雲一つない墨染めの夜空に、白い穴を空けたような満月が光っていた。
私は一人紅魔館の屋根に立ち、それを見上げている。
緩く髪をなびかせる涼風は、秋の香りを微かに含んでいた。
地上からは虫たちの声が湧いている。
風情。そういったものに満ちているのだろう。俳人であれば一句も二句もひねっているところだ。
だが、しかし、私の気分は鬱々としている。
昨日も一昨日も同じような夜だった。明日も明後日も代わり映えしないに違いない。このままでは、早晩、死ぬ。
事態を打開するべく、従者の名を紡ぐ。
「咲夜」
誰もいなかった屋根の上に、人の気配が瞬間的に現れる。
「お呼びでしょうか、レミリア様」
斜め後方でかしづくは銀髪のメイド長、十六夜咲夜。我が忠実なるしもべ。そして今は頼りになる相談相手だ。
私は率直に問題点を告げる。
「ヒマだ」
そう、暇だ。とても暇なのだ。日々が退屈にすぎて、死にそうなくらいなのだ。
咲夜は頷く。
「ご心配には及びませんわ。しばらく身動きは取れませんが、時間が立てばステータス異常は治ります」
「マヒだ、それは」
無為に時を過ごすやるせなさで共通しているが。
「ヒマだ。ヒマと言っている。手持ち無沙汰なのだ」
「手乗りブタさん?」
「何だそれ、可愛いな」
「お任せください。至急パチュリー様に作成の要請を通達してまいります」
「迅速な行動は称賛に値するな。しかし、まずは傾聴という言葉を覚えてもらいたい」
「ノートに百回書き取りますわ」
「ともかくも、手乗りブタの件は後回しだ」
「いずれは作りますのね」
「暇つぶし。今欲しているものはそれだ」
「承知いたしました。暇つぶし──いろいろあるとは思いますが……どうしてもかつての紅霧異変を想起いたしますわ」
「むぅ」
小さくうめいたのは、いまだ心の傷が癒えないからであろう。
以前に紅い霧を広範囲に広げたことがあったが、あれも暇つぶしというのが理由の大部分だった。だが、代償は高くついた。
異変解決の専門家たる博麗神社の巫女。彼女が私に与えたものがいかに苛烈だったか、思わず噛みしめた奥歯に再認識させられる。
馬乗りになりながらの鉄拳制裁は、さながら降り注ぐ流星群のようで。私の顔面に恐竜が棲息していたとしても絶滅は必至だったろう。
「あの後しばらく、レミリア様はご就寝ごとにうなされてましたわ。うわ言のように『まっくのうち』と繰り返されて」
「ほんの思いつきでやったことで悪気はないというのに、容赦がないにもほどがある。だが、そう愚痴ったところで巫女の大人げのなさは変わってはいまい。下手を打っての『同様の事態』は避けねばな。……いや、違うか」
巫女の、あの現人鬼(あらひとおに)の言葉が脳に刻印されている。
『二度目はない。次やったら殺す。是が非でも殺す』
博麗神社の巫女の声、絶対零度の響きあり。
「同様などと生やさしいものでは済まず、さらに格上の地獄となるはずだ」
「転生を拒否するほどのトラウマを与えられ、塵も残さず滅殺されるに違いありませんわ」
「言葉にするな。おぞましい」
「失礼いたしました」
間違いなくそうなるからこそ、想像もしたくないのだ。かすかに震える肩をつかみ、止める。
「それでしたら」と咲夜は提案を述べた。
「異変のような大事でなければ、巫女がアップを始めることもございませんから、暇つぶしは手近なもので間に合わせなさるのはいかがでしょうか」
「駄目だ。そんなのではこの鬱屈は晴れん。一人ジェンガも一人モノポリーもさすがに飽きた」
咲夜は家事で多忙、他の者は興味がないからとつきあいが悪い。ジェンガ……面白いのに。
「館全体を巻き込むような出来事でもなければ、あいつらは共に騒いではくれまい。そんなのでは、つまらん」
「寂しがりやなのですね、お嬢様」
「五月蠅い」
「失礼いたしました。しかし、巫女に異変扱いされるのは困りものですわね」
「だが、こぢんまりしたものでは意味がないのだ」
「起こすべきは、異変にならない程度の大事でございますか」
「そういうことだ」
「でしたら、その件は瀬戸際の領域となります。ここはレミリア様の能力がお役に立つかと」
「運命を視る、か」
私の能力の中でも上位に属するものだ。未来を見通せる力というのは稀有であり、誇示するに足るのであるが……。
「正直、あまり使いたくはない能力だ」
「やはり、腰にキますか」
「身体の節々にもクる」
「しかしながら、巫女の襲来を憂うならば、」
「やらざるをえないな」
紅霧異変のときは、億劫がることで最悪の災厄を招来してしまった。同じ轍を踏んではなるまい。
「では、気は乗らないが、やってみよう」
「心より応援いたしますわ」
「まずは何を行った場合の未来視をしようかな」
「紅い霧が禁忌であるのでは、蒼い霧などならいかがかと」
「安直に過ぎる」
「申し訳ありません」
「せめて緑の霧にすべきだろう」
「さすがでございます」
「蒼の霧を発生させた未来」と「緑の霧を発生させた未来」……視ようとしたところ、不本意ながら類似の事象であるらしかったので、同時に視ることにした。
「はッ!」
気合いを発し、右手を背後に回す。同時にそらせてきた左足、そのつま先をつかむ。それだけで関節が軋んだ。
「ふンッ!」
顔を右に背け、後頭部から回した左手で鼻の先をつかむ。グキリという音が鳴った。
片足立ちの珍奇なオブジェ。今の私だ。ちなみに後二回ほど変身を残している。
こうして身体に無理をさせねば、詳細に未来を視ることはできない。かくも運命とは、その身に触れることすら過酷なものなのだ。
従者の「お嬢様、ファイト、ファイト」という温かくも脳天気な声援に若干いらつきながら、私はさらに体位を著しく変貌させた。ゴガギッと酷い音が鳴った。
「よし、視えた」
「視えましたか」
「うむ」
「それはどのような」
「うむ。……それはだな、」
痛んだ筋をさすりながら、述べる。秋風に唇が寒い。
「巫女による顔面殴打は回避できるらしい」
「朗報ですわ」
「しかし、蒼の霧の場合、全長5メートルのお祓い棒で月に向かって打たれ、緑の場合は直径20メートルの陰陽玉にすり潰される」
「バイオレンスですわ。結局は巫女が出張りますのね」
「ついでに紅・蒼・緑の全色でやってみた未来も視た」
「光の三原色ですわね。素晴らしいと思いますわ、色彩溢れる濃霧というメルヒェンを映像世界から現実へと解き放つとは……この奇跡に対して巫女の反応は?」
「前述の制裁がフルコースで振る舞われる」
「あらまあ」
「私の身体も紅・蒼・黒と色彩豊かになる。出血と痣でな」
「色鮮やかなお嬢様も素敵ですわ」
「ほほぅ」
口に出すだけで心胆寒からしめる台詞を述べているというのに、こいつは。
ぬけぬけとほざいた従者に向けて、言葉を足してやる。
「ただし、全責任をメイド長になすりつければ私は放免される」
「は」
瀟洒なメイドが硬直した。
「そうするか」
「……まさか、お嬢様が忠実なるしもべを使い捨てなさるなど、……ございません、ね?」
「もちろんだとも。従者がそのような目に遭っては、枕を高くして眠れないからな」
「左様でございますか。安心いたしましたわ」
「ところで、先日、枕を新調した」
「そうでしたわね。ご加減はいかがでしょうか」
「うむ、あの薄い枕は使いやすい。熟睡できる」
「快眠、何よりですわ」
「それで何の話であったか」
「枕を高くして眠れない」
「そう、枕を高くして眠れない。従者が死んでも快眠だ」
「何よりですわ。ところで、霧の件はなかったことにいたしましょう」
「色鮮やかな咲夜には後ろ髪を引かれるがな、そうしよう」
溜飲も下がったところで、言葉のデッドボールをやめ、建設的な会話に立ち戻る。
「まず考えを霧から切り離そう」
「キリをキリ離すとは面白いですわ」
「話の腰を折るな」
「申し訳ありません」
「これまでしてきたことを元に改変しただけでは、結果に大した変化は起こらないことがわかった。しかし、闇雲にあれこれ未来視したのでは私の体が持たない」
「方向性を定めることが必要ですわね」
「では、何が適切か。これを逆の視点で考える。今まで異変としての扱いを受けていたものから、外すべきが見えてくるはずだ」
「幻想郷の広範囲にわたって影響を及ぼすものは却下、となりますね」
「その通りだな。つまり、限定された範囲内でのイベントが適切ということだ」
「緑の霧などは愚策となりますわね」
「蒼の霧などゴミ箱に投げ捨てるレベルだ」
「それでは、ここは一つ、紅魔館で運動会を行うなどはいかがでしょう」
「運動会? また突飛な」
「スポーツの秋ですわ」
「いかがなものかな、それは」
「では、乱交会はいかがでしょう」
「いかがわしいものだな、それは」
思い出すのは、種族としての淫魔である小悪魔が、こっそり調合した媚薬をピンクの霧として紅魔館内で撒布しようとした一件だ。
「夜は墓場で運動会」ならぬ「夜は裸で乱交会」になりそうだったところを、すんでのところでパチュリーが魔術拘束した。
悪気があろうとなかろうと、思いつきで異様な霧を発生させようとは許し難い。当然、制裁した。顔面に咲夜のエターナルミークをぶつけた後、パチュリーのレイジィトリリトンですり潰してから、私のグングニルで月に向かって打った。すっきりした。
あの一連の出来事が、咲夜の頭に残ってないはずがないのだが。
「よもや咲夜も同様の制裁を受けたいと? 被虐趣味があったとは意外だな」
「もちろん冗談ですわ。提案をあっさり否定されたので、つい」
「つい?」
つい、で下ネタはないだろう。面と向かって意趣返しの意を話すというのも酷い。
さっきから地雷を埋設した後、自分で踏みにいくことを繰り返している──これはもはや悪趣味な性癖、略して悪癖、こう称して過言ではないだろう。
しかも、それをしでかすのは思いつきという……まったくもって酷い。主の顔が見てみたい。
ちなみに吸血鬼の姿は鏡には映らない。
「否定するにはするなりの理由があるのだが」
「お聞きしてもよろしいでしょうか」
「運動会だろう? 紅魔館だけで行おうとしても盛り上がらないというのが、まずあるな」
「人数ならそれなりにおりますし、それでも少ないのであれば、他所に声をかけることもできますわ」
「それであっても、身体能力に個人差がありすぎるし、身体を動かすことなら弾幕勝負でやり飽きている。そういう意味でも盛り上がらない。率直に言えば、私の食指が動かない」
「納得いたしましたわ。とどのつまりは、お嬢様の好みの問題なのですね」
「身も蓋もないな。その通りだが」
また不毛なデッドボールが開始されそうな気配だったが、「ただ、」と、咲夜の提案の全てを否定するつもりのないことを示す。そうすることで益のない諍いを避けるのだ。我ながら主の鏡ではないか。
「あの部分は良かった」
「と言いますと」
「『スポーツの秋』というところだ」
「お褒めいただき光栄ですが、しかしながら、先ほどの弁からすると身体を動かすことには飽きが来ているのでは? 秋だけに」
「『スポーツ』というのはともかく、『某の秋』というのが気に入ったというのだ。秋にちなんだものは他にもあるだろう。『読書の秋』に『食欲の秋』、『芸術の秋』。その方向で行くのは時節に合っていてなかなかだ」
「お役に立てたようで嬉しいですわ。ところで、私の渾身の駄洒落がスルーされているのが気にかかります」
「本も食事も盛り上がりそうにない。ならば残るは芸術。絵画や彫刻などを使用人たちも含め全員で作り、広く一般に公開したなら……うむ、これならば盛り上がる予感がある」
「『飽き』が来る『秋』。自信作でしたのに」
「格調の高さも我が紅魔館にふさわしい。よし、盛大に『芸術祭』を開催する方向で行くぞ!」
「それならば飽きが来ませんわね、秋なのに」
温厚な私もさすがに殴った。
──はずだったのだが、前もって予測していたのだろう、咲夜は時止めの能力で位置をずらしており、拳は空ぶった。
「失礼いたしました」と頭を下げているメイド長に追撃のグングニルを放とうとしたところ、間髪いれず「お茶をお持ちしますわ」と姿そのものを消されてしまう。その瀟洒な逃走は、全くもって業腹だった。
ぶつけどころを失った怒りとグングニルを、私は夜空に向かって投げた。
夜気を切り裂く音を立てて飛んでゆく光槍。紅い軌跡を描いていく様は、黒いキャンバスに絵筆を走らせるように思えた。
「……やるとなったら、私は絵でも描いてみようか」
既にその気になっている自分がいるのだった。
* * *
紅い絨毯の上で椅子に座る。時間帯は昼間であるが、カーテンは分厚く閉じられ、物音も含めて全てを遮断している。自室に存在するのは、自分とテーブル上の物だけ。
静謐の中、私は対象を見つめる。それは無言の対話。お前はどのように自分を見せ、私はどのようにお前を見るのか。何度も問い掛け、そして答える。
そのものの本質を理解し、自分の感性と混ぜ合わせる。そうして誕生する新たな形を、右手の道具で現出させる。
これを神の御業と喩えた者もいたが、むべなるかな、この創造──芸術とは至高の活動だと感じ入る。
だいぶ形になってきた。少々できを見てもらおうか、他の進捗状況を聞くついでに。
従者の名を紡ぐ。
「咲夜」
誰もいなかった部屋の中に、人の気配が瞬間的に現れる。
「お呼びでしょうか、レミリア様」
「どうかな、全体の様子は」
「ほぼ問題はありません」
「良いように計らってくれ」
「かしこまりました。お嬢様のお心のままに」
「うむ。ところで、私の絵を見てくれ。こいつをどう思う?」
「すごく……お上手ですわ」
言いよどんだのが気にかかったが、「すごく……奇異です」と言われなかっただけマシだろう。何がどうマシなのかはわからないが。
「さもあらん。私の芸術センスもなかなかのものであると、自覚しているところだ」
咲夜が覗き込む前で、得意気に絵筆を動かす。キャンバスに眼前の静物が描き出されていた。
お絵描きなどいつ以来のことであったか、久方ぶりに過ぎて思い出せない。だが、やってみれば、自分なりに堂に入ったものができそうであり、それも含めて楽しい作業だった。
私が描いているのは、皿に載ったリンゴやブドウなどの果物である。瑞々しさを表現することに特に注力していた。
「お嬢様の絵は食欲をそそられさえしますわ」
「フッ、絵に描いた餅は食えんぞ」
「『パンはパンでも食べられないパンは?』ということでございますね」
「お前は何を言ってるんだ」
だが、褒められてまんざらでもなかった。いずれは個展でもやろうかなどと思っていると、咲夜は絵の果物の一つを指さす。
「思わずかぶりつきたくなります、このドリアンなどは」
「そうか、そうか。……モデルにドリアンはないのだが」
「左様でございましたか。さすがはお嬢様、闇夜に君臨する王女の描写力は、凡百の果物をすら『フルーツの王様』に表現してしまうのですわ」
遠回しに絵の下手さ加減を指摘するその心遣いは、私の神経を優しく逆撫でしてくれた。言いよどんでいたのは、それが理由か。
確かにこのリンゴについては、色の混ぜ合わせが上手くいかず、くすんだ色彩になってしまい、さらに輪郭も滑らかな曲線でなく、凹凸の目立ったものになっている。
さりとてドリアンはないだろう、ドリアンは。絵の題名を「Bad Apple!」にすればフォロー可能なレベルではなかろうか。
立腹のままに問う。
「咲夜の方はどうなんだ」
「何がでございましょうか」
「絵だ。お前も絵を描くことを選択していたはずだろう。当然、私以上の腕前なのだろうな」
「お嬢様を差し置いてそのようなことは、決して。せいぜいが果物をマンゴスチンに描き換える程度ですわ」
「なるほど、『フルーツの王様』の下の『フルーツの女王』か。ハッハッハ、それは面白い。よし、そこに直れ。素っ首、叩き斬ってくれる」
こちらの苛立ちを理解した上でさらにおちょくるとは、相変わらずいい性格をしている。ここは二重の意味で首を切っておこう。そして、アンデットとして再雇用する。文字通りの永久就職だ。
が、絵筆をグングニルに持ち替えようとしたところ、既に頭を下げられていた。もはや職人技といっていいほどの、機先を制する謝罪だ。
「お気に障りましたら、申し訳ございません」
「お前、謝れば済むと思っているだろう」
「いえいえ、まさか、まさか」
思っているに決まっている。決まっているのだが、すでに許す気になっている自分の甘さが憎らしい。
許す理由を考えたとき、こういったやり取りを心のどこかで楽しむ自分がいるのかもしれなかったが、どうにも認め難い。咲夜が心中でドヤ顔になっているのを思えばなおさらだ。
だが、もう許すことになっている以上、詮無いことだ。
「わかった、もういい。それで実際のところはどうなんだ」
「絵について、でございますか?」
「そうだ」
「一つ取りかかっているものがあったのですが、それとは別にもう一作品が先ほど完成いたしました」
「解せないな。そのような片手間で片づくものか?」
「事情により、美鈴との合作になりまして」
