「――そうそう、それでね、昨日はこんな夢を見たのよ」
「……って、また夢の話なの?」
「だって、昨日の夢はとびっきりに怖かったから、誰かに話さないと怖くて怖くて今日の夜はまともに寝られなくなっちゃいそうなんだもの」
私の名前は宇佐見蓮子。この小さな街でオカルトサークルをやっている。普通のオカルトサークルとは違って、私達のサークルはまともな霊能活動を行っていない、所謂不良サークルなのだけれど。それにサークルって言っても、サークルメンバーは二人しかいないのだけれどね。
「ねぇ、夢って人に話すと正夢になるって知ってる?余計に怖くなるだけよ?」
私の前にいるのはメリー。二人しかいないサークルメンバーのもう一人。本名はマエリベ――忘れちゃった。彼女の国の言葉は発音しにくいのだ。
メリーはおかしな力を持っている。彼女の家系は代々霊感を持って生まれてくるらしいけど、彼女の力は特に強い。彼女は次元と次元の狭間、つまりこの世界と別の世界との境目が見えてしまう。サークル活動は次元と次元の狭間――結界の切れ目を探しては、そこから別の世界に飛び込んでみることにある。かの文豪が表した、神隠しというものに近いものなのかも知れない。本当は禁止されているらしいけど。
ただそのせいか、最近彼女は色々な世界の夢を見るようになってきた、と、私にその内容を話すようになってきて……
「お願い、貴方に夢の事を話してカウンセリングして貰わないと、どれが現の私なのかわからなくなってしまいそうなのよ」
「私はたった一人で深い山の中にいたわ。理由なんて知らないわよ。夢ってのはいつも唐突なものなの。そうね、後でわかるんだけど、この夢の中の時代って現代よりもだいぶ古い時代みたいなの、だから、きっとその日のうちに山越えをしようとして、結局間に合わずに夜を迎えてしまったとかそういう理由なんだと思うわ。そうね、現に、私は迷っていたわ。
不気味だったわ。本当に真っ暗で、無秩序に生い茂った木々の所為で星の光も届かないの。例えその場にいたのがあなたでも、これでは何もできなかったでしょうね。文字通り、一寸先は闇だったわ。手探りに木の幹を伝いながら、私は進んだわ。いいえ、本当に進めているのかも怪しかった。何度も足に蔦がからまったり、どぶにはまったりして転びそうになったわ。本当、今にも泣きじゃくってしまいそうな気持ちだったわ。
でもね、本当に不気味だったのは、それとはまた別にあったの。背中を直接撫で回されるような冷たい感触が、夢の始まりからずっと私にまとわりついてるの。気持ち悪いったらありゃしなかったわ。でもそのおかげで、私は諦めて立ち止まらずにいられたのかも知れないわね。だって立ち止まったら、その得体の知れない気配に取って喰われてしまいそうだったんだもの。
気が気じゃなかったわ。私はがむしゃらに暗闇を彷徨うしかなかったの。
その時だったわ。幾重にも重なる木々の合間に、微かな光を見たの。私の胸に確かな希望の光が灯ったわ。足早に近づいてみると、案の定、それは民家から微かに漏れ出ずる行灯の光だったの。……えぇ、行灯。昔の電気スタンドみたいなものよ。それでこの夢の時代が昔のものだってわかったのね。
とにかく私はほっと胸を撫で下ろしたわ。ありがちな展開だけどね、まぁ夢だし、ありがたい、泊めてもらおうと思って、私は急いでそこに向かったわ。……実は未だに付きまとってるあの背中を直接撫で回されるような感覚を振り払うつもりでね。
小さな家だったわ。でもどうでしょうね、この時代にしては大きい方なのかしら、少なくとも……そうね、2LDKはあったかしらね。
