Coolier - 新生・東方創想話

街の最後の灯り

2013/10/03 18:13:52
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ナイフを買った。
折り畳み式のよく切れるやつだ。

買った、というのは少し語弊があるかもしれない。
つまり、欲しいものを手に入れる際に、そのものに見合っただけの貨幣を相手に渡す、という決まりを知っていたけれども、私はそうした通貨を持ち歩く習慣を持っていなかった。
私がそのことを刃物屋の店主に告げると、彼女は口を半開きにして首を傾げた。

「では、普段の買い物はどうしてらっしゃるので?」
「付き人が支払いをします」と私は簡単に答えた。
「ああ……」何度か頷いた後で、彼女は「付き人」と復唱した。何か食べ慣れないものを無理に飲み込もうとするような表情だった。
「ええ」と私は言った。

少し考えてから彼女は口を開いた。

「そうですね……稗田のお屋敷の方はよくお見えになります。ですからつけに致しますのは構いません。それでよろしいでしょうか?」

彼女が発しているのは業務上の親切、あるいは譲歩から来る言葉であるはずだ。
けれど、店主と話している間に、私の中では、このささやかな冒険の新鮮な高揚感が急速に萎えつつあった。
私生活について知らない人間に尋ねられるのも気に入らなかったし、出入りした店まで家の者に知られることにも抵抗がある。
そして何より、唐突に現れた素敵な思いつきを実行に移すに当たって、そういった卑近な手続きを経なければならないということ自体が、極めて気の利かない、鈍重なものに思えた。

私は店主から目を逸らして、もう一度件のナイフをじっくりと見た。

滑らかな造形をした黒い柄の間に銀色の刃の背が見えている。
刃の腹側からも柄の外に金属が出ていて、少し力を入れてそこを親指で押すとスプリングが作動して刃が開き、固定される。
つまり、片手で開けられる構造になっている。
余計な飾りが刃にも、柄にも、一切付いていない。
純粋に刃物としての機能だけを追求した意匠が、一目見た瞬間心に響いた。

しばらくの逡巡を経て、結局のところ私は店主に向き直って、「お願いします」と答えた。



§



幻想郷縁起の編纂が一つの節目を迎えて、それに伴う幾つかの儀式も終えた。
後はもう、私が何もせずとも改訂された新しい縁起が近いうちに人妖に行き渡るだろう。
秋が徐々に深まる時期で、時折吹く妙に寒い乾いた風が体を通り過ぎると、自分の内面から、何か失くしたら取り返しの付かない大事なものを攫われてしまったような気持ちになって、所在なく辺りを見回した。

身体の特別弱い私に風邪を引かせまいと家の者たちは細やかに気を遣ったが、私はそれに幾らかの煙たさを感じていた。
稗田阿求としてのやるべき仕事を終えた後で、私は明日にでも死んで構わない存在であって、そうした庇護は明らかに過剰だと思ったのだ。
しかし、それを口にするのはいかにも子供じみているように思えたし、家の者たちも彼らなりに彼らの職務を忠実に果たそうとしているのだということは見て明らかだったので、私は特段何を言うこともなく彼らの言うこと(湯浴みをした後に煎じたしょうが湯を飲むだとか、まだ秋だというのに湯たんぽを布団の中に持ち込むだとか、そういう他愛のないことだ)に従っていた。
そして、不思議なもので、そうやって病人のような生活をしていると、本当に自分が病人になったような気持ちになってくる。
胃の中で火照るしょうが湯や、布団の妙な暖かさ、そういったものが私に対して、お前はもう病人なのだから病人らしくさっさと死ね、とせっついているように感じられた。

その日は秋らしい高い空とひんやりと冴え渡った空気が踊り出したくなるほど心地よくて、私は自分の中に本来の生命力が久しぶりに満ちているのを感じた。
昼餉を済ませた後、書斎で身体の隅々に染み込むまで聴いた音楽をまた聴きながら、算段をした。
今日はしくじりたくない。
この一日を無為に過ごせば、この先何年も、もしかしたら死ぬその時まで、後悔が続くだろうという予感があった。

私は着物を一度脱いで、中に暖かい肌着を着込んだ。
文机の上に書き置きを残して、音楽を流しっぱなしにしたままで部屋を出た。
廊下を勝手口に向かって歩いていくと家の者に出くわした。
予想していたことではあるけれど、内心舌打ちをする。

