一
藤原妹紅は困っていた。
苦悩していたといってもよい。
彼女の頭を悩ませているものは、十日後に迫るエックスディである。
竹林のはずれ、彼女の住む東屋にあるひめくり(慧音が置いていったものだ)には、問題のエックスディに、朱色の丸印が付けてある。
その日は彼女の――妹紅の『誕生日』であった。
もちろん、妹紅は自分の本当の誕生日など覚えていない。いつか、二人っきりの縁側での酒の席で、慧音からそのような話を振られた際、そう答えたら、「では今日を妹紅の誕生日にしよう」と勝手に決められたのだ。
「いらないよ。そんなの」
妹紅はそう返した。
「なぜだ」
「意味がないからさ。年をとって、いつか死んでいく奴にだけ、誕生日を祝われる資格があるのさ」
「それは違うぞ。誕生日とは、生まれてきたことに感謝する日なのだ」
妹紅はそれを聞いて鼻白む。
「――ッ だったら、なおさら――」
「私は感謝している」
慧音は妹紅の目をじっと見つめた。
「私は妹紅と出会えたことに感謝している。だから、お前が生まれてきたことにも感謝している。今日この日を、お前の誕生日にして、私に祝わせてもらえないか。迷惑だろうか」
慧音は視線を外さずそう言った。妹紅は、少しの間何か言いたそうにしていたが、ふ と息をつくと、「いいよ」と言った。
「私が何を言ったって、慧音は意見を曲げないんでしょ。好きにしてよ」
「…………」
「何? 人が折角承諾してるのに。返事もないの?」
「いや。すまない。少し意外だったからな」
「……慧音に逆らうのは得策じゃないからね」
妹紅は杯をあおって、手をひらひらさせた。月明かりが酒で湿った彼女の唇をぬるりと照らす。
「そうか。妹紅」
「何」
「誕生日、おめでとう」
「……どーも」
その時はそれで終わりだった。が、次の年から、慧音は妹紅に誕生日プレゼントをよこし、普段より豪華な食事をふるまうようになった。
プレゼントは、食器などの日用品から、酒や甘味といった嗜好品まで様々だった。妹紅は感謝しながら受け取っていたが、一昨年、着物屋に連れられて、浴衣を作ってもらった時には、少し焦った。値段は見せてもらえなかったが、素人目に見てもかなり布の質は良く、何より、身体に合わせた着物が如何に高価かくらいは知っていたから。
「慧音。これ……」
「きれいだろう。妹紅は顔立ちがはっきりしているから、濃い色が似合うと思ってな。紺に。お前はきれいなんだから、こういうのも着てみるべきだろう」
「高かったんじゃないのか」
「そんな野暮なこというなよ。年に一度のお祝いだ。それに私は、一応蓄えはそこそこあるからな」
ふふっと笑い、さあ、着てみてくれ、という慧音に「受け取れない」とはとても言えなかった。汚してしまっては忍びないので、妹紅はその浴衣をめったに着なかったが、慧音は分かっているよと言うかのように、ほほえましく彼女の様子を見つめていた。
引っ張り出した紺の浴衣を見て、その時のことを思い返しながら、妹紅はため息をついた。
「参った。今年の贈り物を、どうすればうまく断れるだろう」
一昨年浴衣をもらい、去年は着物用の桐箪笥をもらい、そして日々を過ごすうち、妹紅は、今まで薄々と感じてきた疑問を、とうとう確信に変えた。
慧音は私に惚れているのではないか、という疑問を。
そしてそれを思いついてしまうと、それはほとんど間違いがないように思えた。
出会ったときから、慧音は私を構い通した。私のために夕食の準備をし、品物を贈り、私より弱いくせに私を守ると言い、どうせ生き返れば消えるのに、輝夜との殺し合いでついた傷の手当てをする。うーん、フラグが立っている。どう考えても、立っている。
何より、慧音には浮いた話がない。
慧音は美人だ。頑固なところはあるが、性格もいい。清楚で知的で、家庭的だ。永遠亭のクソ姫のような顔だけが取り柄の女ではない。男がほっておかない要素をいくつも兼ね備えている――にもかかわらず、だ。
炭を卸すついでに、里で男たちの愚痴を耳に入れたことがある。慧音先生は俺達なんか眼中にないんだろうな。思い人でもいるのだろうか。ああうらやましい。そいつと代わりたいものだ。
聞いた当時はふうん。慧音もスミに置けない。くらいにしか思わなかったが、かえすがえす考えてみるに、その慧音の思い人というのは、自分ではないかと思うようになった。
というか、むしろ私くらいしかいないのではないか。
私と慧音は、四六時中とは言わないが、週に四日は必ず会う。合わない日でも、慧音は授業か、授業の準備か、里の寄り合いか、自宅で編纂作業をしていて忙しく、男と会う時間は多分ない。
だいたい、寺子屋が休みの日は、慧音は料理を作って私を待ってくれている。時々、その料理を持って私の家にやってくる。そして二人で食事をし、晩酌をし、たいてい泊まる。他の人間が入り込む隙は、ないだろう。
慧音の周りの知己から、他の候補を考えてみる。
――阿求。確かに二人は仲が良くて、たまにお茶とかしているらしいけど、ないな。阿求はまだ幼いし、忙しいから家からあまり出してもらえないと聞く。慧音も、小さい妹を見る気持ちで接しているに違いない。恋仲とは考えられない。
――永琳。ナイナイ。慧音は人里の人間を診てくれる永琳に感謝はしているけど、それはあくまで知人として、のはずだ。だいたい、純情清楚で可憐な慧音が、あんな性悪女を好きになるはずがない。
――霊夢。絶対ないな。何考えてんだ私。却下。
――香霖堂の店主。
…………。
いやいや。ないない。慧音は確かに香霖堂に行くけど、それはあの店が珍しい本を入荷するからであって、店主と話が弾むのも、インテリ同士ちょっとウマが合うからであって、うん。ナイナイ。
妹紅は手鏡を見る。これも慧音からの貰い物だ。鏡の中には、白い髪の、白い肌の、端正な顔をした女が映っている。
――ルックスは私の勝ちだろう。うん。よって私の勝ち。
こうして、妹紅は半時ほどぐるぐる思考を巡らせ、その結果、慧音は私に惚れている、だからなんやかやと世話を焼いて、一緒にいたがるのだ。と結論を出した。
この結論自体は、妹紅にとって、そう困ったものではなかった。千年以上も生きてきた中で、自分を好きだという物好きな輩は定期的にいたのだが、惚れた腫れたに今更興味はない、むしろめんどくさい、と思って流していた。しかし、誰かに特別に思われること自体は、やはり悪い気はしなかった。
妹紅は慧音を好ましく思っている。
しかし、それは友愛であって、性欲を伴う愛情ではない、と妹紅には分かっていた。慧音は何百年もひとりぼっちだった自分に手を差し伸べてくれた。人里との架け橋になってくれた。殺し合い以外の人生の楽しみを教えてくれた。慧音は不死ではない。いずれ目の前からいなくなる。しかしそれは今ではないし、今考えるべきことでもない。不死でない彼女に、友情を感じるのは、悪いことじゃない。
(私は慧音の思いに応えることはできないけど、慧音が死ぬまでずっと一緒に、そばにいて面白おかしく暮らすことはできる)
ここで冒頭の苦悩に戻る。妹紅は慧音の恋人になる気はない。しかし、友人としてずっとそばにいたい。だけど慧音は、妹紅のために毎年誕生日の贈り物をくれる。そして、ここ数年贈り物はどんどん高価になってきている。
