夜も遅くの人里近く。赤いマントで口元を隠して、よろよろと歩く影があった。
ろくろ首の怪奇こと赤蛮奇である。
気分が悪いので気晴らしに夜風でも浴びようと散歩を始めたところ、歩くうちに気分がよくなって予定していたところよりも遠くまで来てしまった。
行き過ぎた。と気がついた時には既に遅く、急いで帰ろうとしたが次第に住処を出る前と同じ様に気分が悪くなっていった。
寒いし、吐き気がする。目が回る。足元が覚束ない。
道端で倒れる前に住処に戻りたいが、思うように進めない。何かに寄りかかって倒れないようにするのが精一杯だ。息も上がっている。
「あぁ、駄目だ…一旦休もう…」
このまま歩き続けても倒れるのは時間の問題だ。ならそうなる前に休んだ方がいい。少し休めばまた歩けるようになるだろう。
道の端に腰を下ろして木に寄りかかる。
木を背にして、空を見上げる。体調がよければ酒が欲しくなっていたかもしれない。
「はぁ…頭痛い…」
だが今はそんなことを考えている場合では無い。身体を離れ自由に飛び回ることのできる頭も、痛みからは自由にはなれない。
「こんな状態で酔っ払ったらどうなるのかな…。オェ…気持ち悪…」
気を紛らわす為にくだらないことを考えてみたが逆効果だったらしい。
「さっさと帰ろう…」
具合が悪い時は頭も悪くなる。呼吸も落ち着いた事だし、馬鹿なこと考えてないで早く行こう。
そう思って立ち上がろうとしたのだが。
「あれっ?」
何故か目の前に自分の背中がある。首が置いてかれてしまったようだ。
頭を失った体で少し探ってみるとどうやら髪の毛が木の枝に絡まったのに気づかないまま立ち上がってしまったらしい。
いつもならこんな事で頭と体を切り離したりしないが、ぼーっとしていたためについ頭をついて行かせるのを忘れてしまったのだ。
「あぁもう…どうしよう…」
なんとかほどけないかと手探りで試してみるがどのように絡まっているかわからない上、頭がくらくらしてうまく手が動かせない。
ならばいっそ頭を引っ張って髪をちぎった方が早くも思えるが、残念なことにそう簡単にちぎれる弱い髪ではない。
無理矢理引けばおそらく髪は切れる前に抜けて小さなハゲができることになるだろう。それは嫌だ。
何より、無理矢理引っ張ったらかなり痛いだろう。
「とりあえず体を戻そう…」
幸い、見える範囲に人影はない。おかげで誰かにこの姿を見られる心配は無いが、そのうち通りかからないとも限らない。
人間に見られて面倒な事になる前に頭を戻そう。
「うわぁぁ!」
などと考えてる間に誰かに見られてしまった。
だけど確かに見える範囲に人影はなかったはず。なら今の悲鳴の主はどこから現れたのかといえば。
答えは簡単で、相手は真っ正面。
つまり自分の体の向こう側から来ていたらしい。
向こう側から声が聞こえる。
「えぇ~…何これ?首無し死体?それにしては血が出た形跡が無いし…。でもこんなよく出来た人形を作れる奴なんているかなあ…。まるで本当に生きてるみたいな…」
運のいいことにどうやら向こう側の相手は首の無い体を見ても驚きこそすれ、逃げないらしい。それはそれで少し悔しいが、今はそんなことを言ってる場合じゃない。
これなら声をかければ助けてもらえるかもしれない。生首に驚いて逃げなければ。
「せっかくだから持って帰って調べてみようかな~」
「あのー…その前に助けてもらえない…?」
「えっ、喋った!?」
やっぱり驚かせてしまったみたいだ。でも逃げてはない。
「頭が無いのに、どこから声出してるの!?」
「首はこっちに…木にぶら下がってるの…」
そう伝えると、私の体から首が生えた。相手が首を伸ばしてこちらを覗いたのだ。
