犬走椛は妖怪の山に住む白狼天狗である。
彼女は良く利く鼻や耳に加え『千里先まで見通す程度の能力』を持つ。
スペルカードルールにおける弾幕こそ大きな成果はないが、そもそも彼女は哨戒天狗である。
任務は見張りや巡回であって、戦闘ではない。むしろ戦闘で負け、動けなくなった時こそ本分が果たせないのだ。時には戦闘を避ける判断をすることも彼女の仕事だ。
彼女が警護する妖怪の山は要塞だ。侵入者は少なく、他の哨戒も充実しているので彼女が弾幕を用いる機会は少ない。
その数少ない場面も、大抵は警告した時点で引き返すので、彼女が弾幕を本格的に使う機会はさらに少ない。
改めて、妖怪の山に対して侵入者する者は少ない。それは周知の事実である。
つまり哨戒天狗は基本的に暇なのである。
その日、早々に役目を終えた椛は、にとりと天狗大将棋を楽しんでいた。
季節は夏だ。屋内は熱気がこもる為、とても集中できない。二人は屋外にいた。
周囲は木々に囲まれ強い日差しを避けられ、切り株が並んで三つ並んでいる。切り株は将棋盤を置く台や椅子の代わりになる。
二人が屋外で将棋を指すとき、この場所を使用することが多い。
河の流れが穏やかで滝の近くのような水飛沫や轟音もない。
また、河童の作業場も近くにあるため、比較的忙しいにとりを呼びやすい。すなわち、対局である。
パシッ
にとりの駒が将棋盤の上を移動する。椛が読んでいた手であった。即座に駒を動かす。
「なあ」
一瞬、にとりが眉根を寄せた。
「うん?」
「機械いじりって楽しいのか?」
「面白いよ」
「そうか」
しばし考えた後、駒を動かす。
「そう言う椛は、仕事がつまらないの」
「いや、つまらないというか、暇。とことん暇」
「それは前からでしょ」
椛は鼻を鳴らして腕を組み直す。
「スペルカードルールが導入されてから、特に顕著だな。とにかく時間が余る」
剣を好むため誤解をされやすいが、椛はスペルカードルール、つまり弾幕について賛成派である。
人間と妖怪の間にある適度な距離感が戻ったことも理由であるが、仲間や相手が大怪我を負う危険性が減ったからだ。
妖怪とはいえ、痛いものは痛いし、怪我が原因で死ぬときは死ぬ。長い平穏は妖怪の弱体化を招いたが、それが解消に向かっているのも大きい。
不満点は剣の修行をする天狗は減ったことだが、反面で仕方がないと思う。
毎朝素振りをし、時には道場へ顔を出す椛は怠惰とも感じられたが、それは天狗の問題である。スペルカードルールではない、
「あのさ」
にとりも即座に駒を動かし、椛の駒を取る。彼女も読んでいたのであろうか。
「明日は非番だったよね」
「ああ。そうだけど」
「今夜さ、外に飲みにいかない?」
椛が盤上からにとりへ視線を移す。にとりはにんまりと笑っていた。
外とは妖怪の山の外を指す。
「人里か?」
人里とはいえ、妖怪用の店もある。特に飲み屋は夜行性の妖怪がいることもあり、一晩中営業を行なっている店もある。何度か椛も訪れたことがあった。
旨い肴と酒を手離すのは妖怪も惜しいため、よほど酒癖が悪くない限りは歓迎される。
「いいや、ミスティアの屋台だよ」
「ミスティア? ああ、夜雀か」
椛は外の情報に割と敏感である。情報収集は哨戒としての任務でもあるが、実際のところは興味の方が勝る。
ミスティアは変わり者として知られていた。屋台を引き、時には外の世界のバンド? だったか、音楽をすることでも。
当然、屋台の評判も耳に届く。
味や酒は上々で、客は種族を問わない。
博麗の巫女が妖怪や妖精と酒を共にする、一種の異空間との話もある。毎度の宴会も似たようなものだと思うが。
