※この話は作品集188「椛と趣味」~「椛と趣味3」と作品集189「椛と趣味4」の続きになっています。
読んでいない方でも、椛の趣味は将棋などのゲーム、彼女の休日の話、とだけわかれば問題ないと思います。
犬走椛は妖怪の山に住む白狼天狗である。
にとりは相変わらず忙しく休みが取れない。偶には天狗大将棋をしたいのだが、将棋を好む者とも休みが合わないのだ。
非番の彼女は、日課である素振りを終えると人間の里へ向かうことにした。
もうすぐ紅葉の季節、椛はこの季節を気に入っていた。何よりも過ごしやすい。
人里の喫茶店にいた。時刻は既に昼を回っている。
言うのも何だが、椛は対局時に限り注目されることにすっかり慣れていた。
天狗が人間の里に居るだけで多少目立つ上に、当の椛は人間相手に将棋を指している。対局は人間同士が行っても一定の観客が集まってくるものだ。これで目立たぬわけがない。先ほどの対局も観客が集まっていた。だが対局以外となると違ってくる。
常連客との対局中、椛は自身に纏わりつく粘っこい視線を感じていた。男なら多少なり性的な物が混じるがそれが無い。相手はおそらく女だろう。でなければ監視のプロだが、椛は勘で否定した。プロならこの程度でバレはしないだろう。その為、相手が居なくなればそれでいいと考え、変わらず茶を飲んでいた。しかし相手は失せる様子も無い。
椛は茶を飲みながら、ごく自然に『千里先まで見通す程度の能力』を発動させた。自分に刺さる視線を遡り、主を探す。間もなく少し離れた路地から顔を出ししかめっ面をした少女を発見した。彼女の周囲を探るが他にいない、一人だ。少し視点をずらし相手を観察する。
よれた長い兎耳と紫の長い髪、赤い目、丸い尻尾、背負った四角い薬箱にブレザーとかいう外の世界に似た服装をした少女だ。椛はこの妖怪兎に見覚えがあった。確か永遠亭の薬売りだ。但し、話したことはないし名前も知らない相手だ。
だが兎を確認できたのはそこまでだ。彼女ははっとしたような顔になり一瞬目が光る。能力で作り出した椛の視界にノイズが混じり、相手をうまく映せなくなった。
気が付いたか。椛は表情に出さずに一度能力を解除する。体力の無駄にするだけだ。
相手は椛の能力に気が付き妨害した。どんな能力か知らないが、行ったのは間違いなくこの兎だろう。椛に刺さる視線に動揺が混じっている。
再度椛は能力を発動させる。今度は兎の周囲数箇所と自分との間の数箇所を一気に映す。椛の脳内で視界が複数発生し、全てを処理する。だが次々ノイズが混じり、判別できなくなる。妨害された様だ。
椛は代金を支払うと、剣と盾を持ち店を出る。向かうのは相手と逆方向。兎は追ってきた。
兎の視線を背に歩く。能力を使った視界は歩を進めるたびに増やし、増やした分が妨害されていく。だがこれでいい、視界は一瞬だが、妨害する場所といい兎の行動は正確な位置を椛に示していた。
兎の妨害は同時に行われていない。一つ一つ視界を潰している。兎が対象を選んで、あるいは条件付きで対象を絞れるなら、監視にばれた時点で椛自身を封じたはずだ。兎の能力を広範囲に使えるかは不明だが、もし広範囲に使えば人が多い場所では騒ぎになるだろう。おいそれと使うことはできない。今はわざわざ個別で潰していることから、いちいち設定しないと妨害できず、それだけ集中力を削ぐことになる。
それに兎は目で確認して追ってきている。椛は時より道を曲がるが、その時に歩を速めていることから明らかだ。椛の『千里先まで見通す程度の能力』の様に離れた相手を監視することができないだろう。
また、兎は耳がよい。それは椛も良く効く目と耳、鼻を持つから利点を良く知っている。だが同時に対応もいくつか知っている。要は高い能力を逆手に取り、潰すか誤魔化してしまえばよいのだ。さて、個人差はあるが能力は集中力を使う。多量に、複雑に使えばより集中力を必要とする。裏を返すと他が疎かになってしまうのだ。能力の妨害で集中力が乱された今、人通りの多い場所では逆に耳が良すぎる為に周囲に紛れてしまう。もし椛の足音の癖を記憶していたとしても同じだ。
椛は人が多く道幅が狭い通りを曲がりその場で止まる。先ほどまでいた喫茶店の前だ。
来た道では能力の視界が次々と潰される。そして曲がってきた兎と対面した。
「やあ」
椛が軽く手を上げ挨拶する。兎はビックリした表情のまま完全に固まった。
くるりと反転し、兎は逃げようとするが椛は彼女の首根っこを引っつかむ。
「さて、ちょっと来て貰おうか」
椛は尻尾を逆立て、ピーピー喚く兎を喫茶店に引き擦り込んだ。
主人に奥の座敷を貸してもらい対面に座る。もちろん椛が出入り口側に近い方だ。逃げられないように妖怪兎の薬箱は椛の横に置かせた。威嚇の意味も込めて時々尻尾を左右に振り、腕を組んで黙っている椛に比べて、彼女はすっかり小さくなっている。狼と兎の関係もあるのだろう。
主人が茶を持ってきた後、話しかけた。
「私の名前は知っているでしょう? そちらは?」
「……鈴仙・優曇華院・イナバです」
「貴方を何て呼べばいい?」
「鈴仙で」
「では鈴仙さん、なぜ私の後をつけた?」
「……あなたが人と話が出来るから、どうすればできるか観察していたの」
椛は頭に疑問符しか浮かばなかった。彼女は薬売りだろう。置き薬とはいえ使用した分のお金は回収するのだし、営業の様なこともするはずだ。正直、意味が分からない。
そんな椛の様子を見た鈴仙は更に説明を続けるが、やはり椛にはよくわからない。要領を得ないというか、話し方というか、なんというか一方的に喋っているだけだ。
通じていないことを理解しているのか、ますますテンパる鈴仙を見て椛はようやく回答を思いつく。
「要は人見知りか」
「……はい」
「それで人見知りを直したくて、里の者と将棋を指していた私を見ていたと」
「はい」
「食べていいですか?」
「はい……ええ、駄目です!!」
慌てる鈴仙に椛はにっこり笑い、尻尾の振りも止める。
「少し早いですが具体的には鍋とかどうです? 幸い剣もありますし包丁も貸してもらえるでしょう。それに人里なら様に材料も集まり易いですし」
「ちょっ」
「温まると思いますよ」
「嫌です。いや駄目です。兎鍋とか野蛮です」
鈴仙は立ち上がり、兎権とか兎角同盟とか何やら喚いている。喫茶店にいる客の視線が集まるが彼女は気にしない。椛は茶を啜り鈴仙を眺めている。
「さてさて、元気が出たところで、本題といきましょうか」
からかわれていることに気が付いたのか、鈴仙がピタッと止まり、顔に朱がさした。おずおずと座りさらに小さくなる。
「本当に人見知りなんですか?」
「だから困っているんじゃないですか!!」
ああ、面白い。
「とりあえず、身の上話でも聞きましょうか」
椛は近くにいた店員に団子を何個か注文した。
やっべえ。兎さん強いわ。
鈴仙の愚痴やら身の上話やら能力やらを聞いている椛の背に冷たい汗が伝っていた。もちろん顔には出さない。会話の中で彼女の本音を引き出しているので嘘はないだろう。
鈴仙の『狂気を操る程度の能力』は人妖のみならず、電磁波や光なども含むあらゆる波を見抜き操るという。にとりの機械弄りに付き合い、人里にいる外来人と話をする椛には大雑把ではあるが電磁波の知識があった。故に相手を操る以上の脅威に気が付く。
しかも彼女は月で戦闘の訓練を受けていた。椛の『千里先まで見通す程度の能力』を素早く自身の能力で見切り、次々と潰していったのも合点がいく。そういえば歩幅が一定だった。何故気が付かなかったのか、椛は己の甘さに眩暈を覚えた。
そんな鈴仙も今は永遠亭に住み込み、薬師の手伝いを行っているらしい。その為、いささか勘が鈍っている様だが元は優秀だったのだろう。月で受けた訓練の成果が体に染みついているのだ。
「椛さん、聞いてますか!?」
「聞いてますよ。大変ですね」
「うう……」
相当にストレスを溜めているのだろう、鈴仙の愚痴は半ば悪口と化している。煽ったのは椛自身だが、達の悪い酔っぱらいを相手している気分だった。茶と団子だけで酒は一滴も飲んでいないのに。
聞き手として少し疲れてきた椛は、ずっと気になっていたことを聞いてみることにした。
「ところで」
「なんですか?」
やさぐれた目をした鈴仙に尋ねる。
「今の話だと仕事中では? 時間は大丈夫ですか?」
椛の指摘に鈴仙はぴたりと固まる。この喫茶店で行った対局中から、いや対局後からとしても相当な時間が経っている。
「ああああああああああああああああああああ」
そして彼女は頭を抱え、机に突っ伏した。衝撃で湯呑が揺れたが、中身が零れることもひっくり返ることも無かった。
「師匠に怒られる……」
椛から顔が見えないが、彼女は半べそかもしれない。師匠とやらはあまり怒らないが、その分怒ると怖いと言っていた。
だが、客観的に見てこれはさぼりであり、怒られるには十分な理由だ。
「そうだ」
がばっと鈴仙が顔を上げ、椛を正面から見据えた。
「椛さん、この後時間ありますか?」
「ありますけど、何か?」
「一緒に来てください」
「……はい?」
「知り合いと話し込んでいたことにすれば、何とかなるかもしれないんですよ」
「……人見知りなんですよね。話し込むなんてことあるんですか」
「ある事にして下さい」
必死だ。よほど師匠とやらが怖いのか?