帽子をかぶったこの顔には見覚えがある。少し前に人里が騒がしかったとき、それに便乗して露店であくどい商売をしていた妖怪だ。何度か見かけたし、噂も聞いた。
「うっわ、変なの。まるで晒し首じゃん…あっ!」
「なによ…」
何かに気がついたみたいだけど、なんだというのだろう。何か悪い笑みを浮かべている。
「どうやら、お困りみたいだね」
「そうね…」
困っていなければ助けてなんて言うわけがない。こいつは私を馬鹿にしているのか。
「じゃあさ、助けてあげるから…その代わりに私の頼み、聞いてくれる?」
頼みというのはろくなものじゃないんだろう。聞かなくても顔を見ればわかる。
悪党が悪巧みをするときにするような、汚い顔をしているんだから。
悪事の片棒でも担がせるつもりか。
とはいえ、ここでこいつの申し出を断って自分でこの状況をなんとか出来るかと言ったら、無理だ。
他の奴が通るのを期待するのも難しいし、そいつが私の姿に耐えられるかどうかもわからない。
そもそも誰かが通るまで待つのもきつい。吐きそうだし、枝に吊るされてるのも辛い。できれば今すぐ帰りたい。
となるとこいつの言うとおりするしかない。
ろくな頼みじゃないだろうけど、巫女に退治される程まずい事はしないはず。
屋台を出せるくらいだからそんなしょうもないことをするような馬鹿じゃないでしょう。
痛い思いをして大事な髪をごっそり失うよりはマシなはず。多分。
「…いいよ、手伝う。だから助けて」
私の返答を聞いて相手は笑う。さっきの汚い顔とはまた違う顔だ。暗いのに目が輝いて見える。
「そうこなくっちゃ。じゃあ今から助けてやるよ。どうすればいい」
「髪が枝に絡まっちゃって取れないのよ」
「なるほどね。ちょっと待ってて」
彼女はこちら側に来て絡まった髪を少し触ると「こりゃだめだね。切った方が早いよ」と言ってスカートについているポケットの一つに手を突っ込んであさり始めた。
「今日はハサミを持ってるから」
「じゃあ切っちゃって」
できれば無傷で済ませたかったけど、そこまで酷いなら仕方ない。早く帰って寝るためには少しの犠牲も必要だ。
「オッケー、じゃあ切るよ。すぐ終わるから頭を落っことさないように気をつけなよ」
頭の後ろからジョキジョキとハサミが髪を切る音がする。本当に切ってるんだ。
どうしてそこまで面倒な絡み方をしてしまったのやら。外に出たのは本当に失敗だった。
すぐにハサミの音は止み、頭を自由に動かせるようになった。
「あぁ…助かった…。ありがとう」
頭を首の上に戻し、私は礼を言う。
「じゃあ、これでそっちの頼みは聞いたわけだ。つまり今度はこっちの頼みを聞いてもらう番だな」
「頼みを聞きたいのはやまやまなんだけど…実を言うと今調子が悪くてね…。そっちの頼み、聞けそうも無いのよ…」
「そんなの見りゃわかるよ。別に急ぎの用事じゃないし、実際に頼むのはあんたが本調子の時にね」
見てわかるくらいに酷いのか。どおりで辛いわけだよ。
「そんなわけだからここに放って死なれても困るし、住処まで送ってやるよ」
住処まで送られるということはつまり私の住処の場所を教えることになってしまう。
余計な来訪者を増やしたく無い私としてはできるだけ誰かに住処を教えたりしたくないのだけど、立っているだけでとても辛い。
このまま一人で帰ろうとすれば彼女の言うとおりその辺で死ぬ…までは行かないまでも、途中で倒れるのは間違いない。
なら意地を張ってもしょうがない。
私は彼女の好意を素直に受け、肩を借りて帰ることにした。
住処に戻ると、彼女は自分の名前と山に住む河童であるという簡単な自己紹介をしたので私も同じ様に自己紹介をする。
