「あら、一人だなんて珍しい」
静々と、雪が舞い降りる夜。
のれんを潜って現れた顔を目にして、女将は軽く首を傾げた。
「そうだっけ?」
「ここにくる時は必ず、霊夢は誰かと一緒だったような気がするわ」
「でも、鳥頭でしょ?」
赤い番傘を屋台に立てかけながらの、失礼な発言。
むっ、と女将は僅かに眉を吊り上げた。
「この前は魔理沙と一緒だったよね? せっかく搾りたての雀酒をオススメしたのに、注文しなかった」
「……よく覚えているわね」
「そう言う霊夢こそ、私の名前ちゃんと覚えてる?」
「ミスティア」
「姓は?」
「……ソーラレイ」
「ローレライ」
降参、とばかりに軽く両手をあげた霊夢は、屋台の長椅子に腰を下ろした。
それをもって溜飲を下げたか、女将は相好を崩す。
夕方からの初雪に足止めされていた閑古鳥が今、ようやく飛び去ってくれたのである。
下ごしらえは少なめにしておいたとはいえ、全部無駄になってしまっては勿体ない。笑顔もこぼれるというものだ。
「あらためまして、いらっしゃい。今日のオススメはヤツメ鍋ね。体がポッカポカになるよ」
「ん……」
「どうしたの?」
「ううん、なんでもない。それ一人前と雪雀大吟醸、冷で」
「はーい」
注文を受けて、女将はお通しを用意する。
今日のお通しは歯ごたえも楽しい辛口メンマだ。既に小鉢に盛り付けが済んでいるそれに、手を伸ばしかけて――
女将は手を止めると、小鉢に新たに卯の花を盛り付けて、霊夢の前にコトン、と置く。
「お酒は?」
無茶を言うものである。夜雀には手は二本しかないというのに。
「順番。もう、霊夢はせっかちね」
「……」
女将は枡を台の上に置くと、その中にコップを用意。
一升瓶を手にとって、ポンと栓を抜き、コップの上で傾ける。
とくとくとく、と心地のよい音。
コップを満たし、溢れた酒が枡の中で踊る。
「どうぞ」
「ん……」
表面張力で酒が盛り上がるコップを手にとって、口をつける。
芳醇な吟醸香が口から鼻へと抜けて、霊夢の味覚と嗅覚を占有した。
「冷でよかったの?」
「ん?」
「冷えるでしょ?」
女将はチラリ、と屋台の外に目を向ける。
雪は、今もしんしんと降り続いていた。
ただでさえ肉体が脆弱な人間である。この寒さは堪えるに違いないのに。
されど霊夢は「何を馬鹿な」とばかりに、コップをコトン、と置いて。
「ヤツメ鍋」
「ん?」
「ポッカポカになるんでしょ?」
「……うん!」
大輪の笑顔を咲かせて、女将は大鍋の蓋を開ける。
おたまでよく攪拌して、
「野菜多めとヤツメ多め、どっちがいい?」
「ヤツメ……いいの?」
「お客さんは今、一人だし。皆にナイショだよ?」
「ちゃらららー」
「え? なに!?」
「……なんでもない。ナイショにするわ」
うん、と頷いて、女将はやや八目鰻を多めに盛り付ける。
秘伝の(当然、一代しか続いてないが)出汁と味噌の調和が織り成すこの味は、女将の自信作だ。
「どうぞ。熱いから気をつけて」
「ん……」
ふぅふぅと冷まして、口へ運ぶ。
独特の歯ごたえと、出汁の旨味の中に覗く若干の苦味。
それらは什器の中ではだんまりな癖に、霊夢の胃の腑へ落ち着いた途端に「酒をよこせ」と大合唱を始めるのだ。
要求に応じて仕方なく、コップを傾ける。
「どう?」
「あんたの屋台で、不味いものが出たためしはないわ」
「ありがとう」
「何で礼を言うの?」
「嬉しいから」
「商売でしょ?」
「違うわ。ロックよ」
なるほど、焼き鳥にヤツメウナギで立ち向かう様は確かに、
「ロックね」
そう呟いて、霊夢は口を閉ざした。
正確に言えば、言葉を発するのをやめた。口は、動かしたままだ。
鍋はやはり熱いうちに食してこそ、鍋であろうから。
◆
「おかわり、いる?」
「ん……」
気付けば、コップは空になっていた。
若干赤みがさした顔で、霊夢は女将を見る。
「酒のオススメは?」
「もう! たまには壁のお品書きも見てよ。旬のオススメとか、ちゃんと張り出してあるのよ?」
