Coolier - 新生・東方創想話

薄墨桜咲待話

2013/08/11 01:02:52
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 まずはご注意を。概要に有ります通り暗い展開の含まれるSSです。苦手な方は、回避されますようお願いします……。


◇◇◇ 前日談(蕾) ◇◇◇

――ふわりふわりと楽しげに飛ぶ蝶を、一人の老爺が追いかける。その足取りは、燈火に誘われる羽虫の様。
 蝶の誘う先は、切り立った崖。眼下には蒼く淀んだ水を滔々と湛えた淵。
 庭師の老爺は一度足元に目を遣り、それでもなお楽しげに蝶を追い、深い深い淵へと、軽やかに身を投じた――。


◇◇◇ 一日目(三分咲) ◇◇◇

「せめて……夫婦(めおと)となりましょう。」

 ひらりひらりと優雅に舞う一葉の蝶を見て、男はふとなぜか、昔の誰かの呟きを思い出した。

 村はずれの質素ながらも大きな屋敷の前に、武家風の男が一人、佇んでいる。年は二〇代半ばであろうか。柔和な表情の男である。
着物は大分古いものらしく、ところどころ解れてはいるがしっかりと着こなし、腰には大小を帯びている。

 彼は生け垣の躑躅(つつじ)に目を遣り、僅かに頷く。新枝の伸び具合から見るに、庭は手入れされなくなって二~三週程度か。この屋敷の庭師が入水して二週間、という村長の話と確かに一致する。

 右に目を転ずると、非常に見事な桜の古木が目に入った。
 白色の花はもう咲き始めていて、三分咲きである。春のうららかな陽気も手伝ってのことだろう。満開のこの桜の下で花見を催したら浮世の辛さも忘れそうだ、などと暢気なことを考えたところで今回の依頼を思い出し、男は気を引き締める。

 妖相手には、付け込まれる心の隙を作らぬことだ。
 そう己に言い聞かせ、屋敷の門をくぐる。彼の受けた依頼は、この西行屋敷に住む少女が人か妖か判ずること。そしてもし妖ならば、その場で斬って捨てることである。

 ◇◇◇

「この二週間で、もう五人になる。」
 白髪白髭の村長は、そう呟いた。

 二週間前に村はずれの屋敷の庭師が入水したのを皮切りに、投身、縊死、割腹、そしてまた投身。
 相次ぐ自殺者には共通点があった。皆村はずれの屋敷に出入りした者である。

 そもそもこの西行屋敷は曰くつきである。
 五、六年ほど前に屋敷の主が桜の木の根元で自ら命を絶った後、彼を慕った大勢の者がその木の根元で追いかけるように命を絶っている。
 実はその際に主の娘も実は亡くなっており、魑魅魍魎が娘になり済まして屋敷に立ち入った者を死に誘っているのではないか。そのような噂が村中に広まっているとのことである。

「この頼み、聞き入れては下さいませんかの。」
 その問いかけに、武家風の男は静かに呟く。
「某(それがし)に、女子(おなご)を手にかけよと申すのか?」

 どこか暗い感情を滲ませる物言いに気づかず、村長は続ける。
「仰るとおり。しかし、相手は妖怪。たとえ女子の姿をしていても、容赦は要りませぬ。」

 考えてみると、件の娘が妖怪ではなく只の村娘であったとしても、いずれ村人に恐れられ焼け出されるのは必至、ならば彼が人か妖怪か吟味しなければ、いずれにせよ命が無いということである。
 
 男の黙考に誤解をしたのか、村長は顎に蓄えた髭を扱(しご)きながら、余計な一言を口走る。
「お武家さまと言えど、妖怪は恐ろしいものなのでしょうか?」
 男は無言で首を横に振る。
 
 それではなぜ、と村長は首を傾げ、今度は完全に口を滑らせる。
「ではあるいはお武家さまは、女子を斬るのが恐ろしいので?」

 次の瞬間、男は極めて自然な動きで鯉口を切り、するりと膝行する。村長は身じろぎする暇も無く、その場に固まる。彼の髭は、喉元一分に突き付けられた刃により切り落とされていた。

