「それは楽しいかしら?」
時刻は夕暮れ時。黒い服を身に纏った少女が、まるで干された布団のような状態で大きな木の枝にぶら下がっている。
そんな少女を見上げながら、いつの間にか木の根元に立っていた日傘の少女が問いかけると、黒い服の少女は布団の姿勢を崩さぬまま答えた。
「別に」
「ではどうしてぶら下がっているのかしら?」
「なんとなく」
日傘少女の問いに対する布団少女の回答は、実に素っ気ない。
しかし、日傘少女は特に気を悪くする風でも無く、やれやれといった具合に苦笑する。
「ねえルーミア。夜は貴女の時間なのよ? つまり一日のおよそ半分が貴女の時間。闇の妖怪としてもう少し活動的になっても罰は当たらないわ。例えば暗がりに乗じて人間を驚かすとか」
「えーめんどくさい」
長々と語った日傘少女の勧めを、布団少女のルーミアは一言で切って捨てた。
日傘少女は大きく息を漏らした。
「はあ、また振られちゃったわね」
管理人として人妖のバランス調整に苦慮する身。
人間側は巫女がいるとして、妖怪側の地位の安定のため色々と妖怪にも話を付けようとするのであるが、大抵上手くはいかない。
妖怪、特に一種独立の妖怪は基本的に自分本位。他者の誘いに乗ることなどまずない。
「まあいいわ。どうせ期待もしていなかったから」
「あ、帰るの? どうせなら何か美味しいもの置いてってよ」
「働かざる者食うべからず、ですわ」
「けちんぼ」
ぶら下がりながら悪態をつく布団ルーミアに背を向け、日傘少女はひらひらと手を振りながら歩き出した。
一歩、二歩、三歩。そろそろであろう。
「八雲紫!」
八雲紫と呼ばれた日傘の少女の思った通り、先ほどから熱い殺気を送り続けてきた正体が草陰から飛び出してきた。
不自然に背を向けた、奇怪なポーズで。
「まさかこんな所で会えるとは運がいい。この前は巫女たちにしてやられたが、この場で直接お前を叩く!」
「まあまあ」
威勢よく宣戦布告してきた黒髪の少女に、紫は少し驚いたような仕草をする。
しかし思考は至って冷静で、顔に笑みを浮かべ挑戦者に対した。
「こういう場合、まず名乗るのが礼儀じゃないかしら?」
「わたしの名前が知りたいのか? 駄目だ。絶対に教えない」
「あらそう。じゃあいいわ」
「む、ならば教えてやる。わたしは鬼人正邪。この幻想郷の安定を破壊するレジスタンスだ」
「……ああ」
一連のやりとりで、紫は大体把握した。
この、背中を向け顔だけこっちに向けてくる正邪という妖怪は、天邪鬼。
他人の言うことには絶対に従わず、他人が嫌がることをして喜ぶひねくれ者。
敗戦処理として登板する時にはいいピッチングをするくせに、味方が勝っている時に登板するといきなり崩れる中継ぎ投手のような、あべこべの妖怪。
正者(せいじゃ)。熱烈歓迎。
「それで、その正邪さんがわたしに何の用ですの?」
すっとぼけたことを聞く紫。
正邪は自信たっぷりといった具合に、ふふんと鼻を鳴らした。
「言っただろう。お前を叩き、この幻想郷の安定を破壊する。そして弱者が強者を支配する素晴らしく反転した世界を創り上げるのさ」
「まあ壮大ですこと」
居丈高に野望を語った正邪に対して紫はどこまでも落ち着いていた。
その余裕の態度が、正邪の鼻についた。しかし相手のペースに乗ってしまうのは天邪鬼の本分ではない。
正邪もまた、余裕の態度をとってみせる。
「そうやって強がっていられるのも今の内さ。お前は既にわたしの術中にはまっている」
「術中? あら?」
「どうやら違和感に気付き始めたようだな」
鬼人正邪の全てを反転させる能力。
