夏の気配もすっかり鳴りを潜め、何処か秋を感じさせる風が流れてくるある夜。私は、僅かな肌寒さを感じて目を覚ました。夏の暑さには寝苦しさを感じ、いざ涼しくなったと思えば今度は寒さで目が覚める。人の身とは不便なものだなあと苦笑し、再び床に就いた。しかし、少しの間目を瞑り耳を澄ますと、秋の虫たちの賑やかな鳴き声が聞こえてきて、なかなか眠れない。つられて外の方を見やれば、月の光が部屋に差し込んでいる。暫しの間考えて、外に出ることにした。これほど気持ちのよい夜にみすみすと眠っているのは、なんとなく勿体ない気がしたからだ。隣では、紅白の巫女が気持ちよさそうに寝息を立てている。起こして行こうかな、と考えたが、やめた。こんなに気持ちよさそうに眠っている人を起こすのは忍びないからである。
静かに外に出て、飛び立った。行く当てなど特にありはしない。どうせ今の自分の身体では、博麗神社の境内を飛び回るのが精々である。空を見上げれば、美しい満月が優しい光を放っている。この月を見ているだけで、なんとなく穏やかな気持ちになれるのは、人間の特権であろうか。古来より、人は月を見ることを好んできた。きっと、月の光には辛さや悲しみを和らげる魔力が宿っているんだろう、とぼんんやりと考えながら、ふらふらと、特に理由もなく飛び回る。私の起こした異変以後は、出歩こうと思うと巫女が必ずついてきていたので、自分一人で出歩くというのは久しぶりの事である。人と話しながら過ごす時間もよいが、自分一人でゆっくり過ごす時間もまたよい。どちらにせよ、心が洗われる時間であることは変わりないが。
暫く飛び回ってから、賽銭箱の上で腰を下ろした。以前、同じように座ろうとしたら中に落ち込んでしまい、痛い目を見たことがあったので、今回は慎重に座る。中を覗き込むと、相も変わらずすっからかんである。たくさんの人妖がこの博麗神社に出入りしているのに、どうしてこの賽銭箱には賽銭が全くたまらないのだろう。素朴な疑問である。そんなくだらない事を考えながらぼーっとしていると、階段から何者かが登ってくるのが見えた。こんな時間にいったい誰が。良く目を凝らしてその人物を見ていて、ふと気づいた。その人物の頭には、普通の人物にはないものが存在していることを。……そう、あれは――。
「……あっ!」
私はそこまで考えてから、素早く賽銭箱の後ろに隠れた。その人物の頭に存在していたもの。それは、紛れもなく『角』であった。そして、『角』を持つ種族と言えば、……、私の知る限りでは、『鬼』である。私の祖先である一寸法師は、強大な力を持つ鬼にその身一つで立ち向かい、見事鬼退治を為して見せた。それは私たち小人族にとっての誇りであり、今でも語り継がれる伝説である。が、それが仇となり、小人族は決して鬼の前に姿を現すことが出来なくなった。鬼退治の報酬として鬼の宝である打出の小槌を奪い、小人族の秘宝としてしまったからだ。小人族も代替わりを繰り返し、鬼が地上から姿を消しはじめたために、無意識のうちに自分と鬼とは関係が無いと思い込んでいたが、とんでもなかった。以前の異変によって、地上から消え去ったはずの鬼達が姿を現し、小人族の一人である私に復讐しようとしているのだ。そう考えれば、決して見つかることは許されない。もしも見つかってしまえば、世にも恐ろしい復讐が待っているに違いない――!