入り口は引き戸みたいになってたわ。当然インターホンなんてないから、どうしようかと迷ったけど、仕方ないから、すいません、って声をかけてみたわ。中で何かが動いたような気配は感じられたけど、それ以外に反応はなかった。今度はドンドンと戸を叩いてみたわ。これも反応はなかった。おかしいわ。確かに行灯の光は漏れ出ているのに、確かに誰かいる気配はあるのに。私は何度も何度も声をかけて、戸を叩いたわ。反応はないわ。私はだんだんに怖くなってきたわ。何か背中の方がうすら寒いのよ。背後に広がる闇から何かが私に迫ってきてるんじゃないかって思ったわ。私の声と戸を叩く音は、だんだんと早くなっていったの。ドンドンドンドンドンドン、すいませんすいませんすいませんすいません、って具合にね。
私は半分泣き出しそうになってたと思うわ。それでとうとう、私は少し渋った後、勝手に戸を開けちゃおうと思ったの。
本当にちょうどその時だったのよ。私は開ける前に、その引き戸が勝手にガラっと開いたのよ。めちゃくちゃ驚いたわ。本当心臓が飛び上がるかと思ったわ。
でもそこから顔を覗かせたのは、女の人だったの。パッと見てもわかる、着ている服は昔のもので質素なものだったけど、綺麗な人だったわ。歳は私よりも少し大きいくらいかしら。女の人が一番綺麗に見える年頃だったののかも知れないわね。
彼女は私の顔を見ると、気のせいだったかしら、驚いた風に目を見開いて、その後顔を俯けてしまったの。そして一言、入って、とだけ言って、家の中に戻っていってしまったわ。
もしかして招かれざる客だったのかも、私、って思ったけど、背後に広がる闇を思うととてもじゃないけどまた引き返すなんて怖くて、私はまだバックンバックンいってる胸を押さえつつ、彼女に言われた通り家の中に入ったわ。
そこは狭くて、そして薄暗かったわ。昔だから行灯の明かりはあっても夜はこのくらい暗いものだったのかも知れないけど、どうもにも気持ち悪かったわ。部屋の端の方は光が届かなくて真っ暗で、例えそこに何かが潜んでいても私は気付かなかったんでしょうね。
彼女は私に座るように言い、温かい飲み物と簡易な食事を用意してくれたわ。私は彼女に事情を話したわ。事情っていっても、さっき私が蓮子に言ったのと同じ、山越えしようとして道に迷った、だから泊めてくれ、って言っただけだけどね。
彼女はそれをずっと俯いて聞いていたわ。それがね、彼女は前髪が長くて、俯くと彼女の表情は全く見えなくなるのよ。結構気持ち悪いのよ?表情の見えない相手にものを話すっていうのは。
彼女は私のお願いを聞き入れてくれたわ。私がお礼を言うと、何故か彼女は私のことについて聞いてきたの。歳は?どこから来たの?どこへ行くの?ってね。俯いたまま口だけ動かして言うものだから、結構気味が悪かったわね。
歳はそのままを答えたんだけど、どこから来たのっていうのは難しくて、というか夢の中だし知らなくて、仕方ないから江戸から、ってことにしといたわ。ついでだからどこへ行くのは京都にしておいた。後からここが東北だったらどうするの、とかは思ったけど、彼女はそれで納得したみたいだったから良かったわ。そして彼女は最後にこう聞いてきたの。京都に何をしに行くの?って。観光、っていうのは現代じみてておかしいと思って、だから私は、別れて暮らす両親に会いに行く、って言ったわ。彼女は小さく、そう、とだけ言った。そしてそのまま黙ってしまったの。
嫌な沈黙が流れ始めたわ。私は俯いた彼女のことを見ていることしかやることがないんですもの。それが彼女、やっぱり気味が悪いのよ。時折ビクンと震えるのよ。私が大丈夫、と声をかけると、何でもない、って言う風に無言で首を横に振るの。まるで拒絶されてるみたいだったわ。確かにこの部屋には私と彼女、二人の人間がいるはずなのに、私は自分が独りぼっちでこの部屋にいるように感じられたわ。そう、まるで、ずっと山の中を独りで彷徨っていた時と同じみたいな感じだったわ。
