村の広場を目指して歩いていく。
そこに目的の人物がいるらしい。
「この時間ならいつも広場で子供と遊んでいる」、という情報を畑仕事中の村人Aさんから仕入れていた。
私は「美味しそうな野菜ですね。出来たら味見させてください」、と控えめにお礼を言った。
誰でも自分が作っているものが褒められれば嬉しいものだ。
味見までしたいとなれば、もう断れるはずがない。
こうして私は味見の約束を勝手に取り付けて、Aさんに別れを告げた。
雑な扱いだけど所詮名も無き村人A。
重要人物であるはずが無かった。
歩き続ける事三十分ほど……。
「ぐすん。……すいません、広場ってどっちですか?」
「あっちよ」
一人では結局広場を探し出す事が出来なかった。
私は仕方なく買い物帰りの村人Bさんに助けを求める。
ああ、またどうでもいい人と関係を持ってしまった。
なるべく、秘密裏に任務を遂行したかったのに。
これも十六夜さんの地図が素敵すぎるから。
「今晩はカレーですか?」
「そうよ」
「楽しみですね」
「そうかしら?」
「美味しく作ってください」
「もちろんそのつもりよ」
「ありがとうございます」
「ええ、さようなら」
微妙な世間話をしつつBさんとも別れる。
これで、今晩のご飯は安泰だ。
私は今度こそ広場へ向かって歩き出した。
広場への道すがら、これからの予定を考える。
既に私は善良な旅人として、村人と二人も接触を持ってしまった。
これはもしかしたら、任務遂行の大きな妨げになる可能性がある。
ここは一旦村内に溶け込み、村人の信頼を得たほうが、より確実に任務をこなせるかもしれない。
その後に、サーチ&デストロイを仕掛ければ意表を付く事も出来る。
また、いつも人質の近くにいればいざという時スムーズに作戦を実行に移せる。
多少時間は掛かるが自分の命が最優先だし、失敗は許されない。
やはり万全を期すべきだ。
ふふふ。
私は内心で邪悪な笑みを浮かべる。
……今朝の十六夜さんとのノリが中々抜け切らない、そんな夕方ごろのことでした。
広場では数人の子供と、一人の少女が楽しそうに遊んでいた。
その中から上白沢慧音という少女を探さなければならない。
そう言えば、上白沢慧音がどういう少女なのか全然私は知らなかった。
そう、知らなかった、広場に着くまでは……
…………
見れば分かるし。
他の人とは明らかに違う「気」と言えばいいのか、オーラと表現すればいいのか……
それら尋常ならざるものが少女の服装から垂れ流されている。
もう全てが服に集約されている……と思いきや他にも突っ込みどころがあった。
少女は私の髪の毛予想の右斜め135度、上をいっていた。
えっ? それは右じゃなくなってる?
…………知ってるもん、そのぐらい。
細かいところは置いといて、えっと水色と銀だか白だか?
何でもいいや。これ以上は疲れる。
「すいませーん。上白沢慧音さんというのはどなたですかー?」
十割方確信があったけど、間違うと恥ずかしいので一応呼びかける。
その恥ずかしさは、知り合いと思って話しかけたら全く知らない人でした……なんて時ぐらいの破壊力がある。
そういう時は、その人を無視して違う人に話しかけているように見せかけるのがモアベター。
「いかにも私だが」
いかにも、と言わせるほど断定していません。
心の中でだけです。
内心で突っ込みを入れていると、上白沢さんが子供達から外れて私のほうに寄ってきた。
「私に何か用か? 旅人らしき人よ」
「えーっと」
あれ?
「…………」
「…………」
私この人に会ってどうすればいんだっけ?
――――朝の回想――――
「集落の中に上白沢慧音って人がいるわ」
「成る程、その人を人質にとって集落を襲えばいいんですね」
「ええ、逆らう者は皆殺しよ」
…………
何をすればいいか聞く前に、私の方からボケちゃってるー。
助けて十六夜さーん!