(慧音の気持ちに応えられないのに、これ以上慧音から何か貰うわけにはいかない。ただでさえ、私からは慧音に何も返せていないのだもの。でも慧音を傷つけるのは、本意じゃない)
まとめてみればたったこれだけの内容に、妹紅はうんうんと悩み、そして、甘美なため息をつくのであった。
ニ
次の日、竹林の道案内の依頼を済ませた妹紅は、慧音の家で夕食に呼ばれていた。今日のメニューは、夏野菜の天ぷらに、けんちん汁、漬物。慧音の手料理はとても美味しいので、妹紅はいつも残さず食べる。昔は、食事などどうしても耐えきれないときに、ハッカを齧るくらいでもしのげていたというのに。
おかわりを平らげて、妹紅は箸を置く。
「ごちそうさま。今日のご飯もとっても美味しかったよ」
「お粗末さま。そう言ってもらえると作った甲斐があるというものだ」
慧音はそう言うと食器を片し始める。妹紅は自分の分の食器を水につけると、今日の客から貰った乾物をアテに、酒の準備をし始めた。
コップを出したところで、慧音が戻ってくる。割烹着を脱ぐ慧音の姿を見て、妹紅はアレ、と違和感を覚えた。
慧音がきれいなのだ。
いや、もともと慧音は美人なのだが、こうして、夜、蛍光灯に照らされ、居間で割烹着を畳む姿まで美しいとは。そりゃあ里の若い男が騒ぐわけだ。スミに置けないどころではない。
「どうした、妹紅?」
「いや、なんでもないよ」
妹紅はごまかすと、慧音に席を勧めた。丸いちゃぶ台の、座布団一枚分離れた場所に慧音が座る。その顔の角度も、青いメッシュの入った白い髪も、やはりきれいであった。
(うん。こんなきれいな女を、ずっと私なんかに片思いさせておくわけにはいかない)
と妹紅は考えながら、慧音のコップに酒をそそぐ。(なんとか慧音を傷つけないよう、贈り物を断って、そして、仲の良い友人として今後付き合っていけるようにしなければ)今度は自分のコップに注ぐ。手酌だが、今更気にする二人ではない。乾杯をして、他愛のない話をしながら、いつも通り杯を空にする。
「妹紅」
「なーに?」
飲み始めてしばらくした後、慧音が妹紅を呼んだ。
「もうすぐ妹紅の誕生日だな」
慧音はにこりと笑う。酒に弱いわけではないが、すぐ顔に出る慧音の頬は、すでに上気している。とろけるような笑顔だと、妹紅は思った。いや、見とれている場合ではない。今年は贈り物はいらないと、今のうちにはっきり言っておかなければ。口を開こうとする。
「今年は今までより、もっと良いものを準備しておくからな。楽しみにしておいてくれ」
結局妹紅は口を閉じた。こんな嬉しそうな慧音の顔を、曇らす勇気が出なかった。なんて嬉しそうな表情で、この女は私に笑いかけるのだろうか。ここは慧音の、小奇麗なだけの普通の家で、ここは居間で、目の前の女は座布団に座り、食器棚を背に、小さな蛍光灯に照らされているだけだというのに、一応月の姫君で、豪邸に住んでいる、顔が取り柄の輝夜でも裸足で逃げ出すくらい、美しいのだろうか。
妹紅は気付いてしまった。慧音がきれいなのは、きっと恋をしているからだ。女がきれいになるのは、化粧のせいでも髪型のせいでもない。恋をするせいだ。慧音が、自分を思うあまりこんなにきれいになってしまったのかと思うと、なんともいえない気持ちが妹紅のおなかを襲って、胸をとおって、ぐっと喉までせりあげてくるようだった。
「そうか」
それだけ返すと、妹紅は、慧音は今年は一体何を贈るつもりなのだろうかと考え始めた。去年より一昨年よりずっといいもの。着物? いや、慧音は自分に同じものは贈らないだろう。いままでがそうだったからだ。酒を飲みつつ考え進めて、妹紅はひとつのことに気がついた。
うちにあるもののほとんどが、慧音がくれたものばかりであると。
正直、慧音のプレゼントのネタは、打ち止めであるように思った。しかし、慧音は今年、今までよりも『良いもの』をくれるという。美術品か何かか? いや、妹紅がそんなものをありがたがらないことは、慧音は十分に知っている。そうなると、もしや。もしやもしや。妹紅は、酔いのせいではなく自分の顔が赤くなっていくのを感じた。
もしや慧音は、私のことを思うあまり、自分の純潔を差し出すつもりなのでは―――?!
「……でな、妹紅」
「け、慧音!」
「な、何だいきなり」
妹紅は酒をひっくり返さんばかりの勢いでちゃぶ台をたたき、膝立ちになった。慧音、早まっていはいけない。お前はきれいなんだ。私のような不死の人間に、しかも女に、身体を差し出すことはない。妹紅はそう言いたかった。でもこの物言いでは慧音を傷つけるのではないか。彼女の眉がへの字になり、瞳に涙をためる姿は、見たくなかった。思考がめぐる。妹紅は自覚していなかったが、その実、彼女はしこたま酔っていた。
ぐるんぐるんと思考が行ったり来たりした結果、妹紅は立ち上がり、「今日は帰るよ」となんとか言った。
「そ、そうか。珍しい。だいぶ酔っているみたいだが、一人で大丈夫か?」
「酔ってないよ。私がトラだって、知っているでしょう。子供じゃないんだから、大丈夫」
「わかった。なら、気をつけて」
「うん」
その夜、妹紅はなんとかして帰路につき、床に伏した。わけがわからぬうちに眠りにつき、夜が明けて、目が覚めて、風呂に入り、酒が抜けてきたころから、彼女の、さらなる深い深い苦悩が始まった。
三
さすがに、慧音が自分に純潔を差し出してくる、というのは考えすぎかもしれない。でも、慧音は私のことが好きなんだし、熱中すると周りが見えなくなるとこあるし、そういうことになる可能性も、あるかもしれない。だからそうなった場合に、どうやって慧音を傷つけず、スマートに断るか。そして、今後も良き友人として親交を深めていくか、今のうちに考えておくことはきっと無駄じゃない。そうだ。だから私は考えなくてはいけない。そのような事態に備えるために。
妹紅はここまで考えて、その考えに納得し、じっくり対策を考えることにした。いや、仕事をしている時以外は、常にそのことを考えていたといってもよい。朝起きて飯を食う時も、風呂に入っている時も、布団に入ってからも。慧音と会っている時も。
輝夜との殺し合いはしなかった。そうそう頻繁にするものではないし、殺し合いのせいで、対策を考える時間が減らされるのはごめんであった。だからなるだけ、輝夜の前に姿を現さないよう注意した。
「妹紅」
慧音が切なげに名前を呼ぶ。暗がりに彼女の白い顔が浮かぶ。寝巻の襦袢の合わせから、白い鎖骨が浮き出ていて、自分も女であるというのに、その色香にまどわされそうになる。
「好きなんだ。妹紅。もう切なくて。はしたない女だと思ってくれてかまわない。今夜、私を貰ってくれないだろうか」
美しい瞳はうるんでいて、いまにも零れ落ちそうだ。唇はまるくて、赤くて、ぬれている。頬も、赤い。それはそうだ。慧音は純情清楚で、可憐で、多分処女だ。そんな慧音が、自分を抱いてくれと、我慢できないと、その口で言うのだ。彼女にとって、耐えがたいほど恥ずかしいはずだ。
でも、恥を忍んで言うのだ。私のことが好きだから。我慢できないから。だから。
しかし私はそれに応えるわけにはいかない。慧音の気持ちを思うと心苦しいが、断腸の思いで言う。
「だめだよ。慧音。慧音にはもっと素敵な人が現れる。私なんかにそんなこと言っちゃ、だめだよ」
