恋をしたことは、何度か有る。
相手を見る度に胸がどくん、と高鳴るのが恋ならば、幼稚園の時から有ったのだろう。
相手とずっと一緒にいたら、と空想するのが恋ならば、中学生が初めてだろうか。小学生の時だとどうだろう。
その辺の定義は、私にはよくわからない。でも、恋をした相手の事ははっきり覚えている。名前、顔立ち、好きな食べ物、趣味、その他。それをはっきり覚えていられるのが、恋なのだろうか。そうかもしれないけれど、もっと色々と足す必要もあるんだろう。
目の前にいるアリスさんにたいしてだって、その辺は把握しているわけだし……ああ、でも、彼女の好きな食べ物は知らない。
「早苗は乙女ね」
くすくす、とアリスさんは笑っていた。外ではざあざあと、強い雨が降っている。
「で、アリスさんはどうなんですか?」
「昔の事は忘れてしまったわ」
ソファーに座る私を見ながら言って、それきり。アリスさんは机に視線を戻していた。
ちぇ、と呟きたくなりながら、紅茶に口を付ける。甘い香りがふんわりと。人形たちがちょこまかと。
恋の話をすることは、それなりにある。今も、少し話していた。少女というものは(例え五百歳でも)恋の話というものは好きなんだろう。
だいたい、私がからかわれて終わりだけれど。今みたいにして。
私が外の世界にいたころの思い出話をして、みんなは興味深そうに聞くけれど、自分の事はいいやしない。
みんなには、話すべきものがないのだろうか、それとも、話したくないのだろうか。どうなんだろう。マスタースパークのどの辺が恋なのかと同じくらい、わからない。
「それにしても、酷い雨ですね」
「ええ。通り雨だから、すぐに止むと思うけれど」
アリスさんは机に向かって何かをしながら、声だけで返してきた。窓の外を見なくたって、音を聞くだけで大雨だとわかってしまう。窓の外を見てみれば、庭が真っ白に見えるほどの大雨。八坂様に頼まれたお使いは果たせたけれど、家に帰るのはもう少し先になりそうだ。
手持ちぶさただった。他にやることがないので紅茶を飲み、すぐに飲み干した。人形が歩み寄ってきて、紅茶を注いでくれた。また飲んでいく。
別に、歓迎されていないわけじゃないんだろう。「通り雨が来そうだから、うちで雨宿りしていきなさい」と言ってくれたし、紅茶も淹れてくれるし、ケーキもまだ残っている。
頭の栗は残しながら、モンブランを一口。もう、秋なんだなと思った。湿気はあるけれど、そこまで熱くもない。
拒まれてはいないけれど、微妙に居心地が悪い。「迷い人を快く泊めてくれるが、あまり会話もなく不気味なのですぐに逃げ出したくなる」なんてことが、幻想郷縁起には書いてあったっけ。阿求さんのことだからけっこう盛ってるんだろうけれど……半分は確かかもしれない。アリスさんに対しては、何を話せばいいのか、よくわからない。恋のお話は、もう使ってしまった。
でも、半分は嘘っぱちだなと思う。やることもないので、アリスさんをぼやっと見ていた。とても綺麗な横顔だった。見ているだけで、胸がふんわりとするような顔立ち。
男の人なら言うまでも無いんだろうけれど、私たち女の子だって、見ているだけで幸せになるような可愛らしさだ。
だからこそ、疲れてしまうんだろうか。同時に、心地よいんだろうか。
紅茶を飲んで、本棚に目を移し、読めそうな本は見つからない。私は問いかける。
「学校って、行ったこと有ります?」
「私が?」
「もちろん」
「あるわよ、人間だったころに。寺子屋じゃないけどね。詳細は秘密」
詳細は秘密、と言われてしまったので、アリスさんがどうなのかはわからない。
少なくとも、外の世界で中学生や高校生をやっていた人ならわかる感覚だとは思うけれど。
「もう、永遠にああいう気分は味わえないかなあと思ったりします」
「どういう気分よ? 学生気分?」
「学生って言うより――」
ぼやかしていったのはわざと、疑問で返されるように言えば、話を続けられる……昔、雑誌で読んだこと、たぶん正しいんだろう。
「――青春ですかね」
私は笑いながら言った。上手く話が繋がってないような気もする。そう、別に学校なんてのはどうでもいいことなのだ。
