※この作品には輝針城のネタバレと若干のメタが含まれています。
どっちも大丈夫、という方のみお読みください。
大抵の人間や妖怪は、生まれたばかりの頃の記憶がないのだという。
それも当然と言えば当然で、何しろ赤ん坊だ。
まだまだ頭も身体も未熟、覚えていられるわけもない。
しかし、そうでない者達もいる。
例えばそう、誕生したその瞬間からある程度の知能も自我もある妖怪。
あとはそう、何らかの形で『発生』した者もそれに含まれるだろう。
私、九十九八橋は、どちらかと言えば後者に近い。
付喪神なのだ。
道具としての自分が何百年と存在し、やがて付喪神となって自我に目覚め魔力としての『身体』が発生した。
だから私も、生まれたときの記憶は残っている。
まして誕生して一年にも満たない私には、その記憶が鮮明に残っている。
いや、時間の問題ではないかもしれない。
だって、私はあの時の記憶を忘れることはない。
たとえ何十年、何百年経ったとしても忘れることはないのだ。
あの日、開いた視界の先、広がる暗闇の中での出来事を、私は永遠に忘れることはない。
ある日のこと、姉さんは言った。
「お姉ちゃんの新しい呼び方、考えよう会議~!」
ぱちぱちぱち~、とか言いながら一人で盛り上がる姉さんを尻目に、私は楽器の手入れを行っていた。
「ちょ、ちょっとやっちゃん、無視? 無視なの!?」
やっちゃん、というのは私だ。
八橋だからやっちゃん。
呼ばれていると分かりながら、私は断固として楽器の手入れを続ける。
「ん~、まだ新しい魔力が馴染んでないのかな」
「やっちゃんってば! お姉ちゃんの話聞いてよ!」
あぁもううるさいなぁ。
「どうしたの、姉さん?」
目線を上げて声の方を見ると、よくぞ聞いてくれましたと言わんばかりの顔をした姉さんがいた。
あ、やばい。これきっと面倒な話題だ。
「お姉ちゃんの新しい呼び方、考えよう会議~!」
「いや、それもうさっき聞いたよ」
「やっぱり聞いてたのね! やっちゃんの意地悪!」
話が進まなそうなので琴の方に視線を戻そうとすると、姉さんが「待って待って!」と慌てるのでとりあえずもう少し付き合うことにする。
「ねぇやっちゃん、私の名前呼んでみてくれる?」
「は?」
「いいからいいから、一回呼んでみて」
「なんで?」
「いいじゃない、姉妹なんだから」
そう言って、姉さんはにっこりと笑う。
全然理由になっていないのだけど、それを持ち出されると弱い。
しかも姉さんがそのことを理解してるみたいなので、更に弱ってしまう。
私はあきらめて、ため息を一つ吐いて。
「……弁々」
ぼそっとした声で呟くと、はにかむようにして姉さんは微笑んだ。
「そんな顔されても困るんだけど……」
「ふふ、ごめんなさい」
なんだか気恥ずかしくなって視線を逸らす私に、嬉しそうに謝る姉さん。
なんなのこれ、なんで私が恥ずかしくなってんの。
ていうか、全然話進んでないじゃん。
「姉さん、結局本題はなんなの?」
「あ、そうそう、それでね。私の名前、弁々なのよ」
「いや、それもう知ってるから」
大体、その名前はあの時――。
「でね、私達これから幻想郷で暮らすわけじゃない? 音楽で天下取ろうとか言ってるわけじゃない?」
「言ってないよ、そんな夢見る若者みたいなこと言ってるの姉さんだけだよ」
下剋上だの何だのと言っていたのはあくまで例の小槌が影響していただけだ。
あの後は魔力の入れ替えとか外の世界とかで忙しかったし、ぶっちゃけ消滅の危機だったわけで、そんなこと考えている余裕はなかった。
そういう意味では、今後のことを考えている姉さんは私よりも大人なのだろうか。
「お、お姉ちゃん、まだ若いわよ! 夢見る少女よ!」
……う~ん、やっぱりなんか違うなぁ。
「姉さん、いいから続き」
「もう……とにかくね、ここで暮らすとなると、やっぱりお友達とかできたりするわけじゃない?」
「まぁ、そうなるのかな」
少なくともあの巫女と魔法使い、それにメイドは絶対友達になりたくないけど。
幻想郷にいるのがあんな連中ばかりではないと期待したい。
「そこで姉さんは閃いてしまったのよ、ある重大な事実にね」
「いや、そこ溜めなくていいから早く話して」
「やっちゃん冷たい!」
それでも姉さんは、こほん、と一つ咳払いで溜めを作って。
そして、ひとつの事実を示した。
「私たぶん、べんちゃん、って呼ばれるようになるんじゃないかしら!?」
……ん?