迷いの竹林にある永遠亭。理由が無い限り行くことは無いし、現に椛は訪れたことが無い。確かに少し興味がある。
「まぁ、話し込んだのは事実ですしね……」
軽いため息交じりだったが、彼女に同行することにした。
「やった」
ぱぁっと鈴仙の顔が明るくなった。
「では行きましょう。永遠亭に。おー」
彼女は片手を勢いよく上げた。再度注目が集まる。
「……何です? それ」
「やりませんか?」
「やりません」
さっさと立ち上がり薬箱を背負おうとする鈴仙を見て椛は思った。兎なのに猫を被っていたのかもしれない、と。
「おお」
純和風の大きく見事な屋敷だ。椛は思わず感嘆の言葉を発していた。
永遠亭。そこは椛自身、書類上でしか知らない場所だった。
本来、永遠亭を訪れるには迷いの竹林を知り尽くした案内人を頼る必要があるのだが、住人である鈴仙が同行すれば話は変わる。彼女なら迷わずにたどり着けるのだ。
何故こんな不便なところにあるのか。
かぐや姫として知られる月の姫である蓬莱山輝夜と、彼女の従者で月の頭脳と呼ばれる八意永琳。この二人の最大の特徴は不老不死の蓬莱人ということだ。
元は二人が月から逃れ、地上に隠れ住むために迷いの竹林に屋敷を建てたのだ。
とはいえ今は人里では処置しきれない患者の専門病院と化している。それに八意永琳は腕の良い薬師であり、医者でもあると聞く。
永遠亭の手前で鈴仙の足が止まる。続いて長い耳が右へ左へ探る様に動いていた。
「てゐは居ないようですね。助かります」
道中に鈴仙から聞いた限り、因幡てゐは迷いの竹林の持ち主で最長老とのこと。永遠亭にも数百年前から住んでいる古参らしい。なんかこれだけだと格上っぽいが大丈夫か?
鈴仙は椛に振り向き、確認するように言う。
「まず、師匠に報告します」
「それで?」
「終わりです」
「私は?」
「一緒にいてください」
「はい?」
ずいずい進む鈴仙の後ろを椛は仕方なく付いていく。どうせここまで来てしまったのだ。
永遠亭の正面ではなく裏に回るらしい。聞くと病院となってから正面は患者用にしているらしい。
敷地内では白くてもこもこ、丸っこい妖怪兎がぴょこぴょこ跳ね、喋くっていた。山を駆け回る野兎と違って可愛らしい。患者ではない来客が珍しいのか、椛に気が付くと「よおこそー」「ようこそだよー」「おおかみだー」「しっぽがもふもふだー」「いらっしゃいませー」等、妙に間延びした声で挨拶『っぽく』話しかけてきた。好き勝手という方が正しいかもしれない。
「よろしく」
とりあえず椛が返すも、妖怪兎たちは内輪で変わらずごちゃごちゃしている。
「あーもう、失礼のないようにしなさい」
鈴仙が前に出て、妖怪兎たちに何やら指示を出す。腰に手を当てあーでもないこーでもないを繰り返し、妖怪兎たちはきゃーきゃー言いながら退散した。
「行きましょうか」
「あ、ああ」
鈴仙の人里と全く違う様子に椛は少し困惑した。人見知りというのは本当かもしれない。そのまま椛は彼女について行き、間もなく勝手口に着く。鈴仙は引き戸を開け中に入る。
「帰りました」
「お邪魔します」
彼女に続いて靴を脱ぎ、空いている靴箱に入れる。鈴仙に先導され、ついて行く。
長い廊下を歩いて行くと、やがて『診療室』と書かれた札のある部屋の前につく。
「今、中に患者さんはいませんので、気にしないで下さい」
鈴仙は椛に向かい言うと襖を開けようとし、椛が止めた。
「何です?」
「剣と楯はどうします? 衛生的とは言えないですが」
「ああ、どうして事前に言ってくれなかったんですか」
「診療室に行くなんて思っていませんでしたよ」
「ええっと、どうしましょうか。待合室や患者用の物置き場に置くわけには……」
「真剣ですよ。誰かが触って事故があったらどうする気です。人間なら指が軽く飛ぶし、小さな兎なんて真っ二つですよ」
「何で兎を斬るんですか」
「例えです。それだけ危険という事ですよ」
二人で話していると、診療室の襖がゆっくり開いた。
中から出てきたのは長い銀髪を後ろで編み、赤と青からなる奇妙な配色の服を着た、若く落ち着いた女性。彼女は椛を正面から見る。
「初めまして、八意永琳です」
「妖怪の山に住む白狼天狗の犬走椛です。よろしくお願いします」
挨拶をする八意永琳に、椛は返す。永琳は次に鈴仙に問いかけた。
「ところでうどんげ、話は聞こえていたけど犬走さんは急患なの? 貴方が診療室に連れて来たみたいですけど」
うどんげとは鈴仙の事だろう。
「いいえ、そういう訳では」
ちらりと鈴仙は椛に視線を移す。
「人間の里で彼女と話し込みまして、それで来てもらったわけです」
「……それで遅くなった訳ですね?」
「はい」
頷く鈴仙。
「犬走さんも?」
「ええ」
嘘は言っていない。永琳は顎に手をやる。
「どうしましょうか、まだ患者も残っているし、うどんげにも仕事があるのだけど」
「ああ、ええっと」
慌てふためく鈴仙。
「でしたら私はこれで」
「いえ、流石に悪いわよ。せっかくここまで来てもらったのに」
椛は帰ろうとするが、永琳が止める。
「そうだ、待合室にゲームがあるから自由にして下さい。相手もいますし」
「はい?」
首を傾げる椛に、永琳はくすりと笑う。
「うちは『文々。新聞』を取っているの。患者さんからも『将棋のお姉ちゃん』について聞いてますし。待合室に時間潰し用のオセロや将棋盤があるので使って下さい」
ここでも『文々。新聞』か。椛は初対面の人物に自分が伝わっていることの小恥ずかしさを覚えた。とはいえ自分自身も書類上で相手の情報を得ているのだ。お互いさまと気を取り直す。
「あの、時間潰し用って」
「混んでいると半刻(約1時間)や一刻(約2時間)近く待って頂くこともありますので用意しています。患者だけでなく付き添いの方も来ることがありますし」
なるほど。椛は納得する。
「そうですね、では付き添いの方と」
「あら、私では駄目ですか?」
椛の後ろから声を掛けられた。振り向くと少女がいた。腰より長い黒髪、ピンクと赤の服を纏った、少し浮世離れした雰囲気のある美少女。
「姫様」
鈴仙の声だ。間違いない。
「初めまして、蓬莱山輝夜です」
深々と頭を下げられる。洗練された動きに椛は同性ながらも見とれ、固まってしまった。我に返ると慌てて一礼をする。
「付き添いの方ですと、決着が付かずに終わることもあるでしょう。私も少しなら指せますし、一局いかがでしょうか」
「此方こそ、宜しくお願いします」
「では犬走さん、待合室まで案内しますわ」
「鈴仙さん、また」
「はい」
鈴仙に別れを告げて、輝夜の後に続く。やがて待合室と札のある部屋に到着する。襖をあけると幾人かの人妖が居た。和室に広めの机が幾つかと座布団。机の上には水差しと複数のコップ、奥には盤などの遊具や新聞が収められた棚がある。
輝夜が部屋に入ると空気が一変する。椛にとって初めての感覚でどう変わったのか説明ができないが、とにかく変わったのだ。
輝夜は何人かに声を掛けられつつも適当にはぐらかす。理由は椛という先客がいるからだが、その都度椛に視線が移る。次いで男の場合は明らかに安心したような顔つきになる。
