Coolier - 新生・東方創想話

吸血鬼とカルピスの二十三時半

2013/09/26 22:03:47
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カツン。
石造りの床に、何かが倒れる音が確かに響いた。

私の超人的な聴力がそれを捉え、また卓越したスピードで脳に刺激が伝達され、収縮された強靭な筋肉にその信号が伝播するまでわずか数コンマ1秒。この美しき真紅の双眸に茶色の瓶が映ったと同時に、私はその瓶を手の中に収めていた。吸血鬼の類いまれなる運動能力をナメてもらっては困る。
茶色い瓶。玉座の前で横向きに転がっているそれは、天井のシャンデリアからの仄かな明かりに照らされ、中身の白い液体がゴロゴロと揺れている。見た目は一升瓶より二回りは小さい程度か。周りのラベルには白玉模様が散りばめられ、その中心には大きく「カルピス」の文字。
自分の頬から、玉のような汗が流れるのを感じた。


「何故、私の気づかない内にこんなものが? それも目の前に?」
当然である。この館に住まう者が、私の許可なくこの部屋に入ることなど考えられない。
そのうえ、私に気付かれない様に姿を隠すなど不可能である。吸血鬼の研ぎ澄まされた聴覚は、千里先に落ちた針の音でさえ聞き取るのだ。つまり、この瓶を置いたのは、部外者であり、更に私に気付かれることなく行動できる非常に有能な人物である。だが。

「悪魔の家と恐れられるこの紅魔館の守備が、これほどまでの僅かな間に破られた?」
何よりも問題はそこである。確かに私は、今の今まで昼寝をしていたが、それこそ10分程度の睡眠しか取っていない。目の前の壁に拵えてある振り子時計が何よりの証拠である。
つまり、私の意識の向かない空白の時間が存在していたと認めざるを得ないとしても、我が紅魔館は、重厚な石造りの館そのものが物理的な障壁になっているだけでなく、屈強な門番をはじめとして、とにかく数の多い妖精メイドに、館全体を常に監視している完璧で瀟洒なメイド長がいる。この完璧な防衛ラインを突破できるものなど、早々いないはずだ。
もはやこれは、ごっこ遊びの範疇を超えているのではないか。
つまり、この瓶は…紅魔館の、いや。

その当主たるこの私への、宣戦布告なのだ!





~吸血鬼とカルピスの二十三時半~




彼女の小さな矮躯からすれば、不相応極まりない広さの空間。真紅に染まった床にはカーペット一つ敷かれていないが、それもそのはず。かつては謁見の間とも呼ばれていたこの空間の役割は、とうの昔に失われていた。好意的な来客はほぼ無し、招かれざる客もほんの少し。さらにもう少し厄介な、彼女の命を狙うような存在など、この平和な幻想郷には勿論いない訳で、もっと言えばこの館への来客自体が少ないのであるから当然だ。
そういう理由もあり、今や彼女のシエスタスペースと化したこの部屋。

今、幻想郷は夏真っ盛りである。直射日光が避けられるこの部屋は、彼女にとっては好都合であった。日焼けも防げ、睡眠の邪魔になるものもない。風通りが悪いのが玉に瑕であったが、彼女にとってはこの茹だるような暑さよりも、殺人的にギラギラと輝くガス球から発せられるレーザー光線の方がよっぽど危険なのである。

そんな彼女―――紅魔館当主、吸血鬼のレミリア・スカーレット嬢は、このシエスタスペースに元から宛がわれていた玉座に居座り、今日もシエスタに励んでいるのであった。

だがしかし、今日ばかりは。
普段の様子からは似ても似つかない、彼女らしくない焦燥が、誰の目からも感じ取れる。玉のような汗を頬に浮かべながら、彼女は茶色い瓶を掴んだままピクリとも動かない。彼女の普段からの様子を知る人から見れば、異常な光景である。

「なるほど、理解したわ。つまりこれは爆弾ね」
彼女は茶色い瓶を手に抑え、爪が瓶にめり込まないように注意を払いながら玉座に戻った。
瓶イコール酒。幻想郷における最も重要ともいえる方程式の一つである。まさにそれを逆手にとった、見事な戦術といえよう。
汗がピタリと止まり、彼女はクックッと喉で笑い始めた。彼女はすでに平静を取り戻したようである。それは彼女の矜持がそうさせたのであろうか、それともその才覚からであろうか。ともかく、彼女は既にいつもの通り、見た目相応の幼くも、しかし悪魔のような笑みを浮かべるまでに余裕を持ち始めていた。

「惰性のままに酒を貪る頭の悪い妖怪とは格が違うのよ格が。残念だったわね」
彼女の言葉は虚空に響いた。彼女の眼には強大な敵が映っているのだろう。

つまりこの酒瓶型爆弾は、何も知らずに中の白い液体を飲み乾した瞬間、その妖怪を内部から破壊しようという腹積もりなのだ。彼女はそう結論付けた。幻想郷の住民は、酒瓶を見つけるやいなや、何の躊躇もなくそれを飲み乾そうとする性質がある。いくら物理的に丈夫な妖怪といえども、内部からバラバラにされてしまっては復活も難しい。力の弱い妖怪ならば物理的に滅ぼされてしまうこともあるだろう。
しかも、今回の場合は、彼女のような強大な妖怪に向けての罠である。吸血鬼の肉体的な能力といえば、妖怪の中でも他の追随を許さないといえる。この爆弾も、並大抵の威力ではないことぐらい容易に想像できるだろう。何と言っても、今は21世紀である。彼女が外の世界にいた時代ですら、大型の火薬を扱った兵器はあった。それはいとも簡単に石造りの城壁を破壊し、戦争において多くの功績を得ていた。さらに技術の進んだこの時代、もはや彼女を物理的に滅ぼすなど容易であり、この紅魔の館すらも一瞬で吹き飛ばせる爆弾があっても、何もおかしくはないのである。

