○月×日
今日も平和な一日だった。
朝。
村の子供たちと遊んだ。
あの手この手で私の裏をかこうとする彼らは、いつも真剣で、皆一様に輝いて見えた。
子供たちは小さいながらも精一杯に生きている。
なんとしてでもあの子たちの笑顔を守ってやりたい。心からそう思う。
昼。
村の女たちの織物を手伝った。
別に自慢するわけではないが、織物の腕なら彼女たちより勝っていると自負している。
……まぁ、彼女らの祖母の、さらに上の代から織物を織っているから、これで劣っていたらさすがにどうかとも思うが。
それにしても、村の女たちのうち何人かの最近の上達ぶりには舌を巻く。
このままいけばいずれは……。
そうならないよう、私も精進しなければなるまい。
夜。
村の男たちが交代で見張りの番をしていた。
最近では竹林との境のほうにも見張りの範囲を広げているようだ。
危ないからやめろと注意はしているが、彼らにも思うところがあるのだろう、頑として意見を譲ろうとしない。
力ずくで言うことを聞かせるわけにもいかない。仕方なく見守っていることにする。
本当に危険な状況に陥ったら、迷わず能力を使ってでも助るつもりだ。
そして……。
私の忠告を聞かない馬鹿者が帰ってきたようだ。
何を言っても聞かない。
何度同じ目にあっても懲りない。
何度死ねば気が済むのか。
何度生きれば気が済むのか。
私も永い時を生きるが、所詮、彼女のようにはいかないのだと思う。
生きることも死ぬことも、彼女らにとってはもう何の意味も成さないのかもしれない。
そう思うと心が痛む。
『命を大事にしろ』ということも、『死に急ぐな』ということも、限られた命だからこそ本当に意味がある。
彼女らにはそれがない。
だから殺す。
だから殺される。
そして生きる。
そして生き返る。
私の言葉は届かない……。
□月△日
今日はいろいろなことが起こった。
朝。
子供たちと遊ぶ。
鬼ごっこでついに私が捕らえられる。
まさかこんな日がやってこようとは!
子供たちの成長を実感する。あの子らが喜ぶように、私も嬉しかった。
……さて、次は私一人対十人くらいに数を減らしてやってみよう。
何日かかるかとても楽しみだ。
昼。
村の女たちの織物を手伝う。
上達目覚しい女の一人が、なんと、今までにない新しい紋様を織り込んだ布を完成させた。
「親から教えられた織り方に自分なりの意匠を加えただけだ。たいしたことじゃない」と本人は照れ隠しに言っていたが、本当にうれしそうな顔をしていた。私の目から見ても、稀に見るすばらしい出来だったと思う。
彼女らの確実な進歩に、正直な話、少しだけ羨ましくもあった。
そのあと私に、この織物に名前をつけてくれと頼んできたことには驚いた。名前はまだ決まっていない。
夜。
見張りを始めてずいぶんと経つ。
男たちの顔つきも、だいぶ変わってきた。
何より目が違う。
妖怪を退治しようというのではない、自分たちの村を自分たちの手で守りたい、という強い決意に満ちている。
もう私も、うかつに危険だからやめろなどとは言えなくなってしまった。
時の流れは人を変える。そのことを実感する。
それなのに彼女は……妹紅は。
妹紅は今日もあの竹林に出かけていった。
いつものように、私に「絶対についてくるな」と強く念を押して。
今日はいろいろなことがあっただけに、なんだか無性に悲しくなった。
もっと周りを見て欲しかった。
子供は年をとって大きくなって、やがて大人になる。
一日一日では気づかないが、一月、二月と経てばその差は驚くほど大きい。
体だけではない、心も成長していく。
それなのにどうしてお前は変わらないんだ? いつまでこんなことを続けるんだ? 終わりなんて来ないことはわかりきっているだろうに!
口に出しては言わないが、そんな私の心情を察したのか、妹紅は寂しそうに笑って言う。
「慧音に私の気持ちはわからないよ」
と。
呆然とする私を置いて、彼女は姿を消した。
……そこから先、何があったのかよく覚えていない。
気がつくと、部屋の中が滅茶苦茶に荒らされていた。
違う。
荒らされたんじゃない。
荒らしたんだ。
私が。
息が荒い。目の前がぼやけて見える。
満月でもないのに妙に気が高ぶっていた。
これは妹紅のせいだ。
あいつがあんなことを言うから……。
「慧音に私の気持ちはわからないよ、か」
ああ、そうだよ。わかるはずがないじゃないか。お前はいつも自分の本当の気持ちを私に伝えてくれないじゃないか。
散らばった物をどけて部屋の真ん中に座り込む。
右を見ても左を見てもガラクタだらけ。
どれもほとんど壊れていて、もう使い物にはならないだろう。
きちんと整っていた私の部屋はすっかり荒れ果てていた。
まるで今の私の心をそのまま映し出しているようだった。
「……もう寝よう」
荒れた部屋は明日片付ければいい。
なかったことにしてしまえば簡単だ。
……あの言葉もなかったことにできたらどんなに楽だろう。
ふとそんなことを思う。
「お前だって私の気持ちをちっともわかっていないじゃないか……」
ポツリとつぶやいてごろんと横になる。
冷たい雫が流れ落ちる。
私は初めて、自分が泣いていることに気がついた。
草木も眠る丑三つ時。
誰に起こされたわけでもないのに目が覚めた。
部屋の中は相変わらず。酷い状態だ。
まずこれを何とかして……
「――誰だ」
戸の前に誰かが立っている。
妖怪の類ではないらしい。妖気は一切感じられない。
たまにやってくる迷い人だろうか?