 沈黙のまま、数刻が過ぎる。囲炉裏の炭のはぜる音のみが、静かに響く。

 やがて男は刀を引き、呟いた。

「心配ご無用。女子なら既にこの手にかけておる。」 
 この件確かに承知致した。そう続け、流れるような手際で納刀する。

「ではこのお願い、聞いていただけるということで。」
 緊張にひりつく喉からなんとか言葉を絞り出す村長に、男は条件を提示する。
 一つ、報酬に加え検分の間の食と住まいを提供すること、そしてもう一つ、もしも娘が人間であると判断したなら、村人からその身の安全を確保すること。
 容易いことじゃ、では確かにお願いしますぞ、との村長の声を背に受け、男は戸を引き開け小屋を辞した。

 ◇◇◇

 さて、では調べるとするか。
 男はふらりと立ち寄った体を装いながら、敷地へと足を踏み入れた。

 桜の古木に見惚れた風を装いながら、ゆっくりと樹を一周する。無論、屋敷とその周囲を視界に捉え、不審な者や兆候が無いかを確認しつつである。

 さて、実際妖といってもどう判ずるべきか。
 無論、村長の言い分は十中八九、間違いであろう。
 妖なんぞ大半の場合、枯れたススキやら朽ちた案山子やらそういったものが関の山。今回の件も間違いなくその類、依頼を聞くだけ聞いて、妖なんて居なかったと明かしてやれば村人も落ち着くだろう。そのついでに当面の間の食事と、よしんば酒も馳走になろう。
 街道で村人に妖怪退治を頼まれた際に、放浪の身の男は暢気にそんなことを考えていた。

 しかし、村長の話を聞くと事態は思ったより難しいようだ。彼が明かしてやらねば、一人の娘の命が危ういのである。しかも厄介なことに、ここ最近不審な自殺が相次いでいるのも、また事実の様だ。
 これは俺がしゃんとせねばなるまいぞ、そう自分に言い聞かせ、まだ見ぬ娘が人間であること、これをどう証明するかを考えつつ、四周に目を配る。

 結果として、何一つ異なものは見当たらなかった。ただ一枚、白木の板が卒塔婆の様に、桜の古木の脇にひっそりと立てられていたのに気付いたくらいである。
 かつては歌が記されていたのであろう。この家の前の主が歌人だったということを思い出し、男はつい何とはなしに、風雨に晒され僅かに残った文字を読み解こうとした。

「ねかはくは はなのもとにて 春しなん そのきさらきの 望月の比」
 
 背後から、歌を詠む少女の声。男は冷や水を浴びせられた様に我に返る。余り信じてはいないが、ここが、妖かも知れない娘の住む屋敷であることを思い出したからである。動揺を悟られぬように、ゆっくりと振り向く。その手は、柄にかけられてはいないが自然体で、且つ、速やかに刀を抜ける位置にあった。

 ほどなくして視界に入ったのは、十代後半くらいであろうか、素朴な感じの村娘であった。妖と疑われる娘、と聞き妖艶な美人を考えていた男の想像とは全く異なり、何とはなしに僅かに肩が落ちるのを感じる。
 父の詠んだ最期の歌です、と。彼女は黒目がちの眼を伏せてそう呟き、男が抜刀できる態勢にあることに全く気付いていないかのように、彼の隣に膝を着く。どうやら、この娘が件の娘らしい。どこか夢見がちなその横顔は、彼に「誰か」を思い起こさせた。

「父は、有名な歌人でした。」
 あなたも父を訪ねて来られたのですか?と首を傾げる娘に男は、否、と答えた。
 あまりに桜が立派なもので、ついつい引き寄せられてしまった。そう答えると、娘は困ったような笑みを浮かべた。

「この薄墨桜は、父が生前手塩にかけて育てておりました。」
 そして――最期の時も、と続ける彼女。村長が言っていた、桜の木とはこれのことだろう。だとすると、困ったような表情にも納得がいく。

 取り敢えず、話を引き出してみるか。
 男が細部を聞こうとすると、娘は男を縁側に案内した。
 立ち話もよろしくないですから、今お茶をご用意しますね。そう言って奥に下がる娘を男は呼び止めた。
 名乗りもせずに不躾で済まなかった。そう一言詫びて名乗ると娘は振り向いて、にこり、と微笑んだ。

