「恋人よりも、深く思い合えるように感じられる。言葉も要らぬほどに、深く相手を理解できるような気がする」
何故私が将棋を好むか、と言えばこの一言に尽きるだろう。
百万の言葉よりも、一手の方が相手を深く理解できると、私は信じている。嘘も紛れもない本音が、盤面に浮かぶのだと。
だから、私は将棋が好きだ。本将棋でも中将棋でも大将棋でも……新しいものなら五十年ほど前に外の世界より流れ着いた軍人将棋……あるいは、数年前に流れ着いたどうぶつしょうぎ。それでも飽き足らねば己でルールを拡張する。将棋なら、全てが好きだ。
私たちは、盤面を挟んで向かい合っている。にとりの家で、一勝負を終えたところだった。相手は、にとりではなかったのだが。
「なるほどねえ」
ともあれ、私の言に理を感じたのか、にとりも頷いていた。
「でも、椛に恋人なんていたことあるの?」
そしてこの河童は話の腰を折ってくれた。沈黙は金。私は、沈黙だけを返す。息苦しい沈黙が続く。確かにそのような前例はないが、私の仕事は多忙だ、休みも少なく、山から離れる機会も少ない。その他諸々の、やむを得ない事情もあるのだ。
重苦しい沈黙が続く。私は気を取り直し、口を開く。本題に戻す。
「それはさておき、だからあれはつまらんのだ」
あれ、とはにとりの作り出した発明品「全自動将棋指し機」だ。先刻、一局指したのだが、呆れるほどに弱い。のみならず、一手指す間にお茶の一杯でも飲めそうなほどに時間がかかる。まったく、酷い代物だった。
「将棋を指そうと言うから、せっかくの休みにわざわざ来てやったというのに」
「将棋は指せたじゃないか、私が指すとも言ってはいない、嘘は付いてないよ」
「相変わらず口は達者な奴だ」
私はため息を漏らした。せっかくの休みは、にとりの新発明の手伝いに終わったらしい。
「到底あんなものが売れるとは思えないがな」
私はにとりの脇にある、巨大な機械――全自動将棋指し機――を見やる。様々な道具の置かれた雑多な部屋の中でも、一際異彩を放つ巨体だった。
その裏には、まさしく在庫の山がある。「全自動卵割り機」なる品だ。
「卵は手で割ればいい。将棋は人と指せばいい。何も、機械に頼る必要は無いだろう。だいたい、何をどうすれば卵割り機なんて発想が思いつくんだ」
「……外の世界の書物で流行ってると聞いたんだ」
「外の世界ではどうあれ、実際、在庫の山だろうに」
まあねえ、と苦笑しつつ、にとりは首を振った。
「でも、将棋指し機は売れるよ、こいつも外の世界じゃ大人気らしい。それもそうだね、だって、いつでもどこでも好きなときに将棋が指せるんだ。これは便利だよ」
それ自体には一理がある。とはいえ、
「いつでも、どこでも指せないとしても、そこにまた趣があると思うがな。勝負の日を定め、相手を思い、研究しつつ、その日を待ちわびる。これもまた面白いものだ。まるで逢い引きの日を待つ乙女のような気分になるぞ」
決戦の日を指折り数え、待つ日もまた面白いものだ。機械では、その味が無いと思える。
「で、椛にそう言う経験はあるの?」
「例えだ」
「ま、確かに、椛みたいな玄人はそうかもしれないけどさ、初心者なんてのは駒を動かしつつ学んでいく物じゃ無い? いくら本を読んでも実践しなきゃわからないし」
「ふむ。確かに論語読みの論語知らずとも言う。実践は重要ではあるが……」
にとりの論は理解できた。ひょっとすると、これは売れるかもしれない。
「現状ではあまりに弱く遅いがな」
「それはこれから改良していくよ」
初心者でも大勝できる弱さを改善すれば。しかし、仮にどれだけ強くなっても、私には縁がないものだろう。
「いずれにしても私には興味のないものだ、強い弱いではない、不気味だよ、そいつは」
「不気味? なんで?」
「何を考えているのか全く理解できん。強い弱いの問題でもない。初心者でも初心者なりに、やはり意図や狙いが手に現れるものだ。引いては、それこそが指し手の人生を示すものでもある」
「人生か。大きく出たねえ」
「何も大きいものではない、それまでの経験が性格を作り、人妖を作り、引いては一手を作る。当然だと思うがな。お前の手もまた、お前そのものが現れている」
「哲学的だね。まあ、機械には人生もない、私たちみたいな考えも無い、椛の言も正しくはあるのかもしれないけど」
にとりは、笑いながら言っていた。いささか、不真面目な態度にも見えた。
「お前がどう思うかはさておき、私は将棋互いが互いに学ぶ物だと思っている。勝負の場にしかない、お互いを高める関係があるとな。それを思えば機械は駄目だ、学ぶところも、学ばせる所もない」
「さあねえ。私はそんな高尚なことは考えてない、命名決闘も将棋も勝てば官軍さ」
その笑みは、皮肉げだったろうか。いずれにしても河童らしい態度だった。皮肉な態度を好み、自分のために動くと公言してはばからないのが河童というものだ。だから、
「良いことを思いついたよ。私に名案があるんだ」
急にそんな甘言を吐かれれば、無論警戒する。
「河童の名案がもたらした結果は、全てろくでもないことだな、私の知ってる限り」
「いやいや、将棋を指すだけさ。今度、縁日に出るんだ。まだ何をするかは決めてないけど」
「寺からも神社からも出禁を喰らったと聞いたが?」
「うん、寺の尼さんには土下座してなんとか許して貰った。で、指導対局なんてどうかなあって」
「ふむ」
悪くない案だと思えた。山にいるときは、どうしても余所者とは指しにくい、山への侵入者を追い払うのが私の職務なのだから。とはいえ、別に外の妖怪や人間を毛嫌いしていると言うことも無い。
「ギャラも出すよ」
「悪くないな。休みが取れれば前向きに検討してもよさそうだ。人間にも猛者は多いと聞く、ともすれば胸を借りることにもなるかもな」
「でも、ただのお遊びでもつまらないし、ちょっとした商品くらいは付けても良いかなって。真剣とはいかないけれど」
「真剣は止められてるよ、流石に」
真剣、つまりは金をかけての将棋。天狗というのは元来が将棋好きだ。それと金が絡めば職務どころではない、風紀も乱れる。故に、今では天魔様に止められている。
