「えーと、前にここらへんで見たような」
私は積み重なったダンボールを動かしながら呟く。
蔵の中では、夏の日差しから逃れられるとは言え蒸し暑さは外以上だった。頬を流れる汗を手の甲で拭う。
「えっ、って、きゃあああ!」
悲鳴と共にドサドサという音が蔵に響き渡り、私は肩をすくめる。音がした方に視線を向けると、ダンボールから溢れだした雑誌の山に押しつぶされた小傘ちゃんがいました。
「狭いところで傘なんて広げているからですよ」
「だってー、これは私のアイデンティティだしー」
「それ以外にもありますって」
アホの子とかちょろいとか天然とか。後は、
「あっ、ちょっ、早苗ー! 見てないで助けてよー!」
なんかこう、いぢめたくなるというか。いえ、私がいじめっ子というわけじゃないんですよ? 特別に小傘ちゃんは弄りたくなるんですよね。
うむ、つまりこれは立派なアイデンティティと言えるのではないでしょうか。
「いいから助けてってばー! 重たいのー!」
「はいはい。今助けますよっと」
雑誌の山に埋まりばたばたと手足を動かす小傘ちゃんの手を取り、立ち上がらせる。
「うー、酷い目にあった……」
「もう少し気をつけてくださいね?」
「わかってるよー」
心配そうに茄子色の傘を確かめる小傘ちゃん。傘が怪我すると、彼女も傷つくんでしょうか。
そんなことを思いつつ、崩れた雑誌を片付けるべく元あった場所に視線を向ける。
「あっ」
雑誌の山が崩れたお陰で、その後ろに隠れていたダンボールが顔を出していた。そこに突き刺さるように、グリップのついた何本かの細い棒があった。
「ありましたよ、小傘ちゃん」
◇
暇だから遊んで、と小傘ちゃんがせがんできたのが正午過ぎのこと。神奈子様と諏訪子様は人里に出かけていて、神社には私一人だけでした。
縁側で風鈴の音と時折吹く風を楽しんでいた私が、妖怪がそんなことでいいんですか、と返すと、
「妖怪は退屈でも死んじゃうの。だから遊んで」
ということだ。妖怪とはなんとも適当な生き物らしい。もっとも、今まで起きた異変の経緯を考えるとあながち間違っていない気もしますが。
結局、私は小傘ちゃんが涙目寸前になったところで遊ぶことを了承しました。別に断る理由もないですし、暑いからと言ってだらけっぱなしというのも良くないですから。
……だったらどうして涙目寸前になるまで引っ張ったのか? 小傘ちゃんが可愛いからいけないんです。で、その後頭をぐしぐし撫でられて笑顔を見せる小傘ちゃんも……ってそれは置いといて。
せっかくだから弾幕ごっこ以外で遊びをしましょう、と私が提案をして、今までそのための道具を蔵で探していたのです。
で、私が提案した遊びというのは、
「行きますよー」
「かかってきなさーい」
「てやっ」
スパン、といい音を鳴らして、ラケットに撃ちだされたシャトルは放物線を描き小傘ちゃんに向かって飛んでいく。
小傘ちゃんは、大きくラケットを振りかぶりシャトルを迎え撃つ体勢をとる。
「とりゃ!」
気合一閃。鋭く振りぬかれたラケットの一撃。は、お約束というかなんというか。
「思い切り空振ってますよ」
「あれぇ? おかしいなー」
不思議そうな顔をして、地面に落ちたシャトルを拾う小傘ちゃんに思わず苦笑してしまう。私も初めての時はあんなんだったなぁ、と。
はい、私達がしているのはバトミントンです。正確には「バドミントン」らしいですけど、そんなことはどうだっていいんです重要じゃありません。
重要なのは、小傘ちゃんがしたことのない遊びということです。退屈で死ぬとまで言った彼女も、未経験のバトミントンは好奇心を刺激されるでしょう。それに弾幕ごっこと違って、明確に勝ち負けを決める必要がないので、気楽に遊ぶことが出来るのです。
「サーブするときは、軽く持ったシャトルを落とすようにして、下から軽くラケットを振るんです」
それと、小傘ちゃんは何も知らないのでお姉さんぶれるというのがですね。小傘ちゃんは素直なので教え甲斐がありますし。
ふんふん、と真面目に私のアドバイスを聞いていた彼女は、一つ一つの動作を確かめるようにゆっくりと構える。
「ていっ」
「お、上手ですよ」
「ふふん、私なら当然だって」
今度は空振ること無くシャトルを打ち出すことが出来た小傘ちゃんは、自慢気に胸を張る。
ちなみに、いつも持っている唐傘はどうしているのかと言えば、すぐ近くでビーチパラソルのように自立していました。
アイデンティティはどうしたのかと言いたくなりますが、どうせ適当な答えしか返ってこないでしょうし、黙っておきます。つくづく妖怪とは適当な生き物のようです。
「はいっ」
私から見て右にシャトルを返す。それを追いかけ返す小傘ちゃん。
「そいっ」
今度は左に。小動物のような動きで反対側に移動する小傘ちゃん。
「……」
それを見ていると、私の中で何かが鎌首をもたげる。
「わわっ」
右。
「こ、こっち!」
左。
「ま、まだまだ」
右、と見せかけて左。
「ってわ! 早苗ー!」
「いや、ごめんなさいつい」
いやだってしょうがないですよ。誰だって弄りたくなる可愛さがあるんですよ。
とは言っても、あまり弄ってへそを曲げられるのは嫌なので、ここからは真面目にバトミントンです。
「はいっと」
打ち返すための練習として、私は思い切り高く打ち上げる。慣れないうちは距離感を掴みづらいものですが、小傘ちゃんはどうでしょうか。
