「たのも~!!」
その声が地霊殿に響き渡ったのは夏のお昼過ぎの頃であった。
いくら地霊殿が地底の奥底に存在しているからといっても、夏になればやはり暑いものであり、あたいは仕事の休憩時間を風の通る部屋でだらだらと過ごしていた。
ただでさえ暑いのに、聞こえてきたのはまた暑苦しそうな声。
あたいは「うへぇ~」とうめき声を漏らしながらも、重たい腰をあげて来客を迎えに行った。
「はいはい、どなたでいらっしゃいますか?」
ドアを開けて訪問客を見ると、そこにいたのはまだ少年と呼べる年齢の子供であった。
勝気そうな瞳に元気いっぱいを身体全体で表したかのような立ち振る舞い。そして眉間からは角が一本。
旧都に住む鬼の子供のようだった。
ただでさえ地霊殿には訪問客は皆無なのに、旧都からの、しかも少年鬼とは珍しいにも程があった。
あたいが訝し気に少年鬼を観察していると、彼は先ほどのような暑苦しい声で言った。
「ここには勇儀ねーちゃんも恐れる古明地さとりが住んでいると聞いた!
ぜひ僕と力比べをしてほしい!」
言った――というのは語弊があるかもしれない。
正しくは叫んだ。あたいは少年鬼の目の前にいるというのに、彼は地霊殿全土に響き渡るような大音声で叫んだのだ。
少年といえども鬼。その迫力にあたいは圧倒されるばかりであった。
「え、えっとぉ……君は旧都から来たのかい?」
「そうだよ! 勇儀ねーちゃんよりも強い古明地さとりの力が見たい!
古明地さとりに合わせてほしい!!」
少年鬼の瞳はぎらぎらと輝いていた。
あたいはその瞳を一目見ただけで直感した事があった。
――この少年鬼は面倒くさい、と。
あたいはせっかくの休憩時間の最中なのだ。少年鬼の身勝手な都合に付き合う時間などあるはずもない。
ここは大人対応といくべきだろう。
「残念だけど、さとり様は外出中で――」
「全く……騒がしいわね、一体何事かしら?」
あたいの頑張りを一蹴する我が主。
あたいは忘れていた。我が主が大変空気の読めない少女である事を。
「お前が古明地さとりか!?」
「えぇ、私が古明地さとりです。
あなたは……旧都から来た鬼ですか。勇儀以外の、それも少年鬼を見るのは久しいですね」
さとり様と少年鬼が対峙する。
さとり様の身長があまり高くないのもあるが、さとり様と少年鬼ではどちらかが高いか分かりにくい。
だが、さとり様が華奢なのに対して、少年鬼の体格はがっしりとしているため、一見すると少年鬼の方が大きく見えた。
「僕と勝負しろ!
