Coolier - 新生・東方創想話

あわないからあわない

2013/08/18 14:37:59
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① さほど意味のないプロローグ



「霊夢。妖怪が人間を喰らうもっとも大きな理由をご存知かしら」

「それはね。想いや気持ちや理性的な展開ではないの。結論を言えば匂いなのよ。匂いといっても単に嗅覚としての匂いではなくて、もっと妖怪の感覚的なものなのだけど。匂いという言い方があなたたち人間には一番伝わりやすいと思ったのよ」

「人間でもいるでしょう。どうしてもこの人とは合わない。逆になぜか知らないけど惹かれたり。それは匂いがなせること。なにかをしてもらったからとか、なにかをされたからという要素ももちろん少しは感情の増減に関わりがあることでしょうけれど、根源からわたしたちの肉を駆動させるのは、人間の匂いなのよ」

「だからね。霊夢。ある意味、それは運命めいたものなの。例えば世界で一番甘い人間がいるのなら、その人は世界中から愛される運命にあるの。逆に鼻をつまむような人間は世界のつまはじきにされる運命にあるの。妖怪にとって人間の価値は運命的に決定されているのですわ」

「逆に人間について述べましょう。現代社会においては、人間は匂いをできるだけ忌避する傾向にあるといえます。インターネット等の情報機器の発達は人のもつコミュニケーションのあり方を根本から変えつつあるわ」

「それはできるだけ情報というものを分散させる思想というふうに言い換えることもできますわね」

「人間にとって匂いとは五感のなかで最も現実感を与えてくれる感覚」

「人間はリアルを棄却しようとしているのかしら。ある意味ではそうかもしれない。けれど単純に――」

「嫌いな人間には会わないですむ世界を構築しようとしているのかしらね」



② 『合わないから会わない世界』



 橙は地面を蹴り上げるように歩いていた。
 イライラして、そうでもしないと不快な感覚が弾幕になって飛び出しそうだったから。
 チルノと喧嘩したのだ。
 喧嘩した理由は些細なこと。おっぱいの大きさ談義である。
 もちろん自分たちのことではない。橙にしたってチルノにしたって、そこにはどんぐりの背比べというのもはばかられるような微細な差しかないのだ。まな板どうしが平面さを比べあってもなんの意味もないことは本人たちもきづいている。そこでチルノはレティ、橙は藍を引き合いにだして勝負したのだった。
 勝負などつくはずもなかった。
 もともとレティも藍もその場にいないのに勝負などできようはずもない。想像上のおっぱいは膨らむばかりであり、チルノが自分の腕でかかえこむようにして、「これくらいおっきかった」といえば、橙は棒きれで地面に大きなわっかを書いて「藍さまのほうがこんなにおっきい」と返す。
 あとはもう売り言葉に買い言葉。
 最後は子どもらしく喧嘩別れをしたわけだ。


「ち、橙! どうしたんだその傷は」
「あ、藍さま……」
 喧嘩したことは悪いこと。
 橙の耳はちょっと伏せぎみ。怒られると思ったのだ。
 しかし藍は慌てるようにして家の中から薬箱を取り出してくると、永遠亭印の軟膏をベタベタになるまでぬりたくった。
「喧嘩でもしたのか?」
「……」
「橙?」
「はい。ちょっとだけですけど」
「橙。喧嘩にちょっともなにもないだろう?」
 藍は優しげな声で諭した。橙だって言われるまでもなくわかっている。でも、チルノの顔を思い出すとどうにも収まりがつかないのだ。
 ほっぺたがお饅頭のように膨らんだ。
 早く素直に謝ったほうがいいとわかっていても、なかなか口を開けない。まるで言葉が唇のあたりでせきとめられているみたいな感じだ。

「藍。無理強いは――よくないわねぇ」

 廊下のなにもないところから現れたのは紫だった。
 品の良いひらひらした扇子を口元に当てて、涼しげな表情をしている。

「しかし、紫さま。八雲家のものがおいそれと諍いを起こしていては……」
「まあ藍のいうこともわかるのだけど、性格って合う合わないがあるじゃない。子どもなんて素直なものだわ。特になにがあるわけでもないのに、なんとなくこの子のことが嫌いだわとか思ったりするものよ」
「そんなわがままなことでは困ります」
「確かに、ここ幻想郷では、わがままな妖怪たちがなんとか肩を寄せ合って生きていかなくてはならない。狭い狭い箱庭のような世界よ」
 
 パンという小気味音を立てて扇子が閉じられた。

「だからわたしは、ちょっぴりいいことを考えてみたの」

 橙の顔が青くなる。
 橙にとって、紫は敬愛している藍のご主人様、つまるところご主人様のご主人様にあたる存在だ。雲のうえの人というイメージである。
 藍には親のような愛情を感じているが、紫との距離は少し開いている。
 だから、橙は紫の妖しい笑みに恐怖を感じ、右足を一歩後ろに引いた。

「子猫ちゃんは怖がってる方が愛嬌があっていいわよ」
「紫さま。また何か妙なことをお考えですね?」と藍。
「妙なことというわけでもないのよ。先にも言ったとおり、ここ幻想郷は狭い世界。でもわたしの能力を使えば、最大の自由を保障しながら最小の摩擦で生きていくことができる。実に功利にかなったシステムを構築することが可能なのよ」
「でも――、いまそのシステムとやらは稼動してないわけですよね? 紫様。あえて諫言させていただきますが、実験とはもっと時間をかけておこなうものですよ」
 藍はたしなめるように声に力をこめる。
「式のくせにこしゃくね」
「式だからこそですよ」
「まあいいわ」

 紫は小さく鼻を鳴らす。とはいっても少女の仕草で愛らしさは失わない。

「藍が言うとおりシステムは稼動していない。でも『他人』である他の力ある妖怪を実験対象にするわけにもいかないの。わかるわね橙」

 突然、話を振られて橙の体は飛び上がりそうになった。
 橙は必死になって考える。まだまだ子猫な橙だが、それでも計算が強い藍の式。論理の展開はそれなりに速い。
 要するに、紫はなにか新しい実験をしたがっているらしい。それでその実験対象に身近な橙を選んだということになる。ありていに言えば、橙はモルモット役だ。猫なのにネズミのような役割とはどうだろうと思わないではないが、橙は藍を深く敬愛しているのと同様に紫に対しても愛情を抱こうと努力していた。
 どうしようもなく不気味さと怖さを感じてしまうけれど。