「赤蛮奇…ね。とりあえず2、3日したら様子を見に来るよ。調子がよくなったならそっちから来てくれてもいいけど無理はするなよ。じゃ、私は帰るから。暖かくして寝なよ」
と言って帰った。
里で噂を聞いた時はあくどい商売をしてると言われてたけど、彼女…河城にとりはそんなに悪い奴じゃないかもしれない。
そう考え始めると悪そうに見えた交換条件を持ち出してきた時の顔も、実はそんなに悪い顔をしてなかったような気がしてくる。
そんな事を考えながら、私は眠りに就いた。
◆ ◇
「あ、来てくれたんだ」
2日後、私は河城にとりに会いに来た。
帰り際に彼女に言われた通り、私の方から彼女の住処にやってきたのだ。
体調は丸一日寝たら前日の不調が嘘のようにすっかりと良くなっていた。
「道に迷いそうだったけどなんとか」
本当は来るのを待ちたかったんだけど、助けてもらった身なのでこっちから行くことにした。
「人里と比べるとね。まあここまでこれるってことは具合はよくなったってことだ。よかったよかった」
「おかげさまで」
それから少し、話をした。
「前に里でお祭り騒ぎがあった時、蛮奇は何してたの?」
「私は住処にこもって知らん顔してたけど」
「じゃあ蛮奇はあの時の騒ぎを見てただけなのか」
「おかげで屋台に騙されずにすんだわ」
「ろくろ首受けのいい屋台を出せてればもうちょっと売り上げを伸ばせたわけだね。残念だよ」
話を通してお互いの事を少し知ると、にとりが本題を切り出してきた。
「さて、そろそろお返しをしてもらおうか」
何をさせられるのか、少し不安に思いながら、私はにとりに連れられて住処の奥へ行く。
そこには木の枠に巨大な刃を縄で吊るした大きなからくりがあった。
「なによこれ…」
ギラギラと光る大きな刃がとても不気味だ。
「これはギロチンつってね!昔、外の世界の罪人を処刑するために作られた機械だ!あの穴から頭を出して、綱を離すと刃が落ちてきて頭がポーンって飛ぶ!この簡単だけど考えられた仕組み!これは…すごいよ!」
目を輝かせて説明する姿はまるで子供のようで、微笑ましいのだけど。物が物なので笑うに笑えない。
「処刑って…私に何させるつもり…」
嫌いな奴を捕まえてこれで首を落とす手伝いをさせるとかじゃないよね。
「あ、別にこれで誰かを処刑しようってわけじゃないよ!」
にとりは私の不安を感じ取ってくれたらしく、はしゃぐのをやめ普通に話し始めた。
「あれはあの夏の騒ぎの、少し前のことだった。これの設計図が流れてきてね、見たら興味が湧いたから実際に作ってみたんだ。そうしたらすごく魅力的で、試しに刃を落としてみたら、それだけですごい迫力だった。だから一度でいいから実際に使ってみたくなったんだけど、本当に誰かの首を落とすわけにはいかないじゃん。だからとりあえず人形で我慢しようと思って、人形遣いのところに行って等身大の大きい人形をもらえないか聞きに行ったんだ。そうしたら理由を聞かれたからギロチンにかけたいから、って言ったらダメだ。って言うじゃん。自分が作った大事な人形をそんな使い方させられないって。あいつ、自分はボンボン投げてバンバン爆発させてるのに」
語るにとりははしゃぎこそしてないけど、その代わりに目がキラキラと輝いている。まるでギロチンの刃のように。
私が頼みを聞くと言った時と同じ目だ。
