その年の冬はおかしかった…いつもならとっくに桜の花が咲き乱れる時期なのに、今年はまだ花が咲かない…それどころか冬に降った雪が未だに溶けずに残っていた…
残雪ではなく、今なお、新雪が降り続いているのだ
幾度の目覚めを迎えても、春の気配は一向に近づいてこなかった……
普段なら、あたいも既にその存在が消えているはずなのに… あたいは、氷の妖精なのだから
冬の寒気が肌を刺す程に寒さの残る、地上より遙か上空…二つの影がお互いをいなす様に弾幕を張り巡らしている
どか~~~ん!!
「ま~た~や~ら~れ~た~~~!」
あたいは、自分でも間抜けだと思えるほど間の抜けた声を出して、地上へと落下していく…
あたいを吹き飛ばした紅白の衣装に身を包んだ少女・博麗 霊夢・は、遙か上空であたいを見下ろしていた
「…全く、久しぶりに会ったかと思ったら、また邪魔してくれたわね~。今はあんたに構ってる暇は無いの!この、いつまでも続く冬の原因を調べなきゃいけないんだから。悪く思わないでね、って言うか、あんたがけしかけてきたんだからあたしは悪くないわね、うん。じゃ、先を急ごうかしら」
なにやら、一人で納得してどこかへ飛んでいってしまった
残されたのは、全身ボロボロになって地上に落ちていった氷の妖精『チルノ』だけ
チルノは地面にぶつかり、つぶれた蛙のような状態になっていた…
「……なんだっていうのよ、もう!」
勢いよく顔を地面から上げると開口一番に、あたいは叫んでいた
「ちぇっ、折角あの紅い霧の時の仕返しでもしてやろうと思ったのに…結局、また負けちゃった……いたたっ、しかし派手にやってくれたわね~、あの紅白!知らない仲じゃないんだから、少しは手加減してくれてもいいいもんなのに…」
自分から挑んだことは、忘れることにした
痛いところは無いか(いや、痛いのは全身なのだが)………少し体を動かしてみる…うん、大丈夫そう……って……!?
「あ~~~~~~~!!」
首をくるっと回し、背を見るようにして初めて気が付いた
あたいの羽が焦げてる~~!!
「あんの紅白!なんて事してくれるのよ!」
既にいない相手への非難の言葉を叫びながら、あたいは背中の羽を動かしてみる……
動かない……
「…あたいの羽……氷の結晶で出来てるから、痛くは無いけど…でも、これじゃ飛べないじゃない!もーっ!!」
憤怒しながら喚いてみるが、怒りをぶつける相手は、既に目の前から消えている
いつもなら自分の冷気で治せるのだが、今は、紅白と戦った直後…それほどの力は残っていない
「も~……踏んだり蹴ったりだわね………仕方ない、いつもの湖に行って冷気を蓄えよ…羽も治せるし……」
そう一人で愚痴ると湖の方角へと足を向けて歩き出した…
とてとてとて
森の中を裸足で歩き、土が足の裏にくっつく音が静かな森に響く。
「…もー、飛べればひとっ飛びなのにー。…痛いなー、もー」
羽が傷つき、飛べないので歩いてきたのだが…普段、飛んでいる時には気付かなかった。あの湖が、こんなに遠いなんて…
更に、普段は地面の様子など無関心なのだが、歩いてみれば石や木の枝などで森の中はゴツゴツしており、一歩足を踏み出すたびに足の裏を容赦なく刺激する…その為、歩みは遅々として進まない
「…早く着かないかなー。あたいの魔力、ほとんど残ってないのにー」
先程の紅白との戦いで魔力を消耗したうえに、慣れない『歩く』という行為の所為で、あたいの魔力は残り1ドットくらいにまで減っていた…
やがて、湖のすぐ手前まで来たものの、あたいは疲労困憊の状態で、いつもならあたいの周りに渦巻いている冷気も、ほとんど意味をなさない程に薄れていた…
「…もう、少し…この杉林を曲がれば……湖のはず…」
そう呟いて、重くなった足を引きずりながら杉林を右に曲がる…
そこには、空を飛んで来る時とは少し違うが、間違いなくあたいが普段過ごしている湖があった
「やっと…着いたー!頑張ったーあたいー!」
重くなった足もなんのその
あたいは湖の真ん中付近まで一気に近づいていく
「…はー、やっと落ち着けるわ」
そう言葉を吐き出すと意識を集中させる
湖に霧散していた微かな冷気があたいの周囲に集まってくる
周囲に展開された冷気が、背中の羽に集中し、きらきらと輝き始める
「……ふぅ、やっと治せた…もー、普段なら傷ついても簡単に戻せるのに、よけいな苦労しちゃったじゃないの!」
背中の焦げた羽は、傷ついた後も無く、綺麗に透き通ったいつもの羽に戻っていた
また、冷気に包まれている事で、あたいの魔力も少しずつ回復してきていた
けれど、霊夢への怒り(自業自得のような気もするが…)はなんとなく収まりがつかないでいた
そこに
ピョコッ
あたいの足元に緑色の蛙が顔を出した
その蛙と目が合った
蛙は、びくっと体を震わせると体の向きを反転させ、水中に戻………れなかった…
「げこっ!」
「う~ふ~ふ~ふ~、捕まえた~」
水中に戻ろうとして跳んだ時、あたいの手がむんずっ、とその緑色の体を掴んでいた
「げ、げこ~…」
「ふっふっふ~、逃げられないわよ~あたいの気分を晴らすために犠牲になりなさいな!」
掴んでいる蛙の上にもう片方の手を添え、冷気を放出する…
「げ……こ…ー……」
一瞬で蛙が氷の棺の中に閉じこめられた
「んふ~。やっぱりストレス解消にはこれが一番ね~」
凍り付いた蛙を片手に、あたいは勝ち誇ったように蛙を掴んでいる手を高々と上げた
けれども、すぐにその手を力無く下ろす
「…さて、本当に死んじゃう前に溶かしてあげないとね~」
そう言って、足元の水に氷詰めにされた蛙を浸す