「門番が描いていたものに、メイド長が手を加えた形か」
「そのようなものですわ。それなりの出来です。題は『夕闇の赤トンボ』」
「不可思議なモチーフだ」
「真っ白なキャンバスを前に眠りこけておりましたので、紅く染めてあげたのですわ」
「ああ、ナイフでか」
「特に問題ではございませんよね」
「『闇夜のカラス』よりはエスプリが効いている。紅魔館のカラーでもある。問題はない」
「ありがとうございます」
出血多量の門番の安否は、元より俎上に載せてない。何度ナイフで突き刺して警告しても再び居眠りを繰り返すのだから、今回に限って永眠することはないだろう。それだけ身体が頑丈ということもあるが、何しろ睡眠時間は十分足りているのだ。
「ところで、フランには知られてないだろうな」
「はい。全ての者に箝口令を敷いてあります。芸術祭のことが耳に入ることはございませんわ」
「ならば良し。はっきり惨事とわかる運命ならば、すべからく避けるべきであろうからな。そこだけは絶対に押さえておくのだぞ」
「承知しております。『芸術』の『げ』の字も禁句といたしますわ」
「うむ」
「先ほど妹様にお出ししたお食事も、『そのカラー』としておきました」
「何だ、それ」
「『ゲソのからあげ』でございます」
「そういう『げ』の字の排除はするな」
逆に不自然だろ。不審に思ったフランが、そこから当イベントを嗅ぎつける可能性も出てきてしまう。
「万難を排するため、アツモノに懲りてナマスを吹く杞憂も必要かと」
「不必要だと自分で言ってるじゃないか」
「そういえばそうでしたわ」
しれっと言いおってからに。相変わらずふざけているな。
「万難を排すると言えば、お嬢様、妹様の件以外は大丈夫なのでしょうか。他の運命は曖昧模糊としてご覧になれなかったのでしょう?」
「うむ」
私の未来視が未熟というわけではない。勘違いしている者も少なくないが、未来とは(運命と言い換えてもいいが)全てが全て定まって動かないものではない。こうすれば確実にこうなるという未来もあれば、こうするとどうなるか皆目見当がつかない未来もあるのだ。
私にとって望ましいのはもちろん後者の未来だ。
「わざと未来が混沌とするようにしたのだ。決まり切った結末などつまらないからな。何が起こるかわからない期待感を、私は欲する。……ただ、まあ、その調整のためにぎっくり腰になったり、あちこちの筋を違えたりしたが」
「お嬢様の奮闘ぶりは、この咲夜、よく存じておりますわ。その苦痛、替わって差し上げられるならと幾度思ったことか」
「お前の応援には、切羽詰まったものが一切感じられなかったがな、いつもの如く」
「けれど、苦痛の甲斐あって、先行き不透明とするに有効な不確定要素を盛り込めましたのね」
「ああ、命蓮寺の面々を招待したのもその一環だ」
互いの交流を深めようと聖白蓮に声を掛けたのだ。相手は二つ返事で了承した。あわよくば信仰を増やそうという目論見もあったろう。こちらも交流は建前で、暇潰しが本質であるからお互い様だが。
咲夜は首肯して言う。
「確かにそこはかとなく不穏な気配に満ち満ちています」
「うん? 先ほど問題がないと言わなかったか」
未知は求めたが、不安は求めてない。
いや、そうでもないか。よしんば懸念があっても、しかるべく解決する。それもまた楽しい行為だ。
「確かに『問題はない』と申し上げました。ですが、『ほぼ』という副詞を添えもいたしましたわ」
「そうだったな」
「問題はあるといえばあります。とはいえ、『見ようによっては』とも言えますし、何と表現すべきなのか、いささかどうにも……」
「要は百聞は一見に如かずということだろう。構わん、私が直々に検分しよう」
「痛みいります。では、ご案内いたしますわ」
お披露目会に向けての創作活動で、どのような不穏が生じるというのか。ほのかな期待を胸に灯らせ、私は立ち上がった。
* * *
開放した大広間では、大勢があちこちでそれぞれの創作に勤しんでいた。互いの似顔絵を描いている者たちもいれば、粘土をこねて像を造っている者もいる。
この場にいる全員の頭上に、ゆらめきが幻視できた。静かに高まる創作熱によるものだ。
「あれは何をやっているのだ?」
私が指さしたのは、十人ほどの妖精メイドたちだ。背の倍ほどの高さがある枠の中に、小さな四角をたくさん貼り付けている。色を確かめている様子からすると、どこに何を貼るのか決まっているようだった。
「タイルでモザイクを作ろうというのですわ。根気の要る作業です」
「うむ、壮大な作になりそうだな」
「ええ、完成したときが楽しみです、お嬢様の裸婦画」
自分の表情が凍りつき、亀裂が走るのがわかった。
「聞いてないぞ」
「申し上げておりませんから」
「知っていたならなぜ知らせない。それ以前になぜ止めない」
「止める理由が思いつきませんでした」
「思いつくまでもないだろう! 私のあられもない姿をワイド画面で衆目にさらすなど……主を羞恥に身悶えさせたいのか、お前は」
「そのお姿を見るのもまた楽しみですわ」
「よし、完成の暁にはメイド長をひん剥いて、あの作品の横に磔にしておこう。いや、むしろ作品にそのまま取り付けて、私の恥ずかしい箇所を隠してしまおう」
「それには及びませんわ。よくお考えになってくださいな。恥部を隠そうとなさらなくても、ほら、そもそもあれはモザイクなのですわ」
何を言っているのかさっぱりわからなかったが、何やら納得せざるをえないような気になってきた。
畳みかけるように咲夜は言う。
「そもそも芸術とは、攻撃衝動や性的欲求を昇華させたもの。人間の根元的な情動を社会的に承認される形にしたものなのですわ」
「ふむ、残酷や猥雑と切り捨てるのは芸術の扱いとして間違っているか」
ならば、紅魔館の主として度量の広さを持つべきなのだろう。
「よし、肖像権の侵害及び猥褻物陳列の罪を問うのはやめておく」
「ご英断に感謝いたします。これで私も大画面のヌードにハァハァできますわ」
「うむ、台無しだな」
冗談だろうし、少しでも感情的になったらかえって喜ばせるだけなので、軽く流しておく。
しかし、こう会話の合間合間におちょくりを入れてくるのは何なのだ。そのお陰で退屈が紛れるということも多くはあるのだが。……まさか、そういうことも見越して、しでかしているのではあるまいな?
ともかく、話を戻すことにする。
「それで、これが件の『問題』ではないのだろう?」
「ご慧眼、感服いたしますわ」
「ぬかせ。命蓮寺勢に関することだと話の流れからして明らかだったろうが」
「ええ、こちらになります」
案内されるままに大広間の一画に進んでいくと、段々と暑くなってくるのを感じた。秋霜烈日の厳しさが館内にも?と思ったが、そうではなかったらしい。
気温とも創作熱とも違う熱の高まりがそこにあった。
「何だ、これは」
困惑が口を衝いて出る。眼前で展開されているのは、トラとネズミのいちゃつき。
背の高いトラは、背の低いネズミを膝に載せている。ネズミは両手をトラの首の後に回して、二名は至近距離で微笑みあっている。
トラがネズミの耳元で何かをささやいている。聞きたくもなかったが、その声は耳に入ってきてしまった。
「可愛いですよ、ナズーリン」
「ご主人……」
これは酷い。周囲にはばかることなく何をやっているのだ。咲夜も大仰に上向いた顔を覆う。
「何ということでしょう。悪魔の巣窟と称されることもある紅魔館が、愛の巣となってしまうなんて。これはもはや匠の技」
「そんなコーディネイトがあってたまるか」
「何ということでしょう」も何も、始めから知ってて連れてきたのだろうに、とぼけたことを言う。むしろこの状況を楽しんでいる節さえ感じられる。
「事情の確認、事態の収拾はどうなってるんだ」
「事情についてはある程度。けれども、お嬢様が直接お確かめになったほうがよろしいと考えますし、収集についてはご自身で手を下す方がご意向に添うかと」
右手をそちらに向けられ、促される。当初よりそのつもりであったのでとがめることはしなかったが、やはり楽しんでいるなとの思いもある。手の平で遊ばれてるような気になるのだ。
「ちぃっ」
軽く舌打ち。
ふざけた従者の処置は後に回すことにし、私は目の前の問題に対して歩を進めた。
トラとネズミに声を掛ける。
「互いのフェロモンを嗅ぎ合っているところ邪魔をする。寅丸星とナズーリンだったか。芸術祭についての作業は進んでいるか? どうも創作物の類は見当たらないようだが」
二人は顔をこちらに向ける。上気していて赤い。瞳は潤んでいる。自分たちの世界に没頭するにも程がある。
背の高い方、寅丸星がはにかみながら答えた。
「いえ、始めは二人で作っていたんですよ、5メートルほどの彫像でした」
「大作だな」
「一輪のものに比べれば大したことは。ただ、自分でいうのも何ですが力作でした。でも、失くしてしまいましてね」
「どうやったら紛失できるのか聞きたいな」
世紀のマジックショーか何かか。金が取れるレベルだぞ、私は払わんが。
背の低い方、ナズーリンが取りなす。
「そこがご主人の玉に瑕のところで……よく物を失くすんですよ」
「そんな次元ではないように思えるが」
5メートルの物体を忽然と消し去るのは神隠しと変わりない。
いや、それより作品を紛失しておいて、じゃれあう理由がわからない。
寅丸星が言う。
「しかし、失くしてみてわかったのです。私にはナズーリンがいる。そして、ナズーリンには私がいる。それだけで十分だったのです」
「ご主人……」
「ナズーリン……」
「待て。とりあえず再び見つめあうのは控えろ。どんな論理跳躍があったかはともかく、お前たち、芸術祭のことは頭にあるのか」
「ええ、それについてですが、」
寅丸星はナズーリンと共に微笑んだ。
「もう作品は完成していると断言できます」
「? 意味をつかみかねるが」
「すなわち、二人の愛こそが芸術品であると開眼した次第です!」
「ご主人……!」
ふむ、なるほど。
私は納得して頷く。
駄目だ、これは。
開眼どころか「恋は盲目」に陥っている。ネズミに至ってはトラのどんな言葉にも「ご主人……」と惚れ直している始末だ。博麗大結界以上の強固な障壁が、二人と現実世界とを分断しているのだろう。もはや処置無し。
「咲夜、行くぞ」
「よろしいのですか? お二方の濃厚なラブシーンが開幕しそうですが。ほら、もう頬を擦りつけあって」
「公演中止を望むべくもない。そして、これ以上の胸焼けは心身共に悪影響を与える」
「こちらも負けじと見せつけるという案は?」
「とんでもないアイデアを急造するな。いいから行くぞ」
彼女らの責任者たる聖白蓮に談判することにしたのだ。信仰心のダダ下がりが目に見える事態ならば、静観はできないはずだ。
* * *
「お疲れさまでした」
「うむ、疲れた」
率直な感想だ。
配下の者が何も作らずに悦に浸っていると訴えたのだが、当の聖白蓮も同様だった。
何もない空間を前にして、『無こそが究極の芸術品であると開眼した次第です!』とどこかで聞いたようなことを力説していた。配下も配下なら、主も主だ。
聖白蓮に貸した個室から出てきた途端に、悪態も出ようというものだ。
「馬鹿には見えない芸術品だとでもいうのか。まさしく裸の王様だ、あれは」
「むしろ馬鹿にしか見えない芸術品ですわね。お得意のエア巻物も何かしらの関係性があるのでしょうか」
「頭の中にエアが詰まっているのかもしれんぞ」
「ありえることですわ」
本人のいないところで言いたい放題言っているが、致し方のないことであろう。わざわざ招待したというのに、山をにぎわわせる枯れ木にすらならないのであれば、鬱憤も溜まろうというものだ。
それに加え、
「先の読めない未来に期待していたのに、蓋を開けてみれば『何もなかった』というのではてんで拍子抜けだ。忌々しい。せめてもの慰めとしては、命蓮寺が紅魔館の引き立て役になってくれることだな。あれに比べれば、どのようなものであっても引き立つだろうさ」
「ただ、あれについてはいかがです? あちらの封獣ぬえ様が壁にめり込みあそばされてたのは、なかなかの趣向だったかと」
「下半身だけ突き出ていた、あれか」
彼女は、所構わず「正体不明の種」だか「不安の種」だかをばらまいて大混乱を巻き起こそうとしたのを、聖白蓮のおしおきワンパンチにより、自らを前衛的な創作物へと転身させたのである。
タイトルは『頭隠して尻隠さず』。
しかし、私の評価は単純にして明快、
「つまらん」
の一言だ。
「お気に召しませんか」
「召さん。仕置きにしても斬新さが不足していてありきたりであるし、そもそも下僕の教育もまともにできてない証左ではないか。上に立つ者として、まるでなってない」
「ん……左様ですか」
「どうした、その奥歯に桃が挟まったような物言いは」
「私の奥歯には桃が挟まるほどのスペースはございません」
「言い間違えた。奥歯に、ホモが、だったか」
「BL本の数々はベッドの下に収納しております」
「まあ、言い方はどうでもいい」
「私の奥歯は桃やらホモやらで大惨事ですが」
「どうでもいい」
「かしこまりました」
「それで実際のところ、何を言いたかったのだ」
「はい。それは、かくかくしかじか、でして」
なるほど、「かくかくしかじか」か。つまりは、すなわち、
かく×(かく+しか)÷じか=……
「よし、図書館にゆこう」
「ゆきましょう」
そういうことになった。
* * *
「ピカソの『ゲルニカ』でございますね」
「うむ」
小悪魔の顔が、である。もっとも今は鏡の向こうの自分を目にして、ムンクの『叫び』のようでもあったが。
「自らを西洋美術とするとは見上げたものだ」
「本人の意志によるものではありませんけれど」
「だろうな」
小悪魔は顔に似合った珍妙な声を漏らしながら、焦った挙動を見せている。いや、もしかすると泣いているのかもしれなかったが、判別しようがない。
横向きに口がついていて、反対側に目が二つ並んでいる有様だけ見ても、私生活に支障が出ること請け合いだ。
だが、奇妙奇天烈な顔面形態は、どんなに嘆こうとも、いかように撫でさすろうとも、一向に改善する様子はなかった。その撫でさする手さえ変貌してしまっている。
恐らくパチェがやったのだろう。高度な生体変化系魔術で、本来生命維持にさえ影響が出るはずの造形を無理矢理成立させている。
「罪状は?」
「ピンクの霧の噴霧未遂ですわ」
「またか」
「リターンズですわ」
「つくづく懲りん奴だ」
「エロスこそ美の根元と言ったとか、言わなかったとか」
「あいつの頭の中こそ霞がかっているのじゃないか?」
「違いありませんわ。しかし……」
「しかし、何だ」
「『ありきたり』……」
「む」
「『下僕の不始末は主の教育不行き届き』……」
「むぅ」
聖白蓮に対する評が刃物となって切りつけていた。刃物の名はブーメラン。
しばしの沈黙。そして、私は断じた。問題ない、と。
「ありきたりなのは小悪魔の所行であり、処罰の方法ではない。さらに、小悪魔はパチェの配下であり、私のそれではない」
「それはそれ、これはこれ、でございますね」
「身も蓋もないが、その通りだ」
「さすがでございます」
こうして紅魔館の主としての体面は保たれた。なべて世は事も無し。
「さて、話も済んだところで、自室に戻るか。絵を完成させないとな」
「いえ、まだパチュリー様の作品をご覧になってませんので」
「何?」
私は悲憤慷慨している3Dゲルニカを指さした。
「あれではないのか」
「あれではありませんわ」
「では、いかような?」
「それはご自身の目でお確かめになるのがよろしいかと」
「またそれか」
含みのある語調に不安が忍び寄る。
「…………酷いのか?」
「私の口からは何とも。ただ、お嬢様の監督不行き届きを指摘される可能性も無きしもあらず、ですわ」
「酷いのだな。……いや、パチェは、配下じゃなく友人だから」
「震え声ですわ、語尾が」
いらん指摘をするメイドだ。
だが、紅魔館の沽券に関わる事態も予想されるし、懸念があるのは事実である。早急に確かめねばなるまい。
パチュリー=ノーレッジ。我が友人にして、大図書館の管理者。悠久の時の中で真理を探求し続ける魔女。
品性穏やかで静寂を愛する。そのような普段からの姿をトラブルの出所と結びつけることは難しい。
だが、魔法使いというものの特性なのか、一度変なスイッチが入るととんでもないことをしでかしたりするのだ。
白黒の魔法使いの例を挙げれば、マツタケ栽培がある。
条件が揃えるのが難しいマツタケの培養を、場所を問わずに行えるよう研究をしていたのだが、普通に土に生やせばいいものを、書籍やら屋根やらに生やし始めた。難易度が高いものほど乗り越える快感があったのだろう。
その後、市場に格安のマツタケが大量に流れ、人々の食卓に上ったらしいが、その中にトイレや術者の全身に生えたものが含まれていることは隠蔽された事実である。
七色の魔法使いの例を挙げれば、人形作りがある。
