そのときの私は、六畳の部屋に床を延べて、むかし海の底で行きあった鯨のことを夢に見ていた。
夢で私の居た海は、青く日脚の差す合間から光る金のようなものが数限りなく昇っていた。鯨は四丈か五丈もありそうな体でゆったりとして来る。私は三日前の晩引きずり込んだ船の帆柱の横木に掛けて、暗い底から手を差し出して招く。そうすると鯨は船の周囲を巡りながら長い声で歌いだした。その頃の船は帆が縦に長かった。帆は鯨の声が高く響くたびに相槌でも打つ人のようにゆらゆらした。私は、この一頭ぎりはぐれた鯨を帆縄に掛けて捕まえてやったらいつまでも歌が聴けて面白いだろうと思いつき、また手招きをしたが、丁度そのとき、また別の長い声がどこか遠い所から響いてきた。鯨はこの声に呼ばれたと見えて、やはりゆったりとしてもと来た方へと去っていった。惜しいところだったという気がしたが、それよりも、ふと、だんだん遠くから近づいて耳のすぐそばまで聞こえてくる誰かの足音に気をとられた。
「おいムラサ、こっちに来てみろよ」と騒々しい声がして、うつぶせに寝ていた私の寝間着の襟を誰かが無造作に掴んで引っ張り上げた。鯨の夢はそこで覚めた。
表は暗く、まだ日も昇りきっていないらしい。隣に寝ているはずの一輪は姿が見えない。ぼんやりしている私を急かしながら六畳間から渡り廊下へと帯紐を持って引っ張って行くものはぬえらしい。
そうして講堂まで引いて行かれると、十畳の板間に寺の内弟子がみんな集まっていた。
次の間から一輪が小さくひそめた声で何か言っているのが聞こえた。一輪が小さくひそめた声で何か言うのは聖に叱られているときに決まっている。
何があったのかと私が訊くと、ぬえが正面北向きの土壁を指差して「あれあれ、あれだよ」とにやにやしながら教えた。見れば壁には目の高さに団扇大の穴が空いて木舞がむき出しになっている。
「これを直すのは骨が折れますよ」と星が腕組みして言った。
「下地も突き抜けておるな。大した拳骨じゃ」とマミゾウ親分は変に感心している。
相部屋の私にはこの穴が、昨夜の寝酒で酔っ払った一輪が何かのはずみで空けたものだろうとすぐに察っせられた。一輪が飲酒でした失敗はこれまでもいくつとなくあったが、中でもこの穴は特に大胆な事件だろう。
「悪い酒じゃのう」
「日頃の鬱憤じゃないかな」
「まだまだ修行が足らんということじゃな」
「それにしても壁に穴まで空けるかね?」
「壁で助かったじゃろう。わしならぬえにする」
ぬえと親分は勝手なことを話している。風一つもない静かな暗い縁に、人の声だけがそろそろと響いた。
私は壁の穴を覗き込みながら、しかし、昨夜は一輪と一緒になって酒を飲んでいた自分が、このとおり叱られていないのはどうしてかと考えていた。
おそらくは、私が鯨の夢を見ている間、一輪が私の名前を隠して一人で聖のお叱りを引き受けてくれたおかげだろう。単純闊達な一輪の性格には、それが戒律破りの共犯であれ、部屋で眠っている友達の短所を暴いて尊敬する姐さんの前に差し出すような真似はできないに違いなかった。
しかし、そのときの私は、ただ胸のうちで彼女の真面目に敬服しただけで、自分から名乗り出て彼女と一緒に叱られようということにはつい気が回らなかった。
そのうちにまた次の間から一輪が子供のような声で「痛い!」と泣いたのが聞こえた。一輪が子供のような声で「痛い!」と泣くのは聖にお仕置きをもらったときに決まっている。
翌日から一輪は破壊の償いとして壁の修理を命じられた。こればかりはいつものように雲山の手を借りることはできない。一輪は流石に反省の色が濃いようで、壁に穴を空けた右の手の甲に痛々しく包帯をして「情けない情けない」と言っている。ぬえや親分が「おや一輪、その手はどうしたの」などとからかうのにも普段のように食いつこうとしない。
六畳の部屋に戻ってから包帯を巻いた手をとってよしよしと慰めてやると、一輪は「今度こそお酒には懲りたわ」と何かつくづくとして言った。
「でも、どうして壁なんか殴ったの」
