まだ歪んだ月と永い夜の事変が起きるよりも昔の話。
竹林の奥に在る永遠亭。
主は永遠の姫、その従者は蓬莱の薬師。
その配下は地上の妖怪兎たち。
そこに月から逃げてきた兎が匿われてすぐの話。
「この子が今日からうちで世話することになったレイセンよ。二つ名は優曇華院にしたからみんなウドンゲって呼ぶように。」
「「「はーい」」」
「ちょっと待てその二つ名はなんかいやだ!」
「あら?命の恩人にして師匠にその口の聞き方は何かしら?」
「すいませんごめんなさいもうこんな口利かないんでその注射器納めてください!」
レイセンが夜空に浮かぶ丸い珠から逃げ出して、竹林に倒れていたところを永琳に助けられてから数日。
意識を取り戻したレイセンから事情を聞き、輝夜が匿うことを決め、それが翌日の兎の集会で発表された。
「ちなみにこの子は私の弟子にします。したがって私の専属になるからもう兎でシフト組まなくてもいいわよ。」
この発言に、表情には出さず心の中でほとんどの兎が歓声を上げた。
今までは日替わりで永琳の助手や小間使いなどをしていたのだが、その仕事には新薬の実験体や道楽の相手も含まれていた。
今までに全兎にこの仕事が回り、全兎が過労で倒れた。
主に精神的な過労で。
「えーと、よ、よろしくおねがいします・・・。」
「じゃ、これでかいさーん。」
なぜかご機嫌の永琳が解散の号令をかけて、この場はお開きとなった。
兎が自分の仕事場に散っていく中、一匹だけ動かない兎がいた。
因幡てゐ。
妖怪兎の中でもっとも力が強いてゐは実質永遠亭ナンバー3だった。
しかし、レイセンが永琳の弟子にして直属になったため、権力的にはてゐはナンバー4に落ちることになる。
そのことがてゐは気にいらなかった。
腹黒いこの兎は今まで巧みな話術とその外見で永琳と輝夜から寵愛を受けていた。
間にレイセンが割り込んだことで甘い汁を吸う回数が減ったことが一番腹だたしかった。
「てゐーちょっといらっしゃい。」
永琳が手招きでてゐを呼ぶ。
もちろん内心不機嫌のままのてゐだったが、ここは腹黒。
ニコニコと笑顔で永琳のもとへ。
「まだレイセンは永遠亭に慣れてないからいろいろと教えてあげなさい。今日明日は仕事免除してあげるから。」
じゃあね、と手を振って自分の研究室に向かう。
集会所にはレイセンとてゐの二匹だけが残された。
「えーっと・・・。」
頬をかきながらてゐの方を向くレイセン。
そこにはものすごい笑顔でレイセンを見上げるてゐがいた。
この表情だけでご飯1杯半くらいいけそうだ。
「じゃあ此処の主だったとこ案内するからついてきて!」
そういってレイセンの手をつかみ、ぐいぐい引っ張っていくてゐ。
突然体に加わる前進の力にバランスを崩して転倒しかけるレイセン。
「わっととっもうちょっとゆっくり!」
レイセンは口ではそういいながらも内心嬉しかった。
いくら永琳の客人及び弟子ということになっていても地上の兎からみれば月の兎も他の妖怪と同様余所者なのだ。
いきなり溶け込むのはいくらなんでも無理である。
そんなわけでどこかよそよそしく扱われていたのだがてゐの笑顔で受け入れてもらえたような気がしたからだ。
加えててゐは兎のリーダーであることからここから交流が生まれればいいとも思っていた。
しかしレイセンは知らない。
てゐが根っからの詐欺師であることを。
そして自分が気に入った相手にはよく悪戯をすることを。
ともかく1日目は何もなく終わった。
内容はてゐが言ったとおり永遠亭の内部案内である。
レイセンは半開きになった戸の中に拷問器具のようなものを見つけたが見間違いだと自己完結した。
部屋を一室あてがわれたので用意された寝巻きを着て寝ることにした。
夕食は筍づくしだった。
2日目の朝。
「てゐ・・・てゐが追ってくる・・・・はっ。」
まだ夜も明けきらないうちにレイセンは目が覚めた。
そしてガバッと勢いよく身を起こす。
体が汗でぐっしょり濡れていた。
「・・・・・夢か。」
どんな夢かはレイセンしか知らない。
はっきりと目が覚めてしまったからもう眠れない。
仕様がないという表情でレイセンは布団から這い出し、着替えを始める。
汗を拭いて用意してもらった服に着替え、これまた部屋に用意してあった鏡台に向かって髪の毛と耳を整える。
地上の兎は耳がくしゃくしゃになってなかった。