「え、えっとですね……」
「どうした、早く言え。子供達が待っているんだ」
あわわ! どうしよう?
こんなどうでもいい所で躓くとは思ってなかった。
「私、幻想郷の外から来たんですよ」
「そうなのか。それで?」
「…………」
それで、どうすればいいんですか十六夜さん?
何でちゃんと教えてくれなかったんですかー。
……っといけない、ここにいない人に八つ当たりしてる場合じゃなかった。
「助けてください」
「何を?」
「私を」
「どうやって?」
「上白沢さんが頑張って」
「そうか、じゃあな」
うわー、どうしよう?
この人見た目と違ってまともな考え方してる。
今までに出会った人の中では一番の常識人かもしれない。
その分やりにくいんだけど。
「あ、わ、待って下さい」
「まだあるのか? 早くしてくれ。子供達が待ちわびて睨んでいるぞ」
声のトーンが一つ下がった。
ふえーん、上白沢さんがだんだん不機嫌になってきてる。
もうこうなったら最後の手段。
万国共通、どんな人にも受け入れてもらえる頼み方。
「で、弟子にしてください!」
「は?」
予想通り固まる上白沢さん。
これで駄目だったら、玄関の所まで押しかける。
「お願いします」
「…………」
眉に皺を寄せて、私をしばらく睨む上白沢さん。
何を真剣に考えているんだろう?
夕飯の事だったりしたら、いきなり親しみが湧くんだけどな。
「あー、ちょっと待ってろ」
そう言って上白沢さんは子供達の方へ戻っていく。
「お前達、暗くなってきたからこれで解散。気をつけて帰れよー」
彼女は広場の人払いをしてくれた。
子供達の中には文句を言う人も居たけど、上白沢さんにはばれないように軽く睨んで黙らせる。
ふふふ、彼女の役に立ってしまった。
「? まぁいいか」
「どうしたんです?」
彼女が戻ってきたときには人当たりのいい笑みを浮かべて迎える。
「いや、気にするな。それより弟子にしてくれとはどういうことだ?」
「はい、上白沢さんの子供達に好かれている様子を見ていて心から羨ましいと思いました。
生きる姿勢に憧れました。
是非ともあなたの近くでその生き方を学びたいと考えたのです」
偶に自分でも凄いと思うほどすらすら言葉が出てくる。
私め、只者ではないな。
「それは感心だな。で、本音は?」
本音は? と聞かれても服の感想しか出てこない。
元々何を話していいかさえ分からないんだから。
「……個性的な服でかっこいいですね」
「分からんやつだな、お前は一体何が言いたいんだ?」
「取り合えず弟子にして下さい。お約束として玄関の所まで付いて行きますよ」
「迷惑だ」
「知ってます」
彼女は大きく溜息を吐いた。
……何ゆえ!?
「分かった。家に招待してやるから付いて来い。詳しい話はそこで聞いてやる」
「始めからそう言ってくれれば……」
ボソ
「何か言ったか?」
「不思議な髪の色ですね」
素早く話題をすりかえる。
「これか? 特徴的なことは認めるよ」
「染めたりしてないんですか?」
「地毛だよ」
「謎は深まるばかりですね」
「そうだな。……さっさと行くぞ。こんな所で立ち話もアホらしい」
上白沢さんは前に立って歩き出した。
私もその後についていく。
……私こっちに来てからいつも誰かの後ろを歩いてる気がする。
それ以外のときは確実に迷うし。
仕方ないとは言え、何となく悲しくなる事実だった。
「上白沢さん、ちょっといいですか?」
緩やかな坂道を登りながら話しかける。
「どうした?」
振り返りもせずに相槌を打つ上白沢さん。
話すときにはちゃんと人の顔を見なさいと習わなかったのだろうか?
