※ネタバレかどうかはわかりませんが、この話には文花帖の内容が盛り込まれております。
ですので、文花帖を未読の方は先にそちらを読了することをお勧めいたします。
ちなみに当方、花映塚は委託待ち。
ああ待ち遠しいですわ。待ち遠しいですわ。待ち遠しいですわ。
~この間一炊の夢~
たび重ね 呑めど呑めども 酔えもせず 浸すこの身の 憂い口惜し
「どうしよう……」
一升瓶を片手に射命丸 文はガクリと項垂れた。
目の前には見るも無残な屍の山々。この惨状の原因が自分にあろうとは考えたく無かったし、当然認める気もなかった。ああ、しかし。不幸にして彼女は動かぬ証拠を握っている。それは逃れようの無いほどに決定的なものであったのだ。
「なあああ」
死屍累々と横たわった屍の山から一つの影が立ち上がった。霧雨 魔理沙である。何とか立ち上がったという感じであったが、それでもその体は単なる死に体でしかなく、ゾンビよろしくふらふらと左右に振れながら虚ろな目を虚空に揺るがせているだけであった。
「にゃあ、何だあ、こりゅああ」
呂律の回らない言葉と供に彼女の体が一瞬大きくぶれる。文はぎょっとして彼女にかけよった。
「ちょっ、危ない、危ないです!」
間一髪、危うく地面に顔を打ちつけるかといったところで、文は何とか魔理沙を抱きとめた。
「んああ、誰だ、お前ぇ?」
「文です。射命丸 文です。お分かりですか?」
「あや?あやや?おおう、わかる、わかるぞ。たしかガゼを流し続ける3流ブン……」
こりゃ駄目だ。文は魔理沙を支えていた手をパッと離した。
「記憶にも障害が出るなんて……」
げに恐ろしきかな般若湯の魔力。文はそれとなく自戒した。必要も無いのだろうが。
「ぐえ」
蛙を潰したような声はパチュリー・ノーレッジ。そしてその上には積み重なるようにして霧雨 魔理沙。どうやら地面との接吻だけは免れたらしい。運の良いものである。とはいうものの、副次的な災害は彼女のすぐ真下で広がりつつあり、文もちらりと向けた視線でその惨状を視認した。
「はあ」
零すようにして小さく溜息。一体何が悪かったのかと文は考える。
射命丸 文。職業、幻想ブン屋。日々、幻想郷を東奔西走しては様々な情報を集め、それらを清く正しくそして広く伝えるというジャーナリズムの使徒である(本人談より引用)。
事件とあらば即参上な彼女、今日も今日とてネタを探して空を飛び回っているとやけに騒がしい一帯を発見。よくよく目を凝らして見てみれば、何て事は無い毎度お馴染みの博麗神社である。例のごとく人間やら妖怪やらを集めてのドンチャン騒ぎの真っ最中であった。。
気に止めるほどの事件でもなかったのだが、かといって代わりとなるような事件があるわけでもないので、特に何も考えず文はその人山に向かっていった。
鳴かぬなら鳴かせてみようホトトギス。それが彼女の心情でもあった。
『あら』
真っ先に彼女に気付いたのは博麗 霊夢。この宴会場の提供者である。もっとも提供者であるだけで、特権もなければ恩恵も無い。むしろ宴会を開く度に後片付けに四苦八苦しているのが現状。それ故か文を見る目はどこか訝しげなものであった。新たな火種とでも思ったのであろう。
『何しにきたの?』
『いやあ、何か騒がしいなと思いまして』
ニコニコと手をすりながら文が近づく。こういったところで文は渡世術に長けていた。まずは下手に出て相手の様子を窺う。感触が悪いのならばさらに下り、感触が良いのならばそれをきっかけにして本題を切り出していく。人心を掴む手法としては当たり前のやり方かもしれないが、幻想郷ではあまりこういった例は見かけない。そういう意味であるならば、文は幻想郷の中でも変り種と言えるだろう。
『騒がしいわ。それだけよ』
霊夢はつっけんどんにそう返すと、文に背を向け人山の中に帰ろうとした。文は慌てることなくその横についた。肩を掴むなどといった愚かしいマネはするはずもない。
『いつもの宴会ですか?』
『そうよ、いつもの宴会。いつもいつもの代わり映えの無いもんよ』
