太陽のきらめく夏真っ盛り…な地上とは違い、いつでも暗く冷んやりとした地底深くの地霊殿。
「ではお燐、留守を任せましたよ。と言っても明日には戻ってくるでしょうが」
「任せてくださいよさとり様!」
「頼もしいですね。ではおくう、行きましょうか」
外出するさとりと空を見送る燐。外出と言っても中庭から更に地下深くに行くのだが。
留守を任されたと言っても燐は特別なことをするつもりもなかった。場所が場所なので来訪者というのも滅多にない。
余程の事がなければ、せいぜい家主の妹であるこいしがふらりと帰宅した時に必要があれば相手をするくらいである。
とは言え、留守を任された以上外に死体を拾いに行くわけにはいかない。
日課の死体拾いをできないと思うと少し物足りないような気もするが、その浮いた時間で普段よりも念入りに猫車の整備や清掃、点検をすればいい。
そんなことを考えながら中庭から戻ってきた燐の耳に玄関口から呼び鈴のなる音が聞こえて来た。
「タイミング悪いねぇ。まったく…しょうがない」
滅多に無いはずの来訪者がこのタイミングでやって来たのだ。
あと少し早く来てくれれば家主が直々に応対する事ができたのだが。
「面倒な奴じゃなきゃいいんだけどねぇ」
残念な事に燐は性格こそ社交的だが、訪れた客のもてなし方というものがよくわからなかった。下手なことをして飼い主の評判を落とすこともあり得る。
なのでできれば家主の不在を聞いたらそのままUターンするか、もしくは追いかけてくれればいいのだが。
「お待たせしましたー。えーっと…お姉さん、どちら様ですかねぇ…?」
見知った顔であればもてなす必要もないのでそれでもよかったのだが、残念なことに扉を開いた先にいたのは、見知らぬ妖怪であった。
◇ ◆
「今回のプロジェクト、成功するといいですね」
「はい!絶対成功させてみせますよ!」
「頼もしいですね。おくうも、お燐も」
二人の今日の目的は空が提案し建造された新たな施設の最終確認に行き、その結果を書類に記入するというものなのだが。
「そういえばさとり様。書類はどこにあるんですか?」
「おや…?私とした事が、どうやら置いてきてしまったみたいですね」
「じゃあ私が取ってきます!」
「私が行くよりその方が早いですね。お願いするわ」
「わかりました!」
「書類は私の部屋の机の上に置いてあるはずです。もし見当たらなければお燐が知っているはずですから聞いてください」
「了解です!じゃあ急いで行って来ます!」
「お願いします」
さとりに敬礼の真似をし、空は引き返した。
◇ ◆
「なんだろう…何か寒いなあ」
地霊殿に戻ってすぐに、空は違和感を感じた。
床暖房完備とはいえ、地霊殿は地底にあるので基本的には涼しい。
しかし今の地霊殿は涼しいと言うには少し寒過ぎた。
「お燐が何か冷やしてるのかなあ」
自分が出る前と比べて、確実に館全体が冷えている。
原因が気になるものの、あまり気にし過ぎて本来の目的を忘れるわけにもいかないので、空は言われた通りさとりの部屋へ向った。
「う~ん。無いなあ」
だが机の上に荷物は無かった。
もし机の上に無ければ、お燐が知っているはずだ。とさとりが言っていた事を覚えていたので、空は館全体に広がる寒気の正体を聞くために燐を探す事にした。
◇ ◆
「うっ…寒いっ!」
扉の前に立っただけだというのに鳥肌が止まらないほどの寒さ。
どうやらこの部屋の中に寒さの原因があるらしい。
「えい!やぁ!」
ドアが凍りついていて、ドアノブを掴めば手に怪我を負いそうな気がしたので制御棒を使いドアを叩き壊して中に入ることにした。
状況が状況なのでさとりも許してくれるだろう。
「うぅっ…!さっむいぃぃ!!」
部屋の中は外とは比べ物にならない程に冷えていた。
一面が凍りつき、キラキラと輝いている。普段の空ならば部屋一面の光り物に眼を輝かせるところだが、寒過ぎて今はそれどころではない。
これはどう考えても異常事態である。できるだけ早くさとりに報告したいところだが。
「お燐…ここにもいない…?」
親友の姿が見当たらない。もしかしたらこの異常事態に巻き込まれたのではないかと心配する空。
「…犯人を追っかけてるのかな…?」
考えてみれば寒さに弱いお燐がこんな部屋にいつまでもいるはずが無い。
きっと犯人を追っているか、さとりに報告しようとして入れ違いになったか。そのどちらかだろう。
お燐は弱い妖怪ではないのだ。この状況を見ると相手もそれなりの力を持っているのだろうが、お燐が負けるはずがない。
万が一、相手がお燐より強いとしてもお燐は勝ち目の無い相手に挑む程馬鹿は無い。勝てないならば自分達を追いかけてきて応援を頼むはずだ。
「そうだ。ここにいてもしょうがない」
燐を信頼するならば今ここで自分にできる事はない。となればさとりを呼び戻し、この状況をどうするか仰ぐべきだ。
空は氷に包まれた部屋を後にした。
部屋の中央にそびえ立つ不思議な氷塊を気にすることも無く。
◇ ◆
「確かに寒いですね…」
さとりを呼び戻した空だったが、そこに燐はいなかった。
ならば犯人を追いかけたのだろうと空は判断した。
「これは…なんだか面倒なことになってますね…」
氷漬けの部屋を見たさとりの率直な感想である。
「どうしましょう?犯人はお燐が追ってますから大丈夫ですけど」
「そうですね…とりあえずお燐に話を聞く必要があるでしょうね」
「お燐が捕まえるんですから話を聞く必要なんて無いんじゃないですか?」
空は少しムッとした。
さとりはお燐を信用していないのだ。
相手がどんな妖怪か知らないが、お燐の素早さに敵う妖怪などそうそういない。
相手が天狗などならば話は別だが、天狗にこんな真似はできない。ならばお燐が犯人を捕まえてここに連れてくるのは時間の問題だというのに。
「怒らないでくださいよ、空」
「別に怒ってません」
さとりに嘘を吐いても意味が無いことなどわかっているが、それでも吐いてしまうこともある。
