本当にこの身体がフラン様のものだと確信したのには、実のところ幾つか理由がある。私はひっそりとした廊下を歩きながら、血色の悪い華奢な手をまじまじと眺めた。
目覚めた時、自分の入っていた棺が破壊されたのは賊の仕業ではなかったのだ。私が手を握り込んでフラン様の力を使ってしまったばかりに、棺が壊れ、敵をおびき寄せてしまったのだろう。無論、その後で吹き飛ばされたのはあの女性らしき賊だろうが。
また同時に、恐らく、自分自身の力が全く使えなくなっている。
おかげで暗闇の中、相手の動きを探ることはおろか、その予測すら立てることができなかった。あげく優れない体調を整えることも無理で、つくづく、自分がこの「気を操る」力なしでは童子に等しくすらあることを悟らされた。
「体調と言えば……今は朝なのか……」
私はいつもより高い外の景色に、気をつけながら目を移す。廊下の窓には遮るものがなく、昇ってゆく陽が少しずつ屋敷内を照らし始めている。身体のダルさは明らかにひどくなっていて、フラン様が相当無理をして普段生活しているのだ、と私は痛感していた。薬や魔力でごまかしているとは言っていたが、結局その効果も、いつまでも続くわけにはいかないのだった。
「薬の配達は一週間後だったか……、それに今は、図書館の方もどうなっているか分からないし……」
長い廊下の先、やっと見えた曲がり角の暗闇がありがたい。知らず上がっていた呼吸を整えつつ、力ない身体を座らせた。何にせよ、この身体をどうにかしなければ、状況はなお悪いままだった。
手がないわけではないけれど、できれば最後の手段にしたいし、これは自分だけの問題ではない。極力無理のないよう、牛車の如く進まねばなるまい。私はいよいよ光を増す窓を睨みつけながら、一先ず屋敷の奥、従者達の住まう区域へ向かうことにした。
「妹様!?」
途中、幾度かの休憩を挟みながら廊下を進み、私はやっと見慣れた自室の扉を開ける。その瞬間、中にいた人物が驚いた顔で、叫ぶのに思わず身構えてしまう。その人物は赤い瞳を見開いて、口から牙をのぞかせ、背の黒翼を僅かに揺らし立っていた。そのお方は誰であろう、フラン様の姉、レミリア・スカーレット様だった。しかし――
「――もしかして、咲夜さんですか?」
「えっ、まさか、美鈴!?」
口に手を当て驚く仕草に、記憶にあるあの姿が重なる。どうやら悪い予感は的中したようで、被害者は私だけにとどまらず、状況はどんどん思わしくない方向に進んでいる。いつもより天井の高いこの場所で、姉妹二人、感動の再会というわけにはいかないようだった。
「美鈴、なのよね、あなたその格好……」
「はい、どうやら咲夜さんと同じ……いえ、このようだと――」
レミリア様の姿で頷く咲夜さんは、やはり気分が優れないのか、足取り定まらずフラフラとベッドへ腰を下ろす。私も息をついて、そのとなりに座った。
「……朝、起きたらお嬢様の部屋でね、とにかくここまで戻ってきたんだけど」
「いま、どういう状況か分かりますか?」
「うん、多分……」
それから数刻の間、私達は分かっていることを話し合って、まだ混乱する気持ちに無理やり区切りをつけた。咲夜さんは目が覚めてすぐに、自身の体の異変に気づいたらしい。やはりこちらと同じで、その力は扱えそうにないとのことだった。
自分よりもレミリア様の身を案じている咲夜さんに、何て声をかけていいのかわからなかった。もしかしたらまだベッドの中かも知れない、なんて言うわけにもいかず、私は疲れと痛みの引いてきた身体に心底感謝していた。
「でもありえる? 『入れ替わり』なんて……」
「まあそれは、自信、ないですけど」