今の紫は方向感覚が反転し、前が後ろに後ろが前に、右が左に左が右に、天が地に地が天に、表が裏に裏が表に感じられているはずだ。
そして案の定、地にまっすぐ立っていた紫の姿勢がぐらついた。今こそ好機。
「馴れる暇なんて与えないぞ! なあに安心しろ殺しはしない。でも完膚なきまでに叩きのめす。そして、生きてわたしの伝説を広めるんだな!」
正邪は軌道のランダムに変わる弾幕を展開し、四方八方より紫に襲いかからせた。
感覚が急に狂った今、避けることなどかなうまい。一気に攻める。
勝負は、一瞬で決した。
「あ、れ……?」
刹那の後に世界が反転し、地に倒れたのは正邪。
何が起こったのか分からないまま顔を上げると、八雲紫が真っすぐ歩いてくる。
前後左右天地表裏の反転など一切気にしていない様子で、相変わらず笑みを浮かべたまま。
「驚いた……もう反転した世界に馴れたのか?」
痛む身体に顔をしかめつつ、上体を起こしながら正邪は問う。
すると紫はいっそう妖しい笑みを浮かべ、ゆっくりと口を開く。
「前と後ろの間、右と左の間、天と地の間、表と裏の間には何があるかご存じかしら?」
「……とんちか? というか、質問に質問を返すな」
「あら失礼」
相対した時から続く余裕の態度に加えこのもったいぶった喋り方。
ますます正邪の鼻につくのであるが、今の二人、地に立つ紫と地に伏す正邪はまさに見下す者と見上げる者。力量通りの関係。
反転しない力関係に正邪の為す術は無く、紫のうっとうしい口上を待たねばならない。
「いい加減とんちの答えくらい教えてほしいな」
苛立ちがそのまま声に出た。
現状地に付す身。つまり切羽詰まっているのは正邪の方だからだ。
一方紫は懐から扇子を取り出し口元を隠す。相も変わらず雅な感を押しだしていた。勝者の余裕か。
「簡単な事ですわ」
まず一言。
そして解説。
「前と後ろ。右と左。天と地。表と裏。どれも相容れない概念同士。相容れない概念同士の間には必ずその二つの概念を分かつ境界があり、スキマがある」
「……あ」
イメージのしにくい話ではあったが、正邪にもなんとなく飲みこめた。
異なった二つの概念を反転させるのが正邪の能力。では、紫の能力は。
「二つの概念の間にあるスキマを操りスキマに生きるわたしには、貴女の能力はあまり通用しないみたいね。でも、白黒はっきり分ける閻魔様になら十分通用するかもしれませんわ」
「……うう」
自分の能力の影響を受けない相手というのは、正邪にとって初めての経験だった。
故に、正邪は観念した。反転する世界の内にあってその影響の外の存在。勝ち目が無い。
「煮るなり焼くなり好きにしろ!」
起こしていた上体を再び地面にくっつけ、正邪はそう叫んだ。
反逆者として立ち上がったのである。失敗すればその末路は悲惨なもの。それに、このスキマ妖怪からは逃げられる気もしなかった。
覚悟を決めて待つ紫の裁きは、しかし正邪の予想とは大きく違った。
「貴女、面白いわね」
「は?」
煮るでも焼くでも八つ裂きでも無く、紫から与えられたのは暖かな微笑みとゆったりとした言葉だけ。
予想外すぎて目を丸くする正邪に、紫は言葉を続けた。
「反逆者なんて、妖怪らしい気骨に溢れていてとてもいい。わたしは好きよ、そういうの。あそこでひっくり返っている怠け者のお気楽妖怪とは大違い」
そう言うと、紫は扇子で木の根元を指した。
そこには、正邪の反転能力のあおりを受け、上下の感覚が狂って木の枝から落っこちたルーミアの姿。
まだ反転した方向感覚を掴めていないらしく、立ち上がることもままならず仰向けになってじたばたしていた。
それはそれとして、と紫は視線を正邪に戻した。