「わからないわよ、つい殴ったのよ」
「ついか」
「でも私、どうしてつい殴ったりしたのかしら」
「昨日はちょっと飲みすぎたんだよ。一輪は良い子だもの」
私がこう言ったのは、自分がお仕置きを受けずに済んだことについてのありがたさと、壁の修理を一人でしなければならない一輪へのすまなさがあったためだった。
「そう、お酒が悪いんだわ。ひと月は飲んでやらないから」
真面目な一輪は、これでいつでも立派に酒と闘っているつもりでいる。道具を担ぐと講堂の十畳へ乗り込むようにして行った。
その日の夕、講堂の外廊下を通りがかると、ふすまから一輪が顔を出して「ちょっと、こっちへ来てごらんなさいよ」と私の袖を引っ張った。普段からふらふらしているせいか、どうもひとから引っ張られることが多い。中に入って見てみれば、昨晩は穴の空いていた壁に、綺麗な飾り棚が出来ていた。
「元通りに直さなかったの?」
「元通りに直さなかったわ。元より良くしたの」
「聖はなんて言うかなあ」
「大丈夫よ、姐さんはなんにも言わなかったわ」
「まあ綺麗になってるしね」
「そうよ、きっとみんな穴が空いたこともかえって良かったって言うわ」
一輪は胸をそらせて大得意でいる。
私は、これもきっと彼女に特有の頭の働きから出た結果なのだろうと思った。一輪はいつも何かと闘っている。酒でひどい目にあった一輪には、空いた穴をただ埋めるだけの労働は酒の呪いを引き続いて受けるようで面白くない。反対に穴の周りをのこぎりで四角く切ることにした。穴の奥行きに合わせて木板を敷き並べて、とうとう仮漆まで塗ってしまう。
こういう一輪のいかにも直な性格に思い当たったとき、私は先日明け方の自分について、ようやく一種の恥ずかしさを感じはじめた。しかし、昨日から私に対する一輪の態度には全く変わったところがないので、私はまた同じ種の羞恥心を起こしてしまい、この真面目な友達のために謝ってあげることがやっぱりできなかった。
「でも、こんな棚を作ったりしたら、穴があったことも忘れないだろうね」
私は心底きまり悪い思いで言った。
一輪は「そんなの構わないわ」と言ってにこにこしていた。
・
空けた穴を飾り棚にこしらえ直して、一輪の腹は癒えたように見えた。しかし、よく気の回る彼女の頭は、しばらくすると今度はこの棚さえ厄介がるようになった。
一輪は毎日の日課のように講堂へ行き、例の棚の前で腕組みをしてうんうん唸るようになった。この棚に何かあるのかと訊いてみると、眉を寄せながら「棚に飾るのに相応しい物が思いつかないの」と言う。何でも気がつく一輪だと思った。
私が「大袈裟だなあ」と言って笑うと、一輪はこれに目をくるくる回して溜め息しながら「ムラサも何か飾ってみな」といかにも出来なかろうという調子で手を譲る。
丁度梅の季節なので雛人形はどうかと提案すると、「それはもう試したわ」と突っぱねられた。
「大きい雛は値が張りすぎるし、小さいとつまらない」
お寺らしく書を掛けてみたらと次の矢を出してみたが、これも「試したわ」と首を振られる。
「書を掛けるには棚の奥行きがありすぎる」
一輪はこの棚を「気難しい棚」と呼んでその後もあれこれと物を置き比べながらいつまでも頭を悩ませていた。しかし何日そうして唸っていてもなかなか名案が出る様子はない。
置く物のない飾り棚は、春の講堂をなんとなく寒くして、ただ殺風景に壁があった頃よりもいっそう不足を感じさせるようだった。私の予言したとおりで、空っぽうの棚が目に入るうちは壁に空いた穴のことを誰も忘れることがなかった。私のきまり悪い思いもまた、それと同じにいつまでも消えずに残った。
酒と、私の鈍い頭と、一輪の意地張りから空いてとうとう埋めることが出来なかったこの壁の穴は、作り主の呼ぶとおり気難しく、飾ったものを容易に受け入れることがない。私はどうかしてこの穴を埋めたいと思った。
私は一輪に付き合って毎日棚の前で腕組みをして唸ってみることにした。
