ある日の、我々が住処としている廃屋の一室。
まあ、廃屋と言っても、中は問題なく小綺麗である。
「正邪、マッサージしてくれない?」
針妙丸は小さな身体でそんなことを頼んできた。
「は? どうしてだ?」
私の頭には疑問が湧く。なぜ私がしなきゃならんのか、あるいは、なぜ私に頼むのか。まあ、今の『ここ』には私と針妙丸しかいないから、当然と言えば当然なのだが。
「いやー、あの、ちょっと恥ずかしいんだけど」
針妙丸はもじもじしながら実に恥ずかしそうに言う。
「実は、早く小槌を振れるように筋トレしてたの」
「筋トレ?」
確かに私は現在、自らの野望を実現するべく、打ち出の小槌を使うよう、こいつを唆して――否、仕向けてはいるが……。ちょっとは疑うということを知らないのだろうか。まあ、知らないのだろう。わざわざそういう奴を選んだのだし。
「そう、それで……ちょっと筋肉痛になっちゃったんだ」
えへへ、と笑う針妙丸。確かに、針妙丸は壁に凭れかかりながら話している。立っているのも辛い程の筋肉痛らしい。
「おいおい……」
勘弁してほしい。
そんなことでいざ実行の時に本調子でなかったら困る。もちろん私が。
というか、小槌はまだ魔力の回収期なのだ。魔力が回収し終われば、このちっこい針妙丸にも扱えるようになるはずだし、そもそもどんなに鍛えようが、魔力の不完全な小槌を振るっても意味はない。
「ねー、聞いてます?」針妙丸が俯いていた私の顔を見上げる。
「あ? あー、あー、聞いていたよ」
適当に返す私。
「じゃあ、お願いします!」
針妙丸はそう言って部屋の畳にうつ伏せになる。
え、いや待て。何だ、私は何を願われた?
疲れていたのか既にすやすやと寝息を立てているこいつは、私に何を願ったのだ?
「正邪早くー! マッサージ!」
「……あ、そうだった」
まだ寝ていなかった。寝ていないのに寝息を立てられるとは器用な奴め。
まあ、本音で動くなら、自分の気持ちだけで動くなら、私はマッサージなんてしてやる気は微塵もない。してしまったら、針妙丸はきっと喜んでしまうだろう。逆に、しなければ、針妙丸はきっと気分を害するだろう。後者の方が、私好みだ。
しかし、やらないで気分を損なわれると不味い。非常に不味い。
私の此度の『計画』、既にこの小さいのに全てが懸かっていると言っても過言ではない。そんな奴にもし裏切られでもすれば、私の大きく膨れ上がった野望は、まあ今回は湖の中のほんの一つの泡沫のように消し飛んでしまうだろう。
だから、いわゆる『ご機嫌取り』の為に、マッサージはしてやろうと思う。気に入らないが、仕方ない。
だが、もちろんそのまま願いを叶えるなど、天邪鬼な私には到底できない相談だった。
「ふんっ」
めきゃ
そんな音がした刹那、
「ぐふっ!!」
という断末魔が人さし指の下から聞こえた。
詰まる所、私は人差し指で、うつ伏せになっている針妙丸の背中を思いっきり押したのだ。
針妙丸は動かなくなる。
「あ、すまーん! 指が滑ってしまったぁ!」
わざとらしい演技派棒読みの言い訳を、なんとなく口に出す私。
針妙丸は失神しているに違いないが、なんとなく言ってみた。
何が『ご機嫌取り』なのか、と私は私を心の中で嘲笑する。
が、そのなんとなくの言葉に、
「い……いえ……大丈夫よ……続けて……」
と、針妙丸の弱々しい返答が聞こえたのには、驚いた。何と面妖なほどにまでにタフな……。
そして、さすがにいくら天邪鬼な私といえども、口から吐唾している小人を虐めるのに……ほんの、ほんの少しだけ、気が引けた。
その理由は明白。決して針妙丸を可哀想だと思ったからではない。『計画』が頓挫してしまわないか、心配だったからだ。苦痛の表情をしているのは実にそそられるので、本心ではもっと虐めていたいのだが。
「つ……続けてもいいのか?」
「え…え……! とっ……ても……利きます……!」
しかし、本人が望むならば。
思いっきり虐めて、痛めつけてやろう――!
「さ……さあ、早く……! もう……天に昇っちゃうんじゃないか……ってくらい……気持ち良いの……!」
本当に昇天してしまいそうなのだが……まあ、小人はその手の物に慣れているだろうし、大丈夫かな。
……それにしても、押して気持ちいいって、それ本当に筋肉痛か?
「えいっ」
「ひえぃっ!」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ふうっ……ふうっ……」
「はあっ……はあっ……」
ど……どうしてこうなった……。
なぜ私まで息を切らしている……。
私は四つん這いになり、ちょうど針妙丸の上に覆いかぶさる形となっていた。対して針妙丸は、仰向けで私の首の辺りを見つめている。
おかしい、この状況。本当におかしいぞ。
もうマッサージなんてしてやらない……。好き嫌い関係なく。
「ぷはああぁー、気持ちよかった!」
針妙丸は私の体の真下で起きて立ち上がり、両手を拳にして天に突きだす。まあ実際は私の胸の辺りに突き出されているわけだが。いわゆる『伸び』だろう。
しかし、目の前で、本当に目と鼻の先で、こんなに気持ちよさそうにされるとイライラしてくる。『気持ちいい』に導いたのは私自身なのだが……だからこそ、自分が嫌になる。その可愛さが憎らしい容姿を滅茶苦茶にされたのに、なぜこいつは喜んでいる? お陰で私は自分が嫌になる。”他人(ひと)を喜ばせてしまった”と、自己嫌悪に陥ってしまう。……疲れているのは私の方かもしれない。
「正邪!」
針妙丸が私の胸元を拳でポカポカ叩きながら言う。痛い痛い。
「な……なんだ?」
「ありがとう、正邪!」
「…………」
……か、か、か、感謝するなあああああああああ!!!
「…………」
「あれー? 正邪? 聞こえてる?」針妙丸は首を傾げる。
気持ちよくなっているならまだしも、私を感謝することだけは、勘弁してくれ! 吐き気がする!