下心が見え見えの行動に椛は呆れた。仮に椛が男だったらやっかみが入ってくるのか。
棚近くの机が空いていたので、近くに剣と楯を置く。椛は姫様に力仕事をさせるわけにはいかないと思い、将棋盤と将棋の駒が入った容器を取り出す。将棋盤と言っても机の上に乗っける一般的な物だ。輝夜と二人で盤面に駒を配置した。
行うのは本将棋。自然と注目が集まる。
「先番は譲りますわ。お先にどうぞ」
「では姫様、お先に失礼」
「あら」
彼女は口元に手をやり、
「姫様なんて水臭い。輝夜で」
「流石にそれは……輝夜様では?」
「か・ぐ・や」
輝夜は椛に念押しする。
「輝夜さんで勘弁してください。鈴仙さんの上司を呼び捨てにはできませんよ」
「仕方ないですね。手を打ちましょうか」
輝夜がくすくす笑う。全く一挙一動が妙に絵になると言うか、本当に出鼻を挫かれる。
椛は気を取り直して、一手目を指した。
なるほど。
何手か指すうちに椛は手を誤った。だが己のミスによって、椛は輝夜の纏う独特の空気について把握し始めていた。
彼女がそこにいるだけで全てか彼女を中心に動く。支配しているのは無い、自然に動いてしまうのだ。
美貌、動作、声、話術、全てが心を引き付ける。結果、平常心を失い狂わされる。しかし輝夜からすればそれが普通で、本人はのほほんとしているから余計に恐ろしい。椛は自覚したから良いものの、ミスが無ければ己の思考が狂ったことにすら気が付かなかっただろう。現に序盤で椛は手を誤った。通常ならあり得ない事だった。
駒を動かすというのは些細な仕草だ。それなりの打ち手はその動きに相応の迫力があるが、彼女は根本的に違う。優雅なのだ。ここまで絵になるとは椛は知らなかった。
これがかぐや姫、いや一種のカリスマという奴か。
しかし、これは面白い。
椛は顔に出さずに笑う。動いてしまうことのある尻尾も自らの意志で抑えた。
平常心のままでいられなかったのは己の修行不足。久しぶりに椛は変に血が滾るのを感じたが、熱くなるなと己を叱咤する。
局面は進む。互いの陣地に互いの駒が入り込む展開になった。
「ふふ」
輝夜は笑っていた。
「貴方、面白いわね」
「そうですか」
「ええ」
屈託のない笑みだったが直ぐに消え、真剣な面持ちで盤上を眺める。
それに引き替え、周囲の男どもはだらしのない顔をしている。ある者は患者を呼びに来た鈴仙に呼ばれているのに気が付かず彼女に引きずられていった。盤面を眺めているのならともかく、見ているのは輝夜と椛の二人なのだ。
その光景に椛は内心で呆れたため息を付き、再度気を取り直す。
互いに攻めきれず、一進一退。
手数だけが増え続ける。
「知ってる?」
椛が指した後、輝夜がぽつりと呟く。椛が盤面から顔を上げると輝夜と目が合った。
「月と狼は揃うと絵になるのよ」
椛は一瞬、彼女の漆黒の眼に吸い込まれる錯覚を覚えた。輝夜の一手が入る。
「絵、ですか」
呑まれかけた椛は一拍置く。
「雪も入ると、良いかもしれませんね」
急所狙いの一手を椛が防ぐ。
「月と狼と雪、確かに良いわ。その雪は貴方の色ね」
輝夜の一手が指し込まれる。
「雪の白さには敵いませんよ。私にあの儚さは出せない」
受ける椛。
「いいえ、雪は儚さだけではないわ。場を引き締め己の色に塗り潰す」
攻め続ける輝夜。
「でしたら、夜空の黒は輝夜さんの髪でしょうか」
椛は躱す。逆に仕掛ける。
「あら嬉しい」
輝夜の一手。椛の手を無力にする。
「全てを包み、飲み込む漆黒。まさしく輝夜さんですよ」
もう一手、輝夜の懐目掛け飛び込んだ。
「疲れた……」
「私も……」
二人の対局は白熱した。終局後、互いがぐったりと項垂れたほどだ。
始終話していたことは覚えているのに、正直何を話しながら指していたのか、椛は細かいことを覚えていなかった。
唯、楽しかった。
満足げな観客が二人に冷水の入ったコップを差し出した。二人はそれを受け取り一気に煽る。喉を潤した後、互いの顔を見て
「またやりましょう」
「ええ」
椛の答えに満足したのか、輝夜はにっこり笑う。
「でも次にやるのは本将棋じゃないわ」
「え」
「ついて来て」
輝夜が立ち上がり待合室の出口に向かう。彼女の道を遮っていた患者や付添人は自然と道を開けていた。
椛も立ち上がるが、使った将棋盤が気になりそちらへ視線を向ける。
「そのままでいいから」
「わかりました」
剣と楯も忘れない。椛は輝夜の後を追った。
そのまま永遠亭の奥へ進む。椛は少し不安になったがついて行く。やがて一室にたどり着いた。輝夜が襖を開き椛を促す。
中にあったのは、巨大な将棋盤と乗せられた膨大な駒。
「天狗大将棋」
「ええ。貴方と時々指す河童に持ってきて貰ったの。いずれ来ると思っていたし」
輝夜が椛を通り越し、将棋盤の前に座る。対局をする際に座る場所だ。
「私が?」
「患者さんたちが話していたからね。将棋に目のない天狗が居るって。
これは白狼天狗が駒を追加しルールを整備した将棋よ。貴方も指せるでしょう?」
指せるというか、椛自身の原点だ。
「ええ。大好きですよ。でも……」
「今日は無理という事でしょう? わかってるわ。これを見せたのは、いつでも来てくださいってことよ」
「え?」
立ったままの椛を見上げ、にっこり笑う輝夜。
「今度、天狗大将棋を教えて頂戴。何せ私には時間は腐るほどあるのよ。それこそ妖怪や神以上にね。
河童やあの新聞記者から駒の動かし方は聞いたのよ。でもそれだけで指し手が居ないわけ。二人とも多忙でしょう?」
おそらく河童はにとり、新聞記者は射命丸文だ。にとりはエンジニアで機械に目が無く、月の道具がある永遠亭に訪れていたとしても不思議はない。また、永琳は『文々。新聞』を購読していると言っていた。接点はある。
「なるほど」
妖怪の山に住む者なら大抵は駒の動かし方程度は把握し、ほとんどの白狼天狗なら指すこともできる。だが人里はおろか、永遠亭までやってきて指すものは居ないだろう。何せ妖怪の山は閉鎖的だ。河童はともかく、天狗では椛や射命丸が例外なのだ。
そして蓬莱山輝夜と八意永琳は不老不死だという。時間は永遠にあるのだ。
「今度は対面に座ってね」
「はい」
彼女の顔は、この日一番の美しさだった。やはり未来を期待するということは最高なのだろう。
「月か」
永遠亭から妖怪の山への帰路、辺りはすっかり夜になっていた。
椛は仰向けで飛びながら、満月ではないがそれなりに大きな月を眺める。能力を使うなど無粋な真似はしない。
そういえばお腹も空いた。帰りにミスティアの屋台にでも寄るか? いや、人里で何か食べるか? どちらにしても、月を見ながら一杯やりたい気分だった。何だかんだで今日も一日、楽しんだのだ。
特に永遠亭。鈴仙に出会い、それから……
「あ」
ここで椛は失敗に気が付いた。鈴仙と一緒に永遠亭を訪れた理由だ。
鈴仙は知り合い(椛)に会ったから永遠亭に戻るのが遅くなったと永琳に伝えた。
知り合いと会ったからって、理由もなく相手を連れてくるか? そして頭の切れそうな永琳が気が付かないなんてことはあるか?