鬼は少しずつこちらに向かってきている。どうやらかなり酔っているようで、足元がおぼつかない。左右にゆらゆらとふらつきながらも、鬼は、賽銭箱の前の階段に腰を下ろした。ふーっと一つ息を吐くと、手に持った瓢箪の栓を開け、一口、二口と酒を煽っている。どうやらここに来るまでにも沢山酒を飲んでいたようで、辺りには酒臭さが酷く充満している。その香りだけで酔ってしまいそうなくらいだ。しかしながら、酒に集中しているおかげで、彼女はこちらには意識を向けていない様子である。この場から去るには、またとない好機である。私は横目で鬼の様子を窺いながら、そろーりそろーりと寝室に戻ろうとして……、しかし、現実はそう甘いものではなかった。
「そこ。こそこそしてないでこっちに来なよ」
「……ッッッ!」
鬼は顔をこちらに向け、その瞳の中に確かに私の姿を映していた。私は射竦められたかのように、その場から動くことが出来なかった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
――鬼、である。我が祖先、一寸法師が全身全霊を以って退けた妖怪。話でしか聞いたことのなかった存在が、目の前に居る。その上、目の前の鬼からは、絶大なる力が立ち上っている。以前の異変後に面会した妖怪――八雲と言ったか。かの妖怪にも劣らぬ力である。以前、一族に伝わる文書の中で、鬼の中には『四天王』と呼ばれる存在があると読んだことがある。私の勘が、この鬼はおそらくその一人であると告げている。幾多の妖怪はあれども、自他ともに『最強』であると名乗れる種族は鬼ただ一つのみ。そして、その最強と呼ばれる鬼の中でも頂点に立つ存在、四天王。そんな存在が私の前に立っている。自然と、体が震えてくる。その様子を知ってか知らずか、鬼は私に声を掛けてきた。
「あんた、この前の異変の首謀者だよね? 少名、針妙丸だったかな」
「……」
「その体躯、名前、相貌……。少々、覚えがあるね」
鬼は目を細めてこちらを睨みつけるように見てくる。『一寸法師』が退治した鬼は、四天王ではない、普通の鬼である。四天王ほどにもなれば、配下の一人一人の話など覚えているわけがない、と楽観視している部分が、自分の中で少しはあったかもしれない。――認識が、甘かったか。
「お前、あれだろう。『一寸法師』の子孫」
「……ええ」
「やはりか。私の配下の鬼が、小人に見事してやられたという話を聞いてから、ずっと気になっていたんだ。しかし、つい最近まですっかりその事を忘れてしまっていた。――この前の異変が起こるまではな。私としたことが迂闊なもんだ」
「……」
……やはり、仕返しか。自分の配下がやられたままでは、四天王としての面子が保てないということだろうか。鬼は何をするでもなく、話を続ける。
「いやはや、あの時は驚いたもんだよ。まさか我ら鬼が、小人族にしてやられるなんてね」
「……」
「配下の鬼達も、いろいろ言っていたなぁ――」
鬼は、そこで一度息を吸い、続く言葉を告げた。
『小人族如きが、身の程知らずめ』
「!」
『どうせ卑怯な手でも使ったのだろう』
『人間共にも劣る弱者の分際で、我らに楯突くとは』
『誰かに縋らねば生きて行けぬ塵芥が――』
鬼の口から放たれる辛辣な言葉の羅列に、私は自分の中の恐怖が薄れてくるのを感じた。代わりに湧きあがってきた感情は、『怒り』。なぜ、私たちが虐げられねばならぬのか。なぜ、鬼退治という輝ける勲章までも、否定されねばならぬのか。鬼がそんなに偉いのか。強ければ正義とでも言うつもりか。なぜ、なぜ、なぜ――。
そんな私の想いなど歯牙にもかけぬかのように、鬼は言葉を続ける。
『身の程知らず』
(黙れ) 怒りは徐々に、大きくなっていく。
『卑怯者』
