元弘三年(一三三三年)五月二十二日。
鎌倉の朝は、暁の光より血煙の方がはるかに濃いという惨状を呈していた。
いや、後醍醐天皇が鎌倉幕府打倒を企図した綸旨(りんじ)を全国に発してより、暁が血煙より濃くなるといったことが果たしていちどでもあっただろうか。この数年、とかく日本国はいくさの風に蝕まれている。
そして、今。
足利高氏の嫡男・千寿王(せんじゅおう)を担ぎ上げた足利と新田の連合軍が、引き潮の頃合いを狙って鎌倉西方の稲村ケ崎を突破したのは二十一日未明のこと。狙いはひとつ、幕府が本拠を据える鎌倉の陥落だった。彼らの攻勢によって、難攻不落を誇った切通しも今や破られてしまっている。連合軍は優勢を駆って鎌倉市街に乱入。殺戮と放火と略奪を欲しいままにするその姿は、飢狼の群れもかくやと思しき浅ましさである。
鎌倉への侵入を許したうえは、もはや幕府方に劣勢を覆すだけの余力もない。
連合軍は幕府軍の抵抗を次々と蹴散らし、着々と執権の館にまで迫りつつあった。
特に気をつけて耳を澄まし眼を凝らさずとも、辻々で斬られる者の痛苦の悲鳴、空の頂まで染めんばかりの黒煙が、絶えず耳目に溢れてくる。つい先程まで遠くにあった火焔の赤色が、二、三度の瞬きをするあいだに十歩分、二十歩分と迫りくるようにさえ思われる。火焔、血煙、悲鳴、怒号。弓弦の鳴り音に駒音。それが今の鎌倉を――鎌倉幕府百五十年の終わりを彩るすべてのものだったのである。
敵勢迫るなか、婦女らは泣き悲しんでいたずらに叫びまわる。
男たちは弓矢を手に取り、最後のひといくさと虚勢じみた雄叫びを上げる。
だが勇んで敵前へ出ていった者たちは、誰ひとり戻ってはこない。必死の勇戦をしているのか、それとも兜首と見られてとっくに敵の手柄となっているのか。解りはすまいが累々と積み重なるそれらの死こそが、もはや幕府執権たる北条家の滅亡が避け得ないことであるというのを、何よりもまず裏書きしていた。
だから邸のうちにある幕府方の総大将、相模入道高時は、甲冑を身には着けぬ鎧直垂(よろいひたたれ)の姿のまま、妙な安堵を胸にして、ただ一心に画(え)に筆を走らせていた。いつか見たことのある気がする、寅丸某と申す乞食坊主の肖像を描いているのである。かの坊主は黄金(こがね)の髪をし、そのうえ自身を毘沙門天とか称していて、そのとき高時はまるで本気になどしなかったのだが、この滅亡の瀬戸際に及んでようやくかの者を信心する決意がついたということであろうか。
けれど、
「否、違う」
と、高時は筆を投げ出した。
筆先から垂れた墨が、ちょうど画のなかの寅丸の眼を真っ黒く汚す。
これは単なる戯芸である。信じもせぬものをあえて画に起こすというつまらぬ戯れだ。斯様なことをしても、結局、北条一族は滅びるのだ。そう思うと、何か最後に残って喉につかえていた物が、ぽろりと取れてしまったような気がした。呵々たる笑いのもと、彼はまったく髪の毛を剃り上げられた自身の頭をつるりと撫で上げる。齢二十四の折、大病を患ったために快癒を願って出家した証だ。だが実際はどうであろう。自分は闘犬や田楽に身を狂わせて政(まつりごと)を顧みることなく、それが此度(こたび)、新田や足利らの離反に繋がった。
仏の加護得ても、しょせん自分はこの程度なのだ。
何が執権北条家か、何が得宗(とくそう)たるものか。
この程度であるのが解っているからこそ、ただ芸事の世界にのみ没頭をしていたかったというのに。けれど、それももう今日で終わりなのだろう。皆、敵に攻められ死ぬのである。
焼かれ殺されていく人々の悲鳴を遠くに聞きながら、高時は手足をぐんと伸ばし、『大』の字になってごろり寝転んだ。途中まで描いた仏画には、もう露ほどの興味も失くしている。しょせんは闘犬狂い、田楽狂いと呼ばれるだけの暗愚であると、厭というほど自覚をしている。自覚をしているからこそ、こうして諦めもつくというものだ。
ふあ、と、とても幕府方の総大将とも思われぬほどに、彼は呑気なあくびを見せた。
自身の腕を枕にしながら少し姿勢を入れ替えれば、長らく過ごしてきた執権邸の間に、散乱し引きちぎられた文書が波々とうち捨てられているのが眼に入る。訴状も御行書も、今では鼻紙ほどの価値もあるまい。そしてこれから炎に巻かれて灰になっていく。
となると、彼もまた自身の身の終わりを考えなければならなかった。
闘犬試合のため全国から選りすぐって集めさせた犬どもには、すでに毒餌を喰わせてある。お抱えの田楽芸人たちは、もうどこに逃げたものか見当もつかなかった。やはり財を蕩尽して収拾した琵琶やら琴やら鼓やらといった名器宝器も、彼らが持って行ってしまったことだろう。
いま、高時はまったくひとりであった。
「妖霊星、妖霊星……」
ふと、口をついて唄が出た。
いや、何らか唄と呼ぶにしてはいささか不気味な節回し。それでも高時はその唄を止めることができないのである。やはり幾年か前、――……夢か現かという頃合いに、彼の眼の前に現れた鴉天狗たちが口にしていた唄だ。妖霊星(ようれいぼし)、妖霊星。高時を取り巻いて、射命丸と姫海棠と名乗る天狗たちはそう唄っていた。世に凶事あるとき夜空に輝くという妖霊星、その唄を。高時自身は、その妖霊星とやらを見たことはない。見たことこそなかったが、かつての彼の目前に現れ、さも田楽舞の達者であるごとく振る舞ったふたりの少女の天狗は、あたかも今日のこの亡びを予見し、告げに来たのだろう。何たる魔縁であることか。
とはいえ、高時はなおそれを悲しみとはしなかった。
幕府が滅び、自らが滅ぶればこそ、斯様な唄をひとつ知ることができたのである。
何とも皮肉な歓喜であった。歓喜であったから、彼は腹を抱えて大笑いし、どんどんと床を打ち叩いた。涙が頬を伝って顎を濡らした。そのうち、自分ひとりが取り残されているというのがよく実感されてきた。
「誰か、誰かある」
高々と人を呼ばわった。
だが、誰も出てこない。
首をぐうるりと巡らして、辺りを何度か見回した。相も変わらずいくさの喧騒が遠くから、しかし確実に、ひしひしと近寄ってくる気配だけが在る。あとは、ほとんど沈黙であった。
さすがに、このときの孤独は痛々しい。
押し破るかのごとく妻戸をくぐり、彼は邸中を歩き回る。
彼の側近たちのうち主だった者らは、もう戦場に出てしまっている。針の冷たさのように静まり返った邸のさなか、ごくりと息を呑みこんだ。
「誰か。誰かある。守時(もりとき)は死んだ。高資(たかすけ)は未だ戦うておるだろう。貞顕(さだあき)の行方も解らぬ。……円喜(えんき)は? 円喜はどこじゃ?」
姿見えぬ重臣たちの名を、幾度か呼ぶ。
何の言葉も帰ってはこず、木の洞(うろ)に語りかけるかのようにぼうぼうと風だけがくぐり抜けた。
「妖霊星、妖霊星」と唄いながら、高時はまた邸のなかを歩きまわる。
そのうち、一個の蔵にたどり着いた。敷地の端に位置しているような蔵である。普通であれば武具や馬具など収めておくのだろうが、高時のそれはやはり闘犬のための道具であるとか楽器の名品であるとかばかりをしまい込むための場所と化していた。なれどその蔵も、もはやほとんど空であった。まるで墓荒らしでも忍びこんだように、箱という箱、櫃という櫃が暴かれ、ひっくり返され、中身を持ち去られてしまっている。「ふ、ふ」と、うすら笑いばかりが浮かんできた。
昼でもなお薄闇に沈む蔵のなかへ、彼はゆっくりと入っていく。
