「…………んぅ」
小さく呻きながら、彼女はゴロリと寝返りを打った。
その行動は、気休めにもならない無駄なあがきであるということは、彼女も重々理解していることである。しかし、彼女はそうせずにはいられないのだ。
少しして、彼女は先ほど寝返りを打ったほうとは逆の方に寝返りを打つ。わずかに得られる爽快感は、半秒も持たずに不快なものへと姿を変える。
また少しして、先ほど寝返りを打ったほうとは逆のほうへと寝返りを打つ。
また少しして、逆のほうへと寝返りを打つ。その間隔が徐々に短くなっていき、それを数回ほど繰り返した後。
ぐでん、と諦めたように、力なく仰向けになった彼女は、ベッドの上に己が身体で大の字を描いた。
「…………あつい」
彼女――レティ・ホワイトロックは、か細い声で小さく小さくつぶやいた。
季節は、いよいよ本格的な夏を迎えようかという頃合である。蝉が騒がしく鳴きわめき、これでもかと言わんばかりに『夏』を主張している。
外は朝の朗らかな明るさを通り越し、爛々と攻撃的な陽の光が窓から降り注いでいるのを見るに、太陽は既に一番高い位置に昇ろうかとしているようだった。
ベッドに仰向けになったまま、レティは右手を天井に向けてかざしてみた。右手にまとわりついてくるような空気の質感に、彼女は眉根を寄せ、ため息を吐く。
「また暑くなってきてるわね……。もう、いやになっちゃうわ」
この天井を隔てた向こう側、レティの隠れ家より外の世界は、灼熱の熱気が渦巻く地獄のような環境を形成しているだろう。
明日、明後日、明々後日……、と夏が終わるまでの間、地獄のように暑い日が続いていくということ、それが避けようのない事実であることを再認識し、レティは小さく息を吐いた。
そんな、ため息ばかり吐くレティであるが、彼女の感覚では暑い範疇に入ってしまうのだが、他の人妖から言わせてみれば、今、レティがいる隠れ家は、結構な涼しさを感じるはずである。
それは、レティが隠れ家としているこの場所が、あまり陽の光が当たらないところにあり、風がよく吹くところにあるため、他の場所と比べてみても涼しい場所だからである。
だがそれでも、レティにとっては、まだ暑い場所であることに変わりなかった。
「……あの場所が使えていれば、もうちょっとマシだったんだろうけどなー」
右手を力なく下ろして、また身体で大の字を描いたレティは、名残惜しそうにつぶやいた。
レティの言う”あの場所”とは、今年の冬の終わりごろにたまたま見つけた、妖怪寺の地下にある霊廟のことである。
興味本位にその霊廟に入ってみたところ、これはなかなかいい場所じゃないか、とレティは一目で気に入り、冬が終わり、春へと季節が移り変わる頃、颯爽とその霊廟に移り住んだ。
少しの間、その霊廟のなかで暮らしてみて、人も来ないし中の温度も低い、素晴らしくいい場所を見つけた、と喜んでいられたのも束の間。レティの安寧の時間は、すぐさま終わりを告げることになった。
季節が春から夏に差しかかろうかという頃、紅白の巫女やら魔法使いやら雲入道やら、色々な者たちが霊廟で決闘をはじめたのだ。
それだけなら、ただ騒がしいだけで済んだのだが、そうは問屋が卸さなかった。
その決闘、何やら幻想郷中を巻き込んで、大いに盛り上がっていたらしく、自然、決闘を見に来た人妖で霊廟はごった返し、とてもではないが、レティが隠れ家として使える環境ではなくなってしまったのだった。
決闘自体はレティも楽しんで観戦していたからいいとしても、困ったのは、夏場を過ごす場所である。
霊廟に留まることも一つの手だったが、レティが霊廟に移り住んでいたことが、多数の人妖に知られてしまっていたことを考えると、あまり現実的な選択ではなかった。
このとき、時季は春が終わりに差し掛かり、夏へと移ろうかという頃合だった。レティにしてみれば、極端に力が落ちる時期である。そんな時期に、隠れ家として使う場所を探し回ることなど、出来るはずがなかった。もし、隠れる場所を探している間に、心無い人間に見つかり、冬の鬱憤晴はらさでおくべきか、と襲い掛かられれば、レティに抵抗する術などない。それゆえに、新しく隠れる場所を探すという選択肢を取ることはできなかった。
