※この話は作品集188「椛と趣味」「椛と趣味2」の続きになっています。
犬走椛は妖怪の山に住む白狼天狗である。幻想郷で生まれた若い下っ端の哨戒天狗だ。
さて、そんな下っ端が天狗の頭領であり、実質的に山に住む妖怪の代表である天魔に呼び出された。
要請に首をかしげる上司と戦々恐々とする同僚に見送られ、椛は急いで天魔の執務室へ向かった。
やがて椛は目的の建物にたどり着く。決まり通り剣と楯を守衛に預けると、案内役の大天狗に誘導される。
彼の顔は知っていた。天魔の秘書的な側近の大天狗だ。天狗の中でも小柄で女性の椛と並べば、身長で倍、体重ならば3倍は違うだろう。
誘導され建物の奥に進むにつれ、老若男女問わず、種族も問わず貫録のある天狗たちとすれ違う。白狼天狗、鴉天狗、鼻高天狗、他にもいた。妖怪の外見は年齢や実力に比例しない。それでも椛はおろか目の前にいる側近の大天狗よりも彼らは格上なことを肌で感じていた。一際大きな扉の前についた。側近が厳しい扉をノックする。
「犬走椛が出頭しました」
「入れ」
扉の向こうから低い男の声。
「失礼します」
側近に促され、椛は初めて執務室の扉を通った。奥には一際巨躯の天狗が机に向かっている。彼が天魔だ。
彼の執務室は広い。正面奥には書類が散らばる巨大な机、後ろには窓がある。窓を遮らない高さの低めの棚には書籍がぎっしりと詰まっりている。
重苦しい音を立て後ろの扉が閉められる。閉めたのは外にいる側近だろう。
「犬走椛です」
背筋を伸ばし、椛が名乗る。
「横に机があるだろう。茶を用意したので少し待っていろ」
一度顔を上げた天魔はそういうと、再び手に持つ書類に目を落とした。
天魔は多忙だ。そもそも椛と格が違いすぎ、文句など出し様が無い。簡単な打ち合わせ用だろうか、右端にある6人がけの机に茶が一つ用意されていた。天魔に命じられたまま、椛はそこに座る。
十分程度経ったか、天魔が立ち上がる。扉を開け控えていた大天狗に書類を渡す。その後椛の方へ歩いてきた。椛は立ち上がろう腰を浮かすが、天魔に手で制され、座り直す。彼は椛の対面に座った。
「さて、俺が君を呼んだのはちょっとした質問をするためだ」
差し出されたのは『文々。新聞』の号外、見出しは『趣味を探して三千里』とある。椛の記事だ。
「どうしてだ。どうしてこうなった」
記事を見ながら天魔は独り言のように呟く。どんよりとした影を背負ったように感じた。
「失礼ですが、呼ばれた理由すら伺っていません」
天魔は記事から顔を上げる。書類を相手にしていた時と比べ、やっぱり顔は少し暗い。
「犬走、確認するがお前は各地で将棋や他の遊びについて、指したり話をしていただけだな? この記事の通りだな?」
「はい。付け足すとすれば、外の世界について外来人から少し話を聞いたくらいでしょうか」
最も記事には外来人から将棋に関することを聞いた旨が記されているので、他のことも聞いた程度は推測できるだろう。椛もその積もりで正直に返答したのだが、
「俺が聞きたいのは、そういうことではない!!」
何故か天魔は声を荒げた。その音量に椛はビクリと反応し、尻尾も立ち上がった。
「ああ、すまん。お前には何を聞かれているかさっぱりわからんだろうな。忘れてくれ」
一息ついた天魔が謝罪する。椛は雷に打たれたような衝撃を受けた。
この妖怪の山から鬼が姿を消し、天魔が行った改革によって種族は身分ではなく役割とされ全て横並びとなった。中間管理職である大天狗も逆に高い能力を求められるため、ベテランの配下に頭が上がらないケースもある。改革から長い時間が経過し差別的なこともほぼ無くなっている。最も改革後に生まれた椛にはどう変化したのか体感は無い。
だが、それでも頭領が下っ端に謝るというのは異常といえた。
「俺が聞きたいのはここだ」
天魔が最後の一文を指さす。『射命丸文は生涯現役です』とあった。
「……それが何かされましたか?」
思わず椛は聞き返していた。
「射命丸は一生独身のつもりなのか?」