足取りはいささかおぼつかない。しかし、どういうわけなのか、この入道は決して歩みを止めなかった。止めてはいけないような気がしていた。あたかも彼の唇と舌とが、天狗の語る妖霊星の唄に導かれていたように、彼の足取りもまた、この闇のなかにある『何か』に無性に引きずられるごとくになっていたのかもしれない。
散乱する容器や箱にときどきつまづきながらも、入道はぽつぽつと点を踏むようにして歩いて行った。蔵のなかでは風もほとんど吹き込んでこない。遠くで響くはずのいくさの音々も、時とともにあんなにも濃くなっていた血煙も、まるで在りはしない。ひんやりとした暗みだけが、嬰児(みどりご)を抱く母のように彼を包みこもうとしていた。
そうして。
彼は、蔵のもっとも奥にたどり着いた。
見えない糸を繰られて引かれるように、彼の眼と手とはひとつの箱に伸びていく。
「妖霊星、妖霊星……」と、うなりながら手を伸ばす高時。漆塗りの箱であった。それほど華美でもないながら、金で蒔絵も施されている。孤独であることの痛々しさも忘れて、高時はその箱に手を伸ばした。留め紐をゆっくりと解き、箱を開ける。
中身を検め、思わず息を呑んでしまった。
そこにあったものは、一個の『面』であった。
少女を象った面であった。
蓋を放り、その面を高時は手に取る。
そして縁の部分を指でなぞったり、埃や傷などありはせぬかと軽くこすってみたりもした。しかし、何の意味もない行為であった。少女の面はぜんたいに古びていたが、それはまるで瑕疵となる気配もない。むしろ長く年経ることで蓄え、研ぎ澄ましてきた利剣のごときうつくしさ、生々しいまでの輝きを、いっそうに強めているかのごとく思われたのである。
顔を近づけ、その面をよく観察してみると。
額から頬にかけて描きこまれた髪の毛の筋には、朝露に濡れ光る溌剌たるきらめきが内に宿っているようだ。柔らかげな稜線を描く輪郭は、表情の裏に持ち合わせた慈しみを見る者に与えずにはおかない。薄い肉付きのためにしゅっと通った様子の鼻筋も、睫毛の一本一本の先まで詳細に描かれた眼も、そのすべてが――あたかも実在するひとりの少女から、生きたまま容貌を写し取ったかのように、可憐と呼ぶことができるのである。
むろん、面であるから、人が被れるつくりになっている。
その『少女』を裏返し、両眼の部分にくり抜かれている穴を覗きこもうとして、「ああ」と高時は声を上げた。この面の来歴を、急に思い出したのである。
「これなる面は、猿楽の祖たる秦河勝(はたのかわかつ)の手になる品にして、かの聖徳太子に献じられたという逸品にござる」
そのように、高時へこの少女の面を献上したのは、相伴衆のひとりとして仕えていた佐々木道誉(ささきどうよ)だ。正中三年(一三二六年)の高時出家の折、それに併せるかたちでやはり出家剃髪した近江(おうみ)の御家人である。件の面は、そもそも出家のきっかけとなった大病がすっかり快癒した祝いと称して、道誉から高時へと贈られたものであった。そのとき、道誉とこんな話を交わしたのを思い出した。
「ときに高時さま、付喪神というものを御存知にござりまするか」
「付喪神、とは。はてな」
剃髪してより日が浅く、頭部の地肌を撫でる剃刀の硬さ冷たさも未だ生々しく憶えていた二十四歳の高時は、どこかぼうとしながら首を傾げていた。
「いかに下らぬ器物とて、長き時を経れば神にも妖怪にも変ずるという考えにござりまする。称して付喪神と。この道誉、検非違使として京の都に身を置いておりました折、古道具の妖怪どもが百鬼夜行を成して、洛中洛外をのし歩いているという噂をたびたび耳に致しました。ま、嘘か真かは判じかねまするが、それほどまでに面白き器物の世にあるものならば、ひとつ、この道誉が見極めてやらんと思い、……」
と、道誉は漆塗りの箱のなかの少女の面を指したのである。
その頭は、やはり剃髪のためにつるりとしている。
「方々を探し回り、さる古刹の庇護を受けたる座(ざ。中世の日本において、権力者の庇護を受けて排他的な特権を享受した同業者の組合)の猿楽師から譲り受けましたるものが、この女子(おなご)の面にござりまする」
「では、この面が付喪神であるとそちは申すのだな」
「左様にございまする。面霊気なる妖怪を宿したこの面は、演者の舞いに、一種、神気とも妖気ともつかぬ凄みを宿らしむるとか。繰り糸で引くごとく、人の“こころ”を思うがままに動かすことできるとか。それこそまさに、付喪神が人を畏れさせる証かと覚えまする」
道誉は、得意満面であった。
上体を反らし、顎の先を高時に突きつけんとするごとくの不遜ささえ伴って。
報せによれば、この道誉もまた足利方に加担して北条に叛旗を翻したという。
今にして思えば――佐々木道誉という人物は、何より当代一の婆娑羅(ばさら)と名を馳せるほどの男なのだ。華美にして派手ぶりを好み、旧い権威を嘲笑する、そこに粋を見出す振る舞いが婆娑羅なのだ。田楽狂いの高時に、あえて古ぼけた猿楽面を献上するというこの時点で、よもや道誉の内には野心の火種がくすぶっていたのではあるまいか。
真相こそ解らぬが、いずれにせよ。
高時の、道誉から献上された面への興味は、その当時は直ぐに途切れてしまった。
彼が好きなのは田楽であって猿楽ではなかったのだ。それにそのときは、道誉から献上されたこの面の『秦河勝の作にして、聖徳太子の所用』という出自すらも疑わしいと思ったし、そもそも単なる古くさい少女の面としか思われなかったのである。
だというのに、今の高時は違った。
亡びのときに瀕した彼の境涯こそそうさせたか、この蔵に踏み込むまで記憶の縁にさえ引っ掛かっていなかった少女の面――面霊気なる妖怪を宿すという面に、あたかも眼には見えぬ糸に引き寄せられたかのごとく、高時の心は吸いつけられてしまったのである。
両手でもって愛おしげに、高時は少女の面を撫でた。
遠くからかすかに入り込んでくる光が面に当たったとき、『少女』の眼がまるで濡れているようにも思える。ひとりの人が泣いているみたいに見えたのだ。『少女』を慰める心持ちか、指先でその眼を拭う高時。一瞬、ひんやりとした感触が指先に宿り、しかしそれはこの蔵の薄闇のせいで面までも冷たくなっているのだということに気づく。生けるばかりの顔つきをしたこの『少女』のせいで、高時の感覚もまた、まったく翻弄されてしまっていたのかもしれなかった。
「そちも、ひとりか。ひとりで、ここで、朽ちていくのか……」
かすれた声で、面に語りかける。
もし本当に妖怪が宿っているとしても――やはり面は、器物である。高時の訴えに言葉を返すこともしなければ、うなずきもしない。けれど彼は、それでもなぜか満足であった。どこか物憂い微笑が彫り込まれ、それを絶えず向けてくるこの面が、今は彼にとって唯一の『希望の面』であるとしか思えなかったのである。
そうして、面は被らねばその命の意味がない。
このままに死なせてしまうは甚だ惜しかった。
高時はいまいちど面を裏返し、涙の跡の未だ残る自分の顔に、『少女』を被せようとした。ゆっくりゆっくりと、まるで初めて女の唇に自分の唇を押し当てたときを思い出すかのように、慎重な手つきであった。併せるように、鼓動も早くなっていく。全身に熱い塊がみなぎっていくような気がする。と、そのときであった。
「殿さま!」
聞き慣れた声が、蔵の外から響いてきたのである。
はッ、として、高時は振り向いた。
途中まで顔に近づけていた少女の面は――何か後ろめたいことをしていたような気になって、直ぐに手を下ろしてしまった。今にみんな死んでしまうなら、そのような羞恥さえ何の意味もないものを。