チラッと、視線をシャトルから彼女に移す。意外なことに、小傘ちゃんは慌てるどころか不敵な笑みすら浮かべていました。
「ふふっ、今度は華麗にスカッシュを決めてみせるよ!」
自信満々に宣言する小傘ちゃん。ですが、スカッシュは別のスポーツですよ。
まぁ、それはそれとして。そこまで自信があるのなら見せてもらいましょう。
私は、ラケットを構え直し――その時、聞き覚えのある声が耳に届いた。
「何か面白そうなことやってるじゃない! 私にもやらせなさい!」
声は上空から聞こえていた。見上げた視線の先に映る『それ』はシャトルよりも大きく早く、青い髪をなびかせ私と小傘ちゃんの間に着地する。
「なにか面白いことをするなら、まず私に声をかけるべきじゃない?」
開口一番にこんなことを言い出す友人はそう多くない。とくに、傲岸不遜がここまで板についた人物は一人しかいません。
「こんにちは天子さん」
腰に手を当て不敵にほほえむ彼女に苦笑交じりの挨拶をする。
そういえば、この人も退屈で死んじゃうタイプでしたね。
「空からあなた達を見つけてね。変わったことをしているから来てみたのよ」
で、それは一体何なの? と私が持つラケットに不思議そうな視線をやる天子さん。
これはバトミントンに使う道具ですよと、私が説明しようとしたとき、
「あっ! 天子さん! 後ろ!」
「え、なに?」
ここで言うべき言葉は、『後ろ』ではなく『避けて』だったのです。しかし、後悔することも間に合いません。
私の叫びに怪訝そうに振り返った天子さん。そこには、落下してくるシャトルを待ち構える小傘ちゃんが――
「ジャストミィイイイト!」
吼えた言葉通り、芯で捉えたシャトルが天子さんの顔面に放たれる。突然の出来事に天子さんは避けることも防ぐことも出来ず、
「だっ!?」
鼻頭に直撃したのか、鼻をおさえてうずくまる天子さん。
この距離とあの勢いでシャトルが当たったら……。想像したら、私まで痛くなってきました。
「……えっ、わ、わざとじゃないよ! 集中していたから気が付かなくて! ご、ごめんなさい!」
小傘ちゃんはしどろもどろで頭を何度も下げる。天子さんはうずくまったままですが、肩は小刻みに震えていました。
泣いている――わけがないです。間違いなく怒っているのでしょう。そりゃあ、いきなり顔面にシャトルをぶつけられて怒らない人がいるわけがありません。
ですが、小傘ちゃんに怒りをぶつけられる訳にはいきません。弾幕勝負になったりでもしたら、確実に小傘ちゃんはズタボロにされてしまいますから。
「天子さん、あの、許してくれませんか?」
私がそう言って天子さんに駆け寄るのと、彼女が勢い良く立ち上がるのは同時でした。
ああやっぱり怒ってますよね……。私は諦観の念を抱きかけ、それは疑念に変わりました。
天子さんは憤怒の表情を浮かべるどころか、なんと爽やかな笑顔を浮かべていたのです。
「小傘、って言ったわよね」
「は、はい……た、多々良小傘です……」
自分の名前を呼ばれた小傘ちゃんは完全に怯えたきった表情をしていました。
「そんなに怯えなくてもいいわよ。怒ってないから」
「へっ……? 怒ってないんですか?」
間の抜けた声を上げる小傘ちゃん。
これは私も意外でした。プライドの高い天子さんが、顔にシャトルをぶつけられて怒らないなんて……。
てっきり『私の美しい顔が傷ついたらどうするのよ!』とか言い出すかと。
「ええ、突然現れた私も悪かったし、あなたはちゃんと謝った。それで終わりよ」
「で、ですけど……」
「二度も言わせないで。私は心が広いの、いちいち些末事にキレたりするのは、上に立つ者に相応しくないのよ」
「は、はい! ありがとうございます!」
腕を組んで余裕を見せつける天子さんを尊敬の眼差しで見つめる小傘ちゃん。
私もホッと一安心です。だけど、私は随分と失礼なことを考えていましたね。反省しませんと。
天子さんもいつまでも子どものままじゃないんです、ちゃんと成長しているんですから――
「あら、手が滑りましたわ」
不意に聞こえた声は、胡散臭くて鈴を転がしたような、そして言っていることが明らかに嘘だとわかる、そんな声でした。
「ごっ!?」
うめき声を上げて、再び鼻をおさえてうずくまる天子さん。その足元にはシャトルが落ちていました。
もちろん小傘ちゃんが驚かせようとぶつけたわけじゃありません。悲しいかな、彼女はそんなことを思いつけないくらいに素直な性格なのです。
「ひゃっ!? だ、誰なの?」
で、その素直じゃない性格の妖怪は小傘ちゃんの隣で、上半身だけスキマから出してにこやかに手を降っていました。
「お元気かしら、風祝さん?」
「……相変わらずですね、紫さん」
黙っていれば笑顔の素敵な金髪美人さんなのに、人をからかうのが大好きな性格のせいで色々と台無しになっている。一言で言うと残念な人です。
「そのまとめ方はひどくないかしら?」
「間違ってませんよ」
「そうですけど」
「紫ぃ!」
うずくまっていた天子さんは、吠えると同時に紫さんへと詰め寄ります。言うまでもなく、笑顔なんて浮かべていません。怒気に満ちた形相です。
「いきなり何するのよ! 私の美しい顔が傷ついたらどうするのよ!」
「あら、ごめんなさい。うっかり手が滑ってしまいまして」