「ん……」
言われて霊夢は、久々に屋台の壁に目をやった。
なるほど、サーモンの炙りやら、ワカサギの唐揚げやらに混じって、オススメの日本酒一覧も壁にピンで留められている。
が、ふと。
「ん……」
「どうしたの?」
「酒は任せる。それ」
霊夢が指差したのは、屋台の壁に貼られた写真の中の一枚。
ビニールに包まれているから写真そのものは無事とはいえ、油の蒸気その他で茶色く染まったそれ。
そこに切り取られている風景は、幻想郷中を飛び回った霊夢にもまったく見覚えがないものだ。
「……外。魔理沙が行ったことあるって言ってたけど、あんたも行ったんだ?」
「うん。記念に貼ってあるの。外界に行く機会なんてそうそう無いから」
「ふぅん」
「手元で見る?」
「汚れるから、いい」
そう呟く霊夢の声は、どこかしら堅い。
「それ、どこ?」
写真の中に収められているのは、夕日と大河。女将と風祝。
そして黒服の上にけぶるような金髪を流す、霊夢の友人。
「アマゾン。熱帯雨林の大河」
「楽しかった? って、覚えてないか」
「だから、覚えてるってば! ……楽しかったわ。歌ったらね、現地の男達から『お前にはショラォンの魂がある!』って、大喝采!!」
雪中梅の瓶を抱きしめて、「きゃー」なんて赤面しながら照れる女将。
そんな様に、嫉妬したわけでもないだろうが。
「ふうん」
霊夢の声に不機嫌の色が差したのが、女将にも読み取れた。
「どうしたの?」
「……悪いわね。水差しちゃった」
「ううん……でも、置いてけ堀しちゃった?」
「あんたが、じゃないわ」
慌てて女将が用意した二杯目を、霊夢はあまり上品とは言えない動作で喉に流し込む。
「……なかった」
「え?」
「あいつ、私を誘わなかったのよね」
女将は、その言葉の意味を正確に把握した。
その時外界へ旅行に行ったのは、女将と、射命丸文、東風谷早苗、そして霧雨魔理沙の四人。
彼女達は故あってその四人で旅行に行ったのであるが、そんな故など霊夢にはどうでもよろしかろう。
「なんか、ごめんね」
「あんたが謝ることじゃない、って、さっき言わなかった?」
「明言は、されてないかな」
「……そうね」
持て余した己の感情を胃の腑に戻すかのごとくに、酒をあおる。
「ねえ」
「なに?」
「妖怪って、人間より長生きするじゃない?」
「霊夢にやられなければね」
「長生きするメリットって、あるのかしら?」
妖怪に尋ねても、望む答えが得られるとは思えないが。
「そりゃあ、あるわよ」
「例えば?」
「短命より、楽しい事がいっぱいできるわ」
ああ、という溜息を霊夢はギリギリ喉元で押し留めた。
だが、不満が顔に出てしまったか、予想外に女将が鋭かったか。
「この答えじゃ、駄目?」
「……妖怪には、分からないかもしれないけど」
「うん」
「長く生きれば生きるだけ、別れも増えるわ」
「ああ」
女将は納得したように頷いた。
妖怪よりも妖怪じみているくせに、妙に人間くさい思考だな、と。
喉元までせりあがってきた笑いを、口腔でかみ殺す。
「大丈夫よ。だって、私達は忘れる生き物だもの」
「本当に、忘れられる?」
「霊夢ってば、わりと自信過剰なのね」
「……そうかも」
「それにね。皆の話を聞いていると、一定周期ごとに記憶が整頓されちゃうみたいなの。主に、辛い記憶を中心に」
「ああ、紫もそんなこと言っていたかもね」
若干、薄気味悪げな表情で霊夢は冷を啜る。
「だからね、霊夢」
「うん?」
「遠慮なんて馬鹿のやることよ。もっとワガママに生きないと、今すぐにでも忘れちゃうわ?」
ぱちぱちと。
豆鉄砲を食らった鳩のように霊夢は目を瞬かせる。
「そっか」
「うん」
「おか……ミスティア・ローレライ」
「うん?」
「死ぬまで、忘れないわ」
「そう」
女将は雪中梅を霊夢のコップに継ぎ足すと、屋台に頬杖をついて、
「でも霊夢ってば、忘れるのが早いのね。ローラレイよ?」
「嘘!?」
チロリ、と舌を出す。
「嘘♪」