だらりと垂らした腕の先に面を引っかけたまま、待ち構える高時。
散乱せる箱の山につまづかぬよう、用心深く蔵に入り込んで、声の主は、
「殿さま、高時さま……」
もういちど高時のことを呼ばわった。
最初より、何だか弱々しい声である。
「そちは、」
「九十九(つくも)にございまする。田楽師の」
おお、と、高時は眼を見開く。
彼のもとに現れたのは、自らのお抱えの田楽師のひとりであった。
揉烏帽子の下の白髪が、煤みたいな物でちょっとばかり汚れているのが眼についた。もしかしたら火勢強まる鎌倉の街を逃げ回っていたのかもしれない。皺の深い老いた顔から、どんぐりめいた小ささのふたつの眼が、懸命に高時を見つめている。
高時は、自分より少し背の低い九十九に併せ、身を屈ませた。
「いかにした、九十九。早う逃げよ。このままでは、この館まで火に巻かれるぞ。そちまでもが足利や新田の犬どもに殺されるぞ」
が、九十九はかぶりを振るばかり。
「大抵の芸人たちはもはや逃げおおせました。重臣の方々も、東勝寺(とうしょうじ)に退いてござります。さ、殿さまもお早くお逃げください。皆さま、高時さまをお探しにございました」
そう言って、跪くかのように九十九は高時の手を取る。
何の断りもなくそんなことをするのは本当ならば無礼だが、この期に及んで礼義作法を云々している場合ではなかった。こくこくと、手を握られたまま高時はうなずく。ひとまずは、確かにこの田楽師の言う通りである。ひとりのまま北条の邸で死ぬのも味気なかろう。そうは考えていても、彼のうなずきはどこか“心ここにあらず”の風に吹かれていた。
「いかがいたしました」
暗みのなかでも異変に気づき、九十九が訊ねてくる。
高時は、
「この蔵に収めてあった数々の名器宝器が、今やいずこに持ち去られてしもうたものか、心残りじゃ」
と呟く。
すると、九十九はにこりと笑い、
「大半のものは、他の芸人たちが持って行ってしまったようですが……それでも三つばかり、今、この九十九の手に残っているものがござりまする。東勝寺にてお目に掛けますゆえ、さあ、今はお急ぎを!」
と、答えたのである
高時は、少女の面を握り締めた。
――――――
鎌倉の北にある東勝寺は、北条氏歴代の菩提寺として建立された寺院である。
いざ戦いのときに供え、砦としての堅固さをも備えた場として整備されていたはずであったが――、しかし、今の亡びに及びては。
「おのれ、足利。おのれ、新田……」
と叫ぶ声に、女たちのすすり泣きばかりが響く、暗澹たる一場とのみ成り果てている。
それも無理からぬことで、本堂には、鎌倉市街の各所で戦いに敗れ、退却してきた味方の将兵がひしめいているのである。北条がその財をなげうって築きあげた寺であるから、本堂ひとつ取っても、百人以上を易々と容れることのできるほどの広さではある。けれど今では北条一族と、それに家臣を加えた数百人で、本堂といわず境内までもがすっかり埋め尽くされていた。さらにそのうちには、戦いで傷を負った者たちも決して少なくはない。田楽師の九十九に連れられてここまでやってくるあいだ、高時は地面に点々とする血の跡を幾つも眼で拾った。
女たちの悲嘆、男たちの悔しさ。
重臣の筆頭である長崎円喜とその子の高資、そして金沢貞顕らもうち揃い、濛々たる黒煙に包まれる鎌倉の空を見上げていた。負傷せる者は次から次へと息絶え、やがて物言わぬ肉の塊となっていく。垂れ流される血のにおいさえ生の痕跡である。死者たちが増えていくにつれ、その生の痕跡も途絶えていく。生者たちは、ただ黒煙の隙間から太陽を探し出そうとするみたいに、じいと外ばかり見つめていた。
「ああ、お邸が……!」
そのうち、未だ歳若いひとりの少女が、遠くを指して声を挙げた。
瞬時、皆も「おお」とうめき、そちらを向いた。本堂からまろび出んばかりの勢いで、人々の眼が注がれる。つい先程まで高時が身を置いていた、北条執権邸の方角であった。すすり泣きの声々、屈辱のあまり床を叩く拳の音。鎌倉攻めの連合軍が由比ヶ浜より放った火は、ついに彼らが長らく親しんだ北条の邸さえも喰らい始めたのである。こうなった以上、敵もいよいよ間近に迫っている。この東勝寺でさえ、焔に呑まれて灰燼に帰するのは時間の問題であろう。
一族の者らに取り囲まれるようにして本堂に在った高時は――ますます現実味を帯びてくる滅亡のときにもなお、さっき蔵で見つけた少女の面と戯れるに余念がなかった。閨(ねや)で妾を愛撫するごとく指先で髪を梳り、情事の後のように唇の膨らみをつついてやる。そうすると、地獄でさえも地獄でなくなる心地がする。火のにおいや矢風が頻々と届くようになっても、何も喪わずに済むような気がするのである。
だが、そのような高時に、一族の人々が向ける眼は冷然たるものであった。
よくよく冴えかえった太刀が首筋に這わされるように、冷徹で非情なものであった。
それは暗愚を見る眼だ。愚かな男を見下す眼だ。このような男に引きずられて死なねばならぬことへの、何よりの後悔の眼だ。
しかし、高時はいっこう構わなかった。
皆、いったい何を見てきたのであろうと彼は思い、そして心中、『少女』へ語りかける。目前に迫りくる死も、幕府百五十年の終焉も、わしのごとき無能を執権に据えたときからそれと定まっていたようなものを。言うなれば、そちたちは客に過ぎぬ。わしの滑稽な舞を見てそれを愉しむ客に過ぎぬ。
すッ、と、高時は立ち上がった。
それを制するように、長崎円喜が取りすがる。
高時の御名を隠れ蓑のようにして幕政を壟断(ろうだん)せる奸臣のひとりだが、さすがにここでは殊勝だった。堅肥りの身体を肩からぶるりと震わせて「高時さま。潔く、潔く。お覚悟をせねばなりませぬ」と訴えてくる。
「何を。何を覚悟せよと申す」
「もはやわれら北条に勝ち目はありませぬ。足利新田の犬めらに手柄をくれてやる前に、首でも腹でも掻っ切って果てましょうぞ」
と言いながら、円喜は腰に佩いた小太刀の柄に手を掛ける。
が、……それでも彼は、決して刃を抜こうとせぬ。その手もまた指先までぶるりと震えているのだった。彼を見つめている他の者らもそうだ。潔く自害の道を選ばねばならぬと解っているのに、しかし、怯えが躊躇いを呼び込んでいる。そのことに、高時は目ざとく気づいていた。自分を侮る者らも、しょせんはこの程度であったのだと。
自らに向けられていた侮蔑を噛み砕き、そして吐き出すかのように、高時は言う。
「何じゃ、そのようなことか」
その言葉に、「わっ……」とひときわ泣き声が高くなった。
けれど高時は構うことなく、「良いか、皆」と声を上げる。
「この世に地獄がもしあるなら、今このときがその地獄であろうが。喜べ、喜べ。われらは生きながらにして地獄をこの眼で見ておるのじゃ。斯様なことは、足利新田には決して叶うものではあるまい。何たることか、数多の画で見た地獄よりも、鎌倉の空を塗る焔の赤きこと」
からからと、高時は笑った。
腹を抱えて笑った。今までの生涯のすべてを掛けて笑った。
自らの暗愚の治世も、それと知りながら政の場に自分を据えた周囲の馬鹿者たちも、迫りつつある敵勢も、そのすべてを嘲笑するように笑った。そのうち、焔を上げる北条邸から煙が入り込んでくる。咳き込み、涙が出てきた。それでもなお笑った。
「われら地獄を見せてもろうたうえは、どうしても返礼をせねばならぬ。腹切ることとて返礼でなければならぬ。そうであろう」