どさりと重たいものが地面に落ちる音。そして血の臭い。怪我をしているのかもしれない。
私は急いで戸をあけた。
地面に誰かが倒れている。
彼女は腕が片方なかった。
彼女は体に幾つもの穴が開いていた。
彼女は全身を血で赤く染めていた。
――そして彼女は、それでも生きていた。
「またやられちゃった……慧音、そういうわけだから一晩泊めて。ぐっすり寝れば……元通りになるからさ」
並外れた生命力を持つ妖怪でも、これほどの傷を負わされればまず助からない。
しかし彼女はそれがいたって普通であるように私に言う。
かく言う私ももう慣れっこだった。
彼女は竹林の奥にひっそりとある『永遠亭』、そこに住む蓬莱山輝夜という月の住人に、ことあるごとに戦いを仕掛ける。
不老不死となった存在同士の無意味な殺し合いだ。
おおよその察しはついているが、はっきりしたことはわからない。妹紅は決してそのことを口にしようとしないからだ。
たまに向こうから刺客が送られてくることもあるが、最近はとんと来ない。こちらから妹紅が乗り込むだけである。
そしてその度に普通ならば死を免れないほどの傷を負わされて帰ってくる。
向こうにはよほど腕の立つ護衛がいるらしい。いつだったか、眠る間際に妹紅が教えてくれたことがあった。
初めこそ私は輝夜に怒り、また、こんな無茶をする妹紅に本気で腹を立てた。
一度は私も同行しようとしたが叶わなかった。
何のことはない。妹紅の力が私をはるかに凌いでいたからだ。
人も千年を生きれば妖怪などものともしない力を持つのだと知った。
以来、彼女を止めようとはしなくなった。
その代わりに、彼女がすぐに休める場所をと、村の外れにこうして庵を建てて住んでいる。
血まみれの妹紅はすでに目を閉じて眠っていた。
部屋中に散ったガラクタを片付け、布団を敷く。
その頃にはもう彼女の傷のほとんどはふさがり始めていた。
本当は服を脱がせて体を拭いてから寝かせたかったが、この際贅沢を言ってもいられない。
妹紅を抱えて部屋に運び、布団に寝かせる。
さて、ここからが私の本当の仕事だ。
妹紅は不老不死の人間。
その肉を喰らい生き血をすすれば力が格段に増すという言い伝えがある。
人魚の肉を……といったものと同じく真偽のほどは定かではないが、そのために一匹狼である彼女は時たま妖怪たちに狙われることがある。
不老不死とはいえ彼女が生きていることに変わりはない。動けば腹も空くし、疲れれば眠くもなる。
今のような状態がもっとも危険なのだ。
だから、妹紅が目を覚ますまでの約半日、彼女の血の臭いに惹かれて寄って来る妖怪たちを追い返さなければならない。
「行くか」
庵を出ようとすると、部屋の中から小さな声が聞こえた。それからすぐにわざとらしい寝息が聞こえてくる。
……馬鹿者。ごめんなんて言うくらいなら、初めからこんな無茶をするな。
そう思う反面、またこうも思う。
私に彼女を救えるだけの力があれば、と……。
×月○日
朝が来ない。
永すぎる夜に、ようやく異変が起こっていることに気づく。
空に昇る月の様子もおかしい。
何のためにこんなことをやっているのかはわからないが、こんなことをするのはおそらく『永遠亭』に住む彼女らだろう。
明けない夜、空に浮かぶおかしな月……
夜に当てられたのか、妖怪たちの行動が活発になる。
人死にこそ出ていないが、表に出た村のもの達に怪我人が出始める。
異変がいつ終わるかもわからないのだ。このままでは彼らを守りきることは難しい。
半人半獣とはいえ、私も夜の側に属するもの。力はいつもより強まっている。
今ならば村一つの歴史を書き換えても体に支障は出ないだろう。
私は人々を守るため、この村の歴史を書き換えることを決意した。
予想通り、これだけの力を使っても体になんら異常を感じることもない。
人々が消えれば、妖怪たちもいずれはここから去ることだろう。
まずは一安心といったところか。
妹紅の様子を見に庵に戻ろう。
先日も輝夜に戦いを挑んでぼろぼろになって帰ってきた。
一日寝たから傷はほとんど治っているはず。
それならと、また飛び出していかないとも限らない。
庵に向かおうとしたそのとき、何故か頭に「一難去ってまた一難」という言葉が浮かんだ。
強い力を感じる。一つは人間だが、もう一つは妖怪……?