「ばれますね。これ」
心の中で鈴仙に合掌した。
後日、鈴仙と喫茶店で再開した。
少しは人見知りも緩和しているらしく、びくびくしながらではあるが人間相手にオセロをしていた。
彼女の対局終了後、椛は少し話しているうちに前回の事を思い出す。仕事は大丈夫か聞くと彼女は慌てて走り去っていった。
椛は呆れ、様子を見に来た主人はけらけら笑う。おかげで輝夜への伝言を頼み忘れた。
そういえばこの喫茶店は彼女に置き薬の場所を提供した様だ。多少なりと良い方向に動いているらしい。
椛は茶を啜り、空を仰いだ。
初めてこの喫茶店に来たのは夏だというのに、今や秋。
月日が経つのは早いものだ。
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永琳は机でペンを走らせながら、鈴仙から報告を受けた。
待合室に患者の姿も無く、椛は先ほど帰った。日も暮れたし今日はおしまいである。
「ところでうどんげ」
「何ですか? 師匠」
「犬走さんと話し込んだって言ってたわよね」
「ええ、それで椛さんを連れてきたじゃないですか」
永琳は手を止める。くるりと椅子を回転させ、立っている鈴仙の方を向く。
「わざわざ知り合いを連れてくるなんて、怪しんで下さいと言っている様なものよ」
鈴仙が凍りつく。目が泳いだ。実にわかりやすい。
「まぁ、その件はもういいわ。あなたを探しに行ったてゐも帰ってきたし」
「え?」
「本当に知り合いになったみたいだからね」
永琳の言葉に鈴仙は胸を撫で下ろすが、甘い。
「でもそれはそれとして、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか」
「あなた、彼女と何を話したの?」
「え?」
ふふふ、と永琳は笑うが米神に青筋を立てている。目も笑っていない。
「ええっと」
しどろもどろになる鈴仙に永琳は畳み掛ける。
「喫茶店であれだけ目立って、愚痴って、他の人が聞いていないと思う?」
さっと鈴仙の顔色が悪くなる。
「患者の付き添いが居たのよ、あの喫茶店に。少し優しくするように頼まれちゃったわ。
愚痴るなとは言わないわ。あなたにも言いたいこともあるでしょうし、意見の対立が全く無いわけがない。どんな仕事でも同じようなことはあるでしょうし、私もその付き添いの方もそこは理解できるわ。でも少しばかり声が大きすぎたようね。
さて、ここは薬屋だけど半ば病院と化しているわ。薬屋も病院も信用と信頼が命よ。永遠亭の評判はどうなるでしょうか?」
「し、師匠!?」
「少しは考えなさい」
永琳の静かな怒りと共に、お説教が始まった。
蓬莱山輝夜の前には天狗大将棋。これをやりたかったのは事実だが、もう一つ、今回は見送った目的があったのだ。
奥の部屋に通じる襖を開く。そこにはより巨大な将棋盤と膨大な駒があった。
「大局将棋」
失われた将棋がそこにあった。輝夜が香霖堂で購入したものだ。
将棋盤は縦横三十六マス、駒は種類だけでも明らかに百を超え、総数は何百枚になるのかわからない。だが、
「全ての駒が揃っていない可能性もある。動かし方がわからない駒もある」
そうなのだ。これは幻想郷に入ってきた品物。既に失われた将棋なのだ。駒ごとの動かし方まで、森近霖之助の能力でも知ることはできなかった。長寿であるてゐも知らなかったし、椛も知らないだろう。彼女が将棋に詳しいとはいえ、大局将棋は失われた代物なのだ。そんなことは期待していない。
「犬走さんに大局将棋を見せたら興味を持つでしょうし、多分調べる。その上で助ける者もいるでしょう。
幾万という人妖が居れば、面白いのが出てくるだろうし」
幻想郷に住む誰かなら? 未だ姿を現していない誰かなら? 或いは失われたはずの情報媒体なら? 何かわかるかもしれない。
輝夜は適当な駒を手に取り適当に指してみる。これが合っているかはわからない。別の駒を手に取り弄ぶ。
意味はない。唯の一人遊びだ。
犬走椛が人里で将棋を指して以降、『文々。新聞』の紹介もあったとはいえ将棋を指し、ゲームを楽しむ人妖が増えているのだ。人間の里に行く鈴仙の報告と、永遠亭の待合室で指す人妖を見た結果だ。弾幕ごっととは違い空を飛ぶなど条件もない上に、無力なものが勝てる可能性がある。何せ大人と子供が対局し、子供が勝つことも珍しくない世界なのだ。男も女もない。
「でも、まだ早いか」
流行り廃りは世の常だ。もう少しすれば将棋などのゲーム人口が増えるかもしれない。でもまだ可能性なのだ。そして廃れた時に残った者はさぞ熱心だろう。
椛にも言ったが輝夜に時間は腐るほどある。焦る必要はないのだ。
何にせよ、これは永遠の暇つぶしである。大局将棋も気になるが絶対というわけではない。どちらでも良いのだ。
今日の対局で犬走椛と指すことが楽しいと感じたし、彼女がまた来ると言うだけで輝夜としては満足している。
「それにしても」
輝夜は顎に手を当て思い返す。何故か椛があの新聞記者と重なって見えたのだ。無論外見は似ても似つかない。
「天狗の性格なのかしら」
椛自身を彼女が気に入った以上、これもどうでも良い話だが。
「どちらにしても、連れて来た鈴仙は後で褒めなきゃね」
輝夜は駒を盤上に戻すと、満足げに笑った。
読んでいない方でも、椛の趣味は将棋などのゲーム、彼女の休日の話、とだけわかれば問題ないと思います。
犬走椛は妖怪の山に住む白狼天狗である。
にとりは相変わらず忙しく休みが取れない。偶には天狗大将棋をしたいのだが、将棋を好む者とも休みが合わないのだ。
非番の彼女は、日課である素振りを終えると人間の里へ向かうことにした。
もうすぐ紅葉の季節、椛はこの季節を気に入っていた。何よりも過ごしやすい。
人里の喫茶店にいた。時刻は既に昼を回っている。
言うのも何だが、椛は対局時に限り注目されることにすっかり慣れていた。
天狗が人間の里に居るだけで多少目立つ上に、当の椛は人間相手に将棋を指している。対局は人間同士が行っても一定の観客が集まってくるものだ。これで目立たぬわけがない。先ほどの対局も観客が集まっていた。だが対局以外となると違ってくる。
常連客との対局中、椛は自身に纏わりつく粘っこい視線を感じていた。男なら多少なり性的な物が混じるがそれが無い。相手はおそらく女だろう。でなければ監視のプロだが、椛は勘で否定した。プロならこの程度でバレはしないだろう。その為、相手が居なくなればそれでいいと考え、変わらず茶を飲んでいた。しかし相手は失せる様子も無い。
椛は茶を飲みながら、ごく自然に『千里先まで見通す程度の能力』を発動させた。自分に刺さる視線を遡り、主を探す。間もなく少し離れた路地から顔を出ししかめっ面をした少女を発見した。彼女の周囲を探るが他にいない、一人だ。少し視点をずらし相手を観察する。
よれた長い兎耳と紫の長い髪、赤い目、丸い尻尾、背負った四角い薬箱にブレザーとかいう外の世界に似た服装をした少女だ。椛はこの妖怪兎に見覚えがあった。確か永遠亭の薬売りだ。但し、話したことはないし名前も知らない相手だ。
だが兎を確認できたのはそこまでだ。彼女ははっとしたような顔になり一瞬目が光る。能力で作り出した椛の視界にノイズが混じり、相手をうまく映せなくなった。