「わたし、やります」
「そう……いい子ね」

 ふわりと――
 質量のない手が優しく橙の頭を撫でた。
 形式上愛情を感じる動作だが、橙は恐ろしげに紫を見上げるのみだ。
 紫は不敵に微笑んでいる。妖しい。

「それでいったい何をなされるおつもりなんですか」
 藍が不快そうに聞いた。
「妖怪は匂いに敏感よね。合う匂い合わない匂いというものが存在するわ。つまり相性というものがあるわけよ。例えば、この子と氷精だけど相性で言えば最悪。この子は猫型の妖怪だから基本的に暖かいところを好むし、橙という名前はそもそも暖色。名前は体をあらわすわ。一方、氷精については言うまでもないことだけど冷たいところが好きみたいね」
「互いに相性が最悪だということですか」
「そう。不快感を覚えるタイプということになるわね」
「不快感を覚える、というのは言い過ぎかと思いますが」
「けれど、好感度の補正値というものは確実に存在する。それは証明するまでもなく、誰もが知っていることでしょう?」

 それを知らないのは、ほんのごくわずかな者たちだけ。
 例えば、無意識の少女。
 あるいは、感情自体をある程度はコントロールできる少女。
 前者は補正という枠自体が存在しないから、後者は枠自体を広げたり狭めたりできるから。
 かくいう紫も実は補正値というものはある程度自由にできた。
 一昔前のテレビのようにつまみがあると思えばよい。
 好きと嫌いの境界を操って、自分にとっての合う合わないを決定することができる。

「補正値という話は多少は理解できますが、それをどうこうするということですか?」

 藍がまっさきに考えたのは、補正の値を変化させるということだった。
 これは橙がチルノに対して抱く『合わない』という感覚自体を塗り替えることである。
 しかし、紫は否定の意を示した。

「そうではないわ。合わないなら会わなければいいのよ」
「そんなことが……」
「可能か? 愚問ね。限定的とはいえできるからこそ試すわけでしょう」
「しかし――」
「あなたは今回は被験者ではない。下がっていてもらおうかしら」
「……わかりました」

 もともと式神である藍に主の決定事項をどうこうする権限などあるはずがなかった。
 しかし、それ以上に橙自身がやるといったのだ。
 ここで自分自身がしゃしゃりでても、事態をややこしくするだけ。
 紫もなんだかんだといって橙自身を害するようなことはしたことがない。

「さて、藍とのやりとりを聞いていて、どういうことをするかわかったかしら?」
「はい、えっと……私とチルノちゃんが会わなくなるということですよね?」
「そう、あなたというブラウザはフィルタリングされる」
「え?」
「わかりにくい表現になってしまったかしら。ならもっとわかりやすく表現するわ」


――あなたは、あの氷精を殺すのよ。



③ スペルカードルール



 橙は実のところ藍や紫といっしょに暮しているわけではない。
 藍はよく迷い家に来るが、それとて毎日というわけではない。
 なんだかんだいって妖怪は自立した存在である。
 ただ、それでも橙はまだ子どもで、だから誰か遊び友達が欲しかった。
 よくいっしょに遊ぶのはチルノや大妖精のほか、
 リグルやルーミア、ミスティアといったある程度子どもっぽい妖怪や妖精などである。
 どこで遊ぶかというと、これも特にどこというわけではないのだが、人里の寺子屋あたりが一番多いだろうか。
 実験は特に何事もなく始まって、そのあまりにもなんともない感じに、逆に橙は不安な気持ちを覚えた。
 不気味にうっすらとした笑いを浮かべながら、「はい、始まった」というものだから訳がわからない。
 本当に何かが変わったのだろうか。
 確かに朝からチルノにはまだ会ってないが、しかしそれだってこんな狭い幻想郷のこと、いつかは必ず会うだろう。
 もしかしたら、視覚をいじられて認識できなくなっているのかしら。
 実験の概要については教えられたものの、いったいどうやってそれを成すかとか、どういうレベルで会わなくなるのかはまったく教えられていない。
 そもそも教えてほしいと願っても教えてもらえるかは謎である。

「まあいいや。今日はどこいこうかな」

 寺子屋に行ってみよう。
 橙は無意識に足を延ばす。
 いつものようにフラリと寺子屋に立ち寄ると、すでに慧音の授業は始まっていた。
 人間の子どもたちに交じって、幾人かの妖怪や妖精も授業を聞いている。
 ただ、人間の子どもたちは基本的に朝からしっかりと授業を受けに来るということが多いのだが、妖怪や妖精の場合は別だ。
 決まった時間に来ないのである。
 妖怪や妖精は基本的に自由を体現したような存在だ。
 人間とちがって、ルールというものに対する感覚が非常に薄い。
 慧音もここらは多少は大目に見ているようで、橙の姿を一瞥すると、早く席につくように促した。

「さて、いままで幻想郷の歴史を振り返っていたわけだが、いよいよスペルカードルールについて話を進めよう」

 慧音の話を聞いて、まず橙が思ったのは
――まずい時間に来た
 だった。
 よりにもよって歴史とは。
 慧音の最も得意とする歴史の授業は普段より話が長くなるのは必至。
 そして、睡眠作用があるのではないかと思うぐらいに、眠くなるのも必至。
 すでに何時間も話を聞いているであろうそこかしこにいる生徒たちは、よく見ると教科書を盾にして不動の態勢で眠りに落ちている者もいる。
 しかし、よく考えてほしい。
 この寺子屋は畳張りなのである。
 そして低い机が置いてあり、そこにつっぷして寝るということは基本的にできないし、目立つ。
 先ほどの眠っている姿の生徒は、教科書を顔のところまであげており、それで寝ているのである。
 というか、その態勢で寝れるというのがさりげにすごい。

「さて、スペルカードはみんな知っているな。知らないという者がいたらすみやかに手をあげるように。よし、いないな」

 それはそうだろう。
 スペルカードルールというのは幻想郷の数少ないルールのうちの一つである。
 そして、人妖のバランスを図るための最大の禁忌ともいえる。
 このルールを破った者は退治どころか絶滅させられる。つまり、存在を完全に抹消されるのが通例である。

「スペルカードルールは基本的には脆弱な人間を守るためのルールであるとともに、妖怪が適度に自分の存在を保つための方策である」

 それもまた常識である。
 人間の肉体はそこらの木端妖怪にさえ太刀打ちできないほど脆弱なのが通例である。
 もちろん阿求のように知恵では負ける面もあるし、霊夢のように例外的に最強な巫女がいたりするのだが、それらはあくまで例外だ。
 人間は弱いので殺傷能力を極小にした弾幕によって勝負を決する。
 そして妖怪のほうは力を行使することで、自らが鈍ることを防止する。