でも私は気にしない。
むしろ、ムーンウォークをしながら会話をされても怖い。
何だ……普通じゃん。
「『上白沢さん』て、泣きたくなるほど呼びにくいんですけど。
心の中であなたを呼ぶときに何回代名詞に変換しようとした事か……
実際に何回か無理してますし」
「……? よく意味が分からんが、下の名前で呼べばよかろう。『偉大なる慧音様』と」
「!! 安心しました。『偉大なる慧音様』もボケるときはボケるんですね」
「それが、心のゆとりというものだ」
「同感です」
取っ付きにくい真面目な人かと思ったら、属性が突っ込みに偏っていただけだった。
これなら私が積極的にボケていけば丁度バランスが取れる。
この人とはいいコンビを組めそうだ。
「話を戻しまして、呼び方のことですが……」
「何でも構わないぞ」
「それじゃあ……」
『慧音』は少し馴れ馴れしい気がする。
呼び捨ては一度美鈴の前例があったけど、アレは特別。
やっぱりここは『慧音さん』が一番無難かな……。
「『慧姉』でいいですよね」
「はっ?」
やった。相手の予想外の答えだったらしい。
一歩リードした!
「呼び方ですよ。師匠として敬いつつ語呂もそこそこ。中々のモノでしょ?」
「……ふ」
ふ?
「あはははははは。『慧姉』か、それは面白いな」
いきなり大笑いされてしまった。
こんな所で笑われても恥ずかしいんですけど。
「じゃあ、『慧姉』でもいいんですか?」
「お前は表情も変えずに面白い事を言う」
「ええ、偶に素で言ってるのかボケているのか、誤解される事があります」
「お前のは分かりにくいからな。それで、今回はどっちだ?」
「今回は……半々ですね」
期待半分、ボケ半分。
駄目もとで挑戦。
「そうか……まぁ、いいだろう。今までそんな呼び方をするヤツもなかったしな」
見事慧姉は市民権を獲得した。
言ってみるものだなぁ。
ノリもいい人で助かる。
「慧姉の家までまだ掛かるんですか? ってやっぱり微妙ですね、この呼び方」
「今更他のは認めんぞ」
いいですよ、分かってますよ。
きっとそのうち慣れるもん。
ケチ。
「分かってますよ……で、どうなんですか?」
「ああ、この坂を上ったところにある」
「慧姉は高い所が好きなんですか?」
「そう言うわけではないがな。別に馬鹿ではないから安心しろ」
むむぅ、そこまで読まれてしまったか。
結構手強い。
「何か理由でもあるんですか?」
「私の家からだと村が一望できてな、便利なんだ」
「景色も良さそうですね」
「それもあるな。唯、村から少し歩くから不便でもある」
「さっきと言ってること反対ですよ」
「状況に応じてだ」
そんなものかな? そんなもんらしいです。
上手く煙に巻かれた気もするけど、ま、いっか。
「よし、着いたぞ。『麗しの慧姉亭』にようこそだな」
「フルコースとか出てきそうで楽しみですね」
「む、悪いがそこまでの御持て成しは出来ないぞ」
「それなら他のサービスに期待しましょう」
「ふ、図々しいヤツだ」
慧姉の家は木造の一軒家だった。
余り大きくはないけど、一人で暮らす分には十分な広さがある。
もちろん二人でも余裕だろう。
それにここからは慧姉の言ったとおりに、村を一望でき、景色も良かった。
「隠居生活でもしてるんですか?」
「私のどこを見たらそうなるんだ?」
「暮らしてる場所」
「失礼な」
私たちは笑いながら玄関をくぐる。
今まで押して運んでいた自転車は、邪魔にならないよう端に置いておく。
時刻は既に夕飯を告げようとしていた。
「その辺に座って待っていてくれ。夕飯の用意をしてくる」
慧姉はキッチン……この場合は台所かな……に消えていく。
「カレーですか?」
「いや、和食だ」
「惜しい!」
「全てカレー味にして欲しいのか?」
「そんないらない技を使わないで下さい」
「ちっ」
うわっ! 今慧姉が舌打ちした。
もしかして、私が止めなかったら本当にカレー味の料理が出てきたのかな。
興味はあるけどすぐに飽きそうだ。
落ち着いたところで案内された部屋を適当に観察する。
ここは和風の家らしく、下は畳でとても落ち着く。
やっぱり日本人は畳だね。
紅魔館は洋風の作りでいまいちしっくりこなかった。
私は部屋の真ん中辺りに置かれているちゃぶ台の前に腰を下ろした。
壁端には本棚がいくつかあり、中には歴史書の類いをぎっしりくわえ込んでいる。
頭痛くなりそ……。
後はテレビもないから、こまごまとした物がその辺に置いてある。
他には大きなノッポの古時計ぐらいか……。
ぼーっとしながら、台所に消えていった慧姉を待つこと三十分から一時間ほど。
待つ時間に偉く幅があるのは何故?
