もうどの季節の宴会だったかもわからない。
瓢箪から駒という言葉がある。なら伊吹瓢からは何が出るんだ、という話になった。萃香はけらけらと「今何を呑んでいるかもわからなくなったのかい」と笑ったが、酔っ払いに道理を説いても無駄である。博麗の巫女ならば尚更。
つまり、何か面白い話でもしろ、ということになった。場の空気とは時代のうねりにも等しく、鬼すら流すものだ。
もうどの季節の宴会だったかもわからないが、それが駒の話だったことは確かだ。
☖ ☗ ☖
ちょっと昔……いや昔だよ。いいじゃん別に。鬼が未来の話してどうするのさ。
とにかく昔! 私が片っ端から人間に勝負を仕掛けてた頃だね。
勇儀? どうなんだろ。いや、確かに同朋だけどさ。私たちって基本的に群れはするけど、それだけなんだよね。共同で何かすることってあんまりない。たいていのことは一人でやれるし。だから勇儀とかがどんな風に過ごしていたかはよく知らないんだ。
だから、だからさ。この話は、レアなのさ。勇儀だって知らない話なんだよ。話してないからね。だからよく霊夢もよく聞いて……おいこら寝るなよぅ。話を振るだけ振っといて。おまえは鬼か。
……はぁ。なんだい、みんな潰れちまって。だらしがない。
ん?
……ああ、あんたがいたか。
ちょうどいいや。あんただけでも聞いてくれよ。
いいんだよ。なんとなく、私が話しておきたい気分なんだ。思い出すのも、もうずいぶん久しぶりだ……。
私は――たぶん鬼はみんなそうだろうけれど――人間とならどんな勝負だって受けたよ。
でも力比べとか、かけっことか、そういうわかりやすいやつはもうほとんどなかった。人間だって馬鹿じゃあない。人間は、やるからには、勝てない勝負はしないもんだ。
だから知恵比べとか、そういうのが多かった。
そう、知恵比べ。これがまた難しい勝負なんだよ。何が難しいって、知恵には形がないからね。謎掛けなんて、ちょっと曖昧に問えば、屁理屈つけていくらでも答えられそうな気がする。小難しい問答なんて最悪さ。煙に巻くのも巻かれるのも大嫌い。
やっぱりさ。勝負って言うのは、何かしら形がなきゃあいけないとね、思うんだ。口先だけの決着はあんまり軽いよ。何か、形が。目に見える何かが。一人と一人の間に無くちゃあ、嘘だと思うんだ。
だからさ。将棋っていうのは私の好きな類なんだよ。
……いや? 私指すよ、将棋。自分で言うのもなんだけど、かーなーりー強いよ?
おい脳筋とは何だぶっ飛ばすぞ。
まあいいさ。
将棋ってのは……不思議なもんだね。棋譜を覚えていれば、その勝負に関することは何だって思い出せるんだ。もう忘れたと思ったことも、一手頭のなかで指し進めればぽんと頭に浮かび上がるものなのさ。
ただし普通の将棋じゃあそうはいかない。遊びじゃあ駄目だ。
だからこれは、真剣勝負の話なのさ。
……うん、うん。私、まだ覚えている。思い出せるよ。7六歩、8四歩、5六歩……。
そうそう、十くらいの小僧だったよ。
実際、私が勝負をしかけたのはあいつの父親のほうだったんだけれどね。一緒にいたあいつが父親の前に立って「俺が受けて立つ!」なんて啖呵切ったのさ。小さいなりで、見上げた度胸だったよ。
じゃあ何で勝負するかと聞いたら、将棋だと即答したね。自信があるらしいことは、すぐにわかった。
びっくりしたのは、その後にあいつが自分から条件を言って来たこと。
一局勝負。
あいつが勝ったら私が一財産贈る。
私が勝ったらあいつの命を貰う。
いやさ、あいつが自分から言い出したんだ。「俺が負けたら命を取れ。食うなり何なり、好きにしろ」って。そういう話を切り出すのは、いつだって私の――私たちの――ほうだったのにねえ。
私はもうそいつに惚れ込んでたね。きっと気持ちの好い勝負になるって、胸がどきどきしてた。すぐにでも、やりあいたかった。
でも、肩透かし食らったよ。勝負は一ヵ月後の夜になった。あのときの私のやるせなさといったら!