「で、これを使うことができないまま数日が過ぎて、気がつけば人里でお祭り騒ぎが起きてるから屋台を出した。これを使った見せ物ができてればきっと売り上げはもっと上がってただろうに。結局、実践できる人形を手に入れられないまま騒ぎは終わって、こいつで稼ぐ事はできなかった。でも稼ぎとか関係無しにこれを使いたい私は、その後もこいつを使うためにどうすればいいか考え続けた。首を落とされても死なないすごい妖怪でもいないもんか、って。そのとき私の耳に素晴らしい話が飛び込んで来た。殺しても死なない、とんでもない奴が竹林に住んでる、ってね。それを聞いた私は竹林に飛んで行ったよ。だが断られた。いくら死なないとはいえ痛いもんは痛いらしい。その代わり他にもう一人同じように死なない奴がいることを教えてもらった。私はそいつのところに飛んだ。しかしまあ当然断られた。やっと見つけた希望をあっさりと砕かれた私は、失意のままに帰ろうとしたがなんとなく帰りたくなかったからちょっと散歩してたら、首の無い体を見つけた。蛮奇を、あんたを見つけたんだよ」
にとりが語り終えた時、私は既に彼女が何を望んでいるのか。何を頼みたいのか。全て理解していた。
私の足は自然とギロチンに向かい、穴から頭を出しにとりが器具を固定してくれるのを待っている。
にとりのギロチンにかける情熱はよくわかった。これだけ熱くなれる物が私にはあるだろうか。
「ほら、にとり。早く」
「蛮奇…!」
留め具を閉めていくにとりはとても嬉しそうだけど、処刑機械であるこれをこんなに嬉しそうに扱うのは無い首を少し傾げたくなるがそんなことはどうでもいい。
私を機械に固定すると、にとりは刃を下ろすための綱を構える。
その姿を見て体に力が入る。
「いくよ、蛮奇…!」
一瞬の出来事だった。
にとりが綱を離すと、すぐさま木に刺さるドスッという音と共に刃が私の頭と体の間に落ちる
その音を合図に私は切断された罪人の気持ちを考えながら頭を切り離した。
私の頭が地面に敷かれたクッションの上にに落ちると、にとりが涙を流しながら手を叩いているのが見える。満足の行く斬首だったんだ。
袖で涙を拭いているが涙が止まっていないので意味がない。そんなにとりを笑おうとしたとき。
ふわりと。
私の視界が、青く染まった。
一面の青以外、何も見えない。泣きながら喜ぶにとりも、自分の体も、ギロチンも。全て青に遮られてしまった。
この青の正体は考えるまでも無い。私にはわかる。
何故こんな事になってしまったのか。
外しておけばよかったのに。
この青は、ギロチンによって真っ二つにされてしまった私のマントだ。
他に替えの無い、たった一つのお気に入りのマントだったのに。
大切なマントをこんな姿にされて、私はこの怒りをどこにぶつければいい。
マントの向こうで泣きながら喜んでいるにとりにぶつけるなんて、とてもできない。
ならどうする。
いや、どうもしない。どうでもいいや。
にとりは「迫真の演技ありがとう蛮奇!すごかった!ありがとう…!」と感謝の言葉を繰り返している。視界が遮られたままだから見えないけど、ときどき鼻をすする音が混じるから鼻を垂らしているんだと思う。
この幻想郷に私の能力を見て、ここまで感動してくれる奴が他にいるものだろうか。
こんな、臆病な人間を驚かすしかできない能力で誰かを感動させるなんてきっとこれから、死ぬまで無い。
それだけ貴重な物を見せてもらったんだから、マントが切られたぐらいの事でぐちぐち言うなんて馬鹿馬鹿しい。だから怒るのはやめよう。
代わりに、にとりに新しいマントを買ってもらおう。
屋台で相当もうけたんだからそれぐらい、きっと買ってくれるでしょ。
買ってくれなかったら、その時はこのギロチンでにとりの首を飛ばせばいいや。
それはそれでにとりも幸せだろうから。
ろくろ首の怪奇こと赤蛮奇である。
