Coolier - 新生・東方創想話

サクヤちゃんの幻想郷リプレイ ~水平線のホライゾン~ (N+3~N+4周目)

2013/09/29 02:59:38
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N~N+2周目
の続きです。

   N+3周目
   希望に満ちた反復性のプロローグ

 目を覚ますとそこは自室。ベッドの上で倒れていた。どうやら疲れて眠ってしまっていたらしい。時計を見ると秒針が止まっていた。私の能力で時が止まっている様だ。
 何か忘れている様なそんな気分がした。確かこの屋敷に居ると惨劇が起こる。何故そんな事を思ったのか。思い出そうとすると怖気が走った。悪夢でも見たのだろうか思いながら、私は外へ出てお嬢様が居るであろうダイニングへ向かった。
 お嬢様は紅茶を飲もうとする格好で固まっていた。その愛らしい姿を見つめているとふと以前もその光景を見た気がした。
 幻想郷は同じ時間を繰り返している。
 不意にそんな確信を得た。その着想が何処から来たのかは分からないけれど、根拠も無くそれが正しい事の様に思えた。
 時が動き出す。
 紅茶を注ぐ。
「あら、ありがとう咲夜」
 お嬢様が紅茶を飲んで、微笑みながらそう言った。今は悩む必要は無い。お嬢様を前にしている間は、ただお嬢様の笑顔を絶やさない事だけを考えていれば良い。
「咲夜、そろそろ寝るわ」
「畏まりました」
「咲夜は今日何か予定でもあるの? 私が寝ている間」
「今日は……宴を催しませんか?」
「宴?」
「ええ、そうです。紅魔館の者達で。何処か、そう、妖怪の山の紅葉でも見に」
 何だかこの屋敷に残っていては危険な気がした。夕方を過ぎると酷い事になるという予感があった。ならば皆で屋敷の外に出てしまえば良い。そうすれば何か危険があろうと平気の筈だ。
 お嬢様はしばらく考えこむ様な表情をしていたが、やがて笑みを見せた。
「良いわね。やりましょう」
「ご承諾いただきまして、ありがとうございます」
「随分と堅苦しい言い方ね。ま、一眠りするから、その間に準備しておいてよ」
「畏まりました」
 お嬢様は楽しみにしているご様子で部屋へと戻っていく。これから夕暮れ時までに万事を整えなければならない。忙しくなる。何としてもお嬢様の笑顔を失わない様に。

   韜晦していてありふれた第一章

 屋敷中に号令を発して宴の準備に当たらせた。場所の下見に会場の設営、料理を作らなければならないし、何か催し物も考えなければ。
 様々に考えながら、一先ず食材が足りない事に気がついて人里へ買いに出た。雑務ではあるが他の者達には任せられない。吸血鬼の館と恐れられている紅魔館としては、人との交流には特に注意を要する。
 道中香霖堂の傍を通る際、店主の霖之助が表で掃き掃除をしているところに出くわした。
「おはようございます、咲夜さん」
 そう言って朗らかな笑顔を向けられたので、邪険には出来ず、急いではいたが足を止める。
「おはようございます。ご機嫌はいかがですか?」
「まあ、息災です。今日の咲夜さんは一段と綺麗ですね。何か御用事でもお有りですか?」
 別段めかし込んだつもりは無かったが、もしかしたら宴が嬉しくて表情が和らいでいたのかもしれない。
「ええ。今日は妖怪の山で宴会でも」
「ほう。それは結構な事で」
 たわい無い会話をしていると、霖之助が思い出した様に手を打った。
「ああ、宴と言えば、良い物が」
「良い物ですか?」
「ええ。屋外でカラオケが出来る奴の最新のが入ったんですよ」
「あら、それは丁度」
「お安くしておきますよ」
 霖之助からそれなりの値段を聞いて、財布の中身を確認する。余裕は十分。それにそういった類の機械は少し前にフラン様が全て壊されてしまったので、正に丁度良かった。
「ではいただきましょう」
「毎度ありがとうございます」
「とりあえず状態の確認だけで、持っていくのは夕方でよろしいですか?」
「ええ、構いません。どうぞ中へ」
 促されて店内に入ると、霖之助は急いだ様子で奥へと走っていった。大きな買い物だろうから気が変わらない内にと焦っているのだろう。店の中で待たされた私は幾分手持ち無沙汰になって、視線を彷徨わせる。
 ふとカウンターの上に置いてある物が気になった。何やら黒い板状のそれはプラスチックで出来ている。何だろうと思って、近づき持ち上げてみると、突然その板が光を放った。思わず取り落としそうになって、慌てて掴む。
 板はどうやら電子画面の様で、抽象的な絵が描かれている。
 何だか不思議な思いで、画面に触れてみると、突然絵柄が変わる。
 驚いてまた落としそうになった。絵柄の変わった画面を見て、頬を掻く。
 まずい事になった。最初に写っていた画面と違う。それが何を意味するのかは分からないが、もしかしたら壊してしまったかもしれない。
 何とかして最初の画面に戻そうと、もう一度画面に触ってみると、突然文字が現れた。
 その文章を見て息が止まる。
『時の繰り返しは秘密にしておかなければならない』
 明らかに私の置かれた状況を指す言葉。どうしてこの板切れはそれを知っている。
 何故か胸が苦しくなる。酷く嫌な胸騒ぎが心臓の鼓動を早くする。
 視野が狭窄して耳鳴りが酷い。
 吐き気を感じて、思わず板切れを床に叩きつけそうになった。
「どうしました、咲夜さん」
 霖之助に声を掛けられた事で救われた。
「何処か具合が悪いのですか?」
「いえ。ただ少しこの板切れを見ていたら」
 板切れを霖之助に見せると、驚いた様な声を上げた。
「咲夜さん、あいぱっどを使えるんですか?」
「はい? あいぱっど?」
「その機械の名前ですよ。色色な事に使えるみたいなんですが、使い方が良く分からなくて。まだまだ調べている最中だったんです」
 ならばこの文章は霖之助が書いたのだろうか。
 その疑問を、霖之助があっさりと否定した。
「しかしどうしてこんな文章を?」
「これは……霖之助さんが書いたのでは」
「いいえ、まさか。そもそもその文章の意味が分かりません」
「では誰が?」
「ですから、咲夜さんじゃないんですか?」
 私ではない。霖之助でもない。だったら一体誰が。私の他にも時が繰り返している事を知っている者が居る?
「他に心当たりのある方は居ないんですか?」
「いいえ、誰も。そもそもそれは今朝拾ってきた物で、それからずっと調べていたので私以外は誰も」
 ならば前の持ち主が? あるいは落ちているのを拾わなかった誰か?
 どちらにしても手がかりは希薄だ。
「そうですか」
「もしかしたらそういう機能なのかもしれませんね」
 いや、その筈は無い。そうだとすればあまりにも偶然がすぎる。時の繰り返しなんて。
「ま、それはまだ売り物じゃありませんので。それよりお買い上げになったこちらを」
 文章の事を究明したかったが、手掛かりが全く無い以上、この場で詮索していても無駄だろう。
 仕方なく、霖之助が持ってきたカラオケの機械に異常が無い事を調べて、その場を後にした。

   権力者達の茶番じみた第二章

 何とか宴会の準備を追えて、皆で妖怪の山へ行くと、設営した舞台が妖怪達に占拠されていた。準備した食事やお酒を食い飲み荒らす妖怪、舞台の上で熱狂する妖怪、従者達は隅っこで震えているが、中には妖怪と共に騒いでいるのもいる。
「咲夜、これは?」
 お嬢様にそう問われても、答え様が無い。
 呆然としていると、妖怪達が何人か寄って来て、挨拶でもするのかと思ったら、従者の一人が抱えるカラオケを奪って持って行った。
 よし、みんな殺そう。
 そう思って、一歩踏み出すと、目の前に鬼が立った。
「や、悪いね。態態飲み会の用意なんかしてもらっちゃってさ」
 萃香という名の鬼は快活に笑っている。その眉間にナイフを投げようか迷ったが、ここで戦いになるとお嬢様達にも危害が加わってしまうので踏みとどまった。
「仰っている意味が分かりませんが」
「え? 今日の交流会に飛び入り参加しに来たんじゃないの?」
「いいえ」
「じゃあ、何で宴会の用意なんかしてたの?」
「宴会をする為です。私達だけで」
 すると萃香は肩をすくめて溜息を吐いた。こいつ分かってねえなぁという態度である。
「あんた等なあ。はあ。全く余所者は」
「というと?」
「あのね、妖怪の山はあんた等の物じゃない。だったら宴会する時だってちゃんと仁義を切って許可をもらうのが筋ってものだろう?」
「成程」
 くそくだらない慣習だが、言い分は分からないでもない。無断でというのは確かにまずかった。私の落ち度だ。
「では今から挨拶をすれば、皆さん退いてくださいますか?」
「今更でしょうが。もう妖怪の宴は始まっている。ではどうすれば良いのかというと、あんた等が飛び入り参加すれば良い。宴会の準備をしたって事で心証は良いし、人数は多い方が良い。あんた等の宴会の準備は無駄にならないし、こちらだって無断で宴会をしようとした無法者を成敗するなんていう辛気臭い事をしなくても良い」
 どうだと問いかけてきた。
 成程。悪くない。が、おいそれと受け入れる事は出来ない。紅魔館の格に関わる。
 私が言い返そうと、言葉を探していると、お嬢様が前に立った。
「それで結構。で、誰に挨拶をすれば良いの?」
「お嬢様!」
 慌てて止めようとするが、お嬢様は振り返って私を睨んだ。
「ここは彼女等のテリトリー。ならばその法に従わなければならないわ」
「しかしそれではお嬢様の沽券に」
「咲夜、あまりみっともない真似をしないで頂戴」
 お嬢様は更に目付きを強めて私を射すくめると、鬼に向き直った。
「家の従者の非礼を詫びるわ」
「何、今日は無礼講。それと宴会を預かる総代はこの私。だから挨拶はもう良いよ。それより飲もう」
 そう言うと、盃をお嬢様へ差し出した。
 何が入っているのか分からないから止めようとするが、やっぱり睨まれて立ち止まる。
 そうしてお嬢様は盃を盛大に飲み干して、皆に言った。
「それじゃあ、楽しむわよ! こんな田舎者なんか酔潰しなさいよ!」
 従者達の歓声が上がる。すると萃香が面白そうに手を振り上げた。
「おい! 手前等! 紅魔館の吸血鬼様が喧嘩を売りに来てくださったぞ! 存分に飲ませて潰してやれ!」
 妖怪達の方からも歓声が上がり、宴会が始まった。

