Coolier - 新生・東方創想話

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2013/08/08 01:52:04
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 夕日がじわりと、満開の桜をねめつける光景でした。

 ひとびとが言うには、桜は成功であり、始まりであり、何よりも希望であるのだと言います。
 うつくしいと思うのです。もう、うつくしくない私の目からすれば。手が届かないほどに。
 経験。思い出。感傷。よこしまなものを、たくさん重ね合わせて、彼らが心を震わせるように。この一瞬の後に、確かな明日を、初々しくも信じるように。

 死ぬなら、この時間がいいと、私は決めているのでした。
 ずっと、暗がりばかりを歩いてきた私には、真昼の太陽は煩わしさが過ぎて、月下の孤独は当たり前が過ぎて。唯一、今この瞬間だけが、長生きしすぎた私を殺し切れるはずでした。
 この桜並木を、ことごとく燃やして、ただの乾いた灰にしてしまうような、血の色をした夕焼けを見て、私は、地獄の蓋が開いたように思ったのです。
 遠く、天に向かってまっすぐと、ひとすじの煙が立ち上っていました。微かに香るのは、骨が焦げるそれでした。地獄に一番近い光景には、きっと相応しく。でも、不思議と、どこか気高いものを、私は感じています。
 隣に腰かけた彼女が煙を見て言います。お山の、変哲もない春の日の終わりに。

「火葬場。珍しいね。誰か死んだのかな?」
「みたいね」
「身内? じゃ、ないよね? だったら、もっと騒ぎになってる? だろうし?」
「その通りだけど、どうしてそんな自信なさげに言うかな」
「最近、何をするのも面倒でね。太陽と戦う気力が尽きた。だいたい家の中にいたもんだから、そろそろ、みんなから忘れられてるんじゃないかって」
「むしろ話題になってるわよ。最近また、はたてが引きこもり始めたらしいぞって。そもそも、私がここにいるって時点で身内じゃないわよ」
「まあ、実際、身内が死んだってなったら、上も下も総出で葬式だしね。こんなとこで、暢気に喋ってる暇もないし、文も今みたいな顔はしてない。きっと、泣いてると思う」

 今一つ、つかみどころのない彼女は、こうやって時々、私の深いところを、鋭利に刺すのです。あたかも、光を知らない水底のヘドロに、それを指し示してみせるかのように。
 そうかもね。私はただ、それだけを言って、煙に視線を戻しました。
 ありていに言って、私の半生は随分後ろ暗いものです。新聞記者だなんて今の職業もそうですが、それでなくとも、妖怪らしくあろうとしてきた私に、あの煙は、随分と近しいものに思えるのです。いや、これも、実のところ勘違いに過ぎないのかもしれませんが。
 思えば本当に多くの死を眺めてきました。時に作り出してもきました。首がなかったり、手足が腐れ落ちたりした死人を、私の人生は親友のようにさえ思っているでしょう。しかし、いくら接しようとも私がいまだ得てはいない、実際の死そのものが、あの煙なのでした。だからこそ、私は、あそこで焼かれる、先駆者に一抹の敬意を覚えるのかもしれません。

 彼らと、私たちを隔てたのは、その実、まばたきひとつ分の時間にすぎなかったのでは。そんな事も思います。
 まばたきを積み重ねて、生はようやく冗長になれるのです。退屈が贅沢な事も知っているから、私たちは、まばたき一つ分が足りなかった事を、惜しいと言って涙を流すのでしょうか。

 でも、もしそれを惜しく思えない、何かがあるのだとすれば。
 私は、そっと、うかがうように、彼女の横顔を見たのでした。彼女の澄み渡った賢者の瞳は、私には到底持ちえなかったものです。私と彼女が対等だと思っているのは、その実彼女だけなのでは?
 随分と、調子を外したギターの音色が、ふと、私と彼女の間に、割って入りました。
 