ああ、そういうことか。
椛は何となくだが見当がついた。口の堅い椛は、同僚や女の天狗からも似たような相談をされたことぐらいある。
「わかりません。それに嫁に行ったからといって全員が引退するとは限りません。結婚後も哨戒の任務に就いている者もいます」
「射命丸ならどうすると思う?」
「親しくないので参考になるか分かりませんが、彼女は引退しないと思います」
「何故だ?」
「彼女が新聞以外のことをしているのを見たことがありません。具体的にはネタ探しや取材の類です」
「あいつの新聞に対する姿勢として、どう思う?」
椛は少し考え。
「新聞に対しては誠実な所があります。例えば他の鴉天狗は記事を面白おかしく捻じ曲げることがあるのに、彼女はそうしません。この記事も私の知る限り、嘘や捏造はありませんでした」
ふむ、と天魔は腕を組む。
「射命丸は何故、こんな一文を書いたか分かるか?」
「おそらく……」
椛は博麗の巫女とオセロをした時のことを話す。
「……なるほど。逆に新聞を辞めた時のことを考えたら、こうなってしまったか」
意地になっているともいう。天魔はため息交じりで納得をする。
「少し言い過ぎたと思っています」
椛の尻尾も垂れ下がる。
「いや、あいつは自分自身を見つめ直す良い機会になったと思う。結果はこれだが」
天魔は肩を落とす。
「ところで」
「はい」
「この記事に巫女や幾人かの妖怪、人間の里の者が出てくるが、親しいか?」
「それなりに親しいと思います」
「ならば一つ個人的な頼みがある。必要ない事かもしれんが」
「何なりと」
そもそも天魔の頼みを断れる者など、この妖怪の山に早々いない。
「外野に何を言われようとも、自分の思うとおりにしろ」
妖怪の山は閉鎖的だ。頻繁に山の外に赴く椛についてよく思わない者もいるだろう。
「同じ山の外に頻繁に行く射命丸文は実力者だ。あいつは仕事も兼ねているから頻度は全く違うが、何も言われないのはそれだけの実力と千歳を超える月日があるからだ。正直、あいつに勝てるものはこの山の中でどれだけいるかわからない。大天狗や天魔である俺を含めてだ。その結果が鴉天狗にして幻想郷最速を名乗り、一介の新聞記者にして葉団扇を持った特殊な位置付けだ。
だが君は若い。ああ、君を評価していないわけではないぞ。比較対象が悪すぎる、いやおかしいだけだ」
確かに。
椛は射命丸文を思い出す。よくそんな相手に今まで何もされなかったものだ。
身震いした。これはスペルカードルールに感謝をするべきか?
「まあ、あれだ」
顔色を変えた椛を見て、天魔は軽く笑いながら言った。
「何か思うところがあるのかもしれないな、あいつと千年の付き合いがあるものとして、もう一つ頼みの追加だ。射命丸に対して態度を変えるなよ。個人的に思うところがあるなら別だがな」
「はぁ」
至極楽しそうな天魔に椛は困惑した。
「ところで、犬走から何か私に聞きたいことは無いか? 遠慮はいらんぞ。くどい様だが本当に何でも良い。罰則もない」
天魔はニコニコと満面の笑顔だ。何故だ。
「では遠慮なく」
「応」
「射命丸文には伝えないのですか?」
一瞬、天魔が凍ったのを椛は見逃さなかった。
沈黙する。椛は目線を逸らさず、次の言葉を紡ぐ。
「では、私を通して誰を見ているのですか?」
椛には最初から違和感があった。厳格な天魔とは違う。例え私的な要件として素の自分を見せたにしても、それは何故か。まるで椛自身を通して彼が別の誰かを見ていると感じていた。
天魔は目を擦った。しぱしぱ瞬きをすると、大笑いをする。腹の底から出てくるような豪快な笑い声だった。
少しの間笑い続けると、天魔は再度目を擦る。笑い過ぎて涙が出ていた様だ。
「答えは……口に出さずともわかるか?」
「はい」
椛は思った。
天魔にしても、射命丸にしても男女の趣味とは、よくわからないものだ。
「失礼します」
一礼し、椛は天魔の執務室から退出した。
扉を出ると、物陰から誰かが飛び出してきた。途中すれ違った貫録のある天狗たちだ。