「いやだ! 他の人なんて、考えられない。私は妹紅が好きなんだ。きっと、この先、妹紅しか好きにならない」
慧音のいじらしさに、妹紅はますます慧音のことがいとおしくなった。そして、こうまで望んでいるのに、ただつっぱねるだけというのは、かわいそうではないか、と思うようになった。
だから、キスくらいは、返してもいいかもしれない、と考えた。さっそく、シミュレーションをしてみる。キスをして、頭をなでてあげると、慧音は本当に幸せそうに笑った。
よし、これでいこう。これなら慧音も、きっと諦めて、新しい恋を見つけてくれるはず――。
ここまで考えて、妹紅は眠ろうとしたが、こんどは、「キスだけでは、逆に慧音にとって生殺しではないか」と思うようになった。
そうかもしれない。純情清楚で可憐で上品で奥手な慧音が恥を忍んで迫ってきたのだから、キスだけでおわりにするのはかわいそうすぎるかもしれない。では、キスをして、やさしく抱きしめて、一晩同じ布団で眠ろう。なんなら腕枕もしてあげよう。いやいや、そこまでするのなら、いっそ抱いてあげた方がいいかもしれない。私は女を抱いたことはないけど、まあなんとかなるはず。そうだ。そうしよう。一度だけでも抱いてあげれば、慧音もきっと満足するし、次の朝から私たちはもとの親友に戻って、仲良く暮らしていくはずだ。そうしよう。
というか、むしろそうすべきだ。
そういうわけで、妹紅の苦悩はさらに悩ましいものとなっていった。寝ても覚めても、慧音のことを考えた。実に悩ましく、狂おしく、甘美な苦悩であった。やさしく抱いて説き伏せてみても、手ひどく抱いて目を覚まさせようとしても、妹紅の頭の中の慧音は、決して妹紅への思いを断ち切らなかった。むしろ、以前よりさらに、妹紅のことを好きになっているようであった。
「ありがとう。妹紅」
布団の上で慧音が言う。彼女は下着ひとつつけていない。身体じゅう、ただし服で見えないところに愛し合った痕がいくつもあった。それがまた、彼女を妖艶に魅せた。
「私の願いを聞いてくれて、本当にありがとう」
彼女はいじらしくそう言って、微笑する。私は曖昧に笑って、何も言わず、彼女の頬に手をあてる。私は慧音を貪っただけだ。感謝されるようなこと、してないよ。
「妹紅は、やさしいな。……ごめん、妹紅。私、やっぱりお前のことを諦めきれないよ。もうわがまま言わないから、だから、この先、お前のこと、ずっと、好きでいてもいいか? 思っているだけで、いいから」
私は何も言わない。慧音もきっとそれを望んでいると思ったから。おやすみ、慧音。朝が来たら、またいつもの二人に―――「妹紅!」
耳元で名前を呼ばれて、妹紅は、自分がうたたねをしていたことに気付いた。それは仕方のないことである。妹紅が苦悩し始めてから約一週間、本当に寝る間を惜しんで対策を練ってきたのである。もしかしたら、生まれてこの方ここまで頭を使ったことはないかもしれない。知恵熱が出なかったのが不思議なくらいだ。
「全く、折角の誕生日だというのに、お前は寝こけて……もっとこう、祝われる側として、ましな態度があるだろう」
慧音が大荷物を抱えて、妹紅の顔の横で正座していた。少し怒っているみたいだ。そりゃ、私のために一生懸命準備して来てくれたのに、肝心の私が寝こけていたとなれば、ちょっと面白くないのもわかる。と妹紅は考えたので、寝ぼけ眼をこすりながら「ごめんね。楽しみにしすぎて、昨日の夜眠れなかったんだよ」と素直に謝った。すると慧音は、「そうか、なら仕方ないな。ちょっと待っていてくれ。今から食事の支度をするから」と、割烹着を着て小さな台所にはいって行った。機嫌が直ったのか、その顔はかなり嬉しそうで、鼻歌なんか歌いながら、彼女は野菜を洗い始めたようだった。
そんな慧音を見送って、妹紅は布団の上で伸びをした。布団を畳んで、片付ける。あー布団、干しておくべきだったなあ。折角なんだから、ふわふわの布団の方が、慧音だってよかっただろうに。うーん、せめて香でも焚いとくか? 何かなかったかなー。ああでも今焚いたら、ご飯のにおいと混ざっちゃうかも。うちは狭いから、居間と寝室は同じ部屋だもんな。やっぱあきらめよ。香は、布団を敷いてから、いざ本番、というときに枕元で焚けばいいでしょ。
うんうん、と一人納得して、妹紅は立ち上がると、台所の慧音の様子を見に行くことにした。音をたてないように、こっそりと後ろから慧音を見る。割烹着を着た彼女は、髪を結いあげていて、白いうなじが夕日に照らされていた。正直、慧音のうなじなんて見慣れていると思っていたのに、妹紅の心臓はドクドクと自己主張していた。やっぱあれかな。今夜、やると思うと、やっぱ意識しちゃうのかな。ああ、でもうなじに痕はつけらんないよなー。見えるかもしれないし。もうちょっと下で我慢しないとな。……っていうか、今やっちゃだめかな。やっぱ。だめだよね。さすがにそれは。いくら慧音が望んでいるとはいえ、慧音は純情清(ryだし。やっぱ初めては布団でしょ。うんうん。
妹紅がそう自分を納得させたところで、慧音の食事の支度が済んだらしい。二人で料理を居間に運び、よく冷えたちょっといい酒を慧音が注ぎ、乾杯すると、二人きりの晩餐が始まった。
四
夜もすっかり更けて、慧音のおいしいご飯を食べて、今はちびちび酒を飲んでいる段階になっても、やはり、妹紅は困っていた。
目下の悩みは、如何に慧音をひとつの布団にうまくエスコートするか、である。なんというか、これは使命感である。私だって、百戦錬磨というわけではないが、慧音に比べれば経験はあるはず。そうだとすれば、私はビギナーである彼女に恥をかかせることなく、布団までエスコートし、そして布団の中でもエスコートして、フジヤマヴォルケイノしなければならないのだ。
謎の使命感に身を燃やす妹紅は、ひとまず、慧音を先に風呂に入れることにした。その間に、自分は居間を片付けて、布団を敷いて、なけなしのお香を焚いておけばいい。灯りは、枕元だけにしておこう。そして、私が手早く風呂に入っている間、慧音には湯冷めしないよう、布団の中で待っていてもらおう。あ、枕元にティッシュ置いとかないと。あれ大事だわ。超大事だわ。まあとにかくまずは、慧音に風呂を勧めよう。妹紅は慧音に話しかける。
「け、慧音。先に風「そうそう、妹紅。今年のプレゼントなんだけどな」
「うえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ???!!!!」
妹紅があまりに素っ頓狂な声を出したため、慧音はぱちくりと目を見開き、杯を置くと、「い、一体何事だ妹紅?! いくら妹紅の家は竹林のはずれとはいえ、非常識だぞ!」とたしなめたが、妹紅は驚きのあまり、内容は頭に全く入っていなかった。だって、純じょ(ryな慧音が、まさかまさか、風呂にも入らずコトに及ぼうとするとは、妹紅は全く、これっぽっちも予想していなかったのだから、仕方がないと言えば、仕方がない。
藤原妹紅は、大混乱した。
「おい、聞いているのか妹紅!」
「けーね!!」
「な、なんだ」
「お願いだから、先にお風呂に入ってきて!!!!!」
