照りつける日差し。
止むことのない蝉時雨。
青空に悠々と浮かぶ入道雲。
夏の季節を肌と耳と目で存分に感じながら、私は柴の花と水桶、その他諸々を持ってふらふらと一人で歩いていた。
ふらふらと言っても、目的はちゃんとある。
友人の墓参りだ。
住職その他によって管理されている命蓮寺墓地とは違う。
この場所に弔われている者の殆どは無縁仏―――主に迷い込んできた外来人だ。
管理者なんて立派な者はいない。参るなら何時だって自己責任(セルフ)なこの場所。
やや荒れ気味のそこを足早に抜けていくとやがて、場違いに綺麗な墓がぽつねんと一つ現れた。
それを目にしただけで、暑さに辟易していた心が少しだけ潤いを取り戻した気がする。
さくさくと草を掻き分け、それに向けて歩いた。
墓石を前に私は膝を折る。少しでも君を近くに感じれる様に。
墓石を前に私は語り掛ける。一言でも多く君に声が届く様に。
「やぁ、また来たよ」
澄み渡る夏の空が相応しい今日この日は、君の命日だ。
# # #
パシャ、っと涼しげな音が静かなこの場所に響く。
カメラのシャッター音でも、人魚が尾鰭で水面を叩いて出た音でもない。私の撒いた水が跳ねる音だ。
ここには小まめに手入れをしに来ているつもりなのだが、それでも時間が経てば汚れというものは付いてしまうもの。屋外であれば尚更だ。
水桶と一緒に持ってきた柄杓と、汲んできた水で丁寧に墓石の汚れを流し、束子(たわし)で洗い、もう一度水を流す。水鉢も同様に行う。
すると磨いた分だけ、それ等は元の鈍い光沢を取り戻した。
ついでに花立てと線香立ての掃除も忘れてはいけない。
花立てのとっくに枯れ果てた花はそこら辺に捨て、持ってきていた柴を入れ、古く腐り切った水を新しい水と入れ替える。
線香立ては、線香の残り滓を丁寧に取り除き、軽く水を流して綺麗にする。
と、ふと周りを見て気付いた。……あぁ、暫く来ていない内に、雑草がそこかしこで伸びている。この季節はどいつも生命力に溢れていて厄介だ。
気付いて無視は虫が悪い―――というのはあまりにもアレなので胸の内にそっと仕舞って、私は大人しく手近にある草を抜くことにした。
「ふぅ、こんなところかな?」
一通りの掃除を終えると、更に綺麗さを増した墓が目の前に鎮座している。
滲み出る汗を一拭いして、うん、と私は頷いて満足した。
掃除が済むと、次はお供え物の番だ。
と言っても、用意しておいた生米や団子に砂糖菓子、火を点した線香を置けばそれでお終いなのだけれど。
そういえば、外の世界ではこの時期の墓参りに花火をしたりすると聞いたが、死者の眠る場所で騒ぐのは私はどうかと思う。
なので火種を振り回したりなどはせず、静かに合掌して、土の中で眠る友人に想いを馳せることにした。
ジージー、シャーシャー、とがなり立てる蝉たちの声が遠くなる。
「…………」
目を瞑れば、自然と君と過ごした日々が浮かんでくる。
初めて逢ったのは……えぇと、そう、もう×××年くらい前だ。あの年のあの日、霧雨煙る竹林で、私たちは初めて言葉を交わしたんだったな。
雨に打たれるがまま、竹に寄り掛かる様にして茫然と突っ立っていた君を覚えている。
まるで世界の全てから嫌われてしまった様な絶望を漂わせていて、少しでも目を離した隙に自死でも謀るんじゃないかと思ってしまった。
そんな厭世的な気分に浸っていた君。その事をからかうと、「昔の事だ」と恥ずかしそうにぼそぼそ言っていたのも覚えている。
竹林に人が、それも悲壮な顔付きで居るんだから、声を掛けない訳にはいかない。
おい、と声を掛ければ、やっぱり君は死んだ瞳で私を見たんだった。失礼な話だが、綺麗な死相だな、と思わずにはいられなかったよ。
何をしてるんだ、と聞けば、君は案外素直にお喋りしてくれたね。
君は同じ人間に化け物扱いされた事を気にしていた。君は人から人外となった身であったからだ。
弱い人を助けようという志を持てど、その想いは伝わらず。常人とは異なる容姿に、異形の術を以て怪異を退ければ退けるほど、君は恐怖の視線と共に化け物の烙印を押されていった。
君はまた賢い人でもあった。力が駄目なら培ってきた知識を広めようとした。けれども、不信ある君の声に他人が耳を貸す筈なんてなくて、化け物が今度は絡め手を使ってきたと言われた、と君は皮肉気に漏らしていた。
初めは辛くても慣れたつもりだったんだな。その身は人を助ける力を持つ身であり、多少の理不尽に負ける筈がないと信じていたから。
しかし、長い時間を掛けて蓄積されていった感情は、じくじくと毒の様に君の心を蝕んでいた。
君は、とても怒っていた。
誰かに褒められたり感謝されたかった訳ではない。それでも、罵倒され、忌み嫌われる謂れもない筈だったのに。
間違ったことはしていない。目の前でこぼれ落ちる命をその手ですくってきた。自らの行いは確かに誇れるものであった。
なのに、どうして―――! と、君は矛先を私に向けたんだった。
君は怒りの捌け口を知らなかった。……いや、知っていても、あえて向けようとしていなかった。それは君にとって守るものに値したからだ。
でも、その時の君の中で既にそれは、守るべきものから恨みの対象へと成り下がっていた。
だから、鬱屈とした想いに死にそうになっていた所へ丁度良く現れた人―――私に全てをぶつけたんだったな。
「でも……」
―――でもまぁ、生憎と私は君の望んだ人ではなく、同じく人から外れた存在、化け物だった。
私も同類だったから、君の言っている事、抱えていた想い、全てとは言えなかったけど、ある程度の理解は出来たんだ。
君は私にどんな言葉を望んでいたんだろう。謝罪か、罵声か、それとも悲鳴でも上げていれば良かったのか。
でも、間違っても「分かるよ」なんて言葉ではなかった筈だ。なにせ、君は私のその言葉に激怒したからな。
そんなの嘘だ、と君は叫んだ。だから私は同類の証拠だと異形の術を使ってみせた。
なら憐れむな、と君は拒絶を望んだ。でも、似た様な経験を持つ私が、君を放っておける筈がなかった。
お願いだから私に構うな、と君は泣き崩れた。構わなければ君は今にも死にそうだったし、事情を聞いておいてみすみす死なれるなんて目覚めが悪過ぎるから、やっぱり聞き入れなかった。
何なんだお前は、と君が吠えた。君と同じ化け物だよ、と私が答えた時の呆然と泣き濡れた顔は反則的に可愛かったよ。
君と私は生きた時間こそ違った。けど、同じ穴の狢、私にとって助け合うのは当然だった訳だな。
私は知っての通り不器用な性分をしていたものだから、君の助けになれるかは微妙だった。
