物凄い悪夢を見たような気がして目が覚めた。部屋の中は何故か真っ暗で、しかも息苦しい。全く目は慣れないが、どことなく圧迫感があり、誰かに見られているような気さえする。箱に入って刀剣を刺していく雑伎。そんなものに参加させられたとでもいうかのような、嫌な感覚だった。
悪い夢の続きかも知れないと布団をはねのけると、思い切り、足を固いものにぶつけた。
「あいた!」
その瞬間、叫び声を上げたのは自分ではなかった。いや、確かに音は私の口から出たはずだけど、変に甲高い。風邪でも引いたか、とも思うが、ならば声は低くなるのが常の出来事だ。
立て続けの異変にあわてる頭を落ち着けて、ジンジンと痛む足をさする。とにかく今の状況を確認しなければいけない。ここはどこで、いつか、現在起きている問題は何か、それをどうすれば解決できるのか。
「……大丈夫だ紅美鈴、こんな時こそ綱紀粛正、まずは起き上がって――」
――ガンッ
頭に激痛。その前触れのない衝撃に、私はたまらず両手で抱えてしまう。
「……ぐぅう……な、なんだ?」と言う声はやはり自分のものではなく、まるで幼い少女のようだ。しかし、どうにも違和感が拭えない。私はこの声を日常的に耳にしているのではなかったか。記憶のその声はもっと高く鈴の鳴るが如く、畢竟、自分のものではないという結論に舞い戻るだけなのだが。
とにかく、と堂々めぐりを止める。頭にぶつかったらしい何か、そして足の方の固いものを確認していく。するとどうやら、自分の寝床は板のようなもので囲まれているのだと判明した。
「……音からして木製、それに少々の金属、といったところか……」
寝た姿勢のまま、手の甲で叩けば小気味良い音が響く。恐らく厚さは大したこともなさそうなので、壊そうと思えば簡単にできる。
「ただ、迂闊に手を出すのも……」
大分マシになったものの、相変わらず続く胸の苦しさに、不快な汗が流れる。今の状況も身体の調子もよく分からない以上、あまり余計なことをするべきではない。それに、異常事態は私だけの問題ではないのかも知れないのだ。
「昨日は無事、部屋に戻って休んだはずだ……とすれば、こんな場所にいるのがそもそも有り得ないし……」
異変があれば、たとえ就寝中だろうと対処できるくらいには鍛えているつもりだった。屋敷への侵入者はもとより、自室に入られて飛び起きないはずがない。けれど今、私は見知らぬ場所に閉じ込められていて、あげく身体をどこかおかしくしている。 ともすれば自分だけの問題ではない。賊が、すでにどれほどの害毒を及ぼしているのか見当もつかなかった
「仕方ない、壊そう」と思わずため息をつきながら、暗闇の中、囲いに意識を集中する。寝そべった姿勢で横向きになり、壁らしきものを正面に据える。心ばかりの型を成し、そうして一呼吸、精神を平静にして、私は拳を握りこんだ。
――バンッ――
その瞬間、とてつもない破裂音とともに外の空気が流れ込んでくる。私は驚いて、見えもしない自らの手を確認した。拳匪百人をも吹き飛ばさんその力は未だ解放されず、腰溜めのまま制止している。破壊された穴から薄明かりが差し込んでくる。そうしてぼやける視界の中、鍛え上げたはずの自らの身体は小枝のように細く、蝋のように白かった。
「な、なんだこれは……」
私は絶句するばかりで周囲に気を配るのを忘れていた。自ら動き出したその時こそ、敵の反応に一番注意しなければならない瞬間だというのに。
「あら、もうお目覚め?」
心臓が跳ね上がる。今までその気配が分からなかったことに驚く暇もなく、私は正面からの強い衝撃を受けて吹き飛んでいた。木片、羽毛、陶器などが散乱し、その中に転がり出た身体から血がにじむのが分かった。
「ごめんなさいね、まだ力加減が上手くできなくて」
「誰だ!」
頭上からの声に体勢を立て直して、どこからきても良いように身構える。不調のせいか、もう既に息が上がって気の読みも甘い。蛍燭を頼りに辺りを見回しても、声の主の居場所など到底分かるはずもなかった。
水晶に透かしたかのような景色に、時間すらも正しく分からなくなってくる。妙齢の女性らしき声は一向に返事をせず、室内には一人分の息遣いだけが断続的に響いていた。