「でも、先生」と橙は手を挙げていた。
「なんだ?」
「どうして、妖怪はそのルールを守るんでしょう? だって力が鈍らないようにするには全力でいったほうがいいじゃないですか」
「まあ確かにな。しかし、全力でいくと人間のほうが死んでしまうだろう」
「人間が死んでも妖怪は困らないですけど」
「個人レベルではそうかもしれないが、人間が一人残らずいなくなると、妖怪も存在できなくなる。妖怪は精神を礎としており、いわば人間の心が生み出したモノだからだ」
「だったら――、妖怪は人間を……」

 飼っている?
 と、そこまで計算することはたやすかった。
 しかし、おそらく主犯である紫のことを考え、またこの場に人間の子どもも数多くいることから、言葉を濁した。
 慧音はそれだけでさとったのだろう。
 フッと力を抜いた笑いをみせる。

「ここの人間は妖怪を好いているのだろうな」
「人間が妖怪を好きなんですか?」
「好きという言葉も違うかもしれない。合うのほうがもしかすると近いかもしれない。幻想郷の人間は妖怪と気が合うものが多いのではないか? だからこそここにいるのだろう」

 つまり幻想郷の人間はみんなマゾいということで一応の結論をみたのである。
 しかし、本当にそうなのか橙にはわからなかった。



 ④ 古明地こいしの『殺人鬼にも殺人禁止がルールとして必要な理由論』



「慧音先生は嘘つきだからね」

 帰り道で、いきなり声をかけられ橙は後ろを振り返った。
 そこにはエメラルドグリーンの瞳の少女。
 どこかで会ったような気もするが思い出せない。

「あ、違った。世の中の大多数は嘘つきで、慧音先生もその集合に含まれる、が正しい言い方だった」
「誰?」
「忘れたの。やだなぁ。わたし、こいしだよ」
「こいしちゃん?」
「そう」
「初めまして?」
「えー、そうかなぁ」
「そうだと思うんだけど」
「そっか。まあいいや。初めまして。古明地こいしと申します。何卒宜しくお願い申し上げます」
「これはこれはご丁寧に」

 って、違う。
 明らかに作った演技っぽい仕草である。
 こいしは小さく笑った。

「まあそれはそれとして、私もちゃんと寺子屋にいたのよ」
「そうなんだ」

 いたっけ?
 と思ったが黙っている。いたというのならいたのだろう。

「それで?」と橙。
「それでって?」
「慧音先生が嘘つきって話」
「ああ、スペルカードの話」
「ん?」
「幻想郷の人間は妖怪のことが好きだから、食べられちゃっても我々の業界ではご褒美です理論」
「んー。確かにあれはちょっとうさんくさかったかな」
「本当はね。人間を食べるために食べてはいけないというルールができたんだよ」
「なにそれ。矛盾してる」
「お、橙ちゃんは結構計算が速いね。あ、そうか。それのせいか」

 式。
 橙の存在形式にくくりつけられているそれは、橙自体と密接不可分にして最強の計算機である。
 こいしはひとり納得していたが、橙にとってはどうでもよかった。
 それよりも興味があるのは、スペルカードルールの由来だ。

「どうして、人間を食べるために食べてはいけないルールができるの?」
「まず、グループを二つに分けてみましょう。人間と妖怪。妖精とか天人とか不死身人間とかそこらは省いてね。だいたい二つに分けたら人間と妖怪。ここまではいい?」
「余裕」
「人間からすれば、まあひとりふたりぐらいは食べられたいって人もいるかもしれないけど、大多数は食べられたくないよね」
「そうだね」
「じゃあ、妖怪側なんだけど、妖怪は人間を食べたいよね」
「そうだね」

 まあ、精神を食べたり、別に食べなくてもいいやと思ってるやつもいるので一概にはいえないが、これも多数派としては食べたいという類型なのだろう。

「じゃあさ。妖怪側としては食べちゃダメってルールがなかったほうがいいように思えるよね」
「そりゃそうだよ。ルールなんて無いほうがいいに決まってる。好きなときに好きなように食べたいはず」
「でもさ。みんなが好き勝手に人間を食べちゃったら、人間は警戒するし、防備を固めるし、数も減っちゃうし、強い妖怪が独り占めしちゃうかもしれないし、要するに大多数の妖怪からしてみれば、ね。どうなるかわかるでしょう」
「そうか、人間を食べていけないというルールがないと人間を食べたい妖怪も人間を食べることが難しくなるということか」
「そうそう♪」

 こいしが何かをまねるように嬉しそうに返事をする。
 つまり、幻想郷の人間はべつに食べられてもいいマゾではなく、
 単純に選択したのだろう。
 個々人が食べられる可能性はあっても種として存続するために、人間は妖怪と共犯になったのだ。

「飼っているとか飼われているとかじゃなくて、共生しているのかなぁ」
「それもまた多数派としてはそうだねってだけだからね」
「こいしちゃんは違うの?」
「そう。共生でも殲滅でもないよ。私は単に隣にいて覗き見しているだけだよ」
「それで楽しいの?」
「かかわりあうのが楽しいというのは、その人の趣味趣向の問題だからね。私はそういうのはあまり趣味じゃないの」
「見るのは好きなくせに?」
「見られるのもわりと好きよ」
「じゃあどっちなのよ」
「言葉を交わすのは嫌い」
「じゃあ今のこいしちゃんは誰と話してるの?」
「んー。空気?」
「私の名前は橙っていうの」
「うぐ」
「友達になろうか。こいしちゃん?」
「お、覚えてろ!」
「え? なんでそんな三下セリフ……」

 いつのまにやら、こいしの姿はなかった。
 どうやら自分の心の隙というかなにかしらを突かれたせいか、挙動不審に陥ったのだろう。
 さりげにこいしの存在にクリティカルダメージを与えているのに、橙はまったく気づいていないのだった。
 そして、こいしがまだそばにいることにも。
 それにしても、と橙はこいしのことを思い出しながらクスリと笑う。
 覚えてろとは、聞きようによっては「友達になりたい」の換言ではないか。