いや、私はその条件を呑んだよ。どうしても勝負したかったから。
あと、盤と駒は私が用意することになった。「俺の命を乗せる駒なんだ。貧相なもの持ってきたら承知しないぞ」って。
いやまったく、好い度胸してたね。
で、一ヶ月間が開いたわけさ。
駒と盤は自分で作ったよ。材料取りにちょっと遠出したけど、二週間くらいで出来たかな。
手抜き? そんなことするもんか! あいつの度胸に敬意を表して、最高のものを作ったさ。ああいうのは時間を掛けたって無駄なんだよ。ガッと取り掛かってズバッと一気に仕上げちまったほうが、好いのが出来るってものさ。
まあでも、そうやって意気込んだのが悪かった。勝負の日まで両手がまるまる空いちゃったんだ。
酒でも飲んでじっくり待とうかとも思ったけれど、あんまり待ち遠しくてね……頭の中が悶々として、じっとしてられなくなった。
私はあいつの様子を見に行った。だって、よくよく考えてみたら、私はあいつの名前も知らなかったんだ。
あいつの名前……ええと、何だったっけな。3六飛、1七桂、3八金……。
そうそう、あいつは宿屋の子だったみたい。ぼろい宿屋で、儲かってるようには見えなかった。
いろいろ苦労してたんじゃないかな。
あいつは、部屋で駒を並べてたよ。いや、あれは駒って呼べるようなものじゃあなかったか。適当な木の板に文字書いただけの粗末なものだった。盤にいたっては半紙に墨で格子が書いてあるだけだった。
ただ、表情がね。なんていうのかな……触ったら切れそうな感じ? 触ったほうも、触れられたほうも。鬼の私が言うのもなんだけれど、鬼気迫る顔をしてたよ。大人だってあんな表情を浮かべる奴は少ないよ。
そのとき感じたのは違和感だった。あいつが凄い奴だと思ってた。でも、あいつの“凄い”は、私が思っている“凄い”とは、どこか違っているんじゃないかって。
そんなこと考えてたらさ、あいつ、気付いたんだよ。姿隠した私に。
本当に吃驚したさ。吃驚したのはあいつも同じだったみたいだけれど。
「な、なんだ鬼。約束を違える気か」って、いきなりあいつがそんなこと言うもんだからさあ。私、ムキになっちゃって。「鬼である私がそんなことをするはずがないだろう。お前がどんな様子か見に来ただけだ」なんて言っちゃったんだ。
失言だったなあ、あれは。
「おい鬼」って、あいつは地獄の底から響いてきたような声で言ったよ。
「これは真剣勝負なんだ。俺はお前に負けたら死ぬんだ。それなのに、お前は俺の手筋を盗み見に来たのか」
……うん。わかってる。私が悪かったんだ。
あいつと次に会ったのは、勝負の日だったよ。
あいつみたいに将棋の修行でもしようかとも思ったけど、ちょうどその時分、相手になってくれる同朋がいなくてね。
ずっと、一人で自分が作った駒を眺めて過ごしてた。見れば見るほど、好い駒だった。会心の出来だった。あいつが使ってた板っきれなんかとは比べるのも馬鹿らしいくらい。
でも頭の中は、あいつのことで一杯だったんだ。あいつは今頃どうしているだろうかって。あの紙の盤を睨んでいるあいつの正座姿ばかり浮かんだ。
そうしてたらさ、この駒をあいつに貸し出してやろうって――あんな粗末な駒では気合も乗るまい。この駒は日本一の出来だ。きっとあいつも喜んでくれる。何ならそのまま練習試合でもしようか。手筋を見られるのが嫌でも、練習試合なら構うまい。勝負の日まで、何回でも――ああ、そんなことはなかったよ。言ったろ。あいつと次に会ったのは、勝負の日だったって。
酒呑んで寝てればすぐに過ぎるような日日が、長かった。でもその間にどれだけ想像しても、頭のなかのあいつは私の駒を見て笑わなかった。ずっと、あの真剣な、触れたら切り合うしかないような、あの表情のままだっだ。
あいつ……あいつの名前……。8二歩、同銀、2三銀打……。
――勝負の結末かい?
