「レミリア様、これ、どうですか?」
「ん?」
「ほら、退屈だから面白い事探して来いって言っていたじゃないですか」
「ああ。で、それ?」
「はい、ゲームです。河童の作った。何と幻想郷が舞台で、咲夜さんが主人公なんですよ」
「へえ。ナイフで幻想郷の奴等を殺しまくるホラーアクションかしら?」
「いえ、ちょっと違います」
「面白いの?」
「やってみれば分かります」
「サクヤちゃんの幻想郷リプレイ、水平線のホライゾン、ね。一目で分かるクソゲーじゃない。評価するわ」
「暇つぶしにはなりますよ」
「そう。じゃあ」
グロテスクな場面や残酷なシーンが含まれています。
このゲームはフィクションです。実在の人物や団体等とは一切関係がありません。
てれてっててーみーてれてっててーみーてとてとてとてとてれってっててーてーてってってってててってってってててってってってててってってってててれっててーみーてれっててーみーああーててててああーてててててってってってててってってってててってってっててああーああーででーんだだででだーんさくやちゃんのでででんげんそうきょうだだすいへいせんのほらいぞんだんでででだんだんだん。
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てれてれんん。
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ででん。
N周目
希望に満ちた反復性のプロローグ
目を覚ますとそこは自室。ベッドの上で倒れていた。どうやら疲れて眠ってしまっていたらしい。時計を見ると秒針が止まっていた。私の能力で時が止まっている様だ。
何か忘れている様なそんな気分がした。確か多くの者が不幸な目にあって、その糸口が何処かの店に。夢だろうか。ぼやけていく。思い出そうとすると怖気が走った。悪夢でも見たのだろうか思いながら、私は外へ出てお嬢様が居るであろうダイニングへ向かった。
お嬢様は紅茶を飲もうとする格好で固まっていた。その愛らしい姿を見つめているとふと以前もその光景を見た気がした。いや、いつも見ている。お嬢様が紅茶を飲もうとする光景なんてそれこそ毎日。けれどこの既視感はそれどころではなく、ここまでの全て、疲れて寝入ったところから目を覚まし、止まった時の中でダイニングにやってきて、今見ている光景と全く相違の無い光景を見るまでを、何度も何度も繰り返している気がした。
すると妄想の如き閃きがやって来た。
私は同じ時間を繰り返している。
閃きは何の理屈も通さずに、私の中で気付きへと変わった。
私は同じ時間を繰り返している。
私達は同じ時間を繰り返している。
幻想郷は同じ時間を繰り返している。
その気付きは続いてあり得ない飛躍で以って、真理へと辿り着く。
繰り返す時間。それは全て自分の持つ懐中時計の所為だという事に気がついた。
その月時計が回り続ける限り時間は同じ場所をくるくると回る事に気がついた。
時間を正常に戻すのであれば月時計を壊してしまえば良い事に気がついた。
けれど、この懐中時計をもしも壊してしまえば、何か悪い事が起こる事に気がついた。
それ等は何の根拠も無かったけれど、全て確信を持ってそうだと言えた。
だからと言ってどうすれば良いのか分からない。
時が動き出す。
紅茶を注ぐ。
「あら、ありがとう咲夜」
お嬢様が紅茶を飲んで、微笑みながらそう言った。今は悩む必要は無い。お嬢様を前にしている間は、ただお嬢様の笑顔を絶やさない事だけを考えていれば良い。
「どうしたの?」
お嬢様が私の顔を覗きこんできた。呆けていた事に気がついて、慌てて首を横に振る。
「いいえ」
「そう。もしかして眠い?」
「そんな事は」
さっき寝ていたばかりだし。
「別に我慢しなくても良いのよ。こんなにも麗らかな朝焼けなんだから」
そう言って、お嬢様は窓の外を見た。空が白み始めて、星星が消え始めている。曙光が辺りの森を照らし、露に濡れた森が光り輝いている。音の無い美しい朝だった。
しばらくお嬢様と私はそれを眺めていたが、やがてお嬢様は欠伸をした。
「咲夜、そろそろ寝るわ」
「畏まりました」
「咲夜は今日何か予定でもあるの? 私が寝ている間」
「今日は……特には」
「なら香霖堂へ行って何か新しくて面白い物でも無いか探してきてくれない? 最近妙に暇なのよ。何をやってもすぐに飽きちゃう」
それは時が繰り返しているから。何度も何度も繰り返しているから。
「畏まりました」
「お願いね」
幻想郷は同じ時間を繰り返している。
私達は同じ時間を繰り返している。
私は同じ時間を繰り返している。
お嬢様も同じ時間を繰り返している。
飽いている。繰り返す時間に。
それがお嬢様から笑顔を奪うのであれば、私は時の流れを正さなければならない。
穏やかで有名無実な第一章
お嬢様と別れて階段を降りていると、お嬢様の妹様のフラン様に出会った。盛大な勢いで廊下を走っていた。私が呼びかけると、フラン様は足を止めて実に嬉しそうな顔を振り向かせた。大変可愛らしい様子だが、心を鬼にする。
「フラン様、廊下を走ってはいけません」
途端に意気消沈した様子でフラン様は項垂れる。胸の痛くなる光景だが、叱る者は毅然としていなければならない。私が黙ってフラン様を見つめていると、フラン様はやがて頭を下げた。
「はい、ごめんなさい」
「お気をつけ下さい」
「うん」
フラン様は項垂れたまま去ろうとして、不意に顔を上げた。
「あ、そうだ。咲夜、パチュリーが呼んでたよ」
「パチュリー様が?」
お嬢様のご友人で、地下の図書館に住んでいる魔女のパチュリー様を思い浮かべ、一体何の用だろうと疑問に思う。
「何故?」
「知らない」
「急いでいる様でしたか?」
「ううん」
そこまで急ぎでは無い様だ。ならばまずは香霖堂へ行く事を優先しよう。フラン様と別れて、私は屋敷の外へ向かった。
屋敷を出る時に、門番の美鈴に声を掛けられた。
「あ、咲夜さん。お出かけですか?」
「ええ。ちょっと香霖堂へ」
「今日は良いお天気ですからね」
「良いお天気だけど居眠りしちゃ駄目よ」
「嫌だな、咲夜さん。この私が居眠りなんかする訳ないじゃないですか」
信用ならない。昨日は眠っていた。一昨日も。
「あれ、咲夜さん」
急に美鈴が驚いた様に声を上げた。
どうしたのだろうと思っていると、美鈴が何だか気恥ずかしげな表情になる。
「今日はいつもより綺麗ですね」
こいつ絶対眠るつもりだ。何て浅はかなおもねりだろう。
とはいえ、叱る事は止しておいた。空は快晴、実にのんびりとした陽気で、嫌な気分になりたくない。何か危険が迫るとも思えない。居眠りの一つで屋敷が滅茶苦茶になる訳でもないし、多少は多めに見てやる。綺麗と言われて悪い気はしない。
「くだらない事言ってないで、仕事に励みなさい」
「はーい」
のんびりと美鈴が答える。実に脳天気な笑顔だった。
「あなたは悩みが無さそうで良いわね」
そう皮肉をいうと、美鈴は照れた様子で笑った。何となく負けた気分を味わい憎らしく思う。
憎々しげな気持ちで香霖堂へ向かう最中、ふと美鈴の照れた笑いをここ最近何度も見た覚えがある事に気がついた。けれど能く能く考えてみても、そんな場面は中中思いつかない。香霖堂へ向かう最中、ずっと悩んでいたが、結局判然としないまま、すっきりとしない気鬱だけが残った。
香霖堂に着いて中に入ると、店主の霖之助が私の顔を見るなり不思議そうな顔をした。
「何か悩み事ですか、咲夜さん」
「どういう事ですか、霖之助さん?」
「いえ、ただ何か眉をしかめて悩んでいる様子だったから」
どうやら顔に出ていたらしい。
何だか気恥ずかしい思いで、近くのドライヤーに触れる。幾ら何でも同じ時間を繰り返している等という妄言を吐く訳にはいかないので、適当にはぐらかす事にした。
「真に仕える者は何事にも心を煩わせず、ただ主を思うのみです」
「そうですか」
納得のいっていない様子だったが追求してくる様子は無い。それが好ましい。これが魔理沙であれば、うんざりする程質問攻めをしてきただろう。この店は、心の休まる店だ。魔理沙や霊夢が居なければ。
ドライヤーを何度か振る。河童印のドライヤーは見た目の割に軽量で、例え子供がふざけて誰かを殴っても、一撃で致命傷にまでは至らないだろうと判断して、購入を決めた。カウンターへ持って行って勘定をしてもらう。少々値は張ったが、許容の範囲内だった。プラズマクラスターがついていて髪の毛にとても良いと言っていた。良く分からなかったが、体に良いのなら良い事だと思った。値段も手頃だったし。
代金を渡して、ドライヤーを受け取り、このまま帰れば夕飯の支度に十分間に合う事を確認していると、霖之助が言った。
「その懐中時計、いつも使っているのと違いますね」
私の持つ懐中時計を指さして訝しむ様な顔をしている。どうして急にそんな事を言い出したのか。それにいつものと同じだ。これは確かに私ので、いつも愛用している大事な時計だ。
「似ているけれど、少し歪だ」
「歪?」
「まるでばらばらにして素人が組み直したみたいだ」
突然の失礼な言葉に苛立って、私は霖之助を一睨みしてから、大きく足を踏み出して出口へ向かう。
「気を悪くさせたかな? すまないね」
そんな声が背後から聞こえてきて、私が無視して出ていこうとすると、更に霖之助の声が響いてくる。
「あ、そう言えば、今日は咲夜さん、何だかやけに綺麗ですよ。いや、いつも綺麗だけれど」
そのご機嫌を取ろうとしているのが見え見えの馬鹿馬鹿しいお世辞を無視して、勢い良く扉を開き、店の外へ出た。苛立ちと嬉しい気持ちが綯い交ぜの状態で紅魔館へ帰る道中、何だか霖之助の言葉が気になって、もう一度懐中時計を確認してみた。いつもの時計だと思う。そう思う。じっと見ている内に、何だか時計がくたびれている様に見えた。ただ何処がおかしいのかは分からない。
もしかしたら、時が繰り返している事と何か関係があるのではないかと思ったが、いくら考えても結局何の答えも得られなかった。
日常らしい無自覚の第二章
紅魔館へ戻ると、珍しく廊下を歩いているパチュリー様を見つけた。いつもは図書館の中に篭っているというのに、一体どうしたのだろう。
こちらが声を掛ける前に向こうもこちらに気がついて、手を上げて近寄ってきた。
「丁度良かった。咲夜、悪いんだけど、鼠退治をしてくれない?」
鼠退治?