 ⑤ 古明地こいしの『人妖工学理論』



 妖怪は基本的に我儘だ。
 自分がしたいようにやりたいのが逃れようのない性質である。
 それにしたって、本当にやりたいようにやっていたら衰弱し、場合によっては死んでしまうかもしれない。
 自制する力があるからこそ、スペルカードルールは成ったということだろう。
 ただ、本質的には我儘な妖怪がどこまで自制心を発揮できるかは謎だ。
 現に橙もどこぞのネズミ妖怪を見かけたときは思わず、オレサマオマエマルカジリとばかりにとびかかりたい衝動に駆られたものだ。
 そのときはなんとか自制したが、ともかく、自分の性質を知り、コントロールすることが肝要である。
 なかなかに難しいが、それでも狭い幻想郷では、そういった自制心はたびたび求められるものだった。
 セミが遠くで合唱している。
 寺子屋は蒸し風呂のような暑さだった。
 夏のうだるような暑さの中、そんなとりとめのない思考をしてしまうのも致し方ないことのなのかもしれない。
 ここには紫の部屋のように冷たい風を出す機械などないのだから。

「ねえ。大ちゃん」
「ん。なに、橙ちゃん」
「最近、チルノちゃんに会ってないんだけどさ。なにしてるか知ってる?」

 ふと気になったのだ。
 すでに二週間は会ってない気がする。
 暑いからチルノの作ったかき氷でも食べたいなと、なんとはなしに思ったのである。

「え、チルノちゃんならいつもの湖にいるけど? そういえば、橙ちゃんとチルノちゃん喧嘩したって聞いたよ。ダメだよ早く仲直りしないと」
「別にたいした喧嘩じゃないよ。いつものことだし」
「そう?」
「チルノちゃんが私を避けてるってわけじゃないよね?」
「え、違うと思うけど」
「最近、寺子屋来てないけど」
「橙ちゃんがいないときに来てるけど」
「えー、そうなの?」

 確かに毎日、寺子屋に来ているわけではない以上、行き違うこともあるだろう。
 しかし――、
 ほんのちょっとだけ。

 

 橙はぼんやりと空を見つめた。
 どこまでも突き抜けるような青い空だった。

「どうしたの?」
「えっと、わかった。別になんでもないの」
「ふぅん」
「あのさ……」

 おずおずと橙は切りだした。

「なに?」
「今日さ。チルノちゃんを寺子屋に連れてきてよ。私、ここで待ってるからさ」
「チルノちゃんのお家にはいかないの?」
「うーん」

 それだと不在の可能性が高まる気がするし、どちらかというと大妖精に連れてきてもらうほうが可能性が高いような気がした。
 もちろん、それは実験結果をゆがめるものであり、ひいては紫への背信行為にあたることを、橙は薄々とだが理解していた。
 それでも、紫の『合わないから会わない』世界の強度を試したいという気持ちもあって、その気持ちをよりどころにして、橙はほとんど無意識に提案したのだった。

「わかったよ。チルノちゃんを呼んでくればいいんだね?」
「うん。お願い」

 寺子屋の授業は一コマが何分というふうに正確には決められていないが、
 いつの時代も子どもの集中力というのはだいたいのところ半刻くらいが限界だというのが相場である。
 半刻後、ひとつの授業が区切りを見せたときに、大妖精は授業を抜け出して、チルノのもとへ向かった。
 橙は半ば恐れにも似たような気持ちで帰りを待ちわびた。
 夕日が傾いて、窓から射しこんでいる。
 恋人を待ち焦がれるような気分。
 もしかしたら、来ないかもしれないという恐れ。
 その二つの心で橙の二股の尻尾は激しく揺れ動いた。
 果たして、大妖精は帰ってきた。

「ごめんね。橙ちゃん」
「チルノちゃんは?」
「チルノちゃん、いなかったよ」
「家にいなかったの?」
 と、橙はまくしたてるように聞いた。
「うん。家にいなかった。ついでに湖にも行ってみたんだけど、やっぱりいなかったよ」
「そう」
「ごめんね。橙ちゃん。明日、また呼んでみるね?」
「いいよ。今度は私が会いに行ってみる」


 帰り際に、またふわふわと空中に浮かんでいるこいしに会った。
 少し気落ちしていたので、なんとなく友達候補にあえて元気になれた気がした。
 相手がどう思ってるかはわからないが。

「橙ちゃんに問題です」
「いきなりだね」
「問題は待ってはくれないのだ!」
「どうぞ」
「人の行動を制御する最も効率的な学問はなんでしょう」
「心理学?」

 即答である。
 これは式であるがゆえの高速計算であった。

「それも関係あるけど、残念ながら間違いです」
「じゃあ、なに?」
「答えは工学です」
「工学?」
「そう。人間にも妖怪にも無意識があるでしょ? その無意識に働きかけるのが工学なの」
「よくわかんないな」
「人間は道があれば、そこに沿って歩きたくなるものだよね」
「まあ、それはそうかも」
「それが工学なの」
「うーん?」
「外の世界にね。列車っていう乗り物が走ってるんだけど知ってるかな?」
「知ってる」

 確か、紫様が攻撃手段として召喚したりしていたような。

「列車は公共交通機関だから当然運賃が必要になるんだけど。昔はねキセルっていって、無賃乗車が後をたたなかったんだって」
「ふうん」
「それで、人間たちが考えたのは、腰の高さぐらいのゲートを設けることだったの」
「そんなんじゃすぐに乗り越えられて……」
「乗り越えられないんだよ」

 こいしは暗い湖の底から響くような声をだした。

「人間には、その程度の高さも乗り越えられないの。なぜなら、腰の高さぐらいあるゲートを乗り越えるには、周りのみんながやっていない、すごく奇妙な行動をとらざるをえないから」
「それが無意識に働きかける工学ってわけなの?」
「そうそう♪」
「もしかして、『合わないから会わない』のもこいしちゃんのせい?」
「そうだよ」

 軽い口調で、こいしは爆弾を投下した。

「ほんのちょっとでいいんだよ。なんとはなしに足をそちらに向けてみよう、といったような、風の一押し程度の圧力でいいの。それだけでだいたいの行動は制御できるし、管理できる」
「管理?」

 橙は不快さを隠さなかった。
 自分の行動がたとえ一ミリでも誰かに制御されているなんて思いたくない。
 射命丸が時折書きたてるような陰謀論なんて笑いのネタ程度にしか思っていなかったが、今は具体的な行動が阻害されているのだ。

「べつに橙ちゃんの行動が阻害されているわけでもないし、意思をどうこうしているわけではないよ。結果としてゲートを乗り越えないのは橙ちゃんの意思なわけだし」
「それでもゲートが本来無いところに作ったのはこいしちゃんなんでしょ」
「紫お姉ちゃんに頼まれちゃったんだもん」
「いつのまに……」