「ん、ごめん、それがなに?」
「えぇ~!! やっちゃん分からないの!?」
分からない、というか何一つ重大な事実である気がしないんだけど。
「べんちゃんよ、べんちゃん! べん、べん、べんべん!!」
「途中からちょっと楽しくなったよね、リズム刻んじゃったよね」
「べんべん!!」
「気に入ったよね、気に入って返事に使っちゃったよね」
「違うのよやっちゃん、そこが問題じゃないのよ」
それは分かってんだよ、と乱暴に返しそうだったが、ぐっとこらえた。
「考えてみてやっちゃん、イマジン!」
「うるさいよ」
「べん、っていう言葉から一体何が連想されると思う!?」
「連想って……」
そりゃ私からしたら、まず琵琶を連想するけど。
でも姉さんが言いたいのはそういうことじゃないだろう。
先入観なく、べん、という言葉を聞いて何が思いつくか。
……あぁ。
「つまりあれ、おトイ……お花摘み的なこと?」
「うわ~ん!! やっちゃんがお姉ちゃんのことトイレ女ってバカにしたー!!」
「してないよ! しかもぎりぎりで回避したのになんで自分で言っちゃうの!?」
「うわ~ん!! 今度からお姉ちゃんのこと『トイレの花子さん』って呼ぶ気満々なんだー!!」
「被害妄想甚だしいよ!」
この姉さんに大人っぽさとかなかったよ、どっちかと言うと小学生的精神年齢だったよ。
「それだけじゃないのよ! べんちゃんでしょ、漢字で書くと弁ちゃんでしょ、なんかもうお弁当屋さんの娘さんっぽいでしょ! いじめの匂いがぷんぷんするでしょ!?」
「欠片もしてこないよ! どんだけだ逞しい妄想なんだよ!」
弁々という名前は確かに珍しいけど、同じ名前の人に今すぐ土下座してほしいくらいには想像力豊かな姉である。
そのほか、世の中にべんから始まる名前がどれだけあって、その人がそもそもどんな風に呼ばれているのかも気にはなるものの。
「大体姉さんは琵琶持ってるわけだし、最初に本名伝えるんだから、それで察するでしょ」
持ってるというか、そもそも琵琶が本体なわけで。
琵琶持ってて、九十九弁々です、となれば、べんべんという名前がどこからきてるか一目瞭然というものだろう。
「そう思う? やっちゃん本当にそうなると思う?」
「なるなる、絶対なる」
「べんべん?」
「その返事は分かんないなぁ」
「ほんとに?」
「普通に聞き直すのかよ」
まぁ、とは言え。
……可能性がゼロとは言えない、のかな。
結構な誘導尋問だったが、私が姉さんの危惧するところを思いついたのは確かだ。
「もし、どうしても嫌ならさ」
「うん?」
なぜか、心がきゅっと痛んだ気がした。
「名前を変えるって手もあるんじゃないかな」
悟られまいとして、平静を装う。
「だって別に、弁々っていうのは姉さんの本名っていうわけじゃ」
「変えないわよ」
言い終わる前に、割り込まれた。
「名前は変えない、絶対変えないの」
「そんな……意固地にならなくても」
「なるわよ」
「なるの?」
「なるなる、絶対なる」
だって、と姉さんは続けて。
「この名前、やっちゃんが考えてくれたものだもの」
そう言って、姉さんはふわりと微笑んで――
(あ……)
不意に、あの時の記憶がよみがえった。
開いた視界の先に広がっていたのは『闇』だった。
認識は出来ていた。
そこが小さな物置の中であること。
全ての戸が閉められ、外からの光が入ってきていないこと。
私はずっと長い間、そんな場所に放置されていたのだということ。
だから私の知識は、そこが『暗闇』なのだと認識していた。
けれど私の感情は、そこを『闇』なのだと認識していた。
暗く、深く、冷たい、闇。
生まれたばかりの身体が、心が、悲鳴を上げていた。
生まれたという事実に、悲鳴を上げていた。
『ただそこに在るもの』から『そこに在ろうとして在るもの』となり。
『世界に知覚されるもの』でしかなかった私が、『世界を知覚する』力を得て。
そうして私は生まれ変わった。
生まれ、変わったのだ。
停滞は安堵をもたらし、変化は恐怖をもたらす。
ましてや変化が外部からの不意な干渉によるものであれば。
それは怒りすら伴うものだ。
私は今まさに、それを体感していた。
「…………っ」
声が出なかった。
怖い、怖い、この闇が、怖い。
この世界に生まれたことが、怖い。
どうして、なんで、誰が私をこんな目に遭わせるのか。
私が望んだわけじゃないのに。
生まれたくて生まれたわけじゃないのに。
ひどい、ひどいよ。
こんな闇の中に放り出して。
嫌だよ、こんなの嫌だよ!
こんなに怖いなら、私は生まれたくなんて――!!
「ぁ……」
その時、だった。
私は闇の中で、それを見つけた。
優しく、暖かく、心地良く。
恐怖と怒りに震える私を。
その全てを受け入れてくれるような。
深い愛を湛えた瞳を、そこで見つけた。
そうして、ようやくこちらを見つけた震える瞳を、私は永遠に忘れることはないのだろう。
私、九十九弁々の住処は、私達が付喪神として目覚めた小屋の中だ。
かつて物置として利用されていたのか、私達以外にもたくさんの道具が置かれている。
持ち主は……亡くなったのか、それともこれだけのものを捨てていったのか……。
「まぁ、どっちでもいいですけどね」
べんべん、と琵琶を弾き鳴らす。
最近魔力を入れ替えたこともあってか、微妙に音の調子がおかしい。
消滅の危機にあったから仕方ないとはいえ、感覚を取り戻すには果たしてあとどれくらいかかるだろうか……。
(そういえば、やっちゃんも同じようなこと言ってたわね)
思い出し、意味もなく小屋の中を見回す。
独りぼっちであることを、自覚する。
寂しい、悲しい、やっちゃん早く帰ってこないかな……。
「ただいまー!」
私の心に応えてくれたのかのように、妹が元気な声と共に扉を開いて現れた。
「おかえりなさい、やっちゃん」
言葉にするだけで、心がふっと温かさを取り戻す。
物悲しい気持ちが、私の中から消えていく。
「姉さん、姉さん、重大な事実が判明したよ」
「重大な事実?」
ぱたぱたと私の方に駆け寄ってくるやっちゃんは、何故か片手に金属バットを抱えていた。
その時点で私はもう嫌な予感しかしなかったものの、もしかしたらやっちゃんが野球の魅力に目覚めてしまっただけかもしれないのでスルーしておく。
「聞いたところによるとね」
「うん」
「私達の存在がね」
「うん、うん」
「かぶったかもしれない」
「うん?」
かぶる、被る、カブる?