でも、当時の君と違って、私は少なくも信を置ける人たちがいた。
だから、先ずは私の交友を辿って、人々からの信用を得ようと二人で頑張ったんだよな。
今、思い出しても辛く過酷で、また愉快な日々だった。
君は人は勿論、同類である私にすら不信感を抱いていた。まぁ、出会って間もない奴から助けてやるなんて言われて警戒しない方がおかしいのだけれど。
でも、君は聡い人だった。もしかしたら、人の悪意に晒され続け、他人の心の機微に敏感になっていたのかもしれない。
正直、私も不安だったし、これを機に人との間により太いパイプを築けないかという打算もあった。でも、君は私の想いが本物だと察して、歩み寄ってくれた。
それが純粋に、嬉しかった。
さてしかし、君の扱いを知った時は、それまで苦労して築き上げた交友を放棄してしまおうかとさえ思った。
君に向けられる侮蔑を含んだ瞳、罵詈雑言、その全てが私の癇に障った。君は今までこんな悪意に耐え忍んでいたのかと愕然とした。
こんな者たちと交友を結ぶ必要はない。いっそ私一人が君の味方でありさえすればそれで良いのでは、とも考えた。
けれど、君は私一人なんかに縛られていい様な人ではなかった。君は誰かの為に生きられる人だから。
だから、私も自身の内で煮え滾る想いに蓋をして、君の為に働いた。
君は私なんかと違って何かとやれば出来る人だった。だから今までとやることは変えず、その分少しだけ他人を意識するよう心掛けた。
私は私で君に出来ない部分を補い支えた。君一人で空回りするというなら、私が上手く取り成して補助すれば良いだけの話だったから。
そうして、私たちは人間関係という見えない強敵に立ち向かった。
初めは君の言う通り、何をしようと裏目、裏目の大裏目。解決の糸口も光明も見えず、あっさりと二人仲良く迫害される身分へ転落していった。
おまけに、こちらの下手に出た態度を勘違いする愚か者も中にはいた訳で。そういう輩には仕方なく「灸」を据えてやったが、それが却って悪い噂を広めるなんてこともあった。
「もう少し上手くできなかったものかなぁ……」
今更にそんな事を思う。でも、不器用な私たちだ、あれで精一杯だったんだと思う。
やっぱり駄目だ、無理なんだ、と泣きじゃくる君を宥めたのは私だったけど、心が折れかけていたのは私も一緒だった。
それでも、私たちの行いを偏見無く見てくれている人もいた。世代が変われば、君や私に対する敵意は確実に薄れていった。
そうなると、それまでの苦難は何だったんだという位に全てが上手くいき始めた。
君も私も人の中で確かな居場所を作り上げ、そして、それは私たちだけに留まらず、他の関係にも新たな希望を見出した。
図らずも、私たちは人とそうでない者との懸け橋になっていて……あの時は余りにも事態がとんとん拍子に進むものだから、二人して唖然と見ているしかなかったな。
迎えた平穏無事な日常は、とても甘美なものだった。
人と化け物とが友の様に語らって、兄弟の様に喧嘩して、契りを結んで家族となって……。
君と私が望んだ光景が目の前にあって、それに自分たちも組み込まれていた。
もちろん、長い確執のあった問題だ。それは何度も再燃しかけた。
その度に私や君はやれやれと重い腰を上げて仲裁に向かった訳だが、満更でもなかったのはお互い様だろう?
言葉にすれば僅かだが、私たちが共に過ごした×××年間は正に戦いだった。
その×××年、背中を預け合った私たちは―――自分で言うのも何だが、中々息の合う相棒同士だったんじゃないかと今でも思っている。
―――たとえ君が死んだ今となっても。ただ一人、片割れとなっても。その死が、君が望んだものだとしてもだ。
人が死んだ後に当人以外がその理由を考えるなんて無益極まりないことだけれど、まぁ、推察することくらいは許して欲しい。
君が死を望んだ理由。そんなもの、幾らでも有るようで、無いような気もした。
でもおそらく一番確信に近いと思うのは、「何となく」だろうな。
私たちは自他共に認める化け物だ。でも、生粋ではない。
私たちは共に、人から人外に成った身。千年なんて当たり前に生きる彼らと違って、そこまで丈夫ではない。
身体ではなく、精神が保たない。
生命は皆、寿命という名の終着点が待っている。
人であれば長くて一世紀。そこまで行き着くのは稀だけど、それ位が人の限界。
本来なら、私も君もとっくに天へと魂を還していなくてはならなかった。そうならなかったのは、自分の寿命を歪めたからだ。
片や人の身では到達不可能の域へ。片や寿命という概念を亡くした不老不死へ。
とはいえ、私たちは知らず自分たちの戦いを生き甲斐としていた。だから×××年もの間、寿命なんてものを意識することはなかった。
しかし、それを果たしてしまった後はどうだったか。私たちは多くの戦友を作り、先逝く彼らの死を見届けてきた。
ぬるま湯の様に幸せな毎日は、寿命という長らく忘れていた存在を私たちに思い出させてしまった。
寿命を迎えることに怯えたんじゃない。
いつ寿命というものがやって来てくれるのか、そもそも、本当に来てくれるのか。それが何よりの恐怖だった。
死というものは視点を変えれば救済だ。死があるのか分からないということは、救いが無いのではないかという不安を抱かせることに繋がる。
命は何より尊ぶべきものだけれど、それが永遠に続くかもしれないと考えたらどうだろう。耐えられるのなら、それは立派な人外だ。
それでいてマトモに見えるのなら、それは狂人か思考が生まれの惑星単位で異なるかのどちらかだろう。
まぁ、私たちは知らず、死というものに憧れを抱く様になっていたんだな。
言葉にこそしなかったけれど、互いに恐怖していることには気付いていた。
長い付き合いだもの、それくらいは雰囲気で察していたさ。
だから、君が「死にたい」とこぼした時、「あぁ、ついに限界が来てしまったんだな」と悟ったよ。
そうして後日、君は死を迎えた。君の望む通りのままに。
「ズルい奴だ」
同じ恐怖を抱いた者ゆえ、君の選択も仕方のないことだと思えた。けど、悲しみは拭えなかった。
そして、それと同じくらい悔しかった。いくら異形の術を使えても、君の抱えた恐怖の一つすら和らげてやることが出来なかった。
君は優しいから私を攻めず、私は自分で自分を責めるしかなかった。
私が弱かったから、君の望みを叶えてやるしかなかった。
だから、このお墓参りは、せめてもの贖罪なんだ。
ポタリ、と老廃物を含んだ水滴が地面を濡らす。涙か汗かだなんて些細な事、出所が汗腺か涙腺かの違いでしかない。……そうだろう?