「お燐が追っているのなら信用しますよ。でもここにいるなら、信用のしようが無いないでしょう?」
空には、さとりの言葉の意味がよくわからなかった。
「お燐がここにいるって、そんなわけ無いじゃないですかさとり様。こんな寒いところにお燐がいられるわけないですよ」
空の反論に、さとりは困った様な顔をする。
「うーん…貴方は…もうちょっと注意力を鍛えましょうね…」
やはりさとりの言いたいことがわからない。いくら注意して見たところで、ここにいない相手など見つかるはずが無いのに。
「…しょうがないですね…。このまま放っておくのも危ないですし、早いところ助けてあげましょう」
そう言うと、さとりは部屋の中央に佇む一際大きな氷塊に向かい、根っこの部分を指した。
「空、ここを温めてください。一番小さい力で、ですよ」
さとりの意図は読めなかったが、とりあえず言われた通りにできる限りの弱い力で氷塊の根元を溶かした。
「ではそちら側を持ってください。滑るから気をつけてくださいね、落としたら大変ですから」
さとりに言われるがまま空は氷を運ぶ。
大部屋まで運ぶと下ろすよう指示された。
「さて、どうやって溶かしましょうか」
「この丸い氷の中に入ってるものって、そんなに大事な物なんですか?」
「あぁー」
空の発言を聞いたさとりは、自分の顔を平手で打ち、そのまま顔を覆った。
「貴方は今まで何を見てたんですか…」
「氷がキラキラしてて綺麗だな!って思ってました」
「あぁー!!」
思わず二度目の平手打ちをするさとり。
「そうですか…そうですか…」
「ど、どうしたんですかさとり様!」
「いえ、なんでもないです…」
空の目はどれだけ節穴なのだと指摘したいさとりだが、そんなことを話している場合ではない。
空は細かいことを気にしない性格なのだが、なんということもないちょっとした言葉で傷付くこともある複雑で繊細なな面もある。
いくら心が読めても何が相手を傷つけるかわからないのだから、さとりの力も意外と不便である。
「…とりあえず、お湯をかけて溶かしましょう。おくうはお湯を用意してください。私は床暖房をつけておきますから」
「わかりました!」
◇ ◆
数分後、さとりに指示された通りお湯を張った鍋を持って空は戻ってきた。
「持ってきました、さとり様!」
「ありがとう、おくう。では私はこれをかけて溶かすから、その間貴方は同じ様に他の鍋にもお湯を入れて持ってきてちょうだい」
「了解ですさとり様!」
溶けた氷とかけたお湯で床が水浸しになってしまうが、氷の中身を考えればそんなことを言っている場合ではない。
さとりは、一刻も早く氷を溶かしたかった。
「もうそろそろよさそうですね…。おくう、もうお湯はいいですよ」
空がお湯を用意するために台所とこの部屋を何度となく往復した頃
、さとりは作業をやめるよう指示する。
「これだけ溶かせば貴方もわかるでしょう」
お湯を持って入り口に立っていた空を手招きし、半分溶けた氷から出てきたものを見せた。
「えっ…そんな…なんで!?何してるのお燐!?」
溶けた氷の中から現れたのは、犯人を追いかけているはずの親友だった。
「わかりましたか、おくう。何故私がこれを持ってきたのか」
「全然気づきませんでした…」
やれやれといった表情で空を見るさとり。
「でもなんでこんな格好してるんでしょう?」
「お燐に起きてもらわないことには私にもわかりませんね」
燐は海老反りになって両手で両つま先を掴んだ状態で凍っていた。まるで輪っかのように。
「おそらく犯人の仕業でしょうが…猫背じゃなくてよかったですね。下手したら死んでますよ」
「猫状態じゃなくてよかったですよねー」
「とは言え、このままほったらかしにしていても危ないですね。またお湯を持ってきてください」
「了解です!」
さとりはお湯をかけ続けた。
氷が完全に溶けると、二人がかりで燐の体を真っ直ぐに戻していく。
妖怪は頑丈な体を持っているとはいえ海老反りの状態で凍らされたのを戻すとなると何かが起きないとも限らないので二人とも慎重に扱う。
体を伸ばすと、後は温かくして目が覚めるのを待つだけである。
空は燐の側で、さとりは自室で編み物をしながら燐が目覚めるのを待った。
そして数時間後。
「あ…あれぇ…?あたい、なんでここで寝てるんだっけ…?」
燐は目を覚ました。
「どうですか、お燐の様子は?」
編み物を一時中断したさとりが、ちょうど部屋を訪れる。
「今起きたところです!」
「そうですか。では早速始めましょう」
「あれ…?さとり様…おくうも…。施設に行ったはずじゃ…?」
「私が書類を忘れてしまいまして、取りに戻って来たおくうが氷漬けの部屋を見つけてくれたんですよ」
さすがに目覚めたばかりの燐に、親友が自分が凍っていることに溶けるまで気づかなかったとは言えない。
「すみません…あたい…」
「気にすることは無いですよ。でも何があったのかだけ教えてください。もちろん、思い出してくれるだけでいいですよ」
「はい…さとり様…」
思い浮かべる事ができれば口を開けなくとも証言できる。やはりさとりの力は便利である。
◆ ◇
「お待たせしましたー。えーっと…お姉さん、どちら様ですかねぇ…?」
「私はレティ・ホワイトロックと申します。お願いがあってやってきたのですが、この館のご主人で?」
「あたいはペットだよ。ご主人様はさっき出かけちゃったばかりでね、当分戻ってこないと思うけど」
「ではそれまでここで待たせてもらうことはできるかしら?」
客の相手など面倒なだけなのでできれば追い返したいところだが、待ちたいと言っている相手にそのような対応をしては地霊殿の評判を悪くしかねない。
「…どうぞ」
自分のせいで主人の評判が悪くなってはたまらないと、渋々客を招き入れる燐。
「おジャマしま~す」
館内に入った燐はとりあえず客間に通す。
「お茶でも持ってくるから、ちょっと待っててよ」
「あ、私熱いのダメだから冷たいのでお願い」