(黙れ!) 誇りを、生き様を穢されることは、今までに無いことだったから。
『弱者』
「それ以上……!」 言葉が漏れる。そして。
『塵芥』
感情が、爆発した。
「それ以上、我らの誇りを傷つけるな! なぜ我々が虐げられなければならない。体が小さいからなんだというのだ! 我らは、小人族は、鬼退治と言う勲章を誇り、確かな誇りを持って、今まで生きてきた!」
そうだ。その小さな身に、大きな勇気を宿して、我が祖先である一寸法師は確かに鬼退治を成し遂げたのだ。強き鬼に真正面から挑み、持てる知略の限りを尽くして、見事に鬼を打倒した。
「今まで歩んできた道を誰かに否定される筋合いなど、決してない。私たちは、今まで自分が歩んできた道に、自信を持って胸を張ることが出来る! 小人族は、誇り高き種族だ! 弱きを助け強きをくじく、一寸法師が抱いたその精神は私たちの身体に確かに息づいている! 小さな体であっても、勇気だけならどんな妖怪達にも決して負けることはない!」
「……」
「先程の発言を撤回しろ!」
「……クッ、はっはっはっはっは!」
「何がおかしい!」
「――そんな事を言う鬼達も、確かに居たな」
鬼は、先程までの睨みつけるような表情が嘘だったかのような、優しい表情でこちらを見ている。対する私は、呆気にとられたまま鬼の顔を見つめた。
「一寸法師に退治された二人は、まだ若い鬼だったな。戻って来て暫くの間は不貞腐れて、酒も手につかないようだった。だが、宴会の時に酔い潰れるほど酒を煽って、吹っ切れたように語っていたよ」
「何と……?」
「『久方ぶりに勇あるものに出会った』と」
「……!」
「『良い目をしていた』と。『あのような者に退治されるのなら本望だ』と」
鬼は、一つ一つの言葉を慈しむように話す。私は、自分の祖先が為した事が、確かに認められていた事に、何か形容しがたい感情で胸が満たされていくのを感じた。涙が零れそうになったのを、ぐっと堪えた。
「小人族の事は知っていたよ。賢明な一寸法師とは違い、奴の子孫は愚かな者たちばかりだった。お前の噂を耳に挟んで、会ってみたいと思い、ここに来たんだ。もしここで何も言い返さないような意気地なしなら、ほっぽってどこかに行っちまおうと思ってたんだけどねぇ。いやはや、いい啖呵だったよ。この私に対して、ああも見事にね」
「貴女は……」
「――我は鬼が四天王の一人、『酒呑童子』。名を、『伊吹萃香』と言う。さぁ、お前の名を聞かせてもらおう」
「私の名は、既に知っているのではないのですか?」
「伝聞で聞いただけだ。私は他ならぬお前の口から、名乗りを聞きたいんだよ。私が認めた『強き者』である、お前の口から」
『萃香』は、確かな期待を瞳に込めて、こちらをじっと見つめている。私は俯いていた顔を上げて、萃香をキッと見据えた。
「私は――」
「……」
「――私は、鬼退治の英雄、一寸法師が末裔。『輝く針の小人族』、『少名針妙丸』!」
これまでに出したことがないくらいの声量で、私は名乗りを上げた。萃香は暫く余韻を楽しむかのように頷いてから、破顔した。
「……うん。いい名だ」
陽気に笑い声を上げて、萃香は懐から小さな御猪口を取り出し、手に持つ瓢箪から酒を注いだ。
「今日は満月が出ているね。私が砕月を成した時のように。まあ、月見酒と洒落込もうじゃないか。お互いに積もる話もあるだろう」
「……今日初めて出会ったのに、積もる話なのですね」
「それなら、私たちの出会いを祝して飲もうじゃないか。我が『友』よ」
「……そういうことなら、喜んで。私の『友』よ」
御猪口と瓢箪を重ね合わせてから、私は酒を一気に煽った。慣れない酒に、体がかっと熱くなる。しかし、秋の涼やかな空気の中では、それはとても心地よいもので。