くそ、これ以上、これ以降に感謝されては堪らない。どうにかして明確に否定しないと、恩に着られてしまう! 着てもらうのは濡れ衣だけで十分だ!
……………………。
……………………。
……………………。
……よし、これで行こう。これを言おう。
私は練りに練った渾身の一言を放った。
「……べ、別にお前の為にやったのではないからな! 勘違いするなよ!」
◇
あの一件以来、私に対する針妙丸の態度が明らかにおかしい。
私が小人族に関する嘘の歴史をレクチャーしている時も、なんだか私の顔をじっと見つめてきて気持ち悪いし、共に散歩している時も、私のうなじを撫でたり髪の毛を引っ張ったりしてくるし……、そしてその最たるは、マッサージのねだりようだった。「またやって、またやって」とまるで憶えの付かないガキのような執着である。まあ、針妙丸は小人族の中でも比較的子供なわけだが……。もちろん、そのようなねだりは、やんわりと自然に、悉く断っている。
思い起こせばあの一言を出した瞬間から、あいつの目がウルウルし出したというか、キラキラし出したというか……とにかく、目の輝きが違う気がする。
なぜあんなことをされて、あいつは喜んでいるのだ? もしかして、あいつも天邪鬼の血を……いや、ないない――。
「いてっ」
唐突に左足に痛みが走る。
少しでも動かせば、更に痛みが出そうだ。
「くそ……」
動けない。壁に寄りかかり立ったままになってしまう。どうやら足が攣ってしまったようだ。
歩きながら考え事をしたのが悪かったのだろうか。
とにかく、こういう時は足を伸ばすに限る。痛いのを少しだけ我慢しなければならないが……。
私がまずは足を出来るだけ動かさないように、そっと床に座ろうとすると、
「あ、正邪! どうしたの?」
と言いながら、針妙丸がやって来た。こんな時に……。
「い、いや、何でもない。ちょっと休憩しようと……」
こっち来るな! どうせこいつのことだから……。
「嘘! 駄目よ、無理しちゃ。どこか具合が悪いの?」
……やはり、予想通りか。針妙丸はこういうことになると余計な世話を焼くタイプ……。しかし、私は心配されるなんてことはご免被りたい。
「いや、だから大丈夫だと――」
「あららー、この様子だと、足に何かあったのね?」
「おわっいたっ!」
素っ頓狂な声を上げてしまった。というか痛い。
いつの間にか針妙丸が足下で私の脚をポカポカ叩いていた。しかも左足を。なぜ叩くのだ。
「よし、ここは私が一肌脱いであげるわ」
「いいって!」
「……私がやるの、嫌……?」
「……!」
急に切ないような表情をする針妙丸に、怯んでしまう私。気圧されたと言ってもいいかもしれない。
勿論、針妙丸が相手でなくとも、誰かに優しく看護されるなんてことは絶対に嫌だが……何度も言うように、こいつに気分を害されるのは非常に不味い。度重なるマッサージ要請は何とか誤魔化せているものの……。
そんな事を考えている間にも、針妙丸の目がウルウルし出す。
……くそ、ここは我慢して……。
「じゃ……じゃあお願いする」
「ひゃっふう!」
……今こいつ、ひゃっふうとか言ったか? 本当に看病する気があるのか? 無いのだろうな……私としては、そちらのほうが助かるのだが。看病なんて、されない方が怪我の治りが早い気がするほど、私はその類のものが嫌いなのだ。
「じゃ、行きましょうか」
「……?」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「廊下では看病も干瓢もない」とか訳の判らないことを言って、針妙丸は足が攣っている私を立たせ、挙句結構な距離を歩かせ、一つの部屋まで連れ出した。何が看病だ。
部屋は簡素な造りで――というか、この廃屋自体簡素なのだが、そんなことは今問題ではなく、部屋が簡素なのが問題なのだ。この部屋には医療道具が何一つなかった。ただの足攣りにそんなものを使う必要もないと思うが、看病なのにこの部屋を選ぶなんて、輪をかけて意味が判らない。もう一度言おう。何が看病だ。
「おい、針妙丸――」
私が背後、というか踵のあたりにいる針妙丸の方に振りかえって声を掛けると、
「なあに? 正邪」
と針妙丸がにんまり顔でいた。ロクでもないことを考えているな。
「足、どうにかするなら早くしてくれ。私も暇ではない」
「うんうん、判っているよ。手早~く済ませるからっ!」
針妙丸は、その可愛らしく憎らしい顔に似つかわしくない笑みを浮かべてそう言った。
とその瞬間。
「がばー!」
「うわおっ! ちょっ――!」
跳びかかって来た。針妙丸が、私の腰のあたりに向かって。
私は足が攣っていたから、片足で、支えなくケンケンでいたため、当然、
「うぐっ」
と、どたーんと、私はバランスを崩して、仰向けに倒れてしまった。
ただ単に背中が痛い。足も攣っているし。
「何をする……!」
「ふふ、正邪が悪いんだよっ」
起き上がろうとするが、それは叶わなかった。なぜなら、針妙丸が私の腹のあたりに陣取っていたからだ。このまま起きればこの小人の落下は免れない。そそっかしいこいつのこと、何が致命傷になるか判らない。両手は封じられていなかったが、それを以って針妙丸をどかすのも、まだ戴けない。このようなことをした以上、こいつにも目的がある筈だ。それを邪魔するのは『計画』にとって、なかなか戴けない。
針妙丸はさきほどの笑みを変えずに佇んでいる。
「針妙丸、そこをどけ。でないとお前、落下して更に頓珍漢になるぞ」
「いやいやー、そうはいかないのよねぇ。……だって、正邪が悪いんだよ」
「何を言って――」
私が悪い? 一体こいつは何のことを言っているのだろう?
……まさか、計画が露見したのか。しかし、万が一にも、億が一にも、そんなことに気づけるほど、針妙丸は鋭くない。鈍すぎるのだ。
となると、何なのだ?