「私の名前は幽々子、この西行寺の娘です。」

 そう一言だけ名乗り、再び奥へと姿を消した。
 どこから迷い込んだのか、一葉の蝶がひらりひらりとその後を追う――。

 ◆◆◆

――五、六年前の初冬のある日、当時、都で浪人をしていた男は、下町のとある長屋を訪ねていた。
 この長屋の主は初老ながらも腕の立つ豪放磊落な浪人で、用心棒稼業、近場の道場の手伝い、場合によっては人足など、浪人同士仕事を共にすることも多く、とても親しくしていた。特に用心棒稼業においては、互いに命を救ったことも幾度と無くある。年の差はあれど相棒、といって差し支えない仲であった。
 しかし、今回用件があるのは、初老の浪人ではなく、その娘にである。

 娘は厳つく大柄な父親にではなく、既に亡くなった母親に似たらしい。素朴な顔立ちではあるが、黒目がちの瞳が印象的で、器量良しといって差し支えのない娘であった。
 どうやら浪人は、娘に色々と彼のことを尾鰭を付けて紹介したらしい。実際、年の近いこともあり、互いに相手のことを好ましく思うまでに、そう時間はかからなかった。
 普段であれば、恋仲の娘の元へと通う足取りは非常に軽く、その表情も非常に明るいのだが、本日に関しては足取りは重く、何か考え事をしているようである。木枯らしに身を震わせながら歩くこと四半時。男は目的の長屋に到着した。
 
 しばしの逡巡の後、声を掛けると中から明るい娘の声。曰く、父なら今留守ですよ。とのこと。続いて、見慣れた素朴な笑顔が戸から覗く。
 これは、話を切り出すならば今か。男は上機嫌に微笑む娘とは対照的に渋面で、今朝方郷里から届いた手紙の内容を告げることにした――。 

 ◆◆◆

「首尾は、如何でしたかの?」
 白髪の村長は従来の癖であろう、髭を扱こうとし――それが無いことに気づき、所在なさげに顎を擦りながら尋ねる。

 とりあえず、まだ判断は付かない。男はそう端的に告げた。そもそも、何を以て人か妖か判別をすればよいのか、それがまだ明確になっていない。
 村長もそれについては考えていたようで、直ぐに意見を述べる。

 村長の話によると、今までの自殺者は皆、西行屋敷を訪れてから四、五日で自死に至っているとのこと。例外は最初の死者――西行屋敷の庭師である。彼については永らく庭師として出入りしていた為、正確な時期は不明である。
 大まかに考えて、もし娘が妖だとしてだ。
 娘が妖力を使い始めたのは二、三週前、そう考えると全員の自死までの期間は、概ね等しくなる。
 そのことを村長に告げ、意見をすり合わせる。西行屋敷の娘を人と判ずる条件。二人の意見は、次で一致した。

 男が一週間、西行屋敷に通い、自死することなく生存すること。以上である。


◇◇◇ 三日目(五分咲) ◇◇◇

 幽々子という娘と最初に会って二日後、男は再度西行寺を訪れた。
 一昨日は桜の樹について彼女の父について、当たり障りのない話を聞き出した。おおむね村長の話と一致しており、何も疑うところは無い、といった感じである。

 昨日は村を廻り、二、三週間ほど前に何か異なことが無かったかを聞いて回った。結果は皆無。村人の誰一人として、何一つ気にすることは無かったとのこと。否、あるにはあったが、近くを山犬がうろついていた、とか普段風邪をひかない隠居の爺さまが鬼のかく乱に会った、とか茶柱が立った、とか他愛の無い内容ばかりであった。
 取り敢えず、娘が人間であることを否定するような情報は無い。男はそのことに僅かに安堵した。

 茶を馳走になった礼を述べ、他愛もない世間話に来た風を装う。実際、条件が決まった以上、彼の為すべきことはその程度でしかないのだが。
 桜の樹に目を遣ると、花は既に五分咲き。花の付き方も見事で、満開の桜は恐らく凄絶なほどに美しいだろう。暫く桜に見惚れていると、娘は今日も、お茶を勧めてくれた。
 
 茶を啜りながら、彼女にもここ二、三週で変わったことは無いか、と尋ねる。無論、目的は二つ。カマ掛けと情報収集である。ここでもし、娘が妖であるのならば、男の問いに疑念を持ち、何かしら仕掛けてくるだろう。そうなれば、より尻尾をつかみ易くなる。そうでなければ無論、彼女の身を明かす材料となる。