「……しかし、この身体はどういうわけだ?」
緊張が長くはもたず、つい顔を地面に向けていた。床の木目が間近に見える代わりに、天井は遥か天高くある。腕を伸ばせど、覆いの掛けられた窓にやっと手が届くくらいで、箪笥の一番上は、見ることすらかなわない。
賊は、どうやらここからいなくなってしまったようだ。こうして気を逸らし、呑気に歩き回っていても、荒事を始める気配はない。なめられているのか、それとも他に何か理由があるのか。考えても答えは出そうになく、壁を背にして座り込む。
それにしてもこの空間はひどく暗い。そのくせ窓がいくつもあるようだが、そのどれもが乱雑に布をかけてあって、急拵えの暗室のようになっている。既に一部が破片と化したあの箱も、外から見ればどことなく棺のような……
「…………あっ!」
唐突に気がついた事実に、思わず立ち上がる。私は自分自身の声と身体、ひいてはこの部屋に漂っていた既視感の正体にたどり着いたのだ。見覚えがある、どころの話ではない。何せ私は、毎朝毎晩、この部屋へ訪れる生活を続けていたくらいだ。
どうしてすぐに気づかなかったのだろう。今私がいる場所、そしてこの身体は――
「――フラン様、だ……」
可愛らしい少女の声が、それに似合わぬ質素な部屋に響く。改めて見える範囲を観察していくと、記憶通り、扉近くに化粧台がある。
ようやく慣れてきた目で鏡を見れば、こちらを驚いた顔で見つめ返すその姿は、まごうことなくフランドール=スカーレット様だった。ただし、ネグリジェは所々擦り切れてしまっているし、金色の髪には飾りとでもいうかのように、木屑や羽毛がくっついていた。
私は何となく、いつもフラン様にしているように身だしなみを整えてみる。手の届かないところもあり中々難しく、しばし手間取った後ようやく、その小さな少女はスツールから立ちあがる。
「スミマセン、フラン様。少しの間、お体を借りることになったようです」
私は鏡に向かって謝ると、早く事の発端を突き止めねば、といよいよもって奮迅するのだった。
<つづく>
悪い夢の続きかも知れないと布団をはねのけると、思い切り、足を固いものにぶつけた。
「あいた!」
その瞬間、叫び声を上げたのは自分ではなかった。いや、確かに音は私の口から出たはずだけど、変に甲高い。風邪でも引いたか、とも思うが、ならば声は低くなるのが常の出来事だ。
立て続けの異変にあわてる頭を落ち着けて、ジンジンと痛む足をさする。とにかく今の状況を確認しなければいけない。ここはどこで、いつか、現在起きている問題は何か、それをどうすれば解決できるのか。
「……大丈夫だ紅美鈴、こんな時こそ綱紀粛正、まずは起き上がって――」
――ガンッ
頭に激痛。その前触れのない衝撃に、私はたまらず両手で抱えてしまう。
「……ぐぅう……な、なんだ?」と言う声はやはり自分のものではなく、まるで幼い少女のようだ。しかし、どうにも違和感が拭えない。私はこの声を日常的に耳にしているのではなかったか。記憶のその声はもっと高く鈴の鳴るが如く、畢竟、自分のものではないという結論に舞い戻るだけなのだが。
とにかく、と堂々めぐりを止める。頭にぶつかったらしい何か、そして足の方の固いものを確認していく。するとどうやら、自分の寝床は板のようなもので囲まれているのだと判明した。
「……音からして木製、それに少々の金属、といったところか……」
寝た姿勢のまま、手の甲で叩けば小気味良い音が響く。恐らく厚さは大したこともなさそうなので、壊そうと思えば簡単にできる。
「ただ、迂闊に手を出すのも……」
大分マシになったものの、相変わらず続く胸の苦しさに、不快な汗が流れる。今の状況も身体の調子もよく分からない以上、あまり余計なことをするべきではない。それに、異常事態は私だけの問題ではないのかも知れないのだ。
「昨日は無事、部屋に戻って休んだはずだ……とすれば、こんな場所にいるのがそもそも有り得ないし……」