まさに、彼女の類いまれなる機知によって成しえた功績であろう。この罠に気付かなければ、自分の身を滅すだけでなく、紅魔館全体の危機をも迎えていた。我が身を滅ぼすことになろうとも、我が家族たる紅魔館の住人を危険に晒す訳にはいかないのである。彼女は非常に自分勝手であり、現在もまた自分の才覚を褒め称えるのに忙しいほどに自信家であったものの、今回ばかりは少し勝手が違う。

「…この私を狙うのはよい。だが、この紅魔館を共に滅ぼすのは、筋違いというものではないのか?」

怒りが沸々と湧き上がってくる。
彼女は極度のエゴイストであるが、家族の事となれば話は別である。彼女は紅魔館を愛していた。紅魔館に住まう住民も同様に。門番の美鈴、メイド長の咲夜。友人のパチュリーに、そして妹のフランドール。あと、その他の妖精メイド達やゴブリン達も。彼女にとって、血の繋がる家族は妹のフランただ一人である。だがしかし、彼女はその住民達を、本当の家族のように想っていた。決してそんな素振りは見せないまでも、彼女の家族に対する慈愛は、とても深いものであり、それは悪魔らしくないし、吸血鬼らしくもないとも思える。しかし、そこが彼女を紅魔の当主たらしめているとも言える。カリスマ、とはそういうものではないだろうか。

そんな彼女はすぐに思い立ち、一言。
時は一刻一刻と迫ってきているのである。早いに越したことは無い。

「咲夜!」
「はい、咲夜はここに」
彼女がそう一言言い終えるかどうか、まさにその瞬間に、完璧で瀟洒な従者はレミリアの前に跪いていた。銀髪の三つ編みをからりと揺らしながら、十六夜咲夜は瞬きをする間もなく参上する。跪きながら、左手にティーセットを抱えているのは少し滑稽な様子であったが、レミリアは構わず続ける。

「退避よ。全員退避。この紅魔館にいる全員に告げなさい。今すぐこの館の外に退避するようにと!」
顔を上げた後、はて、と咲夜は首をかしげ、一瞬目を丸くする。しかし、すぐさま体制を立て直してレミリアに向かって頭を下げる。
「…事情は分かりませんが、お嬢様のご英断を尊重致します。この咲夜めが、ものの数十秒のうちに紅魔館を蛻の空とさせましょう」

こういう時、優秀な従者を持つと助かる。レミリアは心からそう思った。この瓶がいつ爆発するか分かったものでない。急がねば、紅魔館の住民の命が危ないのである!
咲夜がレミリアに深くお辞儀をし、翻って部屋を出ようとした。が、それと同時に、外側から重厚な扉を開ける者あり。
咲夜は新たな訪問者に会釈をすると、また一瞬の内に消えてしまった。

「あら、レミィ。もう起きちゃったの?」

扉から現れたのは、紫色のネグリジェのような服装の少女。レミリアの唯一の友人、パチュリー・ノーレッジである。パチュリーはこの館でも数少ない、この部屋への無断侵入が許されている人物である。一応、ここは『レミリア嬢のプライベートルーム』という事になっているので、誰しもが入れる訳ではない。その理由は、彼女にとって居心地がよく、ただ単に睡眠を邪魔されたくないというだけのようである。
ずかずかと玉座の前にやってきたパチュリーは、レミリアの持つ瓶を一瞥するやいなや、顔を背ける。少し気になる仕草ではあるが、ともかく今は避難が重要である。

「あぁパチェ、珍しく図書館の外にいるね。丁度良かったわ。ほらほら早くこの館から退避なさい。緊急事態だよ」
「え。私もしかして紅魔館から追い出されるの? あーそれは困るわね。レジスタンス運動は心が痛むけど、友人相手にも容赦はしないわ。あの本の収容場所がないと魔法の研究が進まないのよね、分かってちょうだい」
…やたら饒舌であるし、いつも以上に思考が飛翔している。レミリアは少し疑問に思うところがあったが、そのまま続ける。

「いやそうじゃなくって」
「え?何が違うの?」
「何で私が貴方を追い出さないといけないのよ。そうじゃなくて、今は緊急事態なの! この爆弾が今にも爆発しそうで。そうしたら私だけじゃなくってこの館も危ない。だから」
レミリアは手に持つ瓶を指さしながら、必死に語る。今この場で瓶が爆発してしまえば、何よりも大切な友人であるパチュリーを失ってしまうかもしれない。そんな焦りが、彼女をそうさせているのだ。
中身の白い液体がころりと揺れる様子が、パチュリーの目に映るのを彼女は確かに見た。しかし、その時のパチュリーの表情と言えば。
目を丸くしていて、とにかく、あ然とした様子であった。

「え?それただのジュースじゃなかったの?」
「そんな訳ないでしょ。何者かが私の目の前に置いて行ったのよ、私の知らない内に。そりゃあ危険な爆弾に決まって」
「何を言ってるのよ。それを置いたのは私…って、気づいてなかったのね」
「えっ」
頭が痛くなってきた。レミリアは頭を抱えながらも、もう一度パチュリーに顔を合わせる。