「屋台に行ったことは?」
「ないよ」
「じゃあ、行ってみよう。美味しい八目鰻でも食べにさ」
椛は基本的に暇である。哨戒も同僚にに、酒瓶を持って代役を頼めば変わってくれるくらいだ。
その反面、にとりは忙しい。
椛は細かいとこまでは知らないが、最近は山の神や地底に協力し、大規模な施設の関係者でもあるらしい。そういえばこの前は屋台を出していた。
そんなにとりが勧めるのである。不味いハズがない。
パシッ
一際景気の良い音が鳴った。
夜になり、駒の配置をメモすると天狗大将棋を片付けて河童の住処へ向かった。にとりが将棋盤と駒を戻してくると、早々にミスティアの屋台へと向かう。
いるだけで汗が噴き出てくる昼間の日差しに比べ、日が暮れた上空のなんと過ごしやすいことか。
昼は熱風だが、今は涼風だ。
美味しい八目鰻はありつきたいが、ミスティアは屋台を出す場所を日によって変えると聞いていた。
椛は場所を尋ねるが、にとりは大丈夫としか言わない。
ここは妖怪の山と魔法の森の中間地点になる。妖怪はいるだろうが、普通の人間が夜に訪れるとは考えにくい。
「この辺だとおもうんだけどね~」
「本当にあるのか?」
気楽そうなにとりの声に、椛は不安そうに返す。
「うん、多分。この辺に屋台がない?」
「探してみる」
にとりの声に対して、椛は『千里先まで見通す程度の能力』を発動させた。
椛の視界が一気に広がり、開放感を覚えた。天狗が夜目が利くがそんなの関係ない。真昼のように全方向を確認できる。
その状態で前方を確認する。探すのは屋台か明かりだ。すぐに「ヤツメウナギ」とのぼりのある屋台を見つけた。
傍に夜雀もいる。割烹着を着用し、機嫌良く歌っていた。距離があるため椛には聞き取れなかったが。
「夜雀と屋台がある、たぶんミスティアだ」
「おお、もう見つけたの」
「あっちだ」
椛が飛行速度を上げ、にとりを追い越す。直ぐににとりは椛の後を追う。
間もなくミスティアの屋台に椛とにとりはたどり着いた。
「あのさ、最近、何か悩んでいない?」
飲み始めてからしばらくたち、酒も程よく回った。
「ん、何って、何を?」
「それがわからないから本人に聞いてるんだけどね」
天狗相手に本人というの変だけどさ、と言うにとり。椛は何秒か考え込んだ後、
「悩んでいるというか、私は将棋以外に趣味がないなとおもってさ」
「へぇ、それってどういうこと?」
「知っての通り、暇なんだよ。
それでさ、何か趣味を考えたけどさ、天狗大将棋しか浮かばないんだよ。詰み将棋程度はやるけどさ、将棋は相手がいないとできないし」
「剣は? かなりの腕だってことは河童でも知っているよ」
椛は口の中で小さく笑い
「いやさ、スペルカードルール以前は剣術を磨くのが普通だったからね。日課や準備運動に近いんだよ、役目でもあるしね。
にとりも機械を弄るときに調子を確認するとおもうけど、それは準備だろ」
「ああ、そうだよね」
酒を口に運ぶにとりと、八目鰻にかぶりつく椛。
「しかし、なかなか旨いな」
「でしょ」
雑談をしながら、不意に気配を感じた。椛はすこしぼんやりした頭で気配の方に視線を移し、能力を発動させた。
目に映った相手に、酔いが一気に冷めた。思わず立て掛けておいた剣に手を伸ばす。
「ちょっと」
「どうしました」
突然の行動ににとりとミスティアが声を上げる。
「博麗の巫女だ」
単機で妖怪の山に攻め込んできた相手だ。非常にまずい。失態だ。酔っていたせいか、接近に気がつかなかったのだ。
思わず口に出る。スペルカードでは椛に勝ち目が無い。にとりやミスティアでも同じことだろう。