勇儀ねーちゃんよりも強いあんたの力が見たい!」
「ふぅむ、力比べですか……」
さとり様はじっくりと少年鬼を観察する。
もし、純粋に力比べをした場合、さとり様より少年鬼の方が圧倒的に強いだろう。
さとり様が元来戦える妖怪でない事もあるが、それ以上に鬼という種族が他を圧倒する戦力を持ち合わせているという部分が大きい。
少年といえどもその例に漏れず、地霊殿において力比べで少年鬼に勝てるのはお空くらいなものだろう。
さて、さとり様はどうやって少年鬼に対応するのか。
「いいでしょう。挑戦されたからには受けるのが道理。
すぐ近くに誰もいない広場がありますので、そこで戦いましょうか」
その返答はあたいにとっては驚きだった。
いつも卑怯な戦法で勝つさとり様が正々堂々と挑戦を受ける姿を、あたいは見た事がなかった。
「ただし――」
あぁ、やっぱりさとり様だとあたいは思った。
「あなたの相手をするのは私ではなく私のペットのお空です」
「お前、逃げる気か?」
「そうではありませんよ。あなたに私と戦う力があるのかテストをしたいのです。
お空の力は私の足元程度。お空にも勝てないのなら、私に挑戦するだけ無駄というものです」
ちなみにさとり様がお空に勝つ手段はいくつか考えられるが、一番簡単な方法はお空をご飯抜きにする事だ。
大飯食らいのお空にとって、ご飯抜きが一番堪えるのがその理由である。
ただご飯抜きにするとお空はチワワのような濡れた瞳で訴えてくる。
この作戦を実行するためにさとり様のようなドS精神が必要不可欠となる。
よって、この作戦はさとり様しか使えないという欠点も存在する。
「ふぅん、いいよ。鬼っていうのは目的が困難なほど燃えるんだ」
そんな事も露知らず、あっさりと承諾する少年鬼。
やがて彼は知るだろう。さとり様のような最低妖怪の前には武力など無意味である事を。
予想通りに決着は一瞬で着いた。
っていうか、子供相手に容赦なさすぎだった。
ギガフレア一発。それだけで勝負は終わってしまったのである。
「さとり様、子供相手にギガフレアはやりすぎだと思います」
少年鬼が旧都へと帰った後、あたいはさとり様にこう提言した。
だが、さとり様は涼し気な表情でにこりと笑った。
その自信満々の笑みは、あたいの方が間違っているんじゃないかと一抹の不安を覚えさせる程であった。
「あら、お空はちゃんと手加減したじゃない。
ギガフレアはハード級よ。ルナティック級のペタフレアは使ってないわ」
ペタフレアって……。あたいはおもわずうめく。
命令するさとり様もさとり様だが、それを実行してしまうお空にも溜息が出る。
地霊殿唯一の常識猫として、あたいは胃が痛くなった。
「大人の権力の前では子供の力というのは無意味なの。
それを知った彼はまた一つ大人の階段を登る事になるでしょうね」
「それ、たぶん汚い大人が言うセリフだと思います」
あたいは思わずつっこむ。
さとり様はああいうセリフをとても綺麗な顔で言うから困る。
「そしてまた――」
さとり様はそこで言葉を止めて、厭らしい笑みを浮かべた。
「そしてまた、彼はきっと旧都に帰った後に、私がどれだけすごいのかを広めてくれるでしょうね。
これでまた私の名声が上がる事となるわ。
あぁ、私の才能が時折恐ろしく感じてしまうわ」
古明地さとり――
彼女に出会った者は術からずとある三カ条を心に刻みつける。
一つ、『逆らってはいけない』
一つ、『楯突いてはいけない』
一つ、『目を合わせてはいけない』
魑魅魍魎、弱肉強食が当たり前の地底世界において唯我独尊を振りかざす最強にして最低の少女。
だが、今回の一件により、さとり様の印象ががらりと変わる事になる事を、その時のあたいは知らなかった。
数日経ったある日の事である。
あたいは食糧買い出しのために、さとり様と一緒に旧都に来ていた。
治安は悪いが確かな品質の食べ物が旧都にはたくさんあり、それを求めて旧都に来る妖怪はとても多い。
買い物が終わって、これから地霊殿へと帰宅しようと歩を進み始めたところで、さとり様が制止を促した。
「待って、お燐」
あたいはさとり様の只ならぬ緊張を感じ取り振り返った。
さとり様はしきりに辺りの様子を確認している。