「また魔理沙が入りましたか?」
「いえ、そうじゃなくて、本物の鼠。どうやら図書館の天井を走り回っているみたいなの」
「随分とふてぶてしい。畏まりました。すぐに向かいましょう」
地下へ降りて図書館の扉を開けると、じっとりとした湿気と肌寒い湿気が漂っていた。如何にも本が痛みそうだが、環境が改善される見込みは無い。魔術で湿気を取ろうにも魔導書と魔術が鑑賞しあって上手くいかないとか。こんな時に河童印の空気清浄機があればこれだけ広い図書館でもすぐに乾燥させる事が出来るし、拡張アタッチメントを使えばその空間に合わせた最適の環境、例えば本を保存する為の最適な空間を作り出す事が出来るのだが。お値段も手頃だし、是非とも欲しいのだが、偏屈なパチュリー様が機械は好かんと言って買う気がないので、図書館の環境が改善される見込みは全く無い、
じっとりとした嫌な空気をその身に感じつつ、その陽の光の無い薄暗い黴じみた空間に我慢しいしい足を踏み入れると、すぐにパチュリー様に仕える小悪魔達が集まってきた。
「咲夜さん、良く来て下さいました」
「鼠です。鼠です。鼠なのです」
「私達ではとてもとても」
「咲夜様、お願いです。早く追い払って下さい」
わらわらと一斉に喋りかけてくる小悪魔達にうんざりしつつ事情を聞くと、長い間天井から音が聞こえてくるらしい。その規則的で、移動している音は、鼠の足音に相違なく、しかもそれは鼠の足音にしては嫌にうるさいらしい。そんな恐ろしい存在を、純情可憐な存在である小悪魔達がどうにか出来る訳が無く、そこで紅魔館の殺人ドールである咲夜さんに退治をお願いしたい。というのが小悪魔達の主張だった。
見上げると本棚の隙間から遥か高い場所に黒くぼやけた天板が見える。図書館の上には空き部屋が並んで居た筈だ。大方、フラン様が遊んでいらっしゃるのだろう。
私が二つ返事で承諾すると、皆が皆、英雄でも見る様な尊敬の眼差しを向けてきた。そんな視線を向けられても困る。実際はただフラン様を注意しに行くだけなのだから。
図書館の上の階に行くと、真っ赤な絨毯の敷かれた廊下があって、ずらりと空き部屋の扉が並んでいた。いつもであれば屋敷のメイド達が騒がしくしているのだが今日に限ってはやけに静かだ。その分はっきりとその物音が聞こえた。微かな人の足音。居並ぶ扉のただ一つからその音は聞こえてくる。
その部屋へ近付いてみると、どうやら足音は部屋の中を歩きまわっている様だった。何か目的を持っている様な足音には聞こえない。暇を持て余している様なそんな歩き方。やはりフラン様だろう。
あまり外に出ないフラン様は良く屋敷の中で暴れている。朝の様に一人で屋敷中を暴れまわる事もあれば、メイドをいじめる事もある。屋敷の者達は皆それを許容しているから、暴れている事自体は良いのだが、パチュリー様に迷惑が掛かっている事と鼠に間違われている以上は止めなければならない。
形だけのノックをしてから中に入る。真っ暗な中、電灯の薄明かりの下に亜麻色の髪がのそりのそりと歩いていた。一瞬フラン様かと思ったが、違った。それはフラン様では無く、霧雨魔理沙という泥棒だった。
私が無言でナイフを構えると、驚いて振り返った魔理沙が慌てて両手を突き出してきた。
「おいおいおい、止めてくれ。別に迷惑を掛けに来たんじゃない」
「詰まらぬ嘘ですね。現に階下のパチュリー様は大きな泥棒鼠の足音にずっと迷惑しておりました。一体どれだけ走り回っていたのか」
「鼠ってもしかして私の事か?」
「他に誰が?」
「だったら勘違いだよ。私は今来たばかりだぜ?」
今来たばかり? だとすれば小悪魔達の証言と食い違う。けれど魔理沙が嘘を言っている可能性もある。何にせよ侵入者だ。
ナイフを構え直すと、魔理沙が笑いながら後ずさった。
「ちょっと待てよ。私は遊びに来ただけさ。別に盗みを働こうとした訳じゃ無い。今だってフランと隠れ鬼をして遊んでいるんだから」
「隠れ鬼?」
「そう。まあ隠れるのは鬼で、見つけるのが人間な訳だけど」
そう言ってくすくすとおかしそうに魔理沙が笑う。何が面白いのか分からない。フラン様と遊んでいるというのなら、フラン様は何処に居る。疑り深く魔理沙を睨んでいると、魔理沙は時計を見て白々しい様子で声を上げた。
「あ、二分経った。じゃあ、私フランを探しに行くから」
そう言って部屋を駆け出していく。追おうと思ったが、箒に乗って飛んでいってしまったので追いつけなかった。屋敷の中を箒で飛ぶなんて随分と非常識な奴だ。
仕方なく、元の仕事に戻ろうかと考えて、そう言えば鼠の足音について相談されていた事を思い出した。本当に魔理沙ではなかったのだろうか。魔理沙でないのなら一体誰が? やはりフラン様? フラン様だとすればせめて一言注意しなければならない。
顕在化した致死性の第三章
廊下を出てフラン様を探そうと歩いていると、すぐ近くの扉が少しだけ開いている事に気がついた。メイドが閉め忘れたのかとも思ったが、それよりもフラン様が中に居るのではという予感がした。
思ったよりも早く見つかったと安堵しいしい近寄ってみると、ふと鼻が異臭を嗅いだ。強い血の匂いだった。
何だこれ。
どうして部屋の中から血の匂いが流れてくる。誰かが人間を連れ込んで、血でも吸っているのか。そうであって欲しかった。他の可能性はほとんどが嫌な結末になる。
近寄る毎に血の臭いはどんどんと強くなっていく。鼻に付く血の臭い。明らかに臭いの元には致死量の血が流れている。それだけ血の臭いは強かった。外の世界に居た頃はともかく、幻想郷に来てからはこんな事一度たりととして無かった。お嬢様とフラン様は用意された食事で満足してくれていたし、屋敷で働く者達も今はもう力の弱いのばかりで、その上幻想郷の奴等を恐れているから、無闇に人間を襲おうとはしない。だから屋敷の中でこんな血の臭いが流れる事なんて調理場以外にあり得ない。
だとしたらこの血の臭いは何だ?
不吉な予感が高まっていく。
扉の前に立つと、自分が酷く緊張している事に気がついた。
中はどうなっているのか。気になって仕方が無い。反面、心は見たくないと叫んでいる。だが選択肢は無い。主に仕える者として館の中の異変は確かめなければならない。
凄惨な光景を覚悟して、ゆっくりと扉を開ける。
息を飲んで、扉を開け放し、中を見て唖然とした。
何の異常も無かった。クローゼットやラック等、申し訳程度の家具が置かれているだけの、ただの部屋。使っては居ないものの、掃除は欠かさないので、殺風景ながらも清潔感はある。まっさらな部屋の中に踏み入って辺りを見回しても何らおかしい所が無い。
それが異常だった。
血の臭いだけはしているのだ。
強烈に。
幾ら一見何の異常も見受けられないとしても、漂ってくる臭いが明らかな異常を伝えてきている。
怪しいのは家具の中。鼻を鳴らしながら歩いていると、ある収納棚が臭いの発生源である事に気がついた。腰程の高さのその棚は確か中に仕切り板が無く、まさしく人を隠すには十分な大きさである。良く見ると、下の扉の隙間に血が滲んでいた。
激しい動悸で胸が痛い。
中に入っている秘密が恐ろしい。
滲んだ血が、棚が死を孕んでいる事を指し示している。問題は中に何が入っているか。人間なら良い。それなら大丈夫。だがもしも屋敷の者だったら。もしも。さっきから嫌な予感がまるで止まない。最悪の想像が頭の中を去来している。
このまま逃げ出してしまいたかったが、そういう訳にはいかない。メイドの頭としてこの屋敷で何が起こっているのかは把握しなくてはならない。
取っ手に手をかける。妙に生暖かい気がした。まるで中のものの体温を奪って温かくなっている様だった。棚の中からは何の音も聞こえてこない。もう一度願う。全てが冗談であって欲しいと。
そうして開けた。
中から金色に輝く髪色の頭がごろりと倒れてきた。フラン様の胴体はそのまま床に崩れ落ちる。私は驚いて後ずさり、フラン様の胴体を見て、それから棚の中に残ったフラン様の足腰を見つめた。血にまみれていた。
フラン様が二つに分かれている。
息が止まった。
上手く呼吸が出来ず、溺れている様な錯覚を感じる。
混乱した頭が上手く働かない。
混乱しながら私はゆっくりと立ち上がって、考えた。
助けを呼ばなければ。
どうして? 明らかに死んでいるのに。
医者を呼ばなければ。
無駄でしょ。だって死んでるんだもの。
お嬢様にお知らせしなければ。
そう。それが良い。
いや、その前に犯人を。
見つけ出して殺さなきゃ。
犯人?
一気に総毛立った。
フラン様が殺された。その事実が一気に心に押し寄せてきて喉の奥から変な声が漏れだした。
まだ犯人が近くに居るかもしれない。皆に知らせないと。
フラン様を置いていくのは心苦しかったが、今は構っていられない。
急いで外へ飛び出し、お嬢様の部屋へ向かう。皆に知らせながらお嬢様の下へ向かわないと。そう考えながら階段を駆け上がろうとして足を止めた。
メイドが倒れていた。その胸の部分が、圧縮されたみたいに骨一本分の細さになっていた。辺りには血がぶちまけられている。死んでいる。
訳が分からなかった。けれどいつまでも立ち止まっては居られない。屋敷で酷い異変が起こっている。何としてもお嬢様を守らないと。
道中何人もの潰され引き裂かれた従者の傍を横切って、お嬢様の部屋へと辿り着いた。立ち止まって扉に手を掛ける。耳を澄ますと、辺りから一切の物音が消えていた。その静謐さが何だか安堵を与えてきた。お嬢様という存在が未だ不可侵の崇高なものである事を示している様な気がした。お嬢様を何者も侵害出来ない。そんな気がした。
安心した私はいつもの様にノックをする。中から返事は無い。失礼しますと言って、中に入ると、お嬢様がベッドの上に座っていた。ヘッドボードに背を預け、掛け布団を胸まで被って微笑んでいる。
無事の様だ。
「お嬢様! 良かった!」
思わず涙が溢れてきた。ただでさえ気の狂いそうな状況で、もしもお嬢様まで殺されていたら、完全に心がいかれてしまうところだった。
「お嬢様、ご無事で何よりです! 今、屋敷の中が大変な事に。とにかく逃げましょう!」
そう言って近付いて、気が付いた。
お嬢様が身じろぎせず、瞬きすらしていない事に。
その表情は微笑んでいるのではなく、緩んでいるのだという事に。
「お嬢様?」
それでも信じられなくて、更に近寄り、その顔を覗き込む。見開いた目が何処か遠くを見つめている。ベッドに手を突くとそこは本来足のある場所なのに、何も無く、ただベッドの弾力だけが返ってくる。
ああ、何だ。
「ああ」
そういう事か。
「ああ」
つまり世界は死んだって事か。
気がつくと、自分の口から自分のものとは思えない絶叫がほとばしっていた。
気がつくと、血で溢れた屋敷中をひた走っていた。
気がつくと、何処か廊下の紅色の絨毯の上に寝そべっていた。
気がつくと、屋敷の鐘が鳴っていた。
気がつくと、時が巻き戻っていった。
誰が皆を殺したのか。
どうしてこんな事になったのか。
いつの間に犯人はやって来たのか。
何故館中を皆殺しにしたのか。
セーブしますか?