触ると凄くふかふかしていたが自分のはどうなんだろうとレイセンは耳について初めて悩んだ。
個性だと思うことにした。
用意してもらった服はブレザーとかいうらしい。
着心地が以外によかったのでレイセンは気に入った。
永遠亭の朝は比較的遅い。
兎は基本的に夜行性なので朝日を拝める時間にはまず起き出して来ない。
今朝のレイセンの早起きは例外だろう。
特にやることもないのでレイセンは縁側の雨戸を開けて外を眺めていた。
竹林の奥にある永遠亭からは朝日そのものはほぼ見えない。
しかし朝靄が立ち込める竹林に日光が差し込んでくる様は十分に綺麗である。
そのまま誰か起きてくるまでこうしていようかとレイセンは思っていた。
「あらウドンゲ早いのね。」
「あ、えいり・・・師匠おはようございます。」
うっかり名前で呼びそうになるレイセンを微笑みながら眺める永琳。
何故か弁解しようとしてさらに混乱するレイセン。
どこにでもありそうな平和な朝の風景。
月の戦場から逃げてきたレイセンにはここは平和そのもののように感じられた。
それが永遠に続いてきたように。
「じゃあここの朝食は師匠がいつも作ってるんですか?」
「毎日じゃないけどね。私はいつもこんな時間に起きるから。他の兎は起きたら玄関の掃除に行くし。」
成り行きでレイセンは朝食作りの手伝いをしていた。
永遠亭の台所は結構広い。
兎の数が結構なものだから一気に作るのに効率がいい大きさとは永琳の談。
氷室には大量の野菜が入っている。
これも兎が草食性だからである。
しかし永遠亭にいるのは妖怪兎のため、時たま肉も献立になることがあるらしい。
輝夜と永琳は言うまでもなく兎ではないので肉も食べるが食べたくなった時だけ仕入れると言う。
筍はそのへんから調達するらしい。
「ウドンゲは盛り付けを頼むわね。料理は見栄えも命よ。」
「は、はい。」
さすが慣れたもので鼻歌まじりで調理を進める永琳。
なんとか永琳の作業速度に追いつこうと必死なレイセン。
「箸はそこの棚の引き出しよ。」
「はい!」
「はい味噌汁できあがり、椀だして。」
「はい!」
「多分ご飯炊けてるからしゃもじでかき混ぜておいて。火傷しないように注意なさい。」
「はい!・・・あっつ!」
と、いろいろあったが朝食が出来上がった。
それを食事の間に運び終わったところで玄関の掃除やらなにやらが終わった兎が部屋に入ってくる。
それぞれ適当に料理の前に腰かけ、皆が揃うのを待つ。
レイセンもすでに座っていたが調理場の戦争の疲れで放心状態だ。
ようやく兎全員+輝夜が揃ったところで全員でいただきますと唱和して朝食が始まる。
ちなみに今朝の献立は白米、わかめと豆腐の味噌汁、煮付け、にんじんの漬物である。
賑やかな食事が進む。
レイセンもやはり空腹だったようでどんどん食を進めている。
そんな食事を眺める輝夜と永琳。
なんか幼稚園の園児と先生とか保母のような位置づけな感じがする。
「レイセン、口の周りに色々ついてるわよ。」
「へ?・・・あああああ。」
「レイセンって意外とはしたないんだね。」
「ち、ちがっちがあああっ」
食事も概ね平和である。
今日のてゐの仕事はレイセンに仕事とか決まりごとを教えることである。
仕事といってもそんなに大変なものではなく、当番制で家事炊事などをこなすだけである。
その他は永遠亭の警護くらいだ。
「警護って何か襲来してくるの?盗賊とか。」
「まず人間はこないと思うけど。たまに頭たらない妖怪が来たりする。」
「例えばどんな?」
「火の鳥。」
「は?」
「火の鳥は姫の管轄だから野良妖怪とかはぐれ人間くらいかな、こっちの担当は。」
「ふ、ふーん・・・。」
とかなんとか。
決まりごとと言ってもあまり永琳も輝夜もあまり口うるさくないのでほとんどない。
せいぜい食事の時間くらいだがそれもたまにずれる。
兎の統率はほぼてゐが一任されているからレイセンの仕事にはならない。
「まぁ気楽に過ごしてればいいって感じ?」
「ここってアバウトなんだね・・・。」
レイセンは結構諦めがついていた。
生きるうえで諦めは結構大きい要素だと思う。
「で、レイセンの能力って何?」
「へ?」
「ほら、なんか能力あるでしょ?」
「てゐのは?」
「私はほら、兎だから。人に幸運を分ける?ッて感じの能力。」
「何で疑問形?」
「だって此処に人間いないんだもん。確かめようがないじゃん?」
人間がいない?