「よくやった。偉いぞ嬢ちゃん」
「今度行くから、一局指すぞ。俺は本将棋が好きなんだ」
「困ったら私たちを頼りなさい」
皆、口々に言い椛の背を叩く。何故か手に飴玉が押し込まれた。共通しているのは笑っていると言うことだ。
ポカンとしながらも椛は考える。どうも中での会話が漏れていたらしい。頑丈な扉と分厚い壁だが、彼らの様な卓越した能力を持つ天狗たちが本気になったら盗み聞きができるのかもしれない。
その後、彼らはノックも無く天魔の執務室にどかどかと入っていった。奥で悲鳴が上がったが気にしないことにした。
妙に機嫌の良い側近に先導され入り口に戻る。剣と楯を戻されると、椛は上司に報告をする為帰ることにした。
帰り道、椛は口の中で甘い飴玉を転がしながら飛んでいるうちにふと気が付く。
自分の男の趣味って何だろう。しばらく考え、出した結論。
ま、いいか。
千歳を超えていても独り身がいるのだから、焦ることない。そのうち見つかるだろう。
とりあえず次の休みは、次は誰と指そうか。にとりとも決着も付けなきゃ。ああ、ルールを記したメモもずいぶん溜まったな。雨が降ったら纏めるか。
さて、何をしようかな。
後日、椛は山の外へ出ることが、今までよりスムーズになったことについて首を傾げたが気にしないことにした。所詮予想でしかないし。単なる下っ端に対する好意だとしたら、素直に受け取り感謝することにした。
そういえば、射命丸が妙に絡んでくるようになった。椛を変に苦手としていた様だったが、少し緩和したらしい。
後日談
「天魔様、白狼天狗の犬走椛を呼んだのは事実ですか?」
「射命丸、様を付けるのはやめろ。お前に呼ばれると体中が痒くなる」
「いいえ、取材相手に丁寧するのは私のモットーですから。
それと他の方々は吐きましたよ。私の新聞を見てノリで煽ったって」
天魔に笑顔を向ける射命丸だが、よく見ると額に青筋が浮かんでいた。
「お前はあの犬走を苦手としているみたいだな」
「……苦手というが、やり難いですね。って取材しているのは私です」
「昔のお前そっくりだから苦手か?」
「なっ!!」
「何百年、千年と付き合いのある者からしたら、びっくりするくらい中身が似ているが?」
「どこがですか!?」
「クソ真面目、見方によっては慇懃ともとれる態度、休日も訓練する努力型、納得がいかないと実力差関係なく噛みつくところ、頑固で融通が利かない一面、変に察しが良い。ああ、棋譜を見たが打ち筋を見る限り頭の回転も悪くないな。だが勝ち負けよりも楽しむことが優先。純朴なところは若いというか、子供っぽいところがあるからだろう」
「……」
「後は山の外も平気で行くところか。人間の里はともかく紅魔館や博麗神社は普通の妖怪は物怖じするぞ。多分、皆と突き詰めれば共通点がまだまだ出るだろうな」
笑みを深くする射命丸。目が笑っていない。美人なだけ怖い。天魔は嫌な汗が背を伝うのを感じていた。
「セクハラされたと一面に載せていいでしょうか?」
「待て、何のことだ?」
射命丸が後ろに一歩下がる。天魔は慌てながら一歩前へ踏み出す。
「椛を若いと言いましたよね。私は千歳を超えています。どうせ若くないですよ」
「待て、拗ねるな。ちょっと待て。頼むから待て」
「ペンは剣よりも強しです」
かくして鴉天狗と天魔の数百年ぶりの追いかけっこが始まった。妖怪の山中を飛び回る二人を見て、当時を知らぬ者は目を丸くし、知る者は心の底から笑ったという。
犬走椛は妖怪の山に住む白狼天狗である。幻想郷で生まれた若い下っ端の哨戒天狗だ。
さて、そんな下っ端が天狗の頭領であり、実質的に山に住む妖怪の代表である天魔に呼び出された。
要請に首をかしげる上司と戦々恐々とする同僚に見送られ、椛は急いで天魔の執務室へ向かった。
やがて椛は目的の建物にたどり着く。決まり通り剣と楯を守衛に預けると、案内役の大天狗に誘導される。
彼の顔は知っていた。天魔の秘書的な側近の大天狗だ。天狗の中でも小柄で女性の椛と並べば、身長で倍、体重ならば3倍は違うだろう。