蛙はなかなか生命力が強い生物で、氷らされただけでは死ぬことはなく、周りの氷さえ溶かせば、また動き始めるのである
「…げこっ…?」
ぴょんっ ぽちゃん
氷が溶けてすぐに蛙は目を開け、あたいの手を離れて湖に戻っていった
「あぁっ!!逃げられた!ちぇ~、もう2,3回氷らせようかなって思ってたのに~!」
あたいが思っていたより、元気が良い蛙だったようだ
あたいは名残惜しそうに湖面を眺めていた
と、
「そんな非道い事したら、蛙だって逃げるわ」
唐突にあたいの頭上から声が響いてきた
顔をあげると、そこには白い衣装に身を包んだ女性が立っていた
「どんな生き物だって生きてるんだから、そんな事したら可哀想よ」
そう話しながら、その女性はあたいの目の前に降り立った
柔和な顔つきをした女性で、髪の色は薄紫で軽くウェーブがかかっており、頭には白い薄布で出来た帽子を被っていた。全体がなんとなく白っぽい装飾で統一された服装をしている。なんとなく、ほんわかとした印象を受けた
おそらくは、あたいと同じ妖精か妖怪だと思うから、年齢は関係ないと思うが、外見だけで判断すれば、あたいよりも歳は上に見えた
「…あんた、誰よ…?」
あたいはこの突然の来客を警戒しつつ、そう尋ねる
そもそも、今あたいの周囲には冷気が渦巻いているはず…
並の妖怪や精霊であれば、こんなに近くに居れば凍えてしまうはずなのに……この目の前の相手は、意にも介さない様子で、ニコニコとこちらを見ている
「そんなに警戒しなくても、なにもしないわよ。あなた氷精でしょ?見れば分かるわ。こんなに冷気が留まってちゃ、ね。自分と同じ冬の精をどうにかしようなんて思ってないわ」
成程、あたいと同じ冬の氷精だったのか…
あたいは警戒を解いて、女性の方へ向き直り、質問を続ける
「ふーん。で、あんたはどんな用件でここに来たのかしら」
「うーん、それなんだけど…なんか、冬を消そうとしている紅白の人間がいたから邪魔してやろうと思ったんだけどね…返り討ちにあっちゃった…それで、傷を治そうと思って冷気を補給しようとしたら、こっちの方向から冷気の流れを感じて…来てみたら、あなたが蛙を凍らせてるところだったの」
ふーん、って、紅白…?
「それで…」
「ちょっ、ちょっと待って!」
「……?」
話の途中であたいが焦って声を出した事に、目の前の女性は軽く首を傾ける
「そのあんたが会った紅白って、黒髪の、頭にリボン付けてて、なんかもう、見るからに『紅白~!』ていう感じの……?」
なんだか、自分で言ってて意味が分からない説明をしていると思ったが、聞かずにはいられなかった
「えぇ、そうね~。見るからに『紅白~』っていう感じだったわね~」
印象通りのほんわかした答えが返ってきた
「へぇー、そっかー。あんたも霊夢にやられたんだ?」
「れいむ…?あの紅白の人間、れいむって言うんだ…強かったなー、私の力じゃ全然及ばなかったからね~」
「ふーん。実はさ、あたいも霊夢にやられてさ。ようやくこの湖について、冷気を補給してたんだ~。あんの紅白、こーんなに可愛いあたいに対しても一切容赦しないんだもんね~」
ぷっ…
くすくすくす
少しおどけて話すあたいの話に、目の前の女性は含み笑いを漏らしていた
「非道いな~、笑わないでよ」
そう話すあたいの顔もきっと笑っているのだろう
なんだか、最初の警戒はどこへやら…あの紅白にお互いに負かされたって事で、親近感が沸いてきてしまったみたい
「…あんた、おもしろいね。あぁ、自己紹介もしてなかった。あたいの名前はチルノ。主に冷気を操ってる。あんたの名前は?なんて言うの?」
「私は、レティ・ホワイトロック。私は寒気を操るの。私の事はレティでいいよ~、チルノちゃん」
「『ちゃん』付けはやめて~!なんかぞわぞわする~!あたいもチルノでいいよ、レティ!」
「うん!よろしくね、チルノ」
どちらからともなく、手を握って握手を交わす
今まで、あたいは妖精の仲間内でも少し浮いた存在だった
妖精は、一般的に暖気を好み、寒気を避ける…あたいはその、暖気を好む妖精の中で冷気を操る妖精だったため、周りから一線を引いて接してくる事が多かった
だから、今、目の前に居るレティの様に、普通に接してくる事自体が稀有だった
だけど、それらを覆すようなレティの言葉は、今のあたいにはなんだか…嬉しかった
「でも、嬉しいな~。私初めてだよ~、氷精の友だちが出来たの」
レティは頬を掻き、照れ臭そうに笑いながらぼそっと呟く
「とっ、友だち!?」
その言葉に動転し、間抜けな声を出してしまった
「うん、そうだよ~。チルノは私の初めての友だち~」
両手を広げて、心底嬉しそうに話すレティ
その表情には一欠片の邪心も感じない
レティは今、あたいと出会えた事を本当に喜んでくれている
(いや、レティだけじゃない…きっと、今のあたいも、少しびっくりしてるだけ…心では、この“初めての友だち”が出来たことを本当に嬉しいと…そう、思ってるんだ…)
「……そう、だね…あたい達、お互いに初めての友だちだね、レティ!」
そう言って、レティの左手をとって引っ張る
「行こっ!あたいのとっておきの場所を教えてあげる!」
そう言って、体を地面から浮かび上がらせる。レティは、片手を引っ張られる状態になり少し焦っている。
「向こうに冷気が溜まりやすい谷があるの!あたいだけの秘密の場所だったんだけど…レティにだけ教えてあげる!」
少し興奮気味に話すあたいを見て、レティは少しだけ驚いた顔を見せたけど…すぐに笑顔になって、2人で手を繋ぎながら風上の方向に向かっていった。