気が付いたか。椛は表情に出さずに一度能力を解除する。体力の無駄にするだけだ。
相手は椛の能力に気が付き妨害した。どんな能力か知らないが、行ったのは間違いなくこの兎だろう。椛に刺さる視線に動揺が混じっている。
再度椛は能力を発動させる。今度は兎の周囲数箇所と自分との間の数箇所を一気に映す。椛の脳内で視界が複数発生し、全てを処理する。だが次々ノイズが混じり、判別できなくなる。妨害された様だ。
椛は代金を支払うと、剣と盾を持ち店を出る。向かうのは相手と逆方向。兎は追ってきた。
兎の視線を背に歩く。能力を使った視界は歩を進めるたびに増やし、増やした分が妨害されていく。だがこれでいい、視界は一瞬だが、妨害する場所といい兎の行動は正確な位置を椛に示していた。
兎の妨害は同時に行われていない。一つ一つ視界を潰している。兎が対象を選んで、あるいは条件付きで対象を絞れるなら、監視にばれた時点で椛自身を封じたはずだ。兎の能力を広範囲に使えるかは不明だが、もし広範囲に使えば人が多い場所では騒ぎになるだろう。おいそれと使うことはできない。今はわざわざ個別で潰していることから、いちいち設定しないと妨害できず、それだけ集中力を削ぐことになる。
それに兎は目で確認して追ってきている。椛は時より道を曲がるが、その時に歩を速めていることから明らかだ。椛の『千里先まで見通す程度の能力』の様に離れた相手を監視することができないだろう。
また、兎は耳がよい。それは椛も良く効く目と耳、鼻を持つから利点を良く知っている。だが同時に対応もいくつか知っている。要は高い能力を逆手に取り、潰すか誤魔化してしまえばよいのだ。さて、個人差はあるが能力は集中力を使う。多量に、複雑に使えばより集中力を必要とする。裏を返すと他が疎かになってしまうのだ。能力の妨害で集中力が乱された今、人通りの多い場所では逆に耳が良すぎる為に周囲に紛れてしまう。もし椛の足音の癖を記憶していたとしても同じだ。
椛は人が多く道幅が狭い通りを曲がりその場で止まる。先ほどまでいた喫茶店の前だ。
来た道では能力の視界が次々と潰される。そして曲がってきた兎と対面した。
「やあ」
椛が軽く手を上げ挨拶する。兎はビックリした表情のまま完全に固まった。
くるりと反転し、兎は逃げようとするが椛は彼女の首根っこを引っつかむ。
「さて、ちょっと来て貰おうか」
椛は尻尾を逆立て、ピーピー喚く兎を喫茶店に引き擦り込んだ。
主人に奥の座敷を貸してもらい対面に座る。もちろん椛が出入り口側に近い方だ。逃げられないように妖怪兎の薬箱は椛の横に置かせた。威嚇の意味も込めて時々尻尾を左右に振り、腕を組んで黙っている椛に比べて、彼女はすっかり小さくなっている。狼と兎の関係もあるのだろう。
主人が茶を持ってきた後、話しかけた。
「私の名前は知っているでしょう? そちらは?」
「……鈴仙・優曇華院・イナバです」
「貴方を何て呼べばいい?」
「鈴仙で」
「では鈴仙さん、なぜ私の後をつけた?」
「……あなたが人と話が出来るから、どうすればできるか観察していたの」
椛は頭に疑問符しか浮かばなかった。彼女は薬売りだろう。置き薬とはいえ使用した分のお金は回収するのだし、営業の様なこともするはずだ。正直、意味が分からない。
そんな椛の様子を見た鈴仙は更に説明を続けるが、やはり椛にはよくわからない。要領を得ないというか、話し方というか、なんというか一方的に喋っているだけだ。
通じていないことを理解しているのか、ますますテンパる鈴仙を見て椛はようやく回答を思いつく。
「要は人見知りか」
「……はい」
「それで人見知りを直したくて、里の者と将棋を指していた私を見ていたと」
「はい」
「食べていいですか?」
「はい……ええ、駄目です!!」
慌てる鈴仙に椛はにっこり笑い、尻尾の振りも止める。
「少し早いですが具体的には鍋とかどうです? 幸い剣もありますし包丁も貸してもらえるでしょう。それに人里なら様に材料も集まり易いですし」
「ちょっ」
「温まると思いますよ」
「嫌です。いや駄目です。兎鍋とか野蛮です」
鈴仙は立ち上がり、兎権とか兎角同盟とか何やら喚いている。喫茶店にいる客の視線が集まるが彼女は気にしない。椛は茶を啜り鈴仙を眺めている。
「さてさて、元気が出たところで、本題といきましょうか」
からかわれていることに気が付いたのか、鈴仙がピタッと止まり、顔に朱がさした。おずおずと座りさらに小さくなる。
「本当に人見知りなんですか?」
「だから困っているんじゃないですか!!」
ああ、面白い。
「とりあえず、身の上話でも聞きましょうか」
椛は近くにいた店員に団子を何個か注文した。
やっべえ。兎さん強いわ。
鈴仙の愚痴やら身の上話やら能力やらを聞いている椛の背に冷たい汗が伝っていた。もちろん顔には出さない。会話の中で彼女の本音を引き出しているので嘘はないだろう。
鈴仙の『狂気を操る程度の能力』は人妖のみならず、電磁波や光なども含むあらゆる波を見抜き操るという。にとりの機械弄りに付き合い、人里にいる外来人と話をする椛には大雑把ではあるが電磁波の知識があった。故に相手を操る以上の脅威に気が付く。
しかも彼女は月で戦闘の訓練を受けていた。椛の『千里先まで見通す程度の能力』を素早く自身の能力で見切り、次々と潰していったのも合点がいく。そういえば歩幅が一定だった。何故気が付かなかったのか、椛は己の甘さに眩暈を覚えた。
そんな鈴仙も今は永遠亭に住み込み、薬師の手伝いを行っているらしい。その為、いささか勘が鈍っている様だが元は優秀だったのだろう。月で受けた訓練の成果が体に染みついているのだ。
「椛さん、聞いてますか!?」
「聞いてますよ。大変ですね」
「うう……」
相当にストレスを溜めているのだろう、鈴仙の愚痴は半ば悪口と化している。煽ったのは椛自身だが、達の悪い酔っぱらいを相手している気分だった。茶と団子だけで酒は一滴も飲んでいないのに。
聞き手として少し疲れてきた椛は、ずっと気になっていたことを聞いてみることにした。
「ところで」
「なんですか?」
やさぐれた目をした鈴仙に尋ねる。
「今の話だと仕事中では? 時間は大丈夫ですか?」
椛の指摘に鈴仙はぴたりと固まる。この喫茶店で行った対局中から、いや対局後からとしても相当な時間が経っている。
「ああああああああああああああああああああ」
そして彼女は頭を抱え、机に突っ伏した。衝撃で湯呑が揺れたが、中身が零れることもひっくり返ることも無かった。
「師匠に怒られる……」
椛から顔が見えないが、彼女は半べそかもしれない。師匠とやらはあまり怒らないが、その分怒ると怖いと言っていた。
だが、客観的に見てこれはさぼりであり、怒られるには十分な理由だ。
「そうだ」
がばっと鈴仙が顔を上げ、椛を正面から見据えた。
「椛さん、この後時間ありますか?」
「ありますけど、何か?」
「一緒に来てください」
「……はい?」
「知り合いと話し込んでいたことにすれば、何とかなるかもしれないんですよ」
「……人見知りなんですよね。話し込むなんてことあるんですか」
「ある事にして下さい」
必死だ。よほど師匠とやらが怖いのか?
