魔理沙に問われた古道具屋の物語
難しい顔で、なにを考えこんでいるのかって?
おかしなことを言うじゃないか。きみだって天狗の報せを受けたんだろう。だったらわかるはずだよ。どうして霊夢のほかに考えることがあるなんて思うんだい。
霊夢がどうかしたのか、だって?
なんだい、魔理沙。まだ知らなかったのか。
てっきり、きみのところにもあの天狗が来たものだと思っていたんだけどね。そういうことなら、話しておこうか。
殺されてしまったんだ、霊夢がね。
ついさっき、ここに飛びこんできた天狗の新聞記者がそう言っていた。射命丸文だよ、知ってるだろう?
もちろん、なにかの間違いに決まっているよ。
まさかあの霊夢に限ってそんなことは……それにあの天狗の彼女も大分興奮していたからね。なにか思い違いをしていたんだろうさ。
もしかしたら本当に? うん、きみの考えもわかるよ。だがね、あの天狗はここに来たときも、手持ちのインクが尽きたからとか言って、大慌てで御懐中筆を買っていったからね。
記者なんだから、筆の一つや二つ、自分の家に帰ればいくらでもあるだろう。だというのに、わざわざここで安くはない代金を支払って買っていったんだ。
あのケチ、おっと間違えた、倹約家の彼女らしくない金遣いじゃないか。よっぽど混乱していたにちがいない。それとも、戻ってる暇も惜しかったのかな。
こうなると、彼女のただの早合点なのか、それとも事実を話したに過ぎないのか、どちらか分からなくなってくるね。
いや、不安にさせるつもりはないんだ。だけど、悪い考えというのは粘性だからね。そんなことはないと理解できても、頭に少しでも浮かべてしまった最悪の事態はいつまでも隅に居座り続けるんだ。
そうだな。魔理沙、ちょっと神社まで様子を見に行ってくれないか。
きみが首を横に振るとは僕だって思わないがね。万一にも嫌だというなら、以前ツケで持っていったあの本をすぐに返してもらおうかな。どうせ代金を払うつもりもないんだろうから、せめて現品を元のあったところに戻してほしいね。
言われなくても神社には行くつもり? まあ、きみならそうするだろうと思っていたさ。頼んだよ。
ついでに本の方もお願いしたいけど、きみ相手に欲張るとロクなことにならないからね。そちらは気が向いたらでいい。
どんな本だったかって? 呆れたな、覚えてないのか。ほら、外の世界の科学雑誌だよ。メリーだとかなんとか言った羊の話が取り上げられていたやつさ。読んでいた途中で、きみに持っていかれてしまったからね。そろそろ続きを読みたいんだ。
今度、持ってくる? ふむ、きみにしてはやけに素直……なんて言うと思っているのかい。その今度というのは、いったい何年後の話なんだい。
明日に? それは殊勝な心がけだね。明日になってまた同じことを言うつもりじゃなければの話だけど。
……なぜ今、目をそらしたのか。教えてもらってもいいかな、魔理沙。
魔理沙に問われた天狗の物語
ああ、魔理沙さん。やっと見つけました。
まったく、ずいぶん探したんですよ。いったいどこにいたんです?
香霖堂に? なんと、どうやら入れ違いになってしまっていたようですね。こんなことなら、あの余計な買い物にもう少し時間をかけていればよかった。
ですが、あのときは私も記事の書きたさに渇いてましたからね。そんな真似はできなかったに違いありません。今でもその欲は、こうして治まらずにいるのです。
ですから、ぜひお話を。霊夢さんの奇妙な失踪について、なにか知ってることはありませんか。
なにもない。むしろ、教えてほしいくらいだと?
これは、これは。霊夢さんがいなくなってしまったことさえ、ご存じないと? 神社に入り浸ってるあなたなら、なにか知ってると思ったんですがね。
いえ、仕方のないことかもしれません。私が神社に寄ってこの事態を知ったのも、夜が明けて間もなくのことでしたから。
そんな早くになぜ神社をたずねたのか? いや、やましいことではありません。霊夢さんの寝顔を撮っておきたかっただなんて、ちっとも思っていませんから。ハハハ、本当ですって。ホント、ホント。
……ごめんなさい。謝りますから、そんなに睨まないでくださいよ。
ほら、それよりもこの写真を見てください。いや、寝顔じゃないですって。お願いですから、もうその話は忘れてくださいよ。
これは博麗神社の室内の写真です。あなたがなにも知らないと言うから、説明してあげようというわけですよ。これで先ほどの件はすっかり忘れるということで、ね? ね?
それで、この写真ですがね。畳に血がべったりと広がっているでしょう?
私もこの光景に出くわしたときには驚きましたよ。部屋の中もその血だまりを中心にして荒れていましたし、霊夢さんの姿も見当たらず、いくら呼びかけても返事がないんですからね。
霊夢さんが行方知れずで、畳には血だまり。これは彼女の身になにかあったとしか思えませんよ。
それで、連れ去られた可能性もありますし、誰かが目撃していないものかと思いまして、こうして方々に聞き込みをしていたのです。
殺されたのか? どうでしょうね。私もはじめはそう思い込んでしまいましたが、早計でしたよ。一面的でなく様々な角度から眺めなければ、物事の正体を見定めることなどできないのですから。
たとえば、そうですね。この血は本当に霊夢さんのものなのか、というのはどうでしょう。霊夢さんが何者かを手にかけたということも考えられるのではないでしょうか。
ええ、わかってます。そうなると、現場をそのままにして姿を消したというのが、あまりに不自然。現状、霊夢さんがいなくなったということは、彼女が被害者だと考えて問題ないと言えるでしょう。
しかし、号外を出すにしても、もう少し情報が欲しいところですね。霊夢さんの行方も気になりますし、私はこのまま聞き込みを続けることにします。
魔理沙さんはどうされます?
神社に行くんですか。それはいい。私も部屋の中はほとんど見て回りましたが、注意深く調べれば他の手がかりが見つかるかもしれません。
もちろん、なにかあったら私にも教えてくれますよね?
なに、私とあなたの仲じゃあないですか。お願いしますよ。ね? ね? ね?
魔理沙に問われた唐傘の物語
おどろけー!
わっ、いたっ、いたたた! ちょっと魔理沙、ほうきで叩くのはやめてよ!
ううん、こっちの白黒は凶暴だなぁ。ちょっと驚かそうとしただけなのにさ。
急に飛びだしてきた方が悪い? なに言ってるの、魔理沙。いきなり出ないと誰も驚かないでしょ。頭、悪いの?
あ、痛い、痛いってば! はい、私でした! 悪いのは私でした! ごめんなさい!
うぅ、本当にひどい人間だよ……これなら昨日の白黒の方が何倍もマシだったわ。
え、昨日? ううん、魔理沙じゃなくて巫女のことよ。いつも赤と白でおめでたそうな人間。昨日の夜は白と黒の服だったんだけどね、たまたま見つけたんだ。
どこにいたかって? そうだねぇ、ちょうどこの辺りだったよ。
神社に行くなら、大体はここを通るでしょ? 私はたまたま散歩して通りかかったんだけど、あの巫女は神社に帰る途中だったのかな。ここでばったりと出会ったの。
でも、なんだか変だったねぇ。普段の赤と白の巫女服じゃなくて、白と黒の、魔理沙みたいな洋服を着ていたし。
それに、いつもなら私を見つければすぐに退治しようとしてくるのに、そのときはなにもしてこなかったからね。一度だけ私を見てきたけど、興味がないって感じでそのまま黙って歩いていったよ。
ね、魔理沙みたいに暴力的じゃないから、同じ白黒でも巫女の方が優秀でしょ? わかったら魔理沙も、これからは可哀そうな忘れ傘には親身な態度で接してあげるんだよ?
ところで、魔理沙。いろいろお話してあげたんだから、今度こそ驚いてもらうよ。言ったでしょ? 忘れ傘には優しさと愛情をもって付き合わないといけないの。
じゃあ、いくよ。いち、にの、おどろけー!
……うげ、養殖の味ぃ。もうっ、そんなわざとらしい驚きだと水っぽくて食べられたものじゃないよ! 魔理沙ったらやる気あるの……あいたっ!
いたっ、痛いって、痛いってば、あ、これ本当に痛いです、痛い、痛い!
はい、ごめんなさい! 注文が多くてごめんなさい!
じゃあ、今の薄味で我慢するからおかわりを……あいたっ、いたぁい!
魔理沙に問われた魔法使いの物語
あら、奇遇ね。
あなたも霊夢に用があるの? 残念だけど、留守みたいよ。
いるのは妖精だけ。霊夢がいなくなったって騒ぎながら、神社の中をうろうろしていたわ。人形供養を頼みたかったのだけど、出直した方がいいみたい。
どんな妖精? ほら、あのいつも三人でいる妖精よ。ええと、名前はなんだったかしら。
確か、サニークリームとルナアダルト、あとスターメテオ……だったかな、うん。
全部ちがう? ええ、そうだったかしら。最近は人形作りにちょっと精を出しすぎて疲れてるせいか、うっかりなにかを忘れることが多いのよ。
たとえばね、前にあなたに貸した本があったわよね。あれってどんな本だったかしら。今、ふと頭に浮かんだんだけど、やっぱりうっすらとしか思い出せなくて。
こういうのって一度気になると、どうしてもすっきりさせたくなるじゃない?