「だから、ちょっとしたお遊びさ。参加料を取るだけなのも申し訳ない。おまけの一つくらい付けてやろうかと。ま、椛が負けることもまずないだろうし」
「将棋には自信があるが……上には上がいるとも承知、決して慢心はできないさ。先日も外の世界の棋譜を見てなあ。加藤一二三という棋士なんだが、これが棒銀しかしないくせにめっぽう強くて――」
幻想郷にも、時折外の世界の棋譜が流れ着く。それを見ると、顔も何も知らぬその棋士を、幻想郷の民よりも深く理解できるように思える。語れば尽きぬほどに、思い焦がれてしまう。
「うん、ああ、まあそれはさておき、椛、やってくれるかな? 休みだってきっと取れるだろう? 有給なんて使ってないだろうし」
あいにく、にとりは関心が無いようだったが。
「ところで、商品とはなんだ」
「で、休みなんてどうせ取れるよ、何、いざとなったら私が賄賂……もとい、誠意を持って頼めば。日時はわかってるし、お膳立てもしておくから、当日来てくれるだけで良いよ」
にとりにはそんな権力はあるのだろうか。河童なんてのは腹黒いから何があるかわからないが……。そう、腹黒いのが河童だ。
「だから商品は何かと」
「…………」
一瞬押し黙り、ははは、と笑いつつ、軽口のようににとりは言った。
「脱衣将棋をやろうかなあと。大丈夫大丈夫、椛なら負けないさ、それにいざとなったら靴下や手袋や帽子をたっぷり付けてくれば、向こうも必死になって挑戦してくれそうだし焦らしては――」
私は立ち上がり、鞘より剣を抜き、一閃の下に煌めかせる。にとりは一瞬で崩れ落ちる。
「しまった、嶺で打ってしまった。そのふざけた口を体から引き離してやろうと思ったんだが……」
「うごげごごご……」
「がびがびぼびぼび」
にとりのうめき声と、にとりの体当たりを受けた機械が鈍い音を唱和していた。私は、崩れ落ちる河童を睨み付ける。
「よし、じゃあ私は行くぞ、もう二度とお前の誘いには乗らないからな」
「ちょ、本当に痛い……首にぶち込むとか……」
「首を切らなかっただけ有りがたく思え」
「いや、これは……ああ、でも待って……私も、椛と将棋を指そうとも思ってたから……」
「負けても要求など聞かんぞ」
きっぱりと言いつつも、私は座布団に再び腰を下ろしていた。将棋、と言われればこうなってしまう質なのだ。返事が返ってくるには少し時間がかかっていた。とはいえ、悪巧みを企んでもいないだろう、息の荒さを思えば、必死に整えているとはわかった。
私は、盤面に駒を並べていく。にとりの分を並べ終え、自分のを少し置いたところで、間を開けた。
「いや……普通に指すだけで良いよ、単純に、勉強したいんだ」
ようやくにとりが息を整えたところで、私は問いかける。
「平手で良いのか?」
「構わないさ」
私は頷き、そのまま、全ての駒を並べていく。お望み通り、ハンデは付けない。
並べ終えて、歩を五枚取って、振り投げた。五枚の内、「歩」が多ければ私。裏の「と」が多ければにとりが先手だ。
「私が後手か」
「へへ、幸先は上々と」
にとりは笑みを浮かべる。将棋という物は、基本的には先手が有利な遊技だ。僅か一手とは言え、先に仕掛けられるのは確かな優位でもある。もっとも、後手でも気にはならなかった。
そもそも、私は後手が好きなのだ。相手の攻めを見ながら、それを受けていくのが、私の性分に合う。
哨戒天狗とは言え、自分から攻めるのは私の、天狗の仕事ではない。あくまで、侵入者を迎撃するのが白狼天狗の役目だ。思えば、仕事で培われた忍耐が、将棋の志向にも反映されているのだろう。やはり、将棋とは人生が現れるものである。
にとりは駒を動かし、それから、機械のボタンを押した。
「おいおい、またその下らない機械を使うのか?」
「ああ、違うよ、データを……情報を入れてるだけ、学ばせるためにね。言っただろう、勉強したいって。改良するためには棋譜がいるのさ」
「勉強するというのはにとりだと思ったが……」
「私の勉強でもあるさ、将棋なんて久しく指してなかったからね、思い出さないと。棋譜は結構見てたけどさ、自分じゃずっと指してないんだ」
将棋を指す機械を作るなら、作り手が知るべきなのは道理か。にとりの駒を見やりながら、私も駒を動かす。
そこからしばらくは、テンポのよい争いだった。序盤の手順という物は概ね決まっている。定跡というやつだ。にとりも素人ではない、基本程度は抑えている。
その中でも、やはり性格は出るのだが。超妖怪弾頭の二つ名通り、攻撃的な構えを見せてきた。にとりのとった戦法は、俗に「早石田」と呼ばれる物だ。まあ、名前はどうでもいい。重要なのは、それが将棋の中でも屈指の攻撃的戦法であること、そして、ハメ手――初心者殺しで名高い戦法であることだ。
「早石田か。お前らしいな」
私は笑いながら言った。こいつの菊一文字コンプレッサーなんかもそうだが、にとりって奴は素人殺しが大好きなんだ。
「こいつで結構お金を巻き上げてきたなあ。誰も攻略できなかったもんさ。椛だって、知ってても返せないんじゃない?」
「さあてね」
もちろん、素人殺しには相応の対策がある。素人相手ならまだしも、私ならばしっかりとした対策を把握している。こちらの陣地に襲いかからんとする駒たちを、なんなくいなしていく。形勢は、見る見る間に私に傾いてくる。
「……なるほど」
にとりも口数が減ってきた。口数が減り、盤面を眺める時間が増えるほど、にとりの感情が、焦りや苛立ちが露わになってくる。その間に、私は無限の可能性を考える、三手先、五手先、十手先を。にとりの考えが、手に取るようにわかる気がした。
「こうなれば、下手の考え休むに似たりってか」
呟き、にとりは駒を打つ。完全に、予想外の手だった。私が思いつかない手は非効率な悪手だと思うが……
にとりがわからなくなった。頭の中にだけあった、十手先の未来は、既に消えてしまった。にとりなら何を考えるか、にとりならどうするか、必死に考えて、掴めない。人生でこれ以上も無いだろうと言うくらいにとりを考え……私は弱い音で駒を打った。