「待たせたな」
「待ちました」
「そうか、悪かった」
「反省してください」
「すまない、カレー味にするのを忘れていた」
せっかく持ってきた料理を手にしたまま、台所に引き返してしまう慧姉。
ああん、いけず。
「わぁ、謝りますから。そのままでいいですー」
「それは残念だ」
足にしがみ付いて必死に阻止する。
慧姉も冗談だったらしくあっさりと料理を並べていく。
ふぅ、危なかった。
私は並べられた料理を見て思わず舌なめずり……は下品だから喉を鳴らす……ってのもあまり変わらない?……じゃあ目を輝かせる。
幻想郷に来てから今まで、まともな食事を取っていなかった。
胃の中に入れた物は、紅茶と水と、おにぎり一つと三分の一個。
……ひもじかった……
ちゃぶ台の上にはご飯におみそ汁、焼き魚やお漬物、他には……筍料理?
そんなところか。
「どうした?」
「何でもないです」
「そうか。では、いただきます」
「いただきますんぐんぐ」
「はやっ!」
うぅ、ほとんど一日ぶりのご飯が胃に染みる。
味もいいし……生きててよかった。
「もう少し落ち着いて食べたらどうだ?」
「んぐんぐ、そうですね、んぐんぐ」
「口の中に食べ物が入ってるときに喋るな。行儀が悪いぞ」
「んぐ。……すいません。そうでした」
慌てて食べたら注意されてしまった。
人の家に招待されてるんだから、マナーは大切だね。
気をつけよう。
「慧姉はここに一人で暮らしてるんですか?」
「ん? いきなりなんだ」
「一人暮らしって大変じゃないですか? 主に家事とか家事とか、他にも家事とか」
「別にそんな事はないが、お前はそうなのか?」
「慧姉が来てくれれば何も問題はありませんね」
メイドさんが駄目だったから、今度は家政婦さんを狙ってみる。
家は年中無休でスタッフ募集中です。
「ほう、私は高いぞ」
誰かさんと似たような返答だった。
今回は私のほうで、もう少し粘ってみる。
「自慢ですけど、薄給ですよ」
「具体的には?」
「目一杯頑張って、月給でコイン一個!」
「ふむ、お前にしてはかなり思い切った決断じゃないか」
……しくしくしくしく。
私って慧姉にそんな風に見られてたんだ。
ふん、本当はそんなに困ってないもん。
貧乏性なだけだもん。
慧姉は私の様子なんか気にした風もなく、ご飯食べてるし。
……ぐれてやるー。
「ぐっすん、まだ答え聞いてませんよ」
「当然お断りだ」
いいですよ。
私だってこんなおっかない家政婦お断りです。
負け惜しみじゃないよ。
きっと。
「あ、おかわり貰っていいですか?」
「ああ、ほら」
ご飯をよそってくれる慧姉。
ああ! やっぱり家にきてほしい。
こうして、私は二匹目のドジョウも逃がしてしまいました。
……使いかた違くない?