かくして、妹紅はなんともいえない迫力により、慧音のお説教を中断させ、彼女を風呂に押し込むことに成功した。その間に、妹紅は今までになくテキパキと働き、慧音が風呂から出てくると同時に、床の間を整え終えた。そして入れ替わりに風呂に入ると、真剣に、かつ素早く身体の隅々まで洗い流す。頭の中では、この後に迫る慧音との布団プロレスのシミュレーションが、何度もリプレイされている。
「……よし」
髪よし。肌よし。寝巻よし。ニオイよし。ムダ毛処理よし。
完璧な準備を終えた妹紅は、これから完璧なプランを完璧に実行すべく、居間の襖の前に立った。大きく深呼吸。襖に手をかけ、開ける。
「おや、早かったな妹紅」
慧音が声をかけてくる。彼女は妹紅の予想通り、布団の上で、悩ましい襦袢の姿で妹紅を待っていた。――いくつか、予想と異なる点があるとすれば、部屋は薄暗くもなんともなく、煌々と灯りがついており、慧音の膝元に何冊かの本が重なっており、なぜか布団が二組敷いてあることくらいであった。が。
「け、慧音」
「まだ気温が高いとはいえ、湯冷めするぞ。早くこっちに来なさい」
とりあえず、床に誘われたので、妹紅はしずしずと部屋に入った。しかし、こんな誘われ方は想定していない。
「布団が一組しか出ていなかったからな。準備しておいたぞ。それにしても、香を焚いたのか? なかなか風流なことをする」
慧音は笑顔である。妹紅は唾を飲み込み、いやな予感に身を震わせながら、問う。
「慧音、そ、の、本は?」
「ん? これか、これはな、妹紅への誕生日プレゼントだよ。誕生日、おめでとう。妹紅」
「…………」
「先日香霖堂で見つけたんだが、外の世界のまんがぼん?というらしい。珍しいし、絵が多いし、きっと妹紅もこれなら楽しんでくれると思って、奮発したぞ!」
「………………」
「それでな、一緒に買ったこっちの本はな、外の世界の娯楽小説で、相変わらずわからないものだらけだが、いくつかこの世界で見かけるものも……」
慧音の話は夜遅くまで続いた。慧音にとって、貴重な本は、高価な家財道具にも、値の張る着物よりも価値のあるものであり、妹紅が上の空であるにもかかわらず、ひたすらに外の世界の書物に思いをはせ続けた。
日付が変わったところで、「そろそろ寝るか」と慧音が声をかけ、わずかな期待をした妹紅をしり目に、何の躊躇もなく灯りを消し、当然のごとく別の布団に入り、「お休み、妹紅」とだけ言うと、すぐに寝息を立て始めた。
夜中に慧音が起きだして、「妹紅……身体が疼くんだ」的な展開があるわけもなく、そのまま二人は朝を迎えた。
ちなみに、妹紅は一睡もできなかった。
五
「おはよう、妹紅。……どうした。顔がひどいぞ」
「……おはよーけーねー……。なんでもないよー……」
次の朝。妹紅はのそのそと布団から這い出て、台所で朝食をつくる慧音にあいさつを返した。
一晩寝ずに考えた結果、慧音は、自分に身体を差し出そうなどと全く考えていない、ということを妹紅は理解した。……それどころか、慧音は、自分に惚れているわけではないのかもしれない、という事実にたどり着き、残念ながら、それを受け入れざるを得ない状況であると、判断した。
慧音は超が付くほどのおせっかいで、世話焼きなのだ。私じゃなくても、困っている人間がいれば、慧音は身体をはって助けるし、力になろうとする。何も私に限ったことではないのだ。私としょっちゅう一緒にいて、何かと世話を焼いてくれるのは、ヒトから少々外れる者同士、気楽だからであったのだ。
そのような結論に至って、目の下に隈を縁取り現れた妹紅は、台所に立ち、割烹着を着て、味噌汁の具を切る慧音を見て、その慧音が、いまだに、どうしてこんなにきれいだと思うのか、疑問であった。慧音は私に惚れていないはずなのに。多分、他の誰にも恋をしていないはずなのに。どうしてこんなにきれいなんだ。髪も、肌も、瞳も、唇も、きれいだった。妹紅の頭の中で、何度も愛を囁き、愛を乞い、妹紅の舌や指を受け入れた慧音。それと同じくらい、いや、下手をするともっと。現実の、朝日の中にいる慧音は、美しかった。
「なら良いんだが……。そろそろ朝食ができる。ちゃぶ台を出さないといけないから、布団をあげてくれるか」
「けーね……」
「何だ? やはり気分が悪いのなら、寝ておきなさい。朝食は、おいておくから」
「きれいだ」
「は」
「まぶしい。けーね。どうして? なんでそんなにきれいなんだ?」
教えてほしかった。慧音は教師なのだから。慧音は自分に惚れてないのに、どうして私の目には、慧音がこんなに美しく映るのかを。
純粋に知りたくて、訊いたのに、慧音は妹紅の言葉に包丁を止め、顔を真っ赤にするだけで、妹紅のほしい答えをくれなかった。
「やはり、寝ぼけているんじゃないのか。あ、朝っぱらから、人をからかわないでくれ」
「からかってない。ほんとにそう見えるんだ。教えてよ。慧音は先生でしょ」
寝不足で回らない妹紅の頭は、普段吐露することの少ない妹紅の感情表現にブレーキをかけることをしなかった。妹紅は歩を進めて、慧音に近づく。慧音は包丁を置いて、後ずさった。妹紅がさらに距離を縮める。とうとう、慧音は妹紅につかまってしまった。妹紅は慧音の顔をじっと見つめる。それに耐えられなくて、慧音は目を伏せる。「慧音」 妹紅の手が慧音の頬を包み込み、顔をあげさせた。慧音の顔のすぐ下に、妹紅の顔があって、そのふたつは、とてもとても、近かった。
慧音が、覚悟を決めたように、ゆっくりと口を開く。
「も、こう」
「うん」
「わたし、には。お前がいちばん、きれいに見える」
「……? うん?」
「それが、お前の質問に対する、『私』の答えだ」
慧音の答えは、妹紅の想定していたものとは違っていた。
にもかかわらず、妹紅は、唐突に、何かを理解したような気がした。目の前が急に広がり、周りの景色までも鮮やかになったような気が。答えを口にした慧音の顔は真っ赤だ。しかし、視線は妹紅から移さない。妹紅も、慧音の顔から目をそらさなかった。相も変わらず、妹紅の瞳に映る慧音は、気も遠くなるほどきれいであった。
竹林のはずれの、朝日の中の東屋に、世界でいちばん美しい少女が二人、存在していた。
藤原妹紅は困っていた。
苦悩していたといってもよい。
彼女の頭を悩ませているものは、十日後に迫るエックスディである。
竹林のはずれ、彼女の住む東屋にあるひめくり(慧音が置いていったものだ)には、問題のエックスディに、朱色の丸印が付けてある。
その日は彼女の――妹紅の『誕生日』であった。
もちろん、妹紅は自分の本当の誕生日など覚えていない。いつか、二人っきりの縁側での酒の席で、慧音からそのような話を振られた際、そう答えたら、「では今日を妹紅の誕生日にしよう」と勝手に決められたのだ。
「いらないよ。そんなの」
妹紅はそう返した。
「なぜだ」
「意味がないからさ。年をとって、いつか死んでいく奴にだけ、誕生日を祝われる資格があるのさ」
「それは違うぞ。誕生日とは、生まれてきたことに感謝する日なのだ」
妹紅はそれを聞いて鼻白む。
「――ッ だったら、なおさら――」
「私は感謝している」
慧音は妹紅の目をじっと見つめた。
「私は妹紅と出会えたことに感謝している。だから、お前が生まれてきたことにも感謝している。今日この日を、お前の誕生日にして、私に祝わせてもらえないか。迷惑だろうか」