誘導され建物の奥に進むにつれ、老若男女問わず、種族も問わず貫録のある天狗たちとすれ違う。白狼天狗、鴉天狗、鼻高天狗、他にもいた。妖怪の外見は年齢や実力に比例しない。それでも椛はおろか目の前にいる側近の大天狗よりも彼らは格上なことを肌で感じていた。一際大きな扉の前についた。側近が厳しい扉をノックする。
「犬走椛が出頭しました」
「入れ」
扉の向こうから低い男の声。
「失礼します」
側近に促され、椛は初めて執務室の扉を通った。奥には一際巨躯の天狗が机に向かっている。彼が天魔だ。
彼の執務室は広い。正面奥には書類が散らばる巨大な机、後ろには窓がある。窓を遮らない高さの低めの棚には書籍がぎっしりと詰まっりている。
重苦しい音を立て後ろの扉が閉められる。閉めたのは外にいる側近だろう。
「犬走椛です」
背筋を伸ばし、椛が名乗る。
「横に机があるだろう。茶を用意したので少し待っていろ」
一度顔を上げた天魔はそういうと、再び手に持つ書類に目を落とした。
天魔は多忙だ。そもそも椛と格が違いすぎ、文句など出し様が無い。簡単な打ち合わせ用だろうか、右端にある6人がけの机に茶が一つ用意されていた。天魔に命じられたまま、椛はそこに座る。
十分程度経ったか、天魔が立ち上がる。扉を開け控えていた大天狗に書類を渡す。その後椛の方へ歩いてきた。椛は立ち上がろう腰を浮かすが、天魔に手で制され、座り直す。彼は椛の対面に座った。
「さて、俺が君を呼んだのはちょっとした質問をするためだ」
差し出されたのは『文々。新聞』の号外、見出しは『趣味を探して三千里』とある。椛の記事だ。
「どうしてだ。どうしてこうなった」
記事を見ながら天魔は独り言のように呟く。どんよりとした影を背負ったように感じた。
「失礼ですが、呼ばれた理由すら伺っていません」
天魔は記事から顔を上げる。書類を相手にしていた時と比べ、やっぱり顔は少し暗い。
「犬走、確認するがお前は各地で将棋や他の遊びについて、指したり話をしていただけだな? この記事の通りだな?」
「はい。付け足すとすれば、外の世界について外来人から少し話を聞いたくらいでしょうか」
最も記事には外来人から将棋に関することを聞いた旨が記されているので、他のことも聞いた程度は推測できるだろう。椛もその積もりで正直に返答したのだが、
「俺が聞きたいのは、そういうことではない!!」
何故か天魔は声を荒げた。その音量に椛はビクリと反応し、尻尾も立ち上がった。
「ああ、すまん。お前には何を聞かれているかさっぱりわからんだろうな。忘れてくれ」
一息ついた天魔が謝罪する。椛は雷に打たれたような衝撃を受けた。
この妖怪の山から鬼が姿を消し、天魔が行った改革によって種族は身分ではなく役割とされ全て横並びとなった。中間管理職である大天狗も逆に高い能力を求められるため、ベテランの配下に頭が上がらないケースもある。改革から長い時間が経過し差別的なこともほぼ無くなっている。最も改革後に生まれた椛にはどう変化したのか体感は無い。
だが、それでも頭領が下っ端に謝るというのは異常といえた。
「俺が聞きたいのはここだ」
天魔が最後の一文を指さす。『射命丸文は生涯現役です』とあった。
「……それが何かされましたか?」
思わず椛は聞き返していた。
「射命丸は一生独身のつもりなのか?」
ああ、そういうことか。
椛は何となくだが見当がついた。口の堅い椛は、同僚や女の天狗からも似たような相談をされたことぐらいある。
「わかりません。それに嫁に行ったからといって全員が引退するとは限りません。結婚後も哨戒の任務に就いている者もいます」
「射命丸ならどうすると思う?」
「親しくないので参考になるか分かりませんが、彼女は引退しないと思います」
「何故だ?」
「彼女が新聞以外のことをしているのを見たことがありません。具体的にはネタ探しや取材の類です」
「あいつの新聞に対する姿勢として、どう思う?」