にとりは瞬時に指し返してくる。ままよ、と私は思う。私も直感に身を任せ、先の読めない乱戦に身を投げ出した。
パン! パン! と駒が躍動する。盤面から、駒が失われていく。同時に、私の駒台には駒の山が生まれていく、にとりも同様に。
「こりゃあひょっとすると私が勝つかもね」
「何を馬鹿な事を、乱戦こそ経験の積み重ねが、地力が効いてくるもんだ」
半ばは確信、半ばは己を鼓舞する虚勢、駒が乱れ飛ぶ。
「……しまった、調子に乗って棋譜を入れるのを忘れてた」
幾手か進んだ所で、ふと、にとりは溢した。
先ほど予想外の手を打って以来、確かに、にとりはあの機械を触っていなかった。
「心配するな、棋譜は頭に入っている」
私は返した。言葉を返せるようになったあたりが、私の余裕を表していたのだろう。既に盤上は終盤戦。私は、己の有利を確信していた。
にとりの手が止まった。間を開けて、にとりは指した。最後の攻めに打って出んとする。無駄な抵抗だった。攻めを全て受け止め、さて、あとはこちらが詰ませるだけだ。頭の中に詰みへの道も見えてくる。
「負けました」
しかし、そこに移る前に、にとりは頭を下げていた。「ありがとうございました」と私も頭を下げた。私は駒を最初の形に戻しながら、呟いた。
「相変わらずさばさばした奴だな」
「どう転んでも勝てないんじゃ、続けるだけ時間の無駄だからねえ。負けがわかってる状況のデータなんて役にたたないし」
「そんなことを言えば、将棋こそ時間の無駄じゃないか、素人と素人が指しても、一文の得にもならん」
もっとも、時間の無駄であるからこそ愉快ではあるのだが。それこそが趣味でもあろう。
「いや、私が勝てそうなら良いんだよ、楽しいから」
「自分勝手な奴だ」
私は苦笑しつつ、駒を動かしていく、感想戦、先ほどの棋譜の再現だ。
「投了するにしても、もっと手作りや、終形の美学があるだろうに」
「私はそういうのは興味ないしなあ。勝ちは勝ち、負けは負け、どんだけ悪手でも不格好でも勝てばいいのさ、勝てば官軍だよ、なんだってね」
「そういう考えも否定はしないがな、あらゆる考えが手となり、優劣を決するのが将棋なのだから」
駒を動かす度に、にとりは機械へ打ち込んでいく。先ほどの、機械との一局を思い出す。あれはとにかく弱かった。しかし、なかなか負けを認めようとせず、必死に逃げ回る様には見る物が有った。逃げ足という点だけでは。
「そう考えると不思議だな、お前はあっさりと『負けました』という質だが、あの機械は決して諦めたりはしなかった」
「機械は機械だし。私が作ったとは言え私じゃない。機械はね、終盤には強いんだよ、仕組みの問題で。それに、機械は疲れたとも悔しいとも何も思わないからね、ただ黙々と命令に従い指すだけさ」
「だから機械と指してもつまらないんだろうな……ああ、これは悪手だ。逸りすぎの手だ」
助言を交えつつ、私は動きを再現していく。見直せば、再びにとりの考えが、にとりが掴めるように思えた。一手一手の狙いが、それを生み出したにとりというものが、理解できた。
もちろん、将棋を指す中では、簡単には意図の読めない手もある。こちらには予想できず、意図も取りかねる妙手というものが。しかし、その意図がはたと理解できる瞬間は、必ずやってくる、相手の思いと盤面を凝視する中で、見えてくる。
それは、将棋で一番楽しい瞬間かもしれない――自分には思いつかない物を見て、相手との無言の対話の中で理解したときが。
「行けると思ったんだけどねえ」
「狙いがばればれだ」
時には、それが終わったあとに見えることもある。それはそれでいい、そのために言葉を介す、感想戦もあるのだ。
ますます、将棋を指す機械などくだらないと思った、よしんば腕をあげても、考えの無い機械の思いなどわからない、感想を述べる口も無い。
「こうしてみると、やはり機械は理解しかねるよ。あんな物を作るお前の狙いも」
言いながら、私は駒を動かした。それで終わりだ。にとりが早々に投げ出した最後の局面が、盤上にはあった。
「狙いは言っただろう? あれは売れると踏んでるから作るんだ」
「そうだったな。じゃあ言い直そう。将棋を指す機械が欲しい奴の考えがわからないと。将棋の一番の楽しみ、相手を知ると言うことを省き、何が面白いのやら」
「さあ? ま、私は何があろうが売れれば問題無い、赤字にならず、こうやって作る手間分は儲けてくれれば。私はがめついからね、そんなのは重々承知だ。でも、そんな私でも思うことはあるよ。ああ、機械のことは考えれば考えるほどわからなくなるなあと。一種の愛着や向上心と共にね」
言いながら、にとりは立ち上がって、何かの機械を動かした。
「学びが足りないんだろう」
「そう言う意味じゃない、アリスの自律人形じゃないけど、自動で動く機械はいくつか私も作ってる。売り物にするほどじゃないにしても」
背中越しに、にとりは声を返してきた。
「失敗作か」
「失敗は成功の母さ、でも、あいつは結構役立つよ」
そして、にとりは再び座布団に腰を下ろす。
何をしたのかと思いつつ、しばし待っていると、音が聞こえてきた。がたがた、という荒い音が。
その出所は機械だった。車輪と、腕のようなものが付いた機械が、茶を運んできた――そして、お茶をぶちまけて、転んだ。私の頭に勢いよく、ぶちまけてくれた。
「……うん、まだ改良が必要だけれど、いや、でも、水もしたたるいい女だね」
……不幸中の幸いだったのは、恐ろしく温い茶であることだろうか。私の髪と帽子は水浸しだが、火傷はしなかった。
「お前ごと剣の錆にしてやろうか?」
何かの段差にでも引っかかったのだろうか、茶を運んできた機械は転がり、ひっくり返っていた。そのままの姿勢で、車輪を宙に回している。音だけを上げてむなしく。
にとりは立ち上がると、機械を止め、自らの手で手ぬぐいを運んできた。私は髪を拭く。
その間に、にとりは茶を淹れていた。やはり、己自身の手で。
「話を戻すと、たまに思うんだよ。機械が理解できないのは機械のせいじゃない、機械の考えを自分がわかってないせいかもしれないって」