「えっと、やっちゃん、かぶるって何が?」
「ネタが」
「ネタ?」
「そう、ネタ」
いい、姉さん? と前置きしてやっちゃんは続ける。
「楽器の使い手、音符の弾幕、姉妹、しかも4ボス」
「そ、それがどうしたの?」
「これね、完全にかぶってるんだよね」
そこからの話を要約すると、こんな感じだ。
曰く、幻想郷には既に楽器を使い音符の弾幕を放つ姉妹の4ボスキャラがいるらしく。
私達はその姉妹とかぶっている、モロかぶりらしいのだ。
「な、なるほどね。大体事情はわかったわ」
「そっか、よし」
やっちゃんは何か納得したように頷くと、手にしている金属バットを掲げ。
「じゃあ、姉さん。さっそく殴り込みにいこうか」
「やっちゃん!?」
「姉さんの武器はどうする? やっぱり無難に包丁かな?」
「なにがどう無難なのか全然わかんないよ!?」
「でもほら姉さん料理得意だし、包丁スキル上がってるかなって」
「ま、まぁね、お姉ちゃんですから!」
「ほんと? じゃあもう薙ぎ払いとか縦一閃くらいは使えるんだ」
「使えないよ!? 私の料理どれだけ過激だと思ってるの!?」
そうなんだ、とやっちゃんは残念そうに肩を落とした。
ほぅ、どうやら殴り込みはあきらめてくれて「じゃあ私一人でいってくるよ」全然あきらめてなかった!
「待ってやっちゃん! 喧嘩なんて駄目よ!」
「喧嘩じゃないよ、ちょっと後ろから一撃入れてくるだけだから」
「暗殺する気満々!? そんなのもっと駄目よ!」
「そんなにダメかな?」
「ダメです! もう、やっちゃんはどうしてすぐ暴力に走るの?」
「え~とほら、私って、勝ち気で、えと、無鉄砲? だからだよ」
「設定棒読みじゃないの!」
このままだとやっちゃんが犯罪者になりかねない。
どうしたものかと考えながら、ともかくやっちゃんを宥めようと彼女に近づく。
「ほら、やっちゃん。どうどう」
「姉さん、私は馬じゃないよ」
「そうね、やっちゃんは私の妹だもんね」
よしよし、と頭を撫でてあげるとやっちゃんは頬を赤らめつつ、落ち着きを取り戻していった。
姉妹という言葉を持ち出すと、やっちゃんはとても素直になるのだ。
利用するというのもどうかと思うけれど、やっぱりそれは凄く嬉しいことだから。
だから、つい彼女が私の妹であることを確かめたくなってしまう。
「ね、やっちゃん。落ち着いた?」
「うん……ごめん、姉さん」
最後にぎゅっと抱きしめてから解放してあげる。
やっちゃんはすっかり大人しくなって、すとん、とその場に座りこんでしまった。
私も同じようにして彼女の正面に座る。
「いい、やっちゃん? 幻想郷は弾幕の世界よ」
「そうだけど、それが何?」
「つまりね、弾幕の美しさで勝てばいいのよ」
幻想郷は良い世界だ。
物理的な力と、芸術的な美の共有。
音楽という一つの芸術的な力を操る私達にとって、これほど良い世界もないだろう。
「でも姉さん、私達かぶってるよ? 既に負けてるよ?」
「いやいや、やっちゃん。私達にはオリジナルの弾幕があるじゃない?」
首をかしげるやっちゃんに、私は胸を張って告げる。
「なんと言っても私達は、二人一組のスペルカードを扱えるのよ!」
「姉さん、向こうは三姉妹での合体技だよ?」
「負けてる!?」
ズルい、ズルすぎる!
私達二人しかいないのに、三姉妹だなんて反則よ!
人数比およそ1.5倍じゃないの!
コンビとトリオで音楽のバリエーションにどれだけ差が出ると思っているのかしら!
あまりのことに憤りを感じていると、やっちゃんがおもむろに立ち上がった。
何か妙案でも思いつい「じゃあ姉さん、頭かち割りに行ってくるね」まだやる気満々だったわこの子!
「やっちゃん、お願い。私に少し時間をちょうだい」
「10、9、8」
「テンカウント!?」
「7、5、3、2、はい!」
「しかもなんか雑だった! 途中から素数だけになっちゃった!」
おまけにカウント中に新しく武器を手にするのは止めて欲しい。
金属バットから斧にチェンジとか、殺傷力激増じゃないの。
黙っているわけにもいかないので、私はなんとか知恵を絞り出す。
「そうだやっちゃん、楽器はかぶってないんでしょ?」
「楽器?」
「そう、楽器。琵琶と琴」
手に持つそれを、掲げて示してみせる。
「ほら、やっちゃんも」
にこっと笑いかけて彼女にも同じことを促す。
この子にも同じことが出来るから。
武器を両手で持たないのは、常にそれを持っているから。
だから、ちゃんとそれを掲げられる。
彼女はしばし押し黙った後、静かにそれを掲げた。
私が掲げる琵琶。
この子が掲げる琴。
互いにそれを示し、見つめ合う。
(……うん、そうね……)
思い出す、この瞳を見る度に思い出す。
あの時の記憶を思い出す。
『闇』の中で私に満ちる感情は悲嘆と憤怒で。
抑えきれないほどの震えが、心と身体に襲い掛かってくる。
「……ぅ……うぅ……」
寒い、とにかくここは寒すぎる。
だけどここに温かさなんてない。
誰の温もりも、ありはしない。
この世に生まれ落ちて初めて知るのが孤独というのは、あまりにも残酷な仕打ちだ。
いや、違う。
私は生まれ落とされたのだ。
この世界に。
意思を持つものとして。
生まれ、落とされたのだ。
この冷たい世界に、落とされた。
「……寒い……寒い……」
私が誕生して、もうどれだけの時間が経っただろうか。
一分か、一時間か、あるいはそれ以上なのか。
そんな感覚は、とっくに凍りついている。
あるいは、このまま凍え死ぬのもいいかもしれない。
文字通りの孤独死。
それだけが、この世界で唯一の救いなのだとしたら。
だとしたら、私は――
その時、だった。
すぐ側で、かすかに何かが動く音がして。
私は慌てて視線をそちらに向けた。
一人の少女が、生まれ、落ちていた。
それだけで、すぐに分かった。
この子は私と同じ存在だと。
付喪神として目覚めようとしているのだと。
だとしたら……
(っ……!)
