私は、アリスマーガトロイドという人形師、ご主人様に作られた人形である。名前は上海人形と呼ばれている。
私は、さっきまで中途半端な自我しかなかった人形だった。今までは、私は命令されたことを淡々とこなすだけの人形だった。もちろん、今までも達成感やご主人様から褒められる喜びはあった。
けれど、そこまで止まりだった。私には、こうしたい、ああしたいという感情は無かった。
だが、それも過去の私。今の私は違う。
そう、私は遂に自我に目覚めたのである。
自我に目覚めたというのは、どういう事かというと、自分がやりたい事が出てきたという事だ。そのおかげで、ご主人様がして欲しい事を予測して行動できるようになった。
なので、今までお世話してもらっていた分、たっぷりとお礼をさせてもらおう。今ならば、きっとご主人様の気持ちを理解でき、真の友達になれるはずだ。
「ただいまー」
「お帰りなさいませ、ご主人様!」
早速ご主人様が帰ってきたので、私は笑顔で出迎えた。
少しご主人様が面食らった表情になったが、すぐに何時ものクールな表情になる。流石ご主人様だ。
「あの術式がうまくいったのかしら…」
「ご主人様、お風呂を沸かしておきました」
「えっ、そんな命令したかしら?」
「いえ。 ですが、いつもお帰りになられた際には、お風呂にお入りになるので、用意しておきました」
また、ご主人様が驚いた顔をした。突然、命令通りにしか動かない人形が、命令以外の事をしだしたのだ。ご主人様にとっては、意外だっただろう。
「ありがとう、気が利くわね」
「ご主人様には、いつもお世話になってますから当然です!」
「…。 お風呂上がったら、きちんと調べてみようかしら」
ご主人様は、少し考え事をする仕草をしながらお風呂に向かった。
私は、それを見送る。ご主人様は、考え事をしながらお風呂に入るつもりだろうか。
少ししてから、脱衣所から着物の擦れる音が聞こえ始めた。きっとご主人様が服を脱いでいるのだろう。その後に、シャワーの音が聞こえ始めた。
…。
さて、ご主人様にリラックスしてもらっている所で、私のやりたい事を始めようと思う。まずは、脱衣所に行く。その時、何ともいえない背徳感に襲われた。
これが、自我なのか。私はそう納得した。
そして、ご主人様が脱いだ服を拝見。これが、ご主人様の黒スト…。
私は喉を鳴らして、それを身にまとった。するとどうだろうか、私はご主人様の香りで包まれた。まるで、ご主人様に抱きしめてもらっているように錯覚する。
そして、そのまま次の獲物を拝借する。それは、ご主人様のパンツである。
シマシマ模様のパンツである。
シマシマ模様のパンツである。
大事な事なので二回言った。そして、私はそれを食べた。
「しゅ、しゅごい…。 しゅごいよ、ごひゅひんしゃま…」
私は、パンツを口に含みながらそう呟いた。呟かずにはいられなかったのである。出来ればその場で叫びたい気分であったが、流石にそれは出来ない。
なので、心の中で叫ぼうと思う。
すごい!すごいよご主人様!
ご主人様の黒スト!ご主人様の黒ストすごい!さっきは抱きしめてもらっているようにとか言ってたけど、これはまるでご主人様と一つになっていると錯覚しちゃう!!
私の中の自我がどんどんと膨らんでアーティフルサクリファイスしちゃいそう!わぁああああああああ!!!!
私は、パンツを口に含みながら、黒ストにさらに絡まるために転がった。するとどうだろうか。ご主人様の香りが私に染み付いていく。どんどんご主人様と一つになっていく。
あぁ、素晴らしい。これが自我か。
うわぁああああああ!ご主人様!ご主人様!!この一体感!普通じゃ味わえないこの一体感!!
どんどん私の中の自我がどんどんどんどんご主人様で満たされちゃうよ!!もっと、もっと、もっと、ご主人様を感じたい!!!
あぁああああああああ!!!
すごい!自我ってすごい!!うわぁああああああ!
私のついてないはずのスペルカードがついにスペル発動しちゃうううぅうぅぅぅ!私のスペルがブレイクしちゃいそう!!
うわぁあああ!ご主人様ご主人様ご主人様ぁーーーーーーーー!!!!