新たな友と尽きぬ話を愉しみながら、半ば夜が明けるくらいまで、小さな小さな宴は続いた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
一刻ほど過ぎただろうか。針妙丸は既に酔いつぶれて、小さな鬼は独り、静かに佇んでいた。それから、思い付いたかのように背後に視線を向けて、呟いた。
「覗き見とはお前らしくないじゃあないか。――霊夢」
「……やれやれ、アンタの事だから、気づいているとは思ってたわ」
一度、溜め息を零してから、博麗神社の巫女――博麗霊夢は物陰から姿を現した。針妙丸が部屋から出た時の姿ではなく、いつもの紅白の巫女服である。霊夢は、おもむろに萃香の隣に歩み寄り、腰を降ろした。
「コイツが寝室から出て行ったのには、気づいていたわよ。夜遊びなんてしてちゃ、その辺の狼にでも取って食われるような奴だからね。見殺しにするのも忍びなかったから、こっそり着いて来ていただけよ」
「くくっ……素直じゃないねぇ、相変わらず」
「……何よ」
霊夢は憮然とした表情で萃香を睨んだ。萃香はなおも楽しそうに言葉を紡ぐ。
「お前もこいつの事は嫌いじゃないみたいだね? こいつの真っ直ぐな生き方に、当てられたのかい?」
「そんなんじゃないわよ。ただ……」
「ただ?」
「……こんな素直な奴は、幻想郷では珍しいからね。なんだか調子が狂ったのよ。大体は、紫や幽々子やアンタみたいな、ひねくれた奴ばっかりだから」
「私がひねくれてるってのには納得がいかないけど、確かにこんなに素直な奴は珍しいかもね」
「なんだか、放っておけないのよ。見た目通りの少女のような反応を見せる事もあれば、どんな相手にも突っかかっていくような無謀さもある。……だから、あの天邪鬼に騙されたのだろうけど」
「……驚いた。お前の口からそんな言葉が出るとはね。コイツのことを、よっぽど気に入っているみたいだね」
萃香は本当に驚いたかのような表情で、霊夢の方を見やった。霊夢は恥ずかしさを隠すかのようにそっぽを向いて、今度は萃香に向けて問いを投げかけた。
「アンタこそ、小人に興味を持つなんて珍しいじゃないの。コイツは、お世辞にも強者と呼べる存在ではないと思うけど」
「いいや。こいつは確かに強者だよ」
「へぇ。どうしてよ」
「私は普段、妖気を霧にして各地に飛ばしてる。妖怪と接するとき、あまり威圧を与えちゃ会話にならないからね。だけど、今日こいつに会った時には、全ての妖気を萃めた、万全の状態の私だった。普通の妖怪……、まあ、下級の天狗位なら、威圧だけで気絶させられるくらいにね。だけど、こいつは見事に耐え抜いて見せたどころか、私に啖呵まで切ってくれた。大したもんだよ。妖怪の山に、そんなことが出来るやつがどれほどいるものか。身体的な力は無くとも、精神的な力ならかなりのものだねえ、針妙丸は」
「……アンタがそんなに饒舌になるのも珍しいわよ。私の事を言えないじゃない」
嬉々として語る萃香を、霊夢も驚いたかのように見つめる。萃香は笑って、酔いつぶれた針妙丸の頭を撫でながら、言葉を続けた。
「私の昔話を、本当に楽しそうに聞いてくれてね。そんな奴はなかなかいないから、嬉しかったよ。星熊の奴と喧嘩した時の話、初対面の紫に殴りかかった時の話、紅魔館の吸血鬼とやり合った時の話……。どれもこれも、まるで子供がお伽噺を聞くかのように、目を輝かせて聞いていた」
「……」
「多分、一寸法師が鬼退治を成したってのは、針妙丸にとって誇りであるのと同時に、お伽噺の中の鬼退治に過ぎなかったのかもしれないね。私が今日、あれだけ悪口をぶつけてやっと、自分が一寸法師の末裔であることと、鬼退治の英雄の子孫であるという誇りとを自分の中で呑み込めたのかもしれない。針妙丸は、これからどんどん強くなると思うよ、私は」