駄目だ、それはダメだ。
この子に同じ想いをさせてはいけない。
『闇』を、与えてはいけない。
……私が、私がこの子を助けないと!
震えが、急激に収まっていく。
けれど身体は、思う様に動かない。
その間にも、目の前の少女は瞳を開いていく。
どうすればいい、どうすれば伝えられる。
あなたは独りじゃないのだと。
私がここにいるということを。
やれることは一つしかなかった。
私が今、唯一動かすことの出来るもの。
それに全身全霊を懸けて。
自分の全てがこの瞳に集まるように。
私の想いが、この子に伝わるように、
だから、どうか……
(気が付いて……)
必死に少女に呼びかける。
あるいは既に『闇』に襲われている少女に。
どうか、この私に気がついてください、と。
果たして、私の声が届いたのかどうかはわからない。
確かなのは、少女がこちらを向いてくれたということ。
(あ……)
そうして、ようやくこちらを見つけた震える瞳。
すっかり『闇』に覆われ、絶望すら映るその瞳に。
けれど私は、そこに温もりを見つけたような気がしていた。
集中が必要だ。
演奏というものは、集中力を高め、持続し、決して切らさないことが肝要。
それは私のような付喪神であっても、同じこと。
楽器そのものだからこそ、必要とされるものがある。
床に置いた琴を見据え、呼吸を整え、そして隣に座る姉さんを見る。
姉さんもまた、その手に琵琶を抱えている。
そして私と視線を合わせて、こくん、と頷いた。
研ぎ澄まされた心に、染み込むような温もり。
静かに、音を奏でた。
奏でる音には想いをのせる。
あの日、あの時、あの場所で。
感じた想いの全てをのせる。
姉さんの優しい瞳に出会えたこと。
たまらずその身体に飛びついたこと。
抱きついた彼女からたくさんの温もりを感じたこと。
その胸の中で、泣きじゃくったこと。
姉妹になろうと、言ってくれたこと。
八橋という、素敵な名前をもらったこと。
九十九という名字を一緒に考えたこと。
そうして、姉妹になったこと。
その全てを、この音にのせる。
素敵な音色だと思った。
やっちゃんの奏でる音色。
妹の奏でる音色。
あの日出会った、少女の奏でる音色。
彼女の想いが詰まった音色に私も精一杯の演奏で応える。
奏でる音には想いをのせる。
あの日、あの時、あの場所で。
感じた想いの全てをのせる。
あなたの震える瞳に出会ったこと。
飛び込んでくる身体をしっかりと抱きしめたこと。
抱きしめたあなたからたくさんの温もりを感じたこと。
泣きじゃくるあなたと一緒に、私もまた声を上げて泣いたこと。
姉妹になろうという提案を、受け入れてくれたこと。
弁々という、可愛い名前をもらったこと。
九十九という名字を一緒に考えたこと。
そうして、姉妹になったこと。
その全てを、この音にのせる。
畢竟するに、誰しも生まれ落ちる時は孤独なものだ。
だからこそ、皆最初は闇の中にいる。
それが怖くて、恐ろしくて、だから泣き叫ぶ。
必要なのは、その恐怖を埋めてくれる何か。
悲しみを、怒りを、温もりで埋めてくれる誰か。
きっと、姉さんは気付かない。
あの時、私に向けてくれた瞳に、どれほどの温もりを感じたことか。
私がどれほど救われたことか。
だけど、たとえ姉さんが気がつかなくても、私はきっと永遠に忘れない。
きっと、やっちゃんは気付かない。
あの時、私を見つめたその瞳に、私がどれほどの温もりを得たことか。
私がどれほど救われたことか。
だけど、たとえあなたが気がつかなくても、私はきっと永遠に忘れない。
だから、どうか。
ずっと私と、姉妹でいてください……。
想いを伝えあって、ゆっくりと演奏の手を止めて、そして私達は向き合う。
「姉さん、ありがとう」
「私こそありがとう、やっちゃん」
それが何の感謝かは分からない。
例えば、自分のあだ名が気になるというくだらない会話に付き合ってくれたことか。
例えば、誰かとかぶってるなんていうくだらない会話に付き合ってくれたことか。
そういうくだらない日常を、一緒に過ごしてくれていることか。
きっと私達は、これからも一緒にこんなくだらない日々を送る。
くだらないのに、とても愛おしい日々を二人で送る。
光で満たされたこの世界で暮らしていく。
初めての温もりを与えてくれた相手と共に暮らしていく。
それはたぶん、とても幸せな事だ。