「妖怪と人間の均衡は実に難しいの。無害な妖怪ばかりでは妖怪が衰える一方よ。そうね、人形解放戦線なんかも頑張ってほしいと思うわ」
「…………」
鈴蘭の妖怪を例に挙げつつ、紫は一方的に正邪に向かって話していった。
そして満足そうな顔をして、空間に大きな亀裂を生じさせ、その中へと入っていく。
「貴女のレジスタンスとやらも、せいぜい頑張りなさい」
特段の笑顔を振りまいて、未だ地に付す正邪を残し、紫はスキマへと消えていった。
「よろしかったのですか紫様?」
「あら藍。見てたの?」
スキマを経由して自宅に帰ると、九尾の狐の八雲藍がお出迎え。
藍は軽く頭を下げながら、慎ましやかに言った。
「紫様に仇なす者が現れたら、すぐにでもお力添えする所存ですので」
「それは八雲紫の式として? それとも一妖怪として?」
「……わたしは紫様の式であり、紫様を敬愛する一妖怪です」
「悪くない回答ね」
意味のあるような無いようなやり取りをしてから、紫は居間でそっと腰を落ち着けた。
そして、藍の持ってきた熱過ぎずぬる過ぎずのお茶をすすると、藍もその正面に座る。。
「話を戻しますが、本当にあれで良かったのですか?」
「心配性ねえ藍は。大丈夫よ、妖怪はあれくらいの反逆心が無いとつまらないわ。それにいざというときはわたしか貴女が対処すればいい。スキマの前にあの子が無力なのは見ていたのでしょう?」
「いえ、わたしが言いたいのはそういう事ではないのですが……」
誠に言いにくそうにする藍であったが、大切な主人のためには言わなければなるまい。
主人が大きな過ちを犯してしまったことを。
「本当にあの妖怪に頑張ってほしいのであれば、天邪鬼に『頑張れ』というのはどうかと思いますが」
「…………あ」
少し間を置いてから、紫は小さなスキマを開いて、あの天邪鬼の姿を追った。
スキマを覗きこんでみると、すぐに見つけることができた。
「あー、そこわたしの場所なのにー」
「ははは。今はわたしの場所だよ」
地に落ちた闇の妖怪が見上げる(当人の感覚では見下げる)先に、まるで干された布団のような状態で大きな木の枝にぶら下がっている天邪鬼。
自分の場所をとるなと主張する闇の妖怪にあっかんべーをして、高々と笑い声を上げている。
「誰があんな奴の言う事なんか聞くもんか。わたしは反逆者だ。こうしていれば八雲紫は嫌がるに決まっている!」
「そんな事どーでもいいからわたしの場所返してよー。うう、何か上手く動けない……」
この光景を見て、紫は小さなスキマをそっと閉じ、熱過ぎずぬる過ぎずのお茶をゆっくりすすった。
一息ついて、また飲んで。湯呑の中身が空になったところで一言。
「ふう、これで幻想郷の安定は守られたわね」
「えっ、ちょっと、何『全ては最初からわたしの掌の上だった』みたいな事を言っているんですか? 明らかにミスですよね?」
式からの的確なツッコミ。
しかし紫はこれを華麗にかわす。
「貴女こそ何を言っているのよ? 幻想郷を脅かしうる芽は早いうちに摘んでおくべきよ。取り返しのつかない事になったらどうするつもり?」
「言っている事がさっきと反対ですよ」
「そうかしら? 反対という事は藍、貴女きっと天邪鬼に化かされたのよ。修行が足りないわね」
「ぐぐ……」
あくまで素知らぬふりを貫き通すつもりの主人に、藍は心の底からこう思った。
敬愛する主人、八雲紫こそが、幻想郷一の天邪鬼なのではないか、と。
時刻は夕暮れ時。黒い服を身に纏った少女が、まるで干された布団のような状態で大きな木の枝にぶら下がっている。