   祭りの中の胡散臭い第三章

 私は一人で木にもたれ、水を飲んでいた。
 既に宴会はたけなわで、今は最後の締めとばかりに、美鈴と萃香が飲み比べをしている。もう既に酒樽が山積みになっているが、二人共休む様子が無い。化物だと思う。お嬢様とフラン様は近くでメイド達と共に水を飲みながら、それを観戦している。随分と飲んだ様子で皆ふらついている。観戦している妖怪達も美鈴と萃香の対決に熱狂した歓声を上げているが、既に飲み過ぎたのだろう、未だに酒を手にしている酒豪は少数だ。観戦する輪から少し離れると、酔い潰れて倒れた妖怪達や従者達が屍を作っている。小悪魔達の群がっている一角ではパチュリー様がぶっ倒れていて、そのパチュリー様と接戦を繰り広げた早苗が二柱に介抱されている。二人は紅魔館と妖怪の山の飲み合い対決の一戦で、最初の一杯を飲み干した瞬間からふらつき始め、それから一杯も飲まずに三分後、ほとんど同時に倒れて勝負がついた。地面に着いた差で早苗の勝ちだったが、洋酒であればもしかしたらパチュリー様が勝っていたかもしれない。ちなみに私は早早に脱落したので今は大分落ち着いてきている。一番槍を努めたが、流石に天狗一人を倒したところで限界だった。
 惨憺たる光景を眺めていると、誰かが近寄ってきた。見ると河童のにとりだった。
「咲夜さんはあんまり酔っていないんですねぇ」
 随分と酔っている様子で間延びした声になっている。
「大丈夫ですか?」
「ええええ、全然全然。まだまだこれからですよぉ」
 そう言ってとっくりを振り上げた拍子に、酒が辺りに飛び散った。あまり大丈夫には見えない。
 心配しているとにとりは私の事を見つめて急ににやつきだした。不気味だ。
「何か?」
「いいえ、何でも。ただ随分と良い結果が出ているなって」
「良い結果?」
「あ、そうそう。懐中時計の具合はどうですか? ルナダイアルでしたっけ?」
「え? 私の時計? それが何か?」
「壊れたから直したんじゃないですか。今日納品した筈ですけど、まだ渡ってないんですか?」
「いえ、でも」
 私の懐中時計はずっと私の手にあった。ずっと昔から今日という日まで。壊れたなんて。
 いや、違う。確かに昔あった。壊れた事が。
 あれは。
「一週間位前に美鈴さんが持ち込んできて、直して欲しいって。あれ? もしかして咲夜さんのじゃない? いや、でも咲夜さんのだって言ってた気がするんだけどなぁ」
 一週間前? いや、そんな最近ではない。もっと昔だ。もっと昔に壊れて、直してもらって。
 昔に。
 いつだ?
 幻想郷に来てからの事だから、そこまで昔の筈が無い。そうしてそんな事があれば忘れる筈が無い。それなのに、何故か時期がはっきりしない。一体あれはいつの事だった。
「あ、もしかしていきなり渡して驚かせようとしてたのかなぁ。だったら悪い事しちゃったなぁ」
 私が悩んでいると、にとりを呼ぶ声があった。
「あ、呼ばれてる。じゃ、行きますね。今話した事は忘れて下さい」
 止める間もなく言ってしまった。河童達は向こうでカラオケの機械を弄っている。研究熱心な事だ。
 懐中時計を取り出して、じっくりと眺める。
 何らおかしいところは無い。
 でも、じゃあ、今の話は。
 考えている内に思い出した。
 時が繰り返しているのだった。そう今日という日が何度も何度もやって来ているのだ。そうしてその原因はこの懐中時計だった筈だ。もしや今の話もその時の繰り返しに何か関係が。
「何を悩んでいるの?」
 声を掛けられて顔を上げると、そこにスキマ妖怪の紫が居た。
「こういう時は楽しそうにしているものよ」
「失礼いたしました」
 嫌な奴に捕まった。あまり紫に良い印象は無い。いつも物事を自分の掌に載せて弄んでいるイメージだ。
「横を失礼するわよ」
 出来れば何処かへ行って欲しかったが、紫はどっこいしょと言って私の横に座り込んだ。逃げられそうにない。ならば出来るだけ穏便に済ませたい。
「紫さんも参加なされていたんですか? お姿を見かけませんでしたが」
「ええ、お呼ばれしてね。藍と橙の三人で。ただ盛り上がっているところから少し離れていたからね。あまり私が姿を見せると怖がるのが居るから」
 紫の見つめる先を見ると、酔い潰れた狐が猫に看病されていた。
「まあ、程よく楽しませてもらっているわ」
 そう言って、紫は膝を伸ばし、その上で両の指を絡めた。私の事を見つめてくる気配があって、視線を向けると熱っぽく潤んだ瞳をしていた。
「今日は随分と綺麗ね」
「はあ」
 思わず間の抜けた返事になって目を逸らした。まさかこいつそういった気があるのか? 嫌な想像に全身の毛が逆立つ思いでいると、紫は絡めた指をのたくらせながら身を寄せてくる。気持ち悪い。
「昨日とは大違い」
 私の耳に顔を近付け囁いてきた。
「それも時が繰り返しているのが原因?」
 一瞬思考が追いつかず、呆然としたが、すぐに飛び退いて、紫を睨みつける。
 まさかこんな形で元凶が見つかるとは。
 警戒しつつとっておきの妖剣を取り出すと、紫は笑って手を振った。
「勘違いしないでよ。その原因は私じゃないわ」
「信用出来ない。ならどうして時が繰り返している事を知っている」
「アイパッドを見ただけよ」
「あいぱっど?」
 何処かで聞いた気が。
「香霖堂であなた見ていたでしょ? アイパッド」
 思い出した。あの奇妙な文章が映しだされた機械だ。
「その様子を覗き見してたら随分と妙な反応をしてたから、気になって聞いてみたの。そうしたらまたそんな反応でしょ。どうやって探ろうかあれこれ考えていたのに拍子抜け」
 私は妖剣を収めた。要は私が間抜けだっただけだ。
 苛立つままに紫を睨んでいると、紫は何処吹く風で笑みを見せながらはっきりと言った。
「で、あなたが犯人なんだ?」
 その言葉に再び衝撃を受けた。頭が混乱する。確かに私の時計の所為で時が繰り返しているのだから、それは私の責任だ。だがどうしてそれが分かったのか。
「何故?」
「だってそうでしょ? 時が繰り返している事を知っている者が犯人だって、あなたは思っている。だとしたら、時が繰り返している事を知っていたあなたは犯人じゃない」
 私が呆気にとられていると、紫はまた笑った。
「また図星? 分り易いわね、あなた」
 そう言って大笑いする。また鎌を掛けられた様だ。どうやら人をからかうのが心底好きらしい。
 睨みつけると、紫はやがて笑みを収めたが、表情はまだ嬉しそうだ。
「それで原因は? あなたの能力が暴走でもしたの?」
「恐らくこの時計が」
 そう言って懐中時計を見せると、紫は不思議そうな顔をする。
「ああ、この前の騒動でおかしくなったのね。でもただの時計がどうして」
 紫は考える様に空を見上げていたが、やがて諦めた様子で息を吐いた。
「ま、時間を操るあなたと一緒に居たから影響されたのかもしれないわね。ありがちありがち」
 そんな事が良くあっては堪らない。その言で行くと、紫の身の回りの物は境界を操れる事になってしまう。
「さて、それで解決方法は?」
「それがさっぱり」
「さっぱり? どうして?」
「どうしてと言われても。そもそもまだ本当に時が繰り返しているのか確信がないので」
「何故?」
「何故と言われても」
「時が繰り返しているのよね。だとしたら前の記憶は?」
「ほとんどありません」
「そう。成程ね。じゃあ、何回繰り返されたのかも分からないわけ?」
「ええ、そうですね」
 紫が得心の言った様子で「成程ね」と呟いてから、「だからか」と言って疲れた様に溜息を吐いた。
「何が、だから何ですか?」
「恐らく膨大な時間を繰り返しているのよ。途方も無い位」
 膨大な時間を繰り返している?
 何故紫にはそれが分かる。先程から紫が自分の一歩先を行っている様で不快だった。
「今日だけで色々とあったのよ。全部時が繰り返した所為なのね」
「良く意味が」
「あなた、何かここのところ美容に気を遣っていない?」
「え、えっと」
 何となく気恥ずかしいくて、言い淀んだ。確かに最近河童印のエステローラーを使い始めた。別に美容に気を遣おうとかではなく、偶偶試作品のモニターになって欲しいと頼まれたから試していただけなのだが。使ってすぐに効果を実感はしたもののそれが何だというのだろう。
「河童印のエステローラーを」
「ああ、それだ。あいつ等の作る物だから謎テクノロジーの塊よ、きっとそれ。それが繰り返す時間の中で延延と使い続けてきた事で、あなたの美貌が際限なく増加しているのよ」
「いや、そんな馬鹿な」
 何だそれ。
「他にもデジャビュが今日は頻繁に起こる。それにドッペルゲンガーを見たなんて話もあったわね。これはきっと繰り返した時間の残り香を嗅いでいるのでしょうね」
 私が口を挟む間もなく、紫は話を進めていく。
「それから打出の小槌だって、また魔力が戻っているし」
「魔力が戻った?」
「ええ、とにかくそういう異変がそこかしこで起こっているの。このままじゃ幻想郷が崩壊するわ」
 あっさりと紫が言った。幻想郷の危機だという割にのんびりとしている。
「今日は犯人探しで来たっていうのもあるの」
「然様で」
「はあ、でもまさかそれが時間の繰り返しだったなんてね。道理で原因が掴めない訳だ」
「あの」
 何だか少し申し訳なくなる。というより怖くなった。自分の持ち物がまさかそんな大事を引き起こそうとしているなんて。未だに実感が湧かないけれど。
「あの、私はどうすれば」
「どうすれば? そのままで良いんじゃないの?」
「え?」
「だってそうすれば、あなたはずっと死ぬ事が無い。この日常を永遠に繰り返す事が出来る」
 確かに魅力的だ。だがそれを受け入れる訳にはいかない。
「私は寿命のある人として生きていきますから」
「そうしてこの繰り返す時間の中で、人は永遠に生きる生き物になれるのよ」
 魅力的でしょう、と紫が言った。私は首を横に振る。
「残念ですが、お嬢様が飽きているんですよ。その繰り返す時間にね」
「その為に永遠の生を捨てるの?」
「お嬢様の幸せなくして私という存在はありません」
 私がはっきり宣言すると、紫は途端にくつくつと笑い始めた。
「安心したわ。あなたがループを望んでいない様で」
「はあ。つまり試した訳ですか?」
「ええ。性格診断みたいなものね」
「とりあえず合格した様で何よりです」
「ええ、全く」
「それで私はどうすれば?」
「その時計を壊せば良いんじゃないの?」
「え? いや、でもそれは」
 時計を壊せば何か悪い事が起きる気がする。時計を庇う様に背を向けると、紫が頷いた。
「ま、そうよね。それだけじゃ解決する訳がない」
「え?」
「だってそう何度も繰り返していて、時計が原因だって分かっているのなら、一回位壊すでしょ? それなのに時間が元に戻っていないのなら、きっとそれだけじゃ足りないんじゃない? あるいは別の理由があるか」
 確かに言われてみればその通りだが、それはもっと恐ろしい事を示唆している。
「でもそれでは、そんなに何度も繰り返しているのに、時間が元に戻っていないという事は解決する術が無いのでは?」
「いいえ。だって時間が繰り返す事で少しずつその残滓が蓄積しているんだもの。それが溢れきれば解決の糸口が見つかるかもしれない。いいえ、もしかしたらもう溢れているのかも」
 紫の確信を持った言葉に僅かながら希望が湧いた。