 仲よくなってやがる。
 と思ったものの、それは今回の本筋とは関係がない。
 ともかく、こいしがしているのは無意識の制御である。

「解除する?」

 こいしは訊いた。
 一片の悪意もない純粋な瞳。
 ただし、底の見えない瞳でもある。

「いいよ。紫様から頼まれたの。実験結果をどうこうする権限は私にはない」
「じゃあ、なぜチルノちゃんを呼んだのかな?」
「そ、それは……、べつに私がどうこうしてはいけないということも聞いてないから」
「ふうん。つまり、システムを根本から壊したりはしないけれど、自分の意思で逆らってはみるってことね」
「そういうこと」
「おもしろいなぁ。その無意識はいったいどこからきているのだろう」

 こいしは空をぼーっと眺めながら、またもやどこかに行ってしまった。



⑥ あまり意味のない幕間

「ふわりんぐ」
 こいしが降り立ったのはよくわからない場所のよくわからない家だ。
 迷い家ではない。
 じーっと中を見る。
 そしたら、中から声が響いた。
「入ってらっしゃいな」
「お邪魔します」
「まさにお邪魔だわね。あなたこんなところにも入ってこれるのね」
 中にいたのは八雲紫で、ここは紫の家だった。
「ん? この声どこかで聞いた覚えがある気がする!」
「記憶力もいい。165に3367をかけるといくつかしら」
「55万5555です。5が6つで語呂がいい!」
 即答である。
 こいしの認識する力と計算する能力は並の妖怪を超えている。
 その分、並の妖怪よりも破綻している部分が多いのであるが。
「計算もお上手だこと」
「えへへー」
「でも」紫はセンスを広げて口元を覆う。「他人の家に不法侵入するのはいただけないわ」
「入ってきなさいって言ったよ」
「ふむ。あなた、私が声をかけないでもそうしたでしょう?」
「わからない」
「そう、わからない。なぜならあなたには常識が欠けているから」
「非常識」
「違うでしょう。あなたの場合は、無常識」
「んー。正解かも。それで?」
「そうね。チーズケーキなんていかがかしら」
「なにそれ?」
「甘いお菓子よ。女の子に人気の」

 女の子というところを強調する紫。
 こいしは目の中にハートマークを浮かべた。

「甘いの好きだわ。わかった。お姉さんは私に甘いものを供給するために生まれてきたのね」
「そういうことにしといてあげるわ」

 苦笑としか言いようのない表情を浮かべて、紫はスキマに手を突っ込んだ。
 藍はいない。橙のところにでも行っているのだろう。

「ほら、これよ」
「もぐもぐ」

 こいしはサメのような勢いでチーズケーキを駆逐していく。
 この姿だけ見れば、普通のかわいらしい女の子であるが、
 しかし、β領域結界を抜けてこられるなど、普通あってはならないことなのだ。
 それは中枢自我を持つものには抜けることは不可能な結界。
 死ぬか自分を忘れるほどに存在が希薄にならなければ不可能。
 あの博麗大結界の縮小版ともいえる。
 それをいともたやすく抜けてきたということは、こいしには中枢自我がないということになる。
 それなのに、行動している。自動的にという様子もない。
 意思があるように見えるのに意思がない。
 ちいさすぎて見えないのか。
 それとも……。

「チーズケーキさんがお亡くなりになりました」

 こいしは空になったお皿を両手で持って、何かをアピールしているようだった。

「もう一個欲しいのかしら」
「もってけ泥棒」
「それはこっちのセリフだわ」

 ただチーズケーキ程度。どうでもよい部類である。
 紫は再びチーズケーキを目の前に置いた。
 それを再び食べるのかと思っていたが、こいしはチーズケーキをグサっとフォークで突き刺すとおもむろに洋服のふんわりした袖の中に入れようとした。

「ちょっとちょっと汚れるわよ」
「んー。お姉ちゃんにも食べてもらおうと思ったのに」
「服の中、ぐちょぐちょになるわよ」
「お姉ちゃんに服ごとちゅーちゅーしてもらおうかしら」
「はしたないことはやめなさいな。タッパ用意してあげるわ」

 スキマから取り出したのは、なんのことはない普通のタッパである。
 人里からすればちょっとだけオーバーテクノロジーであるが、これもたいしたものではない。

「そのタッパって常備してるの?」
「そうね。淑女たるもの、無駄なものは出さないものよ」
「なんか、それ、近所のおばさn」
「 」
「ありがとう」

 なぜか、こいしはすぐさま感謝の意を伝えたのだった。

「ところであなた、なぜあっちへこっちへとフラフラしているのかしら」
「えー、フラフラしたいから?」
「それじゃあ理由になってないわ」
「そこにフラフラがあるからだ!」
「もっと意味が不明だわ。あなたは誰かに会いたいと思っているのかしら」
「うーん。違うよ。だって私は嫌われ者だもん」
「あなたは嫌われたくないからその覚りの瞳を閉じたんじゃないの」
「そうだけど?」
「嫌われたくない。というのは逆に言えば、誰かに好かれたい。友達になりたいということじゃないかしら」
「それは違うよ。私は私の見たいものを見たいだけなの。どうして傍にいたら、友達になるか敵になるかの二択しかないの」
「無関係にただ観察したいだけって言いたいのね」
「そうだよ。実はこっそり観察日記をつけてるの」
「それは矛盾しているわねぇ」
「え、どこが?」
「会話してるじゃない」
「してるかなぁ」
「あなた、たびたび気に入った子に声かけてるわよ」
「観察していたはずのこいしが観察されていただと」
「このスキマを使えば大概のことはできるわ」
「お姉さんはストーカーさんだったんだぁ」
「たまたま目に入っただけ。ともかくあなたは会話してるじゃないの。観察対象に声をかけるなんて、やっぱり友達を作りたいんじゃないの?」
「友達を作るのはプラス要素じゃない。嫌われないというゼロとは違うよ」
「結果としてゼロになったということを言いたいんじゃないわ。とたんに計算能力が落ちたわね。いや、落ちたふりをしているのかしら。ともかく、あなたがどうしたいかを聞きたいのよ。覚りの瞳を閉じることで、あなたは嫌われないし好かれもしないゼロになった。それはいいとして、ではあなたはゼロのままでいいの? 声をかけて友達を作りたいというのなら、あなたはプラスを目指しているんじゃないの?」
「……古明地こいしが話す言語は対象の話す言語とは根本的な規格が異なるため、通じているように見えるのは対象の誤解に過ぎず、古明地こいしと対象とは一言も通じ合ってはいない。ただ、音と音がそばで響きあっただけ」
「本当にそう思う?」