……いいえ、違うわ、家の中にいるのは私一人じゃなかった。彼女のことじゃないわ。もう一つ、そう、あの背中を直接撫で回されるような感触、あれがまだ消えてなかったのよ。むしろ増してるようにも感じられたわ。家の外から何か気持ちの悪い視線を感じるのよ。目の前にいる彼女は時折ビクリビクリと震えるだけ。俯いていて表情は見えないの。彼女の顔を思い出そうとすると、嫌な想像をしてしまうの。背後に広がる闇から、浮かび上がった彼女の首から上だけの顔が、私の背中をじっと凝視しているんじゃないかって。
そう思うと途端に怖さが増してきて、沈黙が耐えられなくなって、私は俯いていて動かない彼女の肩に触れようと手を伸ばしたわ。
……その時だったのよ。ぎゃああああああ、って、どこからか突然に、地獄の底から響くような叫び声がしたのは。違うのよ、本当に怖ろしかったのは、その声は、私の目の前にいる彼女の声それそのものだったということなのよ。彼女は少しも口を動かしていないっていうのに、彼女の叫び声がしたのよ。不可思議極まりないわ。彼女の悪い冗談かと思ったわ。でも飛び上がって驚いたのは、私だけじゃない、彼女もだったのよ。
彼女は顔面蒼白だったわ。それは当然よね。どこからか突然に自分の叫び声がしたんだから。おまけにその叫び声は、ぎゃあああああ、っていう、まるで断末魔の叫びだったんだから。彼女は全身で震えていたわ。
私達はしばし、その怪現象にただ立ち竦んでいたわ。あまりの不可解さと、そして、恐怖に心臓を鷲摑みにされて。
どのくらいの時が流れてからだったでしょうね、彼女が、自分では何にもない風を装っているつもりだったのかしらね、でも全然駄目駄目だったわ、無表情で私に、自分はもう寝るから、器はそこに置いておいて、明日洗うから、って言って、そして部屋から出て行こうとしたのよ。
冗談じゃなかったわ。あんなことが起きた部屋に一人で置いていかれるなんて。私は彼女と一緒に部屋を出たわ。だってのに、私の寝室としてあてがわれた物置部屋で、あろうことか彼女と別れてしまったのよ。一緒に寝よう、って伏目がちに言う私の申し出を、彼女は無理矢理の無表情で断ったわ。私は彼女に拒絶されたのよ、理由は全くわからなかったけど。彼女の持つろうそくの光がゆっくりと闇の中に消えていったわ。私は今度こそ、正真正銘独りになってしまったのよ。
私はすぐに布団に潜り込み、そしてその中でガクガクと震え始めたわ。だってそうでしょう?あんな不可思議な現象を目の当たりにしたのよ。目を瞑って眠る事もできない。ろうそくの光を消す事も嫌だ。だって暗闇になれば、頭のあちこちで先程の叫び声が反響するんだもの。そして何よりも、未だ消えないあの感触は、ついに私の体中を撫で回し始めたのよ。
私は気が狂う寸前だったかも知れないわね。でもちょうどその時だったの。それは確かな形で私の胸に響いたのよ。先程の、彼女の、ぎゃああああああ、っていう悲鳴が。私はビクンとしたわ。音として聞こえたんじゃなかった。まるでそれは、彼女の心が私に直接訴えかけてきたように、私の心に響いたのよ。
私は急に彼女のことが気になったわ。今思えば当たり前よね。悲鳴の声は彼女のものだったのよ?怪現象の事実はどうあれ、彼女に関係あるのは一目瞭然だったじゃない。
私はろうそくを手に取ったわ。そして自ら部屋を出た。ろうそくの小さな光が、真っ暗な廊下と、そして近くにある彼女の部屋をほんのりと照らしたわ。静寂が重苦しい夜の空気を支配していたわ。私はゆっくりと彼女の部屋に近づいていった。