そういえば、買い物の最中にもさとり様は周りをよく見まわしていた事を、あたいは思い出していた。
「なんだか周りの様子がおかしいわ」
「そうですか? いつも通りじゃないですか?」
「いいえ、違うわ。私に対する態度がいつもと違うの」
「さとり様は地底一の嫌われ者ですからねぇ。そういう冷たい雰囲気じゃないんですか?」
「それがいつもと違うから言っているの。
これは何かしら? 憎悪でも嫉妬でもない。もっと違う感情……。
入り混じり過ぎて特定できないわ」
さとり様が珍しく呻いた。
サードアイを持ってしても分からない周りの感情。それにあたいは少しだけ興味を覚えた。
「お燐、少し調べてもらえないかしら」
「はぁ、分かりました。じゃあ、ちょっと待ってくださいね」
あたいは猫の姿に戻ると、早速調査を開始した。
調査はもう少し難航になるかと思ったが、それはあたいの杞憂だった。
さとり様の名前を出すだけで波の如く押し寄せる情報の数々。
あたいは逆にそれらを整理する方に時間がかかってしまった。
半刻程経過してから、さとり様の元へと戻る。
さとり様は待ち侘びていたようで、あたいに報告を促した。
だが、あたいはどうやって言ったものか考え、少しの間口を閉ざす事しかできなかった。
「えっとですね、さとり様にこれは本当に言ってもいいものなのかどうなのか……」
「珍しく煮え切らない態度ね。
言いなさい、お燐。これは主からの命令よ」
「……じゃあ言いますよ。ただ、さとり様。これはあくまでも旧都の住民の意見ですからね。
あたいの意見ではない事を承知の上でお聞きくださいね」
「やけに外堀を埋めにかかるわね。
いいわよ、私はあなたを信頼しているもの。少しくらいならどんな事を言っても腹は立てないわ」
あたいはごくりとつばを飲み込む。
そして報告を始めた。
「簡単に言ってしまうとですね……旧都におけるさとり様の印象が270度程変化しています」
「つまりよく分からない方向というわけね。
具体的には?」
「運命と死を司り――」
「は?」
「月からやってきた永遠を生きる姫であり、また巨大な御柱をいくつも操る神でもあり――」
「え?」
「その口からは一兆度の超高温の炎を吐き出し、その肉体は鋼ですら通さず――」
「…………」
「果ては相手の欲望すら読み取ってしまう――っていうのが、さとり様の本性になっています」
あたいの報告を聞いて、さとり様はしばらくの間無言だった。
怒っているのか呆れているのか泣いているのか、それが分からないだけにあたいは怖かった。
「な、なによ、それ……。私がまるでチートみたいじゃない」
さとり様が珍しく狼狽えた顔で苦言を漏らす。
だが、あたいはチートっていうのはあながち間違っていないなって思った。
「設定がむちゃくちゃになってるじゃない。
実際はこんなにも華奢でか弱い少女なのに……」
もくしはそれを貧相でナイチチとも言う。
だが、泣きそうなさとり様も可愛いらしいのもまた事実である。
「口から一兆度の炎って……。私はゲーム上の隠しボス(ラギュ・オ・ラギュラ)じゃないわよ!」
ある程度の愚痴を吐き出したところで、さとり様ははぁはぁと息をついた。
その様子を眺めながら、あたいは考える。
なぜ、こんな状況に陥ってしまったのかを。
「あたいが考えるにはですね……。
この前地霊殿に来た少年鬼が噂を広めたんじゃないかと思うんですよね」
「時期的にもそれは間違いないわね。
復讐のつもりなのかしら?」
時間が経ち、さとり様も幾分か冷静になったらしい。
こういう切り替えの早さもさとり様の長所の一つだと、あたいは思う。
「いえ、たぶんもっと単純なものです。
なにせ相手は鬼ですから」
「つまり?」
さとり様が真相を促す。
「子供が考えた『さいきょーのさとり様』という事ですよ」
「事実を全く無視した想像上の私という事かしら?」
「ええ。
勇儀ねーさんよりも強いんだから、さとり様とはこういう少女なのだろう。
ギガフレアを放つお空よりも強いんだから、さとり様はきっとこんな強さを持っているに違いない。
そういった想像が想像を重ねて、先ほどのような『理論上最強のさとり様』を作り上げたんじゃないかな、と思うんですよね。
