Coolier - 新生・東方創想話

ある底抜けの問題

2013/09/17 00:44:17
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 夏の暮れであったから蝉は大鳴きをして、風鈴もきらきらと音をたてていた。
 命蓮寺の房内もずいぶんと涼しくなっており、そのために肌にべったりと張り付く橙色の服が余計に不快で、村紗は眉をしかめた。

「聖、これは?」
「外界の合羽で『れいんこーと』という物だそうですよ。私の知らない魔法の一種でしょうか、水をちっとも通さないんです。海の向こうの服だけあって村紗に似合いますね」

 似合うわ、ともう一度両掌を合わせて言う白蓮の笑顔が咲く。

「はあ」
「さあ、そのまま庭先へいらっしゃい」

 老いた日光が降る中を井戸まで連れ出されると、村紗は合羽に付いている頭巾をすっぽりと被らされた。

「あのう」
「水をかけてみますね。下を向いてください」

 聖は釣瓶を落とし、指の力だけで引き上げるや村紗の頭から水を浴びせる。予想に反して幽霊の肌には一粒の水も滑らなかったから、村紗はへえ、と感心した。三度ほど桶一杯の水が降り注ぐが、合羽は湿気すら通さなかった。

「すごいですね。蓑だとこうはいきませんし、傘や妖力いらずです。肌触りが玉に瑕ですけど」
「それを一ヶ月着続けてくださいね。よほど効率的に組んであるのか魔力も感じられませんから、それで不快になったりすることはないはずです」

 口を半開きにして村紗は聖を見つめると、聖は笑って頷く。

「濡れると本性がでますからね、村紗は。ところで、水があれば民家の寝室にある水差しにすら立ち現れる船幽霊の噂を聞きましたよ」

 村紗はぶるりと腰を震わせ、緊張のあまり唇をしめし、相槌も忘れて立っていた。

「反省します。もうしないように努めます。本能を抑制する方法も探します」
「むらさ」

 白蓮は短く笑い声をあげた。

「一ヶ月がんばります」
「これも修行です。私もなにか始めますから、一緒におとなしくしましょうね」
「はい」

 真摯に頭を下げた村紗だったが視線はぶるぶると震えて定まらず、白蓮も相手が地面を見ている間は笑みを消し、その後頭部へ疑いの目をじろりと向けた。

「聖。水を飲むのはかまわないでしょうか」
「もちろんかまいませんよ」
「ほっとしました。船幽霊の乾かない喉も、たまに潤すのは快いものなんです。もちろん、水に触れるのと飲むのとでは満たされる部分が違うので、根本的には物足りないのが正直なところですけど。この一杯を戴いたら、戻って心づもりを整えてきます」

 村紗は桶に残っていた水を柄杓でごくりとやってから頭を下げ、本堂へしおらしく歩き始めた。肩は落ち、後ろ姿は悄然としてはいるように見えたが、顔はにたにたと笑っていた。
 彼女は飲み下した水を胸の中へ注ぎ、地上にいながら溺れていたのだ。幽霊には構造として人間のような喉も肺も備わっていなかったが溺れるという行為は可能で、普段はしていないはずの呼吸が止まると意識できれば気分によって窒息できた。自分で溺れる分にはいいだろうと、村紗は勝手に考えていた。
 苦しくなっていくにつれて視界へピカピカした光が広がっていくのを『すごい、すごい』と無邪気に悦び、誰かを溺れさせる欲求も楽しみながら、その全てをじっくり堪能しようと村紗は自室へ足早に歩いていく。

「饒舌になりましたね」

 白蓮の言葉に続いて、破砕音が命蓮寺を揺らした。
 法悦から引きずり降ろされた村紗が正気に戻って振り返ると、仏像のような微笑と目が合った。片手の中指がゆるやかに内側へ折り曲げられ、その指先を親指が引き止めて振動する僧侶の腕を見て、村紗は人間の子供が「でこぴん」などと呼ぶ遊戯を思い浮かべた。同時に、先ほどの破砕音はそれが空気を割る音だった事も理解した。