――はい、ありました。 
 
 なんと。予想外の答えに、男は心持ち、身を乗り出す。
 幽々子は、悲しげに目を伏せて、静かに答える。

――わたしを昔から可愛がってくれた庭師の爺やが、近くの淵に身を投げました。
 
 少し考えれば迂闊と解る、拙い質問であった。男は娘の目に浮かんだ涙を見て、後悔する。その一方で、この娘は妖では無さそうだな、と心が傾くのを感ずる。
 しばし訪れる重苦しい雰囲気を払いのけるように、男は周囲に目を配る。
 視界に入った薪の山。茶代と言っては何だが――と薪を割る男を、娘は当初引きとめはしたが、男手が無いのである。また、ここで頼めば先の質問のお詫びとして受け取れる、という気遣いもあってのことだろう。結局幽々子は、男の申し出を受け入れることにした。

 しばらくの時が過ぎ、日が傾き、割られた薪が数抱えには成ろうとする頃、男は屋敷を後にした。

 結局、罪滅ぼしにはならなかったか、と。男は、何とは無く罪悪感を感じながら門をくぐる。その罪悪感の根源は、昼食。
 あの質問の謝罪にと薪割りをしたものの、昼に差し掛かったところで、娘が昼食を振舞ったのである。
 娘曰く、父が食道楽であり、煮炊きにはやかましかったとのこと。材料と品は素朴な物ながらも、旬の素材、絶妙な調味により非常に美味であったことを思い出し、男は何となく気が引けるものを感じる。
 まぁ、とはいえ本日の娘の身の振る舞いには何一つ違和感は無く、彼女を妖と判ずるのはより難しくなったように思える。

 屋敷の門をくぐり、数歩進んだところで、男は娘に呼び止められた。
 もう一件、三週ほど前に気が付いたことがあるとのこと。詳細を尋ねる男に幽々子は頷く。

「薄墨桜に、蕾がつきました。」

 一言そう答えて、彼女は男の背中を見送った。

 ◆◆◆

「昨日、郷里にて兄が死んだ。」

 努めて平静に告げる男の一言。娘はそれの意図するところを考え――やがて思い当たり、うろたえる。

「そう、某は郷里に帰り、家督を継ぐこととなった。」
 つまり――あなたさまは、浪人の娘と――わたしと一緒に暮らすことはもうできないのですね――。

 娘の血を吐く様な、切なげな一言。男はそれには何も答えずに、渋面で腕を組んだ。それを彼女はどう捉えたか。
 それならば、と娘は激しく動揺した様子で、戸口から長屋の奥へと、よろめきながら姿を消した――。

 ◆◆◆

 男はその夜、昔の夢に魘され、目を覚ました。
 そう言えば最近、自然と思い出さないようにしていた過去を回想することが頻繁にあるような気がする。
 それは、西行寺の娘が、あの娘に似ているからなのか――。
 
 とにかく男は一度身を起こそうとし、胸の上にあるものを見つける。
 それは、一葉の蝶であった。最近、どこかで見た覚えのある。
 男は蝶を手で払い身を起こすと、寝汗でべたつく顔を洗うべく、土間へ向かった。


◇◇◇ 五日目(七分咲) ◇◇◇

 今日も今日とて、男は西行寺に向かうことにした。
 村長の話では、西行寺を訪れた者は四、五日で不可解な自死を遂げるという。つまり、もし娘が妖だとすると、何かしら仕掛けてくるのは今日、ということである。
 さて、今日は特に気合を入れねばな、と男は自分の頬を叩く。
 
 しかし、その気合とは裏腹に、西行寺の娘は今日も今までと変わりなく、男を迎えた。
 否、今までと変わりなく、ではない。だいぶ男に親しみを持ったのか、今日は娘は笑顔をよく見せる様であった。
 
 正直、昼飯に何か薬を混ぜられるかも知れないと、今日は煮炊きを手伝う振りをして娘の挙動を観察したが、全く以て怪しい素振りは何一つ無かった。
 結果を言うと、今日も昼食は旨く、娘に特におかしな振る舞いは無く、男は無事に五日目を過ごすことが出来た。
 