湖を発ってどのくらいの時が流れただろう。大きな山脈にぶつかり、あたいはその山肌に沿って山間を縫うように飛んでいく
横には、もちろん手を繋いだままのレティが一緒に飛んでいる
しばらく山間を飛んでいくと、いきなり開けた場所に出た。両側を硬そうな岩盤に囲まれ、その間を小さな清流が流れている場所だった。清流の真ん中には大きめの岩がどっかりと構えていた
「着いたよ、レティ」
「…ここが…?」
「うん、そう!ここがあたいの秘密の場所」
レティの手を離して、彼女の前に回り込み、両手を左右に広げて笑顔で歓迎する
そして、川の真ん中にある岩の上にレティを案内し、二人で座る
「ねぇ、チルノ?ここが冷気の溜まる場所?そんなに冷気…無いみたいだけど…」
「大丈夫、もう少し待ってて」
そう、普段はここはそんなに冷気が溜まってるわけじゃない。けれども、ある瞬間を迎えると…
「あっ、ほら今、来るよ!」
ヒュゥーッ
岩壁の上の方向から風が吹き降りてくる音が聞こえる。と、次の瞬間、冬の冷気を含んだ風が二人の居る位置まで一気に降りてきた。更に、冷やされた空気はその場所から逃げる事は無く、山間を流れる清流の冷気をも含んでその一角に留まったのだ
「わ~、すごい良い風。これがチルノの言ってた『冷気が溜まる』って意味ね?」
風に揺れるウェーブの髪を片手で押さえつつ、レティが納得のいった様子で問いかけてくる
「うん、そう。まぁ、溜まるとは言ってもここにずっと在る訳じゃないけど…でも、あたいはこの風が運ぶ冷気が、なんとなく好きなんだよね」
あたいはレティの方を向き笑顔で答える
それから、あたいとレティはしばらくの間、山間のこの岩の上でお互いの事を話し合った
それぞれが生まれてからこれまでの事、たくさん、たくさん話した
そして…どれだけの時間が過ぎたのだろう
ふと、自分たちの上空から吹き下ろす風に変化が現れた
肌に触れ、通り過ぎていく冷気が抜け、冬の風ではなく、春のそれに変わっていた。恐らくは、あの紅白の巫女がこの終わらない冬の異変を解決したのだろう
「…どうやら、春が来るみたいですね…」
視線を上空に向けたレティが呟く
レティの行動につられてあたいも視線を上に向ける
上空では春の訪れを告げる妖精が飛び交い始めている
「…そうみたいね…そろそろ、あたい達も消えちゃうんだ」
視線を上に向けたまま、そう呟く
それは毎年の事、冬が終わればあたい達氷精は存在を維持できなくなる。そして季節は巡る…春・夏・秋それから、ようやくまた次の冬が来る。これがこの世界の理…
あたい達の存在は消える訳じゃない。また次の冬が来るまですこしだけ長い眠りに就くだけ。その証拠に、また冬が来ればあたい達は新たに姿を形作り生まれることが出来る。
だけど…
今は、もう少しだけ…この、初めて出来た友だちとの時間を楽しんでいたかった………
「まぁ、消えるのはどうしようもないですよ。でも、私は悲しくなんか無いですよ?だって…今年の冬は、最後の最後にチルノっていう友だちが出来たんだもん。今度冬が来れば、また会えるんだから。そうでしょ、チルノ?」
視線をあたいの方に向けてレティが問いかけてくる
「……そうだけど…」
あたいは、まだ少し納得出来なかった…ううん、本当は分かってるのに心が反発してるだけ
今まで友だちなんて関係を持ったことは無かったから…
そんな相手は今まで居たことはなかったから、だから不安になる…
そんなあたいの心情を知ってか知らずか、レティはあたいの手に自分の手を絡ませてくる
「ねぇ、チルノ。まだ不安なら…約束しよ」
「…約束…?」
レティは岩の上に立ってあたいの手を取り立たせようとしている
「そう、約束!春が来て、夏を迎えて、秋を越えて…そして、また次の冬が来たら……また一緒に遊びましょ?…そうね…待ち合わせは、あの私達が出会った湖。お互い初めて出来た友だちだから絶対に破っちゃいけない約束。ね、どう?」
約束……ね
あたいはその言葉を口の中で反芻し、レティに手を取られながら立ち上がる
「……分かったわ。あたいも約束する。きっと、また…次の冬に、会えるよね、レティ?」
「うん。もちろん!」
「約束破ったら…お仕置きなんだからね!」
「ん、分かってる」
まだ少し不安はあるけれども、彼女の言葉を信じたい気持ちが強かった。だからこそ、『友だち』との『約束』を交わそう。
初めての友だちとの、初めての約束を……
お互いに両手の指を相手の指に絡め、額と額を合わせる形であたい達は約束する…必ずまた、会おうね、と
遙か上空から数枚の桜の花びらが舞い落ちてくる。それは、春の到来を告げる役割を持った幻の桜の花弁…
暖かな風が舞い、その花弁が舞い落ちて消えた場所には、ほんの僅かの残雪があった……
残雪に触れた春の風は、少しだけその温度を下げ、山間を駆け抜けていった
花開く、暖かな春が過ぎ
照りつける太陽の眩い夏が過ぎ
山々が色づく、鮮やかな秋が過ぎ
そして…
少し寂しげな風景の湖に一陣の風が吹いた
冬の到来を告げる風
周りを囲む山々からの冷気を含んだ冷たい風
湖の一角にその風が渦巻いていた…
周りの冷気が渦の中心に集まり、徐々に冷気は、大きな氷塊を作り始める
氷塊の中には人の影のようなものが映っていた
氷塊が完全に形作られると、冷気の渦は霧散して消えた
ピシッ…
氷塊に亀裂が走り、氷塊が砕け、一人の少女が生まれ出る… 一糸纏わぬ姿の少女の肌は雪の様に白く透き通っていた…
少女の足が湖の表面に触れた瞬間、湖の冷気が少女の体を包み、雪の結晶を思わせる青と白のワンピースへと変化する
少女の頭には、服と同じ装飾の大きなリボンがついていた