加えて、鬼は脳筋ですからね」
少年鬼はさとり様の思惑通りに、旧都でさとり様がどれだけすごいのかを広めまわったのだろう。
ただし、想像と伝聞により事実がねじ曲がってしまったのだ。
元々旧都の住人はさとり様に『よく分からないが本能的に嫌』というとても不明瞭なイメージを持っている。
サードアイの能力自体が不気味でよく分からないせいで、こういうイメージが広まったのだろうとあたいは思っている。
そこに実際にさとり様と対峙した少年鬼が具体的なイメージを流せば――それが虚言であったとしても――、旧都の住人は簡単に信じてしまうのだ。
『幽霊の正体見たり、枯れ尾花』という言葉があるが、それは逆に枯れ尾花を見なければ、幽霊だと信じてしまうのと同じ事である。
「奇しくもさとり様の思惑通りになったわけですね」
「方向性がおかしいわ! これじゃあ私の名声がだだ下がりになってしまうわ!」
「すでにゼロですから、もう下がらないと思います」
「……何か言った?」
さとり様の怖すぎる睨みに、あたいはふるふると首を振る。
「こうなったら大人の力を見せつけるしか方法はないようね」
にたりと笑うさとり様。
さとり様は少年鬼の事を子供と言っているが、さとり様自身も子供だと思う。
加えて半端ない力を持っているから始末に負えない。
あたいにできる事といったら、少年鬼の無事を願うばかりである。
――少年よ、大海を知れ。
「あ、そうそう。お燐は地霊殿に帰ったら折檻ね」
「なぜに!?」
「あなたがどんな事を言っても腹は立てないとは言ったけど、どんな事を考えても腹は立てないとは言ってないもの」
「ふにゃあ~……」
あたいも強く生きようと思った。
了。
その声が地霊殿に響き渡ったのは夏のお昼過ぎの頃であった。
いくら地霊殿が地底の奥底に存在しているからといっても、夏になればやはり暑いものであり、あたいは仕事の休憩時間を風の通る部屋でだらだらと過ごしていた。
ただでさえ暑いのに、聞こえてきたのはまた暑苦しそうな声。
あたいは「うへぇ~」とうめき声を漏らしながらも、重たい腰をあげて来客を迎えに行った。
「はいはい、どなたでいらっしゃいますか?」
ドアを開けて訪問客を見ると、そこにいたのはまだ少年と呼べる年齢の子供であった。
勝気そうな瞳に元気いっぱいを身体全体で表したかのような立ち振る舞い。そして眉間からは角が一本。
旧都に住む鬼の子供のようだった。
ただでさえ地霊殿には訪問客は皆無なのに、旧都からの、しかも少年鬼とは珍しいにも程があった。
あたいが訝し気に少年鬼を観察していると、彼は先ほどのような暑苦しい声で言った。
「ここには勇儀ねーちゃんも恐れる古明地さとりが住んでいると聞いた!
ぜひ僕と力比べをしてほしい!」
言った――というのは語弊があるかもしれない。
正しくは叫んだ。あたいは少年鬼の目の前にいるというのに、彼は地霊殿全土に響き渡るような大音声で叫んだのだ。
少年といえども鬼。その迫力にあたいは圧倒されるばかりであった。
「え、えっとぉ……君は旧都から来たのかい?」
「そうだよ! 勇儀ねーちゃんよりも強い古明地さとりの力が見たい!
古明地さとりに合わせてほしい!!」
少年鬼の瞳はぎらぎらと輝いていた。
あたいはその瞳を一目見ただけで直感した事があった。
――この少年鬼は面倒くさい、と。
あたいはせっかくの休憩時間の最中なのだ。少年鬼の身勝手な都合に付き合う時間などあるはずもない。
ここは大人対応といくべきだろう。
「残念だけど、さとり様は外出中で――」
「全く……騒がしいわね、一体何事かしら?」
あたいの頑張りを一蹴する我が主。
あたいは忘れていた。我が主が大変空気の読めない少女である事を。
「お前が古明地さとりか!?」
「えぇ、私が古明地さとりです。
あなたは……旧都から来た鬼ですか。勇儀以外の、それも少年鬼を見るのは久しいですね」
さとり様と少年鬼が対峙する。
さとり様の身長があまり高くないのもあるが、さとり様と少年鬼ではどちらかが高いか分かりにくい。
だが、さとり様が華奢なのに対して、少年鬼の体格はがっしりとしているため、一見すると少年鬼の方が大きく見えた。
「僕と勝負しろ!
