「夢を視たのよ」
「はい?」
唐突な一言。朝食の支度をしている魂魄妖夢は思わず身構える。
「だからね、夢を視たのよ。それもとてもとてーも考えさせられる夢。それを今から話してあげる」
「はぁ・・・」
主の幽々子のことだ。何やら茫々たる有り難いお話しなのだろう。生真面目な妖夢は彼女の突拍子もない話を聞き入れるのには慣れている。幽々子のことだから、何か一益あるのかもしれない。食事の膳立ては途中ではあるが、彼女は腰を下ろし、主の夢物語とやらを聞いてやることにした。
「三度の飯を欠かしたことがない幽々子様が食事前に珍しいですね。其れほどまでにしこりが残る夢だったのですか?」
「えぇ、そうよ。あ、ご飯はきちんと食べるわよ?知ってる?亡霊は一食でも抜いたら餓死するって」
ならば、ご飯を食べてから話をすれば良いのではないか?いや、亡霊は既に死んでいるのだから餓死はしないのではないか?そもそも、幽霊が飯を食べる意味があるのだろうか?妖夢の脳内を様々な疑問が交差したが、生真面目な彼女は幻想境の面子の中では割と空気も読める方なので深く考えないことにした。
「そう、夢の話だったわね。早く話を済ませないとご飯が冷めちゃうから急がないとね?ツッコミもなしよ?尺がとられちゃうから」
「・・・・・・」
よくできました。
「実はね、私、蝶になってヒラヒラ舞う夢を視たの」
「・・・蝶々?」
妖夢は幽々子の十八番である反魂蝶を想起した。彼女が蝶々になってあのように空を飛んでいる場面が脳裏に浮かんだ。
「それで、その蝶々。私は美味しそうにご飯を食べている私の周りをひらりひらり、くるくると乱舞していたの。・・・あ。勿論、妖夢もそこにいたわよ、ええ。」
蝶々の幽々子様が幽々子様を・・・?その場合、どちらが本物なのだろうか。夢の中での蝶々の意識は幽々子様であるはずだが、食事している幽々子様は何者なのだ・・・?
「厳密にはそれだけなんだけどね。蝶と化した私がご飯を美味しそうに頂いている私を羨ましそうに眺めて終幕。私が蝶々になって飛んでる夢ってだけなんだけれども」
・・・え?幽々子様の有り難いお話しはこれで終わり?彼女は一体何が仰りたいのだ?妖夢はポカンと開口させたまま、ハテナと首を傾げる。
「私が何を云いたいか、まったく理解しておられないようね。いいわ、不肖の弟子の世話をするのも一興。一から解説して差し上げましょうとも」
私は何時の間に幽々子様の弟子になったのだろうか。そんな素朴で場違いな疑問は幽々子の台詞にあっという間に流される。
「まず、大前提としてだけれど。妖夢。私はだぁれ?」
「幽々子様です」
即答。
「それじゃ、あなたはだれ?」
「魂魄妖夢です」
即答。
「宜しい。ならば、妖夢。私が夢で視たのも幽々子。だけれど・・・それを観測していた私は一体誰だったのかしら?」
即答成らず。数秒の休止を持ち、妖夢は問いに答えた。
「夢の中で幽々子様を視ていたのは蝶々になった幽々子様。・・・ですよね?」
彼女は脳内で答えを反芻すると、そうである、と確信した。
「えぇ・・・そうね。でも、その蝶々が偽物で夢の中の幽々子が本物だったならば?」
蝶々が幽々子様ではない?妖夢は予想だにしない問いに困惑した。幽々子様はその蝶になって飛び回っていたのだから、その蝶が幽々子様ではないならば、目の前にいる幽々子様は一体全体何者なのだ・・・?