元が素っ気のない土壁なので、日用の物を乱雑に片付けては面白くない。あえて置く飾り物なら、何か良く目を楽しませるものでなければ今更一輪の気が済まない。といって、あまり派手すぎるものを選ぶと命蓮寺の雰囲気にそぐわなくなってしまう。
一輪が唐物の四角い大皿を置いてみた。大きくて立派な骨董だったが、この棚には大きすぎ立派すぎた。飾り脚に掛けて立たせるとどうやら丈も足りない。無理に押し込むと皿の絵がのめるように見えた。仕舞いには寅丸が着物の袖を当てて板間の床で割ってしまった。
私が鏡を置いてみた。楕円形の縁に蔦の紋様をあしらった上等のもので、大皿のときの脚で立たせると部屋が明るくなる気がした。ただ、円い鏡を真四角く切った棚にわざわざ立たせて飾るのは誰が見ても変だった。これは寅丸が割りに来るまえに六畳間の押入れに隠した。
二人で色々のものを試してはあれでもないこれでもないと話し合う日がひと月以上もあって、気がつくと季節も春から夏へと移ってしまった。
寺にあるものは粗方検討してしまった。
私と一輪はこの頃になると、どこへ出掛けても何か棚に置くのに意外なものでも落ちていないかとばかり、常にせわしない目付きをしているもので、寅丸からは「ナズーリンが三人になった」と言って笑われた。夜六畳の部屋へ引っ込んでからも間を繋ぐように同じ話ばかりしているので、たまに隣の八畳で親分と相部屋に暮らしているぬえがふすまの間から顔を出して「またその話かよ!」とか「ムラサの帽子でも飾っとけ!」とか呆れ顔で野次を投げ込んでいく。
いつまでもまとまらない相談に隣室から「もう棚の話は止めろ! 夢に出てくるんだ!」と怒鳴りつけられたある夜、私は「ぬえも大分辟易してきたな」と思いながら眠りにつき、そうしていつかの鯨の夢を再び見た。
青く日脚の差す海の底に、私は一人で居る。私が掛けている帆はやっぱり縦長く出来ていて、船はやっぱり三日前に引きずり込んだものだった。昇る金の向こうからやってくる鯨は四丈か五丈もありそうな体でゆったりとしている。ただ可笑しいことに、私はこんなところでも腕を組んでうんうん唸りながら壁の穴のことを考えていた。私はあの壁の穴について、一輪との友情に果たすべき責任をまだ果たすことが出来ないでいる。自分から名乗り出て一輪と一緒に聖に叱られることも出来なかった。そのことについて彼女のために謝ることも出来なかった。どうかしてあの穴を埋め合わせなくてはいけない。鯨が帆の周りを回りながら歌いだすと、その長い声とは反対に私の頭はだんだん焦ってきた。自分はいつでも呑気すぎているんだと思った。死んで舟幽霊になってしまったり、陸へ上がって念仏を唱えたり、船ごと地獄に封印されたり、また帰ってきたり、私は水底の藻のようにあちこちへなびくばかりで、大切なことはいつでもひと足違いで遅れてしまう。この鯨も捕まえなければいまにどこかへ呼ばれて行ってしまう。私はそうしながらその一晩の間、もうこれは私にとってはいつぶりのことかと思うような真面目さになって考えた。
翌朝目を覚ました私は、棚に硝子鉢を置いて金魚を飼うことを思いついた。私は毎朝起きて外廊下を歩くときに板間の前で赤いひれが光ったら、それはきっと綺麗だろうと想像した。綺麗でも金魚なら俗にはならない。早速に小盥を抱えて里を訪れ、よく太った金魚を四匹買い求めた。代金は一輪と折半した。鉢に水を汲んで盥から金魚を落とすと、透明な硝子が光る中で四つ鮮やかに赤い。静かな板間に置いて眺めていると、幽かな水の音が涼しく聞こえてきた。
一輪はようやく名案が出たとか秀逸だとか言って大変褒めてくれた。他の弟子達もこれには感心してうなずいた。私は、一輪と手をとってようやく壁の穴の埋まったことを大袈裟に喜びながら、ふいに頭の隅で取り留めもない想像を持った。
そのときの私は、入道使いの女の子が酔って壁に穴を空けたり、陸に上がった舟幽霊が彼女の真面目な気性を庇い損ねたり、その穴を水の生き物が埋めてくれたりした巡りあわせを、何か不思議な思いで眺めていた。