「……全く。鬼と小人なんてあべこべな友人、お伽噺の中にも無いわよ」
「いいんじゃあないか? ここは幻想郷なんだから」
「……そうね。紫の言葉を借りるのは癪だけど、『幻想郷は全てを受け入れる』のよね」
「ああ、そうさ。……っと、ようやくお出ましだ」
萃香の目線が空を向いた。つられて、霊夢も空を見ると、どうやら幻想郷が夜明けを迎える時間になったようだ。力強い光を放つ太陽が、今まで隠されていた鬱憤を晴らすかのように山の向こう側から登ってくる。萃香は嬉しそうに笑った。
「……そして私も、幻想郷に新たな住人が生まれたことを、今日ようやく呑み込めた気がする」
「……そうね。また新たな種族を、この幻想郷に迎えることが出来た」
「めでたい事だ。これはもう、飲むしかないな!」
「アンタ、そんなこと言って四六時中飲んでるじゃないの。……全く、付き合ってあげるわよ。感謝することね」
「おうおう! それじゃあ、幻想郷の新たな住人と、私の新たな友の誕生に――」
『――乾杯!』
――朝焼けに照らされながら、二人は盃を酌み交わす。高らかな笑い声が、幻想郷に響き渡った。
静かに外に出て、飛び立った。行く当てなど特にありはしない。どうせ今の自分の身体では、博麗神社の境内を飛び回るのが精々である。空を見上げれば、美しい満月が優しい光を放っている。この月を見ているだけで、なんとなく穏やかな気持ちになれるのは、人間の特権であろうか。古来より、人は月を見ることを好んできた。きっと、月の光には辛さや悲しみを和らげる魔力が宿っているんだろう、とぼんんやりと考えながら、ふらふらと、特に理由もなく飛び回る。私の起こした異変以後は、出歩こうと思うと巫女が必ずついてきていたので、自分一人で出歩くというのは久しぶりの事である。人と話しながら過ごす時間もよいが、自分一人でゆっくり過ごす時間もまたよい。どちらにせよ、心が洗われる時間であることは変わりないが。
暫く飛び回ってから、賽銭箱の上で腰を下ろした。以前、同じように座ろうとしたら中に落ち込んでしまい、痛い目を見たことがあったので、今回は慎重に座る。中を覗き込むと、相も変わらずすっからかんである。たくさんの人妖がこの博麗神社に出入りしているのに、どうしてこの賽銭箱には賽銭が全くたまらないのだろう。素朴な疑問である。そんなくだらない事を考えながらぼーっとしていると、階段から何者かが登ってくるのが見えた。こんな時間にいったい誰が。良く目を凝らしてその人物を見ていて、ふと気づいた。その人物の頭には、普通の人物にはないものが存在していることを。……そう、あれは――。
「……あっ!」
私はそこまで考えてから、素早く賽銭箱の後ろに隠れた。その人物の頭に存在していたもの。それは、紛れもなく『角』であった。そして、『角』を持つ種族と言えば、……、私の知る限りでは、『鬼』である。私の祖先である一寸法師は、強大な力を持つ鬼にその身一つで立ち向かい、見事鬼退治を為して見せた。それは私たち小人族にとっての誇りであり、今でも語り継がれる伝説である。が、それが仇となり、小人族は決して鬼の前に姿を現すことが出来なくなった。鬼退治の報酬として鬼の宝である打出の小槌を奪い、小人族の秘宝としてしまったからだ。小人族も代替わりを繰り返し、鬼が地上から姿を消しはじめたために、無意識のうちに自分と鬼とは関係が無いと思い込んでいたが、とんでもなかった。以前の異変によって、地上から消え去ったはずの鬼達が姿を現し、小人族の一人である私に復讐しようとしているのだ。そう考えれば、決して見つかることは許されない。もしも見つかってしまえば、世にも恐ろしい復讐が待っているに違いない――!
