かあん、かあん、と鉄を打つ音が聞こえた。
私はその音に引き寄せられるように工房を訪ねた。
「えっ、預かっていない?」
「そうだ。魂魄妖夢なんて客から刀を預かっちゃいねえ」
そう言って老年の男性――この鍛冶屋の主人は、包丁を研いでいた動きを止めた。部屋の奥にいって机の引き出しをあける。
「でもたしかに刀を預けたんです。楼観剣という名で、刃こぼれがひどかったので打ち直しをお願いしていたんですが」
私には二振りの刀がある。妖怪が鍛えたという太刀・楼観剣と、人の迷いを断ち斬るという短刀・白楼剣だ。今日は楼観剣を受けとる日のはずだった。
「本当に知りませんか。ここ以外の場所に預けたとは思えないんです」
「だが無えもんはねえ。おれにゃあどうしようもねえよ」
主人は持ってきた帳簿を広げてみせた。顧客の名前や仕事の内容、預かりから受け取り日時まで細かく記帳してある。しかし私の名前はどこにもない。
彼は「ほらわかったろ」と言って手で払いのける仕草をした。疑問は残るが、こう言い切られてしまうと引き下がるしかなかった。
「……もしかしたら受け取った後にどこかへ置き忘れてしまったのかもしれませんね。もう一度よく探してみます」
「ああ、そうしてくれ」
主人はまた包丁をにぎると不機嫌そうに眉根を寄せた。
別に怒っている訳ではない。仕事に集中すると自然とああなるのだ。
それを知っている私はこれ以上の邪魔はしないことにした。
「それでは今日はこれで帰ります。お手数をおかけしました」
「ああ。またな」
私はもう一度礼を言って彼に背を向けた。
かあん、かあん、と鎚で鉄を打つ音がする。工房に響くその音は昔から何も変わっていない。
出入り口の前で彼から声がかかった。
「……なあ、あんたよう」
「はい?」
私は振り向いて彼を見た。視線は下に向けられたまま、何か考え込んでいるようだった。
「……いや、なんでもねえ。忘れてくんな」
「はあ」
なんだというのだろうか。
すこし不審を感じたが、彼がまた作業に戻っているのを見て、それ以上の追及はしないことにした。
◆
外に出ると、店の前の通りには多くの人びとが行き交っていた。降り注ぐ日の光も眩しく、染みるように目が痛む。
私はそれらから逃げるように移動すると、杖に身体を預けて立ち止まった。
――さて、どうしたものか。
渡していた楼観剣を主人は知らないという。しかし、たしかに持っていったはずなのだ。となると刀はどこにいってしまったのだろう。
主人にいったようにどこかへ置き忘れてしまったのだろうか。
それはないと即座に断言できた。あの刀はそんなに軽いものではない。元はじいさまの愛刀で、彼が引退したときに私へと引き継がれた大切な刀なのだ。そんなものを忘れてくるとは考えられなかった。
――では盗まれたか。
これもまた考えにくい。だが忘れたというよりは納得できるように思えた。なにしろ幻想郷にいるのは奇天烈な能力者だらけだ。気づかれない様に刀を盗むことができる者もいるかもしれない。
と、そこまで考えたところで前方に気配を感じた。
「何をしてるの、妖夢」
下を向いていた顔をあげる。すると、紫のドレスを着た金髪の美女が目の前に立っていた。
「あ、紫さま。こんにちわです」
「どうしたの。こんなところに突っ立って」
「いえ、それは……」
私はやや言い淀んでしまう。刀のことを話すべきかどうか迷ったのだ。紫さまは幽々子さまの友人で、話せば幽々子さまにも失態が伝わってしまうように思えた。
だが黙っておくも嘘をついているような気がして、結局事情を説明することにした。
ぜんぶ聞きおわると、紫さまは腕を組んで渋い顔をした。
「そう、またなのね……」
「また? 刀をなくしたのは今回が初めてですけど……」
大事な刀だ。そうそうなくしたりはしない。
私がそう言うと、紫さまは腕組みを解いて弁解をする。
「そうね。あなたが刀をなくしたことはなかったわね」
「……大丈夫ですか紫さま。まさかついに呆けがはじま――、」
「それ以上いったらこの口ひきちぎってやるんだから」
「……ふひまへん」
解放された私は赤くなっているだろう頬をさすった。なんだかでこぼこしている。思ったより重症かもしれない。