しかし、二人は全く動じない。
「おいおい、妖怪退治の専門家だぞ。逃げなくていいのかよ」
「んー、お客さんだと思うな」
「あ」
その一言に椛は思い出した。博麗の巫女もこの屋台を訪れていた事に。
酔いが冷めてしまった椛はばつが悪そう剣と楯を戻す。置いてある自分の酒を一気に飲み干し、次の酒を注文した。
「はい、天狗とはいえ、飲みすぎには注意してね」
「分かった」
口ではそう言いながら、新たに注がれた盃を一気に呷る。
「さすが天狗、いい飲みっぷりね」
空から降りてきたのは博麗の巫女である霊夢だ。
「こんばんは、博麗の巫女」
「こんばんは」
霊夢は椛の隣に腰を掛けた。
「人間が、それも博麗の巫女が本当に妖怪の屋台に来るとはな」
「私は時々来るけど、そんなに珍しいの? 初顔合わせだし」
「いや、珍しいのは私のほうだろう。今日が初めてだ。
巫女が来ると話には聞いてはいたが、出会うとは思わなかった」
「料理は美味しいし、稀にだけど、希少なお酒も扱ってる。来ない理由はないわ」
確かに。椛も同意する。
「ミスティア。先に盃をくれないか」
ミスティアが椛に渡し、それを霊夢の前に置く。ほれ、酒を注ぐ。
「あら、ありがとう。でも私を嫌っていると思ったけど」
「嫌う? ああ、侵入者は排除しないといけないが、山の外なら話は別だ」
言いながら、霊夢の盃に酒を注いだ。
「そういうものなのかしら」
「そういうものだ。それはそれ、これはこれだ」
三人でしばし飲み、談笑をしているうちにふとした疑問にぶち当たる。
「そうだ、博麗の巫女。聞きたいことがあった」
「いいわよ。それと霊夢でいいわ。堅苦しいのは嫌い」
「そうか、なら霊夢。巫女って楽しいのか?」
きょとん、と彼女が歳相応の顔をする。
「なに、それ、巫女になりたいの」
「いいや、私は天狗で十分だ」
「ふうん、じゃあ質問の意図は」
「暇なんだ。やることがない」
にとりに話した事と同じことを話す。要は趣味が少ない。
「私も同じよ、掃除とお茶ばかりだし」
「私もよく飲むな。空を飛んでいると喉が乾く」
「天狗の場合、お酒の印象が強いけどね」
「四六時中、酒ばかりではないさ」
「そうね、私もお茶ばかりではないし。こうしてお酒もね」
「お茶請けやつまみは?」
「基本的におせんべいかしら、季節の果物もいいけど」
「ふむ、両方とも捨てがたいな。人里のせんべいもなかなかうまいからな」
「食い物と飲み物の話ばかりだなぁ」
呆れたように言うにとり。
「色気より食気だよ」
「そっちも似たようなものでしょう。機械ばっかりで」
「まぁ、言われればそうだねぇ。あたしも似たようなものか」
にとりは料理を口にする。
「要は新しい趣味を作ろうかと思う。参考として聞いておきたいんだ」
「しかし、新しい趣味ねぇ。食べたり飲んだりするのが好きそうだし、料理とかは?」
「任務中は食事が付くからな。休みの日は普段から自炊するし、いまさら趣味という感じでもない。それに金の問題もある」
「そうね、たまに凝ったものを作ろうとするとお金もかかるし」
「それで失敗すると目も当てられない」
「まったくだわ」
何度か経験があるのか、二人そろって苦笑いをする。
「しかし同じ紅白同士、互いに菓子でも作ってみたらどうだい」
「面倒」
「菓子は買うに限るわ」
にとりは即答され、少し凹む。
「仕事は哨戒、要は見張りだったけ?」
霊夢が思い出したかのように言う
「ああ。巡回もするが」
「射命丸文って知ってるわよね」
「……ああ」
椛が眉をひそめた。
「文と仲が悪いの?」