私は不思議な思いのする内でそれから朝夕金魚に餌をやった。金魚の方でもだんだん人に慣れてくると、水面に私の覗き込む影が映るたびに小さい顔を持ち上げて口をぱくつかせるようになった。硝子鉢に指をくっつけてみると金魚たちはうろうろとやって来る。その鱗のいくつかが日を受けてぴかぴか光ったのを見たとき、私は鯨の夢の中で見た水中を昇っていく金はこれだったのかという発見のような空想のような思いに当たってはっとした。
自分のぼんやりした目には、世の中のことは行ったり来たりするばかりで意味がないようでも、よく気をつけて見れば油断ならない筋が織り込まれてあるのかもしれない。この金魚もまた、これから命蓮寺でひとの目に触れるかぎりは、きっとまた別な意味をして現れてくるのだろう。すでに死んで命のない私は、こういう世の中にある巡りあわせの威力のようなものを、何か遠く寂しいもののように見た。
ある夕、内弟子が講堂に揃って食膳を並べた席で、おもむろに一輪が立ち上がって、十畳の板間の棚に金魚を飾ったことを重大事件でも発表するような改まった口調で話した。そうしていかにも嬉しそうに一人で万歳を言い始めた。そのときの私は、すぐに一輪に続いて万歳した。隅の席からぬえも面白がって加わった。
私は、自分が陸へ上がってからの千年余りで、意味の変わらなかったものは、この一輪とぬえの二人だけのような気がした。
夢で私の居た海は、青く日脚の差す合間から光る金のようなものが数限りなく昇っていた。鯨は四丈か五丈もありそうな体でゆったりとして来る。私は三日前の晩引きずり込んだ船の帆柱の横木に掛けて、暗い底から手を差し出して招く。そうすると鯨は船の周囲を巡りながら長い声で歌いだした。その頃の船は帆が縦に長かった。帆は鯨の声が高く響くたびに相槌でも打つ人のようにゆらゆらした。私は、この一頭ぎりはぐれた鯨を帆縄に掛けて捕まえてやったらいつまでも歌が聴けて面白いだろうと思いつき、また手招きをしたが、丁度そのとき、また別の長い声がどこか遠い所から響いてきた。鯨はこの声に呼ばれたと見えて、やはりゆったりとしてもと来た方へと去っていった。惜しいところだったという気がしたが、それよりも、ふと、だんだん遠くから近づいて耳のすぐそばまで聞こえてくる誰かの足音に気をとられた。
「おいムラサ、こっちに来てみろよ」と騒々しい声がして、うつぶせに寝ていた私の寝間着の襟を誰かが無造作に掴んで引っ張り上げた。鯨の夢はそこで覚めた。
表は暗く、まだ日も昇りきっていないらしい。隣に寝ているはずの一輪は姿が見えない。ぼんやりしている私を急かしながら六畳間から渡り廊下へと帯紐を持って引っ張って行くものはぬえらしい。
そうして講堂まで引いて行かれると、十畳の板間に寺の内弟子がみんな集まっていた。
次の間から一輪が小さくひそめた声で何か言っているのが聞こえた。一輪が小さくひそめた声で何か言うのは聖に叱られているときに決まっている。
何があったのかと私が訊くと、ぬえが正面北向きの土壁を指差して「あれあれ、あれだよ」とにやにやしながら教えた。見れば壁には目の高さに団扇大の穴が空いて木舞がむき出しになっている。
「これを直すのは骨が折れますよ」と星が腕組みして言った。
「下地も突き抜けておるな。大した拳骨じゃ」とマミゾウ親分は変に感心している。
相部屋の私にはこの穴が、昨夜の寝酒で酔っ払った一輪が何かのはずみで空けたものだろうとすぐに察っせられた。一輪が飲酒でした失敗はこれまでもいくつとなくあったが、中でもこの穴は特に大胆な事件だろう。
「悪い酒じゃのう」
「日頃の鬱憤じゃないかな」
「まだまだ修行が足らんということじゃな」
「それにしても壁に穴まで空けるかね?」
「壁で助かったじゃろう。わしならぬえにする」
ぬえと親分は勝手なことを話している。風一つもない静かな暗い縁に、人の声だけがそろそろと響いた。
私は壁の穴を覗き込みながら、しかし、昨夜は一輪と一緒になって酒を飲んでいた自分が、このとおり叱られていないのはどうしてかと考えていた。