「上海!? どうしたの!?」
「あ」
しまった。後半声に出てしまっていたのか。
そう思った時には既に遅く、ご主人様は浴室の扉を開けて黒ストに絡まる私を見ていた。
「しゃん、はい…?」
ご主人様の表情がこれでもかってくらい戸惑っていた。ご主人様は不気味なものを見るような目で私を見ていた。
そして、ご主人様は、今、タオル一枚でその体を隠している。出来れば全裸で出てきて欲しかった。いや、逆にタオルが体に張り付いて、その素晴らしいボディラインを強調しているから、この方がいいのだろうか。いや、この方がいいのだろう。
「なに、してるの?」
しまった。今はご主人様の素晴らしい肢体に見惚れている場合ではなかった。
とりあえず、この状況を打開せねばなるまい。
「せ、洗濯、です」
「洗濯?」
「そ、そうです! 洗濯しようと思ったんですけど、ストッキングが絡まってしまったんです! 助けてくださいご主人様!」
ものすごく不気味なものを見る目で見ていたご主人様の瞳が、いつもの柔らかくて優しい目に戻った。どうやら、洗濯という事で納得してもらえたらしい。
もちろん、口に含んでいたパンツはうまい事隠しておいた。
「もう、びっくりするじゃない」
「ど、どうしてですか?」
「ストッキングをかぶって大はしゃぎしてるのかと勘違いしちゃったのよ」
「ははっ、まさかにんぎょうのわたしが、そんなことするはずはないですよ」
なんとかご主人様を誤魔化せた。最近自我を持った私にも、流石に黒ストに絡まってパンツ食べてたなんてバレたらまずい事くらい分かる。
けれど、このご主人様を思う気持ちは抑えられない。どうしても、抑えられないのである。だから仕方ないよね。
ご主人様は、まだお風呂の途中である。ご主人様が明日の朝に洗濯をするから休んでいてと言われたので、ご主人様のベッドに入って休んでいる。ご主人様の香りがするこのベッド。
あぁ、ご主人様の香り…。ここでご主人様が毎晩寝ている…。そう考えただけで、私の自我はリトルレギオンしそうだった。
私の自我はご主人様のベッドの香りだけでは満足できず、枕の香りも嗅ぎたいと囁いてきた。もちろん、私は自我に逆らう事なくご主人様の枕の香りを堪能する。
あぁ、すごい。すごい、すごいよ、ご主人様。
この香りを形容するなら、なんというべきなのだろうか。まるで太陽のような暖かさ、そして、フルーツのような甘い香り。
いや、その程度の物ではない。まるで天使のよう。そう、この世の現存する物質では表せられないこの香り。
あ、ダメだ、まずい。このままでは、私の自我がドールズウォーしてしまう。なので再び心の中で叫ぼうと思う。
あっ、あっ、あっ、あーーーー!!!ご主人様の香り!ご主人様の香り!上海人形はご主人様の所有物ですぅううう!!!だから、ご主人様の香りを体中につけます!!
あっ、あっ、あっ、あーーーーーーー!!!ご主人様!ご主人様ーーー!!!ご主人様の甘い香り!ご主人様の優しい匂い!ご主人様の暖かい温もり!その全てがご主人様のベッドから感じられます!ご主人を私は全身で感じてます!!!
もっと!もっと、感じたい!ご主人様をもっと!もっと!もっと!もっと!あっ、あっ、あっ、あーーーーーーーーー!!ご主人様、ご主人様、ご主人様、ご主人様ぁああ!!!!!
「シャ…ン…」
…。
また、ご主人様に見られた。私がベッドに潜り込んで暴れまわっているのを見られた。
さて、なんて言い訳をしようか。
「上海…。 もしかして、私の術式が間違ってて、おかしくなっちゃったのかしら…」
「だ、大丈夫ですよ!」
ご主人様が俯いて元気がない声で言った。
恐らく、すごく落ち込んでいるのだろう。そう思うと私の自我はチクチクと痛みを持った。
「本当に大丈夫なの?」
「大丈夫ですよ!」
でも、そんな自我の痛みはご主人様のかわいさ前には、どうでもいいのであった。
つまり、ご主人様はかわいい上に美しく、ご主人様は正義なのだ。
「ちょっと調べてみましょう」
私がご主人様に調べられる。ご主人様の検査を受ける。つまり、私は全ての衣服を剥ぎ取られ、体の隅々までご主人様に弄られるということだ。
「ぜひお願いします、ご主人様!!!」
「え、えぇ。 ま、任せて」
ちょっとご主人様が私の勢いに引いていた。
「あっ、んぁ…。 ご、ごひゅひんしゃまぁ…」
「…。 黙ってて」
「ふ、ふぁい」
あっ、あっ、あっ、あーーー!!!ご主人様が、私を、私を、私を!!
私の体のあんな所やこんな所を隅々までご主人様が見てる!見てるだけじゃなくて、弄られてる!
うわぁぁあああああ!!
ご主人様の柔らかい手が、私の恥ずかしい所を弄くってる!!
ダメっ、これ以上はっ!やめてご主人様!