はい。
N+1周目
希望に満ちた反復性のプロローグ
目を覚ますとそこは自室。ベッドの上で倒れていた。どうやら疲れて眠ってしまっていたらしい。時計を見ると秒針が止まっていた。
何か忘れている様なそんな気分がした。私が夕方屋敷に戻ると大勢の者が死んで。すぐにぼやけていく。思い出そうとすると怖気が走った。悪夢でも見たのだろうか思いながら、私は外へ出てお嬢様が居るであろうダイニングへ向かった。
お嬢様は紅茶を飲もうとする格好で固まっていた。その愛らしい姿を見つめているとふと以前もその光景を見た気がした。いや、いつも見ている。お嬢様が紅茶を飲もうとする光景なんてそれこそ毎日。けれどこの既視感はそれどころではなく、ここまでの全て、疲れて寝入ったところから目を覚まし、止まった時の中でダイニングにやってきて、今見ている光景と全く相違の無い光景を見るまでを、何度も何度も繰り返している気がした。
すると妄想の如き閃きがやって来た。
私は同じ時間を繰り返している。
閃きは何の理屈も通さずに、私の中で気付きへと変わった。
私は同じ時間を繰り返している。
私達は同じ時間を繰り返している。
幻想郷は同じ時間を繰り返している。
その気付きは続いてあり得ない飛躍で持って、真理へと辿り着く。
時が繰り返しているのは私が美しいからだ。
きっとクロノス辺りが私のあまりの美しさを未来永劫留めておく為に、時間を進めなくしてしまったに違いない。延々と繰り返す時の中で私は神すらも魅了した美貌を保ち続ける事になるのだ。
何という事だと恐ろしい気分になって、私は慌てて自室へ戻り、鏡に自分の顔を映してみた。普段と何ら代わりの無い様な気もしたが、この顔が時の神すらをも狂わせたかと思うと何だか絶世の美貌に見えてくる。これはもしや最近使っていた河童印のエステローラーの所為か。プロのエスティシャンが監修した自宅で誰でも簡単にセルフケアを行える河童印のエステローラーは寝る前に五分間使用するだけで肌の血行を良くし、筋肉の疲労と贅肉のゆるみを取って、全身を内側から改善出来る。その御蔭か最近では引き締まった瑞々しい美肌となったが、もしかしたらその効果があまりにも素晴らしすぎたのかもしれない。ははあ、これは時の流れがおかしくなっても仕方のない美しさだぞと思い始めた頃には、もう美しさは底抜けの上に天井知らずで、このままでは大変な事になると気が付いた。何とかしなければならないと思いながら必死で鏡から視線を逸らそうとするが世紀の尤物を前にしてはどうしても目を離せない。必死の思いで全霊を込める事頻り、ようやっと視線を外した時にはもう疲労困憊の態で、立っている事すらままならず、そのままベッドに倒れると段段と意識が朦朧としていった。
己の美しさを恐れながら。
セーブしますか?
はい。
N+2周目
希望に満ちた反復性のプロローグ
目を覚ますとそこは自室。ベッドの上で倒れていた。どうやら疲れて眠ってしまっていたらしい。時計を見ると秒針が止まっていた。
何か忘れている様なそんな気分がした。私が夕方屋敷に戻ると大勢の者が死んで。ぼやけていく。思い出そうとすると怖気が走った。悪夢でも見たのだろうか思いながら、私は外へ出てお嬢様が居るであろうダイニングへ向かった。
お嬢様は紅茶を飲もうとする格好で固まっていた。その愛らしい姿を見つめているとふと以前もその光景を見た気がした。いや、いつも見ている。お嬢様が紅茶を飲もうとする光景なんてそれこそ毎日。けれどこの既視感はそれどころではなく、ここまでの全て、疲れて寝入ったところから目を覚まし、止まった時の中でダイニングにやってきて、今見ている光景と全く相違の無い光景を見るまでを、何度も何度も繰り返している気がした。
すると妄想の如き閃きがやって来た。
私は同じ時間を繰り返している。
閃きは何の理屈も通さずに、私の中で気付きへと変わった。
私は同じ時間を繰り返している。
私達は同じ時間を繰り返している。
幻想郷は同じ時間を繰り返している。
その気付きは続いてあり得ない飛躍で以って、真理へと辿り着く。
繰り返す時間。それは全て自分の持つ懐中時計の所為だという事に気がついた。
その月時計が回り続ける限り時間は同じ場所をくるくると回る事に気がついた。
時間を正常に戻すのであれば月時計を壊してしまえば良い事に気がついた。
けれど、この懐中時計をもしも壊してしまえば、何か悪い事が起こる事に気がついた。
それ等は何の根拠も無かったけれど、全て確信を持ってそうだと言えた。
だからと言ってどうすれば良いのか分からない。
時が動き出す。
紅茶を注ぐ。
「あら、ありがとう咲夜」
お嬢様が紅茶を飲んで、微笑みながらそう言った。今は悩む必要は無い。お嬢様を前にしている間は、ただお嬢様の笑顔を絶やさない事だけを考えていれば良い。
「咲夜、そろそろ寝るわ」
「畏まりました」
「咲夜は今日何か予定でもあるの? 私が寝ている間」
「今日は……屋敷に居ようと思います」
「暇なの? なら香霖堂へ行って何か新しくて面白い物でも無いか探してきてくれない? 最近妙に暇なのよ。何をやってもすぐに飽きちゃう」
心苦しいが、そういう訳にはいかない。もしかしたら留守中におかしな者がやってきて、屋敷を滅茶苦茶にしてしまうかもしれないのだから。
「申し訳ありませんが、今日はお屋敷にから出るつもりは」
「そうなの? まあ、いいや」
怒られる事を覚悟での反抗だったが、お嬢様はあっさりと気を逸らして、紅茶を飲み干すと立ち上がっった。
「じゃあ、また夕方に会いましょう」
そう言って笑うお嬢様の笑顔を何としても守らなけれならないと思った。
騒がしく得体の知れない第一章
お嬢様と別れて階段を降りていると、フラン様に出会った。盛大な勢いで廊下を走っていた。私が呼びかけると、フラン様は足を止めて実に嬉しそうな顔を振り向かせた。大変可愛らしい様子だが、心を鬼にする。
「フラン様、廊下を走ってはいけません」
途端に意気消沈した様子でフラン様は項垂れる。胸の痛くなる光景だが、叱る者は毅然としていなければならない。私が黙ってフラン様を見つめていると、フラン様はやがて頭を下げた。
「はい、ごめんなさい」
「お気をつけ下さい」
「うん」
フラン様は項垂れたまま去ろうとして、不意に顔を上げた。
「あ、そうだ。咲夜、パチュリーが呼んでたよ」
「パチュリー様が?」
一体何の用だろうと疑問に思う。とはいえ呼ばれたのなら、行くべきだろう。別に用事も無いのだし。
「畏まりました」
「ねえ、私もついていって良い?」
「ええ、構いませんが」
「何だか最近つまらないの」
飽いている。繰り返す時間に。そうだ。時間は繰り返している。それを止めなければならない。そう思うのだが、どうすれば良いのか分からなかった。懐中時計だけは壊したくない。
二人して図書館へ行くと、パチュリー様が安堵の表情で出迎えてくれた。
「早速来てくれて助かったわ。実は天井から物音がするのよ。何だか鼠みたいな。でもそれにしては少し大きすぎる」
「え? 朝からずっとだったんですか?」
「え? どういう事? 良く分からないけど、ついさっき急に音が。ずっとって程、前からでは無いわ。他の場所でも鼠が出たの?」
「いいえ」
何故だか一日中鼠がうろついていた様な錯覚を得ていた。一日は始まったばかりなのに。どうしてそう感じたのかは分からない。その感覚の齟齬がとても不吉なものの様に思えた。
フラン様がパチュリー様に、私を呼んできた事を報告して、パチュリー様がフラン様を褒めながら頭を撫でている。その微笑ましい光景に癒やされつつ、天井を見上げる。何の音も聞こえない。小悪魔達に事情を尋ねると、音は断続的に聞こえてきて、そのいつ聞こえてくるか分からないのが恐ろしさをいや増していると言う。あの足音は鼠に相違なく、その上音の大きさを考えれば人間大かも知れない。そんな恐ろしい存在に対抗できるのは、私達の様なか弱く可憐な小悪魔ではなく、紅霧の幻想殺人鬼咲夜さんしか居ないと嘆願されて、どう考えてもこいつら馬鹿にしてるだろと、苛立ちを感じたが、何にせよそんな鼠が居るのであればどうにかしなければならない。
熱烈な勢いでじゃれ合おうとするフラン様と、そのラブコールに少し困っているパチュリー様に、鼠退治をしてくると伝えて図書館を出ようとした。
その時、天井からどたどたと何かの走る様な音が聞こえてきた。これが皆の言っていた足音か。確かに規則的な音は足音に聞こえるし、鼠であれば随分と大きい。本当に鼠であるのなら恐怖を感じてもおかしくは無いが、どうせうちのメイドの誰かが走り回っているのだろう。注意しなければいけないと思いつつ聞いていると、足音は段段とその数を増していく。
「え?」
小悪魔の驚きの声が漏れた。
足音は十、二十と次第にその数を増していき、やがては足音が飽和して、まるで天井が今にも崩れそうな音を立てだした。明らかに尋常の音ではない。
「咲夜、怖いよ」
フラン様が抱きついてくる。それを抱き締めつつ、天井を睨みつける。
天井が爆発した。誰もがそう思ったに違いない。屋敷そのものが吹っ飛んだんじゃないかという程の爆音が鳴り響いた。天井が崩れてくると錯覚した小悪魔達がそこら中を逃げ惑う。けれど爆発は音だけで、天井に異常は無い。音も爆発音を後に聞こえなくなった。
「今のは一体」
パチュリー様が呆然と呟いている。
そこら中を逃げ惑っていた小悪魔達も立ち止まり、不安そうに天井を見上げている。
「私が見てきます」
フラン様を離して図書館を出ようとすると、フラン様がすがりついてきた。
「駄目だよ、咲夜。何だか危なそうだよ」
「大丈夫ですよ。こんな白昼堂々誰かが襲ってくるなんて無いでしょう。フラン様はパチュリー様達と一緒に待っていて下さい」
フラン様が泣きそうな顔で見上げてくる事や小悪魔達が尊敬の眼差しを向けてくる事をこそばゆく感じながら、私は図書館を出て上の階に上がった。
鮮やかに無常な第二章
階段を上り切って辺りに気を配りつつ廊下を歩いていると、美鈴を見かけた。
まさか原因はあいつか?