そして、実際の所、私は何かを話したかったわけではない。話が続けば何でもよかった。
「青春と振り返る年でも無いでしょうに」
アリスさんも笑っていた。彼女が何歳なのか、そういえば知らない。
「年じゃないんですよ、何を見ても胸がどきどきするような気分を感じられなくなったら、もう青春じゃないんです」
「恋色魔法使い様はどうなのかしら」
「さあ? でも全てにどきどきしちゃうお年頃なのかもしれませんね」
外では相変わらず雨がざあざあと。早く止んで欲しいとも思う。同時に、いつまでも降り注いで欲しいとも思う。とても気疲れする、続いて欲しくもあって、続いて欲しくもない時間。二人きりの時間。
「でも、もうああいう時間は無いと思うんですよね。帰り道でもいいし、放課後の教室でもいい、文化祭の準備かもしれないし、電車の中でもいい……あ、電車は知ってます?」
「紫が投げつけてくる物ね……冗談よ、電車も、文化祭だって知ってるわ」
私が電車について訂正するよりも早く、アリスさんは言葉を続けてくれた。そういうのに、ほっとしてしまう瞬間。話が続けば、なんだっていいと思える時間。
「そんな感じで、誰かと、男の人なんかと二人きりになる時ってあるじゃないですか。別に自分からそうしようとしたわけでもないのに」
「今もそうかしら。やむを得ない雨宿りのひととき」
「そうかもしれませんね。そう言うのって、いいんですよね」
「そうかもね。それをきっかけに二人は深い仲へ……は漫画だけれど」
「いえ、むしろ親しくもないし、親しくもならない人の方がいいんですよ。友達じゃあ普通に話すだけ、恋人でも同じでしょう。友達でもないし、好きでもない人だと、その時間がなんでだか特別に思えたりしまう。そんなのが時間が青春なのかなあと。どうでもいい相手なのに、なんか気を使っちゃうのが」
そういう時間は、私にも何度か有った。電車の中でたまたま会ったり、文化祭の準備で二人きりになってしまったり……短くて狙っていたわけでもない、二人きりの時間は。
相手は、どんな人だったっけ。どの場合にしても、よく覚えていない。男の子なのは確かだろう。で、別に好きだとか付き合いたいとかがあったわけでもない。親しくもなかったはずだ。顔と名前くらいは知っていたとしても。
でも、二人きりになってしまい、顔を合わせて、それか隣に座ったりして、少し緊張した。良く思われたい、という心境も有ったんだろう。女の子は――誰に対しても――だいたいそんなものだと思っている。
そして、無言で時間を送るのに耐えられるほど親しくもなかったからこそ、印象に残っているのかもしれない。
「早苗がこんな雨宿りに何を思うか、私にはわからないけれど。今は青春なのかしらね……なんていうと友達じゃないみたいだけど」
私は、否定も肯定もしなかった。友達じゃないとは、私も、彼女も言わないだろう。でも、霊夢さんなんかとは違う。用事もないのに遊びに行って、何も話さなくても緊張しない相手じゃない。
さっき、「しまった」と感じていた。「青春なのかなあ」なんて結論めいたことを言ってしまったから。だから、話を続けてくれてほっとした。
「どうでしょう」
私は、ぼんやりとした言葉を返す。
まるきり間違いでもないと思った。私は緊張しているから。何かを話さなきゃって思う。何かを話したいって思う。無言が続いたら、耐えられなくなって、色々と想像してしまう。
それを気にしないほどには、私たちは親しくもないんだろうか。
「二人きりって時に緊張する相手と、緊張しない相手はいると思います。アリスさんがどうこうじゃなくて……一般論ですよ」
「私相手に緊張なんてすることはないわよ」
「わかってますって。でも、思うんです。緊張する位の方が心地よいのかなあと、その時はとても疲れるんですけど、あとで思い出すといい思い出だなあって思うんです、相手のことはよく覚えてなくて、何を話したかなんて覚えているわけもなくて、でも、その瞬間だけははっきりと覚えていて」
気が付けば、外からの音は小さくなっている。雨は、いつの間にか弱まっていたらしい。雨音にも邪魔されず、くすくすという笑いが、はっきり聞こえた。
「まったく、早苗は乙女ね」