迷いの竹林にある永遠亭。理由が無い限り行くことは無いし、現に椛は訪れたことが無い。確かに少し興味がある。
「まぁ、話し込んだのは事実ですしね……」
軽いため息交じりだったが、彼女に同行することにした。
「やった」
ぱぁっと鈴仙の顔が明るくなった。
「では行きましょう。永遠亭に。おー」
彼女は片手を勢いよく上げた。再度注目が集まる。
「……何です? それ」
「やりませんか?」
「やりません」
さっさと立ち上がり薬箱を背負おうとする鈴仙を見て椛は思った。兎なのに猫を被っていたのかもしれない、と。
「おお」
純和風の大きく見事な屋敷だ。椛は思わず感嘆の言葉を発していた。
永遠亭。そこは椛自身、書類上でしか知らない場所だった。
本来、永遠亭を訪れるには迷いの竹林を知り尽くした案内人を頼る必要があるのだが、住人である鈴仙が同行すれば話は変わる。彼女なら迷わずにたどり着けるのだ。
何故こんな不便なところにあるのか。
かぐや姫として知られる月の姫である蓬莱山輝夜と、彼女の従者で月の頭脳と呼ばれる八意永琳。この二人の最大の特徴は不老不死の蓬莱人ということだ。
元は二人が月から逃れ、地上に隠れ住むために迷いの竹林に屋敷を建てたのだ。
とはいえ今は人里では処置しきれない患者の専門病院と化している。それに八意永琳は腕の良い薬師であり、医者でもあると聞く。
永遠亭の手前で鈴仙の足が止まる。続いて長い耳が右へ左へ探る様に動いていた。
「てゐは居ないようですね。助かります」
道中に鈴仙から聞いた限り、因幡てゐは迷いの竹林の持ち主で最長老とのこと。永遠亭にも数百年前から住んでいる古参らしい。なんかこれだけだと格上っぽいが大丈夫か?
鈴仙は椛に振り向き、確認するように言う。
「まず、師匠に報告します」
「それで?」
「終わりです」
「私は?」
「一緒にいてください」
「はい?」
ずいずい進む鈴仙の後ろを椛は仕方なく付いていく。どうせここまで来てしまったのだ。
永遠亭の正面ではなく裏に回るらしい。聞くと病院となってから正面は患者用にしているらしい。
敷地内では白くてもこもこ、丸っこい妖怪兎がぴょこぴょこ跳ね、喋くっていた。山を駆け回る野兎と違って可愛らしい。患者ではない来客が珍しいのか、椛に気が付くと「よおこそー」「ようこそだよー」「おおかみだー」「しっぽがもふもふだー」「いらっしゃいませー」等、妙に間延びした声で挨拶『っぽく』話しかけてきた。好き勝手という方が正しいかもしれない。
「よろしく」
とりあえず椛が返すも、妖怪兎たちは内輪で変わらずごちゃごちゃしている。
「あーもう、失礼のないようにしなさい」
鈴仙が前に出て、妖怪兎たちに何やら指示を出す。腰に手を当てあーでもないこーでもないを繰り返し、妖怪兎たちはきゃーきゃー言いながら退散した。
「行きましょうか」
「あ、ああ」
鈴仙の人里と全く違う様子に椛は少し困惑した。人見知りというのは本当かもしれない。そのまま椛は彼女について行き、間もなく勝手口に着く。鈴仙は引き戸を開け中に入る。
「帰りました」
「お邪魔します」
彼女に続いて靴を脱ぎ、空いている靴箱に入れる。鈴仙に先導され、ついて行く。
長い廊下を歩いて行くと、やがて『診療室』と書かれた札のある部屋の前につく。
「今、中に患者さんはいませんので、気にしないで下さい」
鈴仙は椛に向かい言うと襖を開けようとし、椛が止めた。
「何です?」
「剣と楯はどうします? 衛生的とは言えないですが」
「ああ、どうして事前に言ってくれなかったんですか」
「診療室に行くなんて思っていませんでしたよ」
「ええっと、どうしましょうか。待合室や患者用の物置き場に置くわけには……」
「真剣ですよ。誰かが触って事故があったらどうする気です。人間なら指が軽く飛ぶし、小さな兎なんて真っ二つですよ」
「何で兎を斬るんですか」
「例えです。それだけ危険という事ですよ」
二人で話していると、診療室の襖がゆっくり開いた。
中から出てきたのは長い銀髪を後ろで編み、赤と青からなる奇妙な配色の服を着た、若く落ち着いた女性。彼女は椛を正面から見る。
「初めまして、八意永琳です」
「妖怪の山に住む白狼天狗の犬走椛です。よろしくお願いします」
挨拶をする八意永琳に、椛は返す。永琳は次に鈴仙に問いかけた。
「ところでうどんげ、話は聞こえていたけど犬走さんは急患なの? 貴方が診療室に連れて来たみたいですけど」
うどんげとは鈴仙の事だろう。
「いいえ、そういう訳では」
ちらりと鈴仙は椛に視線を移す。
「人間の里で彼女と話し込みまして、それで来てもらったわけです」
「……それで遅くなった訳ですね?」
「はい」
頷く鈴仙。
「犬走さんも?」
「ええ」
嘘は言っていない。永琳は顎に手をやる。
「どうしましょうか、まだ患者も残っているし、うどんげにも仕事があるのだけど」
「ああ、ええっと」
慌てふためく鈴仙。
「でしたら私はこれで」
「いえ、流石に悪いわよ。せっかくここまで来てもらったのに」
椛は帰ろうとするが、永琳が止める。
「そうだ、待合室にゲームがあるから自由にして下さい。相手もいますし」
「はい?」
首を傾げる椛に、永琳はくすりと笑う。
「うちは『文々。新聞』を取っているの。患者さんからも『将棋のお姉ちゃん』について聞いてますし。待合室に時間潰し用のオセロや将棋盤があるので使って下さい」
ここでも『文々。新聞』か。椛は初対面の人物に自分が伝わっていることの小恥ずかしさを覚えた。とはいえ自分自身も書類上で相手の情報を得ているのだ。お互いさまと気を取り直す。
「あの、時間潰し用って」
「混んでいると半刻(約1時間)や一刻(約2時間)近く待って頂くこともありますので用意しています。患者だけでなく付き添いの方も来ることがありますし」
なるほど。椛は納得する。
「そうですね、では付き添いの方と」
「あら、私では駄目ですか?」
椛の後ろから声を掛けられた。振り向くと少女がいた。腰より長い黒髪、ピンクと赤の服を纏った、少し浮世離れした雰囲気のある美少女。
「姫様」
鈴仙の声だ。間違いない。
「初めまして、蓬莱山輝夜です」
深々と頭を下げられる。洗練された動きに椛は同性ながらも見とれ、固まってしまった。我に返ると慌てて一礼をする。
「付き添いの方ですと、決着が付かずに終わることもあるでしょう。私も少しなら指せますし、一局いかがでしょうか」
「此方こそ、宜しくお願いします」
「では犬走さん、待合室まで案内しますわ」
「鈴仙さん、また」
「はい」
鈴仙に別れを告げて、輝夜の後に続く。やがて待合室と札のある部屋に到着する。襖をあけると幾人かの人妖が居た。和室に広めの机が幾つかと座布団。机の上には水差しと複数のコップ、奥には盤などの遊具や新聞が収められた棚がある。
輝夜が部屋に入ると空気が一変する。椛にとって初めての感覚でどう変わったのか説明ができないが、とにかく変わったのだ。
輝夜は何人かに声を掛けられつつも適当にはぐらかす。理由は椛という先客がいるからだが、その都度椛に視線が移る。次いで男の場合は明らかに安心したような顔つきになる。