人間と妖怪が一緒にいる? 彼ら人間と妖怪の歴史は戦いの歴史でもある。その可能性は非常に低い。
これは主従関係にあると見た方が自然だ。
ただし、妖怪を従える人間でも人間を従えた妖怪でもどちらでも同じこと。
これほどの力を持つものが何の目的もなしにここを訪れたとは思えない。
村の人間に被害が及ぶ前に早く追い返さなくては。
……………………
結論から言うと、私は敗北した。
しかも命まではとらないよう手加減までされて。
「これで終わりね」
「――っ!」
紅白の巫女の放った札に打たれて、私の最後のスペルカードが霧散する。
強い。もしかしたら妹紅よりも強いかもしれない。
彼女のように、強力な力と不死の体とで相手を圧倒するわけではないが、最小限の力でこちらの急所を的確に狙ってくる。
しかも動きに乱れがない。まだまだ本気ではないのかもしれない。
「……月の異変の原因?」
聞けば彼女らはこの異変を解決するために動いているのだという。
なんだ、と思った。
それなら戦わずに彼女らに輝夜たちのことを教えてやればよかった。
そうすればこんな無駄な戦いをしなくても済んだし、また彼女らも無駄な時間を使わずに済んだ。
私のやったことはなんだったんだ……ただ人の邪魔をしただけじゃないか。
がっかり。
ついでに
「昨今の異常な月の原因を作った奴ならあっち」
と、てんでばらばらの方向を指差している奴らに教えてやる。
二人は一言の礼もなく私の教えた方へ飛んでいった。
指の向きが70度だとか110度だとか言っていたけど、私に言わせればどちらも同じ、五十歩百歩だ。
その指差す方向に進んで『永遠亭』にたどり着けると思うならやってみろ。
まぁ、手加減されて負けた恨み言はこの辺にして、とりあえず私は庵に戻ることにした。
そういえば、一緒にいた妖怪は私と巫女が戦う様子を離れたところで見物しているだけだった。
それが何を意味するのか、あの時はわからなかったが今ならわかる。
巫女が私に負けるはずがないと確信していたのだ。彼女は。
主従関係にでもあるのかと思っていたがとんでもない。
二人の間に――少なくとも妖怪には、ある種の信頼関係が築かれていたということだ。
妖怪と人間の歴史に滅多に見ることのない出来事に、私は少しだけ嬉しくなった。
◇◇◇◇◇
異変は無事解決されたようだ。
その証拠に、あるべき場所に戻った月がいつものように幻想郷を照らしている。
平和、とは言わないが、幻想郷に日常が戻りつつあった。
村を流れる用水路が月の光を受けて白く輝いて見える。
私はその光景を庵の上から眺めていた。
いつだったか、部屋からいなくなった妹紅の姿を探しに庵の屋根に上ったとき偶然見つけたのだが、以来、私のお気に入りの場所になっている。
太く細く、田の間を縫うように走る用水路が白く輝くと、まるで大きな幾何学模様のように見える。
あの偽の月ではこうはいかない。
狂気をはらんだ光の模様を見ていると、目と一緒に心まで痛めてしまう。
やはり、この柔らかな月の光で描かれるからこそ、美しいのだ。
がさがさ。
――よいしょ。……ふっ、ぬっ……あ、あと少し……くぬぬぬ……。
なにやら後ろが騒がしいな。
誰かはわかっているが放っておいてやろう。
空を飛べるのだからいちいちよじ登らなくてもいいだろうに。まったく。
「――ぬぁっ! …………よいせっと。ふぃ~到着。慧音、こんなところでなにやってるの?」
「見てみろ。とても綺麗だぞ」
振り向かないまま私は言った。
とんとんと軽い足音が近づいてくる。
「綺麗ねえ……私には、なんだか蜘蛛の巣みたいに見えるわ」
「蜘蛛の巣か。言い得て妙だな」
確かに、村中に走る用水路が白く輝くと、張り巡らされた蜘蛛の巣のようにも見える。
それはそれで面白い例えだと思ったが、妹紅は黙り込んでしまった。
「どうした?」
「嫌なこと思い出したのよ。……あの薬師今度あったらどうしてくれよう」
妹紅は私の隣にどすんと座った。
目が怖い。よくわからないが触れないでおいたほうがよさそうだ。
しばらくして、妹紅が言った。
「そういえば慧音、あんた、今日見回りには行かないの?」
ぐさり。
何か刺さった。見えないけど私の心に何か刺さった。
横目で睨むと妹紅はニヤニヤ笑っていた。
こいつ……わかって言ってるな。
「村の男たちも大分慣れてきた。もう私の出る幕ではないだろう」
「あれー? 『慣れてきた頃が一番危ない』って言ってたのは誰だっけー?」
くっ……昨日の夕飯も覚えていないくせにいらないことだけは覚えている……!
「今日はたまたまだ。調子が悪いんだ」
この話はもう終わり、と私は立ち上がった。
妹紅は同じように立ち上がると私の肩に手を置いた。
話は終わっていなかった。
「満月だからでしょ?」
「……」
「角が生えたからでしょ?」
「……ぅぅ」
「角にリボン巻いてるからでしょ?」
「…………ぅぅぅ」
「おまけに子供が泣き出――」
「う、うるさいうるさい! とにかく調子が悪いったら悪いんだ!」
まだ何か言おうとする妹紅の口を塞ごうとするが、妹紅は私の手をひらりとかわして空へ。
「やーい、嘘つきけーね」
「だ、誰が嘘つきだ!」
「きゃー襲われるー」
「!!!???」
けらけら笑って逃げる妹紅を追い掛け回して半刻も経ったか。
竹林で妹紅を見失ったのでとぼとぼと家へ帰る私。
見失ったとはいえ、居場所はわかっているのだが、やる気より先に気力が尽きた。
私だって好きでこんな格好になるわけじゃないのに何でここまで言われなきゃならないんだ……。
いつもは笑って話せる村の連中も、毎月この日、満月の夜だけは私に会おうとはしない。
昔からそうだった。
小さな子供が私を見て泣くからだ。
私だとわかっていても、髪の色も目の色も変わり、長い角と尻尾と牙が生えた姿を見ると、目も合わせていないのに泣き出してしまう。
大人でさえ表情やしぐさのそこかしこに怯えのようなものが見え隠れするのだ。無理もない。
でもショックだ。
満月の夜は人の姿をしているときよりも数段力は増すが、代わりに人徳を失ってしまうからいただけない。
……何とかならないかなあ。角だけでも切ってみるとか。
そんなことを考えていたからか、私は庵の戸を開くまで部屋の中に座っている『それ』に気づかなかった。
「――あら、お帰りなさい。あんまり遅いと間に合わなくなるから、ずいぶんと心配したのよ?」
流れるような銀色の髪と、明らかにこの幻想郷のものではない服に身を包んだその女は笑って言った。
人の家に勝手に上がりこんで何を、と言おうとしたが、その風変わりな格好に思い当たる人物が一人だけいた。
八意永琳。
妹紅と同じ不老不死の存在。
『永遠亭』に住み、主である蓬莱山輝夜に仕える薬師。
相当に腕が立ち、妹紅は十中八九、この女に敗れて逃げ帰ってくる。
それがどうして私の庵に……?