そうして色々と考えた結果、昨年と同じ場所に隠れるという結論に落ち着くことになったのだった。
だが、レティとしては、去年隠れ家として過ごしたこの場所は、正直失敗だったと思っていた。この隠れ家は、幻想郷の奥まったところにある廃屋を再利用しているのだが、確かに、他の人妖が寄り付くような場所にはないし、日光もほとんど当たらない。だが、完全に日光が当らないわけでもなく、時間帯によって、若干、日光が当たるらしく、そのために、室内の温度も上昇してしまうのである。
今まで隠れ家として使用してきた場所と比べると、レティが夏場を過ごす場所としては、あまりいい場所ではなかった。
さらに、同じ場所に続けて隠れるというのも、隠れ家が露呈するリスクを高めてしまうのだが、このときの状況を考えると、もう背に腹は変えられない状況にあったのだから、仕方がなかった。
「過ぎたことだし、今更どうこう言おうがしょうがないんだけど……。でも……はぁ」
言葉にして口に出すことで、自分を納得させようとするレティだったが、あの霊廟を使えていれば、という思いはどうしても捨て切れないらしい。
レティにとって、それだけ快適な場所であったのだ。あのへんてこな異変さえ起きていなければ……と思わずにはいられないのも仕方がないだろう。
「…………寝よ」
考えても仕方がない。ただでさえ夏場で弱っているところに、さらに苛々するのも馬鹿馬鹿しい。そう思ったレティは、目を覚ましたばかりだというにも関わらず、再び夢の中へ旅立つべく、目を閉じてしまった。
世間一般では、夏という季節は、騒がしく活発な時季であるが、レティにとっては、ひたすら惰眠をむさぼる時期である。
力が落ち込んでいるこの時期には、ほとんど何も出来なくなるし、何もする気が起きない。現状の多少の不快感には目を閉じて、冬を待つべく、もういくつか寝続けるしかないのである。
だが、この場所も、涼しさという点では落第点だが、他の人妖に見つかり難いという点においては、昨年の実績もあることから、一定の評価は与えられるだろう。二年続けて過ごすというリスクを含めなければ、だが。
(……ううん、それも一部を除いて、っていう評価だけど。いや、これは毎年のことだし、もう半分諦めてることだけどさ)
基本的に、夏場に隠れているレティを見つけられる者は、ほとんどいない。この、ほとんど、というところが味噌で、実際には例外がいるということだ。
しかもそれが毎年のことなのだから、レティにしてみれば頭が痛い話である。もう、見つかるのが当たり前と、レティが諦めてしまっているほどである。
(そういえば、いつもなら、大体この時期くらいにはもう見つかってる頃だったと思うけど……今年はどうしたのかしら)
例年であれば、本格的な夏になる前くらいには、いつもやって来ていたはずなのだが、今年は既に夏真っ盛りになっているにも関わらず、そいつはやってきていない。
去年と同じ場所という、難易度的にはイージーモードなはずなのだが、何かしら理由があるのだろうか。
(それならそれで別にいいけど……っていうか、来ないほうがそりゃ良いんだけどさ)
毎年毎年、嫌でもやってくる奴が来ない、というのは、それはそれで気味が悪いものである。
だが同時に、ここでレティの脳裏をよぎったのは、『噂をすれば影がさす』ということわざである。
(……いや、まさかそんな)
言葉には出していない。だだ、心の内に思っただけのことである。だがしかし、レティには、たったそれだけのことでも、そいつを呼び込むきっかけになってしまいそうな、妙な予感のようなものを覚えていた。
まさしく、そのときだった。
ドォンッ!! という轟音とともに、豪快にレティの隠れ家の扉が開け放たれた。ついで、むわっとする熱気を伴い、レティの楽園に入室してくる獣が一匹。