「――いるのだ、お前は?」
「ふふふ。今に判るんじゃない?」
曖昧な返事をする針妙丸――どうやら本当の本当に、どくつもりはないらしい。
と、ここで妙な感覚を受ける。
「うっ……!?」
「あらあら、結構感度が良いのね。意外」
よくよく目を凝らして針妙丸を見てみれば、こいつは服の上から私の腹のあたりをまさぐっていた。
「も、もう一度訊くが……何をしている?」
「ふふ、正邪が悪いんだよ。こっちが何回、何十回、とお願いしたのに、引き受けてくれないから……」針妙丸の目が正気の色を失っている。「だから、私からしてあげるの。マッサージを。そうすれば、正邪も自然に私にマッサージをしてくれる筈よ! 違いない、そうに違いないわ!」
「そ……」
そんなわけないだろうが! そんな看護があるか!
この気分が妙ちくりんすぎて、声が声にならない――それでも、否、だからこそ、声を大にして、私は言いたい。
こんなの、マッサージでも何でもないし、今私にマッサージは必要ない!
針妙丸の力は、筋トレしているのか何なのか知らないが、全く以ってマッサージと呼べる代物ではなく、ただただ形容し難く、名状し難い感覚を生み出すばかりだ。『妙』としか言えない。針妙丸だけに、妙な感覚……。いや、何でもない。
兎にも角にも、足が攣っている私に腹のマッサージを施すのは筋違いにも程がある。つまり、こいつはこの機会を淡々と狙っていたというわけだ。
明らかに針妙丸の様子が、『いつもより』おかしい。表情も然ることながら、特に目がヤバい雰囲気だ。何かに憑かれているかのような豹変振りだし……。
「ひゃん……」
考えながらも、針妙丸は自称マッサージを続けているわけで、私はそんな声を断続的に発していた。正直自分から見ても奇妙だと感じる。まだ足は攣ったままだ。
「ひぃぅ……お、おい、針妙丸……」
「んん? なあに、正邪?」
相変わらずの満面の笑み……そこには狂気が滲み出ているように見えた。
私は少し戦慄いた。しかし。
「あふ……し、針妙丸。や、止めてくれないか?」
「あらあ、やっと本領発揮なのね、正邪! 待ってたよ、待ち望んでたよ!」
「むぃゅ……お、お前……」
しかしである。
「何を言っているのだ……ふゎぁ」
「何って、言い得て妙なことだよ。私だけにっ!」
「…………」
こいつ、私でさえ口に出すのを躊躇したことを平然と……。
「ささ、正邪、観念して――」
「――めろ」
「うん?」
考える前に、その言葉は発せられていた。頭の中で抽象化する前に、現実で具現化されていた。まるで自分の口が、舌が、二枚舌が、自分の物ではないかのように、勝手に、非常に身勝手に、自らの理性にも、如何なる物にもせき止められることもなく、流々と言の葉を垂れ流していた。
「やめろ。気色が悪い、悪すぎる。吐き気がする。自分が私に対して何かが出来ているとでも思っているのか? もしそう思っているのならば、それは大きな勘違いだ。そのような小さな体躯で、斯様にも大きなお門違いが出来るとは、全く以って驚愕の至りだ。それでお前は充分に、十二分に満足なのだろうが、私にとっては迷惑以外の何物でもない。このことはこの件だけでなく、今までのすべてについて言えることだ。そもそもの話、お前に何をされようと、私は喜びようがないのだよ。私の為に何をしたところで無意味だし、何を考えたところで無価値なのだ。単刀直入に言いたいことを言わせてもらえば、お前がされて嬉しい事が、誰にでも適応されると思うな。お前の今までの行為は――好意は、すべてに於いて、私には不愉快極まりなかった――――――――」
私はそこで言葉を切った――否、切れた。それはただ息継ぎをするために生まれた間だったのかもしれないし、自分の理性による抑止力がようやく働いてやっとのことで生まれた間だったのかもしれない。
ただどんなものであったにせよ、それが雀のお涙頂戴程の時間でしかなかったにせよ、私が我に返るには充分すぎる時間だった。
「――ッ! しんみょ」
「…………」
呆然。
私が慌てて針妙丸の様子を見ると、彼女はその表現が実にしっくりくる表情をしていた。
奇妙な感覚を送る手の動きも、当然止まっていた。目は、先ほどまでの狂気を孕んだ色と違い、虚ろ。ここには空洞しかないとでも主張するかのような色調だ。次第に、その空洞に、透明でキラキラとした液体が溜まる。
そして、溢れ出す。
私には――もうどうしようもなかった。
針妙丸を持ち上げどかし、その場から去った。
足はまだ、攣っていた。
◇
月が見える。妖怪にとってはこの時間帯、人間とは違って立派な活動時間である。
私は月見をしていた。月を臨み、月に嘆いていた。昼に発生した足のひき攣りはもう治っていた。
ただ、今はそんなことはどうでもよかった。
――やってしまった。
『計画』はおじゃん決定、御釈迦確定だ。
因果応報の悪例。自業自得の結果。
天に向かって唾を吐き、例外なくその唾を浴びる。身から出た錆で、自らを汚す。
まあそんな教訓めいた言い回しは脇に置いておくとして……いくらなんでも、私の堪忍袋にも緒というものは存在するし、それが切れないほど私は広い心を持ち合わせていない。どころか、自分で言うのも卑屈だが、心は非常に狭い。堪忍袋の強度には自信があるが、心の許容範囲が狭い。
いくら野望の為といえども――あの状況は些か戴けなかった。私は仰向けに倒れていたところを、ままならないとは言え針妙丸にマッサージされていた――そんな状況は、如何にも私には不釣り合いで、分不相応だった。
いや、そんな偽善的な表現は適切ではない――要するに私は。
あんな状況が嫌いで、あんな現状が憎かった。
ただ単に、我慢の限界だった。
それだけの話なのだ。
「――――ふふ……」
自分の小物さ加減に笑いが込み上げて来る。当たり前だ。傍から見れば、こんなに滑稽なことはない。自分の小物属性に辟易する。もっとも、私の愚かしさは今に始まったことではないが。
豚も煽てりゃ木に登るという言葉があるが――この『計画』の場合、針妙丸が豚で、私が煽てる役だろう。ただ、今回はこの言葉はそのままの意味を保たない。針妙丸には、私には出来ないことが出来た。『何でも願いを叶える打ち出の小槌を扱える』。それは『小人族』という個性から来るものだ。そして私は、その『小人族』から、一番利用し易そうな奴を選んだ。なのに――なのに……だ。結局は、私はロクに豚を一匹煽てることすらも出来なかったというわけか。自分で木に登ることすら出来なかった私は、煽てられそうな豚を選んだというのに――。
ああ、滑稽だな。
「ああ、これからどうしようかな」
あれだけの罵詈雑言を浴びせたのだ、これから弁明したところで意味はあるまい。それもただの罵詈雑言ではない――私は針妙丸自身の事を貶さなかったのだ。彼女の『行為』を、『好意』だけを貶めたのだ。あんなことを、飲み薬のオブラートよろしく包み込むモノなしに食らえば、もう、『無理』だろう。
だから、私の今の気分は非常にハッピーだった。そもそも、私は『そういうこと』をする事を生業、というか生き甲斐としている。だから、日頃からの鬱憤が晴れて清々しているくらいだ。さあ、すっきりしたし、次の案を考えるか――。
……しかし、この心(うち)に残る、何かが凝り固まったような感じは、一体何だろうか。
「あ、正邪! やっと見つけた!」
――嘘だ。
――嘘だ嘘だ嘘だ。
――嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ。
こんなこと、あり得ない。
背後から、あいつの声が聞こえた。
「おーい、正邪! 聞こえてないのー?」
私は、体の方向をそのままに、首だけ後ろに回した。
聴覚通り、そこにいたのは、紛れもなく――
「針妙丸……」
「ふふ、探したんだよ?」
儚い微笑みを浮かべた針妙丸だった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「針妙丸、お前……怒っていないのか?」
「んん? さっきのこと? 別にぃ」
私は月見を続行していた。横に針妙丸を加えて。それに応じて、私の懺悔会はお開きとなっていた。
なぜだ、どうして?