それはどういうことだろう、と考えるレイセン。
永琳と輝夜は外見から見れば確実に人間だ。
あの二人は人間以外だということだろうか。
改めて思えばこんな妖怪だらけの屋敷に人間が長になって成り立っているというのもおかしい。
レイセンはむぅーと考え込む。
「ね、ね。レイセン。考え込んでないで能力みせてよ。」
「あ、うん。私の眼を見てちょうだい。」
てゐが言われたとおりレイセンの紅い眼を覗き込む。
変化はすぐに現れる。
てゐの視界が少し紅くなり、見えていた部屋の柱や掛け軸が二重三重と揺らいで見えるようになる。
「わ、ぐらぐらする。」
「これが私の眼が起こすことなんだけどね。」
「私の眼は月の狂気を宿してるから相手の波長を狂わせて幻視を見せる。これが私の能力。」
「へぇー。」
レイセンが軽めにかけたのかてゐも兎だったからなのか。
すぐにてゐの幻視は弱まり、視界も正常になる。
それでもまだ不思議なのかてゐは眼を手で擦っていた。
「ねぇ、それ思いっきりやったらどうなる?」
「んー・・・発狂しちゃうかもしれないね。人間だったら。」
「じゃあ私に一回だけやってみて!人間以外だから多分大丈夫だから!」
レイセンはてゐの発言を聞いてやめておいたほうがいい、と進言したが何故かてゐは頑として聞かなかった。
仕方がないのでレイセンは月の狂気を全力でてゐに浴びせることに。
「じゃあいくよ。」
「ばっちこーい!」
「せーの・・・」
レイセンは知らなかった。
因幡てゐは生粋の詐欺師であるということを。
そして気付かなかった。
てゐの右腕がいつのまにかてゐの体の後ろに回され、何かを持っていることを。
「おりゃぁ!」
レイセンの紅い眼の力はてゐに届かず、さらにレイセンの元に戻っていく。
「え?へああああああああああああああ!!!!」
眼を押さえて転げまわるレイセン。
てゐが後ろから取り出したるは手鏡。
単純に眼をつぶってレイセンに自分の眼を見せただけである。
効果は抜群だったようだが。
「あっはっは成功ぅぅぅぅぅうぅ!」
「こ、こらまてええええぇぇぇ。あぅっ」
廊下にまさに脱兎の勢いで逃げるてゐを追いかけようとするレイセンだが、自分で乱した波長が戻ってないらしくふらふらと足元が定まらない。
何とかふらふらと転んだり這ったりしながら進むレイセン。
てゐはもう長い廊下の先に姿を消してしまっている。
なんとか立ち上がれる位まで復活したレイセンは急いでてゐを追おうとして。
バランスを崩し。
ゴッ
柱に思いっきり顔面をぶつけて意識を失った。
記念すべき初・てゐの悪戯の被害。
ちなみに30分後に兎Aに発見されるまでウドンゲはそのままだった。
さらにしばらく経過した後、レイセンは自室の布団の中で眼を覚ました。
廊下への障子は締まっているが既に薄暗くなっているのがわかる。
夕焼けなのか障子は真っ赤だ。
廊下の明かりも点いている。
相当寝ていたらしい。
まだ頭がぼーっとしている。
身を起こすと額から湿った布巾が布団におちた。
「・・・・・・・んー?」
眠気も相まって眼の焦点も定まっていない。
なんとなく髪をかきながら辺りを見回すと布団の脇にあった盆が眼に入った。
盆には水が入ったコップと薬、あと色々書いてある赤紙がのっていた。
「んーと・・・症状、頭部強打による脳波の混乱、失神。
精神を安定させる薬の処方、一時安静とする。
八意医院
・・・って何が医院なんだろう・・・赤い紙に書かれても墨じゃ読みづらいよ・・・。」
いろいろな所を疑問に思いながらとりあえず薬らしきカプセルを取る。
「・・・なんでこのカプセル真っ黒なんだろう・・・。」
体の回復のためというより明らかに毒にしか見えない。
しかしこれしか薬が無いのなら仕様がないのでとりあえず飲む。
・・・別に体に変化は感じない。
とりあえず毒の類ではなかったようだ。
「じゃあ安静にしろとか書いてあるから寝てるとしますかね・・・。」
ここでレイセンは少し疑問を覚える。
何でこの処方箋は赤いのか?