何故か彼女の部屋の障子は少し開いていたの。私はそこに恐る恐る近づいて、そして、勇気を振り絞ってそこから中を覗いてみたわ。
……絶句したわ。その中では、2メートルはあったわ、そんな巨体を持つ、きっとあれはそう、鬼ね、あろうことか巨大な鬼が、彼女をバリバリと喰っていたのよ。
違うの。彼女はまた息があったのよ。隙間から覗いた私の顔を見て、叫んでいるのよ。ぎゃあああああ、助けて、ぎゃあああああ、って。……表情だけでね。彼女の叫び声は、全くもって声になっていなかったのよ。完全なる静寂の中、鬼が彼女の骨を噛み砕く音だけが、時折響いていたのよ。
私は全身を駆け抜けるあの感触を覚えたわ。あの背中を直接撫で回されるような感触。それはずっとこの鬼が発しているものだったのよ。鬼は、ずっと私のことを嘗め回すように見ていたってことなのよ。
それがわかった途端、私は脱兎の如くその場から逃げ出していたわ。家を飛び出して、山の中をがむしゃらに走っていたわ。何度転んだのかわからない。その度に私は生傷を作ったわ。痛みもあったはずだけど、その時の私には感じられなかった。……彼女を残してきたことへの罪悪感さえも覚える暇はなかったわ。いいえ、例え覚えていたとしても、仕方ないと割り切っていたに違いないわ。だって彼女は、あの時には既に、体の半分を失っていたんですもの。
空がゆっくりと白けていったわ。一晩中走り続けて、私はようやくふもとの村に辿り着けたの。私は助かったのよ!
あとでその村の人に聞いたわ。彼女は、生贄だったんだって。久方ぶりに帰ってきた鬼に捧げる生贄。それでようやくわかったの。彼女が私の顔を見て驚いて、その後終始俯いていた理由が。彼女は私を家に置くことで、生贄になる確率を半分にしようとしたのよ。俯いていたのは、自分よりも歳の低い者を生贄にしようとしていることへの罪悪感だったのよ。
すなわち私は、半分の確率で鬼に喰われていたってことなのよ!」
「これで私の話は終わりよ」
ふぅ。どうやらやっと話は終わったみたい。私はほっと一息つく。でも私の体は、未だにガクガクと震えていた。
「それでね、実はここの腕の傷、逃げ出す時に山の中で作った傷なのよ。他にもいっぱいスリ傷とかはあったんだけど、ふもとの村である程度は治してもらったのよね。だけどこの傷だけ他よりもちょっと深くて、なかなか治らなくって」
「だから、それは夢の話じゃないの?何で夢の話なのにその夢の中の傷が現実にも出てきてるのよ?まぁ、別にいつものことだから何も言わないけれど……気を付けてよね……メリー……。
それにしてもメリー、あなたがあんまりにもリアルに話すから、聞き入っちゃったじゃない」
「だって、私にとっては夢も現なんですもの」
「うーん、そうだとしても。
……あ、そういえば」
「うん?どうしたの?」
「えっとね、結局あの最初に聞こえたその女の人の悲鳴は何だったのか、って思ってね。だって彼女自身はその時悲鳴なんて一つも発してなかったんでしょ?」
「えーっと、それなんだけどね」
彼女はふっと虚空を見つめ始めたわ。
「メリー?」
私が不思議に思い声をかけると、
「……いいえ、自分なりに考えてみたんだけどね、もし私が鬼で、もしアニメとかに出てくる肉食動物とかの言う、生きている肉が一番美味い、ってのが本当ならば、……そうね、たまには静かに食事をしたかったんじゃないかしら。静かに、生きたままの肉をね」
「……って、また夢の話なの?」
「だって、昨日の夢はとびっきりに怖かったから、誰かに話さないと怖くて怖くて今日の夜はまともに寝られなくなっちゃいそうなんだもの」