誰も、答えられはしない。
高時の言葉が――たぶん、彼なりの『敗者の意地』のような何かであるというのは、重々に承知であったのだろう。しかし、顔にも言葉にもそれはなかった。明瞭なる滅亡の足音が、彼らを縛りつけてしまっている。
「九十九!」
と、高時は本堂の隅に縮こまっている田楽師を呼ばわる。
やはり逃げ伸びていた幾人かの芸人と肩を寄せ合っていた彼は、おそるおそると主を見遣った。
「最後の舞いじゃ。面はある。琵琶や琴や、鼓もある。楽を奏せよ」
芸人たちは、互いの顔を見合わせた。
そして――各々で抱き締めるようにしていた楽器の名品に眼を落とす。
「誰の者かも知れぬが、借りるぞ」
床にうち捨てられていた、誰かしらの女の小袖を高時は手に取った。
そしてそれを羽織り、あの少女の面をついに被ったのである。
高時と『少女』の唇は、面の裏でついに触れあった。
「冠者は妻設けに来んけるわ、かまへて二夜は寝にけるは、……」
高時は、唄った。
面を被り、肩をわざとらしく怒らせ、手を振りかざし、唄い、踊った。
「三夜といふ名の夜半ばかりの暁に、袴取りして逃げにけるは、……」
夜這いに行った若い男が三夜目までの情事に及ぶものの、夜が明けると相手が醜女だったことに気づき、袴を取って大急ぎで逃げ出す。そんな、艶ある滑稽歌であった。その唄を高時は唄い、そして舞った。作法だとか流派だとかはもう関係がない。田楽とか猿楽とかいったものの違いもどうでもよかった。ただ彼は唄い、舞い続けた。今このときの破滅を予告した鴉天狗に対し、妖霊星への返歌であるように舞い続けた。やがて、芸人たちもまた膝を進めてやって来る。高時所用の宝器名器、どうにか持ち出した三種を手にしながら。琵琶が鳴り、琴が引かれ、鼓が叩かれる。死の間際にのみ現れる、もの悲しい滑稽さであった。
そして、一族の者らは。
「あ、は、は。ははは……。お先に、失礼致しまする」
「来世で」
「また来世で」
「七生ののちも、相まみえとうございまする」
「さようなら」
「お先に――――!」
高時の歌舞で決心がついたか、ここを自らの地獄と定めてか、ひとり、またひとりと小太刀を握り締め、腹といわず首筋と言わず、銀に光る刃を突き立てていった。綾な仕立ての着物も、勇壮な拵えの大鎧も、噴きだした鮮血に濡れそぼり、赤色に溺れて黙していく。死にゆく彼らは、なぜか皆々、何の悔恨も抱いておらぬように見えた。高時の舞を目の当たりにし、まるで新たな希望を面としてその顔に被せられたかのように、笑い、喜び、死んでいったのである。面霊気の放つ、眼には見えぬ神気か妖気か。それに感情を手繰られてか。やがて高時が舞を終える頃には、真っ赤な真っ赤な沈黙が――血の海に突っ伏し息絶えた人々だけが残された。誰もみな、安らかであった。苦悶や屈辱など、かけらほども残ってはいなかった。暗愚である自分が皆に施し得た、これがせめてもの善であろうかと高時は思う。
「九十九」
面を外し、小袖を脱いで、高時は言った。
「ここも、みな、静かになり過ぎてしもうた。また場所を移ろう」
九十九と芸人たちは、無言に幾度もうなずいた。
――――――
東勝寺の、さらに北方。
そこには丘とも山とも取れぬ、岩の連なりばかりがある。
苔や羊歯(しだ)に覆われた岩肌の途中、ぽっかりと空いた横穴は、辺りから生い茂る草叢や樹木に覆い隠されて、遠くからちょっと見ただけでは、横穴があるということさえ解らないだろう。
高時と芸人たちは、その横穴の奥に移っていた。
墓穴めいた場所である。
すでに鎌倉市街からはだいぶ離れている。空を覆う黒煙と、その根にある火焔はやはりはっきりと見えるが、いくさの声はかすかに聞こえてくるばかりで、心乱すだけのことはない。
「さて、これならば、ようやく死ぬにも値しよう」
呟いて、高時は小太刀を抜き放つ。
ぎらりとした刃の色は、どこか奇妙な艶めかしささえ持っている。
ふ、と、高時は笑った。死ぬことへの恐怖は元よりなかった。生涯のうち、彼が持っていたものとては、ただ埋めようのない空虚ばかりであった。それをこの滅亡の瞬間にこそ埋め合わすことができたのである。だから、この瞬くばかりの彼の『恋』――少女の面への憧れも、まったく甲斐のないことではなかっただろう。そして、姿さえ解らぬ面霊気なるものの力によって、自らもまた死することできるだろう。
「殿さま……」
覚悟を決めた高時のかたわらで、しかし、九十九は悔しげであった。
「最後の最後に歌舞のお供をできたこと、身に余る悦びにございました。なれば、われらもここで死にまする。これらの面や楽器とともに」
「許さぬ」
刃の切っ先を己の腹に向けながら、高時はにいと笑って九十九たちを見る。
「これらの面や楽器の名品。人の心を惑わすもの憑いておる。なればこそ、それらが妖しき振る舞いせぬように扱えるのも、そちたち芸人たちだけじゃ」
はあ、と、高時の溜め息。
微笑したその顔は、東勝寺で一族の者たちが死んだときの表情にそっくりである。
「信濃諏訪に、わが北条に仕えし一族がある。皆はその縁を頼って落ち延びよ。そして、……」
すでに皆が手にする琵琶と琴と鼓の名品。
それに九十九に預けられた、面霊気の宿るという少女の面。
それらを順に見回して、告げる。
「琵琶の『弁々』、琴の『八橋』、鼓の『雷鼓』、そしてその猿楽面。これらをそちたちに賜う。いずれまた世の人のこころ動かし、耳目を愉しますこともあろう」
言って、高時は、なに躊躇うことなく腹に小太刀を突き立てた。
わッ、……と、芸人たちの嗚咽が響いた。
――――――
『太平記』に曰く。
元弘三年、五月二十二日。
この東勝寺の戦いで自害せる者の数は、北条一族が二八三人、家臣らが八七〇人に及んだ。相模入道こと北条高時は、一族のなかでももっとも最後に死んだといわれる。三十一年の生涯であった。そして今日、高時が死んだとされる横穴は、『腹切りやぐら』と称されている。
――――――
九十九が無事に信濃諏訪にたどり着いたのか、それを知る者は誰も居ない。
しかし、――ここにひとつ、確かに言えることは。
建武二年(一三三五年)七月、北条高時の遺児である北条時行が、信濃で諏訪頼重に擁立されて建武政権に叛旗を翻し、鎌倉幕府再興を目指した『中先代の乱』という戦いが起こったということである。
そしてこの乱の討伐をめぐり、かねてより政治的に対立の度を深めていた足利尊氏と後醍醐天皇の軋轢が一気に表面化する。加えて、折から不満の声が高かった公家と武家の恩賞分配の不公平や、皇位継承に絡む朝廷内の権力闘争もあり、日本国は一天両帝の南北朝時代に突入。その後、およそ六十年近くに渡り、血で血を洗う抗争をくり広げることになるのだった。
あるいはその眼で北条氏の滅亡を垣間見た面霊気が、『諏訪の神々』のこころをも動かしたのかもしれない。元より猿楽や田楽は、寺社の庇護を受けて発展してきたという歴史を持っている。そして神々が諏訪の大祝たる諏訪氏に決起を促し、その後の歴史に関わったということも、もしかしたらあったのかもしれないのである。
鎌倉の朝は、暁の光より血煙の方がはるかに濃いという惨状を呈していた。
いや、後醍醐天皇が鎌倉幕府打倒を企図した綸旨(りんじ)を全国に発してより、暁が血煙より濃くなるといったことが果たしていちどでもあっただろうか。この数年、とかく日本国はいくさの風に蝕まれている。
そして、今。