「あら、どちらへ?」
「厠に」

しょうがないので言った通りに厠に入る。
すぐに、木で出来た格子窓の格子を二つ取り外した。
抜け出せるように、前々から準備をしておいて良かった。
格子を二つ、音がしないようにそっと床に置き、窓の外をうかがう。
誰もいない。
窓の外に両腕を掛けてよじ登る。
自分の身体を腕だけで持ち上げるのに、普段使わない大きな力を使わなくてはならなくて、身体が震えて、額から汗が垂れた。
何とか上りきって窓から土の地面に飛び降りる。
疲れた。
だけど、息をついている暇はない。
周りを人がいないことを確かめながら勝手口に走る。

撒いた。
汗で少し塗れた肌着がじとじととして気持ち悪かったけれど、自分が今したことの爽快感がそれを簡単に打ち消してしまった。
胸に右手を当てて、息を整えながら歩いて屋敷から離れる。
思わず笑いだしてしまう。
ああ、楽しい……。

さあ、街に出よう。
この秋晴れの素晴らしい一日、お日様が沈むまでのあと何時間かは私のものだ。



§



買ったナイフを懐に入れると、それはずっと前から私の持ち物であったかのようにしっくりと馴染んだので、私の足取りはますます軽くなった。
ここしばらくの間私の周りを霧のように漂っていた、死ぬことへの得体の知れない恐れが、凝縮して具象化して私の懐に収まっているような気がした。
問題を明確に対象化することでささやかな安心を得ているとするならば、それは結局何も解決されていないということで、単なる気休めにすぎないではないかとも思ったけれど、そういった分析が出来る自分自身の心の余裕自体がなかなか好ましかった。

人里の一番大きな通りにはたくさんの人がいて、店の呼び込みをしたり、道端で立ち止まって話し込んだりしていた。
子供たちがまばらな円になって集まって、独楽を放って遊んでいるのが見える。
独楽の軸が地面の細かい土を煙のようにはね飛ばして、それが子供の一人の顔にかかったので、その子は顔をしかめて片手で目を覆った。
周りの子たちは面白がってそれを囃す。
囃している一人は、三年前に私が家の者を伴って出歩いたとき、駄菓子屋の前で瓶に入った色とりどりの金平糖を食い入るような目で指をねぶりながら見ていた少女だ。
背丈が増えて、餡饅頭のようだった頬の輪郭も少し鋭くなっていたけれどすぐに分かった。

秋の澄み切った空気の中で、私にはそこで起こっている出来事の何もかもが、通りの一番向こうまでくっきりと見渡せた。
奥の方の八百屋のひさしの下で、よく肥えた女がネギと大根の代金を払っている、そのがま口の水玉模様が見えた。
すぐ横の眼鏡屋で老人が息子に相談しながら老眼鏡を選んでいる。
息子が何かを言う度に老人が頷きながら手で弄ぶ、耳の上に僅かに残った白い毛が見えた。
上機嫌でそれを見ながら歩いていると、正面の何かにぶつかった。

「うわ」

 転びそうになる私の身体が細い腕でとっさに受け止められる。

「あ、すみません、ごめんなさい」
「大丈夫?」

顔を上げて見ると私がぶつかったのは藤原さんだった。
私の身体を支えている彼女の腕に掴まって、傾いていた身体を起こすときに懐からナイフが落ちた。
地面に落ちて乾いた音を立てたそれを、腰を屈めて慌てて拾い上げる私を白髪の蓬莱人は怪訝な目で見ていた。

「なに、それ?」
「いえ」

自分の身体の、普段表に出さない部位を見られてしまったような恥ずかしい気分だった。

「それでは」
「ねえ」

頭を下げて離れようとする私に藤原さんは声を掛けた。
私は仕方なく振り返る。

「……何でしょう?」
「この後何か予定ある?」
「いえ、特には……」

とっさのことで思わず正直に答えてしまう。
そんなことを訊かれるとは思わなかった、というのもある。
予定?
戸惑っていると彼女はまた口を開いた。

「じゃあ、そうね、どこかでお茶飲まない?」
「え? ええ、でも、ええと。私、今持ち合わせがないんです」
「多分、その着物で店ごと買えると思うけど」
「え、そうですか?」と私はびっくりして訊いた。
「いや、まあ、もしかしたらそうだけど、ただの冗談……」