考えても答えは出ない。
当たり前だ。会ったこともない相手の考えや行動を読めるような能力は私にはない。
だが、自分の主と敵対する妹紅を匿っている私のところへ来たのだ。
どうせろくな用事ではあるまい。
「そうでもないわよ? 貴方によく関わりのある人間のことだから」
――私の心を読んだのか?
思わず身構えてしまう。
彼女はそんな私を見てくすくすと笑った。
「感情を表に出しすぎなのよ。貴方の表情が、一挙一動が、全てを雄弁に語っているわ」
「ご忠告、感謝する。……それで、いったい何の用だ? 残念だが、妹紅の居場所は知らないぞ。知っていたとしても教えるつもりはないがな」
我ながら棘のある言い方だ。
だが訂正する気はない。
こいつらのせいで妹紅がどんな酷い目にあったか。それを思えば当然のことだ。
「あら、怒らせてしまったかしら? ごめんなさいね。ところで、いつまでもそんなところに立っていないで中へ入ってきたら? 話し辛くてしょうがないわ」
彼女は特に気にした風もなく苦笑交じりに言う。
む、そういえばそうだった。
私は入り口に立ったまま彼女と話をしていたのだ。
いかに快く思わない相手とはいえ、これではさすがに人の道に反するというもの。
履物を脱いで上がると八意の向かいに腰を下ろす。
「重ねて聞く。いったい何の用だ? 返答しだいによっては少々荒っぽいことになるぞ」
「そう邪険にしないでくれるかしら。今日ここへ来たのは、いいことを教えてあげようと思ったからよ」
「いいこと……?」
これは驚いた。
私にいったい何を教えようというのか。
「ええ。今晩の丑三つ時、博麗の巫女たちが竹林で肝試しをやるそうなの。姫の手引きでね。ほら、彼女ってよく家に来るでしょう? 姫はそれが煩わしくてしょうがないみたい。だからあの巫女たちに相手をさせようって考えてるのよ。自分以上の力を持った者ならあるいは……ってことでしょうね。私はまぁ、はねっかえりを躾けるのは嫌いじゃないのだけど……ねぇ?」
くすり、と。
背筋が凍るような妖しい笑みを向けられる。
だが今はそんなことよりも。
先日会ったあの巫女たちが竹林で肝試しをするという。
手引きしたのは姫――蓬莱山輝夜。彼女が何の理由もなく竹林で博麗の巫女たちに肝試しをやらせるとは思えない。
だとすれば妹紅が危ない!
「――その話、信じていいのだろうな?」
「もちろん。私は嘘は吐かないわ」
「すまない、恩に着る」
礼の言葉もそこそこに私は庵を飛び出した。
空に浮かぶ満月は頂点を過ぎて傾き始めている。
詳しい時間はわからないが、子の刻は過ぎているはずだ。時間はあまり残されていない。
私は一路、竹林の奥へと向かった。
丑三つ時。
草木も眠るというが妖怪は眠らない。
逆にこの時刻こそ、彼らは最も活発に活動する。
八意の言うことが正しければ、それにあわせてあの巫女たちもこの竹林に足を踏み入れるはず。
人間がいるとわかれば彼らは黙っていない。
食料がわざわざ向こうからやってっくるのだ。一騒動起きるのは間違いないだろう。
しばらく待っていると、ちょうど竹林の入り口付近が騒がしくなっていた。
――来たか。
私にちょっかいをかけてくる雑魚を蹴散らしながら進む。
あの月の騒動以来、何故か更地になった場所で、私は彼女らと再会した。
紅白の巫女と夜だというのに日傘を持った妖怪。
彼女らに恨みはないが――例え輝夜にそそのかされたとはいえ――、その目的が妹紅であるなら先へ進ませるわけにはいかない。
満月の私の力を見せてやる。
そう思った矢先、妖怪が言った。
「悪いけど貴方の相手は私たちじゃないの。しばらくそこで休んでいなさい」
閉じた扇を広げてまた閉じる。
手には一枚のスペルカード。
「――境符『四重結界』」
同時に四つ、私を囲う結界が展開される。ごく自然に、それが当たり前のことであるかのように。
何よりも信じられないのが、私自身それを当然の事として受け入れていたことだ。
一瞬遅れて我に返るがもう遅い。
展開された結界は、一つ一つがすぐには破壊できないほど強固なものだった。
「行くわよ霊夢」
「あんたってホント面倒になると力押しに頼るわね。ま、楽できたからいいけど」
「別に感謝しなくてもいいわよ。次は私が楽をさせてもらう番だから」
「……あのねぇ」
私など初めから眼中になかったかのような会話。
遠ざかっていく二人の背中に焦りを感じながら結界に手をかける。
力任せに拳を叩きつけると、氷が砕けたような音を立てて四つ目の結界が破けた。
「これで最後か……」
息を整えながら額に浮いた汗を拭う。
だいぶ時間をとられてしまった。急がなければ。
嫌な予感がする。
このままでは手遅れになりそうな、とても嫌な予感が。
竹林を縫うように飛ぶ。
どんどん強くなる不安が私の背中を押す。
――もっと速く、もっと速く! 急がなければお前の大事な妹紅が死ぬぞ!
頭を振って嫌な想像を振り払う。
しかしそれは、頭の中から追い出しても追い出しても次から次へと沸いて出る。
不老不死とはいうが妹紅は死ぬ。死んで生き返る。
だが、もしも生き返ることがなかったら……?