どうしてこいつは怒っていないのだ?
たまたま、あの悪口雑言が聞こえていなかったか――いや、そんなことはあの反応を見れば、それがないという事は一目瞭然ではないか。ではもしかすると――あんな毒そのものの言質を、毒とも認識しなかったというのか? そんなに鈍い奴だったというのか? 別にナイフのように鋭くあって欲しくはないが、少なくとも銀のように毒くらいは検知した方が良いのではないだろうか。
私が黙りこくっているのを気まずく感じたのか、針妙丸はえへへ、と笑う。
「いや、さすがの私もいきなりあんな事を言われたから、ちょっとビックリしちゃったわよ、実際……。正邪があそこまで言うとはね……」
「…………」
成程、毒をぶち当てられたことは認識できていたらしい。銀としては合格か。
では、何だって言うのだ? それとも何か? この小人は『怒』の感情を知らないとでも言うのか?
「さっきから黙ってばっかじゃんちょっと! どうしたの?」
私からすれば、お前の方が『どうした』という感じなのだが……。
「……いや、ちょっと。――どうして、怒っていないのだ? まさか自分は仏だとでも言いだすのでもあるまい」
「ちょっと! 私だって怒るわ。それに、さっきのことを正邪以外に言われたら、怒り心頭になるしー」
「…………」
針妙丸はぷくーっと、頬を膨らませるふりをする。
私だから、怒らない?
何を言っているのだ、こいつは。
「……それに、先ほどは涙をこぼしていただろう?」
「ああ、あれね。あれはちょっと感動しちゃって……」
「…………」
ますます訳が判らない。
あんな罵倒をされて、感動って……そういう特殊な奴だったのか。
しかし、それでは『私だから怒らない』の理由になってはいない。
「……どういうことなのだ?」
「どういうことって……いやさ、正邪ってあれでしょ?」
針妙丸は一つ間を置いて、こっちを見て言った。
「――いわゆる『ツンデレ』ってやつでしょ?」
「……ツンデ……レ……?」
……何だ、それは……? 灰被り姫(シンデレラ)の親戚か?
しかし、その言葉の意味は判らずとも、この事実は判る。
私の『ツンデレ』とやらで、『計画』にはまだ息がある!
「いやー私ってツンデレ好きなのよ。ツンデレい目がないの。正邪がツンデレだって知れたあのマッサージは、私にとって凄く、凄く凄く――凄い体験だったんだから。でも正邪って、じーっと見てても、何かやってみても、普段はそんな素振り全然見せないから……」針妙丸は月を見上げる。「それで私、思いついたの。マッサージの時なら、正邪は『ツンデレ』を発揮してくれるんじゃないかって」
「……ふうむ」
私の何が『ツンデレ』なのか判らないし、そもそも『ツンデレ』が何なのか未だに判らないが……まあ、そんなことは、言ってしまえば些事なのだった。要するに、『計画』が生きているのだから。
成程、つまりあれ程までに執拗にマッサージを要求したのは、何かにとり憑かれたとかではなく、ただの素だったのか。
「いやまあ、暴走しちゃったのは謝るわ。ごめんなさい」
ぺこりと頭を下げる針妙丸。
そしてそのまま、その小さくて澄んだ瞳をこちらに向けた。
「――さあ、正邪。こっちを向いて」
「?」
針妙丸の呼び掛けに、一応応じる私。やはり、こいつは小さくて、可愛らしくて――本当、私の好みにそぐわない。
「何だ?」
「『ツンデレ』よね?」
「む……うん、まあ」
よく判らないが、そう答える。そう応えておく。
「なら!」針妙丸は弾けるように言う。「ちゃんと『デレ』て!」
「そ、その『デレ』とは……?」思わず言葉が尻すぼみになってしまう。
「うぇ、判らないの? むむむ……無意識ツンデレとは……。でもそれが普通か……いや、でも……」
針妙丸はブツブツ何かを呟いた後、ぱぁっと顔が明るくなった。
こちらを向いて言う。
「それなら正邪、この質問に答えてくれる?」
「……む。いいが」
どうせロクな質問ではないのだろうな……。
「正邪……私のこと、好き?」
「…………」
……それに対する、『本心』での回答は、言わずもがなである。
しかし私は。
「ああ、好きだよ。かなり気に入っている。だからこそ――」
そういうのも悪くないな――嘘だけで塗り固めた関係。
考えてみれば、実に私好みの関係性だ。
「これからもよろしく頼む」
私の中で、何かがほぐれた気がした。
まあ、廃屋と言っても、中は問題なく小綺麗である。
「正邪、マッサージしてくれない?」
針妙丸は小さな身体でそんなことを頼んできた。
「は? どうしてだ?」
私の頭には疑問が湧く。なぜ私がしなきゃならんのか、あるいは、なぜ私に頼むのか。まあ、今の『ここ』には私と針妙丸しかいないから、当然と言えば当然なのだが。
「いやー、あの、ちょっと恥ずかしいんだけど」
針妙丸はもじもじしながら実に恥ずかしそうに言う。
「実は、早く小槌を振れるように筋トレしてたの」
「筋トレ?」
確かに私は現在、自らの野望を実現するべく、打ち出の小槌を使うよう、こいつを唆して――否、仕向けてはいるが……。ちょっとは疑うということを知らないのだろうか。まあ、知らないのだろう。わざわざそういう奴を選んだのだし。
「そう、それで……ちょっと筋肉痛になっちゃったんだ」
えへへ、と笑う針妙丸。確かに、針妙丸は壁に凭れかかりながら話している。立っているのも辛い程の筋肉痛らしい。
「おいおい……」
勘弁してほしい。
そんなことでいざ実行の時に本調子でなかったら困る。もちろん私が。
というか、小槌はまだ魔力の回収期なのだ。魔力が回収し終われば、このちっこい針妙丸にも扱えるようになるはずだし、そもそもどんなに鍛えようが、魔力の不完全な小槌を振るっても意味はない。
「ねー、聞いてます?」針妙丸が俯いていた私の顔を見上げる。
「あ? あー、あー、聞いていたよ」
適当に返す私。
「じゃあ、お願いします!」
針妙丸はそう言って部屋の畳にうつ伏せになる。
え、いや待て。何だ、私は何を願われた?