藤原さんはちょっと困ったような微笑みを浮かべてそう言った。

「気にしなくて良いよ。私が誘ったんだからそれくらい出すって」

そう言われてしまった後で、それ以上何も断る理由を思いつかなかったので、私は諦めて彼女についていった。



§



藤原さんに案内された茶屋は一番大きな通りから一本奥に入ったところにある私の知らない店で、席に腰掛けた私は店の内装をぐるりと興味深く見渡した。

「ねえ、一応言っておくけれど、お願いだから今考えていることを大きな声で言わないでね」と藤原さんがそんな私を見ながら言ったので、私は恥入って俯いた。

やがてお茶とお菓子が運ばれてきた。
甘くて香ばしい匂いを嗅いで、私は突然自分がとても空腹であることに気づいた。
さっき昼餉を食べたばかりなのに。多分、慣れないことをしたせいだ。
身体に普段よりずいぶん大きな負荷のかかった数時間だった。
でも、奢って貰うわけだし、食い意地の張った素振りは見せないようにしようと決めたちょうどその時に、とてつもなく間が悪くお腹が音を立てた。
また俯く。
こっそりと盗み見ると藤原さんはくすくすと笑っていた。

なんだか今日はひたすら恥に恥を重ねている気がする。
それとも私が知らなかっただけで、外に出るというのはそもそもこういうことなのだろうか?

藤原さんは赤いモンペのポケットから無造作に煙草を一本取り出してくわえた。
それから突如何かを思い出したように煙草を口から離し、舌打ちをしてそれをポケットに戻した。

「気にしませんよ、全然」
「うん、ありがとう。でも、ええと、ここにはいない人に気を遣ってるというか」
「ああ、そうか。先生に言われたんですね?」
「そう」と言って藤原さんは苦笑いした。「私が肺を痛めたって、一日もすれば治るのに。可笑しいよね」

ちょっとそれは他人が笑って良い冗談なのかそうじゃないのかの判断がつきかねたので、お茶を飲んで誤魔化すことにした。

「縁起の編集はもう終わったの?」と藤原さんが訊いた。
「ええ、はい。一通りは。また何かあったら改訂するかもしれませんけど」

藤原さんがゆっくりと頷いた。
ふと気になって、私は訊いてみた。

「前の私って見たことあります?」
「前のっていうのは、つまり」
「阿弥です。もっと前でも良いですけれど」
「ああ、うーん……あるよ」
「どんなでした?」

藤原さんは唸りながら何とか言葉を探そうとしているように見えた。

「えっとね、そう……今のあなたとそっくりというか。まあ、何というか」
「なんですか、歯切れの悪い」
「ええ、本当に覚えてないんだ?」
「だから訊いてるんですよ」
「まあ、じゃあ、言わぬが花ってことで……」
「え、ちょっと、何なんですかそれ」
「いやいや」
「いやいやじゃなくて」
「よし、そう、何か別の話をしよう」
「えええ?」

その後、私が何かの折りにその話題を振っても、藤原さんは微笑むだけで取り合ってくれなかった。



§



結局ほとんど普通の食事くらいの量を藤原さんが注文してくれて、店には一体何時間いたのか、勘定をありがたく払ってもらって外に出ると太陽はもう沈みかけていた。
赤みがかった空の下を二人で歩いた。
通りには人もまばらで、昼間いたうちの半数ほどはもう屋根の下に引っ込んでしまったようだ。
うどんの器を背中の籠に詰めて店へと急ぎ足で戻る主人がいる。
彼は二年前の春、家の者が自分たちで食べる店屋物を取った時に宅配に来て、私は物珍しさに勝手口の方に見に行って少し話をした。
後で家の者に小言を言われたけれど……。
寺子屋での息子の成績を自慢していた。
五歳だと言っていたから今は七歳。
今日の朝、ここで遊んでいた中に、その位の年の彼に似た顔の子供がいただろうか?

藤原さんも彼女自身の想いの中に沈んでいるようで何も言わなかった。
歩いているうちに、里の一番中央の広場に着いた。
どちらからともなく、作り付けの長椅子に並んで腰掛けた。
広場にはもう誰もいなかった。
黒猫が一匹だけ通りから走ってきて広場を横切っていった。
藤原さんはびっくりしたような顔でそれを見ていたけれど、すぐに首を振って俯いた。

「藤原さん」
「……なに?」
「あなたが、その、里にいるって知りませんでした」
「ああ、うん」と彼女は言った。
「縁起にはそういう風に書かなかったもので、あの」
「いや、全然構わないよ。少しの間だけ慧音の所に世話になってるだけで、そのうちまた元の所に戻る。それに、そう、あなたは良い気持ちがしないかもしれないけれど、あんまり何もかも正確には書かれない方が嬉しいんだ。私にとってはだけどね」と彼女はちょっと申し訳なさそうな表情で言った。