足利高氏の嫡男・千寿王(せんじゅおう)を担ぎ上げた足利と新田の連合軍が、引き潮の頃合いを狙って鎌倉西方の稲村ケ崎を突破したのは二十一日未明のこと。狙いはひとつ、幕府が本拠を据える鎌倉の陥落だった。彼らの攻勢によって、難攻不落を誇った切通しも今や破られてしまっている。連合軍は優勢を駆って鎌倉市街に乱入。殺戮と放火と略奪を欲しいままにするその姿は、飢狼の群れもかくやと思しき浅ましさである。
鎌倉への侵入を許したうえは、もはや幕府方に劣勢を覆すだけの余力もない。
連合軍は幕府軍の抵抗を次々と蹴散らし、着々と執権の館にまで迫りつつあった。
特に気をつけて耳を澄まし眼を凝らさずとも、辻々で斬られる者の痛苦の悲鳴、空の頂まで染めんばかりの黒煙が、絶えず耳目に溢れてくる。つい先程まで遠くにあった火焔の赤色が、二、三度の瞬きをするあいだに十歩分、二十歩分と迫りくるようにさえ思われる。火焔、血煙、悲鳴、怒号。弓弦の鳴り音に駒音。それが今の鎌倉を――鎌倉幕府百五十年の終わりを彩るすべてのものだったのである。
敵勢迫るなか、婦女らは泣き悲しんでいたずらに叫びまわる。
男たちは弓矢を手に取り、最後のひといくさと虚勢じみた雄叫びを上げる。
だが勇んで敵前へ出ていった者たちは、誰ひとり戻ってはこない。必死の勇戦をしているのか、それとも兜首と見られてとっくに敵の手柄となっているのか。解りはすまいが累々と積み重なるそれらの死こそが、もはや幕府執権たる北条家の滅亡が避け得ないことであるというのを、何よりもまず裏書きしていた。
だから邸のうちにある幕府方の総大将、相模入道高時は、甲冑を身には着けぬ鎧直垂(よろいひたたれ)の姿のまま、妙な安堵を胸にして、ただ一心に画(え)に筆を走らせていた。いつか見たことのある気がする、寅丸某と申す乞食坊主の肖像を描いているのである。かの坊主は黄金(こがね)の髪をし、そのうえ自身を毘沙門天とか称していて、そのとき高時はまるで本気になどしなかったのだが、この滅亡の瀬戸際に及んでようやくかの者を信心する決意がついたということであろうか。
けれど、
「否、違う」
と、高時は筆を投げ出した。
筆先から垂れた墨が、ちょうど画のなかの寅丸の眼を真っ黒く汚す。
これは単なる戯芸である。信じもせぬものをあえて画に起こすというつまらぬ戯れだ。斯様なことをしても、結局、北条一族は滅びるのだ。そう思うと、何か最後に残って喉につかえていた物が、ぽろりと取れてしまったような気がした。呵々たる笑いのもと、彼はまったく髪の毛を剃り上げられた自身の頭をつるりと撫で上げる。齢二十四の折、大病を患ったために快癒を願って出家した証だ。だが実際はどうであろう。自分は闘犬や田楽に身を狂わせて政(まつりごと)を顧みることなく、それが此度(こたび)、新田や足利らの離反に繋がった。
仏の加護得ても、しょせん自分はこの程度なのだ。
何が執権北条家か、何が得宗(とくそう)たるものか。
この程度であるのが解っているからこそ、ただ芸事の世界にのみ没頭をしていたかったというのに。けれど、それももう今日で終わりなのだろう。皆、敵に攻められ死ぬのである。
焼かれ殺されていく人々の悲鳴を遠くに聞きながら、高時は手足をぐんと伸ばし、『大』の字になってごろり寝転んだ。途中まで描いた仏画には、もう露ほどの興味も失くしている。しょせんは闘犬狂い、田楽狂いと呼ばれるだけの暗愚であると、厭というほど自覚をしている。自覚をしているからこそ、こうして諦めもつくというものだ。
ふあ、と、とても幕府方の総大将とも思われぬほどに、彼は呑気なあくびを見せた。
自身の腕を枕にしながら少し姿勢を入れ替えれば、長らく過ごしてきた執権邸の間に、散乱し引きちぎられた文書が波々とうち捨てられているのが眼に入る。訴状も御行書も、今では鼻紙ほどの価値もあるまい。そしてこれから炎に巻かれて灰になっていく。
となると、彼もまた自身の身の終わりを考えなければならなかった。
闘犬試合のため全国から選りすぐって集めさせた犬どもには、すでに毒餌を喰わせてある。お抱えの田楽芸人たちは、もうどこに逃げたものか見当もつかなかった。やはり財を蕩尽して収拾した琵琶やら琴やら鼓やらといった名器宝器も、彼らが持って行ってしまったことだろう。
いま、高時はまったくひとりであった。
「妖霊星、妖霊星……」
ふと、口をついて唄が出た。
いや、何らか唄と呼ぶにしてはいささか不気味な節回し。それでも高時はその唄を止めることができないのである。やはり幾年か前、――……夢か現かという頃合いに、彼の眼の前に現れた鴉天狗たちが口にしていた唄だ。妖霊星(ようれいぼし)、妖霊星。高時を取り巻いて、射命丸と姫海棠と名乗る天狗たちはそう唄っていた。世に凶事あるとき夜空に輝くという妖霊星、その唄を。高時自身は、その妖霊星とやらを見たことはない。見たことこそなかったが、かつての彼の目前に現れ、さも田楽舞の達者であるごとく振る舞ったふたりの少女の天狗は、あたかも今日のこの亡びを予見し、告げに来たのだろう。何たる魔縁であることか。
とはいえ、高時はなおそれを悲しみとはしなかった。
幕府が滅び、自らが滅ぶればこそ、斯様な唄をひとつ知ることができたのである。
何とも皮肉な歓喜であった。歓喜であったから、彼は腹を抱えて大笑いし、どんどんと床を打ち叩いた。涙が頬を伝って顎を濡らした。そのうち、自分ひとりが取り残されているというのがよく実感されてきた。
「誰か、誰かある」
高々と人を呼ばわった。
だが、誰も出てこない。
首をぐうるりと巡らして、辺りを何度か見回した。相も変わらずいくさの喧騒が遠くから、しかし確実に、ひしひしと近寄ってくる気配だけが在る。あとは、ほとんど沈黙であった。
さすがに、このときの孤独は痛々しい。
押し破るかのごとく妻戸をくぐり、彼は邸中を歩き回る。
彼の側近たちのうち主だった者らは、もう戦場に出てしまっている。針の冷たさのように静まり返った邸のさなか、ごくりと息を呑みこんだ。
「誰か。誰かある。守時(もりとき)は死んだ。高資(たかすけ)は未だ戦うておるだろう。貞顕(さだあき)の行方も解らぬ。……円喜(えんき)は? 円喜はどこじゃ?」
姿見えぬ重臣たちの名を、幾度か呼ぶ。
何の言葉も帰ってはこず、木の洞(うろ)に語りかけるかのようにぼうぼうと風だけがくぐり抜けた。
「妖霊星、妖霊星」と唄いながら、高時はまた邸のなかを歩きまわる。
そのうち、一個の蔵にたどり着いた。敷地の端に位置しているような蔵である。普通であれば武具や馬具など収めておくのだろうが、高時のそれはやはり闘犬のための道具であるとか楽器の名品であるとかばかりをしまい込むための場所と化していた。なれどその蔵も、もはやほとんど空であった。まるで墓荒らしでも忍びこんだように、箱という箱、櫃という櫃が暴かれ、ひっくり返され、中身を持ち去られてしまっている。「ふ、ふ」と、うすら笑いばかりが浮かんできた。
昼でもなお薄闇に沈む蔵のなかへ、彼はゆっくりと入っていく。
足取りはいささかおぼつかない。しかし、どういうわけなのか、この入道は決して歩みを止めなかった。止めてはいけないような気がしていた。あたかも彼の唇と舌とが、天狗の語る妖霊星の唄に導かれていたように、彼の足取りもまた、この闇のなかにある『何か』に無性に引きずられるごとくになっていたのかもしれない。
散乱する容器や箱にときどきつまづきながらも、入道はぽつぽつと点を踏むようにして歩いて行った。蔵のなかでは風もほとんど吹き込んでこない。遠くで響くはずのいくさの音々も、時とともにあんなにも濃くなっていた血煙も、まるで在りはしない。ひんやりとした暗みだけが、嬰児(みどりご)を抱く母のように彼を包みこもうとしていた。