だから、ちょっと教えてちょうだい。キメラの帰巣本能について……いえ、ホムンクルスの母性の在り処……そういう本だったと思うんだけど、正解は?
残念。
料理の本ね。まったく思い出せなかったわ。そもそもジャンルがちがうし。
たまには羽を伸ばせって? そうね。しばらく、のんびり体を休めることにしようかしら。
それじゃ、私は帰るから。あなたは神社に行くの? でも、霊夢はいないって言ったじゃない。
霊夢じゃなくて神社に用事? 神頼みかなにかするつもりかしら。でも、あなたの柄じゃないわね。だってあなた、自分の力でなんとかしないと気が済まないたちじゃない。
なにをするかはわからないけど、程ほどにしておきなさい。あまり根を詰めると、私みたいに頭が重くなってしまうわよ。
若いから大丈夫? 私とちがって? ふふ、いやだわ、まったく魔理沙ったら。
人形投げるわよ。
魔理沙に問われた妖精の物語
サニー、ルナ、ねえったら。もう帰りましょうよ。
ええ、まだ探すのぉ? あ、ちょっと待ってよ! もう、こんなところにいつまでもいたくないのに、二人ともいい加減あきらめてくれないかなぁ。
ひゃっ! だ、だれ……ってなんだ、魔理沙さんじゃないですか。驚かさないでくださいよ。
ただ声をかけただけで飛び上がる方が悪い? だって、仕方ないじゃないですか。巫女を食べた妖怪が来たのかもって……あ、もしかして魔理沙さん、知らないんですか?
ほら、見てくださいよ。ここの畳、血まみれなんですよ!
さっき、巫女にイタズラしようと思ってここに来たら、こうなってたんです。きっと凶暴な妖怪が、巫女を頭からバクっと食べちゃったんですよ!
だから早く帰ろうって言ったのにルナとサニーが、いつもイタズラをする私たちをおどかすための巫女の仕返しだって言うんです。
それで二人とも、どこかに隠れながら私たちの様子を眺めて楽しんでる巫女を見つけようとしてるんですよ。でも、巫女がこんなイタズラをするとは思えないし、やっぱりこわい妖怪に食べられたに決まってます!
こんな危ないところにいたら私たちも食べられちゃうのに、サニーもルナも巫女探しに夢中になってて、まったくもう……。
私の能力で調べればすぐわかる? えっと、それがダメなんですよ。
ほら、血のにおいを嗅ぎつけて虫が湧いてるでしょう。そのせいで、この神社の生き物の情報が埋もれちゃってるんです。
だから巫女が本当に隠れていたとしても、どこにいるのかさっぱりわからないんです。ああ、もう、二人ともまだ探すつもりなのかなぁ。
昨日の晩に神社でなにかおかしなことはなかったか、ですか? そうですね。私たち、ここのすぐ裏に住んでますからなにかあったらわかるかもしれないですけど、ううん、昨日かぁ……なにかあったかなぁ。
そういえば、神社の方からおっきな音がした気がしますね。どおん、って。
でも、そのときはお水が飲みたくて目を覚ましたんですけど、寝ぼけていたんであんまり覚えてないんです。
ただ、なんか音がしたなあって思って、ぼんやり窓から神社の方を少しの間だけ眺めてました。
あ、そうだ。その音がした後に、とってもおおきな鳥が神社の辺りから飛びだっていきましたよ。
どんな鳥? いえ、月が出ていたとはいっても、さすがになんの鳥かはわかりませんよ。
けれど、その鳥は本当にびっくりするほどおおきかったです。
それに胸元で真っ赤な一つ目が光ってました。水気のある瞳は、月の光をきらきら反射させて、まるく輝いていましたよ。
あんな鳥、今まで見たこともありませんでした。きっと、とっても珍しい鳥だったんでしょうね。
どんな鳥か知ってるんですか? さすが魔理沙さん。物知りですね。いったいなんという鳥なんですか?
カラス? ええ、本当ですか。カラスにもあんな綺麗な種類がいるんですね。また見てみたいなぁ。
あ、サニー、ルナ。どうしたの。巫女が全然見つからないから帰る? もう、やっとあきらめてくれたのね。
それじゃあ、魔理沙さん。私たち、帰りますね。
巫女を食べた妖怪がいるかもしれないですから、魔理沙さんもお気をつけて。
魔理沙に問われた覚りの物語
わかってますよ。お空のことでしょう? もちろん、あなたにお話します。
やけに素直だと疑ってるんですか? しかし、魔理沙さん。これは単純な利害の一致にすぎないのですよ。
ペットのすべては、飼い主のものです。その子の喜びや痛み、驚き、恐れ、すべて私からもたらされなければいけません。
可愛いあの子の心が、赤の他人のべたべたした手垢にまみれていいはずがない。浮かべる笑みも、頬を湿らせる涙も、私が手ずから与え、満たしてやらねばならないのです。
魔理沙さん? なにをそんなに苦しそうな顔をしているんです。私、なにかおかしなことを言ってますか?
人のペットに手を出せばどうなるかを思い知らせたい。ただそれだけの話なんですよ。
あの子は今、怯えていましてね。部屋にこもりっきりなんです。
ただ、原因がどうもわかりません。心を読んでも、あの子をおどかしたのが誰なのかはっきりしない。
そこにちょうど、あなたがやってきた。
わかるでしょう。私は、お空を恐れさせた輩が誰なのか覚えておきたい。あなたは、お空が神社で見たことを知りたい。
目的は同じなんですから、手を取り合うのがお互いのためというものでしょう。
お願いしますよ。こちらとしてはあなたが頼みの綱なのです。
地上の住人の情報は乏しいし、私自身が向こうにのこのこと顔を出すわけにもいきません。痛くもない腹を探られるのは、実に不愉快なことですからね。
だからこそ、あなたに真相を突き止めてほしいのです。
あなたには、昨晩の神社で起きたことを話して差し上げます。あの子の昨晩の記憶はすでに私の知るところ、こちらの情報はすべて渡しましょう。その代わり、あなたが犯人を探り当て、その名を私に教えてもらいます。
いいですね? この私が、身内の恥をあなたにさらけ出そうというんです。結果は必ず出してもらいますよ。
人にものを頼む態度ではない? ふふ、だめ、だぁめ。
いけませんね、魔理沙さん。私相手にそんなことなど。
本当はこちらの情報が欲しくて欲しくてたまらないんでしょう? なぜそこまで熱心になれるのか、逆に気になるくらいです。
いったい、なにがあなたを突き動かすんですかねぇ。心を読もうにも、深いところにまで潜る必要があるみたい。そんなに隠し事が好きなんですか。
でしたら少し、暴いてあげましょうか。私の前で秘密を着飾るなんて、剥けと言ってるようなものですもの。
ふむ。はたから見ればあなたの動力は、親友の身を案じての熱気にちがいないでしょう。
ですが、あなたの目はじつに冷たい。若葉色の炎が、瞳の奥でじっとうずくまっているのがよくわかりますよ。ねえ、魔理沙さん?
まあ、怖い顔。いやですね、少しばかり突っついただけですのに。そんなおっかない目を向けないでもらえますかね。
余計にいじめたくなっちゃうでしょう?