乙女と言われたのは、今日二度目だった。外の世界にいたころの感覚で言えば、私みたいな年頃の人はみんなそうだと思うけれど、どうなんだろう。
「私にも、そう言う時代はあったのかもしれないし、無かったのかもしれない。まあ、甘酸っぱい思い出の一つくらいは有ったかもね」
「聞かせてくださいよ」
「それを話すには余白が足りないわ。いつか、宴会でもあれば話すかもしれないし話さないかもしれない。でも、その場合でも早苗は酔って寝ちゃってるかもね」
からかうような口ぶりで、ああ、私はアリスさんとそこそこは親しくなれてたんだなあと思えた。そうすると、楽にも感じられて、同時に、物足りなく思えてしまう。こういうのは、贅沢な悩みなんだろうか。
「もう」
私は呟き、アリスさんは微笑んだ。そして机に向かい、また、何かを始めた。
何かを話しかけてもよかったけれど、もう、何を話せばいいのかよくわからなかった。沈黙が拡がっていく。
そもそも、私は何を話してたんだっけ? とりとめの無い何かを話してはいたけれど。
窓を見れば、もう雨は殆ど降っていない。電車で言えば、目的地の一個前の駅くらい。
ずっと昔の事を思い出す。さっき思った、何度か有った時間の一つ。
知り合いの男の子と、たまたま電車で鉢合わせて、二人並んで座っていたときのこと。今日みたいに、何を話せばいいのかわからなかった。
まあ、それだけの話。私は、なんとかして話を振ろうとしていた。今日もそうだったけれど、私は沈黙が続くと気疲れして考えてしまう質なのだ。
私の方が降りる駅は先で、お腹が空いていた。なんとなく、「ファミレスで少しご飯でも食べない?」なんて言いたくなったな、と思い出した。話した事は全部忘れたけれど、それだけは覚えていた。
言いはしなかったけれど。二人で何かを食べて、コーラやアンバサやメローイエローを飲むことは無かった。
そこまで好意を持った相手でもない。そのあと何かが有った人でもない。で、ただでさえ気疲れしているのに、それを続けるのはやっぱりごめんだった。
それなのに、あの時一緒にご飯を食べに行ってたらどうなんだろう? と思ってしまった。たぶん、何もなかったんだろうけど、もし、と言う事を考えてしまった。
窓の外を見れば、雨は止んでいた。沈黙は続いていた。別に急ぎのお使いでもなかった。このまま残っても、何かをしても問題はなかった。でも、私は残しておいた栗を食べた。もう、モンブランは食べきった。紅茶も飲み干して、
「あ、雨も止みましたね。じゃあ私は行きます」
「ええ、気をつけてね」
立ち上がった。アリスさんも立ち上がって、扉を開けてくれた。
「それじゃ、また。今日はありがとうございました」
「またね」
挨拶をして、外に出る。すっと浮かび上がってから振り向いて、手を振った。
アリスさんも手を振っていた。その姿は、すぐに見えなくなった。眼下に有るのは森だけだった。
とても気楽な気分になって、安堵しながら山を目指す。そのくせ、少し残念で、後ろ髪を引かれていた。自分の意志で、帰ることを決めたのに。
なんで、こんな気分なんだろう。アリスさんのせいなんだろうか。それとも、なんとなく昔を思い出してしまったからなのだろうか。よくわからない。今日何を話していたのかも、自分が何を言いたかったかも、もうぼんやりとしている。思い出すと、なんとなく心地よくはあったけれど。
そんな気分のまま飛んでも、山はすぐに見えてしまう。この世界は狭い。神社が見えた辺りで、そういえばアリスさんの好きな食べ物はなんなのだろう、と考え始めてしまった。
それは気になった。それを知ったら、さっきみたいな気分は味わえなくなってしまうのだろうか。
とりあえずは、まだ青春なのかもしれない。現在進行形でこうやって考えられるくらいなら。
相手を見る度に胸がどくん、と高鳴るのが恋ならば、幼稚園の時から有ったのだろう。
相手とずっと一緒にいたら、と空想するのが恋ならば、中学生が初めてだろうか。小学生の時だとどうだろう。
その辺の定義は、私にはよくわからない。でも、恋をした相手の事ははっきり覚えている。名前、顔立ち、好きな食べ物、趣味、その他。それをはっきり覚えていられるのが、恋なのだろうか。そうかもしれないけれど、もっと色々と足す必要もあるんだろう。