「じゃあ何?これはただの飲み物なの、パチェが持ってきた」
「そうよ」
「えっ」
「で、さっきの退避云々の話は何のことなの? この館から出ていくなら、図書館について相談したい事が山ほど」
「ちょ、ちょっと待って、理解が追いつかないわ…」

レミリアは頭を抱える。瓶はしかと掴んだままであるが、もはや今すぐにでも叩き割りたい気分にもなりかけていた。吸血鬼の情緒は不安定である。
と、頭を抱えて悩みに悩むレミリアの下に、さらなる災難が一つ。

しゅん、という風切音にも似た音と共に、銀のお下げをからりと揺らし、そこに現れるは瀟洒な従者。
「お嬢様、全員の避難が完了致しました。フランドールお嬢様は美鈴に任せておりますのでご心配なく。ささ、お二人も早く」

非常に残念ながら、この完璧な従者は、既に館の住人全員の避難を済ませていた。追い打ちをかけるかの如く、絶妙なタイミングで咲夜はレミリアの下に参上したのである。さきほどよりも深く膝を付き、上から伺えるレベルでしたり顔なのが伺える。片方の頬の筋肉が明らかに吊り上がっていて、やたら癇に障る。

しかし、そんな事で平静を崩している場合では無い。
彼女は考えねばならぬ。
もはや引き返せない所にまで来てしまった。咲夜はヤケに聞き分けがよく、主人の心中を明後日の方向に深く察してしまっているし。パチュリーはパチュリーで何か無駄に焦ってるし、盛大に誤解してるようだし。
非常に認めたくない事実ではあるが、この瓶は爆弾ではないらしい。失態である。なんとも恥ずかしい失態であろうか。こうなれば、もはや自分の矜持を保つことがまず先決。どうにか誤魔化すのだ。
彼女は考える。その悪魔らしい狡猾な頭で。その吸血鬼の及ぶ五百年の年月の経験で。今まで積み上げてきたカリスマを如何に崩さず、この状況を打開し取り繕う方法を。
「咲夜、パチェ、ちょっと聞いてちょうだい」

こうとなれば、もはや引き返すことはできない。後は勢いで突き進むのみ。
レミリアは顔に玉のような汗を浮かべながら、二人に向け、高らかに宣言した。もちろん、彼女の持ちうる最高の笑顔で。

「今のは、避難訓練だったのよ」
あと、片手でピースサインも浮かべちゃったりもして。


時はしばらくして、元・謁見の間。
既に紅魔館の住人全員は持ち場に戻り、さきほどの避難訓練はなかったかのように、それぞれの仕事を始めていた。
なんとか汗も収まり、玉座に深く腰を掛けているレミリアは、例の瓶を片手にさきほどから何度も安堵の溜息を付いている次第である。それを脇目に、というより何も気兼ねすることなく、その友人と従者は笑顔で会話を続けていて。妙に弾んでいる会話にたまに反応する程度が、色々といっぱいいっぱいの今のレミリアに出来る精一杯であった。

「なるほど、あれは避難訓練だったのですね」
「すっかり騙されちゃったわ」
「ええ。迫真の演技でしたわね、お嬢様」

「まぁ、それほどでもないね」
褒められるのは悪い気分ではない、とレミリアは思った。
確かに、避難訓練という事にして誤魔化す作戦は、客観的に見れば苦肉の策であったと言えよう。しかし、突発的に考え付いた作戦にしては上出来なのではないか。私自身の類いまれなる機知も勿論の事、咄嗟の演技力がもたらした最高の結果なのである。
これを当然の結果と言わずして何と言うか。もはや運命で定められていたとしか言い様が無い。まさに完璧な作戦であったと結論付けざるを得ない。
彼女は切り替えが早いのだ。

「でも、この瓶を爆弾に見立てるとはねー。なかなか思いつかないわ」
「本当にその通りですわね。さすがお嬢様です」
「ふふん、もっと褒めてもいいのよ。今回はね、万が一紅魔館が外敵に攻め込まれた時のシミュレーションをしてみたかったのよね」
レミリアは例の瓶を持ちながらふんぞり返って、自信気にそう言い放つ。咲夜は合点のいったようにポンと手のひらを叩いていた。
「へぇ。レミィも色々考えてるのね」
「そりゃそうよ。私は紅魔館の当主だもの。当たり前だわ」
まだふんぞり返っている。
そんな中、咲夜が「ところで」と口を開いた。

「その瓶は一体どこから持っていらっしゃったのですか? 館の倉庫には無かったと記憶しておりますが」
「えーっとね、これは…」
レミリアが咲夜に返答しかけた所に、パチュリーが「あぁ、これはね」と割って話し出す。

「私の図書館に落ちてたのよ。見た感じおいしそうなジュースだったし、レミィにプレゼントしようかなと思って」
「なるほど、そういう理由が」
「拾い物かよ。ってちょっと待ってよ、そういえばパチェ」
と、ここまで聞いて、レミリアには一つ腑に落ちない点があった。

「何でわざわざ、私が寝てる時に瓶を置くのよ」
「そ、それはねレミィ。ぐっすり眠ってたし…起こしちゃ悪いかなぁと思って」
「あらあら、お美しい友情ですね。羨ましい限りです」
パチュリーはさきほどからレミリアと顔を合わせようともしないし、せわしなく眼球を動かし、視点が長く定まっていない。それに加えて、やたら頬や髪を指で掻いたりしている。
一方の咲夜は、完全にこの友情物語を信じているようで、指を組み、目をキラキラさせて2人を見つめている。案外こういうの好きなのかこの従者、と色々と思うところはあるが、それ以上にパチュリーの動静が気になるので、レミリアはその友人に冷ややかな視線を送る。