鬼は少しずつこちらに向かってきている。どうやらかなり酔っているようで、足元がおぼつかない。左右にゆらゆらとふらつきながらも、鬼は、賽銭箱の前の階段に腰を下ろした。ふーっと一つ息を吐くと、手に持った瓢箪の栓を開け、一口、二口と酒を煽っている。どうやらここに来るまでにも沢山酒を飲んでいたようで、辺りには酒臭さが酷く充満している。その香りだけで酔ってしまいそうなくらいだ。しかしながら、酒に集中しているおかげで、彼女はこちらには意識を向けていない様子である。この場から去るには、またとない好機である。私は横目で鬼の様子を窺いながら、そろーりそろーりと寝室に戻ろうとして……、しかし、現実はそう甘いものではなかった。
「そこ。こそこそしてないでこっちに来なよ」
「……ッッッ!」
鬼は顔をこちらに向け、その瞳の中に確かに私の姿を映していた。私は射竦められたかのように、その場から動くことが出来なかった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
――鬼、である。我が祖先、一寸法師が全身全霊を以って退けた妖怪。話でしか聞いたことのなかった存在が、目の前に居る。その上、目の前の鬼からは、絶大なる力が立ち上っている。以前の異変後に面会した妖怪――八雲と言ったか。かの妖怪にも劣らぬ力である。以前、一族に伝わる文書の中で、鬼の中には『四天王』と呼ばれる存在があると読んだことがある。私の勘が、この鬼はおそらくその一人であると告げている。幾多の妖怪はあれども、自他ともに『最強』であると名乗れる種族は鬼ただ一つのみ。そして、その最強と呼ばれる鬼の中でも頂点に立つ存在、四天王。そんな存在が私の前に立っている。自然と、体が震えてくる。その様子を知ってか知らずか、鬼は私に声を掛けてきた。
「あんた、この前の異変の首謀者だよね? 少名、針妙丸だったかな」
「……」
「その体躯、名前、相貌……。少々、覚えがあるね」
鬼は目を細めてこちらを睨みつけるように見てくる。『一寸法師』が退治した鬼は、四天王ではない、普通の鬼である。四天王ほどにもなれば、配下の一人一人の話など覚えているわけがない、と楽観視している部分が、自分の中で少しはあったかもしれない。――認識が、甘かったか。
「お前、あれだろう。『一寸法師』の子孫」
「……ええ」
「やはりか。私の配下の鬼が、小人に見事してやられたという話を聞いてから、ずっと気になっていたんだ。しかし、つい最近まですっかりその事を忘れてしまっていた。――この前の異変が起こるまではな。私としたことが迂闊なもんだ」
「……」
……やはり、仕返しか。自分の配下がやられたままでは、四天王としての面子が保てないということだろうか。鬼は何をするでもなく、話を続ける。
「いやはや、あの時は驚いたもんだよ。まさか我ら鬼が、小人族にしてやられるなんてね」
「……」
「配下の鬼達も、いろいろ言っていたなぁ――」
鬼は、そこで一度息を吸い、続く言葉を告げた。
『小人族如きが、身の程知らずめ』
「!」
『どうせ卑怯な手でも使ったのだろう』
『人間共にも劣る弱者の分際で、我らに楯突くとは』
『誰かに縋らねば生きて行けぬ塵芥が――』
鬼の口から放たれる辛辣な言葉の羅列に、私は自分の中の恐怖が薄れてくるのを感じた。代わりに湧きあがってきた感情は、『怒り』。なぜ、私たちが虐げられねばならぬのか。なぜ、鬼退治という輝ける勲章までも、否定されねばならぬのか。鬼がそんなに偉いのか。強ければ正義とでも言うつもりか。なぜ、なぜ、なぜ――。
そんな私の想いなど歯牙にもかけぬかのように、鬼は言葉を続ける。
『身の程知らず』
(黙れ) 怒りは徐々に、大きくなっていく。
『卑怯者』
(黙れ!) 誇りを、生き様を穢されることは、今までに無いことだったから。
『弱者』
「それ以上……!」 言葉が漏れる。そして。
『塵芥』
感情が、爆発した。
「それ以上、我らの誇りを傷つけるな! なぜ我々が虐げられなければならない。体が小さいからなんだというのだ! 我らは、小人族は、鬼退治と言う勲章を誇り、確かな誇りを持って、今まで生きてきた!」