おそらくは、私が鯨の夢を見ている間、一輪が私の名前を隠して一人で聖のお叱りを引き受けてくれたおかげだろう。単純闊達な一輪の性格には、それが戒律破りの共犯であれ、部屋で眠っている友達の短所を暴いて尊敬する姐さんの前に差し出すような真似はできないに違いなかった。
しかし、そのときの私は、ただ胸のうちで彼女の真面目に敬服しただけで、自分から名乗り出て彼女と一緒に叱られようということにはつい気が回らなかった。
そのうちにまた次の間から一輪が子供のような声で「痛い!」と泣いたのが聞こえた。一輪が子供のような声で「痛い!」と泣くのは聖にお仕置きをもらったときに決まっている。
翌日から一輪は破壊の償いとして壁の修理を命じられた。こればかりはいつものように雲山の手を借りることはできない。一輪は流石に反省の色が濃いようで、壁に穴を空けた右の手の甲に痛々しく包帯をして「情けない情けない」と言っている。ぬえや親分が「おや一輪、その手はどうしたの」などとからかうのにも普段のように食いつこうとしない。
六畳の部屋に戻ってから包帯を巻いた手をとってよしよしと慰めてやると、一輪は「今度こそお酒には懲りたわ」と何かつくづくとして言った。
「でも、どうして壁なんか殴ったの」
「わからないわよ、つい殴ったのよ」
「ついか」
「でも私、どうしてつい殴ったりしたのかしら」
「昨日はちょっと飲みすぎたんだよ。一輪は良い子だもの」
私がこう言ったのは、自分がお仕置きを受けずに済んだことについてのありがたさと、壁の修理を一人でしなければならない一輪へのすまなさがあったためだった。
「そう、お酒が悪いんだわ。ひと月は飲んでやらないから」
真面目な一輪は、これでいつでも立派に酒と闘っているつもりでいる。道具を担ぐと講堂の十畳へ乗り込むようにして行った。
その日の夕、講堂の外廊下を通りがかると、ふすまから一輪が顔を出して「ちょっと、こっちへ来てごらんなさいよ」と私の袖を引っ張った。普段からふらふらしているせいか、どうもひとから引っ張られることが多い。中に入って見てみれば、昨晩は穴の空いていた壁に、綺麗な飾り棚が出来ていた。
「元通りに直さなかったの?」
「元通りに直さなかったわ。元より良くしたの」
「聖はなんて言うかなあ」
「大丈夫よ、姐さんはなんにも言わなかったわ」
「まあ綺麗になってるしね」
「そうよ、きっとみんな穴が空いたこともかえって良かったって言うわ」
一輪は胸をそらせて大得意でいる。
私は、これもきっと彼女に特有の頭の働きから出た結果なのだろうと思った。一輪はいつも何かと闘っている。酒でひどい目にあった一輪には、空いた穴をただ埋めるだけの労働は酒の呪いを引き続いて受けるようで面白くない。反対に穴の周りをのこぎりで四角く切ることにした。穴の奥行きに合わせて木板を敷き並べて、とうとう仮漆まで塗ってしまう。
こういう一輪のいかにも直な性格に思い当たったとき、私は先日明け方の自分について、ようやく一種の恥ずかしさを感じはじめた。しかし、昨日から私に対する一輪の態度には全く変わったところがないので、私はまた同じ種の羞恥心を起こしてしまい、この真面目な友達のために謝ってあげることがやっぱりできなかった。
「でも、こんな棚を作ったりしたら、穴があったことも忘れないだろうね」
私は心底きまり悪い思いで言った。
一輪は「そんなの構わないわ」と言ってにこにこしていた。
・
空けた穴を飾り棚にこしらえ直して、一輪の腹は癒えたように見えた。しかし、よく気の回る彼女の頭は、しばらくすると今度はこの棚さえ厄介がるようになった。
一輪は毎日の日課のように講堂へ行き、例の棚の前で腕組みをしてうんうん唸るようになった。この棚に何かあるのかと訊いてみると、眉を寄せながら「棚に飾るのに相応しい物が思いつかないの」と言う。何でも気がつく一輪だと思った。
私が「大袈裟だなあ」と言って笑うと、一輪はこれに目をくるくる回して溜め息しながら「ムラサも何か飾ってみな」といかにも出来なかろうという調子で手を譲る。