――雪中梅、瓶ごと没収。
◆
二杯目のヤツメ鍋をほふほふと口に運ぶ合間に、ふと、思い出したように尋ねる。
「あんた、これは覚えておきたい、ってこと。ある?」
「あるわ。だから私は、こうやって写真を飾ってる」
飾られていたのは、先の一枚だけではない。
発声練習をしているときの写真。和尚に追いかけられている写真。紅魔館改築記念ライブの写真。諸々ある。
「写真ってね。引き金なんだって」
「引き金?」
「そう、引き金。文さんが言うにはね」
女将は右手で銃を作ると、
「無駄撃ちしちゃ駄目。必要な時に、必要な数だけ。それを守れば」
左手を添えたそれを霊夢の眉間へ向けて、
「その光景を知っている人は、その一フレームをきっかけにその時の記憶を思い出せるの。知らない人には、その光景を知りたいと思わせられるの」
バン、と引き金を引く。
「知りたくなったでしょ?」
「……パンクライブなんて耳が痛くなるもの、理解したくもないわ」
「霊夢は、屋台には来るのにライブには来ないものね」
「ステージ衣装を纏ってる時のあんたは、見つけ次第撃ち落とすことにしてるから」
「あら、ありがとう」
「なんで?」
「それってこの姿の時の私は、絶対に襲わないってことでしょ?」
普段耳につけているピアス類も全て取り払った、三角巾頭。
和服の上に纏った割烹着の袖を引っ張って、女将は微笑む。
「……あんたはオンとオフをそれで切り替えているんだって、最近分かったから」
「気付くのが遅いわ。ちなみにパンクライブの衣装のときも、霊夢の言うオフね」
「ふぅん。ま、パンクライブに行くことはないから、どっちでもいい」
それは残念、なんて笑って、作業が途切れた女将は休憩用の椅子に腰を下ろす。
「ただ、あんたがオンステージのときはこれからも容赦しないわ」
「受けて立つわ。容赦しないのはこっちも同じだもの」
妖怪にとってのオンステージとは、即ち人を襲う時だ。
互いに顔を見合わせて獰猛に笑うが、顔立ちのせいか、どちらも今ひとつ迫力が無い。
「でもね、霊夢」
「うん?」
「こっちの私だって、全力投球。オンなのよ」
「知ってる」
「そっか」
霊夢は、追加注文したヤツメ鍋に視線を落とす。
「だから、ほら。せっかく八目鰻食べてるんだし」
「うん?」
「歌いなさいよ」
うん、と女将は微笑んだ。
「喜んで」
――ゆーきやこんこ あられやこんこ
――ふってはふっては ずんずんつもる
――いーぬはよろこび にわかけまわり
――ねーこはこたつで まるくなる
「一番と二番がごっちゃになってるわ」
「……せっかちな霊夢の為に、省略」
「さよか」
「うん」
女将の言ははたして真か、それとも誤魔化しただけか。
直感で真実にたどり着いた霊夢だったが、口にしたのはまったく別のこと。
「この歌ってさ」
「うん?」
「犬と猫、どっちをより馬鹿にしているのかしら?」
僅かに考え込んだ後、女将はしてやったり、といった感じの笑顔を浮かべる。
「犬と猫に対してそんな固定観念しか抱けない人間を、より馬鹿にしてるのよ」
鳥頭に記憶力で負けた霊夢は苦笑しながら頷いた。
「なるほど、違いない」
◆
紅魔館からの帰り道。
悪天候ゆえに低速巡航を余儀なくされていた魔法使いは、明かり灯る屋台を目にして悩む。
はて、一杯やっていくか。それとも家でくつろぐか。悩ましいところだ。
――よし、ならば先客を見てから決めようか。
接近してヒョイと屋台に視線を投じれば、目に映るは見慣れた紅い小袖姿。
迷うことなく前者を選択した魔法使いは雪の上に軟着陸して、のれんを潜る。
「よう、霊「シーッ……」
女将が人差し指を己の唇に当てる。
屋台に突っ伏す小袖姿は、今や腕を枕に夢中の人だ。
「っと。寝てるのか」
「うん、さっき寝ちゃった」
「ちぇっ、つまらんぜ。せっかく寄ったってのに」
「お酒と、八目鰻と、歌を楽しめばいいわ。いらっしゃい、魔理沙」
「おお? よく私が分かったじゃないか。鳥頭の癖に」
