着物姿の幽々子様は、普段のフワフワとした帽子ではなく、水色の毛糸で編んだニット帽を被っている。
ついでに足元には西洋の長靴。手には手袋。従者である私が抱いて良い感想なのか分からないが、酷く妙ちくりんな格好だった。
幽々子様は雪原のど真ん中で座り込むと、雪の中に落ちた何かを探すような動作をし出す。
何事かと思い、私も幽々子様の元へと駆け出そうとした。
だけど、彼女は数秒としない内に立ち上がり、
「妖夢、行くわよ~!」
そして、私の頭上目掛けて雪玉をフワッと投げて見せる。
それは緩やかな流線を描き、私の元へと飛んで――
「いたっ」
――飛んでいた筈なのに、何故か私の顎に衝撃が走る。
……大人げない幽々子様は、上へと放り投げた雪玉とは別に、直球の雪玉を私に放っていたのだろう。
いきなり、まさか主の手によってそのような攻撃を仕掛けられるとは思っていなかったものだから、油断していた。
奇襲に驚いた私は、そのままは後ろへと倒れ込んでしまう。ザバァッと、雪が緩衝材の役割を果たし、衝撃を和らげてくれる。舞った粉雪が服の隙間から入り込み、チクチクと肌を刺す。
とどめとばかりに先に放っていた方の雪玉が私の顔に直撃。痛みと冷たさで何とも情けない気分になってくる。
「やったっ!」
主は可愛らしい歓声を上げる。
……やったじゃないですよぉ。
という声は飲み込んでおく事にした。やられっぱなしは少し悔しいから。
暫く私は黙って空を見上げていた。
太陽が天辺を刻むのはもう半刻ほど後だろう、なんて事を、空を見て思う。
数十秒経っても私から返答がない事を訝しんだ幽々子様が、雪を踏んで此方へと歩み出す。
雪を踏む音から、私は自身と幽々子様の距離を測る。
丁度、三尺ほどの距離だろうか。
ザクッ、ザクッ、ザクッ、あと、少し。
「今だっ!」
私は幽々子様の死角、体に隠れた位置で作っていた雪玉を、倒れた姿勢のまま投擲する。
「甘いわねっ、妖夢!」
幽々子様は軽やかにステップを踏むと、私の奇襲を容易く躱してしまう。
中途半端な姿勢で雪玉を投げた為か、勢いが足りなかったのだろう。
だけど、私は内心で笑う。
「甘いのは、幽々子様ですよ!」
踊るような回避を取っていた幽々子様の足が取られる。
雪の白色に擬態していた、私の半霊によって!
面白いように、その場に倒れこんでしまった幽々子様に塩の代わりに粉雪を送る。
これで一勝一敗、五分と見ていいだろう。
「……ねぇ妖夢? 半霊を使うのは卑怯じゃない?」
「…………やっぱりそうですか」
雪だらけになった幽々子様にそう言われると、否定しづらい。
勝負事はきちんとルールを決めてから行いましょう。
「この歳になって雪だるまを作る事になるとは思いませんでした」
ゴロゴロゴロ。雪玉を両手で転がしていく。
粉雪は雪だるまにするのが難しいのだが、そこは努力と気概と経験でカバーする事にした。
私が胴体で幽々子様が頭部。
従者と主が並んで雪玉を転がしているという光景は、端から見たら酷く残念な物に映るのではないだろうか。
「懐かしいわねぇ、こうして妖夢と遊ぶのも」
「そうですか?」
「そうよぉ。妖夢“で”遊ぶ事はあっても、妖夢“と”遊ぶ事は最近なかったわ」
これ見よがしに“で”と“と”を強調されてしまった。
んー……私は遊ばれてしまっていたのか。そこまで、悪い気はしないけれど。
「幽々子様はいつも楽しそうですよね」
ゴロゴロゴロと雪玉を転がしながら会話を進めていく。
庭は広い為、集める雪にだけは苦労しない。気付くと握りこぶしほどの大きさだった雪が小ぶりの西瓜ほどになっていた。
「だって“苦しい”より、“楽しい”の方が素敵な事じゃない?」
「それは、そうですが」
ゴロゴロゴロ。ゴロゴロゴロと会話はそれで終りとばかりに幽々子様は口を噤んでしまう。
隣を見ると、それはそれは楽しそうに雪玉を一生懸命転がす幽々子様の姿があった。
――え? 今ので本当に終わり? “楽しい”の理由を教えてくれるのでは、なかったのだろうか。
「ど、どうして楽しく居られるのですか?」
仕方ないので、再度此方で質問し直す。
「それは、楽しく在るから楽しいのよ」
「んー……?」
まるで禅問答のような、掴み所のない対話。
「難しい顔をしているより、易しい顔をしていた方が氣持ち良いって事」
それは、何となく分かるけれど、はぐらかされたような気がしなくもない。
「そういう妖夢はどう? 今、愉しんでる?」