「ようやく見つけたぞ……レティ・ホワイトロック!!!」
凛としたよく通る声は、レティの耳にうるさいと感じるくらいに鋭く届き、ただ一言だけで、喧しく鳴き喚いていた周囲の蝉たちを静まり返らせた。
そうして、ズビシッ! とレティを指差す闖入者は、息は乱れ、目は血走り、体中からムワンムワンとした湯気が出ているように見える。
対するレティはといえば、突然の闖入者に慌てる様子は全くなく、頭に手をやり、はぁ……、と溜息を吐いていた。
一種の様式美のようなものと、やっぱり見つかったか、という諦めと落胆とが入り混じり、その表情は、何ともいえないものが浮かんでいた。
「戸、閉めて」
「え、あ、うん」
レティの端的な指令に、意外と素直に応じる闖入者は、レティに言われた通り、すぐさま戸を閉めた。
戸が開いていたのは数秒ほどだったが、その間に外の熱気が室内に入り込んできてしまったようで、むわっとした空気がレティのところにまで及んできていた。
それを受けて、わずかにレティは顔をしかめたが、戸を閉めた闖入者は、くるりとレティに向き直り、気を取り直したように、ビシィッ! と再びレティに指を差す。
「さあ! これでもうどこにも隠れることは出来ないぞ! 無駄な抵抗はやめておけ! この私、八雲藍から逃れられるとは思わないことだ!!」
「……いや、元々隠れてるんだけどね」
どこか疲れたように応えるレティを尻目に、闖入者――八雲藍の方は、妙にヒートアップしている様子である。
ただでさえ、彼女は暑苦しそうな見た目をしているのに、さらに暑苦しくされたのでは、レティとしてはたまったものではない。
レティは、もうベッドから起き上がる気力すらないようで、横になったまま、首だけを藍に向けた。
「……毎年毎年言ってるような気がするけど、もう少し静かに、ちょっとは遠慮しながら入ってきてくれないかしら」
「ようやっと君の居所が掴めたんだ! これがどうして落ち着いていられようか!!」
会話を重ねることで、少しは落ち着いてもらおうかと思ったレティだったが、返ってきたのは、烈火のように鋭く熱い言葉である。
レティは、またひとつ溜息を吐いてしまうのを止められなかった。
幻想郷の住人のなかでは、比較的穏やかな妖怪の部類に入る藍なのだが、夏場に限っては、その背にある見事な尻尾が熱を溜め込んでしまうせいなのか、他人と比べても不快指数が高いらしく、少しイライラしていることが多い。
その彼女は、毎年のようにレティの隠れ家を探し出し、気の済むまで涼んでいく。
一応、レティもそれなりに注意して隠れ家となる場所を選ぶため、そう簡単に隠れ家を見つけられるわけはないのだが、藍にだけは、それが通じないようで、毎年毎年、的確に見つけられてしまうのである。
一体全体、どうやって隠れ家を探し出しているのか。当然不思議に思ったレティが尋ねてみたところ、藍はこう教えてくれた。
藍は、幻想郷の結界の管理の一切を担っているため、幻想郷のほぼ全ての場所を把握しており、レティが隠れ家として採用しそうな場所、涼しそうな場所に当たりをつけ、その当りをつけた場所一帯に、配下の式神たちを総動員してローラーをかけている、と言うのだ。
それはそれは大それたことをしているものだとレティは思ったが、同時に、そんなことのために駆り出される式神もかわいそうだな、とも思った。
「しかし、まさか去年と同じ場所に隠れていたとは思いもしなかった……。この藍、見事に裏をかかれてしまったよ!! そのせいで、いつもより見つけるのが遅れてしまった!!」
「……そ。策士の九尾を出し抜けたようで、すごくうれしいわ」
忌々しげに呻く藍に対して、レティは、どこか棒読み気味に答える。
(そうか、それが見つけられるのが遅れた理由か……)
なるほど、と納得しながら、去年と同じ場所に隠れるというのは、こうやって裏をかく面もあるのか。今度からそういう方面でも隠れる場所を探してみよう。レティはそう思った。