疑りながら近寄ってみると、美鈴もこちらを認め、私を見た瞬間驚いた表情を浮かべた。
どうして私を見て驚いた? 何か後ろめたい事でもあるのだろうか。
疑いを更に深めていると、美鈴が何だか慌てた様子で髪を撫で付け笑顔を見せた。
「あ、あの咲夜さん。おはようございます。今日は何だかいつもよりずっとお綺麗ですね」
下手な追従に、疑惑が確信に傾く。
「美鈴、さっきうるさくしていたのはあなた?」
「へ?」
「図書館に居たら上の階が凄くうるさかったんだけれど、原因はあなた?」
「いえ、え? 違いますよ! そんなうるさくなんて」
「じゃあ、どうしてここに?」
「ただ朝ごはんを食べに食堂へ向かっていただけです」
「玄関から食堂まで向かうにしては少し道を逸れていない?」
「それは、ただのんびりしたかったというか」
しどろもどろに弁解する美鈴。その態度は明らかに怪しかったが、私は辺りを見回して美鈴が音の犯人であるという考えを改めた。音の原因は美鈴でないかもしれない、というだけではなく、そもそもあの音は屋敷の中では鳴っていなかったのかもしれない。というのも、もしもあんな爆音が屋敷の中で響いていれば、屋敷は天地がひっくり返った様な騒ぎになるだろうし、美鈴が原因だったのであれば美鈴の下に従者達が押しかけてくる筈だ。それが無いという事は屋敷の者達は音に気が付かなかったのだろう。
もしかしたらあの音は図書館の中でだけ響いたのかもしれない。どういう理屈かは分からなかったが、そんな気がした。そもそも美鈴が何かしたとしてあんな大量の足音が響く訳が無い。ましてやあんな爆発音。
もしかしたらあれは誰かのいたずらなのではないか。そんな気がしてくる。美鈴や従者達にそんな芸当は出来ないし、お嬢様方やパチュリー様がそれをする理由も見当たらない。では紅魔館の外の者の仕業かと考えると、心当たりがありすぎて絞りきれなかった。
「咲夜さん、その、音っていうのは」
「ええ、分かったわ。あなたの所為ではないのね」
「そうです。けど、あの、音っていうのは」
「分からない。図書館に居たら天井から聞こえてきたの大量の足音と凄い爆音が」
「それは一体」
「誰かのいたずらかもしれない。私は屋敷の中を調べるから、あなたは門を見張っていて。怪しいのが居たら問答無用で捕まえて構わないから」
「はい!」
「朝餉は後で持って行かせるわ」
「卵付きでお願いします!」
美鈴が駆け去っていく。それを見送りながら、無駄だろうと思った。幾ら河童印のトレーニングマシンで鍛えた美鈴でも。効果に個人差があるとはいえ、弛まぬ努力と継続的な使用によって使い方によっては使用者の肉体に規格外の力を与え、その上一日十五分で効果が出る為、生活を疎かにする事も無く、倒産覚悟の目を見張る安値なので、ほとんど給料の出ない紅魔館の門番でも買う事の出来る河童印のトレーニングマシンを使用した紅魔館最強の美鈴であっても、裏口から侵入されてはどうしようもない。さっきの様ないたずらをした者が正面から来て去っていくとは思えない。これはトレーニングマシンによって強化された美鈴が悪いという訳ではなく、館の構造上の問題である。
「何かあったの?」
メイドの二人が恐る恐ると言った様子で近寄ってきた。
「言い争っていたみたいだけど」
態態真実を知らして混乱を助長する必要は無い。
「何も」
そう答えると、途端に二人は安心した様子で顔をほころばせた。単純な奴等だ。
「ところで大きな音を聞かなかった?」
「大きな音? いつ?」
「つい先程」
「全然」
「そう」
やはりさっきの音は屋敷の上の階には響いていなかった様だ。作為的な匂いを感じる。
「さ、仕事に戻って。そうそう。美鈴に朝餉を持って行ってくれる」
「あ、はい!」
「卵も付けてあげて」
「はい!」
去っていくメイド達を見送って、さて屋敷内を調べようと歩み出すと、突然後ろから抱きつかれた。
「咲夜! 大丈夫?」
フラン様だった。
「ええ、私は大丈夫ですが、いかが致しました?」
「咲夜が中中戻ってこないから心配したんだよ!」
そんなに時間が経っていただろうか。懐中時計を取り出して時間を確認してみたが、ほとんど時間は経っていない。フラン様に視線を戻すと、フラン様は私の懐中時計をじっと見つめていた。
「それ、壊れてるの?」
「いいえ。どうしてですか?」
「何だか壊れているみたいだから」
私はもう一度時間を確認した。時計の針は動いている。時計のある手近な部屋を覗きこんで時刻を確認すると、私の懐中時計とあっていた。
「壊れてはいない様ですが」
「そうかな?」
フラン様が何を言いたのか良く分からなかったがあまり気にならない。フラン様の言動には良くある事だ。何にせよ調査の邪魔になるので引き剥がす。
「フラン様、私は仕事がありますので」
「さっきの音の出処を調べるの?」
「え、ええ、そうです。ですから」
「なら、私も一緒に調べる!」
そう言って再び腰に抱きついてきた。
連れて行ってあげたかったが、はっきり言って邪魔だ。勝手気儘に振る舞って屋敷の中を滅茶苦茶にするかもしれないし、その上危険な人物が居るかもしれない中を連れ回せない。
「フラン様のお手を煩わせる程ではありません」
「でも変な奴が入ってきてるんでしょ」
核心を突かれて、思わず目を見張った。
「だって明らかに人為的だもん! ね! 私が居れば倒してみせるよ!」
あっさりと看破したフラン様には驚いたが、だからと言って連れて行く訳にはいかない。とはいえ、幾ら諭したところで強情になってしまったフラン様を説得する事は出来ないだろう。
「申し訳ありませんが、図書館でパチュリー様と共に居て下さい」
「私が居たら邪魔なの?」
「その通りです」
心を鬼にして、そう言い切ると、フラン様は項垂れた。自分で招いた結果ではあるものの、落ち込んでしまったフラン様に胸を痛めていると、フラン様は分かったと言って去って行った。一先ずはこれで良い。ご機嫌を直してもらうのは後でだって出来る。
今大事なのは屋敷の中を捜索する事だ。
既視な無意識の第三章
私は一部の優秀なメイドとホフゴブリンを集めて、状況を話し、屋敷の中を捜索させる事にした。皆、事の重大さが分かったのだろう。畏まりましたと言って真剣な表情を浮かべる。
「へえ、捜索だって。何を探すのかな」
「きっと財宝の類ですよ、奥さん」
で、何故かその中にいつの間にやらこいしとこころが混ざっていた。全く状況の分かっていないで暢気な顔をしている。不審者を探そうとしていたのに、何だかあっさりと見つけてしまった。
「あんた達、何で居るの?」
尋ねると、突然二人が態度を豹変させた。
「はあ? フランと遊びに来たんですけどぉ!」
「友達と遊ぶのはいけない事なんですか? そこんとこどうなんですか?」
うざい。
まあ、さっきの音を鳴らしていたずらをする様な陰湿な質ではないし、友達と遊べばフラン様の気も紛れるだろうと、二人の侵入を許して、フラン様が地下の図書館に居る事を伝える。
途端に二人は嬉しそうな顔になって、深々と頭をさげた。
「お招きいただきましてありがとうございます、完全で瀟洒で優しくて美しい咲夜さん」
現金な二人だ。褒められて悪い気はしないけど。
気を取り直して、その場に居る者達に館の捜索を命じた。私自身も一つ一つの部屋を検めていく。途中、さぼっている妖精と出会ったり、遊びまわっているフラン様達を注意したりはしたものの、結局夕刻になっても怪しい奴はみつからなかった。もう外へ逃げてしまったのだろう。とはいえ、館を隈なく捜索し、怪しい者が居ないと分かっただけでも成果はあった。
捜索に参加していた者達を集めて報告を聞き終えた私は、服を引っ張っておねだりをしてくるフラン様とこいしとこころに、お菓子を包んだ小袋を用意してやり、ついでにもう夕方だからとこいしとこころを家に帰した。二人は不満を言っていたが、夕飯に間に合わなくなる事を伝えると慌てて帰っていった。
それから捜索に参加した者達に今晩は警備を厚くする様に伝えると、その場で一人のホフゴブリンが前に進み出た。
「一応ご報告なんですがね。怪しい者とは違うんですが、よろしいですか?」
「ええ、勿論。どんな細かい事でも報告して」
「というのもですね、怪しいんですな。全てが」
「全て?」
「館も怪しいですし、私等も怪しい。というのもですな、まず館のそこかしこで幻聴や幻覚が見える。咲夜さんはお気づきで?」
気づいては居た。何かその場にそぐわない物音が聞こえたり、メイドが居たと思ったら瞬きをすると消えていたり。けれどそれは緊張した自分の生み出す錯覚で、悪意を持った怪しい何者かというもっと大きな異常に隠れて全く気にしていなかった。
「加えて今日に限って既視感が酷い。自分が前にも同じ事をしていた様な気がしてならないんですよ。それだけと言えばそれだけなんですがね。まあ一応ご報告しておこうと。それもまた誰かのいたずらかもしれませんからな」
既視感。確かに何度も感じていた。今こうしてホフゴブリンから報告を受けている事もまたかつてあった事の様に思えてならない。些細な事だと気にしていなかったけれど、言われてみるとそれは明らかに異常だった。
だとしても、原因が分からない。原因が分からない以上、対策の取り様も無い。ならばする事は先程と同じだ。異常に備えて、屋敷を警備する。散会して庭へ向かう従者達を見つめながら、どうしても嫌な予感が拭えなかった。
恐慌に収束する第四章
「咲夜、喉が渇いた」
「はい、只今」
一礼して部屋の外に出た私はゆっくりと息を吐きながら厨房へ向かった。
警備を増やしたお陰か一先ずは何事も無い。屋敷の中の緊張にお嬢様は気づいておらず、無用の心配を掛けてもいない。懐中時計で時間を確認する。そろそろ今日という日が終わる。紅魔館の時間はむしろこれからはじまるが、零時を超えて今日が終われば安心出来るという根拠のない確信があった。
何だか気を張らせ続けた一日だった。疲れを感じて、時間を止めて少し休もうか考える。いや、まずはこの一日を終わらせてしまいたい。後少しなんだから。そう奮起して疲れた体を持ち直す。
その時、嫌なものを耳が捉えた。
悲鳴が何処からか聞こえてきた。
しかもそれは紛れも無くフラン様のものだった。
何かあったのは間違いない。
まさか、そんな。
声は下の階から聞こえてきた。急いで階段を降りきり、声のした方へ向かう。些細な事であってくれと祈りながら廊下をひた走る。嫌な予感が膨れて止まなかった。最悪の想像が頭の中に反響している。悲鳴の正確な位置は知れなかったが、何故か体は場所を知っているかの様に、図書館の上に位置する空き部屋群に行き着いた。廊下にはメイドが一人倒れていた。明らかに死んでいる。倒れたメイドの傍の扉が少しだけ開いている。フラン様が居るのはそこだ。
妖剣を取り出した私は躊躇も何も無く、扉を開け放って部屋の中に入る。
部屋は血にまみれていた。二つになったフラン様が居て、その傍には美鈴も倒れている。美鈴は刃物で全身を切り刺されていた。
あまりの光景に立ちすくんでいると微かな声が聞こえてきた。
「咲夜さん」
美鈴だった。まだ生きている。
驚いて美鈴の傍に座り込みその体に触れる。まだ生きている。だが。
「美鈴」
もう助からない。どうする事も出来ずに無力感をかみしめていると、美鈴が涙を流した。
「咲夜さん、ごめんなさい。ごめんなさい」
そう言って、事切れた。
呆気無く。
立ち上がって、床に倒れた二人を見つめていると、悔しさと涙で滲み始めた。
あれだけ警戒したのに、結局惨劇は起こってしまった。
だが悲しんでも居られない。
何も終わっていない。
お嬢様を守らないと。
道中何人もの切り刻まれた従者を見つけその傍を横切って、お嬢様の部屋へと辿り着いた。立ち止まって扉に手を掛ける。耳を澄ますと、辺りから一切の物音が消えていた。不吉だった。身じろぎの音一つ聞こえない。
既に頭の中には最悪の結末が浮かんでいた。けれどそれを認められずに、私は涙を流しながら扉を開け放った。
「お嬢様!」
部屋の中が真っ赤に染まっていた。
中心にはお嬢様が倒れていて、その周りで沢山のメイドがぐちゃぐちゃになっている。お嬢様の体だけは奇妙な程に綺麗で、部屋の中央で血の一滴も無いまっ更な格好で、天井を見上げ、そこだけが赤く染まった胸の前で手を組んでいた。お嬢様は目を瞑り、まるで眠っているかの様だった。生きているんじゃないかと、そんな気がした。
メイド達の血の海を渡り、私の全身が赤く塗れていく。自分もまた死に向かっているんだと思った。だから血に染まっていく。
お嬢様の傍に屈みこむ。今にも目を開けそうな程、綺麗な顔だった。呼びかければ、睫毛が震えて目を開けるんじゃないかと思った。
「お嬢様」
声を掛ける。
けれど反応はない。
「お嬢様、起きて下さい」
声を掛ける。
起きる様子は無い。
「お願いです、お嬢様。お願いですから、目を開けて下さい」
目を開ける気配は無い。
思わず嗚咽が漏れだして、お嬢様の体に縋った時、首に痛みを感じた。意識がうすれていく。自分は殺されるんだと思った。
セーブしますか?
