<1>朝
良いか悪いかで言えば、多分それは最悪なくらいに。
善いか悪いかで言えば、きっとこれは凶悪なくらいに。
今朝は、寝起きが悪かった。
鬼――血を飲む鬼の元に身を捧げ、時を止める術を持っているとはいえ、私は普通のメイドで、普通の人間だ。
普通に休むし、普通に寝るし、寝れば夢も見る。それが悪夢になることも、人並にある。
寝汗をかいていた。水差しの中の、ぬるくなってしまった水を、水差しから直接口に流し込む。口をつけるような下品な真似はしない。だったら最初からコップに注いでから飲めという話だが、細かいことはいいのだ。口から少し離した上空より流れ出した流水は、少しだけ口端からこぼれて、シーツに染みを作った。
どうせすぐ洗濯するのだ。放っておこう。まぁ洗濯するのは私なのだけれど。
ベッドから出る。それなりに気だるい。今敵に襲われたら完封勝ちするくらいしかできなさそうだ。それじゃあいけない。シャワーを浴びよう。
やたらと軽い素材で作られた寝間着と、汗を吸って重い下着を脱いでシャワー室に入った。どうせこの館でシャワーを浴びるのなんて私くらいなので、シャワーは私の寝室に設置されている。まぁ、管理するのも私なのだけど。そもそもシャワー設備を作ったのが私なのだけど。勝手に。
勝手に作ったシャワーから熱くもないお湯が出てくる。熱くもないというか、水だった。夏でさえなければ、全身が毛羽だってしまうような冷水であっただろう。しかしまぁ、水だろうがお湯だろうが汗さえ流せれば、同じこと。
私は弱々しくなよなよしく女々しい女の子である以前に、である以上に、完全無欠で瀟洒なメイドなのだ。メイド服を汚さなければ、それでいい。
体温くらいの水で体温くらいの汗を流したあとは、当然だが身体を拭く。ふかふかのタオルだ。お嬢様のお嫌いな太陽光の力である。やっぱり世界は回っているらしい。外の世界には太陽の恩恵を受けずともふかふかに、いい匂いにしてくれる『洗剤』とやらがあるらしいが、私には不要だ。お嬢様がこれから没落して一人暮らしを始めたとしたらわからないけれど。
試しにタオルの匂いを嗅いでみた。
「――十全」
サボン。
新しい下着を身につけ、ブラウスを羽織る。エプロンドレスに、ヘッドドレス。乱れのないよう鏡で確認したら、朝の準備はおしまい。
私の名前は十六夜咲夜。
完全無欠で瀟洒なメイド、ですわ。
<2>仕事
「おい、咲夜」
「はいお嬢様」
「お前はひょっとして、健忘症のきらいでもあったかな」
「いいえとんでもない。心外で管外ですわ」
「自分の名前」
「十六夜咲夜」
「自分の職業」
「メイド」
「自分の能力」
「僭越ながら、時間を止める程度の能力ですわ」
「自分の年齢」
「秘密、ですわ」
「自分の好きなもの」
「身体にいいもの」
「それだ」
お嬢様はそこで会話を一度区切った。一度置いた紅茶のカップを持ち上げて、その表面を渋い目で見つめる。
「一応聞いておこう。この紅茶に入っているであろう何かの量と、致死量を」
「118mgと57.9gですわ。確か。多分」
「――――福寿草じゃないだけ、学習したのか」
そう呟いてから、お嬢様は紅茶を飲み干す。極論を言えば紅茶にだって致死量はある、とか言う気はないけれど、でもやっぱり少し言ってみたいかもしれない。
「人間とは致死量が違うかもしれないのよ。それがプラス補正であるとは、限らない」
「お嬢様は死にませんわ」
「まぁ、そういう運命だもの」
そう、お嬢様は死なない。そういう運命だから。殺しても、死なない。
「――もしお嬢様が、今日誰かに殺されるとしたら、お嬢様はどのように?」
<3>夢
私が今日見た悪夢。それは、お嬢様を殺す夢だった。
お嬢様に馬乗りになって、使い慣れたナイフで。胸元、喉元。口、頭。耳、鼻。目。腕。腹。また胸、胸胸。刺した。切った。裂いた。削いだ。剥いだ。殺した。殺した殺した殺して殺した。
返り血どころか溢れる血すらもなくなって。いつも通り清潔だったメイド服は、これ以上紅く血に染まる場所などないくらいに。
ナイフの切れ味が落ちているかもしれない。でも関係なく、刺し切り裂き削ぎ剥ぎ殺した。殺し続けた。下半身もとっくに解し尽くした。羽も落とした。
その場所はどこでもなかった。ベッドの上でも、棺桶の中でも、図書館の中でも、この館のどこでもなく、外でもなく。ただ真っ暗なだけだった。
お嬢様はぴくりとも動かなかった。目も鼻も耳も口もない。私が全部壊した。顔なんてない。首もない。身体に区別なんてない。全ての部位が等しく殺され、しかしそれでも、お嬢様はお嬢様だった。
私はナイフを投げた。殺しに殺した私の身体は、全身が疲弊し、耐えきれないほど重かった。珍しく息も切らしていた。汗も、血と混じってドロドロしながら身体を流れた。
空を見上げた。何もなかった。
下を見た。お嬢様は、お嬢様だった。
<4>解
「私は死なないわ。殺されても」
それだけで十分。そして、当然。
そうですわね。とだけ呟いて、私は空を――天井を、見上げた。赤かったし、そしてやっぱり、下にはお嬢様が居た。
紅茶を、淹れなおそう。
良いか悪いかで言えば、多分それは最悪なくらいに。