「ホワイトロック! 私は暑い!! 暑いんだ!!! どうにかなってしまいそうなくらい暑いんだ!!!!」
「あんまり暑い暑い言わないで。こっちまで暑くなるわ」
既にどうにかなってるじゃないか、とレティは突っ込みたくなったが、もうそんな気力もないらしい。というか、毎年毎年、藍との夏のファーストコンタクトはこんなものなのだが。
「もう辛抱ならん!! おあつらえ向きにベッドに横になってるし、構わないよねっ! 頂きますっ!!」
「えっ? ちょっ――」
レティが待て、というより早く、どこぞの怪盗よろしく、藍はレティ目がけて飛び掛っていた。ちなみに脱衣はしていない。
天狗もかくや、というあまりの高速移動ぶりに、ベッドで横になっていたレティが回避できるわけもなく。次の瞬間には、まな板の上の鯉が如く、哀れレティは獣にその身を蹂躙されることになった。
「ああ……冷たい……なんて気持ち良さだ……天にも昇ってしまいそうだ……」
ベッドの上で全身をがっちりとホールドされ、身動きが全く取れない状態で、藍にスリスリと頬ずりをされながら、そのまま昇天してしまえ、とレティは心の底から思った。
言うまでもなく、レティの身体は他の人妖に比べて体温が低い。冬場であれば雪のように冷たくなるが、夏場では、ほどよい冷たさに緩和されているらしい。
レティ自身のふわふわとした抱き心地の良さと、ほどよく冷たい体温とが相まって、夏場において、彼女の身体は、これ以上ない極上の天然抱き枕であると断言せざるを得ない。
まして、藍のように、人一倍の暑さを体験せざるを得ない身からすれば、是が非でも手に入れたい世紀の逸品なのである。
「はぁ……全くたまらない……。このときこの瞬間だけは、私は君のことが世界で一番好きになるよ」
「そ。この瞬間だけで良かったと、心の底から思うわ」
藍の甘い言葉に対し、レティは冷ややかな目で藍を睨みながら、冷ややかな言葉を投げ返す。だが、藍に対して抵抗する素振りは一切ない。
それも当然、冬場ならいざ知らず、夏場のレティでは、抵抗するだけ全くの無駄なのだ。まして、相手が九尾の妖狐、幻想郷最強の妖獣である藍とくれば、なおさらのことであろう。もう、されるがままになる他ない。
「たまらない抱き心地だ……。全く、君というひとは、私にとって、冬からの最高の贈り物だよ……」
「冬もあんた宛てに贈ってるわけじゃないと思うけどね」
藍の言葉に、忌々しげに答えるレティ。
というか誰に対しても贈ってないんだけど、と、冬がこの場にいたとすれば、そう突っ込んでいたかもしれない。
(……このバカの頭が冷えるまで、どれくらいかかるかしら)
レティの身体に夢中になっている藍の姿は、常の彼女からは想像し難い、あまりにかけ離れたものである。
いつもの理知的で穏やかな藍に戻るにしても、例年より見つかるのが遅れたことを鑑みれば、その分だけ、藍も暑さを我慢してきたのだろうし、我慢してきた分、レティの身体で涼もうとするだろう。つまり、藍が落ち着くのは、ずっと後のことになるだろうか。
この後、ようやく冷静になった藍が土下座するほどの勢いで謝り倒し、謝罪の代わりといってはなんですが、と酒を取り出して、ひとしきり飲んだ後、酔った藍から延々と愚痴を聞かされ、泣かれ、それを何とか慰めて、気を取り直した藍に式自慢をされ、そして最後には、『それでも、私はそんな紫様を敬愛しているのです!!』と、のろけられ、吐き出すものを吐き出して、思う存分涼むことが出来た、と満足気な顔をして帰っていくモフモフな後ろ姿を見送る。
そんな未来が幻視できて、レティは深い深いため息を吐いた後に、うんざりとつぶやいた。
「今年も、夏がきたわね……」
小さく呻きながら、彼女はゴロリと寝返りを打った。
その行動は、気休めにもならない無駄なあがきであるということは、彼女も重々理解していることである。しかし、彼女はそうせずにはいられないのだ。