ふわりと質量のない手を乗せられた。

こいしは混沌を混ぜこんだようなエメラルドグリーンの瞳にさらに深みを帯びさせて、

「わからない」

 と答えた。

「なら、実験してみましょう?」

 それはとても簡単な話。



 ⑦ 橙VS紫



 次の日、橙はチルノの家に行ってみた。
 妖精の家は森の中に作られることが多いが、チルノの家は湖のほとりにある。
 かまくらのようなドーム状の家である。

「アー。こほん。チルノちゃんいる?」

 ドンドンとドアをノックする。
 しばらく待ってみるが反応はない。
 おかしいと思い、窓から中を覗き込んでみると、やはり誰もいない。
 昨日から帰っていないのだろうか。
 書置きらしきものもないので、どこにいるかはわからない。
 そこらを飛んでいた妖精に聞きこみをしてみるも、手がかりは一切なしだ。
 そもそも記憶力の乏しいミニサイズの妖精だと、昨日のことを覚えているかも危うい。

「誰かいないかなぁ」
「誰かを探しているの?」

 湖からぴょこんと頭を出したのはあまり目立たない妖怪の人魚である。
 おいしそう、とちょっとだけ思ってしまったのは内緒である。

「あの、チルノちゃんって知ってます?」
「あー、氷の妖精ちゃんね。知ってる知ってる」
「どこ行ったか知りませんか?」
「あの子、夏になると水浴びして涼んでいくことが多いわね。あとは妖怪の山のてっぺんあたりとかに雪が残っているところとかあるらしいから、そういったところじゃないかな」
「ありがとうございます」
「友達なの?」
「……はい」
「友達に会えなくて寂しいのね」
「そういうわけじゃ……」

 橙は自分の声が小さくなっていくのを感じた。

 とぼとぼと家路を辿りながら、橙は考えていた。
 たった二週間で、チルノに会えないだけで、
 なんでこんなに寂しいんだろうと。
 いや、違う。
 なんとなく自分の行動が阻害されているようで、それに反発しているだけだ。
 これは、そう紫様との戦いなんだ。
 無謀すぎるうえに、勝てるはずもない戦いであったが、それでも橙は反骨精神あふれる猫の化身である。
 そのままの足で紫の家へと乗りこんだ。



「予想からすると、三時間五十六分ほど遅いわね。まあこんなものかしら」

 紫はあいかわらず幽雅に縁側に腰掛けている。
 橙がこちらに来ることも織り込み済みだったとでもいうのだろうか。
 いまさらながら恐怖に汗が背中を伝ったが、よくよく考えてみれば、橙が来てからそれっぽいセリフを言えば、
 嘘でも本当になるような類のものである。
 その言葉自体にはたいした意味はない。

「まあいいわ。それで、いったいなにしにきたの」
「私はこの『合わないから会わない世界』は間違っていると思います」
「これは驚きました。チルノに会わせてほしいとか言うつもりでしたら、すぐさま設定を解除し、氷精と水浴びでもしてくるように言ったのに。私に諫言するなんて」

 メキメキと扇子のきしむ音がする。

「分もわきまえない式風情が、疾くこの場から往ね!」

 それは言葉の弾幕としか呼べないものだった。
 ありったけの妖力がこめられた言霊に、橙の全身が硬直する。
 それでも、橙は一歩前に進んだ。

「私は私の意思でチルノちゃんに会います」
「嫌な顔をされるかもしれませんよ?」
「それでも」
「あなた自身も会いたくないと思っていたじゃない。元の木阿弥というやつよ」
「それでも」
「それより新しい友達を作ったほうが生産的じゃないかしら。たとえば、そう……古明地こいしとか、あなた好みのふわふわした感性を持っているわ」
「それでも」

 橙は言った。

「それでも、私はチルノちゃんと友達でいたいんだ!」

「あなたの意思はわかりました。
ですが、それがシステム的な瑕疵に繋がるわけではありません。
このシステムの最大の肝は『最大多数の最大幸福』であるということはわかりますね?
この幻想郷においては様々な感性を持つ多種多様な妖怪、人間、天人、神、魔女、聖人といった種族が暮らしています。
ですから、このまま幻想郷内の思想の圧力が上がりすぎると、いずれはパンクしてしまうでしょう。
争いが絶えなくなるのです。
ですが、幻想郷は狭い世界。だから会わないことが必要。
任意にコミュニケーションを断絶し、殺すことができなければ、いずれは本当の肉を伴う殺し合いにまで発展してしまうでしょう。
あなたはその争いをどうやって止めるというの?」
「いいじゃないですか。争えば。どうして無理やり相手と話さないことで解決しようとするんです。それって仲良くなる可能性や仲直りする可能性を考えてないじゃないですか」
「あなたのほうこそ考えが足りないわ。よく考えてごらんなさい。あなたとチルノはたまたま『合わない』の強度がたいしたことなかっただけよ。合う部分も少しはあった。人間や妖怪の合う合わないはデジタルなものではないから、その強度も異なるものよ。だとすれば、絶対的に無理というレベルで相容れないことだってあるでしょう。その人たちが隣り合っていると、幻想郷は争いばかりが起こりかねないわ。たとえばの話、西洋の悪魔と神が隣人の場合どうなるかぐらい想像がつくでしょう? いやしくも八雲の名を継ごうとするものならば」
「それでもいつかは仲良くなるかもしれません。その可能性をこの世界は奪ってしまいます」
「このシステムが無ければ、逆に周りが迷惑するのよ。あなたが考えているのは仲違いしている二人が仲よくなったとして、救われるのは二人の当事者だけだけども、その場にいた周りの者たちは、二人が仲良くなる可能性に賭けてじっと耐え忍ばなくてはいけないというの? そんなバカな話はないわ」
「喧嘩しそうになったら周りの人に助けてもらえばいい、大ちゃんは早く仲直りしたほうがいいって言ってくれました。私も大ちゃんとチルノちゃんが喧嘩したら、やめようって言うことはあります」
「持ちつ持たれつのルールがあるということね。まあそれはいいでしょう。既存のルールとして摩擦を最小にしようとする動きがあるということは別に問題にしてないわ。だけど、その既存のシステムが『合わないから会わない』というシステムよりも優秀と言えるかしら。仲良くなる可能性よりも喧嘩をしない静かな教室のほうがよくないかしら?」
「違います!」
「どう違うか論理的に述べなさい」
「仲がいい子ばかりじゃつまんないです。時々は仲の悪い子とも遊んだりしたいです。仲の悪い子のいい部分を見つけたりして、やっぱり気に入らない部分は気に入らないって言ったりして、相手もたぶん私のどこかが気に入らなくて、喧嘩して、それでちょっと自分を変えていって、その子のことをもっと知りたい!」
「本当に驚きました。あなたはもはやこう言ってるに等しい。『私は友達と喧嘩がしたい』と」
「そうです。私にチルノちゃんの横っ面を助走をつけて殴る権利をください」
「あ、は、は、は」