そうして。
彼は、蔵のもっとも奥にたどり着いた。
見えない糸を繰られて引かれるように、彼の眼と手とはひとつの箱に伸びていく。
「妖霊星、妖霊星……」と、うなりながら手を伸ばす高時。漆塗りの箱であった。それほど華美でもないながら、金で蒔絵も施されている。孤独であることの痛々しさも忘れて、高時はその箱に手を伸ばした。留め紐をゆっくりと解き、箱を開ける。
中身を検め、思わず息を呑んでしまった。
そこにあったものは、一個の『面』であった。
少女を象った面であった。
蓋を放り、その面を高時は手に取る。
そして縁の部分を指でなぞったり、埃や傷などありはせぬかと軽くこすってみたりもした。しかし、何の意味もない行為であった。少女の面はぜんたいに古びていたが、それはまるで瑕疵となる気配もない。むしろ長く年経ることで蓄え、研ぎ澄ましてきた利剣のごときうつくしさ、生々しいまでの輝きを、いっそうに強めているかのごとく思われたのである。
顔を近づけ、その面をよく観察してみると。
額から頬にかけて描きこまれた髪の毛の筋には、朝露に濡れ光る溌剌たるきらめきが内に宿っているようだ。柔らかげな稜線を描く輪郭は、表情の裏に持ち合わせた慈しみを見る者に与えずにはおかない。薄い肉付きのためにしゅっと通った様子の鼻筋も、睫毛の一本一本の先まで詳細に描かれた眼も、そのすべてが――あたかも実在するひとりの少女から、生きたまま容貌を写し取ったかのように、可憐と呼ぶことができるのである。
むろん、面であるから、人が被れるつくりになっている。
その『少女』を裏返し、両眼の部分にくり抜かれている穴を覗きこもうとして、「ああ」と高時は声を上げた。この面の来歴を、急に思い出したのである。
「これなる面は、猿楽の祖たる秦河勝(はたのかわかつ)の手になる品にして、かの聖徳太子に献じられたという逸品にござる」
そのように、高時へこの少女の面を献上したのは、相伴衆のひとりとして仕えていた佐々木道誉(ささきどうよ)だ。正中三年(一三二六年)の高時出家の折、それに併せるかたちでやはり出家剃髪した近江(おうみ)の御家人である。件の面は、そもそも出家のきっかけとなった大病がすっかり快癒した祝いと称して、道誉から高時へと贈られたものであった。そのとき、道誉とこんな話を交わしたのを思い出した。
「ときに高時さま、付喪神というものを御存知にござりまするか」
「付喪神、とは。はてな」
剃髪してより日が浅く、頭部の地肌を撫でる剃刀の硬さ冷たさも未だ生々しく憶えていた二十四歳の高時は、どこかぼうとしながら首を傾げていた。
「いかに下らぬ器物とて、長き時を経れば神にも妖怪にも変ずるという考えにござりまする。称して付喪神と。この道誉、検非違使として京の都に身を置いておりました折、古道具の妖怪どもが百鬼夜行を成して、洛中洛外をのし歩いているという噂をたびたび耳に致しました。ま、嘘か真かは判じかねまするが、それほどまでに面白き器物の世にあるものならば、ひとつ、この道誉が見極めてやらんと思い、……」
と、道誉は漆塗りの箱のなかの少女の面を指したのである。
その頭は、やはり剃髪のためにつるりとしている。
「方々を探し回り、さる古刹の庇護を受けたる座(ざ。中世の日本において、権力者の庇護を受けて排他的な特権を享受した同業者の組合)の猿楽師から譲り受けましたるものが、この女子(おなご)の面にござりまする」
「では、この面が付喪神であるとそちは申すのだな」
「左様にございまする。面霊気なる妖怪を宿したこの面は、演者の舞いに、一種、神気とも妖気ともつかぬ凄みを宿らしむるとか。繰り糸で引くごとく、人の“こころ”を思うがままに動かすことできるとか。それこそまさに、付喪神が人を畏れさせる証かと覚えまする」
道誉は、得意満面であった。
上体を反らし、顎の先を高時に突きつけんとするごとくの不遜ささえ伴って。
報せによれば、この道誉もまた足利方に加担して北条に叛旗を翻したという。
今にして思えば――佐々木道誉という人物は、何より当代一の婆娑羅(ばさら)と名を馳せるほどの男なのだ。華美にして派手ぶりを好み、旧い権威を嘲笑する、そこに粋を見出す振る舞いが婆娑羅なのだ。田楽狂いの高時に、あえて古ぼけた猿楽面を献上するというこの時点で、よもや道誉の内には野心の火種がくすぶっていたのではあるまいか。
真相こそ解らぬが、いずれにせよ。
高時の、道誉から献上された面への興味は、その当時は直ぐに途切れてしまった。
彼が好きなのは田楽であって猿楽ではなかったのだ。それにそのときは、道誉から献上されたこの面の『秦河勝の作にして、聖徳太子の所用』という出自すらも疑わしいと思ったし、そもそも単なる古くさい少女の面としか思われなかったのである。
だというのに、今の高時は違った。
亡びのときに瀕した彼の境涯こそそうさせたか、この蔵に踏み込むまで記憶の縁にさえ引っ掛かっていなかった少女の面――面霊気なる妖怪を宿すという面に、あたかも眼には見えぬ糸に引き寄せられたかのごとく、高時の心は吸いつけられてしまったのである。
両手でもって愛おしげに、高時は少女の面を撫でた。
遠くからかすかに入り込んでくる光が面に当たったとき、『少女』の眼がまるで濡れているようにも思える。ひとりの人が泣いているみたいに見えたのだ。『少女』を慰める心持ちか、指先でその眼を拭う高時。一瞬、ひんやりとした感触が指先に宿り、しかしそれはこの蔵の薄闇のせいで面までも冷たくなっているのだということに気づく。生けるばかりの顔つきをしたこの『少女』のせいで、高時の感覚もまた、まったく翻弄されてしまっていたのかもしれなかった。
「そちも、ひとりか。ひとりで、ここで、朽ちていくのか……」
かすれた声で、面に語りかける。
もし本当に妖怪が宿っているとしても――やはり面は、器物である。高時の訴えに言葉を返すこともしなければ、うなずきもしない。けれど彼は、それでもなぜか満足であった。どこか物憂い微笑が彫り込まれ、それを絶えず向けてくるこの面が、今は彼にとって唯一の『希望の面』であるとしか思えなかったのである。
そうして、面は被らねばその命の意味がない。
このままに死なせてしまうは甚だ惜しかった。
高時はいまいちど面を裏返し、涙の跡の未だ残る自分の顔に、『少女』を被せようとした。ゆっくりゆっくりと、まるで初めて女の唇に自分の唇を押し当てたときを思い出すかのように、慎重な手つきであった。併せるように、鼓動も早くなっていく。全身に熱い塊がみなぎっていくような気がする。と、そのときであった。
「殿さま!」
聞き慣れた声が、蔵の外から響いてきたのである。
はッ、として、高時は振り向いた。
途中まで顔に近づけていた少女の面は――何か後ろめたいことをしていたような気になって、直ぐに手を下ろしてしまった。今にみんな死んでしまうなら、そのような羞恥さえ何の意味もないものを。
だらりと垂らした腕の先に面を引っかけたまま、待ち構える高時。
散乱せる箱の山につまづかぬよう、用心深く蔵に入り込んで、声の主は、
「殿さま、高時さま……」
もういちど高時のことを呼ばわった。
最初より、何だか弱々しい声である。
「そちは、」
「九十九(つくも)にございまする。田楽師の」
おお、と、高時は眼を見開く。