いきなり訪れておいてなんと厚かましい奴だろうか。
いくら涼しい地底とはいえ夏に熱いお茶など入れるわけがない。
そもそもあたいは猫の妖怪だ。猫舌なのだ。
「はぁ。わかったよ」
でも客に対して不満を見せるわけにはいかない。もしかしたらさとり様の取引相手の可能性だってある。下手を打ってさとり様に迷惑をかけるわけにはいかない。
燐は素直に冷たい飲み物を用意することにした。
「これでいいかね?」
「急に来ておいてそんなにいろいろ要求するつもりなんかないわよ」
冷たいものを持ってこいとわざわざ指定しておきながら、よくもまあそんな事が言える。
もちろん口にも態度にもそんな様子を見せるつもりは無かったが。「私、熱い物って近づけられるだけでおかしくなっちゃうのよ」
隠しているつもりでも、レティは気づいていた。燐は不満が滲み出ていたのだ。
「なるほどね、そんな理由が。熱いのが苦手なのかい?」
ばれてしまったならしかたがない。やはりあたいには堅苦しいのよりも、フレンドリーに接する方がやりやすい。
「苦手…なんてものじゃないわね。冬以外に外に出ようものならすぐにでも体がおかしくなるでしょう」
「そりゃ大変そうだね」
「一年の半分以上はまともに動けないもの。大変なんてものじゃないわ」
「じゃあ冬以外の季節はどうやって過ごしてるんだい。冬眠ならぬ夏眠でもしてるとか?」
それだけ苦手なら寝ている間に死んでいてもおかしくは無さそうだけど。
「色々な場所に隠れて何とかやり過ごしてるの。で、いつもなら春に見つけた場所にずっといるんだけど、運の悪いことにそこにいられなくなっちゃってね。だから冬までこの辺りを使わせてもらいたくて、今日はそれを頼みに来たのよ」
「なるほどねぇ。確かにここは夏でもそう暑くないけど」
おくうがうっかり力を使ったりしなけりゃね。
「でもあたいが許可を出すわけにもいかないね。いつ戻ってくるかわからないよ、さとり様は。明日になるかもしれないし。それまで待ってもらうことになるけど、いいかい?」
「もちろんそのつもりよ。ところで、ここのご主人はさとりって言うのね」
「そうだよ。…そういえば自己紹介が遅れたね、あたいは火焔猫燐。さっきも言った通りここのペットさ。みんなお燐って呼んでる。お姉さんもどうぞ」
「燐…燐ね…ふふっ」
人の名前を聞いて笑うなんて、ずいぶんと失礼な奴だね…。あたいに何の権利も無いとはいえ、ものを頼みに来てる奴の態度とは思えないよ。
「あっと、失礼。別に貴方の名前を笑ったわけじゃないのよ」
「じゃあ何がおかしかったのか聞かせてもらおうじゃないか」
「私のスペルカードに『リンガリングコールド』っていうのがあってね。貴方を輪っかにして冷やせばまさに『燐がリングでコールド』だな、って思ったの」
「………」
言葉が出ないとはこのことだね。名前そのものを笑われるのに比べたらマシだけど、呆れるっていうかなんていうか。
もうちょっと早く、さとり様が出る前に来てくれればこんな寒いギャグ聞かされずにすんだのになあ。
「鼻水垂れてるけど、大丈夫かしら?」
「あっ…鼻紙、鼻紙」
あんな寒いギャグ聞かされたせいか本当に寒いような気がしてきたよ。
「お見苦しい物をお見せしたね」
「しょうがないわ、この寒さだもの」
「寒い…?そんな馬鹿なこと…」
確かに寒い。
事実、燐の腕には鳥肌が立っていた。
寒いギャグを聞かされたからじゃない。本当に温度が下がってるんだ。
「…あっ、徐々に冷やすつもりだったんだけど、言っちゃったわね」
「あんたの仕業か!」
どういう妖怪なんだか知らないけど、そういう能力なのか!
「バラしちゃった以上しょうがない!一瞬で冷えてもらうわ!」
しまった…寒くて体が動かない…!
「うふふ…体が自由に動かないでしょう」
「くぅ…こんなことして、一体どうするつもりだい!」
「決まってるじゃない。貴方に、私のネタを体現してもらうのよ!」
「はぁ!?」
「『燐がリングでコールド』するのよ!」
「何馬鹿なこと言ってんだい!さとり様が戻ってきて痛い目見せられる前にさっさとやめなって!」
「芸術のためにはそんなことを恐れるわけにはいかないの!」
ただのギャグを芸術だなんて、こいつおかしいよ!
「そろそろ本当に抵抗できなくなってくる頃ね…やらせてもらうわ」
「痛い痛い痛い痛い!」
「貴方体固いのね」
「冷え切った体を無理矢理曲げられたら痛いに決まってるだろ!」
「それはそうかもね。でもこれは芸術のための尊い犠牲だから、我慢してね」
「っていうか背中はそっちには曲がらないって!!痛い!痛い!」
「芸術のためよ!頑張って!」
「かっ…カッぺなこコを…!」
背を逆側に曲げられ、声を出すのも辛くなってきた燐。
「やめなさいやめなさい。貴方も妖怪だからこの程度じゃ死なないでしょうけど、そんな風に無理に声を出せばどこかおかしくしてしまうわ」
既におかしな姿勢をさせられてるんだけど、それはいいのか。
いい訳がない。
しかし既に体の自由を奪われ、背を反らされた燐には抵抗する術など無く、レティが自分の背骨を折らずにいてくれることを祈るしかなかった。
「ふぅ…できたわ!」
背を反らし、両手は両足を掴み、燐は見事な輪となった。
最初は無理やり体を反らされる痛みに声をあげていた燐だったが、気がつくと痛みも感じなくなり静かになっていた。
体が柔らかくてよかった。
「後は…冷やすだけね」
もう十分冷たいのにまだ冷やす気かい!そんなことしたらあたい凍死しちゃうって!
だが抵抗しようにも冷えきった体は動かない。レティによって自分の体が部屋ごと冷やされていくのを、燐は見ていることしかできなかった。
「…やり過ぎちゃった…」
レティが力を使い終わると、燐も室内も冷え冷えを通り越して凍りついていた。
「これじゃあ『燐がリングコールド』を通り越して、『燐がリングフリーズ』よ…せっかくのギャグが台無し…」
どっちでもいいからあたいを元に戻せ!