「なぁ、聞いているか? ―――妹紅」
つい、決して自分の声が届く筈もない程に深く、底なしに深く、自力で這い上がるなど到底不可能な深さに埋められた親友の名前をこぼしていた。
気付いて、頬が赤くなるのを感じた。
「あぁもう、恥ずかしいなぁ」
どうも思い出を振り返っている内にセンチな気分になっていたらしい。こういった部分は私もまだまだ若い。
……妹紅は蓬莱人という不老不死だった。
死のうと思えばいくらでも死ねるが、死を迎えることだけは出来ない人外だった。
矛盾しているが、矛盾していない。実に幻想郷らしい不思議な存在。
それ故、君は自身の在り方に何時だって苦悩していた。
君は死ねない苛立ちを竹林の姫にぶつけていた様だが、一度でも君の心が晴れたことはあったんだろうか。
……いや、あった筈がない。そうでなければ、気丈な君が万が一にも「死にたい」なんて弱音を吐くことはありえない。
寿命に有限がある私と違い、君は正真正銘の不死、寿命が無限であれと身体を造り変えられていた。
その精神的苦痛が如何程のものかは、寿命が大幅に伸びた「程度」の私には到底計り知れなかった。
……それでも、私は君の力になりたいと思ったんだ。
私たちはミラーツインな運命共同体、一蓮托生の想いで繋がった比翼連理も同然の関係だったから。
君が笑えば私も笑い、君が怒れば私も怒る。君が傷付けば私はその傷を癒し、君が涙すれば私はそれを舐め取る。
それは君と私との間では至極当然な事。
ならば当然―――死にたがりな君を殺すのは、私でなくてはいけなかった。
君が死を望むならば、私は一切の私情を廃し、不死すら殺してみせると誓ったんだ。
……しかし、君を殺すのには随分な手間が掛かった。何せ蓬莱人、本当にどれだけ殺し尽くそうが蘇ってくれるのだから。
手始めは食事に即効性の毒を混ぜてみた。口に含んでパタンと前のめりに倒れたかと思えば、すぐ起き上がって「私じゃなければあの世行きだ、気をつけろ」と君は言った。失敗だった。
その次は無防備に寝ている所を狙ってみた。か細い首筋を手折るのは容易く、生き返ってなお呼吸する度に喘ぐ君を見ていると何ともイケナイ気分にさせられた。でもまぁ、失敗だった。
さすがに君が警戒し始めると偶然を装って殺すしかなくなった。放られた鎌を頭に突き立てたまま、くるくる倒れる君はほんの一時だけ人形の様に生を感じさせなかった。だけど、失敗だった。
いよいよ視界に入れば逃げられる段階に入ると、遂には君を監禁せざるを得なくなった。そこで何千、何万の死の末に君を見届け……ようとしたのだけれど、やっぱり失敗した。
「蓬莱の薬。その効能は―――服用者の魂の定着」
毒殺、絞殺、刺殺、惨殺、轢殺、焚殺、圧殺、銃殺、爆殺、殴殺、他殺、自殺―――試した手段は数えるのも億劫で、君を殺す為なら何でもした。
古今東西のありとあらゆる書物・歴史を紐解き、拷問を行い、辱めを与え、君の死に対する希望と渇望を強めさせた。
青の邪仙と肩を並べる程度の非道は尽くしたつもりだ。……それでもなお、君の高潔な魂は現世にしがみ着いていた。
やはり私程度では君を救えないのかと大いに頭を抱えたよ。
だが、転機というものは何が切っ掛けか分からないものだ。偉大な発明家たちの言うインスピレーションとはああいう事を言うんだろう。
ある時、里の子どもが亡くなった。確か水死だった。川辺で遊んでいて、不運にも足を滑らせたんだ。
里の有力者の子どもであったから、葬儀は立派なものだった。里の人間の殆どが参列したんじゃないだろうか。
勿論、私も参列した。線香を立て、焼香も上げた。しかし、他の参列者の様に死んだ子どもを偲ぶ気持ちにはなれなかった。
人の子はこんなにもあっさりと死ねるのに、君は何故ああも死に抗うのか、と。そんな不謹慎が顔に出ないよう式中は努めてばかりだった。
しかし、君を殺すヒントはそこで見付けた。正確に言えば、納骨の際だ。
子ども用に小さく作られた骨壷が墓石の下、暗く冷たい地面に安置されるのを見た。
そこは光も温かみもない土の中。まるでそう、常人の思い描く死後の世界みたいで。
そうだ、そうだったんだ。君を殺せないのは、地上が生に満ちていたからで。
なら、擬似的な死の世界を創り、君をそこに閉じ込めてしまえば良かったんだ。
得心がいけば、後の行動は単純にして明快。私は人の目につかないこの土地に目をつけ、ひたすら穴を掘り続けた。
中途半端な深さであれば、万が一、君が「やっぱり生きたい」なんて心変わりして出てくることもありえてしまうと思った。
だから、その作業に一切の妥協は無かったと言わせてもらう。不死の君であろうと出てくることは不可能な程に、出て来ようなんて気がおきない程の深さを目指して掘り進めた。
そして、長い時間を掛けて完成した。
「あの深さなら、妹紅も出ては来れないだろう?」
ざっと三百尋(ひろ)。それが君の為に用意した墓の深さだ。
君はこの墓石の底で、今も絶え間無い死を噛み締めているんだろう。
周囲を囲む土砂による圧死と窒息死。苦痛と暗闇だけが同居する環境は、君の精神を犯し、狂わせているかもしれない。
そここそが蓬莱人である君を殺すに足る死の世界。上白沢印の、君の為だけの墓だ。
……しかし、今更こんな事を言うのもどうかと思うが、これまでの非道の数々を含めて、私の君に対する罪悪感は半端なものじゃない。