そうだ。その小さな身に、大きな勇気を宿して、我が祖先である一寸法師は確かに鬼退治を成し遂げたのだ。強き鬼に真正面から挑み、持てる知略の限りを尽くして、見事に鬼を打倒した。
「今まで歩んできた道を誰かに否定される筋合いなど、決してない。私たちは、今まで自分が歩んできた道に、自信を持って胸を張ることが出来る! 小人族は、誇り高き種族だ! 弱きを助け強きをくじく、一寸法師が抱いたその精神は私たちの身体に確かに息づいている! 小さな体であっても、勇気だけならどんな妖怪達にも決して負けることはない!」
「……」
「先程の発言を撤回しろ!」
「……クッ、はっはっはっはっは!」
「何がおかしい!」
「――そんな事を言う鬼達も、確かに居たな」
鬼は、先程までの睨みつけるような表情が嘘だったかのような、優しい表情でこちらを見ている。対する私は、呆気にとられたまま鬼の顔を見つめた。
「一寸法師に退治された二人は、まだ若い鬼だったな。戻って来て暫くの間は不貞腐れて、酒も手につかないようだった。だが、宴会の時に酔い潰れるほど酒を煽って、吹っ切れたように語っていたよ」
「何と……?」
「『久方ぶりに勇あるものに出会った』と」
「……!」
「『良い目をしていた』と。『あのような者に退治されるのなら本望だ』と」
鬼は、一つ一つの言葉を慈しむように話す。私は、自分の祖先が為した事が、確かに認められていた事に、何か形容しがたい感情で胸が満たされていくのを感じた。涙が零れそうになったのを、ぐっと堪えた。
「小人族の事は知っていたよ。賢明な一寸法師とは違い、奴の子孫は愚かな者たちばかりだった。お前の噂を耳に挟んで、会ってみたいと思い、ここに来たんだ。もしここで何も言い返さないような意気地なしなら、ほっぽってどこかに行っちまおうと思ってたんだけどねぇ。いやはや、いい啖呵だったよ。この私に対して、ああも見事にね」
「貴女は……」
「――我は鬼が四天王の一人、『酒呑童子』。名を、『伊吹萃香』と言う。さぁ、お前の名を聞かせてもらおう」
「私の名は、既に知っているのではないのですか?」
「伝聞で聞いただけだ。私は他ならぬお前の口から、名乗りを聞きたいんだよ。私が認めた『強き者』である、お前の口から」
『萃香』は、確かな期待を瞳に込めて、こちらをじっと見つめている。私は俯いていた顔を上げて、萃香をキッと見据えた。
「私は――」
「……」
「――私は、鬼退治の英雄、一寸法師が末裔。『輝く針の小人族』、『少名針妙丸』!」
これまでに出したことがないくらいの声量で、私は名乗りを上げた。萃香は暫く余韻を楽しむかのように頷いてから、破顔した。
「……うん。いい名だ」
陽気に笑い声を上げて、萃香は懐から小さな御猪口を取り出し、手に持つ瓢箪から酒を注いだ。
「今日は満月が出ているね。私が砕月を成した時のように。まあ、月見酒と洒落込もうじゃないか。お互いに積もる話もあるだろう」
「……今日初めて出会ったのに、積もる話なのですね」
「それなら、私たちの出会いを祝して飲もうじゃないか。我が『友』よ」
「……そういうことなら、喜んで。私の『友』よ」
御猪口と瓢箪を重ね合わせてから、私は酒を一気に煽った。慣れない酒に、体がかっと熱くなる。しかし、秋の涼やかな空気の中では、それはとても心地よいもので。
新たな友と尽きぬ話を愉しみながら、半ば夜が明けるくらいまで、小さな小さな宴は続いた。
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一刻ほど過ぎただろうか。針妙丸は既に酔いつぶれて、小さな鬼は独り、静かに佇んでいた。それから、思い付いたかのように背後に視線を向けて、呟いた。
「覗き見とはお前らしくないじゃあないか。――霊夢」
「……やれやれ、アンタの事だから、気づいているとは思ってたわ」
一度、溜め息を零してから、博麗神社の巫女――博麗霊夢は物陰から姿を現した。針妙丸が部屋から出た時の姿ではなく、いつもの紅白の巫女服である。霊夢は、おもむろに萃香の隣に歩み寄り、腰を降ろした。
「コイツが寝室から出て行ったのには、気づいていたわよ。夜遊びなんてしてちゃ、その辺の狼にでも取って食われるような奴だからね。見殺しにするのも忍びなかったから、こっそり着いて来ていただけよ」