「ねえ。刀、さがすんでしょ」
「ええ。大事な刀ですから。なくしたままでは幽々子さまに顔向けできません」
「なら手伝ってあげる」
「へ?」
想像もしていなかった言葉がでた。私は思わず間の抜けた声をあげた。
「なによその顔。あなたの刀さがしに手を貸してあげるって言ってるの。あたしが親切したらおかしい?」
「おかしくはありませんが、あいにく今日は傘を持ってきていないので……」
「あなたのあたしに対する評価がよくわかったわ」
紫さまはそう言ってむくれてみせた。ずっとずっと年上のはずなのに、ふいに少女のような顔をみせる。幽々子さまに少し似ているなと思った。
「申しわけありません。ふざけすぎました。……でも本当にいいんですか」
「まあね、暇してたからちょうどいいかなって」
紫さまは恥ずかしそうに顔をそむけた。
たしかに自分ひとりではどうしようかと思っていたところだ。人手が増えるのは心強かった。
「どこかに落としたとは考えられないの?」
「いいえ。おそらく盗まれたのではないかと考えています」
私は自分の考えを紫さまに伝えた。何度かうなずき納得してくれたみたいだった。
「それならまずは情報収集ね。刀を持った怪しい人物がいなかったか聞き込みよ。この幻想郷で刀を持っている人は珍しいし、里の人間だって見かけたら気づくはず」
「そうですね。まずはそれが一番でしょう」
「じゃあ行くわよ、妖夢。遅れないようについてらっしゃい」
紫さまはそう言ってずんずん進んでいった。頼りになりそうな、そうでもなさそうな。本当に幽々子さまによく似ているなと思う。
――しかし、悪戯好きな部分もよく似ているのだ。
紫さまの能力を使えば刀を盗むなんて簡単ではないか。
その考えを無礼と思って振り払うと、私は彼女の後を追いかけはじめた。
◆
二時間後。
雨は降らなかったが腹は空いた。
くうと隣から可愛らしい音が聞こえたと思ったら、紫さまはさっそく駄々をこねはじめた。
「もういや。お腹すいた。歩けない」
「スキマに乗っかりながら言うセリフじゃないですね」
「なによ、妖夢だって乗せてあげてるじゃない」
「わ、私は別にお腹なんか空いてませんし……」
私たちは紫さまの作った空間の裂け目、通称“スキマ”に乗って移動していた。これが紫さまの能力で、彼女はスキマ同士をつなげてどんな場所でもゼロ距離で移動することができた。またこのスキマはイスのように腰かけることもできて、さらにふよふよと浮きながら移動することさえできるのだ。
「少しでも妖夢に楽させてあげようと思って~」
と紫さまは言った。なぜか今日に限って優しいように思う。大概不審ではあったが、まわりから見れば私も十分不審だったので何も言わないことにした。
情報収集は難航気味である。
里人からはろくに話をきくことができなかった。ふよふよとスキマに乗って宙を漂う私たちは不審者以外の何者でもなかったのだろう。声をかければ蜂の巣をつついたように散っていった。
――刀を持った怪しい人物をみなかったか。
そう訊いて辛うじて返ってくるのは、私たちに向けられた指先だけだ。たしかにすべての条件を満たしてはいるが、とうてい納得しかねる答えだった。
「どこへいっちゃったんでしょう……。本当に見つけられるのかな」
私は思わず弱音を吐いてしまった。
「あれはとても大切な刀なんです。もしこのまま見つからなかったら……」
「あまり思い詰めないことね。誰にだってあるわ。誰だってそうなる」
「ですがあの刀は幽々子さまにとっても……」
「大丈夫。幽々子は怒れないわ」
それより休憩にしましょうと紫さまはいう。怒られるかどうかではなく自分の不覚が情けなかったのだが、その気遣いが嬉しかった。
私はどこか休憩できる場所はないかと探してみる。スキマの上から見わたすと、自分の知っている店があった。
「そうだ。あの金物屋の角を曲がったところに美味しいおだんご屋さんがあったはずです」
「へえ。自分で見つけたの」
「いいえ。魔理沙に教えてもらったんです。そこの主人は自称情報通でいろんな噂を知っているんですよ」
「あら。それじゃあ有力な情報を得られるかもしれないわね。いってみましょう」