慧音は視線を外さずそう言った。妹紅は、少しの間何か言いたそうにしていたが、ふ と息をつくと、「いいよ」と言った。
「私が何を言ったって、慧音は意見を曲げないんでしょ。好きにしてよ」
「…………」
「何? 人が折角承諾してるのに。返事もないの?」
「いや。すまない。少し意外だったからな」
「……慧音に逆らうのは得策じゃないからね」
妹紅は杯をあおって、手をひらひらさせた。月明かりが酒で湿った彼女の唇をぬるりと照らす。
「そうか。妹紅」
「何」
「誕生日、おめでとう」
「……どーも」
その時はそれで終わりだった。が、次の年から、慧音は妹紅に誕生日プレゼントをよこし、普段より豪華な食事をふるまうようになった。
プレゼントは、食器などの日用品から、酒や甘味といった嗜好品まで様々だった。妹紅は感謝しながら受け取っていたが、一昨年、着物屋に連れられて、浴衣を作ってもらった時には、少し焦った。値段は見せてもらえなかったが、素人目に見てもかなり布の質は良く、何より、身体に合わせた着物が如何に高価かくらいは知っていたから。
「慧音。これ……」
「きれいだろう。妹紅は顔立ちがはっきりしているから、濃い色が似合うと思ってな。紺に。お前はきれいなんだから、こういうのも着てみるべきだろう」
「高かったんじゃないのか」
「そんな野暮なこというなよ。年に一度のお祝いだ。それに私は、一応蓄えはそこそこあるからな」
ふふっと笑い、さあ、着てみてくれ、という慧音に「受け取れない」とはとても言えなかった。汚してしまっては忍びないので、妹紅はその浴衣をめったに着なかったが、慧音は分かっているよと言うかのように、ほほえましく彼女の様子を見つめていた。
引っ張り出した紺の浴衣を見て、その時のことを思い返しながら、妹紅はため息をついた。
「参った。今年の贈り物を、どうすればうまく断れるだろう」
一昨年浴衣をもらい、去年は着物用の桐箪笥をもらい、そして日々を過ごすうち、妹紅は、今まで薄々と感じてきた疑問を、とうとう確信に変えた。
慧音は私に惚れているのではないか、という疑問を。
そしてそれを思いついてしまうと、それはほとんど間違いがないように思えた。
出会ったときから、慧音は私を構い通した。私のために夕食の準備をし、品物を贈り、私より弱いくせに私を守ると言い、どうせ生き返れば消えるのに、輝夜との殺し合いでついた傷の手当てをする。うーん、フラグが立っている。どう考えても、立っている。
何より、慧音には浮いた話がない。
慧音は美人だ。頑固なところはあるが、性格もいい。清楚で知的で、家庭的だ。永遠亭のクソ姫のような顔だけが取り柄の女ではない。男がほっておかない要素をいくつも兼ね備えている――にもかかわらず、だ。
炭を卸すついでに、里で男たちの愚痴を耳に入れたことがある。慧音先生は俺達なんか眼中にないんだろうな。思い人でもいるのだろうか。ああうらやましい。そいつと代わりたいものだ。
聞いた当時はふうん。慧音もスミに置けない。くらいにしか思わなかったが、かえすがえす考えてみるに、その慧音の思い人というのは、自分ではないかと思うようになった。
というか、むしろ私くらいしかいないのではないか。
私と慧音は、四六時中とは言わないが、週に四日は必ず会う。合わない日でも、慧音は授業か、授業の準備か、里の寄り合いか、自宅で編纂作業をしていて忙しく、男と会う時間は多分ない。
だいたい、寺子屋が休みの日は、慧音は料理を作って私を待ってくれている。時々、その料理を持って私の家にやってくる。そして二人で食事をし、晩酌をし、たいてい泊まる。他の人間が入り込む隙は、ないだろう。
慧音の周りの知己から、他の候補を考えてみる。
――阿求。確かに二人は仲が良くて、たまにお茶とかしているらしいけど、ないな。阿求はまだ幼いし、忙しいから家からあまり出してもらえないと聞く。慧音も、小さい妹を見る気持ちで接しているに違いない。恋仲とは考えられない。
――永琳。ナイナイ。慧音は人里の人間を診てくれる永琳に感謝はしているけど、それはあくまで知人として、のはずだ。だいたい、純情清楚で可憐な慧音が、あんな性悪女を好きになるはずがない。
――霊夢。絶対ないな。何考えてんだ私。却下。
――香霖堂の店主。
…………。
いやいや。ないない。慧音は確かに香霖堂に行くけど、それはあの店が珍しい本を入荷するからであって、店主と話が弾むのも、インテリ同士ちょっとウマが合うからであって、うん。ナイナイ。
妹紅は手鏡を見る。これも慧音からの貰い物だ。鏡の中には、白い髪の、白い肌の、端正な顔をした女が映っている。
――ルックスは私の勝ちだろう。うん。よって私の勝ち。
こうして、妹紅は半時ほどぐるぐる思考を巡らせ、その結果、慧音は私に惚れている、だからなんやかやと世話を焼いて、一緒にいたがるのだ。と結論を出した。
この結論自体は、妹紅にとって、そう困ったものではなかった。千年以上も生きてきた中で、自分を好きだという物好きな輩は定期的にいたのだが、惚れた腫れたに今更興味はない、むしろめんどくさい、と思って流していた。しかし、誰かに特別に思われること自体は、やはり悪い気はしなかった。
妹紅は慧音を好ましく思っている。
しかし、それは友愛であって、性欲を伴う愛情ではない、と妹紅には分かっていた。慧音は何百年もひとりぼっちだった自分に手を差し伸べてくれた。人里との架け橋になってくれた。殺し合い以外の人生の楽しみを教えてくれた。慧音は不死ではない。いずれ目の前からいなくなる。しかしそれは今ではないし、今考えるべきことでもない。不死でない彼女に、友情を感じるのは、悪いことじゃない。
(私は慧音の思いに応えることはできないけど、慧音が死ぬまでずっと一緒に、そばにいて面白おかしく暮らすことはできる)
ここで冒頭の苦悩に戻る。妹紅は慧音の恋人になる気はない。しかし、友人としてずっとそばにいたい。だけど慧音は、妹紅のために毎年誕生日の贈り物をくれる。そして、ここ数年贈り物はどんどん高価になってきている。
(慧音の気持ちに応えられないのに、これ以上慧音から何か貰うわけにはいかない。ただでさえ、私からは慧音に何も返せていないのだもの。でも慧音を傷つけるのは、本意じゃない)
まとめてみればたったこれだけの内容に、妹紅はうんうんと悩み、そして、甘美なため息をつくのであった。
ニ
次の日、竹林の道案内の依頼を済ませた妹紅は、慧音の家で夕食に呼ばれていた。今日のメニューは、夏野菜の天ぷらに、けんちん汁、漬物。慧音の手料理はとても美味しいので、妹紅はいつも残さず食べる。昔は、食事などどうしても耐えきれないときに、ハッカを齧るくらいでもしのげていたというのに。
おかわりを平らげて、妹紅は箸を置く。
「ごちそうさま。今日のご飯もとっても美味しかったよ」
「お粗末さま。そう言ってもらえると作った甲斐があるというものだ」
慧音はそう言うと食器を片し始める。妹紅は自分の分の食器を水につけると、今日の客から貰った乾物をアテに、酒の準備をし始めた。
コップを出したところで、慧音が戻ってくる。割烹着を脱ぐ慧音の姿を見て、妹紅はアレ、と違和感を覚えた。