椛は少し考え。
「新聞に対しては誠実な所があります。例えば他の鴉天狗は記事を面白おかしく捻じ曲げることがあるのに、彼女はそうしません。この記事も私の知る限り、嘘や捏造はありませんでした」
ふむ、と天魔は腕を組む。
「射命丸は何故、こんな一文を書いたか分かるか?」
「おそらく……」
椛は博麗の巫女とオセロをした時のことを話す。
「……なるほど。逆に新聞を辞めた時のことを考えたら、こうなってしまったか」
意地になっているともいう。天魔はため息交じりで納得をする。
「少し言い過ぎたと思っています」
椛の尻尾も垂れ下がる。
「いや、あいつは自分自身を見つめ直す良い機会になったと思う。結果はこれだが」
天魔は肩を落とす。
「ところで」
「はい」
「この記事に巫女や幾人かの妖怪、人間の里の者が出てくるが、親しいか?」
「それなりに親しいと思います」
「ならば一つ個人的な頼みがある。必要ない事かもしれんが」
「何なりと」
そもそも天魔の頼みを断れる者など、この妖怪の山に早々いない。
「外野に何を言われようとも、自分の思うとおりにしろ」
妖怪の山は閉鎖的だ。頻繁に山の外に赴く椛についてよく思わない者もいるだろう。
「同じ山の外に頻繁に行く射命丸文は実力者だ。あいつは仕事も兼ねているから頻度は全く違うが、何も言われないのはそれだけの実力と千歳を超える月日があるからだ。正直、あいつに勝てるものはこの山の中でどれだけいるかわからない。大天狗や天魔である俺を含めてだ。その結果が鴉天狗にして幻想郷最速を名乗り、一介の新聞記者にして葉団扇を持った特殊な位置付けだ。
だが君は若い。ああ、君を評価していないわけではないぞ。比較対象が悪すぎる、いやおかしいだけだ」
確かに。
椛は射命丸文を思い出す。よくそんな相手に今まで何もされなかったものだ。
身震いした。これはスペルカードルールに感謝をするべきか?
「まあ、あれだ」
顔色を変えた椛を見て、天魔は軽く笑いながら言った。
「何か思うところがあるのかもしれないな、あいつと千年の付き合いがあるものとして、もう一つ頼みの追加だ。射命丸に対して態度を変えるなよ。個人的に思うところがあるなら別だがな」
「はぁ」
至極楽しそうな天魔に椛は困惑した。
「ところで、犬走から何か私に聞きたいことは無いか? 遠慮はいらんぞ。くどい様だが本当に何でも良い。罰則もない」
天魔はニコニコと満面の笑顔だ。何故だ。
「では遠慮なく」
「応」
「射命丸文には伝えないのですか?」
一瞬、天魔が凍ったのを椛は見逃さなかった。
沈黙する。椛は目線を逸らさず、次の言葉を紡ぐ。
「では、私を通して誰を見ているのですか?」
椛には最初から違和感があった。厳格な天魔とは違う。例え私的な要件として素の自分を見せたにしても、それは何故か。まるで椛自身を通して彼が別の誰かを見ていると感じていた。
天魔は目を擦った。しぱしぱ瞬きをすると、大笑いをする。腹の底から出てくるような豪快な笑い声だった。
少しの間笑い続けると、天魔は再度目を擦る。笑い過ぎて涙が出ていた様だ。
「答えは……口に出さずともわかるか?」
「はい」
椛は思った。
天魔にしても、射命丸にしても男女の趣味とは、よくわからないものだ。
「失礼します」
一礼し、椛は天魔の執務室から退出した。
扉を出ると、物陰から誰かが飛び出してきた。途中すれ違った貫録のある天狗たちだ。
「よくやった。偉いぞ嬢ちゃん」
「今度行くから、一局指すぞ。俺は本将棋が好きなんだ」
「困ったら私たちを頼りなさい」
皆、口々に言い椛の背を叩く。何故か手に飴玉が押し込まれた。共通しているのは笑っていると言うことだ。
ポカンとしながらも椛は考える。どうも中での会話が漏れていたらしい。頑丈な扉と分厚い壁だが、彼らの様な卓越した能力を持つ天狗たちが本気になったら盗み聞きができるのかもしれない。
その後、彼らはノックも無く天魔の執務室にどかどかと入っていった。奥で悲鳴が上がったが気にしないことにした。