邪険にはするもののきちんと文の質問には答える。この点で言うならば彼女は既に”落ちて”いる。本当に相手をしたくないのならば、聞き手の契機となるような行動は自粛するべきなのである。そう考えると、霊夢は文に背を向けた時点で負けということになるが……もっとも、彼女の場合は理解の上敢えてそうしたのかもしれない。ただ、面倒くさいという理由のみで。
『何か起きませんかね?』
『私に聞くことじゃないし、そもそもあんたがそれを聞くわけ?』
『聞きますよ、私ブン屋ですもの』
『図太いというか、無神経というか』
『根が真面目なのですよ』
『自分でいうな』
『それで……いかがでしょうか?』
『好きにすれば』
呆れ顔で微笑むと霊夢はそのまま人山の中に紛れていった。文も追っかけはしなかった。取材許可をもらえた以上、彼女に構う必要は無かったのだ。
人垣を掻き分けながら、彼女はある一点を目指した。宴会となれば必ず顔を出すあの少女。ネタを作る、もといネタを得るなら彼女に接触するのが一番手っ取り早かった。
『こんにちは』
存外彼女は早く見つかった。特徴的な黒帽子を揺らしながら、文字通り人垣の渦中で騒ぎ続ける少女……霧雨 魔理沙である。
『あー?何だ、インチキ新聞屋か』
『心外です。訂正して下さい』
『いいからいいから。まあ、呑め呑め』
『仕事中ですから』
『硬いやつだな。強いくせに』
ちぇっと心底残念そうに舌打ちをする彼女を見ながら、文の中の悪い虫が疼いた。歳を重ね相応の落ち着きを備えているとはいえ、文も幻想郷の住人には違いがなく、その根底には道楽の気構えを備えているのだ。少しからかってやろう。そう思った。
『強い、か。確かにそれも理由の一つかもしれませんね』
『あー?どういう意味だ?』
『つき合わせたら悪いと言うことですよ。例え私にとっては啄ばむ量でも、あなたにしてみれば……ねえ?』
『ほお……それは私に喧嘩を売っていると受け取っていいのか?』
『喧嘩になればいいんですけど』
ピキリと魔理沙の頬が引きつった。つくづくわかり易い娘だなあと文は心ながらに思った。
『面白え、その喧嘩買ってやる』
文の目論見どおり、魔理沙は見事誘いに乗ってきた。単純にして明快、それが故に剛直な彼女らしい反応だ。そのあたりをきちんと酌んでるのだから、文の智術の妙ともいえるであろう。
文は魔理沙が放り投げた一升瓶を受け取ると、念を押すようにして魔理沙に問いかけた。
『本当にいいんですね?』
魔理沙の顔が一層強張る。無論、これも文の目論見通り。
『吼え面かくなよ、馬鹿ガラス』
『烏は鳴くのですよ』
『じゃあ、泣かせてやるよ』
いつの間にかあたりには人の壁ができつつあった。興致には敏感な幻想郷の住人だけあって、こういったイベントにはやはり目が無いようである。
各々が遠巻きに好奇の視線をよこしながら、やんややんやと騒ぎ立てている中、博麗 霊夢だけがただ一人痛そうに頭を抱えていた。火種を火種と思いながらも招き入れてしまった彼女の落ち度ではあるのだが、かといってそれを責められるようなものはこの場にいるはずがない。一億総火種。呑気な被害者と客気な加害者達なのである。
一応文だけはそのことを自覚しているので、霊夢の疲憊な様子を見て、御免なさいと内心呟いておいた。届きはしないだろうが。
『勝負は簡単、どっちかがぶっ倒れるまでかだ』
『時間を設けて本数を競う勝負じゃなくていいんですか?そっちなら勝機がまだあると思いますが』
『お前にか?』
『……いえ、余計なことでしたね。さっさと始めましょうか』
『よし。それじゃあ、霊夢よろしく頼むぜ』
はいはいと、博麗 霊夢は面倒臭げに腕を上げた。
『最初から飛ばして行くぜ』
『そんなに逸るものじゃないでしょうに』
『違うな』
そうして、
『飛ぶのは』
火蓋は、
『お前の方だぜ』
静かに、
『成る程』
切られた。
結局それが崩落の始まりだったというわけである。
「はあ……」