「パチェ。怒らないから本当の理由を言ってみなさい」
「ええ? だから起こしちゃいけないと思って…」
「あのねー。あんたがズカズカとこの部屋に入ってきたんだったら、さすがの私も気づくって。ちょっと気合い入れて気配消したでしょ」
「うっ」
やたら大げさに詰まるパチュリー。本気で殴ってやりたくなった。レミリアの深く握りしめた拳がみしみしと音を立てているのに気づいて、咲夜はわたわたと「ですから、パチュリー様はお嬢様を気遣って…」とか弁明を始めている。何でお前が慌てているんだよ。

「そんな訳ないでしょう。こいつの性格は私が一番知っているわ。少なくとも人の健康を顧みるような奴ではないね」
「言ってくれるじゃない。否定はしないけど」
と、それだけ言うと、パチュリーは大きくため息をついた後、ゆっくり口を開いた。
「まぁ、どんな味がするかも分からないし…もしかすると毒かもしれないしね。文字通りレミィに毒味をしてもらおうかと」
「ようしパチェ。グーパンチが良いかグングニルが良いか選びなさい。今なら選択権はあるわよ」
レミリアの拳が不気味な紅色の光を発し始めるのを見て、咲夜はさらに慌てる。しかし、当のパチュリーは余裕たっぷりの様で、レミリアに不敵な笑顔を送るだけである。

「怒らないって言ったじゃない」
「怒ってないわよ。ただ目の前の友人を殴りたくなっただけ」
「お嬢様、そういう感情を世間では怒っていると」
「大体ね、レミィは吸血鬼なんだからさー。並大抵の毒じゃ死なないでしょうに」
「そういう問題じゃないだろ」
「お、お二人とも落ち着いて」
「私は落ち着いているわ咲夜。レミィが勝手にカッカしてるだけ」
と、パチュリーが言いかけたその刹那、レミリアは瓶を持つ腕を大きく振りかぶって、その友人に向かって…やり投げの如きフォームで、例の茶色い瓶を投擲した。

レミリアとパチュリーの距離は数メートル程度。吸血鬼の卓越した膂力から投擲された瓶は、錐もみ回転をしながらも、また精密にパチュリーの顔面を狙って凄まじい速度で飛んで行く。
忘れてはならない、二人の距離は数メートル程度。つまり、その瓶が、パチュリーの顔面に到達するまでの時間は、わずかコンマ1秒にも満たない。
いくら魔法使いと言えども、吸血鬼の投げた瓶が顔面に叩き付けられればただ事では済まされない。最悪死ぬ。だがしかし、当のパチュリーと言えば。

いつの間にか詠唱を完了していた木属性の魔法によって、彼女の正面には空気が渦巻いていた。床の埃を巻き上げ、一瞬にして小さな渦を形成する。竜巻とまでは行かないものの、瓶の軌道をずらすのには十分過ぎる勢いである。
ビュウ、とパチュリーの顔の横を、すれすれで瓶が飛んでいく。彼女の長い髪が舞った。

パチュリー顔面コースをずれた瓶は、後方の壁に向かって凄まじいスピードで飛んでいく。もはや、瓶を止める者は誰もいない。もちろんこのまま壁に衝突すれば、瓶は粉々に砕け散り、中身の液体もろともお別れである。
レミリアが爆弾と間違えた瓶。パチュリーがその友人に毒味させようとしていたその中身。二人の心の中には、一瞬だが…この瓶を失うことに対して、淋しさのような感情が芽生えていた。時間が遅く感じられる。この瓶と出会ったのはほんの少し前であるが、今思い返せば色々な事があった。

パチュリーはこの瓶をレミリアの下に届ける為、いつも以上に気配を消すべく手の込んだ魔法を使った。普段扱うことが少ない魔法であったため、準備に少し時間がかかった。そういえば、何が自分をそこまで動かしていたのだろうか。パチュリーは自分自身で、その答えを見出せないでいた。確かに、この瓶をレミリアに渡してその反応を見たいという欲もあったが、それ以上に、彼女はこの瓶に魅了されていたのかもしれない。茶色い瓶に、散りばめられた白玉。対称的な瓶内の白い液体。図書館内のわずかな灯りであっても、それはきらきらと輝いていた。
さして理由の無い何かへの期待。日常を破壊し、非日常を謳歌したい。そんな感情こそ、二人がこの瓶に魅了された理由だったのかもしれない。


だがしかし、瓶が壁に衝突する瞬間、その瓶は一瞬の内に消え去った。目視できないほどバラバラに砕け散ったという訳ではない。音も無く、突然消滅したのである。
どこへ消えたのかと、二人が問う前に、時間操作を得意とする瀟洒な従者の手の中にはしっかりと茶色い瓶が収められていた。
レミリアは胸の前で小さく拍手をしながら、「さすが、咲夜ね」と褒めると、咲夜は少し照れたように笑顔で応えた。

「飲み物を粗末にしてはいけませんわ」
「その通りね」
パチュリーは何事も無かったのごとく、髪をいじりながら口を開いていた。全く反省の色が見えない。その姿を見て、怒る気すら無くなっちゃった、とレミリアは小声で呟く。また深く玉座に腰をかけると、咲夜に向かって手の平を向けた。
瀟洒な従者はすぐさま瓶を投げる。しかし軽くである。彼女はそれをキャッチすると、大きくため息をついた。