少しして、彼女は先ほど寝返りを打ったほうとは逆の方に寝返りを打つ。わずかに得られる爽快感は、半秒も持たずに不快なものへと姿を変える。
また少しして、先ほど寝返りを打ったほうとは逆のほうへと寝返りを打つ。
また少しして、逆のほうへと寝返りを打つ。その間隔が徐々に短くなっていき、それを数回ほど繰り返した後。
ぐでん、と諦めたように、力なく仰向けになった彼女は、ベッドの上に己が身体で大の字を描いた。
「…………あつい」
彼女――レティ・ホワイトロックは、か細い声で小さく小さくつぶやいた。
季節は、いよいよ本格的な夏を迎えようかという頃合である。蝉が騒がしく鳴きわめき、これでもかと言わんばかりに『夏』を主張している。
外は朝の朗らかな明るさを通り越し、爛々と攻撃的な陽の光が窓から降り注いでいるのを見るに、太陽は既に一番高い位置に昇ろうかとしているようだった。
ベッドに仰向けになったまま、レティは右手を天井に向けてかざしてみた。右手にまとわりついてくるような空気の質感に、彼女は眉根を寄せ、ため息を吐く。
「また暑くなってきてるわね……。もう、いやになっちゃうわ」
この天井を隔てた向こう側、レティの隠れ家より外の世界は、灼熱の熱気が渦巻く地獄のような環境を形成しているだろう。
明日、明後日、明々後日……、と夏が終わるまでの間、地獄のように暑い日が続いていくということ、それが避けようのない事実であることを再認識し、レティは小さく息を吐いた。
そんな、ため息ばかり吐くレティであるが、彼女の感覚では暑い範疇に入ってしまうのだが、他の人妖から言わせてみれば、今、レティがいる隠れ家は、結構な涼しさを感じるはずである。
それは、レティが隠れ家としているこの場所が、あまり陽の光が当たらないところにあり、風がよく吹くところにあるため、他の場所と比べてみても涼しい場所だからである。
だがそれでも、レティにとっては、まだ暑い場所であることに変わりなかった。
「……あの場所が使えていれば、もうちょっとマシだったんだろうけどなー」
右手を力なく下ろして、また身体で大の字を描いたレティは、名残惜しそうにつぶやいた。
レティの言う”あの場所”とは、今年の冬の終わりごろにたまたま見つけた、妖怪寺の地下にある霊廟のことである。
興味本位にその霊廟に入ってみたところ、これはなかなかいい場所じゃないか、とレティは一目で気に入り、冬が終わり、春へと季節が移り変わる頃、颯爽とその霊廟に移り住んだ。
少しの間、その霊廟のなかで暮らしてみて、人も来ないし中の温度も低い、素晴らしくいい場所を見つけた、と喜んでいられたのも束の間。レティの安寧の時間は、すぐさま終わりを告げることになった。
季節が春から夏に差しかかろうかという頃、紅白の巫女やら魔法使いやら雲入道やら、色々な者たちが霊廟で決闘をはじめたのだ。
それだけなら、ただ騒がしいだけで済んだのだが、そうは問屋が卸さなかった。
その決闘、何やら幻想郷中を巻き込んで、大いに盛り上がっていたらしく、自然、決闘を見に来た人妖で霊廟はごった返し、とてもではないが、レティが隠れ家として使える環境ではなくなってしまったのだった。
決闘自体はレティも楽しんで観戦していたからいいとしても、困ったのは、夏場を過ごす場所である。
霊廟に留まることも一つの手だったが、レティが霊廟に移り住んでいたことが、多数の人妖に知られてしまっていたことを考えると、あまり現実的な選択ではなかった。
このとき、時季は春が終わりに差し掛かり、夏へと移ろうかという頃合だった。レティにしてみれば、極端に力が落ちる時期である。そんな時期に、隠れ家として使う場所を探し回ることなど、出来るはずがなかった。もし、隠れる場所を探している間に、心無い人間に見つかり、冬の鬱憤晴はらさでおくべきか、と襲い掛かられれば、レティに抵抗する術などない。それゆえに、新しく隠れる場所を探すという選択肢を取ることはできなかった。