文はもう一度辺りを見回し大きく息を吐いた。一時の戯れ心がこんな大惨事につながるとは思いもしなかった。
勝負自体は文の完全な優勢で、五本目を越えたあたりからその差は開きつつある一方だった。魔理沙も必死に追い縋ろうとするが、そこはやはり人間と妖怪の差であり、十本を越えたあたりで文は魔理沙が既に潰れていることに気付いた。その顔は赤を通り越して青になりかけていたが、それでも一升瓶だけは離そうとしていなかった。見上げたものだと文は正直感心していた。
……が、そこで彼女はもう一つの異変に気付いた。周りの様子がおかしい。異様に静かなのである。あれだけ騒いでいたにも関わらず(現に彼女は乱痴気な騒ぎ声をBGMにしながら酒を煽っていたわけだが)、ふと気が付けば波を打ったかのように静かなのである。
文は恐る恐るあたりを見回し……驚愕した。死屍累々、皆が皆、霧雨 魔理沙と同じように真っ赤を通り越して真っ青な顔で酔いつぶれていたのだ。その様や凄惨そのもの。誰一人としてピクリとも動かず、「ああ」とか「うう」とかいう悲痛な呻き声だけがあたりに響いていた。
このような宴会の場において暗黙的に通っている礼式がある。各々の意思とは関係なく、場という魔物が生み出す至高にして嗜好な嗜み。原因は間違いなくそれであった。煽り酒……いや煽られ酒である。
つまり、文と魔理沙が呑み比べをしていたその傍らでは、その勢いに負けんとして宴会の参加者たちが全く同じペースで酒を煽っていたということである。その場の興だけで生きている彼らにしてみれば当たり前すぎる行動ではあるのだが、文もまさか全員が全員潰れるまで煽られるとは思ってもいなかった。
当然、これだけの人数がいるのだから、酒に強い者もいれば弱い者もいるだろう。しかしながら、衆人皆屍のこの状態ではそんな事わかりもしない。居るのも在るのも無数のへべれけ達ばかり。文はほとほとうんざりとしたのだった。
「どうしよう……」
離すに離せない一升瓶を抱えながら文は当てもなく呟いた。呟いたからといって助けも答えもあるわけはなく、結局のところ彼女は途方に暮れる以外になかったのだ。
ただ、彼女は待っていた。打開にはなりそうもないが、話だけは聞いてくれそうな人物は居る。
「まったく、もう少し後先を考えられないのかしらねえ」
以心伝心とはよくいったものだろうが、彼女の場合は必然と言えば必然なので文の心中は平時のままであった。
「それは私にですか、それとも彼らにですか?」
「両方」
ニコリと伊吹 萃香は笑った。
「今日は酔ってないのですか?」
「いつも酔ってるわよ」
萃香はふらふらとした足取りで文に近づくと、ほれと瓢箪を差し出した。鬼伝法のこの瓢箪はいくら呑もうとも底が尽きることは無く、次から次へと泉のように酒が湧き出してくるのである。文も最近相伴に預かったのだが、その果てのなさを目の当たりにして並々ならず驚いた。と同時にその馬鹿馬鹿しさに呆れかえりもした。確かに自分や彼女にとっては有用かもしれない。しかし、それが有益とは思えなかったからだ。
「いえ、結構です」
「そっ」
文に執着した様子も見せず、萃香は押し出した瓢箪を手元に戻すと豪快にそれを煽り出した。大袈裟なほどに反り返らせた背中は見ていて気持ちがいいほどであった。文は萃香のそんな様子を見ながら何時か萃香がいった言葉を思い出す。
『酒を楽しむんじゃない。酒で楽しむんだよ』
幼顔を真っ赤に染めながら彼女は確かにそう言っていた。
「ぷはっ!」
満足そうな顔で萃香は瓢箪から口を離した。中身が無くなったわけではないのだろうが、傍目にはそう見えてしまう。そう見せたのであろう。
「ああ、いい酒だ」
「今日は、ですか?」
「今日も、だよ。ほら見なよ。何とも爽快な光景じゃないか」
両手をわっと広げながら萃香は屍の山々に体を向けた。その気持ちもわからんではないが諸手を上げて賛成できることでもなかった。特に当事者である文は冷汗三斗の思いのほうが勝っているので、その光景に目を遣ることすら憚られた。
「いい日、いい酒、いい肴。これだけ揃って何が不満なのよ」