ああ、私が勝った。好い勝負だったよ。私が指した限り、一番強い人間だった。あんな小僧がだよ。本当、すごかったなあ。あいつは凄い奴だ。やっぱり、人間って凄いよなあ。
でも、勝ったのは私……3二馬、1六銀、4二馬、2五玉。4七銀。それで決まり、さ。
負けが決まった盤を前にして、あいつはぐっと膝の上で拳を握ってた。震えてた。血の気なんて欠片もありゃしなかった。
本当に、死にそうな顔をしながらさ。それでも死ねずに、あいつは言ったんだ。
「負けました」って。
私、そのときまで忘れてたんだ。
将棋は負けたほうが自分の負けを宣言しないといけない。
でも、それってどんなに残酷なことだろうね。それに比べれば、力比べでも何でも、やるだけやって、そのまま死ぬことがどんなに贅沢だろう。そのまま死なせてやることがどんなに慈悲深いだろう。
3二馬、1六銀、4二馬、2五玉、4七銀――以上150手。最高の一局だった。私が作ったあの盤も、その上に並んだあの駒一つ一つまで。本当に好い勝負を、私は、私たちは、作った。
でも、ねえ、どうして。
あんなに小さな板っきれたちが、鬼の力でも覆せないんだろう。
……もちろん約束は果たしたさ。あいつは喰ったよ。
普通の人間なら泣いたり叫んだりしていただろうね。でも、あいつは本当に凄い奴で、最期まで取り乱したりはしなかった。
それから……そう、あの盤と駒はあいつの墓に供えて。あいつの名前……ええと、3二馬、1六銀、4二馬、2五玉、4七銀。
4七銀。
4七銀……。
☗ ☖ ☗
萃香はじっと伊吹瓢を見つめて押し黙った。そのまま朝までずっと黙っているかと思われたが、おもむろに「ねえ、将棋指そうか」と言い出した。
将棋なんて駒の動かし方しか知らないと答えると「いいんだよ、それで」と笑った。
もうすっかり、彼女は醒めているようだった。
「指そうよ。命を取るとか取らないとか、真剣じゃあない。遊びだよ。適当に、昔話でもしながらさ。のんびり指そうよ。ねえ華扇、いいだろう?」
そう言った萃香の掌には、いつの間にか、将棋の駒があった。ついさっきまでその手にあったのは伊吹瓢だったはずなのに。
はて、はて。その駒は、一体どこから出てきたのかしら。
そういう、駒の話だった。
瓢箪から駒という言葉がある。なら伊吹瓢からは何が出るんだ、という話になった。萃香はけらけらと「今何を呑んでいるかもわからなくなったのかい」と笑ったが、酔っ払いに道理を説いても無駄である。博麗の巫女ならば尚更。
つまり、何か面白い話でもしろ、ということになった。場の空気とは時代のうねりにも等しく、鬼すら流すものだ。
もうどの季節の宴会だったかもわからないが、それが駒の話だったことは確かだ。
☖ ☗ ☖
ちょっと昔……いや昔だよ。いいじゃん別に。鬼が未来の話してどうするのさ。
とにかく昔! 私が片っ端から人間に勝負を仕掛けてた頃だね。
勇儀? どうなんだろ。いや、確かに同朋だけどさ。私たちって基本的に群れはするけど、それだけなんだよね。共同で何かすることってあんまりない。たいていのことは一人でやれるし。だから勇儀とかがどんな風に過ごしていたかはよく知らないんだ。
だから、だからさ。この話は、レアなのさ。勇儀だって知らない話なんだよ。話してないからね。だからよく霊夢もよく聞いて……おいこら寝るなよぅ。話を振るだけ振っといて。おまえは鬼か。
……はぁ。なんだい、みんな潰れちまって。だらしがない。
ん?
……ああ、あんたがいたか。
ちょうどいいや。あんただけでも聞いてくれよ。
いいんだよ。なんとなく、私が話しておきたい気分なんだ。思い出すのも、もうずいぶん久しぶりだ……。
私は――たぶん鬼はみんなそうだろうけれど――人間とならどんな勝負だって受けたよ。
でも力比べとか、かけっことか、そういうわかりやすいやつはもうほとんどなかった。人間だって馬鹿じゃあない。人間は、やるからには、勝てない勝負はしないもんだ。
だから知恵比べとか、そういうのが多かった。
そう、知恵比べ。これがまた難しい勝負なんだよ。何が難しいって、知恵には形がないからね。謎掛けなんて、ちょっと曖昧に問えば、屁理屈つけていくらでも答えられそうな気がする。小難しい問答なんて最悪さ。煙に巻くのも巻かれるのも大嫌い。
やっぱりさ。勝負って言うのは、何かしら形がなきゃあいけないとね、思うんだ。口先だけの決着はあんまり軽いよ。何か、形が。目に見える何かが。一人と一人の間に無くちゃあ、嘘だと思うんだ。
だからさ。将棋っていうのは私の好きな類なんだよ。
……いや? 私指すよ、将棋。自分で言うのもなんだけど、かーなーりー強いよ?