「……そうですね、愉しんでいると思います」
逡巡は自身の境遇に難があった訳ではなく、単に、幸福を噛み締める為の時間だった。
「はい。私は、愉しいです」
もう一度、同じ答えを繰り返す。
どうしてか、笑みが零れるのが分かった。
「そう。それは良かったわ。幸福であれば、それだけで、生の意味になるのだから」
何でもない、日常の景色が幸福に映るようになったのは、きっと幽々子様のお陰だ。
この方が居なければ、きっと私は、「より大きく、強く、高い幸福」を求めていただろう。
身近にある幸福に気付かず、気付いたとしても、そんな物では満足出来ないと。
さながら、貪欲に身を任せ、幸福中毒と化してしまった餓鬼のように。
冥界の時間の流れは緩やかだ。
それも当然。此処は本来“終ってしまった者達の世界”なのだから。
私はこの緩やかな流れの中で、本来であれば退屈窮まりない世界の中で、主に時の愛で方を教えて貰ったのだ。
完成した雪だるまの目に木の実を、鼻に人参を装着する。ついでに頭にバケツ、胴体に枝を挿して腕にし、その先に手袋を付けた。
我が生涯最高の出来の雪だるまがそこにはあった。
ちょっとだけ、はしゃいでしまいそうになる。
「やりましたね! 幽々子様!」
と言うか、はしゃいでしまっていた。
「んー……立派な雪だるまねぇ」
幽々子様も何かをやり遂げたような表情で、雪だるまを眺めていた。
たかが雪だるまの筈なのに、かけた労力に比例してか、愛着が湧いてしまう。
昼過ぎに雪を転がし始めた筈なのに、陽は既に茜色に染まってしまっていた。
季節の事を考慮しても、四時間近く雪を転がし、雪だるま制作に明け暮れていたのだ。
もう、冗句か何かだと思う。楽しかったのは確かだけど。
「さぁ、妖夢。この雪だるまに名前を付けなさい!」
「え、えぇっ!?」
そんな無茶ぶりに何とか答えながら、私達は冷えきった体を温める為に白玉楼の中へと戻っていったのだった。
今日は昨日に比べて起きやすかった。
私は室内で、寝惚け眼のまま着替えを済ませ、廊下へと出る。
この時期にしては温かい日差しが照り付けていた。
眼下に広がるのはいつも通りの白玉楼の光景だった。
温かい陽光がじわじわと私の眠気を溶かしていく。
見慣れた庭である筈なのに、何故か違和感が私を襲う。
違和感と眠気が戦って、数秒かかって違和感が勝った。
「あっ、雪……融けてる」
昨晩まで真っ白に染まっていた庭は、一昨日までと同じ、灰色の砂利に戻ってしまっていた。
この分では、期待は出来ないだろうなと思いつつ、私は昨日作成した雪だるまの元へと向かった。
念の為に日陰になる位置に作っておいた為か、雪だるまは辛うじてその形を留めてはいた。
だけど既に半分ほど融けてしまっており、その片腕は落ち、目の位置はズレ、数時間と経たないうちにただの水溜りと化してしまうと思う。
雪だるまだなんて、冬の合間だけの存在。絶対に、次の季節には無くなってしまうものなのだと分かった筈なのに哀しい気分になってしまう。
多分、幽々子様と一緒に、一生懸命作ったものだからだろう。
こんな事なら、こんなに一生懸命になんてならなければ良かったのかも、なんて、意地らしい子供みたいな事を考えてしまう。
自分でも、何がこんなに悔しくて哀しいのか分からない。
そして、そこに幽々子様もやって来てしまう。
「あら、やっぱり融けちゃったのね」
幽々子様は雪だるまを見て言った。
「残念……ですね」
「そう? 遅かれ早かれこうなってしまうのは分かっていたでしょう?」
「そうですけど……」
一緒にこの雪だるまを作った幽々子様なら、この何とも言えない哀しみを分かってくれると思っていた。
だけど幽々子様は、その顔に微笑みすら浮かべていた。
昨日は幽々子様と幸福を共有出来ている事に喜んでしまったけれど、やっぱりこの方と私は全く別の物を眺めているのかもしれない。
そんな事を考えていた時だった。
カタッと雪だるまの中で何かがぶつかる音がしたのは。
それは、雪だるまが奏でるにしては少し妙な音だった。多分、雪だるまが崩れた拍子に中の何かが鳴ったのだろう。
硬質な何かがぶつかり合うような、音だったと思う。
そして、私は同時に崩れた雪だるまの体から、何かが覗いている事に気付く。
それが綺麗な氷のように見えて、私は思わずそれに手を伸ばしてしまう。
それは、二本の青緑色をした硝子瓶だった。
――どうしてこんなものが雪だるまの中に?