妙に機嫌の良い側近に先導され入り口に戻る。剣と楯を戻されると、椛は上司に報告をする為帰ることにした。
帰り道、椛は口の中で甘い飴玉を転がしながら飛んでいるうちにふと気が付く。
自分の男の趣味って何だろう。しばらく考え、出した結論。
ま、いいか。
千歳を超えていても独り身がいるのだから、焦ることない。そのうち見つかるだろう。
とりあえず次の休みは、次は誰と指そうか。にとりとも決着も付けなきゃ。ああ、ルールを記したメモもずいぶん溜まったな。雨が降ったら纏めるか。
さて、何をしようかな。
後日、椛は山の外へ出ることが、今までよりスムーズになったことについて首を傾げたが気にしないことにした。所詮予想でしかないし。単なる下っ端に対する好意だとしたら、素直に受け取り感謝することにした。
そういえば、射命丸が妙に絡んでくるようになった。椛を変に苦手としていた様だったが、少し緩和したらしい。
後日談
「天魔様、白狼天狗の犬走椛を呼んだのは事実ですか?」
「射命丸、様を付けるのはやめろ。お前に呼ばれると体中が痒くなる」
「いいえ、取材相手に丁寧するのは私のモットーですから。
それと他の方々は吐きましたよ。私の新聞を見てノリで煽ったって」
天魔に笑顔を向ける射命丸だが、よく見ると額に青筋が浮かんでいた。
「お前はあの犬走を苦手としているみたいだな」
「……苦手というが、やり難いですね。って取材しているのは私です」
「昔のお前そっくりだから苦手か?」
「なっ!!」
「何百年、千年と付き合いのある者からしたら、びっくりするくらい中身が似ているが?」
「どこがですか!?」
「クソ真面目、見方によっては慇懃ともとれる態度、休日も訓練する努力型、納得がいかないと実力差関係なく噛みつくところ、頑固で融通が利かない一面、変に察しが良い。ああ、棋譜を見たが打ち筋を見る限り頭の回転も悪くないな。だが勝ち負けよりも楽しむことが優先。純朴なところは若いというか、子供っぽいところがあるからだろう」
「……」
「後は山の外も平気で行くところか。人間の里はともかく紅魔館や博麗神社は普通の妖怪は物怖じするぞ。多分、皆と突き詰めれば共通点がまだまだ出るだろうな」
笑みを深くする射命丸。目が笑っていない。美人なだけ怖い。天魔は嫌な汗が背を伝うのを感じていた。
「セクハラされたと一面に載せていいでしょうか?」
「待て、何のことだ?」
射命丸が後ろに一歩下がる。天魔は慌てながら一歩前へ踏み出す。
「椛を若いと言いましたよね。私は千歳を超えています。どうせ若くないですよ」
「待て、拗ねるな。ちょっと待て。頼むから待て」
「ペンは剣よりも強しです」
かくして鴉天狗と天魔の数百年ぶりの追いかけっこが始まった。妖怪の山中を飛び回る二人を見て、当時を知らぬ者は目を丸くし、知る者は心の底から笑ったという。
>「待て、拗ねるな。ちょっと待て。頼むから待て」
文との関係が偲ばれていいですね、天魔さんの性格
あと、「慇懃」と「丁寧」で似たような意味の単語が二つ続いてしまって変になってる文章があるので一応指摘しておきます
>見方によっては慇懃ともとれる丁寧さ
文章の見方が違う、或いはこれで良いのよと言うのであればスルーしてください
妙に絡んでくるようになった文の心境の変化が気になります!
年長に可愛がられるマイペースっ子はいいですね
ああでも、某天空の城みたいに、「見ろよ、あの子が千年経ったら射命丸みたいになっちゃうんだぜ…」みたいなやりとりが天魔宅詰めの天狗たちの間であったりしたんでしょうか
いやー面白かったです。
椛の周りのキャラ達がいい味だしてますね。
次回作楽しみに待ってます。
椛を中心に幻想郷が動く話、というのも新鮮味があって楽しいです。これからの作品にも期待を
回を重ねるごとにバックグラウンドといいますか、そういうのが重なってきてどんどん面白くなっている気がします。
文と椛が仲が悪い理由も良いですね。また、こういう天魔様も中々新鮮でいいです。