「・・・・・・夢の中の”蝶々”という私が存在する幻想境が本当の、真実の世界ということになることね」
ワケが分からない。幽々子様は偽物なのか?否、有り得ない。妖夢は反駁したかった。幾つもの奇怪であまりにも現実味を帯びない稚拙な吟味が脳内を過ぎ去っていく。
「今、貴方の眼前のこの私は、その蝶々が視ている夢なのかもしれない。あるいは、現実では西行寺幽々子という人物は存在せず、私は誰かが視ている夢によって創造された登場人物なのかもしれない、ということよ。勿論、貴方も同様。私たち、こうやってお話ししているけれども、夢の終わりが来たならば瞬く間にこの世界は消失してしまうの」
消える?いくら何でもあり得ませんよ、幽々子様。だって、私たち、ここにこうやって存在して、ご飯の匂いも嗅いでるし、ほっぺたをツネってみても・・・・・・ほら、やっぱり痛いです。
「・・・困ったことにこの世界が夢なのかどうか、証明することはできない。それを証明できるのはね、私たちという登場人物を消すことができる人。つまり、この夢を視ている張本人ということね」
幽々子は自らの何処までも荒唐無稽であり、奇天烈な考えを内心可笑しく思いながら語っていた。只のくだらない陳腐な妄想と一喝されればそれまでだ、幽々子も反論し返す気すら微塵におきないだろう。
しかし、嘘から出た真実。亡霊や妖怪、数多の魑魅魍魎が跋扈し、人間達と共存する幻想境という荒唐無稽な世界は、なにかあまりにも不条理で、強大であり単純な存在より産み落とされ誕生した世界なのというのも道理かもしれない。
西行寺幽々子という胡蝶の視る夢は何時の日か終演を迎えるのだろうか・・・?その答えは誰にも解るはずがなかった。
「・・・あらあら、まーた狐に摘まれたような顔して、妖夢。私のお話しはこれで終わりだから、早くご飯の準備頼むわねー」
瞬間、上の空だった妖夢は雷にでも打たれたかのように覚醒し、立ち上がった。己の義務を怠ってしまうところだった、と反省する。
「は、はい!只今!」
幽々子の催促により、一瞬で狼狽に包まれ、台所に向かおうとした妖夢だが、ふと何かを思い立ったのか廊下に一歩足を踏み出したまま硬直した。
何か言いたいことでもあるのかと、幽々子は彼女を一瞥する。妖夢は整理がつかない、稚拙ではあるがどうしても伝えたいと感じた心の機微を無碍にはしたくなかった。
幽々子様、未熟者の魂魄妖夢をお許しください。
「幽々子様のさきほどのお話し、半人前の妖夢には理解できませんでした。其れほどまでに途方もなく、哲学的で・・・まるで、己の存在意義すら問答されているかのようで・・・。ですが、未熟な私也に、こう考えるんです」
話しなさいな、とばかりに幽々子は優美で気品あふれる視線で彼女を促す。
「私、この世界が夢であっても良いかなと、そう思ったんです。変かもしれませんけど、確かに私や幽々子様は此処に存在して、語り合って、心が在るんですから。それが胡蝶が視ている夢だとしても、断じて嘘偽りではない、確証はないけれど・・・確信しました」
「ふふふ、寝起きの妄想にそこまで付き合ってくれるなんてね、ちょっと感動しちゃったわ。そうね、それも答えの一つよ。貴方の導きだした、立派な、ね」
妖夢の心の成長を直に確認し、享受した幽々子は馬鹿げた夢日記を垂れ流したことも満更ではなかったのだろう、と確信した。
いつの間にか、微笑が唇に拡がっているのを認知した幽々子はふと、襖の隙間から外界を見澄ます。
桜の花びらが宙を舞っているのを観測した幽々子は喜びを感じた。
やっと春が来たのだ、と。
そうね、本当の私が蝶々であったとしてもそれはそれで構わないわ。
だって、こんな素敵な情景を、空から眺めることができるのだから。
そうだ、春に 持ちこせない憂いがまだ一つあったわね。
「妖夢、ご飯まだ?」
ほのぼのとしてて良かったのですが、当たり前の語句を間違えてなければ満点でした。
境→郷
次はこういうことがないようにお願いいたします。
我々の世界から見ればこのページを閉じれば消えてしまう存在な訳で。
東方というジャンルが忘れ去られたあとのことまで考えちゃいますねw
荘子には申し訳ないけど、私は蝶ではなく人でありたい。でないと美味いお酒は飲めないからね(笑)
地の文の中に突然一人称が入ったりするのは、狙ってやっているのでしょうか?
このテーマならば、もっと長くじっくり書くほうが合うのではないかと感じました。