「寸分違わず同じ所に当てておいてそんなセリフがよく吐けるわね! というか、誤魔化す気があるならもっと感情を込めなさいよ!」
「反省してまーす、テヘペロ☆」
「こ、コイツは……! 早苗!」
「え、は、はい?」
急に名前を呼ばれて面食らう私に、天子さんは怒鳴るように続ける。
「それを貸しなさい! 今度は私が紫にたたきつけやるから!」
私の返事も待たず、天子さんは引ったくるようにラケットを奪い足元のシャトルを拾って、紫さんと対峙する。
紫さんは、小傘ちゃんが泣き出しそうな怒気をぶつけられているにもかかわらず、涼しい顔で扇を扇いでいた。
「いいでしょう、バトミントンでも私が上だということを教えてあげますわ」
「ハッ、そんなことを言えるのも今のうちよ」
「ええ、敗者に掛ける言葉はありませんもの」
とてもバトミントンをするとは思えない二人から、慌てて小傘ちゃんを引っ張って離れる。こんな漫画だったら背景に『ゴゴゴゴゴ』とか『ドドドドド』みたいな書き文字が浮かんでいる空間に放って置くわけにはいきません。
「さ、早苗……。あの人達怖い……」
「よしよし、大丈夫ですからねー」
恐怖に震える小傘ちゃんを、私は慰めるように抱きしめ、頭を撫でてあげる。ぎゅっと私の体に縋り付く彼女は、暖かくて柔らかくていい匂いがして――ちょっと紫さんと天子さんに感謝したくなりました。
「行くわよ紫!」
「来なさい、天子」
そんなことを考えている間に、決戦の火蓋は切られていました。
さて、どちらが勝つのでしょうか。ただ、どちらが勝つにせよ、
「――ふっ」
紫さんの狙い通りになるのだろうという、確信めいた予感がありました。
◇
二人の勝負は予想通りと言うべきでしょうか、なんとも凄烈なものとなっていました。
というか、バトミントンなのにシャトルが放物線を描くことが稀というのはどういうことなんですかね。ほぼ水平の弾道で打ち返され続けるシャトルの速度は、私の目では追いきれないほどです。
「二人共すごいねー、もう1時間くらい続けてるよ」
「天子さんはともかく、紫さんがあんなに体力あるとは思ってませんでしたね。伊達に賢者を名乗っているわけじゃないんですね」
「ねー、すごいよねー」
そんなハイレベルな勝負を私と小傘ちゃんは、並んでのんびりと観戦しています。御座も敷いて、日差しも小傘ちゃんの傘のお陰で問題なしとなかなか快適な客席です。
先程まで怯えきっていた小傘ちゃんも、今は時折賞賛の声をあげる余裕すらあります。
それは自分に被害が及ぶ心配がないから、というのも理由の一つですが、もっと大きな理由がありました。
「天子さん、楽しそうだね。さっきまであんなに怒ってたのに」
小傘ちゃんの言う通り、今の天子さんからは怒気が感じられません。勝負開始直後は、明らかに体にぶつけることを目的とした返球をしていたにもかかわらずです。
「まだまだっ! こんなものじゃないわよ!」
「力の出し惜しみはみっともなくてよ?」
「言ってなさい!」
お互いに軽口を叩きながらラリーを続ける二人にあるのは歓喜。この時間が純粋に楽しいから、勝ちたいと思える相手だから、彼女たちはあんなに嬉しそうなのでしょう。
「あっ」
小傘ちゃんが小さく声をあげた。激しいラリーの応酬が、天子さんが大きくシャトルを打ち上げたことで終わりを告げたのです。
数瞬ほど前とは比べ物にならない遅さで紫さんに向けて落下するシャトル。紫さんは、このチャンスを逃すまいと万全の体勢でシャトルを待ち受けます。
しかし、天子さんにしては迂闊ですね……? 特別、返しにくい弾というわけではなかったのに、どうして打ち上げてしまったのか……!
「そうか……そういうことですね」
「えっ、どういうことなの?」
あれだけ打ち返しやすい弾ならば、紫さんは最大の威力で放つために渾身の力を込めるでしょう。しかし、その直後は無防備。もし打ち返されたら、それを返すことは不可能。
天子さんはそれを狙って、ワザと簡単な弾を返した。そしてそれは、自分が必ず打ち返すことが出来るという絶対的な自信の表れ……!
天子さんは大地を強く踏みしめ、居合の達人のようにラケットを構え対峙する。
「来なさい、紫!」
「行くわよ、天子!」
紫さんが吠えるのと、ラケットを振るのは同時。
ラケットがシャトルに触れる刹那、紫さんが薄く微笑んだような気がした。
「グワラガキーン!」
スコアボードにまで届きそうな打撃音が聞こえ……ってあれ、今のって紫さんが口でいったような……。
ぽん、ぽて、がんっ。
「……えーと、早苗? 今のって……」
「あー……一応、紫さんの勝ち?」
理解できないという表情で私を見る小傘ちゃんに、私も微妙な答えしか返せませんでした。
とりあえず、天子さんは絶対に負けを認めませんね。何しろかなりセコい勝ち方だったですから。
紫さんはラケットがシャトルに触れる瞬間に、ラケットを止めた。そうなると、返されるシャトルのエネルギーは衝突時だけとなり、シャトルは紫さんと天子さんの丁度中間地点に落下することになった。で、踏ん張って打ち返そうとしていた天子さんが対応できるわけもなく、前のめりに突っ伏すだけの結果に終わりました。
汚いなさすがスキマ妖怪きたない。真正面から勝負するようなことを言っておいてこの仕打はあまりにも卑怯すぎるでしょう?