覚りの口を借りた地獄鴉の物語
はじめは神社に用なんてなかったの。
ただの散歩だったし、もう遅い時間だったから。霊夢が寝てるのを邪魔したら、悪いでしょ? 私が神社でお昼寝するときだって、霊夢は邪魔しないし、膝枕もしてくれるんだもの。
だから、そのまま通り過ぎるつもりだった。だけど、近くを通りかかったときに神社からいいにおいがしてきたの。
においをかいだ途端にお腹がぐるぐるぎゅーんって鳴ったから、これはもう行くしかないって思ったよ。
でも、今あのときに戻れたら、絶対に行かない。
なんでかって? 決まってるでしょ。またあんな怖い目にあうのは嫌だからだよ。
私は境内に降り立って、鼻を利かせながら美味しいご飯を探したの。
そうしたら、夜なのに居間のふすまが開いていてね。においはそこからするみたいだった。やったね、って私はのんきに喜んで、縁側を一足に上ったの。
そこで、においの正体が目に飛び込んできた。
……美味しそうなにおいの正体は、霊夢だった。
暗かったけど、部屋の外から少しだけ射し込んだ月明かりが、それをはっきりと分からせてくれた。
霊夢の口元はてらてら光っていて、首周りは暗がりよりも黒く染まってた。屍体の香ばしさが部屋の中を漂っていて、息をするたびに目の前の事実が頭に押し寄せた。
いっぺんに音が吹き飛んだように静かになって、代わりに私の中でどくどく脈打つ音がうるさくなった。
もう、なにも考えられなくなって、視界も頼りなくなった。誰かが私の目の裏側をばしゃばしゃ水でもかき回してるみたいに、すぐ近くにいるはずの霊夢がぼやけていって、手の届かない遠いところに離れていくって思ったよ。
でも、それで終わりじゃなかった。
突然、私以外の音が耳に触れた。はっとして聞き入ると、境内を歩く足音だった。
誰かがここに来るってわかった瞬間、私の体は飛びあがって、神社を囲む雑木林の中に突っ込んでいった。
だけど、すぐに立ち止まったよ。どうして隠れる必要があるんだろうって不思議がってね。
私はなにもしてないんだもの。あそこにいて、誰かにそれを見られたら、なんだか怒られそうだって気持ちにはなったけど。
そんなふうに林の中で考えあぐねているうちに、誰かが霊夢のところまで駆け寄ってきた。
霊夢、霊夢って何度か呼びかけていたと思うよ。でも、すぐに黙り込んで、それから周囲をじろりと見渡したの。
私はその目が怖かった。
そいつの姿も顔もはっきりと見えないのに、その目だけはかすかな月明かりを反射して、青白い恐怖の光をばらまいていた。
林の中は月明かりも届かないから、そいつも私のことが見えなかったはずなの。だけど、そいつの視線が針みたいに私の皮膚を突き刺して、そのまま穴が開いたかのような痛みを走らせた。
痛みの恐怖がはたらいて、ようやくそのとき、霊夢の死が私の頭に追いついた。
殺されるって思ったよ。私もあの霊夢みたいに、あいつに殺されるって。
もちろん、あいつが霊夢を殺したのかなんて私にはわからないけど、そのときの私は恐れに打たれて震えていたんだ。
そうして、どおんって音がびりびり体にぶつかってきた。
見たら、そいつが霊夢の方を向いてなにかやってたの。
多分、叩いていたんだよ。腕を思いきり振りあげてたもの。きっとそう。
どうして霊夢にそんな怖いことができるんだろう。そう考えたら、もうだめだった。
今すぐ逃げないとって私は自分に必死に言い聞かせて、すぐに神社から飛び去ったの。
わかった? 私はあいつが怖いの。
あんなにおっきな音をさせて叩いたんだよ? きっとすごい力持ちなんだ。
そんな奴に私は狙われてる。怖い。怖いよ。もう部屋から出たくない。林の中でもこっちを見ていたんだ。きっと、私の姿も見られていたんだ。
こっちはあいつが誰なのかもわからないのに。すごい力の持ち主だってことしかわからないのに。
ああ、でも、もう一つだけあった。あいつのにおいも、私は知ってるんだ。
林の中で見ていたときでも、あいつはお酒のにおいをぷんぷんさせていた。大分離れていたのに、それでもはっきりとわかったんだ。
だからきっと、あいつは相当のお酒好きだよ。
伊吹萃香の供述
ああ、そうだよ。
私が霊夢を殺した。それで?
そんな顔をされてもね。私は聞かれたから答えただけだよ。いったい、私にどうしてほしいの?
なぜ霊夢を? 理由が聞きたいのか。お前たちは好きだね、そうやって納得しようとすることが。
動機なんて人それぞれなんだ。聞いてみたところで、本人以外には理解できないということもあるだろう。だったら、聞くだけ無駄だって思わないのか?
思わない? そうだろうね。
お前は単に、見返りが欲しいだけなんだからさ。この事態の解決に費やした労力の分だけのね。
もっと正直になりなよ、魔理沙。自分の納得できる物語が聞きたいんだと言ってみろ。
まあ、いいさ。私だって隠すつもりはないんだ。聞きたいというなら、話してやるよ。
昨日の夜のことだ。
私は霊夢と神社の居間で酒盛りをしていてね。月が綺麗で、酒もじつに美味かった。杯が渇く間もないくらいにね。
だから、霊夢なんかはもう顔を真っ赤にさせていたよ。それでも、まだ飲む、秘蔵の酒を飲ませろってうるさいもんだから、私は酒を取りに山まで行った。
なんだ、知らないのか? 天狗どもはね、なかなか飲める酒をいくらでも持ってるんだよ。こっちが言わないと絶対にくれないし、天狗のお喋りにも少し付き合ってやらないといけないんだけどね。
時間がかかったものの、望みの酒を手に入れて、私は神社に戻ったよ。
すると、どうだ。神社の中の灯りが消えていた。
私は霊夢が待ちくたびれて寝てしまったんだと考えたよ。それで、持ってきた酒をひとまず神社に置いておくかと、居間の方に向かったんだ。
だが、そのとき居間からさっと黒い影が飛び出してきた。すぐに林の中に飛びこんでいったから、正体はわからなかったけど、妙に嫌な予感がしてね。私は霊夢のもとに急いだんだ。
はじめは寝ているのかと思った。
近づいていくと、それが間違いだとわかった。
霊夢の口はぬるぬるした液体に塗れていた。月明かりは部屋の中に少しだけしか射し込まなかったから、色はよくわからなかった。でも、誰だってあんな生臭いにおいがしていれば、簡単にわかるだろ?
首のあたりも血でべったりと汚れていたし、畳には血だまりができていた。
さっき、居間から飛び出していった奴が犯人だ。私は居間から黒い影の飛びこんでいったところをじっと見つめた。
だけど、なにも見えやしない。月明かりは林の中までは見下ろしていなかった。木々の、のっぺりと広がる闇が、私の視線とそこにこもった怒りをも吸い込んでいるようだった。
それからしばらく林の方を眺めていたが、アア、オオ、とかすれた音が聞こえて、慌てて霊夢に視線を戻した。
そのときの霊夢は、まだかすかに生きていたのかもしれない。
だが、もはや手当だ医者だという段をとうに過ぎていたことは明らかだった。体はおそろしく冷たくなっていて、死がすでにその肩に手をかけていたにちがいなかった。
間もなく霊夢は死んでしまうだろう。それはつまり、どこの誰とも知れぬ輩に霊夢の命が奪われてしまうということだ。私以外の奴に霊夢が取られてしまうということだ。
私は迷うことなく、霊夢の心臓に拳を打ちこんでやった。
どうして、そんなことを? 馬鹿か、お前。
私は、霊夢のことを気に入っているんだよ。
本気でさらおうと考えたこともある。いつか霊夢を、巫女でもなんでもない、ただ私のものだけにしようと。紫には悪いけどね。
それが、横からいきなり出てきた奴に奪われる?
ふざけるなって話だよ。あの子の全部は、私のものだ。
だから、最期も攫ってやったんだ。私の手で殺してやった。
霊夢を殺したのは、この伊吹の鬼だ。ほかの誰でもない、私のやったことだ。あの子は私のものなんだから。
それからか? 霊夢をそのままにしてやるわけにもいかなかったから、埋めておいたよ。神社の裏に穴を掘った。今はそこで眠っているよ。
霊夢に別れを言いたい? なら、神社の裏に行って、手を合わせてやるといい。一応、目印もつけておいた。その下に霊夢がいるはずだ。
ただし、こっそりやれよ。
誰かに埋めた場所を知られて、霊夢が持ち去られるなんてことになったら、私はとてもたえられない。
わかったな、魔理沙。鬼の約束だ。
やぶってくれるなよ。
神社の裏の穴にいた死体の物語
うーおー!
お、おお? あ、おはよう。お前が起こしてくれたのか。
でも、誰だお前? 答えろ、お前は何者だ!
私か? 私は、えーと……あれぇ、私は誰だぁ。
むうん、私って誰なんだ。お前、知ってる?
芳香? そうか、芳香というのか。そうだ、そうだ、思い出したぞ。
お前は宮古だな。私は芳香だ。どうぞよろしく。
なに、宮古はお前だろって? 私は宮古じゃなくて、芳香だぞ。
あ、待て! どこに行くんだ。逃がさないぞ、まーてー!
霍青娥の白状
あら、魔理沙さん。それに芳香まで。なにかあったんですか。
迷子のお届け? まあっ、またどこかで野垂れ死んでいたうちの子を届けにきてくれたのですね。これはどうも、ご親切に。
ほら、芳香。ちゃんとお礼を言いましょうね。いい子はお礼を言うものなのよ。さあ、私と一緒にね。はい、せえの、あーりーがーとーう。
ちゃんと言えたわね、偉いわ芳香。こっちにおいで。撫でてあげる。よし、よし。いい子、いい子。
なあに、魔理沙さん。私に聞きたいことがあるんですか。
もちろん、いいですよ。芳香を連れ戻してくれたお礼に、なんでも答えて差し上げますわ。
芳香の顔? それに、服装?
ああ、可愛いでしょう。巫女の姿の芳香!