   信用ならない自己犠牲の第三章

 その希望に手繰り寄せられる様に言葉が口をつく。
「では私はどうすれば」
「待って頂戴」
 そう言って紫が目を瞑る。
「今から時間の境界をこじ開けるから」
「時間の境界をこじ開ける?」
「繰り返してきた過去を覗いてみる。そこから何か糸口が見つかるかも」
 もしもそんな事が出来るのなら、本当に何とかなるのかもしれない。
 私が期待に満ちた思いで見つめていると、紫はやがて大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出し始めた。その吐息が止まると、紫は言った。
「行くわよ」
 その瞬間、紫の体がぐにゃりと圧し曲がった様に歪んだ。
「え?」
 私と紫、二人の呆けた声が重なった。
「何これ?」
 紫が焦った様子で何か動いている。ただ圧し曲がり、更に捻じ曲がり始めた紫の体は、既に何をしているのか判別不可能だった。
「まさか、そういう事?」
 紫が焦った様に独り言ちているが私には何の事だか分からない。助けてあげたかったが、どうすれば良いのかも分からなかった。
 私がうろたえていると、捻じ曲がり圧縮され始めた紫が怒鳴る。
「咲夜、聞きなさい。この異変はあなたじゃないと解決出来ない。そうでないと酷い妨害が」
 紫の声にノイズが走り一瞬聞き取れなくなった。
「何とか次の時間に私の記憶を」
 ノイズ混じりの声が私に訴えかけてくる。
 紫の圧縮は更に続き、ほとんど球状になって更に縮む。
「もうすぐ雨が降る」
 どす黒い小さな球体になった紫から酷いノイズが漏れている。
「藍と橙をお願い」
 そうして消えた。
 後には何も残らなかった。
 目の前で起こった出来事を信じられない気持ちで、じっと紫が消えた場所を見つめていると、突然遠くで歓声があがった。皆が集っている方を見ると、どうやら美鈴と萃香二人共に限界を迎えたらしく、飲んだ物を盛大に吐き出している。それを周りが囃し立てている。
 何だかちぐはぐとした気持ちだった。たった今、紫に起きた悲劇と、遠くで起こっている騒ぎがどうにも結びつかずに、何だか夢の中に居る様だった。
 呆然としていると、騒いでいる中に藍と橙の姿を見かけた。
 今起こった事を伝えた方が良いのだろうか。あなたの主人は消えてしまいましたよ、と。けれど私自身、未だに実感が湧いていない。結局どうすれば良いのか分からないが、立ち尽くしていても仕方が無い。
 騒ぎの場所へ近づいていく。
 すると誰かが悲鳴混じりに叫んだ。
「おい! これやばいぞ!」
 それを合図とした様に、そこら中から悲鳴が響き始めた。大勢の群衆に隠されて、何がやばいのか良く分からない。
「火を消せ! 電気も!」
 そんな声が響いて、幾人かが輪を離れ、篝火や電灯を消し始めた。
「あ! あそこのバーナー使ってる河童共を止めろ!」
 その叫びが聞こえた時、唐突に空気が変わったかと思うと、凄まじい酒気がやってきて、私の目を焼き喉を焼き鼻を焼いた。涙で前が見えなくなって、咳き込んでいると、突然虫の羽音の様な耳障りな音が聞こえてきて、その瞬間凄まじい轟音と熱気が襲いかかってきた。衝撃を受けて吹き飛ばされ、頭を打って瞼の奥の闇が一層暗く染まる。判然としない意識の中、更に数度轟音を聞いた。凄まじい熱気が肌を焼いている。
「咲夜さん」
 朦朧とした意識の中、声を聞いた。
「咲夜さん起きて下さい」
 声に導かれる様に目を開けると、美鈴の心配そうな顔があった。
「咲夜さん! 大丈夫でしたか?」
「美鈴……一体」
 美鈴が悲しげに表情を歪める。
「私と萃香さんの吐いたアルコールに引火したんです。それで凄い爆発が」
 爆発? なら私はそれに巻き込まれて。
 けれど少し意識が朦朧としているだけで、痛みは無かった。
 そうして目の前の美鈴を見て、息を飲む。
「美鈴、あなた私を庇って」
「咲夜さんがご無事で良かったです」
 私は無事だ。
 けれど美鈴は爆発の煽りをもろに受けていた。
「服が」
 服が完全に焼けて、素っ裸になった美鈴が私に覆いかぶさっていた。
「あの程度の爆発平気なんですけど、流石に服は」
 そのみすぼらしい姿に思わず涙が出そうになった。体が平気だからと言って、素っ裸になって平気な訳が無い。幾ら妖怪でも。
 妖怪?
 じゃあ、
「お嬢様は?」
 美鈴の顎に頭をぶつけつつ慌てて起き上がって辺りを見回すと、森が燃えていた。さっきまでの愉快な騒ぎは消え去って、燃え盛る森の中、ある者は泣き、ある者は呆然としている。その中にお嬢様達を見つけた。
「お嬢様!」
 叫ぶと、お嬢様達が私の姿を認めて立ち上がる。お嬢様もフラン様もその周りのメイド達もみんな裸だった。フラン様が泣きながら駆け寄ってきて私に抱きついてきた。
「咲夜ぁ! 私の服がぁ!」
「フラン様」
 何と言って慰めて良いのか分からず、ただフラン様を抱きしめていると、お嬢様が歩み寄ってきた。
「咲夜、無事だったの?」
「はい、私は」
「そう、何より。でも私達はみんな服が焼けてしまったわ」
 お嬢様が自嘲する。何だか無事で居た事が恥ずかしく思えてきた。お嬢様達はこんなにも苦しんでいるのに。
 お嬢様は辺りを見回して、木木を焼きつくさんとする燃え盛る火炎を眺めて、沈鬱そうに言った。
「まずいわね。この火事、下手をすると山一つじゃ済まないかも」
 確かに凄まじい火勢で容易に鎮火できそうにない。このままでは山が丸裸になる。
「皆さん、気をつけて下さい! 今から雨を降らせます!」
 広場の中心でそう叫んだのは早苗だった。未だに酒が抜けていないのかふらつく足で立ちながら、空を指さして何か呟いている。早苗の服は無事だが、その傍らに立つ二柱は裸だった。
「気を付けろって言ったって傘も無いんじゃ」
 お嬢様がそう呟いた瞬間、雫が髪にかかった。そうかと思うと、雫の量は一気に増して、瞬く間に豪雨となった。一寸先が見えない程の雨量の中、お嬢様とフラン様の悲鳴が響く。
「雨が」
「お姉様、助けて。力が」
 まずい。
 フラン様を抱き締め、声を頼りにお嬢様を掴んで引き寄せるが、豪雨を防ぐ手立てが無い。腕の中で少しずつ力の抜けていく二人を抱きしめながら途方に暮れる。
「咲夜さん、とにかく何処か雨宿りの出来る場所を探しましょう」
「雨宿りと言っても」
 辺りの木は焼け焦げている。他を探しても雨宿り出来そうな場所は何処にも無い。
「咲夜」
 お嬢様の弱弱しい声を聞いて、何とかしなければと気は焦るが、出来る事が無い。見える範囲に雨を凌げる場所は無く、時を止めて二人を連れたとしても適当な場所が見つからなければ、雨の山中で孤立する事になる。
 どうしようもなくて困り果てていると、早苗の言葉が響いた。
「皆さん! この雨はしばらく止められません! 止むまでは守矢神社を開放します! 水に弱い方から優先的に受け入れますから、皆さんご協力下さい!」