「………冬が、来たみたいね…」
ゆっくりとその双眸が開かれ、蒼い瞳がゆっくりと外気に晒される
「…レティ……」
少女ーチルノは、前回の冬に出来た友の名を無意識に口にしていた…それと同時に、別れ際に二人で交わした約束も思い出していた
「約束したよね、また逢おうって…あたい、待ってるからね」
曇天の空を見上げ、まだ姿を現さない友へ語り掛けてみた
「……なんで…」
あたいがレティより先に生まれてこの湖で過ごすようになってから5日が過ぎようとしていた。依然レティが姿を現す気配は無い
「なんで来ないの…レティ…?約束したはずだよね…また、この湖で逢おうって…あたい、ずっと待ってるんだよ……早く来てよ…」
あたいの声は、湖を抜けていく風にさらわれて、誰の耳にも届くことは無かった
それから、1日経っても…
2日経っても…
レティは姿を見せなかった
冷気が満ちる湖の中心、あたいは一人で佇んでいる
もしかしたら、レティはもう来ないのかもしれない
そう思い始めていた…
理由は分からないが…ただ、漠然と…
「………レティ…」
そう呟いた瞬間、目の奥が熱くなり、何かが頬を流れ落ちた
氷精である自分の頬を溶かすような、熱い雫だった
雫は水面に落ち、波紋を静かに拡げていく。
頬を伝う雫は、自らの纏う冷気ですぐに冷やされていく…
「なに、これ…あたいの目から、水が出て…る?」
一度流れ出た雫は、堰を切ったように溢れだして止まらなくなった
止めようと思い、力を入れれば入れるほど、治まらなくなる
「う…うえぇぇ…」
口から嗚咽がこぼれる…
あたいは、氷精として存在し始めてから、涙を流したのはこれが初めてだった…悲しくて流した、初めての涙…
「ひぃ…ん……ひっ、く………」
恥ずかしかったけど、周りには誰もいない。あたいは誰に気兼ねするでもなく、声を出して泣いていた
『……チルノ…』
…空耳…?
今、誰かがあたいの名前を、呼んだ…?
あまりにも悲しくて、幻聴が聞こえるようになったの?
「チルノ」
もう一度呼ばれた。今度ははっきりと声を伴って
涙で霞む瞳で、前方を見る
少しだけ、冷気とは違う空気が渦巻いている…冷気とは違うが、確実に冬を想像させる空気だった
空気中の水分が凝固し、雪の結晶を形作る。1つ、2つ、3つ……いつしか、目の前には、無数の結晶が渦巻き、光を受けてキラキラと輝いていた
その中心に白い衣装に身を包んだ女性の姿が見えたと思った瞬間、空気の渦は回転をやめ、周囲に霧散した。あとに残ったのは、目を閉じて、膝を抱えるような形で宙に浮かんでいる…レティの姿だった
「レティ!」
あたいは、思わず目の前のレティに声を掛けていた
レティの少し長い睫毛がピクリと動き、その瞼がゆっくりと開かれ、深い青紫色の瞳が外気に触れる
久しぶりに受けた光のせいか、眩しそうに目を細め、それからあたいの方を向いてくれた
「…チルノ、泣いてるの…?」
レティはそう話すと同時に、あたいの目尻に溜まっていた涙を人指し指で拭ってくれた
自分と似たような存在のレティの指は、やはり暖かくは無かったが、それでも、あたいにとっては何よりもほっと出来る感覚だった
「…だって…だって、レティがいつまで待っても来てくれないから!あたいとの約束なんて忘れちゃったんじゃないかって、そう思ったら……」
泣いていたところを見られて、恐らくあたいは顔を真っ赤にしてレティに話しかけているのだろう…そんなあたいをレティはキュッと優しく抱きしめてくれた
「ごめんなさいね…私は寒気に依存してるから、冷気を操るチルノより、戻ってくるのが少し遅くなっちゃったみたい…冷気の後に寒気はやってくるものだから…」
あたいの頭を優しく撫でながらレティはそう教えてくれる
「……それならそうと別れる前に言ってよ…あの約束が破られたんじゃないかって、不安になっちゃったじゃない!」
レティの腕に抱かれながら、少しだけ強気に話す
「馬鹿ね…友だちとの約束を違えるわけ無いじゃない。忘れたの?わたし達は、お互いに初めての友だちだって事」
レティのその言葉に、あたいは抱かれながら首を左右に降って答える…声は出なかった
再び、涙が零れて止まらなくなっていたから…
悲しみの涙では無く、安堵と、そして喜びの涙を
「少しは落ちついた、チルノ?」
ひとしきり泣いた後、レティは抱いていた腕をほどいて、あたいを解放し、真正面から顔を覗き込んでくる。あたいは、気恥ずかしくて顔を背けてしまったが、レティはそんなあたいの様子が面白いのか、クスクスと笑っていた
「さっ、落ちついたのなら、二人で遊びに行きましょうか?約束したでしょ、冬が来たら、また一緒に遊ぼうって!」
「うん」
「去年の冬はチルノのお気に入りの場所に連れて行ってもらったから、今度は私が、私だけの特別な場所に案内するね。さぁ、行きましょうか?」
「うん!」
二人でそう会話した後、あたい達は、手を繋いで冬の空へ飛び立っていった
冬の白い景色に溶け込むような二人の姿は、誰かが見ていたらその仲を羨ましがったことだろう…
『ねぇ、レティ。あたい達……』
『うん!初めての友だちだよ、チルノ!』
『『冬はまだ、始まったばかり!!』』
終
残雪ではなく、今なお、新雪が降り続いているのだ
幾度の目覚めを迎えても、春の気配は一向に近づいてこなかった……
普段なら、あたいも既にその存在が消えているはずなのに… あたいは、氷の妖精なのだから
冬の寒気が肌を刺す程に寒さの残る、地上より遙か上空…二つの影がお互いをいなす様に弾幕を張り巡らしている
どか~~~ん!!