等身大の人形を作成するところまでならまだわかるのだが、ある時に着手したそれは、インフルエンザウィルスだった。誰も成し遂げたことのない、というか成し遂げる意味を見出さないことを、やがて彼女は成功させた。
魔光学顕微鏡を用いて作成されたウィルス人形は、なぜか擬似的な機能も付加されており、それが効果的に発揮された結果、彼女所有の人形たち全てに感染したのだった。
工房の室内温度は40度を超え、床一面にまで鼻水が広がったという。ちなみに、モデルにした本物のインフルエンザウィルスによって、彼女自身も罹患した。
これらの珍プレー集に、パチュリー=ノーレッジの事例も加えて遜色ないのである。後先考えない探求心は魔法使いにとって必須なのであろうか。
さらに言えば、ウチの知識人はスイッチが入ると変なテンションになる。いわゆる中二病を発症するのだ。
先だって新しいスペルを開発したときなど、こんなことを叫んでいた。
「フロギスティックピラー! 火と水が備わり最強に見えるッ! 火が強すぎると逆に頭がおかしくなって死ぬ!」
既に頭のおかしい状態で言われてもどうにも反応のしようがなかったのを覚えている。
(のっけからあのテンションだったら難渋するな)
不安がまとわりついて足取りが重くなっていたが、とうとう図書館に到着してしまった。
図書館のヌシはいつものテーブルで読書していた。今のところ普通に見える。
手元のティーカップは紅茶で満ちている。そこからやや離れてティーポットが置かれている。咲夜が持ってきたものだろう。パチェの紅茶は小悪魔が淹れることが多いが、現在は諸事情で淹れるどころではない。紅茶のためにパチェは咲夜を呼び出し、そして咲夜は問題を目の当たりにしたわけだ。
「やあ、パチェ」
「あら、レミィ」
自然を装い、近づく。まずは当たり障りのない会話をしよう。
「良い天気だな」
「ここは屋内だから同意していいか惑うわ」
「良い天気だったはずだ」
「というか、レミィは晴天が嫌いじゃなかったかしら、ヴァンパイアなんだし」
「そういえばそうだった」
初っぱなから不自然だったようだが、ともかくこちらの詮索を感づかれてはならない。友人に疑いの感情を持たれている、そのようなことを知られるのは避けたい。遠回しに、婉曲的に、そこはかとなく聞き出すのだ。
「ところで、パチュリー様の大変個性的な作品に、お嬢様が興味津々でいらっしゃるのですが」
「おい、こら」
人が投げようとした牽制球を奪い取ってデッドボールにするな。乱闘か。お前は乱闘が望みなのか。大乱闘デュアルバニッシュか。
「ああ、あれね」
だが、大して気にしたふうもなく、パチェは微笑むと、紅茶を一口含んでから語り始めた。友人からの疑惑云々は取り越し苦労だったようだ。
「時にレミィは紅霧異変の後日談を知っているかしら」
「? 異なことを言う。我々は当事者だったろう」
「そうじゃないわ。どのように人の口に上ったかということよ。事実はともかくとしてね」
「要は『噂』か。気にもしてなかったな」
有象無象の四方山話など、高貴な存在は歯牙にも掛けないものだ。
「根も葉もないもので溢れているわよ。たとえば、巫女に対してレミィが土下座したとかね」
「何だと」
そのような事実はない。何と不名誉なことだ。実際は謝る間すら与えられずタコ殴りにされたというのに。
「炭火で焼けた鉄板の上でやったと言われているわ」
「私はステーキか」
焼き加減ややレアのレミリア、などとは洒落にもならない。こちとら捕食側だ。
「まったくふざけた流言飛語だ。一掃できるならしてしまいたい」
「でしょうね。でも、人の口に戸は立てられないわ」
「立てられても自動ドアなんだろうな。誰かが前に立つと自然と開く。貞操観念も知れたものだ」
「そしてお嬢様は腹を立てられていると」
「五月蠅い」
「失礼いたしました」
パチェは私と咲夜のやり取りにクスリと笑うと、咲夜に言った。
「いじって遊ぶのもほどほどにするのよ?」
「さりとて生き甲斐を手放しますのも抵抗がありまして」
何の話をしているのかわからなかったが、なぜだかやや不愉快になった。荒唐無稽な噂話へのそれも相まって、フン、と鼻が鳴る。
そんな私にパチェは、気に障ったようね、と紅茶を一口して、噂の件に話を戻す。
「でも、他にも酷いことを言われているわよ」
「まだあるのか」
「大衆はゴシップを好むものなのよ。たくさんあるわ。階上から突き落とされて女神像に貫かれたとか、猫と混ぜ合わされてどこにもいなくされたとか、恐怖心に取り憑かれて夜中に一人でトイレに行けなくなったとか」
「ふむ」
神妙な顔で頷きはしたが、解せない。最後の事項だけは事実だった。恥ずかしい記憶が甦る。
なぜだ。その件については、人に知られることのないよう十分な注意をしたはずだ。
まさか情報をリークした輩が紅魔館内部にいるとでもいうのか。主のカリスマブレイクにほくそ笑む不逞の徒が。だとすると、一体誰が……
ふと横を見ると、メイド長が思いっきり顔を背けた。さらに見つめ続けると、口笛までが漏れ始めた。
こやつめ、ハハハ。
「レミィ、どうしたの。妙にドス黒いオーラが立ち上っているわよ」
「何でもない。突発的に殺意の波動に目覚めただけだ」
「ご成長著しく、めでたいことですわ」
「この力を以てして、後日、メイドを冥土に送ろう」
「後日ということは、冷却期間を置くことで怒りを静めなさるおつもりなのですね。お言葉とは裏腹の心遣い、素晴らしいですわ」
「この場での処刑は汚れが飛散してしまうというだけだ。清掃する者もいなくなるしな」
その時、前触れなく叫び声が聞こえた。辺りを見回す。
「しゅルれあッ!」
まただ。誰かがふざけたのかと思ったが、それらしき者は見当たらない。それに何とも形容のしがたい声だった。人が発したものではないような……
「いったい、何だ?」
「レミィ、それで噂についてのことなのだけど、」
「いや、待て。あの奇っ怪な叫声が気にならないのか。それに、そもそもパチェの作品を問うたはずなのに、なぜ噂について語っているのだ?」
「最後まで話は聞くものよ。慌てる乞食は何とやら、ね」
「ふむ、慌てる乞食はオールアウト・スクラップ(全損廃棄物)か」
「それはちょっと否定しすぎね。まあ、ともかく、噂の話」
「うむ」
「紅霧異変の場合、噂に尾ひれがついたのよね」
「そうだな。さらに言えば、一人歩きした。野太い足を生やして」
それくらいのことは言ってもいいはずだ。
すると、咲夜が言葉を足す。
「付け加えさせていただくならば、翼を羽ばたかせ、牙を剥き出しにして、全身の毛穴から瘴気を発散させるようになりましたわ」
そんなにか?と思わないでもなかったが、噂の多くを咲夜は知っているのだろう。咲夜の表現に見合うだけの変貌を遂げた噂だったということだ。お前も噂の拡散に一枚噛んでるじゃないか、とは口にしないでおく。
パチェは頷く。
「そう、噂とは、人々を透過するうちに複雑怪奇に変貌する情報よ。私の芸術作品のモチーフはそれなの。形として現れないものを形にする──芸術活動の極致と言えないかしら」
さすがは我が友人、そして紅魔館の知識人だ。深い思索による確かな見解が淀みなく言葉と紡がれる様は、それこそ絵になっている。
「だから私はその噂の変貌っぷりを具現化したの。魔術的に」
「……?」
「生物的に」
「は?」
雲行きが怪しくなってきた。まさか、と思う暇もあらばこそ、テーブル上にものすごい勢いで何かが降ってきた。
轟音。衝撃でティーポットもティーカップも飛び散る。
「しゅルれあッ!」
先ほどの奇っ怪な叫声を上げて仁王立ちするのは、その姿も奇っ怪な生物だった。鋭い牙の生えた口が開閉する。
「 」
言葉が喉の奥でつかえている。巨大な魚に人間の太い足が生えているなど眼前にしたら、当然の反応だ。
パチェが立ち上がる。
「感嘆のあまりッ! 声も出ないようねッ!」
右手を額にかざした変なポーズで、力のこもった言葉が吐かれる。
まずい、変なスイッチが入った。
「極限にまで洗練された造形は、機能的かつ優美ッ! 知性と野生の完全なる融合は、まさに究極の神秘的芸術ッ!」
「しゅルれあッ!」
怪物が同意するように叫ぶ。
だが、凡人には理解できない。というか、こいつの存在は、凡人の理性を浸食しかねない。魔女狩りの正当性に根拠が与えられそうなことになっている。
生臭い上に、すね毛がもっさり繁茂した足。何というキモさだろう。さらにあろうことか、ガニ股でスクワットを開始するのだった。
とてつもなく冒涜的なものを創出したパチェのスイッチ……ニャル気スイッチと名付けることにしよう。
咲夜の視線は「どうです、酷いでしょう?」と語っていた。
否定できるはずもない。かといって、率直に我が友人にそのことを伝えることは憚られた。相当の自信作だろう、この生物(なまもの)は。
「いや……すごいな」
ようやくそれだけ言う。
その言葉を勘違いしたパチェは誇らしげに胸を反らせた。
「すごいのは見た目だけじゃないのよ! 聞いて驚きなさい!」
「正直もうお腹いっぱいなのだが、さらに能力もあるとはな。世界を七日間で焼き尽くす程度の、とかか?」
「そんなんじゃないわ! 芳醇な香りに、濃厚な味わい、爽やかな喉ごしよ!」
「何と。食用なのか。……食用らしいぞ、咲夜」
「『ショックよ』と申したいところです。食用なだけに」
こいつが食卓に上るときには、魚料理と肉料理のどちらなのだろう。いずれにせよ、食いたくない。
「なんで食えるようにしたのか、聞いていいか?」
「知れたことよ! 私が目指したのは『噂』の体現ッ! 『噂を口にする』! ふふっ、我ながら洒落が効いてるわ!」
悦に浸っているパチェ。同調するように怪物は一声叫ぶと、今度は華麗なステップを踏み始めた。
いや、お前は喜んでいいのか? 食われる立場だぞ? トンカツ屋の看板で、ブタがコックの衣装を着て、「美味しいよ♪」と言っているのと変わらんぞ?
こちらの気持ちを解するふうもなく、怪物はムーンウォークまで繰り出した。結構上手い。
「こいつは妙にハイテンションだが、それには何か理由なり意味なりあるのか? まさか『噂を沈静化させるのは困難』というやつか?」
「小悪魔が媚薬の撒布を目論んだとき、一応阻止はしたのだけど、ちょっと飛散されちゃったのよ。だから、この子に浄化能力を付加して、吸い込んでもらったの。すごいでしょう」
「浄化能力か。そこは評価できるな。だが、処理しきれなかったと」
「ええ、ほんのちょっと媚薬の影響下にあるわね」
「それならハイテンションにもなるか。……いや、待て、つまり発情しているのか、こいつ」
性欲をもてあます怪物が我が家でスニーキング・ミッションしているなど、とんでもない。風紀の乱れにつながる。
「それは大丈夫よ。直に体内で媚薬は分解されるわ。ほら、今だって見て取れるでしょう」
ビシッと指さす先は怪物の広い胴体。掌ほどもある鱗が並んでいる。その隙間から紫色の気体がゆらゆらと漏出していた。
「何だ、これ」
「媚薬の効果を解消させた気体、瘴気よ!」
「正気か。あ、いや、瘴気か。毒ということじゃないか」
「ええ、まともに吸引すると五分で肺が腐るわ、ふふっ!」
「笑い事じゃないだろ」
「媚薬以上の被害になりますわね」
咲夜に同意する。これでは歩くバイオハザードだ。
「心配無用よ、人間にしか害はないから!」
「十分じゃないか」
「そうでしたか、では危険の及ばぬうちに、私はここでお暇させていただきますわ」
「あ」
……と言う間に、咲夜の姿は消えてしまった。
口実をつかんだ直後、電光石火の逃走。鮮やかだ。
お陰で私一人、変なテンションの魔女&怪物と一緒に、閉鎖された空間で時間を過ごさなければならなくなった。後で覚えていろ。
「しゅルれあッ! りすムッ!」
怪物が叫ぶ。変な鳴き声だと思っていたが、自己紹介だったのか。シュルレアリスム、とはな。
うん、確かにシュールとしか言いようがない。
納得していると、さらに超現実主義的なことが背面に起こっていた。白い翼が噴き出すように生えてきたのだ。
「悪い知らせは翼を持つ」の言葉通りだ。そうして「悪事千里を走る」のだろうか。
「さあ、行くのよ、私の芸術作品! 噂の体現そのままに、人々の間を駆けめぐり、その姿を千変万化させなさい!」
椅子の上に載り上がるまでに興奮するパチェ。もうにっちもさっちもどうにも止まらない。
これだけでも奇々怪々なのに、さらに変身するのか。そして、大勢の目に触れると。紅魔館の常識が疑われる可能性が急激アップだ。
こちらの懸念もつゆ知らず、魚人はパチェの号令に応え、野太い足で跳躍した。白い羽で空気をつかみ、図書館内を飛ぶ。飛行は雑であちこちの本棚に激突、しかし、痛みを感じるふうもなく、さらに激しく飛びまくる。何やら口をモゴモゴさせているかと見れば、本を食べていた。食性はヤギか。
何というカオス。せめて少しでも抑制できないものかと、言葉を掛ける。
「なあ、パチェ。激しいのも悪くないが、何か、こう、エレガントな方向性で落ち着いた雰囲気を醸し出すのも悪くないと思わないか?」
「そんな消極的な生き方はさせられないわっ! たった二ヶ月半の寿命なのよ? 思いっきり生命の輝きを発揮させてあげないと!」
暴走は決定事項のようだ。人の意見を聞く気がまるでない。
それにしても、余命二ヶ月半のモノノケか。短命だな。何故そのような設定にしたのだろう。食卓に上りやすくするためか?
……ああ、そう言えば「噂」がモチーフだったな。だとすると、考えられる理由はあれしかあるまい。
『人の噂も75日』
* * *
日差しを体内に取り込むようで、吸い込んだ空気は肺を焼くような感覚もしたが、ゆっくり吐いていくと気分をなだらかにする効果をもたらした。
もう一度吸い込む。今度は刺激がかえって心地良くなっていた。
吸血鬼の身で日光の下に立つなど、日傘を持っていてもやりたいものではない。しかし、それは平時ならばの話で、今は開放感を与えてくれる。図書館の出来事から離脱できたのだとの感慨を新たにしてくれる。
あの暗い場所で、友人とその作品の狂乱ぶりをずっと鑑賞させられていて、結果、脳の襞には澱のように忌まわしい記憶がこびりついている。自室でしばらく休んだ後もそれは拭えなかったが、太陽の光は蒸発・消散させてくれるように思えた。間接的に身体を照らし、じわりじわりと浸透して、内部を白く焼いていく。
次第に落ち着きを取り戻す自分がいた。
「ふぅー…」
辺りを見渡せば、あちこちで創作に励んでいる者たちがいる。
秋空や花壇の絵を描いている者。石を砕いて彫刻を作っている者。正門においては、装飾の為されたアーチを作成しているのが、複数人。
健全なる芸術活動。本来あるべき光景だ。
比較するにつけ、やはりウチの知識人や命蓮寺のトップ連中の奇特さが再認識される。
どうしてああなんだろうと思いもするが、創作活動が個性の発露、芸術が人格の結晶だとすれば、むしろ当然の帰結かもしれない。何かに突出した者は、思考なり嗜好なり先鋭化するものだからだ。
「うむ」
一人頷く。
大目に見てやろう。寛容さも貴族のたしなみだ。
それに、もともとは退屈・平穏から外れるための催し物だ。たとえストレスになろうと、ある意味では期待通り。現状を受け入れるべきだろう。
さて、庭周辺を見回ったら、命蓮寺勢にお茶でも出せと咲夜に命じておくか。それから、私は自分の絵を再開……
「ん?」
紅魔館を巡る煉瓦の塀。その一カ所が盛り上がっている。じゃなく、何かがめり込んでいた。煉瓦の砕けた粉塵にまみれ、上半身が壁の中だ。
よくよく見れば、魚の尻尾と、人間の足だった。
「……あいつか」
パチェの作りし「噂」の顕現だった。ピクリとも動かない。
はしゃぎすぎて高速のまま突っ込んでしまったのだろうか。白い羽が周囲に散らばっている。
封獣ぬえと同じことになってるな。まあ、妖怪「鵺」も雑多な生物がごた混ぜの存在で、そういう点でも共通しているが。
誰かが助けてやってもいいようなものだが、できれば近寄りたくないという感情も十分理解できる。
仕方ない。ちょっと引っ張るくらいはしてやろう、と歩いていくと……
ふっ、と周囲が陰った。
雲?と見上げれば、その通り、雲だった。
鎧武者姿の。
「はい?」
壁の向こう側から見える巨大な真っ白い上半身。命蓮寺勢の一員、雲山と言ったか。入道雲の妖怪だ。それとも見越入道だったか? まあどちらでもいい。
ともかく、全身に鎧を着込み、目を吊り上げ、歯を剥き出しにして怒りの形相になっているのは何事なんだろうか。
「やっぱりあんたの手の者だったのね! よくもノコノコと姿を現せたもんだわ!」
雲山の肩の上から叫ぶは、紺の頭巾を被った少女。
「この雲居一輪の目の黒いうちは、誰にも命蓮寺の侮辱はさせない!」
「そうか、活躍を期待する」などと軽く返すわけにもいかないらしかった。怒りの矛先は私に向けられているようだからだ。
だが、心当たりがまるでない。命蓮寺の侮辱とな?