私の名前は宇佐見蓮子。この小さな街でオカルトサークルをやっている。普通のオカルトサークルとは違って、私達のサークルはまともな霊能活動を行っていない、所謂不良サークルなのだけれど。それにサークルって言っても、サークルメンバーは二人しかいないのだけれどね。
「ねぇ、夢って人に話すと正夢になるって知ってる?余計に怖くなるだけよ?」
私の前にいるのはメリー。二人しかいないサークルメンバーのもう一人。本名はマエリベ――忘れちゃった。彼女の国の言葉は発音しにくいのだ。
メリーはおかしな力を持っている。彼女の家系は代々霊感を持って生まれてくるらしいけど、彼女の力は特に強い。彼女は次元と次元の狭間、つまりこの世界と別の世界との境目が見えてしまう。サークル活動は次元と次元の狭間――結界の切れ目を探しては、そこから別の世界に飛び込んでみることにある。かの文豪が表した、神隠しというものに近いものなのかも知れない。本当は禁止されているらしいけど。
ただそのせいか、最近彼女は色々な世界の夢を見るようになってきた、と、私にその内容を話すようになってきて……
「お願い、貴方に夢の事を話してカウンセリングして貰わないと、どれが現の私なのかわからなくなってしまいそうなのよ」
「私はたった一人で深い山の中にいたわ。理由なんて知らないわよ。夢ってのはいつも唐突なものなの。そうね、後でわかるんだけど、この夢の中の時代って現代よりもだいぶ古い時代みたいなの、だから、きっとその日のうちに山越えをしようとして、結局間に合わずに夜を迎えてしまったとかそういう理由なんだと思うわ。そうね、現に、私は迷っていたわ。
不気味だったわ。本当に真っ暗で、無秩序に生い茂った木々の所為で星の光も届かないの。例えその場にいたのがあなたでも、これでは何もできなかったでしょうね。文字通り、一寸先は闇だったわ。手探りに木の幹を伝いながら、私は進んだわ。いいえ、本当に進めているのかも怪しかった。何度も足に蔦がからまったり、どぶにはまったりして転びそうになったわ。本当、今にも泣きじゃくってしまいそうな気持ちだったわ。
でもね、本当に不気味だったのは、それとはまた別にあったの。背中を直接撫で回されるような冷たい感触が、夢の始まりからずっと私にまとわりついてるの。気持ち悪いったらありゃしなかったわ。でもそのおかげで、私は諦めて立ち止まらずにいられたのかも知れないわね。だって立ち止まったら、その得体の知れない気配に取って喰われてしまいそうだったんだもの。
気が気じゃなかったわ。私はがむしゃらに暗闇を彷徨うしかなかったの。
その時だったわ。幾重にも重なる木々の合間に、微かな光を見たの。私の胸に確かな希望の光が灯ったわ。足早に近づいてみると、案の定、それは民家から微かに漏れ出ずる行灯の光だったの。……えぇ、行灯。昔の電気スタンドみたいなものよ。それでこの夢の時代が昔のものだってわかったのね。
とにかく私はほっと胸を撫で下ろしたわ。ありがちな展開だけどね、まぁ夢だし、ありがたい、泊めてもらおうと思って、私は急いでそこに向かったわ。……実は未だに付きまとってるあの背中を直接撫で回されるような感覚を振り払うつもりでね。
小さな家だったわ。でもどうでしょうね、この時代にしては大きい方なのかしら、少なくとも……そうね、2LDKはあったかしらね。