勇儀ねーちゃんよりも強いあんたの力が見たい!」
「ふぅむ、力比べですか……」
さとり様はじっくりと少年鬼を観察する。
もし、純粋に力比べをした場合、さとり様より少年鬼の方が圧倒的に強いだろう。
さとり様が元来戦える妖怪でない事もあるが、それ以上に鬼という種族が他を圧倒する戦力を持ち合わせているという部分が大きい。
少年といえどもその例に漏れず、地霊殿において力比べで少年鬼に勝てるのはお空くらいなものだろう。
さて、さとり様はどうやって少年鬼に対応するのか。
「いいでしょう。挑戦されたからには受けるのが道理。
すぐ近くに誰もいない広場がありますので、そこで戦いましょうか」
その返答はあたいにとっては驚きだった。
いつも卑怯な戦法で勝つさとり様が正々堂々と挑戦を受ける姿を、あたいは見た事がなかった。
「ただし――」
あぁ、やっぱりさとり様だとあたいは思った。
「あなたの相手をするのは私ではなく私のペットのお空です」
「お前、逃げる気か?」
「そうではありませんよ。あなたに私と戦う力があるのかテストをしたいのです。
お空の力は私の足元程度。お空にも勝てないのなら、私に挑戦するだけ無駄というものです」
ちなみにさとり様がお空に勝つ手段はいくつか考えられるが、一番簡単な方法はお空をご飯抜きにする事だ。
大飯食らいのお空にとって、ご飯抜きが一番堪えるのがその理由である。
ただご飯抜きにするとお空はチワワのような濡れた瞳で訴えてくる。
この作戦を実行するためにさとり様のようなドS精神が必要不可欠となる。
よって、この作戦はさとり様しか使えないという欠点も存在する。
「ふぅん、いいよ。鬼っていうのは目的が困難なほど燃えるんだ」
そんな事も露知らず、あっさりと承諾する少年鬼。
やがて彼は知るだろう。さとり様のような最低妖怪の前には武力など無意味である事を。
予想通りに決着は一瞬で着いた。
っていうか、子供相手に容赦なさすぎだった。
ギガフレア一発。それだけで勝負は終わってしまったのである。
「さとり様、子供相手にギガフレアはやりすぎだと思います」
少年鬼が旧都へと帰った後、あたいはさとり様にこう提言した。
だが、さとり様は涼し気な表情でにこりと笑った。
その自信満々の笑みは、あたいの方が間違っているんじゃないかと一抹の不安を覚えさせる程であった。
「あら、お空はちゃんと手加減したじゃない。
ギガフレアはハード級よ。ルナティック級のペタフレアは使ってないわ」
ペタフレアって……。あたいはおもわずうめく。
命令するさとり様もさとり様だが、それを実行してしまうお空にも溜息が出る。
地霊殿唯一の常識猫として、あたいは胃が痛くなった。
「大人の権力の前では子供の力というのは無意味なの。
それを知った彼はまた一つ大人の階段を登る事になるでしょうね」
「それ、たぶん汚い大人が言うセリフだと思います」
あたいは思わずつっこむ。
さとり様はああいうセリフをとても綺麗な顔で言うから困る。
「そしてまた――」
さとり様はそこで言葉を止めて、厭らしい笑みを浮かべた。
「そしてまた、彼はきっと旧都に帰った後に、私がどれだけすごいのかを広めてくれるでしょうね。
これでまた私の名声が上がる事となるわ。
あぁ、私の才能が時折恐ろしく感じてしまうわ」
古明地さとり――
彼女に出会った者は術からずとある三カ条を心に刻みつける。
一つ、『逆らってはいけない』
一つ、『楯突いてはいけない』
一つ、『目を合わせてはいけない』