首を傾げていると、一輪の口から唾でも飛んできそうな勢いの怒声が投げつけられる。
「とぼけるつもり?! 知ってるのよ! 聖様や星、ナズーリンの作品を陰でこそこそ馬鹿にして!」
あれは馬鹿にされても仕方ない気がするのだが……。それにしても、咲夜と話したときは命蓮寺の者は周囲に見当たらなかったはずなのに、よく耳に入ったものだな。
と、目の端に、使用人たち幾人かが顔を寄せているのが留まる。
何やら予感があり、耳を澄まして会話を聞き取ることにした。スカーレットデビルイヤーは地獄耳。
『ヒソヒソ……命蓮寺の人、まぁた変なことやってるぅ』
『あの子の頭ん中もエアなんじゃないのぉ~?』
『プークスクス』
『レミリア様って……』
そういうことか。どうも私と咲夜の会話は使用人の方の耳に入ったようで、それが噂として広まったのだろう。
「存在しない作品」とそれの作者への低評価は、主とメイド長によるものだから、なおさら決定づけられやすい。権威を伴った弁舌は凡夫に強く影響するものだ。
何気に主人への陰口が入っているのが気になったが、あのメイド長の下に仕える者たちゆえ、むべなるかなだ。後で責任者の尻を往復ビンタしておこう。
ともかく、眼前の彼女の神経を逆撫でする遠因に自分がなっていることは事実。軽い謝罪をするにやぶさかではない。
だが、こちらが口を開く前に、さらなる怒声が一輪の口から飛んだ。
「それにあんな上下逆な人魚を送り込んできて、私たちの作品をぶち壊す乱暴狼藉! こちらにまで襲いかかってきたけど、残念だったわね、返り討ちにしてくれたわ!」
芸術作品(byパチェ)が壁にめり込んだ経緯はここで明らかとなった。図書館での狂乱ぶりからトラブルは予想していたが、よりによって命蓮寺側に被害が及ぶとは。
器物損壊に障害未遂。白黒魔法使いがウチにしょっちゅうやってることだが、罪は罪だ。
この件に関しては、非は完全にこちらにある。これは頭を下げるしかあるまい。
「さあ、次はどんな攻撃を仕掛けてくるの? でも、壊された創作物を改造して装着させた、このアルティメット雲山は全てを迎撃するわ!」
既に臨戦態勢となっている彼女らに、謝罪がどれほどの鎮静効果をもたらすかは心許ないが、少なくとも誠意だけは見せねば。
それにしても「アルティメット雲山」……カッコイイ名称だ。私の全世界ナイトメアには劣るが。
すると、突如、背後から笑声が降ってきた。
「アーハッハッハッハッハ!! その程度で迎撃とは、片腹痛くてヘソで茶が沸くわッ!」
痛いし熱いしで腹部が大変だな。
「何者ッ?!」
一輪が見上げた方向に顔を向ければ、紅魔館の屋上に立つシルエット。逆光を背景に腕を組んで仁王立ちしている。あれは……
「パチェか?」
「そうッ! I am 動かない大図書館ッ! パチュリー=ノーレッジッッ!!」
例の、右手を額にかざしたポーズを取りつつ、名乗りを上げる。また変なスイッチが入ってしまってるな。
「我が居城に乗りこみ、愛しの芸術作品を壁にめり込ますとはッ! その罪、万死に値するわッ!」
「いや、ここ、私の邸宅だし、人様の作品に手を出したのはそちらが先……」
「任せて、レミィ! 敵は完膚無きまでに叩きつぶしてやるから!」
何も任せてないのだが。憎しみに囚われたがゆえか、自分の世界に入り込み、まるで話を聞いていない。
この世から争いを根絶することは難しいのだな、などと思っていると、パチェの右腕が天に突き上げられる。
「変ッ! 身ッ!」
地響き。
紅魔館が徐々に浮き上がっていく。違う。足だ。館の下部が変形して両足になっていた。
あちこちに切れ目が入り、前後に、左右にと折れ曲がる。直方体の連なる腕が誕生し、足は力強く大地を踏みしめ屹立する。
そうして館中央の大時計を顔面とする、巨人が完成していた。
いつの間にこんな劇的ビフォーアフターを……。
「空にそびえるアカガネの城ッ! 変貌の紅い悪魔ッ! これぞ、『ダブルゼータ紅魔館Z』ッッ!!」
Z三つないか?
「さあ、紅魔館を愚弄する罪人よ、悔い改めなさいッ!」
個人的に悔い改めてほしいのは、友人の家を許可無く魔改造する輩なのだが。大広間の一画を愛の巣にするより酷い。
それに、あんな無茶な変形をして、内部は阿鼻叫喚の地獄絵図だろう。人も作品も調度品も滅茶苦茶になってるはずだ。
しかし、本人はそんなことにはまるで気を遣ってないようで、「行けっ、紅魔館キーック!!」との掛け声と共に、何とかZの足によって塀ごと向こう側の一輪&雲山を蹴り飛ばした。修繕費用がさらにかさみ、内部の人的被害も深刻化することになる。
だが、色々犠牲にしただけあって、攻撃力はかなりのものだった。煉瓦は粉塵と破砕され、雲山は雲散霧消して、一輪は青空の向こうに吹っ飛ばされた。少なく見て、私のグングニル5、6本分の威力はある。
「一撃? ふがいないわねッ! アーッハッハッハ!」
勝ち誇る方向性の間違った知識人。今入っているのはさしずめ殺る気スイッチか。
「そこまでよ!」
「むきゅ?」
高所に立つパチュリーのさらに上方から、声が降ってくる。
使用人たちが空の一点を指して口々に叫ぶ。
「あれは何?!」
「鳥だ!」
「飛行機よ!」
「いや、スーパーマンだ!」
いずれもまるで違う。と言いたいところだが、「超人」聖白蓮の飛行邸、聖輦船であることを考えれば、あながち関連がないとも言えない。
船首に立つのは、海軍服を着た少女だ。名は、確か、ムラムラ=ムッシュだったか。
「私は村紗水蜜!」
惜しい。
「河童の力を借りて、悪逆非道に鉄槌を下す!!」
叫ぶや否や、船体のあちこちに亀裂が走り、それぞれが変形していく。またしても、これか。巨人化する流れだ。最近の流行なのだろうか。
と、煉瓦が破砕されて生じた埃が宙を漂い、鼻孔をくすぐった。自分が噂されていたのもあったかもしれない。反射的に息が吸い込まれ、
「ハックシュ!」
くしゃみをした。
誰もいなかった後方に、人の気配が瞬間的に現れる。
「お呼びでしょうか、レミリア様」
呼んでない。
どういう聞き間違いだ。「く」しか合ってないぞ。
一声呼べば即座に登場する便利さはあるが、敏感に過ぎて、つまりは過敏だ。風が吹くだけで開く自動ドアか。
以前にもトイレで用を足しているとき、あくびが出て、すると目の前に咲夜が立っていたことがあった。
互いに見つめ合った状態で須臾の沈黙の後、
「……とりあえず、お拭きいたしましょうか」
「……いや、いい」
そんなやり取りがあった。
「ふわーぁ」と「さくや」は似てなくもないが、そう考えて寛容に処したのは後顧の憂いとなったか?
咲夜は、二体の巨人の激しい交戦に目を遣る。それぞれの肩では村紗とパチェが檄を飛ばして打撃を放ち、罵倒をぶつけて怒号を吐いている。
「なっ、殴ったね! 星さんにもぶたれたことないのに!」
「坊さんだからさッ!」
双方とも自分のキャラが変わり果てていることに気づいていない。目の前の戦闘に没頭している。殴り合い夢中。
咲夜は口元に人差し指を当てて、わずかに沈思黙考、そして聞く。
「この乱痴気騒ぎはどうしたことで?」
「まあ、考えたところでわかるまいな。こちらとしても説明に窮するところだ。それにしても、よく無事だったな」
「と言いますと」
「館内にいたら、良くて半死半生だろうに」
「買い物しようと町まで出かけていたのですわ。ですが、財布を忘れて戻ってきました」
「そいつは愉快だな」
「お日様も笑ってますわ」
「さて、咲夜、あれを止められるか?」
私は、一進一退の攻防を繰り返す建造物の成れの果てを、顎で示す。互いの一撃一撃の重さは衝撃波で大気を震わせるほどだ。
咲夜はかぶりを振った。
「ミッションインポッシブルにもほどがありますわ」
「だろうな。やれることはないわけだ。いいぞ、下がってく」
「れ」の声を飲み込む。
「お嬢様?」
「いや、少し待ってくれ」
「はあ。かしこまりました。それにしても、」
咲夜は衝撃波の発生源を見遣る。
「パチュリー様はいつの間にあのような大改造を施したのでしょうね。……あ、玄関口だった所のお股から巨大な砲塔が突き出てきましたよ。『備え付けておいたのよ、こんなこともあろうかと!』だそうです。どんなことがあろうかと思っていたのでしょうか。おや、命蓮寺側もお股の辺りにワームホールを生じさせていますね。『ならば貴様の放射を全て吸い尽くしてやる!』とは威勢のよろしいことで。思いますに、昨今のすぐ下ネタに走る風潮はいかがなものでしょうね、お嬢様。……レミリアお嬢様?」
傍聞きしていたので、応えられるものなら「巨人・大砲・肥ゆる秋、か」などと述べたかったが、あいにくまともな発声のできない状況だ。
無理な方向に曲がる関節。千切れそうに伸びきった筋。ひきつる皮膚。ゴギ、ガギという痛々しい音。
そして、視えた。
私は体勢を戻し、息を吐く。疲労と諦観のため息だ。
「やれやれ、だな」
「未来視でございますか」
「ああ、嫌な予感がしたので視てみたのだが、案の定だった」
「どのような運命をご覧になったのですか」
視えたものを改めて言葉にするのは気が重いが、咲夜には説明しておかねばなるまい。これからしてもらうことを考えれば。
「端折って言うぞ。この骨肉の争いの余波は、紅魔館一帯に収まらなくなる」
「まあ」
「すると、どうか。喧嘩を好む鬼が巨大化して参戦する。さらに工房に甚大な被害を受けた人形遣いがゴリアテ人形を繰り出してくる」
「ギリシャ神話のティターノマキアもかくや、ですわね」
「ほどなく紅白の巫女が異変を察知して矢のように飛んでくる。『一匹残らず駆逐してやる』とな」
「まさしく紅蓮の弓矢。両の眼を血走らせているのが、目に浮かぶようですわ」
「喧嘩両成敗というか無差別成敗で、全てを叩きのめすだろう。私もお前も、その場の全員の寝言が『まっくのうち』となる」
「身の毛もよだちます」
互いに最悪の未来の最悪さを確認したところで、私はその運命を避けるべく、講じた手段を述べる。
「フランを呼んできてくれ」
「よろしいのですか」
「事ここに至っては致し方がない。やってくれ」
「承知いたしました。謹んで哀悼の意を表明いたしますわ」
「誠に遺憾である」
本来ならばそれも避けるべき未来だ。理解した上で、私は咲夜に命じ、咲夜は我が命を引き受けた。「最悪」に比すれば遙かにマシであることをもまた理解しているからだった。他に方法はない。
時止めの能力により瞬間的に外部に連れ出された我が妹、フランドール=スカーレットは、無傷だった。
殺しても死なないという頑丈さは実際備わっているが、今回の場合は地下室にいたからだろう。何とかZの形状からして、B1階以下は変形の対象外だ。
「お姉様、ご用って?」
陽光のまばゆさに愛らしい紅眼を瞬かせる。咲夜の差す日傘の下であっても、その金髪は輝いて見えた。容貌は見目麗しい西洋人形のようである。
非の打ち所のない造形だが、唯一口元が不満そうに尖った。
「今読んでるご本がちょうどいいところだったんだけどなぁ」
「すまんな。事が終わったら、隣で読み聞かせをしてやるから」
「ほんと?! わぁい!」
ピョンピョンと小さく飛び跳ねて喜ぶ。非常に、めんこい。1%ほど年の離れた姉として、たいそう庇護心がそそられる。
「やったー、うっれしいなー! お姉様のご本をお姉様が読んでくれるなんて!」
「は? 私の本?」
「うん、これ」
胸に抱えていた本を渡される。
タイトルは……『レミリア=シークレット~お嬢様の秘密大暴露~Ⅵ』
「……何だ、これは」
中身を見なくともおぞましいものであることがわかる。しかも、6巻まで好評につき続刊しているだと? さらに帯には「重版決定」の文字まで。かなり流通しているらしい。
「ねえねえ、お姉様って夜中にトイレに行けないってホント? 私にお休みのキスをしてくれたとき、大人ぶっていたけど、自分の部屋に戻ったら恥ずかしさで頭に布団かぶってジタバタしてたってホント?」
「──咲夜ぁッ!」
名前の通り真っ赤になって従者を怒鳴りつける。この野郎、知られたくない情報が流出していたのはこれが原因か! 使用人の陰口についても、もしかすると関係していたかもしれない。
「いえ、まさか。この忠誠心溢れるしもべをお疑いに?」
「目をそらしながら言うな! 『お嬢様』とタイトルにある以上、お前しかいないだろうがっ」
「いえ、他の使用人たちの可能性もなきにしもあらず。ここに著者名も載っているではありませんか」
「ほう? ──『著:悪酔くさや』。完全にお前だ!!」
ゲロ以下の臭いがプンプンするペンネームにしおって! 隠す気ゼロか!