「あら、私は『行くわよ』と言っただけでしてよ? 別に強い弾を返すなんて言ってませんわ」
涼しい顔で、いけしゃあしゃあとそんなことを言う紫さん。その言葉に、顔面から突っ伏していた天子さんは飛び起き、食って掛かる。
「通るかそんなもんっ! 何よ今の!? 正々堂々って名台詞を知らないのか!?」
「正々堂々と相手の狙いを読んでその上で最善の手を打ったまでですわ。それがいけないこと?」
「ぐぬぬ……!」
悔しそうに歯噛みする天子さん。
手を読んでいたと言われては、強く出ることは出来ないのでしょう。実際、紫さんがやったことはともかく言っていることは正論ですし。
……まあ、それで納得できるかは別問題なんですけどね。
しばらく地団駄を踏んでいた天子さんですが、結局負けを認めざるを得なかったのか、紫さんを睨みつけ人差し指を突きつける。
「……ったく! 今日はここで引いてやるけどね、次は絶対に負けないからね!」
「あらそう」
おや……? 『次は』と天子さんが口にしたとき、紫さんは微笑んでいました。それも、いつも浮かべている胡散臭い真意の見えない笑みではなく、自然に浮かんだ純粋なものに思えました。
「今度は私が華麗に勝つんだからね! 覚えておきなさいよ!」
「ええ、次は勝てるように頑張りなさいな」
「……敗者に掛ける言葉はないんじゃなかったの」
「あら、貴方は敗者であることを認めるの?」
「認めてない! 私は勝てなかっただけで負けたわけじゃないの!」
「言っていることが無茶苦茶ね、貴方」
なおも言い争いを続ける二人。ですが、不思議と険悪さは感じられません。むしろ、楽しんでいるふうにさえ感じられます。
それを眺める小傘ちゃんは首を傾げていました。
「仲いいのかな、悪いのかな? 不思議な関係ってやつ?」
「いえ、あれはたぶん……」
「たぶん?」
「……いや、なんでもないです。それより、汗もかきましたし皆で温泉に入りましょう」
「温泉!? 入る入る!」
温泉と聞いた途端に私に飛びついてくる小傘ちゃんに苦笑しつつ天子さんと紫さんにも同様の提案をする。
……意外とあるんだなぁ。いや身長の話ですよ? ホントですよ?
「いいわね、だいぶ汗かいちゃったしスッキリしたいわ」
「私も構いませんわ」
じゃあ、行きましょうと神社の側に作られた露天風呂まで二人を促す。
もう一人は満面の笑顔で私の腕を抱きしめるようにくっついていたので、案内する必要はなさそうですね。
「温泉なんて久しぶり、楽しみっ」
「慌てなくても逃げませんよ?」
「それくらい楽しみなのっ。あ、またバトミントンしようね。結構楽しかったから」
「はいはい」
ふと、視線を感じ横目で伺う。
「……」
羨ましそうに小傘ちゃんを見つめる紫さんを私は見逃さなかった。
◇
温泉から上がった頃には暁色だった風景も、今は日が沈み暗く染まっていた。
そして、夏の夜にすることといえば一つ。
「あっはっは! それもういっちょ!」
「天子さんそれはちょっと多いっていやー! こっち来ないでー!」
「フハハハ怖かろう!」
数個まとめてねずみ花火に火をつけ放る天子さん。火を吹きながら迫るそれから必死に逃げる小傘ちゃん。
いやぁ、夏はやっぱり花火ですよね。
「早苗ー! それっぽいこと言ってないで助けてよー! というかなんで正確に私のところに来るの!?」
「しかも脳波コントロールできる!」
それにしてもこの天人ノリノリである。というか、小傘ちゃん。慌ててるせいで気がついてないようですが、自分から花火に突っ込んでますよ。
縁側に並んで座る紫さんは、それを微笑ましそうに眺めていた。
「素直な娘ね。弄り甲斐がありそうだわ」
「それはもう。コロコロ表情が変わって可愛いですよ」
「羨ましいわねぇ」
「素直な性格が、ですか?」
「あら、なんでそう思ったのかしら?」
『何を言っているのかわからない』。紫さんの顔はそう言っていた。しかし、視線が一瞬ブレたことに本人は気がついていないようです。
「だって紫さん、天子さんへのアプローチが好きな子をイジメたがる子のそれなんですもん」
「……根拠はあるのかしら」
「わざと挑発して怒らせ勝負に持ち込む。卑怯と揶揄される勝ち方で怒らせ再戦の約束をする。小傘ちゃんは『遊んで欲しい』『また遊ぼう』の一言で済んでいましたから、それが羨ましかったんじゃないですか?」
要するに、紫さんは天子さんとただ遊びたかっただけなのだ。そのために、わざわざ怒らせてまでバトミントンをするよう誘導したり、また遊ぶ約束を取り付けるためにスッキリしない決着をつけた。
小傘ちゃんと同じ動機なのに、ここまで面倒なことをしたのは、人をからかわずにはいられない性分か、はたまた照れ隠しか。
「……はぁ、随分あっさりとまとめてしまうのね。貴方は」
ため息混じりの言葉は、肯定を示していた。
「でも、間違っていないでしょう?」
「ええ、その通り。でも間違えが一つだけ」
「え、何ですか?」
私がそう訊ねると、紫さんはずいっと顔を近づけて言う。
「別に私は天子が好きとかそういうわけじゃございません。気になっているだけですわ」
「それは好きと言うのでは」
「違います。ただ誰かが見張ってないと何をするか不安なので見張っているだけですわ。気になるとはそういう意味です」
「じゃあ、なんで遊びたがっていたんですか? 監視するだけでいいんじゃないですか」
「それは! あの子がまた寂しがって異変を起こしたら困るから……」