「そもそも、道具に考えがあるとは思えないよ、付喪神ならさておき」
「さあねえ。少なくとも、私たちの意味する『考え』と機械の『考え』は違うだろう。でも、何がどうしたってこれは確実だ。機械は私たちを助けるために作られ、存在している」
「私は水をかけられたわけだが」
「ミスもあるさね。失敗したあいつは、ひっくり返って虚しく車輪を回していた。でも、それは機械なりの意思表示なんじゃないか、『助けてくれ』じゃないかと思えたりもするんだ」
「ふうむ」
言われてからあの機械を思い出せば、確かにそうも見えただろうか。赤子や子犬が助けを求めるようにも……そこまで愛らしくもないが。
「一理はあるかもしれん」
「将棋もさ、実は機械には何か意図が有るかもしれない、人間には決して思いつかない手を、機械の論理で考えて、実行しているだけかもしれない。私は、外の世界の新聞を見たんだよ、外の世界の機械は随分強いらしい。将棋の玄人でも勝てない、名人でも思いつかない手を指すってほどで」
「いつか、お前の機械もそうなるのかね。底に追いつくのは相当な先だろうが」
「夢のまた夢さ。というか、私の場合強くしすぎてもしょうがないんだけど、誰も勝てない機械なんて売れやしないし。ま、そこはどうでもいいさ、大事なのは、機械の手が読めないやら掴めないってのは機械だけのせいじゃない、こっちも理解しようとして歩み寄れてないんじゃ。ってことだよ」
「機械の考えなんてわかるものか、目も鼻も口も無い――」
言いかけて、私は口を閉ざす。将棋に、そんな物は不要なのだと思い出す。紙に記された無機質な文字……棋譜を見るだけで、相手を深く理解できるのが将棋指しなのだと思い出す。
「……いや、そうなのかもしれないな」
「椛があっさり認めるとは意外だねえ。天狗ってのは保守的で頭が固いのに」
「固いというのは否定しかねるが、意固地でもない、一理は感じた」
「そうかい。まあ、私は機械にはそう思うんだよ、将棋を指す機械でも何でも。天狗と違ってこっちは山の外にも人間にも客が多い、だから色んな種族と会うね、価値観の違った連中と」
「私は山から出るのもあまりないからな」
「商売人ってのは歩き回ることが仕事さ。でまあ、相手の望みをくみ取るのもね。だから、他人の考えを理解しようとはしてるよ、実際はそう上手くは行かないが。人間は盟友なんて言いつつ、そう簡単でもない」
「縁日やらで詐欺紛いのことをするからだ」
盟友、と呼ぶ相手へのヤクザじみた態度を思えばそれは必然だろうとしか思えない。
「あれは正当な商売さ」
にとりは、微塵も悪びれた様子は見せないが。
「まあ、要するにだ。椛、お前さんは機械の考えがわからないと言って、それから少し考えを改めた」
「うむ」
「じゃあ、また機械とやったらどうだい? そうすれば、ちょっとは機械の気分がわかるかもしれないよ。知ってるかい? 外の世界じゃあ、機械と二人一組で将棋を指すこともあるらしい。機械に助言を請いながら指す試合がさ」
「助言か。素人の助けくらいにはなるかもな」
「いやいや、そんなもんじゃない。めっぽう強い連中が、めっぽう強い……名人より強いかもしれない機械と組んでやるんだ」
外の世界の文明が、こちらより進んでいるのはわかる。とはいえ、あの、のろまで弱い機械が名人に比肩する……想像も付かない。
「名人より強いか、眉唾だな」
まさしく、眉唾物だった。
「私も外の世界の書物で、断片的に見ただけだけどね。でも、嘘は無いと思う。そしてだよ、人間には理解できない機械の助言であっても、それを受けるか決めるのは、実際に駒を動かすのは人間なんだ。だからこそ、人間は機械の意図を必死に捉えようともしているんだ」
「ふうむ」
「道具は人間のために必死に考える。手を示すしか出来ない体で、必死に人間の助けになろうとする。人間は、それに応えようと必死に機械を思う。こいつは中々に麗しい関係だとは思わないかな」
私は少し考えて、頷いた。「そうかもな」と呟いた。
確かに、そうなのかもしれない。今の私には、機械の意図や思いは全く掴めない。それでも、幾らかは私に比があるのかもしれない。「機械などわかるものか」と思う私と、私の心に。
「……とはいえそいつはあまりにも弱くて遅い、今のままではやる気にならん。もっと鍛えて出直せということだ。そのための手助けはしてやるから」
「いいねえ」
と言いながら、にとりは盤面を戻していく。
「じゃあ、もう一局、打つかい」
「望むところだ」
私は、駒を振った。今度は、私が先手だ。
「今度は私が後手か、どうやって攻めるかねえ。データも取りたいし」
「余計な事を考えて勝てるほど私は甘くないぞ」
私から駒を打っていく。さて、にとりはどう返してくるかと胸を沸かせながら。
「椛は言ってたね。将棋を指せば、恋人になったかように深く理解できると」
「まあ、な。ともすれば、逢い引きよりも深く、夫婦よりも嘘のない語らいだと思うよ」
「じゃあ、椛と指す相手は果報者だ、そんなにも深く思って貰えるんだから」
「人間でも妖怪でも亡霊でも……天狗とは違った考えと価値観がある」
駒が動き、未知の可能性が広がっていく。
「どんな相手でも、将棋を指す間は理解しようと必死だ。そうすれば、理解できると信じている」
「そうさ。だから機械だって、そのうち椛に思われるに足る相手になるかもしれない、それは良いことだと思わないか? 新しく、深い友人が出来るんだから」
「かもな」
「それにはまだ時間もかかる。まずは縁日で打ってみよう、もちろん脱衣はない、商品もいらないさ。人間との、無言での逢い引き、やってくれるかな」
「逢い引きでも何でもいいよ、将棋なら」
もう、にとりの声は頭から消えていく。気のない返事を返し、無言の対話に没頭する。今回は中々に難しくなりそうだ。さて、どうしたものか。
何故私が将棋を好むか、と言えばこの一言に尽きるだろう。
百万の言葉よりも、一手の方が相手を深く理解できると、私は信じている。嘘も紛れもない本音が、盤面に浮かぶのだと。