彼のもとに現れたのは、自らのお抱えの田楽師のひとりであった。
揉烏帽子の下の白髪が、煤みたいな物でちょっとばかり汚れているのが眼についた。もしかしたら火勢強まる鎌倉の街を逃げ回っていたのかもしれない。皺の深い老いた顔から、どんぐりめいた小ささのふたつの眼が、懸命に高時を見つめている。
高時は、自分より少し背の低い九十九に併せ、身を屈ませた。
「いかにした、九十九。早う逃げよ。このままでは、この館まで火に巻かれるぞ。そちまでもが足利や新田の犬どもに殺されるぞ」
が、九十九はかぶりを振るばかり。
「大抵の芸人たちはもはや逃げおおせました。重臣の方々も、東勝寺(とうしょうじ)に退いてござります。さ、殿さまもお早くお逃げください。皆さま、高時さまをお探しにございました」
そう言って、跪くかのように九十九は高時の手を取る。
何の断りもなくそんなことをするのは本当ならば無礼だが、この期に及んで礼義作法を云々している場合ではなかった。こくこくと、手を握られたまま高時はうなずく。ひとまずは、確かにこの田楽師の言う通りである。ひとりのまま北条の邸で死ぬのも味気なかろう。そうは考えていても、彼のうなずきはどこか“心ここにあらず”の風に吹かれていた。
「いかがいたしました」
暗みのなかでも異変に気づき、九十九が訊ねてくる。
高時は、
「この蔵に収めてあった数々の名器宝器が、今やいずこに持ち去られてしもうたものか、心残りじゃ」
と呟く。
すると、九十九はにこりと笑い、
「大半のものは、他の芸人たちが持って行ってしまったようですが……それでも三つばかり、今、この九十九の手に残っているものがござりまする。東勝寺にてお目に掛けますゆえ、さあ、今はお急ぎを!」
と、答えたのである
高時は、少女の面を握り締めた。
――――――
鎌倉の北にある東勝寺は、北条氏歴代の菩提寺として建立された寺院である。
いざ戦いのときに供え、砦としての堅固さをも備えた場として整備されていたはずであったが――、しかし、今の亡びに及びては。
「おのれ、足利。おのれ、新田……」
と叫ぶ声に、女たちのすすり泣きばかりが響く、暗澹たる一場とのみ成り果てている。
それも無理からぬことで、本堂には、鎌倉市街の各所で戦いに敗れ、退却してきた味方の将兵がひしめいているのである。北条がその財をなげうって築きあげた寺であるから、本堂ひとつ取っても、百人以上を易々と容れることのできるほどの広さではある。けれど今では北条一族と、それに家臣を加えた数百人で、本堂といわず境内までもがすっかり埋め尽くされていた。さらにそのうちには、戦いで傷を負った者たちも決して少なくはない。田楽師の九十九に連れられてここまでやってくるあいだ、高時は地面に点々とする血の跡を幾つも眼で拾った。
女たちの悲嘆、男たちの悔しさ。
重臣の筆頭である長崎円喜とその子の高資、そして金沢貞顕らもうち揃い、濛々たる黒煙に包まれる鎌倉の空を見上げていた。負傷せる者は次から次へと息絶え、やがて物言わぬ肉の塊となっていく。垂れ流される血のにおいさえ生の痕跡である。死者たちが増えていくにつれ、その生の痕跡も途絶えていく。生者たちは、ただ黒煙の隙間から太陽を探し出そうとするみたいに、じいと外ばかり見つめていた。
「ああ、お邸が……!」
そのうち、未だ歳若いひとりの少女が、遠くを指して声を挙げた。
瞬時、皆も「おお」とうめき、そちらを向いた。本堂からまろび出んばかりの勢いで、人々の眼が注がれる。つい先程まで高時が身を置いていた、北条執権邸の方角であった。すすり泣きの声々、屈辱のあまり床を叩く拳の音。鎌倉攻めの連合軍が由比ヶ浜より放った火は、ついに彼らが長らく親しんだ北条の邸さえも喰らい始めたのである。こうなった以上、敵もいよいよ間近に迫っている。この東勝寺でさえ、焔に呑まれて灰燼に帰するのは時間の問題であろう。
一族の者らに取り囲まれるようにして本堂に在った高時は――ますます現実味を帯びてくる滅亡のときにもなお、さっき蔵で見つけた少女の面と戯れるに余念がなかった。閨(ねや)で妾を愛撫するごとく指先で髪を梳り、情事の後のように唇の膨らみをつついてやる。そうすると、地獄でさえも地獄でなくなる心地がする。火のにおいや矢風が頻々と届くようになっても、何も喪わずに済むような気がするのである。
だが、そのような高時に、一族の人々が向ける眼は冷然たるものであった。
よくよく冴えかえった太刀が首筋に這わされるように、冷徹で非情なものであった。
それは暗愚を見る眼だ。愚かな男を見下す眼だ。このような男に引きずられて死なねばならぬことへの、何よりの後悔の眼だ。
しかし、高時はいっこう構わなかった。
皆、いったい何を見てきたのであろうと彼は思い、そして心中、『少女』へ語りかける。目前に迫りくる死も、幕府百五十年の終焉も、わしのごとき無能を執権に据えたときからそれと定まっていたようなものを。言うなれば、そちたちは客に過ぎぬ。わしの滑稽な舞を見てそれを愉しむ客に過ぎぬ。
すッ、と、高時は立ち上がった。
それを制するように、長崎円喜が取りすがる。
高時の御名を隠れ蓑のようにして幕政を壟断(ろうだん)せる奸臣のひとりだが、さすがにここでは殊勝だった。堅肥りの身体を肩からぶるりと震わせて「高時さま。潔く、潔く。お覚悟をせねばなりませぬ」と訴えてくる。
「何を。何を覚悟せよと申す」
「もはやわれら北条に勝ち目はありませぬ。足利新田の犬めらに手柄をくれてやる前に、首でも腹でも掻っ切って果てましょうぞ」
と言いながら、円喜は腰に佩いた小太刀の柄に手を掛ける。
が、……それでも彼は、決して刃を抜こうとせぬ。その手もまた指先までぶるりと震えているのだった。彼を見つめている他の者らもそうだ。潔く自害の道を選ばねばならぬと解っているのに、しかし、怯えが躊躇いを呼び込んでいる。そのことに、高時は目ざとく気づいていた。自分を侮る者らも、しょせんはこの程度であったのだと。
自らに向けられていた侮蔑を噛み砕き、そして吐き出すかのように、高時は言う。
「何じゃ、そのようなことか」
その言葉に、「わっ……」とひときわ泣き声が高くなった。
けれど高時は構うことなく、「良いか、皆」と声を上げる。
「この世に地獄がもしあるなら、今このときがその地獄であろうが。喜べ、喜べ。われらは生きながらにして地獄をこの眼で見ておるのじゃ。斯様なことは、足利新田には決して叶うものではあるまい。何たることか、数多の画で見た地獄よりも、鎌倉の空を塗る焔の赤きこと」
からからと、高時は笑った。
腹を抱えて笑った。今までの生涯のすべてを掛けて笑った。
自らの暗愚の治世も、それと知りながら政の場に自分を据えた周囲の馬鹿者たちも、迫りつつある敵勢も、そのすべてを嘲笑するように笑った。そのうち、焔を上げる北条邸から煙が入り込んでくる。咳き込み、涙が出てきた。それでもなお笑った。
「われら地獄を見せてもろうたうえは、どうしても返礼をせねばならぬ。腹切ることとて返礼でなければならぬ。そうであろう」
誰も、答えられはしない。
高時の言葉が――たぶん、彼なりの『敗者の意地』のような何かであるというのは、重々に承知であったのだろう。しかし、顔にも言葉にもそれはなかった。明瞭なる滅亡の足音が、彼らを縛りつけてしまっている。
「九十九!」
と、高時は本堂の隅に縮こまっている田楽師を呼ばわる。
やはり逃げ伸びていた幾人かの芸人と肩を寄せ合っていた彼は、おそるおそると主を見遣った。