 この日は、男は過去を思い出すことは無く。また、蝶を見かけることも無かった。

◇◇◇ 七日目(九分咲)~ 八日目(満開) ◇◇◇

 男は今日は足取りも軽く、村はずれの西行寺へと向かう。西行寺の娘は妖ではない。今日が終わればそれを皆が認める。そもそも、五日目が過ぎ七日目の今日は、ほぼ駄目押しなのである。男はもう既に、ほぼ娘を人と断じていた。
 村長も半信半疑ながらも七日目の朝を迎えた男を見て、西行寺の娘が一連の犯人ではない可能性はありますな、と同意した。とはいっても、彼は生来疑り深い性質の様で、男に更に一週間の逗留を勧めてきた。

 男は内心喜色を隠しながら、決して表に出さぬよう気をつけて頷いた。気立ても器量もよい娘と一日雑談し、更に旨い飯を馳走になる。我ながら随分と俗じみていると思いつつも、これはそういう仕事なのである。
 また、彼が村にいる限り、それでも娘を恐れる村人が下手なことをする危険もあり得ない。別に娘に恩を着せるわけではないが、村人にどのように疑われていたのか、そのことを伝える事も必要であろう。些細な身の振る舞いから疑惑が再燃してしまっては、余りに残念である。
 さて、いつも昼食を馳走になっているしな、と。ここ数日の例を何かせねばならぬと思い当たり、心ばかりの礼として、男は数合の酒と、菓子を途中で買い求め、西行寺へと向かう。

 男は今日も額の汗を拭きつつ、薪割りに勤しむ。他にも男手の必要なところがあれば何なりと手伝う旨を告げると、娘も、では遠慮なくお願いしますね。と笑顔で返した。
 生来、彼女は人懐こい性格なのだろう。結構に打ち解けた様子である。笑顔も、当初は寂しそうな微笑みが多かったが、今日は大輪の花の様に笑うようになった。

 今日の昼飯もまた、美味であった。
 男は食後の骨休めに、縁側に腰掛け桜を見遣る。薄墨の花は明日には満開となろう、男がかつて想像した以上に美しく、幽世のものじみた装いを見せていた。
 そういえば、と。男は今朝方買った土産を思い出す。菓子と酒を娘に勧めると最初は断ったが、では、折角ですので一口だけいただきます、と父のものであろう、お猪口を二つ持って男の隣に腰かけた。

 酒と菓子に興ずること数刻、男は今回の依頼について、話すことにした。
「某の仕事は、幽々子殿が人か妖か、判ずることであった。」
 その告白に娘はきょとん、とした表情を浮かべる。男は、この仕事を受けた背景と一連の出来事について、説明する。
 村では西行屋敷に良からぬ噂が立っていること。不審な自殺者が相次いでいること。その両方を村人が安易に結びつけ、疑念に思っていること。男の受けた依頼は彼女を人か妖か判ずることであり、一週間が過ぎて男が自害しなければ、その疑いは晴れること。
 
 無論、妖と判じたならばその場で斬って捨てること、など余計なことは口に出さずに説明を続ける。
 娘は当初、庭師を含めた村人を死に追いやった疑いが掛けられたことをひどく悲しんでいたが、それが晴れたことを告げると、安堵したようであった。
 そして男が当分の間逗留し、娘に危害が及ばないようにすることを告げると、彼女はとても嬉しそうに微笑んだ。

 出来るならば、この笑顔を永く見守りたいものだ。
 男は心の底からそう願う。どうやら俺はこの娘に惹かれているらしい。内心そう思っていることに気づいて、何とはなしに男は気まずく思い、慌てて娘から目を逸らす。


――すると、いつの間にだろう。男の周りをふわりふわりと遊惰に舞う数葉の蝶が目に入った。それを見て、男はふと首を傾げる。
 最近、この辺りでよく見かける蝶だ。否、このあたりでしか見かけたことのない蝶である。
 男はその蝶を眺めるうちに、不意にあることに気付く。
 そう言えば最近、過去のことを思い出すのは、決まってこの蝶を見た後であることに。
 所在なさげに舞う数葉の蝶、そのうちの一葉が、静かに彼の手の甲で羽を休める。それを振り払おうとした瞬間。

――男は、極めて、思い出したくない、過去を、幻視した。

 ◆◆◆ 

 娘が戸口から姿を消して数刻、ドサリ、と何かが倒れる音を聞き、男は長屋へと駆け込んだ。
 咽るような血臭が鼻をつく。果たして娘は血だまりの中、勝手の土間に倒れ伏していた。