目の前にいるアリスさんにたいしてだって、その辺は把握しているわけだし……ああ、でも、彼女の好きな食べ物は知らない。
「早苗は乙女ね」
くすくす、とアリスさんは笑っていた。外ではざあざあと、強い雨が降っている。
「で、アリスさんはどうなんですか?」
「昔の事は忘れてしまったわ」
ソファーに座る私を見ながら言って、それきり。アリスさんは机に視線を戻していた。
ちぇ、と呟きたくなりながら、紅茶に口を付ける。甘い香りがふんわりと。人形たちがちょこまかと。
恋の話をすることは、それなりにある。今も、少し話していた。少女というものは(例え五百歳でも)恋の話というものは好きなんだろう。
だいたい、私がからかわれて終わりだけれど。今みたいにして。
私が外の世界にいたころの思い出話をして、みんなは興味深そうに聞くけれど、自分の事はいいやしない。
みんなには、話すべきものがないのだろうか、それとも、話したくないのだろうか。どうなんだろう。マスタースパークのどの辺が恋なのかと同じくらい、わからない。
「それにしても、酷い雨ですね」
「ええ。通り雨だから、すぐに止むと思うけれど」
アリスさんは机に向かって何かをしながら、声だけで返してきた。窓の外を見なくたって、音を聞くだけで大雨だとわかってしまう。窓の外を見てみれば、庭が真っ白に見えるほどの大雨。八坂様に頼まれたお使いは果たせたけれど、家に帰るのはもう少し先になりそうだ。
手持ちぶさただった。他にやることがないので紅茶を飲み、すぐに飲み干した。人形が歩み寄ってきて、紅茶を注いでくれた。また飲んでいく。
別に、歓迎されていないわけじゃないんだろう。「通り雨が来そうだから、うちで雨宿りしていきなさい」と言ってくれたし、紅茶も淹れてくれるし、ケーキもまだ残っている。
頭の栗は残しながら、モンブランを一口。もう、秋なんだなと思った。湿気はあるけれど、そこまで熱くもない。
拒まれてはいないけれど、微妙に居心地が悪い。「迷い人を快く泊めてくれるが、あまり会話もなく不気味なのですぐに逃げ出したくなる」なんてことが、幻想郷縁起には書いてあったっけ。阿求さんのことだからけっこう盛ってるんだろうけれど……半分は確かかもしれない。アリスさんに対しては、何を話せばいいのか、よくわからない。恋のお話は、もう使ってしまった。
でも、半分は嘘っぱちだなと思う。やることもないので、アリスさんをぼやっと見ていた。とても綺麗な横顔だった。見ているだけで、胸がふんわりとするような顔立ち。
男の人なら言うまでも無いんだろうけれど、私たち女の子だって、見ているだけで幸せになるような可愛らしさだ。
だからこそ、疲れてしまうんだろうか。同時に、心地よいんだろうか。
紅茶を飲んで、本棚に目を移し、読めそうな本は見つからない。私は問いかける。
「学校って、行ったこと有ります?」
「私が?」
「もちろん」
「あるわよ、人間だったころに。寺子屋じゃないけどね。詳細は秘密」
詳細は秘密、と言われてしまったので、アリスさんがどうなのかはわからない。
少なくとも、外の世界で中学生や高校生をやっていた人ならわかる感覚だとは思うけれど。
「もう、永遠にああいう気分は味わえないかなあと思ったりします」
「どういう気分よ? 学生気分?」
「学生って言うより――」
ぼやかしていったのはわざと、疑問で返されるように言えば、話を続けられる……昔、雑誌で読んだこと、たぶん正しいんだろう。
「――青春ですかね」
私は笑いながら言った。上手く話が繋がってないような気もする。そう、別に学校なんてのはどうでもいいことなのだ。
そして、実際の所、私は何かを話したかったわけではない。話が続けば何でもよかった。
「青春と振り返る年でも無いでしょうに」
アリスさんも笑っていた。彼女が何歳なのか、そういえば知らない。
「年じゃないんですよ、何を見ても胸がどきどきするような気分を感じられなくなったら、もう青春じゃないんです」
「恋色魔法使い様はどうなのかしら」
「さあ? でも全てにどきどきしちゃうお年頃なのかもしれませんね」