「絶対に焚書坑メイド長するぞ! 語呂が悪くても絶対にするからな!」
「ああっ、お嬢様、あれをっ」
「露骨に話をそらすな!」
「いえ、今まさにフィニッシュ寸前です」
指さす方向を見れば、展開されているのは子供の情操教育に悪影響を与える光景だ。
腰を突きだした紅魔館が砲塔を発射寸前にしており、「精気充填200%完了!」の声がパチェから飛ぶ。
迎え撃つ聖輦船はM字開脚の中央に黒穴を大きく広げさせており、「ご本尊、御開帳!」と意味不明の叫びが。
フランが歓声を上げる。
「わあ、すごい! あれ、何? すこぶる卑猥なスーパーロボット大戦?」
「我が妹ながら的確な表現だ」
「えへへ~」
頭を撫でると、嬉しそうに頬を緩ませる。いと、かわゆす。
その実体が核弾頭発射装置だとしてもだ。
フランドール=スカーレットの能力は破壊に特化しており、強力無比、残虐無惨。核兵器と同じく、存在こそ容認はされるが、厳しい管理という条件が必須であり、使用に至っては為されてはならないこととされている。
できれば西洋人形のままでいさせたかった。だが、苦渋の決断を下さなければならない。
咲夜に目配せする。頷きで応えられる。
「しかし、妹様、否定するための要素が軒並み欠損しておりますが、これは芸術祭なのですわ」
咲夜がトリガーを引いた。キーワードを述べることで。
フランの双眸がきらめいた。
「芸術? 私それ得意っ」
南無三、と命蓮寺に属してなくとも言いたくなる。
フランは両手を一杯に広げ、そして思いっ切り握りしめた。
「芸術は爆発だーっっ!!」
きゅっとしてドカーン
ありとあらゆるものを破壊する程度の能力。それは全開で発動し、紅魔館も聖輦船も敷地そのものも、あまねく爆散させた。
この結末、無垢なる実妹を蔑ろにした報いとあらば甘んじて受けよう。だがやはり──いろいろ準備してきて、その結果が……ありきたりな爆発オチとは。
繰り返しとなるが、誠に遺憾である。
* * *
瓦礫の山から身を起こし、辺りを見渡す。
様々な物が混在した残骸が広がっている。誰の姿もない。フランの姿もだ。恐らく、思いっ切り「芸術活動」を行い、満足して部屋に戻ったのだろう。
私は従者の名を紡いだ。
「咲夜」
人の気配が瞬間的に現れ、はしなかった。
が、しかし、しばらくして残骸の一カ所が盛り上がる。ガラガラと瓦礫をこぼしながら、
「お呼びでしょうか、レミリア様」
と、咲夜が現れた。メイド服はボロボロになって土埃にまみれており、顔は真っ黒。そして、見事なアフロヘアーになっていた。
自分の頭に触れてみれば、同じくモコモコのアフロになっている。爆発オチの定番だ。
同じく真っ黒になっているであろう顔で、問う。
「意にそぐわないイメージチェンジをしてみたのだが、似合っているかどうか、意見を聞きたいな」
「それでは、お嬢様、私の髪型をどのように思われますか」
「変だ」
「右に同じでございます」
「…………」
「…………」
「……何か言いたそうだな」
「私は忠実なる悪魔の犬、たとえボンバヘッドになろうと不満一つ抱きません。……が、もう少しどうにかならなかったものでしょうか」
不満たらたらじゃないか、と思いつつも気持ちはわかる。しかし、こちらだってこう返すしかない。
「是非もなし。今更何をどう言ったところで──」
「──アートの祭りだ」
私は一人紅魔館の屋根に立ち、それを見上げている。
緩く髪をなびかせる涼風は、秋の香りを微かに含んでいた。
地上からは虫たちの声が湧いている。
風情。そういったものに満ちているのだろう。俳人であれば一句も二句もひねっているところだ。
だが、しかし、私の気分は鬱々としている。
昨日も一昨日も同じような夜だった。明日も明後日も代わり映えしないに違いない。このままでは、早晩、死ぬ。
事態を打開するべく、従者の名を紡ぐ。
「咲夜」
誰もいなかった屋根の上に、人の気配が瞬間的に現れる。
「お呼びでしょうか、レミリア様」
斜め後方でかしづくは銀髪のメイド長、十六夜咲夜。我が忠実なるしもべ。そして今は頼りになる相談相手だ。
私は率直に問題点を告げる。
「ヒマだ」
そう、暇だ。とても暇なのだ。日々が退屈にすぎて、死にそうなくらいなのだ。
咲夜は頷く。
「ご心配には及びませんわ。しばらく身動きは取れませんが、時間が立てばステータス異常は治ります」
「マヒだ、それは」
無為に時を過ごすやるせなさで共通しているが。
「ヒマだ。ヒマと言っている。手持ち無沙汰なのだ」
「手乗りブタさん?」
「何だそれ、可愛いな」
「お任せください。至急パチュリー様に作成の要請を通達してまいります」
「迅速な行動は称賛に値するな。しかし、まずは傾聴という言葉を覚えてもらいたい」
「ノートに百回書き取りますわ」
「ともかくも、手乗りブタの件は後回しだ」
「いずれは作りますのね」
「暇つぶし。今欲しているものはそれだ」
「承知いたしました。暇つぶし──いろいろあるとは思いますが……どうしてもかつての紅霧異変を想起いたしますわ」
「むぅ」
小さくうめいたのは、いまだ心の傷が癒えないからであろう。
以前に紅い霧を広範囲に広げたことがあったが、あれも暇つぶしというのが理由の大部分だった。だが、代償は高くついた。
異変解決の専門家たる博麗神社の巫女。彼女が私に与えたものがいかに苛烈だったか、思わず噛みしめた奥歯に再認識させられる。
馬乗りになりながらの鉄拳制裁は、さながら降り注ぐ流星群のようで。私の顔面に恐竜が棲息していたとしても絶滅は必至だったろう。
「あの後しばらく、レミリア様はご就寝ごとにうなされてましたわ。うわ言のように『まっくのうち』と繰り返されて」
「ほんの思いつきでやったことで悪気はないというのに、容赦がないにもほどがある。だが、そう愚痴ったところで巫女の大人げのなさは変わってはいまい。下手を打っての『同様の事態』は避けねばな。……いや、違うか」
巫女の、あの現人鬼(あらひとおに)の言葉が脳に刻印されている。
『二度目はない。次やったら殺す。是が非でも殺す』
博麗神社の巫女の声、絶対零度の響きあり。
「同様などと生やさしいものでは済まず、さらに格上の地獄となるはずだ」
「転生を拒否するほどのトラウマを与えられ、塵も残さず滅殺されるに違いありませんわ」
「言葉にするな。おぞましい」
「失礼いたしました」
間違いなくそうなるからこそ、想像もしたくないのだ。かすかに震える肩をつかみ、止める。
「それでしたら」と咲夜は提案を述べた。
「異変のような大事でなければ、巫女がアップを始めることもございませんから、暇つぶしは手近なもので間に合わせなさるのはいかがでしょうか」
「駄目だ。そんなのではこの鬱屈は晴れん。一人ジェンガも一人モノポリーもさすがに飽きた」
咲夜は家事で多忙、他の者は興味がないからとつきあいが悪い。ジェンガ……面白いのに。
「館全体を巻き込むような出来事でもなければ、あいつらは共に騒いではくれまい。そんなのでは、つまらん」
「寂しがりやなのですね、お嬢様」
「五月蠅い」
「失礼いたしました。しかし、巫女に異変扱いされるのは困りものですわね」
「だが、こぢんまりしたものでは意味がないのだ」
「起こすべきは、異変にならない程度の大事でございますか」
「そういうことだ」
「でしたら、その件は瀬戸際の領域となります。ここはレミリア様の能力がお役に立つかと」
「運命を視る、か」
私の能力の中でも上位に属するものだ。未来を見通せる力というのは稀有であり、誇示するに足るのであるが……。
「正直、あまり使いたくはない能力だ」
「やはり、腰にキますか」
「身体の節々にもクる」
「しかしながら、巫女の襲来を憂うならば、」
「やらざるをえないな」
紅霧異変のときは、億劫がることで最悪の災厄を招来してしまった。同じ轍を踏んではなるまい。
「では、気は乗らないが、やってみよう」
「心より応援いたしますわ」
「まずは何を行った場合の未来視をしようかな」
「紅い霧が禁忌であるのでは、蒼い霧などならいかがかと」
「安直に過ぎる」
「申し訳ありません」
「せめて緑の霧にすべきだろう」
「さすがでございます」
「蒼の霧を発生させた未来」と「緑の霧を発生させた未来」……視ようとしたところ、不本意ながら類似の事象であるらしかったので、同時に視ることにした。
「はッ!」
気合いを発し、右手を背後に回す。同時にそらせてきた左足、そのつま先をつかむ。それだけで関節が軋んだ。
「ふンッ!」
顔を右に背け、後頭部から回した左手で鼻の先をつかむ。グキリという音が鳴った。
片足立ちの珍奇なオブジェ。今の私だ。ちなみに後二回ほど変身を残している。
こうして身体に無理をさせねば、詳細に未来を視ることはできない。かくも運命とは、その身に触れることすら過酷なものなのだ。
従者の「お嬢様、ファイト、ファイト」という温かくも脳天気な声援に若干いらつきながら、私はさらに体位を著しく変貌させた。ゴガギッと酷い音が鳴った。
「よし、視えた」
「視えましたか」
「うむ」
「それはどのような」
「うむ。……それはだな、」
痛んだ筋をさすりながら、述べる。秋風に唇が寒い。
「巫女による顔面殴打は回避できるらしい」
「朗報ですわ」
「しかし、蒼の霧の場合、全長5メートルのお祓い棒で月に向かって打たれ、緑の場合は直径20メートルの陰陽玉にすり潰される」
「バイオレンスですわ。結局は巫女が出張りますのね」
「ついでに紅・蒼・緑の全色でやってみた未来も視た」
「光の三原色ですわね。素晴らしいと思いますわ、色彩溢れる濃霧というメルヒェンを映像世界から現実へと解き放つとは……この奇跡に対して巫女の反応は?」
「前述の制裁がフルコースで振る舞われる」
「あらまあ」
「私の身体も紅・蒼・黒と色彩豊かになる。出血と痣でな」
「色鮮やかなお嬢様も素敵ですわ」
「ほほぅ」
口に出すだけで心胆寒からしめる台詞を述べているというのに、こいつは。
ぬけぬけとほざいた従者に向けて、言葉を足してやる。
「ただし、全責任をメイド長になすりつければ私は放免される」
「は」
瀟洒なメイドが硬直した。
「そうするか」
「……まさか、お嬢様が忠実なるしもべを使い捨てなさるなど、……ございません、ね?」
「もちろんだとも。従者がそのような目に遭っては、枕を高くして眠れないからな」
「左様でございますか。安心いたしましたわ」
「ところで、先日、枕を新調した」
「そうでしたわね。ご加減はいかがでしょうか」
「うむ、あの薄い枕は使いやすい。熟睡できる」
「快眠、何よりですわ」
「それで何の話であったか」
「枕を高くして眠れない」
「そう、枕を高くして眠れない。従者が死んでも快眠だ」
「何よりですわ。ところで、霧の件はなかったことにいたしましょう」
「色鮮やかな咲夜には後ろ髪を引かれるがな、そうしよう」
溜飲も下がったところで、言葉のデッドボールをやめ、建設的な会話に立ち戻る。
「まず考えを霧から切り離そう」
「キリをキリ離すとは面白いですわ」
「話の腰を折るな」
「申し訳ありません」
「これまでしてきたことを元に改変しただけでは、結果に大した変化は起こらないことがわかった。しかし、闇雲にあれこれ未来視したのでは私の体が持たない」
「方向性を定めることが必要ですわね」
「では、何が適切か。これを逆の視点で考える。今まで異変としての扱いを受けていたものから、外すべきが見えてくるはずだ」
「幻想郷の広範囲にわたって影響を及ぼすものは却下、となりますね」
「その通りだな。つまり、限定された範囲内でのイベントが適切ということだ」
「緑の霧などは愚策となりますわね」
「蒼の霧などゴミ箱に投げ捨てるレベルだ」
「それでは、ここは一つ、紅魔館で運動会を行うなどはいかがでしょう」
「運動会? また突飛な」
「スポーツの秋ですわ」
「いかがなものかな、それは」
「では、乱交会はいかがでしょう」
「いかがわしいものだな、それは」
思い出すのは、種族としての淫魔である小悪魔が、こっそり調合した媚薬をピンクの霧として紅魔館内で撒布しようとした一件だ。
「夜は墓場で運動会」ならぬ「夜は裸で乱交会」になりそうだったところを、すんでのところでパチュリーが魔術拘束した。
悪気があろうとなかろうと、思いつきで異様な霧を発生させようとは許し難い。当然、制裁した。顔面に咲夜のエターナルミークをぶつけた後、パチュリーのレイジィトリリトンですり潰してから、私のグングニルで月に向かって打った。すっきりした。
あの一連の出来事が、咲夜の頭に残ってないはずがないのだが。
「よもや咲夜も同様の制裁を受けたいと? 被虐趣味があったとは意外だな」
「もちろん冗談ですわ。提案をあっさり否定されたので、つい」
「つい?」
つい、で下ネタはないだろう。面と向かって意趣返しの意を話すというのも酷い。
さっきから地雷を埋設した後、自分で踏みにいくことを繰り返している──これはもはや悪趣味な性癖、略して悪癖、こう称して過言ではないだろう。
しかも、それをしでかすのは思いつきという……まったくもって酷い。主の顔が見てみたい。
ちなみに吸血鬼の姿は鏡には映らない。
「否定するにはするなりの理由があるのだが」
「お聞きしてもよろしいでしょうか」
「運動会だろう? 紅魔館だけで行おうとしても盛り上がらないというのが、まずあるな」
「人数ならそれなりにおりますし、それでも少ないのであれば、他所に声をかけることもできますわ」
「それであっても、身体能力に個人差がありすぎるし、身体を動かすことなら弾幕勝負でやり飽きている。そういう意味でも盛り上がらない。率直に言えば、私の食指が動かない」
「納得いたしましたわ。とどのつまりは、お嬢様の好みの問題なのですね」
「身も蓋もないな。その通りだが」
また不毛なデッドボールが開始されそうな気配だったが、「ただ、」と、咲夜の提案の全てを否定するつもりのないことを示す。そうすることで益のない諍いを避けるのだ。我ながら主の鏡ではないか。
「あの部分は良かった」
「と言いますと」
「『スポーツの秋』というところだ」
「お褒めいただき光栄ですが、しかしながら、先ほどの弁からすると身体を動かすことには飽きが来ているのでは? 秋だけに」
「『スポーツ』というのはともかく、『某の秋』というのが気に入ったというのだ。秋にちなんだものは他にもあるだろう。『読書の秋』に『食欲の秋』、『芸術の秋』。その方向で行くのは時節に合っていてなかなかだ」
「お役に立てたようで嬉しいですわ。ところで、私の渾身の駄洒落がスルーされているのが気にかかります」
「本も食事も盛り上がりそうにない。ならば残るは芸術。絵画や彫刻などを使用人たちも含め全員で作り、広く一般に公開したなら……うむ、これならば盛り上がる予感がある」
「『飽き』が来る『秋』。自信作でしたのに」
「格調の高さも我が紅魔館にふさわしい。よし、盛大に『芸術祭』を開催する方向で行くぞ!」
「それならば飽きが来ませんわね、秋なのに」
温厚な私もさすがに殴った。
──はずだったのだが、前もって予測していたのだろう、咲夜は時止めの能力で位置をずらしており、拳は空ぶった。
「失礼いたしました」と頭を下げているメイド長に追撃のグングニルを放とうとしたところ、間髪いれず「お茶をお持ちしますわ」と姿そのものを消されてしまう。その瀟洒な逃走は、全くもって業腹だった。
ぶつけどころを失った怒りとグングニルを、私は夜空に向かって投げた。
夜気を切り裂く音を立てて飛んでゆく光槍。紅い軌跡を描いていく様は、黒いキャンバスに絵筆を走らせるように思えた。
「……やるとなったら、私は絵でも描いてみようか」
既にその気になっている自分がいるのだった。
* * *
紅い絨毯の上で椅子に座る。時間帯は昼間であるが、カーテンは分厚く閉じられ、物音も含めて全てを遮断している。自室に存在するのは、自分とテーブル上の物だけ。
静謐の中、私は対象を見つめる。それは無言の対話。お前はどのように自分を見せ、私はどのようにお前を見るのか。何度も問い掛け、そして答える。
そのものの本質を理解し、自分の感性と混ぜ合わせる。そうして誕生する新たな形を、右手の道具で現出させる。
これを神の御業と喩えた者もいたが、むべなるかな、この創造──芸術とは至高の活動だと感じ入る。
だいぶ形になってきた。少々できを見てもらおうか、他の進捗状況を聞くついでに。
従者の名を紡ぐ。
「咲夜」
誰もいなかった部屋の中に、人の気配が瞬間的に現れる。
「お呼びでしょうか、レミリア様」
「どうかな、全体の様子は」
「ほぼ問題はありません」
「良いように計らってくれ」
「かしこまりました。お嬢様のお心のままに」
「うむ。ところで、私の絵を見てくれ。こいつをどう思う?」
「すごく……お上手ですわ」
言いよどんだのが気にかかったが、「すごく……奇異です」と言われなかっただけマシだろう。何がどうマシなのかはわからないが。
「さもあらん。私の芸術センスもなかなかのものであると、自覚しているところだ」
咲夜が覗き込む前で、得意気に絵筆を動かす。キャンバスに眼前の静物が描き出されていた。
お絵描きなどいつ以来のことであったか、久方ぶりに過ぎて思い出せない。だが、やってみれば、自分なりに堂に入ったものができそうであり、それも含めて楽しい作業だった。
私が描いているのは、皿に載ったリンゴやブドウなどの果物である。瑞々しさを表現することに特に注力していた。
「お嬢様の絵は食欲をそそられさえしますわ」
「フッ、絵に描いた餅は食えんぞ」
「『パンはパンでも食べられないパンは?』ということでございますね」
「お前は何を言ってるんだ」
だが、褒められてまんざらでもなかった。いずれは個展でもやろうかなどと思っていると、咲夜は絵の果物の一つを指さす。
「思わずかぶりつきたくなります、このドリアンなどは」
「そうか、そうか。……モデルにドリアンはないのだが」
「左様でございましたか。さすがはお嬢様、闇夜に君臨する王女の描写力は、凡百の果物をすら『フルーツの王様』に表現してしまうのですわ」