丁度梅の季節なので雛人形はどうかと提案すると、「それはもう試したわ」と突っぱねられた。
「大きい雛は値が張りすぎるし、小さいとつまらない」
お寺らしく書を掛けてみたらと次の矢を出してみたが、これも「試したわ」と首を振られる。
「書を掛けるには棚の奥行きがありすぎる」
一輪はこの棚を「気難しい棚」と呼んでその後もあれこれと物を置き比べながらいつまでも頭を悩ませていた。しかし何日そうして唸っていてもなかなか名案が出る様子はない。
置く物のない飾り棚は、春の講堂をなんとなく寒くして、ただ殺風景に壁があった頃よりもいっそう不足を感じさせるようだった。私の予言したとおりで、空っぽうの棚が目に入るうちは壁に空いた穴のことを誰も忘れることがなかった。私のきまり悪い思いもまた、それと同じにいつまでも消えずに残った。
酒と、私の鈍い頭と、一輪の意地張りから空いてとうとう埋めることが出来なかったこの壁の穴は、作り主の呼ぶとおり気難しく、飾ったものを容易に受け入れることがない。私はどうかしてこの穴を埋めたいと思った。
私は一輪に付き合って毎日棚の前で腕組みをして唸ってみることにした。
元が素っ気のない土壁なので、日用の物を乱雑に片付けては面白くない。あえて置く飾り物なら、何か良く目を楽しませるものでなければ今更一輪の気が済まない。といって、あまり派手すぎるものを選ぶと命蓮寺の雰囲気にそぐわなくなってしまう。
一輪が唐物の四角い大皿を置いてみた。大きくて立派な骨董だったが、この棚には大きすぎ立派すぎた。飾り脚に掛けて立たせるとどうやら丈も足りない。無理に押し込むと皿の絵がのめるように見えた。仕舞いには寅丸が着物の袖を当てて板間の床で割ってしまった。
私が鏡を置いてみた。楕円形の縁に蔦の紋様をあしらった上等のもので、大皿のときの脚で立たせると部屋が明るくなる気がした。ただ、円い鏡を真四角く切った棚にわざわざ立たせて飾るのは誰が見ても変だった。これは寅丸が割りに来るまえに六畳間の押入れに隠した。
二人で色々のものを試してはあれでもないこれでもないと話し合う日がひと月以上もあって、気がつくと季節も春から夏へと移ってしまった。
寺にあるものは粗方検討してしまった。
私と一輪はこの頃になると、どこへ出掛けても何か棚に置くのに意外なものでも落ちていないかとばかり、常にせわしない目付きをしているもので、寅丸からは「ナズーリンが三人になった」と言って笑われた。夜六畳の部屋へ引っ込んでからも間を繋ぐように同じ話ばかりしているので、たまに隣の八畳で親分と相部屋に暮らしているぬえがふすまの間から顔を出して「またその話かよ!」とか「ムラサの帽子でも飾っとけ!」とか呆れ顔で野次を投げ込んでいく。
いつまでもまとまらない相談に隣室から「もう棚の話は止めろ! 夢に出てくるんだ!」と怒鳴りつけられたある夜、私は「ぬえも大分辟易してきたな」と思いながら眠りにつき、そうしていつかの鯨の夢を再び見た。
青く日脚の差す海の底に、私は一人で居る。私が掛けている帆はやっぱり縦長く出来ていて、船はやっぱり三日前に引きずり込んだものだった。昇る金の向こうからやってくる鯨は四丈か五丈もありそうな体でゆったりとしている。ただ可笑しいことに、私はこんなところでも腕を組んでうんうん唸りながら壁の穴のことを考えていた。私はあの壁の穴について、一輪との友情に果たすべき責任をまだ果たすことが出来ないでいる。自分から名乗り出て一輪と一緒に聖に叱られることも出来なかった。そのことについて彼女のために謝ることも出来なかった。どうかしてあの穴を埋め合わせなくてはいけない。鯨が帆の周りを回りながら歌いだすと、その長い声とは反対に私の頭はだんだん焦ってきた。自分はいつでも呑気すぎているんだと思った。死んで舟幽霊になってしまったり、陸へ上がって念仏を唱えたり、船ごと地獄に封印されたり、また帰ってきたり、私は水底の藻のようにあちこちへなびくばかりで、大切なことはいつでもひと足違いで遅れてしまう。この鯨も捕まえなければいまにどこかへ呼ばれて行ってしまう。私はそうしながらその一晩の間、もうこれは私にとってはいつぶりのことかと思うような真面目さになって考えた。