「ま~た~や~ら~れ~た~~~!」
あたいは、自分でも間抜けだと思えるほど間の抜けた声を出して、地上へと落下していく…
あたいを吹き飛ばした紅白の衣装に身を包んだ少女・博麗 霊夢・は、遙か上空であたいを見下ろしていた
「…全く、久しぶりに会ったかと思ったら、また邪魔してくれたわね~。今はあんたに構ってる暇は無いの!この、いつまでも続く冬の原因を調べなきゃいけないんだから。悪く思わないでね、って言うか、あんたがけしかけてきたんだからあたしは悪くないわね、うん。じゃ、先を急ごうかしら」
なにやら、一人で納得してどこかへ飛んでいってしまった
残されたのは、全身ボロボロになって地上に落ちていった氷の妖精『チルノ』だけ
チルノは地面にぶつかり、つぶれた蛙のような状態になっていた…
「……なんだっていうのよ、もう!」
勢いよく顔を地面から上げると開口一番に、あたいは叫んでいた
「ちぇっ、折角あの紅い霧の時の仕返しでもしてやろうと思ったのに…結局、また負けちゃった……いたたっ、しかし派手にやってくれたわね~、あの紅白!知らない仲じゃないんだから、少しは手加減してくれてもいいいもんなのに…」
自分から挑んだことは、忘れることにした
痛いところは無いか(いや、痛いのは全身なのだが)………少し体を動かしてみる…うん、大丈夫そう……って……!?
「あ~~~~~~~!!」
首をくるっと回し、背を見るようにして初めて気が付いた
あたいの羽が焦げてる~~!!
「あんの紅白!なんて事してくれるのよ!」
既にいない相手への非難の言葉を叫びながら、あたいは背中の羽を動かしてみる……
動かない……
「…あたいの羽……氷の結晶で出来てるから、痛くは無いけど…でも、これじゃ飛べないじゃない!もーっ!!」
憤怒しながら喚いてみるが、怒りをぶつける相手は、既に目の前から消えている
いつもなら自分の冷気で治せるのだが、今は、紅白と戦った直後…それほどの力は残っていない
「も~……踏んだり蹴ったりだわね………仕方ない、いつもの湖に行って冷気を蓄えよ…羽も治せるし……」
そう一人で愚痴ると湖の方角へと足を向けて歩き出した…
とてとてとて
森の中を裸足で歩き、土が足の裏にくっつく音が静かな森に響く。
「…もー、飛べればひとっ飛びなのにー。…痛いなー、もー」
羽が傷つき、飛べないので歩いてきたのだが…普段、飛んでいる時には気付かなかった。あの湖が、こんなに遠いなんて…
更に、普段は地面の様子など無関心なのだが、歩いてみれば石や木の枝などで森の中はゴツゴツしており、一歩足を踏み出すたびに足の裏を容赦なく刺激する…その為、歩みは遅々として進まない
「…早く着かないかなー。あたいの魔力、ほとんど残ってないのにー」
先程の紅白との戦いで魔力を消耗したうえに、慣れない『歩く』という行為の所為で、あたいの魔力は残り1ドットくらいにまで減っていた…
やがて、湖のすぐ手前まで来たものの、あたいは疲労困憊の状態で、いつもならあたいの周りに渦巻いている冷気も、ほとんど意味をなさない程に薄れていた…
「…もう、少し…この杉林を曲がれば……湖のはず…」
そう呟いて、重くなった足を引きずりながら杉林を右に曲がる…
そこには、空を飛んで来る時とは少し違うが、間違いなくあたいが普段過ごしている湖があった
「やっと…着いたー!頑張ったーあたいー!」
重くなった足もなんのその
あたいは湖の真ん中付近まで一気に近づいていく
「…はー、やっと落ち着けるわ」
そう言葉を吐き出すと意識を集中させる
湖に霧散していた微かな冷気があたいの周囲に集まってくる
周囲に展開された冷気が、背中の羽に集中し、きらきらと輝き始める
「……ふぅ、やっと治せた…もー、普段なら傷ついても簡単に戻せるのに、よけいな苦労しちゃったじゃないの!」
背中の焦げた羽は、傷ついた後も無く、綺麗に透き通ったいつもの羽に戻っていた
また、冷気に包まれている事で、あたいの魔力も少しずつ回復してきていた
けれど、霊夢への怒り(自業自得のような気もするが…)はなんとなく収まりがつかないでいた
そこに
ピョコッ
あたいの足元に緑色の蛙が顔を出した
その蛙と目が合った
蛙は、びくっと体を震わせると体の向きを反転させ、水中に戻………れなかった…
「げこっ!」
「う~ふ~ふ~ふ~、捕まえた~」
水中に戻ろうとして跳んだ時、あたいの手がむんずっ、とその緑色の体を掴んでいた
「げ、げこ~…」
「ふっふっふ~、逃げられないわよ~あたいの気分を晴らすために犠牲になりなさいな!」
掴んでいる蛙の上にもう片方の手を添え、冷気を放出する…
「げ……こ…ー……」
一瞬で蛙が氷の棺の中に閉じこめられた
「んふ~。やっぱりストレス解消にはこれが一番ね~」
凍り付いた蛙を片手に、あたいは勝ち誇ったように蛙を掴んでいる手を高々と上げた
けれども、すぐにその手を力無く下ろす
「…さて、本当に死んじゃう前に溶かしてあげないとね~」
そう言って、足元の水に氷詰めにされた蛙を浸す
蛙はなかなか生命力が強い生物で、氷らされただけでは死ぬことはなく、周りの氷さえ溶かせば、また動き始めるのである
「…げこっ…?」
ぴょんっ ぽちゃん
氷が溶けてすぐに蛙は目を開け、あたいの手を離れて湖に戻っていった
「あぁっ!!逃げられた!ちぇ~、もう2,3回氷らせようかなって思ってたのに~!」
あたいが思っていたより、元気が良い蛙だったようだ
あたいは名残惜しそうに湖面を眺めていた