赤い紙にわざわざ処方箋を書くメリットはない。
レイセンは紙から眼を離し、障子を振り返る。
未だ障子は赤いまま。
廊下の明かりが点いているのに、赤いまま。
「あれ?あれ・・?」
闇の中に浮かぶ光は全て血のような赤。
黒と赤のみで構成された視界はレイセンの不安をこれでもかと掻き立てる。
まだ気が変なのか、とコップに残った水を顔にかけ、眼を擦る。
それでも、視界に変化はない。
布団を跳ね除け、部屋を飛び出し、縁側から外に飛び出し、空を見上げる。
永遠亭から見える空は狭い。
真上以外の空は竹で覆い隠されているからだ。
黒に染まった空には雲は無く、既に星が見えている。
見える限りの空の中央には三日月も在る。
それの全てが、赤い。
「いや・・・いや・・・・。」
いくら頭を抱えても、眼を閉じていても。
世界は赤いまま。
「いやあああああああああああああああああああああ!!!!!!」
月ノ兎ノセカイハ、赤ク壊レル。
続。
竹林の奥に在る永遠亭。
主は永遠の姫、その従者は蓬莱の薬師。
その配下は地上の妖怪兎たち。
そこに月から逃げてきた兎が匿われてすぐの話。
「この子が今日からうちで世話することになったレイセンよ。二つ名は優曇華院にしたからみんなウドンゲって呼ぶように。」
「「「はーい」」」
「ちょっと待てその二つ名はなんかいやだ!」
「あら?命の恩人にして師匠にその口の聞き方は何かしら?」
「すいませんごめんなさいもうこんな口利かないんでその注射器納めてください!」
レイセンが夜空に浮かぶ丸い珠から逃げ出して、竹林に倒れていたところを永琳に助けられてから数日。
意識を取り戻したレイセンから事情を聞き、輝夜が匿うことを決め、それが翌日の兎の集会で発表された。
「ちなみにこの子は私の弟子にします。したがって私の専属になるからもう兎でシフト組まなくてもいいわよ。」
この発言に、表情には出さず心の中でほとんどの兎が歓声を上げた。
今までは日替わりで永琳の助手や小間使いなどをしていたのだが、その仕事には新薬の実験体や道楽の相手も含まれていた。
今までに全兎にこの仕事が回り、全兎が過労で倒れた。
主に精神的な過労で。
「えーと、よ、よろしくおねがいします・・・。」
「じゃ、これでかいさーん。」
なぜかご機嫌の永琳が解散の号令をかけて、この場はお開きとなった。
兎が自分の仕事場に散っていく中、一匹だけ動かない兎がいた。
因幡てゐ。
妖怪兎の中でもっとも力が強いてゐは実質永遠亭ナンバー3だった。
しかし、レイセンが永琳の弟子にして直属になったため、権力的にはてゐはナンバー4に落ちることになる。
そのことがてゐは気にいらなかった。
腹黒いこの兎は今まで巧みな話術とその外見で永琳と輝夜から寵愛を受けていた。
間にレイセンが割り込んだことで甘い汁を吸う回数が減ったことが一番腹だたしかった。
「てゐーちょっといらっしゃい。」
永琳が手招きでてゐを呼ぶ。
もちろん内心不機嫌のままのてゐだったが、ここは腹黒。
ニコニコと笑顔で永琳のもとへ。
「まだレイセンは永遠亭に慣れてないからいろいろと教えてあげなさい。今日明日は仕事免除してあげるから。」
じゃあね、と手を振って自分の研究室に向かう。