   降りしきる闇の中の第四章

 助かった。
 守矢神社へ行けば雨が凌げる。
 早苗の誘導に合わせて妖怪達が移動を始める。流石に守矢神社でこの場に居る全ての者を匿う事は出来ないだろう。だがとりあえずはお嬢様とフラン様のお二人さえ受け入れてもらえればそれで良い。
「行きましょう、美鈴。フラン様をお願い」
「はい」
 お嬢様を抱えて移動する妖怪の後をついていこうとすると、突然体に当たっていた雨が止んだ。もしやもう晴れたのかと上を見上げると、萃香の巨大な顔があった。
「神社に着くまでは私が傘になるぞぉ!」
 酔っ払った大声が降ってくる。辺りの妖怪達が歓声を上げた。
「正直まだ気持ち悪いから、もしも吐いちまったらごめんな!」
 辺りの妖怪達が悲鳴を上げる。
 そう言えば、美鈴も萃香と同じだけ飲んでいた筈だが大丈夫だろうか。
 美鈴を見ると、幾分気分の悪そうな顔を向けてきた。
「大丈夫です。宴会の間ずっと飲んでいた萃香さんと違って私は最後の対決まではほとんど飲んでませんでしたから」
 言葉とは裏腹に時折胸を押さえて苦しそうにしている。背中に乗ったフラン様が心配そうに美鈴の顔を覗き込んだ。
「美鈴、私なら大丈夫だよ。もう雨も止んだし」
「そうよ。咲夜も下ろしなさい」
 お嬢様も同調したが、美鈴がそれを突っぱねた。
「いえ、まだ地面は水が流れていますから。とにかく神社に着くまでは」
「その通りです。けれど美鈴、辛かったら誰か他の者に」
 言いかけて、全く別の事に気がついた。水に弱い妖怪がまだ居る。そうしてその二人は招かれた客であり、更に宴中も中心から外れた場所に居た。そうして私はその二人を頼まれていた。
 もしかしたらあの二人の式神はまだ雨の中、取り残されているかもしれない。
「お嬢様、申し訳ございません」
「どうしたの?」
「守らなければならない約束がございます。あちらは命を掛けてくださいました。私もそれに応えなければ」
 思わず時が繰り返している事を漏らしそうになったが、ただでさえ面倒になっている今の状況でお嬢様に余計な心配をかけさせたくなかった。それにあのあいぱっどに表示されていた言葉も気になる。
 お嬢様は意外そうに息を止めたが、すぐにまるで笑う様に小さく息を吐いた。
「良く分からないけど、でも行きたいのなら止めないわよ。好きにやりなさい。私達は大丈夫だから」
 事情も聞かずに承諾してくれた事を嬉しく思う。
「ありがとうございます。誰かお嬢様を」
 メイドにお嬢様を託すと、私は流れに逆らって焼け焦げた広場へ戻った。戻ると一匹の狐がうろついているのが見えた。恐らく式神の藍だと思い、近寄ってみる。
「スキマ妖怪の式神ですね?」
 私が声を掛けると、狐が顔を上げた。
「紅魔館のメイドか。何をしに?」
「あなた方を助けに参りました。式は雨に弱いと聞いた覚えがあります」
「ああ、それは態態どうも。でも式は剥がれるが行動に支障は無いから心配は御無用。橙も橙の知り合いが運んでくれているし」
「ならば何故あなたはここに? ここはただの焼け野原。幾ら雨に濡れて大丈夫とはいえ、ここに居る意味は無いでしょう?」
「紫様が居ないんだ」
 藍が呻く様に言った。
 そういう事か。
 胸が衝かれた様に痛かった。
 主人を探しているのだ。既に消えてしまった事を知らないから。事情を知っている身として、そしてその主人の消失した元凶になった身として、罪悪感で一杯になる。
「守矢神社へ向かう妖怪の群れに居なかった。隙間で何処かへ逃げたのなら良いのだけれど、それにしても私達に何の断りも無く何処かへ一人だけ逃げるなんて」
 藍が地面を嗅ぐ様に頭を垂れて鼻をすする。
「もう匂いも雨で流されてしまったし、一体何処に居るのか」
 何と言えば良いのか分からなかった。
 これ以上徒労を続けない為にも、あなたの主人はさっき消えましたと言えば良いのか。
 あるいは悲しまない様に、適当な嘘を言って誤魔化せば良いのか。
 どうすれば良いのか分からないでいると、藍が私を見上げてきた。
「あなたは紫様が何処へ行ったのか知らないか?」
「いえ、残念ながら。きっと守矢神社に行かれたのでは?」
 反射的にそう言っていた。本当の事を言うのが怖くて嘘を言った。知っているのに。もう消えてしまったのに。私が原因なのに。ただ自分が逃げる為の嘘を。
 私が罪悪感に苛まれている事には気が付かずに、藍は「そうか」と言って項垂れた。
 かと思うと再び顔を上げる。
「待て! ならばどうして私達を助けようと来た。お前と私は何の関係も無い筈だ」
 そう言って足元に寄ってくる。
 思わず後ずさると、更に寄ってくる。
「もしかして紫様に何かを言われたんじゃないのか? もしかして私達を助ける様に頼まれたんじゃ」
 あっさりと見ぬかれて、背中に冷や汗が浮いてきた。藍の声音があまりにも鬼気迫っていて、下手な事を答えれば殺されかねない雰囲気があった。
「何処だ! 紫様は何処に居る!」
「知らない」
 また、嘘を吐いた。
「ただ式は水に弱いというのを思い出して心配で見に来ただけです」
「あんたがそんな性格の奴だとは思わなかったが」
「困っている方を助けようとするのは万人の行動原理でしょう」
 藍はしばらく私の事を睨んでいたが、やがて「そうか」と言って項垂れた。
「すまなかった。折角心配で来てくれたというのに、疑う様な真似を」
「いえ。その、主人を心配する気持ちは私も良く分かりますので」
「もしも紫様を見掛けたら守矢神社で待っていていただく様に言ってくれないか? 私ももう少し辺りを調べたら向かうから」
「ええ、構いません。ですが、この雨の中、本当に大丈夫ですか? なんなら一緒に探しますが」
「お心遣い感謝する。だがあなたにも主人が居るだろう。そちらに行くと良い。私は大丈夫だから」
 そう言うと、藍は背を向けて行ってしまった。
 その後姿を見送る私の心臓は、けたたましく鳴っていた。
 藍は何処か森の奥へと消えていった。そちらは守矢の神社とは全然別方向で、きっと野生に戻ったのだろうと勝手な想像が湧いた。主人がもうこの世に居ない事に気がついて俗世を離れたのだろうと。
 それはまさしくそうである様な気もする。主人の死を知ってその後を追い、己を殺そうとするのは美しい。けれど間違っている様な気もする。あっさりと主人を見限ってしまうのを信じられない。
 その捻くれたちぐはぐな感情に齟齬を感じた。その齟齬は段段と大きくなんて、やがて私の認識に一つの疑惑を突きつけた。
 お嬢様は屋敷の者達と守矢神社に避難していると思っていた。
 けれど本当にお嬢様は守矢神社に居るのだろうか。
 嘘の様に思えた。
 轟轟と降り注ぐ雨に濡れて体中が重たい。その重たさが自分の間違いを証明している気がした。
 お嬢様は吸血鬼だ。紅魔館の主だ。ならば紅魔館に居る事が自然に思えた。それなのに紅魔館ではなく、守矢神社に居ると思っていた。その勘違いには何か悪意の含まれた作為を感じた。もし自分の勘違いが何者かによる悪意だとすれば。
 嫌な予感がじわりと背中の辺りに滲み出てきた。
 気がつくと、私は紅魔館に向けて走っていた。ざんざんばらりと降り注ぐ雨の中、張り付いてくる雨水が鼻と口に容赦なく降りかかってきて溺れる様な心地で、川の様に流れる洪水に足をとられながら走り続ける事しばらく。唐突に雨の壁を越えて、全くの晴れ渡った夜空に飛び出した。振り返るとすぐ後ろに湖があって、そこへ滝の様な雨が降り注いでいる。湖に背を向けると少し先に紅魔館が聳えていた。川岸が随分と館に近付いていた。
 門番の居ない門を抜けて、館へ入る。館の中は森閑としていて、誰の気配も無い。何か胸騒ぎを覚えてお嬢様の部屋へと向かおうとエントランスの階段に足を掛けると、二階から液体の飛び散る様な音が聞こえた。それっきり音が途絶える。何だろうと思って、踊り場まで駆け上がると、また液体の飛び散る音がした。
 強い血の臭いが漂ってくる。
 嫌な予感がした。
 見てはいけないと心で思うが、首はゆっくりと階上を振り向こうとする。
 また液体の飛び散る音がした。
 見てはいけないと心が警告している体が硬直して動かない。
 じっと床を見つめていると、階段の上から何かが転がり落ちてきた。
 私の足にそれがぶつかる。
 それは事切れたメイドだった。動かないまま首から血を吹き流していた。しばらく見ているとそれは煙の様に消え失せた。
 絨毯を踏みしめる音が階上から聞こえてきた。
 メイドを惨殺した人物が階上に居る。
 恐ろしかったが、ナイフを構えて、振り仰ぐ。
 階上にはお嬢様が立っていた。
 いや、違う。
 それはお嬢様の着ぐるみだった。血の降り掛かったパイル地の着ぐるみが血の垂れるナイフを握って階上に立っていた。私が息を飲んで見つめていると、着ぐるみはゆっくりと歩いてきて私の前に立った。笑顔のお嬢様が私の前に立っている。
 表情は見えないが、明確な殺意を受けた。
 恐ろしかった。
 笑顔のお嬢様が私を殺そうとしている。
 体が固まって指先一つ動かない。
 殺される。そう思った時、ナイフが闇の中で閃いた。
 お嬢様に殺されるのならそれも良いかもしれないとぼんやり思った。

 セーブしますか?
 はい。


   N+4周目
   正体不明の愛おしいプロローグ

 目を覚ますとそこは自室。ベッドの上で倒れていた。どうやら疲れて眠ってしまっていたらしい。時計を見ると秒針が止まっていた。私の能力で時が止まっている様だ。
 身を起こした瞬間、酷い耳鳴りが訪れた。耳の中で凄まじい量の雨が降り注ぎ、幾重もの悲鳴が散乱している。突然今見ている視界に別の視界が重なった。入り口を入り、エントランスの階段を上る。そんな幻視。踊り場まで上ると足元に血に濡れたメイドが転がって、見上げるとそこにはお嬢様の着ぐるみが立っていて私を殺しに来る。
 まだ寝ぼけているのか。変な夢だ。気味悪くて怖かった。抱き枕のお嬢様をもう一度抱き締めてからベッドの上を降りる。壁際に寄りかかったお嬢様の気ぐるみを見る。たった今夢で見た気ぐるみだ。いつもの通りそこにある。勿論勝手に動いたりはしない。気になって中を確かめてみたが誰も入っていない。安堵して息を吐くと立ち上がって部屋の中を見渡した。部屋の中には私とお嬢様の人形達だけ。何も恐れる事は無い。鏡の前に座って髪を梳かす。鏡の中に描かれたお嬢様の絵が鏡に写った私にキスをしてくれる。幸福を味わいながら、お嬢様の人形が抱きしめている置き時計を見ると、秒針が動き出そうとしていた。そろそろ時を止めているのも限界だ。私は先程の悪夢が気になりつつも、お嬢様が居るであろうダイニングへ向かった。
 お嬢様は紅茶を飲もうとする格好で固まっていた。その愛らしい姿を見つめているとふと以前もその光景を見た気がした。
 幻想郷は同じ時間を繰り返している。
 不意にそんな確信を得た。その着想が何処から来たのかは分からないけれど、根拠も無くそれが正しい事の様に思えた。
 時が動き出す。
 紅茶を注ぐ。
「あら、ありがとう咲夜」
 お嬢様が紅茶を飲んで、微笑みながらそう言った。今は悩む必要は無い。お嬢様を前にしている間は、ただお嬢様の笑顔を絶やさない事だけを考えていれば良い。
「咲夜、そろそろ寝るわ」
「畏まりました」
「咲夜は今日何か予定でもあるの? 私が寝ている間」
「今日は……少し遠出をしようと思います?」
「何処へ?」
「当ても無く。何かそうしなければいけない様な気がして」
 何かこの幻想郷で異変が起こっている。どうしてか分からないけれど、夕方を過ぎると酷い事になるという予感があった。ならばその原因を探らなければならない。いつもの事だ。
「良く分からないけれど、ま、勝手におやりなさい」
「はい」
「じゃあ、私は一眠りするから」
「畏まりました」
 お嬢様は眠そうに一つ欠伸をして部屋へと戻っていく。さて一体何をしよう。