気分が悪いので気晴らしに夜風でも浴びようと散歩を始めたところ、歩くうちに気分がよくなって予定していたところよりも遠くまで来てしまった。
行き過ぎた。と気がついた時には既に遅く、急いで帰ろうとしたが次第に住処を出る前と同じ様に気分が悪くなっていった。
寒いし、吐き気がする。目が回る。足元が覚束ない。
道端で倒れる前に住処に戻りたいが、思うように進めない。何かに寄りかかって倒れないようにするのが精一杯だ。息も上がっている。
「あぁ、駄目だ…一旦休もう…」
このまま歩き続けても倒れるのは時間の問題だ。ならそうなる前に休んだ方がいい。少し休めばまた歩けるようになるだろう。
道の端に腰を下ろして木に寄りかかる。
木を背にして、空を見上げる。体調がよければ酒が欲しくなっていたかもしれない。
「はぁ…頭痛い…」
だが今はそんなことを考えている場合では無い。身体を離れ自由に飛び回ることのできる頭も、痛みからは自由にはなれない。
「こんな状態で酔っ払ったらどうなるのかな…。オェ…気持ち悪…」
気を紛らわす為にくだらないことを考えてみたが逆効果だったらしい。
「さっさと帰ろう…」
具合が悪い時は頭も悪くなる。呼吸も落ち着いた事だし、馬鹿なこと考えてないで早く行こう。
そう思って立ち上がろうとしたのだが。
「あれっ?」
何故か目の前に自分の背中がある。首が置いてかれてしまったようだ。
頭を失った体で少し探ってみるとどうやら髪の毛が木の枝に絡まったのに気づかないまま立ち上がってしまったらしい。
いつもならこんな事で頭と体を切り離したりしないが、ぼーっとしていたためについ頭をついて行かせるのを忘れてしまったのだ。
「あぁもう…どうしよう…」
なんとかほどけないかと手探りで試してみるがどのように絡まっているかわからない上、頭がくらくらしてうまく手が動かせない。
ならばいっそ頭を引っ張って髪をちぎった方が早くも思えるが、残念なことにそう簡単にちぎれる弱い髪ではない。
無理矢理引けばおそらく髪は切れる前に抜けて小さなハゲができることになるだろう。それは嫌だ。
何より、無理矢理引っ張ったらかなり痛いだろう。
「とりあえず体を戻そう…」
幸い、見える範囲に人影はない。おかげで誰かにこの姿を見られる心配は無いが、そのうち通りかからないとも限らない。
人間に見られて面倒な事になる前に頭を戻そう。
「うわぁぁ!」
などと考えてる間に誰かに見られてしまった。
だけど確かに見える範囲に人影はなかったはず。なら今の悲鳴の主はどこから現れたのかといえば。
答えは簡単で、相手は真っ正面。
つまり自分の体の向こう側から来ていたらしい。
向こう側から声が聞こえる。
「えぇ~…何これ?首無し死体?それにしては血が出た形跡が無いし…。でもこんなよく出来た人形を作れる奴なんているかなあ…。まるで本当に生きてるみたいな…」
運のいいことにどうやら向こう側の相手は首の無い体を見ても驚きこそすれ、逃げないらしい。それはそれで少し悔しいが、今はそんなことを言ってる場合じゃない。
これなら声をかければ助けてもらえるかもしれない。生首に驚いて逃げなければ。
「せっかくだから持って帰って調べてみようかな~」
「あのー…その前に助けてもらえない…?」
「えっ、喋った!?」
やっぱり驚かせてしまったみたいだ。でも逃げてはない。
「頭が無いのに、どこから声出してるの!?」
「首はこっちに…木にぶら下がってるの…」
そう伝えると、私の体から首が生えた。相手が首を伸ばしてこちらを覗いたのだ。
帽子をかぶったこの顔には見覚えがある。少し前に人里が騒がしかったとき、それに便乗して露店であくどい商売をしていた妖怪だ。何度か見かけたし、噂も聞いた。