「そもそも私はお願いをしに来たはずなのに、こんな事したら聞いてもらえるものも聞いてもらえないじゃない…」
凍りついた部屋とペットを見て、レティは自分の行為を反省する。
「お願いできない以上、いつまでもここにいてもしょうがないわ!家主が戻ってくる前に逃げなきゃ!」
あっ、待て!行くな馬鹿!置いてかないでよ!お願いだからせめて氷溶かしてよ~!
燐の願いも心の叫びも虚しく、レティは部屋から出てしまった。戻ってきた家人を少しでも足留めするために部屋の入り口を凍らせて。
「えい!やぁ!」
それから数分の後、燐の予想よりも遥かに早く空が帰宅し、館内の異常に気付き燐の凍る部屋を訪れた。
お…おくう…!こんな早く戻ってくるなんて、あたいのピンチに気付いて駆けつけてくれたんだね!やっぱりあんたは親友だよ!
「うぅっ…!さっむいぃぃ!!」
あたいはもっと寒いよ!だから早く助けてくれ!
「お燐…ここにもいない…?」
何言ってんの!あんたの目の前にいるだろ!
「…犯人を追っかけてるのかな…?」
うっ…耳が痛い…。
でも出たらすぐに追いかけるから、とにかく助けて!
「そうだ。ここにいてもしょうがない」
しょうがなくないよ!目の前で親友が凍ってるんだよ!やる事あるでしょ!待って!やめて!行かないでー!!
心の叫びは空に届かず、燐に気付く事なく部屋を後にしてしまった。
それからあたいは、さとり様がやってくるまでレティと…馬鹿烏を呪いながら氷の中で一人海老反りをしていたんです。
◇ ◆
「と、いうことみたいですよ。おくう」
「うぅっ…お燐がそんな目にあってるのに、私、気がつかなくてごめんねぇぇぇ!!」
「やめなさい」
泣きながら燐に飛びつこうとする空をさとりが制す。
「お燐は安静が必要なんですよ」
「ごめんなさい…」
「謝るなら静かにしてあげなさい」
「じゃあ私そのレティとかいう奴を捕まえてきます!」
「静かに、と言ったばかりじゃないですか」
「す…すみません…でもお燐をこんな目に合わせた奴を放っておくなんてできないですよ」
さとりとて部屋一つとペットにこんなことをされて何も思わないわけではない。
「気持ちはわかりますが、追うだけ無駄ですよ。私も噂で聞いた事したありませんから確かな事はわかりませんが、この幻想郷、冬以外にレティ・ホワイトロックを見た者はいないと言われているそうです」
そういう意味では燐はとても珍しいものを見れて運がいい言えるかもしれない。その代償が氷漬けでは割に合わないが。
「ここを出てから時間も経っていますし、今から探してもまず見つかりませんよ」
「でもでも…」
「くどいですよおくう。駄目なものは駄目です。そんなことをするくらいなら客間の氷を溶かす方に力を入れてください。あれも放っておくわけにはいきませんよ」
「うぅ…さとり様の薄情者…」
さとりが空を行かせようとしないのには理由がある。
少し前、今日のように留守を燐に任せ地霊殿を開けた事があった。
それから数日後、さとりが用事を終え戻ってくると留守を任せたはずの燐はどこにもいない。
出かけたのかと、他のペットに聞いてみるもここ数日燐を見ていないという証言しか得られず、しかたがないので出かけているらしい空が戻ってきてから聞くとことにした。
しかし戻ってきた空に聞くと「自分もわからない」と答えるではないか。
だがさとりは気付いた。
急いで燐の部屋に向かうと、部屋の中には、檻に閉じ込められた燐がいた。
数日間檻の中に閉じ込められ食事も取れず、満足に体を動かす事もできなかった燐は酷く衰弱していた。
他のペットに燐の処置を任せて、さとりは空にどういうことなのかを説明させた。全てわかってはいたが。
さとりが出かけた次の日、空はある事を閃いた。
それを実行するため空は中で燐の眠る部屋を襲撃し、驚いている隙を突き用意した檻の中に放り込む。
訳もわからない内に閉じ込められた燐はこれはどういうことだと空に問うと、「お燐が檻に入って檻ん!もしくは檻ん燐!」と、閃いたギャグを披露し、一人でケタケタと笑った後檻の中の燐をそのままにして部屋を後にしてしまった。
喉が渇いたので水を飲んで、そうしたら部屋に戻ってちゃんと出すつもりだったのだが、運の悪いことに空は水を飲んでいる間に檻の事を忘れてしまったのだ。
さらに運の悪いことに燐の部屋には他のペットが近づくことはあまり無く、檻の事を忘れた空も燐を見かけないのは出かけているためだと思い込み、いくら燐が檻の中から助けを求めようと誰にも気付かれず、結局さとりが戻るまで閉じ込められることとなってしまった。
さとりはこの出来事を忘れてはいない。そのため、しょうもないギャグでお燐に酷い目に合わせたレティを許さない!と息巻く空に対し、よくもそんなことが言えるものだいう思いが強い。
そもそも留守を任されておきながらこんな事になっている燐に、少々呆れている節もある。
身内の奇行だった前回はともかく、今回に関しては燐がもっと注意していれば防げたはずだ。
凍らされた事はかわいそうだが、必死になって敵討ちをしてやろうという気にはなれない。
冬になってたまたまレティを捕まえる機会があれば、館で雑用係としてこき使うくらいはするかもしれないが。
どちらにせよ、冬になるまでレティを捕まえようとしても時間の無駄でしかない。
「そうですね…冬になったら、お燐と一緒にレティを捕まえに行けばいいじゃないですか。今行ったら、お燐は自分でやり返せませんよ?貴方はそれでスッキリするかも知れませんがやられた本人が何もできないのでは、可哀想だと思いませんか?」
「…確かに!それもそうですね!」
そうだ。今はレティなどどうでもいい。さとりにはやらねばならないことがあるのだ。
「わかってもらえたようですね。では一段落つきましたし、私は視察に行ってきます」
「でも…私は…」
「貴方はお燐を看ててください。もしお燐がよくなったら来てくれれば大丈夫ですよ。一人でもできないことはないでしょうから」
燐を心配してうわの空の空を連れていってもしょうがない。ならば置いていった方が早い。
「でもさとり様…」