死んで生き返ることになれた妹紅はそんなことを気にもしない。
そんな当たり前の危険に気づきもしない。
あの二人は強い。
死を恐れない妹紅が体力の続く限り戦い続ければ何度死ぬかわからない。
そして死ぬ回数が多ければ多いほど、『それ』が起こる可能性は上がっていく。
――駆けつけた先で妹紅が死んでいたらどうしよう。もう二度と目を覚まさなかったら……。
嫌だ、そんな光景は見たくない。
足が止まりそうになる。
――しっかりしろ上白沢慧音! お前はそうならないように彼女を守ると決めたのだろう!
萎えそうになる心に活を入れてスピードを上げる。
そして竹林の最奥、妹紅がいつも身を潜めている場所にたどり着く。
「……ぁ、慧音」
妹紅はいた。いつものように体中を赤く染めて寝転がっていた。
傍らに降り立つと妹紅はばつが悪そうに顔を逸らす。
「お、お説教ならまた今度にしてよね。今は体中痛いし疲れてるの」
「わかっている」
「……今回は私のせいじゃないわよ」
「わかっている」
「向こうから来たんだから」
「わかっている」
「ちょっと慧音、さっきからわかってるわかってるって――」
「……もうしゃべるな。この馬鹿者が……私がどれだけ心配したと思っている!」
まだそんな馬鹿なことを言うか!
振り向いて文句を言いかけた妹紅への怒りと苛立ちで目の前が真っ赤になった。
妹紅が動ける状態にあったなら頬の一つでも張っていただろう。
怒鳴るだけですんだならまだましというものだ。
「わ、悪かったわよ……そんな怒らなくてもいいじゃない」
びっくりしたような顔をした妹紅はそう言ってまた顔を逸らした。
ごにょごにょと何かを言っているようだがよく聞き取れなかった。
それにしても妹紅は何に驚いたんだろう?
……。
そうか、私が妹紅に本気で怒鳴ったのはこれが初めてだったのか。納得。
とはいえ、彼女をこのままここに置いてはおけない。
いつ血の臭いを嗅ぎつけた妖怪が現れるとも限らないのだ。
しゃがみこんで妹紅の背中と膝の下に手を通して抱え上げる。
妹紅の体は思ったよりもずっと軽かった。
「な、何すんのよ」
「別に。怪我人を一人、家に連れ帰るだけだ。何を赤くなっている」
「……な、なんでもないわよ」
「そうか。それならしっかりつかまっていろ」
答える代わりに妹紅は私の首に手を回してしがみついてきた。
多少息苦しいが……まあ我慢しよう。
飛ぼうとして、
「――慧音っ!!」
妹紅に突き飛ばされ、
「な、何をするんだ妹紅!」
尻餅をついた私の目の前で、雨のように降り注いだ矢に全身を貫かれて妹紅は絶命した。
悪い夢を見ているようだ。
目の前には守ろうと決めたはずの蓬莱人がいて、
私は彼女に突き飛ばされたおかげで助かって、
その代わりに彼女は頭から足まで、文字通り全身を矢で貫かれて……死んだ。
死んだ?
いや、そんなはずはない。
妹紅はいつだって生き返ったじゃないか。
だから今回もきっと……。
「それはどうかしら?」
「――」
後ろに人の降り立つ気配。
そして聞き覚えのある声。
「どうしてわかったのかって? さっきも言ったばかりじゃない。感情を表に出しすぎなのよ。顔を見なくてもわかるくらい」
続いて聞き覚えのある台詞。
だが今はそんなことはどうでもいい。
早く妹紅を助けなければ。
「それは無理ね。彼女の為に特別に調合した毒を矢に塗っておいたから」
……毒?
「そうよ。生命の活動を停止させるのではなく、それを構成するものに自ら命を絶つよう命じることの出来る毒。こんなことを貴方に言ってもわからないでしょうけど」
ああわからない。
そんなことわかりたくもない。
わかれと。理解しろと。それは妹紅が死んだと認めろということだ。
冗談じゃない。
そんなこと認めてたまるものか!
「……念の為、もう何本か打ち込んでおこうかしら」
「待――っ!?」
振り向き、言葉を言い終わらないうちに私は地面に倒れていた。
遅れて痛みがやってくる。
見れば両足を射抜かれていた。
同時に二本……いつ撃った?
「邪魔をしないで。貴方は別に姫の敵ではないのだから」
「そうも、いかない……」
矢は骨を通っていない。
とんでもない苦痛を伴うが立ち上がること自体に問題はなかった。
「私はこの人間を守ると決めたんだ。私の見ている目の前でむざむざやらせるものか」
虚勢を張ったものの、立ち上がるだけで精一杯だ。
射抜かれた足で動けというのも無理な話ではあるが。
そんな私を見て八意はため息を一つついた。
「……愚かねえ」
「何?」
「――力の差がまるでわかっていない」
背筋から這い上がる死の予感。
とっさに首を真横に倒す。
音もなく矢が通り抜け、その後から風を切る音が聞こえてきた。
「あら? 少しは出来るみたいね」
驚いたような顔をする八意は、やはり、弓など構えてはいなかった。
片手でぶら下げるように持っているだけだ。
それでどうやって矢を射た?
「でも、これはどうかしら?」
八意は空高く舞い上がり、月を背にして弓に矢を番える。
しかし、彼女は私を狙っていない。
狙っているのは……!