咲夜さんは普段決してつかないため息をこぼして、思ったよりも落ち込んでいるようだ。フラン様よりもレミリア様の身体の方が、消耗が激しいらしい。私はスカートの先からのぞく白い足を見ながら、しばし考えていた。これから昼にかけてが最も辛い時間帯だろう。自分も決して良い気分というわけではないが、フラン様には少し、我慢してもらうしかないようだった。
「ちょっと待っててください、咲夜さん」
「め、美鈴?」
この身長でとどくかという不安はあったものの、椅子や机を乗り継いで、なんとか戸棚の一番上へと手を伸ばす。長い爪が幸いしたのか、目一杯伸ばしたその指先に、紙箱の感触がカサリと響く。やった、と思った瞬間、けれど、なれぬことはするものでないとばかりに足元が崩れて、身体が宙に浮いた。
「あっ――」
言葉を紡ぐ暇もなく、私は地面に倒れ伏していた。どうにか動いた四肢のおかげで、受身だけはうまくとれたようだ。咄嗟の時に限って、生存本能でも働いたのだろうか、痛む箇所もない。とにかく、私は床に転がる箱を掴むと、咲夜さんに向かって笑ってみせた。
「あたた……お、お騒がせしました」
「バカ! 妹様のお体なのに」
「すみません……」
咲夜さんは案の定、怖い顔でこちらを睨んでいるが、いつものようにナイフで脅すこともせず、大人しく座っている。それでも、今にも掴みかからんとするその意気は伝わってくるあたり、誠に勤勉な従者の姿とも思えた。
「それで、なにそれ」
「あー、これはですね……どうぞ!」
私が差し出したその青い箱を見て、咲夜さんは怪訝な様子のまま動かない。当たり前か、と内心で頷きながら、包装をはがして中身を手のひらに開けてみる。出てきたのは白い錠剤が八つ分、シート状に梱包されたものだ。ひと箱に四枚入っているとの説明を、私は箱を覗いて確かめた。
「どうぞって、この薬……」
「滅鬼薬の予備です。もしかしたら効き目が薄いかも知れませんが」
「美鈴、いつの間に」
「もしもの為にって、まあ、こんな事態は想定してませんでしたけど……」
滅鬼薬はその名の通り、鬼の力を封じる薬品で、私の手にあるのは錠剤型のものだ。フラン様が目覚めてしばらく後に、レミリア様が発注したとかで、月に二度ほど、この薬が紅魔館に届くのだった。
これは本来の用途としては、鬼を退治する、あるいは殺してしまうための道具だが、威力を弱めれば、鬼の力を抑えるだけにとどめることができるらしい。遊びたい盛りのフラン様にとって日光というのはあまりにも邪魔な存在である。だから、レミリア様はこの滅鬼薬によってその弱点を微弱にしようと考えたのだとか。
かくしてその試みは成功を収め、はじめは嫌がっていたフラン様も、今では自ら口にするほどになっている。同じ吸血鬼であるレミリア様にも、同じ効能があるはずだ。
「……で、これを飲め、と?」
「はい。効果は折り紙付きですし、副作用もありません。……といっても、力が弱くなるのがそうとも言えますが」
私は言いながら、努めて明るい表情で薬を差し出す。一錠で半日ほど効き目があるはずだが、薬ゆえに、使えばそれだけ効果が落ちる。フラン様も、定期的な検診や魔法との併用によって何とか持続しているくらいだ。強めてしまえば毒薬だし、実際のところ、その場しのぎの手段というのは分かっていた。
「――分かった、飲むわ」
「すみません、お二人に負担をかけてしまって」
「美鈴が謝ることないじゃない。でも、これ切りにしたいわね……」
咲夜さんは一度喉を鳴らすと、慎重に錠剤を取り出して、口に含んだ。思わずなのか目をつぶり、レミリア様の青い髪がわずかに揺れる。そうしてもごもごと動く口を眺めているとすぐに、錠剤を飲み下す音がして、咲夜さんは得意げな顔で小首をかしげるのだった。