霊夢さんのところからいただいてきたんです。神社が留守のときを見計らって、一着だけ失敬させてもらいましたわ。
どうせすぐに返すつもりでしたからね。ちょっと借りるくらい、いいじゃないですか。
それと、顔も。
髪型も霊夢さんとおそろいにしましたし、加工した皮膚も張りつけてそっくりにしたんです。骨格もわざわざ内側から削ったんですよ。
うちの芳香は本当に可愛いから、なにをやらせても似合いますよねぇ。そうは思いません? 霊夢さんの姿の芳香、なんて愛らしいんでしょうね。
なんのためにこんなことを? そうですねぇ、私の楽しみに必要だったからですわ。
だって、我慢ができなかったんですもの。以前の異変でお手合わせしてから、霊夢さんのことが気に入ってしまいましてね。
ですから、霊夢さんを驚かせたい、無様に呆けさせたいという欲が、日に日に増してきたんです。それで、霊夢さんそっくりの芳香を見せて、びっくりさせようかと。
あら、私の気持ちがわからないんですか。それは残念。
でも、魔理沙さんだってこう思ったことがないかしら? ああいった優秀な女の子の強さを無残に打ち崩したいって。
強い意思を折り曲げたときの、心に亀裂の走る音は、とても気の安らぐものなのよ。
難しいことではないの。霊夢さんにぎゃふんと言わせたい。こう言えば、わかりやすいかしら。ぎゃふん。ぎゃふん。うふ、うふふ。
あら、失礼。ついつい、霊夢さんのまぬけづらを思い浮かべてしまいましたわ。ああもうっ、なんて愛らしいのかしらね。
昨日は神社に行ったのか、ですか?
ええ、ようやく霊夢さんそっくりの芳香ができあがったので、早速神社に芳香を仕掛けに行きましたわ。
いつ頃? もちろん、夜に決まってます。明るいうちよりも、夜にふと目を覚ましたとき、隣に自分そっくりの誰かがいる方が心臓に悪いでしょう?
神社に行くと、灯りもすっかり消えてしまっていたので、霊夢さんも寝ていたのでしょうね。
私は芳香に一人で神社の中に行くように言いつけてから、すぐにその場を立ち去りました。私が霊夢さんに見つかってしまったら、すぐにどういうわけか理解してしまうかもしれませんからね。
それからですか? 上手くいけば、明日には霊夢さんをからかうことができるかも、とうきうきしながら今の今まで待ってたんですよ。
まったく、芳香がなかなか帰ってこないからやきもきしてしまったわ。芳香、お前は悪い子ね、いけない子ね。
ええ、なんですか、魔理沙さん。芳香にも昨日のことを?
ううん、この子が覚えているかは正直期待できないところですけど……ところで、魔理沙さん。やけに昨日のことを聞きたがりますけど、いったいどうしてなの? もしかして、なにか面白いことがあったのかしら。
いいから早く? まあ、せっかちな方。わかりましたよ、芳香に聞いてみますから。
ねえ、芳香。昨日の夜のこと、なにか覚えてなぁい? 私に教えてくれないかしら。
ご飯を食べて満腹になったから眠っちゃったのね。それで起きたら、魔理沙さんに掘り起こされていたと。
神社でご飯、ねえ。霊夢さんも寝てしまっていたのに、変な話ね。あなた、いったいなにを食べたのかしら。
うその自分がいた? そいつをやっつけて食べた? うその自分だなんて、ますますおかしなことを言うわね。記憶が混ぜこぜになっているのかしら。魔理沙さんはどう思います?
まあ、怖い顔。どうかされたんですか。
芳香が霊夢さんを? まさか、そんなことはありえませんよ。きちんと霊夢さんは食べないようにと、芳香の札には命令を書いてましたからね。
じゃあ、霊夢さんはどこにいるのか? さあ、それは私に聞かれましても。
神社にいるのではないんですか。いつも霊夢さんは、あそこでのんびりしてるじゃありませんか。
賽銭箱から起き上がった巫女の物語
よく寝た……いや、寝すぎね。もう真っ暗だし。一日をほとんど寝て過ごすなんて、私も紫のこと言えないわね。
どうしたの、魔理沙? そんなに口をぱくぱくさせて、金魚みたい。まあ、賽銭箱から人が出てきたら私だって驚くけどさ。
昨日の夜? ああ、萃香とお酒を飲んでたわね。
それから……あー、うん、それからどうしたかな。ごめん、ちょっと飲み過ぎたみたいでね。頭が鉛を詰められたみたいに重いのよ。
そうそう、思い出したわ。確かそのまま寝ちゃったのよ。
萃香にお酒のおかわりを持ってこさせている間に、眠くて仕方なくなってね。灯りも消して、寝床までふらふらしながら歩いていったんだっけ。
でも、なにをどう間違えたのか、賽銭箱を寝床だと勘違いしてそのまま寝てしまうなんてね。いくらなんでも寝ぼけすぎよ。昨日はそんなに飲み過ぎたかしら。
ううん、全然覚えてない。ということは、飲み過ぎたということね。
それで、魔理沙。なにか用があって来たんじゃないの?
もう済んだ? あら、そうなの。
それじゃ、またね。気をつけて帰りなさい。
霧雨魔理沙の独白
霊夢が生きていたとわかったとき、私はどう思ったんだ。
心底、ほっとしたんだろう。霊夢は殺されていなかった。五体満足で生きている、と。
だが、そこに親友としての情が、果たしていくらかあったのだろうか。
私がこの事態を追い続けたのは、ひとえに自分の霊夢のためではなかったのか。
寝ぼけて賽銭箱で寝入った霊夢でもなく、姿形を写し取った死体の霊夢でもなく、霊夢の細胞から育て上げ、今も実験室の培養液の中を夢のようにたゆたっているはずだった、私の霊夢が人の目にさらされることを恐れて、解決を目指したのではなかったか。
もちろん、香霖から話を聞いたときは、素直に霊夢は大丈夫なのかと不安がったりもした。文の話を聞いて、その心はなお強くなった。
だが、小傘の話を聞いてから不安が首をもたげた。アリスと話をして、おそろしい予想が脳裏を過ぎった。
そのときは、私の霊夢の成長過程を確かめることが、朝の日課になってないことを本気で後悔したものだった。
私の眠っているうちに、あの霊夢がすっかり目覚めていたとしたら。そして、自分こそ霊夢なのだという本能に従って、一人で神社へ帰ろうとしていたら。
そこに霊夢が行方不明という報せが重なれば、事件の正体が見えてしまう。
私の霊夢が、本物になり代わろうとしている。これ程のおぞましい想像がこの世にあっただろうか。
ただ霊夢を知りたいというちっぽけな好奇の心を満たすために、私の霊夢は存在するのだ。それがこともあろうに、対象にとって代わろうなど考えただけで気が狂いそうになる。
だが、事実は私の嫌らしい想像を打ち砕いてくれた。
霊夢は生きているし、私の霊夢は芳香の餌となったようだ。
ああ、本当によかった。最悪の事態は回避できたのだ。これで、私はまた自分の楽しみに時間を費やせる。
だが、次からはもっと慎重にやらなければいけない。
今回のようなことがまた起きてしまえば、今度こそ私の楽しみが暴かれるかもしれないのだ。
さとりは感づいたのだろうか。いや、それ程心配することもないのだろう。知る喜びを味わっている今となっては、もうあの炎がふたたび燃え上がることもないのだから。
この喜びは、おそらく萃香も青娥も持っているのだろう。
彼女たちの話には、どうにもぎくりとさせられた。話す内容が、口ぶりが、私の欲望の底を見通しているように思えた。
だからこそ、注意してことを進めなければならない。
さあ、次の私の霊夢を育てる準備をはじめよう。もう霊夢のことは大分知ったが、それでもまだまだ物足りない。
霊夢の強いところ、弱いところ、やわらかいところ、伸びるところ、美味しいところ、戦うときの癖、嫌いな食べ物、刃物の扱い方、体毛の薄さ、眼球の大きさ、皮膚の白さ、肉付き、骨の長さ、歯並び、爪がどの程度で伸びるのか、酒瓶をどういうやり方で開けるのか、黒子がいくつあるのか、なにを考え生きているのか。
私は全部知っている。だが、それでも知る喜びを手放すことはできそうにない。
その人のことを、本人よりも知っているという事実は、私の心を優しく撫でる。
それはとても気の安らぐことなんだ。
難しい顔で、なにを考えこんでいるのかって?
おかしなことを言うじゃないか。きみだって天狗の報せを受けたんだろう。だったらわかるはずだよ。どうして霊夢のほかに考えることがあるなんて思うんだい。
霊夢がどうかしたのか、だって?
なんだい、魔理沙。まだ知らなかったのか。
てっきり、きみのところにもあの天狗が来たものだと思っていたんだけどね。そういうことなら、話しておこうか。
殺されてしまったんだ、霊夢がね。
ついさっき、ここに飛びこんできた天狗の新聞記者がそう言っていた。射命丸文だよ、知ってるだろう?