いや、やめないで!!!もっと私を弄くって!上海人形の自我はスペルブレイクしちゃいましゅぅううう!!!
「おかしいわね…。変な所がないわ…」
「ふぅ…」
なんだろう。突然悟りを開いたように落ち着けた。
さっきまで、あんなにご主人様への自我で私の心が一杯だったのに。
「んー…。 眠たいし明日きちんと調べようかしら」
「そうですね、眠い状態でやっても集中力がないですから非常に効率が悪いと思われます。 なので、今日は寝てしまって明日改めて調べるのが良いかと思います」
「そ、そうね…」
なんだか、すごく冷静になれた。だが、私はその悟りを開いた様な心理で墓穴を掘る事になる。
「シ、シャン…、ハイ…」
ご主人様の目がゴミを見る様な目になっていた。
普段あれだけ優しいご主人様がこんな目をするなんて、一体何を見たのだろうか。天狗がストーカーでもしているのだろうか。
私はそう思って辺りを見回した。すると、私の足元にご主人様のしましまパンツが落ちていた。
「…」
「…」
「罠です! これは罠です!」
「何が、罠なの?」
ご主人様が笑っている。しかし、いつもの様な優しさはそこにはない。そこにあるのは、怒りを隠す仮面の笑顔だった。
これは、まずい。私は本能で悟った。だが、私はこの状況を打開する言い訳を思いつかなかった。
なので、しらばっくれることにした。
「ど、どうして、こんな所に下着が!」
「あなたが落としたのよ」
これはヤバイ。ご主人様が怒っている。ご主人様は終始笑顔だが、これは完全に怒っている。
なぜだろうか。ご主人様の笑顔を見ていると体が震え上がってくる。怒鳴り声でも上げてもらった方がまだマシかもしれない。
「えっ、えーと、あっ、そうだ!きっと洗濯をしようとした時にストッキングと一緒に絡まってたんですよ!」
「…。 本当?」
ご主人様は疑り深く確かめてきた。だが、確かめるための発言をした時点で私のペースになったのは間違いない。
よし、このまま押し切って、曖昧にしてしまおう。
「本当です!そもそも、ご主人様のパンツを私が持ってて何をするんですか!?」
「それもそうね…」
よし。いける。ご主人様を納得させるにはあと一息だ。
私は人形だから汗はかかないが、無意識で額を拭った。
私が額を拭う作業をしただけなのに、なぜか優しいはずのご主人様の目がこれ以上ないくらい鋭くなっていた。
今のご主人様なら、どんな妖怪でも睨み殺せるのではないだろうか。
「ご、ご主人様? 目が怖いですよ?」
「なにしてるのよ…」
「へ?」
「なんで私のパンツで顔を拭いてるのよ!!!!」
しまった。さっき、汗を拭う仕草をした時に無意識でご主人様のしましまパンツで拭ってしまったらしい。
まずい、本格的にまずい。どうしようか。逃げようか。いや、逃げても意味はない。
いっその事開き直るか。いや、それはダメだ。じゃあどうするの。どうしようもない。私の人形人生はここで終わってしまった。
「上海…」
「な、なんでございましょうか、ご主人様」
「あなたが自我に目覚めたとはいえ、おかしな所がいくつもあったわ…。その理由がまさか、私のパンツが目当てだったなんて…」
「ち、違います!いや、あんまり違いませんけど!」
私の発言を聞いて、ご主人様がとうとう怒った。
私を人形をいつも操っているあの魔法の糸で拘束する。それにより、私は手も足も動かせなくなった。
怖い。ご主人様が怖い。あんなに大好きだったご主人様がめちゃくちゃ怖い。
私は、精一杯頑張ってご主人様の名前を呼ぶ。今の私にはそれが限界だった。
「ご、ご主人様…?」
「この変態人形!!!」
…。
なんだろう、この感情は。さっきまで恐怖しか感じていなかったのに。
ご主人様に変態と呼ばれた事により、私の新しい何かが目覚めようとしている気がする。
これが自我か…。なんと深いものなのだろうか。
「ご主人様」
「なによ…」
「ご主人様に縛られ、変態と言われた事で新しい自我が目覚めそうです」
「変態!変態!この変態!!!」
ご主人様が、あの優しいご主人様が、私を変態と罵りつつ手のひらで叩いている。
鳥にクッキーをあげて微笑みかける天女のようなご主人様が、怒りに任せて私を殴っている。
あの優しいご主人様をここまで怒らせる事ができるのは、私だけだろう。
このご主人様の激しい感情を向けられるのは、この世で私だけ…。
そう思うと、新しい自我が芽生えた。