そんな少女を見上げながら、いつの間にか木の根元に立っていた日傘の少女が問いかけると、黒い服の少女は布団の姿勢を崩さぬまま答えた。
「別に」
「ではどうしてぶら下がっているのかしら?」
「なんとなく」
日傘少女の問いに対する布団少女の回答は、実に素っ気ない。
しかし、日傘少女は特に気を悪くする風でも無く、やれやれといった具合に苦笑する。
「ねえルーミア。夜は貴女の時間なのよ? つまり一日のおよそ半分が貴女の時間。闇の妖怪としてもう少し活動的になっても罰は当たらないわ。例えば暗がりに乗じて人間を驚かすとか」
「えーめんどくさい」
長々と語った日傘少女の勧めを、布団少女のルーミアは一言で切って捨てた。
日傘少女は大きく息を漏らした。
「はあ、また振られちゃったわね」
管理人として人妖のバランス調整に苦慮する身。
人間側は巫女がいるとして、妖怪側の地位の安定のため色々と妖怪にも話を付けようとするのであるが、大抵上手くはいかない。
妖怪、特に一種独立の妖怪は基本的に自分本位。他者の誘いに乗ることなどまずない。
「まあいいわ。どうせ期待もしていなかったから」
「あ、帰るの? どうせなら何か美味しいもの置いてってよ」
「働かざる者食うべからず、ですわ」
「けちんぼ」
ぶら下がりながら悪態をつく布団ルーミアに背を向け、日傘少女はひらひらと手を振りながら歩き出した。
一歩、二歩、三歩。そろそろであろう。
「八雲紫!」
八雲紫と呼ばれた日傘の少女の思った通り、先ほどから熱い殺気を送り続けてきた正体が草陰から飛び出してきた。
不自然に背を向けた、奇怪なポーズで。
「まさかこんな所で会えるとは運がいい。この前は巫女たちにしてやられたが、この場で直接お前を叩く!」
「まあまあ」
威勢よく宣戦布告してきた黒髪の少女に、紫は少し驚いたような仕草をする。
しかし思考は至って冷静で、顔に笑みを浮かべ挑戦者に対した。
「こういう場合、まず名乗るのが礼儀じゃないかしら?」
「わたしの名前が知りたいのか? 駄目だ。絶対に教えない」
「あらそう。じゃあいいわ」
「む、ならば教えてやる。わたしは鬼人正邪。この幻想郷の安定を破壊するレジスタンスだ」
「……ああ」
一連のやりとりで、紫は大体把握した。
この、背中を向け顔だけこっちに向けてくる正邪という妖怪は、天邪鬼。
他人の言うことには絶対に従わず、他人が嫌がることをして喜ぶひねくれ者。
敗戦処理として登板する時にはいいピッチングをするくせに、味方が勝っている時に登板するといきなり崩れる中継ぎ投手のような、あべこべの妖怪。
正者(せいじゃ)。熱烈歓迎。
「それで、その正邪さんがわたしに何の用ですの?」
すっとぼけたことを聞く紫。
正邪は自信たっぷりといった具合に、ふふんと鼻を鳴らした。
「言っただろう。お前を叩き、この幻想郷の安定を破壊する。そして弱者が強者を支配する素晴らしく反転した世界を創り上げるのさ」
「まあ壮大ですこと」
居丈高に野望を語った正邪に対して紫はどこまでも落ち着いていた。
その余裕の態度が、正邪の鼻についた。しかし相手のペースに乗ってしまうのは天邪鬼の本分ではない。
正邪もまた、余裕の態度をとってみせる。
「そうやって強がっていられるのも今の内さ。お前は既にわたしの術中にはまっている」
「術中? あら?」
「どうやら違和感に気付き始めたようだな」
鬼人正邪の全てを反転させる能力。
今の紫は方向感覚が反転し、前が後ろに後ろが前に、右が左に左が右に、天が地に地が天に、表が裏に裏が表に感じられているはずだ。
そして案の定、地にまっすぐ立っていた紫の姿勢がぐらついた。今こそ好機。