紫さまは私たちの乗るスキマの速度をあげた。空間の亀裂がすいすいと不気味に動く。まわりから奇異の視線を感じた。
早く店の中に避難しようと思ったが、しかし角を曲がっても目当てのだんご屋はなかった。
「……おかしいですね。いつの間になくなってしまったんだろう」
「電気屋、コーヒー喫茶、小物雑貨、アイスクリーム屋……ないわね。だんご屋さん」
いくら目をこらしてもだんご屋ののぼりはみえない。また別の金物屋だったのかもと思った。
「すみません。たぶん勘違いです。せっかく急いでもらったのに……」
「いいわよ。あたしあったかいココアが飲みたいわ。妖夢はどうする?」
「えっと……」
訊かれて私は困ってしまう。横文字は苦手だったからだ。
というよりもこの店の並びに違和感を覚えた。派手派手しいというか、幻想郷にこのような店があっただろうか。
「とりあえず中に入りましょうか。降りられる?」
答えに困っていると、いつの間にかスキマから降りていた紫さまが私に手を伸ばしていた。私は流されるままにその手をとる。
「すみません」
「どうってことないわ。それより足もとに気をつけて」
いくらかぶりに地面に立った。少しよろけたが紫さまが支えてくれたので助かった。
いきましょうかと紫さまが先を歩きだす。私もそれについていった。
「刀はみつかった?」
いきなり立ち止まった紫さまが言った。
「え? いいえ。これから探すんですが……」
「そうだっわね」
私はよく意味がわからずに首をひねる。どういう意味か訊ねようとした。
だがその時、
かあん、かあん、
かあん、かあん、
と鍛冶屋が鉄を打つ音が聞こえてきた。
こんなところにまで届くのかと私は驚く。だがそうしている間に、紫さまはさっさと喫茶店の中に入ってしまった。
機を失った私はあわてて彼女の後に続いていった。
◆
「……いくらなんでも食べすぎではありませんか。紫さま」
私は咎めるように唇を尖らせた。目の前には大きなグラス、というよりはどんぶりが三つ。
「だってこのパフェ美味しいんだもん」
「だからって特大パフェを三杯も平らげて、さらに四杯めをつついていれば、食べすぎという表現も誇張ではないと思いますよ」
まったく、と私はため息混じりにこぼす。あったかいココアなどと言っていたのが冷たいパフェになっているのはいいとして、この量はさすがに食べすぎだと思う。
あたしのお金だしーと紫さまは言うが、小皿に杏仁豆腐ひとつの私と比べてしまうと、自分の主張の正しさを感じずにはおれない。
やはり幽々子さまに似ているなと思った。
「幽々子さまのお土産になにか買って帰りましょうか」
私は空いたパフェの椀を眺めながら言った。
「あら。すごい余裕ね。大事な刀をなくしたままなのに」
「も、もちろん刀を見つけてからですけど!」
「ふふふ。さっそくアドバイスが効いているようでなによりだわ」
紫さまはそんな私をみてふわりと微笑んだ。まるで毒気を抜かれるよう。たしかに少し気が軽くなったような気がするので、彼女には感謝すべきなのかもしれない。
しかし次にみた紫さまは、なぜか悲しげな顔をして見えた。
「でも、いらないわ」
「えっ」
「お土産。そんなものいらない」
紫さまはきっぱりと断言した、なぜそうまで言えるのかわからなかった。
「しかし幽々子さまもずっとお屋敷にいるのですから何か変わったものでも――、」
「妖夢」
紫さまはいきなり私の話を遮った。とても苦しそうな顔をしている。重大な無礼を働いたのではないかと不安になった。
「次は……どこにいきましょうか?」
そして紫さまは、またふわりと微笑んだ。その笑みに違和感を覚えながらも、理由を聞いてはならないような気がした。
深く追及すれば知りたくない何かを知ってしまう、私はなぜかそう思った。
◆
喫茶店をでた私たちは、次に博麗霊夢のもとを訪ねようとしていた。自分たちだけで刀をさがすのには限界がある、そう思ったからだ。より広く情報を集めるためには、里内に情報網を持つ誰かを頼る必要があった。
私は神社のふもとから境内を見上げる。
「あいかわらず長いですね」
あまりに長い階段を前に率直な意見としてそう述べた。隣にいる紫さまも神妙にうなずいている。