「肴ではないと思いますよ。そんなに小さな事じゃ……」
「瑣末、瑣末。酒呑んで潰れるのは当然じゃないの」
「まあ、確かにそうですけど」
釈然としないものが文の胸にはあった。職業柄彼女は物事の道理をまず始めに考える。外的な基準によって自分を律するという意味ではストイックとも言えようが、正直なところそれに不自由を感じる節もあった。
「楽しけりゃいいのよ~っと」
揚々とした様子でへべれけ達の山に近づくと、萃香はある一人の少女(当然酔いつぶれているわけだが)の前にペタンと座り込んだ。
「見なよ、この幸せそうな顔」
「どれどれ……って、博麗 霊夢ですか。幸せそうですかね?私には顰めているようにしか見えないんですけど」
喜怒哀楽でいうのならば間違いなく「哀」の表情である。どう穿っても幸せとは取れそうもない。
「幸せよ~。うりゃうりゃ」
ケラケラと笑いながら、萃香は霊夢の頬を伸ばしたり縮めたりしていた。内因による歪みに加え外因による歪みも加わったせいで、彼女の顔は原型がわからないぐらいに変形(敢えてこう形容する)していた。文は笑うに笑えなかった。
「この子はね、皆で集まって馬鹿騒ぎしたりするのが楽しいの」
「そうは見えませんでしたけど。現に私が来たらげんなりしてましたが」
「そりゃ嬉しくはないわよ。余計な手間が増えるんだからさ。でもこの子は楽しいの。自分の周りが絶えず転変していくのが楽しいの」
「転変?」
「そっ」
霊夢の頬から手を離すと、今度は彼女の旋毛あたりを弄りだした。
「ぐるぐる~」
霊夢の顔が先ほどとはまた違った感じで顰む。小さく息を零しながら、じれったそうに身を捩るその姿に何故か文の頬は赤くなった。
「あぁ、この子旋毛弱いんだ」
「もう止めてあげましょうよ、可愛そうですよ」
「とか何とかいってあんたもやりたいくせに」
「……」
コホンと息を一つ吐くと、文はニッコリと萃香に微笑みかけた。当然萃香も微笑み返す。好奇心は猫をも殺す。もとい何でも殺す。犬だろうと猫だろうと鳥だろう容赦無く殺すであろう。ただ、それに気付くのは事後の話であろうし、そもそも文の辞書にそんな言葉はなかった。
「後学のためですから」
もはや詭弁ですらなかった。
~ 少 ~
~ 女 ~
~ 堪 ~
~ 能 ~
~ 中 ~
後に射命丸女史は語る。『指が全てでした』と。深い言葉である。
「話に戻りましょうか」
悦面を浮かべながらも律儀にそう切り出す。萃香はまた違った意味でそれに感心した。
「んっ、あぁ……何の話だっけ?」
「さっき言ってましたよね、この子……博麗 霊夢は自分の周りが転変する様子を楽しんでいるって。それってどういう意味なのでしょうか?」
「ああ、そのことね。何、簡単なことよ。彼女は自分では楽しめないってこと」
「自分では……楽しめない?」
「そっ。この子はねえ、自分で何かを楽しもうとしないの。いや、できないのかな?まあ、どっちでもいいけど」
「詳しくお願いします」
気がつけば文は懐から手帖を取り出していた。こういった場面ではやはり記者の血が騒ぐのだ。公と私、実に良い具合に入り交じっているものである。
「理由はわかんないけどね、この子はいつもそうなのよ。自分からは何一つ動こうとしないの。日々、最低限の暮らしを日長に行うだけ」
文の気概に触発されたのか、萃香の口も景気よく開く。一言二言喋っては瓢箪を煽り、満足そうな顔を浮かべるとまた言を継ぎ始めるのである。
「放っときゃあ何もしないのよ、絶望的なまでに」
「この場合の放っておくと言うのは……」
「干渉させるようなことをしないってこと。まあ、例を挙げるなら……ってこの場合は反例のほうがわかりやすいかな」
「反例?」
「例えば幻想郷を霧で包むとか」
「ああ」
「春を盗むとか」
「ああ」
「月を隠すとか」
「ああ」
「これらが反例。つまり彼女を放っておかないってこと」
「干渉させ得るってことですね?」
「そう。逆に言えばこういうことが無い限り彼女は不変不動」