「もう良いわ、疲れたし。私はあんたを許す」
「さすがレミィね。器が大きい」
「ふふふ、お二人とも仲直りしたようですわね」
咲夜は笑顔である。一方、レミリアはかなり不機嫌そうな表情をしているが、パチュリーは飄々とした様子である。

「せっかく友人がくれたプレゼントだ! 飲まないのは失礼にあたるな」
「よく分かっているじゃない」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
レミリアは瓶を高々と上げ、大きく宣言する。止めに入るのは咲夜。またもわたわたと手を振りながら、完全にその気になっている二人の間に入り、その主人の方に向きを変える。その表情は決死のそれである。

「毒味ならこの咲夜にお任せください! 万が一でもお嬢様に危害が及ぶようなら、命に代えてでも」
そこまで言いかけた所で彼女は、目の前に突き出された小さな手のひらに閉口せざるを得なかった。勿論それはレミリアの手である。
「貴方は人間、私は吸血鬼。どっちが毒に弱いかなんて、言うまでもないでしょう」
「それは勿論ですが…」
「駄目ね、咲夜。ご主人様のいう事が聞けないの?」
「うう」
「ま、心配しないでよ。もしレミィが倒れても、さくっとこの私が回復してみせるわ」
と、したり顔で言い放つのはパチュリー。レミリアは非常に腹が立った。しかし実際の所、この液体が万が一彼女の体を侵す程の毒であったとしても、彼女がいれば助かる見込みはかなり高くなる。惜しむべくは、この毒かもしれない液体を飲むことになった原因が、彼女にあるということである。

「よし、じゃあ咲夜。グラスの用意だ」
「御意」
しかし切り替えが早いのは咲夜も同じ。今この瞬間まで、二人に言いくるめられて少し涙目であったが、すぐさまいつもの瀟洒な表情に切り替え、主人に向かって頭を下げる。
そしてまた、瞬き程度の間に、レミリアの前には一本のワイングラスが用意されていた。よしよし、と咲夜を撫でると、彼女は顔を綻ばせた。満更でもないようだ。

レミリアが咲夜に瓶を手渡すと、また一瞬の内に瓶の蓋が開かれて、ワイングラスに白い液体が注がれる。思っていた以上に粘り気のあるそれに、三人は少しだけ顔を顰めるが、グラスの半分程度まで液体が注がれると、その輝きに目を奪われた。シャンデリアの淡い光によって、グラス内の液体はきらきら輝いている。爽やかな香りが広がった。

「さて、一気にいくよ」とレミリアがワイングラスを掴む。
咲夜が心配そうに見つめる中、パチュリーは「一気!一気!」と楽しそうに友人を煽っている。殴ってやりたいとは思うものの、ここは我慢だ。それが大人の対応というものである。

ワイングラスの縁がレミリアの唇に重なる。それを傾けると、グラス内の液体が、彼女の喉に流し込まれていく。その瞬間であった。
「ご、ごほっげほっ」
突如、レミリアが激しく咳き込みだしたのである!
口からこぼれだした白い液体は、深紅色の床を白く濁らせた。何度も咳き込むレミリア。咲夜とパチュリーは血相を変え、レミリアのもとへ駆け寄りながら、「お嬢様!ご無事ですか!」「ちょっと待ってなさい、すぐ助けるから!」と大慌てである。
咲夜は一瞬の内に消え去り、どこからか一人で担架を運んできた。パチュリーはパチュリーで、どこからともなく分厚い魔導書を取り出し、よく分からない言葉で詠唱を始めている。

「ちょ、ちょっと待っごほっ」
レミリアが咳き込みながら、苦しそうに言葉を紡ぐ。白い液体が飛んだ。
「レミィ、少し黙ってなさい! 無駄に体力を消費するといくら吸血鬼だってどうなるかわからないわよ!」
「い、いやだからごほっ」
まだ咳が止まらない。とても苦しそうである。

「すぐに医務室に運びます! 少しの間じっとしていてください!」
「だ、から!ちょっと待ちなさごほっ!」
咲夜がレミリアの小さな体を担架に乗せたその瞬間、彼女はバッと起き上がり、また玉座に飛び戻った。途中で何度も咳をしながら。咲夜は担架に戻るように促すが、彼女は全く意に介さない。パチュリーの周りには、既に不気味な魔法陣が渦巻いていた。

「どうしたのよレミィ! 早く治療しないと、本当に取り返しのつかないことに」
「ごほっごほっ、だから! ごほっ毒とかそういうんじゃごほっ無くてね!」
顔を真っ赤にしながら、彼女は叫んだ。
「甘すぎるのよこれ!」
「は?」

しばらくして。
レミリアは未だに顔を真っ赤にしながら、腕を組んで玉座に腰を据えている。咲夜がすぐに運んできた水によって、彼女の喉はいくらか回復したようであるが、それでもまだ痛みは引いていないらしく時々咳き込んでいる。彼女は友人を恐ろしい形相で睨み付けているが、当のパチュリーはどこ吹く風である。どこからか取り出した分厚い本をぺらぺらと捲っていた。
何でも、例の飲み物は恐ろしく甘いだけでなく、若干の粘り気があったおかげで、長らくレミリアの喉に張り付いて大変だったらしい。彼女は甘党であるが、それすらを凌駕する程度の甘味であったとか。

「…酷い目にあったわ」
「ご愁傷さま」
パチュリーはまるでレミリアと顔を合わせようとしない。レミリアはグラスを投げつけようとして止めた。これ以上彼女に付き合っていても仕方がないと踏んだのである。この面倒臭い魔法使いを相手に構っていると日が暮れてしまうことなど、とうの昔に理解している。レミリアはまた大きくため息をつき、瓶を指さしながら口を開く。