異変があれば、たとえ就寝中だろうと対処できるくらいには鍛えているつもりだった。屋敷への侵入者はもとより、自室に入られて飛び起きないはずがない。けれど今、私は見知らぬ場所に閉じ込められていて、あげく身体をどこかおかしくしている。 ともすれば自分だけの問題ではない。賊が、すでにどれほどの害毒を及ぼしているのか見当もつかなかった
「仕方ない、壊そう」と思わずため息をつきながら、暗闇の中、囲いに意識を集中する。寝そべった姿勢で横向きになり、壁らしきものを正面に据える。心ばかりの型を成し、そうして一呼吸、精神を平静にして、私は拳を握りこんだ。
――バンッ――
その瞬間、とてつもない破裂音とともに外の空気が流れ込んでくる。私は驚いて、見えもしない自らの手を確認した。拳匪百人をも吹き飛ばさんその力は未だ解放されず、腰溜めのまま制止している。破壊された穴から薄明かりが差し込んでくる。そうしてぼやける視界の中、鍛え上げたはずの自らの身体は小枝のように細く、蝋のように白かった。
「な、なんだこれは……」
私は絶句するばかりで周囲に気を配るのを忘れていた。自ら動き出したその時こそ、敵の反応に一番注意しなければならない瞬間だというのに。
「あら、もうお目覚め?」
心臓が跳ね上がる。今までその気配が分からなかったことに驚く暇もなく、私は正面からの強い衝撃を受けて吹き飛んでいた。木片、羽毛、陶器などが散乱し、その中に転がり出た身体から血がにじむのが分かった。
「ごめんなさいね、まだ力加減が上手くできなくて」
「誰だ!」
頭上からの声に体勢を立て直して、どこからきても良いように身構える。不調のせいか、もう既に息が上がって気の読みも甘い。蛍燭を頼りに辺りを見回しても、声の主の居場所など到底分かるはずもなかった。
水晶に透かしたかのような景色に、時間すらも正しく分からなくなってくる。妙齢の女性らしき声は一向に返事をせず、室内には一人分の息遣いだけが断続的に響いていた。
「……しかし、この身体はどういうわけだ?」
緊張が長くはもたず、つい顔を地面に向けていた。床の木目が間近に見える代わりに、天井は遥か天高くある。腕を伸ばせど、覆いの掛けられた窓にやっと手が届くくらいで、箪笥の一番上は、見ることすらかなわない。
賊は、どうやらここからいなくなってしまったようだ。こうして気を逸らし、呑気に歩き回っていても、荒事を始める気配はない。なめられているのか、それとも他に何か理由があるのか。考えても答えは出そうになく、壁を背にして座り込む。
それにしてもこの空間はひどく暗い。そのくせ窓がいくつもあるようだが、そのどれもが乱雑に布をかけてあって、急拵えの暗室のようになっている。既に一部が破片と化したあの箱も、外から見ればどことなく棺のような……
「…………あっ!」
唐突に気がついた事実に、思わず立ち上がる。私は自分自身の声と身体、ひいてはこの部屋に漂っていた既視感の正体にたどり着いたのだ。見覚えがある、どころの話ではない。何せ私は、毎朝毎晩、この部屋へ訪れる生活を続けていたくらいだ。
どうしてすぐに気づかなかったのだろう。今私がいる場所、そしてこの身体は――
「――フラン様、だ……」
可愛らしい少女の声が、それに似合わぬ質素な部屋に響く。改めて見える範囲を観察していくと、記憶通り、扉近くに化粧台がある。
ようやく慣れてきた目で鏡を見れば、こちらを驚いた顔で見つめ返すその姿は、まごうことなくフランドール=スカーレット様だった。ただし、ネグリジェは所々擦り切れてしまっているし、金色の髪には飾りとでもいうかのように、木屑や羽毛がくっついていた。
私は何となく、いつもフラン様にしているように身だしなみを整えてみる。手の届かないところもあり中々難しく、しばし手間取った後ようやく、その小さな少女はスツールから立ちあがる。
「スミマセン、フラン様。少しの間、お体を借りることになったようです」
私は鏡に向かって謝ると、早く事の発端を突き止めねば、といよいよもって奮迅するのだった。
<つづく>
休み中ですので時間はあるかと思います、全て書き終えてから投稿したほうが色々な評価をいただけるかと。
とりあえず次読んできます。