 紫は笑った。
 いつもの怪しさも幽雅さも忘れたかのように。

「まあ今回は良しとしようかしら。行きなさいな。氷精なら今は湖の自宅近くにいるわ」
「失礼いたしました!」

 橙は後ろも振り返らずに駆け出した。

「本当に元気の良い子猫ちゃんだこと。ねえ、そう思わない藍?」

 ふすまの奥から現れたのはいままで隠れていた藍である。

「橙は良い子ですよ。式を実験動物扱いするどこかの誰かさんと違って」
「あらあら。手厳しいわ。でも、これで終わりじゃないの」
「まだ何かあるんですか?」
「あの子が作る無関係の結界が残っている」
「あの子? 地霊殿の妹君ですか」
「そうよ。ねえ、藍。人が人を好きになったり嫌いになったりするというのは、実際のところ数値的な比較衡量に過ぎないのではないかしら」
「それは私にはわかりかねます」
「まあいいわ。もう実験も終わり。幻想郷は今日も平和だった。まる」
「もう、投げやりなんですから」



 ⑧ 古明地こいしは『友達を作る』夢をみるか?



 橙は精いっぱい駆けていた。
 自分の躰がこれ以上の速さで前に進まないのがもどかしい。
 早く会いたい。
 それだけの想いが前へ前へと後押しする。
 愛しさとか、友情とか、そんなんじゃなくて、
 仲直りしたいとか、そんなんでもなくて、
 ただ、顔を見たかった。
 草をかき分けて、木々の間を飛び回って、自分が飛べることに気づいてからは飛行に切り替えた。
 あと少しで湖につく。
 と、そこで――。

「橙ちゃん」

 呼び止めたのは大妖精だった。

「ハァ……ハァ……ど、どうしたの?」

 駆け通しだったために呼吸が整うまでしばらく時間がかかった。

「あの、あのね」

 大妖精は何かおどおどしているようである。

「どうしたの?」

「おちついて聞いてね。藍さんが倒れたって」

「え?」

「八雲藍さんが倒れたって連絡があったの」

「誰から?」

「クラスの子」

「なんていう名前の子?」

 橙は殴りかかりそうな勢いで大妖精に詰め寄った。

「わかんない。知らない子だったから」

 すでに大妖精のほうが泣き顔だ。
 
 泣きたいのはこちらのほうだった。
 
 誤報かもしれない。

 それでも。

 藍様が倒れたかもしれないなら、確認しなくちゃ。

「わかるわ。その気持ち。私には珍しく共感できる。友達よりも家族のほうが大事ってこと」
「こいしちゃん、どうして?」
「どうしてここにいるのかって? だってずっとストーキングしてたから」
「姿見えなかったけど」
「ステルス能力高いのよ」
「そう。……じゃなくて、藍様が倒れたって話」
「本当かって?」
「こいしちゃんが作り出した誤報じゃないの?」
「うん。誤報だよ」
「なんで? そんな嘘つくの。じゃなくて、すぐばらしちゃうの」
「私はべつにどちらでもよかったの。橙ちゃんとチルノちゃんが仲よくなったり喧嘩したままだったりしても、それはそれでひとつの観察だから。私は私が『友達を作りたい』のか知りたかったの」
「その最終確認のために、こんな嘘をついたの?」
「そうだよ。たぶん」
「それで結果は?」
「わかんなーい」

 どうにも力の抜ける受け答えである。

「わかってるよ。だって、こいしちゃんはこのまま姿を現さなければ、『合わないから会わない世界』を達成できたんだし、それをしなかったということは、『合いたいから会いたい世界』を心の底では望んでいるってことなんじゃないかな」

「そんな暴力的なことを考える脳みそなんて処罰すべきだわ」

「意味わかんないんだけど」

「考慮しておきます。善処いたします」

「全然達成される見込みのないことのように思えるんだけど」

「こいしさんはおっとなーですから」

 胸に手をあてて、フフフと無駄に偉そうだ。
 まだまだ曖昧にしておきたいところなのだろう。
 その事情はわからない。
 だが、可能性が残っているならそれでいいと橙は思った。

「まあいいや。こいしちゃん、またね!」
「覚えてろ!」



 ⑨ チルノ



 いた!

 チルノは湖のそばでかき氷を作っていた。
 それで、リアカーのようなものをひいて、妖精たちに配っていた。
 普段、寒がりの妖精たちもさすがに夏には暑いらしく、甘いお菓子に近いかき氷が好きらしい。
 橙がおずおずと近づくと、チルノは何も言わずに、視線すら合わせずに、
 けれど、なぜかイチゴ色をしたかき氷が目の前にあった。
 差し出されたからだ。

「ありがとうね。チルノちゃん」
「夏ぐらいしか氷の価値ないからなー。みんな寒がりだし」
「そんなことないよ」
「そんなことあるよ。冬になると、こいつらあたいの傍にはぜんッぜん寄りつきもしないんだよ」
「妖精はお子様だからね」
「橙もじゃん」
「ええ?」
「冬になると露骨に避けるじゃないの」
「そうだっけ」

 確かにそうかもしれない。
 猫はこたつで丸くなるのが基本なのだ。
 氷の傍にわざわざ近づきたくなる猫なんていない。

「ごめんね」
「別にいいよ。もう慣れたし。夏ぐらいは涼んでいってくれれば」
「ごめん」
「さっきからそればっかだなあ。語彙が貧困だぞ」
「二週間くらい前に喧嘩したよね」
「そんなことあったっけ?」
「覚えてないならないでもいいんだけど、それ謝りたくて」
「べつにいいんじゃない? 覚えてないんだし。喧嘩したってんならお互い様だろうし。今のかき氷でチャラでいいし」
「私、かき氷もらっただけだけど」
「受け取ってくれたじゃん。それより早く食べなよ。さすがにあたいの氷も夏の暑さには負ける」

 シャクリと自前のスイカバーにかじりつくチルノを見て、
 橙もまた同じようにかき氷を口の中に入れた。

 実のところ猫型の妖怪である橙は、猫がそうであるようにほとんど甘味というものを感じない味覚であったのだが、
 それでも夏の陽光にも負けないほどの冷気が、頭の中を加速して、キーンという音を出すにいたり、
 天空を飛翔するような爽快感と、この上ない味を感じた。