どっちも大丈夫、という方のみお読みください。
大抵の人間や妖怪は、生まれたばかりの頃の記憶がないのだという。
それも当然と言えば当然で、何しろ赤ん坊だ。
まだまだ頭も身体も未熟、覚えていられるわけもない。
しかし、そうでない者達もいる。
例えばそう、誕生したその瞬間からある程度の知能も自我もある妖怪。
あとはそう、何らかの形で『発生』した者もそれに含まれるだろう。
私、九十九八橋は、どちらかと言えば後者に近い。
付喪神なのだ。
道具としての自分が何百年と存在し、やがて付喪神となって自我に目覚め魔力としての『身体』が発生した。
だから私も、生まれたときの記憶は残っている。
まして誕生して一年にも満たない私には、その記憶が鮮明に残っている。
いや、時間の問題ではないかもしれない。
だって、私はあの時の記憶を忘れることはない。
たとえ何十年、何百年経ったとしても忘れることはないのだ。
あの日、開いた視界の先、広がる暗闇の中での出来事を、私は永遠に忘れることはない。
ある日のこと、姉さんは言った。
「お姉ちゃんの新しい呼び方、考えよう会議~!」
ぱちぱちぱち~、とか言いながら一人で盛り上がる姉さんを尻目に、私は楽器の手入れを行っていた。
「ちょ、ちょっとやっちゃん、無視? 無視なの!?」
やっちゃん、というのは私だ。
八橋だからやっちゃん。
呼ばれていると分かりながら、私は断固として楽器の手入れを続ける。
「ん~、まだ新しい魔力が馴染んでないのかな」
「やっちゃんってば! お姉ちゃんの話聞いてよ!」
あぁもううるさいなぁ。
「どうしたの、姉さん?」
目線を上げて声の方を見ると、よくぞ聞いてくれましたと言わんばかりの顔をした姉さんがいた。
あ、やばい。これきっと面倒な話題だ。
「お姉ちゃんの新しい呼び方、考えよう会議~!」
「いや、それもうさっき聞いたよ」
「やっぱり聞いてたのね! やっちゃんの意地悪!」
話が進まなそうなので琴の方に視線を戻そうとすると、姉さんが「待って待って!」と慌てるのでとりあえずもう少し付き合うことにする。
「ねぇやっちゃん、私の名前呼んでみてくれる?」
「は?」
「いいからいいから、一回呼んでみて」
「なんで?」
「いいじゃない、姉妹なんだから」
そう言って、姉さんはにっこりと笑う。
全然理由になっていないのだけど、それを持ち出されると弱い。
しかも姉さんがそのことを理解してるみたいなので、更に弱ってしまう。
私はあきらめて、ため息を一つ吐いて。
「……弁々」
ぼそっとした声で呟くと、はにかむようにして姉さんは微笑んだ。
「そんな顔されても困るんだけど……」
「ふふ、ごめんなさい」
なんだか気恥ずかしくなって視線を逸らす私に、嬉しそうに謝る姉さん。
なんなのこれ、なんで私が恥ずかしくなってんの。
ていうか、全然話進んでないじゃん。
「姉さん、結局本題はなんなの?」
「あ、そうそう、それでね。私の名前、弁々なのよ」
「いや、それもう知ってるから」
大体、その名前はあの時――。
「でね、私達これから幻想郷で暮らすわけじゃない? 音楽で天下取ろうとか言ってるわけじゃない?」
「言ってないよ、そんな夢見る若者みたいなこと言ってるの姉さんだけだよ」
下剋上だの何だのと言っていたのはあくまで例の小槌が影響していただけだ。
あの後は魔力の入れ替えとか外の世界とかで忙しかったし、ぶっちゃけ消滅の危機だったわけで、そんなこと考えている余裕はなかった。
そういう意味では、今後のことを考えている姉さんは私よりも大人なのだろうか。
「お、お姉ちゃん、まだ若いわよ! 夢見る少女よ!」
……う~ん、やっぱりなんか違うなぁ。
「姉さん、いいから続き」
「もう……とにかくね、ここで暮らすとなると、やっぱりお友達とかできたりするわけじゃない?」
「まぁ、そうなるのかな」
少なくともあの巫女と魔法使い、それにメイドは絶対友達になりたくないけど。
幻想郷にいるのがあんな連中ばかりではないと期待したい。
「そこで姉さんは閃いてしまったのよ、ある重大な事実にね」
「いや、そこ溜めなくていいから早く話して」
「やっちゃん冷たい!」
それでも姉さんは、こほん、と一つ咳払いで溜めを作って。
そして、ひとつの事実を示した。
「私たぶん、べんちゃん、って呼ばれるようになるんじゃないかしら!?」
……ん?