慧音がきれいなのだ。
いや、もともと慧音は美人なのだが、こうして、夜、蛍光灯に照らされ、居間で割烹着を畳む姿まで美しいとは。そりゃあ里の若い男が騒ぐわけだ。スミに置けないどころではない。
「どうした、妹紅?」
「いや、なんでもないよ」
妹紅はごまかすと、慧音に席を勧めた。丸いちゃぶ台の、座布団一枚分離れた場所に慧音が座る。その顔の角度も、青いメッシュの入った白い髪も、やはりきれいであった。
(うん。こんなきれいな女を、ずっと私なんかに片思いさせておくわけにはいかない)
と妹紅は考えながら、慧音のコップに酒をそそぐ。(なんとか慧音を傷つけないよう、贈り物を断って、そして、仲の良い友人として今後付き合っていけるようにしなければ)今度は自分のコップに注ぐ。手酌だが、今更気にする二人ではない。乾杯をして、他愛のない話をしながら、いつも通り杯を空にする。
「妹紅」
「なーに?」
飲み始めてしばらくした後、慧音が妹紅を呼んだ。
「もうすぐ妹紅の誕生日だな」
慧音はにこりと笑う。酒に弱いわけではないが、すぐ顔に出る慧音の頬は、すでに上気している。とろけるような笑顔だと、妹紅は思った。いや、見とれている場合ではない。今年は贈り物はいらないと、今のうちにはっきり言っておかなければ。口を開こうとする。
「今年は今までより、もっと良いものを準備しておくからな。楽しみにしておいてくれ」
結局妹紅は口を閉じた。こんな嬉しそうな慧音の顔を、曇らす勇気が出なかった。なんて嬉しそうな表情で、この女は私に笑いかけるのだろうか。ここは慧音の、小奇麗なだけの普通の家で、ここは居間で、目の前の女は座布団に座り、食器棚を背に、小さな蛍光灯に照らされているだけだというのに、一応月の姫君で、豪邸に住んでいる、顔が取り柄の輝夜でも裸足で逃げ出すくらい、美しいのだろうか。
妹紅は気付いてしまった。慧音がきれいなのは、きっと恋をしているからだ。女がきれいになるのは、化粧のせいでも髪型のせいでもない。恋をするせいだ。慧音が、自分を思うあまりこんなにきれいになってしまったのかと思うと、なんともいえない気持ちが妹紅のおなかを襲って、胸をとおって、ぐっと喉までせりあげてくるようだった。
「そうか」
それだけ返すと、妹紅は、慧音は今年は一体何を贈るつもりなのだろうかと考え始めた。去年より一昨年よりずっといいもの。着物? いや、慧音は自分に同じものは贈らないだろう。いままでがそうだったからだ。酒を飲みつつ考え進めて、妹紅はひとつのことに気がついた。
うちにあるもののほとんどが、慧音がくれたものばかりであると。
正直、慧音のプレゼントのネタは、打ち止めであるように思った。しかし、慧音は今年、今までよりも『良いもの』をくれるという。美術品か何かか? いや、妹紅がそんなものをありがたがらないことは、慧音は十分に知っている。そうなると、もしや。もしやもしや。妹紅は、酔いのせいではなく自分の顔が赤くなっていくのを感じた。
もしや慧音は、私のことを思うあまり、自分の純潔を差し出すつもりなのでは―――?!
「……でな、妹紅」
「け、慧音!」
「な、何だいきなり」
妹紅は酒をひっくり返さんばかりの勢いでちゃぶ台をたたき、膝立ちになった。慧音、早まっていはいけない。お前はきれいなんだ。私のような不死の人間に、しかも女に、身体を差し出すことはない。妹紅はそう言いたかった。でもこの物言いでは慧音を傷つけるのではないか。彼女の眉がへの字になり、瞳に涙をためる姿は、見たくなかった。思考がめぐる。妹紅は自覚していなかったが、その実、彼女はしこたま酔っていた。
ぐるんぐるんと思考が行ったり来たりした結果、妹紅は立ち上がり、「今日は帰るよ」となんとか言った。
「そ、そうか。珍しい。だいぶ酔っているみたいだが、一人で大丈夫か?」
「酔ってないよ。私がトラだって、知っているでしょう。子供じゃないんだから、大丈夫」
「わかった。なら、気をつけて」
「うん」
その夜、妹紅はなんとかして帰路につき、床に伏した。わけがわからぬうちに眠りにつき、夜が明けて、目が覚めて、風呂に入り、酒が抜けてきたころから、彼女の、さらなる深い深い苦悩が始まった。
三
さすがに、慧音が自分に純潔を差し出してくる、というのは考えすぎかもしれない。でも、慧音は私のことが好きなんだし、熱中すると周りが見えなくなるとこあるし、そういうことになる可能性も、あるかもしれない。だからそうなった場合に、どうやって慧音を傷つけず、スマートに断るか。そして、今後も良き友人として親交を深めていくか、今のうちに考えておくことはきっと無駄じゃない。そうだ。だから私は考えなくてはいけない。そのような事態に備えるために。
妹紅はここまで考えて、その考えに納得し、じっくり対策を考えることにした。いや、仕事をしている時以外は、常にそのことを考えていたといってもよい。朝起きて飯を食う時も、風呂に入っている時も、布団に入ってからも。慧音と会っている時も。
輝夜との殺し合いはしなかった。そうそう頻繁にするものではないし、殺し合いのせいで、対策を考える時間が減らされるのはごめんであった。だからなるだけ、輝夜の前に姿を現さないよう注意した。
「妹紅」
慧音が切なげに名前を呼ぶ。暗がりに彼女の白い顔が浮かぶ。寝巻の襦袢の合わせから、白い鎖骨が浮き出ていて、自分も女であるというのに、その色香にまどわされそうになる。
「好きなんだ。妹紅。もう切なくて。はしたない女だと思ってくれてかまわない。今夜、私を貰ってくれないだろうか」
美しい瞳はうるんでいて、いまにも零れ落ちそうだ。唇はまるくて、赤くて、ぬれている。頬も、赤い。それはそうだ。慧音は純情清楚で、可憐で、多分処女だ。そんな慧音が、自分を抱いてくれと、我慢できないと、その口で言うのだ。彼女にとって、耐えがたいほど恥ずかしいはずだ。
でも、恥を忍んで言うのだ。私のことが好きだから。我慢できないから。だから。
しかし私はそれに応えるわけにはいかない。慧音の気持ちを思うと心苦しいが、断腸の思いで言う。
「だめだよ。慧音。慧音にはもっと素敵な人が現れる。私なんかにそんなこと言っちゃ、だめだよ」
「いやだ! 他の人なんて、考えられない。私は妹紅が好きなんだ。きっと、この先、妹紅しか好きにならない」
慧音のいじらしさに、妹紅はますます慧音のことがいとおしくなった。そして、こうまで望んでいるのに、ただつっぱねるだけというのは、かわいそうではないか、と思うようになった。
だから、キスくらいは、返してもいいかもしれない、と考えた。さっそく、シミュレーションをしてみる。キスをして、頭をなでてあげると、慧音は本当に幸せそうに笑った。
よし、これでいこう。これなら慧音も、きっと諦めて、新しい恋を見つけてくれるはず――。
ここまで考えて、妹紅は眠ろうとしたが、こんどは、「キスだけでは、逆に慧音にとって生殺しではないか」と思うようになった。
そうかもしれない。純情清楚で可憐で上品で奥手な慧音が恥を忍んで迫ってきたのだから、キスだけでおわりにするのはかわいそうすぎるかもしれない。では、キスをして、やさしく抱きしめて、一晩同じ布団で眠ろう。なんなら腕枕もしてあげよう。いやいや、そこまでするのなら、いっそ抱いてあげた方がいいかもしれない。私は女を抱いたことはないけど、まあなんとかなるはず。そうだ。そうしよう。一度だけでも抱いてあげれば、慧音もきっと満足するし、次の朝から私たちはもとの親友に戻って、仲良く暮らしていくはずだ。そうしよう。