と、
「そんな非道い事したら、蛙だって逃げるわ」
唐突にあたいの頭上から声が響いてきた
顔をあげると、そこには白い衣装に身を包んだ女性が立っていた
「どんな生き物だって生きてるんだから、そんな事したら可哀想よ」
そう話しながら、その女性はあたいの目の前に降り立った
柔和な顔つきをした女性で、髪の色は薄紫で軽くウェーブがかかっており、頭には白い薄布で出来た帽子を被っていた。全体がなんとなく白っぽい装飾で統一された服装をしている。なんとなく、ほんわかとした印象を受けた
おそらくは、あたいと同じ妖精か妖怪だと思うから、年齢は関係ないと思うが、外見だけで判断すれば、あたいよりも歳は上に見えた
「…あんた、誰よ…?」
あたいはこの突然の来客を警戒しつつ、そう尋ねる
そもそも、今あたいの周囲には冷気が渦巻いているはず…
並の妖怪や精霊であれば、こんなに近くに居れば凍えてしまうはずなのに……この目の前の相手は、意にも介さない様子で、ニコニコとこちらを見ている
「そんなに警戒しなくても、なにもしないわよ。あなた氷精でしょ?見れば分かるわ。こんなに冷気が留まってちゃ、ね。自分と同じ冬の精をどうにかしようなんて思ってないわ」
成程、あたいと同じ冬の氷精だったのか…
あたいは警戒を解いて、女性の方へ向き直り、質問を続ける
「ふーん。で、あんたはどんな用件でここに来たのかしら」
「うーん、それなんだけど…なんか、冬を消そうとしている紅白の人間がいたから邪魔してやろうと思ったんだけどね…返り討ちにあっちゃった…それで、傷を治そうと思って冷気を補給しようとしたら、こっちの方向から冷気の流れを感じて…来てみたら、あなたが蛙を凍らせてるところだったの」
ふーん、って、紅白…?
「それで…」
「ちょっ、ちょっと待って!」
「……?」
話の途中であたいが焦って声を出した事に、目の前の女性は軽く首を傾ける
「そのあんたが会った紅白って、黒髪の、頭にリボン付けてて、なんかもう、見るからに『紅白~!』ていう感じの……?」
なんだか、自分で言ってて意味が分からない説明をしていると思ったが、聞かずにはいられなかった
「えぇ、そうね~。見るからに『紅白~』っていう感じだったわね~」
印象通りのほんわかした答えが返ってきた
「へぇー、そっかー。あんたも霊夢にやられたんだ?」
「れいむ…?あの紅白の人間、れいむって言うんだ…強かったなー、私の力じゃ全然及ばなかったからね~」
「ふーん。実はさ、あたいも霊夢にやられてさ。ようやくこの湖について、冷気を補給してたんだ~。あんの紅白、こーんなに可愛いあたいに対しても一切容赦しないんだもんね~」
ぷっ…
くすくすくす
少しおどけて話すあたいの話に、目の前の女性は含み笑いを漏らしていた
「非道いな~、笑わないでよ」
そう話すあたいの顔もきっと笑っているのだろう
なんだか、最初の警戒はどこへやら…あの紅白にお互いに負かされたって事で、親近感が沸いてきてしまったみたい
「…あんた、おもしろいね。あぁ、自己紹介もしてなかった。あたいの名前はチルノ。主に冷気を操ってる。あんたの名前は?なんて言うの?」
「私は、レティ・ホワイトロック。私は寒気を操るの。私の事はレティでいいよ~、チルノちゃん」
「『ちゃん』付けはやめて~!なんかぞわぞわする~!あたいもチルノでいいよ、レティ!」
「うん!よろしくね、チルノ」
どちらからともなく、手を握って握手を交わす
今まで、あたいは妖精の仲間内でも少し浮いた存在だった
妖精は、一般的に暖気を好み、寒気を避ける…あたいはその、暖気を好む妖精の中で冷気を操る妖精だったため、周りから一線を引いて接してくる事が多かった
だから、今、目の前に居るレティの様に、普通に接してくる事自体が稀有だった
だけど、それらを覆すようなレティの言葉は、今のあたいにはなんだか…嬉しかった
「でも、嬉しいな~。私初めてだよ~、氷精の友だちが出来たの」
レティは頬を掻き、照れ臭そうに笑いながらぼそっと呟く
「とっ、友だち!?」
その言葉に動転し、間抜けな声を出してしまった
「うん、そうだよ~。チルノは私の初めての友だち~」
両手を広げて、心底嬉しそうに話すレティ
その表情には一欠片の邪心も感じない
レティは今、あたいと出会えた事を本当に喜んでくれている
(いや、レティだけじゃない…きっと、今のあたいも、少しびっくりしてるだけ…心では、この“初めての友だち”が出来たことを本当に嬉しいと…そう、思ってるんだ…)
「……そう、だね…あたい達、お互いに初めての友だちだね、レティ!」
そう言って、レティの左手をとって引っ張る
「行こっ!あたいのとっておきの場所を教えてあげる!」
そう言って、体を地面から浮かび上がらせる。レティは、片手を引っ張られる状態になり少し焦っている。
「向こうに冷気が溜まりやすい谷があるの!あたいだけの秘密の場所だったんだけど…レティにだけ教えてあげる!」
少し興奮気味に話すあたいを見て、レティは少しだけ驚いた顔を見せたけど…すぐに笑顔になって、2人で手を繋ぎながら風上の方向に向かっていった。
湖を発ってどのくらいの時が流れただろう。大きな山脈にぶつかり、あたいはその山肌に沿って山間を縫うように飛んでいく
横には、もちろん手を繋いだままのレティが一緒に飛んでいる
しばらく山間を飛んでいくと、いきなり開けた場所に出た。両側を硬そうな岩盤に囲まれ、その間を小さな清流が流れている場所だった。清流の真ん中には大きめの岩がどっかりと構えていた