集会所にはレイセンとてゐの二匹だけが残された。
「えーっと・・・。」
頬をかきながらてゐの方を向くレイセン。
そこにはものすごい笑顔でレイセンを見上げるてゐがいた。
この表情だけでご飯1杯半くらいいけそうだ。
「じゃあ此処の主だったとこ案内するからついてきて!」
そういってレイセンの手をつかみ、ぐいぐい引っ張っていくてゐ。
突然体に加わる前進の力にバランスを崩して転倒しかけるレイセン。
「わっととっもうちょっとゆっくり!」
レイセンは口ではそういいながらも内心嬉しかった。
いくら永琳の客人及び弟子ということになっていても地上の兎からみれば月の兎も他の妖怪と同様余所者なのだ。
いきなり溶け込むのはいくらなんでも無理である。
そんなわけでどこかよそよそしく扱われていたのだがてゐの笑顔で受け入れてもらえたような気がしたからだ。
加えててゐは兎のリーダーであることからここから交流が生まれればいいとも思っていた。
しかしレイセンは知らない。
てゐが根っからの詐欺師であることを。
そして自分が気に入った相手にはよく悪戯をすることを。
ともかく1日目は何もなく終わった。
内容はてゐが言ったとおり永遠亭の内部案内である。
レイセンは半開きになった戸の中に拷問器具のようなものを見つけたが見間違いだと自己完結した。
部屋を一室あてがわれたので用意された寝巻きを着て寝ることにした。
夕食は筍づくしだった。
2日目の朝。
「てゐ・・・てゐが追ってくる・・・・はっ。」
まだ夜も明けきらないうちにレイセンは目が覚めた。
そしてガバッと勢いよく身を起こす。
体が汗でぐっしょり濡れていた。
「・・・・・夢か。」
どんな夢かはレイセンしか知らない。
はっきりと目が覚めてしまったからもう眠れない。
仕様がないという表情でレイセンは布団から這い出し、着替えを始める。
汗を拭いて用意してもらった服に着替え、これまた部屋に用意してあった鏡台に向かって髪の毛と耳を整える。
地上の兎は耳がくしゃくしゃになってなかった。
触ると凄くふかふかしていたが自分のはどうなんだろうとレイセンは耳について初めて悩んだ。
個性だと思うことにした。
用意してもらった服はブレザーとかいうらしい。
着心地が以外によかったのでレイセンは気に入った。
永遠亭の朝は比較的遅い。
兎は基本的に夜行性なので朝日を拝める時間にはまず起き出して来ない。
今朝のレイセンの早起きは例外だろう。
特にやることもないのでレイセンは縁側の雨戸を開けて外を眺めていた。
竹林の奥にある永遠亭からは朝日そのものはほぼ見えない。
しかし朝靄が立ち込める竹林に日光が差し込んでくる様は十分に綺麗である。
そのまま誰か起きてくるまでこうしていようかとレイセンは思っていた。
「あらウドンゲ早いのね。」
「あ、えいり・・・師匠おはようございます。」
うっかり名前で呼びそうになるレイセンを微笑みながら眺める永琳。
何故か弁解しようとしてさらに混乱するレイセン。
どこにでもありそうな平和な朝の風景。
月の戦場から逃げてきたレイセンにはここは平和そのもののように感じられた。
それが永遠に続いてきたように。
「じゃあここの朝食は師匠がいつも作ってるんですか?」