「うん、顔を合わせると喧嘩になる」
にとりが口をはさむ。
「それで射命丸がどうだって?」
椛が自分でも驚くくらいにぶっきらぼうに言う。
「ああ、すまん」
椛はこちらの質問、いや相談に乗ってもらっているのに失礼な口調だったため、気に障ったかと霊夢を見るが、特に気にした様子はなかった。
「良いわよ。とにかくあいつは仕事が楽しいって感じだけど、椛は山を飛び回っていて面白くはないの」
「面白いし、一時期、記録にとってたこともある。だけど生まれたころから妖怪の山に住んでいるからな。既に隅から隅まで知っているし、今さらという感じが強い。
射命丸は幻想郷中飛び回るから少し勝手が違うな。というよりも妖怪の山は閉鎖的だからあちらが例外だ。
霊夢も神社の風景を毎日見て、いちいち感激したりしないだろ」
「まぁねぇ」
酒を一口飲む。
「いっそ、霖之助さんのところにでも行ってみたら? 変なものがたくさんあるし」
「りんのすけ? ああ、外の世界の道具を扱う半妖か」
とはいえ、店主の顔すら椛は知らないのだが。
「あら、知っているの?」
「名前だけだ。確か香霖堂だったか?」
「ふうん、でも何で。大きい店じゃないし、有名でもないでしょ」
「いや、かなり有名だと思うぞ。この幻想郷で唯一、外の世界の道具を堂々と扱う店だ」
だからと言って、客が訪れるかどうかは話は別だが。
「確かに、そうね」
「ちなみにどの辺にあるんだ?」
「魔法の森の入り口よ」
「ふうん、魔法の森ね」
椛は再度能力を発動させ、魔法の森の方面へ意識を向ける。視界は一気に魔法の森へ飛んだ。少し周囲を探るとわけのわからない建物を発見する。
「ん?」
理解が追い付かない、つい椛の口から疑問符が出る。
「ちょっと、どうしたのよ」
「香霖堂って、どんな外観?」
「怪しい店ね」
「狸の置物とかある?」
「あるわ、って見えるの?」
「ああ」
「便利ねぇ」
感嘆の声を上げる霊夢。
「こういうことには便利だな」
能力を褒められるのは素直にうれしい。照れるのを隠しながら椛は酒を一口飲んだ。
「後はそうねぇ、人里の鈴奈庵という貸本屋には外の世界の本もあるし」
「ほう、ほとんど読んだことが無いな」
本は高い。しかし貸本屋なら手頃な値で借りられるだろう。
「観光だったら、見るところは最近増えたしねぇ」
今度はにとりだ。確かに異変のたびに新参が増えている。しかも相応の力を持っている。
「私にとっては商売敵だけど、寺とかは開けているところもあるから、一度行ってみるもの悪くないんじゃない?」
「祭りもやるしねぇ、なかなか楽しいところだよ。住職は口うるさいけど」
何かあったのか、にとりが苦々しい口調になり霊夢が笑う。
「確かにそうだな。丸一日時間を潰せそうだ」
ちびちびと酒を飲む。
そして椛は考える。他の有力なところを訪れるのは偵察にもなるな。行くときには寝返ったと思われないように注意をしなければ。しかし、商売敵を紹介してくれるとは、霊夢は冷淡に見えて基本的にお人好しなのだろう。
椛は自分の思考と霊夢を比べに少し自分に嫌気がさした。
「椛は将棋に詳しいわよね」
今度は霊夢だ。だいぶ酔いが回っているのか、顔がほんのり赤い。
「ああ、何故知っている?」
「文々。新聞よ。以前に記事が載っていたの」
椛は思い出した。確かに将棋について話をした。同時に納得する。だから椛と射命丸の関係が良好だと思ったのだろう。
「確か変な駒が何個かあるのよね。さっきの香霖堂だったら何かわかるかもしれないし、外の世界の将棋については人里に外来人もいるから聞いてみたらどうかしら?