十代半ばの幼さに不敵さを滲ませる、笑み。
金髪も眩しい星の魔法使いはコートと帽子を脱いで、おどけたように黄金の三つ編みをピンと指で弾く。
そんな魔理沙に返されるは、女将の勝ち誇ったような表情。
実はさっき写真の話をしてたから、なんて事実はおくびにも出さないのだ。
「固定観念はよくないわ。……ご注文は?」
「ふむ、そうだな。ヤツメ鍋と串焼き二本。ターキーエイト、ダブル。ロックで」
「はーい、鳥飼のロックね?」
「……ああ、いいよそれで」
椅子から立ち上がった女将は、苦笑する魔理沙の前にメンマの小鉢をコトンと置いて、グラスを用意。
ロックアイスを転がして、米焼酎を少し多めに注ぐ。
「どうぞ」
「ん、サンキュ」
大鍋の前に向かう女将にグラスを掲げて、米の雫を喉へと流し込む。
芳香に遅れて、心地よく喉を撫でる甘味。ああ、これこそが生の実感だろう。
「で、霊夢とお前さんは何の話をしてたんだ?」
「秘密。お客さんとの会話の内容は、他言無用。それがこの商売の鉄則だもの」
「ああ、実は私と霊夢は夫婦なんだ。夫婦間に隠し事はあっちゃいけないだろ?」
「霊夢と婚約したのは紫さんだ、って私は聞いたけど……でも、うん」
一人思案の海に沈んでいた女将だったが、ふいに海面から首を出すと、
「ひとつ、魔理沙に質問」
「うん?」
魔理沙の前に一人前のヤツメ鍋を置いて、壁の一点を凝視する。
そんな視線の先に魔理沙も目を向けると、
「どうして、霊夢を誘わなかったの?」
非難するような女将の口調に、魔理沙は首を傾げ――
視線の先にあった写真と照合して、その意を得たり、と頷く。
女将のその非難は、女将本人の意志ではないのだろう。
「無論、誘おうとはしたさ。けど、その都度邪魔されたんだよ」
「邪魔?」
「そう。『巫女は幻想郷全体のための存在。自分一人のものだと思っていて? 随分と傲岸不遜ですこと』ってな」
「ああ、そういうこと」
博麗大結界の維持に、巫女は必要不可欠。
だから巫女を外界に連れ出すなど、妖怪の賢者が許すはずもない。
「でも、そっか」
細い霊夢の髪に一度手櫛を通して、魔理沙は満腔の溜息をつく。
「今なら、何も問題はないんだよな」
「そうだね……行ってくるの?」
「ああ、今決めた。明後日から二週間なら、大晦日前に戻ってこれるしな。さて、行き先はどこにするか……」
「暖かいところが、いいと思うわ」
「そっか、そうだな」
若い魔理沙は健啖だ。話しつつも、あっという間にヤツメ鍋を汁まで飲み干した。
コトン、と目の前に新たに置かれた串焼きに、手を伸ばす。
「気をつけてね?」
「なにがだ?」
「霊夢。滅茶苦茶やりそう」
「こいつ、未だに決闘以外の問題解決手段を知らないもんな。ホント、なんて奴だよ」
封魔針に見立てた串を、魔理沙はヒョイと屋台の外に投擲する。
「ゴミを撒き散らしちゃ迷惑よ?」
「ああ、騒音を撒き散らすのも迷惑だな」
女将はムッとして魔理沙を睨む。
「若いのは外見だけなのね。だからパンクが理解できないんだわ」
「若者は時に、常識に反発することが己を表現することだと錯覚する」
「老人は時に、名言っぽい出鱈目で若者を社会に縛りつけようとする」
「……ま、訴える手段が暴力じゃなくてパンクロックっていうのは、世の中が健全に廻ってる証拠か」
おどけたように魔理沙は白旗を揚げた。
雀と舌戦を繰り広げても疲れるだけだし、論破しても得られるものなど何もない。
ならば、
「ならばほら、歌えよ」
歌でも聴いているほうが、ましというものだ。
「喜んで」
魔理沙と、眠る霊夢にわずかばかり視線を落とした後、コホンと咳払いをして。
女将は天然の無音室と化した世界に、たった二人。
二人だけの観衆の為に、さえずりを紡ぎ出すのだ。
――Silent night, holy knight
――All is calm, all is bright
――Round yon Virgin, Mother and Child