「毎日じゃないけどね。私はいつもこんな時間に起きるから。他の兎は起きたら玄関の掃除に行くし。」
成り行きでレイセンは朝食作りの手伝いをしていた。
永遠亭の台所は結構広い。
兎の数が結構なものだから一気に作るのに効率がいい大きさとは永琳の談。
氷室には大量の野菜が入っている。
これも兎が草食性だからである。
しかし永遠亭にいるのは妖怪兎のため、時たま肉も献立になることがあるらしい。
輝夜と永琳は言うまでもなく兎ではないので肉も食べるが食べたくなった時だけ仕入れると言う。
筍はそのへんから調達するらしい。
「ウドンゲは盛り付けを頼むわね。料理は見栄えも命よ。」
「は、はい。」
さすが慣れたもので鼻歌まじりで調理を進める永琳。
なんとか永琳の作業速度に追いつこうと必死なレイセン。
「箸はそこの棚の引き出しよ。」
「はい!」
「はい味噌汁できあがり、椀だして。」
「はい!」
「多分ご飯炊けてるからしゃもじでかき混ぜておいて。火傷しないように注意なさい。」
「はい!・・・あっつ!」
と、いろいろあったが朝食が出来上がった。
それを食事の間に運び終わったところで玄関の掃除やらなにやらが終わった兎が部屋に入ってくる。
それぞれ適当に料理の前に腰かけ、皆が揃うのを待つ。
レイセンもすでに座っていたが調理場の戦争の疲れで放心状態だ。
ようやく兎全員+輝夜が揃ったところで全員でいただきますと唱和して朝食が始まる。
ちなみに今朝の献立は白米、わかめと豆腐の味噌汁、煮付け、にんじんの漬物である。
賑やかな食事が進む。
レイセンもやはり空腹だったようでどんどん食を進めている。
そんな食事を眺める輝夜と永琳。
なんか幼稚園の園児と先生とか保母のような位置づけな感じがする。
「レイセン、口の周りに色々ついてるわよ。」
「へ?・・・あああああ。」
「レイセンって意外とはしたないんだね。」
「ち、ちがっちがあああっ」
食事も概ね平和である。
今日のてゐの仕事はレイセンに仕事とか決まりごとを教えることである。
仕事といってもそんなに大変なものではなく、当番制で家事炊事などをこなすだけである。
その他は永遠亭の警護くらいだ。
「警護って何か襲来してくるの?盗賊とか。」
「まず人間はこないと思うけど。たまに頭たらない妖怪が来たりする。」
「例えばどんな?」
「火の鳥。」
「は?」
「火の鳥は姫の管轄だから野良妖怪とかはぐれ人間くらいかな、こっちの担当は。」
「ふ、ふーん・・・。」
とかなんとか。
決まりごとと言ってもあまり永琳も輝夜もあまり口うるさくないのでほとんどない。
せいぜい食事の時間くらいだがそれもたまにずれる。
兎の統率はほぼてゐが一任されているからレイセンの仕事にはならない。
「まぁ気楽に過ごしてればいいって感じ?」
「ここってアバウトなんだね・・・。」
レイセンは結構諦めがついていた。
生きるうえで諦めは結構大きい要素だと思う。
「で、レイセンの能力って何?」
「へ?」
「ほら、なんか能力あるでしょ?」
「てゐのは?」
「私はほら、兎だから。人に幸運を分ける?ッて感じの能力。」
「何で疑問形?」
「だって此処に人間いないんだもん。確かめようがないじゃん?」
人間がいない?