「目覚めました!新しい自我が目覚めました!!!」
「いやぁ!!」
「いてて、あははっ!ご主人様もっと乱暴に扱ってください!私はご主人様の所有物ですから!」
「ふ、ふざけないで!」
「あああ!ご主人様の弾幕が私に当たってる!ご主人様が私を攻撃してくれている!うわあぁぁぁぁ!ご主人様!ご主人様!うわぁあああああああああ!!ご主人様ーーーーーーーー!!!」
「う、うわぁあああああん!」
ご主人様が泣きながらどこかへ行ってしまった。
ご主人様が泣いた。私のせいで。ご主人様が悲しんだ。私のせいで。
その時、私は初めて後悔した。
「ひっぐ、えっぐ…。せ、せっかく、上海に自我が芽生えたと思ったのに…。神綺様と一緒に作った思い出の人形なのに…」
ご主人様が悲しんでいる。ご主人様が泣いている。その原因はもちろん私だ。
私はご主人様が大好きなのに、どうしてこんな事になってしまったのだろうか。
私はご主人様を悲しませたかった訳じゃないのに…。
あぁ、私はなんて愚かなのだろうか。ご主人様のための人形だったのに、今やご主人様を悲しませている。
自我が目覚めた時はご主人様と本当の友達になれると思ったのに、このザマはなんだろうか。
ご主人様が大好きなのに、どうしてご主人様を悲しませているのだろうか。
私はなんて愚かなのだろうか。
「ごめんなさい…。ごめんなさい、ご主人様…」
私は情けなくて、涙が出そうだった。人形だから涙なんて出ないのに。
ごめんなさいと謝る事しかできない私。あぁ、なんて情けないのだろうか。
「ご主人様…。私のようなご主人様を悲しませるような人形は、人形失格ですね…。今までお世話になりました…。私はこれからは一人で生きていきます…」
さようなら、ご主人様。ご主人様には沢山の人形達がついてますから、大丈夫です。
私の代わりなんていくらでもいます。だから、私なんていなくたって、ご主人様は大丈夫。
あっ、ダメだ。悲しくて苦しくて、動けなくなってしまいそうだ。
「待って!」
「ご主人様…」
「どこに行くのよ」
「それは、ご主人様の目の届かない所です」
「許さないわ」
ご主人様が何を言っているのかわからなかった。どういう意味なのかがわからなかった。
もちろん、言葉の意味がわからないのではなく、何を許さないのかがわからなかったのだ。
あぁ、今分かった。なるほど。ご主人様は、私を廃棄するから逃げるなんて許さないって言ってるんだ。
そりゃそうか。あれだけご主人様を怒らせて悲しませたんだから。
「あなたは、この家の人形よ」
「…へ?」
「ここに居なさいって言ってるの!」
「許して、もらえるんですか?」
許してもらえるのかな。この家に居ても、いいのかな。私みたいな人形失格の存在でも、居てもいいのかな。
「許しません!」
…。
そうだよね。ご主人様にあんな事したんだもん。許してもらえるわけは無い。
わかってはいた。分かっていたが、苦しい。出て行こうとした時よりも苦しい。辛い。いやだ。
いやだ…。
やだ、やだ、やだ、やだ、やだ嫌だ!!
私は、まだご主人様と一緒にいたい!
「上海、あなたに罰をあたえるわ」
嫌だ。聞きたくない。ご主人様と一緒にいたい。一緒にお喋りしたり、紅茶を入れたりしたい。
ご主人様とお出かけしたい。ご主人様のお友達とも仲良くなりたい。
ご主人様のために、もっともっと一緒に居たい。
だから、続きを聞きたくない。嫌だ。ご主人様、お願い見捨てないで、ご主人様…。
「一ヶ月私と寝るの禁止!」
「へ?」
「だから、今まで一緒に寝ていたのを、これから一ヶ月は別々にするの!」
「そ、それは…」
「嫌とは言わせないわ」
「い、いえ、そういうわけでは無く…。ご主人様が淋しくて今まで一緒に寝ていたというのが実際の所で、私の罰とは関係ないのでは?」
「う、うるさい!私が寂しいんだから上海も寂しいはずよ!ざまーみろ!」
…。
ご主人様、結婚しよう。
なんだこのかわいい生物。
ほんと、なんだこのかわいい生物。
「ご主人様!」
「なによ?」
「大好き!」
「…。ありがと」
あれ、なんだろう。凄く、暖かい。私の体がポカポカする。
また、新しい自我が芽生えたのだろうか。これは何という感情なのだろうか。
まぁ、今はどうでもいいか。ゆっくりと時間をかけて、これから分かっていけばいい。
私は、これからご主人様と過ごす時間は沢山あるんだから!