はい。
「ん?」
「ほら、退屈だから面白い事探して来いって言っていたじゃないですか」
「ああ。で、それ?」
「はい、ゲームです。河童の作った。何と幻想郷が舞台で、咲夜さんが主人公なんですよ」
「へえ。ナイフで幻想郷の奴等を殺しまくるホラーアクションかしら?」
「いえ、ちょっと違います」
「面白いの?」
「やってみれば分かります」
「サクヤちゃんの幻想郷リプレイ、水平線のホライゾン、ね。一目で分かるクソゲーじゃない。評価するわ」
「暇つぶしにはなりますよ」
「そう。じゃあ」
グロテスクな場面や残酷なシーンが含まれています。
このゲームはフィクションです。実在の人物や団体等とは一切関係がありません。
てれてっててーみーてれてっててーみーてとてとてとてとてれってっててーてーてってってってててってってってててってってってててってってってててれっててーみーてれっててーみーああーててててああーてててててってってってててってってってててってってっててああーああーででーんだだででだーんさくやちゃんのでででんげんそうきょうだだすいへいせんのほらいぞんだんでででだんだんだん。
PUSH START
てれてれんん。
新しくデータを作成しています。しばらくお待ち下さい。
データを作成いたしました。
OK
ででん。
N周目
希望に満ちた反復性のプロローグ
目を覚ますとそこは自室。ベッドの上で倒れていた。どうやら疲れて眠ってしまっていたらしい。時計を見ると秒針が止まっていた。私の能力で時が止まっている様だ。
何か忘れている様なそんな気分がした。確か多くの者が不幸な目にあって、その糸口が何処かの店に。夢だろうか。ぼやけていく。思い出そうとすると怖気が走った。悪夢でも見たのだろうか思いながら、私は外へ出てお嬢様が居るであろうダイニングへ向かった。
お嬢様は紅茶を飲もうとする格好で固まっていた。その愛らしい姿を見つめているとふと以前もその光景を見た気がした。いや、いつも見ている。お嬢様が紅茶を飲もうとする光景なんてそれこそ毎日。けれどこの既視感はそれどころではなく、ここまでの全て、疲れて寝入ったところから目を覚まし、止まった時の中でダイニングにやってきて、今見ている光景と全く相違の無い光景を見るまでを、何度も何度も繰り返している気がした。
すると妄想の如き閃きがやって来た。
私は同じ時間を繰り返している。
閃きは何の理屈も通さずに、私の中で気付きへと変わった。
私は同じ時間を繰り返している。
私達は同じ時間を繰り返している。
幻想郷は同じ時間を繰り返している。
その気付きは続いてあり得ない飛躍で以って、真理へと辿り着く。
繰り返す時間。それは全て自分の持つ懐中時計の所為だという事に気がついた。
その月時計が回り続ける限り時間は同じ場所をくるくると回る事に気がついた。
時間を正常に戻すのであれば月時計を壊してしまえば良い事に気がついた。
けれど、この懐中時計をもしも壊してしまえば、何か悪い事が起こる事に気がついた。
それ等は何の根拠も無かったけれど、全て確信を持ってそうだと言えた。
だからと言ってどうすれば良いのか分からない。
時が動き出す。
紅茶を注ぐ。
「あら、ありがとう咲夜」
お嬢様が紅茶を飲んで、微笑みながらそう言った。今は悩む必要は無い。お嬢様を前にしている間は、ただお嬢様の笑顔を絶やさない事だけを考えていれば良い。
「どうしたの?」
お嬢様が私の顔を覗きこんできた。呆けていた事に気がついて、慌てて首を横に振る。
「いいえ」
「そう。もしかして眠い?」
「そんな事は」
さっき寝ていたばかりだし。
「別に我慢しなくても良いのよ。こんなにも麗らかな朝焼けなんだから」
そう言って、お嬢様は窓の外を見た。空が白み始めて、星星が消え始めている。曙光が辺りの森を照らし、露に濡れた森が光り輝いている。音の無い美しい朝だった。
しばらくお嬢様と私はそれを眺めていたが、やがてお嬢様は欠伸をした。
「咲夜、そろそろ寝るわ」
「畏まりました」
「咲夜は今日何か予定でもあるの? 私が寝ている間」
「今日は……特には」
「なら香霖堂へ行って何か新しくて面白い物でも無いか探してきてくれない? 最近妙に暇なのよ。何をやってもすぐに飽きちゃう」
それは時が繰り返しているから。何度も何度も繰り返しているから。
「畏まりました」
「お願いね」
幻想郷は同じ時間を繰り返している。
私達は同じ時間を繰り返している。
私は同じ時間を繰り返している。
お嬢様も同じ時間を繰り返している。
飽いている。繰り返す時間に。
それがお嬢様から笑顔を奪うのであれば、私は時の流れを正さなければならない。
穏やかで有名無実な第一章
お嬢様と別れて階段を降りていると、お嬢様の妹様のフラン様に出会った。盛大な勢いで廊下を走っていた。私が呼びかけると、フラン様は足を止めて実に嬉しそうな顔を振り向かせた。大変可愛らしい様子だが、心を鬼にする。
「フラン様、廊下を走ってはいけません」
途端に意気消沈した様子でフラン様は項垂れる。胸の痛くなる光景だが、叱る者は毅然としていなければならない。私が黙ってフラン様を見つめていると、フラン様はやがて頭を下げた。
「はい、ごめんなさい」
「お気をつけ下さい」
「うん」
フラン様は項垂れたまま去ろうとして、不意に顔を上げた。
「あ、そうだ。咲夜、パチュリーが呼んでたよ」
「パチュリー様が?」
お嬢様のご友人で、地下の図書館に住んでいる魔女のパチュリー様を思い浮かべ、一体何の用だろうと疑問に思う。
「何故?」
「知らない」
「急いでいる様でしたか?」
「ううん」
そこまで急ぎでは無い様だ。ならばまずは香霖堂へ行く事を優先しよう。フラン様と別れて、私は屋敷の外へ向かった。
屋敷を出る時に、門番の美鈴に声を掛けられた。
「あ、咲夜さん。お出かけですか?」
「ええ。ちょっと香霖堂へ」
「今日は良いお天気ですからね」
「良いお天気だけど居眠りしちゃ駄目よ」
「嫌だな、咲夜さん。この私が居眠りなんかする訳ないじゃないですか」
信用ならない。昨日は眠っていた。一昨日も。
「あれ、咲夜さん」
急に美鈴が驚いた様に声を上げた。
どうしたのだろうと思っていると、美鈴が何だか気恥ずかしげな表情になる。
「今日はいつもより綺麗ですね」
こいつ絶対眠るつもりだ。何て浅はかなおもねりだろう。
とはいえ、叱る事は止しておいた。空は快晴、実にのんびりとした陽気で、嫌な気分になりたくない。何か危険が迫るとも思えない。居眠りの一つで屋敷が滅茶苦茶になる訳でもないし、多少は多めに見てやる。綺麗と言われて悪い気はしない。
「くだらない事言ってないで、仕事に励みなさい」
「はーい」
のんびりと美鈴が答える。実に脳天気な笑顔だった。
「あなたは悩みが無さそうで良いわね」
そう皮肉をいうと、美鈴は照れた様子で笑った。何となく負けた気分を味わい憎らしく思う。
憎々しげな気持ちで香霖堂へ向かう最中、ふと美鈴の照れた笑いをここ最近何度も見た覚えがある事に気がついた。けれど能く能く考えてみても、そんな場面は中中思いつかない。香霖堂へ向かう最中、ずっと悩んでいたが、結局判然としないまま、すっきりとしない気鬱だけが残った。
香霖堂に着いて中に入ると、店主の霖之助が私の顔を見るなり不思議そうな顔をした。
「何か悩み事ですか、咲夜さん」
「どういう事ですか、霖之助さん?」
「いえ、ただ何か眉をしかめて悩んでいる様子だったから」
どうやら顔に出ていたらしい。
何だか気恥ずかしい思いで、近くのドライヤーに触れる。幾ら何でも同じ時間を繰り返している等という妄言を吐く訳にはいかないので、適当にはぐらかす事にした。
「真に仕える者は何事にも心を煩わせず、ただ主を思うのみです」
「そうですか」
納得のいっていない様子だったが追求してくる様子は無い。それが好ましい。これが魔理沙であれば、うんざりする程質問攻めをしてきただろう。この店は、心の休まる店だ。魔理沙や霊夢が居なければ。
ドライヤーを何度か振る。河童印のドライヤーは見た目の割に軽量で、例え子供がふざけて誰かを殴っても、一撃で致命傷にまでは至らないだろうと判断して、購入を決めた。カウンターへ持って行って勘定をしてもらう。少々値は張ったが、許容の範囲内だった。プラズマクラスターがついていて髪の毛にとても良いと言っていた。良く分からなかったが、体に良いのなら良い事だと思った。値段も手頃だったし。
代金を渡して、ドライヤーを受け取り、このまま帰れば夕飯の支度に十分間に合う事を確認していると、霖之助が言った。
「その懐中時計、いつも使っているのと違いますね」
私の持つ懐中時計を指さして訝しむ様な顔をしている。どうして急にそんな事を言い出したのか。それにいつものと同じだ。これは確かに私ので、いつも愛用している大事な時計だ。
「似ているけれど、少し歪だ」
「歪?」
「まるでばらばらにして素人が組み直したみたいだ」
突然の失礼な言葉に苛立って、私は霖之助を一睨みしてから、大きく足を踏み出して出口へ向かう。
「気を悪くさせたかな? すまないね」
そんな声が背後から聞こえてきて、私が無視して出ていこうとすると、更に霖之助の声が響いてくる。
「あ、そう言えば、今日は咲夜さん、何だかやけに綺麗ですよ。いや、いつも綺麗だけれど」
そのご機嫌を取ろうとしているのが見え見えの馬鹿馬鹿しいお世辞を無視して、勢い良く扉を開き、店の外へ出た。苛立ちと嬉しい気持ちが綯い交ぜの状態で紅魔館へ帰る道中、何だか霖之助の言葉が気になって、もう一度懐中時計を確認してみた。いつもの時計だと思う。そう思う。じっと見ている内に、何だか時計がくたびれている様に見えた。ただ何処がおかしいのかは分からない。
もしかしたら、時が繰り返している事と何か関係があるのではないかと思ったが、いくら考えても結局何の答えも得られなかった。
日常らしい無自覚の第二章
紅魔館へ戻ると、珍しく廊下を歩いているパチュリー様を見つけた。いつもは図書館の中に篭っているというのに、一体どうしたのだろう。
こちらが声を掛ける前に向こうもこちらに気がついて、手を上げて近寄ってきた。
「丁度良かった。咲夜、悪いんだけど、鼠退治をしてくれない?」
鼠退治?