「くくっ……素直じゃないねぇ、相変わらず」
「……何よ」
霊夢は憮然とした表情で萃香を睨んだ。萃香はなおも楽しそうに言葉を紡ぐ。
「お前もこいつの事は嫌いじゃないみたいだね? こいつの真っ直ぐな生き方に、当てられたのかい?」
「そんなんじゃないわよ。ただ……」
「ただ?」
「……こんな素直な奴は、幻想郷では珍しいからね。なんだか調子が狂ったのよ。大体は、紫や幽々子やアンタみたいな、ひねくれた奴ばっかりだから」
「私がひねくれてるってのには納得がいかないけど、確かにこんなに素直な奴は珍しいかもね」
「なんだか、放っておけないのよ。見た目通りの少女のような反応を見せる事もあれば、どんな相手にも突っかかっていくような無謀さもある。……だから、あの天邪鬼に騙されたのだろうけど」
「……驚いた。お前の口からそんな言葉が出るとはね。コイツのことを、よっぽど気に入っているみたいだね」
萃香は本当に驚いたかのような表情で、霊夢の方を見やった。霊夢は恥ずかしさを隠すかのようにそっぽを向いて、今度は萃香に向けて問いを投げかけた。
「アンタこそ、小人に興味を持つなんて珍しいじゃないの。コイツは、お世辞にも強者と呼べる存在ではないと思うけど」
「いいや。こいつは確かに強者だよ」
「へぇ。どうしてよ」
「私は普段、妖気を霧にして各地に飛ばしてる。妖怪と接するとき、あまり威圧を与えちゃ会話にならないからね。だけど、今日こいつに会った時には、全ての妖気を萃めた、万全の状態の私だった。普通の妖怪……、まあ、下級の天狗位なら、威圧だけで気絶させられるくらいにね。だけど、こいつは見事に耐え抜いて見せたどころか、私に啖呵まで切ってくれた。大したもんだよ。妖怪の山に、そんなことが出来るやつがどれほどいるものか。身体的な力は無くとも、精神的な力ならかなりのものだねえ、針妙丸は」
「……アンタがそんなに饒舌になるのも珍しいわよ。私の事を言えないじゃない」
嬉々として語る萃香を、霊夢も驚いたかのように見つめる。萃香は笑って、酔いつぶれた針妙丸の頭を撫でながら、言葉を続けた。
「私の昔話を、本当に楽しそうに聞いてくれてね。そんな奴はなかなかいないから、嬉しかったよ。星熊の奴と喧嘩した時の話、初対面の紫に殴りかかった時の話、紅魔館の吸血鬼とやり合った時の話……。どれもこれも、まるで子供がお伽噺を聞くかのように、目を輝かせて聞いていた」
「……」
「多分、一寸法師が鬼退治を成したってのは、針妙丸にとって誇りであるのと同時に、お伽噺の中の鬼退治に過ぎなかったのかもしれないね。私が今日、あれだけ悪口をぶつけてやっと、自分が一寸法師の末裔であることと、鬼退治の英雄の子孫であるという誇りとを自分の中で呑み込めたのかもしれない。針妙丸は、これからどんどん強くなると思うよ、私は」
「……全く。鬼と小人なんてあべこべな友人、お伽噺の中にも無いわよ」
「いいんじゃあないか? ここは幻想郷なんだから」
「……そうね。紫の言葉を借りるのは癪だけど、『幻想郷は全てを受け入れる』のよね」
「ああ、そうさ。……っと、ようやくお出ましだ」
萃香の目線が空を向いた。つられて、霊夢も空を見ると、どうやら幻想郷が夜明けを迎える時間になったようだ。力強い光を放つ太陽が、今まで隠されていた鬱憤を晴らすかのように山の向こう側から登ってくる。萃香は嬉しそうに笑った。
「……そして私も、幻想郷に新たな住人が生まれたことを、今日ようやく呑み込めた気がする」
「……そうね。また新たな種族を、この幻想郷に迎えることが出来た」
「めでたい事だ。これはもう、飲むしかないな!」
「アンタ、そんなこと言って四六時中飲んでるじゃないの。……全く、付き合ってあげるわよ。感謝することね」
「おうおう! それじゃあ、幻想郷の新たな住人と、私の新たな友の誕生に――」
『――乾杯!』
――朝焼けに照らされながら、二人は盃を酌み交わす。高らかな笑い声が、幻想郷に響き渡った。
輝針城がプレイできないぶん、これらを読んで彼女達を知っていこうと思います。
ありがとうございました。
なるほど、そういうことが出来るのが幻想郷なんでしょうね。素敵な話でした。
良いお話でした