というか、むしろそうすべきだ。
そういうわけで、妹紅の苦悩はさらに悩ましいものとなっていった。寝ても覚めても、慧音のことを考えた。実に悩ましく、狂おしく、甘美な苦悩であった。やさしく抱いて説き伏せてみても、手ひどく抱いて目を覚まさせようとしても、妹紅の頭の中の慧音は、決して妹紅への思いを断ち切らなかった。むしろ、以前よりさらに、妹紅のことを好きになっているようであった。
「ありがとう。妹紅」
布団の上で慧音が言う。彼女は下着ひとつつけていない。身体じゅう、ただし服で見えないところに愛し合った痕がいくつもあった。それがまた、彼女を妖艶に魅せた。
「私の願いを聞いてくれて、本当にありがとう」
彼女はいじらしくそう言って、微笑する。私は曖昧に笑って、何も言わず、彼女の頬に手をあてる。私は慧音を貪っただけだ。感謝されるようなこと、してないよ。
「妹紅は、やさしいな。……ごめん、妹紅。私、やっぱりお前のことを諦めきれないよ。もうわがまま言わないから、だから、この先、お前のこと、ずっと、好きでいてもいいか? 思っているだけで、いいから」
私は何も言わない。慧音もきっとそれを望んでいると思ったから。おやすみ、慧音。朝が来たら、またいつもの二人に―――「妹紅!」
耳元で名前を呼ばれて、妹紅は、自分がうたたねをしていたことに気付いた。それは仕方のないことである。妹紅が苦悩し始めてから約一週間、本当に寝る間を惜しんで対策を練ってきたのである。もしかしたら、生まれてこの方ここまで頭を使ったことはないかもしれない。知恵熱が出なかったのが不思議なくらいだ。
「全く、折角の誕生日だというのに、お前は寝こけて……もっとこう、祝われる側として、ましな態度があるだろう」
慧音が大荷物を抱えて、妹紅の顔の横で正座していた。少し怒っているみたいだ。そりゃ、私のために一生懸命準備して来てくれたのに、肝心の私が寝こけていたとなれば、ちょっと面白くないのもわかる。と妹紅は考えたので、寝ぼけ眼をこすりながら「ごめんね。楽しみにしすぎて、昨日の夜眠れなかったんだよ」と素直に謝った。すると慧音は、「そうか、なら仕方ないな。ちょっと待っていてくれ。今から食事の支度をするから」と、割烹着を着て小さな台所にはいって行った。機嫌が直ったのか、その顔はかなり嬉しそうで、鼻歌なんか歌いながら、彼女は野菜を洗い始めたようだった。
そんな慧音を見送って、妹紅は布団の上で伸びをした。布団を畳んで、片付ける。あー布団、干しておくべきだったなあ。折角なんだから、ふわふわの布団の方が、慧音だってよかっただろうに。うーん、せめて香でも焚いとくか? 何かなかったかなー。ああでも今焚いたら、ご飯のにおいと混ざっちゃうかも。うちは狭いから、居間と寝室は同じ部屋だもんな。やっぱあきらめよ。香は、布団を敷いてから、いざ本番、というときに枕元で焚けばいいでしょ。
うんうん、と一人納得して、妹紅は立ち上がると、台所の慧音の様子を見に行くことにした。音をたてないように、こっそりと後ろから慧音を見る。割烹着を着た彼女は、髪を結いあげていて、白いうなじが夕日に照らされていた。正直、慧音のうなじなんて見慣れていると思っていたのに、妹紅の心臓はドクドクと自己主張していた。やっぱあれかな。今夜、やると思うと、やっぱ意識しちゃうのかな。ああ、でもうなじに痕はつけらんないよなー。見えるかもしれないし。もうちょっと下で我慢しないとな。……っていうか、今やっちゃだめかな。やっぱ。だめだよね。さすがにそれは。いくら慧音が望んでいるとはいえ、慧音は純情清(ryだし。やっぱ初めては布団でしょ。うんうん。
妹紅がそう自分を納得させたところで、慧音の食事の支度が済んだらしい。二人で料理を居間に運び、よく冷えたちょっといい酒を慧音が注ぎ、乾杯すると、二人きりの晩餐が始まった。
四
夜もすっかり更けて、慧音のおいしいご飯を食べて、今はちびちび酒を飲んでいる段階になっても、やはり、妹紅は困っていた。
目下の悩みは、如何に慧音をひとつの布団にうまくエスコートするか、である。なんというか、これは使命感である。私だって、百戦錬磨というわけではないが、慧音に比べれば経験はあるはず。そうだとすれば、私はビギナーである彼女に恥をかかせることなく、布団までエスコートし、そして布団の中でもエスコートして、フジヤマヴォルケイノしなければならないのだ。
謎の使命感に身を燃やす妹紅は、ひとまず、慧音を先に風呂に入れることにした。その間に、自分は居間を片付けて、布団を敷いて、なけなしのお香を焚いておけばいい。灯りは、枕元だけにしておこう。そして、私が手早く風呂に入っている間、慧音には湯冷めしないよう、布団の中で待っていてもらおう。あ、枕元にティッシュ置いとかないと。あれ大事だわ。超大事だわ。まあとにかくまずは、慧音に風呂を勧めよう。妹紅は慧音に話しかける。
「け、慧音。先に風「そうそう、妹紅。今年のプレゼントなんだけどな」
「うえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ???!!!!」
妹紅があまりに素っ頓狂な声を出したため、慧音はぱちくりと目を見開き、杯を置くと、「い、一体何事だ妹紅?! いくら妹紅の家は竹林のはずれとはいえ、非常識だぞ!」とたしなめたが、妹紅は驚きのあまり、内容は頭に全く入っていなかった。だって、純じょ(ryな慧音が、まさかまさか、風呂にも入らずコトに及ぼうとするとは、妹紅は全く、これっぽっちも予想していなかったのだから、仕方がないと言えば、仕方がない。
藤原妹紅は、大混乱した。
「おい、聞いているのか妹紅!」
「けーね!!」
「な、なんだ」
「お願いだから、先にお風呂に入ってきて!!!!!」
かくして、妹紅はなんともいえない迫力により、慧音のお説教を中断させ、彼女を風呂に押し込むことに成功した。その間に、妹紅は今までになくテキパキと働き、慧音が風呂から出てくると同時に、床の間を整え終えた。そして入れ替わりに風呂に入ると、真剣に、かつ素早く身体の隅々まで洗い流す。頭の中では、この後に迫る慧音との布団プロレスのシミュレーションが、何度もリプレイされている。
「……よし」
髪よし。肌よし。寝巻よし。ニオイよし。ムダ毛処理よし。
完璧な準備を終えた妹紅は、これから完璧なプランを完璧に実行すべく、居間の襖の前に立った。大きく深呼吸。襖に手をかけ、開ける。
「おや、早かったな妹紅」
慧音が声をかけてくる。彼女は妹紅の予想通り、布団の上で、悩ましい襦袢の姿で妹紅を待っていた。――いくつか、予想と異なる点があるとすれば、部屋は薄暗くもなんともなく、煌々と灯りがついており、慧音の膝元に何冊かの本が重なっており、なぜか布団が二組敷いてあることくらいであった。が。
「け、慧音」
「まだ気温が高いとはいえ、湯冷めするぞ。早くこっちに来なさい」