 慌てて抱き起こすも喉元から流れ出る血にもはや勢いはなく、娘の命が助からないことは明白であった。

――何故こんなことを――
 男の悲嘆に満ちた問いかけに、娘は夢見がちに、悲しげに唇を震わせた。

――だって、あなたさまと一緒になれないのでしたら、生きていてもしようがありませんもの――
 血を吐く様に、苦しげに呟く、娘。 

(なんと愚かなことを。俺は、俺は――)
 男は娘に何かを告げようとし、もう今となっては手遅れであることに気づき、必死に言葉を呑みこんだ。
 末期の苦しみに喘ぐ娘に、男が今してやれることは行為を咎めることでも嘆くことでもなく、たった一つ。

――××殿、せめて今、楽に――

 それはこの事態を招いた自らの手で、好いた娘の命を奪うこと。男は小柄を抜くと、娘の首にあてがった。そして一息に力を込め――

 ◇◇◇

 数秒後、娘の貌からはもう既に断末魔の苦しみは消えていた。穏やかな貌で彼女は静かに呟く。

――もしもわたしを憐れに思うのでしたら、せめて彼岸で、夫婦(めおと)となりましょう――
 
 娘の最期の言葉は、甘く、甘く男を死に誘うようであった。
 
 ◆◆◆

――ああ、せめて彼岸で、夫婦となろうか――

 不意に湧き出る、酷く暗い願望。それは野火が燃え広がるがごとく、瞬く間に男の心を塗り潰そうとし――無意識に脇差に手を伸ばすが、済んでのところで、男は我に返った。

 何だ。今のは、と。
 先程、見慣れぬ蝶に触れたその瞬間に、不意に彼の意志は彼岸へと向けられた。そのことを思い出す。

 彼は理解した。先程の蝶が相次ぐ自殺者の原因であると。とすると彼らが犯人と疑っていた彼女も、蝶に憑かれて死に魅入られるのではないか。
 幽々子の身を案じて慌てて彼女に視線を遣り――彼は絶句した。

 なんということだろう。いつの間にか幽々子の周囲には先程の蝶が、無数に浮遊していた。
 しかし、彼女は蝶を気にとめることも無く、全く平然としている。
「ご気分がすぐれないようですけど、いかがかなさいましたか?」
 男を気遣わしげに見て、指先を伸ばす。
 そして――男は見てしまった。彼女の指先から、蝶が生まれ、そして飛び立つのを。

 この娘が、元凶か――。
 やはり村長たちが疑うように、彼女は、妖だったのだ。
 簡単に彼女を信頼し、騙されていた自分への憤怒、信頼を踏みにじった幽々子への憎悪。そういったものへの怒りに身を任せ、男は叫ぶ。

「おのれ、化物ッ!」

 男は素早く抜刀し、膝立ちの八双から幽々子に斬りかかる。
 裂帛の気合と共に振り下ろされた刃が彼女の首筋に届く寸前、男はかろうじて踏みとどまる。彼女の瞳が純粋な驚愕に見開かれていたからである。

 この娘は自覚して死に誘っているわけではない――彼は済んでのところで思い至る。
 ここは周囲に害を及ばさぬ様、彼女を連れて村から逃げ出すべきなのではないか。そんな考えが頭をよぎる。そして、彼は再び過去を思い出す。

 家を捨てて共に暮らそう。あの告白の後俺は、そう告げる筈だったのだ。そして郷里を離れ、どこかで静かに家を構え、幸せに暮らすことを夢見ていた。
ああ、彼女が早まりさえしなければ。

――俺は、また女子を手にかけるのか?ここはやはり、連れて逃げるが正解か――

 その逡巡の間にも、幽々子の腕から生まれた無数の蝶は男を覆っていき、

 刃を納めるべきか迷っていた男は、不意に脇差を逆手に持ちかえた。
 その切先の行きつくところは鞘ではなく――

 ◇◇◇

 ぬらり、と。
 茫然としていた幽々子は膝を濡らす血の感触に、ふと我に返る。
 目の前の男は、自らの臍下に、深々と、手にした刃を突き立てていた。

 数呼吸の後、男は、前のめりに頽れる。
 彼女は、その貌を直視してしまった。

 彼が浮かべていた表情は苦悶でも憤怒でもなく、恍惚。

――××殿、××殿。永らく寂しい想いをさせて済まなかった。某も今そちらに向かう故、彼岸で祝言を挙げようぞ――

 男は満面の笑みを浮かべ、幽々子に向かって手を伸ばす。
 彼の眼には幽々子ではなく、かつて手にかけた恋仲の娘が映っているのであろう。永らく離れていた恋人の頬を撫でようとするかのように手を差し伸べ、そして、倒れ伏す。