   新たなる無関心な第一章

 お嬢様と別れて階段を降りていると、フラン様に出会った。盛大な勢いで廊下を走っていた。私が呼びかけると、フラン様は足を止めて実に嬉しそうな顔を振り向かせた。大変可愛らしい様子だが、心を鬼にする。
「フラン様、廊下を走ってはいけません」
 途端に意気消沈した様子でフラン様は項垂れる。胸の痛くなる光景だが、叱る者は毅然としていなければならない。私が黙ってフラン様を見つめていると、フラン様はやがて頭を下げた。
「はい、ごめんなさい」
「お気をつけ下さい」
「うん」
 フラン様は項垂れたまま去ろうとして、不意に顔を上げた。
「あ、そうだ。咲夜、パチュリーが呼んでたよ」
「パチュリー様が?」
 一体何の用だろうと疑問に思う。
「何故?」
「知らない」
「急いでいる様でしたか?」
「ううん」
 そこまで急ぎでは無い様だ。とはいえ、少し気になる。伝言をしてくださったフラン様に礼を言って図書館へ向かった。
 図書館はいつもの通り湿気じみていて、小悪魔達がお喋りをしながら立ち働き、パチュリー様が難しい顔をして本を読んでいた。
「パチュリー様」
 私が声を掛けると、パチュリー様は顔を上げて不思議そうな表情をした。
「どうしたの?」
 思いがけないと言った顔をしているパチュリー様を奇妙に思いつつ、先程フラン様から伝言を聞いて承りに来たと伝えると、やはりパチュリー様は心当たりが無い様だった。
「あの子の勘違いじゃない?」
 そうかもしれない。
「あ、そう言えば、今日は何だか外の魔力がおかしいわ。もしかしたら何か起こっているのかもね」
 パチュリー様はそれだけ言うと、また読書に戻られた。ご自分で仰られた異変には全く興味が無い様子だった。
 外の魔力。私には感じられなかったが、パチュリー様が言われるのなら確かなのだろう。この胸騒ぎの原因はそれかもしれない。原因を見極める為にも外を探索する事にした。
 屋敷を出る時に、門番の美鈴に声を掛けられた。
「あ、咲夜さん。お出かけですか?」
「ええ。ちょっとおかしな魔力があるらしくて」
「ああ、確かにそんな感じはありますね」
「ありますねって、だったら何とかしなさいよ」
「私は門番ですから、外の事に関心は持ちません。あくまでお屋敷の中が私の全てです」
 柄にも無く殊勝な事を言っているが、何か企んでいる様な心根が透けて見えた。
「咲夜さんもメイド頭。外へなんか行かずここでお話しませんか?」
「いいえ、私はやはり外が気になるから。屋敷はあなたに任せるわ」
「そうですか、残念です」
 本当に心底残念そうな顔をする美鈴は何だかいつもと違っている。ほんのりと頬を染めて、潤んだ瞳をしている。妙に艶かしかった。
「それじゃ」
「はい、お帰りの際は是非お話でも」
 何か気味の悪いものを感じつつ、屋敷を出た。
 幻想郷の中を当ても無く歩いていたが、異変らしい異変は見つからない。魔力というのが良く分からないから本当に暗闇の中を手探りで歩いている様な心地だった。そんな折、香霖堂が見えたので、何か光でも無いものかと立ち寄ってみた。
 香霖堂に着いて中に入ると、店主の霖之助が私の顔を見るなり不思議そうな顔をした。
「大丈夫ですか、咲夜さん」
「ええ、特に問題は」
「そうですか。いえ、ただ随分と疲れた顔をしているものだから」
 どうやら顔に出ていたらしい。何だか気恥ずかしい思いで、目を逸らす。店の中の物を眺めていくが面白そうな物は無い。最後は霖之助へと視線が戻る。霖之助は客をほっぽらかして黒い板状の何かを弄っていた。闇雲に指を這わせているのが気味悪い。
「それは、一体何を?」
 近寄って問いかけると、霖之助ははっとした様子で顔をあげて 頭を掻いた。
「あ、これは失礼。いえ、外の機械の操作の仕方を探っているところでして」
「外の機械?」
「あいぱっどというんですが。とにかく色色な事が出来るんですよ」
 そう楽しそうに笑って、そのあいぱっどを見せつけてきた。電子画面が私の前に差し出される。何だかごちゃごちゃとしていて良く分からない。
「例えば何が出来るんですか?」
「えーっと、例えば計算機として使えたり、電話を掛けたり、調べ物をしたり。とにかく沢山です」
「便利ですね。少し使ってみてくれませんか」
「ええ、良いですよ」
 霖之助は自信のある顔つきであいぱっどを操作し始めたが、しばらくたっても目的の事は出来ない様子で、困った様に画面の上で指を這わせ続けている。
「おかしいな。さっきは出来たんだけど」
「そんなに複雑ならメモの一つでもすれば良いんです」
「あ、メモの機能もあるんですよ」
「それはどうやって使うんですか?」
「えーっと。それはまだ判明していなくて」
 どうやらあいぱっどの機能を解明するのは前途多難な様だ。こちらとしてもあまり興味は無い。確かに便利そうではあるけれど、使いこなせそうになかった。
「それはそうと、霖之助さん」
「あ、はい、何でしょう。何かご入用ですか?」
「魔力を感じませんか?」
「魔力?」
 霖之助は訝しむ様な顔をして少し悩んでから、天井を指さした。
「それなら上から感じますが」
 上を見上げるが天井しか無い。急いで外へ出て、空を見上げると、逆さになった城が浮いていた。あの城が何故また?
 店の中に戻ると霖之助はまたあいぱっどの操作に没頭していた。
「霖之助さん」
 呼びかけると驚いた様子で顔をあげる。
「空にあんな物が浮いていたのにどうして気にならないんですか?」
「あなただって僕に言われるまでは気が付かなかったでしょう?」
 それは魔力を感じ取れなかった所為だ。
「あの城は僕とは関係がありませんから。餅は餅屋。霊夢か魔理沙が解決してくれるでしょう」
 そう言って、霖之助はまたあいぱっどを操作し始めた。

   空飛ぶ逆さの第二章

 逆さの城に行くと、一番下の最上層で小人と天邪鬼が何か話し合っていた。
「いや、だからさ、別に前回みたいに一大事にしようって訳じゃ無いんだよ?」
 天邪鬼が小人を諭そうとしている様で、小人は困った様子で打出の小槌を抱きしめている。
「でもやっぱり駄目だよ。反動が」
「そんな大した願いじゃないじゃん。それにここまで来てさぁ。城に気がついた巫女や魔法使いやメイドがまた襲いに来るよ」
 天邪鬼がそう言うと、小人はぱっと顔を明るくする。
「霊夢さんに一度相談して」
「いや、ちょっとちょっと。それじゃあ駄目だよ。あいつだって所詮は人間だよ? 小人の事なんか考えてくれるもんか」
「でも」
「長きに渡って陽の目を見る事が無かった小人がお日様の下で誰彼憚る事無くもう一度暮らしたい。その願いは誰かに責められる様な事か? その願いはそんなにも大それた事か? そんな細やかな願いにすら甚大な対価を要求するのが小人の秘宝なのか?」
 天邪鬼が如何にも必死と言った様子で小人に訴える。
「そんなんじゃあんまりだろ! どうして小人ばっかりが不幸で居なくちゃいけないんだ!」
 天邪鬼の叫びに、小人は身を震わせ、遂には涙を流し出した。それを天邪鬼が抱きしめる。
「誰かに迷惑をかける訳じゃない。ただ小人をこの世界に戻すだけだ。仮初の城と本物の城を入れ替えるだけだ。大丈夫。きっと上手くいく。だから」
「駄目だよ」
 小人が天邪鬼から身を離す。
「何で! 私が信じられないのか?」
「いいえ、信じるわ。きっとあなたは本当に私達小人の事を思って手伝ってくれてるって信じてる。けど鬼は違う。打出の小槌は鬼の秘宝。私達弱き者とは違う、強き者の秘宝。私達弱者の理論は通用しない。私達の幸せを願う思いは、鬼にとって貪り喰らって笑う糧でしか無いわ。前回の事で、私はようやくそれを知る事が出来た。だからもう打出の小槌は使えない」
 天邪鬼が苛立った様に頭を強く掻く。
「何だか追い詰める様だから、これだけは言いたく無かったんだけど」
「え?」
「実は打出の小槌の魔力が戻った事は幻想郷中に知れ渡っている。当たり前だろ? これだけ強大な代物なんだ。それで、この小槌を狙おうとする奴等がやってくる」
「でも小槌は小人でないと」
「だから、小人であるお前が狙われるんだよ! そうなる前に、早く魔力を使ってしまうんだ」
「でも」
「もう迷っている時間は」
 その時、天邪鬼の視線がこちらに向いた。どうやら気づかれたらしい。天邪鬼は小人の手を引いて背中に隠した。
「まずい! もうやって来た。この前の人間だ!」
「え?」
 天邪鬼の後ろから不安そうな声が漏れてきた。姿は見えないが怯えている様だ。
「さあ、早く! 襲われる前に小槌を」
「でも」
 天邪鬼が幾ら促しても小人は使う気配を見せない。天邪鬼は苛立った様に表情を歪めたが、私にもう一度視線をよこし、そして微かに口の端を釣り上げた、気がした。
「待て。どうやらあの人間様子がおかしいぞ?」
「どうしたの?」
「どうやら争う気が無い様だ」
 天邪鬼が何か言っている。
 確かに争う気は無いが。
 下手に口を出してもそれを変な方向に持って行かれそうなので黙っている事にした。
「そうだ。もしかしたらあの人間が願い事を叶えれば全部上手く行くかもしれない」
「どういう事?」
「あいつは人間だけど、強い側に居る。吸血鬼という鬼の傍に。そうしてあいつ自身も恐ろしく強い。だけれどこの幻想郷を守る為に前回私達を止めた。そんな正義の心を持っている」
 歯の浮く様な言葉の羅列の後に、天邪鬼は言った。
「あいつなら鬼の呪いを跳ね返せるかもしれない」
 無理だと思う。
「あいつに願ってもらうんだ。小人がこちらの世界に戻ってこれる様に」
「でも、私達小人の問題をあの人に肩代わりさせるなんて出来ないわ」
「そんな事を言っている場合か!」
 天邪鬼は小人を怒鳴りつけると、私を睨む。
「なあ、あんた! 幻想郷を救った英雄のあんたならこの哀れな小人の願いを叶えてくれるだろう?」
 馬鹿げた話だ。こちらに何のメリットもない。それで居て、鬼の呪いを受けろという。そんな馬鹿らしい話を聞ける訳が無い。まして天邪鬼。恐らくは小人の事なんてまるで考えていないに違いない。きっと天邪鬼の言葉に従っていれば、事態はどんどんと悪い方向へ進んでしまう。
「なあ、黙ってないで、こっちへ来て、こいつの願いを叶えてやってくれよ!」
 私がそれを突っぱねようとした時、天邪鬼の背中から小人が顔を覗かせて、不安そうな、心配そうな、けれど期待に満ちた、涙に潤んだ顔をこちらに覗かせた。
 その瞬間叫んでいた。
「叶えます!」
 小人の愛おしい表情を見た瞬間、全てが消し飛んでそう答えていた。卑怯な手だ。恐らく天邪鬼は、小人の愛らしさを前にすれば断りきれない事を見越していたに違いない。何て卑怯な。だが抗える筈がない。私が叶えると言った瞬間に浮かべた、小人の嬉しそうな、けれど罪悪感の滲んだ顔に私の理性が蕩かされる。
「そうだ! それでこそ」
「あんたはどっかに行ってなさい」
 私が睨むと、天邪鬼は身を震わせた。
「私は小人と話がある。叶える願いは小人の願い。あなたは関係ない」
 私が小人に近づいていくと、その前に立つ天邪鬼は恐れる様な表情になったが、けれど小人の前から退こうとはしなかった。
「ちょっと待て! お前、こいつに何をする気だ」
「だから願い事を叶えると言っているでしょう?」
「お前の目、何か危ない目を」
「退きなさい」
 天邪鬼が益益表情を強ばらせ態度を硬化させていく。
「待て。やっぱりお前は駄目だ」
 天邪鬼が後ろを振り向いて、小人を抱き上げようとしたが、小人はそれを避けて、私の下へ走ってきた。
「本当に良いんですか?」
 私はしゃがみ込んで小人に手を差し伸べる。
「勿論です。あなたの様な小人達が暗闇の中でしか生きてはならないなんて嘘だ」
 小人が私の手を握り返してくる。
「本当に良いんですね?」
「論を俟ちません。あなたの、いいえ、小人達の為に」
「分かりました。あなたの慈しみの心に感謝致します」
 そうして小人が手に持った打出の小槌を振り上げた。
 その時、視界の端で天邪鬼が指を鳴らすのが見えた。
 硬質な音が響くと、私の胸に打出の小槌が当たり、凄まじく甲高い音が辺りに撒き散らされる。思わず耳を塞いでしばらくじっとしていると、やがて音が鳴り止んだ。塞いでいた手を退けて立ち上がると、辺りは静寂に満ちている。いつの間に時間が経ったのか、外から差し込む光は夕焼け色に染まっていて、黄昏時の薄暗さと音の死んでしまった静寂は、世界が滅んでしまったと錯覚を覚えるのに十分な程の、身を締め付ける様な寂しさがあった。
「あれ? みんなは?」
 小人の呟きを聞いて我に返る。そう言えば、小人達の帰還を願った筈なのに、辺りに小人達の姿が無い。
「どうして? みんなは?」
 泣き出しそうな顔で辺りを見回している小人に、天邪鬼が言った。
「もしかしたら別の場所に現れたのかもしれないな」
 小人は一瞬天邪鬼と目を合わせたが、すぐに脇目もふらずに駈け出して何処かへ駆けだした。それを天邪鬼がお腹を抱えて声を抑えて笑いながら見送った。
 やがて小人が見えなくなると天邪鬼は蔑む様に私を見た。
「小槌の魔力は消えた様だから何か願いは叶えた筈だが、こうして何も無い事を見るに随分と小さくさもしい願いにひっくり返った様だな」
「どういう事?」
「何。お前が存外詰まらぬ小物だったというだけよ」
 何となく想像はつく。
 恐らく天邪鬼はその能力を使って、願い事を叶える際に細工をかけたのだろう。きっとその所為で小人の復活という願いは叶わず、別の願い事が叶ったに違いない。が、辺りを見回しても何の変化もない。天邪鬼の言う通り、ささいな願い事を叶えた事で終わったのだろう。その願いがどんな願いなのかは私自身にも分からないが。
 とりあえず天邪鬼を八つ裂きにして、館に帰る事にした。「ありがとうございます!」という天邪鬼を無視して、城の外に出ると辺りはすっかり暗くなっていた。