「あらあら、雪だるまが粋な物を残してくれたわね」
「……雪だるまがですか?」
いやいやいやと思いつつ、私はその硝子瓶をまじまじと見つめてしまう。良くある構造のラムネ瓶だ。何の変哲もないけれど、出てきたところが異質だった。
手の平から伝わる氷のような冷たさが、雪だるまの残した温もりのようだ。そんな事を思う。
まじまじと硝子瓶を見つめていると、幽々子様はパッと私の手からその内の一本を奪ってしまう。
「折角雪だるまが残してくれたんだから、乾杯しましょうか」
未だに頭に疑問符を抱えている私を追いてけぼりにして、私の瓶と主の瓶がカンッと乾杯の音を奏でる。
次いで、シュポッと炭酸が弾ける音。
どちらも季節外れの気持ちの良い音だった。それを、あの雪だるまが残してくれたのだと考えると、酷くチグハグで継ぎ接ぎめいているように感じる。
少し気の早い雪だるまが、季節外れのラムネを遺したのだから。
私も幽々子様に倣って、ラムネ瓶を開ける。弾けた炭酸が飲み口まで這い上がり、私は慌てて口で蓋をする。
甘酸っぱさと冷たさが口内に広がる。それが、頭の中にあった苦い哀しみと混ざり合って、少しだけ気分が楽になる。
温かいとは言っても秋の朝だ。今の白玉楼の温度で味わうには、冷たすぎると思う。
それでも、これがあの雪だるまの温度なのだなぁと思いながら、私はそのラムネ一思いに呷る。
……美味しいけれど……これって幽々子様が飲みたかっただけだよなぁ。
もしかしたら、そうではなく、このラムネで私を慰めるつもりだったのかかな。
そう思うと少しだけ面白い。
「妖夢は昔から、ラムネを飲むと元気になってたわねぇ」
「……そうなんですか?」
正直、私の記憶にないことを、しみじみと語られても困ってしまう。
「あら、覚えていない? 妖夢ってば、ワンワン泣いてると思ったら、ラムネ瓶をあげるだけで泣き止んでたんだから」
もしかして幽々子様は、そんな記憶を頼りに、このラムネ瓶を準備したのだろうか?
……だとしても、今の私が泣き止む筈がないし…………そもそも私は泣いていない。
だけど、そう言った瑣末な事柄を我が主が覚えていてくれたというのは、素直に嬉しい。
「やっぱり。さっきまで泣きそうな顔してたのに、今は楽しそうな顔してるわよ?」
「…………それは、ラムネのお陰じゃないですからね」
「ふーん?」
“私は全部分かってるんだからね? 妖夢はラムネが大好きだって事も”みたいな顔で見つめられ、体がムズムズしてしまう。
「そう言えば、朝餉がまだでしたね。食べにいきましょうか」
私は、そんな幽々子様を置いて一人で食堂へと歩き出す。
ホッと吐き出した息は靄にはならず、透明な吐息となって消えてしまった。
……この吐息がもう再び白く色づいたら、もう一度雪だるまを作ってみようかな。
なんて事を考えながら、私は歩いた。
めっちゃ可愛いじゃないですか!
もうこれは微笑まずにはいられない!
素晴らしいゆゆみょんです!
百点では足りない、千点あげたい!
ゆゆみょん最高ーーーーー!
もちろんそれだけでは終わらないのもまた良いですね