「着いたよ、レティ」
「…ここが…?」
「うん、そう!ここがあたいの秘密の場所」
レティの手を離して、彼女の前に回り込み、両手を左右に広げて笑顔で歓迎する
そして、川の真ん中にある岩の上にレティを案内し、二人で座る
「ねぇ、チルノ?ここが冷気の溜まる場所?そんなに冷気…無いみたいだけど…」
「大丈夫、もう少し待ってて」
そう、普段はここはそんなに冷気が溜まってるわけじゃない。けれども、ある瞬間を迎えると…
「あっ、ほら今、来るよ!」
ヒュゥーッ
岩壁の上の方向から風が吹き降りてくる音が聞こえる。と、次の瞬間、冬の冷気を含んだ風が二人の居る位置まで一気に降りてきた。更に、冷やされた空気はその場所から逃げる事は無く、山間を流れる清流の冷気をも含んでその一角に留まったのだ
「わ~、すごい良い風。これがチルノの言ってた『冷気が溜まる』って意味ね?」
風に揺れるウェーブの髪を片手で押さえつつ、レティが納得のいった様子で問いかけてくる
「うん、そう。まぁ、溜まるとは言ってもここにずっと在る訳じゃないけど…でも、あたいはこの風が運ぶ冷気が、なんとなく好きなんだよね」
あたいはレティの方を向き笑顔で答える
それから、あたいとレティはしばらくの間、山間のこの岩の上でお互いの事を話し合った
それぞれが生まれてからこれまでの事、たくさん、たくさん話した
そして…どれだけの時間が過ぎたのだろう
ふと、自分たちの上空から吹き下ろす風に変化が現れた
肌に触れ、通り過ぎていく冷気が抜け、冬の風ではなく、春のそれに変わっていた。恐らくは、あの紅白の巫女がこの終わらない冬の異変を解決したのだろう
「…どうやら、春が来るみたいですね…」
視線を上空に向けたレティが呟く
レティの行動につられてあたいも視線を上に向ける
上空では春の訪れを告げる妖精が飛び交い始めている
「…そうみたいね…そろそろ、あたい達も消えちゃうんだ」
視線を上に向けたまま、そう呟く
それは毎年の事、冬が終わればあたい達氷精は存在を維持できなくなる。そして季節は巡る…春・夏・秋それから、ようやくまた次の冬が来る。これがこの世界の理…
あたい達の存在は消える訳じゃない。また次の冬が来るまですこしだけ長い眠りに就くだけ。その証拠に、また冬が来ればあたい達は新たに姿を形作り生まれることが出来る。
だけど…
今は、もう少しだけ…この、初めて出来た友だちとの時間を楽しんでいたかった………
「まぁ、消えるのはどうしようもないですよ。でも、私は悲しくなんか無いですよ?だって…今年の冬は、最後の最後にチルノっていう友だちが出来たんだもん。今度冬が来れば、また会えるんだから。そうでしょ、チルノ?」
視線をあたいの方に向けてレティが問いかけてくる
「……そうだけど…」
あたいは、まだ少し納得出来なかった…ううん、本当は分かってるのに心が反発してるだけ
今まで友だちなんて関係を持ったことは無かったから…
そんな相手は今まで居たことはなかったから、だから不安になる…
そんなあたいの心情を知ってか知らずか、レティはあたいの手に自分の手を絡ませてくる
「ねぇ、チルノ。まだ不安なら…約束しよ」
「…約束…?」
レティは岩の上に立ってあたいの手を取り立たせようとしている
「そう、約束!春が来て、夏を迎えて、秋を越えて…そして、また次の冬が来たら……また一緒に遊びましょ?…そうね…待ち合わせは、あの私達が出会った湖。お互い初めて出来た友だちだから絶対に破っちゃいけない約束。ね、どう?」
約束……ね
あたいはその言葉を口の中で反芻し、レティに手を取られながら立ち上がる
「……分かったわ。あたいも約束する。きっと、また…次の冬に、会えるよね、レティ?」
「うん。もちろん!」
「約束破ったら…お仕置きなんだからね!」
「ん、分かってる」
まだ少し不安はあるけれども、彼女の言葉を信じたい気持ちが強かった。だからこそ、『友だち』との『約束』を交わそう。
初めての友だちとの、初めての約束を……
お互いに両手の指を相手の指に絡め、額と額を合わせる形であたい達は約束する…必ずまた、会おうね、と
遙か上空から数枚の桜の花びらが舞い落ちてくる。それは、春の到来を告げる役割を持った幻の桜の花弁…
暖かな風が舞い、その花弁が舞い落ちて消えた場所には、ほんの僅かの残雪があった……
残雪に触れた春の風は、少しだけその温度を下げ、山間を駆け抜けていった
花開く、暖かな春が過ぎ
照りつける太陽の眩い夏が過ぎ
山々が色づく、鮮やかな秋が過ぎ
そして…
少し寂しげな風景の湖に一陣の風が吹いた
冬の到来を告げる風
周りを囲む山々からの冷気を含んだ冷たい風
湖の一角にその風が渦巻いていた…
周りの冷気が渦の中心に集まり、徐々に冷気は、大きな氷塊を作り始める
氷塊の中には人の影のようなものが映っていた
氷塊が完全に形作られると、冷気の渦は霧散して消えた
ピシッ…
氷塊に亀裂が走り、氷塊が砕け、一人の少女が生まれ出る… 一糸纏わぬ姿の少女の肌は雪の様に白く透き通っていた…
少女の足が湖の表面に触れた瞬間、湖の冷気が少女の体を包み、雪の結晶を思わせる青と白のワンピースへと変化する
少女の頭には、服と同じ装飾の大きなリボンがついていた
「………冬が、来たみたいね…」
ゆっくりとその双眸が開かれ、蒼い瞳がゆっくりと外気に晒される
「…レティ……」