遠回しに絵の下手さ加減を指摘するその心遣いは、私の神経を優しく逆撫でしてくれた。言いよどんでいたのは、それが理由か。
確かにこのリンゴについては、色の混ぜ合わせが上手くいかず、くすんだ色彩になってしまい、さらに輪郭も滑らかな曲線でなく、凹凸の目立ったものになっている。
さりとてドリアンはないだろう、ドリアンは。絵の題名を「Bad Apple!」にすればフォロー可能なレベルではなかろうか。
立腹のままに問う。
「咲夜の方はどうなんだ」
「何がでございましょうか」
「絵だ。お前も絵を描くことを選択していたはずだろう。当然、私以上の腕前なのだろうな」
「お嬢様を差し置いてそのようなことは、決して。せいぜいが果物をマンゴスチンに描き換える程度ですわ」
「なるほど、『フルーツの王様』の下の『フルーツの女王』か。ハッハッハ、それは面白い。よし、そこに直れ。素っ首、叩き斬ってくれる」
こちらの苛立ちを理解した上でさらにおちょくるとは、相変わらずいい性格をしている。ここは二重の意味で首を切っておこう。そして、アンデットとして再雇用する。文字通りの永久就職だ。
が、絵筆をグングニルに持ち替えようとしたところ、既に頭を下げられていた。もはや職人技といっていいほどの、機先を制する謝罪だ。
「お気に障りましたら、申し訳ございません」
「お前、謝れば済むと思っているだろう」
「いえいえ、まさか、まさか」
思っているに決まっている。決まっているのだが、すでに許す気になっている自分の甘さが憎らしい。
許す理由を考えたとき、こういったやり取りを心のどこかで楽しむ自分がいるのかもしれなかったが、どうにも認め難い。咲夜が心中でドヤ顔になっているのを思えばなおさらだ。
だが、もう許すことになっている以上、詮無いことだ。
「わかった、もういい。それで実際のところはどうなんだ」
「絵について、でございますか?」
「そうだ」
「一つ取りかかっているものがあったのですが、それとは別にもう一作品が先ほど完成いたしました」
「解せないな。そのような片手間で片づくものか?」
「事情により、美鈴との合作になりまして」
「門番が描いていたものに、メイド長が手を加えた形か」
「そのようなものですわ。それなりの出来です。題は『夕闇の赤トンボ』」
「不可思議なモチーフだ」
「真っ白なキャンバスを前に眠りこけておりましたので、紅く染めてあげたのですわ」
「ああ、ナイフでか」
「特に問題ではございませんよね」
「『闇夜のカラス』よりはエスプリが効いている。紅魔館のカラーでもある。問題はない」
「ありがとうございます」
出血多量の門番の安否は、元より俎上に載せてない。何度ナイフで突き刺して警告しても再び居眠りを繰り返すのだから、今回に限って永眠することはないだろう。それだけ身体が頑丈ということもあるが、何しろ睡眠時間は十分足りているのだ。
「ところで、フランには知られてないだろうな」
「はい。全ての者に箝口令を敷いてあります。芸術祭のことが耳に入ることはございませんわ」
「ならば良し。はっきり惨事とわかる運命ならば、すべからく避けるべきであろうからな。そこだけは絶対に押さえておくのだぞ」
「承知しております。『芸術』の『げ』の字も禁句といたしますわ」
「うむ」
「先ほど妹様にお出ししたお食事も、『そのカラー』としておきました」
「何だ、それ」
「『ゲソのからあげ』でございます」
「そういう『げ』の字の排除はするな」
逆に不自然だろ。不審に思ったフランが、そこから当イベントを嗅ぎつける可能性も出てきてしまう。
「万難を排するため、アツモノに懲りてナマスを吹く杞憂も必要かと」
「不必要だと自分で言ってるじゃないか」
「そういえばそうでしたわ」
しれっと言いおってからに。相変わらずふざけているな。
「万難を排すると言えば、お嬢様、妹様の件以外は大丈夫なのでしょうか。他の運命は曖昧模糊としてご覧になれなかったのでしょう?」
「うむ」
私の未来視が未熟というわけではない。勘違いしている者も少なくないが、未来とは(運命と言い換えてもいいが)全てが全て定まって動かないものではない。こうすれば確実にこうなるという未来もあれば、こうするとどうなるか皆目見当がつかない未来もあるのだ。
私にとって望ましいのはもちろん後者の未来だ。
「わざと未来が混沌とするようにしたのだ。決まり切った結末などつまらないからな。何が起こるかわからない期待感を、私は欲する。……ただ、まあ、その調整のためにぎっくり腰になったり、あちこちの筋を違えたりしたが」
「お嬢様の奮闘ぶりは、この咲夜、よく存じておりますわ。その苦痛、替わって差し上げられるならと幾度思ったことか」
「お前の応援には、切羽詰まったものが一切感じられなかったがな、いつもの如く」
「けれど、苦痛の甲斐あって、先行き不透明とするに有効な不確定要素を盛り込めましたのね」
「ああ、命蓮寺の面々を招待したのもその一環だ」
互いの交流を深めようと聖白蓮に声を掛けたのだ。相手は二つ返事で了承した。あわよくば信仰を増やそうという目論見もあったろう。こちらも交流は建前で、暇潰しが本質であるからお互い様だが。
咲夜は首肯して言う。
「確かにそこはかとなく不穏な気配に満ち満ちています」
「うん? 先ほど問題がないと言わなかったか」
未知は求めたが、不安は求めてない。
いや、そうでもないか。よしんば懸念があっても、しかるべく解決する。それもまた楽しい行為だ。
「確かに『問題はない』と申し上げました。ですが、『ほぼ』という副詞を添えもいたしましたわ」
「そうだったな」
「問題はあるといえばあります。とはいえ、『見ようによっては』とも言えますし、何と表現すべきなのか、いささかどうにも……」
「要は百聞は一見に如かずということだろう。構わん、私が直々に検分しよう」
「痛みいります。では、ご案内いたしますわ」
お披露目会に向けての創作活動で、どのような不穏が生じるというのか。ほのかな期待を胸に灯らせ、私は立ち上がった。
* * *
開放した大広間では、大勢があちこちでそれぞれの創作に勤しんでいた。互いの似顔絵を描いている者たちもいれば、粘土をこねて像を造っている者もいる。
この場にいる全員の頭上に、ゆらめきが幻視できた。静かに高まる創作熱によるものだ。
「あれは何をやっているのだ?」
私が指さしたのは、十人ほどの妖精メイドたちだ。背の倍ほどの高さがある枠の中に、小さな四角をたくさん貼り付けている。色を確かめている様子からすると、どこに何を貼るのか決まっているようだった。
「タイルでモザイクを作ろうというのですわ。根気の要る作業です」
「うむ、壮大な作になりそうだな」
「ええ、完成したときが楽しみです、お嬢様の裸婦画」
自分の表情が凍りつき、亀裂が走るのがわかった。
「聞いてないぞ」
「申し上げておりませんから」
「知っていたならなぜ知らせない。それ以前になぜ止めない」
「止める理由が思いつきませんでした」
「思いつくまでもないだろう! 私のあられもない姿をワイド画面で衆目にさらすなど……主を羞恥に身悶えさせたいのか、お前は」
「そのお姿を見るのもまた楽しみですわ」
「よし、完成の暁にはメイド長をひん剥いて、あの作品の横に磔にしておこう。いや、むしろ作品にそのまま取り付けて、私の恥ずかしい箇所を隠してしまおう」
「それには及びませんわ。よくお考えになってくださいな。恥部を隠そうとなさらなくても、ほら、そもそもあれはモザイクなのですわ」
何を言っているのかさっぱりわからなかったが、何やら納得せざるをえないような気になってきた。
畳みかけるように咲夜は言う。
「そもそも芸術とは、攻撃衝動や性的欲求を昇華させたもの。人間の根元的な情動を社会的に承認される形にしたものなのですわ」
「ふむ、残酷や猥雑と切り捨てるのは芸術の扱いとして間違っているか」
ならば、紅魔館の主として度量の広さを持つべきなのだろう。
「よし、肖像権の侵害及び猥褻物陳列の罪を問うのはやめておく」
「ご英断に感謝いたします。これで私も大画面のヌードにハァハァできますわ」
「うむ、台無しだな」
冗談だろうし、少しでも感情的になったらかえって喜ばせるだけなので、軽く流しておく。
しかし、こう会話の合間合間におちょくりを入れてくるのは何なのだ。そのお陰で退屈が紛れるということも多くはあるのだが。……まさか、そういうことも見越して、しでかしているのではあるまいな?
ともかく、話を戻すことにする。
「それで、これが件の『問題』ではないのだろう?」
「ご慧眼、感服いたしますわ」
「ぬかせ。命蓮寺勢に関することだと話の流れからして明らかだったろうが」
「ええ、こちらになります」
案内されるままに大広間の一画に進んでいくと、段々と暑くなってくるのを感じた。秋霜烈日の厳しさが館内にも?と思ったが、そうではなかったらしい。
気温とも創作熱とも違う熱の高まりがそこにあった。
「何だ、これは」
困惑が口を衝いて出る。眼前で展開されているのは、トラとネズミのいちゃつき。
背の高いトラは、背の低いネズミを膝に載せている。ネズミは両手をトラの首の後に回して、二名は至近距離で微笑みあっている。
トラがネズミの耳元で何かをささやいている。聞きたくもなかったが、その声は耳に入ってきてしまった。
「可愛いですよ、ナズーリン」
「ご主人……」
これは酷い。周囲にはばかることなく何をやっているのだ。咲夜も大仰に上向いた顔を覆う。
「何ということでしょう。悪魔の巣窟と称されることもある紅魔館が、愛の巣となってしまうなんて。これはもはや匠の技」
「そんなコーディネイトがあってたまるか」
「何ということでしょう」も何も、始めから知ってて連れてきたのだろうに、とぼけたことを言う。むしろこの状況を楽しんでいる節さえ感じられる。
「事情の確認、事態の収拾はどうなってるんだ」
「事情についてはある程度。けれども、お嬢様が直接お確かめになったほうがよろしいと考えますし、収集についてはご自身で手を下す方がご意向に添うかと」
右手をそちらに向けられ、促される。当初よりそのつもりであったのでとがめることはしなかったが、やはり楽しんでいるなとの思いもある。手の平で遊ばれてるような気になるのだ。
「ちぃっ」
軽く舌打ち。
ふざけた従者の処置は後に回すことにし、私は目の前の問題に対して歩を進めた。
トラとネズミに声を掛ける。
「互いのフェロモンを嗅ぎ合っているところ邪魔をする。寅丸星とナズーリンだったか。芸術祭についての作業は進んでいるか? どうも創作物の類は見当たらないようだが」
二人は顔をこちらに向ける。上気していて赤い。瞳は潤んでいる。自分たちの世界に没頭するにも程がある。
背の高い方、寅丸星がはにかみながら答えた。
「いえ、始めは二人で作っていたんですよ、5メートルほどの彫像でした」
「大作だな」
「一輪のものに比べれば大したことは。ただ、自分でいうのも何ですが力作でした。でも、失くしてしまいましてね」
「どうやったら紛失できるのか聞きたいな」
世紀のマジックショーか何かか。金が取れるレベルだぞ、私は払わんが。
背の低い方、ナズーリンが取りなす。
「そこがご主人の玉に瑕のところで……よく物を失くすんですよ」
「そんな次元ではないように思えるが」
5メートルの物体を忽然と消し去るのは神隠しと変わりない。
いや、それより作品を紛失しておいて、じゃれあう理由がわからない。
寅丸星が言う。
「しかし、失くしてみてわかったのです。私にはナズーリンがいる。そして、ナズーリンには私がいる。それだけで十分だったのです」
「ご主人……」
「ナズーリン……」
「待て。とりあえず再び見つめあうのは控えろ。どんな論理跳躍があったかはともかく、お前たち、芸術祭のことは頭にあるのか」
「ええ、それについてですが、」
寅丸星はナズーリンと共に微笑んだ。
「もう作品は完成していると断言できます」
「? 意味をつかみかねるが」
「すなわち、二人の愛こそが芸術品であると開眼した次第です!」
「ご主人……!」
ふむ、なるほど。
私は納得して頷く。
駄目だ、これは。
開眼どころか「恋は盲目」に陥っている。ネズミに至ってはトラのどんな言葉にも「ご主人……」と惚れ直している始末だ。博麗大結界以上の強固な障壁が、二人と現実世界とを分断しているのだろう。もはや処置無し。
「咲夜、行くぞ」
「よろしいのですか? お二方の濃厚なラブシーンが開幕しそうですが。ほら、もう頬を擦りつけあって」
「公演中止を望むべくもない。そして、これ以上の胸焼けは心身共に悪影響を与える」
「こちらも負けじと見せつけるという案は?」
「とんでもないアイデアを急造するな。いいから行くぞ」
彼女らの責任者たる聖白蓮に談判することにしたのだ。信仰心のダダ下がりが目に見える事態ならば、静観はできないはずだ。
* * *
「お疲れさまでした」
「うむ、疲れた」
率直な感想だ。
配下の者が何も作らずに悦に浸っていると訴えたのだが、当の聖白蓮も同様だった。
何もない空間を前にして、『無こそが究極の芸術品であると開眼した次第です!』とどこかで聞いたようなことを力説していた。配下も配下なら、主も主だ。
聖白蓮に貸した個室から出てきた途端に、悪態も出ようというものだ。
「馬鹿には見えない芸術品だとでもいうのか。まさしく裸の王様だ、あれは」
「むしろ馬鹿にしか見えない芸術品ですわね。お得意のエア巻物も何かしらの関係性があるのでしょうか」
「頭の中にエアが詰まっているのかもしれんぞ」
「ありえることですわ」
本人のいないところで言いたい放題言っているが、致し方のないことであろう。わざわざ招待したというのに、山をにぎわわせる枯れ木にすらならないのであれば、鬱憤も溜まろうというものだ。
それに加え、
「先の読めない未来に期待していたのに、蓋を開けてみれば『何もなかった』というのではてんで拍子抜けだ。忌々しい。せめてもの慰めとしては、命蓮寺が紅魔館の引き立て役になってくれることだな。あれに比べれば、どのようなものであっても引き立つだろうさ」
「ただ、あれについてはいかがです? あちらの封獣ぬえ様が壁にめり込みあそばされてたのは、なかなかの趣向だったかと」
「下半身だけ突き出ていた、あれか」
彼女は、所構わず「正体不明の種」だか「不安の種」だかをばらまいて大混乱を巻き起こそうとしたのを、聖白蓮のおしおきワンパンチにより、自らを前衛的な創作物へと転身させたのである。
タイトルは『頭隠して尻隠さず』。
しかし、私の評価は単純にして明快、
「つまらん」
の一言だ。
「お気に召しませんか」
「召さん。仕置きにしても斬新さが不足していてありきたりであるし、そもそも下僕の教育もまともにできてない証左ではないか。上に立つ者として、まるでなってない」
「ん……左様ですか」
「どうした、その奥歯に桃が挟まったような物言いは」
「私の奥歯には桃が挟まるほどのスペースはございません」
「言い間違えた。奥歯に、ホモが、だったか」
「BL本の数々はベッドの下に収納しております」
「まあ、言い方はどうでもいい」
「私の奥歯は桃やらホモやらで大惨事ですが」
「どうでもいい」
「かしこまりました」
「それで実際のところ、何を言いたかったのだ」
「はい。それは、かくかくしかじか、でして」
なるほど、「かくかくしかじか」か。つまりは、すなわち、
かく×(かく+しか)÷じか=……
「よし、図書館にゆこう」
「ゆきましょう」
そういうことになった。
* * *
「ピカソの『ゲルニカ』でございますね」
「うむ」
小悪魔の顔が、である。もっとも今は鏡の向こうの自分を目にして、ムンクの『叫び』のようでもあったが。
「自らを西洋美術とするとは見上げたものだ」
「本人の意志によるものではありませんけれど」
「だろうな」
小悪魔は顔に似合った珍妙な声を漏らしながら、焦った挙動を見せている。いや、もしかすると泣いているのかもしれなかったが、判別しようがない。
横向きに口がついていて、反対側に目が二つ並んでいる有様だけ見ても、私生活に支障が出ること請け合いだ。
だが、奇妙奇天烈な顔面形態は、どんなに嘆こうとも、いかように撫でさすろうとも、一向に改善する様子はなかった。その撫でさする手さえ変貌してしまっている。
恐らくパチェがやったのだろう。高度な生体変化系魔術で、本来生命維持にさえ影響が出るはずの造形を無理矢理成立させている。
「罪状は?」
「ピンクの霧の噴霧未遂ですわ」
「またか」
「リターンズですわ」
「つくづく懲りん奴だ」
「エロスこそ美の根元と言ったとか、言わなかったとか」
「あいつの頭の中こそ霞がかっているのじゃないか?」
「違いありませんわ。しかし……」
「しかし、何だ」
「『ありきたり』……」
「む」
「『下僕の不始末は主の教育不行き届き』……」
「むぅ」
聖白蓮に対する評が刃物となって切りつけていた。刃物の名はブーメラン。
しばしの沈黙。そして、私は断じた。問題ない、と。
「ありきたりなのは小悪魔の所行であり、処罰の方法ではない。さらに、小悪魔はパチェの配下であり、私のそれではない」
「それはそれ、これはこれ、でございますね」
「身も蓋もないが、その通りだ」
「さすがでございます」
こうして紅魔館の主としての体面は保たれた。なべて世は事も無し。
「さて、話も済んだところで、自室に戻るか。絵を完成させないとな」
「いえ、まだパチュリー様の作品をご覧になってませんので」
「何?」
私は悲憤慷慨している3Dゲルニカを指さした。
「あれではないのか」
「あれではありませんわ」
「では、いかような?」
「それはご自身の目でお確かめになるのがよろしいかと」
「またそれか」
含みのある語調に不安が忍び寄る。
「…………酷いのか?」
「私の口からは何とも。ただ、お嬢様の監督不行き届きを指摘される可能性も無きしもあらず、ですわ」
「酷いのだな。……いや、パチェは、配下じゃなく友人だから」