入り口は引き戸みたいになってたわ。当然インターホンなんてないから、どうしようかと迷ったけど、仕方ないから、すいません、って声をかけてみたわ。中で何かが動いたような気配は感じられたけど、それ以外に反応はなかった。今度はドンドンと戸を叩いてみたわ。これも反応はなかった。おかしいわ。確かに行灯の光は漏れ出ているのに、確かに誰かいる気配はあるのに。私は何度も何度も声をかけて、戸を叩いたわ。反応はないわ。私はだんだんに怖くなってきたわ。何か背中の方がうすら寒いのよ。背後に広がる闇から何かが私に迫ってきてるんじゃないかって思ったわ。私の声と戸を叩く音は、だんだんと早くなっていったの。ドンドンドンドンドンドン、すいませんすいませんすいませんすいません、って具合にね。
私は半分泣き出しそうになってたと思うわ。それでとうとう、私は少し渋った後、勝手に戸を開けちゃおうと思ったの。
本当にちょうどその時だったのよ。私は開ける前に、その引き戸が勝手にガラっと開いたのよ。めちゃくちゃ驚いたわ。本当心臓が飛び上がるかと思ったわ。
でもそこから顔を覗かせたのは、女の人だったの。パッと見てもわかる、着ている服は昔のもので質素なものだったけど、綺麗な人だったわ。歳は私よりも少し大きいくらいかしら。女の人が一番綺麗に見える年頃だったののかも知れないわね。
彼女は私の顔を見ると、気のせいだったかしら、驚いた風に目を見開いて、その後顔を俯けてしまったの。そして一言、入って、とだけ言って、家の中に戻っていってしまったわ。
もしかして招かれざる客だったのかも、私、って思ったけど、背後に広がる闇を思うととてもじゃないけどまた引き返すなんて怖くて、私はまだバックンバックンいってる胸を押さえつつ、彼女に言われた通り家の中に入ったわ。
そこは狭くて、そして薄暗かったわ。昔だから行灯の明かりはあっても夜はこのくらい暗いものだったのかも知れないけど、どうもにも気持ち悪かったわ。部屋の端の方は光が届かなくて真っ暗で、例えそこに何かが潜んでいても私は気付かなかったんでしょうね。
彼女は私に座るように言い、温かい飲み物と簡易な食事を用意してくれたわ。私は彼女に事情を話したわ。事情っていっても、さっき私が蓮子に言ったのと同じ、山越えしようとして道に迷った、だから泊めてくれ、って言っただけだけどね。
彼女はそれをずっと俯いて聞いていたわ。それがね、彼女は前髪が長くて、俯くと彼女の表情は全く見えなくなるのよ。結構気持ち悪いのよ?表情の見えない相手にものを話すっていうのは。
彼女は私のお願いを聞き入れてくれたわ。私がお礼を言うと、何故か彼女は私のことについて聞いてきたの。歳は?どこから来たの?どこへ行くの?ってね。俯いたまま口だけ動かして言うものだから、結構気味が悪かったわね。
歳はそのままを答えたんだけど、どこから来たのっていうのは難しくて、というか夢の中だし知らなくて、仕方ないから江戸から、ってことにしといたわ。ついでだからどこへ行くのは京都にしておいた。後からここが東北だったらどうするの、とかは思ったけど、彼女はそれで納得したみたいだったから良かったわ。そして彼女は最後にこう聞いてきたの。京都に何をしに行くの?って。観光、っていうのは現代じみてておかしいと思って、だから私は、別れて暮らす両親に会いに行く、って言ったわ。彼女は小さく、そう、とだけ言った。そしてそのまま黙ってしまったの。
嫌な沈黙が流れ始めたわ。私は俯いた彼女のことを見ていることしかやることがないんですもの。それが彼女、やっぱり気味が悪いのよ。時折ビクンと震えるのよ。私が大丈夫、と声をかけると、何でもない、って言う風に無言で首を横に振るの。まるで拒絶されてるみたいだったわ。確かにこの部屋には私と彼女、二人の人間がいるはずなのに、私は自分が独りぼっちでこの部屋にいるように感じられたわ。そう、まるで、ずっと山の中を独りで彷徨っていた時と同じみたいな感じだったわ。