おい脳筋とは何だぶっ飛ばすぞ。
まあいいさ。
将棋ってのは……不思議なもんだね。棋譜を覚えていれば、その勝負に関することは何だって思い出せるんだ。もう忘れたと思ったことも、一手頭のなかで指し進めればぽんと頭に浮かび上がるものなのさ。
ただし普通の将棋じゃあそうはいかない。遊びじゃあ駄目だ。
だからこれは、真剣勝負の話なのさ。
……うん、うん。私、まだ覚えている。思い出せるよ。7六歩、8四歩、5六歩……。
そうそう、十くらいの小僧だったよ。
実際、私が勝負をしかけたのはあいつの父親のほうだったんだけれどね。一緒にいたあいつが父親の前に立って「俺が受けて立つ!」なんて啖呵切ったのさ。小さいなりで、見上げた度胸だったよ。
じゃあ何で勝負するかと聞いたら、将棋だと即答したね。自信があるらしいことは、すぐにわかった。
びっくりしたのは、その後にあいつが自分から条件を言って来たこと。
一局勝負。
あいつが勝ったら私が一財産贈る。
私が勝ったらあいつの命を貰う。
いやさ、あいつが自分から言い出したんだ。「俺が負けたら命を取れ。食うなり何なり、好きにしろ」って。そういう話を切り出すのは、いつだって私の――私たちの――ほうだったのにねえ。
私はもうそいつに惚れ込んでたね。きっと気持ちの好い勝負になるって、胸がどきどきしてた。すぐにでも、やりあいたかった。
でも、肩透かし食らったよ。勝負は一ヵ月後の夜になった。あのときの私のやるせなさといったら!
いや、私はその条件を呑んだよ。どうしても勝負したかったから。
あと、盤と駒は私が用意することになった。「俺の命を乗せる駒なんだ。貧相なもの持ってきたら承知しないぞ」って。
いやまったく、好い度胸してたね。
で、一ヶ月間が開いたわけさ。
駒と盤は自分で作ったよ。材料取りにちょっと遠出したけど、二週間くらいで出来たかな。
手抜き? そんなことするもんか! あいつの度胸に敬意を表して、最高のものを作ったさ。ああいうのは時間を掛けたって無駄なんだよ。ガッと取り掛かってズバッと一気に仕上げちまったほうが、好いのが出来るってものさ。
まあでも、そうやって意気込んだのが悪かった。勝負の日まで両手がまるまる空いちゃったんだ。
酒でも飲んでじっくり待とうかとも思ったけれど、あんまり待ち遠しくてね……頭の中が悶々として、じっとしてられなくなった。
私はあいつの様子を見に行った。だって、よくよく考えてみたら、私はあいつの名前も知らなかったんだ。
あいつの名前……ええと、何だったっけな。3六飛、1七桂、3八金……。
そうそう、あいつは宿屋の子だったみたい。ぼろい宿屋で、儲かってるようには見えなかった。
いろいろ苦労してたんじゃないかな。
あいつは、部屋で駒を並べてたよ。いや、あれは駒って呼べるようなものじゃあなかったか。適当な木の板に文字書いただけの粗末なものだった。盤にいたっては半紙に墨で格子が書いてあるだけだった。
ただ、表情がね。なんていうのかな……触ったら切れそうな感じ? 触ったほうも、触れられたほうも。鬼の私が言うのもなんだけれど、鬼気迫る顔をしてたよ。大人だってあんな表情を浮かべる奴は少ないよ。
そのとき感じたのは違和感だった。あいつが凄い奴だと思ってた。でも、あいつの“凄い”は、私が思っている“凄い”とは、どこか違っているんじゃないかって。
そんなこと考えてたらさ、あいつ、気付いたんだよ。姿隠した私に。
本当に吃驚したさ。吃驚したのはあいつも同じだったみたいだけれど。
「な、なんだ鬼。約束を違える気か」って、いきなりあいつがそんなこと言うもんだからさあ。私、ムキになっちゃって。「鬼である私がそんなことをするはずがないだろう。お前がどんな様子か見に来ただけだ」なんて言っちゃったんだ。
失言だったなあ、あれは。
「おい鬼」って、あいつは地獄の底から響いてきたような声で言ったよ。
「これは真剣勝負なんだ。俺はお前に負けたら死ぬんだ。それなのに、お前は俺の手筋を盗み見に来たのか」
……うん。わかってる。私が悪かったんだ。
あいつと次に会ったのは、勝負の日だったよ。
あいつみたいに将棋の修行でもしようかとも思ったけど、ちょうどその時分、相手になってくれる同朋がいなくてね。
ずっと、一人で自分が作った駒を眺めて過ごしてた。見れば見るほど、好い駒だった。会心の出来だった。あいつが使ってた板っきれなんかとは比べるのも馬鹿らしいくらい。
でも頭の中は、あいつのことで一杯だったんだ。あいつは今頃どうしているだろうかって。あの紙の盤を睨んでいるあいつの正座姿ばかり浮かんだ。
そうしてたらさ、この駒をあいつに貸し出してやろうって――あんな粗末な駒では気合も乗るまい。この駒は日本一の出来だ。きっとあいつも喜んでくれる。何ならそのまま練習試合でもしようか。手筋を見られるのが嫌でも、練習試合なら構うまい。勝負の日まで、何回でも――ああ、そんなことはなかったよ。言ったろ。あいつと次に会ったのは、勝負の日だったって。
酒呑んで寝てればすぐに過ぎるような日日が、長かった。でもその間にどれだけ想像しても、頭のなかのあいつは私の駒を見て笑わなかった。ずっと、あの真剣な、触れたら切り合うしかないような、あの表情のままだっだ。
あいつ……あいつの名前……。8二歩、同銀、2三銀打……。
――勝負の結末かい?