この深い深い墓の底に君を埋めた時。あの時の、君の私を見る瞳が、未だに私を責め続けている。
出来るならば、私も君の後を追いたい。追って地獄で裁きを受けて、魂にまで及んだこの穢れを落としてしまいたい。
けれど、それも最早赦されないみたいだ。つい先日、里へ説教にやって来た閻魔様に言われてしまった。
『見えぬ死に脅え、己の犯した罪の重さに苛まれ生き続けることが、貴女に許されたせめてもの償いです』
と、な。改めて自分の罪深さを思い知らされた気分だよ、ははっ。
……閻魔様は生き続けることが私に出来る償いだと言った。でも、私はそうだとは思わないんだ。
こんなにも罪深い私にも出来ることは他にもある筈だ。何たって、化け物と蔑まれた私でさえ救える人が確かにいたんだから。
幸いなことに、人と人外との繋がりは未だに健在だ。
健在だが、その繋がりは見た目以上に脆い。ほんの些細な切っ掛けで何時千切れ、絶たれたっておかしくない。
それは君と共に時代を駆け抜けた私にとって忘れられる筈もない厳然たる現実。一瞬でも気を抜けば、あの排他的で殺伐とした時代に逆戻りするだろう。
ならば、やはり私が働き掛けるべきなんだ。
里の守護者として。里の治安の為、新たな「私たち」を生み出さない為にも。
この手がどれだけ汚れていようと、守れる者は可能な限り守っていきたい。
「彼らの繋がりは、ひいては私と妹紅の繋がりなんだから」
この事を閻魔様に話すと呆れた……いや、哀れむ様な顔をされてしまった。
私の様な大罪人には荷が重いと思われたのかな。昔は君と二人で行っていたことを一人でやろうと言うんだから、妄言と取られてもおかしくはないか。
それでも、私はやらなくてはならないんだ。
君を殺した代償に、何時とも知れぬ寿命に脅えろというのなら。
君との絆がこれからも、私の死後であろうと保たれるというのなら。
「私の事も、他の者たちの事も心配しなくていい。万事上手くやってみせる」
身を粉にしてでも、命尽き果てるその時まで、私はやり遂げよう。
「―――だから、妹紅はここで心置きなく死んでいてくれ」
直ぐにとはいかないけど、何時か私も追い付くから―――。
出会いは偶然にして必然だった。
出会うべくして出会った人外が二人。
自らの境遇に悩み、戦いを決意し、泣き、笑い、怒り、励まし合って、寿命に怯えた。
産まれた腹は違っても、生き写しの様に色んな所が似通っていて。
君が私で、私が君で。まるで合わせ鏡の様だった。
だけれど、その片面は自ら砕け散った。
無限に連なる筈だった私たちの未来は一方通行に。
残された片面は醜い自分を見た。
手を汚し、血に塗れた自分がいた。
直視に耐えなかった。しかし、逸らすことは許されない。
片面は待っているんだ。何時か砕け散るその時を。
そうすればまた、君と壊れもの同士になれるから。
見上げた夏空は私の心を映す澄んだ鏡の様で、この上ない青さを湛えていた。
止むことのない蝉時雨。
青空に悠々と浮かぶ入道雲。
夏の季節を肌と耳と目で存分に感じながら、私は柴の花と水桶、その他諸々を持ってふらふらと一人で歩いていた。
ふらふらと言っても、目的はちゃんとある。
友人の墓参りだ。
住職その他によって管理されている命蓮寺墓地とは違う。
この場所に弔われている者の殆どは無縁仏―――主に迷い込んできた外来人だ。
管理者なんて立派な者はいない。参るなら何時だって自己責任(セルフ)なこの場所。
やや荒れ気味のそこを足早に抜けていくとやがて、場違いに綺麗な墓がぽつねんと一つ現れた。
それを目にしただけで、暑さに辟易していた心が少しだけ潤いを取り戻した気がする。
さくさくと草を掻き分け、それに向けて歩いた。
墓石を前に私は膝を折る。少しでも君を近くに感じれる様に。
墓石を前に私は語り掛ける。一言でも多く君に声が届く様に。
「やぁ、また来たよ」
澄み渡る夏の空が相応しい今日この日は、君の命日だ。
# # #
パシャ、っと涼しげな音が静かなこの場所に響く。
カメラのシャッター音でも、人魚が尾鰭で水面を叩いて出た音でもない。私の撒いた水が跳ねる音だ。
ここには小まめに手入れをしに来ているつもりなのだが、それでも時間が経てば汚れというものは付いてしまうもの。屋外であれば尚更だ。
水桶と一緒に持ってきた柄杓と、汲んできた水で丁寧に墓石の汚れを流し、束子(たわし)で洗い、もう一度水を流す。水鉢も同様に行う。
すると磨いた分だけ、それ等は元の鈍い光沢を取り戻した。
ついでに花立てと線香立ての掃除も忘れてはいけない。
花立てのとっくに枯れ果てた花はそこら辺に捨て、持ってきていた柴を入れ、古く腐り切った水を新しい水と入れ替える。
線香立ては、線香の残り滓を丁寧に取り除き、軽く水を流して綺麗にする。
と、ふと周りを見て気付いた。……あぁ、暫く来ていない内に、雑草がそこかしこで伸びている。この季節はどいつも生命力に溢れていて厄介だ。
気付いて無視は虫が悪い―――というのはあまりにもアレなので胸の内にそっと仕舞って、私は大人しく手近にある草を抜くことにした。
「ふぅ、こんなところかな?」
一通りの掃除を終えると、更に綺麗さを増した墓が目の前に鎮座している。
滲み出る汗を一拭いして、うん、と私は頷いて満足した。
掃除が済むと、次はお供え物の番だ。