「だけど長いだけにあらずよ、妖夢。博麗神社には結界が張ってあるの。人の歩みを鈍らせ躊躇わせる物理的な結界が」
「つまり高度ですね。たしかに辛く苦しい思いをしてまで行くような場所じゃありませんから」
私はもう一度この長い階段を下から上まで眺め、その距離と高度に絶望しかけた。
鍛冶屋のある人里からも遠い。なぜこんな場所に神社があるのか。
「ねえ本当に歩くの? 無理だからやめておきなさいよ」
「いえ。今日はスキマを使わせていただきましたし、すこしは身体を動かさないと」
「ゴールしてもパフェが待ってるわけではないのよ? 労力の無駄よ」
「これも修行です。労力そのものが目的なんですよ」
私がそう言うと、紫さまは「理解できない」といってスキマに腰をおろしてしまった。ふて腐れた顔で文句をいっている。
「まったく、なんでよりによって博麗神社を選ぶのよ……」
「そういえば阿求さんも慧音さんもどこにいったんでしょう。本当に留守なんですか」
稗田も上白沢も里内に情報網を持つ。留守でないならそちらを頼ることも考えた。
「本当よ。あたし知っているもの」
「ずいぶんはっきり言いますね。なにか予定でもあったのですか」
「そうじゃないけど……今さら行っても誰もいないでしょうね」
「まあ、それなら仕方ないです。とても残念ですが」
そのせいで遠い博麗神社を目指さないといけないのだ。しかしこれも修行と考えれば無意味なことではなくなる。
私は杖に力をこめると、目の前の段差に一歩足をかけた。
――杖?
なぜだろう。私はいつから杖を持っていたっけ。
そのまま歩き続けたが、思う以上に階段は長く険しかった。私は中ほどにも辿りつかないうちに体力の限界を感じてしまった。
足や腰、杖を持つ手も悲鳴をあげている。もう少しもう少しと奮い立たせるが、ついには力尽きて座り込んだ。
「だから言ったじゃない」
紫さまはほらみたことかと呆れ顔だ。
「おかしいなあ。こんな階段で疲れるなんて」
「あたしなら疲れて当然と思うけど」
「以前は宴会に行く幽々子さまを背負っていても登れたんです」
「過去は過去。今は今よ。ほらスキマ作ったから使いなさい」
紫さまは宙に浮かぶスキマを指した。たしかにそれに乗れば楽だろうと思うが、なかなか認め難いものがある。
私は意固地になって紫さまの申し出を断った。まだやれると証明するために立ち上がろうとする。
だがその瞬間、私の世界が大きく揺れた。
「もうっ、危ないじゃない」
「あれ? ……あれ?」
「転びかけたのよ。下まで落ちたら死んでるわ」
私を支えていたのは紫さまの腕だった。どうやら立ち上がった時によろけてしまったらしい。
これでようやく観念した私は、結局スキマを使って移動することになった。
◆
博麗神社は相変わらずさびれていた。閑古鳥さえ逃げてしまったようだった。
「儲かってなさそうですね。変わらない」
「そう? これでも昔とは全然ちがうわ」
紫さまは少し気になる言い方をした。
「昔って先代の頃ですか」
「まあ、そうね。とにかく中に入りましょう。喉が渇いたでしょう」
紫さまはそう言って部屋の中に入ってしまった。微妙にはぐらかされた気もするが、水分が欲しいのは確かなのでそれに従った。
部屋の中も人など住んでいないかのように静かだった。
「霊夢はいないんでしょうか」
「そのようね」
「せっかくここまで来たんですけどねえ」
「留守なら仕方ないわよ。とりあえず休憩にしましょう」
紫さまは部屋の奥に行くと水を入れたコップを持って戻ってきた。私はそれを受け取ってのどに通す。冷たくて生き返るようだった。すると、それを見ていた紫さまが私の口元をハンカチでぬぐった。
「もうっ、いきなり何をするんですか」
「え? かわいいなあと思って」
「子供じゃないんですから」
「知ってるわよ」
紫さまはこうして私をからかうことがある。スキンシップといよりは私の反応を楽しんでいるのだろう。
恥ずかしくなった私は部屋の中のものに視線をやった。
「なんていうか、思ったより綺麗なんですね。霊夢の性格からするとろくに整理とかしてなさそうなのに」