寺子屋の慧音あたりに話をしておけば、紹介してくれるんじゃないの?」
「それは、確かに楽しそうだな」
将棋を指すのも良いが、独自ルールについて調べ纏めるのも悪くない。
将棋好きは種族問わずいることだろう。強い相手と指しに行くのも良い。
「そういえば、人里や寺にいる妖怪狸はごく最近まで外の世界にいたんだよね」
「マミゾウね。よくうろついているし話好きだから、見つけ易いとは思うわよ。接触は妖怪同士だから注意してね。なんなら私の名前を出しても良いわ」
思い出したようなにとりに、霊夢が補足する。
確かに最近まで外の世界に居たならよく知っているだろうし、逆にこちらについてはあまりよく知らない筈だ。天狗大将棋について話すのもよいだろう。
「礼を言うよ。暇が潰せそうだ」
椛は笑って二人の盃に酒を注いだ。
後に将棋を独自ルール別に纏め終わった椛がふと気が付くと、幻想郷中を巻き込んだルール別将棋大会が開かれるまで話が大きくなり、更に実行委員長に選出され頭を抱える事態となるのだが、それはまた別の話。
彼女は良く利く鼻や耳に加え『千里先まで見通す程度の能力』を持つ。
スペルカードルールにおける弾幕こそ大きな成果はないが、そもそも彼女は哨戒天狗である。
任務は見張りや巡回であって、戦闘ではない。むしろ戦闘で負け、動けなくなった時こそ本分が果たせないのだ。時には戦闘を避ける判断をすることも彼女の仕事だ。
彼女が警護する妖怪の山は要塞だ。侵入者は少なく、他の哨戒も充実しているので彼女が弾幕を用いる機会は少ない。
その数少ない場面も、大抵は警告した時点で引き返すので、彼女が弾幕を本格的に使う機会はさらに少ない。
改めて、妖怪の山に対して侵入者する者は少ない。それは周知の事実である。
つまり哨戒天狗は基本的に暇なのである。
その日、早々に役目を終えた椛は、にとりと天狗大将棋を楽しんでいた。
季節は夏だ。屋内は熱気がこもる為、とても集中できない。二人は屋外にいた。
周囲は木々に囲まれ強い日差しを避けられ、切り株が並んで三つ並んでいる。切り株は将棋盤を置く台や椅子の代わりになる。
二人が屋外で将棋を指すとき、この場所を使用することが多い。
河の流れが穏やかで滝の近くのような水飛沫や轟音もない。
また、河童の作業場も近くにあるため、比較的忙しいにとりを呼びやすい。すなわち、対局である。
パシッ
にとりの駒が将棋盤の上を移動する。椛が読んでいた手であった。即座に駒を動かす。
「なあ」
一瞬、にとりが眉根を寄せた。
「うん?」
「機械いじりって楽しいのか?」
「面白いよ」
「そうか」
しばし考えた後、駒を動かす。
「そう言う椛は、仕事がつまらないの」
「いや、つまらないというか、暇。とことん暇」
「それは前からでしょ」
椛は鼻を鳴らして腕を組み直す。
「スペルカードルールが導入されてから、特に顕著だな。とにかく時間が余る」
剣を好むため誤解をされやすいが、椛はスペルカードルール、つまり弾幕について賛成派である。
人間と妖怪の間にある適度な距離感が戻ったことも理由であるが、仲間や相手が大怪我を負う危険性が減ったからだ。
妖怪とはいえ、痛いものは痛いし、怪我が原因で死ぬときは死ぬ。長い平穏は妖怪の弱体化を招いたが、それが解消に向かっているのも大きい。
不満点は剣の修行をする天狗は減ったことだが、反面で仕方がないと思う。
毎朝素振りをし、時には道場へ顔を出す椛は怠惰とも感じられたが、それは天狗の問題である。スペルカードルールではない、
「あのさ」
にとりも即座に駒を動かし、椛の駒を取る。彼女も読んでいたのであろうか。
「明日は非番だったよね」
「ああ。そうだけど」
「今夜さ、外に飲みにいかない?」
椛が盤上からにとりへ視線を移す。にとりはにんまりと笑っていた。
外とは妖怪の山の外を指す。
「人里か?」
人里とはいえ、妖怪用の店もある。特に飲み屋は夜行性の妖怪がいることもあり、一晩中営業を行なっている店もある。何度か椛も訪れたことがあった。
旨い肴と酒を手離すのは妖怪も惜しいため、よほど酒癖が悪くない限りは歓迎される。
「いいや、ミスティアの屋台だよ」
「ミスティア? ああ、夜雀か」