「それは紫さんでなくとも構わないのでは?」
「それは! それは……」
だんだんと語尾が尻すぼみになっていく紫さんの頬は、月明かりでもわかるくらい朱色に染まっていました。
もっと言いたいことはあるんですが、これ以上は私がいじめっ子になってしまうので、これだけ言わせてもらいます。
「素直じゃないですね」
「……言ってなさい」
そっぽを向いてぼそぼそ呟く紫さんの横顔は、妖怪の賢者ではなく一人の少女のものでした。
私は積み重なったダンボールを動かしながら呟く。
蔵の中では、夏の日差しから逃れられるとは言え蒸し暑さは外以上だった。頬を流れる汗を手の甲で拭う。
「えっ、って、きゃあああ!」
悲鳴と共にドサドサという音が蔵に響き渡り、私は肩をすくめる。音がした方に視線を向けると、ダンボールから溢れだした雑誌の山に押しつぶされた小傘ちゃんがいました。
「狭いところで傘なんて広げているからですよ」
「だってー、これは私のアイデンティティだしー」
「それ以外にもありますって」
アホの子とかちょろいとか天然とか。後は、
「あっ、ちょっ、早苗ー! 見てないで助けてよー!」
なんかこう、いぢめたくなるというか。いえ、私がいじめっ子というわけじゃないんですよ? 特別に小傘ちゃんは弄りたくなるんですよね。
うむ、つまりこれは立派なアイデンティティと言えるのではないでしょうか。
「いいから助けてってばー! 重たいのー!」
「はいはい。今助けますよっと」
雑誌の山に埋まりばたばたと手足を動かす小傘ちゃんの手を取り、立ち上がらせる。
「うー、酷い目にあった……」
「もう少し気をつけてくださいね?」
「わかってるよー」
心配そうに茄子色の傘を確かめる小傘ちゃん。傘が怪我すると、彼女も傷つくんでしょうか。
そんなことを思いつつ、崩れた雑誌を片付けるべく元あった場所に視線を向ける。
「あっ」
雑誌の山が崩れたお陰で、その後ろに隠れていたダンボールが顔を出していた。そこに突き刺さるように、グリップのついた何本かの細い棒があった。
「ありましたよ、小傘ちゃん」
◇
暇だから遊んで、と小傘ちゃんがせがんできたのが正午過ぎのこと。神奈子様と諏訪子様は人里に出かけていて、神社には私一人だけでした。
縁側で風鈴の音と時折吹く風を楽しんでいた私が、妖怪がそんなことでいいんですか、と返すと、
「妖怪は退屈でも死んじゃうの。だから遊んで」
ということだ。妖怪とはなんとも適当な生き物らしい。もっとも、今まで起きた異変の経緯を考えるとあながち間違っていない気もしますが。
結局、私は小傘ちゃんが涙目寸前になったところで遊ぶことを了承しました。別に断る理由もないですし、暑いからと言ってだらけっぱなしというのも良くないですから。
……だったらどうして涙目寸前になるまで引っ張ったのか? 小傘ちゃんが可愛いからいけないんです。で、その後頭をぐしぐし撫でられて笑顔を見せる小傘ちゃんも……ってそれは置いといて。
せっかくだから弾幕ごっこ以外で遊びをしましょう、と私が提案をして、今までそのための道具を蔵で探していたのです。
で、私が提案した遊びというのは、
「行きますよー」
「かかってきなさーい」
「てやっ」
スパン、といい音を鳴らして、ラケットに撃ちだされたシャトルは放物線を描き小傘ちゃんに向かって飛んでいく。
小傘ちゃんは、大きくラケットを振りかぶりシャトルを迎え撃つ体勢をとる。
「とりゃ!」
気合一閃。鋭く振りぬかれたラケットの一撃。は、お約束というかなんというか。
「思い切り空振ってますよ」
「あれぇ? おかしいなー」
不思議そうな顔をして、地面に落ちたシャトルを拾う小傘ちゃんに思わず苦笑してしまう。私も初めての時はあんなんだったなぁ、と。
はい、私達がしているのはバトミントンです。正確には「バドミントン」らしいですけど、そんなことはどうだっていいんです重要じゃありません。
重要なのは、小傘ちゃんがしたことのない遊びということです。退屈で死ぬとまで言った彼女も、未経験のバトミントンは好奇心を刺激されるでしょう。それに弾幕ごっこと違って、明確に勝ち負けを決める必要がないので、気楽に遊ぶことが出来るのです。
「サーブするときは、軽く持ったシャトルを落とすようにして、下から軽くラケットを振るんです」
それと、小傘ちゃんは何も知らないのでお姉さんぶれるというのがですね。小傘ちゃんは素直なので教え甲斐がありますし。
ふんふん、と真面目に私のアドバイスを聞いていた彼女は、一つ一つの動作を確かめるようにゆっくりと構える。
「ていっ」
「お、上手ですよ」
「ふふん、私なら当然だって」
今度は空振ること無くシャトルを打ち出すことが出来た小傘ちゃんは、自慢気に胸を張る。
ちなみに、いつも持っている唐傘はどうしているのかと言えば、すぐ近くでビーチパラソルのように自立していました。
アイデンティティはどうしたのかと言いたくなりますが、どうせ適当な答えしか返ってこないでしょうし、黙っておきます。つくづく妖怪とは適当な生き物のようです。
「はいっ」
私から見て右にシャトルを返す。それを追いかけ返す小傘ちゃん。
「そいっ」
今度は左に。小動物のような動きで反対側に移動する小傘ちゃん。
「……」
それを見ていると、私の中で何かが鎌首をもたげる。
「わわっ」
右。
「こ、こっち!」
左。
「ま、まだまだ」
右、と見せかけて左。
「ってわ! 早苗ー!」
「いや、ごめんなさいつい」