――Holy infant so tender and mild
――Sleep in heavenly peace
――Sleep in heavenly peace
◆
苦笑する。
「気が早い。クリスマスはまだ先だぜ?」
「魔理沙達はクリスマスを外界で過ごすんでしょ? だから一足先に祝福をお届け!」
「おっと、そうだったな……悪くなかったぜ。なあ?」
魔理沙が振り向くことなく、背後へと問いかけると。
「ええ、奇麗な歌でした」
音もなくその場に現れた少女は白い番傘を畳んで、そっとのれんを捲り上げる。
「いらっしゃい、巫女さん」
「よう、巫女様。元気そうで何よりだ」
「ミスティアさん、魔理沙おばあちゃん、こんばんは」
白い外套の下から覗く緋袴に、白い毛糸のマフラーと手袋。
髪にはやはり、白いリボン。
十代前半と思われる少女が小さく会釈する。
「はい、こんばんは」
「おばあちゃんはもうやめてくれ。ピッチピチの十代なんだぜ?」
「おばあちゃんが様付けをやめてくれたら、考えます」
「お堅い奴だ……霊夢を起こすか? 迎えに来たんだろ?」
少女は小さくうなず……かなかった。
眠る先代の表情と、魔理沙達とを順繰りに見やって、首を横に振る。
「そのつもりでしたが……おばあちゃん」
「なんだ?」
「お師匠様を、一晩預かってもらってもよろしいですか? 人一人抱えて飛ぶのはしんどいので。おばあちゃんの箒なら余裕ですよね?」
「おっと、介護疲れか?」
「その質問はお師匠様が目覚めている時に、どうぞ」
「冗談。蹴られるのは御免だよ」
やはりワープはずるい。亜空穴からの昇天蹴は、今の魔理沙ですら躱すのが困難なほどだ。
無論、そのあとにコンボを繋げるほどの機敏さは、既に失われて久しいのだが。
「まあ、それはともかく。お願いできますか?」
「……いや、今晩はちゃんと神社に送るよ。代わりに後で二週間ほどこいつを借りるぜ?」
「? 二週間も、ですか?……ああ、先の『外界で』というのは」
「うん、ちょっくら保養地へ慰安旅行に行ってくる。お前にゃ、その、悪いが……」
巫女であるが故に神社を離れられない少女を前に、魔理沙は言葉尻をすぼませる。
が、巫女は特に気にしたふうもなく、魔理沙に茶目っ気のある笑みを返してきた。
「いえ、むしろお願いします。私のことは気にせず楽しんできてください」
「すまんな。大晦日までには帰ってくるよ。その間、神社はお前に任せるぜ?」
「ええ、任せてください」
「お、いい返事じゃないか」
「お師匠様に鍛えられましたので」
自信に裏打ちされた返事は、耳に心地よい。
「それじゃあ、私は先に失礼しますね。あ、これお師匠様の外套です」
長椅子の上、霊夢の横に赤い風呂敷包みを置いて、巫女は三者に背を向けた。
ばさり、と白い番傘が開かれる。
「うん、次の機会にはごゆっくりどうぞ」
「次に会った時も、ミスティアさんがステージ衣装でなかったならば」
結局、巫女自身は腰も下ろさず、外套どころか手袋も脱がずに屋台を後にした。
白黒斑な闇の中へと溶け込んでいく後ろ姿は、魔理沙が以前見たものよりも大きくなったように見える。見えるのだが……
魔理沙は悩んだ末、ポケットから携帯端末を取り出した。霊夢を起こさないように、念のため屋台から離れる。
妖怪たる女将の耳には届くかもしれないが、聞かれて困る話でもない。
「……はい東風谷です、じゃ誰だか分からん。……ああ、三代目か。……え? ああ、お前でいいんだ。しばらく霊夢が神社を留守にするんでな。お前マメに様子を見に行ってやれ。お姉さんだろ? ……ああ……ああ? やかましい! ……うん。じゃあな」
通話を終えて、屋台に戻ってくると、
「老婆心」
聞かせるべきではなかったようだ。
「うるさいよ。ピッチピチだ」
揶揄され、魔理沙はそっぽを向く。
すわチャンス、と追撃をかけようとして、しかし女将は口を閉ざした。
お客さんに気持ちよく酒を飲んでもらうのが、女将の仕事である。 ……と?