――なんということか。先刻、彼の語っていたことは、真実であったのだ。

 目の前の男の不可解な自刃。彼女はここに至りようやく悟る。
 己が既に人ではなく、ただ死を撒き散らすだけの怪物となり果てていたことに。もはや物言わぬ屍と化した男を見下ろし、彼女は何を思ったのか。


 西行寺幽々子が蝶の様にふらふらと薄墨桜の木に向かい、満開のその根元で喉を突くのは、この翌日のことである。
まずは暗い拙い話にも関わらず、お読み下さった皆様に感謝を。
本作は久しぶりに暗い話を書きたくなって、作った次第です。時代考証が明らかにおかしいのは、目を瞑って頂きたく…。
オリキャラのお侍と、死に誘う程度の能力(正しくは「死を操る程度の能力」ですが)を持ってしまった少女のやり取りを書きたかったため、西行寺幽々子の性格には余り焦点が 当たっていません。これを創想話に投稿するのは微妙かも知れません…。
Mongreldog
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コメント



0.100簡易評価
1.80名前が無い程度の能力削除
時代がかった文章と舞台装置が物語に小説としてのリアリティを与えています。

いとも簡単に次々に死んでいく人々。まさに「死に誘う程度の能力」の描写でした。この淡々とあっさりと死んでいくあたりが切ないです。
2.90非現実世界に棲む者削除
斬新ですね。
ゆゆさまが亡霊になるきっかけとなった過去話はいくつも読んできましたけど、この作品は最も斬新でした。

ボーダーオブライフは富士見の娘の手の内にあり。
3.90奇声を発する程度の能力削除
こういうのも新しくて良いですね
4.無評価Mongreldog削除
暗く、また拙い話にもかかわらず、お目通し及び評価をしていただき、誠にありがとうございます。
>1さん 文章については、できるだけ古めの感じを与えられるよう、単語を選別(一部できておりませんが)するのは、非常に苦労しまして、そこに一声かけて頂けましたのは非常に嬉しいです。
非現実世界に棲む者さん 斬新との評価を頂き、誠にありがとうございます。正直なところそんなに暗くするつもりは無かったのですが、登場人物の過去を考えるうちにいつの間にか鬱な展開になってしまいました……。
奇声を発する程度の能力さん また新たな切り口から東方キャラを描いてみられるよう、努力致します所存です。
5.100名前が無い程度の能力削除
引き込まれてしまったのでこの点数で

しかし現在の幽々子は生前を知らず
7.無評価Mongreldog削除
>5 さん、「引き込まれた」とは作者にとって、極めて嬉しい言葉でありまして、その様に評して頂けましたこと、誠にありがとうございます。
また、おっしゃいます通り、ゆゆ様には生前の記憶がありませんので、完全に「西行寺幽々子」の名を関するオリキャラになってしまった感が有りますね…。
8.90名前が無い程度の能力削除
主人公=妖忌だと思っていたのでこれは意外な展開。古風な雰囲気の文章もグッドです。
9.100愚迂多良童子削除
いやもう、前日談を見た途端にぞくっとした。
作品の雰囲気も古めかしくて良いし、文章も美味い。久しく良い物を食った気分。
話も短いながら纏まっているし。これは満点だ。
10.無評価Mongreldog削除
〉8 さん。今回の登場人物の男については、最期に腹を切らせることは最初に決めておりましたので、東方キャラは使用できませんでした…。

愚迂多楽童子さん。「前日談」については、前日談として冒頭に持ってくるか、回想として文中に埋めるかを最後まで悩みましたので、その様に評して戴けますと悩んだ甲斐があったというものであり、非常に嬉しく存じます!
12.803削除
何というか、ありそうな話ですなー……。
新しい設定ですが、説得力がありました。
オリキャラの使い方も上手いです。