外では相変わらず雨がざあざあと。早く止んで欲しいとも思う。同時に、いつまでも降り注いで欲しいとも思う。とても気疲れする、続いて欲しくもあって、続いて欲しくもない時間。二人きりの時間。
「でも、もうああいう時間は無いと思うんですよね。帰り道でもいいし、放課後の教室でもいい、文化祭の準備かもしれないし、電車の中でもいい……あ、電車は知ってます?」
「紫が投げつけてくる物ね……冗談よ、電車も、文化祭だって知ってるわ」
私が電車について訂正するよりも早く、アリスさんは言葉を続けてくれた。そういうのに、ほっとしてしまう瞬間。話が続けば、なんだっていいと思える時間。
「そんな感じで、誰かと、男の人なんかと二人きりになる時ってあるじゃないですか。別に自分からそうしようとしたわけでもないのに」
「今もそうかしら。やむを得ない雨宿りのひととき」
「そうかもしれませんね。そう言うのって、いいんですよね」
「そうかもね。それをきっかけに二人は深い仲へ……は漫画だけれど」
「いえ、むしろ親しくもないし、親しくもならない人の方がいいんですよ。友達じゃあ普通に話すだけ、恋人でも同じでしょう。友達でもないし、好きでもない人だと、その時間がなんでだか特別に思えたりしまう。そんなのが時間が青春なのかなあと。どうでもいい相手なのに、なんか気を使っちゃうのが」
そういう時間は、私にも何度か有った。電車の中でたまたま会ったり、文化祭の準備で二人きりになってしまったり……短くて狙っていたわけでもない、二人きりの時間は。
相手は、どんな人だったっけ。どの場合にしても、よく覚えていない。男の子なのは確かだろう。で、別に好きだとか付き合いたいとかがあったわけでもない。親しくもなかったはずだ。顔と名前くらいは知っていたとしても。
でも、二人きりになってしまい、顔を合わせて、それか隣に座ったりして、少し緊張した。良く思われたい、という心境も有ったんだろう。女の子は――誰に対しても――だいたいそんなものだと思っている。
そして、無言で時間を送るのに耐えられるほど親しくもなかったからこそ、印象に残っているのかもしれない。
「早苗がこんな雨宿りに何を思うか、私にはわからないけれど。今は青春なのかしらね……なんていうと友達じゃないみたいだけど」
私は、否定も肯定もしなかった。友達じゃないとは、私も、彼女も言わないだろう。でも、霊夢さんなんかとは違う。用事もないのに遊びに行って、何も話さなくても緊張しない相手じゃない。
さっき、「しまった」と感じていた。「青春なのかなあ」なんて結論めいたことを言ってしまったから。だから、話を続けてくれてほっとした。
「どうでしょう」
私は、ぼんやりとした言葉を返す。
まるきり間違いでもないと思った。私は緊張しているから。何かを話さなきゃって思う。何かを話したいって思う。無言が続いたら、耐えられなくなって、色々と想像してしまう。
それを気にしないほどには、私たちは親しくもないんだろうか。
「二人きりって時に緊張する相手と、緊張しない相手はいると思います。アリスさんがどうこうじゃなくて……一般論ですよ」
「私相手に緊張なんてすることはないわよ」
「わかってますって。でも、思うんです。緊張する位の方が心地よいのかなあと、その時はとても疲れるんですけど、あとで思い出すといい思い出だなあって思うんです、相手のことはよく覚えてなくて、何を話したかなんて覚えているわけもなくて、でも、その瞬間だけははっきりと覚えていて」
気が付けば、外からの音は小さくなっている。雨は、いつの間にか弱まっていたらしい。雨音にも邪魔されず、くすくすという笑いが、はっきり聞こえた。
「まったく、早苗は乙女ね」
乙女と言われたのは、今日二度目だった。外の世界にいたころの感覚で言えば、私みたいな年頃の人はみんなそうだと思うけれど、どうなんだろう。
「私にも、そう言う時代はあったのかもしれないし、無かったのかもしれない。まあ、甘酸っぱい思い出の一つくらいは有ったかもね」
「聞かせてくださいよ」
「それを話すには余白が足りないわ。いつか、宴会でもあれば話すかもしれないし話さないかもしれない。でも、その場合でも早苗は酔って寝ちゃってるかもね」