「水は空気の何倍、衝撃を伝えるのでしたっけ。村紗、貴方、覚えていない? それとも答えられないのかしら」

 音を出さずに歩き、白蓮が村紗へ近づく。

「口を開けなさい」

 村紗は素直に口を開けた。口腔には満々と水が詰まっており、陽の光できらきらと輝くそこへ白蓮の指が吸い込まれると、村紗は飛び散った。





 村紗がバラバラになって三週間後。飲水すら禁じられた彼女は雨がポシャポシャと降っている昼の庭先で、あのレインコートを着て踊っていた。手と足を上げ下げするだけの素朴なものであったが、跳ね上がる泥を気にもかけず嬉しそうに続けている。
 四散したレインコートを白蓮が集め、丁寧に裁縫でつなぎ合わせてから村紗の普段着とした。人里を徘徊する船幽霊の噂ははたりと止み、代わりに雨の日になると寺の庭で踊りだす船幽霊の噂が持ち上がったが、彼女を襲う乾きが理解できる身内の者は黙ってその新しい奇癖を見守っていた。
 ところがその日は、一輪が縁側を飛び越えて雨の中へ駆け出していった。村紗がいつもいつもあんまり楽しそうに踊っていたものだから、ついに我慢ができなくなり、隣で一緒に飛び跳ねることにしたのだ。そうすると響子も小さい身体を伸び上がらせて混ざってきたし、数人の妖精が巨大な葉を傘代わりにして近寄ってきた。
 だが、誰も村紗の身体がびしょ濡れになっている事には気づかない。件のレインコートはもはや雨具として機能しなくなっていたのである。魔法で雨が弾かれるのだと勘違いしていた白蓮は糸とあて布でレインコートを繋ぎ、元々編まれてなどいない魔力のほつれが無い事を確認して直したと思い込んでしまった。
 そして修行で心の乾ききった村紗は或る雨の日、隙を見て一滴だけでも喉へ水を送り込み、そして見事に溺れてみせると決意を固くして外へ飛び出したが、前述の理由で水はどんどん染み通って彼女を濡らし、意外な喜びのあまりつい踊りだしてしまった。まだ人間であった頃に覚えたのかもしれぬ素朴な踊りは、潤されていく霊性と膨張する歓喜とが混ざり合い、歓びの象徴として村紗に刻みつけられて習慣となった。
 地を踏む音が随分と多くなった頃、村紗は狭くなってきた庭を抜けて人里まで行こうと思い立ち、踊りながら皆と門を潜っていった。その頃には寺へやって来ていたナズーリンも我慢できずに房から飛び出して後を追い、星は身体を揺すってひっきりなしに門と本堂を、白蓮が修行をしている方向を見比べている。
 道すがら、正体不明の何かが踊っている隣で村紗は空を見上げた。
 彼女から見た雲の高さは水底から見上げる水面の高さそっくりで、そう考えると同胞に囲まれているここは海と比べて随分と熱い海底であり、胸が水とは別の物で一杯になっているのを感じた。

「溺れさせ方にも色々あるのねぇ」

 呟くと、村紗は舟歌を張り上げて歌いはじめた。周りもつられて歌が大きくなっていく。酒を飲んでいる者もあった。村紗は愉快になって腹の底から笑い、思った。

『歌で大口を開ければ雨を飲むし、酒なんかはそのうち何杯だって飲むことになるから、腹の中へ水がたらふく溜まることになるわ』

 後々どれくらいを溺れさせる事になるかを考えて、村紗は笑った。
 皆もつられて笑った。
読んでいただきありがとうございます。
楽しんでいただければ幸いです。

http://twitter.com/kawagopo
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コメント



0.220簡易評価
1.80名前が無い程度の能力削除
趣味には耽溺するし酒には溺れるし、楽しくて非生産的な活動には「溺れる」と形容しますよね。見事な発想です。
3.90名前が無い程度の能力削除
すてき
5.80名前が無い程度の能力削除
ひじりん超人すぎるww
でも、間が抜けてもいる。短いながらも、旨味のつまったお話でした。
7.無評価削除
コメントと評価、ありがとうございます。
がんばります。
9.100TG削除
これは良いムラサ
10.90名前が無い程度の能力削除
gj
12.100名前が無い程度の能力削除
うん、素敵
13.803削除
なんかいいなぁ、こういうの。海の女には歌がよく似合う。
根底的なところはあまり変わっていない村紗がいい味出してます。
水を含んで溺れる行為さえ許さなかった聖がこれに感づいたらと思うと怖いですが……w
と、ここまで書いて思いましたが聖輦船も船でしたね。
船旅はやっぱり歌って踊って、ですよね。
14.100さとしお削除
上半分のきりっと張りつめた空気がたまらなく好きです
16.100名前が無い程度の能力削除
確かに素敵と言う言葉が一番似合う
楽しいとか面白いとかでも良いんだろうけど、ムラサ達の笑顔はさぞキラキラしてんだろうなあ、と思うと、素敵の一言がやはりしっくり来る