私は黙って頷いた。
少し沈黙が流れた。
風がゆるゆると吹いた。
やがて、藤原さんは躊躇いがちに口を開いた。

「あのさ。そう、その、あなたが持っているナイフのことだけど」

藤原さんの表情で、それが彼女が最も言いたがっていることなのだと分かった。

「……はい」
「何か、使う予定があるのかな」
「……?」
「ああ、あの、例えば誰かを刺す、だとか」
「まさか、いえ、そういうつもりでは」

藤原さんは首を振った。

「ああ、違う、ごめん。言い方が悪かったよ。つまりね、もうはっきり言うけれど、あなたが阿弥のように、そのナイフで自殺するつもりなんじゃないかってこと」

私はびっくりして、ぽかんと口を開けたままで藤原さんの顔をまじまじと見た。
夕闇にほとんど隠れてしまっていたけれど、張りつめた表情をしていた。

「私が阿弥を最後に見たのは、そう、まさに今日と同じだよ。彼女は里の刃物屋で包丁を買って帰った。私はそれをたまたま、本当にたまたま見かけた。月に一度、生活に最低限必要なものを人里に買いに来る日だったんだ。ちょっとおかしいとは思った。良家のお嬢さんが、わざわざ自分独りでそんな……あー、些末な道具を買いにくるだなんて滅多にあることじゃない。次に里に下りてきたときに、彼女が死んだのを知ったよ」

訥々と語る藤原さんの声が私の頭蓋の中で呪文のように響いて、懐のナイフの重さが二倍にも三倍にも感じられた。

店に並んだナイフを見た時に、平生であれば歯牙にもかけない、そういった感傷が自分を捉えたのは、私の魂にその記憶が深く刻まれていたからだったのだろうか?
私にとってナイフは死の象徴ではなく、自らそれをもたらすまさにその道具だったと彼女は言う。

「その後で、あなたが、いつか転生してまたここに生まれてくることなんかを調べた。というか、阿弥が遺した本を読んだわけだけど。字を読むなんて久しぶりだったな。それで、前も、そう、あなたが取材に来たときには私は何も言わなかったよね。阿弥が転生前の記憶はないって書いていたから、それなら、無理に昔の話を掘り返す必要なんてないって思った。だけど、今日、あなたを見て、ナイフを落としたのを見た」

私はただ黙って頷いた。

「私は今度は前みたいなヘマはしないって決めていた。もちろんあなたの人生だし、死にたいと思えば死ぬ自由はある。そんなことは分かってる。これは私の自己満足だし、押しつけがましいことをするつもりはない。だけど、そう……例えばあなたがそのナイフで私を殺して、それで満足するなら……」
「は?」

それまで真剣に聞いていただけに急に肩すかしを食らった気分で、私は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
藤原さんはいらいらと首を振った。

「だから、あなたも知っているように、私は殺したって死なないんだ。そういうことを試すならうってつけだって、そうしても良いって、そう言ってる」
「いや、ちょっと意味が……」
「意味?」
「ですから、そういう、何ですか、願望を持っている人がその……自分の代わりに誰かを殺すだとか、それで満足するだとかは、ちょっとないと思いますけど」
「え、そう?」

藤原さんは本当に驚いた顔をしていた。

「でも、私の場合、死にたくて仕様がなくなった時に輝夜を殺すと本当にすっきりするけどな。そういうのとは違う?」

私は思わず吹き出してしまった。

「ええ、ちょっと言いたくないですけど、って言う場合言いたくて仕方がないんですけど、それ相当倒錯してますよ」
「ううん、そっかあ」

藤原さんは唸った。

日は沈みきってしまっていて、もう彼女の顔を見ることはできなかった。
通りの方向を見ても、もうどこにも灯りは点いていないけれど、私はとても暖かな気持ちだった。
私は彼女がいる方に向かって話しかけた。

「でも……そう、あなたにとって、私が一体なんだって言うんですか? もちろん今日はとても楽しかったですけれど……。何度か見かけただけの他人に過ぎないでしょう、今のところは」
「あなたは百年の長さを分かってないな」と藤原さんは笑いながら言った。笑う彼女の息づかいが夜の闇の中ではっきりと感じられた。「つまりね、ある種の後悔は時間が経つにつれて増幅していくんだ」

私は満足して頷いた。
それが彼女に見えないことは分かっていたけれど。
彼女が口にしたのが、自身の感情の問題であって、私に対する嘘くさい同情でなかったのが言いようもなく嬉しかった。
私は藤原さんに抱きついた。
懐のナイフの柄が、着物の布越しに、私にも藤原さんにも当たった。
彼女は不器用に私の頭を撫でた。