「居住部分とはいっても神社の中だからね。巫女なら普段から清めておくのが普通だったのよ」
「ああ、やっぱりいつもは汚いんですね」
家主の留守に家の中のものをじろじろ見るのは褒められたものではない。だが逆にこういった機会でもなければじっくり見ることはないので興味はあった。博麗神社に来るのはたいてい宴会の時だけなので、宴会となればこんなにゆっくりなどしていられない。
ぐるりと見わたすと壁にかかった時計が目に入った。そして違和感を覚える。長針短針のアナログ時計ではなく、電子パネルを使ったデジタル時計だったからだ。
「紫さま。あんな時計、ここにありましたっけ」
「さあどうかしら。覚えていないわ」
「霊夢のところにあったのはもっと地味で古くさそうな時計だったと思うのですが……」
「ねえ、外に出てみましょうか」
紫さまがいきなり立ち上がった。振りむいて私を誘う仕草をする。
紫さまが気分屋なのは今にはじまったことではない。
仕方なく私もついていくことにした。
◆
やってきたのは境内の裏手だった。私はそこから見える景色に思わず歓声をあげた。
「すごい。幻想郷がぜんぶ見わたせます」
その場所は開けた高台のようになっていた。遮るものは何もなく、眼下に幻想郷が広く遠く見わたせた。
「ぜんぶかどうかはわからないけど、たまにはいいでしょう?」
「はい。空を飛んでいるみたい……とは言っても、いつも空を飛んでいるはずなんですけど」
なぜかこの景色は久しぶりのような気がした。もしかして飛びながら見るのとそうでないのとでは、見え方がすこし違うのかもしれない。
耳を澄ますと、ふいにまたあの音が聞こえてくる。
「あ、紫さま。聞こえます? 鎚で鉄を打つ音です。鍛冶屋の主人が打つこの音は昔からずっと変わらないんですよ」
かあん、かあん。
かあん、かあん。
この音ははじめて手入れに出したときからずっと変わらない。自分の刀を持てたという誇らしさと奇妙な恥ずかしさを抱えたまま、おそるおそる主人に預けた。
「……霊夢が留守となるとこれからどうしましょうか。盗まれたとしても誰かが拾っていたとしても、私たちだけでは見つけるのに時間がかかります」
「怒る人なんていないわ」
紫さまはまた断言した。
「きっとすぐに見つかるわ。案外とても身近にあるのかもしれない」
「でも私は自分が情けないですよ。幽々子さまに会わす顔がないです」
私は片手で腰の白楼剣に触れた。楼観剣はこの白楼剣と一緒に幽々子さまから手わたされた。
「……本当のことを言うとすこし紫さまを疑っていました。スキマを使えばそういうことも楽にできるのでしょう?」
「たしかにそうね」
「でも謝ります。ごめんなさい。紫さまはそんなことしないですよね」
今日は紫さまにたいへん世話になった。彼女の助けがなければ危ない場面も多々あった。そんな人が私の大事な刀を盗むとは思えなかった。
「もしかしたら鍛冶屋の主人が記帳し忘れていたのかもしれません。彼は昔から私の刀を手入れしてくれた腕のいい職人ですが、もう結構な年になります。そろそろ呆けがはじまっていたとしても不思議はありません」
悲しいことですが、と私は続ける。
今日みてまわった人里も私の覚えているものとはずいぶん変わっていた。それだけ時間が流れたということなのだ。寿命の短い人間が老いてしまうには十分な時間だったのかもしれない。そうして顔馴染みだった主人もついには呆けてしまったのだ。
みんなみんな変わってしまう。私を置いて遠くに行ってしまう……。
「もうやめましょう、妖夢」
紫さまだった。絞り出すような小さな声。まるで紫さまではないようだった。
「いくら探しても刀なんて見つかりっこないわ。もちろん鍛冶屋の主人が呆けていたわけでもない」
「どうしてわかるのですか。もしかして本当に紫さまが……」
紫さまは私の問いかけに顔をそむけた。苦しそうに顔を歪めている。
そして次に見えたのは泣き出しそうな瞳だった。
「――だって刀なら、あなたがずっと持っているじゃないっ」
紫さまは私の杖を指差して叫んだ。
驚いた私は促されるまま手元をみる。するとそれは杖ではなく、ずっと探していたはずの楼観剣であることがわかった。