だから、私は将棋が好きだ。本将棋でも中将棋でも大将棋でも……新しいものなら五十年ほど前に外の世界より流れ着いた軍人将棋……あるいは、数年前に流れ着いたどうぶつしょうぎ。それでも飽き足らねば己でルールを拡張する。将棋なら、全てが好きだ。
私たちは、盤面を挟んで向かい合っている。にとりの家で、一勝負を終えたところだった。相手は、にとりではなかったのだが。
「なるほどねえ」
ともあれ、私の言に理を感じたのか、にとりも頷いていた。
「でも、椛に恋人なんていたことあるの?」
そしてこの河童は話の腰を折ってくれた。沈黙は金。私は、沈黙だけを返す。息苦しい沈黙が続く。確かにそのような前例はないが、私の仕事は多忙だ、休みも少なく、山から離れる機会も少ない。その他諸々の、やむを得ない事情もあるのだ。
重苦しい沈黙が続く。私は気を取り直し、口を開く。本題に戻す。
「それはさておき、だからあれはつまらんのだ」
あれ、とはにとりの作り出した発明品「全自動将棋指し機」だ。先刻、一局指したのだが、呆れるほどに弱い。のみならず、一手指す間にお茶の一杯でも飲めそうなほどに時間がかかる。まったく、酷い代物だった。
「将棋を指そうと言うから、せっかくの休みにわざわざ来てやったというのに」
「将棋は指せたじゃないか、私が指すとも言ってはいない、嘘は付いてないよ」
「相変わらず口は達者な奴だ」
私はため息を漏らした。せっかくの休みは、にとりの新発明の手伝いに終わったらしい。
「到底あんなものが売れるとは思えないがな」
私はにとりの脇にある、巨大な機械――全自動将棋指し機――を見やる。様々な道具の置かれた雑多な部屋の中でも、一際異彩を放つ巨体だった。
その裏には、まさしく在庫の山がある。「全自動卵割り機」なる品だ。
「卵は手で割ればいい。将棋は人と指せばいい。何も、機械に頼る必要は無いだろう。だいたい、何をどうすれば卵割り機なんて発想が思いつくんだ」
「……外の世界の書物で流行ってると聞いたんだ」
「外の世界ではどうあれ、実際、在庫の山だろうに」
まあねえ、と苦笑しつつ、にとりは首を振った。
「でも、将棋指し機は売れるよ、こいつも外の世界じゃ大人気らしい。それもそうだね、だって、いつでもどこでも好きなときに将棋が指せるんだ。これは便利だよ」
それ自体には一理がある。とはいえ、
「いつでも、どこでも指せないとしても、そこにまた趣があると思うがな。勝負の日を定め、相手を思い、研究しつつ、その日を待ちわびる。これもまた面白いものだ。まるで逢い引きの日を待つ乙女のような気分になるぞ」
決戦の日を指折り数え、待つ日もまた面白いものだ。機械では、その味が無いと思える。
「で、椛にそう言う経験はあるの?」
「例えだ」
「ま、確かに、椛みたいな玄人はそうかもしれないけどさ、初心者なんてのは駒を動かしつつ学んでいく物じゃ無い? いくら本を読んでも実践しなきゃわからないし」
「ふむ。確かに論語読みの論語知らずとも言う。実践は重要ではあるが……」
にとりの論は理解できた。ひょっとすると、これは売れるかもしれない。
「現状ではあまりに弱く遅いがな」
「それはこれから改良していくよ」
初心者でも大勝できる弱さを改善すれば。しかし、仮にどれだけ強くなっても、私には縁がないものだろう。
「いずれにしても私には興味のないものだ、強い弱いではない、不気味だよ、そいつは」
「不気味? なんで?」
「何を考えているのか全く理解できん。強い弱いの問題でもない。初心者でも初心者なりに、やはり意図や狙いが手に現れるものだ。引いては、それこそが指し手の人生を示すものでもある」
「人生か。大きく出たねえ」
「何も大きいものではない、それまでの経験が性格を作り、人妖を作り、引いては一手を作る。当然だと思うがな。お前の手もまた、お前そのものが現れている」
「哲学的だね。まあ、機械には人生もない、私たちみたいな考えも無い、椛の言も正しくはあるのかもしれないけど」
にとりは、笑いながら言っていた。いささか、不真面目な態度にも見えた。
「お前がどう思うかはさておき、私は将棋互いが互いに学ぶ物だと思っている。勝負の場にしかない、お互いを高める関係があるとな。それを思えば機械は駄目だ、学ぶところも、学ばせる所もない」
「さあねえ。私はそんな高尚なことは考えてない、命名決闘も将棋も勝てば官軍さ」
その笑みは、皮肉げだったろうか。いずれにしても河童らしい態度だった。皮肉な態度を好み、自分のために動くと公言してはばからないのが河童というものだ。だから、
「良いことを思いついたよ。私に名案があるんだ」
急にそんな甘言を吐かれれば、無論警戒する。
「河童の名案がもたらした結果は、全てろくでもないことだな、私の知ってる限り」
「いやいや、将棋を指すだけさ。今度、縁日に出るんだ。まだ何をするかは決めてないけど」
「寺からも神社からも出禁を喰らったと聞いたが?」
「うん、寺の尼さんには土下座してなんとか許して貰った。で、指導対局なんてどうかなあって」
「ふむ」
悪くない案だと思えた。山にいるときは、どうしても余所者とは指しにくい、山への侵入者を追い払うのが私の職務なのだから。とはいえ、別に外の妖怪や人間を毛嫌いしていると言うことも無い。
「ギャラも出すよ」
「悪くないな。休みが取れれば前向きに検討してもよさそうだ。人間にも猛者は多いと聞く、ともすれば胸を借りることにもなるかもな」
「でも、ただのお遊びでもつまらないし、ちょっとした商品くらいは付けても良いかなって。真剣とはいかないけれど」
「真剣は止められてるよ、流石に」
真剣、つまりは金をかけての将棋。天狗というのは元来が将棋好きだ。それと金が絡めば職務どころではない、風紀も乱れる。故に、今では天魔様に止められている。
「だから、ちょっとしたお遊びさ。参加料を取るだけなのも申し訳ない。おまけの一つくらい付けてやろうかと。ま、椛が負けることもまずないだろうし」
「将棋には自信があるが……上には上がいるとも承知、決して慢心はできないさ。先日も外の世界の棋譜を見てなあ。加藤一二三という棋士なんだが、これが棒銀しかしないくせにめっぽう強くて――」