「…言わなくても大丈夫です。わかってます。そうですね、私はまた、書類を忘れるところでした」
まったく…何度も同じミスを繰り返すなんて、それこそ、笑えない冗談です。
「ではお燐、留守を任せましたよ。と言っても明日には戻ってくるでしょうが」
「任せてくださいよさとり様!」
「頼もしいですね。ではおくう、行きましょうか」
外出するさとりと空を見送る燐。外出と言っても中庭から更に地下深くに行くのだが。
留守を任されたと言っても燐は特別なことをするつもりもなかった。場所が場所なので来訪者というのも滅多にない。
余程の事がなければ、せいぜい家主の妹であるこいしがふらりと帰宅した時に必要があれば相手をするくらいである。
とは言え、留守を任された以上外に死体を拾いに行くわけにはいかない。
日課の死体拾いをできないと思うと少し物足りないような気もするが、その浮いた時間で普段よりも念入りに猫車の整備や清掃、点検をすればいい。
そんなことを考えながら中庭から戻ってきた燐の耳に玄関口から呼び鈴のなる音が聞こえて来た。
「タイミング悪いねぇ。まったく…しょうがない」
滅多に無いはずの来訪者がこのタイミングでやって来たのだ。
あと少し早く来てくれれば家主が直々に応対する事ができたのだが。
「面倒な奴じゃなきゃいいんだけどねぇ」
残念な事に燐は性格こそ社交的だが、訪れた客のもてなし方というものがよくわからなかった。下手なことをして飼い主の評判を落とすこともあり得る。
なのでできれば家主の不在を聞いたらそのままUターンするか、もしくは追いかけてくれればいいのだが。
「お待たせしましたー。えーっと…お姉さん、どちら様ですかねぇ…?」
見知った顔であればもてなす必要もないのでそれでもよかったのだが、残念なことに扉を開いた先にいたのは、見知らぬ妖怪であった。
◇ ◆
「今回のプロジェクト、成功するといいですね」
「はい!絶対成功させてみせますよ!」
「頼もしいですね。おくうも、お燐も」
二人の今日の目的は空が提案し建造された新たな施設の最終確認に行き、その結果を書類に記入するというものなのだが。
「そういえばさとり様。書類はどこにあるんですか?」
「おや…?私とした事が、どうやら置いてきてしまったみたいですね」
「じゃあ私が取ってきます!」
「私が行くよりその方が早いですね。お願いするわ」
「わかりました!」
「書類は私の部屋の机の上に置いてあるはずです。もし見当たらなければお燐が知っているはずですから聞いてください」
「了解です!じゃあ急いで行って来ます!」
「お願いします」
さとりに敬礼の真似をし、空は引き返した。
◇ ◆
「なんだろう…何か寒いなあ」
地霊殿に戻ってすぐに、空は違和感を感じた。
床暖房完備とはいえ、地霊殿は地底にあるので基本的には涼しい。
しかし今の地霊殿は涼しいと言うには少し寒過ぎた。
「お燐が何か冷やしてるのかなあ」
自分が出る前と比べて、確実に館全体が冷えている。
原因が気になるものの、あまり気にし過ぎて本来の目的を忘れるわけにもいかないので、空は言われた通りさとりの部屋へ向った。
「う~ん。無いなあ」
だが机の上に荷物は無かった。
もし机の上に無ければ、お燐が知っているはずだ。とさとりが言っていた事を覚えていたので、空は館全体に広がる寒気の正体を聞くために燐を探す事にした。
◇ ◆
「うっ…寒いっ!」
扉の前に立っただけだというのに鳥肌が止まらないほどの寒さ。
どうやらこの部屋の中に寒さの原因があるらしい。
「えい!やぁ!」
ドアが凍りついていて、ドアノブを掴めば手に怪我を負いそうな気がしたので制御棒を使いドアを叩き壊して中に入ることにした。
状況が状況なのでさとりも許してくれるだろう。
「うぅっ…!さっむいぃぃ!!」
部屋の中は外とは比べ物にならない程に冷えていた。
一面が凍りつき、キラキラと輝いている。普段の空ならば部屋一面の光り物に眼を輝かせるところだが、寒過ぎて今はそれどころではない。
これはどう考えても異常事態である。できるだけ早くさとりに報告したいところだが。
「お燐…ここにもいない…?」
親友の姿が見当たらない。もしかしたらこの異常事態に巻き込まれたのではないかと心配する空。
「…犯人を追っかけてるのかな…?」
考えてみれば寒さに弱いお燐がこんな部屋にいつまでもいるはずが無い。
きっと犯人を追っているか、さとりに報告しようとして入れ違いになったか。そのどちらかだろう。
お燐は弱い妖怪ではないのだ。この状況を見ると相手もそれなりの力を持っているのだろうが、お燐が負けるはずがない。
万が一、相手がお燐より強いとしてもお燐は勝ち目の無い相手に挑む程馬鹿は無い。勝てないならば自分達を追いかけてきて応援を頼むはずだ。
「そうだ。ここにいてもしょうがない」
燐を信頼するならば今ここで自分にできる事はない。となればさとりを呼び戻し、この状況をどうするか仰ぐべきだ。
空は氷に包まれた部屋を後にした。
部屋の中央にそびえ立つ不思議な氷塊を気にすることも無く。
◇ ◆
「確かに寒いですね…」
さとりを呼び戻した空だったが、そこに燐はいなかった。
ならば犯人を追いかけたのだろうと空は判断した。
「これは…なんだか面倒なことになってますね…」
氷漬けの部屋を見たさとりの率直な感想である。
「どうしましょう?犯人はお燐が追ってますから大丈夫ですけど」
「そうですね…とりあえずお燐に話を聞く必要があるでしょうね」
「お燐が捕まえるんですから話を聞く必要なんて無いんじゃないですか?」
空は少しムッとした。
さとりはお燐を信用していないのだ。
相手がどんな妖怪か知らないが、お燐の素早さに敵う妖怪などそうそういない。
相手が天狗などならば話は別だが、天狗にこんな真似はできない。ならばお燐が犯人を捕まえてここに連れてくるのは時間の問題だというのに。
「怒らないでくださいよ、空」
「別に怒ってません」
さとりに嘘を吐いても意味が無いことなどわかっているが、それでも吐いてしまうこともある。
「お燐が追っているのなら信用しますよ。でもここにいるなら、信用のしようが無いないでしょう?」