楽しい夕飯も終わり、私は部屋の中でマッタリしていた。
だって他にする事ないし……携帯も圏外だし。
帰ったら、メールと着信が山のように溜まってるんだろうな。
『早く来い』とか『サボってないで出ろ』とか。
そんな心温まるようなのが。
サボり癖があると、誰も心配してくれないんだよねー……。
隣の部屋では慧姉が洗い物をしているらしい。
水の流れる音が聞こえてくる。
ゴロゴロ…………ひ~ま~。
「暇そうだな。風呂が沸いてるから入ってきたらどうだ?」
びっくりして跳ねるように起き上がる私。
台所からは慧姉が顔だけ覗かせていた。
「いいんですか?」
「悪いのに勧めたりはしないよ。ほい、タオル」
タオルを投げ渡される。
昨日から入ってなかったから助かった。
こんなにいい人なのにもったいないな。
……って私普通に馴染んでるけど、話しを聞いてもらうために招待されたんじゃなかったっけ?
慧姉からも促してこないから忘れそうになっていた。
この家って凄い素敵空間。とっても落ち着く。
「じゃあ、お先にいただきます」
私は風呂場に向かった……。
「ふ~、今日も疲れたー」
浴槽に入ると自然に声が漏れた。
お湯に浸かると何で一日が終わるような気がするのだろう?
「ん~っ」
指を組んで前に伸ばす。
浴槽の中でよくやる柔軟体操。
湯加減は熱くもなく冷たくもなく丁度いい。
気持ち良すぎて眠くなる。
私は湯船で溺死ごっこをする前に、今日あったことを振り返ってみた。
十六夜さんにストラップを上げ、慧姉のことを教えてもらう。
彼女はちょっと抜けてるところもあり、気があった。
中庭に出てからは美鈴をからかって、十六夜さんからおにぎりを貰った。
紅魔館を出てからはチルノに湖を凍らせて……。
「まだ、自転車の名前決めてなかったなー」
気が向いた時にでも考えればいいか。
チルノと一緒に考えた中では『湖上の氷精轢殺カーニバル』が語呂もよくて気に入っていた。
間違ってもそんな名前をつけるつもりはないけど。
湖を渡ってチルノと別れた後は……。
「は~、やめとこう」
……もう、振り返らないと決めたから。
その後に慧姉と会って現在に至る、っと。
それにしても一日でいろんなことがあった。
これだけ時間の進みも遅ければ疲れもするな、と頷く。
……長かった。
「湯加減はどうだ?」
洗い物を終えたらしい慧姉が、様子を伺いにきたようだ。
扉の向こう側にぼんやりと影が移る。
「ちょうどいいですよー」
「それは良かった」
「覗かないでくださいよ」
「そんな事するか。私も入ろうと思っただけだ」
はっ、入る?
「どこに……ですか?」
「風呂に決まってるだろう」
「私が入ってますよ?」
「二人で入った方が燃料が浮くんだ」
言いながらも服を脱ぐ衣擦れの音が……って流石にそこまでは聞こえないけど、うわわ、どうしよう。
「ちょ、ちょっと待って下さい。今出ますから!」
「気にするな、減るもんじゃなし」
気にするよ。
慧姉スタイルいいんだから。
どうしよう。ここじゃ逃げ場もないし。
ひーん、詰まれてるよー。
十六夜さーん、空間弄って何とかしてー!
『分かったわ、任せて』
…………
何私は馬鹿な妄想を膨らませてるんだ。
現実逃避してる場合じゃないのにー。
ああぁー、そんな事やってる間に、もう扉に手掛けてるし。
カラカラカラカラ。
「よっ」
「あはは、こんばんは」
爽やかな挨拶をしてくる慧姉。
私は出来るだけ湯船に浸かりながら、乾いた笑いと共に返事を返す。
開き直った方がいいのかな?
ザパーン。
「すまないが、もう少し詰めてくれるか?」
「はは、分かりました」
お湯を体に掛けてから私の隣に入ってくる。
えーっと、近すぎるよ!
いや、そんな事言えないし。
「…………」
「…………」
うぅ、無言が痛い。
いたたまれない。
間が持たない。
「慧姉は……大きいですね?」
「そうか?」
って、私何か口走っちゃった。
だってだって、何を話していいか分からないんだもん。
誰か助けてー。
……違うんだ、ルーミア!