……いいえ、違うわ、家の中にいるのは私一人じゃなかった。彼女のことじゃないわ。もう一つ、そう、あの背中を直接撫で回されるような感触、あれがまだ消えてなかったのよ。むしろ増してるようにも感じられたわ。家の外から何か気持ちの悪い視線を感じるのよ。目の前にいる彼女は時折ビクリビクリと震えるだけ。俯いていて表情は見えないの。彼女の顔を思い出そうとすると、嫌な想像をしてしまうの。背後に広がる闇から、浮かび上がった彼女の首から上だけの顔が、私の背中をじっと凝視しているんじゃないかって。
そう思うと途端に怖さが増してきて、沈黙が耐えられなくなって、私は俯いていて動かない彼女の肩に触れようと手を伸ばしたわ。
……その時だったのよ。ぎゃああああああ、って、どこからか突然に、地獄の底から響くような叫び声がしたのは。違うのよ、本当に怖ろしかったのは、その声は、私の目の前にいる彼女の声それそのものだったということなのよ。彼女は少しも口を動かしていないっていうのに、彼女の叫び声がしたのよ。不可思議極まりないわ。彼女の悪い冗談かと思ったわ。でも飛び上がって驚いたのは、私だけじゃない、彼女もだったのよ。
彼女は顔面蒼白だったわ。それは当然よね。どこからか突然に自分の叫び声がしたんだから。おまけにその叫び声は、ぎゃあああああ、っていう、まるで断末魔の叫びだったんだから。彼女は全身で震えていたわ。
私達はしばし、その怪現象にただ立ち竦んでいたわ。あまりの不可解さと、そして、恐怖に心臓を鷲摑みにされて。
どのくらいの時が流れてからだったでしょうね、彼女が、自分では何にもない風を装っているつもりだったのかしらね、でも全然駄目駄目だったわ、無表情で私に、自分はもう寝るから、器はそこに置いておいて、明日洗うから、って言って、そして部屋から出て行こうとしたのよ。
冗談じゃなかったわ。あんなことが起きた部屋に一人で置いていかれるなんて。私は彼女と一緒に部屋を出たわ。だってのに、私の寝室としてあてがわれた物置部屋で、あろうことか彼女と別れてしまったのよ。一緒に寝よう、って伏目がちに言う私の申し出を、彼女は無理矢理の無表情で断ったわ。私は彼女に拒絶されたのよ、理由は全くわからなかったけど。彼女の持つろうそくの光がゆっくりと闇の中に消えていったわ。私は今度こそ、正真正銘独りになってしまったのよ。
私はすぐに布団に潜り込み、そしてその中でガクガクと震え始めたわ。だってそうでしょう?あんな不可思議な現象を目の当たりにしたのよ。目を瞑って眠る事もできない。ろうそくの光を消す事も嫌だ。だって暗闇になれば、頭のあちこちで先程の叫び声が反響するんだもの。そして何よりも、未だ消えないあの感触は、ついに私の体中を撫で回し始めたのよ。
私は気が狂う寸前だったかも知れないわね。でもちょうどその時だったの。それは確かな形で私の胸に響いたのよ。先程の、彼女の、ぎゃああああああ、っていう悲鳴が。私はビクンとしたわ。音として聞こえたんじゃなかった。まるでそれは、彼女の心が私に直接訴えかけてきたように、私の心に響いたのよ。
私は急に彼女のことが気になったわ。今思えば当たり前よね。悲鳴の声は彼女のものだったのよ?怪現象の事実はどうあれ、彼女に関係あるのは一目瞭然だったじゃない。
私はろうそくを手に取ったわ。そして自ら部屋を出た。ろうそくの小さな光が、真っ暗な廊下と、そして近くにある彼女の部屋をほんのりと照らしたわ。静寂が重苦しい夜の空気を支配していたわ。私はゆっくりと彼女の部屋に近づいていった。
何故か彼女の部屋の障子は少し開いていたの。私はそこに恐る恐る近づいて、そして、勇気を振り絞ってそこから中を覗いてみたわ。