「最後の舞いじゃ。面はある。琵琶や琴や、鼓もある。楽を奏せよ」
芸人たちは、互いの顔を見合わせた。
そして――各々で抱き締めるようにしていた楽器の名品に眼を落とす。
「誰の者かも知れぬが、借りるぞ」
床にうち捨てられていた、誰かしらの女の小袖を高時は手に取った。
そしてそれを羽織り、あの少女の面をついに被ったのである。
高時と『少女』の唇は、面の裏でついに触れあった。
「冠者は妻設けに来んけるわ、かまへて二夜は寝にけるは、……」
高時は、唄った。
面を被り、肩をわざとらしく怒らせ、手を振りかざし、唄い、踊った。
「三夜といふ名の夜半ばかりの暁に、袴取りして逃げにけるは、……」
夜這いに行った若い男が三夜目までの情事に及ぶものの、夜が明けると相手が醜女だったことに気づき、袴を取って大急ぎで逃げ出す。そんな、艶ある滑稽歌であった。その唄を高時は唄い、そして舞った。作法だとか流派だとかはもう関係がない。田楽とか猿楽とかいったものの違いもどうでもよかった。ただ彼は唄い、舞い続けた。今このときの破滅を予告した鴉天狗に対し、妖霊星への返歌であるように舞い続けた。やがて、芸人たちもまた膝を進めてやって来る。高時所用の宝器名器、どうにか持ち出した三種を手にしながら。琵琶が鳴り、琴が引かれ、鼓が叩かれる。死の間際にのみ現れる、もの悲しい滑稽さであった。
そして、一族の者らは。
「あ、は、は。ははは……。お先に、失礼致しまする」
「来世で」
「また来世で」
「七生ののちも、相まみえとうございまする」
「さようなら」
「お先に――――!」
高時の歌舞で決心がついたか、ここを自らの地獄と定めてか、ひとり、またひとりと小太刀を握り締め、腹といわず首筋と言わず、銀に光る刃を突き立てていった。綾な仕立ての着物も、勇壮な拵えの大鎧も、噴きだした鮮血に濡れそぼり、赤色に溺れて黙していく。死にゆく彼らは、なぜか皆々、何の悔恨も抱いておらぬように見えた。高時の舞を目の当たりにし、まるで新たな希望を面としてその顔に被せられたかのように、笑い、喜び、死んでいったのである。面霊気の放つ、眼には見えぬ神気か妖気か。それに感情を手繰られてか。やがて高時が舞を終える頃には、真っ赤な真っ赤な沈黙が――血の海に突っ伏し息絶えた人々だけが残された。誰もみな、安らかであった。苦悶や屈辱など、かけらほども残ってはいなかった。暗愚である自分が皆に施し得た、これがせめてもの善であろうかと高時は思う。
「九十九」
面を外し、小袖を脱いで、高時は言った。
「ここも、みな、静かになり過ぎてしもうた。また場所を移ろう」
九十九と芸人たちは、無言に幾度もうなずいた。
――――――
東勝寺の、さらに北方。
そこには丘とも山とも取れぬ、岩の連なりばかりがある。
苔や羊歯(しだ)に覆われた岩肌の途中、ぽっかりと空いた横穴は、辺りから生い茂る草叢や樹木に覆い隠されて、遠くからちょっと見ただけでは、横穴があるということさえ解らないだろう。
高時と芸人たちは、その横穴の奥に移っていた。
墓穴めいた場所である。
すでに鎌倉市街からはだいぶ離れている。空を覆う黒煙と、その根にある火焔はやはりはっきりと見えるが、いくさの声はかすかに聞こえてくるばかりで、心乱すだけのことはない。
「さて、これならば、ようやく死ぬにも値しよう」
呟いて、高時は小太刀を抜き放つ。
ぎらりとした刃の色は、どこか奇妙な艶めかしささえ持っている。
ふ、と、高時は笑った。死ぬことへの恐怖は元よりなかった。生涯のうち、彼が持っていたものとては、ただ埋めようのない空虚ばかりであった。それをこの滅亡の瞬間にこそ埋め合わすことができたのである。だから、この瞬くばかりの彼の『恋』――少女の面への憧れも、まったく甲斐のないことではなかっただろう。そして、姿さえ解らぬ面霊気なるものの力によって、自らもまた死することできるだろう。
「殿さま……」
覚悟を決めた高時のかたわらで、しかし、九十九は悔しげであった。
「最後の最後に歌舞のお供をできたこと、身に余る悦びにございました。なれば、われらもここで死にまする。これらの面や楽器とともに」
「許さぬ」
刃の切っ先を己の腹に向けながら、高時はにいと笑って九十九たちを見る。
「これらの面や楽器の名品。人の心を惑わすもの憑いておる。なればこそ、それらが妖しき振る舞いせぬように扱えるのも、そちたち芸人たちだけじゃ」
はあ、と、高時の溜め息。
微笑したその顔は、東勝寺で一族の者たちが死んだときの表情にそっくりである。
「信濃諏訪に、わが北条に仕えし一族がある。皆はその縁を頼って落ち延びよ。そして、……」
すでに皆が手にする琵琶と琴と鼓の名品。
それに九十九に預けられた、面霊気の宿るという少女の面。
それらを順に見回して、告げる。
「琵琶の『弁々』、琴の『八橋』、鼓の『雷鼓』、そしてその猿楽面。これらをそちたちに賜う。いずれまた世の人のこころ動かし、耳目を愉しますこともあろう」
言って、高時は、なに躊躇うことなく腹に小太刀を突き立てた。
わッ、……と、芸人たちの嗚咽が響いた。
――――――
『太平記』に曰く。
元弘三年、五月二十二日。
この東勝寺の戦いで自害せる者の数は、北条一族が二八三人、家臣らが八七〇人に及んだ。相模入道こと北条高時は、一族のなかでももっとも最後に死んだといわれる。三十一年の生涯であった。そして今日、高時が死んだとされる横穴は、『腹切りやぐら』と称されている。
――――――
九十九が無事に信濃諏訪にたどり着いたのか、それを知る者は誰も居ない。
しかし、――ここにひとつ、確かに言えることは。
建武二年(一三三五年)七月、北条高時の遺児である北条時行が、信濃で諏訪頼重に擁立されて建武政権に叛旗を翻し、鎌倉幕府再興を目指した『中先代の乱』という戦いが起こったということである。
そしてこの乱の討伐をめぐり、かねてより政治的に対立の度を深めていた足利尊氏と後醍醐天皇の軋轢が一気に表面化する。加えて、折から不満の声が高かった公家と武家の恩賞分配の不公平や、皇位継承に絡む朝廷内の権力闘争もあり、日本国は一天両帝の南北朝時代に突入。その後、およそ六十年近くに渡り、血で血を洗う抗争をくり広げることになるのだった。
あるいはその眼で北条氏の滅亡を垣間見た面霊気が、『諏訪の神々』のこころをも動かしたのかもしれない。元より猿楽や田楽は、寺社の庇護を受けて発展してきたという歴史を持っている。そして神々が諏訪の大祝たる諏訪氏に決起を促し、その後の歴史に関わったということも、もしかしたらあったのかもしれないのである。
そしてそして、九十九姉妹と雷鼓までさりげなく登場させてる!
鬼気迫る高時の諦観と侠気に、死すら笑い飛ばす狂気に、身震いします。
こういう歴史の出来事に東方キャラが関わっているのって斬新で面白いと思います。
良い作品でした。
しかも、あんまりドラマとかにはならない幕末戦国源平以外なので新鮮な感じがします
毎回楽しみにしています
跨いで避けてた例の長い奴を読む気ポイントが上昇したです
文章もひっかかる表現がいくつかあるものの、硬いテーマを読みやすく書けていると思います
お見事
故に評価にとても困りますが……私はこれは「アリ」だと思いました。
直接東方キャラは登場しませんが、東方キャラの背景を掘り下げているというか、
キャラそのものへの説得力を強めているというか……兎も角、こういうアプローチも良いと思います。
後にその姓を拝借するほどに。