「それで。どうするのよこれ」
「お口に合わないようでしたら、私が処分致しますが」
「そうだな。こうも甘くては、さすがの私も飲めないし」
「ちょっと待ちなさいよ、レミィ」
突然、分厚い本をパタリと閉じ、完全に咲夜と向かい合っているレミリアに顔を向ける。もはやレミリアはその友人の顔を見ようともしない。パチュリーはそんな様子を歯牙にもかけず、片指で瓶を差しながら。

「それ、水で薄めたら美味しいんじゃないかしら」と提案をした。

「あっなるほど。それは良い案ですね」
「でしょう。どうかしらレミィ。試してみる価値はあると思うけど」
レミリアは、したり顔の友人の顔を睨み付ける。パチュリーは余裕の表情で見つめ返す。少しの間、この間に沈黙が降りたつ。
しばらくして、レミリアがグラスを上げると、一言。
「咲夜、水の用意はできてるわね」
「勿論ですわ。おかげさまで準備は万端です」
嫌味かコイツとも思うが、とにかく仕事が早いのはありがたい。咲夜はお盆に例の茶色い瓶と、また装飾の美しい透明な瓶を乗せている。透明な瓶には、また透き通った水が入っていた。さきほどはこれを流し込み、なんとか事なきを得たので、命の恩人と言えばその通りである。
「よし、じゃあ私が止めろという所まで液体を注いでくれ。あとはお前に任せるよ」

「お任せください」と答えると、咲夜はグラスに白い液体を注ぎだす。ころころ、とグラスが白い液体で満たされていく。グラスの半分程度に液体が注がれた所で、「ストップ!」とレミリアが大きく叫んだ。咲夜は茶色い瓶の蓋を閉め、今度は透明な瓶を持ち出して、水を注いだ。
ほんの少し水を注いで、グラスは七割程度の液体で満たされている。真っ白で粘り気のあった液体は、注がれた水によってかなり透明に近づいていた。咲夜がマドラ―で液体をかき混ぜる。

「よし、じゃあ飲んでみよう」
「そんな配合で大丈夫かしらねぇ」
レミリアはふん、と鼻を鳴らした後、一気にグラス内の液体を飲み乾した。
しばしの沈黙。

飲んだ後、しばらく目を瞑っていたレミリアであったが、目を開いた時には、少し涙目になっていた。
「…ちょっと甘すぎる」
「だ、大丈夫ですかお嬢様」
「ほら言わんこっちゃない。私に任せなさいよ」

パチュリーは咲夜にもう一つグラスを持ってくるように促すと、茶色い瓶を咲夜から受け取る。すぐに用意されたグラスを手に持ち、自分の手で瓶から白い液体を注いだ。
今度はグラスの底にほんの少し、ほんの少し注いだ程度である。ちょっと液体を垂らした程度だ。茶色い瓶を咲夜に手渡し、今度は透明な瓶を受け取る。透明な瓶から水を灌ぐと、グラスはまた七割程度の液体に満たされた。さきほどのレミリアが調合したものよりだいぶ色が薄く、外見は水が少し白く濁ったようにしか見えない。

「じゃあ、いくわよ」
パチュリーは一度レミリアの方に顔を向けてから、グラス内の液体を一気に飲み干した。
しばしの沈黙。パチュリーの表情は、したり顔から徐々に真顔に変化している。

「…ただの水だわ、これじゃ」
「何よ、全然駄目じゃない」
「もう少し液体をお入れになったほうがよろしかったですね」
段々不機嫌な表情になるパチュリーを見て、レミリアは笑みをこぼす。咲夜も苦笑しているようだ。


「さて」
突然ここで、レミリアが急に玉座から腰を上げ立ち上がる。目を瞑りながら、腕を組みながら。何かを考え終えた、という体であろうか。
彼女の思考回路は、常人には理解しえない。常人でない魔法使いと瀟洒な従者ですら理解できていない。二人は、「さて」の次に彼女の口から飛び出す言葉、きっと突拍子も無いであろう言葉を、全くといっていいほど予想できていなかった。
レミリアは、玉座の横を歩きながら語る。

「たかが二度の挑戦で、これがあまり美味しい飲み物ではないと証明できたかしら」
二人は押し黙るが、レミリアは二人の返答を待つまでもなく言葉を紡ぐ。
「この液体の真の実力は、こんなものじゃないわ」
咲夜の持つ茶色い瓶の方向を、ちらりと一瞥した後そう言い放った。

その瞬間。
びしゃーん、と凄まじい轟音と共に、紅魔館のすぐ近くに大きな雷が落ちた。
幻想郷は今も夏真っ盛り。そろそろ夕方を迎えようとしていたその刹那、夕立によるゲリラ的な落雷である。この部屋からは見えないが、今や外は暗黒の雲で覆われ、世界の終焉の如き豪雨が、地上を容赦なく叩き付けていた。
レミリアはなおも続ける。

「高潔な吸血鬼たるこの私が、完璧を追い求めないでどうする! 究極の調合を、至高の味を、紅魔の全勢力を以て明らかにしてみせよう!」
どがしゃーん、と再び大きな雷鳴が轟いた。


それからどれほどの時間が立ったであろうか。この部屋は太陽の光がほとんど差し込まない為、彼女らが時間間隔を失うのは仕方がないと言えばその通りではあるが、そんな些細な感覚の差など関係が無いほど、時間は経過していたのである。今や、外は日が沈み…そして、既にまた新たに東から太陽が昇り始めているのだ。部屋に取り付けられていた振り子時計の短針は、5時を指していた。