   大きくて無意味な第三章

 館に戻る途中、下界に妖怪を見つけた。人型のその妖怪は時折後ろを気にしながら、必死になって走っている。まだ少女といった年齢の女の子であった。
 気になってその妖怪の前に降り立つと、その妖怪は驚いた様子で立ち止まり悲鳴を上げた。
 安心させる為に微笑んで諸手を挙げる。
「大丈夫。私はあなたを襲うつもりは無いわ」
 妖怪はしばらく恐れる様に身をすくめていたが、私の敵意の無い事を悟ってくれたのだろう、やがて肩の力を抜いて息を吐いた。
「誰かに追われているの?」
 妖怪は頷いて恐ろしげに背後を振り返った。
 追手の姿は無い。
「どうして追われているの?」
 すると妖怪は自分の胸を押さえた。
「私の胸が大きいから」
 見ると確かに大きい。私よりも余程。
 不埒な奴等に襲われたのだろう。性欲に支配された脳無し共は万死に値する。
 藪の鳴る音がして、顔を上げると追手と思しき妖怪達が息を荒らげて現れた。ただその数が随分と多い。少女一人を襲う人数には見えない。しかも老若男女と様々な顔ぶれがある。
 先頭の妖怪が後ろに聞こえる様に叫び声を上げた。
「居たぞ! おっぱいだ! 殺せ!」
 物騒な言葉だった。ただ単に妖怪の少女を襲おうとしたのでは無いのか。
 私は少女の前に立って、ナイフを構えた。
 すると妖怪達は私に気がついた様子で、明らかにうろたえていた。
「あんた、紅魔館の咲夜だな」
「ええ、その通りです」
「退いてもらおう。あんたを傷つけたくは無い」
「同じ妖怪を襲い、人間を傷つけたくないとは。あなた達に同族意識というものは無いのですか?」
「そいつは同族なんかじゃない」
 先頭の妖怪は憎々しげに顔を歪めて、少女を指さした。
 何か大きな因縁があるらしい。
 振り返ると少女は俯いて震えていた。
 先頭の妖怪に視線を戻すと、憎々しげな表情のまま叫ぶ。
「そいつは巨乳だ!」
 それだけで全てを説明したとばかりに口を閉ざした。何をいっているのかわからない。私が黙っていると、先頭の妖怪は焦れた様子で言葉を重ねた。
「そいつは巨乳だぞ! 分かっているのか?」
「いえ、全然事態が飲み込めておりません」
「巨乳だ! 俺達の敵の巨乳なんだ! あんたなら分かるだろ?」
「全く」
「何故だ!」
 何故と言われても。
「巨乳は男をかどわかし、女に劣等感を植え付ける。百害あって一利なしだ!」
 何を言っているんだ?
「分からないのなら良い! ただしその巨乳をさっさと渡せ!」
 後ろの少女が悲鳴を漏らした。
 当然引き渡す事は出来ない。
 妖怪達が少しずつ近づいてくる。
 戦うべきか悩んでいると、突然背後から声が響いた。
「待ちな!」
 振り返ると守矢神社に住む神、諏訪子が仁王立ちをして辺りを睨み回していた。
「その子はこちらで引き受ける! あんた等は退がりな!」
「諏訪子様! しかし何も諏訪子様が」
「良いから! その子の処遇はこちらが決める」
 そう言うと、諏訪子が近寄ってきた。
 面倒な事になった。まさか神が出張ってくるとは思わなかった。これでは容易に切り抜けられそうにない。
 迷っている内にも諏訪子は近付いてきて、少女を通り過ぎ私の傍に寄って囁いてきた。
「安心してよ。悪い様にはしないからさ」
「え?」
「あんたもこの異常に戸惑っているんだろ? 私もだよ。ただ飲み込めないながらも、胸の大きい子が殺されたりする前にとにかく保護をしているんだ」
 この神はまともなのだろうか。
 諏訪子を見ると、諏訪子は少し寂しげに笑った。
「うちにも神奈子が居るからね」
 諏訪子はもう一度辺りを見回して声を張り上げる。
「ほら、もう戻った戻った! それとも私と殺し合うかい?」
 諏訪子の脅しに妖怪達は渋渋と引き下がる。去っていく妖怪達の姿が見えなくなると、諏訪子は振り返って言った。
「とにかくこっちはこっちでやっておくから。あんたは自分の家の心配をした方が良い。居ただろ? 胸の大きいのが。はっきり言って、奴等の巨乳への敵意は半端じゃ無いよ。元からあまり紅魔館は好かれていないし」
 それを聞いて恐ろしくなった。もしかしたら紅魔館にも妖怪達が押しかけているかもしれない。
 見ると、既に諏訪子は少女に取り入って、手をつないでいた。手が早い。
「私達が襲われる事はないと思うけど、何があるのか分からないから、気をつけな」
 そう言って諏訪子は少女を連れて去って行った。
 残された私は紅魔館へと急ぐ。夜の闇の中を走っていると何処か遠くから怒鳴り声が聞こえてくる。それが私の心をはやらせた。
 やがて紅魔館へ辿り着くと、既に門の前に大勢の人だかりが出来ていた。妖怪が押しかけているのかと思ったら、半分程は人間だった。そうして全員が門の向こうに向けて、門番の胸が大きい事を口汚く罵っている。
 私が途方に暮れていると、人だかりの内の一人が私の事に気がついて声を上げた。
「咲夜さんだ! 咲夜さんのお帰りだ!」
 途端に辺りがざわめきだして、まるでモーゼが前にした海の様に人だかりが割れた。訳が分からずその道を進んでいくと、左右から熱のこもった視線が向けられる。理由が全然分からず気味が悪かった。
 門にたどり着くと、メイド達が門を開けてくれた。メイド達の後方に縮こまった美鈴が見えた。
「美鈴。大丈夫だったの?」
「咲夜さん。すみません、私の所為で」
 途端に人だかりから罵り言葉が聞こえてきたので、睨みつけると黙りこんだ。何だか苛苛として門に近寄って人だかりと対峙する。
「こんな夜に非常識ではありませんか?」
 すると人だかりから、巨乳の居る事が悪いという返答がやってきた。本当に心の底から理解出来なかった。
「良い加減になさい。とにかくここはお嬢様の住む館。これ以上の無礼を働くようであれば力尽くで排除致します」
 すると人だかりから失望する様な声が聞こえた。
 あの人はこっち側だと思っていたのにという身勝手な声が聞こえてくる。
 その内、先頭の者達が身構えて敵意を発し始めた。どうやら強硬手段に出ようとしているらしい。私がナイフを構えると、怯えた様に身を引いたが、敵意は途絶えない。しばらく睨み合っていると、大きな布を抱えた一人が人だかりを割って門へと近付いてきた。遂に来るかと身構えていると、男が雄叫びを上げる。
「悪魔共! これでも喰らえ!」
 そうして布が投げられた。布は空中で拡散して辺りに散らばる。私の顔にも一つ掛かった。引き剥がしてみると、何か触り慣れた感触が合った。見ると、ブラジャーだった。触るだけではっきりと分かる高級素材が使われているその河童印のブラジャーは、人体工学の粋を凝らして豊胸効果の促進に老化効果の抑制、大きく垂れず美しい胸を形作る子供から大人まで使える逸品で、サイズは勿論、デザインも一般的な物から少し奇抜な物まで、オーダーメイドと変わらないだけの品揃えを誇っている。特に今私の握っているパッド付きのブラジャーは身につけている者の胸を外見からも手触りからも自然な形で豊胸する逸品で、お値段も効果を考えればとても安い。
 けれどどうしてこんな物を?
 見れば辺りにばら撒けれているブラも全てパッド付きだった。
 訝しみながらブラジャーを投げた男を見ると、男は勝ち誇った顔をしていた。
「どうだ! 辺りには口にする事もはばかられる悍ましき品品。触れれば恐怖で凍りつき、一歩も動く事が出来まい!」
 何言ってるんだこいつ。
 だが辺りを見回して見ると、男の言葉通り、半分位の使用人が恐怖に体を硬直させていた。信じられない光景に眩暈を感じていると、「咲夜」というパチュリー様の声が聞こえた。振り返ると、パチュリー様が手招きをしている。近づこうとすると、門から怒鳴り声が聞こえてきた。
「またおっぱいだ!」
「くそ! 目が潰れる!」
 そいつ等を一睨みして黙らせてからパチュリー様に近付いた。パチュリー様は美鈴の腕を引っ張って館を指さす。
「美鈴、あなたは屋敷に戻っていなさい。これ以上ここに居ると、際限なくあいつ等を刺激する」
 美鈴が頷いた。
「それから咲夜も。館に戻りなさい。ここはメイド達に任せて」
「私も?」
「ええ、レミィとフランが怖がってる。傍に居てあげて」
 それは聞き捨てならない。一刻も早くお傍に行かないと。
 私達が館に戻ろうとすると、人だかりは更に激昂した。
「おい! 奴等、逃げる気だぞ! 追え!」
「駄目だ! パッドが邪魔して門に近付けない!」
 館の玄関を潜る時、馬鹿は死ななきゃ治らないというフレーズが浮かんだ。