と言っても、用意しておいた生米や団子に砂糖菓子、火を点した線香を置けばそれでお終いなのだけれど。
そういえば、外の世界ではこの時期の墓参りに花火をしたりすると聞いたが、死者の眠る場所で騒ぐのは私はどうかと思う。
なので火種を振り回したりなどはせず、静かに合掌して、土の中で眠る友人に想いを馳せることにした。
ジージー、シャーシャー、とがなり立てる蝉たちの声が遠くなる。
「…………」
目を瞑れば、自然と君と過ごした日々が浮かんでくる。
初めて逢ったのは……えぇと、そう、もう×××年くらい前だ。あの年のあの日、霧雨煙る竹林で、私たちは初めて言葉を交わしたんだったな。
雨に打たれるがまま、竹に寄り掛かる様にして茫然と突っ立っていた君を覚えている。
まるで世界の全てから嫌われてしまった様な絶望を漂わせていて、少しでも目を離した隙に自死でも謀るんじゃないかと思ってしまった。
そんな厭世的な気分に浸っていた君。その事をからかうと、「昔の事だ」と恥ずかしそうにぼそぼそ言っていたのも覚えている。
竹林に人が、それも悲壮な顔付きで居るんだから、声を掛けない訳にはいかない。
おい、と声を掛ければ、やっぱり君は死んだ瞳で私を見たんだった。失礼な話だが、綺麗な死相だな、と思わずにはいられなかったよ。
何をしてるんだ、と聞けば、君は案外素直にお喋りしてくれたね。
君は同じ人間に化け物扱いされた事を気にしていた。君は人から人外となった身であったからだ。
弱い人を助けようという志を持てど、その想いは伝わらず。常人とは異なる容姿に、異形の術を以て怪異を退ければ退けるほど、君は恐怖の視線と共に化け物の烙印を押されていった。
君はまた賢い人でもあった。力が駄目なら培ってきた知識を広めようとした。けれども、不信ある君の声に他人が耳を貸す筈なんてなくて、化け物が今度は絡め手を使ってきたと言われた、と君は皮肉気に漏らしていた。
初めは辛くても慣れたつもりだったんだな。その身は人を助ける力を持つ身であり、多少の理不尽に負ける筈がないと信じていたから。
しかし、長い時間を掛けて蓄積されていった感情は、じくじくと毒の様に君の心を蝕んでいた。
君は、とても怒っていた。
誰かに褒められたり感謝されたかった訳ではない。それでも、罵倒され、忌み嫌われる謂れもない筈だったのに。
間違ったことはしていない。目の前でこぼれ落ちる命をその手ですくってきた。自らの行いは確かに誇れるものであった。
なのに、どうして―――! と、君は矛先を私に向けたんだった。
君は怒りの捌け口を知らなかった。……いや、知っていても、あえて向けようとしていなかった。それは君にとって守るものに値したからだ。
でも、その時の君の中で既にそれは、守るべきものから恨みの対象へと成り下がっていた。
だから、鬱屈とした想いに死にそうになっていた所へ丁度良く現れた人―――私に全てをぶつけたんだったな。
「でも……」
―――でもまぁ、生憎と私は君の望んだ人ではなく、同じく人から外れた存在、化け物だった。
私も同類だったから、君の言っている事、抱えていた想い、全てとは言えなかったけど、ある程度の理解は出来たんだ。
君は私にどんな言葉を望んでいたんだろう。謝罪か、罵声か、それとも悲鳴でも上げていれば良かったのか。
でも、間違っても「分かるよ」なんて言葉ではなかった筈だ。なにせ、君は私のその言葉に激怒したからな。
そんなの嘘だ、と君は叫んだ。だから私は同類の証拠だと異形の術を使ってみせた。
なら憐れむな、と君は拒絶を望んだ。でも、似た様な経験を持つ私が、君を放っておける筈がなかった。
お願いだから私に構うな、と君は泣き崩れた。構わなければ君は今にも死にそうだったし、事情を聞いておいてみすみす死なれるなんて目覚めが悪過ぎるから、やっぱり聞き入れなかった。
何なんだお前は、と君が吠えた。君と同じ化け物だよ、と私が答えた時の呆然と泣き濡れた顔は反則的に可愛かったよ。
君と私は生きた時間こそ違った。けど、同じ穴の狢、私にとって助け合うのは当然だった訳だな。
私は知っての通り不器用な性分をしていたものだから、君の助けになれるかは微妙だった。
でも、当時の君と違って、私は少なくも信を置ける人たちがいた。
だから、先ずは私の交友を辿って、人々からの信用を得ようと二人で頑張ったんだよな。
今、思い出しても辛く過酷で、また愉快な日々だった。
君は人は勿論、同類である私にすら不信感を抱いていた。まぁ、出会って間もない奴から助けてやるなんて言われて警戒しない方がおかしいのだけれど。
でも、君は聡い人だった。もしかしたら、人の悪意に晒され続け、他人の心の機微に敏感になっていたのかもしれない。
正直、私も不安だったし、これを機に人との間により太いパイプを築けないかという打算もあった。でも、君は私の想いが本物だと察して、歩み寄ってくれた。
それが純粋に、嬉しかった。
さてしかし、君の扱いを知った時は、それまで苦労して築き上げた交友を放棄してしまおうかとさえ思った。
君に向けられる侮蔑を含んだ瞳、罵詈雑言、その全てが私の癇に障った。君は今までこんな悪意に耐え忍んでいたのかと愕然とした。
こんな者たちと交友を結ぶ必要はない。いっそ私一人が君の味方でありさえすればそれで良いのでは、とも考えた。
けれど、君は私一人なんかに縛られていい様な人ではなかった。君は誰かの為に生きられる人だから。