もちろん、なにかの間違いに決まっているよ。
まさかあの霊夢に限ってそんなことは……それにあの天狗の彼女も大分興奮していたからね。なにか思い違いをしていたんだろうさ。
もしかしたら本当に? うん、きみの考えもわかるよ。だがね、あの天狗はここに来たときも、手持ちのインクが尽きたからとか言って、大慌てで御懐中筆を買っていったからね。
記者なんだから、筆の一つや二つ、自分の家に帰ればいくらでもあるだろう。だというのに、わざわざここで安くはない代金を支払って買っていったんだ。
あのケチ、おっと間違えた、倹約家の彼女らしくない金遣いじゃないか。よっぽど混乱していたにちがいない。それとも、戻ってる暇も惜しかったのかな。
こうなると、彼女のただの早合点なのか、それとも事実を話したに過ぎないのか、どちらか分からなくなってくるね。
いや、不安にさせるつもりはないんだ。だけど、悪い考えというのは粘性だからね。そんなことはないと理解できても、頭に少しでも浮かべてしまった最悪の事態はいつまでも隅に居座り続けるんだ。
そうだな。魔理沙、ちょっと神社まで様子を見に行ってくれないか。
きみが首を横に振るとは僕だって思わないがね。万一にも嫌だというなら、以前ツケで持っていったあの本をすぐに返してもらおうかな。どうせ代金を払うつもりもないんだろうから、せめて現品を元のあったところに戻してほしいね。
言われなくても神社には行くつもり? まあ、きみならそうするだろうと思っていたさ。頼んだよ。
ついでに本の方もお願いしたいけど、きみ相手に欲張るとロクなことにならないからね。そちらは気が向いたらでいい。
どんな本だったかって? 呆れたな、覚えてないのか。ほら、外の世界の科学雑誌だよ。メリーだとかなんとか言った羊の話が取り上げられていたやつさ。読んでいた途中で、きみに持っていかれてしまったからね。そろそろ続きを読みたいんだ。
今度、持ってくる? ふむ、きみにしてはやけに素直……なんて言うと思っているのかい。その今度というのは、いったい何年後の話なんだい。
明日に? それは殊勝な心がけだね。明日になってまた同じことを言うつもりじゃなければの話だけど。
……なぜ今、目をそらしたのか。教えてもらってもいいかな、魔理沙。
魔理沙に問われた天狗の物語
ああ、魔理沙さん。やっと見つけました。
まったく、ずいぶん探したんですよ。いったいどこにいたんです?
香霖堂に? なんと、どうやら入れ違いになってしまっていたようですね。こんなことなら、あの余計な買い物にもう少し時間をかけていればよかった。
ですが、あのときは私も記事の書きたさに渇いてましたからね。そんな真似はできなかったに違いありません。今でもその欲は、こうして治まらずにいるのです。
ですから、ぜひお話を。霊夢さんの奇妙な失踪について、なにか知ってることはありませんか。
なにもない。むしろ、教えてほしいくらいだと?
これは、これは。霊夢さんがいなくなってしまったことさえ、ご存じないと? 神社に入り浸ってるあなたなら、なにか知ってると思ったんですがね。
いえ、仕方のないことかもしれません。私が神社に寄ってこの事態を知ったのも、夜が明けて間もなくのことでしたから。
そんな早くになぜ神社をたずねたのか? いや、やましいことではありません。霊夢さんの寝顔を撮っておきたかっただなんて、ちっとも思っていませんから。ハハハ、本当ですって。ホント、ホント。
……ごめんなさい。謝りますから、そんなに睨まないでくださいよ。
ほら、それよりもこの写真を見てください。いや、寝顔じゃないですって。お願いですから、もうその話は忘れてくださいよ。
これは博麗神社の室内の写真です。あなたがなにも知らないと言うから、説明してあげようというわけですよ。これで先ほどの件はすっかり忘れるということで、ね? ね?
それで、この写真ですがね。畳に血がべったりと広がっているでしょう?
私もこの光景に出くわしたときには驚きましたよ。部屋の中もその血だまりを中心にして荒れていましたし、霊夢さんの姿も見当たらず、いくら呼びかけても返事がないんですからね。
霊夢さんが行方知れずで、畳には血だまり。これは彼女の身になにかあったとしか思えませんよ。
それで、連れ去られた可能性もありますし、誰かが目撃していないものかと思いまして、こうして方々に聞き込みをしていたのです。
殺されたのか? どうでしょうね。私もはじめはそう思い込んでしまいましたが、早計でしたよ。一面的でなく様々な角度から眺めなければ、物事の正体を見定めることなどできないのですから。
たとえば、そうですね。この血は本当に霊夢さんのものなのか、というのはどうでしょう。霊夢さんが何者かを手にかけたということも考えられるのではないでしょうか。
ええ、わかってます。そうなると、現場をそのままにして姿を消したというのが、あまりに不自然。現状、霊夢さんがいなくなったということは、彼女が被害者だと考えて問題ないと言えるでしょう。
しかし、号外を出すにしても、もう少し情報が欲しいところですね。霊夢さんの行方も気になりますし、私はこのまま聞き込みを続けることにします。
魔理沙さんはどうされます?
神社に行くんですか。それはいい。私も部屋の中はほとんど見て回りましたが、注意深く調べれば他の手がかりが見つかるかもしれません。
もちろん、なにかあったら私にも教えてくれますよね?
なに、私とあなたの仲じゃあないですか。お願いしますよ。ね? ね? ね?
魔理沙に問われた唐傘の物語
おどろけー!
わっ、いたっ、いたたた! ちょっと魔理沙、ほうきで叩くのはやめてよ!
ううん、こっちの白黒は凶暴だなぁ。ちょっと驚かそうとしただけなのにさ。
急に飛びだしてきた方が悪い? なに言ってるの、魔理沙。いきなり出ないと誰も驚かないでしょ。頭、悪いの?
あ、痛い、痛いってば! はい、私でした! 悪いのは私でした! ごめんなさい!
うぅ、本当にひどい人間だよ……これなら昨日の白黒の方が何倍もマシだったわ。
え、昨日? ううん、魔理沙じゃなくて巫女のことよ。いつも赤と白でおめでたそうな人間。昨日の夜は白と黒の服だったんだけどね、たまたま見つけたんだ。
どこにいたかって? そうだねぇ、ちょうどこの辺りだったよ。
神社に行くなら、大体はここを通るでしょ? 私はたまたま散歩して通りかかったんだけど、あの巫女は神社に帰る途中だったのかな。ここでばったりと出会ったの。
でも、なんだか変だったねぇ。普段の赤と白の巫女服じゃなくて、白と黒の、魔理沙みたいな洋服を着ていたし。
それに、いつもなら私を見つければすぐに退治しようとしてくるのに、そのときはなにもしてこなかったからね。一度だけ私を見てきたけど、興味がないって感じでそのまま黙って歩いていったよ。
ね、魔理沙みたいに暴力的じゃないから、同じ白黒でも巫女の方が優秀でしょ? わかったら魔理沙も、これからは可哀そうな忘れ傘には親身な態度で接してあげるんだよ?
ところで、魔理沙。いろいろお話してあげたんだから、今度こそ驚いてもらうよ。言ったでしょ? 忘れ傘には優しさと愛情をもって付き合わないといけないの。
じゃあ、いくよ。いち、にの、おどろけー!
……うげ、養殖の味ぃ。もうっ、そんなわざとらしい驚きだと水っぽくて食べられたものじゃないよ! 魔理沙ったらやる気あるの……あいたっ!
いたっ、痛いって、痛いってば、あ、これ本当に痛いです、痛い、痛い!
はい、ごめんなさい! 注文が多くてごめんなさい!
じゃあ、今の薄味で我慢するからおかわりを……あいたっ、いたぁい!
魔理沙に問われた魔法使いの物語
あら、奇遇ね。
あなたも霊夢に用があるの? 残念だけど、留守みたいよ。
いるのは妖精だけ。霊夢がいなくなったって騒ぎながら、神社の中をうろうろしていたわ。人形供養を頼みたかったのだけど、出直した方がいいみたい。
どんな妖精? ほら、あのいつも三人でいる妖精よ。ええと、名前はなんだったかしら。
確か、サニークリームとルナアダルト、あとスターメテオ……だったかな、うん。
全部ちがう? ええ、そうだったかしら。最近は人形作りにちょっと精を出しすぎて疲れてるせいか、うっかりなにかを忘れることが多いのよ。
たとえばね、前にあなたに貸した本があったわよね。あれってどんな本だったかしら。今、ふと頭に浮かんだんだけど、やっぱりうっすらとしか思い出せなくて。
こういうのって一度気になると、どうしてもすっきりさせたくなるじゃない?
だから、ちょっと教えてちょうだい。キメラの帰巣本能について……いえ、ホムンクルスの母性の在り処……そういう本だったと思うんだけど、正解は?