下心が見え見えの行動に椛は呆れた。仮に椛が男だったらやっかみが入ってくるのか。
棚近くの机が空いていたので、近くに剣と楯を置く。椛は姫様に力仕事をさせるわけにはいかないと思い、将棋盤と将棋の駒が入った容器を取り出す。将棋盤と言っても机の上に乗っける一般的な物だ。輝夜と二人で盤面に駒を配置した。
行うのは本将棋。自然と注目が集まる。
「先番は譲りますわ。お先にどうぞ」
「では姫様、お先に失礼」
「あら」
彼女は口元に手をやり、
「姫様なんて水臭い。輝夜で」
「流石にそれは……輝夜様では?」
「か・ぐ・や」
輝夜は椛に念押しする。
「輝夜さんで勘弁してください。鈴仙さんの上司を呼び捨てにはできませんよ」
「仕方ないですね。手を打ちましょうか」
輝夜がくすくす笑う。全く一挙一動が妙に絵になると言うか、本当に出鼻を挫かれる。
椛は気を取り直して、一手目を指した。
なるほど。
何手か指すうちに椛は手を誤った。だが己のミスによって、椛は輝夜の纏う独特の空気について把握し始めていた。
彼女がそこにいるだけで全てか彼女を中心に動く。支配しているのは無い、自然に動いてしまうのだ。
美貌、動作、声、話術、全てが心を引き付ける。結果、平常心を失い狂わされる。しかし輝夜からすればそれが普通で、本人はのほほんとしているから余計に恐ろしい。椛は自覚したから良いものの、ミスが無ければ己の思考が狂ったことにすら気が付かなかっただろう。現に序盤で椛は手を誤った。通常ならあり得ない事だった。
駒を動かすというのは些細な仕草だ。それなりの打ち手はその動きに相応の迫力があるが、彼女は根本的に違う。優雅なのだ。ここまで絵になるとは椛は知らなかった。
これがかぐや姫、いや一種のカリスマという奴か。
しかし、これは面白い。
椛は顔に出さずに笑う。動いてしまうことのある尻尾も自らの意志で抑えた。
平常心のままでいられなかったのは己の修行不足。久しぶりに椛は変に血が滾るのを感じたが、熱くなるなと己を叱咤する。
局面は進む。互いの陣地に互いの駒が入り込む展開になった。
「ふふ」
輝夜は笑っていた。
「貴方、面白いわね」
「そうですか」
「ええ」
屈託のない笑みだったが直ぐに消え、真剣な面持ちで盤上を眺める。
それに引き替え、周囲の男どもはだらしのない顔をしている。ある者は患者を呼びに来た鈴仙に呼ばれているのに気が付かず彼女に引きずられていった。盤面を眺めているのならともかく、見ているのは輝夜と椛の二人なのだ。
その光景に椛は内心で呆れたため息を付き、再度気を取り直す。
互いに攻めきれず、一進一退。
手数だけが増え続ける。
「知ってる?」
椛が指した後、輝夜がぽつりと呟く。椛が盤面から顔を上げると輝夜と目が合った。
「月と狼は揃うと絵になるのよ」
椛は一瞬、彼女の漆黒の眼に吸い込まれる錯覚を覚えた。輝夜の一手が入る。
「絵、ですか」
呑まれかけた椛は一拍置く。
「雪も入ると、良いかもしれませんね」
急所狙いの一手を椛が防ぐ。
「月と狼と雪、確かに良いわ。その雪は貴方の色ね」
輝夜の一手が指し込まれる。
「雪の白さには敵いませんよ。私にあの儚さは出せない」
受ける椛。
「いいえ、雪は儚さだけではないわ。場を引き締め己の色に塗り潰す」
攻め続ける輝夜。
「でしたら、夜空の黒は輝夜さんの髪でしょうか」
椛は躱す。逆に仕掛ける。
「あら嬉しい」
輝夜の一手。椛の手を無力にする。
「全てを包み、飲み込む漆黒。まさしく輝夜さんですよ」
もう一手、輝夜の懐目掛け飛び込んだ。
「疲れた……」
「私も……」
二人の対局は白熱した。終局後、互いがぐったりと項垂れたほどだ。
始終話していたことは覚えているのに、正直何を話しながら指していたのか、椛は細かいことを覚えていなかった。
唯、楽しかった。
満足げな観客が二人に冷水の入ったコップを差し出した。二人はそれを受け取り一気に煽る。喉を潤した後、互いの顔を見て
「またやりましょう」
「ええ」
椛の答えに満足したのか、輝夜はにっこり笑う。
「でも次にやるのは本将棋じゃないわ」
「え」
「ついて来て」
輝夜が立ち上がり待合室の出口に向かう。彼女の道を遮っていた患者や付添人は自然と道を開けていた。
椛も立ち上がるが、使った将棋盤が気になりそちらへ視線を向ける。
「そのままでいいから」
「わかりました」
剣と楯も忘れない。椛は輝夜の後を追った。
そのまま永遠亭の奥へ進む。椛は少し不安になったがついて行く。やがて一室にたどり着いた。輝夜が襖を開き椛を促す。
中にあったのは、巨大な将棋盤と乗せられた膨大な駒。
「天狗大将棋」
「ええ。貴方と時々指す河童に持ってきて貰ったの。いずれ来ると思っていたし」
輝夜が椛を通り越し、将棋盤の前に座る。対局をする際に座る場所だ。
「私が?」
「患者さんたちが話していたからね。将棋に目のない天狗が居るって。
これは白狼天狗が駒を追加しルールを整備した将棋よ。貴方も指せるでしょう?」
指せるというか、椛自身の原点だ。
「ええ。大好きですよ。でも……」
「今日は無理という事でしょう? わかってるわ。これを見せたのは、いつでも来てくださいってことよ」
「え?」
立ったままの椛を見上げ、にっこり笑う輝夜。
「今度、天狗大将棋を教えて頂戴。何せ私には時間は腐るほどあるのよ。それこそ妖怪や神以上にね。
河童やあの新聞記者から駒の動かし方は聞いたのよ。でもそれだけで指し手が居ないわけ。二人とも多忙でしょう?」
おそらく河童はにとり、新聞記者は射命丸文だ。にとりはエンジニアで機械に目が無く、月の道具がある永遠亭に訪れていたとしても不思議はない。また、永琳は『文々。新聞』を購読していると言っていた。接点はある。
「なるほど」
妖怪の山に住む者なら大抵は駒の動かし方程度は把握し、ほとんどの白狼天狗なら指すこともできる。だが人里はおろか、永遠亭までやってきて指すものは居ないだろう。何せ妖怪の山は閉鎖的だ。河童はともかく、天狗では椛や射命丸が例外なのだ。
そして蓬莱山輝夜と八意永琳は不老不死だという。時間は永遠にあるのだ。
「今度は対面に座ってね」
「はい」
彼女の顔は、この日一番の美しさだった。やはり未来を期待するということは最高なのだろう。
「月か」
永遠亭から妖怪の山への帰路、辺りはすっかり夜になっていた。
椛は仰向けで飛びながら、満月ではないがそれなりに大きな月を眺める。能力を使うなど無粋な真似はしない。
そういえばお腹も空いた。帰りにミスティアの屋台にでも寄るか? いや、人里で何か食べるか? どちらにしても、月を見ながら一杯やりたい気分だった。何だかんだで今日も一日、楽しんだのだ。
特に永遠亭。鈴仙に出会い、それから……
「あ」
ここで椛は失敗に気が付いた。鈴仙と一緒に永遠亭を訪れた理由だ。
鈴仙は知り合い(椛)に会ったから永遠亭に戻るのが遅くなったと永琳に伝えた。
知り合いと会ったからって、理由もなく相手を連れてくるか? そして頭の切れそうな永琳が気が付かないなんてことはあるか?