とりあえず、床に誘われたので、妹紅はしずしずと部屋に入った。しかし、こんな誘われ方は想定していない。
「布団が一組しか出ていなかったからな。準備しておいたぞ。それにしても、香を焚いたのか? なかなか風流なことをする」
慧音は笑顔である。妹紅は唾を飲み込み、いやな予感に身を震わせながら、問う。
「慧音、そ、の、本は?」
「ん? これか、これはな、妹紅への誕生日プレゼントだよ。誕生日、おめでとう。妹紅」
「…………」
「先日香霖堂で見つけたんだが、外の世界のまんがぼん?というらしい。珍しいし、絵が多いし、きっと妹紅もこれなら楽しんでくれると思って、奮発したぞ!」
「………………」
「それでな、一緒に買ったこっちの本はな、外の世界の娯楽小説で、相変わらずわからないものだらけだが、いくつかこの世界で見かけるものも……」
慧音の話は夜遅くまで続いた。慧音にとって、貴重な本は、高価な家財道具にも、値の張る着物よりも価値のあるものであり、妹紅が上の空であるにもかかわらず、ひたすらに外の世界の書物に思いをはせ続けた。
日付が変わったところで、「そろそろ寝るか」と慧音が声をかけ、わずかな期待をした妹紅をしり目に、何の躊躇もなく灯りを消し、当然のごとく別の布団に入り、「お休み、妹紅」とだけ言うと、すぐに寝息を立て始めた。
夜中に慧音が起きだして、「妹紅……身体が疼くんだ」的な展開があるわけもなく、そのまま二人は朝を迎えた。
ちなみに、妹紅は一睡もできなかった。
五
「おはよう、妹紅。……どうした。顔がひどいぞ」
「……おはよーけーねー……。なんでもないよー……」
次の朝。妹紅はのそのそと布団から這い出て、台所で朝食をつくる慧音にあいさつを返した。
一晩寝ずに考えた結果、慧音は、自分に身体を差し出そうなどと全く考えていない、ということを妹紅は理解した。……それどころか、慧音は、自分に惚れているわけではないのかもしれない、という事実にたどり着き、残念ながら、それを受け入れざるを得ない状況であると、判断した。
慧音は超が付くほどのおせっかいで、世話焼きなのだ。私じゃなくても、困っている人間がいれば、慧音は身体をはって助けるし、力になろうとする。何も私に限ったことではないのだ。私としょっちゅう一緒にいて、何かと世話を焼いてくれるのは、ヒトから少々外れる者同士、気楽だからであったのだ。
そのような結論に至って、目の下に隈を縁取り現れた妹紅は、台所に立ち、割烹着を着て、味噌汁の具を切る慧音を見て、その慧音が、いまだに、どうしてこんなにきれいだと思うのか、疑問であった。慧音は私に惚れていないはずなのに。多分、他の誰にも恋をしていないはずなのに。どうしてこんなにきれいなんだ。髪も、肌も、瞳も、唇も、きれいだった。妹紅の頭の中で、何度も愛を囁き、愛を乞い、妹紅の舌や指を受け入れた慧音。それと同じくらい、いや、下手をするともっと。現実の、朝日の中にいる慧音は、美しかった。
「なら良いんだが……。そろそろ朝食ができる。ちゃぶ台を出さないといけないから、布団をあげてくれるか」
「けーね……」
「何だ? やはり気分が悪いのなら、寝ておきなさい。朝食は、おいておくから」
「きれいだ」
「は」
「まぶしい。けーね。どうして? なんでそんなにきれいなんだ?」
教えてほしかった。慧音は教師なのだから。慧音は自分に惚れてないのに、どうして私の目には、慧音がこんなに美しく映るのかを。
純粋に知りたくて、訊いたのに、慧音は妹紅の言葉に包丁を止め、顔を真っ赤にするだけで、妹紅のほしい答えをくれなかった。
「やはり、寝ぼけているんじゃないのか。あ、朝っぱらから、人をからかわないでくれ」
「からかってない。ほんとにそう見えるんだ。教えてよ。慧音は先生でしょ」
寝不足で回らない妹紅の頭は、普段吐露することの少ない妹紅の感情表現にブレーキをかけることをしなかった。妹紅は歩を進めて、慧音に近づく。慧音は包丁を置いて、後ずさった。妹紅がさらに距離を縮める。とうとう、慧音は妹紅につかまってしまった。妹紅は慧音の顔をじっと見つめる。それに耐えられなくて、慧音は目を伏せる。「慧音」 妹紅の手が慧音の頬を包み込み、顔をあげさせた。慧音の顔のすぐ下に、妹紅の顔があって、そのふたつは、とてもとても、近かった。
慧音が、覚悟を決めたように、ゆっくりと口を開く。
「も、こう」
「うん」
「わたし、には。お前がいちばん、きれいに見える」
「……? うん?」
「それが、お前の質問に対する、『私』の答えだ」
慧音の答えは、妹紅の想定していたものとは違っていた。
にもかかわらず、妹紅は、唐突に、何かを理解したような気がした。目の前が急に広がり、周りの景色までも鮮やかになったような気が。答えを口にした慧音の顔は真っ赤だ。しかし、視線は妹紅から移さない。妹紅も、慧音の顔から目をそらさなかった。相も変わらず、妹紅の瞳に映る慧音は、気も遠くなるほどきれいであった。
竹林のはずれの、朝日の中の東屋に、世界でいちばん美しい少女が二人、存在していた。
あるいは、とっても計算高い慧音が焦らしプレイを敢行したのかもしれません。
かわいいですね
思春期か! あるいは色を知る歳か! 経験豊富とか嘘付けもこたん!
ごちそうさまです。
1さん
なるほど、計算高いけーねか。アリですね。
慧音先生は、真顔で恥ずかしい台詞を言っちゃう人だとおもいます。
3さん
もこけーねになってるみたいで良かったです。書き終わってから、これ実はけねもこじゃね?ってなったので。
4さん
にぶちん二人になってしまいました。
ところで、あなたのコメントがとてもかわいいのですが、どうしたらいいですか。
5さん
もこたんは本命童貞なんです。ええ。回数自体はそれなりなんです。きっと。
けーねを処女だと言い張ってるのが、書いててほんとに謎でした。
……もうどうすればいいのかと……!
過ぎた評価をありがとうございます!
これを励みにして、さらなるもこけね妄想に磨きをかけていきたいと思います!
15さん
えっ。このもこたん素敵ですか?まぁ脳はかなりかわいいことになってますが。
愛ゆえにもこたんを残念な子にしてしまったので、そう言っていただけて幸せです!
ラストの展開も素晴らしいですね
もこたんは永遠の思春期ですからね! 仕方ないですね!
ラストをまとめるのが非常に苦手で、苦労しているので、そのようなお褒めの言葉を頂けると、沁みますね。
慧音先生が大好きなので、つい女神にしてしまうんです。でも公式でこういう人だと思うんだけどな~。けーね最高!
最後の慧音の言葉は相当に勇気を出して言ったんだろうなーというのが伝わりますね。
妹紅が勘違いをしているように見せ、実際にああやっぱりね、としておいてのこの流れ、上手いです。
ストーリー的にも文章的にも
今更の返信ではありますが、勿体ないお言葉を本当にありがとうございます!最後の慧音先生は、少女漫画のヒロインのようなものを意識して、とにかくかわいらしく、いじらしく見えるように書いたつもりでした!
28さん
高い評価を本当にありがとうございます。
私は慧音と妹紅を本当に美しいと思っているのですが、それを表現するのが苦手なので、綺麗だという言葉を頻繁に使ってしまうので、なんだか恐縮でございます。