残念。
料理の本ね。まったく思い出せなかったわ。そもそもジャンルがちがうし。
たまには羽を伸ばせって? そうね。しばらく、のんびり体を休めることにしようかしら。
それじゃ、私は帰るから。あなたは神社に行くの? でも、霊夢はいないって言ったじゃない。
霊夢じゃなくて神社に用事? 神頼みかなにかするつもりかしら。でも、あなたの柄じゃないわね。だってあなた、自分の力でなんとかしないと気が済まないたちじゃない。
なにをするかはわからないけど、程ほどにしておきなさい。あまり根を詰めると、私みたいに頭が重くなってしまうわよ。
若いから大丈夫? 私とちがって? ふふ、いやだわ、まったく魔理沙ったら。
人形投げるわよ。
魔理沙に問われた妖精の物語
サニー、ルナ、ねえったら。もう帰りましょうよ。
ええ、まだ探すのぉ? あ、ちょっと待ってよ! もう、こんなところにいつまでもいたくないのに、二人ともいい加減あきらめてくれないかなぁ。
ひゃっ! だ、だれ……ってなんだ、魔理沙さんじゃないですか。驚かさないでくださいよ。
ただ声をかけただけで飛び上がる方が悪い? だって、仕方ないじゃないですか。巫女を食べた妖怪が来たのかもって……あ、もしかして魔理沙さん、知らないんですか?
ほら、見てくださいよ。ここの畳、血まみれなんですよ!
さっき、巫女にイタズラしようと思ってここに来たら、こうなってたんです。きっと凶暴な妖怪が、巫女を頭からバクっと食べちゃったんですよ!
だから早く帰ろうって言ったのにルナとサニーが、いつもイタズラをする私たちをおどかすための巫女の仕返しだって言うんです。
それで二人とも、どこかに隠れながら私たちの様子を眺めて楽しんでる巫女を見つけようとしてるんですよ。でも、巫女がこんなイタズラをするとは思えないし、やっぱりこわい妖怪に食べられたに決まってます!
こんな危ないところにいたら私たちも食べられちゃうのに、サニーもルナも巫女探しに夢中になってて、まったくもう……。
私の能力で調べればすぐわかる? えっと、それがダメなんですよ。
ほら、血のにおいを嗅ぎつけて虫が湧いてるでしょう。そのせいで、この神社の生き物の情報が埋もれちゃってるんです。
だから巫女が本当に隠れていたとしても、どこにいるのかさっぱりわからないんです。ああ、もう、二人ともまだ探すつもりなのかなぁ。
昨日の晩に神社でなにかおかしなことはなかったか、ですか? そうですね。私たち、ここのすぐ裏に住んでますからなにかあったらわかるかもしれないですけど、ううん、昨日かぁ……なにかあったかなぁ。
そういえば、神社の方からおっきな音がした気がしますね。どおん、って。
でも、そのときはお水が飲みたくて目を覚ましたんですけど、寝ぼけていたんであんまり覚えてないんです。
ただ、なんか音がしたなあって思って、ぼんやり窓から神社の方を少しの間だけ眺めてました。
あ、そうだ。その音がした後に、とってもおおきな鳥が神社の辺りから飛びだっていきましたよ。
どんな鳥? いえ、月が出ていたとはいっても、さすがになんの鳥かはわかりませんよ。
けれど、その鳥は本当にびっくりするほどおおきかったです。
それに胸元で真っ赤な一つ目が光ってました。水気のある瞳は、月の光をきらきら反射させて、まるく輝いていましたよ。
あんな鳥、今まで見たこともありませんでした。きっと、とっても珍しい鳥だったんでしょうね。
どんな鳥か知ってるんですか? さすが魔理沙さん。物知りですね。いったいなんという鳥なんですか?
カラス? ええ、本当ですか。カラスにもあんな綺麗な種類がいるんですね。また見てみたいなぁ。
あ、サニー、ルナ。どうしたの。巫女が全然見つからないから帰る? もう、やっとあきらめてくれたのね。
それじゃあ、魔理沙さん。私たち、帰りますね。
巫女を食べた妖怪がいるかもしれないですから、魔理沙さんもお気をつけて。
魔理沙に問われた覚りの物語
わかってますよ。お空のことでしょう? もちろん、あなたにお話します。
やけに素直だと疑ってるんですか? しかし、魔理沙さん。これは単純な利害の一致にすぎないのですよ。
ペットのすべては、飼い主のものです。その子の喜びや痛み、驚き、恐れ、すべて私からもたらされなければいけません。
可愛いあの子の心が、赤の他人のべたべたした手垢にまみれていいはずがない。浮かべる笑みも、頬を湿らせる涙も、私が手ずから与え、満たしてやらねばならないのです。
魔理沙さん? なにをそんなに苦しそうな顔をしているんです。私、なにかおかしなことを言ってますか?
人のペットに手を出せばどうなるかを思い知らせたい。ただそれだけの話なんですよ。
あの子は今、怯えていましてね。部屋にこもりっきりなんです。
ただ、原因がどうもわかりません。心を読んでも、あの子をおどかしたのが誰なのかはっきりしない。
そこにちょうど、あなたがやってきた。
わかるでしょう。私は、お空を恐れさせた輩が誰なのか覚えておきたい。あなたは、お空が神社で見たことを知りたい。
目的は同じなんですから、手を取り合うのがお互いのためというものでしょう。
お願いしますよ。こちらとしてはあなたが頼みの綱なのです。
地上の住人の情報は乏しいし、私自身が向こうにのこのこと顔を出すわけにもいきません。痛くもない腹を探られるのは、実に不愉快なことですからね。
だからこそ、あなたに真相を突き止めてほしいのです。
あなたには、昨晩の神社で起きたことを話して差し上げます。あの子の昨晩の記憶はすでに私の知るところ、こちらの情報はすべて渡しましょう。その代わり、あなたが犯人を探り当て、その名を私に教えてもらいます。
いいですね? この私が、身内の恥をあなたにさらけ出そうというんです。結果は必ず出してもらいますよ。
人にものを頼む態度ではない? ふふ、だめ、だぁめ。
いけませんね、魔理沙さん。私相手にそんなことなど。
本当はこちらの情報が欲しくて欲しくてたまらないんでしょう? なぜそこまで熱心になれるのか、逆に気になるくらいです。
いったい、なにがあなたを突き動かすんですかねぇ。心を読もうにも、深いところにまで潜る必要があるみたい。そんなに隠し事が好きなんですか。
でしたら少し、暴いてあげましょうか。私の前で秘密を着飾るなんて、剥けと言ってるようなものですもの。
ふむ。はたから見ればあなたの動力は、親友の身を案じての熱気にちがいないでしょう。
ですが、あなたの目はじつに冷たい。若葉色の炎が、瞳の奥でじっとうずくまっているのがよくわかりますよ。ねえ、魔理沙さん?
まあ、怖い顔。いやですね、少しばかり突っついただけですのに。そんなおっかない目を向けないでもらえますかね。
余計にいじめたくなっちゃうでしょう?