「震え声ですわ、語尾が」
いらん指摘をするメイドだ。
だが、紅魔館の沽券に関わる事態も予想されるし、懸念があるのは事実である。早急に確かめねばなるまい。
パチュリー=ノーレッジ。我が友人にして、大図書館の管理者。悠久の時の中で真理を探求し続ける魔女。
品性穏やかで静寂を愛する。そのような普段からの姿をトラブルの出所と結びつけることは難しい。
だが、魔法使いというものの特性なのか、一度変なスイッチが入るととんでもないことをしでかしたりするのだ。
白黒の魔法使いの例を挙げれば、マツタケ栽培がある。
条件が揃えるのが難しいマツタケの培養を、場所を問わずに行えるよう研究をしていたのだが、普通に土に生やせばいいものを、書籍やら屋根やらに生やし始めた。難易度が高いものほど乗り越える快感があったのだろう。
その後、市場に格安のマツタケが大量に流れ、人々の食卓に上ったらしいが、その中にトイレや術者の全身に生えたものが含まれていることは隠蔽された事実である。
七色の魔法使いの例を挙げれば、人形作りがある。
等身大の人形を作成するところまでならまだわかるのだが、ある時に着手したそれは、インフルエンザウィルスだった。誰も成し遂げたことのない、というか成し遂げる意味を見出さないことを、やがて彼女は成功させた。
魔光学顕微鏡を用いて作成されたウィルス人形は、なぜか擬似的な機能も付加されており、それが効果的に発揮された結果、彼女所有の人形たち全てに感染したのだった。
工房の室内温度は40度を超え、床一面にまで鼻水が広がったという。ちなみに、モデルにした本物のインフルエンザウィルスによって、彼女自身も罹患した。
これらの珍プレー集に、パチュリー=ノーレッジの事例も加えて遜色ないのである。後先考えない探求心は魔法使いにとって必須なのであろうか。
さらに言えば、ウチの知識人はスイッチが入ると変なテンションになる。いわゆる中二病を発症するのだ。
先だって新しいスペルを開発したときなど、こんなことを叫んでいた。
「フロギスティックピラー! 火と水が備わり最強に見えるッ! 火が強すぎると逆に頭がおかしくなって死ぬ!」
既に頭のおかしい状態で言われてもどうにも反応のしようがなかったのを覚えている。
(のっけからあのテンションだったら難渋するな)
不安がまとわりついて足取りが重くなっていたが、とうとう図書館に到着してしまった。
図書館のヌシはいつものテーブルで読書していた。今のところ普通に見える。
手元のティーカップは紅茶で満ちている。そこからやや離れてティーポットが置かれている。咲夜が持ってきたものだろう。パチェの紅茶は小悪魔が淹れることが多いが、現在は諸事情で淹れるどころではない。紅茶のためにパチェは咲夜を呼び出し、そして咲夜は問題を目の当たりにしたわけだ。
「やあ、パチェ」
「あら、レミィ」
自然を装い、近づく。まずは当たり障りのない会話をしよう。
「良い天気だな」
「ここは屋内だから同意していいか惑うわ」
「良い天気だったはずだ」
「というか、レミィは晴天が嫌いじゃなかったかしら、ヴァンパイアなんだし」
「そういえばそうだった」
初っぱなから不自然だったようだが、ともかくこちらの詮索を感づかれてはならない。友人に疑いの感情を持たれている、そのようなことを知られるのは避けたい。遠回しに、婉曲的に、そこはかとなく聞き出すのだ。
「ところで、パチュリー様の大変個性的な作品に、お嬢様が興味津々でいらっしゃるのですが」
「おい、こら」
人が投げようとした牽制球を奪い取ってデッドボールにするな。乱闘か。お前は乱闘が望みなのか。大乱闘デュアルバニッシュか。
「ああ、あれね」
だが、大して気にしたふうもなく、パチェは微笑むと、紅茶を一口含んでから語り始めた。友人からの疑惑云々は取り越し苦労だったようだ。
「時にレミィは紅霧異変の後日談を知っているかしら」
「? 異なことを言う。我々は当事者だったろう」
「そうじゃないわ。どのように人の口に上ったかということよ。事実はともかくとしてね」
「要は『噂』か。気にもしてなかったな」
有象無象の四方山話など、高貴な存在は歯牙にも掛けないものだ。
「根も葉もないもので溢れているわよ。たとえば、巫女に対してレミィが土下座したとかね」
「何だと」
そのような事実はない。何と不名誉なことだ。実際は謝る間すら与えられずタコ殴りにされたというのに。
「炭火で焼けた鉄板の上でやったと言われているわ」
「私はステーキか」
焼き加減ややレアのレミリア、などとは洒落にもならない。こちとら捕食側だ。
「まったくふざけた流言飛語だ。一掃できるならしてしまいたい」
「でしょうね。でも、人の口に戸は立てられないわ」
「立てられても自動ドアなんだろうな。誰かが前に立つと自然と開く。貞操観念も知れたものだ」
「そしてお嬢様は腹を立てられていると」
「五月蠅い」
「失礼いたしました」
パチェは私と咲夜のやり取りにクスリと笑うと、咲夜に言った。
「いじって遊ぶのもほどほどにするのよ?」
「さりとて生き甲斐を手放しますのも抵抗がありまして」
何の話をしているのかわからなかったが、なぜだかやや不愉快になった。荒唐無稽な噂話へのそれも相まって、フン、と鼻が鳴る。
そんな私にパチェは、気に障ったようね、と紅茶を一口して、噂の件に話を戻す。
「でも、他にも酷いことを言われているわよ」
「まだあるのか」
「大衆はゴシップを好むものなのよ。たくさんあるわ。階上から突き落とされて女神像に貫かれたとか、猫と混ぜ合わされてどこにもいなくされたとか、恐怖心に取り憑かれて夜中に一人でトイレに行けなくなったとか」
「ふむ」
神妙な顔で頷きはしたが、解せない。最後の事項だけは事実だった。恥ずかしい記憶が甦る。
なぜだ。その件については、人に知られることのないよう十分な注意をしたはずだ。
まさか情報をリークした輩が紅魔館内部にいるとでもいうのか。主のカリスマブレイクにほくそ笑む不逞の徒が。だとすると、一体誰が……
ふと横を見ると、メイド長が思いっきり顔を背けた。さらに見つめ続けると、口笛までが漏れ始めた。
こやつめ、ハハハ。
「レミィ、どうしたの。妙にドス黒いオーラが立ち上っているわよ」
「何でもない。突発的に殺意の波動に目覚めただけだ」
「ご成長著しく、めでたいことですわ」
「この力を以てして、後日、メイドを冥土に送ろう」
「後日ということは、冷却期間を置くことで怒りを静めなさるおつもりなのですね。お言葉とは裏腹の心遣い、素晴らしいですわ」
「この場での処刑は汚れが飛散してしまうというだけだ。清掃する者もいなくなるしな」
その時、前触れなく叫び声が聞こえた。辺りを見回す。
「しゅルれあッ!」
まただ。誰かがふざけたのかと思ったが、それらしき者は見当たらない。それに何とも形容のしがたい声だった。人が発したものではないような……
「いったい、何だ?」
「レミィ、それで噂についてのことなのだけど、」
「いや、待て。あの奇っ怪な叫声が気にならないのか。それに、そもそもパチェの作品を問うたはずなのに、なぜ噂について語っているのだ?」
「最後まで話は聞くものよ。慌てる乞食は何とやら、ね」
「ふむ、慌てる乞食はオールアウト・スクラップ(全損廃棄物)か」
「それはちょっと否定しすぎね。まあ、ともかく、噂の話」
「うむ」
「紅霧異変の場合、噂に尾ひれがついたのよね」
「そうだな。さらに言えば、一人歩きした。野太い足を生やして」
それくらいのことは言ってもいいはずだ。
すると、咲夜が言葉を足す。
「付け加えさせていただくならば、翼を羽ばたかせ、牙を剥き出しにして、全身の毛穴から瘴気を発散させるようになりましたわ」
そんなにか?と思わないでもなかったが、噂の多くを咲夜は知っているのだろう。咲夜の表現に見合うだけの変貌を遂げた噂だったということだ。お前も噂の拡散に一枚噛んでるじゃないか、とは口にしないでおく。
パチェは頷く。
「そう、噂とは、人々を透過するうちに複雑怪奇に変貌する情報よ。私の芸術作品のモチーフはそれなの。形として現れないものを形にする──芸術活動の極致と言えないかしら」
さすがは我が友人、そして紅魔館の知識人だ。深い思索による確かな見解が淀みなく言葉と紡がれる様は、それこそ絵になっている。
「だから私はその噂の変貌っぷりを具現化したの。魔術的に」
「……?」
「生物的に」
「は?」
雲行きが怪しくなってきた。まさか、と思う暇もあらばこそ、テーブル上にものすごい勢いで何かが降ってきた。
轟音。衝撃でティーポットもティーカップも飛び散る。
「しゅルれあッ!」
先ほどの奇っ怪な叫声を上げて仁王立ちするのは、その姿も奇っ怪な生物だった。鋭い牙の生えた口が開閉する。
「 」
言葉が喉の奥でつかえている。巨大な魚に人間の太い足が生えているなど眼前にしたら、当然の反応だ。
パチェが立ち上がる。
「感嘆のあまりッ! 声も出ないようねッ!」
右手を額にかざした変なポーズで、力のこもった言葉が吐かれる。
まずい、変なスイッチが入った。
「極限にまで洗練された造形は、機能的かつ優美ッ! 知性と野生の完全なる融合は、まさに究極の神秘的芸術ッ!」
「しゅルれあッ!」
怪物が同意するように叫ぶ。
だが、凡人には理解できない。というか、こいつの存在は、凡人の理性を浸食しかねない。魔女狩りの正当性に根拠が与えられそうなことになっている。
生臭い上に、すね毛がもっさり繁茂した足。何というキモさだろう。さらにあろうことか、ガニ股でスクワットを開始するのだった。
とてつもなく冒涜的なものを創出したパチェのスイッチ……ニャル気スイッチと名付けることにしよう。
咲夜の視線は「どうです、酷いでしょう?」と語っていた。
否定できるはずもない。かといって、率直に我が友人にそのことを伝えることは憚られた。相当の自信作だろう、この生物(なまもの)は。
「いや……すごいな」
ようやくそれだけ言う。
その言葉を勘違いしたパチェは誇らしげに胸を反らせた。
「すごいのは見た目だけじゃないのよ! 聞いて驚きなさい!」
「正直もうお腹いっぱいなのだが、さらに能力もあるとはな。世界を七日間で焼き尽くす程度の、とかか?」
「そんなんじゃないわ! 芳醇な香りに、濃厚な味わい、爽やかな喉ごしよ!」
「何と。食用なのか。……食用らしいぞ、咲夜」
「『ショックよ』と申したいところです。食用なだけに」
こいつが食卓に上るときには、魚料理と肉料理のどちらなのだろう。いずれにせよ、食いたくない。
「なんで食えるようにしたのか、聞いていいか?」
「知れたことよ! 私が目指したのは『噂』の体現ッ! 『噂を口にする』! ふふっ、我ながら洒落が効いてるわ!」
悦に浸っているパチェ。同調するように怪物は一声叫ぶと、今度は華麗なステップを踏み始めた。
いや、お前は喜んでいいのか? 食われる立場だぞ? トンカツ屋の看板で、ブタがコックの衣装を着て、「美味しいよ♪」と言っているのと変わらんぞ?
こちらの気持ちを解するふうもなく、怪物はムーンウォークまで繰り出した。結構上手い。
「こいつは妙にハイテンションだが、それには何か理由なり意味なりあるのか? まさか『噂を沈静化させるのは困難』というやつか?」
「小悪魔が媚薬の撒布を目論んだとき、一応阻止はしたのだけど、ちょっと飛散されちゃったのよ。だから、この子に浄化能力を付加して、吸い込んでもらったの。すごいでしょう」
「浄化能力か。そこは評価できるな。だが、処理しきれなかったと」
「ええ、ほんのちょっと媚薬の影響下にあるわね」
「それならハイテンションにもなるか。……いや、待て、つまり発情しているのか、こいつ」
性欲をもてあます怪物が我が家でスニーキング・ミッションしているなど、とんでもない。風紀の乱れにつながる。
「それは大丈夫よ。直に体内で媚薬は分解されるわ。ほら、今だって見て取れるでしょう」
ビシッと指さす先は怪物の広い胴体。掌ほどもある鱗が並んでいる。その隙間から紫色の気体がゆらゆらと漏出していた。
「何だ、これ」
「媚薬の効果を解消させた気体、瘴気よ!」
「正気か。あ、いや、瘴気か。毒ということじゃないか」
「ええ、まともに吸引すると五分で肺が腐るわ、ふふっ!」
「笑い事じゃないだろ」
「媚薬以上の被害になりますわね」
咲夜に同意する。これでは歩くバイオハザードだ。
「心配無用よ、人間にしか害はないから!」
「十分じゃないか」
「そうでしたか、では危険の及ばぬうちに、私はここでお暇させていただきますわ」
「あ」
……と言う間に、咲夜の姿は消えてしまった。
口実をつかんだ直後、電光石火の逃走。鮮やかだ。
お陰で私一人、変なテンションの魔女&怪物と一緒に、閉鎖された空間で時間を過ごさなければならなくなった。後で覚えていろ。
「しゅルれあッ! りすムッ!」
怪物が叫ぶ。変な鳴き声だと思っていたが、自己紹介だったのか。シュルレアリスム、とはな。
うん、確かにシュールとしか言いようがない。
納得していると、さらに超現実主義的なことが背面に起こっていた。白い翼が噴き出すように生えてきたのだ。
「悪い知らせは翼を持つ」の言葉通りだ。そうして「悪事千里を走る」のだろうか。
「さあ、行くのよ、私の芸術作品! 噂の体現そのままに、人々の間を駆けめぐり、その姿を千変万化させなさい!」
椅子の上に載り上がるまでに興奮するパチェ。もうにっちもさっちもどうにも止まらない。
これだけでも奇々怪々なのに、さらに変身するのか。そして、大勢の目に触れると。紅魔館の常識が疑われる可能性が急激アップだ。
こちらの懸念もつゆ知らず、魚人はパチェの号令に応え、野太い足で跳躍した。白い羽で空気をつかみ、図書館内を飛ぶ。飛行は雑であちこちの本棚に激突、しかし、痛みを感じるふうもなく、さらに激しく飛びまくる。何やら口をモゴモゴさせているかと見れば、本を食べていた。食性はヤギか。
何というカオス。せめて少しでも抑制できないものかと、言葉を掛ける。
「なあ、パチェ。激しいのも悪くないが、何か、こう、エレガントな方向性で落ち着いた雰囲気を醸し出すのも悪くないと思わないか?」
「そんな消極的な生き方はさせられないわっ! たった二ヶ月半の寿命なのよ? 思いっきり生命の輝きを発揮させてあげないと!」
暴走は決定事項のようだ。人の意見を聞く気がまるでない。
それにしても、余命二ヶ月半のモノノケか。短命だな。何故そのような設定にしたのだろう。食卓に上りやすくするためか?
……ああ、そう言えば「噂」がモチーフだったな。だとすると、考えられる理由はあれしかあるまい。
『人の噂も75日』
* * *
日差しを体内に取り込むようで、吸い込んだ空気は肺を焼くような感覚もしたが、ゆっくり吐いていくと気分をなだらかにする効果をもたらした。
もう一度吸い込む。今度は刺激がかえって心地良くなっていた。
吸血鬼の身で日光の下に立つなど、日傘を持っていてもやりたいものではない。しかし、それは平時ならばの話で、今は開放感を与えてくれる。図書館の出来事から離脱できたのだとの感慨を新たにしてくれる。
あの暗い場所で、友人とその作品の狂乱ぶりをずっと鑑賞させられていて、結果、脳の襞には澱のように忌まわしい記憶がこびりついている。自室でしばらく休んだ後もそれは拭えなかったが、太陽の光は蒸発・消散させてくれるように思えた。間接的に身体を照らし、じわりじわりと浸透して、内部を白く焼いていく。
次第に落ち着きを取り戻す自分がいた。
「ふぅー…」
辺りを見渡せば、あちこちで創作に励んでいる者たちがいる。
秋空や花壇の絵を描いている者。石を砕いて彫刻を作っている者。正門においては、装飾の為されたアーチを作成しているのが、複数人。
健全なる芸術活動。本来あるべき光景だ。
比較するにつけ、やはりウチの知識人や命蓮寺のトップ連中の奇特さが再認識される。
どうしてああなんだろうと思いもするが、創作活動が個性の発露、芸術が人格の結晶だとすれば、むしろ当然の帰結かもしれない。何かに突出した者は、思考なり嗜好なり先鋭化するものだからだ。
「うむ」
一人頷く。
大目に見てやろう。寛容さも貴族のたしなみだ。
それに、もともとは退屈・平穏から外れるための催し物だ。たとえストレスになろうと、ある意味では期待通り。現状を受け入れるべきだろう。
さて、庭周辺を見回ったら、命蓮寺勢にお茶でも出せと咲夜に命じておくか。それから、私は自分の絵を再開……
「ん?」
紅魔館を巡る煉瓦の塀。その一カ所が盛り上がっている。じゃなく、何かがめり込んでいた。煉瓦の砕けた粉塵にまみれ、上半身が壁の中だ。
よくよく見れば、魚の尻尾と、人間の足だった。
「……あいつか」
パチェの作りし「噂」の顕現だった。ピクリとも動かない。
はしゃぎすぎて高速のまま突っ込んでしまったのだろうか。白い羽が周囲に散らばっている。
封獣ぬえと同じことになってるな。まあ、妖怪「鵺」も雑多な生物がごた混ぜの存在で、そういう点でも共通しているが。
誰かが助けてやってもいいようなものだが、できれば近寄りたくないという感情も十分理解できる。
仕方ない。ちょっと引っ張るくらいはしてやろう、と歩いていくと……
ふっ、と周囲が陰った。
雲?と見上げれば、その通り、雲だった。
鎧武者姿の。
「はい?」
壁の向こう側から見える巨大な真っ白い上半身。命蓮寺勢の一員、雲山と言ったか。入道雲の妖怪だ。それとも見越入道だったか? まあどちらでもいい。
ともかく、全身に鎧を着込み、目を吊り上げ、歯を剥き出しにして怒りの形相になっているのは何事なんだろうか。
「やっぱりあんたの手の者だったのね! よくもノコノコと姿を現せたもんだわ!」
雲山の肩の上から叫ぶは、紺の頭巾を被った少女。
「この雲居一輪の目の黒いうちは、誰にも命蓮寺の侮辱はさせない!」
「そうか、活躍を期待する」などと軽く返すわけにもいかないらしかった。怒りの矛先は私に向けられているようだからだ。
だが、心当たりがまるでない。命蓮寺の侮辱とな?