幻想郷にも、時折外の世界の棋譜が流れ着く。それを見ると、顔も何も知らぬその棋士を、幻想郷の民よりも深く理解できるように思える。語れば尽きぬほどに、思い焦がれてしまう。
「うん、ああ、まあそれはさておき、椛、やってくれるかな? 休みだってきっと取れるだろう? 有給なんて使ってないだろうし」
あいにく、にとりは関心が無いようだったが。
「ところで、商品とはなんだ」
「で、休みなんてどうせ取れるよ、何、いざとなったら私が賄賂……もとい、誠意を持って頼めば。日時はわかってるし、お膳立てもしておくから、当日来てくれるだけで良いよ」
にとりにはそんな権力はあるのだろうか。河童なんてのは腹黒いから何があるかわからないが……。そう、腹黒いのが河童だ。
「だから商品は何かと」
「…………」
一瞬押し黙り、ははは、と笑いつつ、軽口のようににとりは言った。
「脱衣将棋をやろうかなあと。大丈夫大丈夫、椛なら負けないさ、それにいざとなったら靴下や手袋や帽子をたっぷり付けてくれば、向こうも必死になって挑戦してくれそうだし焦らしては――」
私は立ち上がり、鞘より剣を抜き、一閃の下に煌めかせる。にとりは一瞬で崩れ落ちる。
「しまった、嶺で打ってしまった。そのふざけた口を体から引き離してやろうと思ったんだが……」
「うごげごごご……」
「がびがびぼびぼび」
にとりのうめき声と、にとりの体当たりを受けた機械が鈍い音を唱和していた。私は、崩れ落ちる河童を睨み付ける。
「よし、じゃあ私は行くぞ、もう二度とお前の誘いには乗らないからな」
「ちょ、本当に痛い……首にぶち込むとか……」
「首を切らなかっただけ有りがたく思え」
「いや、これは……ああ、でも待って……私も、椛と将棋を指そうとも思ってたから……」
「負けても要求など聞かんぞ」
きっぱりと言いつつも、私は座布団に再び腰を下ろしていた。将棋、と言われればこうなってしまう質なのだ。返事が返ってくるには少し時間がかかっていた。とはいえ、悪巧みを企んでもいないだろう、息の荒さを思えば、必死に整えているとはわかった。
私は、盤面に駒を並べていく。にとりの分を並べ終え、自分のを少し置いたところで、間を開けた。
「いや……普通に指すだけで良いよ、単純に、勉強したいんだ」
ようやくにとりが息を整えたところで、私は問いかける。
「平手で良いのか?」
「構わないさ」
私は頷き、そのまま、全ての駒を並べていく。お望み通り、ハンデは付けない。
並べ終えて、歩を五枚取って、振り投げた。五枚の内、「歩」が多ければ私。裏の「と」が多ければにとりが先手だ。
「私が後手か」
「へへ、幸先は上々と」
にとりは笑みを浮かべる。将棋という物は、基本的には先手が有利な遊技だ。僅か一手とは言え、先に仕掛けられるのは確かな優位でもある。もっとも、後手でも気にはならなかった。
そもそも、私は後手が好きなのだ。相手の攻めを見ながら、それを受けていくのが、私の性分に合う。
哨戒天狗とは言え、自分から攻めるのは私の、天狗の仕事ではない。あくまで、侵入者を迎撃するのが白狼天狗の役目だ。思えば、仕事で培われた忍耐が、将棋の志向にも反映されているのだろう。やはり、将棋とは人生が現れるものである。
にとりは駒を動かし、それから、機械のボタンを押した。
「おいおい、またその下らない機械を使うのか?」
「ああ、違うよ、データを……情報を入れてるだけ、学ばせるためにね。言っただろう、勉強したいって。改良するためには棋譜がいるのさ」
「勉強するというのはにとりだと思ったが……」
「私の勉強でもあるさ、将棋なんて久しく指してなかったからね、思い出さないと。棋譜は結構見てたけどさ、自分じゃずっと指してないんだ」
将棋を指す機械を作るなら、作り手が知るべきなのは道理か。にとりの駒を見やりながら、私も駒を動かす。
そこからしばらくは、テンポのよい争いだった。序盤の手順という物は概ね決まっている。定跡というやつだ。にとりも素人ではない、基本程度は抑えている。
その中でも、やはり性格は出るのだが。超妖怪弾頭の二つ名通り、攻撃的な構えを見せてきた。にとりのとった戦法は、俗に「早石田」と呼ばれる物だ。まあ、名前はどうでもいい。重要なのは、それが将棋の中でも屈指の攻撃的戦法であること、そして、ハメ手――初心者殺しで名高い戦法であることだ。
「早石田か。お前らしいな」
私は笑いながら言った。こいつの菊一文字コンプレッサーなんかもそうだが、にとりって奴は素人殺しが大好きなんだ。
「こいつで結構お金を巻き上げてきたなあ。誰も攻略できなかったもんさ。椛だって、知ってても返せないんじゃない?」
「さあてね」
もちろん、素人殺しには相応の対策がある。素人相手ならまだしも、私ならばしっかりとした対策を把握している。こちらの陣地に襲いかからんとする駒たちを、なんなくいなしていく。形勢は、見る見る間に私に傾いてくる。
「……なるほど」
にとりも口数が減ってきた。口数が減り、盤面を眺める時間が増えるほど、にとりの感情が、焦りや苛立ちが露わになってくる。その間に、私は無限の可能性を考える、三手先、五手先、十手先を。にとりの考えが、手に取るようにわかる気がした。
「こうなれば、下手の考え休むに似たりってか」
呟き、にとりは駒を打つ。完全に、予想外の手だった。私が思いつかない手は非効率な悪手だと思うが……
にとりがわからなくなった。頭の中にだけあった、十手先の未来は、既に消えてしまった。にとりなら何を考えるか、にとりならどうするか、必死に考えて、掴めない。人生でこれ以上も無いだろうと言うくらいにとりを考え……私は弱い音で駒を打った。
にとりは瞬時に指し返してくる。ままよ、と私は思う。私も直感に身を任せ、先の読めない乱戦に身を投げ出した。
パン! パン! と駒が躍動する。盤面から、駒が失われていく。同時に、私の駒台には駒の山が生まれていく、にとりも同様に。
「こりゃあひょっとすると私が勝つかもね」
「何を馬鹿な事を、乱戦こそ経験の積み重ねが、地力が効いてくるもんだ」