「ばれますね。これ」
心の中で鈴仙に合掌した。
後日、鈴仙と喫茶店で再開した。
少しは人見知りも緩和しているらしく、びくびくしながらではあるが人間相手にオセロをしていた。
彼女の対局終了後、椛は少し話しているうちに前回の事を思い出す。仕事は大丈夫か聞くと彼女は慌てて走り去っていった。
椛は呆れ、様子を見に来た主人はけらけら笑う。おかげで輝夜への伝言を頼み忘れた。
そういえばこの喫茶店は彼女に置き薬の場所を提供した様だ。多少なりと良い方向に動いているらしい。
椛は茶を啜り、空を仰いだ。
初めてこの喫茶店に来たのは夏だというのに、今や秋。
月日が経つのは早いものだ。
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永琳は机でペンを走らせながら、鈴仙から報告を受けた。
待合室に患者の姿も無く、椛は先ほど帰った。日も暮れたし今日はおしまいである。
「ところでうどんげ」
「何ですか? 師匠」
「犬走さんと話し込んだって言ってたわよね」
「ええ、それで椛さんを連れてきたじゃないですか」
永琳は手を止める。くるりと椅子を回転させ、立っている鈴仙の方を向く。
「わざわざ知り合いを連れてくるなんて、怪しんで下さいと言っている様なものよ」
鈴仙が凍りつく。目が泳いだ。実にわかりやすい。
「まぁ、その件はもういいわ。あなたを探しに行ったてゐも帰ってきたし」
「え?」
「本当に知り合いになったみたいだからね」
永琳の言葉に鈴仙は胸を撫で下ろすが、甘い。
「でもそれはそれとして、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか」
「あなた、彼女と何を話したの?」
「え?」
ふふふ、と永琳は笑うが米神に青筋を立てている。目も笑っていない。
「ええっと」
しどろもどろになる鈴仙に永琳は畳み掛ける。
「喫茶店であれだけ目立って、愚痴って、他の人が聞いていないと思う?」
さっと鈴仙の顔色が悪くなる。
「患者の付き添いが居たのよ、あの喫茶店に。少し優しくするように頼まれちゃったわ。
愚痴るなとは言わないわ。あなたにも言いたいこともあるでしょうし、意見の対立が全く無いわけがない。どんな仕事でも同じようなことはあるでしょうし、私もその付き添いの方もそこは理解できるわ。でも少しばかり声が大きすぎたようね。
さて、ここは薬屋だけど半ば病院と化しているわ。薬屋も病院も信用と信頼が命よ。永遠亭の評判はどうなるでしょうか?」
「し、師匠!?」
「少しは考えなさい」
永琳の静かな怒りと共に、お説教が始まった。
蓬莱山輝夜の前には天狗大将棋。これをやりたかったのは事実だが、もう一つ、今回は見送った目的があったのだ。
奥の部屋に通じる襖を開く。そこにはより巨大な将棋盤と膨大な駒があった。
「大局将棋」
失われた将棋がそこにあった。輝夜が香霖堂で購入したものだ。
将棋盤は縦横三十六マス、駒は種類だけでも明らかに百を超え、総数は何百枚になるのかわからない。だが、
「全ての駒が揃っていない可能性もある。動かし方がわからない駒もある」
そうなのだ。これは幻想郷に入ってきた品物。既に失われた将棋なのだ。駒ごとの動かし方まで、森近霖之助の能力でも知ることはできなかった。長寿であるてゐも知らなかったし、椛も知らないだろう。彼女が将棋に詳しいとはいえ、大局将棋は失われた代物なのだ。そんなことは期待していない。
「犬走さんに大局将棋を見せたら興味を持つでしょうし、多分調べる。その上で助ける者もいるでしょう。
幾万という人妖が居れば、面白いのが出てくるだろうし」
幻想郷に住む誰かなら? 未だ姿を現していない誰かなら? 或いは失われたはずの情報媒体なら? 何かわかるかもしれない。
輝夜は適当な駒を手に取り適当に指してみる。これが合っているかはわからない。別の駒を手に取り弄ぶ。
意味はない。唯の一人遊びだ。
犬走椛が人里で将棋を指して以降、『文々。新聞』の紹介もあったとはいえ将棋を指し、ゲームを楽しむ人妖が増えているのだ。人間の里に行く鈴仙の報告と、永遠亭の待合室で指す人妖を見た結果だ。弾幕ごっととは違い空を飛ぶなど条件もない上に、無力なものが勝てる可能性がある。何せ大人と子供が対局し、子供が勝つことも珍しくない世界なのだ。男も女もない。
「でも、まだ早いか」
流行り廃りは世の常だ。もう少しすれば将棋などのゲーム人口が増えるかもしれない。でもまだ可能性なのだ。そして廃れた時に残った者はさぞ熱心だろう。
椛にも言ったが輝夜に時間は腐るほどある。焦る必要はないのだ。
何にせよ、これは永遠の暇つぶしである。大局将棋も気になるが絶対というわけではない。どちらでも良いのだ。
今日の対局で犬走椛と指すことが楽しいと感じたし、彼女がまた来ると言うだけで輝夜としては満足している。
「それにしても」
輝夜は顎に手を当て思い返す。何故か椛があの新聞記者と重なって見えたのだ。無論外見は似ても似つかない。
「天狗の性格なのかしら」
椛自身を彼女が気に入った以上、これもどうでも良い話だが。
「どちらにしても、連れて来た鈴仙は後で褒めなきゃね」
輝夜は駒を盤上に戻すと、満足げに笑った。
誤字?の指摘をさせて頂きますと、輝夜と椛が将棋を打つ場面、輝夜が椛の毛の白さを雪と例える場面で、輝夜の台詞の語尾が若干不思議な所がありました。キャラが豹変したのかと少し驚きました。
これからも楽しみにさせて頂きます。
頑張って下さい。
うどんげに永遠亭に連れていかれたときはどうなっちゃうんだろと心配しました。
でもいろんな人達に受け入れられている椛に祝福の花を。
今回は輝夜だったから、次はさとり様と会ったりして。
次回作も楽しみに待ってます。
紅魔館なら美鈴とが面白いかも?
何気に長く生きてそうですから、色々しってそうです。
耳はぼかしたままでよろしいかと。
各々好きに想像できますしね。
勘、ではないでしょうか。それとあとがき以外では「対局将棋」になってしまっているようです
何このダメなうどんげダメ可愛い…
流されているようで崩れない椛が流石というか天然というか何というか
耳に関してはご随意に。そういえば収納式なんて考え方もあるみたいですね、と言うだけ言ったりしてみます(笑)
あれ、そういえば間接的にも文出てない…?
永遠亭の面々がみんな魅力的で嬉しかったです
大局将棋は36×36マスのキチガイ将棋。しかも今のルールはバランスが取れていないらしいので、幻想郷の頭の良い連中が改良する余地は大いにあります。完成の暁には、前代未聞の超頭脳戦が楽しめることでしょう。