……絶句したわ。その中では、2メートルはあったわ、そんな巨体を持つ、きっとあれはそう、鬼ね、あろうことか巨大な鬼が、彼女をバリバリと喰っていたのよ。
違うの。彼女はまた息があったのよ。隙間から覗いた私の顔を見て、叫んでいるのよ。ぎゃあああああ、助けて、ぎゃあああああ、って。……表情だけでね。彼女の叫び声は、全くもって声になっていなかったのよ。完全なる静寂の中、鬼が彼女の骨を噛み砕く音だけが、時折響いていたのよ。
私は全身を駆け抜けるあの感触を覚えたわ。あの背中を直接撫で回されるような感触。それはずっとこの鬼が発しているものだったのよ。鬼は、ずっと私のことを嘗め回すように見ていたってことなのよ。
それがわかった途端、私は脱兎の如くその場から逃げ出していたわ。家を飛び出して、山の中をがむしゃらに走っていたわ。何度転んだのかわからない。その度に私は生傷を作ったわ。痛みもあったはずだけど、その時の私には感じられなかった。……彼女を残してきたことへの罪悪感さえも覚える暇はなかったわ。いいえ、例え覚えていたとしても、仕方ないと割り切っていたに違いないわ。だって彼女は、あの時には既に、体の半分を失っていたんですもの。
空がゆっくりと白けていったわ。一晩中走り続けて、私はようやくふもとの村に辿り着けたの。私は助かったのよ!
あとでその村の人に聞いたわ。彼女は、生贄だったんだって。久方ぶりに帰ってきた鬼に捧げる生贄。それでようやくわかったの。彼女が私の顔を見て驚いて、その後終始俯いていた理由が。彼女は私を家に置くことで、生贄になる確率を半分にしようとしたのよ。俯いていたのは、自分よりも歳の低い者を生贄にしようとしていることへの罪悪感だったのよ。
すなわち私は、半分の確率で鬼に喰われていたってことなのよ!」
「これで私の話は終わりよ」
ふぅ。どうやらやっと話は終わったみたい。私はほっと一息つく。でも私の体は、未だにガクガクと震えていた。
「それでね、実はここの腕の傷、逃げ出す時に山の中で作った傷なのよ。他にもいっぱいスリ傷とかはあったんだけど、ふもとの村である程度は治してもらったのよね。だけどこの傷だけ他よりもちょっと深くて、なかなか治らなくって」
「だから、それは夢の話じゃないの?何で夢の話なのにその夢の中の傷が現実にも出てきてるのよ?まぁ、別にいつものことだから何も言わないけれど……気を付けてよね……メリー……。
それにしてもメリー、あなたがあんまりにもリアルに話すから、聞き入っちゃったじゃない」
「だって、私にとっては夢も現なんですもの」
「うーん、そうだとしても。
……あ、そういえば」
「うん?どうしたの?」
「えっとね、結局あの最初に聞こえたその女の人の悲鳴は何だったのか、って思ってね。だって彼女自身はその時悲鳴なんて一つも発してなかったんでしょ?」
「えーっと、それなんだけどね」
彼女はふっと虚空を見つめ始めたわ。
「メリー?」
私が不思議に思い声をかけると、
「……いいえ、自分なりに考えてみたんだけどね、もし私が鬼で、もしアニメとかに出てくる肉食動物とかの言う、生きている肉が一番美味い、ってのが本当ならば、……そうね、たまには静かに食事をしたかったんじゃないかしら。静かに、生きたままの肉をね」
というか、予想してたオチと違ってマジ怖い
今夜電気消して眠れなかったら鬼になってそちらに伺います(え
そう言っていただけると本当に嬉しいです。
はい、是非ともいらっしゃいませです。
でも私もこんなん書いておきながらすんごく怖がりだったりw
・・・・あれ?
いま、なにかヒメイが・・・・。