<つづく>
目覚めた時、自分の入っていた棺が破壊されたのは賊の仕業ではなかったのだ。私が手を握り込んでフラン様の力を使ってしまったばかりに、棺が壊れ、敵をおびき寄せてしまったのだろう。無論、その後で吹き飛ばされたのはあの女性らしき賊だろうが。
また同時に、恐らく、自分自身の力が全く使えなくなっている。
おかげで暗闇の中、相手の動きを探ることはおろか、その予測すら立てることができなかった。あげく優れない体調を整えることも無理で、つくづく、自分がこの「気を操る」力なしでは童子に等しくすらあることを悟らされた。
「体調と言えば……今は朝なのか……」
私はいつもより高い外の景色に、気をつけながら目を移す。廊下の窓には遮るものがなく、昇ってゆく陽が少しずつ屋敷内を照らし始めている。身体のダルさは明らかにひどくなっていて、フラン様が相当無理をして普段生活しているのだ、と私は痛感していた。薬や魔力でごまかしているとは言っていたが、結局その効果も、いつまでも続くわけにはいかないのだった。
「薬の配達は一週間後だったか……、それに今は、図書館の方もどうなっているか分からないし……」
長い廊下の先、やっと見えた曲がり角の暗闇がありがたい。知らず上がっていた呼吸を整えつつ、力ない身体を座らせた。何にせよ、この身体をどうにかしなければ、状況はなお悪いままだった。
手がないわけではないけれど、できれば最後の手段にしたいし、これは自分だけの問題ではない。極力無理のないよう、牛車の如く進まねばなるまい。私はいよいよ光を増す窓を睨みつけながら、一先ず屋敷の奥、従者達の住まう区域へ向かうことにした。
「妹様!?」
途中、幾度かの休憩を挟みながら廊下を進み、私はやっと見慣れた自室の扉を開ける。その瞬間、中にいた人物が驚いた顔で、叫ぶのに思わず身構えてしまう。その人物は赤い瞳を見開いて、口から牙をのぞかせ、背の黒翼を僅かに揺らし立っていた。そのお方は誰であろう、フラン様の姉、レミリア・スカーレット様だった。しかし――
「――もしかして、咲夜さんですか?」
「えっ、まさか、美鈴!?」
口に手を当て驚く仕草に、記憶にあるあの姿が重なる。どうやら悪い予感は的中したようで、被害者は私だけにとどまらず、状況はどんどん思わしくない方向に進んでいる。いつもより天井の高いこの場所で、姉妹二人、感動の再会というわけにはいかないようだった。
「美鈴、なのよね、あなたその格好……」
「はい、どうやら咲夜さんと同じ……いえ、このようだと――」
レミリア様の姿で頷く咲夜さんは、やはり気分が優れないのか、足取り定まらずフラフラとベッドへ腰を下ろす。私も息をついて、そのとなりに座った。
「……朝、起きたらお嬢様の部屋でね、とにかくここまで戻ってきたんだけど」
「いま、どういう状況か分かりますか?」
「うん、多分……」
それから数刻の間、私達は分かっていることを話し合って、まだ混乱する気持ちに無理やり区切りをつけた。咲夜さんは目が覚めてすぐに、自身の体の異変に気づいたらしい。やはりこちらと同じで、その力は扱えそうにないとのことだった。
自分よりもレミリア様の身を案じている咲夜さんに、何て声をかけていいのかわからなかった。もしかしたらまだベッドの中かも知れない、なんて言うわけにもいかず、私は疲れと痛みの引いてきた身体に心底感謝していた。
「でもありえる? 『入れ替わり』なんて……」
「まあそれは、自信、ないですけど」
咲夜さんは普段決してつかないため息をこぼして、思ったよりも落ち込んでいるようだ。フラン様よりもレミリア様の身体の方が、消耗が激しいらしい。私はスカートの先からのぞく白い足を見ながら、しばし考えていた。これから昼にかけてが最も辛い時間帯だろう。自分も決して良い気分というわけではないが、フラン様には少し、我慢してもらうしかないようだった。