「成る程」
文は所見を頭の中で一通りまとめると、それを忙しく手帖に認め始めた。萃香は関せずといった様子で話を続ける。
「でねえ。この子の場合、そのことに自分で気付いているんだわ。まったく性質が悪いったらありゃしないよ」
「気付くというのは、『事が起きなければ自分は不変不動だ』ってことにですか?」
「と同時にそれが楽しくないということに」
「実に興味深い」
文はいったん筆を置くと、再びその顔を萃香の方に向けた。爛々としたその瞳は明らかに生来の気からくるものであるとわかり、もはや幻想ブン屋という肩書きなど必要無いということを物語っていた。
「気付いてるし、わかっている。なのに彼女は何もしない。ここで話が繋がるってわけね」
「彼女は自分で何かを楽しもうとしない。いや、できないのだろうか……ですね?」
「そういうこと」
他人の気質は千差万別とも言えど、博麗 霊夢に限ってはそう括るのも躊躇われる様に思えた。あまりにも不自由ではないか。そう言えた義理ではないのかもしれないが、少なくとも自分は不器用ではない。憂いを感じようとも、それを飲み込める気構えぐらいは備えている。
しかしながら、彼女の場合はどうだ。自分の性を知りながらも、敢えてそれを看過しようしているのだ。その心や如何に、である。変わり者というより、ただの気狂いのようにしか思えなかった。
「時々、私は思うのよ。この子があって気質があるのか、気質があってこの子があるのか。この子は生きてるのか、生かされてるのか」
「難儀ですね」
「だからこそ、この子が笑ってるなら私はそれで十分楽しいわ。例えそれが転変のせいであってもね」
そう言って萃香は一際大きく酒を煽った。頬の赤みは酒のせいだけではないだろう。文はその様子に何か懐かしいものを垣間見た。だからであろうか、気付いたらいつの間にか口が開いていた。
「皆、楽しいですよ。転変というと悪く聞こえるかもしれませんが、こうやって馬鹿騒ぎをするのは普通に楽しいですよ」
「そうね、馬鹿騒ぎはいいよね」
「はい」
零すようにして破顔する二人。しかしながら、文は萃香のその笑顔にふと翳が射したように感じた。
萃香は静かに瓢箪を口から離すと、小さく息をついた。
「いい日、いい酒、いい仲間。なのに酔えないときてる」
ポツリと呟く。それは苛立たしげでもあったし、哀しげでもあった。
「飲む?」
文は差し出された瓢箪を受け取ると、それをちょびと口にした。芳醇な風味が舌を通して口内に広がり、流し込んだ喉からは漏れるようにして熱が溢れてくる。心地がよかった。紛うこと無き銘酒であろうと文は改めて認識した。しかしながら、それは同時に一抹の物足りなさを喚起させるものでもあったのだ。やはり、有用であるが有益ではない。萃香も同じ気持ちであったのであろう。
「酔えない……ですね」
高揚はすぐに収まり果ての無い空しさだけが広がってきた。察したようにして萃香は苦笑いを浮かべる。
「飲兵衛も度が過ぎるとつらいもんだねえ」
暖簾に腕押し、糠に釘、ザルに旨酒というわけである。生来飲兵衛の二人にとっては、酒とはもはや響きだけのものであって、そこに特別な意味合いなどは無い。水以上でもなければ以下でもないそれは、彼女たちに上っ面の感情しかよこさないのである。故に彼女たちは脳で呑む。虚しいと知りながらもそうせざるを得ない。
結局のところ、その二人の違いと言えば、
「でも、いい酒だよ、ほんと……」
割り切れているか、
「それには同感ですけど……」
割り切れていないかということである。
「「はあ」」
二人は同時に溜息を吐いた。
「皮肉なもんですよね。こんな呑み助達の山を眺めながら、酔えないものか酔えないものかと頭を悩ませているのですから」
「まったく、私はこいつらが羨ましいわよ。こんなになるまで、一体どれほど呑めばいいんだか」
文には想像もつかなかった。いや、想像はしてみたが途中で怖くなって止めたのである。無限で測れないものをどうして有限で測ることができようか。そう思っていると、萃香がやけくそ気味に瓢箪を煽りだした。豪快といえば豪快かもしれなかったが、けして爽快な呑み方ではなかった。