椛は外の情報に割と敏感である。情報収集は哨戒としての任務でもあるが、実際のところは興味の方が勝る。
ミスティアは変わり者として知られていた。屋台を引き、時には外の世界のバンド? だったか、音楽をすることでも。
当然、屋台の評判も耳に届く。
味や酒は上々で、客は種族を問わない。
博麗の巫女が妖怪や妖精と酒を共にする、一種の異空間との話もある。毎度の宴会も似たようなものだと思うが。
「屋台に行ったことは?」
「ないよ」
「じゃあ、行ってみよう。美味しい八目鰻でも食べにさ」
椛は基本的に暇である。哨戒も同僚にに、酒瓶を持って代役を頼めば変わってくれるくらいだ。
その反面、にとりは忙しい。
椛は細かいとこまでは知らないが、最近は山の神や地底に協力し、大規模な施設の関係者でもあるらしい。そういえばこの前は屋台を出していた。
そんなにとりが勧めるのである。不味いハズがない。
パシッ
一際景気の良い音が鳴った。
夜になり、駒の配置をメモすると天狗大将棋を片付けて河童の住処へ向かった。にとりが将棋盤と駒を戻してくると、早々にミスティアの屋台へと向かう。
いるだけで汗が噴き出てくる昼間の日差しに比べ、日が暮れた上空のなんと過ごしやすいことか。
昼は熱風だが、今は涼風だ。
美味しい八目鰻はありつきたいが、ミスティアは屋台を出す場所を日によって変えると聞いていた。
椛は場所を尋ねるが、にとりは大丈夫としか言わない。
ここは妖怪の山と魔法の森の中間地点になる。妖怪はいるだろうが、普通の人間が夜に訪れるとは考えにくい。
「この辺だとおもうんだけどね~」
「本当にあるのか?」
気楽そうなにとりの声に、椛は不安そうに返す。
「うん、多分。この辺に屋台がない?」
「探してみる」
にとりの声に対して、椛は『千里先まで見通す程度の能力』を発動させた。
椛の視界が一気に広がり、開放感を覚えた。天狗が夜目が利くがそんなの関係ない。真昼のように全方向を確認できる。
その状態で前方を確認する。探すのは屋台か明かりだ。すぐに「ヤツメウナギ」とのぼりのある屋台を見つけた。
傍に夜雀もいる。割烹着を着用し、機嫌良く歌っていた。距離があるため椛には聞き取れなかったが。
「夜雀と屋台がある、たぶんミスティアだ」
「おお、もう見つけたの」
「あっちだ」
椛が飛行速度を上げ、にとりを追い越す。直ぐににとりは椛の後を追う。
間もなくミスティアの屋台に椛とにとりはたどり着いた。
「あのさ、最近、何か悩んでいない?」
飲み始めてからしばらくたち、酒も程よく回った。
「ん、何って、何を?」
「それがわからないから本人に聞いてるんだけどね」
天狗相手に本人というの変だけどさ、と言うにとり。椛は何秒か考え込んだ後、
「悩んでいるというか、私は将棋以外に趣味がないなとおもってさ」
「へぇ、それってどういうこと?」
「知っての通り、暇なんだよ。
それでさ、何か趣味を考えたけどさ、天狗大将棋しか浮かばないんだよ。詰み将棋程度はやるけどさ、将棋は相手がいないとできないし」
「剣は? かなりの腕だってことは河童でも知っているよ」
椛は口の中で小さく笑い
「いやさ、スペルカードルール以前は剣術を磨くのが普通だったからね。日課や準備運動に近いんだよ、役目でもあるしね。
にとりも機械を弄るときに調子を確認するとおもうけど、それは準備だろ」
「ああ、そうだよね」
酒を口に運ぶにとりと、八目鰻にかぶりつく椛。
「しかし、なかなか旨いな」
「でしょ」
雑談をしながら、不意に気配を感じた。椛はすこしぼんやりした頭で気配の方に視線を移し、能力を発動させた。
目に映った相手に、酔いが一気に冷めた。思わず立て掛けておいた剣に手を伸ばす。
「ちょっと」
「どうしました」
突然の行動ににとりとミスティアが声を上げる。
「博麗の巫女だ」
単機で妖怪の山に攻め込んできた相手だ。非常にまずい。失態だ。酔っていたせいか、接近に気がつかなかったのだ。
思わず口に出る。スペルカードでは椛に勝ち目が無い。にとりやミスティアでも同じことだろう。
しかし、二人は全く動じない。
「おいおい、妖怪退治の専門家だぞ。逃げなくていいのかよ」