善いか悪いかで言えば、きっとこれは凶悪なくらいに。
今朝は、寝起きが悪かった。
鬼――血を飲む鬼の元に身を捧げ、時を止める術を持っているとはいえ、私は普通のメイドで、普通の人間だ。
普通に休むし、普通に寝るし、寝れば夢も見る。それが悪夢になることも、人並にある。
寝汗をかいていた。水差しの中の、ぬるくなってしまった水を、水差しから直接口に流し込む。口をつけるような下品な真似はしない。だったら最初からコップに注いでから飲めという話だが、細かいことはいいのだ。口から少し離した上空より流れ出した流水は、少しだけ口端からこぼれて、シーツに染みを作った。
どうせすぐ洗濯するのだ。放っておこう。まぁ洗濯するのは私なのだけれど。
ベッドから出る。それなりに気だるい。今敵に襲われたら完封勝ちするくらいしかできなさそうだ。それじゃあいけない。シャワーを浴びよう。
やたらと軽い素材で作られた寝間着と、汗を吸って重い下着を脱いでシャワー室に入った。どうせこの館でシャワーを浴びるのなんて私くらいなので、シャワーは私の寝室に設置されている。まぁ、管理するのも私なのだけど。そもそもシャワー設備を作ったのが私なのだけど。勝手に。
勝手に作ったシャワーから熱くもないお湯が出てくる。熱くもないというか、水だった。夏でさえなければ、全身が毛羽だってしまうような冷水であっただろう。しかしまぁ、水だろうがお湯だろうが汗さえ流せれば、同じこと。
私は弱々しくなよなよしく女々しい女の子である以前に、である以上に、完全無欠で瀟洒なメイドなのだ。メイド服を汚さなければ、それでいい。
体温くらいの水で体温くらいの汗を流したあとは、当然だが身体を拭く。ふかふかのタオルだ。お嬢様のお嫌いな太陽光の力である。やっぱり世界は回っているらしい。外の世界には太陽の恩恵を受けずともふかふかに、いい匂いにしてくれる『洗剤』とやらがあるらしいが、私には不要だ。お嬢様がこれから没落して一人暮らしを始めたとしたらわからないけれど。
試しにタオルの匂いを嗅いでみた。
「――十全」
サボン。
新しい下着を身につけ、ブラウスを羽織る。エプロンドレスに、ヘッドドレス。乱れのないよう鏡で確認したら、朝の準備はおしまい。
私の名前は十六夜咲夜。
完全無欠で瀟洒なメイド、ですわ。
<2>仕事
「おい、咲夜」
「はいお嬢様」
「お前はひょっとして、健忘症のきらいでもあったかな」
「いいえとんでもない。心外で管外ですわ」
「自分の名前」
「十六夜咲夜」
「自分の職業」
「メイド」
「自分の能力」
「僭越ながら、時間を止める程度の能力ですわ」
「自分の年齢」
「秘密、ですわ」
「自分の好きなもの」
「身体にいいもの」
「それだ」
お嬢様はそこで会話を一度区切った。一度置いた紅茶のカップを持ち上げて、その表面を渋い目で見つめる。
「一応聞いておこう。この紅茶に入っているであろう何かの量と、致死量を」
「118mgと57.9gですわ。確か。多分」
「――――福寿草じゃないだけ、学習したのか」
そう呟いてから、お嬢様は紅茶を飲み干す。極論を言えば紅茶にだって致死量はある、とか言う気はないけれど、でもやっぱり少し言ってみたいかもしれない。
「人間とは致死量が違うかもしれないのよ。それがプラス補正であるとは、限らない」
「お嬢様は死にませんわ」
「まぁ、そういう運命だもの」
そう、お嬢様は死なない。そういう運命だから。殺しても、死なない。
「――もしお嬢様が、今日誰かに殺されるとしたら、お嬢様はどのように?」
<3>夢
私が今日見た悪夢。それは、お嬢様を殺す夢だった。
お嬢様に馬乗りになって、使い慣れたナイフで。胸元、喉元。口、頭。耳、鼻。目。腕。腹。また胸、胸胸。刺した。切った。裂いた。削いだ。剥いだ。殺した。殺した殺した殺して殺した。
返り血どころか溢れる血すらもなくなって。いつも通り清潔だったメイド服は、これ以上紅く血に染まる場所などないくらいに。
ナイフの切れ味が落ちているかもしれない。でも関係なく、刺し切り裂き削ぎ剥ぎ殺した。殺し続けた。下半身もとっくに解し尽くした。羽も落とした。
その場所はどこでもなかった。ベッドの上でも、棺桶の中でも、図書館の中でも、この館のどこでもなく、外でもなく。ただ真っ暗なだけだった。
お嬢様はぴくりとも動かなかった。目も鼻も耳も口もない。私が全部壊した。顔なんてない。首もない。身体に区別なんてない。全ての部位が等しく殺され、しかしそれでも、お嬢様はお嬢様だった。
私はナイフを投げた。殺しに殺した私の身体は、全身が疲弊し、耐えきれないほど重かった。珍しく息も切らしていた。汗も、血と混じってドロドロしながら身体を流れた。
空を見上げた。何もなかった。
下を見た。お嬢様は、お嬢様だった。
<4>解
「私は死なないわ。殺されても」
それだけで十分。そして、当然。
そうですわね。とだけ呟いて、私は空を――天井を、見上げた。赤かったし、そしてやっぱり、下にはお嬢様が居た。
紅茶を、淹れなおそう。
静かな狂気あたりがテーマなのでしょうか?
それならば最初の段落の不思議な文章も理解出来る気がしますが。