   境界性の倒壊する第四章

「咲夜! 美鈴! 怖かったよ!」
 広間へ行くなり、フラン様が駆け寄ってきた。
 お嬢様は飲んでいた紅茶を机の上に置くと、深刻そうな顔で尋ねてくる。
「外の騒ぎは一体何なの?」
「私と美鈴を狙っているみたいね」
 お嬢様は悲しげに顔を歪めて俯いた。
「どうして、そんな」
「仕方が無いわ。分かっていた事じゃない」
「そうだけど!」
 お嬢様が机を叩くと、紅茶の入ったカップが中身を飛び散らせた。慌ててメイドの一人がそれを拭く。
「ああ、ごめんなさい」
 メイドがこぼれた紅茶を吹き、紅茶を継ぎ足すと、お嬢様はそれに一口付けて息を吐いた。
「どうして、胸の大きさなんかで争わなくちゃいけないの?」
「どうしてかしらね。きっとそれは誰にも分からない」
「胸の大きさや種族の違いや己の能力や生まれの貧富で、どうして争うの? どうして分かり合えないの? 何で!」
「レミィ、その議論は不毛だし、気が滅入るだけよ。止めましょう。咲夜、気分の落ち着くお茶を入れて頂戴」
「畏まりました」
 私は一礼して、その重苦しい雰囲気の漂う広間を出て、厨房へ向かった。外からは怒鳴り声が聞こえている。きっとあいつ等とメイド達が言い争っているのだろう。気が滅入る。
 恐ろしくて口に出来なかったが、これはきっと私の所為だ。あの打出の小槌によって世界が、胸の大きい者を虐げる世界に変わってしまったのだ。あの山の中で会った妖怪の少女が追われていたのも、この館に人間や妖怪が押しかけて怒鳴り散らしているのも、美鈴とパチュリー様が迫害されているのも、広間でお嬢様とフラン様が泣きそうになっているのも、全部私の所為なんだ。
 それに気がついた私は涙が出そうになった。
 どうすれば良い?
 あまりの物事の大きさに途方に暮れて、上手く考えがまとまらない。
 ともすると止まってしまいそうな足を引きずりながら厨房へ歩いていく。
 その時、突然目の前に境界が生まれた。
「随分と大変な事になっているわね」
 思わず舌打ちしそうになった。
 この混迷とした状況で、更に信用ならないスキマ妖怪までやってくるなんて。
「紫さん。どうしました、こんな夜更けに」
 出来るだけ刺激をしないように、慇懃らしい態度を振る舞おうとしたが、紫はあっさりと笑っていった。
「そう邪険にしないでよ。これでもあなたの為に働いたのよ?」
「私の為に?」
 何の事を言っているのか分からない。
 紫は溜息を吐いて残念そうに呟いた。
「そっか。覚えてないか。まあ、私があんなあっさり消えた位じゃ記憶には残らないのでしょうね」
「何を言っているの?」
 紫は薄っすらと笑う。
「聞くけど、あなた、時が繰り返している事は覚えているわよね?」
 驚いて思わず咳き込んだ。何でそれを知っている。もしやこの胡散臭いスキマ妖怪が時を繰り返す犯人なのか。
「そう怖い顔しないでよ。私はただ知っているだけよ。前の時間のあなたに教えてもらってね」
「前の時間?」
「そう。記憶を引き継いだの。前の時間から」
 それはつまり今まで繰り返してきた記憶を全部持っているという事か。
「じゃあ全てを知って」
「まさか。前回だけよ。後はそれより以前の数万回分を軽く覗いてきた程度。きっと同じ事はもう出来ないでしょうね。もしも行ったらしばらく帰って来られなそう」
 紫は隙間から這い出て隙間の淵に座る。
「正直、繰り返しの回数が膨大すぎて最初まで辿りつけなかったけれど、幾つか分かった事がある。別に信じる信じないはあなたの自由。ただ信じないにしても聞きなさい」
「この、時の繰り返しを解決する方法ですか?」
「いいえ、答えではないわ」
 そう言うと、髪を指に巻いて楽しそうに笑ってみせた。
「まず一つ。時の繰り返しの原因をあなたはその懐中時計だと思っている。これは良いわね?」
「ええ。ですが」
「そしてあなたはそれを壊せば時の流れが正常になると思っているのに、どうしてか壊せない。良いわね?」
「そうです。何かまずい事が起きそうな」
「恐らくそれは、ループを終わらせない為よ」
「それは一体誰が」
「あなたが」
 繰り返しを終わらせない為? 私が?
 あり得ない。私は時の繰り返しを止めたいと思っている。
「それは……間違っています。私は時の繰り返しを止めたいと思っている」
「ならあなたは、今回の時間でループを止めたいと思う?」
「それは、勿論です」
「本当に? だってもしも今回で時が正常に戻れば、今日を基準に未来が決まるのよ。あなたが小槌を使って変化させた所為で狂ってしまったこの世界が明日から続いていくのよ? それならもう一度やり直して正常な今日にした方が良いんじゃない?」
 考えてみると確かにその通りだった。
 こんな狂った世界が本当の時間でなんかあって欲しくない。
「ね? あなたが時計を壊せない理由はそれ。逆に言えば、一日を平穏無事に終えられる確信を持てばきっとあなたは時計を壊してループを脱する。確証は無いけどね。今まで壊した事が無いんだし。そもそもその時計が原因なのかも分からないから」
 紫の言った事は初めから何となく分かっていた。時計を壊せば時は直る。惨劇を止めなくてはいけない。ずっと思い続けていた事だ。
 それはそれとして。
「何故、私が小槌を使った事を」
「見てたもの」
 あっさりと言われて思わず激昂した。
「だったらどうして止めてくれなかったの!」
 もしも止めていてくれたら、こんな事にはならなかったのに。
「何だか理不尽な怒りね。んー、まあ、理由としては色色だけど、簡単に言えば一石になるかもしれないと思ったから」
「一石?」
「そう! このループを脱する一石。長いループのお陰で小槌の魔力が溜まった。それを使えば今までと違う結果が出るんじゃないかと思ったから。あなたは忘れているでしょうけれどね。あなたは今までずっとその日を平穏な物にしようと努力してきたの。けれど未だにループから抜け出していない。という事は、分かるわよね? 並大抵の事をしたって抜けられない」
 そんな。
 何だか眩暈がした。
 耳が妙に鋭敏になって、外が妙に騒がしい事が気になった。
 つまり今回の事が起こったのは私が時の繰り返しを止められなかったからか。だから紫は今までに無い事をしようと、小槌を使わせたのか。そんな紫の傍観者気質に苛立ちを覚えた。
「でも、そんな、だからって、私に出来ないのならあなたがやれば」
「私に出来ないからあなたを手伝っているの。これはあなたの生み出したループ。そうしてそれを他者が意図的に捻じ曲げようとすると、逆に捻じ曲げられて存在を消されちゃうの。あなたがやるしかないのよ」
「でも今までずっと駄目だったのに、もう何をしたら良いのか」
「だからそれが今変わって来ているの! 今はきっと分水嶺。気の遠くなる様なループの所為で様々な事に齟齬が出始めている。記憶だってそう。前回の時間の記憶が以降の時間に僅かながら残り始めている。多くの者がデジャビュを感じているし、あなたは特に顕著で、ループしている事や時計が原因である事は必ず覚えている。それが少しずつ事態の解明につながっている。というのもね、あなたはほんの数千回前はループしている事に気がついてすら居なかったの。けれどそれに気がついて、ほんの少し別の行動を取り始めた。すると数百回前に時計が原因である事に気がついた。すると今度はまた行動が変化して、数十回前になると、明確に、前回の時間が以降の時間に影響を与え始めた。そうして前回私が境界をこじ開けて過去を除くというイレギュラーを起こし、今回は溜まりきった魔力を使って、恐らくループが始まってから初めて打出の小槌を使った。今状況は大きく変わっているの。このままイレギュラーを起こし続ければきっと光明が見える!」
 紫の力強い言葉に励まされて、私は思わず背筋を伸ばしていた。
「光明とは」
「平穏無事に今日という日を終える希望」
 平穏無事に今日という日を終えるにはどうすれば良い。
 それはこの屋敷で起こる惨劇を食い止める事だ。
 その為にはこの屋敷で惨劇を起こした犯人を突き止めれば良い。
「紫さん、一つ聞きたい事が」
「まあ、待ちなさい。一番重要な事をまだ伝えていない」
「何ですか、それは?」
 これ以上に重要な事があるのだろうか。
「というより難儀な事ね。きっとあなたは断るでしょうから」
「何ですか、それは。もしもそれが時の繰り返しを破る方法なら何でも致しますが」
「そう、じゃあ言うわよ」
 紫は目を瞑って溜息を吐き、目を開けて優しく微笑んだ。
「あなたが一番行い得ない事って何だと思う? 絶対にしないと思える様な事」
 私が絶対にしない事?
 少し考えてみたが、色色ありすぎて一つに絞り込めない。
 しかし何故そんな事を聞くのだろう。
「というのもね、前回の時間が次の時間に微かながらも影響を与える事は言ったわよね。そうしてその影響は、本来の流れから逸脱している程、起こりやすくなる。端的に言えば、普段しない事をすると次の時間以降に大きな影響が出るの。だからあなたが絶対にしない事をすれば、それは次の時間に必ず影響を起こす。しかも今は私が境界をこじ開けてそれぞれの時間の繋がりが強くなっている時、きっとあなたのあり得ない行動は未来にも過去にも影響を与えて、ループに大きな一撃を与える」
「そうすれば、光明が」
「ええ、そういう事。分かったわよね。あなたは次の時間にその絶対に起こさない事をしなくちゃいけない。今、こうして説明出来るのはきっと今回だけだから。次を逃すと、後はあなた自身で時間同士の影響に気がつくしかなくなってしまう」
 それは分かった。だが何をすれば良いのかがまだ分かっていない。
 そんな私を見て、紫は何故か悲しげな顔をした。
「ねえ、ループによって変化が起きているって言ったでしょ?」
「はい」
「それは私達の心もそうなのよ」
 いきなり何の話だろう?
「というと?」
「今回、紅魔館に大勢の馬鹿が押しかけてきている。でもそれは正常な事かしら。幾ら胸の大きい者を迫害すると言ったって、それで自分より遥かに強い奴等に楯突こうとする? 少なくとも力関係のはっきりした幻想郷じゃそれは普通じゃない」
「でもそれは打ち出の小槌でおかしくなって」
「そうかもしれない。でもね、私は思うの。皆の心は箍が外れ始めている。きっとループに疲れて自暴自棄になっているのよ。だからこんな自殺行為みたいな真似しているの」
「つまり?」
 紫がまた優しげな笑みを浮かべた。
「話を戻すわ。あなたが絶対に行い得ない事」
「それは?」
「レミリア・スカーレットを、そしてこの屋敷の者達を殺す事」
 呼吸が止まった。
 足の辺りから痺れが昇ってきて、全身が硬直する。辺りが妙に暑くて汗が浮いてきた。喉が干上がって痛い。
「辛い事は分かっているわ。でも」
「嫌です! それだけは絶対に嫌!」
 そんな事出来る訳が無い。
「ええ、そうでしょうね。でもだからこそ、大きな一撃になる」
「嫌! そんな! この私に! この私に! お嬢様を殺せっていうんですか?」
 そんな残酷な事を。ありえない事を。
「そうよ」
 不可能に決まっている。お嬢様を殺すだなんて。
「嫌! それだけは!」
 すると紫は隙間の中から刀を取り出して私の前に立った。脅すつもりだろうか。だが幾ら脅されようとお嬢様を殺す事なんか出来ない。
「私は絶対にお嬢様を殺すなんて出来ない。殺すなら殺しなさい。どうせ時間がループすれば生き返るんだから」
「その通りよ」
 そう言って微笑んだ紫が自分の首に刀を当てて思いっきり引いた。紫の首から血が吹き散る。血しぶきが辺りを赤く染めた。
 自殺。
 理解出来なかった。
「何で?」
 呆然として呟くと、紫は首から血を吹き出しながらにこりと笑った。
「その通り。どうせ生き返る」
「だからってどうして」
「こうすればあなたはショックを受けてさっきの言葉を覚えているでしょう?」
「たったそれだけの為に、死のうとするんですか! あり得ない! そんな」
「そうよ、あり得ない。本来ならね。でも言ったでしょう。心の箍が外れているって。死ぬ事への忌避が随分と少なくなっている。これはね、きっと私だけじゃなく、幻想郷中のみんながこうなっている。そうしたらいずれ、死がまるでありふれた自然現象に零落してしまう。私はね、幻想郷を愛する者としてそんな狂った世界は見たくないのよ」
 紫はそう言うと、刀で自分の胸を突き刺した。けれどまだ生きている。
「とっておきの妖刀なんだけど、意外と死ねないものね」
 そう言って、笑いながら歩んできた。首筋から血を流し、胸に刀を突き刺して、笑顔で歩んでくる。恐ろしくて後ずさると、紫は立ち止まって、右手の傍に境界を生み出した。
「あなた、妖剣を持ってたわよね」
 そう言うと、境界に手を突き入れた。私の腰の辺りに手の触れる感触が会ったかと思うと、紫は境界から私の妖剣を抜き出した。それを己の喉に突き刺そうと添える。
「それじゃあ、よろしく頼むわね」
 そうして差し込んだ。
 私の呆然としている前で、紫は床に崩れ落ち、そうかと思うとまるで糸が綻ぶ様に体が解けていって、程なくして消えた。
 しばらくその場で立ち尽くして、消えた場所を眺めた。屈みこんで消えた場所を触れてみたが、何の変哲もない絨毯。落ちた妖剣を拾うとまだほんのり温かみがあった。