「また魔理沙が入りましたか?」
「いえ、そうじゃなくて、本物の鼠。どうやら図書館の天井を走り回っているみたいなの」
「随分とふてぶてしい。畏まりました。すぐに向かいましょう」
地下へ降りて図書館の扉を開けると、じっとりとした湿気と肌寒い湿気が漂っていた。如何にも本が痛みそうだが、環境が改善される見込みは無い。魔術で湿気を取ろうにも魔導書と魔術が鑑賞しあって上手くいかないとか。こんな時に河童印の空気清浄機があればこれだけ広い図書館でもすぐに乾燥させる事が出来るし、拡張アタッチメントを使えばその空間に合わせた最適の環境、例えば本を保存する為の最適な空間を作り出す事が出来るのだが。お値段も手頃だし、是非とも欲しいのだが、偏屈なパチュリー様が機械は好かんと言って買う気がないので、図書館の環境が改善される見込みは全く無い、
じっとりとした嫌な空気をその身に感じつつ、その陽の光の無い薄暗い黴じみた空間に我慢しいしい足を踏み入れると、すぐにパチュリー様に仕える小悪魔達が集まってきた。
「咲夜さん、良く来て下さいました」
「鼠です。鼠です。鼠なのです」
「私達ではとてもとても」
「咲夜様、お願いです。早く追い払って下さい」
わらわらと一斉に喋りかけてくる小悪魔達にうんざりしつつ事情を聞くと、長い間天井から音が聞こえてくるらしい。その規則的で、移動している音は、鼠の足音に相違なく、しかもそれは鼠の足音にしては嫌にうるさいらしい。そんな恐ろしい存在を、純情可憐な存在である小悪魔達がどうにか出来る訳が無く、そこで紅魔館の殺人ドールである咲夜さんに退治をお願いしたい。というのが小悪魔達の主張だった。
見上げると本棚の隙間から遥か高い場所に黒くぼやけた天板が見える。図書館の上には空き部屋が並んで居た筈だ。大方、フラン様が遊んでいらっしゃるのだろう。
私が二つ返事で承諾すると、皆が皆、英雄でも見る様な尊敬の眼差しを向けてきた。そんな視線を向けられても困る。実際はただフラン様を注意しに行くだけなのだから。
図書館の上の階に行くと、真っ赤な絨毯の敷かれた廊下があって、ずらりと空き部屋の扉が並んでいた。いつもであれば屋敷のメイド達が騒がしくしているのだが今日に限ってはやけに静かだ。その分はっきりとその物音が聞こえた。微かな人の足音。居並ぶ扉のただ一つからその音は聞こえてくる。
その部屋へ近付いてみると、どうやら足音は部屋の中を歩きまわっている様だった。何か目的を持っている様な足音には聞こえない。暇を持て余している様なそんな歩き方。やはりフラン様だろう。
あまり外に出ないフラン様は良く屋敷の中で暴れている。朝の様に一人で屋敷中を暴れまわる事もあれば、メイドをいじめる事もある。屋敷の者達は皆それを許容しているから、暴れている事自体は良いのだが、パチュリー様に迷惑が掛かっている事と鼠に間違われている以上は止めなければならない。
形だけのノックをしてから中に入る。真っ暗な中、電灯の薄明かりの下に亜麻色の髪がのそりのそりと歩いていた。一瞬フラン様かと思ったが、違った。それはフラン様では無く、霧雨魔理沙という泥棒だった。
私が無言でナイフを構えると、驚いて振り返った魔理沙が慌てて両手を突き出してきた。
「おいおいおい、止めてくれ。別に迷惑を掛けに来たんじゃない」
「詰まらぬ嘘ですね。現に階下のパチュリー様は大きな泥棒鼠の足音にずっと迷惑しておりました。一体どれだけ走り回っていたのか」
「鼠ってもしかして私の事か?」
「他に誰が?」
「だったら勘違いだよ。私は今来たばかりだぜ?」
今来たばかり? だとすれば小悪魔達の証言と食い違う。けれど魔理沙が嘘を言っている可能性もある。何にせよ侵入者だ。
ナイフを構え直すと、魔理沙が笑いながら後ずさった。
「ちょっと待てよ。私は遊びに来ただけさ。別に盗みを働こうとした訳じゃ無い。今だってフランと隠れ鬼をして遊んでいるんだから」
「隠れ鬼?」
「そう。まあ隠れるのは鬼で、見つけるのが人間な訳だけど」
そう言ってくすくすとおかしそうに魔理沙が笑う。何が面白いのか分からない。フラン様と遊んでいるというのなら、フラン様は何処に居る。疑り深く魔理沙を睨んでいると、魔理沙は時計を見て白々しい様子で声を上げた。
「あ、二分経った。じゃあ、私フランを探しに行くから」
そう言って部屋を駆け出していく。追おうと思ったが、箒に乗って飛んでいってしまったので追いつけなかった。屋敷の中を箒で飛ぶなんて随分と非常識な奴だ。
仕方なく、元の仕事に戻ろうかと考えて、そう言えば鼠の足音について相談されていた事を思い出した。本当に魔理沙ではなかったのだろうか。魔理沙でないのなら一体誰が? やはりフラン様? フラン様だとすればせめて一言注意しなければならない。
顕在化した致死性の第三章
廊下を出てフラン様を探そうと歩いていると、すぐ近くの扉が少しだけ開いている事に気がついた。メイドが閉め忘れたのかとも思ったが、それよりもフラン様が中に居るのではという予感がした。
思ったよりも早く見つかったと安堵しいしい近寄ってみると、ふと鼻が異臭を嗅いだ。強い血の匂いだった。
何だこれ。
どうして部屋の中から血の匂いが流れてくる。誰かが人間を連れ込んで、血でも吸っているのか。そうであって欲しかった。他の可能性はほとんどが嫌な結末になる。
近寄る毎に血の臭いはどんどんと強くなっていく。鼻に付く血の臭い。明らかに臭いの元には致死量の血が流れている。それだけ血の臭いは強かった。外の世界に居た頃はともかく、幻想郷に来てからはこんな事一度たりととして無かった。お嬢様とフラン様は用意された食事で満足してくれていたし、屋敷で働く者達も今はもう力の弱いのばかりで、その上幻想郷の奴等を恐れているから、無闇に人間を襲おうとはしない。だから屋敷の中でこんな血の臭いが流れる事なんて調理場以外にあり得ない。
だとしたらこの血の臭いは何だ?
不吉な予感が高まっていく。
扉の前に立つと、自分が酷く緊張している事に気がついた。
中はどうなっているのか。気になって仕方が無い。反面、心は見たくないと叫んでいる。だが選択肢は無い。主に仕える者として館の中の異変は確かめなければならない。
凄惨な光景を覚悟して、ゆっくりと扉を開ける。
息を飲んで、扉を開け放し、中を見て唖然とした。
何の異常も無かった。クローゼットやラック等、申し訳程度の家具が置かれているだけの、ただの部屋。使っては居ないものの、掃除は欠かさないので、殺風景ながらも清潔感はある。まっさらな部屋の中に踏み入って辺りを見回しても何らおかしい所が無い。
それが異常だった。
血の臭いだけはしているのだ。
強烈に。
幾ら一見何の異常も見受けられないとしても、漂ってくる臭いが明らかな異常を伝えてきている。
怪しいのは家具の中。鼻を鳴らしながら歩いていると、ある収納棚が臭いの発生源である事に気がついた。腰程の高さのその棚は確か中に仕切り板が無く、まさしく人を隠すには十分な大きさである。良く見ると、下の扉の隙間に血が滲んでいた。
激しい動悸で胸が痛い。
中に入っている秘密が恐ろしい。
滲んだ血が、棚が死を孕んでいる事を指し示している。問題は中に何が入っているか。人間なら良い。それなら大丈夫。だがもしも屋敷の者だったら。もしも。さっきから嫌な予感がまるで止まない。最悪の想像が頭の中を去来している。
このまま逃げ出してしまいたかったが、そういう訳にはいかない。メイドの頭としてこの屋敷で何が起こっているのかは把握しなくてはならない。
取っ手に手をかける。妙に生暖かい気がした。まるで中のものの体温を奪って温かくなっている様だった。棚の中からは何の音も聞こえてこない。もう一度願う。全てが冗談であって欲しいと。
そうして開けた。
中から金色に輝く髪色の頭がごろりと倒れてきた。フラン様の胴体はそのまま床に崩れ落ちる。私は驚いて後ずさり、フラン様の胴体を見て、それから棚の中に残ったフラン様の足腰を見つめた。血にまみれていた。
フラン様が二つに分かれている。
息が止まった。
上手く呼吸が出来ず、溺れている様な錯覚を感じる。
混乱した頭が上手く働かない。
混乱しながら私はゆっくりと立ち上がって、考えた。
助けを呼ばなければ。
どうして? 明らかに死んでいるのに。
医者を呼ばなければ。
無駄でしょ。だって死んでるんだもの。
お嬢様にお知らせしなければ。
そう。それが良い。
いや、その前に犯人を。
見つけ出して殺さなきゃ。
犯人?
一気に総毛立った。
フラン様が殺された。その事実が一気に心に押し寄せてきて喉の奥から変な声が漏れだした。
まだ犯人が近くに居るかもしれない。皆に知らせないと。
フラン様を置いていくのは心苦しかったが、今は構っていられない。
急いで外へ飛び出し、お嬢様の部屋へ向かう。皆に知らせながらお嬢様の下へ向かわないと。そう考えながら階段を駆け上がろうとして足を止めた。
メイドが倒れていた。その胸の部分が、圧縮されたみたいに骨一本分の細さになっていた。辺りには血がぶちまけられている。死んでいる。
訳が分からなかった。けれどいつまでも立ち止まっては居られない。屋敷で酷い異変が起こっている。何としてもお嬢様を守らないと。
道中何人もの潰され引き裂かれた従者の傍を横切って、お嬢様の部屋へと辿り着いた。立ち止まって扉に手を掛ける。耳を澄ますと、辺りから一切の物音が消えていた。その静謐さが何だか安堵を与えてきた。お嬢様という存在が未だ不可侵の崇高なものである事を示している様な気がした。お嬢様を何者も侵害出来ない。そんな気がした。
安心した私はいつもの様にノックをする。中から返事は無い。失礼しますと言って、中に入ると、お嬢様がベッドの上に座っていた。ヘッドボードに背を預け、掛け布団を胸まで被って微笑んでいる。
無事の様だ。
「お嬢様! 良かった!」
思わず涙が溢れてきた。ただでさえ気の狂いそうな状況で、もしもお嬢様まで殺されていたら、完全に心がいかれてしまうところだった。
「お嬢様、ご無事で何よりです! 今、屋敷の中が大変な事に。とにかく逃げましょう!」
そう言って近付いて、気が付いた。
お嬢様が身じろぎせず、瞬きすらしていない事に。
その表情は微笑んでいるのではなく、緩んでいるのだという事に。
「お嬢様?」
それでも信じられなくて、更に近寄り、その顔を覗き込む。見開いた目が何処か遠くを見つめている。ベッドに手を突くとそこは本来足のある場所なのに、何も無く、ただベッドの弾力だけが返ってくる。
ああ、何だ。
「ああ」
そういう事か。
「ああ」
つまり世界は死んだって事か。
気がつくと、自分の口から自分のものとは思えない絶叫がほとばしっていた。
気がつくと、血で溢れた屋敷中をひた走っていた。
気がつくと、何処か廊下の紅色の絨毯の上に寝そべっていた。
気がつくと、屋敷の鐘が鳴っていた。
気がつくと、時が巻き戻っていった。
誰が皆を殺したのか。
どうしてこんな事になったのか。
いつの間に犯人はやって来たのか。
何故館中を皆殺しにしたのか。
セーブしますか?