いやだってしょうがないですよ。誰だって弄りたくなる可愛さがあるんですよ。
とは言っても、あまり弄ってへそを曲げられるのは嫌なので、ここからは真面目にバトミントンです。
「はいっと」
打ち返すための練習として、私は思い切り高く打ち上げる。慣れないうちは距離感を掴みづらいものですが、小傘ちゃんはどうでしょうか。
チラッと、視線をシャトルから彼女に移す。意外なことに、小傘ちゃんは慌てるどころか不敵な笑みすら浮かべていました。
「ふふっ、今度は華麗にスカッシュを決めてみせるよ!」
自信満々に宣言する小傘ちゃん。ですが、スカッシュは別のスポーツですよ。
まぁ、それはそれとして。そこまで自信があるのなら見せてもらいましょう。
私は、ラケットを構え直し――その時、聞き覚えのある声が耳に届いた。
「何か面白そうなことやってるじゃない! 私にもやらせなさい!」
声は上空から聞こえていた。見上げた視線の先に映る『それ』はシャトルよりも大きく早く、青い髪をなびかせ私と小傘ちゃんの間に着地する。
「なにか面白いことをするなら、まず私に声をかけるべきじゃない?」
開口一番にこんなことを言い出す友人はそう多くない。とくに、傲岸不遜がここまで板についた人物は一人しかいません。
「こんにちは天子さん」
腰に手を当て不敵にほほえむ彼女に苦笑交じりの挨拶をする。
そういえば、この人も退屈で死んじゃうタイプでしたね。
「空からあなた達を見つけてね。変わったことをしているから来てみたのよ」
で、それは一体何なの? と私が持つラケットに不思議そうな視線をやる天子さん。
これはバトミントンに使う道具ですよと、私が説明しようとしたとき、
「あっ! 天子さん! 後ろ!」
「え、なに?」
ここで言うべき言葉は、『後ろ』ではなく『避けて』だったのです。しかし、後悔することも間に合いません。
私の叫びに怪訝そうに振り返った天子さん。そこには、落下してくるシャトルを待ち構える小傘ちゃんが――
「ジャストミィイイイト!」
吼えた言葉通り、芯で捉えたシャトルが天子さんの顔面に放たれる。突然の出来事に天子さんは避けることも防ぐことも出来ず、
「だっ!?」
鼻頭に直撃したのか、鼻をおさえてうずくまる天子さん。
この距離とあの勢いでシャトルが当たったら……。想像したら、私まで痛くなってきました。
「……えっ、わ、わざとじゃないよ! 集中していたから気が付かなくて! ご、ごめんなさい!」
小傘ちゃんはしどろもどろで頭を何度も下げる。天子さんはうずくまったままですが、肩は小刻みに震えていました。
泣いている――わけがないです。間違いなく怒っているのでしょう。そりゃあ、いきなり顔面にシャトルをぶつけられて怒らない人がいるわけがありません。
ですが、小傘ちゃんに怒りをぶつけられる訳にはいきません。弾幕勝負になったりでもしたら、確実に小傘ちゃんはズタボロにされてしまいますから。
「天子さん、あの、許してくれませんか?」
私がそう言って天子さんに駆け寄るのと、彼女が勢い良く立ち上がるのは同時でした。
ああやっぱり怒ってますよね……。私は諦観の念を抱きかけ、それは疑念に変わりました。
天子さんは憤怒の表情を浮かべるどころか、なんと爽やかな笑顔を浮かべていたのです。
「小傘、って言ったわよね」
「は、はい……た、多々良小傘です……」
自分の名前を呼ばれた小傘ちゃんは完全に怯えたきった表情をしていました。
「そんなに怯えなくてもいいわよ。怒ってないから」
「へっ……? 怒ってないんですか?」
間の抜けた声を上げる小傘ちゃん。
これは私も意外でした。プライドの高い天子さんが、顔にシャトルをぶつけられて怒らないなんて……。
てっきり『私の美しい顔が傷ついたらどうするのよ!』とか言い出すかと。
「ええ、突然現れた私も悪かったし、あなたはちゃんと謝った。それで終わりよ」
「で、ですけど……」
「二度も言わせないで。私は心が広いの、いちいち些末事にキレたりするのは、上に立つ者に相応しくないのよ」
「は、はい! ありがとうございます!」
腕を組んで余裕を見せつける天子さんを尊敬の眼差しで見つめる小傘ちゃん。
私もホッと一安心です。だけど、私は随分と失礼なことを考えていましたね。反省しませんと。
天子さんもいつまでも子どものままじゃないんです、ちゃんと成長しているんですから――
「あら、手が滑りましたわ」
不意に聞こえた声は、胡散臭くて鈴を転がしたような、そして言っていることが明らかに嘘だとわかる、そんな声でした。
「ごっ!?」
うめき声を上げて、再び鼻をおさえてうずくまる天子さん。その足元にはシャトルが落ちていました。
もちろん小傘ちゃんが驚かせようとぶつけたわけじゃありません。悲しいかな、彼女はそんなことを思いつけないくらいに素直な性格なのです。
「ひゃっ!? だ、誰なの?」
で、その素直じゃない性格の妖怪は小傘ちゃんの隣で、上半身だけスキマから出してにこやかに手を降っていました。
「お元気かしら、風祝さん?」
「……相変わらずですね、紫さん」
黙っていれば笑顔の素敵な金髪美人さんなのに、人をからかうのが大好きな性格のせいで色々と台無しになっている。一言で言うと残念な人です。
「そのまとめ方はひどくないかしら?」
「間違ってませんよ」
「そうですけど」
「紫ぃ!」
うずくまっていた天子さんは、吠えると同時に紫さんへと詰め寄ります。言うまでもなく、笑顔なんて浮かべていません。怒気に満ちた形相です。