「あれ、魔理沙。来たんだ……」
霊夢が寝ぼけまなこを擦りながら、気が抜けたような表情で顔を上げる。
「ああ、来たよ。 ……なんだ、酷い顔だな。こりゃ酒で顔を洗うしかないぜ」
「ん……」
「女将、酒が足らんぞ。今度こそターキーエイトだ」
「はいはい」
年齢など関係ない。女三人寄れば瞬く間に姦しくなるものだ。
魔理沙が目を輝かせながら提案する。霊夢は目を白黒させる。然る後に女将へ、咎めるような視線。
女将は知らん顔で、二人の前に味噌たんぽを「おごり」と言って置く。
サービスなんぞで誤魔化されないわ。口ではそう言いつつも身体は正直だ。
舌鼓を打つ。酒が踊る。
女将は歌う。歌を歌う。
歌う歌う……
:
:
:
◆ ◆ ◆
いまだ談笑の微熱が柔らかに揺蕩う、夜雀の屋台。
無人となった客席側の食器を片付け終えて、女将は額の汗を拭った。
屋台から出て天を見上げれば、ああ。天より舞い降りる雪は、女将に遠慮する素振りすら見せない。
もう、今晩の来客は期待できないだろう。
女将は客席側に回って、長椅子に腰を下ろす。
つい、と食事台を指でなぞると、そこに積もり積もった言の葉がふわりと、
『じゃあ、出発は明後日だ。ちゃんと準備は巫女にやらせて、お前は手ぇ出すなよ?』
『どういう意味よ……まあ、いいわ。明後日の朝六時ね。ごちそうさま、ミスティア』
舞い上がって、耳の中でリフレインする。
それらを出納帳兼日記に書き留めた女将は、屋台の写真に視線を向けた。
魔理沙は、カメラを持っていくのだろう。
そのフィルムは、小さな永遠を作り出す。
これから先も、二人がそこにあったという事実は、写真という形となって残り続けるのだ。
一人がいなくなった後、もう一人にとってそれは辛い記憶になるのだろうか?
正直、女将にはそこまでは分からない。女将は女将、人は人だからだ。
でも、ああやって談笑する時間が、今の二人にとって幸せな時間であることは疑いない。それだけは、分かる。
三角巾を外し、食事台に突っ伏して。脱力したように耳と頬をペタンと台にくっつける。
そうやって屋台の声に耳を傾けながら、横に視線を向けると――
――ああ。
もぞもぞと、懐から型落ちの端末を取り出した女将は、キーロックを外してワンプッシュ。
コール音が耳の中に木霊する。
「もしもし、起きてた? ……そう、もう店じまい。 ……うん、ひどい天気だけど、ちょっとお寺抜け出して来れない? ……アハハ、おごり。 ……うん、いつものとこ。 ……うん、 ……うん、ありがとう。まってる」
霊夢はずいぶんと長い間、根に持ってたんですねw
『ブレードランナー』を始めとして、写真は、記憶を繋ぎとめるための媒介というよりも、記憶がこぼれ落ちて行く/思い出せない恐怖と悲哀を和らげてくれる精神安定剤としての役割を持つことがあるようです。目のつくところに飾られた写真はだから逆説的に、記憶の危うさを表現している。見事の一言です。
前作?のこころちゃんが登場する作品から読み始めたのですが、いまいちキャラが掴めていないというか、正直こんがらがってます。
まあでも作品自体は良かったです。
これから過去作品も読んできますので、次作まで、さらば。
ここの魔理沙は種族魔法使い?
最後にミスティアが連絡してたのは響子でいいのかな?
しんしんと降る雪のような穏やかな流れが素敵です
霊夢や早苗だけ代替わりしてるということは、魔理沙は捨虫・捨食の法を修めたのかな?
食べ物の描写がやたらと上手くて、思わずお腹がすきました。
誤字?わざと?だいぶ悩んだけど文脈から推理してミスかと。
Silent night, holy knight
knight→night
よーく読み返すと確かに匂わせる会話とかがあるんですよね。上手いです。
四人で外界~はハンデイ・ホウライの後書きですね。どこかで見覚えが……と思い探しました。
そしてこのミスティアの魅力的なこと! 今まで読んだSSの中でも一番ではないかと感じます。