だから、私も自身の内で煮え滾る想いに蓋をして、君の為に働いた。
君は私なんかと違って何かとやれば出来る人だった。だから今までとやることは変えず、その分少しだけ他人を意識するよう心掛けた。
私は私で君に出来ない部分を補い支えた。君一人で空回りするというなら、私が上手く取り成して補助すれば良いだけの話だったから。
そうして、私たちは人間関係という見えない強敵に立ち向かった。
初めは君の言う通り、何をしようと裏目、裏目の大裏目。解決の糸口も光明も見えず、あっさりと二人仲良く迫害される身分へ転落していった。
おまけに、こちらの下手に出た態度を勘違いする愚か者も中にはいた訳で。そういう輩には仕方なく「灸」を据えてやったが、それが却って悪い噂を広めるなんてこともあった。
「もう少し上手くできなかったものかなぁ……」
今更にそんな事を思う。でも、不器用な私たちだ、あれで精一杯だったんだと思う。
やっぱり駄目だ、無理なんだ、と泣きじゃくる君を宥めたのは私だったけど、心が折れかけていたのは私も一緒だった。
それでも、私たちの行いを偏見無く見てくれている人もいた。世代が変われば、君や私に対する敵意は確実に薄れていった。
そうなると、それまでの苦難は何だったんだという位に全てが上手くいき始めた。
君も私も人の中で確かな居場所を作り上げ、そして、それは私たちだけに留まらず、他の関係にも新たな希望を見出した。
図らずも、私たちは人とそうでない者との懸け橋になっていて……あの時は余りにも事態がとんとん拍子に進むものだから、二人して唖然と見ているしかなかったな。
迎えた平穏無事な日常は、とても甘美なものだった。
人と化け物とが友の様に語らって、兄弟の様に喧嘩して、契りを結んで家族となって……。
君と私が望んだ光景が目の前にあって、それに自分たちも組み込まれていた。
もちろん、長い確執のあった問題だ。それは何度も再燃しかけた。
その度に私や君はやれやれと重い腰を上げて仲裁に向かった訳だが、満更でもなかったのはお互い様だろう?
言葉にすれば僅かだが、私たちが共に過ごした×××年間は正に戦いだった。
その×××年、背中を預け合った私たちは―――自分で言うのも何だが、中々息の合う相棒同士だったんじゃないかと今でも思っている。
―――たとえ君が死んだ今となっても。ただ一人、片割れとなっても。その死が、君が望んだものだとしてもだ。
人が死んだ後に当人以外がその理由を考えるなんて無益極まりないことだけれど、まぁ、推察することくらいは許して欲しい。
君が死を望んだ理由。そんなもの、幾らでも有るようで、無いような気もした。
でもおそらく一番確信に近いと思うのは、「何となく」だろうな。
私たちは自他共に認める化け物だ。でも、生粋ではない。
私たちは共に、人から人外に成った身。千年なんて当たり前に生きる彼らと違って、そこまで丈夫ではない。
身体ではなく、精神が保たない。
生命は皆、寿命という名の終着点が待っている。
人であれば長くて一世紀。そこまで行き着くのは稀だけど、それ位が人の限界。
本来なら、私も君もとっくに天へと魂を還していなくてはならなかった。そうならなかったのは、自分の寿命を歪めたからだ。
片や人の身では到達不可能の域へ。片や寿命という概念を亡くした不老不死へ。
とはいえ、私たちは知らず自分たちの戦いを生き甲斐としていた。だから×××年もの間、寿命なんてものを意識することはなかった。
しかし、それを果たしてしまった後はどうだったか。私たちは多くの戦友を作り、先逝く彼らの死を見届けてきた。
ぬるま湯の様に幸せな毎日は、寿命という長らく忘れていた存在を私たちに思い出させてしまった。
寿命を迎えることに怯えたんじゃない。
いつ寿命というものがやって来てくれるのか、そもそも、本当に来てくれるのか。それが何よりの恐怖だった。
死というものは視点を変えれば救済だ。死があるのか分からないということは、救いが無いのではないかという不安を抱かせることに繋がる。
命は何より尊ぶべきものだけれど、それが永遠に続くかもしれないと考えたらどうだろう。耐えられるのなら、それは立派な人外だ。
それでいてマトモに見えるのなら、それは狂人か思考が生まれの惑星単位で異なるかのどちらかだろう。
まぁ、私たちは知らず、死というものに憧れを抱く様になっていたんだな。
言葉にこそしなかったけれど、互いに恐怖していることには気付いていた。
長い付き合いだもの、それくらいは雰囲気で察していたさ。
だから、君が「死にたい」とこぼした時、「あぁ、ついに限界が来てしまったんだな」と悟ったよ。
そうして後日、君は死を迎えた。君の望む通りのままに。
「ズルい奴だ」
同じ恐怖を抱いた者ゆえ、君の選択も仕方のないことだと思えた。けど、悲しみは拭えなかった。
そして、それと同じくらい悔しかった。いくら異形の術を使えても、君の抱えた恐怖の一つすら和らげてやることが出来なかった。
君は優しいから私を攻めず、私は自分で自分を責めるしかなかった。
私が弱かったから、君の望みを叶えてやるしかなかった。
だから、このお墓参りは、せめてもの贖罪なんだ。
ポタリ、と老廃物を含んだ水滴が地面を濡らす。涙か汗かだなんて些細な事、出所が汗腺か涙腺かの違いでしかない。……そうだろう?