それはどういうことだろう、と考えるレイセン。
永琳と輝夜は外見から見れば確実に人間だ。
あの二人は人間以外だということだろうか。
改めて思えばこんな妖怪だらけの屋敷に人間が長になって成り立っているというのもおかしい。
レイセンはむぅーと考え込む。
「ね、ね。レイセン。考え込んでないで能力みせてよ。」
「あ、うん。私の眼を見てちょうだい。」
てゐが言われたとおりレイセンの紅い眼を覗き込む。
変化はすぐに現れる。
てゐの視界が少し紅くなり、見えていた部屋の柱や掛け軸が二重三重と揺らいで見えるようになる。
「わ、ぐらぐらする。」
「これが私の眼が起こすことなんだけどね。」
「私の眼は月の狂気を宿してるから相手の波長を狂わせて幻視を見せる。これが私の能力。」
「へぇー。」
レイセンが軽めにかけたのかてゐも兎だったからなのか。
すぐにてゐの幻視は弱まり、視界も正常になる。
それでもまだ不思議なのかてゐは眼を手で擦っていた。
「ねぇ、それ思いっきりやったらどうなる?」
「んー・・・発狂しちゃうかもしれないね。人間だったら。」
「じゃあ私に一回だけやってみて!人間以外だから多分大丈夫だから!」
レイセンはてゐの発言を聞いてやめておいたほうがいい、と進言したが何故かてゐは頑として聞かなかった。
仕方がないのでレイセンは月の狂気を全力でてゐに浴びせることに。
「じゃあいくよ。」
「ばっちこーい!」
「せーの・・・」
レイセンは知らなかった。
因幡てゐは生粋の詐欺師であるということを。
そして気付かなかった。
てゐの右腕がいつのまにかてゐの体の後ろに回され、何かを持っていることを。
「おりゃぁ!」
レイセンの紅い眼の力はてゐに届かず、さらにレイセンの元に戻っていく。
「え?へああああああああああああああ!!!!」
眼を押さえて転げまわるレイセン。
てゐが後ろから取り出したるは手鏡。
単純に眼をつぶってレイセンに自分の眼を見せただけである。
効果は抜群だったようだが。
「あっはっは成功ぅぅぅぅぅうぅ!」
「こ、こらまてええええぇぇぇ。あぅっ」
廊下にまさに脱兎の勢いで逃げるてゐを追いかけようとするレイセンだが、自分で乱した波長が戻ってないらしくふらふらと足元が定まらない。
何とかふらふらと転んだり這ったりしながら進むレイセン。
てゐはもう長い廊下の先に姿を消してしまっている。
なんとか立ち上がれる位まで復活したレイセンは急いでてゐを追おうとして。
バランスを崩し。
ゴッ
柱に思いっきり顔面をぶつけて意識を失った。
記念すべき初・てゐの悪戯の被害。
ちなみに30分後に兎Aに発見されるまでウドンゲはそのままだった。
さらにしばらく経過した後、レイセンは自室の布団の中で眼を覚ました。
廊下への障子は締まっているが既に薄暗くなっているのがわかる。
夕焼けなのか障子は真っ赤だ。
廊下の明かりも点いている。
相当寝ていたらしい。
まだ頭がぼーっとしている。
身を起こすと額から湿った布巾が布団におちた。
「・・・・・・・んー?」
眠気も相まって眼の焦点も定まっていない。
なんとなく髪をかきながら辺りを見回すと布団の脇にあった盆が眼に入った。
盆には水が入ったコップと薬、あと色々書いてある赤紙がのっていた。
「んーと・・・症状、頭部強打による脳波の混乱、失神。
精神を安定させる薬の処方、一時安静とする。
八意医院
・・・って何が医院なんだろう・・・赤い紙に書かれても墨じゃ読みづらいよ・・・。」
いろいろな所を疑問に思いながらとりあえず薬らしきカプセルを取る。
「・・・なんでこのカプセル真っ黒なんだろう・・・。」
体の回復のためというより明らかに毒にしか見えない。
しかしこれしか薬が無いのなら仕様がないのでとりあえず飲む。
・・・別に体に変化は感じない。
とりあえず毒の類ではなかったようだ。
「じゃあ安静にしろとか書いてあるから寝てるとしますかね・・・。」
ここでレイセンは少し疑問を覚える。
何でこの処方箋は赤いのか?
赤い紙にわざわざ処方箋を書くメリットはない。
レイセンは紙から眼を離し、障子を振り返る。
未だ障子は赤いまま。
廊下の明かりが点いているのに、赤いまま。
「あれ?あれ・・?」
闇の中に浮かぶ光は全て血のような赤。
黒と赤のみで構成された視界はレイセンの不安をこれでもかと掻き立てる。
まだ気が変なのか、とコップに残った水を顔にかけ、眼を擦る。
それでも、視界に変化はない。
布団を跳ね除け、部屋を飛び出し、縁側から外に飛び出し、空を見上げる。
永遠亭から見える空は狭い。
真上以外の空は竹で覆い隠されているからだ。
黒に染まった空には雲は無く、既に星が見えている。
見える限りの空の中央には三日月も在る。
それの全てが、赤い。
「いや・・・いや・・・・。」
いくら頭を抱えても、眼を閉じていても。
世界は赤いまま。
「いやあああああああああああああああああああああ!!!!!!」
月ノ兎ノセカイハ、赤ク壊レル。
続。