「……また、哀しいもんですね」
「今度は何が?」
「いや、さっき散々博麗 霊夢のことを変だ変だって言ってましたけど、考えようによっては私達も似たもの同士かもしれませんから」
「……」
萃香は黙って瓢箪から口を離した。話を続けろという合図である。
「”楽しい”を待ってるんですよ、結局のところ。ただ、博麗 霊夢はそれにがっついてなくて……」
「私達はがっついているってこと?」
「彼女にとって良い解釈をした場合ですね。志向がある分私達の方がマシと考えることもできますけど」
「そりゃそうさ。興趣を模索することのどこが悪い」
「わかってます。わかってますけど……」
それっきり文は口ごもった。萃香もしばらくは俯いていたがややあって再び瓢箪を煽りだした。
「まっ、いつかは酔えるさ」
「だといいですけど」
苦々しく笑う。
「呑もうか」
「そうですね」
受け取った猪口にはななみなみと清酒が注がれていた。
酔生夢死。例えばそんな一生。酔夢のように儚くそして意味の無い人生……果たしてそれは不幸なのであろうか。想像もつかない。酒ですら夢を買えない自分には到底わかりそうもなかった。
文は小さく猪口を傾けた。中の酒がわずかに揺らぎ、映りこんだ自分の瞳が曖昧にぶれる。人生かくありなん。自然とそんな言葉が口をついていた。
「それにしても」
萃香がボソリと呟く。
「あいつらはいつになったら起きるのかねえ」
「夢でも見てるんじゃないですか」
「ああ、そんな顔よね」
へべれけ達も大分酒が抜けてきたらしく、その表情にも穏やかさが戻ってきていた。一安心といったところだろうか。文は萃香に気がつかれないようにして小さく安堵の息を吐いた。
「で、どうするのこいつら?」
「さあて、どうしましょうか」
悪戯っぽく笑うと文は静かに腰を上げた。肝は決まっていたのだ。
「見殺し?」
「そういう人殺しもあると聞きます」
「以外と嫉妬深いやつね、あんたも」
「余計なお世話ですよ」
小さく舌を出す。そうして懐から先程の手帖を取り出すと、文はそこにさらさらと何かを綴り始めた。
「記事?」
「ブン屋ですから」
「暴れるの?」
「天狗ですから」
「鬼ね」
「鬼ですとも」
ありのままのものをありのままに映し出す究極の客観。記者である以上、そこを安着の地とするのならば、なるほど名目としては十分であろう。公正、公平、公然。それが自分に求められところであろうし、極めるとことでもあろうと文は考える。では、新聞とは鏡となり得るであろうか。答えは否であろう。何故なら、文面とは現象ではなく幻象であるからだ。反射するのは光ではなく言葉である。そうしてその言葉を紡ぐのは他でもない、曖昧模糊な書き手自身なのだ。
ともなれば、「究極の客観」などと言う言葉は机上の空論に過ぎない。所詮絵に描いた餅であり、結局のところ単なる夢絵巻にしか終始しない。しかしながら……いや、だからこそと言おうか、見るのも醒めるのも自由なのである。好きな時に焦れればいい。好きな時に忘れればいい。誰も責めはしないだろう。
だが、文にはそれすらも遠い話だった。彼女は夢を見れない。描くこともできなければ、当然焦れることもできない。故に彼女には目指すしかないのである。彼女は今も現の中を生きている。
「あんたは何で新聞を書くの?」
「天狗は元々噂好きですから」
「それを何で配るの?」
「多くの人に読んで欲しいからです」
「楽しい?」
「楽しくなけりゃ、やってませんよ」
手帖を閉じると文はふうと息を吐いた。書けることは書き込んでおいた。後はこれをどう料理するかである。考えると少しだけ胸が躍った。
そこで文はふと自分に向けられた視線に気が付いた。見ると、萃香がニヤニヤとした目で自分を見ている。すぐさま文は得心した。思わず顔を伏せる。
「”楽しい”ですね」
ごにょごにょと呟く。心の奥底を擽られるようなむず痒い気持ちだった。