からかうような口ぶりで、ああ、私はアリスさんとそこそこは親しくなれてたんだなあと思えた。そうすると、楽にも感じられて、同時に、物足りなく思えてしまう。こういうのは、贅沢な悩みなんだろうか。
「もう」
私は呟き、アリスさんは微笑んだ。そして机に向かい、また、何かを始めた。
何かを話しかけてもよかったけれど、もう、何を話せばいいのかよくわからなかった。沈黙が拡がっていく。
そもそも、私は何を話してたんだっけ? とりとめの無い何かを話してはいたけれど。
窓を見れば、もう雨は殆ど降っていない。電車で言えば、目的地の一個前の駅くらい。
ずっと昔の事を思い出す。さっき思った、何度か有った時間の一つ。
知り合いの男の子と、たまたま電車で鉢合わせて、二人並んで座っていたときのこと。今日みたいに、何を話せばいいのかわからなかった。
まあ、それだけの話。私は、なんとかして話を振ろうとしていた。今日もそうだったけれど、私は沈黙が続くと気疲れして考えてしまう質なのだ。
私の方が降りる駅は先で、お腹が空いていた。なんとなく、「ファミレスで少しご飯でも食べない?」なんて言いたくなったな、と思い出した。話した事は全部忘れたけれど、それだけは覚えていた。
言いはしなかったけれど。二人で何かを食べて、コーラやアンバサやメローイエローを飲むことは無かった。
そこまで好意を持った相手でもない。そのあと何かが有った人でもない。で、ただでさえ気疲れしているのに、それを続けるのはやっぱりごめんだった。
それなのに、あの時一緒にご飯を食べに行ってたらどうなんだろう? と思ってしまった。たぶん、何もなかったんだろうけど、もし、と言う事を考えてしまった。
窓の外を見れば、雨は止んでいた。沈黙は続いていた。別に急ぎのお使いでもなかった。このまま残っても、何かをしても問題はなかった。でも、私は残しておいた栗を食べた。もう、モンブランは食べきった。紅茶も飲み干して、
「あ、雨も止みましたね。じゃあ私は行きます」
「ええ、気をつけてね」
立ち上がった。アリスさんも立ち上がって、扉を開けてくれた。
「それじゃ、また。今日はありがとうございました」
「またね」
挨拶をして、外に出る。すっと浮かび上がってから振り向いて、手を振った。
アリスさんも手を振っていた。その姿は、すぐに見えなくなった。眼下に有るのは森だけだった。
とても気楽な気分になって、安堵しながら山を目指す。そのくせ、少し残念で、後ろ髪を引かれていた。自分の意志で、帰ることを決めたのに。
なんで、こんな気分なんだろう。アリスさんのせいなんだろうか。それとも、なんとなく昔を思い出してしまったからなのだろうか。よくわからない。今日何を話していたのかも、自分が何を言いたかったかも、もうぼんやりとしている。思い出すと、なんとなく心地よくはあったけれど。
そんな気分のまま飛んでも、山はすぐに見えてしまう。この世界は狭い。神社が見えた辺りで、そういえばアリスさんの好きな食べ物はなんなのだろう、と考え始めてしまった。
それは気になった。それを知ったら、さっきみたいな気分は味わえなくなってしまうのだろうか。
とりあえずは、まだ青春なのかもしれない。現在進行形でこうやって考えられるくらいなら。
可愛かった
早苗さんは乙女ですね。
でも知ってしまったら味気なくなっちゃうのかなぁ。
執筆お疲れ様でした。面白かったです!
炭酸は苦手なんで、飲んだことはないですけど。
すごく微妙な距離感、だけど不思議と心地いい。素敵な雰囲気でした。
この一言にアリス「らしさ」が垣間見えていい雰囲気だなと
微妙な距離感、と言うのは至言ですな
仲間数人でつるんでる内はなんとも思わないけど、いざ二人きりになると何喋って良いのかわかんなくて、無理矢理話題をひねりだしてる感じみたいな
だけど今思い返すとあの時間もあれはあれで不思議と楽しい時間だった気もする
あれは青春だったのかな
全体の雰囲気が良かったのは間違いないのですが、それがどこから来ているのか。
早苗とアリスの微妙な距離感からでしょうか。
恋人では絶対に無い、友人というのもまた違う。
……書いてみても、やはりはっきりとは分かりません。今度もう一度読んでみて研究したいと思います。