 そしてもっとチルノと友達になりたいと思った。



 ⑩ 特に意味のないエピローグ



「外の世界がどうなっているかなんて知ったこっちゃないし」

「人間の属性がどうだとか、妖怪の属性がどうだとか、匂いがどうだとかいう話もどうだっていいわ」

「でもね。合わないやつと会わないで済む世界なんてどう考えても達成できるわけないでしょ?」

「紫。そもそも合う合わない以前に会いたいがあるのよ」

「不思議なことにこの世界に住んでいるすべての命ある存在は、それがあるみたい」

「それはなにかって?」

「そんなのわかりきってるでしょう」

「あんたのチンケな思想なんて、子猫一匹の『好奇心』にすら打ち勝てはしないんだわ!」
SFなのに科学的記述がないと思ったあなた。
おっしゃるとおり。
しかし、センスオブワンダーがあればSFだというのがまるきゅーの定義です。
センスオブワンダーとは何かと問われれば、
世界をのぞき穴からのぞき見る感覚?

そんな感覚をみなさんに抱いてもらえればSFだと思っております。
まあ裏でしたことは紫さんスキマで連絡とりまくり、
こいしちゃんストーキングしまくりなだけなんですけどね。

修正しました。ありがとうございます。
さらに修正しました。ありがとうございます。
超空気作家まるきゅー
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コメント



0.1340簡易評価
1.100名前が無い程度の能力削除
5が5つで語呂が

スペルカードルールの話がどう関わってくるのかよくわかりませんでしたが、読んでいて興味深かったです。

こいしは誰にも会いたくないと思って、合う合わないを消してしまったけれど、なぜか会おうとして話しかけてしまうのです。
それは好奇心のために!
3.100名前が無い程度の能力削除
基本的にまるきゅーさんの話は大体SFだと思ってかかってます(暴言)
6.90奇声を発する程度の能力削除
おぉ、読んでいてとても面白かったです
8.70名前が無い程度の能力削除
紫と四季博士の台詞は相性がいいと個人的に思っているため、そこは嬉しかったです。

ただ惜しむらくは、橙やこいしを萌絵や犀川先生と重ね合わせると、此方はうまくあわない点でしょうか。

お話はとても面白かったので、無理にパロディして先入観を植え付ける意味も無いのではないでしょうか?

仮にあの計算シーンが偶然の一致でしたら申し訳ありませんが。
9.100名前が無い程度の能力削除
こいしちゃんが論破されてるの初めて見た
エピローグの語りは霊夢ですかね?
なんかほっとする終わり方で良かった
11.100名前が無い程度の能力削除
貧相な頭では感想が出てこなかったけど100点はつけたいので
14.100名前が無い程度の能力削除
ならばこうして幻想郷を垣間見ることそのものがSFといえるのではないだろうか
人が信仰から神を生み出す心、怖れから妖怪を生み出す心、無意識に潜むこいしちゃんを知覚することはセンスオブワンダーといえるのではないだろうか

脱字かな?
>なぜか、こいしすぐさま感謝の意を伝えたのだった。
→なぜか、こいしはすぐさま感謝の意を伝えたのだった。
19.30you削除
練りが甘いと感じます。
チルノと橙が会合しないと云うギミック(覆す事の出来ない世界の要素)を全く置かずに概論だけで推し進めるのは、過程を必要としない荒唐無稽な話の域を出ず、読者に納得させるだけの論と成り得ていない。突き詰めれば嘘話、それを如何にもっともらしく脚色するかこそがSF延いては物語創作の醍醐味であるとも考えます。
こいしが道化としてもキーパーソンとしても中途半端にしか機能していないのも悪点。
橙の感情的意思を物語のなかで噛合わせきれず、別パーツとしてしまっているのも悪点。
そう云ったパーツだけを散在したまま主張させてしまい、綱領を不明瞭にしているのも悪点。
どうでしょう?
(まあ星新一のようなナンセンス的作品も分類としてはSFとされるので、荒唐無稽も有りと言えば有りなのでしょうけど、好みの問題ですかね)
21.100とーなす削除
>⑨ チルノ
くそ、こんなありきたりなネタなのに、予測できずに思わず吹いてしまったのが悔しいw
ともかく、興味深い話でした。まるきゅーさんの知識の引き出しの多さには毎度驚かされる。
一体何が専門なんだろう……。
24.100名前が無い程度の能力削除
表現しがたい読後感。ただ確かなことは、面白かったということ。
26.100ばかのひ削除
うむ、大好き!
27.100名前が無い程度の能力削除
SFは「少し不思議」の略だって慧音が言ってた(捏造)
この道理に合わないのがいいんじゃない。
超越存在の悪戯で少し不思議な事が起こって、無意味に人が右往左往したりする。
それくらいがいい。
それでこそ(ry

紫様とこいしちゃんの思考実験がたまたま(必然かもしれないが些事)噛み合った結果、橙がチルノと仲直りする心構えを整える時間を手に入れたと。
振り回される橙可愛い。
28.100名前が無い程度の能力削除
全然見かけないテーマっていうか内容だけど面白かった
こういうのもあるんですね
30.100名前が無い程度の能力削除
幻想郷の見方が広がる作品は好きです。
32.90名前が無い程度の能力削除
合わないから会わない世界。嫌な上司も上辺だけの友人もどきもいない。争いはなく、笑って過ごせる社会。現代人にとって何と素晴らしいことか。

それでもそこに一抹の寂しさを感じてしまう。これはやはり人間の性なんでしょうか。
そんなことを考えさせられるような作品でした。
33.100名前が無い程度の能力削除
「合わないから会わない」
「合いたいから会いたい」
このフレーズにグッときた
39.1003削除
秘封倶楽部や、未来の幻想郷でのSFというのは見ますが、
「現在の幻想郷の中で、世界観を壊さないままのSF」というのは珍しいと思いました。
また、読者を引きつけて最後まで読ませる書き方というのがとてもよく分かっている、とも思いました。
最初に会話文だけで入り、想像の余地を作り、
「あの氷精を殺すのよ」と非常に強い言葉でドキリとさせ、
こいしという説明役を登場させ物語を円滑に進め、
ラストは冒頭の会話文と対になるような締め方、かつ全体のテーマに対する回答の提示……本当に上手です。
ちゃんと「式の式」をしている橙を読めたのも良かったです。これも結構レアな感。
点数は文句なしでこの点数で!