〜おしまい〜
私は、さっきまで中途半端な自我しかなかった人形だった。今までは、私は命令されたことを淡々とこなすだけの人形だった。もちろん、今までも達成感やご主人様から褒められる喜びはあった。
けれど、そこまで止まりだった。私には、こうしたい、ああしたいという感情は無かった。
だが、それも過去の私。今の私は違う。
そう、私は遂に自我に目覚めたのである。
自我に目覚めたというのは、どういう事かというと、自分がやりたい事が出てきたという事だ。そのおかげで、ご主人様がして欲しい事を予測して行動できるようになった。
なので、今までお世話してもらっていた分、たっぷりとお礼をさせてもらおう。今ならば、きっとご主人様の気持ちを理解でき、真の友達になれるはずだ。
「ただいまー」
「お帰りなさいませ、ご主人様!」
早速ご主人様が帰ってきたので、私は笑顔で出迎えた。
少しご主人様が面食らった表情になったが、すぐに何時ものクールな表情になる。流石ご主人様だ。
「あの術式がうまくいったのかしら…」
「ご主人様、お風呂を沸かしておきました」
「えっ、そんな命令したかしら?」
「いえ。 ですが、いつもお帰りになられた際には、お風呂にお入りになるので、用意しておきました」
また、ご主人様が驚いた顔をした。突然、命令通りにしか動かない人形が、命令以外の事をしだしたのだ。ご主人様にとっては、意外だっただろう。
「ありがとう、気が利くわね」
「ご主人様には、いつもお世話になってますから当然です!」
「…。 お風呂上がったら、きちんと調べてみようかしら」
ご主人様は、少し考え事をする仕草をしながらお風呂に向かった。
私は、それを見送る。ご主人様は、考え事をしながらお風呂に入るつもりだろうか。
少ししてから、脱衣所から着物の擦れる音が聞こえ始めた。きっとご主人様が服を脱いでいるのだろう。その後に、シャワーの音が聞こえ始めた。
…。
さて、ご主人様にリラックスしてもらっている所で、私のやりたい事を始めようと思う。まずは、脱衣所に行く。その時、何ともいえない背徳感に襲われた。
これが、自我なのか。私はそう納得した。
そして、ご主人様が脱いだ服を拝見。これが、ご主人様の黒スト…。
私は喉を鳴らして、それを身にまとった。するとどうだろうか、私はご主人様の香りで包まれた。まるで、ご主人様に抱きしめてもらっているように錯覚する。
そして、そのまま次の獲物を拝借する。それは、ご主人様のパンツである。
シマシマ模様のパンツである。
シマシマ模様のパンツである。
大事な事なので二回言った。そして、私はそれを食べた。
「しゅ、しゅごい…。 しゅごいよ、ごひゅひんしゃま…」
私は、パンツを口に含みながらそう呟いた。呟かずにはいられなかったのである。出来ればその場で叫びたい気分であったが、流石にそれは出来ない。
なので、心の中で叫ぼうと思う。
すごい!すごいよご主人様!
ご主人様の黒スト!ご主人様の黒ストすごい!さっきは抱きしめてもらっているようにとか言ってたけど、これはまるでご主人様と一つになっていると錯覚しちゃう!!
私の中の自我がどんどんと膨らんでアーティフルサクリファイスしちゃいそう!わぁああああああああ!!!!
私は、パンツを口に含みながら、黒ストにさらに絡まるために転がった。するとどうだろうか。ご主人様の香りが私に染み付いていく。どんどんご主人様と一つになっていく。
あぁ、素晴らしい。これが自我か。
うわぁああああああ!ご主人様!ご主人様!!この一体感!普通じゃ味わえないこの一体感!!
どんどん私の中の自我がどんどんどんどんご主人様で満たされちゃうよ!!もっと、もっと、もっと、ご主人様を感じたい!!!
あぁああああああああ!!!
すごい!自我ってすごい!!うわぁああああああ!
私のついてないはずのスペルカードがついにスペル発動しちゃうううぅうぅぅぅ!私のスペルがブレイクしちゃいそう!!
うわぁあああ!ご主人様ご主人様ご主人様ぁーーーーーーーー!!!!