ほとんど反射的に矢の射線上に体を投げ出していた。
肩に衝撃が走る。
地面に叩きつけられる寸前で体勢を立て直すと、二発、三発と衝撃が体を貫いた。
「意外としぶといわね」
「はぁ、はぁっ……!」
言葉を返す余裕もない。
致命傷こそ避けているものの、両足、肩、腹、腕、計五箇所に矢が刺さっているのだ。
立っているだけでも辛い。
だが倒れるわけにはいかない。
私がここで倒れれば妹紅は――
――そのとき、一本の矢が、私の胸を射抜いた。
………………
「……ようやく死んでくれたようね」
構えを解きながら八意永琳は言った。
永琳の使う矢は、材質もさることながら、彼女の技量と相まって、並みの妖怪なら大抵一本、多くても三本打ち込めば絶命する。
しかし、藤原妹紅を庇って立つ半獣――上白沢慧音は六本を打ち込んだところで立ったまま息絶えた。これは驚異的といえる。
元より殺す相手は藤原妹紅一人。彼女は殺すつもりのない相手だった。
だから足を射抜いて動きを止めた。
本来なら当てる一撃をわざとかわさせた。
そうやって力の差を思い知らせた上でなら、庇うなどという行動に出るはずもないと思っていたのだが……。
人間を守るという彼女の言葉を少し軽く見すぎていたようだ。
「殺さなければならないなんて、とんだ計算違いね。私としたことが」
邪魔者はいなくなった。
今度こそ確実に止めを刺そうとして、気づく。
ここからでは死体が邪魔になって的を狙えない。
回り込もうにも立ち並ぶ竹のせいで視界が遮られ、狙いを付けづらい。
そして何より本当に死んだかどうかを確認できない。
「仕方ないわね」
万一のことを考えると近きたくないのだが、こうなっては仕方がない。
注意は怠らぬまま永琳は地面に降り立った。
一歩一歩慎重に二つの死体へと近づいていく。
「……え?」
手を伸ばせば触れるというところまで近づいて永琳は気づいた。
あれだけの傷を負いながら上白沢慧音は生きている。辛うじて心臓が動いているという程度だが、手持ちの薬を使い、適切な処置を行えばぎりぎりで助けることができる。
重ねて言うが上白沢慧音は元より殺すつもりのない相手だった。
そして八意永琳は医者でもあった。加えて彼女は無駄な殺生を好まない。
だからだろう。
ほんの数秒、彼女は迷った。
この今にも命の尽きようとしている半獣を助けるか否か。
故に彼女は気づかなかった。
矢で全身を貫かれ、地面に縫い付けられていたはずの少女が起き上がっていることに。
「……さっきはよくもやってくれたね」
「――っ?」
彼女の喉を、白く細い手が、その外見からは想像も出来ないほどの力で掴んだ。
声を上げる間もなく喉が潰れ、頚椎が折れる。
続けて掌から噴き出した炎に焼かれて八意永琳は消し炭になった。
「ふん。しばらくそこで死んでるといいさ」
蓬莱の薬を飲んだものはこの程度では死なない。否、死ねない。焼かれても、体をばらばらにされても、数日のうちに蘇ってしまうのだ。
妹紅はぼろぼろと積もった炭の塊を忌々しげに蹴る。
それらは崩れ、風に乗ってさらさらと流れていった。
「そんなことより――慧音!」
体を矢で射抜かれたままピクリとも動かない慧音は妹紅の呼びかけにも反応しない。
いや、正しくは反応するだけの力も残っていないと言った方が正しいのか。
横に寝かせて傷を見る。
妹紅の表情はどんどん暗いものに変わっていった。
彼女に医者としての技術があるわけではない。
しかしその傷は、素人目から見ても慧音がもう助からないことがわかってしまうほどだった。
胸を貫いている一本の矢。これは間違いなく致命傷だ。
そして計六箇所に及ぶ傷から流れ出した血の量も半端ではない。
……もう、助からない。
そんな言葉が妹紅の頭をよぎった。
否定しようとして言葉が見つからなくて、妹紅はうなだれる。
彼女の目から涙が零れ落ちた。
「…………も……こ、う?」
「――慧音!?」
弱々しく、ともすれば消えてしまいそうな声。
目の色は濁り、焦点が合っていない。
おそらく彼女には何も見えていないだろう。
「ないて……いる、のか?」
「うるさいわね! 誰のせいだと思っているのよ!」
言いながら思う。
誰かのために涙を流したのは何年ぶりだろう。百年、二百年……千年は経ったかもしれない。
だからこの友人を助けたいと思った。
私に、誰かのために涙を流させてくれたこの友人を。
「すまない、な」
「……」
「……でも、よか……った」
「……」
「おまえ、が……ぶじ、で……」
「――うるさい! もうしゃべるな馬鹿慧音!」
この体で喋ることがどれだけ負担になるかわからないはずがないのに!
妹紅に叱られた慧音は幾度か口を動かした後、少しだけ笑ったような気がした。
それで最後。
名残惜しそうにゆっくりと目を閉じると体中から力が抜けた。
「嘘……ちょっと、慧音!」
体を揺さぶるが何の反応もない。
それどころか体からどんどん生きた熱が失われていく。
――どうしよう……慧音が死んじゃう!
初めて見る身近なものの死に、苦しさに、胸がつぶれそうになる。
――私はいつも慧音にこんな思いをさせていたの……?
妹紅は考えた。
今までにないくらい必死に考えた。殺すことではなく、生かすことを。
彼女に薬学の知識はない。方術も使えない。
とどのつまり治すことが出来ない。
不老不死の彼女には必要のないものだったから。
――不老不死……それならもしかして!