半ばは確信、半ばは己を鼓舞する虚勢、駒が乱れ飛ぶ。
「……しまった、調子に乗って棋譜を入れるのを忘れてた」
幾手か進んだ所で、ふと、にとりは溢した。
先ほど予想外の手を打って以来、確かに、にとりはあの機械を触っていなかった。
「心配するな、棋譜は頭に入っている」
私は返した。言葉を返せるようになったあたりが、私の余裕を表していたのだろう。既に盤上は終盤戦。私は、己の有利を確信していた。
にとりの手が止まった。間を開けて、にとりは指した。最後の攻めに打って出んとする。無駄な抵抗だった。攻めを全て受け止め、さて、あとはこちらが詰ませるだけだ。頭の中に詰みへの道も見えてくる。
「負けました」
しかし、そこに移る前に、にとりは頭を下げていた。「ありがとうございました」と私も頭を下げた。私は駒を最初の形に戻しながら、呟いた。
「相変わらずさばさばした奴だな」
「どう転んでも勝てないんじゃ、続けるだけ時間の無駄だからねえ。負けがわかってる状況のデータなんて役にたたないし」
「そんなことを言えば、将棋こそ時間の無駄じゃないか、素人と素人が指しても、一文の得にもならん」
もっとも、時間の無駄であるからこそ愉快ではあるのだが。それこそが趣味でもあろう。
「いや、私が勝てそうなら良いんだよ、楽しいから」
「自分勝手な奴だ」
私は苦笑しつつ、駒を動かしていく、感想戦、先ほどの棋譜の再現だ。
「投了するにしても、もっと手作りや、終形の美学があるだろうに」
「私はそういうのは興味ないしなあ。勝ちは勝ち、負けは負け、どんだけ悪手でも不格好でも勝てばいいのさ、勝てば官軍だよ、なんだってね」
「そういう考えも否定はしないがな、あらゆる考えが手となり、優劣を決するのが将棋なのだから」
駒を動かす度に、にとりは機械へ打ち込んでいく。先ほどの、機械との一局を思い出す。あれはとにかく弱かった。しかし、なかなか負けを認めようとせず、必死に逃げ回る様には見る物が有った。逃げ足という点だけでは。
「そう考えると不思議だな、お前はあっさりと『負けました』という質だが、あの機械は決して諦めたりはしなかった」
「機械は機械だし。私が作ったとは言え私じゃない。機械はね、終盤には強いんだよ、仕組みの問題で。それに、機械は疲れたとも悔しいとも何も思わないからね、ただ黙々と命令に従い指すだけさ」
「だから機械と指してもつまらないんだろうな……ああ、これは悪手だ。逸りすぎの手だ」
助言を交えつつ、私は動きを再現していく。見直せば、再びにとりの考えが、にとりが掴めるように思えた。一手一手の狙いが、それを生み出したにとりというものが、理解できた。
もちろん、将棋を指す中では、簡単には意図の読めない手もある。こちらには予想できず、意図も取りかねる妙手というものが。しかし、その意図がはたと理解できる瞬間は、必ずやってくる、相手の思いと盤面を凝視する中で、見えてくる。
それは、将棋で一番楽しい瞬間かもしれない――自分には思いつかない物を見て、相手との無言の対話の中で理解したときが。
「行けると思ったんだけどねえ」
「狙いがばればれだ」
時には、それが終わったあとに見えることもある。それはそれでいい、そのために言葉を介す、感想戦もあるのだ。
ますます、将棋を指す機械などくだらないと思った、よしんば腕をあげても、考えの無い機械の思いなどわからない、感想を述べる口も無い。
「こうしてみると、やはり機械は理解しかねるよ。あんな物を作るお前の狙いも」
言いながら、私は駒を動かした。それで終わりだ。にとりが早々に投げ出した最後の局面が、盤上にはあった。
「狙いは言っただろう? あれは売れると踏んでるから作るんだ」
「そうだったな。じゃあ言い直そう。将棋を指す機械が欲しい奴の考えがわからないと。将棋の一番の楽しみ、相手を知ると言うことを省き、何が面白いのやら」
「さあ? ま、私は何があろうが売れれば問題無い、赤字にならず、こうやって作る手間分は儲けてくれれば。私はがめついからね、そんなのは重々承知だ。でも、そんな私でも思うことはあるよ。ああ、機械のことは考えれば考えるほどわからなくなるなあと。一種の愛着や向上心と共にね」
言いながら、にとりは立ち上がって、何かの機械を動かした。
「学びが足りないんだろう」
「そう言う意味じゃない、アリスの自律人形じゃないけど、自動で動く機械はいくつか私も作ってる。売り物にするほどじゃないにしても」
背中越しに、にとりは声を返してきた。
「失敗作か」
「失敗は成功の母さ、でも、あいつは結構役立つよ」
そして、にとりは再び座布団に腰を下ろす。
何をしたのかと思いつつ、しばし待っていると、音が聞こえてきた。がたがた、という荒い音が。
その出所は機械だった。車輪と、腕のようなものが付いた機械が、茶を運んできた――そして、お茶をぶちまけて、転んだ。私の頭に勢いよく、ぶちまけてくれた。
「……うん、まだ改良が必要だけれど、いや、でも、水もしたたるいい女だね」
……不幸中の幸いだったのは、恐ろしく温い茶であることだろうか。私の髪と帽子は水浸しだが、火傷はしなかった。
「お前ごと剣の錆にしてやろうか?」
何かの段差にでも引っかかったのだろうか、茶を運んできた機械は転がり、ひっくり返っていた。そのままの姿勢で、車輪を宙に回している。音だけを上げてむなしく。
にとりは立ち上がると、機械を止め、自らの手で手ぬぐいを運んできた。私は髪を拭く。
その間に、にとりは茶を淹れていた。やはり、己自身の手で。
「話を戻すと、たまに思うんだよ。機械が理解できないのは機械のせいじゃない、機械の考えを自分がわかってないせいかもしれないって」
「そもそも、道具に考えがあるとは思えないよ、付喪神ならさておき」
「さあねえ。少なくとも、私たちの意味する『考え』と機械の『考え』は違うだろう。でも、何がどうしたってこれは確実だ。機械は私たちを助けるために作られ、存在している」
「私は水をかけられたわけだが」
「ミスもあるさね。失敗したあいつは、ひっくり返って虚しく車輪を回していた。でも、それは機械なりの意思表示なんじゃないか、『助けてくれ』じゃないかと思えたりもするんだ」