それでも例の三人は、なおも全く諦めることなく、究極の味を求めて白い液体と水を調合し続けていた。レミリア、パチュリーの両名は既に目の下に深い隈ができている。夜更かしをすること自体は彼女らにとって大した問題ではないのだが、何よりも非常に精密さを必要とする作業が続いているのである。精神的な疲弊は大きい。咲夜は時々、時間を止めて休憩しているのであろうか、一見疲れの色は見えない。それでも、段々動きが鈍重になるのを見る限り、確かに疲労が溜まっているのであろう。

三人ともに、今やほとんど無言であった。グラスに白い液体と水を注ぎ、その割合を読み上げる係とそれを記録する係。余った一人は、わずかな休憩の時間を。割合を読み上げる声だけが響き渡っていた。

「…今、何回目?」
「正の字を数えるのすら億劫になってきたわ」
レミリアとパチュリーが会話を始める。今は咲夜が液体の調合係である。
さすがに疲れが出てきたのか、会話でもしなくてはやってられない。レミリアの思いつきで始まったこの作業であるが、今でこそ三人は妙な連帯感に包まれ、最高の味を求めてひたすら作業を続けていた。

彼女たちは何度か、とても美味しい調合パターンを見つけた。しかし、これが最高の味か、というと少し疑問が残る。そもそも、最高の調合パターン…至高の味が存在するのかというと、それこそ疑問である。しかし三人は、何の根拠もなく、至高の味をやみくもに追い求め続けているのだ。
「まだよ、まだ終わらないわ…。最高の味を見つけるまで、終わらせないんだから」
「ええそうよ。ここまで来たんだもの、やるからにはやらないと」

しかし、そんな時であった。
突然、咲夜がガタリと音を立てて立ち上がった。
二人が振り向くと、咲夜は目を大きく見開いたまま、液体の入ったグラスを持って震えている。
「ど、どうしたのよ咲夜」
レミリアが心配そうに尋ねる。さきほどまでは少し疲弊している様にも見えたので、レミリアとしても心配なのである。しかし、咲夜はその言葉によって我に返ったのであろうか。二人の方に向き直り、爛々と輝いた目で語りだした。
「こ…これです!これこそ、黄金比…!至高の味!究極の味ですわ!」

咲夜はいつもの瀟洒な表情とは打って変わって、興奮した顔持ちで両者のもとに近寄り、無理やり両手で握手を求める。二人は最初こそ困惑していたが、徐々に咲夜が本気だと分かってくると、両者ともに興奮し、
「え、ちょっと、本当なの!」
「どんな割合なのよ!」
「それはですね…」
咲夜は一度間を開けたのち、笑顔いっぱいに叫んだ。
「液体、水が…一対四の割合です!」
「ちょっと待って。そんなもの、何時間も前に…」

と言いながら、パチュリーはしかめ面で手元にある分厚い紙の束を捲る。今でこそ分厚くなっているが、もちろん最初の内は一枚の紙であった。作業の記録を取り、纏めていく間に、ここまで分厚くなってしまったものである。
途中で目当ての頁に到達し、彼女が目を通すと、彼女は大きくため息をついた。しかし、その目は光り輝いている。表面は冷静を装いながらも、内の興奮は隠しきれていないようだ。
「…灯台下暗しとはまさにこのことね。ちょうど、その割合だけ挑戦してなかったわ」
「さすが咲夜ね! 私の従者なだけある!」
「いえいえ。先ほどは、ちょっと調合を間違ってしまいまして。この際にと思って試してみたら、ビンゴだったのですわ!」

レミリアが咲夜に抱き付く。咲夜は顔を真っ赤にしながらも、抱き返して喜ぶ。二人がそうしている姿を、パチュリーは笑顔で眺めている。ワイングラスに残った液体は、天井のシャンデリアの淡い光に照らされてきらきらと輝く。穢れの無い純白でありながら、水の透明感を併せ持つその液体の美しさは、見る者を魅了してやまないであろう。
そんな中、パチュリーは茶色い瓶を覗き、ある事に気付いた。
「咲夜。もうこの液体、ほとんど残ってないわよ」

「あ、はい。実は、次の一杯で最後となりまして…」
「なるほど、まさに運命の悪戯って奴かしら」
「あまり量はないけど。これを三人で分けて飲むのね…」
「いいじゃない。至高の味は、これぐらいの量が丁度いいのよ」

レミリアがそう言って指を鳴らすと、咲夜は一瞬の内に綺麗なグラスを二本用意し終えていた。お盆に乗せられたグラスを二人が手に取ると、咲夜は瓶に残った僅かな液体を注ぐ。慣れた手付きで水を注いで、一対五の割合になるよう調整する。マドラーで軽く混ぜると、また見事な輝きを放つ白い液体が完成した。
レミリアはグラスを見つめたまま目を離そうともしない。パチュリーはパチュリーで、片手にグラスを持ちながら、記録用の紙になにやらカリカリとペンで書き入れをしている。咲夜はというと、さきほど完成した液体を手に、今か今かと乾杯の時を待っているようだ。

ついに、レミリアがゆっくりと玉座から立ち上がり、グラスを片手に宣言する。

「さあ、ついにこの時がやってきた。我々の長きに渡る戦いに、終止符を打つ時がやってきたのだ! この液体は、まさに好敵手と呼べる相手! 我々をここまで手こずらせるとは、敵ながら天晴。しかしそれは、この者が正々堂々と戦い、我々もそれに応え全力で戦ったからに他ならない! この者に、そして共に戦った我が戦友に敬意を示し、いざ乾杯!」