魑魅魍魎、弱肉強食が当たり前の地底世界において唯我独尊を振りかざす最強にして最低の少女。
だが、今回の一件により、さとり様の印象ががらりと変わる事になる事を、その時のあたいは知らなかった。
数日経ったある日の事である。
あたいは食糧買い出しのために、さとり様と一緒に旧都に来ていた。
治安は悪いが確かな品質の食べ物が旧都にはたくさんあり、それを求めて旧都に来る妖怪はとても多い。
買い物が終わって、これから地霊殿へと帰宅しようと歩を進み始めたところで、さとり様が制止を促した。
「待って、お燐」
あたいはさとり様の只ならぬ緊張を感じ取り振り返った。
さとり様はしきりに辺りの様子を確認している。
そういえば、買い物の最中にもさとり様は周りをよく見まわしていた事を、あたいは思い出していた。
「なんだか周りの様子がおかしいわ」
「そうですか? いつも通りじゃないですか?」
「いいえ、違うわ。私に対する態度がいつもと違うの」
「さとり様は地底一の嫌われ者ですからねぇ。そういう冷たい雰囲気じゃないんですか?」
「それがいつもと違うから言っているの。
これは何かしら? 憎悪でも嫉妬でもない。もっと違う感情……。
入り混じり過ぎて特定できないわ」
さとり様が珍しく呻いた。
サードアイを持ってしても分からない周りの感情。それにあたいは少しだけ興味を覚えた。
「お燐、少し調べてもらえないかしら」
「はぁ、分かりました。じゃあ、ちょっと待ってくださいね」
あたいは猫の姿に戻ると、早速調査を開始した。
調査はもう少し難航になるかと思ったが、それはあたいの杞憂だった。
さとり様の名前を出すだけで波の如く押し寄せる情報の数々。
あたいは逆にそれらを整理する方に時間がかかってしまった。
半刻程経過してから、さとり様の元へと戻る。
さとり様は待ち侘びていたようで、あたいに報告を促した。
だが、あたいはどうやって言ったものか考え、少しの間口を閉ざす事しかできなかった。
「えっとですね、さとり様にこれは本当に言ってもいいものなのかどうなのか……」
「珍しく煮え切らない態度ね。
言いなさい、お燐。これは主からの命令よ」
「……じゃあ言いますよ。ただ、さとり様。これはあくまでも旧都の住民の意見ですからね。
あたいの意見ではない事を承知の上でお聞きくださいね」
「やけに外堀を埋めにかかるわね。
いいわよ、私はあなたを信頼しているもの。少しくらいならどんな事を言っても腹は立てないわ」
あたいはごくりとつばを飲み込む。
そして報告を始めた。
「簡単に言ってしまうとですね……旧都におけるさとり様の印象が270度程変化しています」
「つまりよく分からない方向というわけね。
具体的には?」
「運命と死を司り――」
「は?」
「月からやってきた永遠を生きる姫であり、また巨大な御柱をいくつも操る神でもあり――」
「え?」
「その口からは一兆度の超高温の炎を吐き出し、その肉体は鋼ですら通さず――」
「…………」
「果ては相手の欲望すら読み取ってしまう――っていうのが、さとり様の本性になっています」
あたいの報告を聞いて、さとり様はしばらくの間無言だった。
怒っているのか呆れているのか泣いているのか、それが分からないだけにあたいは怖かった。
「な、なによ、それ……。私がまるでチートみたいじゃない」
さとり様が珍しく狼狽えた顔で苦言を漏らす。
だが、あたいはチートっていうのはあながち間違っていないなって思った。
「設定がむちゃくちゃになってるじゃない。
実際はこんなにも華奢でか弱い少女なのに……」