翌朝目を覚ました私は、棚に硝子鉢を置いて金魚を飼うことを思いついた。私は毎朝起きて外廊下を歩くときに板間の前で赤いひれが光ったら、それはきっと綺麗だろうと想像した。綺麗でも金魚なら俗にはならない。早速に小盥を抱えて里を訪れ、よく太った金魚を四匹買い求めた。代金は一輪と折半した。鉢に水を汲んで盥から金魚を落とすと、透明な硝子が光る中で四つ鮮やかに赤い。静かな板間に置いて眺めていると、幽かな水の音が涼しく聞こえてきた。
一輪はようやく名案が出たとか秀逸だとか言って大変褒めてくれた。他の弟子達もこれには感心してうなずいた。私は、一輪と手をとってようやく壁の穴の埋まったことを大袈裟に喜びながら、ふいに頭の隅で取り留めもない想像を持った。
そのときの私は、入道使いの女の子が酔って壁に穴を空けたり、陸に上がった舟幽霊が彼女の真面目な気性を庇い損ねたり、その穴を水の生き物が埋めてくれたりした巡りあわせを、何か不思議な思いで眺めていた。
私は不思議な思いのする内でそれから朝夕金魚に餌をやった。金魚の方でもだんだん人に慣れてくると、水面に私の覗き込む影が映るたびに小さい顔を持ち上げて口をぱくつかせるようになった。硝子鉢に指をくっつけてみると金魚たちはうろうろとやって来る。その鱗のいくつかが日を受けてぴかぴか光ったのを見たとき、私は鯨の夢の中で見た水中を昇っていく金はこれだったのかという発見のような空想のような思いに当たってはっとした。
自分のぼんやりした目には、世の中のことは行ったり来たりするばかりで意味がないようでも、よく気をつけて見れば油断ならない筋が織り込まれてあるのかもしれない。この金魚もまた、これから命蓮寺でひとの目に触れるかぎりは、きっとまた別な意味をして現れてくるのだろう。すでに死んで命のない私は、こういう世の中にある巡りあわせの威力のようなものを、何か遠く寂しいもののように見た。
ある夕、内弟子が講堂に揃って食膳を並べた席で、おもむろに一輪が立ち上がって、十畳の板間の棚に金魚を飾ったことを重大事件でも発表するような改まった口調で話した。そうしていかにも嬉しそうに一人で万歳を言い始めた。そのときの私は、すぐに一輪に続いて万歳した。隅の席からぬえも面白がって加わった。
私は、自分が陸へ上がってからの千年余りで、意味の変わらなかったものは、この一輪とぬえの二人だけのような気がした。
大袈裟ですが、面白さに感動した。
一杯奢ってやらないとな。
これは最近感じたのですが、氏の命蓮寺関連は、星はいつもコメディリリーフとして、ネタ扱いで登場してて面白いw(気が利かないだの皿を倒すだの)
静かで、落ち着いた空気感が出ていてたまりません
イベントも楽しみにしています
本も期待してます
自分も友人と合体サークルで紅楼夢出るので、挨拶に行くのを楽しみにしてますわ~。
ムラサが命蓮寺に居るのも巡り合せの内よ。今回の件はムラサの夢がなければ片付かなかったわけだし。
ちょっとふわふわした感じのムラサが良かったです。
相変わらず酒が絡むと、ちょっと残念な一輪さんも楽しかったです。
鯨の夢が金魚を連れてくるというのもおしゃれですね
大事なものを掴めたような、やっぱり掴めないような頼りない感覚が非常にリアルでした
壁の穴が単なる穴でなく村紗の心に空いた穴と絡んでくるあたりが流石の上手さだと。
文章も言うことがありません。いつものように、やや堅めで、それでいて自然と読めるもの。
それにしても、壁の穴をこしらえたのは雲山じゃなくて一輪さん本人っすか……
最初から最後まで、パズルのピースをはめ込むようにきっちりとまとめられており、
読み終わったときのすっきりとした後味はとても感慨深いものがありました。
よく太った金魚を買い求めたって一文が凄く好きです