覚りの口を借りた地獄鴉の物語
はじめは神社に用なんてなかったの。
ただの散歩だったし、もう遅い時間だったから。霊夢が寝てるのを邪魔したら、悪いでしょ? 私が神社でお昼寝するときだって、霊夢は邪魔しないし、膝枕もしてくれるんだもの。
だから、そのまま通り過ぎるつもりだった。だけど、近くを通りかかったときに神社からいいにおいがしてきたの。
においをかいだ途端にお腹がぐるぐるぎゅーんって鳴ったから、これはもう行くしかないって思ったよ。
でも、今あのときに戻れたら、絶対に行かない。
なんでかって? 決まってるでしょ。またあんな怖い目にあうのは嫌だからだよ。
私は境内に降り立って、鼻を利かせながら美味しいご飯を探したの。
そうしたら、夜なのに居間のふすまが開いていてね。においはそこからするみたいだった。やったね、って私はのんきに喜んで、縁側を一足に上ったの。
そこで、においの正体が目に飛び込んできた。
……美味しそうなにおいの正体は、霊夢だった。
暗かったけど、部屋の外から少しだけ射し込んだ月明かりが、それをはっきりと分からせてくれた。
霊夢の口元はてらてら光っていて、首周りは暗がりよりも黒く染まってた。屍体の香ばしさが部屋の中を漂っていて、息をするたびに目の前の事実が頭に押し寄せた。
いっぺんに音が吹き飛んだように静かになって、代わりに私の中でどくどく脈打つ音がうるさくなった。
もう、なにも考えられなくなって、視界も頼りなくなった。誰かが私の目の裏側をばしゃばしゃ水でもかき回してるみたいに、すぐ近くにいるはずの霊夢がぼやけていって、手の届かない遠いところに離れていくって思ったよ。
でも、それで終わりじゃなかった。
突然、私以外の音が耳に触れた。はっとして聞き入ると、境内を歩く足音だった。
誰かがここに来るってわかった瞬間、私の体は飛びあがって、神社を囲む雑木林の中に突っ込んでいった。
だけど、すぐに立ち止まったよ。どうして隠れる必要があるんだろうって不思議がってね。
私はなにもしてないんだもの。あそこにいて、誰かにそれを見られたら、なんだか怒られそうだって気持ちにはなったけど。
そんなふうに林の中で考えあぐねているうちに、誰かが霊夢のところまで駆け寄ってきた。
霊夢、霊夢って何度か呼びかけていたと思うよ。でも、すぐに黙り込んで、それから周囲をじろりと見渡したの。
私はその目が怖かった。
そいつの姿も顔もはっきりと見えないのに、その目だけはかすかな月明かりを反射して、青白い恐怖の光をばらまいていた。
林の中は月明かりも届かないから、そいつも私のことが見えなかったはずなの。だけど、そいつの視線が針みたいに私の皮膚を突き刺して、そのまま穴が開いたかのような痛みを走らせた。
痛みの恐怖がはたらいて、ようやくそのとき、霊夢の死が私の頭に追いついた。
殺されるって思ったよ。私もあの霊夢みたいに、あいつに殺されるって。
もちろん、あいつが霊夢を殺したのかなんて私にはわからないけど、そのときの私は恐れに打たれて震えていたんだ。
そうして、どおんって音がびりびり体にぶつかってきた。
見たら、そいつが霊夢の方を向いてなにかやってたの。
多分、叩いていたんだよ。腕を思いきり振りあげてたもの。きっとそう。
どうして霊夢にそんな怖いことができるんだろう。そう考えたら、もうだめだった。
今すぐ逃げないとって私は自分に必死に言い聞かせて、すぐに神社から飛び去ったの。
わかった? 私はあいつが怖いの。
あんなにおっきな音をさせて叩いたんだよ? きっとすごい力持ちなんだ。
そんな奴に私は狙われてる。怖い。怖いよ。もう部屋から出たくない。林の中でもこっちを見ていたんだ。きっと、私の姿も見られていたんだ。
こっちはあいつが誰なのかもわからないのに。すごい力の持ち主だってことしかわからないのに。
ああ、でも、もう一つだけあった。あいつのにおいも、私は知ってるんだ。
林の中で見ていたときでも、あいつはお酒のにおいをぷんぷんさせていた。大分離れていたのに、それでもはっきりとわかったんだ。
だからきっと、あいつは相当のお酒好きだよ。
伊吹萃香の供述
ああ、そうだよ。
私が霊夢を殺した。それで?
そんな顔をされてもね。私は聞かれたから答えただけだよ。いったい、私にどうしてほしいの?
なぜ霊夢を? 理由が聞きたいのか。お前たちは好きだね、そうやって納得しようとすることが。
動機なんて人それぞれなんだ。聞いてみたところで、本人以外には理解できないということもあるだろう。だったら、聞くだけ無駄だって思わないのか?
思わない? そうだろうね。
お前は単に、見返りが欲しいだけなんだからさ。この事態の解決に費やした労力の分だけのね。
もっと正直になりなよ、魔理沙。自分の納得できる物語が聞きたいんだと言ってみろ。
まあ、いいさ。私だって隠すつもりはないんだ。聞きたいというなら、話してやるよ。
昨日の夜のことだ。
私は霊夢と神社の居間で酒盛りをしていてね。月が綺麗で、酒もじつに美味かった。杯が渇く間もないくらいにね。
だから、霊夢なんかはもう顔を真っ赤にさせていたよ。それでも、まだ飲む、秘蔵の酒を飲ませろってうるさいもんだから、私は酒を取りに山まで行った。
なんだ、知らないのか? 天狗どもはね、なかなか飲める酒をいくらでも持ってるんだよ。こっちが言わないと絶対にくれないし、天狗のお喋りにも少し付き合ってやらないといけないんだけどね。
時間がかかったものの、望みの酒を手に入れて、私は神社に戻ったよ。
すると、どうだ。神社の中の灯りが消えていた。
私は霊夢が待ちくたびれて寝てしまったんだと考えたよ。それで、持ってきた酒をひとまず神社に置いておくかと、居間の方に向かったんだ。
だが、そのとき居間からさっと黒い影が飛び出してきた。すぐに林の中に飛びこんでいったから、正体はわからなかったけど、妙に嫌な予感がしてね。私は霊夢のもとに急いだんだ。
はじめは寝ているのかと思った。
近づいていくと、それが間違いだとわかった。
霊夢の口はぬるぬるした液体に塗れていた。月明かりは部屋の中に少しだけしか射し込まなかったから、色はよくわからなかった。でも、誰だってあんな生臭いにおいがしていれば、簡単にわかるだろ?
首のあたりも血でべったりと汚れていたし、畳には血だまりができていた。
さっき、居間から飛び出していった奴が犯人だ。私は居間から黒い影の飛びこんでいったところをじっと見つめた。
だけど、なにも見えやしない。月明かりは林の中までは見下ろしていなかった。木々の、のっぺりと広がる闇が、私の視線とそこにこもった怒りをも吸い込んでいるようだった。
それからしばらく林の方を眺めていたが、アア、オオ、とかすれた音が聞こえて、慌てて霊夢に視線を戻した。
そのときの霊夢は、まだかすかに生きていたのかもしれない。
だが、もはや手当だ医者だという段をとうに過ぎていたことは明らかだった。体はおそろしく冷たくなっていて、死がすでにその肩に手をかけていたにちがいなかった。
間もなく霊夢は死んでしまうだろう。それはつまり、どこの誰とも知れぬ輩に霊夢の命が奪われてしまうということだ。私以外の奴に霊夢が取られてしまうということだ。
私は迷うことなく、霊夢の心臓に拳を打ちこんでやった。
どうして、そんなことを? 馬鹿か、お前。
私は、霊夢のことを気に入っているんだよ。
本気でさらおうと考えたこともある。いつか霊夢を、巫女でもなんでもない、ただ私のものだけにしようと。紫には悪いけどね。
それが、横からいきなり出てきた奴に奪われる?
ふざけるなって話だよ。あの子の全部は、私のものだ。
だから、最期も攫ってやったんだ。私の手で殺してやった。
霊夢を殺したのは、この伊吹の鬼だ。ほかの誰でもない、私のやったことだ。あの子は私のものなんだから。
それからか? 霊夢をそのままにしてやるわけにもいかなかったから、埋めておいたよ。神社の裏に穴を掘った。今はそこで眠っているよ。
霊夢に別れを言いたい? なら、神社の裏に行って、手を合わせてやるといい。一応、目印もつけておいた。その下に霊夢がいるはずだ。
ただし、こっそりやれよ。
誰かに埋めた場所を知られて、霊夢が持ち去られるなんてことになったら、私はとてもたえられない。
わかったな、魔理沙。鬼の約束だ。
やぶってくれるなよ。
神社の裏の穴にいた死体の物語
うーおー!
お、おお? あ、おはよう。お前が起こしてくれたのか。
でも、誰だお前? 答えろ、お前は何者だ!
私か? 私は、えーと……あれぇ、私は誰だぁ。
むうん、私って誰なんだ。お前、知ってる?
芳香? そうか、芳香というのか。そうだ、そうだ、思い出したぞ。
お前は宮古だな。私は芳香だ。どうぞよろしく。
なに、宮古はお前だろって? 私は宮古じゃなくて、芳香だぞ。
あ、待て! どこに行くんだ。逃がさないぞ、まーてー!
霍青娥の白状
あら、魔理沙さん。それに芳香まで。なにかあったんですか。
迷子のお届け? まあっ、またどこかで野垂れ死んでいたうちの子を届けにきてくれたのですね。これはどうも、ご親切に。
ほら、芳香。ちゃんとお礼を言いましょうね。いい子はお礼を言うものなのよ。さあ、私と一緒にね。はい、せえの、あーりーがーとーう。
ちゃんと言えたわね、偉いわ芳香。こっちにおいで。撫でてあげる。よし、よし。いい子、いい子。
なあに、魔理沙さん。私に聞きたいことがあるんですか。
もちろん、いいですよ。芳香を連れ戻してくれたお礼に、なんでも答えて差し上げますわ。
芳香の顔? それに、服装?
ああ、可愛いでしょう。巫女の姿の芳香!
霊夢さんのところからいただいてきたんです。神社が留守のときを見計らって、一着だけ失敬させてもらいましたわ。
どうせすぐに返すつもりでしたからね。ちょっと借りるくらい、いいじゃないですか。
それと、顔も。
髪型も霊夢さんとおそろいにしましたし、加工した皮膚も張りつけてそっくりにしたんです。骨格もわざわざ内側から削ったんですよ。
うちの芳香は本当に可愛いから、なにをやらせても似合いますよねぇ。そうは思いません? 霊夢さんの姿の芳香、なんて愛らしいんでしょうね。
なんのためにこんなことを? そうですねぇ、私の楽しみに必要だったからですわ。
だって、我慢ができなかったんですもの。以前の異変でお手合わせしてから、霊夢さんのことが気に入ってしまいましてね。
ですから、霊夢さんを驚かせたい、無様に呆けさせたいという欲が、日に日に増してきたんです。それで、霊夢さんそっくりの芳香を見せて、びっくりさせようかと。
あら、私の気持ちがわからないんですか。それは残念。
でも、魔理沙さんだってこう思ったことがないかしら? ああいった優秀な女の子の強さを無残に打ち崩したいって。
強い意思を折り曲げたときの、心に亀裂の走る音は、とても気の安らぐものなのよ。
難しいことではないの。霊夢さんにぎゃふんと言わせたい。こう言えば、わかりやすいかしら。ぎゃふん。ぎゃふん。うふ、うふふ。
あら、失礼。ついつい、霊夢さんのまぬけづらを思い浮かべてしまいましたわ。ああもうっ、なんて愛らしいのかしらね。
昨日は神社に行ったのか、ですか?