疲れていたのか既にすやすやと寝息を立てているこいつは、私に何を願ったのだ?
「正邪早くー! マッサージ!」
「……あ、そうだった」
まだ寝ていなかった。寝ていないのに寝息を立てられるとは器用な奴め。
まあ、本音で動くなら、自分の気持ちだけで動くなら、私はマッサージなんてしてやる気は微塵もない。してしまったら、針妙丸はきっと喜んでしまうだろう。逆に、しなければ、針妙丸はきっと気分を害するだろう。後者の方が、私好みだ。
しかし、やらないで気分を損なわれると不味い。非常に不味い。
私の此度の『計画』、既にこの小さいのに全てが懸かっていると言っても過言ではない。そんな奴にもし裏切られでもすれば、私の大きく膨れ上がった野望は、まあ今回は湖の中のほんの一つの泡沫のように消し飛んでしまうだろう。
だから、いわゆる『ご機嫌取り』の為に、マッサージはしてやろうと思う。気に入らないが、仕方ない。
だが、もちろんそのまま願いを叶えるなど、天邪鬼な私には到底できない相談だった。
「ふんっ」
めきゃ
そんな音がした刹那、
「ぐふっ!!」
という断末魔が人さし指の下から聞こえた。
詰まる所、私は人差し指で、うつ伏せになっている針妙丸の背中を思いっきり押したのだ。
針妙丸は動かなくなる。
「あ、すまーん! 指が滑ってしまったぁ!」
わざとらしい演技派棒読みの言い訳を、なんとなく口に出す私。
針妙丸は失神しているに違いないが、なんとなく言ってみた。
何が『ご機嫌取り』なのか、と私は私を心の中で嘲笑する。
が、そのなんとなくの言葉に、
「い……いえ……大丈夫よ……続けて……」
と、針妙丸の弱々しい返答が聞こえたのには、驚いた。何と面妖なほどにまでにタフな……。
そして、さすがにいくら天邪鬼な私といえども、口から吐唾している小人を虐めるのに……ほんの、ほんの少しだけ、気が引けた。
その理由は明白。決して針妙丸を可哀想だと思ったからではない。『計画』が頓挫してしまわないか、心配だったからだ。苦痛の表情をしているのは実にそそられるので、本心ではもっと虐めていたいのだが。
「つ……続けてもいいのか?」
「え…え……! とっ……ても……利きます……!」
しかし、本人が望むならば。
思いっきり虐めて、痛めつけてやろう――!
「さ……さあ、早く……! もう……天に昇っちゃうんじゃないか……ってくらい……気持ち良いの……!」
本当に昇天してしまいそうなのだが……まあ、小人はその手の物に慣れているだろうし、大丈夫かな。
……それにしても、押して気持ちいいって、それ本当に筋肉痛か?
「えいっ」
「ひえぃっ!」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ふうっ……ふうっ……」
「はあっ……はあっ……」
ど……どうしてこうなった……。
なぜ私まで息を切らしている……。
私は四つん這いになり、ちょうど針妙丸の上に覆いかぶさる形となっていた。対して針妙丸は、仰向けで私の首の辺りを見つめている。
おかしい、この状況。本当におかしいぞ。
もうマッサージなんてしてやらない……。好き嫌い関係なく。
「ぷはああぁー、気持ちよかった!」
針妙丸は私の体の真下で起きて立ち上がり、両手を拳にして天に突きだす。まあ実際は私の胸の辺りに突き出されているわけだが。いわゆる『伸び』だろう。
しかし、目の前で、本当に目と鼻の先で、こんなに気持ちよさそうにされるとイライラしてくる。『気持ちいい』に導いたのは私自身なのだが……だからこそ、自分が嫌になる。その可愛さが憎らしい容姿を滅茶苦茶にされたのに、なぜこいつは喜んでいる? お陰で私は自分が嫌になる。”他人(ひと)を喜ばせてしまった”と、自己嫌悪に陥ってしまう。……疲れているのは私の方かもしれない。
「正邪!」
針妙丸が私の胸元を拳でポカポカ叩きながら言う。痛い痛い。
「な……なんだ?」
「ありがとう、正邪!」
「…………」
……か、か、か、感謝するなあああああああああ!!!
「…………」
「あれー? 正邪? 聞こえてる?」針妙丸は首を傾げる。
気持ちよくなっているならまだしも、私を感謝することだけは、勘弁してくれ! 吐き気がする!
くそ、これ以上、これ以降に感謝されては堪らない。どうにかして明確に否定しないと、恩に着られてしまう! 着てもらうのは濡れ衣だけで十分だ!