「上海!? どうしたの!?」
「あ」
しまった。後半声に出てしまっていたのか。
そう思った時には既に遅く、ご主人様は浴室の扉を開けて黒ストに絡まる私を見ていた。
「しゃん、はい…?」
ご主人様の表情がこれでもかってくらい戸惑っていた。ご主人様は不気味なものを見るような目で私を見ていた。
そして、ご主人様は、今、タオル一枚でその体を隠している。出来れば全裸で出てきて欲しかった。いや、逆にタオルが体に張り付いて、その素晴らしいボディラインを強調しているから、この方がいいのだろうか。いや、この方がいいのだろう。
「なに、してるの?」
しまった。今はご主人様の素晴らしい肢体に見惚れている場合ではなかった。
とりあえず、この状況を打開せねばなるまい。
「せ、洗濯、です」
「洗濯?」
「そ、そうです! 洗濯しようと思ったんですけど、ストッキングが絡まってしまったんです! 助けてくださいご主人様!」
ものすごく不気味なものを見る目で見ていたご主人様の瞳が、いつもの柔らかくて優しい目に戻った。どうやら、洗濯という事で納得してもらえたらしい。
もちろん、口に含んでいたパンツはうまい事隠しておいた。
「もう、びっくりするじゃない」
「ど、どうしてですか?」
「ストッキングをかぶって大はしゃぎしてるのかと勘違いしちゃったのよ」
「ははっ、まさかにんぎょうのわたしが、そんなことするはずはないですよ」
なんとかご主人様を誤魔化せた。最近自我を持った私にも、流石に黒ストに絡まってパンツ食べてたなんてバレたらまずい事くらい分かる。
けれど、このご主人様を思う気持ちは抑えられない。どうしても、抑えられないのである。だから仕方ないよね。
ご主人様は、まだお風呂の途中である。ご主人様が明日の朝に洗濯をするから休んでいてと言われたので、ご主人様のベッドに入って休んでいる。ご主人様の香りがするこのベッド。
あぁ、ご主人様の香り…。ここでご主人様が毎晩寝ている…。そう考えただけで、私の自我はリトルレギオンしそうだった。
私の自我はご主人様のベッドの香りだけでは満足できず、枕の香りも嗅ぎたいと囁いてきた。もちろん、私は自我に逆らう事なくご主人様の枕の香りを堪能する。
あぁ、すごい。すごい、すごいよ、ご主人様。
この香りを形容するなら、なんというべきなのだろうか。まるで太陽のような暖かさ、そして、フルーツのような甘い香り。
いや、その程度の物ではない。まるで天使のよう。そう、この世の現存する物質では表せられないこの香り。
あ、ダメだ、まずい。このままでは、私の自我がドールズウォーしてしまう。なので再び心の中で叫ぼうと思う。
あっ、あっ、あっ、あーーーー!!!ご主人様の香り!ご主人様の香り!上海人形はご主人様の所有物ですぅううう!!!だから、ご主人様の香りを体中につけます!!
あっ、あっ、あっ、あーーーーーーー!!!ご主人様!ご主人様ーーー!!!ご主人様の甘い香り!ご主人様の優しい匂い!ご主人様の暖かい温もり!その全てがご主人様のベッドから感じられます!ご主人を私は全身で感じてます!!!
もっと!もっと、感じたい!ご主人様をもっと!もっと!もっと!もっと!あっ、あっ、あっ、あーーーーーーーーー!!ご主人様、ご主人様、ご主人様、ご主人様ぁああ!!!!!
「シャ…ン…」
…。
また、ご主人様に見られた。私がベッドに潜り込んで暴れまわっているのを見られた。
さて、なんて言い訳をしようか。
「上海…。 もしかして、私の術式が間違ってて、おかしくなっちゃったのかしら…」
「だ、大丈夫ですよ!」
ご主人様が俯いて元気がない声で言った。
恐らく、すごく落ち込んでいるのだろう。そう思うと私の自我はチクチクと痛みを持った。
「本当に大丈夫なの?」
「大丈夫ですよ!」
でも、そんな自我の痛みはご主人様のかわいさ前には、どうでもいいのであった。
つまり、ご主人様はかわいい上に美しく、ご主人様は正義なのだ。
「ちょっと調べてみましょう」
私がご主人様に調べられる。ご主人様の検査を受ける。つまり、私は全ての衣服を剥ぎ取られ、体の隅々までご主人様に弄られるということだ。
「ぜひお願いします、ご主人様!!!」
「え、えぇ。 ま、任せて」
ちょっとご主人様が私の勢いに引いていた。
「あっ、んぁ…。 ご、ごひゅひんしゃまぁ…」
「…。 黙ってて」
「ふ、ふぁい」
あっ、あっ、あっ、あーーー!!!ご主人様が、私を、私を、私を!!
私の体のあんな所やこんな所を隅々までご主人様が見てる!見てるだけじゃなくて、弄られてる!
うわぁぁあああああ!!
ご主人様の柔らかい手が、私の恥ずかしい所を弄くってる!!
ダメっ、これ以上はっ!やめてご主人様!
いや、やめないで!!!もっと私を弄くって!上海人形の自我はスペルブレイクしちゃいましゅぅううう!!!