「ん、ごめん、それがなに?」
「えぇ~!! やっちゃん分からないの!?」
分からない、というか何一つ重大な事実である気がしないんだけど。
「べんちゃんよ、べんちゃん! べん、べん、べんべん!!」
「途中からちょっと楽しくなったよね、リズム刻んじゃったよね」
「べんべん!!」
「気に入ったよね、気に入って返事に使っちゃったよね」
「違うのよやっちゃん、そこが問題じゃないのよ」
それは分かってんだよ、と乱暴に返しそうだったが、ぐっとこらえた。
「考えてみてやっちゃん、イマジン!」
「うるさいよ」
「べん、っていう言葉から一体何が連想されると思う!?」
「連想って……」
そりゃ私からしたら、まず琵琶を連想するけど。
でも姉さんが言いたいのはそういうことじゃないだろう。
先入観なく、べん、という言葉を聞いて何が思いつくか。
……あぁ。
「つまりあれ、おトイ……お花摘み的なこと?」
「うわ~ん!! やっちゃんがお姉ちゃんのことトイレ女ってバカにしたー!!」
「してないよ! しかもぎりぎりで回避したのになんで自分で言っちゃうの!?」
「うわ~ん!! 今度からお姉ちゃんのこと『トイレの花子さん』って呼ぶ気満々なんだー!!」
「被害妄想甚だしいよ!」
この姉さんに大人っぽさとかなかったよ、どっちかと言うと小学生的精神年齢だったよ。
「それだけじゃないのよ! べんちゃんでしょ、漢字で書くと弁ちゃんでしょ、なんかもうお弁当屋さんの娘さんっぽいでしょ! いじめの匂いがぷんぷんするでしょ!?」
「欠片もしてこないよ! どんだけだ逞しい妄想なんだよ!」
弁々という名前は確かに珍しいけど、同じ名前の人に今すぐ土下座してほしいくらいには想像力豊かな姉である。
そのほか、世の中にべんから始まる名前がどれだけあって、その人がそもそもどんな風に呼ばれているのかも気にはなるものの。
「大体姉さんは琵琶持ってるわけだし、最初に本名伝えるんだから、それで察するでしょ」
持ってるというか、そもそも琵琶が本体なわけで。
琵琶持ってて、九十九弁々です、となれば、べんべんという名前がどこからきてるか一目瞭然というものだろう。
「そう思う? やっちゃん本当にそうなると思う?」
「なるなる、絶対なる」
「べんべん?」
「その返事は分かんないなぁ」
「ほんとに?」
「普通に聞き直すのかよ」
まぁ、とは言え。
……可能性がゼロとは言えない、のかな。
結構な誘導尋問だったが、私が姉さんの危惧するところを思いついたのは確かだ。
「もし、どうしても嫌ならさ」
「うん?」
なぜか、心がきゅっと痛んだ気がした。
「名前を変えるって手もあるんじゃないかな」
悟られまいとして、平静を装う。
「だって別に、弁々っていうのは姉さんの本名っていうわけじゃ」
「変えないわよ」
言い終わる前に、割り込まれた。
「名前は変えない、絶対変えないの」
「そんな……意固地にならなくても」
「なるわよ」
「なるの?」
「なるなる、絶対なる」
だって、と姉さんは続けて。
「この名前、やっちゃんが考えてくれたものだもの」
そう言って、姉さんはふわりと微笑んで――
(あ……)
不意に、あの時の記憶がよみがえった。
開いた視界の先に広がっていたのは『闇』だった。
認識は出来ていた。
そこが小さな物置の中であること。
全ての戸が閉められ、外からの光が入ってきていないこと。
私はずっと長い間、そんな場所に放置されていたのだということ。
だから私の知識は、そこが『暗闇』なのだと認識していた。
けれど私の感情は、そこを『闇』なのだと認識していた。
暗く、深く、冷たい、闇。
生まれたばかりの身体が、心が、悲鳴を上げていた。
生まれたという事実に、悲鳴を上げていた。
『ただそこに在るもの』から『そこに在ろうとして在るもの』となり。
『世界に知覚されるもの』でしかなかった私が、『世界を知覚する』力を得て。
そうして私は生まれ変わった。
生まれ、変わったのだ。
停滞は安堵をもたらし、変化は恐怖をもたらす。
ましてや変化が外部からの不意な干渉によるものであれば。
それは怒りすら伴うものだ。
私は今まさに、それを体感していた。
「…………っ」
声が出なかった。
怖い、怖い、この闇が、怖い。
この世界に生まれたことが、怖い。
どうして、なんで、誰が私をこんな目に遭わせるのか。
私が望んだわけじゃないのに。
生まれたくて生まれたわけじゃないのに。
ひどい、ひどいよ。
こんな闇の中に放り出して。
嫌だよ、こんなの嫌だよ!
こんなに怖いなら、私は生まれたくなんて――!!
「ぁ……」
その時、だった。
私は闇の中で、それを見つけた。
優しく、暖かく、心地良く。
恐怖と怒りに震える私を。
その全てを受け入れてくれるような。
深い愛を湛えた瞳を、そこで見つけた。
そうして、ようやくこちらを見つけた震える瞳を、私は永遠に忘れることはないのだろう。
私、九十九弁々の住処は、私達が付喪神として目覚めた小屋の中だ。
かつて物置として利用されていたのか、私達以外にもたくさんの道具が置かれている。
持ち主は……亡くなったのか、それともこれだけのものを捨てていったのか……。
「まぁ、どっちでもいいですけどね」
べんべん、と琵琶を弾き鳴らす。
最近魔力を入れ替えたこともあってか、微妙に音の調子がおかしい。
消滅の危機にあったから仕方ないとはいえ、感覚を取り戻すには果たしてあとどれくらいかかるだろうか……。
(そういえば、やっちゃんも同じようなこと言ってたわね)
思い出し、意味もなく小屋の中を見回す。
独りぼっちであることを、自覚する。
寂しい、悲しい、やっちゃん早く帰ってこないかな……。
「ただいまー!」
私の心に応えてくれたのかのように、妹が元気な声と共に扉を開いて現れた。
「おかえりなさい、やっちゃん」
言葉にするだけで、心がふっと温かさを取り戻す。
物悲しい気持ちが、私の中から消えていく。
「姉さん、姉さん、重大な事実が判明したよ」
「重大な事実?」
ぱたぱたと私の方に駆け寄ってくるやっちゃんは、何故か片手に金属バットを抱えていた。
その時点で私はもう嫌な予感しかしなかったものの、もしかしたらやっちゃんが野球の魅力に目覚めてしまっただけかもしれないのでスルーしておく。
「聞いたところによるとね」
「うん」
「私達の存在がね」
「うん、うん」
「かぶったかもしれない」
「うん?」
かぶる、被る、カブる?