レミリアの声と共に、三人は液体を一気に飲み干した。
液体が喉を通る瞬間、濃厚な甘み、爽やかな酸味が口の中に広がる。甘酸っぱい香りが鼻を通り抜けて行った。既に粘りは消え、完全な液体となっている。それでいて、白い液体本来の深みを残しながら、もはや非の打ち所のない飲み物としてそれは存在していた。
「美味しい…」「これは…まさに、至高ね」「本当に、その通りですわ」口々に感想を述べる三人。
彼女らの表情は、その疲れなど吹き飛ばすが如く、晴れ晴れとしていたのだった。
三人は互いの苦労を労い、称え合い、そして笑い合った。
飲めば分かる。彼女らの一致する感想といえば、まずこれだ。この液体を語るに言葉は必要ないのである。それほどまでに完成された飲み物だったのだ。


その後、例の瓶は、紅魔館の庭に墓石と共に弔われる事になった。
勿論レミリアの提案である。神に仇なす悪魔である吸血鬼が死者の弔いとは皮肉な話ではあるが、彼女はもはや、この瓶をただの瓶だとは思っていなかった。彼女にとって、あの瓶は非日常の象徴であり、羨望の対象でもある。永く生きている彼女の最も大きな苦痛は、退屈であり日常であるのだ。一日という彼女にとっては短い時間であったが、それでも自らに非日常を与えてくれたこの瓶には、感謝以上の何かを芽生えさせてくれたと、彼女は考えていた。

(もう、あの瓶と出会うことはないだろう)
彼女は楽観的でもあった。
日本語には、一期一会という慣用句があったな、と彼女は思い浮かべていた。一生に一度の機会というのは、あまりに非日常すぎる。しかし、それは必ずや、日常に転がっているのだ。
(でも、それはそれで、良いのかもしれないね)
あの瓶に出会って、彼女の内面で何か変わったことはあったか? そんなものは無い。
彼女はいつも通り、退屈な日常を破壊し、非日常を楽しんだだけである。しかし、それこそが永く生きる妖怪たちの楽しみであるのだ。
日常の中の非日常。
彼女達はこれからも、日常を謳歌していくことであろう。その中の、ほんの少しの非日常を信じて。
「しっかしまぁ、一体誰が図書館にジュースの瓶なんて…」
葬儀中、レミリアはぼそりと呟く。
しかし、そんなレミリアの最後の疑問も、真相は闇の中。誰も気に留めることなく、今回の出来事は日常に埋没していくのであった。



















その日の午後、香霖堂にて。
「ああ君たちか。いつもお世話になってるよ。今日はね、とっておきのものが入荷したんだ。これを見てくれ。
茶色い瓶、この飲み物はね、カルピスと言って…ん?知ってる? ああ、それなら話は早い。昨日紫が…いや、独自のルートで手に入れたんだがね。この飲み物は、原液のまま飲むともの凄く甘くて、とても飲めたものじゃないんだ。え?水で割って飲めばいい? お、そうそう、よく分かっているね。その通りだ。実は、この瓶のラベルの部分だが、ここに液体と水の割合が記述してあってね。液体と水、一対四の割合で混ぜると、最も美味しい味になるんだ。いやはや、とても美味しいから、是非君たちにも勧めたい。君たちにはいつもお世話になっているから、今日は特別に二本買ってくれればもう一本おまけに…って、何をそんなに怖い表情をしているんだい。え、ちょっと、その大槍は一体」

後日。香霖堂の壁に、一つの大きな風穴が開けられていたのは、また別のお話。
このお話を書くにあたって、カルピスの原液をそのまま飲んでみたところ喉が死にました

PS. しっかり調べてみた所、1:4が黄金比らしいです。ご指摘ありがとうございます
駄目星
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コメント



0.1060簡易評価
1.90名前が無い程度の能力削除
誰かレミィが咳き込んだ所の絵を描いてみてください
2.80名前が無い程度の能力削除
毒見とかなんとか言って、実際飲んだレミリアが咳き込み出すと慌てるパチュリーかわゆす
5.80名前が無い程度の能力削除
レミリアとパチェの仲良しさと割とパチェがわたわたしてる所がなんか好き
8.90名前が無い程度の能力削除
瓶のカルピスが幻想入りか
せき込むレミリアは超かわいい
ところでカルピスは5倍(カルピス1:水4)に薄めるのが基本じゃなかったっけ
9.90奇声を発する程度の能力削除
この雰囲気と感じ大好き
11.100名前が無い程度の能力削除
子供の頃、こんなに美味しいなら薄めず飲めばもっと美味しいと思って…
霖之助がとばっちりすぎるw

ちょっと細かいところですが、セミの抜け殻などが語源なので
>蛻の空
蛻の殻
15.無評価名前が無い程度の能力削除
3:7だ、公式の1:4は少し薄い
3:7こそが黄金比
3:7こそが俺の正義
20.90名前が無い程度の能力削除
やれやれ、わかっていないな。
1:5 だ。公式ではやや濃すぎる。
カルピスの風味を損なわずに、甘みを抑え、喉越しを良くした配合比。
21.80名前が無い程度の能力削除
炭酸水と一緒に楽しむ。
27.90名前が無い程度の能力削除
え? カルピスって牛乳と1:4で混ぜるものじゃなかったの?
32.100満月の夜に狼に変身する程度の能力削除
牛乳と2.5:1で混ぜて氷にして夏場に食うとうまいんだなこれが