「おかしいわね…。変な所がないわ…」
「ふぅ…」
なんだろう。突然悟りを開いたように落ち着けた。
さっきまで、あんなにご主人様への自我で私の心が一杯だったのに。
「んー…。 眠たいし明日きちんと調べようかしら」
「そうですね、眠い状態でやっても集中力がないですから非常に効率が悪いと思われます。 なので、今日は寝てしまって明日改めて調べるのが良いかと思います」
「そ、そうね…」
なんだか、すごく冷静になれた。だが、私はその悟りを開いた様な心理で墓穴を掘る事になる。
「シ、シャン…、ハイ…」
ご主人様の目がゴミを見る様な目になっていた。
普段あれだけ優しいご主人様がこんな目をするなんて、一体何を見たのだろうか。天狗がストーカーでもしているのだろうか。
私はそう思って辺りを見回した。すると、私の足元にご主人様のしましまパンツが落ちていた。
「…」
「…」
「罠です! これは罠です!」
「何が、罠なの?」
ご主人様が笑っている。しかし、いつもの様な優しさはそこにはない。そこにあるのは、怒りを隠す仮面の笑顔だった。
これは、まずい。私は本能で悟った。だが、私はこの状況を打開する言い訳を思いつかなかった。
なので、しらばっくれることにした。
「ど、どうして、こんな所に下着が!」
「あなたが落としたのよ」
これはヤバイ。ご主人様が怒っている。ご主人様は終始笑顔だが、これは完全に怒っている。
なぜだろうか。ご主人様の笑顔を見ていると体が震え上がってくる。怒鳴り声でも上げてもらった方がまだマシかもしれない。
「えっ、えーと、あっ、そうだ!きっと洗濯をしようとした時にストッキングと一緒に絡まってたんですよ!」
「…。 本当?」
ご主人様は疑り深く確かめてきた。だが、確かめるための発言をした時点で私のペースになったのは間違いない。
よし、このまま押し切って、曖昧にしてしまおう。
「本当です!そもそも、ご主人様のパンツを私が持ってて何をするんですか!?」
「それもそうね…」
よし。いける。ご主人様を納得させるにはあと一息だ。
私は人形だから汗はかかないが、無意識で額を拭った。
私が額を拭う作業をしただけなのに、なぜか優しいはずのご主人様の目がこれ以上ないくらい鋭くなっていた。
今のご主人様なら、どんな妖怪でも睨み殺せるのではないだろうか。
「ご、ご主人様? 目が怖いですよ?」
「なにしてるのよ…」
「へ?」
「なんで私のパンツで顔を拭いてるのよ!!!!」
しまった。さっき、汗を拭う仕草をした時に無意識でご主人様のしましまパンツで拭ってしまったらしい。
まずい、本格的にまずい。どうしようか。逃げようか。いや、逃げても意味はない。
いっその事開き直るか。いや、それはダメだ。じゃあどうするの。どうしようもない。私の人形人生はここで終わってしまった。
「上海…」
「な、なんでございましょうか、ご主人様」
「あなたが自我に目覚めたとはいえ、おかしな所がいくつもあったわ…。その理由がまさか、私のパンツが目当てだったなんて…」
「ち、違います!いや、あんまり違いませんけど!」
私の発言を聞いて、ご主人様がとうとう怒った。
私を人形をいつも操っているあの魔法の糸で拘束する。それにより、私は手も足も動かせなくなった。
怖い。ご主人様が怖い。あんなに大好きだったご主人様がめちゃくちゃ怖い。
私は、精一杯頑張ってご主人様の名前を呼ぶ。今の私にはそれが限界だった。
「ご、ご主人様…?」
「この変態人形!!!」
…。
なんだろう、この感情は。さっきまで恐怖しか感じていなかったのに。
ご主人様に変態と呼ばれた事により、私の新しい何かが目覚めようとしている気がする。
これが自我か…。なんと深いものなのだろうか。
「ご主人様」
「なによ…」
「ご主人様に縛られ、変態と言われた事で新しい自我が目覚めそうです」
「変態!変態!この変態!!!」
ご主人様が、あの優しいご主人様が、私を変態と罵りつつ手のひらで叩いている。
鳥にクッキーをあげて微笑みかける天女のようなご主人様が、怒りに任せて私を殴っている。
あの優しいご主人様をここまで怒らせる事ができるのは、私だけだろう。
このご主人様の激しい感情を向けられるのは、この世で私だけ…。
そう思うと、新しい自我が芽生えた。
「目覚めました!新しい自我が目覚めました!!!」
「いやぁ!!」
「いてて、あははっ!ご主人様もっと乱暴に扱ってください!私はご主人様の所有物ですから!」