少女ーチルノは、前回の冬に出来た友の名を無意識に口にしていた…それと同時に、別れ際に二人で交わした約束も思い出していた
「約束したよね、また逢おうって…あたい、待ってるからね」
曇天の空を見上げ、まだ姿を現さない友へ語り掛けてみた
「……なんで…」
あたいがレティより先に生まれてこの湖で過ごすようになってから5日が過ぎようとしていた。依然レティが姿を現す気配は無い
「なんで来ないの…レティ…?約束したはずだよね…また、この湖で逢おうって…あたい、ずっと待ってるんだよ……早く来てよ…」
あたいの声は、湖を抜けていく風にさらわれて、誰の耳にも届くことは無かった
それから、1日経っても…
2日経っても…
レティは姿を見せなかった
冷気が満ちる湖の中心、あたいは一人で佇んでいる
もしかしたら、レティはもう来ないのかもしれない
そう思い始めていた…
理由は分からないが…ただ、漠然と…
「………レティ…」
そう呟いた瞬間、目の奥が熱くなり、何かが頬を流れ落ちた
氷精である自分の頬を溶かすような、熱い雫だった
雫は水面に落ち、波紋を静かに拡げていく。
頬を伝う雫は、自らの纏う冷気ですぐに冷やされていく…
「なに、これ…あたいの目から、水が出て…る?」
一度流れ出た雫は、堰を切ったように溢れだして止まらなくなった
止めようと思い、力を入れれば入れるほど、治まらなくなる
「う…うえぇぇ…」
口から嗚咽がこぼれる…
あたいは、氷精として存在し始めてから、涙を流したのはこれが初めてだった…悲しくて流した、初めての涙…
「ひぃ…ん……ひっ、く………」
恥ずかしかったけど、周りには誰もいない。あたいは誰に気兼ねするでもなく、声を出して泣いていた
『……チルノ…』
…空耳…?
今、誰かがあたいの名前を、呼んだ…?
あまりにも悲しくて、幻聴が聞こえるようになったの?
「チルノ」
もう一度呼ばれた。今度ははっきりと声を伴って
涙で霞む瞳で、前方を見る
少しだけ、冷気とは違う空気が渦巻いている…冷気とは違うが、確実に冬を想像させる空気だった
空気中の水分が凝固し、雪の結晶を形作る。1つ、2つ、3つ……いつしか、目の前には、無数の結晶が渦巻き、光を受けてキラキラと輝いていた
その中心に白い衣装に身を包んだ女性の姿が見えたと思った瞬間、空気の渦は回転をやめ、周囲に霧散した。あとに残ったのは、目を閉じて、膝を抱えるような形で宙に浮かんでいる…レティの姿だった
「レティ!」
あたいは、思わず目の前のレティに声を掛けていた
レティの少し長い睫毛がピクリと動き、その瞼がゆっくりと開かれ、深い青紫色の瞳が外気に触れる
久しぶりに受けた光のせいか、眩しそうに目を細め、それからあたいの方を向いてくれた
「…チルノ、泣いてるの…?」
レティはそう話すと同時に、あたいの目尻に溜まっていた涙を人指し指で拭ってくれた
自分と似たような存在のレティの指は、やはり暖かくは無かったが、それでも、あたいにとっては何よりもほっと出来る感覚だった
「…だって…だって、レティがいつまで待っても来てくれないから!あたいとの約束なんて忘れちゃったんじゃないかって、そう思ったら……」
泣いていたところを見られて、恐らくあたいは顔を真っ赤にしてレティに話しかけているのだろう…そんなあたいをレティはキュッと優しく抱きしめてくれた
「ごめんなさいね…私は寒気に依存してるから、冷気を操るチルノより、戻ってくるのが少し遅くなっちゃったみたい…冷気の後に寒気はやってくるものだから…」
あたいの頭を優しく撫でながらレティはそう教えてくれる
「……それならそうと別れる前に言ってよ…あの約束が破られたんじゃないかって、不安になっちゃったじゃない!」
レティの腕に抱かれながら、少しだけ強気に話す
「馬鹿ね…友だちとの約束を違えるわけ無いじゃない。忘れたの?わたし達は、お互いに初めての友だちだって事」
レティのその言葉に、あたいは抱かれながら首を左右に降って答える…声は出なかった
再び、涙が零れて止まらなくなっていたから…
悲しみの涙では無く、安堵と、そして喜びの涙を
「少しは落ちついた、チルノ?」
ひとしきり泣いた後、レティは抱いていた腕をほどいて、あたいを解放し、真正面から顔を覗き込んでくる。あたいは、気恥ずかしくて顔を背けてしまったが、レティはそんなあたいの様子が面白いのか、クスクスと笑っていた
「さっ、落ちついたのなら、二人で遊びに行きましょうか?約束したでしょ、冬が来たら、また一緒に遊ぼうって!」
「うん」
「去年の冬はチルノのお気に入りの場所に連れて行ってもらったから、今度は私が、私だけの特別な場所に案内するね。さぁ、行きましょうか?」
「うん!」
二人でそう会話した後、あたい達は、手を繋いで冬の空へ飛び立っていった
冬の白い景色に溶け込むような二人の姿は、誰かが見ていたらその仲を羨ましがったことだろう…
『ねぇ、レティ。あたい達……』
『うん!初めての友だちだよ、チルノ!』
『『冬はまだ、始まったばかり!!』』
終
チルノ・・・とりあえず年がら年中夏でもいる。たぶん夏はみんなの人気者。でもだれてる。
レティ・・・冬しか存在できない。レティを完全に殺すには地球上から冬を無くさない限り無理。
って設定だったような気がします。私の記憶が確かならばね。まぁレティでなごみ分補給したから良いんですけど(ぉ
レティは春夏秋は寝てるだけ。
って神主さんが言ってた。