仙人や蓬莱人のように不老不死の肉体を持つものの血肉は、それ自体が強力な霊力を持つ。
試したことはないが、上手くいけば慧音を助けることが出来るかもしれない。
それに何もしないで最悪の結末を迎えるよりはずっといい。
もう迷っている暇はない。
妹紅は自分の唇を噛み千切り、
「慧音……お願い、かえってきて」
血に濡れた唇を、慧音のそれにそっと重ねた。
………………
「む……ここは?」
気がつくと、私は延々と続く階段の前にいた。
見上げた先は霧がかかっていて果てが見えない。
こんな場所は私が知る限りただ一つ。
「ここは冥界か。となると、やはり私は死んだのだな」
自分に言い聞かせるようにわざと声に出してから階段を上る。
向こう側にはあまりに心残りが多すぎた。
こうやって無理矢理にでも自分を納得させないと、一歩も足が進まないような気がした。
「話には聞いていたが、長いな……」
途中から飛んで上っているのだが一向に先が見えてこない。
自分は本当に階段を登っているのだろうか?
そもそもこの階段は本当に頂上に続いているのだろうか?
こうも延々と続かれると、そんなことさえ考えてしまう。
が、それも杞憂だったようだ。
霧が晴れ、白玉楼の門が見えてくる。
「止まってください」
門の前に降り立ち、足を踏み出そうとした時、聞き覚えのある声が私を呼び止めた。
二本の剣を携えて向こうからやってくるのは、半人半霊の庭師、魂魄妖夢。ここ白玉楼の番人でもある。
しかし、止まれとはどういうことだろう?
「なぜだ? 私がここに来たということがどういうことか、わからないわけでもないだろう」
「わかりませんね。とにかく、貴方はまだお呼びではありません。帰ってください」
「いや、だから……」
「あーもう! 帰れって言われたらさっさと帰る! そんなに死にたいなら今ここで斬りますよ!」
よくわからないけど庭師が突然切れた。腰の刀に手を当てて睨んでくる。
このままここにいたら本当に斬られそうだ。
というか、何か以前とイメージが違うような……。
「あ……いや、そういうわけじゃ」
勢いに圧されてとりあえず下がってしまう。事情が理解できないし斬られたくもない。
「じゃあいいですか。今来た道をすぐに引き返してください。止まらず真っ直ぐに、できるかぎり速く。わかりましたか?」
「わ、わかった」
「では行ってください。これでしばらく会うこともないでしょう」
白玉楼の門が閉まっていく。私という存在を拒むように。
完全に閉まる間際、「少しだけ貴方が羨ましい」庭師は照れくさそうに笑ってそう言った。
何のことかはわからない。
でも、彼女が悪意から私を追い出したのではないことはわかった。
彼女は言っていた。
出来る限り速く、今来た道を戻れと。
その先に何が待っているかはわからない。
しかし、きっと今の私には何よりも大切なことなのだろう。
庭師に言われたとおり、全速力で私は飛び出した。
………………
「ふぅ。これで良かったのかな? 怒ってなければいいけど」
閉じてしまった門に手を当て、妖夢は呟いた。
上白沢慧音はまだここに来るべきではない。
もちろん彼女がそう望むなら話は別だが、この場合、彼女は自分のしている勘違いに気づいていないだけだ。
それを知らないままこの門をくぐれば、自分だけでなく大勢の人を不幸にしてしまう。
そんなこと絶対に駄目だ。
だから、これでよかったのだ、きっと。
「見たわよ~」
「うっ……」
背後からかけられた声に、妖夢は思わずうめいた。
どんなにゆすっても目を開けなかったくせに、どうしてこういう時だけ目を覚ますのか。
振り返ると、予想通りにこにこ笑う幽々子がいた。
「せっかくの新入りを追い返すなんて、どういうことかしらね~?」
「違います。新入りじゃありません。あの半獣はまだ生きていました」
「あら? 本人が死んだと思えば一緒でしょ?」
「ええ、そうでしょうね。精神に見放された肉体は遠からず朽ち果てますから。だから、間に合う内に追い返したんです」
「にしても、もう少し言い方があったんじゃないの~?」
「――ほとんど見てるじゃないですか! ……あ! まさか、気づいていた上で狸寝入りを……」
やりかねない。いや、この人ならきっとやる。
「何のことかしら?」
当然のようにとぼける幽々子。
決まりだ。今の一言が決定打だ。
狸寝入りまでして人をからかおうとするとは……しかもこんな一大事に。さて、どうしてくれようか?
「でもよくやったと思うわよ。貴方も少しは成長した……って、妖夢?」
「何ですか幽々子様?」
「念の為に聞くけど……その手にしたものは何かしら?」
「斬るためのものです」
「何を?」
「『何』? 『誰』の間違いでしょう?」
「あ、あらあらあら、どうしましょう」
「動かないで下さって結構です。その方が助かります」
「い、今ね、貴方も少しは成長したっていう話をね……」
「――その話はまた後で」
「あ、後じゃなくて、今……」
「問答無用――!!」
「いやーーーーーーーー!!」
………………
ゆっくりと意識が覚醒していく。
目を開くと、薄暗闇の中に見慣れた我が家の天井が映った。
「そうか……私は生きているのか」
声に出してみると実感する。
私は生きていると。
すると体中が痛み出す。
あまり嬉しくない実感だった。
「起きたのね」
「――お前は」
蓬莱山輝夜。
あろうことか、彼女は私の寝ている布団の横に座っていた。
起き上がろうとするが、痛みのせいで顔を向けるのがやっとだった。
「……何をしに来た」
「今まで看病してあげた人に対してずいぶんな態度ね」
「何だと?」
「ついでに言うなら、彼女と貴方をここまで運んできたのも私。命の恩人よ? 少しは感謝したらどう?」
むっとした顔で言われて……彼女?