「年をとったのは周りだけじゃない。あなたもよ。あなたは自分が何を持っているのかさえ気づけないほど老いてしまったの」
「そんな、だって……」
「博麗霊夢はすでに死んだ。今は子孫がその任を継いでいる。あなたの主・西行寺幽々子だって今は輪廻の中に戻ってしまった。……あなたが思っている鍛冶屋の主人はもう何代も前の人なのよ」
そこまで一息で続けた紫さまは、改めて私のほうへと顔を向けた。互いの視線が交わる。
「みんなみんな変わってしまったの」
私は持っていた楼観剣を持ち上げようとした。だが手を滑らせて落としてしまう。拾おうと腰をかがめるが、バランスを崩した身体はあっけなく倒れていった。
腹ばいのまま手を伸ばす。かちかちと触れるだけでうまく刀を掴めない。
私は自分の手がこんなにもしわしわであることを知ってしまった。
「あなたと過去を懐かしむのは楽しかった。まるで本当にあの頃が戻ってきたようで。でも同時に辛かった。本当に戻ることは決してないとわかっていたから」
紫さまは悲しげにそう言うと、私をゆっくりと抱き起こしてくれた。悪いものから庇うように腕を回しながら私の代わりに刀をとる。
そして私はようやく刀を掴むことができた。
「あった。こんなところに、こんな近くにあったぁ……」
私は戻ってきた刀を強く抱きしめた。そうしていないとまた取り落としてしまいそうな気がした。自分の身体がこんなにも信用できないことが悲しかった。
「きっと鍛冶屋の主人は言い出せなかったのね。いつか自分もそうなってしまうのではないかと思ったから。……あたしも言えなかった。言えばあなたがどこか遠くにいってしまう気がしたから」
「……私はずっとこの手に持っていたんですね。どこにも預けていなかった。なくしてなんかいなかった」
呆けていたのは主人ではなかった。年老いて目の前が見えなくなったのは私の方だった。
――うっかりしていた。
――勘違いをしていた。
――鍛冶屋の鉄を打つ音が聞こえたから。
――あの音が何も変わっていないように思えたから。
――私も世界も変わっていないような気がしたのだ。
だがそんなことはあり得ない。もうあの頃とは何もかもが違う。
私はこんなにも年老いてしまった。ただの人間より寿命がながい私が老いてしまうほど、多くの時間が流れ去ったのだ。
「紫さま。鎚の音は聞こえますか。鍛冶屋が鉄を打つ音が。こんなにはっきり届いているんです。紫さまには聞こえていますか」
「……大丈夫よ、妖夢。あたしが守ってあげるから。幽々子と約束したんだもの。あなたのことは最後まであたしが守るわ」
かあん、かあん、と音がする。
次第に大きくなっていく。
次第に逃げられなくなっていく。
「ねえ紫さま。鎚の音がします。本当は聞こえているんでしょう? 紫さまにもちゃんと聞こえているんでしょう?」
「大丈夫よ、妖夢。絶対に大丈夫だから……」
そうして紫さまは私の身体を強くかき抱いた。腕の中でうずくまっていると、でこぼこの頬を生ぬるいものが伝っていった。でもそれが本当に涙かは自信がなかった。
かあん、かあん。
かあん、かあん。
今日も鍛冶屋は鉄を打っている。
私にしか聞こえない、私だけの音がする。
あの頃とは何もかも変ったこの世界で、その音だけがいつまでも変わらず響き続けていた。
読了ありがとうございます。
みすゞ
ヒントが与えられ過ぎて、割りと早い段階でオチが読めてしまったのが残念。
序盤のミスディレクションは鮮やかだったと思います。
未来の幻想郷でした、という流れは結構見たことあるので、オチに感づき始める中盤以降は正直新鮮味に欠ける部分がありましたが、それでも面白く読めました。
こういうオチにするのなら妖夢や紫の心情をもっとしっかり書いて欲しかったです。
というよりも、そういったサインから紫のやるせない気持ちに共感するのが、この物語の楽しみ方なのでしょう。
せめて妖夢が安らかな日々を送れると良いのですが……。
コメント、評価ありがとうございます。
妖夢のこの手のSSは珍しいなと思いました。
真ん中くらいまでこれはどういうことだろうと真剣に考えてしまいました。
真相が明らかになった後だと「そう、またなのね……」の響きが大分変わってきますね……。