そうして色々と考えた結果、昨年と同じ場所に隠れるという結論に落ち着くことになったのだった。
だが、レティとしては、去年隠れ家として過ごしたこの場所は、正直失敗だったと思っていた。この隠れ家は、幻想郷の奥まったところにある廃屋を再利用しているのだが、確かに、他の人妖が寄り付くような場所にはないし、日光もほとんど当たらない。だが、完全に日光が当らないわけでもなく、時間帯によって、若干、日光が当たるらしく、そのために、室内の温度も上昇してしまうのである。
今まで隠れ家として使用してきた場所と比べると、レティが夏場を過ごす場所としては、あまりいい場所ではなかった。
さらに、同じ場所に続けて隠れるというのも、隠れ家が露呈するリスクを高めてしまうのだが、このときの状況を考えると、もう背に腹は変えられない状況にあったのだから、仕方がなかった。
「過ぎたことだし、今更どうこう言おうがしょうがないんだけど……。でも……はぁ」
言葉にして口に出すことで、自分を納得させようとするレティだったが、あの霊廟を使えていれば、という思いはどうしても捨て切れないらしい。
レティにとって、それだけ快適な場所であったのだ。あのへんてこな異変さえ起きていなければ……と思わずにはいられないのも仕方がないだろう。
「…………寝よ」
考えても仕方がない。ただでさえ夏場で弱っているところに、さらに苛々するのも馬鹿馬鹿しい。そう思ったレティは、目を覚ましたばかりだというにも関わらず、再び夢の中へ旅立つべく、目を閉じてしまった。
世間一般では、夏という季節は、騒がしく活発な時季であるが、レティにとっては、ひたすら惰眠をむさぼる時期である。
力が落ち込んでいるこの時期には、ほとんど何も出来なくなるし、何もする気が起きない。現状の多少の不快感には目を閉じて、冬を待つべく、もういくつか寝続けるしかないのである。
だが、この場所も、涼しさという点では落第点だが、他の人妖に見つかり難いという点においては、昨年の実績もあることから、一定の評価は与えられるだろう。二年続けて過ごすというリスクを含めなければ、だが。
(……ううん、それも一部を除いて、っていう評価だけど。いや、これは毎年のことだし、もう半分諦めてることだけどさ)
基本的に、夏場に隠れているレティを見つけられる者は、ほとんどいない。この、ほとんど、というところが味噌で、実際には例外がいるということだ。
しかもそれが毎年のことなのだから、レティにしてみれば頭が痛い話である。もう、見つかるのが当たり前と、レティが諦めてしまっているほどである。
(そういえば、いつもなら、大体この時期くらいにはもう見つかってる頃だったと思うけど……今年はどうしたのかしら)
例年であれば、本格的な夏になる前くらいには、いつもやって来ていたはずなのだが、今年は既に夏真っ盛りになっているにも関わらず、そいつはやってきていない。
去年と同じ場所という、難易度的にはイージーモードなはずなのだが、何かしら理由があるのだろうか。
(それならそれで別にいいけど……っていうか、来ないほうがそりゃ良いんだけどさ)
毎年毎年、嫌でもやってくる奴が来ない、というのは、それはそれで気味が悪いものである。
だが同時に、ここでレティの脳裏をよぎったのは、『噂をすれば影がさす』ということわざである。
(……いや、まさかそんな)
言葉には出していない。だだ、心の内に思っただけのことである。だがしかし、レティには、たったそれだけのことでも、そいつを呼び込むきっかけになってしまいそうな、妙な予感のようなものを覚えていた。
まさしく、そのときだった。
ドォンッ!! という轟音とともに、豪快にレティの隠れ家の扉が開け放たれた。ついで、むわっとする熱気を伴い、レティの楽園に入室してくる獣が一匹。
「ようやく見つけたぞ……レティ・ホワイトロック!!!」