「んー、お客さんだと思うな」
「あ」
その一言に椛は思い出した。博麗の巫女もこの屋台を訪れていた事に。
酔いが冷めてしまった椛はばつが悪そう剣と楯を戻す。置いてある自分の酒を一気に飲み干し、次の酒を注文した。
「はい、天狗とはいえ、飲みすぎには注意してね」
「分かった」
口ではそう言いながら、新たに注がれた盃を一気に呷る。
「さすが天狗、いい飲みっぷりね」
空から降りてきたのは博麗の巫女である霊夢だ。
「こんばんは、博麗の巫女」
「こんばんは」
霊夢は椛の隣に腰を掛けた。
「人間が、それも博麗の巫女が本当に妖怪の屋台に来るとはな」
「私は時々来るけど、そんなに珍しいの? 初顔合わせだし」
「いや、珍しいのは私のほうだろう。今日が初めてだ。
巫女が来ると話には聞いてはいたが、出会うとは思わなかった」
「料理は美味しいし、稀にだけど、希少なお酒も扱ってる。来ない理由はないわ」
確かに。椛も同意する。
「ミスティア。先に盃をくれないか」
ミスティアが椛に渡し、それを霊夢の前に置く。ほれ、酒を注ぐ。
「あら、ありがとう。でも私を嫌っていると思ったけど」
「嫌う? ああ、侵入者は排除しないといけないが、山の外なら話は別だ」
言いながら、霊夢の盃に酒を注いだ。
「そういうものなのかしら」
「そういうものだ。それはそれ、これはこれだ」
三人でしばし飲み、談笑をしているうちにふとした疑問にぶち当たる。
「そうだ、博麗の巫女。聞きたいことがあった」
「いいわよ。それと霊夢でいいわ。堅苦しいのは嫌い」
「そうか、なら霊夢。巫女って楽しいのか?」
きょとん、と彼女が歳相応の顔をする。
「なに、それ、巫女になりたいの」
「いいや、私は天狗で十分だ」
「ふうん、じゃあ質問の意図は」
「暇なんだ。やることがない」
にとりに話した事と同じことを話す。要は趣味が少ない。
「私も同じよ、掃除とお茶ばかりだし」
「私もよく飲むな。空を飛んでいると喉が乾く」
「天狗の場合、お酒の印象が強いけどね」
「四六時中、酒ばかりではないさ」
「そうね、私もお茶ばかりではないし。こうしてお酒もね」
「お茶請けやつまみは?」
「基本的におせんべいかしら、季節の果物もいいけど」
「ふむ、両方とも捨てがたいな。人里のせんべいもなかなかうまいからな」
「食い物と飲み物の話ばかりだなぁ」
呆れたように言うにとり。
「色気より食気だよ」
「そっちも似たようなものでしょう。機械ばっかりで」
「まぁ、言われればそうだねぇ。あたしも似たようなものか」
にとりは料理を口にする。
「要は新しい趣味を作ろうかと思う。参考として聞いておきたいんだ」
「しかし、新しい趣味ねぇ。食べたり飲んだりするのが好きそうだし、料理とかは?」
「任務中は食事が付くからな。休みの日は普段から自炊するし、いまさら趣味という感じでもない。それに金の問題もある」
「そうね、たまに凝ったものを作ろうとするとお金もかかるし」
「それで失敗すると目も当てられない」
「まったくだわ」
何度か経験があるのか、二人そろって苦笑いをする。
「しかし同じ紅白同士、互いに菓子でも作ってみたらどうだい」
「面倒」
「菓子は買うに限るわ」
にとりは即答され、少し凹む。
「仕事は哨戒、要は見張りだったけ?」
霊夢が思い出したかのように言う
「ああ。巡回もするが」
「射命丸文って知ってるわよね」
「……ああ」
椛が眉をひそめた。
「文と仲が悪いの?」
「うん、顔を合わせると喧嘩になる」
にとりが口をはさむ。
「それで射命丸がどうだって?」
椛が自分でも驚くくらいにぶっきらぼうに言う。
「ああ、すまん」
椛はこちらの質問、いや相談に乗ってもらっているのに失礼な口調だったため、気に障ったかと霊夢を見るが、特に気にした様子はなかった。
「良いわよ。とにかくあいつは仕事が楽しいって感じだけど、椛は山を飛び回っていて面白くはないの」
「面白いし、一時期、記録にとってたこともある。だけど生まれたころから妖怪の山に住んでいるからな。既に隅から隅まで知っているし、今さらという感じが強い。
射命丸は幻想郷中飛び回るから少し勝手が違うな。というよりも妖怪の山は閉鎖的だからあちらが例外だ。