   業火の中の寂しげな第五章

 しばらくナイフを掴んで項垂れていたが、その自失は、慌てた様子でやって来たメイドによって中断させられた。
「咲夜さん! 大変です!」
 非常に驚いたが、じっと我慢して、あくまで平静を努めつつ、メイドに尋ねる。
「どうしました?」
「屋敷に火が放たれました!」
 また自失しそうになったが、踏みとどまって、メイドに叫び返す。
「火は何処!」
「あちこちです! 屋敷を囲まれて、色んなところから火を放たれて!」
 もうそれ以上じっとしていられずに、お嬢様達の居る広間へと駆けだした。火の手こそ見ていないものの、確かに屋敷の中は異常に暑かった。外では怒号が飛び交っている。
 お嬢様達の居る部屋に飛び込むと、皆不安そうな顔をして落ち着かない様子で居た。
「咲夜! どうしたの? そんなに慌てて」
 お嬢様が立ち上がって尋ねてきた。
「屋敷に火をつけられました」
「外の奴等が?」
「そうです。四方を囲んで、あちこちから火を放ったそうです。とにかく逃げましょう」
 すると美鈴が拳を振りかざして、傍の壁を叩き壊し、そのままこちらへ向かってきた。
「美鈴?」
「咲夜さん、私が露払いをします。皆さんは後から」
 そう言って、血気に逸って行ってしまった。後を追おうか迷ったが、それよりもまずお嬢様達だ。私はお嬢様の下へ一足飛びに詰め寄り抱きかかえ、そのままフラン様をもう片方の手で掻き抱くと、その場に居る全員に号令を掛けた。
「逃げましょう!」
 全員が頷いた瞬間、凄まじい爆発音が轟いて、屋敷中が揺れた。
「何?」
 私の腕に抱かれたフラン様が不安そうに呟いた。
「きっとガスに引火でもしたんでしょう」
 パチュリー様が冷静に答える。
「時間が無いわ。立ち竦んでないで行きましょう」
 そうして扉を開けて外に出ると、廊下が火の海になっていた。パチュリー様が叫ぶ。
「みんな立ち止まらないで! 私が先頭になって、火を消していくから!」
 パチュリー様が水の魔術を使って、廊下の火を消しながら駆けていく。その後を全員で追った。時折パチュリー様は苦しそうに咳き込んだが、決して足を止めずに廊下を駆け抜ける。
 エントランスへ繋がる階段に差し掛かった時、再び爆発音が響き、屋敷が揺れた。二人が私の服を握りしめる。
「お嬢様、フラン様、私がついています。怖がらないで」
 そうして踊り場に出て折り返し、後は玄関までの直線を見据えた時、お嬢様が叫んだ。
「咲夜!」
 次の瞬間、頭に衝撃が走り、つんのめって階段を転がり、意識が飛んだ。
 手に痛みが走り身を起こすと、目の前が瓦礫に埋もれていた。丁度階段の下で、玄関までの道が瓦礫で埋もれてしまっている。天井が崩れ、きっとその内の一つが私に当たったんだろう。慌てて手元を見ると、二人の姿が無かった。
「お嬢様! フラン様!」
「咲夜! そこに居るの?」
 瓦礫の向こうからフラン様の声が聞こえてくる。
「フラン様、そちらは無事ですか?」
 するとパチュリー様が答えた。
「こっちは大丈夫。出口もすぐそこ。でもあなたは?」
「私は」
 辺りを見回す。玄関までの道は埋もれているが、別の道を探せば何とかなるかもしれない。時を止めれば多少の猶予はあるだろう。今の疲弊した状況でどれだけ時を止められるのか分からないけれど。そんな事を考えていると、フラン様の叫びが聞こえた。
「咲夜! 今、助けるから!」
「え?」
 嫌な予感がした次の瞬間、凄まじい爆発が起こって辺りが吹き飛び、足場が崩落した。慌てて時を止めたが、もう何もかもが遅く、図書館の地面に着地して上を見上げると、完全に崩れてぐちゃぐちゃになった上階が降り注いでこようとするところだった。見たところ隙間がなく、上へ脱出出来そうにない。何とかしなければと辺りを見回すと、能力が解けて、時が独りでに動き出した。もう心も体も疲弊しきっていて、時を止める事が出来なくなっていた。降り注ぐ瓦礫から逃れる様に端へ寄ると、次の瞬間凄まじい音と共に瓦礫が辺りを埋め尽くした。傍の本棚が倒れてきて、押しつぶされ、また気を失った。
 しばらくして気がつくと、体中が痛かった。のしかかっている本棚から何とか逃れてると、岩肌に頭をぶつけた。辺りを手探るとどうやら完全に瓦礫で埋もれている様だった。自分の体が潰されなかったのは奇跡に近い。どちらにせよ、生き埋めだけれど。少し遠くから火の燃え盛る音が聞こえる上に、微かな煙の臭いを感じた。生きたまま焼かれそうだ。時を繰り返して生き返るとはいえ、それは嫌だった。本当に嫌だった。死にたくない。
 ふと自殺した紫の事を思い出す。きっと紫も死ぬのは嫌だったに違いない。それでも死んだ。時の繰り返しを止める為に。
 これは応報だろうと思った。小槌を使った事。紫を自殺させた事。その罪が今正に自分の身を焼こうとしている様な気がした。だとすれば甘んじて受けなければならないのかもしれない。
 そうやって諦めかけた時、暗闇の中でごとりという音がして、光が漏れだした。それは外の光ではなくて、瓦礫に埋もれていた発光体が光っている様だった。細かな瓦礫をどかして取り上げてみる。使う事が無くなってしまい込まれ埃をかぶっていたそれは、。
「マジカル★さくやちゃんスター。どうしてここに」
 触れた瞬間力が溢れてきた。
 マジカル★さくやちゃんスターが語りかけてくる。
 それは祝福の様だった。
 ジキカマジオメデトウ。
 意味は良く分からない。ただ懐かしさと嬉しさが込み上げてきた。
 まだ死ねない。
 勇気が湧いてきた。
 妖剣を取り出して魔力を込める。
 上ではお嬢様達が私を待っている。きっと私が戻らなければお嬢様達は泣いてしまうだろう。お嬢様、フラン様、美鈴、パチュリー様、従者達、小悪魔達、妖剣にマジカル★さくやちゃんスター、みんなの顔が思い浮かんだ。みんなを悲しませる訳にはいかない。死んでなんかいられない。最後まで自分の出来る事を何でもやる。後悔の無い様に。
 私は妖剣を構えて、頭上を見上げた。
 息を整え、身を捻る。
 そうして妖剣を上へ放った。すぐに瓦礫に突き刺さり、それを粉々に砕いて突き進んでいく。出来た穴に両腕と二つのマジカル★さくやちゃんスターを使って、ありったけのナイフを投擲し、崩れようとする穴を砕き、縫い止め、出来た大穴へ飛び抜ける。
 やがて穴の向こうに夜空の星が見えて、私は外へ飛び出した。
 降り立つと、泣き声が辺りに響いていた。お嬢様とフラン様の泣き声だ。私が声を掛けると、二人は泣き顔のまま駆け寄ってきた。二人を抱き締めつつ、辺りを見回すと、屍が散乱していた。動いている者はほんの僅かだ。
「お嬢様、フラン様、ご無事でしたか?」
 するとお嬢様が涙を拭って答えた。
「ええ、私達は。でもほとんど全滅。あの家を囲んでいた薄汚い人間や妖怪達に殺されて」
「そいつ等は?」
 フラン様が私の胸に顔をうずめながら答える。
「みんな、美鈴が殺してくれた」
 顔を上げると、美鈴が歩んできた。体中が血にまみれていた。
「すみません、屋敷を、皆さんを守れませんでした」
 私は首を横に振る。美鈴の所為じゃない。原因を突き詰めれば、それは私の所為だ。
 生き残った者達が集まってくる。
 皆、疲弊しきった様子で、声一つ発さない。
 悲壮な生き残り、積み散らかった屍、泣き声を上げるフラン様に、黙りこんで俯いているお嬢様。
 時を繰り返していけばまたこんな惨劇が起こるかもしれない。こんな光景二度と見たくない。だとすれば私はどんな事をしてでもそれを止めなければならないんだろうと思った。心を鬼にして。
 零時の鐘が鳴り出した。屋敷が崩れ、鐘の鳴る筈等無いのに。
 時が巻き戻る。
 お嬢様、すみません。
 そう小さく呟いたが、聞こえたのかは分からない。

 セーブしますか?
 はい。
「ねえ、咲夜。ちゃんと居る?」
「ええ、ちゃんとおりますよ」
「良い。終わるまで絶対に何処かへ行っちゃ駄目だからね」
「承知致しております」
「後なにか変な音とか悲鳴が聞こえたら、助けに来てよ」
「畏まりました。この耳が、お嬢様の致している間、その全てをつぶさに聞き取る所存です」
「止めて!」

『時を元に戻す為に。幻想郷に平穏をもたらす為に。愛すべき紅魔館の為に。殺し、残し、発狂する。
 サクヤちゃんの幻想郷リプレイ N+5周以降
「狂おしい月夜の殺人」
 この物語に救いは無い』

『遂に手掛かりを見つけた咲夜。だが平穏への行く手を最強の敵が阻む。傷付き、血を吐き、倒れる咲夜。だが決して倒れる訳にはいかない。咲夜の絶叫が紅魔館に響き渡る。
 サクヤちゃんの幻想郷リプレイ N+6周目以降
「さらば!」
 愛すべき主にこの身の全てを捧げます』


N+5周目~エンディング
に続きます。
烏口泣鳴
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コメント



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10.80名前が無い程度の能力削除
次回で最終回かな?
救えないラストになりそうで怖い
12.80絶望を司る程度の能力削除
ああ・・・少しずつ、しかし確実に、狂気に取り込まれて行くのか。HEVEN orHELL?
14.100名前が無い程度の能力削除
ナンセンスなのかシリアスなのか危うい作風が好きです
このギャグがギャグでなくなるようなシリアスがシリアスでなくなるような感じは東方二次ナンセンス系独特な感じですね
シリアスナンセンスというか 
次回も楽しみにしています