これは浮気じゃない。
不可抗力何だよー。お願い信じてー。
「お前のも中々だと思うぞ」
「あ、ありがとうございます」
意味不明なお礼を言う。
嗚呼、開き直ってしまいたい。
「そう言えば、家にあがる前にサービスに期待しているとか言ってたな。
……背中、流してやろうか?」
「!」
うっ、確かに言った気もする。
何もこんな所で思い出さなくても……。
慧姉の笑みが怖いよ。
私が何も出来ないことを知っていて、楽しんでいる。
あれはそういう邪悪な笑みだ。
それが分かってもどうしようもないんだけどさ。
「け、結構です」
「特別に髪の毛も洗ってやるぞ」
ずるいよ。
余所者だと思って舐められてる。
今から開き直ったとしても効果的な反撃は出来そうにないし。
しくしく。
「いいのか? じゃあ私は流してもらおうかな?」
「ごめんなさい、許してください」
とうとう私は謝って許しを乞う羽目になった。
私悪くないのに……何で謝らなくちゃいけないの?
「しょうがない、残念だが許してやろう」
慧姉が出るまでの間、私は湯船に浸かりっぱなしだった。
当然のぼせましたよ。私が悪いんじゃないけどさ。
何が悲しくてお風呂に入ってこんなに疲れなくちゃいけないの?
服を着て風呂場を出たところで、慧姉が待っていた。
「長湯だったな」
「そうですね」
誰の所為だと思ってるんですか!
「いい湯加減だっただろ?」
「……そうですね」
一時間ぐらいずっと浸かりっぱなしでしたよ。
「のぼせなかったか?」
「そうですよ」
ばっちりです。
「仕方ない、ほら」
水で濡らしたタオルを渡してくれた。
こんな事に気を利かすぐらいならやめてくれればいいのに。
「ありがとうございます」
文句を言う気力もなく、私は素直に受け取る。
ふらふらな体を慧姉に支えられながら、食事をした居間にまで連れて行ってもらった。
完敗だった。
「はぁ、はぁ。……熱くて、だるい」
「軟弱なヤツだな」
ここぞとばかりに苛める慧姉。
私この家にきてから、いいように遊ばれてる気がする。
十六夜さんとも互角に渡り合ったのに、相性の問題かなぁ?
「ちょっと待ってろ……」
「……?」
「……あったあった」
どこかに行っていたかと思ったら、うちわを持って戻ってきてくれた。
それで、床に寝てぐったりしている私を仰いでくれる。
……ごくらくー。
「すまなかったな」
「次はやめて下さいよ」
「そうだな、次の次まではやらないよ」
「この先ずっとやめて下さい」
「それじゃつまらんだろう」
楽しがってるのは慧姉だけです。
駄目だ。相手のテリトリー内ではどうしても分が悪い。
どこかに結界を破るキーワードはないものか。
「お前は私の弟子になりたいそうだな」
「そんな事言ってませんよ」
「そう言えばそうだな」
話を合わせてくれる慧姉。
私は簡単に事情を説明した。
「幻想郷の外に出たいんです」
一言で終わった。
「そんなことか。始めからそう言ってくれればいいものを」
「そう言ったつもりだったんですけどね」
「全体の九割ぐらいしか伝わってなかったぞ」
そこまで伝われば十分でしょ。
「やっぱり、ほとんど分かってたんですね」
「ん、ばれてたか?」
「普通私みたいのを家には上げないです」
自分でいうのも何だが、かなり怪しい人物だ。
「そんな事はない。私は人間が好きだからな。
救いを求める者なら、大抵は助ける」
「まるで慧姉が、人間じゃないみたいな言い方ですね」
「……私は……人間だよ」
「……ですね」
「……」
「……」
短い沈黙。
「……外に出る話だがな、数日待ってくれないか?」
「ああ、はい。何とかなるんですか?」
「任せておけ。何とかしてやるさ」
「頼りにしてます」
そこで慧姉の口がニヤリとつりあがる。
風呂場で見せた邪悪な笑み再び。
「替わりに私の仕事を手伝ってもらうがな」