はい。
N+1周目
希望に満ちた反復性のプロローグ
目を覚ますとそこは自室。ベッドの上で倒れていた。どうやら疲れて眠ってしまっていたらしい。時計を見ると秒針が止まっていた。
何か忘れている様なそんな気分がした。私が夕方屋敷に戻ると大勢の者が死んで。すぐにぼやけていく。思い出そうとすると怖気が走った。悪夢でも見たのだろうか思いながら、私は外へ出てお嬢様が居るであろうダイニングへ向かった。
お嬢様は紅茶を飲もうとする格好で固まっていた。その愛らしい姿を見つめているとふと以前もその光景を見た気がした。いや、いつも見ている。お嬢様が紅茶を飲もうとする光景なんてそれこそ毎日。けれどこの既視感はそれどころではなく、ここまでの全て、疲れて寝入ったところから目を覚まし、止まった時の中でダイニングにやってきて、今見ている光景と全く相違の無い光景を見るまでを、何度も何度も繰り返している気がした。
すると妄想の如き閃きがやって来た。
私は同じ時間を繰り返している。
閃きは何の理屈も通さずに、私の中で気付きへと変わった。
私は同じ時間を繰り返している。
私達は同じ時間を繰り返している。
幻想郷は同じ時間を繰り返している。
その気付きは続いてあり得ない飛躍で持って、真理へと辿り着く。
時が繰り返しているのは私が美しいからだ。
きっとクロノス辺りが私のあまりの美しさを未来永劫留めておく為に、時間を進めなくしてしまったに違いない。延々と繰り返す時の中で私は神すらも魅了した美貌を保ち続ける事になるのだ。
何という事だと恐ろしい気分になって、私は慌てて自室へ戻り、鏡に自分の顔を映してみた。普段と何ら代わりの無い様な気もしたが、この顔が時の神すらをも狂わせたかと思うと何だか絶世の美貌に見えてくる。これはもしや最近使っていた河童印のエステローラーの所為か。プロのエスティシャンが監修した自宅で誰でも簡単にセルフケアを行える河童印のエステローラーは寝る前に五分間使用するだけで肌の血行を良くし、筋肉の疲労と贅肉のゆるみを取って、全身を内側から改善出来る。その御蔭か最近では引き締まった瑞々しい美肌となったが、もしかしたらその効果があまりにも素晴らしすぎたのかもしれない。ははあ、これは時の流れがおかしくなっても仕方のない美しさだぞと思い始めた頃には、もう美しさは底抜けの上に天井知らずで、このままでは大変な事になると気が付いた。何とかしなければならないと思いながら必死で鏡から視線を逸らそうとするが世紀の尤物を前にしてはどうしても目を離せない。必死の思いで全霊を込める事頻り、ようやっと視線を外した時にはもう疲労困憊の態で、立っている事すらままならず、そのままベッドに倒れると段段と意識が朦朧としていった。
己の美しさを恐れながら。
セーブしますか?
はい。
N+2周目
希望に満ちた反復性のプロローグ
目を覚ますとそこは自室。ベッドの上で倒れていた。どうやら疲れて眠ってしまっていたらしい。時計を見ると秒針が止まっていた。
何か忘れている様なそんな気分がした。私が夕方屋敷に戻ると大勢の者が死んで。ぼやけていく。思い出そうとすると怖気が走った。悪夢でも見たのだろうか思いながら、私は外へ出てお嬢様が居るであろうダイニングへ向かった。
お嬢様は紅茶を飲もうとする格好で固まっていた。その愛らしい姿を見つめているとふと以前もその光景を見た気がした。いや、いつも見ている。お嬢様が紅茶を飲もうとする光景なんてそれこそ毎日。けれどこの既視感はそれどころではなく、ここまでの全て、疲れて寝入ったところから目を覚まし、止まった時の中でダイニングにやってきて、今見ている光景と全く相違の無い光景を見るまでを、何度も何度も繰り返している気がした。
すると妄想の如き閃きがやって来た。
私は同じ時間を繰り返している。
閃きは何の理屈も通さずに、私の中で気付きへと変わった。
私は同じ時間を繰り返している。
私達は同じ時間を繰り返している。
幻想郷は同じ時間を繰り返している。
その気付きは続いてあり得ない飛躍で以って、真理へと辿り着く。
繰り返す時間。それは全て自分の持つ懐中時計の所為だという事に気がついた。
その月時計が回り続ける限り時間は同じ場所をくるくると回る事に気がついた。
時間を正常に戻すのであれば月時計を壊してしまえば良い事に気がついた。
けれど、この懐中時計をもしも壊してしまえば、何か悪い事が起こる事に気がついた。
それ等は何の根拠も無かったけれど、全て確信を持ってそうだと言えた。
だからと言ってどうすれば良いのか分からない。
時が動き出す。
紅茶を注ぐ。
「あら、ありがとう咲夜」
お嬢様が紅茶を飲んで、微笑みながらそう言った。今は悩む必要は無い。お嬢様を前にしている間は、ただお嬢様の笑顔を絶やさない事だけを考えていれば良い。
「咲夜、そろそろ寝るわ」
「畏まりました」
「咲夜は今日何か予定でもあるの? 私が寝ている間」
「今日は……屋敷に居ようと思います」
「暇なの? なら香霖堂へ行って何か新しくて面白い物でも無いか探してきてくれない? 最近妙に暇なのよ。何をやってもすぐに飽きちゃう」
心苦しいが、そういう訳にはいかない。もしかしたら留守中におかしな者がやってきて、屋敷を滅茶苦茶にしてしまうかもしれないのだから。
「申し訳ありませんが、今日はお屋敷にから出るつもりは」
「そうなの? まあ、いいや」
怒られる事を覚悟での反抗だったが、お嬢様はあっさりと気を逸らして、紅茶を飲み干すと立ち上がっった。
「じゃあ、また夕方に会いましょう」
そう言って笑うお嬢様の笑顔を何としても守らなけれならないと思った。
騒がしく得体の知れない第一章
お嬢様と別れて階段を降りていると、フラン様に出会った。盛大な勢いで廊下を走っていた。私が呼びかけると、フラン様は足を止めて実に嬉しそうな顔を振り向かせた。大変可愛らしい様子だが、心を鬼にする。
「フラン様、廊下を走ってはいけません」
途端に意気消沈した様子でフラン様は項垂れる。胸の痛くなる光景だが、叱る者は毅然としていなければならない。私が黙ってフラン様を見つめていると、フラン様はやがて頭を下げた。
「はい、ごめんなさい」
「お気をつけ下さい」
「うん」
フラン様は項垂れたまま去ろうとして、不意に顔を上げた。
「あ、そうだ。咲夜、パチュリーが呼んでたよ」
「パチュリー様が?」
一体何の用だろうと疑問に思う。とはいえ呼ばれたのなら、行くべきだろう。別に用事も無いのだし。
「畏まりました」
「ねえ、私もついていって良い?」
「ええ、構いませんが」
「何だか最近つまらないの」
飽いている。繰り返す時間に。そうだ。時間は繰り返している。それを止めなければならない。そう思うのだが、どうすれば良いのか分からなかった。懐中時計だけは壊したくない。
二人して図書館へ行くと、パチュリー様が安堵の表情で出迎えてくれた。
「早速来てくれて助かったわ。実は天井から物音がするのよ。何だか鼠みたいな。でもそれにしては少し大きすぎる」
「え? 朝からずっとだったんですか?」
「え? どういう事? 良く分からないけど、ついさっき急に音が。ずっとって程、前からでは無いわ。他の場所でも鼠が出たの?」
「いいえ」
何故だか一日中鼠がうろついていた様な錯覚を得ていた。一日は始まったばかりなのに。どうしてそう感じたのかは分からない。その感覚の齟齬がとても不吉なものの様に思えた。
フラン様がパチュリー様に、私を呼んできた事を報告して、パチュリー様がフラン様を褒めながら頭を撫でている。その微笑ましい光景に癒やされつつ、天井を見上げる。何の音も聞こえない。小悪魔達に事情を尋ねると、音は断続的に聞こえてきて、そのいつ聞こえてくるか分からないのが恐ろしさをいや増していると言う。あの足音は鼠に相違なく、その上音の大きさを考えれば人間大かも知れない。そんな恐ろしい存在に対抗できるのは、私達の様なか弱く可憐な小悪魔ではなく、紅霧の幻想殺人鬼咲夜さんしか居ないと嘆願されて、どう考えてもこいつら馬鹿にしてるだろと、苛立ちを感じたが、何にせよそんな鼠が居るのであればどうにかしなければならない。
熱烈な勢いでじゃれ合おうとするフラン様と、そのラブコールに少し困っているパチュリー様に、鼠退治をしてくると伝えて図書館を出ようとした。
その時、天井からどたどたと何かの走る様な音が聞こえてきた。これが皆の言っていた足音か。確かに規則的な音は足音に聞こえるし、鼠であれば随分と大きい。本当に鼠であるのなら恐怖を感じてもおかしくは無いが、どうせうちのメイドの誰かが走り回っているのだろう。注意しなければいけないと思いつつ聞いていると、足音は段段とその数を増していく。
「え?」
小悪魔の驚きの声が漏れた。
足音は十、二十と次第にその数を増していき、やがては足音が飽和して、まるで天井が今にも崩れそうな音を立てだした。明らかに尋常の音ではない。
「咲夜、怖いよ」
フラン様が抱きついてくる。それを抱き締めつつ、天井を睨みつける。
天井が爆発した。誰もがそう思ったに違いない。屋敷そのものが吹っ飛んだんじゃないかという程の爆音が鳴り響いた。天井が崩れてくると錯覚した小悪魔達がそこら中を逃げ惑う。けれど爆発は音だけで、天井に異常は無い。音も爆発音を後に聞こえなくなった。
「今のは一体」
パチュリー様が呆然と呟いている。
そこら中を逃げ惑っていた小悪魔達も立ち止まり、不安そうに天井を見上げている。
「私が見てきます」
フラン様を離して図書館を出ようとすると、フラン様がすがりついてきた。
「駄目だよ、咲夜。何だか危なそうだよ」
「大丈夫ですよ。こんな白昼堂々誰かが襲ってくるなんて無いでしょう。フラン様はパチュリー様達と一緒に待っていて下さい」
フラン様が泣きそうな顔で見上げてくる事や小悪魔達が尊敬の眼差しを向けてくる事をこそばゆく感じながら、私は図書館を出て上の階に上がった。
鮮やかに無常な第二章
階段を上り切って辺りに気を配りつつ廊下を歩いていると、美鈴を見かけた。
まさか原因はあいつか?