「いきなり何するのよ! 私の美しい顔が傷ついたらどうするのよ!」
「あら、ごめんなさい。うっかり手が滑ってしまいまして」
「寸分違わず同じ所に当てておいてそんなセリフがよく吐けるわね! というか、誤魔化す気があるならもっと感情を込めなさいよ!」
「反省してまーす、テヘペロ☆」
「こ、コイツは……! 早苗!」
「え、は、はい?」
急に名前を呼ばれて面食らう私に、天子さんは怒鳴るように続ける。
「それを貸しなさい! 今度は私が紫にたたきつけやるから!」
私の返事も待たず、天子さんは引ったくるようにラケットを奪い足元のシャトルを拾って、紫さんと対峙する。
紫さんは、小傘ちゃんが泣き出しそうな怒気をぶつけられているにもかかわらず、涼しい顔で扇を扇いでいた。
「いいでしょう、バトミントンでも私が上だということを教えてあげますわ」
「ハッ、そんなことを言えるのも今のうちよ」
「ええ、敗者に掛ける言葉はありませんもの」
とてもバトミントンをするとは思えない二人から、慌てて小傘ちゃんを引っ張って離れる。こんな漫画だったら背景に『ゴゴゴゴゴ』とか『ドドドドド』みたいな書き文字が浮かんでいる空間に放って置くわけにはいきません。
「さ、早苗……。あの人達怖い……」
「よしよし、大丈夫ですからねー」
恐怖に震える小傘ちゃんを、私は慰めるように抱きしめ、頭を撫でてあげる。ぎゅっと私の体に縋り付く彼女は、暖かくて柔らかくていい匂いがして――ちょっと紫さんと天子さんに感謝したくなりました。
「行くわよ紫!」
「来なさい、天子」
そんなことを考えている間に、決戦の火蓋は切られていました。
さて、どちらが勝つのでしょうか。ただ、どちらが勝つにせよ、
「――ふっ」
紫さんの狙い通りになるのだろうという、確信めいた予感がありました。
◇
二人の勝負は予想通りと言うべきでしょうか、なんとも凄烈なものとなっていました。
というか、バトミントンなのにシャトルが放物線を描くことが稀というのはどういうことなんですかね。ほぼ水平の弾道で打ち返され続けるシャトルの速度は、私の目では追いきれないほどです。
「二人共すごいねー、もう1時間くらい続けてるよ」
「天子さんはともかく、紫さんがあんなに体力あるとは思ってませんでしたね。伊達に賢者を名乗っているわけじゃないんですね」
「ねー、すごいよねー」
そんなハイレベルな勝負を私と小傘ちゃんは、並んでのんびりと観戦しています。御座も敷いて、日差しも小傘ちゃんの傘のお陰で問題なしとなかなか快適な客席です。
先程まで怯えきっていた小傘ちゃんも、今は時折賞賛の声をあげる余裕すらあります。
それは自分に被害が及ぶ心配がないから、というのも理由の一つですが、もっと大きな理由がありました。
「天子さん、楽しそうだね。さっきまであんなに怒ってたのに」
小傘ちゃんの言う通り、今の天子さんからは怒気が感じられません。勝負開始直後は、明らかに体にぶつけることを目的とした返球をしていたにもかかわらずです。
「まだまだっ! こんなものじゃないわよ!」
「力の出し惜しみはみっともなくてよ?」
「言ってなさい!」
お互いに軽口を叩きながらラリーを続ける二人にあるのは歓喜。この時間が純粋に楽しいから、勝ちたいと思える相手だから、彼女たちはあんなに嬉しそうなのでしょう。
「あっ」
小傘ちゃんが小さく声をあげた。激しいラリーの応酬が、天子さんが大きくシャトルを打ち上げたことで終わりを告げたのです。
数瞬ほど前とは比べ物にならない遅さで紫さんに向けて落下するシャトル。紫さんは、このチャンスを逃すまいと万全の体勢でシャトルを待ち受けます。
しかし、天子さんにしては迂闊ですね……? 特別、返しにくい弾というわけではなかったのに、どうして打ち上げてしまったのか……!
「そうか……そういうことですね」
「えっ、どういうことなの?」
あれだけ打ち返しやすい弾ならば、紫さんは最大の威力で放つために渾身の力を込めるでしょう。しかし、その直後は無防備。もし打ち返されたら、それを返すことは不可能。
天子さんはそれを狙って、ワザと簡単な弾を返した。そしてそれは、自分が必ず打ち返すことが出来るという絶対的な自信の表れ……!
天子さんは大地を強く踏みしめ、居合の達人のようにラケットを構え対峙する。
「来なさい、紫!」
「行くわよ、天子!」
紫さんが吠えるのと、ラケットを振るのは同時。
ラケットがシャトルに触れる刹那、紫さんが薄く微笑んだような気がした。
「グワラガキーン!」
スコアボードにまで届きそうな打撃音が聞こえ……ってあれ、今のって紫さんが口でいったような……。
ぽん、ぽて、がんっ。
「……えーと、早苗? 今のって……」
「あー……一応、紫さんの勝ち?」
理解できないという表情で私を見る小傘ちゃんに、私も微妙な答えしか返せませんでした。
とりあえず、天子さんは絶対に負けを認めませんね。何しろかなりセコい勝ち方だったですから。
紫さんはラケットがシャトルに触れる瞬間に、ラケットを止めた。そうなると、返されるシャトルのエネルギーは衝突時だけとなり、シャトルは紫さんと天子さんの丁度中間地点に落下することになった。で、踏ん張って打ち返そうとしていた天子さんが対応できるわけもなく、前のめりに突っ伏すだけの結果に終わりました。
汚いなさすがスキマ妖怪きたない。真正面から勝負するようなことを言っておいてこの仕打はあまりにも卑怯すぎるでしょう?