「な、何ですか?」
「その前に、勉強は出来るのか?」
「ある程度には」
外の世界では平均的なところだった。
得意なのと苦手なのでかなりの開きはあるけど。
ここでの基準が分からないので、どう答えていいのかよく分からない。
「得意なのから順に言ってくれ」
「えぇっと――」
手を持ち上げて指折り数えていく。
「――数学、国語、理科、地歴ですね」
「外国語は?」
「聞かんで下さい」
日本人だから他の国の言葉なんて使わないもん。
点数が赤くたって気にしない。
「おかしな順番だな」
「自分でもそう思います」
「暗記物が苦手なのか?」
「面倒くさいんです」
外国語は途中で単語を覚えるのを放棄した。
当然そこから付いていけなくなるわけだが。
教師の教え方が悪いと、最後は逆切れした。
「まぁいい。数日の間、私と交代で子供達の勉強を見てやってくれ」
「私でいいんですか? 不安なんですけど」
「数学だけで構わない。後は私が教えるから」
「慧姉は数学駄目なんですか?」
「私は文系だよ」
まぁ、そのぐらいなら出来るかもしれない。
「どのぐらいからですか?」
「そうだな、ちょっと待て」
なにやら、紙にペンで問題を書き始めたようだ。
私は試されるらしい。
こういう時のお約束として、[1+1= ]、なんてのが来るに違いない。
「では、行くぞ……」
一応身構えてみる。
[1+0= ]
……自分が甘かったらしい。
これは問題にもなっていないのではないか?
そこを×にしてくれれば、もう少し問題らしくなるのに。
どうして+のまま?
教~えて~、おじい~さん。
「……1ですか?」
「うむ、正解だ」
簡単すぎて逆に不安にさせるような問題だった。
「難しかったか?」
「どきどきしました」
真剣に引っかけを疑った。
「冗談はともかく、分数の和と差、積と商が求められれば大丈夫だ」
「いきなり専門用語使ってますけど、慧姉はその辺から出来ないんですね?」
「次は歴史の問題いってみるか?」
「連立方程式って知ってます?」
「ふふふふふ」
「ははははは」
お互いに威嚇するように笑い合う。
ちょっと不気味な、一触即発な空気が流れだした。
そのきっかけは下らないことだったけど、私の体も大分冷えてきたので調子は戻っている。
うちわの風が気持ちいいので口には出さない。
「ははは、そのぐらいなら頼まれましょう」
「ふふふ、それは助かるな」
私も慧姉も、譲れない何かを持っているらしく一歩も引かない。
笑い合いというか。睨み合いというか……。
そんなようなものは、私が眠くなってリタイアするまで続いた。
結局負けてるし。
後で人別に勝敗表作ってみようかなぁ……?
そしてルーミアに言い訳する「私」にニヤリ
一番のツボは、連立方程式の出来ない(?)文系さんだったわけですが
きっと微積分はおろか虚数とか三角関数とかで四苦八苦しておられることでしょう
・・・三途の河幅を求められる藍さまなら数学得意かも
それはさておき、歴史って・・・「私」は人間の世界しか知らないのを
認識した上で問題出そうとしたんだろうか
・・・どっちの歴史を出題する気だったんだ?
自分的にはこの性格で女は少々無理があるかなー、と思わない今日この頃。
まぁ、面白ければ全てが小事ナリ。 次回もまったり楽しみにさせて頂きます。
とりあえず慧姉という呼び方はもっと流行るべきだと思うんだ。
んなわけで次回も楽しみに待っておりますね。
もし男だったら慧姉とお風呂に一緒に風呂に入った時点で、
鼻に指突っ込んでシゲルビンタですよ。
それはともかく相変わらずテンポの良い会話。読んでて気持ちが良いです♪
数学のできない文系な慧姉に共感しました。三角関数なんて地獄です。
ともあれ、今回も良いお話、ありがとうございました。
ここで空柩のキルシュタインを思い出したのは私だけじゃないと思う。きっと。