空には、さとりの言葉の意味がよくわからなかった。
「お燐がここにいるって、そんなわけ無いじゃないですかさとり様。こんな寒いところにお燐がいられるわけないですよ」
空の反論に、さとりは困った様な顔をする。
「うーん…貴方は…もうちょっと注意力を鍛えましょうね…」
やはりさとりの言いたいことがわからない。いくら注意して見たところで、ここにいない相手など見つかるはずが無いのに。
「…しょうがないですね…。このまま放っておくのも危ないですし、早いところ助けてあげましょう」
そう言うと、さとりは部屋の中央に佇む一際大きな氷塊に向かい、根っこの部分を指した。
「空、ここを温めてください。一番小さい力で、ですよ」
さとりの意図は読めなかったが、とりあえず言われた通りにできる限りの弱い力で氷塊の根元を溶かした。
「ではそちら側を持ってください。滑るから気をつけてくださいね、落としたら大変ですから」
さとりに言われるがまま空は氷を運ぶ。
大部屋まで運ぶと下ろすよう指示された。
「さて、どうやって溶かしましょうか」
「この丸い氷の中に入ってるものって、そんなに大事な物なんですか?」
「あぁー」
空の発言を聞いたさとりは、自分の顔を平手で打ち、そのまま顔を覆った。
「貴方は今まで何を見てたんですか…」
「氷がキラキラしてて綺麗だな!って思ってました」
「あぁー!!」
思わず二度目の平手打ちをするさとり。
「そうですか…そうですか…」
「ど、どうしたんですかさとり様!」
「いえ、なんでもないです…」
空の目はどれだけ節穴なのだと指摘したいさとりだが、そんなことを話している場合ではない。
空は細かいことを気にしない性格なのだが、なんということもないちょっとした言葉で傷付くこともある複雑で繊細なな面もある。
いくら心が読めても何が相手を傷つけるかわからないのだから、さとりの力も意外と不便である。
「…とりあえず、お湯をかけて溶かしましょう。おくうはお湯を用意してください。私は床暖房をつけておきますから」
「わかりました!」
◇ ◆
数分後、さとりに指示された通りお湯を張った鍋を持って空は戻ってきた。
「持ってきました、さとり様!」
「ありがとう、おくう。では私はこれをかけて溶かすから、その間貴方は同じ様に他の鍋にもお湯を入れて持ってきてちょうだい」
「了解ですさとり様!」
溶けた氷とかけたお湯で床が水浸しになってしまうが、氷の中身を考えればそんなことを言っている場合ではない。
さとりは、一刻も早く氷を溶かしたかった。
「もうそろそろよさそうですね…。おくう、もうお湯はいいですよ」
空がお湯を用意するために台所とこの部屋を何度となく往復した頃
、さとりは作業をやめるよう指示する。
「これだけ溶かせば貴方もわかるでしょう」
お湯を持って入り口に立っていた空を手招きし、半分溶けた氷から出てきたものを見せた。
「えっ…そんな…なんで!?何してるのお燐!?」
溶けた氷の中から現れたのは、犯人を追いかけているはずの親友だった。
「わかりましたか、おくう。何故私がこれを持ってきたのか」
「全然気づきませんでした…」
やれやれといった表情で空を見るさとり。
「でもなんでこんな格好してるんでしょう?」
「お燐に起きてもらわないことには私にもわかりませんね」
燐は海老反りになって両手で両つま先を掴んだ状態で凍っていた。まるで輪っかのように。
「おそらく犯人の仕業でしょうが…猫背じゃなくてよかったですね。下手したら死んでますよ」
「猫状態じゃなくてよかったですよねー」
「とは言え、このままほったらかしにしていても危ないですね。またお湯を持ってきてください」
「了解です!」
さとりはお湯をかけ続けた。
氷が完全に溶けると、二人がかりで燐の体を真っ直ぐに戻していく。
妖怪は頑丈な体を持っているとはいえ海老反りの状態で凍らされたのを戻すとなると何かが起きないとも限らないので二人とも慎重に扱う。
体を伸ばすと、後は温かくして目が覚めるのを待つだけである。
空は燐の側で、さとりは自室で編み物をしながら燐が目覚めるのを待った。
そして数時間後。
「あ…あれぇ…?あたい、なんでここで寝てるんだっけ…?」
燐は目を覚ました。
「どうですか、お燐の様子は?」
編み物を一時中断したさとりが、ちょうど部屋を訪れる。
「今起きたところです!」
「そうですか。では早速始めましょう」
「あれ…?さとり様…おくうも…。施設に行ったはずじゃ…?」
「私が書類を忘れてしまいまして、取りに戻って来たおくうが氷漬けの部屋を見つけてくれたんですよ」
さすがに目覚めたばかりの燐に、親友が自分が凍っていることに溶けるまで気づかなかったとは言えない。
「すみません…あたい…」
「気にすることは無いですよ。でも何があったのかだけ教えてください。もちろん、思い出してくれるだけでいいですよ」
「はい…さとり様…」
思い浮かべる事ができれば口を開けなくとも証言できる。やはりさとりの力は便利である。
◆ ◇
「お待たせしましたー。えーっと…お姉さん、どちら様ですかねぇ…?」
「私はレティ・ホワイトロックと申します。お願いがあってやってきたのですが、この館のご主人で?」
「あたいはペットだよ。ご主人様はさっき出かけちゃったばかりでね、当分戻ってこないと思うけど」
「ではそれまでここで待たせてもらうことはできるかしら?」
客の相手など面倒なだけなのでできれば追い返したいところだが、待ちたいと言っている相手にそのような対応をしては地霊殿の評判を悪くしかねない。
「…どうぞ」
自分のせいで主人の評判が悪くなってはたまらないと、渋々客を招き入れる燐。
「おジャマしま~す」
館内に入った燐はとりあえず客間に通す。
「お茶でも持ってくるから、ちょっと待っててよ」
「あ、私熱いのダメだから冷たいのでお願い」
いきなり訪れておいてなんと厚かましい奴だろうか。
いくら涼しい地底とはいえ夏に熱いお茶など入れるわけがない。
そもそもあたいは猫の妖怪だ。猫舌なのだ。
「はぁ。わかったよ」