「あら、私は『行くわよ』と言っただけでしてよ? 別に強い弾を返すなんて言ってませんわ」
涼しい顔で、いけしゃあしゃあとそんなことを言う紫さん。その言葉に、顔面から突っ伏していた天子さんは飛び起き、食って掛かる。
「通るかそんなもんっ! 何よ今の!? 正々堂々って名台詞を知らないのか!?」
「正々堂々と相手の狙いを読んでその上で最善の手を打ったまでですわ。それがいけないこと?」
「ぐぬぬ……!」
悔しそうに歯噛みする天子さん。
手を読んでいたと言われては、強く出ることは出来ないのでしょう。実際、紫さんがやったことはともかく言っていることは正論ですし。
……まあ、それで納得できるかは別問題なんですけどね。
しばらく地団駄を踏んでいた天子さんですが、結局負けを認めざるを得なかったのか、紫さんを睨みつけ人差し指を突きつける。
「……ったく! 今日はここで引いてやるけどね、次は絶対に負けないからね!」
「あらそう」
おや……? 『次は』と天子さんが口にしたとき、紫さんは微笑んでいました。それも、いつも浮かべている胡散臭い真意の見えない笑みではなく、自然に浮かんだ純粋なものに思えました。
「今度は私が華麗に勝つんだからね! 覚えておきなさいよ!」
「ええ、次は勝てるように頑張りなさいな」
「……敗者に掛ける言葉はないんじゃなかったの」
「あら、貴方は敗者であることを認めるの?」
「認めてない! 私は勝てなかっただけで負けたわけじゃないの!」
「言っていることが無茶苦茶ね、貴方」
なおも言い争いを続ける二人。ですが、不思議と険悪さは感じられません。むしろ、楽しんでいるふうにさえ感じられます。
それを眺める小傘ちゃんは首を傾げていました。
「仲いいのかな、悪いのかな? 不思議な関係ってやつ?」
「いえ、あれはたぶん……」
「たぶん?」
「……いや、なんでもないです。それより、汗もかきましたし皆で温泉に入りましょう」
「温泉!? 入る入る!」
温泉と聞いた途端に私に飛びついてくる小傘ちゃんに苦笑しつつ天子さんと紫さんにも同様の提案をする。
……意外とあるんだなぁ。いや身長の話ですよ? ホントですよ?
「いいわね、だいぶ汗かいちゃったしスッキリしたいわ」
「私も構いませんわ」
じゃあ、行きましょうと神社の側に作られた露天風呂まで二人を促す。
もう一人は満面の笑顔で私の腕を抱きしめるようにくっついていたので、案内する必要はなさそうですね。
「温泉なんて久しぶり、楽しみっ」
「慌てなくても逃げませんよ?」
「それくらい楽しみなのっ。あ、またバトミントンしようね。結構楽しかったから」
「はいはい」
ふと、視線を感じ横目で伺う。
「……」
羨ましそうに小傘ちゃんを見つめる紫さんを私は見逃さなかった。
◇
温泉から上がった頃には暁色だった風景も、今は日が沈み暗く染まっていた。
そして、夏の夜にすることといえば一つ。
「あっはっは! それもういっちょ!」
「天子さんそれはちょっと多いっていやー! こっち来ないでー!」
「フハハハ怖かろう!」
数個まとめてねずみ花火に火をつけ放る天子さん。火を吹きながら迫るそれから必死に逃げる小傘ちゃん。
いやぁ、夏はやっぱり花火ですよね。
「早苗ー! それっぽいこと言ってないで助けてよー! というかなんで正確に私のところに来るの!?」
「しかも脳波コントロールできる!」
それにしてもこの天人ノリノリである。というか、小傘ちゃん。慌ててるせいで気がついてないようですが、自分から花火に突っ込んでますよ。
縁側に並んで座る紫さんは、それを微笑ましそうに眺めていた。
「素直な娘ね。弄り甲斐がありそうだわ」
「それはもう。コロコロ表情が変わって可愛いですよ」
「羨ましいわねぇ」
「素直な性格が、ですか?」
「あら、なんでそう思ったのかしら?」
『何を言っているのかわからない』。紫さんの顔はそう言っていた。しかし、視線が一瞬ブレたことに本人は気がついていないようです。
「だって紫さん、天子さんへのアプローチが好きな子をイジメたがる子のそれなんですもん」
「……根拠はあるのかしら」
「わざと挑発して怒らせ勝負に持ち込む。卑怯と揶揄される勝ち方で怒らせ再戦の約束をする。小傘ちゃんは『遊んで欲しい』『また遊ぼう』の一言で済んでいましたから、それが羨ましかったんじゃないですか?」
要するに、紫さんは天子さんとただ遊びたかっただけなのだ。そのために、わざわざ怒らせてまでバトミントンをするよう誘導したり、また遊ぶ約束を取り付けるためにスッキリしない決着をつけた。
小傘ちゃんと同じ動機なのに、ここまで面倒なことをしたのは、人をからかわずにはいられない性分か、はたまた照れ隠しか。
「……はぁ、随分あっさりとまとめてしまうのね。貴方は」
ため息混じりの言葉は、肯定を示していた。
「でも、間違っていないでしょう?」
「ええ、その通り。でも間違えが一つだけ」
「え、何ですか?」
私がそう訊ねると、紫さんはずいっと顔を近づけて言う。
「別に私は天子が好きとかそういうわけじゃございません。気になっているだけですわ」
「それは好きと言うのでは」
「違います。ただ誰かが見張ってないと何をするか不安なので見張っているだけですわ。気になるとはそういう意味です」
「じゃあ、なんで遊びたがっていたんですか? 監視するだけでいいんじゃないですか」
「それは! あの子がまた寂しがって異変を起こしたら困るから……」
「それは紫さんでなくとも構わないのでは?」
「それは! それは……」
だんだんと語尾が尻すぼみになっていく紫さんの頬は、月明かりでもわかるくらい朱色に染まっていました。
もっと言いたいことはあるんですが、これ以上は私がいじめっ子になってしまうので、これだけ言わせてもらいます。
「素直じゃないですね」
「……言ってなさい」
そっぽを向いてぼそぼそ呟く紫さんの横顔は、妖怪の賢者ではなく一人の少女のものでした。
和やかで素敵な作品でした。
健康的でとてもよかったです
あと小傘ちゃんが可愛いかったです
楽しそうだなぁ。
だけど、少し退屈でした。
妖怪とか天人レベルになるとバドミントンもエクストリームスポーツになるんですかねー。