「なぁ、聞いているか? ―――妹紅」
つい、決して自分の声が届く筈もない程に深く、底なしに深く、自力で這い上がるなど到底不可能な深さに埋められた親友の名前をこぼしていた。
気付いて、頬が赤くなるのを感じた。
「あぁもう、恥ずかしいなぁ」
どうも思い出を振り返っている内にセンチな気分になっていたらしい。こういった部分は私もまだまだ若い。
……妹紅は蓬莱人という不老不死だった。
死のうと思えばいくらでも死ねるが、死を迎えることだけは出来ない人外だった。
矛盾しているが、矛盾していない。実に幻想郷らしい不思議な存在。
それ故、君は自身の在り方に何時だって苦悩していた。
君は死ねない苛立ちを竹林の姫にぶつけていた様だが、一度でも君の心が晴れたことはあったんだろうか。
……いや、あった筈がない。そうでなければ、気丈な君が万が一にも「死にたい」なんて弱音を吐くことはありえない。
寿命に有限がある私と違い、君は正真正銘の不死、寿命が無限であれと身体を造り変えられていた。
その精神的苦痛が如何程のものかは、寿命が大幅に伸びた「程度」の私には到底計り知れなかった。
……それでも、私は君の力になりたいと思ったんだ。
私たちはミラーツインな運命共同体、一蓮托生の想いで繋がった比翼連理も同然の関係だったから。
君が笑えば私も笑い、君が怒れば私も怒る。君が傷付けば私はその傷を癒し、君が涙すれば私はそれを舐め取る。
それは君と私との間では至極当然な事。
ならば当然―――死にたがりな君を殺すのは、私でなくてはいけなかった。
君が死を望むならば、私は一切の私情を廃し、不死すら殺してみせると誓ったんだ。
……しかし、君を殺すのには随分な手間が掛かった。何せ蓬莱人、本当にどれだけ殺し尽くそうが蘇ってくれるのだから。
手始めは食事に即効性の毒を混ぜてみた。口に含んでパタンと前のめりに倒れたかと思えば、すぐ起き上がって「私じゃなければあの世行きだ、気をつけろ」と君は言った。失敗だった。
その次は無防備に寝ている所を狙ってみた。か細い首筋を手折るのは容易く、生き返ってなお呼吸する度に喘ぐ君を見ていると何ともイケナイ気分にさせられた。でもまぁ、失敗だった。
さすがに君が警戒し始めると偶然を装って殺すしかなくなった。放られた鎌を頭に突き立てたまま、くるくる倒れる君はほんの一時だけ人形の様に生を感じさせなかった。だけど、失敗だった。
いよいよ視界に入れば逃げられる段階に入ると、遂には君を監禁せざるを得なくなった。そこで何千、何万の死の末に君を見届け……ようとしたのだけれど、やっぱり失敗した。
「蓬莱の薬。その効能は―――服用者の魂の定着」
毒殺、絞殺、刺殺、惨殺、轢殺、焚殺、圧殺、銃殺、爆殺、殴殺、他殺、自殺―――試した手段は数えるのも億劫で、君を殺す為なら何でもした。
古今東西のありとあらゆる書物・歴史を紐解き、拷問を行い、辱めを与え、君の死に対する希望と渇望を強めさせた。
青の邪仙と肩を並べる程度の非道は尽くしたつもりだ。……それでもなお、君の高潔な魂は現世にしがみ着いていた。
やはり私程度では君を救えないのかと大いに頭を抱えたよ。
だが、転機というものは何が切っ掛けか分からないものだ。偉大な発明家たちの言うインスピレーションとはああいう事を言うんだろう。
ある時、里の子どもが亡くなった。確か水死だった。川辺で遊んでいて、不運にも足を滑らせたんだ。
里の有力者の子どもであったから、葬儀は立派なものだった。里の人間の殆どが参列したんじゃないだろうか。
勿論、私も参列した。線香を立て、焼香も上げた。しかし、他の参列者の様に死んだ子どもを偲ぶ気持ちにはなれなかった。
人の子はこんなにもあっさりと死ねるのに、君は何故ああも死に抗うのか、と。そんな不謹慎が顔に出ないよう式中は努めてばかりだった。
しかし、君を殺すヒントはそこで見付けた。正確に言えば、納骨の際だ。
子ども用に小さく作られた骨壷が墓石の下、暗く冷たい地面に安置されるのを見た。
そこは光も温かみもない土の中。まるでそう、常人の思い描く死後の世界みたいで。
そうだ、そうだったんだ。君を殺せないのは、地上が生に満ちていたからで。
なら、擬似的な死の世界を創り、君をそこに閉じ込めてしまえば良かったんだ。
得心がいけば、後の行動は単純にして明快。私は人の目につかないこの土地に目をつけ、ひたすら穴を掘り続けた。
中途半端な深さであれば、万が一、君が「やっぱり生きたい」なんて心変わりして出てくることもありえてしまうと思った。
だから、その作業に一切の妥協は無かったと言わせてもらう。不死の君であろうと出てくることは不可能な程に、出て来ようなんて気がおきない程の深さを目指して掘り進めた。
そして、長い時間を掛けて完成した。
「あの深さなら、妹紅も出ては来れないだろう?」
ざっと三百尋(ひろ)。それが君の為に用意した墓の深さだ。
君はこの墓石の底で、今も絶え間無い死を噛み締めているんだろう。
周囲を囲む土砂による圧死と窒息死。苦痛と暗闇だけが同居する環境は、君の精神を犯し、狂わせているかもしれない。
そここそが蓬莱人である君を殺すに足る死の世界。上白沢印の、君の為だけの墓だ。
……しかし、今更こんな事を言うのもどうかと思うが、これまでの非道の数々を含めて、私の君に対する罪悪感は半端なものじゃない。
この深い深い墓の底に君を埋めた時。あの時の、君の私を見る瞳が、未だに私を責め続けている。
出来るならば、私も君の後を追いたい。追って地獄で裁きを受けて、魂にまで及んだこの穢れを落としてしまいたい。
けれど、それも最早赦されないみたいだ。つい先日、里へ説教にやって来た閻魔様に言われてしまった。
『見えぬ死に脅え、己の犯した罪の重さに苛まれ生き続けることが、貴女に許されたせめてもの償いです』
と、な。改めて自分の罪深さを思い知らされた気分だよ、ははっ。
……閻魔様は生き続けることが私に出来る償いだと言った。でも、私はそうだとは思わないんだ。