でも客に対して不満を見せるわけにはいかない。もしかしたらさとり様の取引相手の可能性だってある。下手を打ってさとり様に迷惑をかけるわけにはいかない。
燐は素直に冷たい飲み物を用意することにした。
「これでいいかね?」
「急に来ておいてそんなにいろいろ要求するつもりなんかないわよ」
冷たいものを持ってこいとわざわざ指定しておきながら、よくもまあそんな事が言える。
もちろん口にも態度にもそんな様子を見せるつもりは無かったが。「私、熱い物って近づけられるだけでおかしくなっちゃうのよ」
隠しているつもりでも、レティは気づいていた。燐は不満が滲み出ていたのだ。
「なるほどね、そんな理由が。熱いのが苦手なのかい?」
ばれてしまったならしかたがない。やはりあたいには堅苦しいのよりも、フレンドリーに接する方がやりやすい。
「苦手…なんてものじゃないわね。冬以外に外に出ようものならすぐにでも体がおかしくなるでしょう」
「そりゃ大変そうだね」
「一年の半分以上はまともに動けないもの。大変なんてものじゃないわ」
「じゃあ冬以外の季節はどうやって過ごしてるんだい。冬眠ならぬ夏眠でもしてるとか?」
それだけ苦手なら寝ている間に死んでいてもおかしくは無さそうだけど。
「色々な場所に隠れて何とかやり過ごしてるの。で、いつもなら春に見つけた場所にずっといるんだけど、運の悪いことにそこにいられなくなっちゃってね。だから冬までこの辺りを使わせてもらいたくて、今日はそれを頼みに来たのよ」
「なるほどねぇ。確かにここは夏でもそう暑くないけど」
おくうがうっかり力を使ったりしなけりゃね。
「でもあたいが許可を出すわけにもいかないね。いつ戻ってくるかわからないよ、さとり様は。明日になるかもしれないし。それまで待ってもらうことになるけど、いいかい?」
「もちろんそのつもりよ。ところで、ここのご主人はさとりって言うのね」
「そうだよ。…そういえば自己紹介が遅れたね、あたいは火焔猫燐。さっきも言った通りここのペットさ。みんなお燐って呼んでる。お姉さんもどうぞ」
「燐…燐ね…ふふっ」
人の名前を聞いて笑うなんて、ずいぶんと失礼な奴だね…。あたいに何の権利も無いとはいえ、ものを頼みに来てる奴の態度とは思えないよ。
「あっと、失礼。別に貴方の名前を笑ったわけじゃないのよ」
「じゃあ何がおかしかったのか聞かせてもらおうじゃないか」
「私のスペルカードに『リンガリングコールド』っていうのがあってね。貴方を輪っかにして冷やせばまさに『燐がリングでコールド』だな、って思ったの」
「………」
言葉が出ないとはこのことだね。名前そのものを笑われるのに比べたらマシだけど、呆れるっていうかなんていうか。
もうちょっと早く、さとり様が出る前に来てくれればこんな寒いギャグ聞かされずにすんだのになあ。
「鼻水垂れてるけど、大丈夫かしら?」
「あっ…鼻紙、鼻紙」
あんな寒いギャグ聞かされたせいか本当に寒いような気がしてきたよ。
「お見苦しい物をお見せしたね」
「しょうがないわ、この寒さだもの」
「寒い…?そんな馬鹿なこと…」
確かに寒い。
事実、燐の腕には鳥肌が立っていた。
寒いギャグを聞かされたからじゃない。本当に温度が下がってるんだ。
「…あっ、徐々に冷やすつもりだったんだけど、言っちゃったわね」
「あんたの仕業か!」
どういう妖怪なんだか知らないけど、そういう能力なのか!
「バラしちゃった以上しょうがない!一瞬で冷えてもらうわ!」
しまった…寒くて体が動かない…!
「うふふ…体が自由に動かないでしょう」
「くぅ…こんなことして、一体どうするつもりだい!」
「決まってるじゃない。貴方に、私のネタを体現してもらうのよ!」
「はぁ!?」
「『燐がリングでコールド』するのよ!」
「何馬鹿なこと言ってんだい!さとり様が戻ってきて痛い目見せられる前にさっさとやめなって!」
「芸術のためにはそんなことを恐れるわけにはいかないの!」
ただのギャグを芸術だなんて、こいつおかしいよ!
「そろそろ本当に抵抗できなくなってくる頃ね…やらせてもらうわ」
「痛い痛い痛い痛い!」
「貴方体固いのね」
「冷え切った体を無理矢理曲げられたら痛いに決まってるだろ!」
「それはそうかもね。でもこれは芸術のための尊い犠牲だから、我慢してね」
「っていうか背中はそっちには曲がらないって!!痛い!痛い!」
「芸術のためよ!頑張って!」
「かっ…カッぺなこコを…!」
背を逆側に曲げられ、声を出すのも辛くなってきた燐。
「やめなさいやめなさい。貴方も妖怪だからこの程度じゃ死なないでしょうけど、そんな風に無理に声を出せばどこかおかしくしてしまうわ」
既におかしな姿勢をさせられてるんだけど、それはいいのか。
いい訳がない。
しかし既に体の自由を奪われ、背を反らされた燐には抵抗する術など無く、レティが自分の背骨を折らずにいてくれることを祈るしかなかった。
「ふぅ…できたわ!」
背を反らし、両手は両足を掴み、燐は見事な輪となった。
最初は無理やり体を反らされる痛みに声をあげていた燐だったが、気がつくと痛みも感じなくなり静かになっていた。
体が柔らかくてよかった。
「後は…冷やすだけね」
もう十分冷たいのにまだ冷やす気かい!そんなことしたらあたい凍死しちゃうって!
だが抵抗しようにも冷えきった体は動かない。レティによって自分の体が部屋ごと冷やされていくのを、燐は見ていることしかできなかった。
「…やり過ぎちゃった…」
レティが力を使い終わると、燐も室内も冷え冷えを通り越して凍りついていた。
「これじゃあ『燐がリングコールド』を通り越して、『燐がリングフリーズ』よ…せっかくのギャグが台無し…」
どっちでもいいからあたいを元に戻せ!
「そもそも私はお願いをしに来たはずなのに、こんな事したら聞いてもらえるものも聞いてもらえないじゃない…」
凍りついた部屋とペットを見て、レティは自分の行為を反省する。
「お願いできない以上、いつまでもここにいてもしょうがないわ!家主が戻ってくる前に逃げなきゃ!」
あっ、待て!行くな馬鹿!置いてかないでよ!お願いだからせめて氷溶かしてよ~!