と、腕を抱えられていることに気づく。
そちらに顔を向けると、すうすうと可愛らしい寝息を立てている妹紅がいた。
無事だったのか……よかった。
苦労して、もう一度首を反対側へ向ける。
「感謝する。妹紅と二人きりだったなら、彼女も私も、無事ですむはずがない」
「どういたしまして。でも、どういう風の吹き回しかしらね」
「何のことだ?」
輝夜は心底不思議そうな顔をしていた。
「その娘よ。出て行った永琳がいつになっても帰ってこないから様子を見に出かけたら、貴方を庇って一人で妖怪の群れとやりあってたの。とりあえずそいつら全部吹き飛ばして話を聞こうとしたら、『私はどうなってもいいから慧音を助けて』そう言って気を失っちゃったのよ。おまけに丸一日、貴方の腕を掴んだまま離そうとしないし」
最後は呆れているようだったが、目は笑っていた。
きっと私も村の子供たちをこんな目で見ているのだろう。
だからわかる。これは小さな子供の成長を見る、大人の目だ。
「ここは貴方にお礼を言うべきかしら?」
「お礼?」
「ええ。憎いと思っていたはずの私に、自分はどうなってもいいから貴方を助けてって、彼女は言ったわ。他の誰でもない、この私に。それはとても勇気のいること。今までの自分を否定するほどにね。でも、彼女はそれを成し遂げたわ。貴方のために」
一度言葉を切ると、輝夜は澄んだ瞳で私を見た。
――その時感じたものを何と言えばいいのか。
畏れ多いというのだろうか。
ついさっきとは別人のような、生まれついての格の違いを感じさせる雰囲気。
おそらく、これが彼女の本当の顔なのだろう。
「貴方は藤原妹紅という一人の少女を救った。人として、人の形を残したまま自らの心を壊してしまう前に。誇りなさい。それはとても偉大なことなのだから」
私は静かに頷いた。
頷くことしか出来なかった。
言葉を発することさえ憚られたのだ。
と思いきや、
「まあ、この娘の場合半分以上自業自得だし。壊れるなら別にそれもいいかなーって思っていたんだけどね」
やれやれと、輝夜はため息混じりに言った。
……どっちが本当の顔なんだ?
「貴方のおかげでそれも台無し。結果が良い方向に転んだから文句はないけど。……そうそう、その娘が起きたらこれを渡しておいて頂戴」
輝夜は枕元に一通の手紙を置いた。
「読んでも別にかまわないわ。それじゃあ、私はもう行くわね。日ももう昇るし、永琳を探しに行かなくちゃ」
「そうか。無駄に時間を使わせてすまなかったな」
「気にしないで。私が好きでやったことだし」
輝夜が部屋を出て行く。
戸が閉められると、庵の中は静かになった。
……………………
………………
…………
「んー? 慧音?」
日が昇った頃、隣で寝ていた妹紅が目を覚ました。
目をこすりながら寝ぼけ眼でこっちを見ている。
「おはよう妹紅。よく寝ていたな」
「……」
「どうした? まだ寝ぼけているのか?」
「……ぁ」
「?」
「慧……音?」
そうだ、と言おうとして驚いた。
妹紅の目からぽろぽろと涙が流れ落ちる。
自分でも驚いているらしく、慌てて袖で拭うがそれでも涙は一向に止まらない。
「妹紅? どうした? どこか痛むのか?」
「ち、違うわよ……慧音が生きてるって思ったら、涙が勝手に出てきたのよ……」
しばらくの間、そのまま妹紅は泣き続けた。
「そうだ。妹紅、輝夜から手紙を預かっている」
「あいつから手紙……?」
輝夜という名前を聞いて、妹紅は不審そうな顔をした。
いつもなら読みもせずに破くか焼くかしてしまうところだが、今はそうでもないらしい。
動くほうの手で手紙を取って渡してやる。
「中は読んでいないぞ」
「わかってるわよ。……へぇ」
「何て書いてある?」
「『一対一で決着をつけましょう』だって。場所と時間も指定してあるし、果たし状かしらね、これ」
手紙を握り締めてにやりと笑う。
また、元のお前に戻ってしまうのか……?
頭の隅を、そんな考えがよぎる。
どうやらまた顔に出ていたらしい。
妹紅が慌てて首を横に振った。
「ちょっと、勘違いしなでよ、殺し合いしに行くつもりはないって」
「……本当か?」
「うん」
妹紅は頷く。
「それでね……」
◇◇◇◇◇
数日後。
月の下、竹林の上空で二人は向かい合う。
「よく来たわね」
「そりゃもちろん。一対一でやりあえるこの状況を蹴るなんて、そんなもったいないことするはずないじゃない」
「それはつまり、一対一なら私に勝てるって言いたいのね?」
「もちろん」
軽く笑ってみせる妹紅。
「面白い冗談ね。下賎の輩にしては」
「冗談かどうか、すぐにわかる」
輝夜はその手に蓬莱の玉の枝を、妹紅はその背に炎の鳥を。
「それでは――」
「千年越しの因縁に、決着をつけようか!」
「いいの? 二人を戦わせて」
空を見上げている私の隣に、八意は腰を下ろす。
身体に欠けたるところは一つとしてなく、また、傷もない。
聞けば妹紅に消し炭にされたということだが、その状態から生き返るとは、不老不死は伊達ではないといったところか。
「構わないさ。あの二人の顔を見ればな」
「……そうね。あんなに楽しそうな姫を見るのは、とても久しぶりだわ」
八意は安堵の混じった笑みを浮かべる。
空の上では、炎と光がぶつかり合い、激しく火花を散らせている。
その戦いの最中、二人は笑っていた。
命のやり取りではなく、純粋なゲームを楽しんでいるように。
妹紅の、何度も追い詰められながらも決して諦めないその姿。
――そこに、輝夜に対する憎しみはもうない。
もこうを見続けてきた輝夜。
その瞳は。きっと。
輝夜もたまにはこんな大人な感じで落ち着いてるほうが様になってるかも。