「この幸せもんめ」
心痛い萃香の揶揄を背に受けながら、文はそそくさと足早にその場を離れた。耳まで真っ赤なのはきっと酒のせいであろう。
「あっ……」
一瞬、ほんの一瞬だけ、視界がぐらりと揺らぎ、文は思わず体勢を崩した。足を解れさせながらも倒れるまでには至らず、何とか地面に手をつくだけに留まっていた。文は目をぱちぱちと瞬かせながら、幾度と無く地面を眺めた。その頃にはすっかりと視界も元に戻っており、いつもの通りの現が文の目の前に広がっていた。
「何やってんのよ」
呆れたようなその声が背中に投げかけられる。文はぺたぺたと何度も自分の体を触りながら、異変らしい異変がないかを確認した。夢か現か。文はその機微を必死に思い出そうとしたが、どうにも具合が悪く、薄ぼんやりとしか思いだせなかった。それでも文にはそれで十分であった。いや、十分であると思っていた。
これもまた一興と心の中で呟きながら立ち上がると、文は萃香の方に振り返り静かに口を開いた。
「酔っちゃったみたいですね」
満面の笑みであったという。
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【文々。新聞】
第百※※季 長月の一
「博麗神社で謎の集団昏倒」
○月×日、博麗神社において原因不明の昏倒事件が発生した。規模はかなり大きく、少なくとも四十人以上の被害が出たようである。奇しくもその日は神社での宴会と重なっており、その参加者達がそのまま事件に巻き込まれたものだと考えられる。
巷では政府陰謀説(意味不明。現在調査中)や細菌兵器説(同じく意味不明。こちらも現在調査中)が横行しており、その詳細な原因は今の今まで不明であった。しかしながら、今回初めてこの事件の真相を当新聞独自で調べ上げることに成功した。さて、気になるその真相であるが、聊か拍子抜けのものであった。というのも、この事件の黒幕は同日神社で行われた宴会そのものであったからだ。さらに突き詰めて言うのならば、その席で振るわれた酒類ということになる。つまるところ、今回の昏倒事件は単なる酔っ払い達のなれの果てというわけであるのだ。
この件について、神社の巫女を務める博麗 霊夢(人間)に話を聞いたところ、『あんたは二度と宴会に呼ばないから』との事だった。あたかも事件と当記者との関連性を匂わせる言葉であるが、これについてはノーコメントであることを了承していただきたい。
暑さ寒さも彼岸までとはよくいったもので、日に日に真夏の茹だるような暑さは影を潜め、最近ではほのかに秋の匂いも漂いつつある。出歩くにも気兼ねのいらないこの時期、たまには幻想郷をぶらりと周遊してみるのも悪くはないだろう。もし、その足で博麗神社に立ち寄ったのならば、少し覗いてみることをお勧めする。妖怪と人間が入り交じるその場所では、もしかしたら過ぎ去りつつある真夏の夜の夢を見られるかもしれない。
(射命丸 文)
end
ごちでしたー
倒れこむ魔理沙を受け止めるパチュリーの姿に愛を感じました(違
いい話でした、GJ。
文が可愛いのは真理。冷静になってもならなくてもいいのだ。
酔えやしない。さすがに一升が限界ですが。
文も萃香も傍観者故の寂しさを知りつつ酒に酔わずに人に酔う。
それもまた飲み会の楽しみ方の一つ。やっぱこの二人の内面って似てるなぁ。
良い飲んべぇ達でした。ありがとうございました。
それはさておき、良いですよね。文と萃香。
文花帖見て以来この二人組みはお気に入りです。GJ!
この事実を語るにおいては、脚色も謙遜も躊躇もする必要は無く、修飾も比喩も佞言も弄する必要も無い。
それすなわち、魔理沙の下敷きになってかへるの如き呻き声を漏らすパチェ萌えと言うがごt(幻想郷へ
酒の匂いだけで酔える俺っていったい
文花帖読んだだけでヒットした。
それはそれとして。
やっぱり飲兵衛とくれば萃香だったか…。
二人のやり取りがとてもよい感じ。
ありがとさんです。
当方も花映塚待ち遠しいですわ。