「これ、椛かな? そういや、こないだギター買ったって言ってた。取材させてって頼んで、そのまんま忘れてたよ。あれだね。引きこもると何か覚えてとくのも億劫になってだめだね」
「随分と楽しみにしてたみたいよ。今度ちゃんと約束を果たしに行ってあげなさいな。まあ、この演奏を聞く限り、どんな記事にするか、凄い悩むことになりそうだけど」
「見た目によらず、変に繊細だもんねあの子。聞いたまま下手っぴとは書けないか」

 葬儀に並ぶ、情け深いひとびとは、もしかしたら顔をしかめているのかもしれません。それくらい酷い演奏でしたから。
 でも、これ以上相応しい鎮魂歌もなかったのではないでしょうか? こんなにも夕日が赤いから。地獄の蓋を開くような演奏だけが素晴らしい。だから白狼よ、もっと掻き鳴らしておくれ。気が狂ったように。夕空を乱暴に撹拌するように。

「河童だよね。死んだのって、多分」
「そう聞いてる」
「取材しに行く?」
「流石に、私もそこまで悪趣味じゃないかな。それに、今は記者って気分でもないのよ。と言うか、珍しく何もする気が起きない」
「文も引きこもりやってみる? 慣れると、なかなか悪くないもんだよ」
「考えとくわ」

 少しばかり、意外そうな彼女の顔が印象的でした。
 もしかしたら、私は渇望をしているのかもしれません。あの煙が私の血と臓物と骨であったなら。火葬される私を彼女が悼んでくれたなら。
 能天気なギターの音色。鎮魂歌。私の心にかかる靄をかき集めてさらに濃く。鎮魂歌。もっと、もっと掻き鳴らしておくれ。天地がひっくり返るほどに。滅びが容易であるように。桜が散ってしまう前に。
 だから、彼女よ。どうか、どうか、たった今、相応しい今に、私を殺してはくれないか?

「いや、それは困る」

 湖面に落ちた一粒の滴のようでした。ささやかに、平静をざわめかせる。
 私はこのささやかな変容を甚くよろこびます。暗がりにかざしたランタンが、まだ知らない道を照らしたようにわくわくします。
 くすりと、思わず笑いをこぼしさえします。馬鹿らしい事を馬鹿らしいと、彼女は言ってしまえるのです。彼女は。彼女はなんと偉大なのでしょう。
 そして、また湖面が鏡のように平らでつるつるした平静へとすっかり戻ってしまう事に心から安堵します。まばたきひとつ分の時間を、まだ、誰も私たちの手のひらの上から奪えていない事を誇らしく思います。

 まばたきひとつ分を積み重ねてきた私の過去に、幸せな時間は、それほど多くはなかったと思います。私がこれから行く道でも、それはきっと変わらないでしょう。でも、そこに彼女はきっといてくれると、信じてもいいのなら。
 たなびく白煙は、そよ風に吹かれて、夕闇に融けて消えます。角砂糖がコーヒーカップの中であえなく形をなくすような頼りなさで。よく見知った、そんな光景は、もはや私の未来に影を落とすものではありません。底のない濁った沼地しか知らないのなら、それを故郷に思うものです。

 でも、だからこそ、私は、時が来るまで、どうか、あなたと、じっと、ここに。

 素っ頓狂なギターが唐突に鳴りやみます。忘れ物でもした調子で。そういえば、彼女らは夕食の時間でした。少しばかり出遅れた椛は、やいのやいの言いながら、大皿に盛られた肉を仲間と争奪しているのでしょう。人が死のうが、桜が散ろうが、腹は減る。そんな当たり前が、妙におかしく、でも、もしかしたら、もっとも深刻な悲しみとは、このような類のものなのかもしれません。
 彼女はどう思ったのでしょうか? やはり、おかしく思ったのでしょうか? 斜陽の最後の輝きを頬に受けて、微笑む彼女の横顔は綺麗でした。