「ふうむ」
言われてからあの機械を思い出せば、確かにそうも見えただろうか。赤子や子犬が助けを求めるようにも……そこまで愛らしくもないが。
「一理はあるかもしれん」
「将棋もさ、実は機械には何か意図が有るかもしれない、人間には決して思いつかない手を、機械の論理で考えて、実行しているだけかもしれない。私は、外の世界の新聞を見たんだよ、外の世界の機械は随分強いらしい。将棋の玄人でも勝てない、名人でも思いつかない手を指すってほどで」
「いつか、お前の機械もそうなるのかね。底に追いつくのは相当な先だろうが」
「夢のまた夢さ。というか、私の場合強くしすぎてもしょうがないんだけど、誰も勝てない機械なんて売れやしないし。ま、そこはどうでもいいさ、大事なのは、機械の手が読めないやら掴めないってのは機械だけのせいじゃない、こっちも理解しようとして歩み寄れてないんじゃ。ってことだよ」
「機械の考えなんてわかるものか、目も鼻も口も無い――」
言いかけて、私は口を閉ざす。将棋に、そんな物は不要なのだと思い出す。紙に記された無機質な文字……棋譜を見るだけで、相手を深く理解できるのが将棋指しなのだと思い出す。
「……いや、そうなのかもしれないな」
「椛があっさり認めるとは意外だねえ。天狗ってのは保守的で頭が固いのに」
「固いというのは否定しかねるが、意固地でもない、一理は感じた」
「そうかい。まあ、私は機械にはそう思うんだよ、将棋を指す機械でも何でも。天狗と違ってこっちは山の外にも人間にも客が多い、だから色んな種族と会うね、価値観の違った連中と」
「私は山から出るのもあまりないからな」
「商売人ってのは歩き回ることが仕事さ。でまあ、相手の望みをくみ取るのもね。だから、他人の考えを理解しようとはしてるよ、実際はそう上手くは行かないが。人間は盟友なんて言いつつ、そう簡単でもない」
「縁日やらで詐欺紛いのことをするからだ」
盟友、と呼ぶ相手へのヤクザじみた態度を思えばそれは必然だろうとしか思えない。
「あれは正当な商売さ」
にとりは、微塵も悪びれた様子は見せないが。
「まあ、要するにだ。椛、お前さんは機械の考えがわからないと言って、それから少し考えを改めた」
「うむ」
「じゃあ、また機械とやったらどうだい? そうすれば、ちょっとは機械の気分がわかるかもしれないよ。知ってるかい? 外の世界じゃあ、機械と二人一組で将棋を指すこともあるらしい。機械に助言を請いながら指す試合がさ」
「助言か。素人の助けくらいにはなるかもな」
「いやいや、そんなもんじゃない。めっぽう強い連中が、めっぽう強い……名人より強いかもしれない機械と組んでやるんだ」
外の世界の文明が、こちらより進んでいるのはわかる。とはいえ、あの、のろまで弱い機械が名人に比肩する……想像も付かない。
「名人より強いか、眉唾だな」
まさしく、眉唾物だった。
「私も外の世界の書物で、断片的に見ただけだけどね。でも、嘘は無いと思う。そしてだよ、人間には理解できない機械の助言であっても、それを受けるか決めるのは、実際に駒を動かすのは人間なんだ。だからこそ、人間は機械の意図を必死に捉えようともしているんだ」
「ふうむ」
「道具は人間のために必死に考える。手を示すしか出来ない体で、必死に人間の助けになろうとする。人間は、それに応えようと必死に機械を思う。こいつは中々に麗しい関係だとは思わないかな」
私は少し考えて、頷いた。「そうかもな」と呟いた。
確かに、そうなのかもしれない。今の私には、機械の意図や思いは全く掴めない。それでも、幾らかは私に比があるのかもしれない。「機械などわかるものか」と思う私と、私の心に。
「……とはいえそいつはあまりにも弱くて遅い、今のままではやる気にならん。もっと鍛えて出直せということだ。そのための手助けはしてやるから」
「いいねえ」
と言いながら、にとりは盤面を戻していく。
「じゃあ、もう一局、打つかい」
「望むところだ」
私は、駒を振った。今度は、私が先手だ。
「今度は私が後手か、どうやって攻めるかねえ。データも取りたいし」
「余計な事を考えて勝てるほど私は甘くないぞ」
私から駒を打っていく。さて、にとりはどう返してくるかと胸を沸かせながら。
「椛は言ってたね。将棋を指せば、恋人になったかように深く理解できると」
「まあ、な。ともすれば、逢い引きよりも深く、夫婦よりも嘘のない語らいだと思うよ」
「じゃあ、椛と指す相手は果報者だ、そんなにも深く思って貰えるんだから」
「人間でも妖怪でも亡霊でも……天狗とは違った考えと価値観がある」
駒が動き、未知の可能性が広がっていく。
「どんな相手でも、将棋を指す間は理解しようと必死だ。そうすれば、理解できると信じている」
「そうさ。だから機械だって、そのうち椛に思われるに足る相手になるかもしれない、それは良いことだと思わないか? 新しく、深い友人が出来るんだから」
「かもな」
「それにはまだ時間もかかる。まずは縁日で打ってみよう、もちろん脱衣はない、商品もいらないさ。人間との、無言での逢い引き、やってくれるかな」
「逢い引きでも何でもいいよ、将棋なら」
もう、にとりの声は頭から消えていく。気のない返事を返し、無言の対話に没頭する。今回は中々に難しくなりそうだ。さて、どうしたものか。
機械と思考と言う物に対して二人はマジメに討論していると言うのに…
ところでこの指導対局はいつどこで開催されてますか!?
生真面目な椛もやはりいいと思いました
将棋と機械と、対象は違えどのめり込む物への想いが似てるからこその仲でしょうか
藍「コンピュータと聞いて」
紫「指し手は任せろー」
……やだ勝てる気がしない
ひふみんに笑ったので持ってけ点数!
面白かったです。
東方も将棋も好きなんで好物でした
この指導対局受けてみたいんですけどどこに行けb(ry
対称的な二人にニヤニヤします。
スマートグラスと将棋AIを組み合わせれば、AIによるサポートがより密接に行えるようになるかもしれません。