「ふ、ふざけないで!」
「あああ!ご主人様の弾幕が私に当たってる!ご主人様が私を攻撃してくれている!うわあぁぁぁぁ!ご主人様!ご主人様!うわぁあああああああああ!!ご主人様ーーーーーーーー!!!」
「う、うわぁあああああん!」
ご主人様が泣きながらどこかへ行ってしまった。
ご主人様が泣いた。私のせいで。ご主人様が悲しんだ。私のせいで。
その時、私は初めて後悔した。
「ひっぐ、えっぐ…。せ、せっかく、上海に自我が芽生えたと思ったのに…。神綺様と一緒に作った思い出の人形なのに…」
ご主人様が悲しんでいる。ご主人様が泣いている。その原因はもちろん私だ。
私はご主人様が大好きなのに、どうしてこんな事になってしまったのだろうか。
私はご主人様を悲しませたかった訳じゃないのに…。
あぁ、私はなんて愚かなのだろうか。ご主人様のための人形だったのに、今やご主人様を悲しませている。
自我が目覚めた時はご主人様と本当の友達になれると思ったのに、このザマはなんだろうか。
ご主人様が大好きなのに、どうしてご主人様を悲しませているのだろうか。
私はなんて愚かなのだろうか。
「ごめんなさい…。ごめんなさい、ご主人様…」
私は情けなくて、涙が出そうだった。人形だから涙なんて出ないのに。
ごめんなさいと謝る事しかできない私。あぁ、なんて情けないのだろうか。
「ご主人様…。私のようなご主人様を悲しませるような人形は、人形失格ですね…。今までお世話になりました…。私はこれからは一人で生きていきます…」
さようなら、ご主人様。ご主人様には沢山の人形達がついてますから、大丈夫です。
私の代わりなんていくらでもいます。だから、私なんていなくたって、ご主人様は大丈夫。
あっ、ダメだ。悲しくて苦しくて、動けなくなってしまいそうだ。
「待って!」
「ご主人様…」
「どこに行くのよ」
「それは、ご主人様の目の届かない所です」
「許さないわ」
ご主人様が何を言っているのかわからなかった。どういう意味なのかがわからなかった。
もちろん、言葉の意味がわからないのではなく、何を許さないのかがわからなかったのだ。
あぁ、今分かった。なるほど。ご主人様は、私を廃棄するから逃げるなんて許さないって言ってるんだ。
そりゃそうか。あれだけご主人様を怒らせて悲しませたんだから。
「あなたは、この家の人形よ」
「…へ?」
「ここに居なさいって言ってるの!」
「許して、もらえるんですか?」
許してもらえるのかな。この家に居ても、いいのかな。私みたいな人形失格の存在でも、居てもいいのかな。
「許しません!」
…。
そうだよね。ご主人様にあんな事したんだもん。許してもらえるわけは無い。
わかってはいた。分かっていたが、苦しい。出て行こうとした時よりも苦しい。辛い。いやだ。
いやだ…。
やだ、やだ、やだ、やだ、やだ嫌だ!!
私は、まだご主人様と一緒にいたい!
「上海、あなたに罰をあたえるわ」
嫌だ。聞きたくない。ご主人様と一緒にいたい。一緒にお喋りしたり、紅茶を入れたりしたい。
ご主人様とお出かけしたい。ご主人様のお友達とも仲良くなりたい。
ご主人様のために、もっともっと一緒に居たい。
だから、続きを聞きたくない。嫌だ。ご主人様、お願い見捨てないで、ご主人様…。
「一ヶ月私と寝るの禁止!」
「へ?」
「だから、今まで一緒に寝ていたのを、これから一ヶ月は別々にするの!」
「そ、それは…」
「嫌とは言わせないわ」
「い、いえ、そういうわけでは無く…。ご主人様が淋しくて今まで一緒に寝ていたというのが実際の所で、私の罰とは関係ないのでは?」
「う、うるさい!私が寂しいんだから上海も寂しいはずよ!ざまーみろ!」
…。
ご主人様、結婚しよう。
なんだこのかわいい生物。
ほんと、なんだこのかわいい生物。
「ご主人様!」
「なによ?」
「大好き!」
「…。ありがと」
あれ、なんだろう。凄く、暖かい。私の体がポカポカする。
また、新しい自我が芽生えたのだろうか。これは何という感情なのだろうか。
まぁ、今はどうでもいいか。ゆっくりと時間をかけて、これから分かっていけばいい。
私は、これからご主人様と過ごす時間は沢山あるんだから!
〜おしまい〜
良く分かります
面白かったww
こんなひどいシャンハイは初めて見た。くだらないのに勢いで押し切られた感じがして悔しいw
大好き!
分かります