凛としたよく通る声は、レティの耳にうるさいと感じるくらいに鋭く届き、ただ一言だけで、喧しく鳴き喚いていた周囲の蝉たちを静まり返らせた。
そうして、ズビシッ! とレティを指差す闖入者は、息は乱れ、目は血走り、体中からムワンムワンとした湯気が出ているように見える。
対するレティはといえば、突然の闖入者に慌てる様子は全くなく、頭に手をやり、はぁ……、と溜息を吐いていた。
一種の様式美のようなものと、やっぱり見つかったか、という諦めと落胆とが入り混じり、その表情は、何ともいえないものが浮かんでいた。
「戸、閉めて」
「え、あ、うん」
レティの端的な指令に、意外と素直に応じる闖入者は、レティに言われた通り、すぐさま戸を閉めた。
戸が開いていたのは数秒ほどだったが、その間に外の熱気が室内に入り込んできてしまったようで、むわっとした空気がレティのところにまで及んできていた。
それを受けて、わずかにレティは顔をしかめたが、戸を閉めた闖入者は、くるりとレティに向き直り、気を取り直したように、ビシィッ! と再びレティに指を差す。
「さあ! これでもうどこにも隠れることは出来ないぞ! 無駄な抵抗はやめておけ! この私、八雲藍から逃れられるとは思わないことだ!!」
「……いや、元々隠れてるんだけどね」
どこか疲れたように応えるレティを尻目に、闖入者――八雲藍の方は、妙にヒートアップしている様子である。
ただでさえ、彼女は暑苦しそうな見た目をしているのに、さらに暑苦しくされたのでは、レティとしてはたまったものではない。
レティは、もうベッドから起き上がる気力すらないようで、横になったまま、首だけを藍に向けた。
「……毎年毎年言ってるような気がするけど、もう少し静かに、ちょっとは遠慮しながら入ってきてくれないかしら」
「ようやっと君の居所が掴めたんだ! これがどうして落ち着いていられようか!!」
会話を重ねることで、少しは落ち着いてもらおうかと思ったレティだったが、返ってきたのは、烈火のように鋭く熱い言葉である。
レティは、またひとつ溜息を吐いてしまうのを止められなかった。
幻想郷の住人のなかでは、比較的穏やかな妖怪の部類に入る藍なのだが、夏場に限っては、その背にある見事な尻尾が熱を溜め込んでしまうせいなのか、他人と比べても不快指数が高いらしく、少しイライラしていることが多い。
その彼女は、毎年のようにレティの隠れ家を探し出し、気の済むまで涼んでいく。
一応、レティもそれなりに注意して隠れ家となる場所を選ぶため、そう簡単に隠れ家を見つけられるわけはないのだが、藍にだけは、それが通じないようで、毎年毎年、的確に見つけられてしまうのである。
一体全体、どうやって隠れ家を探し出しているのか。当然不思議に思ったレティが尋ねてみたところ、藍はこう教えてくれた。
藍は、幻想郷の結界の管理の一切を担っているため、幻想郷のほぼ全ての場所を把握しており、レティが隠れ家として採用しそうな場所、涼しそうな場所に当たりをつけ、その当りをつけた場所一帯に、配下の式神たちを総動員してローラーをかけている、と言うのだ。
それはそれは大それたことをしているものだとレティは思ったが、同時に、そんなことのために駆り出される式神もかわいそうだな、とも思った。
「しかし、まさか去年と同じ場所に隠れていたとは思いもしなかった……。この藍、見事に裏をかかれてしまったよ!! そのせいで、いつもより見つけるのが遅れてしまった!!」
「……そ。策士の九尾を出し抜けたようで、すごくうれしいわ」
忌々しげに呻く藍に対して、レティは、どこか棒読み気味に答える。
(そうか、それが見つけられるのが遅れた理由か……)
なるほど、と納得しながら、去年と同じ場所に隠れるというのは、こうやって裏をかく面もあるのか。今度からそういう方面でも隠れる場所を探してみよう。レティはそう思った。
「ホワイトロック! 私は暑い!! 暑いんだ!!! どうにかなってしまいそうなくらい暑いんだ!!!!」
「あんまり暑い暑い言わないで。こっちまで暑くなるわ」