こんなにも罪深い私にも出来ることは他にもある筈だ。何たって、化け物と蔑まれた私でさえ救える人が確かにいたんだから。
幸いなことに、人と人外との繋がりは未だに健在だ。
健在だが、その繋がりは見た目以上に脆い。ほんの些細な切っ掛けで何時千切れ、絶たれたっておかしくない。
それは君と共に時代を駆け抜けた私にとって忘れられる筈もない厳然たる現実。一瞬でも気を抜けば、あの排他的で殺伐とした時代に逆戻りするだろう。
ならば、やはり私が働き掛けるべきなんだ。
里の守護者として。里の治安の為、新たな「私たち」を生み出さない為にも。
この手がどれだけ汚れていようと、守れる者は可能な限り守っていきたい。
「彼らの繋がりは、ひいては私と妹紅の繋がりなんだから」
この事を閻魔様に話すと呆れた……いや、哀れむ様な顔をされてしまった。
私の様な大罪人には荷が重いと思われたのかな。昔は君と二人で行っていたことを一人でやろうと言うんだから、妄言と取られてもおかしくはないか。
それでも、私はやらなくてはならないんだ。
君を殺した代償に、何時とも知れぬ寿命に脅えろというのなら。
君との絆がこれからも、私の死後であろうと保たれるというのなら。
「私の事も、他の者たちの事も心配しなくていい。万事上手くやってみせる」
身を粉にしてでも、命尽き果てるその時まで、私はやり遂げよう。
「―――だから、妹紅はここで心置きなく死んでいてくれ」
直ぐにとはいかないけど、何時か私も追い付くから―――。
出会いは偶然にして必然だった。
出会うべくして出会った人外が二人。
自らの境遇に悩み、戦いを決意し、泣き、笑い、怒り、励まし合って、寿命に怯えた。
産まれた腹は違っても、生き写しの様に色んな所が似通っていて。
君が私で、私が君で。まるで合わせ鏡の様だった。
だけれど、その片面は自ら砕け散った。
無限に連なる筈だった私たちの未来は一方通行に。
残された片面は醜い自分を見た。
手を汚し、血に塗れた自分がいた。
直視に耐えなかった。しかし、逸らすことは許されない。
片面は待っているんだ。何時か砕け散るその時を。
そうすればまた、君と壊れもの同士になれるから。
見上げた夏空は私の心を映す澄んだ鏡の様で、この上ない青さを湛えていた。
あまりにも歪んだ愛に、映姫様の説教が突き刺さります。まさに正論。反論の余地なく、狂っている。
浮き沈み無くひたすらに回想の続く構成は、その内容も相まって、読んでいて少し辛かったです。
個人的にはもう一捻り加えて、もっと物語性を出してほしかった。
だからこそこの二人はわかりあえたんだと私は思います。
映姫の説教が心に響きました。
素晴らしかったです。
この二人の関係は非常に興味深くて、より踏み込んだ回想描写があるとしたらどんなものになるのか、もっと見てみたいです。
慧音が狂気に陥って行く過程が、独白調の文体とよく合っていたと思います。
二人の関係性が非常に納得できる形で描写されていましたし、妹紅の思考が書かれていない分、読者の想像の余地が残されているのも素晴らしい。読後に色んな意味で余韻が残りました。
とはいえ、最後の映姫の説教がなければ、読後感はけっこう辛かったんじゃなかろうか、と思います。
そういう意味で、最後の締め方が実にうまい。お見事です。
埋めてしまって見えなければ死んでいるのと同じ、という思考も現実で意識をすり減らしておかしくなったのが感じられて良かった。
……んですが、全体的には技巧的要素と物語性が少し乖離している気がしました。
叙述トリックをやる以上、どうしても語り手が慧音と分かるまでは深い描写が制限されてしまいますし、そのせいで後半の狂った慧音の思考ラッシュとの間に断絶みたいなのを感じました。あと、埋められたときの妹紅の目について、もうちょっと踏み込んだ描写があると深みが出たかな、と思います。
皆さんはお墓参りに行かれましたか? 私はお参りの仕方で母と大喧嘩しました。惨敗でした。
>1
すぐに気付かれてしまいましたか。うむむ……。
あえての狂った慧音先生でした。狂ってもなお、彼女らしさを残して書いてみたのですが、如何だってでしょう?
>2
書いている最中は本人も苦しかったです。会話の重要性を思い知らされました。
そうでなくとも色々と工夫が出来たとは思うのですが、完全に力不足でした。次はもっと捻りのあるお話に仕上げたいです。
>4
分かり合い、そして一方が勝手に離れていった結果がアレです。
しかし、映姫様(のお説教)が好評。いや、褒められて嬉しいんですけど。
>5
ありがとうございます。土の中の妹紅がどのような想いをしているかなど、考えてみると楽しいかもですね?
>8
ご意見ありがとうございます。自分なりに読者をミスリードさせようと色々と思考錯誤したのですが、まだまだでした。
調和のとれた文章を書くというのは難しいものです、はい。
>9
映姫様、何故あなたはこんなにも評価されているのですか。回想と後書きで一回ずつ喋っただけなのに。
……とか言いながら後書きは自分でも気に入ってたりするんですがね。
>11
善意の押し売りほど迷惑なものはない、それをテーマに書いていたら慧音先生が狂気入ってしまいました。
率直なご意見、感謝です。色々と自分の力不足を痛感させられる拙作でした。
>12
耐性が出来ましたね。もっと上手に慧音を狂わせている作品を探して読んでみましょう。見つけたら教えてください。
その後の記述で「ん、妹紅が死んだ側?」と考え、
「よく考えたら慧音も後天的になったからどちらとも言えるのか」と悩みつつ中盤へ。
これは結構……来るものが有りますね。
「決して自分の声が届く筈もない程に深く、底なしに深く、自力で這い上がるなど到底不可能な深さに埋められた」が比喩ではなかったとわかった時の衝撃ときたら。
精神が先に寿命を迎えるとありますが、私の解釈では慧音の精神も既に壊れているのかな、と。
を正当化してるだけ
相手の感情や苦痛を無視した善意なんてない
映姫様も殺戮を単純に責めればいいと思う
慧音先生の狂った感じ、出てたと思います。