「ちょっと待っててください、咲夜さん」
「め、美鈴?」
この身長でとどくかという不安はあったものの、椅子や机を乗り継いで、なんとか戸棚の一番上へと手を伸ばす。長い爪が幸いしたのか、目一杯伸ばしたその指先に、紙箱の感触がカサリと響く。やった、と思った瞬間、けれど、なれぬことはするものでないとばかりに足元が崩れて、身体が宙に浮いた。
「あっ――」
言葉を紡ぐ暇もなく、私は地面に倒れ伏していた。どうにか動いた四肢のおかげで、受身だけはうまくとれたようだ。咄嗟の時に限って、生存本能でも働いたのだろうか、痛む箇所もない。とにかく、私は床に転がる箱を掴むと、咲夜さんに向かって笑ってみせた。
「あたた……お、お騒がせしました」
「バカ! 妹様のお体なのに」
「すみません……」
咲夜さんは案の定、怖い顔でこちらを睨んでいるが、いつものようにナイフで脅すこともせず、大人しく座っている。それでも、今にも掴みかからんとするその意気は伝わってくるあたり、誠に勤勉な従者の姿とも思えた。
「それで、なにそれ」
「あー、これはですね……どうぞ!」
私が差し出したその青い箱を見て、咲夜さんは怪訝な様子のまま動かない。当たり前か、と内心で頷きながら、包装をはがして中身を手のひらに開けてみる。出てきたのは白い錠剤が八つ分、シート状に梱包されたものだ。ひと箱に四枚入っているとの説明を、私は箱を覗いて確かめた。
「どうぞって、この薬……」
「滅鬼薬の予備です。もしかしたら効き目が薄いかも知れませんが」
「美鈴、いつの間に」
「もしもの為にって、まあ、こんな事態は想定してませんでしたけど……」
滅鬼薬はその名の通り、鬼の力を封じる薬品で、私の手にあるのは錠剤型のものだ。フラン様が目覚めてしばらく後に、レミリア様が発注したとかで、月に二度ほど、この薬が紅魔館に届くのだった。
これは本来の用途としては、鬼を退治する、あるいは殺してしまうための道具だが、威力を弱めれば、鬼の力を抑えるだけにとどめることができるらしい。遊びたい盛りのフラン様にとって日光というのはあまりにも邪魔な存在である。だから、レミリア様はこの滅鬼薬によってその弱点を微弱にしようと考えたのだとか。
かくしてその試みは成功を収め、はじめは嫌がっていたフラン様も、今では自ら口にするほどになっている。同じ吸血鬼であるレミリア様にも、同じ効能があるはずだ。
「……で、これを飲め、と?」
「はい。効果は折り紙付きですし、副作用もありません。……といっても、力が弱くなるのがそうとも言えますが」
私は言いながら、努めて明るい表情で薬を差し出す。一錠で半日ほど効き目があるはずだが、薬ゆえに、使えばそれだけ効果が落ちる。フラン様も、定期的な検診や魔法との併用によって何とか持続しているくらいだ。強めてしまえば毒薬だし、実際のところ、その場しのぎの手段というのは分かっていた。
「――分かった、飲むわ」
「すみません、お二人に負担をかけてしまって」
「美鈴が謝ることないじゃない。でも、これ切りにしたいわね……」
咲夜さんは一度喉を鳴らすと、慎重に錠剤を取り出して、口に含んだ。思わずなのか目をつぶり、レミリア様の青い髪がわずかに揺れる。そうしてもごもごと動く口を眺めているとすぐに、錠剤を飲み下す音がして、咲夜さんは得意げな顔で小首をかしげるのだった。
<つづく>
こういう理不尽異変に東方少女が勇敢に立ち向かう系の話はわくわくしますね
どう立ち向かっていくのか!誰が犯人なのか!