……………………。
……………………。
……………………。
……よし、これで行こう。これを言おう。
私は練りに練った渾身の一言を放った。
「……べ、別にお前の為にやったのではないからな! 勘違いするなよ!」
◇
あの一件以来、私に対する針妙丸の態度が明らかにおかしい。
私が小人族に関する嘘の歴史をレクチャーしている時も、なんだか私の顔をじっと見つめてきて気持ち悪いし、共に散歩している時も、私のうなじを撫でたり髪の毛を引っ張ったりしてくるし……、そしてその最たるは、マッサージのねだりようだった。「またやって、またやって」とまるで憶えの付かないガキのような執着である。まあ、針妙丸は小人族の中でも比較的子供なわけだが……。もちろん、そのようなねだりは、やんわりと自然に、悉く断っている。
思い起こせばあの一言を出した瞬間から、あいつの目がウルウルし出したというか、キラキラし出したというか……とにかく、目の輝きが違う気がする。
なぜあんなことをされて、あいつは喜んでいるのだ? もしかして、あいつも天邪鬼の血を……いや、ないない――。
「いてっ」
唐突に左足に痛みが走る。
少しでも動かせば、更に痛みが出そうだ。
「くそ……」
動けない。壁に寄りかかり立ったままになってしまう。どうやら足が攣ってしまったようだ。
歩きながら考え事をしたのが悪かったのだろうか。
とにかく、こういう時は足を伸ばすに限る。痛いのを少しだけ我慢しなければならないが……。
私がまずは足を出来るだけ動かさないように、そっと床に座ろうとすると、
「あ、正邪! どうしたの?」
と言いながら、針妙丸がやって来た。こんな時に……。
「い、いや、何でもない。ちょっと休憩しようと……」
こっち来るな! どうせこいつのことだから……。
「嘘! 駄目よ、無理しちゃ。どこか具合が悪いの?」
……やはり、予想通りか。針妙丸はこういうことになると余計な世話を焼くタイプ……。しかし、私は心配されるなんてことはご免被りたい。
「いや、だから大丈夫だと――」
「あららー、この様子だと、足に何かあったのね?」
「おわっいたっ!」
素っ頓狂な声を上げてしまった。というか痛い。
いつの間にか針妙丸が足下で私の脚をポカポカ叩いていた。しかも左足を。なぜ叩くのだ。
「よし、ここは私が一肌脱いであげるわ」
「いいって!」
「……私がやるの、嫌……?」
「……!」
急に切ないような表情をする針妙丸に、怯んでしまう私。気圧されたと言ってもいいかもしれない。
勿論、針妙丸が相手でなくとも、誰かに優しく看護されるなんてことは絶対に嫌だが……何度も言うように、こいつに気分を害されるのは非常に不味い。度重なるマッサージ要請は何とか誤魔化せているものの……。
そんな事を考えている間にも、針妙丸の目がウルウルし出す。
……くそ、ここは我慢して……。
「じゃ……じゃあお願いする」
「ひゃっふう!」
……今こいつ、ひゃっふうとか言ったか? 本当に看病する気があるのか? 無いのだろうな……私としては、そちらのほうが助かるのだが。看病なんて、されない方が怪我の治りが早い気がするほど、私はその類のものが嫌いなのだ。
「じゃ、行きましょうか」
「……?」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「廊下では看病も干瓢もない」とか訳の判らないことを言って、針妙丸は足が攣っている私を立たせ、挙句結構な距離を歩かせ、一つの部屋まで連れ出した。何が看病だ。
部屋は簡素な造りで――というか、この廃屋自体簡素なのだが、そんなことは今問題ではなく、部屋が簡素なのが問題なのだ。この部屋には医療道具が何一つなかった。ただの足攣りにそんなものを使う必要もないと思うが、看病なのにこの部屋を選ぶなんて、輪をかけて意味が判らない。もう一度言おう。何が看病だ。
「おい、針妙丸――」
私が背後、というか踵のあたりにいる針妙丸の方に振りかえって声を掛けると、
「なあに? 正邪」
と針妙丸がにんまり顔でいた。ロクでもないことを考えているな。
「足、どうにかするなら早くしてくれ。私も暇ではない」
「うんうん、判っているよ。手早~く済ませるからっ!」
針妙丸は、その可愛らしく憎らしい顔に似つかわしくない笑みを浮かべてそう言った。
とその瞬間。
「がばー!」
「うわおっ! ちょっ――!」
跳びかかって来た。針妙丸が、私の腰のあたりに向かって。
私は足が攣っていたから、片足で、支えなくケンケンでいたため、当然、
「うぐっ」
と、どたーんと、私はバランスを崩して、仰向けに倒れてしまった。
ただ単に背中が痛い。足も攣っているし。
「何をする……!」
「ふふ、正邪が悪いんだよっ」
起き上がろうとするが、それは叶わなかった。なぜなら、針妙丸が私の腹のあたりに陣取っていたからだ。このまま起きればこの小人の落下は免れない。そそっかしいこいつのこと、何が致命傷になるか判らない。両手は封じられていなかったが、それを以って針妙丸をどかすのも、まだ戴けない。このようなことをした以上、こいつにも目的がある筈だ。それを邪魔するのは『計画』にとって、なかなか戴けない。
針妙丸はさきほどの笑みを変えずに佇んでいる。
「針妙丸、そこをどけ。でないとお前、落下して更に頓珍漢になるぞ」
「いやいやー、そうはいかないのよねぇ。……だって、正邪が悪いんだよ」
「何を言って――」
私が悪い? 一体こいつは何のことを言っているのだろう?
……まさか、計画が露見したのか。しかし、万が一にも、億が一にも、そんなことに気づけるほど、針妙丸は鋭くない。鈍すぎるのだ。
となると、何なのだ?
「――いるのだ、お前は?」
「ふふふ。今に判るんじゃない?」
曖昧な返事をする針妙丸――どうやら本当の本当に、どくつもりはないらしい。
と、ここで妙な感覚を受ける。
「うっ……!?」
「あらあら、結構感度が良いのね。意外」
よくよく目を凝らして針妙丸を見てみれば、こいつは服の上から私の腹のあたりをまさぐっていた。
「も、もう一度訊くが……何をしている?」
「ふふ、正邪が悪いんだよ。こっちが何回、何十回、とお願いしたのに、引き受けてくれないから……」針妙丸の目が正気の色を失っている。「だから、私からしてあげるの。マッサージを。そうすれば、正邪も自然に私にマッサージをしてくれる筈よ! 違いない、そうに違いないわ!」
「そ……」
そんなわけないだろうが! そんな看護があるか!