疑りながら近寄ってみると、美鈴もこちらを認め、私を見た瞬間驚いた表情を浮かべた。
どうして私を見て驚いた? 何か後ろめたい事でもあるのだろうか。
疑いを更に深めていると、美鈴が何だか慌てた様子で髪を撫で付け笑顔を見せた。
「あ、あの咲夜さん。おはようございます。今日は何だかいつもよりずっとお綺麗ですね」
下手な追従に、疑惑が確信に傾く。
「美鈴、さっきうるさくしていたのはあなた?」
「へ?」
「図書館に居たら上の階が凄くうるさかったんだけれど、原因はあなた?」
「いえ、え? 違いますよ! そんなうるさくなんて」
「じゃあ、どうしてここに?」
「ただ朝ごはんを食べに食堂へ向かっていただけです」
「玄関から食堂まで向かうにしては少し道を逸れていない?」
「それは、ただのんびりしたかったというか」
しどろもどろに弁解する美鈴。その態度は明らかに怪しかったが、私は辺りを見回して美鈴が音の犯人であるという考えを改めた。音の原因は美鈴でないかもしれない、というだけではなく、そもそもあの音は屋敷の中では鳴っていなかったのかもしれない。というのも、もしもあんな爆音が屋敷の中で響いていれば、屋敷は天地がひっくり返った様な騒ぎになるだろうし、美鈴が原因だったのであれば美鈴の下に従者達が押しかけてくる筈だ。それが無いという事は屋敷の者達は音に気が付かなかったのだろう。
もしかしたらあの音は図書館の中でだけ響いたのかもしれない。どういう理屈かは分からなかったが、そんな気がした。そもそも美鈴が何かしたとしてあんな大量の足音が響く訳が無い。ましてやあんな爆発音。
もしかしたらあれは誰かのいたずらなのではないか。そんな気がしてくる。美鈴や従者達にそんな芸当は出来ないし、お嬢様方やパチュリー様がそれをする理由も見当たらない。では紅魔館の外の者の仕業かと考えると、心当たりがありすぎて絞りきれなかった。
「咲夜さん、その、音っていうのは」
「ええ、分かったわ。あなたの所為ではないのね」
「そうです。けど、あの、音っていうのは」
「分からない。図書館に居たら天井から聞こえてきたの大量の足音と凄い爆音が」
「それは一体」
「誰かのいたずらかもしれない。私は屋敷の中を調べるから、あなたは門を見張っていて。怪しいのが居たら問答無用で捕まえて構わないから」
「はい!」
「朝餉は後で持って行かせるわ」
「卵付きでお願いします!」
美鈴が駆け去っていく。それを見送りながら、無駄だろうと思った。幾ら河童印のトレーニングマシンで鍛えた美鈴でも。効果に個人差があるとはいえ、弛まぬ努力と継続的な使用によって使い方によっては使用者の肉体に規格外の力を与え、その上一日十五分で効果が出る為、生活を疎かにする事も無く、倒産覚悟の目を見張る安値なので、ほとんど給料の出ない紅魔館の門番でも買う事の出来る河童印のトレーニングマシンを使用した紅魔館最強の美鈴であっても、裏口から侵入されてはどうしようもない。さっきの様ないたずらをした者が正面から来て去っていくとは思えない。これはトレーニングマシンによって強化された美鈴が悪いという訳ではなく、館の構造上の問題である。
「何かあったの?」
メイドの二人が恐る恐ると言った様子で近寄ってきた。
「言い争っていたみたいだけど」
態態真実を知らして混乱を助長する必要は無い。
「何も」
そう答えると、途端に二人は安心した様子で顔をほころばせた。単純な奴等だ。
「ところで大きな音を聞かなかった?」
「大きな音? いつ?」
「つい先程」
「全然」
「そう」
やはりさっきの音は屋敷の上の階には響いていなかった様だ。作為的な匂いを感じる。
「さ、仕事に戻って。そうそう。美鈴に朝餉を持って行ってくれる」
「あ、はい!」
「卵も付けてあげて」
「はい!」
去っていくメイド達を見送って、さて屋敷内を調べようと歩み出すと、突然後ろから抱きつかれた。
「咲夜! 大丈夫?」
フラン様だった。
「ええ、私は大丈夫ですが、いかが致しました?」
「咲夜が中中戻ってこないから心配したんだよ!」
そんなに時間が経っていただろうか。懐中時計を取り出して時間を確認してみたが、ほとんど時間は経っていない。フラン様に視線を戻すと、フラン様は私の懐中時計をじっと見つめていた。
「それ、壊れてるの?」
「いいえ。どうしてですか?」
「何だか壊れているみたいだから」
私はもう一度時間を確認した。時計の針は動いている。時計のある手近な部屋を覗きこんで時刻を確認すると、私の懐中時計とあっていた。
「壊れてはいない様ですが」
「そうかな?」
フラン様が何を言いたのか良く分からなかったがあまり気にならない。フラン様の言動には良くある事だ。何にせよ調査の邪魔になるので引き剥がす。
「フラン様、私は仕事がありますので」
「さっきの音の出処を調べるの?」
「え、ええ、そうです。ですから」
「なら、私も一緒に調べる!」
そう言って再び腰に抱きついてきた。
連れて行ってあげたかったが、はっきり言って邪魔だ。勝手気儘に振る舞って屋敷の中を滅茶苦茶にするかもしれないし、その上危険な人物が居るかもしれない中を連れ回せない。
「フラン様のお手を煩わせる程ではありません」
「でも変な奴が入ってきてるんでしょ」
核心を突かれて、思わず目を見張った。
「だって明らかに人為的だもん! ね! 私が居れば倒してみせるよ!」
あっさりと看破したフラン様には驚いたが、だからと言って連れて行く訳にはいかない。とはいえ、幾ら諭したところで強情になってしまったフラン様を説得する事は出来ないだろう。
「申し訳ありませんが、図書館でパチュリー様と共に居て下さい」
「私が居たら邪魔なの?」
「その通りです」
心を鬼にして、そう言い切ると、フラン様は項垂れた。自分で招いた結果ではあるものの、落ち込んでしまったフラン様に胸を痛めていると、フラン様は分かったと言って去って行った。一先ずはこれで良い。ご機嫌を直してもらうのは後でだって出来る。
今大事なのは屋敷の中を捜索する事だ。
既視な無意識の第三章
私は一部の優秀なメイドとホフゴブリンを集めて、状況を話し、屋敷の中を捜索させる事にした。皆、事の重大さが分かったのだろう。畏まりましたと言って真剣な表情を浮かべる。
「へえ、捜索だって。何を探すのかな」
「きっと財宝の類ですよ、奥さん」
で、何故かその中にいつの間にやらこいしとこころが混ざっていた。全く状況の分かっていないで暢気な顔をしている。不審者を探そうとしていたのに、何だかあっさりと見つけてしまった。
「あんた達、何で居るの?」
尋ねると、突然二人が態度を豹変させた。
「はあ? フランと遊びに来たんですけどぉ!」
「友達と遊ぶのはいけない事なんですか? そこんとこどうなんですか?」
うざい。
まあ、さっきの音を鳴らしていたずらをする様な陰湿な質ではないし、友達と遊べばフラン様の気も紛れるだろうと、二人の侵入を許して、フラン様が地下の図書館に居る事を伝える。
途端に二人は嬉しそうな顔になって、深々と頭をさげた。
「お招きいただきましてありがとうございます、完全で瀟洒で優しくて美しい咲夜さん」
現金な二人だ。褒められて悪い気はしないけど。
気を取り直して、その場に居る者達に館の捜索を命じた。私自身も一つ一つの部屋を検めていく。途中、さぼっている妖精と出会ったり、遊びまわっているフラン様達を注意したりはしたものの、結局夕刻になっても怪しい奴はみつからなかった。もう外へ逃げてしまったのだろう。とはいえ、館を隈なく捜索し、怪しい者が居ないと分かっただけでも成果はあった。
捜索に参加していた者達を集めて報告を聞き終えた私は、服を引っ張っておねだりをしてくるフラン様とこいしとこころに、お菓子を包んだ小袋を用意してやり、ついでにもう夕方だからとこいしとこころを家に帰した。二人は不満を言っていたが、夕飯に間に合わなくなる事を伝えると慌てて帰っていった。
それから捜索に参加した者達に今晩は警備を厚くする様に伝えると、その場で一人のホフゴブリンが前に進み出た。
「一応ご報告なんですがね。怪しい者とは違うんですが、よろしいですか?」
「ええ、勿論。どんな細かい事でも報告して」
「というのもですね、怪しいんですな。全てが」
「全て?」
「館も怪しいですし、私等も怪しい。というのもですな、まず館のそこかしこで幻聴や幻覚が見える。咲夜さんはお気づきで?」
気づいては居た。何かその場にそぐわない物音が聞こえたり、メイドが居たと思ったら瞬きをすると消えていたり。けれどそれは緊張した自分の生み出す錯覚で、悪意を持った怪しい何者かというもっと大きな異常に隠れて全く気にしていなかった。
「加えて今日に限って既視感が酷い。自分が前にも同じ事をしていた様な気がしてならないんですよ。それだけと言えばそれだけなんですがね。まあ一応ご報告しておこうと。それもまた誰かのいたずらかもしれませんからな」
既視感。確かに何度も感じていた。今こうしてホフゴブリンから報告を受けている事もまたかつてあった事の様に思えてならない。些細な事だと気にしていなかったけれど、言われてみるとそれは明らかに異常だった。
だとしても、原因が分からない。原因が分からない以上、対策の取り様も無い。ならばする事は先程と同じだ。異常に備えて、屋敷を警備する。散会して庭へ向かう従者達を見つめながら、どうしても嫌な予感が拭えなかった。
恐慌に収束する第四章
「咲夜、喉が渇いた」
「はい、只今」
一礼して部屋の外に出た私はゆっくりと息を吐きながら厨房へ向かった。
警備を増やしたお陰か一先ずは何事も無い。屋敷の中の緊張にお嬢様は気づいておらず、無用の心配を掛けてもいない。懐中時計で時間を確認する。そろそろ今日という日が終わる。紅魔館の時間はむしろこれからはじまるが、零時を超えて今日が終われば安心出来るという根拠のない確信があった。
何だか気を張らせ続けた一日だった。疲れを感じて、時間を止めて少し休もうか考える。いや、まずはこの一日を終わらせてしまいたい。後少しなんだから。そう奮起して疲れた体を持ち直す。
その時、嫌なものを耳が捉えた。
悲鳴が何処からか聞こえてきた。
しかもそれは紛れも無くフラン様のものだった。
何かあったのは間違いない。
まさか、そんな。
声は下の階から聞こえてきた。急いで階段を降りきり、声のした方へ向かう。些細な事であってくれと祈りながら廊下をひた走る。嫌な予感が膨れて止まなかった。最悪の想像が頭の中に反響している。悲鳴の正確な位置は知れなかったが、何故か体は場所を知っているかの様に、図書館の上に位置する空き部屋群に行き着いた。廊下にはメイドが一人倒れていた。明らかに死んでいる。倒れたメイドの傍の扉が少しだけ開いている。フラン様が居るのはそこだ。
妖剣を取り出した私は躊躇も何も無く、扉を開け放って部屋の中に入る。
部屋は血にまみれていた。二つになったフラン様が居て、その傍には美鈴も倒れている。美鈴は刃物で全身を切り刺されていた。
あまりの光景に立ちすくんでいると微かな声が聞こえてきた。
「咲夜さん」
美鈴だった。まだ生きている。
驚いて美鈴の傍に座り込みその体に触れる。まだ生きている。だが。
「美鈴」
もう助からない。どうする事も出来ずに無力感をかみしめていると、美鈴が涙を流した。
「咲夜さん、ごめんなさい。ごめんなさい」
そう言って、事切れた。
呆気無く。
立ち上がって、床に倒れた二人を見つめていると、悔しさと涙で滲み始めた。
あれだけ警戒したのに、結局惨劇は起こってしまった。
だが悲しんでも居られない。
何も終わっていない。
お嬢様を守らないと。
道中何人もの切り刻まれた従者を見つけその傍を横切って、お嬢様の部屋へと辿り着いた。立ち止まって扉に手を掛ける。耳を澄ますと、辺りから一切の物音が消えていた。不吉だった。身じろぎの音一つ聞こえない。
既に頭の中には最悪の結末が浮かんでいた。けれどそれを認められずに、私は涙を流しながら扉を開け放った。
「お嬢様!」
部屋の中が真っ赤に染まっていた。
中心にはお嬢様が倒れていて、その周りで沢山のメイドがぐちゃぐちゃになっている。お嬢様の体だけは奇妙な程に綺麗で、部屋の中央で血の一滴も無いまっ更な格好で、天井を見上げ、そこだけが赤く染まった胸の前で手を組んでいた。お嬢様は目を瞑り、まるで眠っているかの様だった。生きているんじゃないかと、そんな気がした。
メイド達の血の海を渡り、私の全身が赤く塗れていく。自分もまた死に向かっているんだと思った。だから血に染まっていく。
お嬢様の傍に屈みこむ。今にも目を開けそうな程、綺麗な顔だった。呼びかければ、睫毛が震えて目を開けるんじゃないかと思った。
「お嬢様」
声を掛ける。
けれど反応はない。
「お嬢様、起きて下さい」
声を掛ける。
起きる様子は無い。
「お願いです、お嬢様。お願いですから、目を開けて下さい」
目を開ける気配は無い。
思わず嗚咽が漏れだして、お嬢様の体に縋った時、首に痛みを感じた。意識がうすれていく。自分は殺されるんだと思った。
セーブしますか?
はい。