ええ、ようやく霊夢さんそっくりの芳香ができあがったので、早速神社に芳香を仕掛けに行きましたわ。
いつ頃? もちろん、夜に決まってます。明るいうちよりも、夜にふと目を覚ましたとき、隣に自分そっくりの誰かがいる方が心臓に悪いでしょう?
神社に行くと、灯りもすっかり消えてしまっていたので、霊夢さんも寝ていたのでしょうね。
私は芳香に一人で神社の中に行くように言いつけてから、すぐにその場を立ち去りました。私が霊夢さんに見つかってしまったら、すぐにどういうわけか理解してしまうかもしれませんからね。
それからですか? 上手くいけば、明日には霊夢さんをからかうことができるかも、とうきうきしながら今の今まで待ってたんですよ。
まったく、芳香がなかなか帰ってこないからやきもきしてしまったわ。芳香、お前は悪い子ね、いけない子ね。
ええ、なんですか、魔理沙さん。芳香にも昨日のことを?
ううん、この子が覚えているかは正直期待できないところですけど……ところで、魔理沙さん。やけに昨日のことを聞きたがりますけど、いったいどうしてなの? もしかして、なにか面白いことがあったのかしら。
いいから早く? まあ、せっかちな方。わかりましたよ、芳香に聞いてみますから。
ねえ、芳香。昨日の夜のこと、なにか覚えてなぁい? 私に教えてくれないかしら。
ご飯を食べて満腹になったから眠っちゃったのね。それで起きたら、魔理沙さんに掘り起こされていたと。
神社でご飯、ねえ。霊夢さんも寝てしまっていたのに、変な話ね。あなた、いったいなにを食べたのかしら。
うその自分がいた? そいつをやっつけて食べた? うその自分だなんて、ますますおかしなことを言うわね。記憶が混ぜこぜになっているのかしら。魔理沙さんはどう思います?
まあ、怖い顔。どうかされたんですか。
芳香が霊夢さんを? まさか、そんなことはありえませんよ。きちんと霊夢さんは食べないようにと、芳香の札には命令を書いてましたからね。
じゃあ、霊夢さんはどこにいるのか? さあ、それは私に聞かれましても。
神社にいるのではないんですか。いつも霊夢さんは、あそこでのんびりしてるじゃありませんか。
賽銭箱から起き上がった巫女の物語
よく寝た……いや、寝すぎね。もう真っ暗だし。一日をほとんど寝て過ごすなんて、私も紫のこと言えないわね。
どうしたの、魔理沙? そんなに口をぱくぱくさせて、金魚みたい。まあ、賽銭箱から人が出てきたら私だって驚くけどさ。
昨日の夜? ああ、萃香とお酒を飲んでたわね。
それから……あー、うん、それからどうしたかな。ごめん、ちょっと飲み過ぎたみたいでね。頭が鉛を詰められたみたいに重いのよ。
そうそう、思い出したわ。確かそのまま寝ちゃったのよ。
萃香にお酒のおかわりを持ってこさせている間に、眠くて仕方なくなってね。灯りも消して、寝床までふらふらしながら歩いていったんだっけ。
でも、なにをどう間違えたのか、賽銭箱を寝床だと勘違いしてそのまま寝てしまうなんてね。いくらなんでも寝ぼけすぎよ。昨日はそんなに飲み過ぎたかしら。
ううん、全然覚えてない。ということは、飲み過ぎたということね。
それで、魔理沙。なにか用があって来たんじゃないの?
もう済んだ? あら、そうなの。
それじゃ、またね。気をつけて帰りなさい。
霧雨魔理沙の独白
霊夢が生きていたとわかったとき、私はどう思ったんだ。
心底、ほっとしたんだろう。霊夢は殺されていなかった。五体満足で生きている、と。
だが、そこに親友としての情が、果たしていくらかあったのだろうか。
私がこの事態を追い続けたのは、ひとえに自分の霊夢のためではなかったのか。
寝ぼけて賽銭箱で寝入った霊夢でもなく、姿形を写し取った死体の霊夢でもなく、霊夢の細胞から育て上げ、今も実験室の培養液の中を夢のようにたゆたっているはずだった、私の霊夢が人の目にさらされることを恐れて、解決を目指したのではなかったか。
もちろん、香霖から話を聞いたときは、素直に霊夢は大丈夫なのかと不安がったりもした。文の話を聞いて、その心はなお強くなった。
だが、小傘の話を聞いてから不安が首をもたげた。アリスと話をして、おそろしい予想が脳裏を過ぎった。
そのときは、私の霊夢の成長過程を確かめることが、朝の日課になってないことを本気で後悔したものだった。
私の眠っているうちに、あの霊夢がすっかり目覚めていたとしたら。そして、自分こそ霊夢なのだという本能に従って、一人で神社へ帰ろうとしていたら。
そこに霊夢が行方不明という報せが重なれば、事件の正体が見えてしまう。
私の霊夢が、本物になり代わろうとしている。これ程のおぞましい想像がこの世にあっただろうか。
ただ霊夢を知りたいというちっぽけな好奇の心を満たすために、私の霊夢は存在するのだ。それがこともあろうに、対象にとって代わろうなど考えただけで気が狂いそうになる。
だが、事実は私の嫌らしい想像を打ち砕いてくれた。
霊夢は生きているし、私の霊夢は芳香の餌となったようだ。
ああ、本当によかった。最悪の事態は回避できたのだ。これで、私はまた自分の楽しみに時間を費やせる。
だが、次からはもっと慎重にやらなければいけない。
今回のようなことがまた起きてしまえば、今度こそ私の楽しみが暴かれるかもしれないのだ。
さとりは感づいたのだろうか。いや、それ程心配することもないのだろう。知る喜びを味わっている今となっては、もうあの炎がふたたび燃え上がることもないのだから。
この喜びは、おそらく萃香も青娥も持っているのだろう。
彼女たちの話には、どうにもぎくりとさせられた。話す内容が、口ぶりが、私の欲望の底を見通しているように思えた。
だからこそ、注意してことを進めなければならない。
さあ、次の私の霊夢を育てる準備をはじめよう。もう霊夢のことは大分知ったが、それでもまだまだ物足りない。
霊夢の強いところ、弱いところ、やわらかいところ、伸びるところ、美味しいところ、戦うときの癖、嫌いな食べ物、刃物の扱い方、体毛の薄さ、眼球の大きさ、皮膚の白さ、肉付き、骨の長さ、歯並び、爪がどの程度で伸びるのか、酒瓶をどういうやり方で開けるのか、黒子がいくつあるのか、なにを考え生きているのか。
私は全部知っている。だが、それでも知る喜びを手放すことはできそうにない。
その人のことを、本人よりも知っているという事実は、私の心を優しく撫でる。
それはとても気の安らぐことなんだ。
怖かった
結末が少し違うかしら(うろ覚え)
しかし、「藪の中」を念頭に置いてしまうと、どうしても深読みせざるを得なくなってしまう。
各々の証言が矛盾せず、真相が明らかだから「藪の外」……って事で合ってますかねぇ?
「あっ! これってもしかして……」と思った部分が幾つかありましたが、よくよく考えたらどれも説明のつくものばかり。
ただ、「白黒の服を着た偽霊夢」を芳香が「うその自分」と認識した点については、未だに自分の中で納得のいく答えが見つかりません。
まだまだ読みが浅いのか、それとも理解度が足りないのか。いずれにせよ、百点では足りなくらい楽しませていただきました。
次第に謎が解き明かされていく様は面白い反面、恐ろしくもありました
流石に、鬼である萃香に偽物という嘘は通用しないだろうからね。
そう考えると、良い具合にホラーな感じになって面白かったな。
逆に、魔理沙の霊夢がそれほどまでに精巧なクローンだったということでもあるのですが。
それがより一層、作品全体に漂う肌寒さみたいなものを引き立ててると感じました。
よく見るとそこらじゅうに伏線隠れてますね、この話。
羊のメリーとか初め気にもしてなかったけど、そういうことか……
こういう台詞が主体の作品好きです。
藪の中が文字通り真相は藪の中となってしまうのに対して、
こちらの藪の外は主人公である魔理沙により最終的な謎の解明がなされる形になっています。
……という解釈で、合っていますかね?