 そして、凛とした響きを残して、太陽は稜線の向こうに沈むのです。暗がりの安寧の中に、私は戻るのでしょう。あと一日生きていてもいいと、隣にいてもいいと、どうやら私は、またも夕焼け空に許されてしまったようですから。
 蛍火のように、ぽつぽつと葬列の提灯。遠くに眺めながら、ふわりと春風。
 私はまだ、ああならないから。そっと呟くと、彼女は随分と怪訝そうな顔をしますが、私は彼女の手をそっと握ってみたのです。もしかすると、子供がはしゃぐかのように、何の恐れも知らないかのように。

「夜の私は無敵だから」

 心底何を言っているのか分からないと、首をかしげる彼女でしたが、よいのです。微かに握り返してくれた手の平。ほとんど惰性のように、指は緩慢に絡み。しかし、これは神聖な誓約なのだとは、少しばかり言い過ぎだったでしょうか?

 葬列は消え、あのひとすじの煙をもう誰彼も顧みず、火葬場は静かに眠り。
 この重大な変化も、きっと彼女にとっては取るに足らないものなのでしょうが、その賢さを私は尊敬します。賢い彼女によって、この暗がりは保存されるのです。気まぐれに出力された、彼女のモノクロームの写真に、私はどんな顔をして映っているのでしょう? 少しだけなら贅沢な願いを、持ってしまっても許される気がしました。

 月が。月が出ていました。月の下の桜は素直に綺麗で、なるほど、確かにこれはよい物なのかもしれません。希望。なるほど。希望。
 二人してぼんやりとそれを眺めていました。まだ終われない季節の終わりに。おやすみなさい。おやすみなさい。
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コメント



0.530簡易評価
1.100名前が無い程度の能力削除
練習しようぜもみもみ
3.100名前が無い程度の能力削除
陰鬱でありながらとても爽やか。上手いなあ。

リクエスト受け付けてる?あなたの書く夜雀が読んでみたいんだが。
5.90名前が無い程度の能力削除
文の老成した陰鬱がそれっぽくて良かったです。
6.90名前が無い程度の能力削除
昭和の映画の一コマを切り取ったような、暗いのに鮮やかで少しだけ脳天気な、そんな情景が浮かびました。リズムもよくて読みやすかったです。
7.90奇声を発する程度の能力削除
面白く雰囲気も良かったです
9.100名前が無い程度の能力削除
退廃的かつ陰鬱でありながら、ほんの少しだけ希望が感じられる文の心情がなんとも言えず堪らない気持ちにさせられた。
12.40愚迂多良童子削除
退廃的な中に希望を見出す雰囲気は悪くないのですが、はたてが何故にこうまで陰鬱になっているのかが良く分からない。そこの掘り下げが足らずに良い雰囲気止まりな印象を受けました。
16.80名前が無い程度の能力削除
ちょっと開示されてるカードが少なすぎて色々判断に困る。
まぁ空気だけ味わえ、ってんなら前向きな暗さ、仄かな明るさと確かに十分伝わった。
17.100名前が無い程度の能力削除
長生きしてしまった妖怪だからこそ、そして山の歯車の一つである天狗だからこその、退廃や感傷が綺麗です。
幸か不幸か、少しばかりの希望が残されているのが彼女らの生きている証、ですね。
20.80名前が無い程度の能力削除
流石にとりとめも無さすぎて判断に困ります。けど、きっとこのお話の文も意味を必要とはしていないのでしょう。その分叙情はしっかり描写されているのが作者さんらしいのです。

ちなみに、似た情景を描いた作品でこうず氏の『物憂げなるバンシーの安逸』があります。
若し未読であれば是非。
22.803削除
死というテーマがちらつき、全体としての雰囲気は暗いはずなのに、
全くそう感じさせない不思議。
魅力的な文章です。
25.無評価"'--,削除
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