もくしはそれを貧相でナイチチとも言う。
だが、泣きそうなさとり様も可愛いらしいのもまた事実である。
「口から一兆度の炎って……。私はゲーム上の隠しボス(ラギュ・オ・ラギュラ)じゃないわよ!」
ある程度の愚痴を吐き出したところで、さとり様ははぁはぁと息をついた。
その様子を眺めながら、あたいは考える。
なぜ、こんな状況に陥ってしまったのかを。
「あたいが考えるにはですね……。
この前地霊殿に来た少年鬼が噂を広めたんじゃないかと思うんですよね」
「時期的にもそれは間違いないわね。
復讐のつもりなのかしら?」
時間が経ち、さとり様も幾分か冷静になったらしい。
こういう切り替えの早さもさとり様の長所の一つだと、あたいは思う。
「いえ、たぶんもっと単純なものです。
なにせ相手は鬼ですから」
「つまり?」
さとり様が真相を促す。
「子供が考えた『さいきょーのさとり様』という事ですよ」
「事実を全く無視した想像上の私という事かしら?」
「ええ。
勇儀ねーさんよりも強いんだから、さとり様とはこういう少女なのだろう。
ギガフレアを放つお空よりも強いんだから、さとり様はきっとこんな強さを持っているに違いない。
そういった想像が想像を重ねて、先ほどのような『理論上最強のさとり様』を作り上げたんじゃないかな、と思うんですよね。
加えて、鬼は脳筋ですからね」
少年鬼はさとり様の思惑通りに、旧都でさとり様がどれだけすごいのかを広めまわったのだろう。
ただし、想像と伝聞により事実がねじ曲がってしまったのだ。
元々旧都の住人はさとり様に『よく分からないが本能的に嫌』というとても不明瞭なイメージを持っている。
サードアイの能力自体が不気味でよく分からないせいで、こういうイメージが広まったのだろうとあたいは思っている。
そこに実際にさとり様と対峙した少年鬼が具体的なイメージを流せば――それが虚言であったとしても――、旧都の住人は簡単に信じてしまうのだ。
『幽霊の正体見たり、枯れ尾花』という言葉があるが、それは逆に枯れ尾花を見なければ、幽霊だと信じてしまうのと同じ事である。
「奇しくもさとり様の思惑通りになったわけですね」
「方向性がおかしいわ! これじゃあ私の名声がだだ下がりになってしまうわ!」
「すでにゼロですから、もう下がらないと思います」
「……何か言った?」
さとり様の怖すぎる睨みに、あたいはふるふると首を振る。
「こうなったら大人の力を見せつけるしか方法はないようね」
にたりと笑うさとり様。
さとり様は少年鬼の事を子供と言っているが、さとり様自身も子供だと思う。
加えて半端ない力を持っているから始末に負えない。
あたいにできる事といったら、少年鬼の無事を願うばかりである。
――少年よ、大海を知れ。
「あ、そうそう。お燐は地霊殿に帰ったら折檻ね」
「なぜに!?」
「あなたがどんな事を言っても腹は立てないとは言ったけど、どんな事を考えても腹は立てないとは言ってないもの」
「ふにゃあ~……」
あたいも強く生きようと思った。
了。
>一つ、『目を合わせてはいけない』
この項目だけは風評被害と言わざるを得ないぞw
>ギガフレアを放つお空よりも強いんだから、さとり様はきっとこんな強さを持っているに違いない。
なるほどな~、思わず納得しました。
いやサドリ様ww
お燐まじ苦労人。
一つだけ気になったのは、既に「勇儀より強い」という噂話が経つ程度には有名なさとりが、
少年鬼の発言だけでその見られ方がそこまで変わるかなー? という感じです。