「うっわ、変なの。まるで晒し首じゃん…あっ!」
「なによ…」
何かに気がついたみたいだけど、なんだというのだろう。何か悪い笑みを浮かべている。
「どうやら、お困りみたいだね」
「そうね…」
困っていなければ助けてなんて言うわけがない。こいつは私を馬鹿にしているのか。
「じゃあさ、助けてあげるから…その代わりに私の頼み、聞いてくれる?」
頼みというのはろくなものじゃないんだろう。聞かなくても顔を見ればわかる。
悪党が悪巧みをするときにするような、汚い顔をしているんだから。
悪事の片棒でも担がせるつもりか。
とはいえ、ここでこいつの申し出を断って自分でこの状況をなんとか出来るかと言ったら、無理だ。
他の奴が通るのを期待するのも難しいし、そいつが私の姿に耐えられるかどうかもわからない。
そもそも誰かが通るまで待つのもきつい。吐きそうだし、枝に吊るされてるのも辛い。できれば今すぐ帰りたい。
となるとこいつの言うとおりするしかない。
ろくな頼みじゃないだろうけど、巫女に退治される程まずい事はしないはず。
屋台を出せるくらいだからそんなしょうもないことをするような馬鹿じゃないでしょう。
痛い思いをして大事な髪をごっそり失うよりはマシなはず。多分。
「…いいよ、手伝う。だから助けて」
私の返答を聞いて相手は笑う。さっきの汚い顔とはまた違う顔だ。暗いのに目が輝いて見える。
「そうこなくっちゃ。じゃあ今から助けてやるよ。どうすればいい」
「髪が枝に絡まっちゃって取れないのよ」
「なるほどね。ちょっと待ってて」
彼女はこちら側に来て絡まった髪を少し触ると「こりゃだめだね。切った方が早いよ」と言ってスカートについているポケットの一つに手を突っ込んであさり始めた。
「今日はハサミを持ってるから」
「じゃあ切っちゃって」
できれば無傷で済ませたかったけど、そこまで酷いなら仕方ない。早く帰って寝るためには少しの犠牲も必要だ。
「オッケー、じゃあ切るよ。すぐ終わるから頭を落っことさないように気をつけなよ」
頭の後ろからジョキジョキとハサミが髪を切る音がする。本当に切ってるんだ。
どうしてそこまで面倒な絡み方をしてしまったのやら。外に出たのは本当に失敗だった。
すぐにハサミの音は止み、頭を自由に動かせるようになった。
「あぁ…助かった…。ありがとう」
頭を首の上に戻し、私は礼を言う。
「じゃあ、これでそっちの頼みは聞いたわけだ。つまり今度はこっちの頼みを聞いてもらう番だな」
「頼みを聞きたいのはやまやまなんだけど…実を言うと今調子が悪くてね…。そっちの頼み、聞けそうも無いのよ…」
「そんなの見りゃわかるよ。別に急ぎの用事じゃないし、実際に頼むのはあんたが本調子の時にね」
見てわかるくらいに酷いのか。どおりで辛いわけだよ。
「そんなわけだからここに放って死なれても困るし、住処まで送ってやるよ」
住処まで送られるということはつまり私の住処の場所を教えることになってしまう。
余計な来訪者を増やしたく無い私としてはできるだけ誰かに住処を教えたりしたくないのだけど、立っているだけでとても辛い。
このまま一人で帰ろうとすれば彼女の言うとおりその辺で死ぬ…までは行かないまでも、途中で倒れるのは間違いない。
なら意地を張ってもしょうがない。
私は彼女の好意を素直に受け、肩を借りて帰ることにした。
住処に戻ると、彼女は自分の名前と山に住む河童であるという簡単な自己紹介をしたので私も同じ様に自己紹介をする。
「赤蛮奇…ね。とりあえず2、3日したら様子を見に来るよ。調子がよくなったならそっちから来てくれてもいいけど無理はするなよ。じゃ、私は帰るから。暖かくして寝なよ」