「馴れる暇なんて与えないぞ! なあに安心しろ殺しはしない。でも完膚なきまでに叩きのめす。そして、生きてわたしの伝説を広めるんだな!」
正邪は軌道のランダムに変わる弾幕を展開し、四方八方より紫に襲いかからせた。
感覚が急に狂った今、避けることなどかなうまい。一気に攻める。
勝負は、一瞬で決した。
「あ、れ……?」
刹那の後に世界が反転し、地に倒れたのは正邪。
何が起こったのか分からないまま顔を上げると、八雲紫が真っすぐ歩いてくる。
前後左右天地表裏の反転など一切気にしていない様子で、相変わらず笑みを浮かべたまま。
「驚いた……もう反転した世界に馴れたのか?」
痛む身体に顔をしかめつつ、上体を起こしながら正邪は問う。
すると紫はいっそう妖しい笑みを浮かべ、ゆっくりと口を開く。
「前と後ろの間、右と左の間、天と地の間、表と裏の間には何があるかご存じかしら?」
「……とんちか? というか、質問に質問を返すな」
「あら失礼」
相対した時から続く余裕の態度に加えこのもったいぶった喋り方。
ますます正邪の鼻につくのであるが、今の二人、地に立つ紫と地に伏す正邪はまさに見下す者と見上げる者。力量通りの関係。
反転しない力関係に正邪の為す術は無く、紫のうっとうしい口上を待たねばならない。
「いい加減とんちの答えくらい教えてほしいな」
苛立ちがそのまま声に出た。
現状地に付す身。つまり切羽詰まっているのは正邪の方だからだ。
一方紫は懐から扇子を取り出し口元を隠す。相も変わらず雅な感を押しだしていた。勝者の余裕か。
「簡単な事ですわ」
まず一言。
そして解説。
「前と後ろ。右と左。天と地。表と裏。どれも相容れない概念同士。相容れない概念同士の間には必ずその二つの概念を分かつ境界があり、スキマがある」
「……あ」
イメージのしにくい話ではあったが、正邪にもなんとなく飲みこめた。
異なった二つの概念を反転させるのが正邪の能力。では、紫の能力は。
「二つの概念の間にあるスキマを操りスキマに生きるわたしには、貴女の能力はあまり通用しないみたいね。でも、白黒はっきり分ける閻魔様になら十分通用するかもしれませんわ」
「……うう」
自分の能力の影響を受けない相手というのは、正邪にとって初めての経験だった。
故に、正邪は観念した。反転する世界の内にあってその影響の外の存在。勝ち目が無い。
「煮るなり焼くなり好きにしろ!」
起こしていた上体を再び地面にくっつけ、正邪はそう叫んだ。
反逆者として立ち上がったのである。失敗すればその末路は悲惨なもの。それに、このスキマ妖怪からは逃げられる気もしなかった。
覚悟を決めて待つ紫の裁きは、しかし正邪の予想とは大きく違った。
「貴女、面白いわね」
「は?」
煮るでも焼くでも八つ裂きでも無く、紫から与えられたのは暖かな微笑みとゆったりとした言葉だけ。
予想外すぎて目を丸くする正邪に、紫は言葉を続けた。
「反逆者なんて、妖怪らしい気骨に溢れていてとてもいい。わたしは好きよ、そういうの。あそこでひっくり返っている怠け者のお気楽妖怪とは大違い」
そう言うと、紫は扇子で木の根元を指した。
そこには、正邪の反転能力のあおりを受け、上下の感覚が狂って木の枝から落っこちたルーミアの姿。
まだ反転した方向感覚を掴めていないらしく、立ち上がることもままならず仰向けになってじたばたしていた。
それはそれとして、と紫は視線を正邪に戻した。
「妖怪と人間の均衡は実に難しいの。無害な妖怪ばかりでは妖怪が衰える一方よ。そうね、人形解放戦線なんかも頑張ってほしいと思うわ」
「…………」
鈴蘭の妖怪を例に挙げつつ、紫は一方的に正邪に向かって話していった。