「ねえ、藤原さん、今日のこと覚えておいてくださいね。私の代わりに。次の私に会うまで」
「うん」
「わ。結構恥ずかしいこと言いましたね、私……柄じゃないな、これ。忘れてください」
「今のも含めて覚えとくよ」
「もう……」

私も藤原さんも笑った。

「さあ、そろそろ帰ろう。幾ら里でも夜は危ないし、風邪を引く。家まで送っていくよ」

そう言って、藤原さんは右手から小さな、明るい炎を出した。
それが……そう、もちろん、彼女にはそういうことが出来るのだと知っていたけれど、彼女の出した炎が彼女や私の顔、灯り一つなく暗がりに沈んでいた広場の風景を照らし出すのを見たその瞬間、私は本当はほとんど何一つとしてまともに物を知らなかったんだということに気づいた。
それは言いようもない気持ちだった。

「ねえ、どうしたの? 行こうよ」と彼女は言った。

私は何も答えられなくて、ただ彼女が差し出した左手を取って立ち上がった。

炎に照らされた通りは昼間とは全く違う表情を見せていた。
私と藤原さんの足音以外は何一つとして聞こえない。

彼女の手を握りながら通りを歩いているうちに私は泣き出した。
泣くのはずいぶん久しぶりだったけれど、一度泣き始めると涙は後から後から溢れて止まらなかった。
藤原さんは何も言わずにそのまま私の手を握っていてくれた。
泣きながら歩いているうちに、懐のナイフが溶けて消えていくような気がしたけれど、もちろんそんなことはなかった。
結局の所、ナイフはナイフに過ぎない。

涙で滲んだ視界の中で、彼女の右手の上で辺りを照らす炎だけがいつまでもいつまでも揺れていた。
→///////←

紅楼夢で短編集を出します。
長久手
http://na9akute.blog.fc2.com/blog-entry-3.html
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コメント



0.2560簡易評価
2.90名前が無い程度の能力削除
死を待つばかりのお姫様と、死なない元お姫様。余命が限られているのに、それゆえにこそ日々が退屈な阿求が、淡白でちょっとぎこちない会話の中で、死に向かうときの態度を直視する物語。
妹紅の「覚えておくよ」の言葉が、重いです。
4.100ばかのひ削除
流石
すっきり読みやすい
ただなにか足りなかったなあ
5.80絶望を司る程度の能力削除
んー、なんていうかおもしろかったんですがさっぱりしすぎて余韻が無いような感じがしました。
6.100うぶわらい削除
とても良かったです
8.100名前が無い程度の能力削除
安定して読める作者
12.100非現実世界に棲む者削除
良い雰囲気でした。
やっぱこの二人の組み合わせはなんとなく良いと思います。
14.100奇声を発する程度の能力削除
雰囲気も良く面白かったです
15.100名前が無い程度の能力削除
面白かった
22.90完熟オレンジ削除
確かに妹紅なら阿求の前世を知っていてもおかしくはないんですよね。阿弥はどうして自殺を選んだのかが気になる所です。
あと、阿求がいなくなって慌てふためく屋敷の人々、みたいな描写が欲しかったなと個人的に思いました。
28.100おちんこちんちん太郎削除
結局、自殺は果たしたのでしょうか。
いずれにしても、二人の心理や、そして文章の余韻などが好みです。
31.100名前が無い程度の能力削除
いい感じ
32.100名前が無い程度の能力削除
何とも言えない雰囲気が素敵です
お話はもちろんですけど、タイトルがまた素晴らしいですね
39.100名前が無い程度の能力削除
妹紅の人物描写が素晴らしいと思います。
反面、阿求はもう少し年頃の女の子っぽく書いてもよかったかと。
40.100名前が無い程度の能力削除
とてもよかった
45.90名前が無い程度の能力削除
Good!
48.90名前が無い程度の能力削除
いいですね
49.100図書屋he-suke削除
マイナーな学説に根拠を求めれば阿求と妹紅は親子関係ですしね。
その割に意外と見ない組み合わせだったので、堪能いたしました。
53.80名前が無い程度の能力削除
家出お嬢様の1日というと、「ローマの休日」を思い出すなぁ。
まぁ、これは恋愛絡んではないんでしょうが、妄想逞しい一紳士としては妹紅と約束するシーンに何だかドギマギしてしまいまする。
68.無評価名前が無い程度の能力削除
阿求の言動が、すごく自然で、生きてるように感じました。