この気分が妙ちくりんすぎて、声が声にならない――それでも、否、だからこそ、声を大にして、私は言いたい。
こんなの、マッサージでも何でもないし、今私にマッサージは必要ない!
針妙丸の力は、筋トレしているのか何なのか知らないが、全く以ってマッサージと呼べる代物ではなく、ただただ形容し難く、名状し難い感覚を生み出すばかりだ。『妙』としか言えない。針妙丸だけに、妙な感覚……。いや、何でもない。
兎にも角にも、足が攣っている私に腹のマッサージを施すのは筋違いにも程がある。つまり、こいつはこの機会を淡々と狙っていたというわけだ。
明らかに針妙丸の様子が、『いつもより』おかしい。表情も然ることながら、特に目がヤバい雰囲気だ。何かに憑かれているかのような豹変振りだし……。
「ひゃん……」
考えながらも、針妙丸は自称マッサージを続けているわけで、私はそんな声を断続的に発していた。正直自分から見ても奇妙だと感じる。まだ足は攣ったままだ。
「ひぃぅ……お、おい、針妙丸……」
「んん? なあに、正邪?」
相変わらずの満面の笑み……そこには狂気が滲み出ているように見えた。
私は少し戦慄いた。しかし。
「あふ……し、針妙丸。や、止めてくれないか?」
「あらあ、やっと本領発揮なのね、正邪! 待ってたよ、待ち望んでたよ!」
「むぃゅ……お、お前……」
しかしである。
「何を言っているのだ……ふゎぁ」
「何って、言い得て妙なことだよ。私だけにっ!」
「…………」
こいつ、私でさえ口に出すのを躊躇したことを平然と……。
「ささ、正邪、観念して――」
「――めろ」
「うん?」
考える前に、その言葉は発せられていた。頭の中で抽象化する前に、現実で具現化されていた。まるで自分の口が、舌が、二枚舌が、自分の物ではないかのように、勝手に、非常に身勝手に、自らの理性にも、如何なる物にもせき止められることもなく、流々と言の葉を垂れ流していた。
「やめろ。気色が悪い、悪すぎる。吐き気がする。自分が私に対して何かが出来ているとでも思っているのか? もしそう思っているのならば、それは大きな勘違いだ。そのような小さな体躯で、斯様にも大きなお門違いが出来るとは、全く以って驚愕の至りだ。それでお前は充分に、十二分に満足なのだろうが、私にとっては迷惑以外の何物でもない。このことはこの件だけでなく、今までのすべてについて言えることだ。そもそもの話、お前に何をされようと、私は喜びようがないのだよ。私の為に何をしたところで無意味だし、何を考えたところで無価値なのだ。単刀直入に言いたいことを言わせてもらえば、お前がされて嬉しい事が、誰にでも適応されると思うな。お前の今までの行為は――好意は、すべてに於いて、私には不愉快極まりなかった――――――――」
私はそこで言葉を切った――否、切れた。それはただ息継ぎをするために生まれた間だったのかもしれないし、自分の理性による抑止力がようやく働いてやっとのことで生まれた間だったのかもしれない。
ただどんなものであったにせよ、それが雀のお涙頂戴程の時間でしかなかったにせよ、私が我に返るには充分すぎる時間だった。
「――ッ! しんみょ」
「…………」
呆然。
私が慌てて針妙丸の様子を見ると、彼女はその表現が実にしっくりくる表情をしていた。
奇妙な感覚を送る手の動きも、当然止まっていた。目は、先ほどまでの狂気を孕んだ色と違い、虚ろ。ここには空洞しかないとでも主張するかのような色調だ。次第に、その空洞に、透明でキラキラとした液体が溜まる。
そして、溢れ出す。
私には――もうどうしようもなかった。
針妙丸を持ち上げどかし、その場から去った。
足はまだ、攣っていた。
◇
月が見える。妖怪にとってはこの時間帯、人間とは違って立派な活動時間である。
私は月見をしていた。月を臨み、月に嘆いていた。昼に発生した足のひき攣りはもう治っていた。
ただ、今はそんなことはどうでもよかった。
――やってしまった。
『計画』はおじゃん決定、御釈迦確定だ。
因果応報の悪例。自業自得の結果。
天に向かって唾を吐き、例外なくその唾を浴びる。身から出た錆で、自らを汚す。
まあそんな教訓めいた言い回しは脇に置いておくとして……いくらなんでも、私の堪忍袋にも緒というものは存在するし、それが切れないほど私は広い心を持ち合わせていない。どころか、自分で言うのも卑屈だが、心は非常に狭い。堪忍袋の強度には自信があるが、心の許容範囲が狭い。
いくら野望の為といえども――あの状況は些か戴けなかった。私は仰向けに倒れていたところを、ままならないとは言え針妙丸にマッサージされていた――そんな状況は、如何にも私には不釣り合いで、分不相応だった。
いや、そんな偽善的な表現は適切ではない――要するに私は。
あんな状況が嫌いで、あんな現状が憎かった。
ただ単に、我慢の限界だった。
それだけの話なのだ。
「――――ふふ……」
自分の小物さ加減に笑いが込み上げて来る。当たり前だ。傍から見れば、こんなに滑稽なことはない。自分の小物属性に辟易する。もっとも、私の愚かしさは今に始まったことではないが。
豚も煽てりゃ木に登るという言葉があるが――この『計画』の場合、針妙丸が豚で、私が煽てる役だろう。ただ、今回はこの言葉はそのままの意味を保たない。針妙丸には、私には出来ないことが出来た。『何でも願いを叶える打ち出の小槌を扱える』。それは『小人族』という個性から来るものだ。そして私は、その『小人族』から、一番利用し易そうな奴を選んだ。なのに――なのに……だ。結局は、私はロクに豚を一匹煽てることすらも出来なかったというわけか。自分で木に登ることすら出来なかった私は、煽てられそうな豚を選んだというのに――。
ああ、滑稽だな。
「ああ、これからどうしようかな」
あれだけの罵詈雑言を浴びせたのだ、これから弁明したところで意味はあるまい。それもただの罵詈雑言ではない――私は針妙丸自身の事を貶さなかったのだ。彼女の『行為』を、『好意』だけを貶めたのだ。あんなことを、飲み薬のオブラートよろしく包み込むモノなしに食らえば、もう、『無理』だろう。
だから、私の今の気分は非常にハッピーだった。そもそも、私は『そういうこと』をする事を生業、というか生き甲斐としている。だから、日頃からの鬱憤が晴れて清々しているくらいだ。さあ、すっきりしたし、次の案を考えるか――。
……しかし、この心(うち)に残る、何かが凝り固まったような感じは、一体何だろうか。
「あ、正邪! やっと見つけた!」
――嘘だ。
――嘘だ嘘だ嘘だ。
――嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ。
こんなこと、あり得ない。
背後から、あいつの声が聞こえた。
「おーい、正邪! 聞こえてないのー?」
私は、体の方向をそのままに、首だけ後ろに回した。
聴覚通り、そこにいたのは、紛れもなく――
「針妙丸……」
「ふふ、探したんだよ?」
儚い微笑みを浮かべた針妙丸だった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「針妙丸、お前……怒っていないのか?」
「んん? さっきのこと? 別にぃ」
私は月見を続行していた。横に針妙丸を加えて。それに応じて、私の懺悔会はお開きとなっていた。
なぜだ、どうして?