そして満足そうな顔をして、空間に大きな亀裂を生じさせ、その中へと入っていく。
「貴女のレジスタンスとやらも、せいぜい頑張りなさい」
特段の笑顔を振りまいて、未だ地に付す正邪を残し、紫はスキマへと消えていった。
「よろしかったのですか紫様?」
「あら藍。見てたの?」
スキマを経由して自宅に帰ると、九尾の狐の八雲藍がお出迎え。
藍は軽く頭を下げながら、慎ましやかに言った。
「紫様に仇なす者が現れたら、すぐにでもお力添えする所存ですので」
「それは八雲紫の式として? それとも一妖怪として?」
「……わたしは紫様の式であり、紫様を敬愛する一妖怪です」
「悪くない回答ね」
意味のあるような無いようなやり取りをしてから、紫は居間でそっと腰を落ち着けた。
そして、藍の持ってきた熱過ぎずぬる過ぎずのお茶をすすると、藍もその正面に座る。。
「話を戻しますが、本当にあれで良かったのですか?」
「心配性ねえ藍は。大丈夫よ、妖怪はあれくらいの反逆心が無いとつまらないわ。それにいざというときはわたしか貴女が対処すればいい。スキマの前にあの子が無力なのは見ていたのでしょう?」
「いえ、わたしが言いたいのはそういう事ではないのですが……」
誠に言いにくそうにする藍であったが、大切な主人のためには言わなければなるまい。
主人が大きな過ちを犯してしまったことを。
「本当にあの妖怪に頑張ってほしいのであれば、天邪鬼に『頑張れ』というのはどうかと思いますが」
「…………あ」
少し間を置いてから、紫は小さなスキマを開いて、あの天邪鬼の姿を追った。
スキマを覗きこんでみると、すぐに見つけることができた。
「あー、そこわたしの場所なのにー」
「ははは。今はわたしの場所だよ」
地に落ちた闇の妖怪が見上げる(当人の感覚では見下げる)先に、まるで干された布団のような状態で大きな木の枝にぶら下がっている天邪鬼。
自分の場所をとるなと主張する闇の妖怪にあっかんべーをして、高々と笑い声を上げている。
「誰があんな奴の言う事なんか聞くもんか。わたしは反逆者だ。こうしていれば八雲紫は嫌がるに決まっている!」
「そんな事どーでもいいからわたしの場所返してよー。うう、何か上手く動けない……」
この光景を見て、紫は小さなスキマをそっと閉じ、熱過ぎずぬる過ぎずのお茶をゆっくりすすった。
一息ついて、また飲んで。湯呑の中身が空になったところで一言。
「ふう、これで幻想郷の安定は守られたわね」
「えっ、ちょっと、何『全ては最初からわたしの掌の上だった』みたいな事を言っているんですか? 明らかにミスですよね?」
式からの的確なツッコミ。
しかし紫はこれを華麗にかわす。
「貴女こそ何を言っているのよ? 幻想郷を脅かしうる芽は早いうちに摘んでおくべきよ。取り返しのつかない事になったらどうするつもり?」
「言っている事がさっきと反対ですよ」
「そうかしら? 反対という事は藍、貴女きっと天邪鬼に化かされたのよ。修行が足りないわね」
「ぐぐ……」
あくまで素知らぬふりを貫き通すつもりの主人に、藍は心の底からこう思った。
敬愛する主人、八雲紫こそが、幻想郷一の天邪鬼なのではないか、と。
紫の呆け顔を思うとちょっぴり笑えます。
それにしても俺達か・・・逆転・・・うっ頭が
⊂⌒( ,_ノ` ) 正者かわいいよ正者
`ヽ_つ ⊂ノ
短いですが、上手くまとまっていて読みやすかったです。
紫の正邪に対するスタンスはこれくらいがありそうなラインだなと思いました。
あと紫のうっかり。と、それに対する釈明(?)。なんかいかにも、って感じでした。