と言って帰った。
里で噂を聞いた時はあくどい商売をしてると言われてたけど、彼女…河城にとりはそんなに悪い奴じゃないかもしれない。
そう考え始めると悪そうに見えた交換条件を持ち出してきた時の顔も、実はそんなに悪い顔をしてなかったような気がしてくる。
そんな事を考えながら、私は眠りに就いた。
◆ ◇
「あ、来てくれたんだ」
2日後、私は河城にとりに会いに来た。
帰り際に彼女に言われた通り、私の方から彼女の住処にやってきたのだ。
体調は丸一日寝たら前日の不調が嘘のようにすっかりと良くなっていた。
「道に迷いそうだったけどなんとか」
本当は来るのを待ちたかったんだけど、助けてもらった身なのでこっちから行くことにした。
「人里と比べるとね。まあここまでこれるってことは具合はよくなったってことだ。よかったよかった」
「おかげさまで」
それから少し、話をした。
「前に里でお祭り騒ぎがあった時、蛮奇は何してたの?」
「私は住処にこもって知らん顔してたけど」
「じゃあ蛮奇はあの時の騒ぎを見てただけなのか」
「おかげで屋台に騙されずにすんだわ」
「ろくろ首受けのいい屋台を出せてればもうちょっと売り上げを伸ばせたわけだね。残念だよ」
話を通してお互いの事を少し知ると、にとりが本題を切り出してきた。
「さて、そろそろお返しをしてもらおうか」
何をさせられるのか、少し不安に思いながら、私はにとりに連れられて住処の奥へ行く。
そこには木の枠に巨大な刃を縄で吊るした大きなからくりがあった。
「なによこれ…」
ギラギラと光る大きな刃がとても不気味だ。
「これはギロチンつってね!昔、外の世界の罪人を処刑するために作られた機械だ!あの穴から頭を出して、綱を離すと刃が落ちてきて頭がポーンって飛ぶ!この簡単だけど考えられた仕組み!これは…すごいよ!」
目を輝かせて説明する姿はまるで子供のようで、微笑ましいのだけど。物が物なので笑うに笑えない。
「処刑って…私に何させるつもり…」
嫌いな奴を捕まえてこれで首を落とす手伝いをさせるとかじゃないよね。
「あ、別にこれで誰かを処刑しようってわけじゃないよ!」
にとりは私の不安を感じ取ってくれたらしく、はしゃぐのをやめ普通に話し始めた。
「あれはあの夏の騒ぎの、少し前のことだった。これの設計図が流れてきてね、見たら興味が湧いたから実際に作ってみたんだ。そうしたらすごく魅力的で、試しに刃を落としてみたら、それだけですごい迫力だった。だから一度でいいから実際に使ってみたくなったんだけど、本当に誰かの首を落とすわけにはいかないじゃん。だからとりあえず人形で我慢しようと思って、人形遣いのところに行って等身大の大きい人形をもらえないか聞きに行ったんだ。そうしたら理由を聞かれたからギロチンにかけたいから、って言ったらダメだ。って言うじゃん。自分が作った大事な人形をそんな使い方させられないって。あいつ、自分はボンボン投げてバンバン爆発させてるのに」
語るにとりははしゃぎこそしてないけど、その代わりに目がキラキラと輝いている。まるでギロチンの刃のように。
私が頼みを聞くと言った時と同じ目だ。