「えっと、やっちゃん、かぶるって何が?」
「ネタが」
「ネタ?」
「そう、ネタ」
いい、姉さん? と前置きしてやっちゃんは続ける。
「楽器の使い手、音符の弾幕、姉妹、しかも4ボス」
「そ、それがどうしたの?」
「これね、完全にかぶってるんだよね」
そこからの話を要約すると、こんな感じだ。
曰く、幻想郷には既に楽器を使い音符の弾幕を放つ姉妹の4ボスキャラがいるらしく。
私達はその姉妹とかぶっている、モロかぶりらしいのだ。
「な、なるほどね。大体事情はわかったわ」
「そっか、よし」
やっちゃんは何か納得したように頷くと、手にしている金属バットを掲げ。
「じゃあ、姉さん。さっそく殴り込みにいこうか」
「やっちゃん!?」
「姉さんの武器はどうする? やっぱり無難に包丁かな?」
「なにがどう無難なのか全然わかんないよ!?」
「でもほら姉さん料理得意だし、包丁スキル上がってるかなって」
「ま、まぁね、お姉ちゃんですから!」
「ほんと? じゃあもう薙ぎ払いとか縦一閃くらいは使えるんだ」
「使えないよ!? 私の料理どれだけ過激だと思ってるの!?」
そうなんだ、とやっちゃんは残念そうに肩を落とした。
ほぅ、どうやら殴り込みはあきらめてくれて「じゃあ私一人でいってくるよ」全然あきらめてなかった!
「待ってやっちゃん! 喧嘩なんて駄目よ!」
「喧嘩じゃないよ、ちょっと後ろから一撃入れてくるだけだから」
「暗殺する気満々!? そんなのもっと駄目よ!」
「そんなにダメかな?」
「ダメです! もう、やっちゃんはどうしてすぐ暴力に走るの?」
「え~とほら、私って、勝ち気で、えと、無鉄砲? だからだよ」
「設定棒読みじゃないの!」
このままだとやっちゃんが犯罪者になりかねない。
どうしたものかと考えながら、ともかくやっちゃんを宥めようと彼女に近づく。
「ほら、やっちゃん。どうどう」
「姉さん、私は馬じゃないよ」
「そうね、やっちゃんは私の妹だもんね」
よしよし、と頭を撫でてあげるとやっちゃんは頬を赤らめつつ、落ち着きを取り戻していった。
姉妹という言葉を持ち出すと、やっちゃんはとても素直になるのだ。
利用するというのもどうかと思うけれど、やっぱりそれは凄く嬉しいことだから。
だから、つい彼女が私の妹であることを確かめたくなってしまう。
「ね、やっちゃん。落ち着いた?」
「うん……ごめん、姉さん」
最後にぎゅっと抱きしめてから解放してあげる。
やっちゃんはすっかり大人しくなって、すとん、とその場に座りこんでしまった。
私も同じようにして彼女の正面に座る。
「いい、やっちゃん? 幻想郷は弾幕の世界よ」
「そうだけど、それが何?」
「つまりね、弾幕の美しさで勝てばいいのよ」
幻想郷は良い世界だ。
物理的な力と、芸術的な美の共有。
音楽という一つの芸術的な力を操る私達にとって、これほど良い世界もないだろう。
「でも姉さん、私達かぶってるよ? 既に負けてるよ?」
「いやいや、やっちゃん。私達にはオリジナルの弾幕があるじゃない?」
首をかしげるやっちゃんに、私は胸を張って告げる。
「なんと言っても私達は、二人一組のスペルカードを扱えるのよ!」
「姉さん、向こうは三姉妹での合体技だよ?」
「負けてる!?」
ズルい、ズルすぎる!
私達二人しかいないのに、三姉妹だなんて反則よ!
人数比およそ1.5倍じゃないの!
コンビとトリオで音楽のバリエーションにどれだけ差が出ると思っているのかしら!
あまりのことに憤りを感じていると、やっちゃんがおもむろに立ち上がった。
何か妙案でも思いつい「じゃあ姉さん、頭かち割りに行ってくるね」まだやる気満々だったわこの子!
「やっちゃん、お願い。私に少し時間をちょうだい」
「10、9、8」
「テンカウント!?」
「7、5、3、2、はい!」
「しかもなんか雑だった! 途中から素数だけになっちゃった!」
おまけにカウント中に新しく武器を手にするのは止めて欲しい。
金属バットから斧にチェンジとか、殺傷力激増じゃないの。
黙っているわけにもいかないので、私はなんとか知恵を絞り出す。
「そうだやっちゃん、楽器はかぶってないんでしょ?」
「楽器?」
「そう、楽器。琵琶と琴」
手に持つそれを、掲げて示してみせる。
「ほら、やっちゃんも」
にこっと笑いかけて彼女にも同じことを促す。
この子にも同じことが出来るから。
武器を両手で持たないのは、常にそれを持っているから。
だから、ちゃんとそれを掲げられる。
彼女はしばし押し黙った後、静かにそれを掲げた。
私が掲げる琵琶。
この子が掲げる琴。
互いにそれを示し、見つめ合う。
(……うん、そうね……)
思い出す、この瞳を見る度に思い出す。
あの時の記憶を思い出す。
『闇』の中で私に満ちる感情は悲嘆と憤怒で。
抑えきれないほどの震えが、心と身体に襲い掛かってくる。
「……ぅ……うぅ……」
寒い、とにかくここは寒すぎる。
だけどここに温かさなんてない。
誰の温もりも、ありはしない。
この世に生まれ落ちて初めて知るのが孤独というのは、あまりにも残酷な仕打ちだ。
いや、違う。
私は生まれ落とされたのだ。
この世界に。
意思を持つものとして。
生まれ、落とされたのだ。
この冷たい世界に、落とされた。
「……寒い……寒い……」
私が誕生して、もうどれだけの時間が経っただろうか。
一分か、一時間か、あるいはそれ以上なのか。
そんな感覚は、とっくに凍りついている。
あるいは、このまま凍え死ぬのもいいかもしれない。
文字通りの孤独死。
それだけが、この世界で唯一の救いなのだとしたら。
だとしたら、私は――
その時、だった。
すぐ側で、かすかに何かが動く音がして。
私は慌てて視線をそちらに向けた。
一人の少女が、生まれ、落ちていた。
それだけで、すぐに分かった。
この子は私と同じ存在だと。
付喪神として目覚めようとしているのだと。
だとしたら……
(っ……!)