どうしてこいつは怒っていないのだ?
たまたま、あの悪口雑言が聞こえていなかったか――いや、そんなことはあの反応を見れば、それがないという事は一目瞭然ではないか。ではもしかすると――あんな毒そのものの言質を、毒とも認識しなかったというのか? そんなに鈍い奴だったというのか? 別にナイフのように鋭くあって欲しくはないが、少なくとも銀のように毒くらいは検知した方が良いのではないだろうか。
私が黙りこくっているのを気まずく感じたのか、針妙丸はえへへ、と笑う。
「いや、さすがの私もいきなりあんな事を言われたから、ちょっとビックリしちゃったわよ、実際……。正邪があそこまで言うとはね……」
「…………」
成程、毒をぶち当てられたことは認識できていたらしい。銀としては合格か。
では、何だって言うのだ? それとも何か? この小人は『怒』の感情を知らないとでも言うのか?
「さっきから黙ってばっかじゃんちょっと! どうしたの?」
私からすれば、お前の方が『どうした』という感じなのだが……。
「……いや、ちょっと。――どうして、怒っていないのだ? まさか自分は仏だとでも言いだすのでもあるまい」
「ちょっと! 私だって怒るわ。それに、さっきのことを正邪以外に言われたら、怒り心頭になるしー」
「…………」
針妙丸はぷくーっと、頬を膨らませるふりをする。
私だから、怒らない?
何を言っているのだ、こいつは。
「……それに、先ほどは涙をこぼしていただろう?」
「ああ、あれね。あれはちょっと感動しちゃって……」
「…………」
ますます訳が判らない。
あんな罵倒をされて、感動って……そういう特殊な奴だったのか。
しかし、それでは『私だから怒らない』の理由になってはいない。
「……どういうことなのだ?」
「どういうことって……いやさ、正邪ってあれでしょ?」
針妙丸は一つ間を置いて、こっちを見て言った。
「――いわゆる『ツンデレ』ってやつでしょ?」
「……ツンデ……レ……?」
……何だ、それは……? 灰被り姫(シンデレラ)の親戚か?
しかし、その言葉の意味は判らずとも、この事実は判る。
私の『ツンデレ』とやらで、『計画』にはまだ息がある!
「いやー私ってツンデレ好きなのよ。ツンデレい目がないの。正邪がツンデレだって知れたあのマッサージは、私にとって凄く、凄く凄く――凄い体験だったんだから。でも正邪って、じーっと見てても、何かやってみても、普段はそんな素振り全然見せないから……」針妙丸は月を見上げる。「それで私、思いついたの。マッサージの時なら、正邪は『ツンデレ』を発揮してくれるんじゃないかって」
「……ふうむ」
私の何が『ツンデレ』なのか判らないし、そもそも『ツンデレ』が何なのか未だに判らないが……まあ、そんなことは、言ってしまえば些事なのだった。要するに、『計画』が生きているのだから。
成程、つまりあれ程までに執拗にマッサージを要求したのは、何かにとり憑かれたとかではなく、ただの素だったのか。
「いやまあ、暴走しちゃったのは謝るわ。ごめんなさい」
ぺこりと頭を下げる針妙丸。
そしてそのまま、その小さくて澄んだ瞳をこちらに向けた。
「――さあ、正邪。こっちを向いて」
「?」
針妙丸の呼び掛けに、一応応じる私。やはり、こいつは小さくて、可愛らしくて――本当、私の好みにそぐわない。
「何だ?」
「『ツンデレ』よね?」
「む……うん、まあ」
よく判らないが、そう答える。そう応えておく。
「なら!」針妙丸は弾けるように言う。「ちゃんと『デレ』て!」
「そ、その『デレ』とは……?」思わず言葉が尻すぼみになってしまう。
「うぇ、判らないの? むむむ……無意識ツンデレとは……。でもそれが普通か……いや、でも……」
針妙丸はブツブツ何かを呟いた後、ぱぁっと顔が明るくなった。
こちらを向いて言う。
「それなら正邪、この質問に答えてくれる?」
「……む。いいが」
どうせロクな質問ではないのだろうな……。
「正邪……私のこと、好き?」
「…………」
……それに対する、『本心』での回答は、言わずもがなである。
しかし私は。
「ああ、好きだよ。かなり気に入っている。だからこそ――」
そういうのも悪くないな――嘘だけで塗り固めた関係。
考えてみれば、実に私好みの関係性だ。
「これからもよろしく頼む」
私の中で、何かがほぐれた気がした。
とても面白かったです。
茨歌仙の新作待ってます。
正邪のツンデレは私も同意。可愛らしいなあ。
針妙丸も可愛かったです。
新たなコンビの誕生...か?
しんせいに同意
ってフレーズを思い出した。ゲスロリに加えて天然のツンツンとはやるじゃない。
おい、誰かさとりん呼んで来い!
針妙丸カワイイイイイイイイイイイイイッッッッッッ!!!!!