既にどうにかなってるじゃないか、とレティは突っ込みたくなったが、もうそんな気力もないらしい。というか、毎年毎年、藍との夏のファーストコンタクトはこんなものなのだが。
「もう辛抱ならん!! おあつらえ向きにベッドに横になってるし、構わないよねっ! 頂きますっ!!」
「えっ? ちょっ――」
レティが待て、というより早く、どこぞの怪盗よろしく、藍はレティ目がけて飛び掛っていた。ちなみに脱衣はしていない。
天狗もかくや、というあまりの高速移動ぶりに、ベッドで横になっていたレティが回避できるわけもなく。次の瞬間には、まな板の上の鯉が如く、哀れレティは獣にその身を蹂躙されることになった。
「ああ……冷たい……なんて気持ち良さだ……天にも昇ってしまいそうだ……」
ベッドの上で全身をがっちりとホールドされ、身動きが全く取れない状態で、藍にスリスリと頬ずりをされながら、そのまま昇天してしまえ、とレティは心の底から思った。
言うまでもなく、レティの身体は他の人妖に比べて体温が低い。冬場であれば雪のように冷たくなるが、夏場では、ほどよい冷たさに緩和されているらしい。
レティ自身のふわふわとした抱き心地の良さと、ほどよく冷たい体温とが相まって、夏場において、彼女の身体は、これ以上ない極上の天然抱き枕であると断言せざるを得ない。
まして、藍のように、人一倍の暑さを体験せざるを得ない身からすれば、是が非でも手に入れたい世紀の逸品なのである。
「はぁ……全くたまらない……。このときこの瞬間だけは、私は君のことが世界で一番好きになるよ」
「そ。この瞬間だけで良かったと、心の底から思うわ」
藍の甘い言葉に対し、レティは冷ややかな目で藍を睨みながら、冷ややかな言葉を投げ返す。だが、藍に対して抵抗する素振りは一切ない。
それも当然、冬場ならいざ知らず、夏場のレティでは、抵抗するだけ全くの無駄なのだ。まして、相手が九尾の妖狐、幻想郷最強の妖獣である藍とくれば、なおさらのことであろう。もう、されるがままになる他ない。
「たまらない抱き心地だ……。全く、君というひとは、私にとって、冬からの最高の贈り物だよ……」
「冬もあんた宛てに贈ってるわけじゃないと思うけどね」
藍の言葉に、忌々しげに答えるレティ。
というか誰に対しても贈ってないんだけど、と、冬がこの場にいたとすれば、そう突っ込んでいたかもしれない。
(……このバカの頭が冷えるまで、どれくらいかかるかしら)
レティの身体に夢中になっている藍の姿は、常の彼女からは想像し難い、あまりにかけ離れたものである。
いつもの理知的で穏やかな藍に戻るにしても、例年より見つかるのが遅れたことを鑑みれば、その分だけ、藍も暑さを我慢してきたのだろうし、我慢してきた分、レティの身体で涼もうとするだろう。つまり、藍が落ち着くのは、ずっと後のことになるだろうか。
この後、ようやく冷静になった藍が土下座するほどの勢いで謝り倒し、謝罪の代わりといってはなんですが、と酒を取り出して、ひとしきり飲んだ後、酔った藍から延々と愚痴を聞かされ、泣かれ、それを何とか慰めて、気を取り直した藍に式自慢をされ、そして最後には、『それでも、私はそんな紫様を敬愛しているのです!!』と、のろけられ、吐き出すものを吐き出して、思う存分涼むことが出来た、と満足気な顔をして帰っていくモフモフな後ろ姿を見送る。
そんな未来が幻視できて、レティは深い深いため息を吐いた後に、うんざりとつぶやいた。
「今年も、夏がきたわね……」
発想も構想も素晴らしい。無駄なく綺麗に纏ってて、文句なしの100点です。
夏でだらけているレティも良い感じです
チルノとあわせて夏人気妖怪ツートップですね!
めんどくさそうながらも受け入れるレティもよかったです
でも、これからというところで終わってしまった。
お話にもうひとつ展開があれば、文句なしに満点だった。
ありそうで無かった組み合わせですね。よかったです。