駄目だ、それはダメだ。
この子に同じ想いをさせてはいけない。
『闇』を、与えてはいけない。
……私が、私がこの子を助けないと!
震えが、急激に収まっていく。
けれど身体は、思う様に動かない。
その間にも、目の前の少女は瞳を開いていく。
どうすればいい、どうすれば伝えられる。
あなたは独りじゃないのだと。
私がここにいるということを。
やれることは一つしかなかった。
私が今、唯一動かすことの出来るもの。
それに全身全霊を懸けて。
自分の全てがこの瞳に集まるように。
私の想いが、この子に伝わるように、
だから、どうか……
(気が付いて……)
必死に少女に呼びかける。
あるいは既に『闇』に襲われている少女に。
どうか、この私に気がついてください、と。
果たして、私の声が届いたのかどうかはわからない。
確かなのは、少女がこちらを向いてくれたということ。
(あ……)
そうして、ようやくこちらを見つけた震える瞳。
すっかり『闇』に覆われ、絶望すら映るその瞳に。
けれど私は、そこに温もりを見つけたような気がしていた。
集中が必要だ。
演奏というものは、集中力を高め、持続し、決して切らさないことが肝要。
それは私のような付喪神であっても、同じこと。
楽器そのものだからこそ、必要とされるものがある。
床に置いた琴を見据え、呼吸を整え、そして隣に座る姉さんを見る。
姉さんもまた、その手に琵琶を抱えている。
そして私と視線を合わせて、こくん、と頷いた。
研ぎ澄まされた心に、染み込むような温もり。
静かに、音を奏でた。
奏でる音には想いをのせる。
あの日、あの時、あの場所で。
感じた想いの全てをのせる。
姉さんの優しい瞳に出会えたこと。
たまらずその身体に飛びついたこと。
抱きついた彼女からたくさんの温もりを感じたこと。
その胸の中で、泣きじゃくったこと。
姉妹になろうと、言ってくれたこと。
八橋という、素敵な名前をもらったこと。
九十九という名字を一緒に考えたこと。
そうして、姉妹になったこと。
その全てを、この音にのせる。
素敵な音色だと思った。
やっちゃんの奏でる音色。
妹の奏でる音色。
あの日出会った、少女の奏でる音色。
彼女の想いが詰まった音色に私も精一杯の演奏で応える。
奏でる音には想いをのせる。
あの日、あの時、あの場所で。
感じた想いの全てをのせる。
あなたの震える瞳に出会ったこと。
飛び込んでくる身体をしっかりと抱きしめたこと。
抱きしめたあなたからたくさんの温もりを感じたこと。
泣きじゃくるあなたと一緒に、私もまた声を上げて泣いたこと。
姉妹になろうという提案を、受け入れてくれたこと。
弁々という、可愛い名前をもらったこと。
九十九という名字を一緒に考えたこと。
そうして、姉妹になったこと。
その全てを、この音にのせる。
畢竟するに、誰しも生まれ落ちる時は孤独なものだ。
だからこそ、皆最初は闇の中にいる。
それが怖くて、恐ろしくて、だから泣き叫ぶ。
必要なのは、その恐怖を埋めてくれる何か。
悲しみを、怒りを、温もりで埋めてくれる誰か。
きっと、姉さんは気付かない。
あの時、私に向けてくれた瞳に、どれほどの温もりを感じたことか。
私がどれほど救われたことか。
だけど、たとえ姉さんが気がつかなくても、私はきっと永遠に忘れない。
きっと、やっちゃんは気付かない。
あの時、私を見つめたその瞳に、私がどれほどの温もりを得たことか。
私がどれほど救われたことか。
だけど、たとえあなたが気がつかなくても、私はきっと永遠に忘れない。
だから、どうか。
ずっと私と、姉妹でいてください……。
想いを伝えあって、ゆっくりと演奏の手を止めて、そして私達は向き合う。
「姉さん、ありがとう」
「私こそありがとう、やっちゃん」
それが何の感謝かは分からない。
例えば、自分のあだ名が気になるというくだらない会話に付き合ってくれたことか。
例えば、誰かとかぶってるなんていうくだらない会話に付き合ってくれたことか。
そういうくだらない日常を、一緒に過ごしてくれていることか。
きっと私達は、これからも一緒にこんなくだらない日々を送る。
くだらないのに、とても愛おしい日々を二人で送る。
光で満たされたこの世界で暮らしていく。
初めての温もりを与えてくれた相手と共に暮らしていく。
それはたぶん、とても幸せな事だ。
血の繋がっていない姉妹。夢が膨らみますねー。
とてもいい姉妹愛の話でした。
内容は悪くない
それを吹きとばすくらいに良い。あーもーなんか言葉にならないが良いです。九十九姉妹でさっそくこういうものが読めたのは幸せです。
輝針城新キャラのSSが出始めて嬉しい限りです。