霊夢も神社の風景を毎日見て、いちいち感激したりしないだろ」
「まぁねぇ」
酒を一口飲む。
「いっそ、霖之助さんのところにでも行ってみたら? 変なものがたくさんあるし」
「りんのすけ? ああ、外の世界の道具を扱う半妖か」
とはいえ、店主の顔すら椛は知らないのだが。
「あら、知っているの?」
「名前だけだ。確か香霖堂だったか?」
「ふうん、でも何で。大きい店じゃないし、有名でもないでしょ」
「いや、かなり有名だと思うぞ。この幻想郷で唯一、外の世界の道具を堂々と扱う店だ」
だからと言って、客が訪れるかどうかは話は別だが。
「確かに、そうね」
「ちなみにどの辺にあるんだ?」
「魔法の森の入り口よ」
「ふうん、魔法の森ね」
椛は再度能力を発動させ、魔法の森の方面へ意識を向ける。視界は一気に魔法の森へ飛んだ。少し周囲を探るとわけのわからない建物を発見する。
「ん?」
理解が追い付かない、つい椛の口から疑問符が出る。
「ちょっと、どうしたのよ」
「香霖堂って、どんな外観?」
「怪しい店ね」
「狸の置物とかある?」
「あるわ、って見えるの?」
「ああ」
「便利ねぇ」
感嘆の声を上げる霊夢。
「こういうことには便利だな」
能力を褒められるのは素直にうれしい。照れるのを隠しながら椛は酒を一口飲んだ。
「後はそうねぇ、人里の鈴奈庵という貸本屋には外の世界の本もあるし」
「ほう、ほとんど読んだことが無いな」
本は高い。しかし貸本屋なら手頃な値で借りられるだろう。
「観光だったら、見るところは最近増えたしねぇ」
今度はにとりだ。確かに異変のたびに新参が増えている。しかも相応の力を持っている。
「私にとっては商売敵だけど、寺とかは開けているところもあるから、一度行ってみるもの悪くないんじゃない?」
「祭りもやるしねぇ、なかなか楽しいところだよ。住職は口うるさいけど」
何かあったのか、にとりが苦々しい口調になり霊夢が笑う。
「確かにそうだな。丸一日時間を潰せそうだ」
ちびちびと酒を飲む。
そして椛は考える。他の有力なところを訪れるのは偵察にもなるな。行くときには寝返ったと思われないように注意をしなければ。しかし、商売敵を紹介してくれるとは、霊夢は冷淡に見えて基本的にお人好しなのだろう。
椛は自分の思考と霊夢を比べに少し自分に嫌気がさした。
「椛は将棋に詳しいわよね」
今度は霊夢だ。だいぶ酔いが回っているのか、顔がほんのり赤い。
「ああ、何故知っている?」
「文々。新聞よ。以前に記事が載っていたの」
椛は思い出した。確かに将棋について話をした。同時に納得する。だから椛と射命丸の関係が良好だと思ったのだろう。
「確か変な駒が何個かあるのよね。さっきの香霖堂だったら何かわかるかもしれないし、外の世界の将棋については人里に外来人もいるから聞いてみたらどうかしら?
寺子屋の慧音あたりに話をしておけば、紹介してくれるんじゃないの?」
「それは、確かに楽しそうだな」
将棋を指すのも良いが、独自ルールについて調べ纏めるのも悪くない。
将棋好きは種族問わずいることだろう。強い相手と指しに行くのも良い。
「そういえば、人里や寺にいる妖怪狸はごく最近まで外の世界にいたんだよね」
「マミゾウね。よくうろついているし話好きだから、見つけ易いとは思うわよ。接触は妖怪同士だから注意してね。なんなら私の名前を出しても良いわ」
思い出したようなにとりに、霊夢が補足する。
確かに最近まで外の世界に居たならよく知っているだろうし、逆にこちらについてはあまりよく知らない筈だ。天狗大将棋について話すのもよいだろう。
「礼を言うよ。暇が潰せそうだ」
椛は笑って二人の盃に酒を注いだ。
後に将棋を独自ルール別に纏め終わった椛がふと気が付くと、幻想郷中を巻き込んだルール別将棋大会が開かれるまで話が大きくなり、更に実行委員長に選出され頭を抱える事態となるのだが、それはまた別の話。
ボードゲーム最強決定戦って何が勝つんだろう。甘いのかな?
椛がおやじ臭いのがいいねえw
暇だ暇だと思っていられる間が幸せなのかもしれません。
しかし天狗大将棋のコマを記録するのは相当に面倒だろうなぁ。