「で、これを使うことができないまま数日が過ぎて、気がつけば人里でお祭り騒ぎが起きてるから屋台を出した。これを使った見せ物ができてればきっと売り上げはもっと上がってただろうに。結局、実践できる人形を手に入れられないまま騒ぎは終わって、こいつで稼ぐ事はできなかった。でも稼ぎとか関係無しにこれを使いたい私は、その後もこいつを使うためにどうすればいいか考え続けた。首を落とされても死なないすごい妖怪でもいないもんか、って。そのとき私の耳に素晴らしい話が飛び込んで来た。殺しても死なない、とんでもない奴が竹林に住んでる、ってね。それを聞いた私は竹林に飛んで行ったよ。だが断られた。いくら死なないとはいえ痛いもんは痛いらしい。その代わり他にもう一人同じように死なない奴がいることを教えてもらった。私はそいつのところに飛んだ。しかしまあ当然断られた。やっと見つけた希望をあっさりと砕かれた私は、失意のままに帰ろうとしたがなんとなく帰りたくなかったからちょっと散歩してたら、首の無い体を見つけた。蛮奇を、あんたを見つけたんだよ」
にとりが語り終えた時、私は既に彼女が何を望んでいるのか。何を頼みたいのか。全て理解していた。
私の足は自然とギロチンに向かい、穴から頭を出しにとりが器具を固定してくれるのを待っている。
にとりのギロチンにかける情熱はよくわかった。これだけ熱くなれる物が私にはあるだろうか。
「ほら、にとり。早く」
「蛮奇…!」
留め具を閉めていくにとりはとても嬉しそうだけど、処刑機械であるこれをこんなに嬉しそうに扱うのは無い首を少し傾げたくなるがそんなことはどうでもいい。
私を機械に固定すると、にとりは刃を下ろすための綱を構える。
その姿を見て体に力が入る。
「いくよ、蛮奇…!」
一瞬の出来事だった。
にとりが綱を離すと、すぐさま木に刺さるドスッという音と共に刃が私の頭と体の間に落ちる
その音を合図に私は切断された罪人の気持ちを考えながら頭を切り離した。
私の頭が地面に敷かれたクッションの上にに落ちると、にとりが涙を流しながら手を叩いているのが見える。満足の行く斬首だったんだ。
袖で涙を拭いているが涙が止まっていないので意味がない。そんなにとりを笑おうとしたとき。
ふわりと。
私の視界が、青く染まった。
一面の青以外、何も見えない。泣きながら喜ぶにとりも、自分の体も、ギロチンも。全て青に遮られてしまった。
この青の正体は考えるまでも無い。私にはわかる。
何故こんな事になってしまったのか。
外しておけばよかったのに。
この青は、ギロチンによって真っ二つにされてしまった私のマントだ。
他に替えの無い、たった一つのお気に入りのマントだったのに。
大切なマントをこんな姿にされて、私はこの怒りをどこにぶつければいい。
マントの向こうで泣きながら喜んでいるにとりにぶつけるなんて、とてもできない。
ならどうする。
いや、どうもしない。どうでもいいや。
にとりは「迫真の演技ありがとう蛮奇!すごかった!ありがとう…!」と感謝の言葉を繰り返している。視界が遮られたままだから見えないけど、ときどき鼻をすする音が混じるから鼻を垂らしているんだと思う。
この幻想郷に私の能力を見て、ここまで感動してくれる奴が他にいるものだろうか。
こんな、臆病な人間を驚かすしかできない能力で誰かを感動させるなんてきっとこれから、死ぬまで無い。
それだけ貴重な物を見せてもらったんだから、マントが切られたぐらいの事でぐちぐち言うなんて馬鹿馬鹿しい。だから怒るのはやめよう。
代わりに、にとりに新しいマントを買ってもらおう。
屋台で相当もうけたんだからそれぐらい、きっと買ってくれるでしょ。
買ってくれなかったら、その時はこのギロチンでにとりの首を飛ばせばいいや。
それはそれでにとりも幸せだろうから。
「満足のいく斬首」って表現は笑った。
赤蛮奇も人畜無害なのかと思いきやラストの発想が妖怪らしいなーという感じ(それだけ行き場の無い怒りがあるのかもしれませんが……)
この内容ならもう少しコメディ寄りに書いても良かったかもしれません。
赤蛮奇のマントは裏地が青だね。