首を傾げていると、一輪の口から唾でも飛んできそうな勢いの怒声が投げつけられる。
「とぼけるつもり?! 知ってるのよ! 聖様や星、ナズーリンの作品を陰でこそこそ馬鹿にして!」
あれは馬鹿にされても仕方ない気がするのだが……。それにしても、咲夜と話したときは命蓮寺の者は周囲に見当たらなかったはずなのに、よく耳に入ったものだな。
と、目の端に、使用人たち幾人かが顔を寄せているのが留まる。
何やら予感があり、耳を澄まして会話を聞き取ることにした。スカーレットデビルイヤーは地獄耳。
『ヒソヒソ……命蓮寺の人、まぁた変なことやってるぅ』
『あの子の頭ん中もエアなんじゃないのぉ~?』
『プークスクス』
『レミリア様って……』
そういうことか。どうも私と咲夜の会話は使用人の方の耳に入ったようで、それが噂として広まったのだろう。
「存在しない作品」とそれの作者への低評価は、主とメイド長によるものだから、なおさら決定づけられやすい。権威を伴った弁舌は凡夫に強く影響するものだ。
何気に主人への陰口が入っているのが気になったが、あのメイド長の下に仕える者たちゆえ、むべなるかなだ。後で責任者の尻を往復ビンタしておこう。
ともかく、眼前の彼女の神経を逆撫でする遠因に自分がなっていることは事実。軽い謝罪をするにやぶさかではない。
だが、こちらが口を開く前に、さらなる怒声が一輪の口から飛んだ。
「それにあんな上下逆な人魚を送り込んできて、私たちの作品をぶち壊す乱暴狼藉! こちらにまで襲いかかってきたけど、残念だったわね、返り討ちにしてくれたわ!」
芸術作品(byパチェ)が壁にめり込んだ経緯はここで明らかとなった。図書館での狂乱ぶりからトラブルは予想していたが、よりによって命蓮寺側に被害が及ぶとは。
器物損壊に障害未遂。白黒魔法使いがウチにしょっちゅうやってることだが、罪は罪だ。
この件に関しては、非は完全にこちらにある。これは頭を下げるしかあるまい。
「さあ、次はどんな攻撃を仕掛けてくるの? でも、壊された創作物を改造して装着させた、このアルティメット雲山は全てを迎撃するわ!」
既に臨戦態勢となっている彼女らに、謝罪がどれほどの鎮静効果をもたらすかは心許ないが、少なくとも誠意だけは見せねば。
それにしても「アルティメット雲山」……カッコイイ名称だ。私の全世界ナイトメアには劣るが。
すると、突如、背後から笑声が降ってきた。
「アーハッハッハッハッハ!! その程度で迎撃とは、片腹痛くてヘソで茶が沸くわッ!」
痛いし熱いしで腹部が大変だな。
「何者ッ?!」
一輪が見上げた方向に顔を向ければ、紅魔館の屋上に立つシルエット。逆光を背景に腕を組んで仁王立ちしている。あれは……
「パチェか?」
「そうッ! I am 動かない大図書館ッ! パチュリー=ノーレッジッッ!!」
例の、右手を額にかざしたポーズを取りつつ、名乗りを上げる。また変なスイッチが入ってしまってるな。
「我が居城に乗りこみ、愛しの芸術作品を壁にめり込ますとはッ! その罪、万死に値するわッ!」
「いや、ここ、私の邸宅だし、人様の作品に手を出したのはそちらが先……」
「任せて、レミィ! 敵は完膚無きまでに叩きつぶしてやるから!」
何も任せてないのだが。憎しみに囚われたがゆえか、自分の世界に入り込み、まるで話を聞いていない。
この世から争いを根絶することは難しいのだな、などと思っていると、パチェの右腕が天に突き上げられる。
「変ッ! 身ッ!」
地響き。
紅魔館が徐々に浮き上がっていく。違う。足だ。館の下部が変形して両足になっていた。
あちこちに切れ目が入り、前後に、左右にと折れ曲がる。直方体の連なる腕が誕生し、足は力強く大地を踏みしめ屹立する。
そうして館中央の大時計を顔面とする、巨人が完成していた。
いつの間にこんな劇的ビフォーアフターを……。
「空にそびえるアカガネの城ッ! 変貌の紅い悪魔ッ! これぞ、『ダブルゼータ紅魔館Z』ッッ!!」
Z三つないか?
「さあ、紅魔館を愚弄する罪人よ、悔い改めなさいッ!」
個人的に悔い改めてほしいのは、友人の家を許可無く魔改造する輩なのだが。大広間の一画を愛の巣にするより酷い。
それに、あんな無茶な変形をして、内部は阿鼻叫喚の地獄絵図だろう。人も作品も調度品も滅茶苦茶になってるはずだ。
しかし、本人はそんなことにはまるで気を遣ってないようで、「行けっ、紅魔館キーック!!」との掛け声と共に、何とかZの足によって塀ごと向こう側の一輪&雲山を蹴り飛ばした。修繕費用がさらにかさみ、内部の人的被害も深刻化することになる。
だが、色々犠牲にしただけあって、攻撃力はかなりのものだった。煉瓦は粉塵と破砕され、雲山は雲散霧消して、一輪は青空の向こうに吹っ飛ばされた。少なく見て、私のグングニル5、6本分の威力はある。
「一撃? ふがいないわねッ! アーッハッハッハ!」
勝ち誇る方向性の間違った知識人。今入っているのはさしずめ殺る気スイッチか。
「そこまでよ!」
「むきゅ?」
高所に立つパチュリーのさらに上方から、声が降ってくる。
使用人たちが空の一点を指して口々に叫ぶ。
「あれは何?!」
「鳥だ!」
「飛行機よ!」
「いや、スーパーマンだ!」
いずれもまるで違う。と言いたいところだが、「超人」聖白蓮の飛行邸、聖輦船であることを考えれば、あながち関連がないとも言えない。
船首に立つのは、海軍服を着た少女だ。名は、確か、ムラムラ=ムッシュだったか。
「私は村紗水蜜!」
惜しい。
「河童の力を借りて、悪逆非道に鉄槌を下す!!」
叫ぶや否や、船体のあちこちに亀裂が走り、それぞれが変形していく。またしても、これか。巨人化する流れだ。最近の流行なのだろうか。
と、煉瓦が破砕されて生じた埃が宙を漂い、鼻孔をくすぐった。自分が噂されていたのもあったかもしれない。反射的に息が吸い込まれ、
「ハックシュ!」
くしゃみをした。
誰もいなかった後方に、人の気配が瞬間的に現れる。
「お呼びでしょうか、レミリア様」
呼んでない。
どういう聞き間違いだ。「く」しか合ってないぞ。
一声呼べば即座に登場する便利さはあるが、敏感に過ぎて、つまりは過敏だ。風が吹くだけで開く自動ドアか。
以前にもトイレで用を足しているとき、あくびが出て、すると目の前に咲夜が立っていたことがあった。
互いに見つめ合った状態で須臾の沈黙の後、
「……とりあえず、お拭きいたしましょうか」
「……いや、いい」
そんなやり取りがあった。
「ふわーぁ」と「さくや」は似てなくもないが、そう考えて寛容に処したのは後顧の憂いとなったか?
咲夜は、二体の巨人の激しい交戦に目を遣る。それぞれの肩では村紗とパチェが檄を飛ばして打撃を放ち、罵倒をぶつけて怒号を吐いている。
「なっ、殴ったね! 星さんにもぶたれたことないのに!」
「坊さんだからさッ!」
双方とも自分のキャラが変わり果てていることに気づいていない。目の前の戦闘に没頭している。殴り合い夢中。
咲夜は口元に人差し指を当てて、わずかに沈思黙考、そして聞く。
「この乱痴気騒ぎはどうしたことで?」
「まあ、考えたところでわかるまいな。こちらとしても説明に窮するところだ。それにしても、よく無事だったな」
「と言いますと」
「館内にいたら、良くて半死半生だろうに」
「買い物しようと町まで出かけていたのですわ。ですが、財布を忘れて戻ってきました」
「そいつは愉快だな」
「お日様も笑ってますわ」
「さて、咲夜、あれを止められるか?」
私は、一進一退の攻防を繰り返す建造物の成れの果てを、顎で示す。互いの一撃一撃の重さは衝撃波で大気を震わせるほどだ。
咲夜はかぶりを振った。
「ミッションインポッシブルにもほどがありますわ」
「だろうな。やれることはないわけだ。いいぞ、下がってく」
「れ」の声を飲み込む。
「お嬢様?」
「いや、少し待ってくれ」
「はあ。かしこまりました。それにしても、」
咲夜は衝撃波の発生源を見遣る。
「パチュリー様はいつの間にあのような大改造を施したのでしょうね。……あ、玄関口だった所のお股から巨大な砲塔が突き出てきましたよ。『備え付けておいたのよ、こんなこともあろうかと!』だそうです。どんなことがあろうかと思っていたのでしょうか。おや、命蓮寺側もお股の辺りにワームホールを生じさせていますね。『ならば貴様の放射を全て吸い尽くしてやる!』とは威勢のよろしいことで。思いますに、昨今のすぐ下ネタに走る風潮はいかがなものでしょうね、お嬢様。……レミリアお嬢様?」
傍聞きしていたので、応えられるものなら「巨人・大砲・肥ゆる秋、か」などと述べたかったが、あいにくまともな発声のできない状況だ。
無理な方向に曲がる関節。千切れそうに伸びきった筋。ひきつる皮膚。ゴギ、ガギという痛々しい音。
そして、視えた。
私は体勢を戻し、息を吐く。疲労と諦観のため息だ。
「やれやれ、だな」
「未来視でございますか」
「ああ、嫌な予感がしたので視てみたのだが、案の定だった」
「どのような運命をご覧になったのですか」
視えたものを改めて言葉にするのは気が重いが、咲夜には説明しておかねばなるまい。これからしてもらうことを考えれば。
「端折って言うぞ。この骨肉の争いの余波は、紅魔館一帯に収まらなくなる」
「まあ」
「すると、どうか。喧嘩を好む鬼が巨大化して参戦する。さらに工房に甚大な被害を受けた人形遣いがゴリアテ人形を繰り出してくる」
「ギリシャ神話のティターノマキアもかくや、ですわね」
「ほどなく紅白の巫女が異変を察知して矢のように飛んでくる。『一匹残らず駆逐してやる』とな」
「まさしく紅蓮の弓矢。両の眼を血走らせているのが、目に浮かぶようですわ」
「喧嘩両成敗というか無差別成敗で、全てを叩きのめすだろう。私もお前も、その場の全員の寝言が『まっくのうち』となる」
「身の毛もよだちます」
互いに最悪の未来の最悪さを確認したところで、私はその運命を避けるべく、講じた手段を述べる。
「フランを呼んできてくれ」
「よろしいのですか」
「事ここに至っては致し方がない。やってくれ」
「承知いたしました。謹んで哀悼の意を表明いたしますわ」
「誠に遺憾である」
本来ならばそれも避けるべき未来だ。理解した上で、私は咲夜に命じ、咲夜は我が命を引き受けた。「最悪」に比すれば遙かにマシであることをもまた理解しているからだった。他に方法はない。
時止めの能力により瞬間的に外部に連れ出された我が妹、フランドール=スカーレットは、無傷だった。
殺しても死なないという頑丈さは実際備わっているが、今回の場合は地下室にいたからだろう。何とかZの形状からして、B1階以下は変形の対象外だ。
「お姉様、ご用って?」
陽光のまばゆさに愛らしい紅眼を瞬かせる。咲夜の差す日傘の下であっても、その金髪は輝いて見えた。容貌は見目麗しい西洋人形のようである。
非の打ち所のない造形だが、唯一口元が不満そうに尖った。
「今読んでるご本がちょうどいいところだったんだけどなぁ」
「すまんな。事が終わったら、隣で読み聞かせをしてやるから」
「ほんと?! わぁい!」
ピョンピョンと小さく飛び跳ねて喜ぶ。非常に、めんこい。1%ほど年の離れた姉として、たいそう庇護心がそそられる。
「やったー、うっれしいなー! お姉様のご本をお姉様が読んでくれるなんて!」
「は? 私の本?」
「うん、これ」
胸に抱えていた本を渡される。
タイトルは……『レミリア=シークレット~お嬢様の秘密大暴露~Ⅵ』
「……何だ、これは」
中身を見なくともおぞましいものであることがわかる。しかも、6巻まで好評につき続刊しているだと? さらに帯には「重版決定」の文字まで。かなり流通しているらしい。
「ねえねえ、お姉様って夜中にトイレに行けないってホント? 私にお休みのキスをしてくれたとき、大人ぶっていたけど、自分の部屋に戻ったら恥ずかしさで頭に布団かぶってジタバタしてたってホント?」
「──咲夜ぁッ!」
名前の通り真っ赤になって従者を怒鳴りつける。この野郎、知られたくない情報が流出していたのはこれが原因か! 使用人の陰口についても、もしかすると関係していたかもしれない。
「いえ、まさか。この忠誠心溢れるしもべをお疑いに?」
「目をそらしながら言うな! 『お嬢様』とタイトルにある以上、お前しかいないだろうがっ」
「いえ、他の使用人たちの可能性もなきにしもあらず。ここに著者名も載っているではありませんか」
「ほう? ──『著:悪酔くさや』。完全にお前だ!!」
ゲロ以下の臭いがプンプンするペンネームにしおって! 隠す気ゼロか!
「絶対に焚書坑メイド長するぞ! 語呂が悪くても絶対にするからな!」
「ああっ、お嬢様、あれをっ」
「露骨に話をそらすな!」
「いえ、今まさにフィニッシュ寸前です」
指さす方向を見れば、展開されているのは子供の情操教育に悪影響を与える光景だ。
腰を突きだした紅魔館が砲塔を発射寸前にしており、「精気充填200%完了!」の声がパチェから飛ぶ。
迎え撃つ聖輦船はM字開脚の中央に黒穴を大きく広げさせており、「ご本尊、御開帳!」と意味不明の叫びが。
フランが歓声を上げる。
「わあ、すごい! あれ、何? すこぶる卑猥なスーパーロボット大戦?」
「我が妹ながら的確な表現だ」
「えへへ~」
頭を撫でると、嬉しそうに頬を緩ませる。いと、かわゆす。
その実体が核弾頭発射装置だとしてもだ。
フランドール=スカーレットの能力は破壊に特化しており、強力無比、残虐無惨。核兵器と同じく、存在こそ容認はされるが、厳しい管理という条件が必須であり、使用に至っては為されてはならないこととされている。
できれば西洋人形のままでいさせたかった。だが、苦渋の決断を下さなければならない。
咲夜に目配せする。頷きで応えられる。
「しかし、妹様、否定するための要素が軒並み欠損しておりますが、これは芸術祭なのですわ」
咲夜がトリガーを引いた。キーワードを述べることで。
フランの双眸がきらめいた。
「芸術? 私それ得意っ」
南無三、と命蓮寺に属してなくとも言いたくなる。
フランは両手を一杯に広げ、そして思いっ切り握りしめた。
「芸術は爆発だーっっ!!」
きゅっとしてドカーン
ありとあらゆるものを破壊する程度の能力。それは全開で発動し、紅魔館も聖輦船も敷地そのものも、あまねく爆散させた。
この結末、無垢なる実妹を蔑ろにした報いとあらば甘んじて受けよう。だがやはり──いろいろ準備してきて、その結果が……ありきたりな爆発オチとは。
繰り返しとなるが、誠に遺憾である。
* * *
瓦礫の山から身を起こし、辺りを見渡す。
様々な物が混在した残骸が広がっている。誰の姿もない。フランの姿もだ。恐らく、思いっ切り「芸術活動」を行い、満足して部屋に戻ったのだろう。
私は従者の名を紡いだ。
「咲夜」
人の気配が瞬間的に現れ、はしなかった。
が、しかし、しばらくして残骸の一カ所が盛り上がる。ガラガラと瓦礫をこぼしながら、
「お呼びでしょうか、レミリア様」
と、咲夜が現れた。メイド服はボロボロになって土埃にまみれており、顔は真っ黒。そして、見事なアフロヘアーになっていた。
自分の頭に触れてみれば、同じくモコモコのアフロになっている。爆発オチの定番だ。
同じく真っ黒になっているであろう顔で、問う。
「意にそぐわないイメージチェンジをしてみたのだが、似合っているかどうか、意見を聞きたいな」
「それでは、お嬢様、私の髪型をどのように思われますか」
「変だ」
「右に同じでございます」
「…………」
「…………」
「……何か言いたそうだな」
「私は忠実なる悪魔の犬、たとえボンバヘッドになろうと不満一つ抱きません。……が、もう少しどうにかならなかったものでしょうか」
不満たらたらじゃないか、と思いつつも気持ちはわかる。しかし、こちらだってこう返すしかない。
「是非もなし。今更何をどう言ったところで──」
「──アートの祭りだ」
そしてオチ。最後までダジャレで押し切られましたよええ。見事なものです。
色々カオスな芸術祭でした。
ちゃんちゃん。
咲夜さんがおぜうを微妙に手玉にとって遊んでるのかな?と言う懸念を抱いてしまう辺りが特に
でも後半急に方向性が捻じ曲がったような…
終始ニヤニヤしっぱなしでした。フランドールが癒やしだわぁ……。