燐の願いも心の叫びも虚しく、レティは部屋から出てしまった。戻ってきた家人を少しでも足留めするために部屋の入り口を凍らせて。
「えい!やぁ!」
それから数分の後、燐の予想よりも遥かに早く空が帰宅し、館内の異常に気付き燐の凍る部屋を訪れた。
お…おくう…!こんな早く戻ってくるなんて、あたいのピンチに気付いて駆けつけてくれたんだね!やっぱりあんたは親友だよ!
「うぅっ…!さっむいぃぃ!!」
あたいはもっと寒いよ!だから早く助けてくれ!
「お燐…ここにもいない…?」
何言ってんの!あんたの目の前にいるだろ!
「…犯人を追っかけてるのかな…?」
うっ…耳が痛い…。
でも出たらすぐに追いかけるから、とにかく助けて!
「そうだ。ここにいてもしょうがない」
しょうがなくないよ!目の前で親友が凍ってるんだよ!やる事あるでしょ!待って!やめて!行かないでー!!
心の叫びは空に届かず、燐に気付く事なく部屋を後にしてしまった。
それからあたいは、さとり様がやってくるまでレティと…馬鹿烏を呪いながら氷の中で一人海老反りをしていたんです。
◇ ◆
「と、いうことみたいですよ。おくう」
「うぅっ…お燐がそんな目にあってるのに、私、気がつかなくてごめんねぇぇぇ!!」
「やめなさい」
泣きながら燐に飛びつこうとする空をさとりが制す。
「お燐は安静が必要なんですよ」
「ごめんなさい…」
「謝るなら静かにしてあげなさい」
「じゃあ私そのレティとかいう奴を捕まえてきます!」
「静かに、と言ったばかりじゃないですか」
「す…すみません…でもお燐をこんな目に合わせた奴を放っておくなんてできないですよ」
さとりとて部屋一つとペットにこんなことをされて何も思わないわけではない。
「気持ちはわかりますが、追うだけ無駄ですよ。私も噂で聞いた事したありませんから確かな事はわかりませんが、この幻想郷、冬以外にレティ・ホワイトロックを見た者はいないと言われているそうです」
そういう意味では燐はとても珍しいものを見れて運がいい言えるかもしれない。その代償が氷漬けでは割に合わないが。
「ここを出てから時間も経っていますし、今から探してもまず見つかりませんよ」
「でもでも…」
「くどいですよおくう。駄目なものは駄目です。そんなことをするくらいなら客間の氷を溶かす方に力を入れてください。あれも放っておくわけにはいきませんよ」
「うぅ…さとり様の薄情者…」
さとりが空を行かせようとしないのには理由がある。
少し前、今日のように留守を燐に任せ地霊殿を開けた事があった。
それから数日後、さとりが用事を終え戻ってくると留守を任せたはずの燐はどこにもいない。
出かけたのかと、他のペットに聞いてみるもここ数日燐を見ていないという証言しか得られず、しかたがないので出かけているらしい空が戻ってきてから聞くとことにした。
しかし戻ってきた空に聞くと「自分もわからない」と答えるではないか。
だがさとりは気付いた。
急いで燐の部屋に向かうと、部屋の中には、檻に閉じ込められた燐がいた。
数日間檻の中に閉じ込められ食事も取れず、満足に体を動かす事もできなかった燐は酷く衰弱していた。
他のペットに燐の処置を任せて、さとりは空にどういうことなのかを説明させた。全てわかってはいたが。
さとりが出かけた次の日、空はある事を閃いた。
それを実行するため空は中で燐の眠る部屋を襲撃し、驚いている隙を突き用意した檻の中に放り込む。
訳もわからない内に閉じ込められた燐はこれはどういうことだと空に問うと、「お燐が檻に入って檻ん!もしくは檻ん燐!」と、閃いたギャグを披露し、一人でケタケタと笑った後檻の中の燐をそのままにして部屋を後にしてしまった。
喉が渇いたので水を飲んで、そうしたら部屋に戻ってちゃんと出すつもりだったのだが、運の悪いことに空は水を飲んでいる間に檻の事を忘れてしまったのだ。
さらに運の悪いことに燐の部屋には他のペットが近づくことはあまり無く、檻の事を忘れた空も燐を見かけないのは出かけているためだと思い込み、いくら燐が檻の中から助けを求めようと誰にも気付かれず、結局さとりが戻るまで閉じ込められることとなってしまった。
さとりはこの出来事を忘れてはいない。そのため、しょうもないギャグでお燐に酷い目に合わせたレティを許さない!と息巻く空に対し、よくもそんなことが言えるものだいう思いが強い。
そもそも留守を任されておきながらこんな事になっている燐に、少々呆れている節もある。
身内の奇行だった前回はともかく、今回に関しては燐がもっと注意していれば防げたはずだ。
凍らされた事はかわいそうだが、必死になって敵討ちをしてやろうという気にはなれない。
冬になってたまたまレティを捕まえる機会があれば、館で雑用係としてこき使うくらいはするかもしれないが。
どちらにせよ、冬になるまでレティを捕まえようとしても時間の無駄でしかない。
「そうですね…冬になったら、お燐と一緒にレティを捕まえに行けばいいじゃないですか。今行ったら、お燐は自分でやり返せませんよ?貴方はそれでスッキリするかも知れませんがやられた本人が何もできないのでは、可哀想だと思いませんか?」
「…確かに!それもそうですね!」
そうだ。今はレティなどどうでもいい。さとりにはやらねばならないことがあるのだ。
「わかってもらえたようですね。では一段落つきましたし、私は視察に行ってきます」
「でも…私は…」
「貴方はお燐を看ててください。もしお燐がよくなったら来てくれれば大丈夫ですよ。一人でもできないことはないでしょうから」
燐を心配してうわの空の空を連れていってもしょうがない。ならば置いていった方が早い。
「でもさとり様…」
「…言わなくても大丈夫です。わかってます。そうですね、私はまた、書類を忘れるところでした」
まったく…何度も同じミスを繰り返すなんて、それこそ、笑えない冗談です。
嫌いじゃありません
和やかな雰囲気が良かったです。
ダジャレを体現するためだけに一本書き上げるとは正気とは思えない(ある意味褒め言葉)