ああ、私が勝った。好い勝負だったよ。私が指した限り、一番強い人間だった。あんな小僧がだよ。本当、すごかったなあ。あいつは凄い奴だ。やっぱり、人間って凄いよなあ。
でも、勝ったのは私……3二馬、1六銀、4二馬、2五玉。4七銀。それで決まり、さ。
負けが決まった盤を前にして、あいつはぐっと膝の上で拳を握ってた。震えてた。血の気なんて欠片もありゃしなかった。
本当に、死にそうな顔をしながらさ。それでも死ねずに、あいつは言ったんだ。
「負けました」って。
私、そのときまで忘れてたんだ。
将棋は負けたほうが自分の負けを宣言しないといけない。
でも、それってどんなに残酷なことだろうね。それに比べれば、力比べでも何でも、やるだけやって、そのまま死ぬことがどんなに贅沢だろう。そのまま死なせてやることがどんなに慈悲深いだろう。
3二馬、1六銀、4二馬、2五玉、4七銀――以上150手。最高の一局だった。私が作ったあの盤も、その上に並んだあの駒一つ一つまで。本当に好い勝負を、私は、私たちは、作った。
でも、ねえ、どうして。
あんなに小さな板っきれたちが、鬼の力でも覆せないんだろう。
……もちろん約束は果たしたさ。あいつは喰ったよ。
普通の人間なら泣いたり叫んだりしていただろうね。でも、あいつは本当に凄い奴で、最期まで取り乱したりはしなかった。
それから……そう、あの盤と駒はあいつの墓に供えて。あいつの名前……ええと、3二馬、1六銀、4二馬、2五玉、4七銀。
4七銀。
4七銀……。
☗ ☖ ☗
萃香はじっと伊吹瓢を見つめて押し黙った。そのまま朝までずっと黙っているかと思われたが、おもむろに「ねえ、将棋指そうか」と言い出した。
将棋なんて駒の動かし方しか知らないと答えると「いいんだよ、それで」と笑った。
もうすっかり、彼女は醒めているようだった。
「指そうよ。命を取るとか取らないとか、真剣じゃあない。遊びだよ。適当に、昔話でもしながらさ。のんびり指そうよ。ねえ華扇、いいだろう?」
そう言った萃香の掌には、いつの間にか、将棋の駒があった。ついさっきまでその手にあったのは伊吹瓢だったはずなのに。
はて、はて。その駒は、一体どこから出てきたのかしら。
そういう、駒の話だった。
華扇がまだ鬼だったころかそれとも...
なんにせよ良い雰囲気でした。
萃香っぽいアレがアレしててとてもアレでした。
よかったです。
不器用で大真面目で、切なくなんだか堪らなくなってしまいました
ありがとうございます
つかみでもっとくどく読者に瓢箪を意識させたほうが落ちが生きるんじゃないかなとも思いました
萃香って脳筋に見えるけどこういうのもすごくあうよね
儚く力強い後書きも憎いね。
>☖ ☗ ☖ ☗ ☖ ☗ (←これ可愛い!!)
16番さんにはわたしも賛成かな?
力及ばず屍となりぬ
鬼はそういうの大好き
でも約束だから食う
だからこそ鬼の所業なんて言われる
渇いた風みたいな空気が良いです